• 検索結果がありません。

続 漢 漢語 語の の流 流行 行

N/A
N/A
Protected

Academic year: 2021

シェア "続 漢 漢語 語の の流 流行 行 "

Copied!
20
0
0

読み込み中.... (全文を見る)

全文

(1)

続 漢 漢語 語の の流 流行 行

―元元号号、、令令和和―

How to Use the Chinese Characters “GENGOU:REIWA” A second series

山内内 啓啓介介

Yamauchi Keisuke

Abstract

What is the name of an era? The name of an era knows a name of the year. Then what is a name of the year? What is the difference with the name of an era? It was changed the name of an era from in May, A.D. 2019. Ancient Chinese in the name of an era and Japanese concerningREIWA and the word is described about a kanji and kanji cultural education. "The name of an era GENGOU", ancient Chinese in Japanese concerning "REIWA" and the word is described. The trend by which the name of an era which makes the Manyoshu a source "令和" has happened to the longitude and latitude of the establishment and the end of Heisei was the affair media will report well. The detailed argument and process are held at electronic information on website. Utilization of website and that are read in a try of material as a target of argument.

はじじめめに

元号とは何か。元号は年号と知る。それでは年号とは、どのようなものか。元号との違いは 何か。改元が西暦20195月に行われた。元号についての来歴を述べる話題がメディアの報道 に数多見えて、人々の知るところとなり、年号との違いを説明 1する。中国由来の年号は元号 として影響し、西暦645年大化と名付けたのが日本での始まりである。そして、近代において もどのように改元があったか、次のように行われたという。

明治天皇が即位し改元がおこなわれた時、『明治天皇記』には天皇がくじを引き「年号の 字を聖択したまふ」とあります。その字は「明治」でした。つまり、漢字の名称を冠した のが「年号」です。これに対し、代始め(即位)から数えるのが元号です。元は元年の意 味です。現行の法律は「元号法」と言います。明治22年の「皇室典範」でも明治42年の

「登極令」でも「元号」がつかわれました。2

明治以降の時代は、年号をもって、分かりよくなるようになる。代始めにつける年の名称を

「元号」といい、「年号」は名称に数字をつけている。西暦2019年は平成31年で終わる。「令 和元年」となって、まさに新しい呼び名となる。

(2)

2回アジア共同体創生における漢字と漢字文化教育、「日本の元号に見る漢字文化」をテー マに、筆者は元号「令和」について中国の学生に日本語による講演 3をおこなった。ここにそ の内容をもとに、日本の元号にみる漢字文化として漢語の流行「令和」を論じようとする。前 稿「漢語の流行 ―忖度―」4に続き、本稿は「続 漢語の流行 ―元号、令和―」とする。情 報に議論があり、メディア、ウエブサイトの多岐にわたるので、難しいテーマであるが、政治、

歴史に興味を持ちつつ、言語と文学に関わって取り上げてみる。

「元号」「令和」と、その語をめぐる国語に入れた漢語について述べる。万葉集を出典とす る、元号「令和」制定の経緯、平成末に起こった動向はメディアがよく報道する出来事であっ た。その詳しい議論および詳細はネットサイトの電子情報にとどめられている。議論の対象と してネットサイトの活用、それを資料の試みに閲覧することを、前稿に同様、諒とされたい。

日本本語語とと漢漢語

日本語について、筆者は仮説を持つ。そのことを述べる。日本語とは、かつて漢語を取り入 れ、いま英語を学ぶ言語である。ことばがまなぶ、言葉が詞を学ぶ、言語が言語を受け入れる ということである。それを国語と漢語、英語について概述すると、次のようになる。

古代中国語を学び続けてきた国語は、万葉集の作歌8世紀後半までと編纂を例にすると持統 朝の時代までさかのぼる。凡そ1400年ほど前に古典漢文、漢語の影響を受けた。正史に記録す る記述は3世紀に始まると推測できる。そして西暦1543年、天文12年にポルトガル船が種子 島に漂着し、火砲を伝えたという記録で、それから以降、日本語は通商にともなって、約 300 年余にわたって制約を作りながら、西欧のポルトガル、スペイン、オランダ、イギリスなどの 言葉と接触する。そのうち、外来語として日本語が英語を学ぶというのは、その後の西暦1853 年のできごとから現在まで約170年のあいだをとらえようとすることによる。それまでの言葉 に加えて、英米の言語を学び始めるのであるが、第2次大戦後、米国の英語に影響され、約70 年余を経過する。

さかのぼると、日本語は倭語また和語とされるが、はるか漢字が渡来してから、日本語を彫 った鉄剣銘6が出土したできごとがある。記された銘文は5世紀後半、いまから大凡1600年前 になるが、ほどなく漢語を学び借用語として国語に受け入れてきている。日本語が国語として 漢語を学び始めたのは、移入する漢籍を読みとき、古代日本に中国大陸の文学をまねて書物を 編み出したことによる。地誌、伝説伝承の文学、詞華集が作られた。神話、伝承の記録、古事 記を和銅4年、西暦711年に撰述し、そして日本の正史を記録する六国史の初めに、日本書紀 を養老4年、西暦720年に完成した。

かくして日本語に古代の漢語漢文を受け入れ始めて、言葉に詞を学び、文字と漢語の意味を 国語になおし、時代を経て漢字から仮名文字を作る、漢語の文章に訓読をする、その経過に詞 華集が編纂されて、記紀歌謡になり、日本の古代歌謡につらなる万葉集が編纂される。元号の 出典をめぐって万葉集が和書あるいは国書であると喧伝され、大凡1600年にわたって漢字、漢

(3)

