中国政治協商会議の位相
著者 毛 桂榮
雑誌名 明治学院大学法学研究 = Meiji Gakuin law journal
巻 100
ページ 247‑308
発行年 2016‑01‑29
その他のタイトル The Institutionalization of the Chinese People's Political Consultative
Conference(CPPCC)
URL http://hdl.handle.net/10723/2645
中国政治協商会議 位相
毛 桂 榮 明治学院大学
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6. 上院化
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表 6 全国政協 全人代 比較:概要
国政協 人代
憲法的位 国家 関 協議 政治制 度?
国権 関,立法 関
1949 年 1954 年
構成員
人数など
委員(兼職・非常勤),「界別」
構成
代表(兼職・非常勤),「代表団」
構成
第 2 期(1954)は 599 名 第 1 期(1954)は 1226 名 第 12 期(2013)は 2237 名 第 12 期(2013)は 2987 名
任 期 5 年 5 年
選 出 協議(推薦,任命) 間接選挙 共産党員の割合 共産党員は 4 割弱,非共産党員
は 6 割以上
共産党員は 6 割以上,非共産党 員は 4 割弱
トップ及び共産 党内の地位
主席。現在,政治局常務委員会 での序列は 4 位
委員長。2015 年現在,共産党政 治局常務委員会での序列は 3 位
(前 会 期 で は 2 位。2 位 の 総 理 と入れ替わり)
指導部,常務委 員会及び事務局 体制
主席会議(主席・副主席) 委員長会議(委員長・副委員長)
常 務 委 員 会(1980 年 代 以 後 約 300 名委員)会議は 3ヶ月に 1 回。
常務委員会(現在 150〜200 名。
2003 年 以 後 10 数 名 常 勤) 会 議 は 2ヶ月に一回。
秘書長会議(秘書長は副主席の 1 人が兼任することが多い)
秘書長会議(秘書長は副委員長 の 1 人が兼任することが多い)
専門委員会 9 専門委員会及び事務局組織 9 専門委員会及び事務局組織 全体会議 現在,ほぼ同時期,3 月開会。政協は,1 日早い開会式。「両会」と
総称される
会議場(総会) 政協礼堂(第 2〜4 期),人民大 会堂(第 5 期以後)
人民大会堂
開会時 会議主席団(議長団)が指導 会議主席団(議長団)が指導 注: 全人代の常務委員会では「専職」(常勤)の提案があり,2003 年より 10 名の専従常
務委員が誕生し,以後,10 数名が常勤となっている。
出典:各種資料を総合し,毛が整理。
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中国政治協商会議の位相 表 7 全国政協 全人代 歴史比較全国政協 全人代
任期 主席名,
副主席総数
常務委員
(委員会総数)委員数 会議数 任 期 委員長名,
副委員長総数
常務委員
(委員会総数)代表数 開催状況
(常務委員 会を除く)
政治協商会議全体会議,1949 年 9 月 21 日
-30 日,46 組織から 662 名委員が
参加,一回開催。第 1 期 1949 年 10 月 1954 年 12 月 毛沢東,副 5 28(28) 180 4 回
第 2 期 1954 年 12 月 1959 年 4 月 周恩来,副 16 63(80) 559 3 回 第 1 期:
1954 年 9 月 1959 年 4 月 劉少奇,副 13 65(79) 1226 5 回 第 3 期 1959 年 4 月 1965 年 1 月 周恩来,副 14 143(158) 1,071 4 回 第 2 期:
1959 年 4 月 1964 年 12 月朱徳,副 16 62(79) 1226 4 回
第 4 期 1965 年 1 月 1978 年 3 月 周恩来,副 22 135(158) 1,199 1 回
第 3 期:
1964 年 12 月 1975 年 1 月朱徳,副 18 96(115) 3040 1 回
(1964 年末)
第 4 期:
1975 年 1 月 1978 年 2 月 朱徳,副 22 144(167)2885 1 回
(1975 年)
第 5 期 1978 年 3 月 1983 年 6 月 鄧小平,副 22 245(268) 1,988 5 回 1978 年 2 月 1983 年 6 月 葉剣英,副 20 175(196)3497 5 回 第 6 期 1983 年 6 月 1988 年 4 月 鄧頴超,副 29 269(299) 2,036 5 回 1983 年 6 月 1988 年 3 月 彭 真, 副 20,
秘 1 133(155)2978 5 回 第 7 期 1988 年 4 月 1993 年 3 月 李先念,副 28 289(318) 2,081 5 回 1988 年 3 月 1993 年 3 月 万里,副 19 135(155)2970 5 回 第 8 期 1993 年 3 月 1998 年 3 月 李瑞環,副 25 288(314) 2093 5 回 1993 年 3 月 1998 年 3 月 喬石,副 19,秘 1 134(155)2978 5 回 第 9 期 1998 年 3 月 2003 年 3 月 李瑞環,副 31 299(331) 2,196 5 回 1998 年 3 月 2003 年 3 月 李鵬,19 秘 1 134(155)2979 5 回 第 10 期 2003 年 3 月 2008 年 3 月 賈慶林,副 24 299(324)2,238