2回アジア共同体創生における漢字と漢字文化教育、「日本の元号に見る漢字文化」をテー マに、筆者は元号「令和」について中国の学生に日本語による講演 3をおこなった。ここにそ の内容をもとに、日本の元号にみる漢字文化として漢語の流行「令和」を論じようとする。前 稿「漢語の流行 ―忖度―」4に続き、本稿は「続 漢語の流行 ―元号、令和―」とする。情 報に議論があり、メディア、ウエブサイトの多岐にわたるので、難しいテーマであるが、政治、

歴史に興味を持ちつつ、言語と文学に関わって取り上げてみる。

「元号」「令和」と、その語をめぐる国語に入れた漢語について述べる。万葉集を出典とす る、元号「令和」制定の経緯、平成末に起こった動向はメディアがよく報道する出来事であっ た。その詳しい議論および詳細はネットサイトの電子情報にとどめられている。議論の対象と してネットサイトの活用、それを資料の試みに閲覧することを、前稿に同様、諒とされたい。

日本本語語とと漢漢語

日本語について、筆者は仮説を持つ。そのことを述べる。日本語とは、かつて漢語を取り入 れ、いま英語を学ぶ言語である。ことばがまなぶ、言葉が詞を学ぶ、言語が言語を受け入れる ということである。それを国語と漢語、英語について概述すると、次のようになる。

古代中国語を学び続けてきた国語は、万葉集の作歌8世紀後半までと編纂を例にすると持統 朝の時代までさかのぼる。凡そ1400年ほど前に古典漢文、漢語の影響を受けた。正史に記録す る記述は3世紀に始まると推測できる。そして西暦1543年、天文12年にポルトガル船が種子 島に漂着し、火砲を伝えたという記録で、それから以降、日本語は通商にともなって、約 300 年余にわたって制約を作りながら、西欧のポルトガル、スペイン、オランダ、イギリスなどの 言葉と接触する。そのうち、外来語として日本語が英語を学ぶというのは、その後の西暦1853 年のできごとから現在まで約170年のあいだをとらえようとすることによる。それまでの言葉 に加えて、英米の言語を学び始めるのであるが、第2次大戦後、米国の英語に影響され、約70 年余を経過する。

さかのぼると、日本語は倭語また和語とされるが、はるか漢字が渡来してから、日本語を彫 った鉄剣銘6が出土したできごとがある。記された銘文は5世紀後半、いまから大凡1600年前 になるが、ほどなく漢語を学び借用語として国語に受け入れてきている。日本語が国語として 漢語を学び始めたのは、移入する漢籍を読みとき、古代日本に中国大陸の文学をまねて書物を 編み出したことによる。地誌、伝説伝承の文学、詞華集が作られた。神話、伝承の記録、古事 記を和銅4年、西暦711年に撰述し、そして日本の正史を記録する六国史の初めに、日本書紀 を養老4年、西暦720年に完成した。

かくして日本語に古代の漢語漢文を受け入れ始めて、言葉に詞を学び、文字と漢語の意味を 国語になおし、時代を経て漢字から仮名文字を作る、漢語の文章に訓読をする、その経過に詞 華集が編纂されて、記紀歌謡になり、日本の古代歌謡につらなる万葉集が編纂される。元号の 出典をめぐって万葉集が和書あるいは国書であると喧伝され、大凡1600年にわたって漢字、漢

語を取り入れた日本語の元号と「令和」を検証する。

元号号とと出出典典、、国国語語ににななっったた漢漢語

元号について考えてみる。すでによく知っていること、説明のあることで、時代に名をつけ、

日本での元号としてきた248個の年号である。歴史に記録してきた一覧に、248の名称を見る。

「令和」の公表は20194月、改元ひと月前であった。さまざまな角度でメディアが報道し、

新聞記事の特集をもって、わかりよくイラスト、図説にするものを取り上げる7

>ちなみに歴代の元号の中で最も長く使われたのが「昭和」の62年。次に「明治」439 カ月)、室町時代の「応永」3310カ月)と続き、4番目に「平成」30年3カ月)がラ ンクインする。一方、最も短いのが「暦仁(りゃくじん)」の2カ月と14日。

>「日本年号史大事典」などによれば、「大化」から「令和」まで248の年号に使用されてい る漢字は合計73。最も多いのが「永」29回)で、よりよき時代が永く続くようにとの願 いが込められている。その次に多いのが「元」と「天」の27回で、「治」21回)「応」「和」

20回)と続く。「令」は初出。

>日中の元号を比較すると、中国でもツートップは日本と同じく「元」46回)と「永」34 回)。ただ王朝交代を重ねたからか、「始」「建」「興」といった勇ましい文字が目立つのに 対し、日本では中国で使われたことのない「寛」「保」「亀」といった穏やかな文字が多い。

奈良時代に続いた「天平感宝」749年)など4文字の5元号を除けば、全て漢字2文字で、

重複が無い。

>「平成」までの出典は77種で全て漢籍。「令和」は初めて和書である万葉集を出典とした。

大部分は唐以前の古典で、最多は「書経」の 36 回だ。次いで「易経」27 回、「文選」25 回、「後漢書」24回、「漢書」21回と続き、「四書五経」と呼ばれる儒教の経書や古代中国 の歴史書が多い。

>過去に選に漏れても、後世に最善案として採用されるというケースも珍しくない。「平成」

は幕末の「慶応」改元の際の候補の一つだった

>明治期には、旧皇室典範により「一世一元」の原則が明文化。さらに登極令によって、天 皇の即位後すぐに改元するよう規定された。だが敗戦でGHQ(連合国軍総司令部)の統 制下に置かれると、旧皇室典範や登極令は廃止され、新皇室典範から元号に関する規定が 消失。元号は法的根拠を失った。

「昭和」が「明治」を超えて最長の年号となった昭和45年(1970年)ごろ、元号が「昭 和」限りで消滅するのではないかとの危機感から、元号の法制化を求める動きが盛り上が る。その結果、79年6月に元号法が成立。「元号は、政令で定める」「元号は、皇位の継承 があった場合に限り改める」という、わずか2項から成る短い法律だが、「一世一元」制の 継続が明確に根拠付けられた。

引用を終わる。元号が長く使われた年数は、次である。

(4)

「昭和」 62年 「明治」 439カ月 「応永」 3310カ月-室町時代

「平成」 303カ月

西暦の年号と元号を使うのは歴史記述に便宜行うことであり、それまでは暦を十干十二支で 年回りに示した8。いま、2019年なら、己亥、つちのとい、干支の第36番目の組み合わせにな る。干支は60年周期で、還暦となるから、己亥は1959年、昭和34年に続く。

近代になって長く使われるようになる以前、「応永」は「明徳の後、正長の前。1394 年から 1428年までの期間を指す。この時代の天皇は後小松天皇、称光天皇。」とあり、「室町幕府将軍 は足利義満、足利義持、足利義量。応永10年から22年までの約10年間は戦乱などが途絶え『応 永の平和』」と見え9、次のような逸話が、「応永」について紹介されている。元号の出典は、『唐 会要』巻67の「久応称之、永有天下」である。

> 逸話 時の将軍足利義満は若い頃から明へ深く憧れており、「明徳」改元の議の際に 明の太祖洪武帝の治世にあやかって日本の元号にも「洪」の字を使うよう工作した。そこ で、東坊城秀長は「洪徳」「洪業」「洪化」の3案を義満に提示したところ、義満は「洪 徳」を選定した。しかし、「洪徳」は以下の理由で公家達が反発したため実現せず、結局「応 永」に決定した。

・ 「洪」の字は洪水につながる。

・ これまで永徳、至徳、明徳と「徳」の字がつく元号が連続しており、3 回連続「治」

のつく元号(天治、大治、永治)を用いた崇徳天皇や、5回連続「元」のつく元号(元応、

元亨、元徳、元弘、延元)を用いた後醍醐天皇の例と同じになり不吉である。

ちなみに、この時候補として寛永、宝暦も提案されていた。

応永が35年という長さになったのは以下の説がある。

・この改元で義満は機嫌を損ねて、自分の生きている間には元号を変えさせなかった。

義満の子の義持が応永に愛着を持っていたので、1408年(応永15:義満死去に伴う)と 1413年(応永20:称光天皇即位に伴う)に出された改元の議を阻止した。

元号「応永」について、引用を終わる。

さて、用字には、使われた文字が、「大化」から「令和」までの元号、総数73文字になる。

使用回数は「永」29回、「元」と「天」27回、「治」21回、「和」と「応」20回、「長」19回、

「文」と「正」19回と数える10「令」は初出となる。

その元号について一覧11による。元号は通行字体ではない。次には明治までを載せる。

旧字体 〔例〕宝寶、霊靈、亀龜、応 など

大化 白雉 朱鳥 大寶 慶雲 和銅 靈龜 養老 神龜 天平 天平感寶 天平勝寶 天平寶字 天平神護 神護景雲 寶龜 天應 延暦 大同 弘仁 天長 承和 嘉祥 仁壽 齊衡 天安 貞觀 元慶 仁和 寬平 昌泰 延喜 延長 承平 天慶 天暦 天德 應和 康保 安和 天祿 天延 貞元 天元 永觀 寬和 永延 永祚

(5)

「昭和」 62年 「明治」 439カ月 「応永」 3310カ月-室町時代

「平成」 303カ月

西暦の年号と元号を使うのは歴史記述に便宜行うことであり、それまでは暦を十干十二支で 年回りに示した8。いま、2019年なら、己亥、つちのとい、干支の第36番目の組み合わせにな る。干支は60年周期で、還暦となるから、己亥は1959年、昭和34年に続く。

近代になって長く使われるようになる以前、「応永」は「明徳の後、正長の前。1394 年から 1428年までの期間を指す。この時代の天皇は後小松天皇、称光天皇。」とあり、「室町幕府将軍 は足利義満、足利義持、足利義量。応永10年から22年までの約10年間は戦乱などが途絶え『応 永の平和』」と見え9、次のような逸話が、「応永」について紹介されている。元号の出典は、『唐 会要』巻67の「久応称之、永有天下」である。

> 逸話 時の将軍足利義満は若い頃から明へ深く憧れており、「明徳」改元の議の際に 明の太祖洪武帝の治世にあやかって日本の元号にも「洪」の字を使うよう工作した。そこ で、東坊城秀長は「洪徳」「洪業」「洪化」の3案を義満に提示したところ、義満は「洪 徳」を選定した。しかし、「洪徳」は以下の理由で公家達が反発したため実現せず、結局「応 永」に決定した。

・ 「洪」の字は洪水につながる。

・ これまで永徳、至徳、明徳と「徳」の字がつく元号が連続しており、3 回連続「治」

のつく元号(天治、大治、永治)を用いた崇徳天皇や、5回連続「元」のつく元号(元応、

元亨、元徳、元弘、延元)を用いた後醍醐天皇の例と同じになり不吉である。

ちなみに、この時候補として寛永、宝暦も提案されていた。

応永が35年という長さになったのは以下の説がある。

・この改元で義満は機嫌を損ねて、自分の生きている間には元号を変えさせなかった。

義満の子の義持が応永に愛着を持っていたので、1408年(応永15:義満死去に伴う)と 1413年(応永20:称光天皇即位に伴う)に出された改元の議を阻止した。

元号「応永」について、引用を終わる。

さて、用字には、使われた文字が、「大化」から「令和」までの元号、総数73文字になる。

使用回数は「永」29回、「元」と「天」27回、「治」21回、「和」と「応」20回、「長」19回、

「文」と「正」19回と数える10「令」は初出となる。

その元号について一覧11による。元号は通行字体ではない。次には明治までを載せる。

旧字体 〔例〕宝寶、霊靈、亀龜、応 など

大化 白雉 朱鳥 大寶 慶雲 和銅 靈龜 養老 神龜 天平 天平感寶 天平勝寶 天平寶字 天平神護 神護景雲 寶龜 天應 延暦 大同 弘仁 天長 承和 嘉祥 仁壽 齊衡 天安 貞觀 元慶 仁和 寬平 昌泰 延喜 延長 承平 天慶 天暦 天德 應和 康保 安和 天祿 天延 貞元 天元 永觀 寬和 永延 永祚