5 回 2003 年 3 月 2008 年 3 月 呉邦国,副 15 159(175)2977 5 回 第 11 期 2008 年 3 月 2013 年 3 月 賈慶林,副 25 298(323) 2,237 5 回 2008 年 3 月 2013 年 3 月 呉邦国,副 13 161(175)2985 5 回 第 12 期 2013 年 3 月 兪正声,副 23 299(323) 2,237 5 回の予定 2013 年 3 月 張徳江,副 13 161(175)2987 5 回の予定 注: (1)政協委員と全人代代表の数字は当初の数字で,死亡,免職や増加による変動が反映されていない。例えば,政協第 1 期は,
増補により委員は 51 名。(2)常務委員会の総数は,全国政協第一期を除き,主席(委員長),「副」(副主席,副委員長)を 含めた数字。常務委員会に参加する秘書長は,通常,副主席(副委員長)の一人が兼任することが多いが,全人代第 6,8,
9 期では副委員長とは別に専従の秘書長 1 人が設置された。「秘 1」と表し委員会の総数に集計。
組織編成からして,政協は全人代とさほどの相違がないように見える。
全国政協は,全人代と同じく毎年 3 月に開会し,開会式の翌日に全人代の会 議に陪席し,諸報告を聴き,その後,政治協商会議として審議・討論を経て提 案などを行うが,政協は国家機関ではないので,全人代のように議決権を行使 することはできない。ただ政府に対して提案を行うことができる。全国政協の 常務委員会(約 300 名委員)は,3ヶ月に 1 回(全人代常務委員会は 2ヶ月に 1 回)
の割合で会議を開催するが,より少人数の主席会議(主席と副主席,秘書長から なる)は,1ヶ月に 1 回,開催されている。主席会議については,常務委員会 の人数が多いことから,1982 年の規程改正で制度化されたが(8),それ以前から 存在してきた。また秘書長会議(専従の副秘書長もある)も 1ヶ月に 1 回の頻度 で会議を開催している。
政協と人民代表大会とが運命を共にした歴史もあった。1954 年憲法の公表 から 1975 年憲法の制定までは,中国で法律は一本も制定されていない(9)。激 動の時代であった。表 2 から見るように,第 3 期(1964 年 12 月 1975 年 1 月), 4 期(1975 年 1 月 1978 年 2 月)の全人代は,それぞれ会議を一回しか開催しなかっ た。その内,1966 年 7 月から 1975 年 1 月までの間,全人代が開催されたこと はまったくなかった。同時期の政協第 4 期(1965 年 1 月 1978 年 1978 年 3 月)は,
会期 4 年であるが,10 年以上存続し,会議は一回しか開催されなかった。
1978 年以後,政協と全人代の会議が(ともに第 5 期として 5 年任期)漸次揃うよ うになり,正常化し,また制度化していた。1993 年以後(第 8 期),会議時期 は一致することになった(10)。すなわち,同時開催になったのである。後述する ように,1993 年憲法改正により憲法序文では「共産党が指導する多党協力と 政治協商制度」が存続し,発展すると規定された。政協と全人代が共に機能す るようになったのである。
現在,全国政協は全人代と同じ時期に開催し,人民大会堂で全国政協委員が 全人代の会議にも陪席(「列席」)し,政府の各種報告を聞き,討論(審議)に参
加する。一部では,これが憲法的慣習となりつつあると解釈されている。また,
政協委員の調査や地方視察などが制度化され,全人代の代表と同様に視察先で 接待される。政協の活動はすべて国家財政によってまかなわれている。さらに,
前述したように政協の事務組織スタッフは,かつて国家幹部で,現在は公務員 となっている。
興味深いことに,外国の上院訪問団が中国を訪問する場合,その受け入れ組 織としては,政治協商会議が対応することが慣例化している。同様に,政治協 商会議が外国を訪問する場合,各国の上院が対応することが慣例となっている。
法制度的に見た場合,中国憲法では政治協商会議という組織が国家機関とし て設置されていない。しかし,実際は,国旗法において政協に関する規定が設 けられている。
1990 年に採択・実施された中国の国旗法は,その第 5 条で「全人代常務委 員会,国務院,中央軍事委員会,最高人民法院,最高人民検察院,政協全国委 員会」は毎日その所在地で国旗を掲揚することが規定されている。また第 6 条 では,「国務院の各部門,地方各レベルの人代常務委員会,人民政府,人民法院,
人民検察院,政協各レベルの地方委員会」は仕事の日(平日)に国旗を掲揚す ることが規定されている。第 5 条と第 6 条の規定は,いわば休日における国旗 掲揚の相違を規定したものであるが,全国政協は毎日の掲揚,地方の政協は平 日の掲揚が規定された。順序として立法組織,行政組織,司法組織のあとに,