正暦 長德 長保 寬弘 長和 寬仁 治安 萬壽 長元 長暦 長久 寬德 永承 天喜 康平 治暦 延久 承保 承暦 永保 應德 寬治 嘉保 永長 承德 康和 長治 嘉承 天仁 天永 永久 元永 保安 天治 大治 天承 長承 保延 永治 康治 天養 久安 仁平 久壽 保元 平治 永暦 應保 長寬 永萬 仁安 嘉應 承安 安元 治承 養和 壽永 元暦 文治 建久 正治 建仁 元久 建永 承元 建暦 建保 承久 貞應 元仁 嘉祿 安貞 寬喜 貞永 天福 文暦 嘉禎 暦仁 延應 仁治 寬元 寶治 建長 康元 正嘉 正元 文應 弘長 文永 建治 弘安 正應 永仁 正安 乾元 嘉元 德治 延慶 應長 正和 文保 元應 元亨 正中 嘉暦 元德 元弘 建武 延元 興國 正平 建德 文中 天授 弘和 元中 正慶 暦應 康永 貞和 觀應 文和 延文 康安 貞治 應安 永和 康暦 永德 至德 嘉慶 康應 明德 應永 正長 永享 嘉吉 文安 寶德 享德 康正 長祿 寬正 文正 應仁 文明 長享 延德 明應 文龜 永正 大永 享祿 天文 弘治 永祿 元龜 天正 文祿 慶長 元和 寬永 正保 慶安 承應 明暦 萬治 寬文 延寶 天和 貞享 元祿 寶永 正德 享保 元文 寬保 延享 寬延 寶暦 明和 安永 天明 寬政 享和 文化 文政 天保 弘化 嘉永 安政 萬延 文久 元治 慶應 明治

これに続く、「大正」「昭和」「平成」「令和」である。

元号「令和」については、はじめての日本の書による出典で、その万葉集についての関心を 呼び起こした。平成から令和の改元は天皇の退位による。これまで、現行の法律には元号のと りきめがなく、第2次大戦後は法的根拠をもたない慣習として用いられてきた。昭和54年、1979 年に、その法的根拠を与えるために、法律が制定され、元号法ができた。条文が最も短い法律 で、2 項からなる。元号は政令で定めることと、元号は皇位の継承があつた場合に限り改める ことである。ここに、一世一元の制のことを定めている12

元号出典を一覧にする。漢籍などを示す13。日本国語大辞典に、次のように見える。

>漢籍による出典、―は、詳細不明、また記述による。

大化 『書経』『尚書』)大誥、『漢書』巻 56『宋書』巻 20 出典は『書経』「尚書」 大誥の「肆予大化誘我友邦君」「漢書」巻 56 の「古者修教訓之官務以徳善化民、已大 化之後天下常亡一人之獄矣」「宋書」巻20の「神武鷹揚、大化咸煕」

白雉 『漢書』巻12 平帝紀 「漢書」の「元始元年正月越裳氏、重訳献白雉」‐

朱鳥 『礼記』曲礼 出典は「礼記」の「行前朱鳥而後玄武、左青龍而右白虎」

大宝 『易経』 出典は「易経‐繋辞下」の「天地之大徳曰生、聖人之大宝曰位」

(6)