(全国と地方)政協が明示されているが,政協は,国家機関と同様に,国旗掲 揚が規定されたのである。つまり,政協は,国旗法では国家機関扱いと言って よい。
中国の政治用語として,「党と国家の指導者」という表現がある。その「党」
とは,共産党のことであるが,「党と国家の指導者」(党和国家領導人)は,党(共 産党),全人代,政府,そして政協の指導者を含む概念である。具体的に全国 政協の主席と副主席が「党と国家の指導者」に含まれている。地方では,地方
政協の主席・副主席は各地方の「党政指導者」(地方党政領導)となっている。
全国と地方とでは,いずれも党(共産党),人代(立法),政府(行政),政協と いう順序で主要指導者を紹介することが一般的である。要するに,政協は国家 機関なみの組織である。
私は,共産党による国権の最高機関(全人代)に対する指導あるいは統制の 方法として,次の 5 点に整理したことがある(11)。この整理は,全人代がそう組 織されていることも明らかにしているので,これを手かがりに政治協商会議と 全人代との相違を考えてみたい。
第 1 に,全人代の代表に占める共産党の党員を,代表選出過程を統制するこ とを通じて代表総数の過半数以上とする。
第 2 に,各選出母体を単位に「代表団」が組織され,全人代の構成単位とな る。地方の代表団は,地方の共産党委員会書記が責任者である団長となり,ま た団長は後述する会議の「主席団」のメンバーとなる。
第 3 に,全人代及び常務委員会の委員長などの幹部職は共産党員の幹部(党 中央委員あるいは政治局のメンバー)とする。これをもって次の「党組」が設置 される。
第 4 に,全人代及び常務委員会に「党組」(共産党グループ)が設置され,全 人代及び常務委員会の執行部(すなわち党幹部)は「党組」の構成員とする。ま たは,党組の構成員が全人代の執行部となる。
第 5 に,全人代の会議は,「主席団」によって指導される。共産党中央執行 部は,全人代の「主席団」の主たる責任者となる。全人代常務委員会の委員長 は,「主席団」の常務主席の一人であり,「代表団」の団長も主席団のメンバー である。
これに対して,政治協商会議はいくつかの側面で異なる。
第 1 に,全人代では「代表」を間接選挙で選出するのに対して,「政協」で は「委員」を相談によって決めることとなっている(12)。全人代も全国政協も,
定員や定数の制度的規定はない。全人代は,常務委員会で次期全人代の代表数 を決定するのと同様に,政協の常務委員会では次期全国政協の委員数を審議し 決定するが,全人代に比べると,政協は会期期間中,免職に伴う増補のほか,
増員も多いように思われる。
また,全国政協の委員(第 12 期,2237 名)は,全人代の代表(第 12 期,2987 名)
より人数が少ないが,政協の常務委員(同,299 名)は,全人代の常務委員(同,
161 名)より多い。同様に,政協の副主席(同,23 名)は,全人代の副委員長(13 名)より多い。これは,政協の常務委員,副主席のポストを利用して一定の影 響力を有する人物を政治的に処遇することと関係があると思われる。例えば,
香港などの行政長官が退任後,政協副主席になることが慣例となっている。全 人代と全国政協は,「庶民院」と「貴族院」の相違であろうか。
第 2 に,もっと重要な相違はその構成にある。全人代は「代表団」により組 織されるのに対して,政協は党派(各政党)や組織(人民団体)及び職能代表など,
すなわち「界別」により組織されている。会議期間中の審議・討論は,全人代 は「代表団」別(複数の合同も)で行われるが,政協の場合は「界別」ごと(複 数の合同も)で討議や議論を行っている。もちろん,実質的に大きな差はない と考える。政協と全人代ではいずれも一定数の委員あるいは代表で提案できる が,全人代で「代表団」の役割がより重要で,政協ではそれに相当するのが「界 別」と思われる。政協では,1990 年代以後,例えば民主党派は界別とする政 党の名義で提案することができるようになった。「界別」の概念は,2004 年の 規程改正で正式に使用され,それより以前は「単位」という用語であった。現 在の 34 の「界別」は,10 政党,8 人民団体,また多くの職業領域及びその他 からなっている。
第 3 に,政治協商会議では,共産党員は 4 割以下である。全人代と異なり,
現在,民主党派や無党派人士など(非共産党員)が政協委員の中では 60%以上,
政協常務委員会では 65%以上,また政協副主席のなかでは 50%以上を占める
ことが数字目標として明示されている。例えば,全国政協第 11 期の委員は 2,237 人,公式発表では共産党員は 892 人,非共産党員は 1345 人である。共産党員 の割合は,見事に 4 割以下に抑えている。同様に,第 12 期全国政協では共産 党員は 39.9%で,非共産党員は 60%を超えていた。
その結果,政協では人数的に共産党員が絶対的に優位しているわけではない。
もちろん,政治協商会議の規程では,共産党の指導を受け入れると規定されて いる。各政党も共産党の指導を受け入れている。また,政協の主席は共産党の 執行部(政治局常務委員),常務あるいは第一副主席は共産党中央戦線部の部長 などが務めることになっている。さらに委員の人選では共産党統戦部の役割(審 査)が重要とされ,政協における共産党の優位は事実であるが,常務委員会の 構成,副主席の構成などでは人数的に共産党が常に優位する状況ではない。政 策目標としては,共産党員の人数的な優位が排除されようとしていることに注 目すべきである。ただし,いわゆる「2重党籍」の問題があるが,ここでは省 略する。