慶雲 『文選』巻6『晋書』巻54陸雲伝

和銅 和銅(ニギアカガネ)が朝廷に献上されたことにより改元

霊亀 瑞亀献上により改元 出典は「易経‐頤卦」の「初九、舎爾霊亀」

養老 養老の滝命名に因んで改元

神亀 白亀出現の瑞祥により改元 宣命「今神亀の二字を御世の年名と定めて」

天平 「天王貴平知百年」の文字を背に負った瑞亀の献上により改元 天平感宝 陸奥からの黄金献上により改元

天平勝宝 孝謙天皇即位により改元

天平宝字 蚕が「五月八日開下帝釋標知天皇命百年息」の文字を成したことにより改元 天平神護 藤原仲麻呂の乱を神霊の護りによって平定したことによる

神護景雲 瑞雲の発現により改元 宝亀 瑞亀献上により改元

天応 伊勢斎宮に現れた美雲の瑞祥により改元

延暦 後漢書 五十二巻 「後漢書」の「夫熊經鳥伸 雖延暦之術 非傷寒之理」

大同 『書経』 出典は「書経‐洪範」の「汝則従、亀従筮従、卿士従、庶民従、是之 謂大同」

弘仁 ―代始により改元

天長 出典は「老子」の「天長地久、天地所以能長且久者、以其不自生、故能長生」

承和 ―天皇即位による改元

嘉祥 豊後国大分郡の寒川で捕獲された白亀が献上されたことを大瑞として改元 仁寿 ―白亀・甘露の瑞祥による改元

斉衡 ―石見国から醴泉の瑞を献上された事による改元

天安 ―美作国・常陸国両国より白鹿、連理の樹が献上された祥瑞による改元 貞観 『易経』 出典は「易経‐繋辞下」の「天地之道、貞観者也」

元慶 ―白雉・白鹿献上の瑞祥による改元

仁和 ―出典未詳 寛平 ―代始により改元 昌泰 ― 代始により改元 延喜 『尚書』旋璣鈐 出典は「尚書」の「禹受紀、握玄圭出、刻曰、延喜之玉、王受徳、

天賜佩」

延長 『文選』東都賦、白雉詩 出典は「文選」の「彰皇徳兮周成、永延長兮膺天慶」

承平 『漢書』 出典は「漢書」の「今累世承平、豪富吏民、貲数鉅萬」

天慶 『漢書』 出典は「漢書‐児寛伝」の「唯天子、建中和之極、兼総条貫、金声而玉 振之、以順成天慶、垂万世之基」

天暦 『論語』 出典は「論語」から「尭曰、咨爾舜、天之暦數在爾躬」

天徳 『周易』 出典は「易経‐乾卦」の「飛龍在天、乃位乎天徳」

応和 「董巴議」 出典は「董巴議(とうはぎ)」の「鳥獣万物莫不応和」

(7)

慶雲 『文選』巻6『晋書』巻54陸雲伝

和銅 和銅(ニギアカガネ)が朝廷に献上されたことにより改元

霊亀 瑞亀献上により改元 出典は「易経‐頤卦」の「初九、舎爾霊亀」

養老 養老の滝命名に因んで改元

神亀 白亀出現の瑞祥により改元 宣命「今神亀の二字を御世の年名と定めて」

天平 「天王貴平知百年」の文字を背に負った瑞亀の献上により改元 天平感宝 陸奥からの黄金献上により改元

天平勝宝 孝謙天皇即位により改元

天平宝字 蚕が「五月八日開下帝釋標知天皇命百年息」の文字を成したことにより改元 天平神護 藤原仲麻呂の乱を神霊の護りによって平定したことによる

神護景雲 瑞雲の発現により改元 宝亀 瑞亀献上により改元

天応 伊勢斎宮に現れた美雲の瑞祥により改元

延暦 後漢書 五十二巻 「後漢書」の「夫熊經鳥伸 雖延暦之術 非傷寒之理」

大同 『書経』 出典は「書経‐洪範」の「汝則従、亀従筮従、卿士従、庶民従、是之 謂大同」

弘仁 ―代始により改元

天長 出典は「老子」の「天長地久、天地所以能長且久者、以其不自生、故能長生」

承和 ―天皇即位による改元

嘉祥 豊後国大分郡の寒川で捕獲された白亀が献上されたことを大瑞として改元 仁寿 ―白亀・甘露の瑞祥による改元

斉衡 ―石見国から醴泉の瑞を献上された事による改元

天安 ―美作国・常陸国両国より白鹿、連理の樹が献上された祥瑞による改元 貞観 『易経』 出典は「易経‐繋辞下」の「天地之道、貞観者也」

元慶 ―白雉・白鹿献上の瑞祥による改元

仁和 ―出典未詳 寛平 ―代始により改元 昌泰 ― 代始により改元 延喜 『尚書』旋璣鈐 出典は「尚書」の「禹受紀、握玄圭出、刻曰、延喜之玉、王受徳、

天賜佩」

延長 『文選』東都賦、白雉詩 出典は「文選」の「彰皇徳兮周成、永延長兮膺天慶」

承平 『漢書』 出典は「漢書」の「今累世承平、豪富吏民、貲数鉅萬」

天慶 『漢書』 出典は「漢書‐児寛伝」の「唯天子、建中和之極、兼総条貫、金声而玉 振之、以順成天慶、垂万世之基」

天暦 『論語』 出典は「論語」から「尭曰、咨爾舜、天之暦數在爾躬」

天徳 『周易』 出典は「易経‐乾卦」の「飛龍在天、乃位乎天徳」

応和 「董巴議」 出典は「董巴議(とうはぎ)」の「鳥獣万物莫不応和」

康保 「書経」 出典は「書経‐康誥」の「別求聞由古先哲王、用康保民」

安和 『礼記』楽記第19 出典は「礼記‐楽記」の「是故治世之音、安以楽其政和」「前 漢書」の「四時舞者、孝文所作、以明示天下之安和」「延年為人安和、備於諸事」「百姓 安、陰陽和、神霊応而嘉祥見」「文選」の「張平子安和静而随時兮」「安民和衆」 天禄 ―天皇即位により改元

天延 ―天変、地震による改元 貞元 ―火災、地震による改元 天元 ―災変、陽五厄による改元

永観 『書経』洛誥 出典は「書経‐洛語」の「王殷乃承叙万年、其永観朕子、懐徳」

寛和 ―代始により改元 ―出典未詳―

永延 『漢書』巻 75 翼李伝 出典は「後漢書‐馬融伝」の「豊千億之子孫、歴万載而永 延」

永祚 『晋書』巻21礼志 出典は「晉書‐楽志」の「保茲永祚、与天比崇」

正暦 ―大風、天変による改元

長徳 揚雄の『城門校尉箴』 出典は揚雄の「城門校尉箴」の「唐虞長徳、而四海永懐」

長保 『国語』(周語中) 出典は「国語‐周語中」の「若本固而功成、施而民阜、乃 可以長保民矣」

寛弘 「漢書」(元帝紀賛) 出典は「漢書‐元帝紀賛」の「寛弘尽下、出於恭倹、号令 温雅、有古之風烈」

長和 『礼記』(冠義) 出典は「礼記‐冠義」の「君臣正、父子親、長幼和而后礼義立」

寛仁 『会稽記』 出典は「会稽(かいけい)記」の「寛仁云々」

治安 『前漢書』 出典は「前漢書‐賈誼伝」の「陛下何不壱令臣得孰数之於前、因陳治 安策、試詳択焉」

万寿 『詩経』 出典は「詩経‐小雅・南山有台」の「楽只君子、邦家之光、楽只君子、

万寿無疆」

長元 『六韜』 出典は勘文によれば「六韜」の「天之為天、元為天長矣、地久矣、長久 在其元」による。ただし、現行の「六韜」にはこの文はない。

長暦 『春秋』または『晋書』

長久 『老子』(七章) 出典は「老子‐七章」の「天長地久」

寛徳 『後漢書』(杜林伝) 出典は「後漢書」の「上下歓欣、人懐寛徳」

永承 『書経』 出典は「尚書」の「永承天」(天秘別録)「宋書‐礼志」の「宜奉宗廟、

永承天」

天喜 『抱朴子』 出典は「抱朴子」の「人生有道、則嘉祥並臻、此則天喜也」

康平 『後漢書』 出典は「後漢書‐梁統伝」の「文帝寛恵柔、克遭世康平」

治暦 『尚書正義』 出典は「尚書正義」の「湯武革命、順于天而応於人。君子以治暦明

(8)

時。然則改正治暦自武王始矣」

延久 『尚書‐注』 出典は「尚書‐注」の「我以道惟安寧王之徳、謀欲延久」

承保 「尚書」 出典は「尚書」の「承保乃文祖受命民」

承暦 「維城典訓」 出典は「維城典訓」「聖人者以懿徳永承暦、崇高則天、博厚儀地」

永保 『尚書』 出典は「商書‐四」の「欽崇天道、永保天命」

応徳 「白虎通」 出典は「白虎通‐封禅」の「天下太平、符瑞所以来至者、以為王者承 統理、調和陰陽、陰陽和万物序、休気充塞、故符瑞並臻、皆応徳而至」

寛治 『礼記』 出典は「礼記」の「湯以寛治民、而除其虐、文王以文治、武王以武功」

嘉保 『史記』 出典は「史記」の「嘉保大平」

永長 『後漢書』 出典は「後漢書‐光武帝紀・下」の「夾輔王室、尊事天子、享国永長、

為後世法」

承徳 『周易』 出典は「周易」の「幹父之蠱用誉承以徳也」

康和 崔寔『政論』 出典は「崔寔政論」の「四海康和、天下周楽」

長治 『漢書』 出典は「漢書」の「建久安之勢、成長治之業」

嘉承 『漢書』礼楽志 出典は「漢書‐礼楽志」の「嘉承天和、伊楽厥福」

天仁 『文選』 出典は「文選」の「統天仁風遐揚」

天永 『尚書』 出典は「尚書」の「欲王以小民受天永命」による。

永久 『詩経』 詩経‐小雅・六月「来帰自鎬、我行永久」

元永 ―天変、疾疫による改元 保安 ―天変、厄運による改元

天治 『易緯』 出典は「易緯」の「帝者徳配天地、天子者継天治物」

大治 『河図挺佐輔』 出典は「河図挺佐輔」の「黄帝修徳立義、天下大治」

天承 『漢書』 出典は「漢書‐匡衡伝」の「聖王之自為、動静周旋、奉天承親、臨朝享 臣、物有節文、以章人倫」

長承 『史記』 出典は「史記」の「長承聖治、群臣嘉徳」

保延 『文選卷十一·魯靈光殿賦并序』 出典は「文選」、王延寿「魯霊光殿賦」の「永安 寧以祉福、長与大漢而久存、実至尊之所御、保延寿而宜子孫」

永治 『魏文典論』『晋書』武帝紀 出典は「晉書‐武帝紀」の「見土地之広、謂万葉而 無虞、覩天下之安、謂千年而永治」「魏文典論」の「礼楽興於上、頌声作於下、〈略〉

世永治長徳、与年豊」など。

康治 『宋書』 出典は「宋書」の「以康治道」

天養 『後漢書』 出典は「後漢書」の「此天之意也、人之慶也、仁之本也、倹之要也、

焉有応天養人、為仁為倹、而不降福者乎」

久安 『晋書』劉頌伝 出典は「晉書」の「建久安於万載、垂長世於無窮」

仁平 『後漢書』孔奮伝 出典は「後漢書‐孔奮伝」の「奮既立節、政貴仁平」

(9)