第 4 に,「党組」については,全人代と同じく,全国政協には共産党の「党組」
(党グループ)が組織されている。全人代の「党組」はすでに研究されているが,
政治協商会議における「党組」についての資料及び研究はあまりなく,政協執 行部の就任などの報道資料で登場するぐらいである。政協 60 周年記念で編集 された『重要文献選編』では,1950 年 6 月 14 日に周恩来が第 1 期政協全国委 員会第 2 次会議の第 1 回党組会議で行った講話「人民政協全国委員会会議党組 活動の方針」が収録されている(13)。1950 年の時点で政協では党組がすでに組 織されていたといえる。ただ,その後中断があるようである。政協 50 周年記 念で編集された『政協全書』によれば,全国政協党組は,第 7 期(1988 年より)
に設置され,以後各期は党組を組織したとされている(14)。中断後の再建といっ てよいであろう。また,全国政協の第 3 期(すなわち 1959 年)より,事務部門 にも「機関党組」(各事務組織の党組)が設置され,全国政協党組の指導下で党
の政策の実行に務めているとされている(15)。
常務委員会の構成,副主席の構成では,人数的に共産党員が優位ではないた め,政協党組の役割は,全人代のそれよりも限定的と思われる。
第 5 に,全人代と全国政協は,会議期間中,ともに会議を指導する「主席団」
(議長団)が組織され,「主席団」が会議を指導することが共通しているが,政 協の「主席団」(これは,主席会議とは異なる)がどのように組織されるかは不明 である。政協では執行部を含め共産党員が人数的に優位ではないので,政協の 主席団は,全人代の主席団の構成と異なると予想されるが,政協会議中の主席 団の構成,特に共産党員の割合は不明である。政協主席は出席団のトップとな り,また統一戦線部の部長(あるいは前部長)は(主席団の一員として)会議の秘 書長(常務責任者)となり,会議の運営を指揮すると報道されていることから 推測しても,共産党の指導が確保されていることは間違いないところである。
第 6 に,全国政協の(主席,副主席からなる)主席会議と,全人代の(委員長 と副委員長からなる)委員長会議との比較,また日常業務を担当する秘書組織で ある(秘書長と副秘書からなる)秘書長会議,そして事務組織の比較分析はとも かく,全人代では現在常勤の常務委員が任命されていることが注目すべきポイ ントである。ここでは,それぞれの専門委員会を取り上げて,全国政協と全人 代の相違を分析してみる。
全人代は,国家権力機関として国権の最高機関,立法機関であるが,政協は 後述するように政党間の協議機構,あるいは政治協議・政治協商の機構である。
前者は立法権をもつが,後者にはない。これに関連して,専門委員会の設置で 政協の特徴が現れている。表 3 は,現在の全国政協と全人代の専門委員会を比 較したものである。全国政協と全人代の専門委員会は,日本の国会の常設委員 会に相当するものである。
全国政協の専門組織は,時期により変化するが,全人代にない組織として「提 案委員会」なる組織,また「学習委員会」が設置されている。ここでは,「提
案委員会」を通じて全国政協と全人代との相違を検討してみたい。
全国政協では,第 1 期から全国委員会の開催期間中,各委員の提案を受け付 け,また審査するための「提案審査委員会」が臨時組織として設置された。会 議期間中,委員は各種提案を提案審査委員会に提出した。第 6 期全国政協の常 務委員会は,1983 年 9 月に常設の委員会を設置する決定をし,以後,専門委 員会として常設の「提案工作委員会」が設置され,また 1988 年 3 月に「提案 委員会」に改称され,現在に至っている。提案委員会は,会議期間中,又閉会 後,委員からの提案を審査するなどの業務に当たっている。
政協における提案は,「政協全国委員会提案工作条例」によれば,4 つの方 法がある。まず委員個人,または複数委員の共同提案,第 2 は,会議期間のグ ループ(界別あるいは界別を細分化したグループ),あるいは複数グループの共同 提案,第 3 は,政協に参加する政党と人民団体が党や団体の名義で提出する提 案,第 4 は,政協の各専門委員会(例えば経済委員会)による提案である。提案 委員会は,常務委員会及び主席会議の指導の下で各提案の内容,実行可能性な
表 8 全国政協 全人代 専門委員会 比較
全国政協 全人代(左に合わせて配列)
提案委員会
経済委員会 財政経済委員会
人口資源環境委員会 環境と資源保護委員会
教育科学文化衛生体育委員会 教育科学文化衛生委員会
社会法制委員会 法律委員会
民族宗教委員会 民族委員会
香港マカオ台湾華僑委員会 華僑委員会
外事委員会 外事委員会
文化歴史学習委員会
農業と農村委員会 内務司法委員会 注:2015 年現在。
どを検証し,審査した上で全人代常務委員会及び国務院の事務局(辨公庁)と 連携し,提案の処理を調整するとされている。提案委員会で検証・審査した提 案や意見案は,いずれも政府機関に対する要求や提案であり,法的な決定では ない。政協の提案に対して,一定の期間内で返答が求められるが,受け入れる,