時。然則改正治暦自武王始矣」

延久 『尚書‐注』 出典は「尚書‐注」の「我以道惟安寧王之徳、謀欲延久」

承保 「尚書」 出典は「尚書」の「承保乃文祖受命民」

承暦 「維城典訓」 出典は「維城典訓」「聖人者以懿徳永承暦、崇高則天、博厚儀地」

永保 『尚書』 出典は「商書‐四」の「欽崇天道、永保天命」

応徳 「白虎通」 出典は「白虎通‐封禅」の「天下太平、符瑞所以来至者、以為王者承 統理、調和陰陽、陰陽和万物序、休気充塞、故符瑞並臻、皆応徳而至」

寛治 『礼記』 出典は「礼記」の「湯以寛治民、而除其虐、文王以文治、武王以武功」

嘉保 『史記』 出典は「史記」の「嘉保大平」

永長 『後漢書』 出典は「後漢書‐光武帝紀・下」の「夾輔王室、尊事天子、享国永長、

為後世法」

承徳 『周易』 出典は「周易」の「幹父之蠱用誉承以徳也」

康和 崔寔『政論』 出典は「崔寔政論」の「四海康和、天下周楽」

長治 『漢書』 出典は「漢書」の「建久安之勢、成長治之業」

嘉承 『漢書』礼楽志 出典は「漢書‐礼楽志」の「嘉承天和、伊楽厥福」

天仁 『文選』 出典は「文選」の「統天仁風遐揚」

天永 『尚書』 出典は「尚書」の「欲王以小民受天永命」による。

永久 『詩経』 詩経‐小雅・六月「来帰自鎬、我行永久」

元永 ―天変、疾疫による改元 保安 ―天変、厄運による改元

天治 『易緯』 出典は「易緯」の「帝者徳配天地、天子者継天治物」

大治 『河図挺佐輔』 出典は「河図挺佐輔」の「黄帝修徳立義、天下大治」

天承 『漢書』 出典は「漢書‐匡衡伝」の「聖王之自為、動静周旋、奉天承親、臨朝享 臣、物有節文、以章人倫」

長承 『史記』 出典は「史記」の「長承聖治、群臣嘉徳」

保延 『文選卷十一·魯靈光殿賦并序』 出典は「文選」、王延寿「魯霊光殿賦」の「永安 寧以祉福、長与大漢而久存、実至尊之所御、保延寿而宜子孫」

永治 『魏文典論』『晋書』武帝紀 出典は「晉書‐武帝紀」の「見土地之広、謂万葉而 無虞、覩天下之安、謂千年而永治」「魏文典論」の「礼楽興於上、頌声作於下、〈略〉

世永治長徳、与年豊」など。

康治 『宋書』 出典は「宋書」の「以康治道」

天養 『後漢書』 出典は「後漢書」の「此天之意也、人之慶也、仁之本也、倹之要也、

焉有応天養人、為仁為倹、而不降福者乎」

久安 『晋書』劉頌伝 出典は「晉書」の「建久安於万載、垂長世於無窮」

仁平 『後漢書』孔奮伝 出典は「後漢書‐孔奮伝」の「奮既立節、政貴仁平」

久寿 『抱朴子』 出典は抱朴子の「其業在於全身久寿」

保元 『顔氏家訓』文章篇 出典は「顔子家訓‐文章」の「深宜防慮、以保元吉也」 平治 『史記』夏本紀 出典は「史記」の「天下於是大平治」

永暦 『後漢書』辺譲伝 出典は「後漢書‐辺譲伝」に「馳淳化於黎元、永暦世而太平」

応保 『尚書』 出典は「尚書」の「已女惟小子、乃服惟弘王、応保殷民」

長寛 『維城典訓』 出典は「維城典訓」の「長之寛之、施其功博矣」

永万 『漢書』巻 64 王褒伝 出典は「漢書‐王褒伝」の「休徴自至、寿考無疆、雍容垂 拱、永永万年」

仁安 『毛詩正義』 出典は「毛詩正義」の「行寛仁安静之政、以定天下、得至於太平」

嘉応 『漢書』王褒伝 出典は「漢書」の「天下殷富、数有嘉応」

承安 『尚書』 出典は「書経‐洛誥」の「王命予来、承保乃文祖受命民」、注に「言王 命我来、承安汝文徳之祖、文王所受命之民」、正義に「承安者、受文王之意、安定此民」

安元 「漢書」 出典は「漢書」の「除民害安元」

治承 「河図挺作輔」 出典は「河図挺作輔」の「治武明文徳、治承天精」

養和 「後漢書」 出典は「後漢書‐逸民伝・台」の「幸得保終性命、存神養和」

寿永 「詩経」 出典は「詩経‐周頌・載見」に「以介眉寿永言保之、思皇多祐」

元暦 「尚書考霊耀」 出典は「尚書考霊耀」の「天地開闢、元暦紀名、月首甲子冬至」

文治 礼記祭法 出典は「礼記‐祭法」の「湯以寛治民〈略〉文王以文治民」

建久 『晋書』『呉書』 出典は「晉書」の「建久安於万歳、垂長世於元窮」

正治 「荘子‐漁父」 出典は「荘子‐漁父」の「天子、諸侯、太夫、庶人、此四者、自 正、治之美也」

建仁 『文選卷四十七・聖主得賢臣頌』 出典は「文選」の「竭智付賢者、必建仁策」

元久 「毛詩正義」 出典は「毛詩‐正義」の「文王建元久矣」

建永 『文選』 出典は「文選」卷四十二・曹子建與楊德祖書の「流恵下民、建永世之業」

承元 「通典」 出典は「通典」の「古者祭以酉時、薦用仲月、近代相承、元日奏祥瑞」

建暦 『後漢書』 出典は「後漢書」の「建暦之本必先立元、元正然後定日比定」

建保 「尚書」 出典は「尚書」の「惟天丕建、保乂有殷」

承久 「詩緯」 出典は「詩緯」の「周起自后稷、歴世相承久」

貞応 『易経』 出典は「易経‐中孚卦」の「中孚以利貞、乃応乎天也」

元仁 「周易」 出典は「周易」の「元亨利貞、正義曰、元仁也」

嘉禄 「博物志」 出典は「博物志」の「承皇天嘉祿」

安貞 『周易』上経坤 出典は「周易」の「安貞之吉、応地无疆」

寛喜 「後魏書」 出典は「後魏書」の「仁興温泉寛興喜楽」

貞永 「易経」 出典は「易経‐坤卦」の「用六、利永貞」、疏「故利在永貞、永、長也」

天福 「書経」 出典は「書経‐湯誥」の「天道福善禍淫」、伝の「政善、天福之」

(10)