引き続き検討する,または今後の参考とするといった形でフィードバックされ る(16)。また,全国政協の全体会議または常務委員会の審議で全人代常務委員会 や国務院に提出する意見(建議)案を採択することができるが,いずれも提案 あるいは意見である。政協は,国家権力機関ではなく,議決権を持たない機関 である。
2014 年に国務院は,全人代代表及び政協委員の提案や意見に対する返答の 公開を方針として打ち出した。まずは要約の形で公開し,2017 年より提案の 全文公開が目標とされて,提案に対する応答を促している。現在,インターネッ トでは,その要約された返答を見ることができる。
政協の提案について,一部の報道では,政協の委員あるいは委員会の「提案 権」として紹介されることがあるが,政協は国家権力機関ではないので,それ を「提案権」として理解するかは,議論があろう。「提案する権利」として理 解することができるが,政協における提案は法的な根拠(権限規定)を有する ものではなく,全人代の代表が提出する提案と区別されるといった議論が法理 的に正しいであろう(17)。
要するに,政協は全人代と同じように国家機関化(準国家機関)している,
あるいは「上院化」している。しかし政協は,審議権,議決権,人事提案権,
法律提案など一切の法的権限を有しない(18)。国家機関並みの地位を有しなが ら,国家的権力をもっていないと言ってよいであろう。
2.政治的変遷
憲法的規定前述したように,政治協商会議は全人代より先に設置されたものである。そ もそも政治協商会議は,共産党の統一戦線組織として構想され,設置されたも のである。
現在の中国の政治協商や統一戦線論の起源は,第 2 次世界大戦期に遡る。
1941 年に毛沢東は『新民主主義論』で新しい共和国における連合政府論を展 開し,また 1945 年の『連合政府論』ではより具体的に連合政府を構想した。
そして建国直前の 1949 年 6 月に発表した『論人民民主専政』では,各種政治 組織との連携による連合政府論が改めて論じられると同時に,共産党の指導が より明確にされた(19)。
実際,1949 年 9 月 21 日から 30 日までに「政治協商会議全体会議」が開催 された。そこでは臨時憲法となる「中国人民政治協商会議共同綱領」が決定さ れた。
政治協商会議は,共産党の統一戦線政策の産物であり,共産党のリーダーシッ プのもとで組織されたものである(20)。統一戦線組織として政治協商会議は,
1949 年の時点では憲法制定権力を行使した。臨時憲法とされる「共同綱領」
では,政治協商会議は人民民主統一戦線の組織とされながら,普通選挙によっ て構成される全国人民代表大会が開催されるまでその「全体会議」が全人代の 職権を代行し,中央政府委員会を選出し,職権を行使させることが定められて いる。「共同綱領」は,「政治協商会議は全国人民の意思を代表し,中華人民共 和国の成立を宣言する」と明言している。
憲法制定権力を行使した政治協商会議の全体会議は,「共同綱領」のほか「中 国人民政治協商会議組織法」,「中華人民共和国中央人民政府組織法」を制定し,
中央人民政府委員会,また政治協商会議全国委員会を選出した(21)。この政協の
「全国委員会」は,1949 年 10 月以後,第一期「全国政協」となる。
ただ,「共同綱領」では「政治協商会議」が規定されているが,政協の「全 体会議」と「全国委員会」との相違に関しては,明白な言及がない。他方,政 治協商会議の「組織法」では,「全体会議」と「全国委員会」が区別されていた。
組織法の第 3 章では,「全体会議」について規定を設けており,3 年に一回開 催すること,共同綱領を制定あるいは修正すること,全人代が開催されるまで,
全人代の職権を行使することなどが規定されている。また同組織法第 4 章では,
「全国委員会」については規定があり,「全体会議」が閉幕後,「全体会議」議 決の実行を保障すること,中央人民政府に提案を提出することなどが規定され ている(22)。しかし,「全体会議」によって選出された「全国委員会」が,全体 会議閉幕後,全体会議の職権を代行しあるいは全人代の職権を代行することは 規定されていない。
実は,「中国人民政治協商会議組織法」の提案説明ではこの点が明らかにさ れている。すなわち,政協の「全体会議」によって中央人民政府が組織されて からは,政協の「全国委員会」は,「国家政権以外の各政党・各人民団体の協 議機関(組織)になる」(23)と明言されていた。すなわち政協の「全体会議」は,
全人代の職権を代行できるが,政協の「全国委員会」は,単なる政党などの協 議組織である(24)。
政治協商会議の全体会議は事実一回限りで,以後開催されたことはない。3 年毎に開催すると規定されているが,1952 年の時点では全人代の職権を代行 する国権の最高機関としての「全体会議」は不在であった。もとより,国権の 最高機構を代行する政協全体会議が 3 年に一回開催するという組織法の規定そ のものも問題なしとはしない(25)。国権の最高機関としての政治協商会議(全体 会議)は,1949 年 9 月末に終了したのである。事実,中央政府組織法の第 3 条 では,政協全体会議は国家権力の職権を中央人民政府に付与すると明記されて おり(26),中央人民政府が組織された時点で,国権の最高機関は中央人民政府が
代行することになっていた(27)。換言すれば,1949 年 9 月末まで政協の全体会 議は全体国権の最高機関を代行し,(司法機関を含む)中央人民政府は 1949 年 10 月 1 日に成立した時点で,国権の最高機関を代行するのが中央人民政府と なった。中央人民政府が成立した時点で,全体会議は,無用になったのである。
全体会議が 3 年毎に開催すると規定されているが,開催する必要性は実質,も う存在しない。
第一期政治協商会議(全国委員会)は,1954 年まで 4 回会議を開いたが,そ れは,政治(政党)協議組織であり,国権の最高機関ではなかった(28)。全国政 協 50 周年に際して編纂された『政協全書』では,この時期の政治協商会議の 組織構造を「3 層構造」として分析されている(29)。すなわち,第 1 層は全体会 議,第 2 層は全国委員会,第 3 層は常務委員会である。これは,全国委員会の なかでは主席会議がまだ整備されてなかった時期である。しかし,政協の「全 体会議」は 1949 年 10 月以後,開催されたことなく,実質,1949 年 10 月 1 日 の時点で「2 層構造」(30)となっていたといえる。
政治協商会議は,「全体会議」としては国権の最高機関を代行すると規定さ れる一方で,「全国委員会」としては国家機関的役割を持たず,単なる政治的 協議組織とされた。政治協商会議は国家機関(全体会議として国権を代行)であ りながら,国家機関ではない(協議組織)。また,逆に政協は,そのスタートに おいて国家権力(代行)機関と,統一戦線組織(政党などの協議組織)との二面 性をもった存在ともいえる。もちろん,前者から後者への移行(全体会議から 全国委員会への移行)が 1949 年の時点では予定されており,実際そのようになっ ていた。
1954 年に全人代が開催され,そこで採択された中華人民共和国憲法(1954 年 憲法)では政治協商会議への言及はない(31)。1954 年憲法の序文では,共産党が 指導し,各政党,人民団体からなる「人民民主統一戦線」が形成され,今後も その役割を発揮するとあるが,「統一戦線」の組織が政治協商会議かどうかは
明示的に示されていなかった。
政治協商会議が憲法的な位置を持たないことについては,憲法草案の説明で は明白に言及された。劉少奇の憲法提案説明によれば,政治協商会議のことを 憲法で規定する提案があったが,政治協商会議を統一戦線組織として考え,そ のため当該協議組織のあり方は各政党や人民団体の協議に任せることにしたと 言明された。政治協商会議を政権機関(すなわち国家権力機関)にする議論が一 部ではあったが,結局受け入れられなかった(32)。毛沢東が 1954 年 12 月に有名 な「政協の性質と任務について」という題の談話を発表し,そこでは政協は国 家機関と区別され,政党などの「協議機関」(協議組織)であるとされた(33)。ま たその役割については,国際問題を相談(協商)すること,人代代表の候補者 リストや政協委員の人選について相談すること,人代常務委員や国務院に意見 を提出するなど五つの任務が提起された。
政治協商会議が統一戦線の組織として政党間などの協議組織であるという政 策方針は,その後,実際に具体化された。1954 年 12 月に政治協商会議組織法 が廃止され,代わりに「政治協商会議章程(規程)」に制定された。現在,政 治協商会議全国委員会の
HP
には,1954 年の規程及びその提案理由が掲載さ れている。新しい「規程」の総論では,全人代が開催されてから「政治協商会議全体会 議が全人代の職権を代行する事が終わった」と確認され,また政治協商会議は 統一戦線組織として 1954 年憲法の序文にあるようにその存続が必要と規定さ れている。提案説明では,政協の組織法を「章程」(規程)に改正する理由が提 示され,国家機関の「法的強制力」を有する組織法や条例と区別して,統一戦 線組織である政治協商会議には「章程」(規程)が「妥当」と説明された(34)。54 年の政協規程では,政治協商会議は全国委員会と地方組織により組織されると 規定され,政治協商会議「全体会議」なる組織は正式になくなったのである。
1956 年に政協に関わって共産党と民主党派との関係については「長期共存,
相互監督」の方針が提示されたが,文化大革命の時期,政治協商会議は全人代 と同じく,崩壊した。中国の 1975 年憲法では,政治協商会議などについては 言及しなかった。また続く 1978 年憲法でも政治協商会議には言及していない が,同序文では統一戦線組織の役割(強化と発展)に言及していた。政協に関 しては,1978 年憲法は 1954 年憲法の序文の表現に復帰したと言える。表 2 に 見るように,1978 年 2 月に第 5 期の全人代が開催され,同 3 月に第 5 期の全 国政協が開催された。この年から「両会」の会期は揃い始めた。
第 5 期の政治協商会議は,その委員数がこれまでの 1,000 人余りから 2,000 人 ほどに増えた。後述するように「特別招待」による参加は,委員数の半分を占 めていた。これは一時的に,文革中に被害した者を処遇する部分はあるが,そ の後も委員数増が継続され,現在の第 12 期の 2,237 名となっている。
1878 年に第 5 期の全国政協が開催されて,鄧小平が政協主席となり,政治 協商会議の再建がスタートした。鄧小平は新時期の「人民政協事業の基礎を固 めた指導者」とされている(35)。以降,政協を中心とした政治協商制度の構築が 始まり,政治協商の制度化と「参政党」の定式化が議論されるようになった。
それは結実するまでに約 10 年の時間を要した。まず,注目すべきなのは,
1982 年の憲法(序文)では政治協商会議に正式に言及された点である。
1982 年憲法は政治協商会議の役割について,1954 年憲法のスタイルを継承 するが,より積極的に言及した。すなわち,82 年憲法の序文では,「政治協商 会議は,広範な代表性のある統一戦線組織」として,過去においては重要な歴 史的役割を果たし,今後においてはさらに重要な役割を果たすと宣言してい る(36)。中国憲法の序文ではあるが,「政治協商会議」について初めて明示的な 規定が設けられたのである(37)。政治協商会議の「憲法への編入」と言えるかど うかはともかく,中国憲法で政治協商会議が規定されることは初めてのことで ある(38)。ただ,この時点では,今日使用する「共産党が指導する多党合作(協 力)と政治協商制度」の表現はまだない。
1982 年憲法の制定を受けて,政協協商会議の規程も合わせて改正され,政 治協商会議が統一戦線組織であること,また共産党と民主党派の「長期共存,
相互監督,肝胆相照,栄辱与共」の「16 字方針」が規定された。さらに政治 協商会議は国家の大政方針などに「政治協商」を行い,また意見提出と批評(批 判)を通じて「民主監督」の役割を果たすと明記された。これは,後に「政治 協商」「民主監督」そして「参政議政」の定式化に発展していく。1983 年の第 6 期政治協商会議では,参加する組織(界別)数がこれまでの 29 組織から 31 組織に増えた。
1982 年憲法は,以後,1988 年,1993 年,1999 年,2004 年,合わせて 4 回 の改正を行っている。1988 年は土地の使用権及びその使用権の譲渡を可能に すること,1993 年は「社会主義初級段階論」や「社会主義市場経済」の規定,
1999 年は「社会主義法治国家」の規定(39),そして 2004 年は私有財産の保護,
人権保護の包括的な規定をそれぞれ憲法の条文に追加した。その過程で政治協 商会議に関する改正もあった。表 4 を参照しながら,詳しく検討していく。
1989 年 1 月はじめに,鄧小平は民主党派が共産党指導下の多党協力に関す る意見が提出されたことを受けて,民主党派のメンバーも参加する検討チーム を組織し,民主党派の「参政」及び「民主監督」の方策を検討するように指示 した(40)。政治協商会議は同 1 月に,「政治協商・民主監督に関する暫定規定」
も公表した。鄧小平の指示は一年以内に完成し翌年に実施すると明示したこと もあり,やがて共産党の合意が年内に形成され,1989 年 12 年に共産党中央は,
「共産党が指導する多党協力と政治協商制度を堅持・改善することに関する意 見」(以下は,「政治協商改善意見」(1989)と略称する)を公表し政策方針として 確定した(41)。そこでは共産党は「執政党」,民主党派は「参政党」であり,多 党協力と政治協商制度が中国の「基本政治制度」の一つとして定式化された。
また,この意見では「共産党指導下の多党合作(協力)」という従来の表現を 改め,「下」を削除し「共産党指導の多党合作(協力)」の表現を正式に採用,
表 4 政協 関 政策変容 憲法規定
時期 憲法的規定 関連政策文書及び諸規定 説明・分析
1949 年 9 月 21 日〜
9 月 30 日
「全体会議」
『共同綱領』を制定:政治 協商会議は,(1)統一戦線 組織;(2)人民の意思を代 表し,中華人民共和国の成 立を宣言;(3)全人代の職 権を代行し,政府組織法制 定,政府を組織;(4)全人 代開催後,協議組織とし提 案できる。
政治協商会議組織法では,全 体会議(国権代行機関)と全 国委員会(政治協議組織)を 区別。
憲法制定権力を行 使,最高権力機関 代行。(将来は,政 党協議組織の役割 を予定)
1949 年 1954 第 1 期全国政協
全国委員会(全国政協)は 4 回開催。国権の最高機関を代行する政治協商会全 体会議は,3 年毎に開催すると予定されたが,開催はなかった。統一戦線組織へ。
中央人民政府(司法機関を含む)が最高権力機関。
1954 1978 第 2〜4 期全国政協
1954 年憲法:統一戦線の役 割を肯定。政治協商会議へ の言及はない。
憲法草案説明では政協は政 党など協議組織と説明。
1954 年 12 月,組織法を規程
(章程)に改正:協議組織。
1954 年毛沢東には「人民政 協の性質と任務」で政党など 協議組織と表明。
政治協議組織化(非 国家機構化)。 第 2 期,第 3 期は,
政治協商を実践す るも,やがて崩壊。
78 年以後再建へ 1975 年憲法,1978 年憲法は
ともに政治協商会議に言及 ないが,1978 年憲法の序文 では,統一戦線の役割を肯定。
1956 年に,「長期共存,相互 監督」の方針。
1982̶1993 第 5 7 期全国政協
1982 年憲法序文で規定:政 協は統一戦線組織,重要な 役 割。 序 文 第 10 段 落,100 字弱。
1982 年に政協規程修正:政 治協商と民主監督の役割を 明 文 化。1982 年 に「長 期 共 存」など 16 字方針も規程に 記載。
政協は,憲法的 序 文 位置を有する 制度へ。「憲法への 編入」(?)
共産党「政治協商改善意見」
(1989)を公表。基本政治制 度。民主党派は参政党。
政治制度 化へ,
「政党制度」と定 式化
第 8,9 期
(1990 年代)
1993 憲法修正:序文の追加 で,「中国共産党が指導する 多党協力と政治協商制度」
の存続と発展を規定。
1995 年「政治協商・民主監督・
参政議政に関する規定」を全 国政協が公表。
政治協商制度の構築
「界別」増加と安 定へ
第 10 期以後
(21 世紀へ)
2004 に憲法改正:序文の「統 一戦線」に関わる部分に,「社 会主義建設者」を追加。
『中国的民主政治』(白書,
2005 年)。「政 治 協 商 制 度 強 化意見」(2005 年),「政協工 作強化意見」(2006 年),統 一戦線強化意見(2006 年)。
『中国的政党制度』(白書,
2007 年)。
「協商民主強化意見」(2015); 政協協商民主強化意見
(2015)
協商民主制の構築
注:各種資料により,毛整理。
以後定着していった(42)。
「政治協商改善意見」(1989)を受けて,共産党は「執政党」,民主党派は「参 政党」とし,共産党が指導する多党協力が中国の「政党制度」,そして「政治 協商制度」が中国の「基本政治制度」とする議論が繰り返されていく中で,憲 法にこの「政治協商制度」を「基本政治制度」として追加することが提案され,
その結果,1993 年の憲法修正で政治協商制度が憲法序文に追加された。1993 年の憲法修正では「社会主義市場経済」の規定が追加されたことが知られてい る。他方,序文では政治協商会議が統一戦線組織であることに加えて,「中国 共産党が指導する多党協力と政治協商制度は,長期に渡って存在し発展する」
との表現が追加された(43)。いわば,政治協商会議を中心に「共産党指導の多党 協力と政治協商制度」が始めて憲法で明文化されたのである。ちなみに,1993 年の第 6 期より,政協の委員数が前会期よりほとんど変化していないが,界別 は 31 から 34 に増えた。
憲法修正に合わせて,政協の規程も 1994 年に修正され,「政治協商会議が中 国の愛国的統一戦線組織で,共産党が指導する多党協力と政治協商の重要機構」
と規定された。さらに,1995 年 1 月に全国政協は「政治協商・民主監督・参 政議政に関する規定」を公表し,政治協商会議の役割を「政治協商・民主監督・
参政議政」と定式化した。事前に合意された文書であるが,共産党中央もその 直後この規定を確認し正式に全国の各組織に通知し,執行を指示した。
「政治協商」の表現は,1949 年以前から使用されている。これは,国家の大 政方針について政治的に協議することであり,政協はその協議の組織とされて きた。この表現も受けて 1989 年に「政治協商制度」の概念が誕生したのである。
「民主監督」の表現は,政協の歴史では新しい概念である。1980 年代に始め て使用され,1982 年政協規程の改正では,国家の大政方針などについて意見 提出や批評を通じて民主監督の役割を果たすと規定された。「民主監督」は主 として「執政党」(政権党)である共産党に対するものである。最高権力機関で
ある全人代の監督とは異なり,政協の「民主監督」は,権力組織の監督ではな く,また法的な制約のあるものでもないが,自由で忌憚ない批判と意見開陳と される。現実問題として権力機関である全人代の監督も機能していない状況で は,政協の監督は,いかなる法的,制度的保障もない。政権党に指導される参 政党そして政協という協議組織が,政権党を監督できる(制度的)条件がある かどうかは,根本的な問題であろう。
政協の役割規定で「参政議政」は,一番新しい概念である。1994 年政協規 程改正で「参政議政」の表現が使用され,やがて 1995 年に「政治協商,民主 監督,参政議政に関する規定」に定式化された。この規定では「参政議政」は,
「政治協商」,「民主監督」の「延長と拡張」とされており,具体的には政治的,
社会的諸問題を調査研究することや建設的な意見を提出することなどであ る(44)。この概念は,共産党が指導する政党協力の側面からすれば,「参政党」
が「執政党」の政治過程に参加することであるが,非国家組織である政協が国 家の政治活動に参加するという理解もできる。しかし,これは政治協商制度と して構築されるもので,必ずしも「参政権」に依拠する政治参加の制度ではな い。
さて,この「政治協商・民主監督・参政議政」と定式化された役割規定は,
2004 年に政治協商会議の規程を改正する際に明記された。ちなみに,「界別」
の概念も 2004 の規程改正で正式に使用されたものである(45)。
2004 年には,1982 年憲法の 4 回目修正が行われたが,その重点は包括な「人 権保障」の規定を追加したことである。政協に関わる改正としては,「統一戦線」
の対象者に関して「社会主義事業の建設者」という表現を追加した。これは,
経済社会の変化に応じた統一戦線の対象に関する調整を意図したもので,共産 党の「三つの代表論」に関連する改正である。「資本家」とされてきた私営企 業経営者などは,「社会主義事業の建設者」として共産党の統一戦線政策の働 き(連合)の対象となり,共産党に加入可能となったからである(46)。