文暦 『文選卷四十六・顔延年三月三日曲水詩序』

嘉禎 「北斉書」 出典は「北斉書」の「蘊千祀彰明嘉禎」

暦仁 「隋書」 出典は「隋書‐音楽志下」「宴群臣登歌辞」の「皇明馭暦、仁深海県」

延応 『文選』 出典は「文選‐序」の「廊廟惟清、俊乂是延、擢応喜挙」 仁治 『新唐書』 出典は「書儀」の「人君以仁治天下」

寛元 『宋書』 出典は「宋書」の「舜禹之際、五教在寛、元元以平」

宝治 「春秋繁露-通国身」 出典は「春秋繁露‐通国身」の「気之清者為精、人之清者 為賢、治身者以積精為宝、治国者以積賢為道」

建長 「後漢書」 出典は「後漢書」の「建長久之策」 康元 ―赤斑瘡による改元とみられている

正嘉 「芸文類聚-歳時中・元正」 出典は「芸文類聚‐歳時中・元正」、傅玄の「朝会 賦」の「採秦漢之旧儀、肇元正之嘉会」

正元 「詩緯」 出典は「詩緯」の「一如正元、万載相伝」

文応 「晋書‐劉毅伝」 出典は「晉書‐劉毅伝」の「大晉之行、武興文之応也」

弘長 「貞観政要‐封建」 出典は「貞観政要‐封建」の「闡治定之規、以弘長世之業者、

万古不易」

文永 「後漢書‐荀悦伝」 出典は「後漢書‐荀悦伝」の「漢四百有六載、揆乱反正、統 武興文、永惟祖宗之洪業、思光啓万嗣」

建治 「周礼」 出典は「周礼」の「以治建国之学政」

弘安 「太宗実録」 出典は「太宗実録」の「弘安民之道」

正応 ―伏見天皇即位による改元

永仁 『晋書』 出典は「晉書‐楽志」の「永載仁風、長撫無外」

正安 『孔子家語』 出典は「周書」の「君正安其身」

乾元 『周易』 出典は「易経」の「大哉乾元、万物資始、乃統天」

嘉元 『芸文類聚』天部 出典は「芸文類聚」の「賀老人星表日。嘉占元吉、弘無量之祐、

降克昌之祚、普天同慶率土合歓」

徳治 『左伝』 出典は「書経‐皐陶謨」の「俊乂在官」の注「俊徳治能之士、並在官」

および「春秋左氏伝‐僖公三三年」の「能敬必有徳、徳以治民」

延慶 『後漢書』馬武伝 出典は「後漢書‐列伝」の「以功名延慶于後」

応長 『旧唐書』礼儀志 出典は「唐書志」の「応長暦之規、象中月之度、広綜陰陽之数、

傍通寒暑之和」

正和 「唐記」 出典は「唐記」の「皇帝受朝奏正和」

文保 『梁書』 出典は「梁書」の「姫周基文、久保七百」

元応 『唐書』 出典は「唐書」の「陛下富教安人、務農敦本、光復社稷、康済黎元之応 也」

(11)

文暦 『文選卷四十六・顔延年三月三日曲水詩序』

嘉禎 「北斉書」 出典は「北斉書」の「蘊千祀彰明嘉禎」

暦仁 「隋書」 出典は「隋書‐音楽志下」「宴群臣登歌辞」の「皇明馭暦、仁深海県」

延応 『文選』 出典は「文選‐序」の「廊廟惟清、俊乂是延、擢応喜挙」 仁治 『新唐書』 出典は「書儀」の「人君以仁治天下」

寛元 『宋書』 出典は「宋書」の「舜禹之際、五教在寛、元元以平」

宝治 「春秋繁露-通国身」 出典は「春秋繁露‐通国身」の「気之清者為精、人之清者 為賢、治身者以積精為宝、治国者以積賢為道」

建長 「後漢書」 出典は「後漢書」の「建長久之策」 康元 ―赤斑瘡による改元とみられている

正嘉 「芸文類聚-歳時中・元正」 出典は「芸文類聚‐歳時中・元正」、傅玄の「朝会 賦」の「採秦漢之旧儀、肇元正之嘉会」

正元 「詩緯」 出典は「詩緯」の「一如正元、万載相伝」

文応 「晋書‐劉毅伝」 出典は「晉書‐劉毅伝」の「大晉之行、武興文之応也」

弘長 「貞観政要‐封建」 出典は「貞観政要‐封建」の「闡治定之規、以弘長世之業者、

万古不易」

文永 「後漢書‐荀悦伝」 出典は「後漢書‐荀悦伝」の「漢四百有六載、揆乱反正、統 武興文、永惟祖宗之洪業、思光啓万嗣」

建治 「周礼」 出典は「周礼」の「以治建国之学政」

弘安 「太宗実録」 出典は「太宗実録」の「弘安民之道」

正応 ―伏見天皇即位による改元

永仁 『晋書』 出典は「晉書‐楽志」の「永載仁風、長撫無外」

正安 『孔子家語』 出典は「周書」の「君正安其身」

乾元 『周易』 出典は「易経」の「大哉乾元、万物資始、乃統天」

嘉元 『芸文類聚』天部 出典は「芸文類聚」の「賀老人星表日。嘉占元吉、弘無量之祐、

降克昌之祚、普天同慶率土合歓」

徳治 『左伝』 出典は「書経‐皐陶謨」の「俊乂在官」の注「俊徳治能之士、並在官」

および「春秋左氏伝‐僖公三三年」の「能敬必有徳、徳以治民」

延慶 『後漢書』馬武伝 出典は「後漢書‐列伝」の「以功名延慶于後」

応長 『旧唐書』礼儀志 出典は「唐書志」の「応長暦之規、象中月之度、広綜陰陽之数、

傍通寒暑之和」

正和 「唐記」 出典は「唐記」の「皇帝受朝奏正和」

文保 『梁書』 出典は「梁書」の「姫周基文、久保七百」

元応 『唐書』 出典は「唐書」の「陛下富教安人、務農敦本、光復社稷、康済黎元之応 也」

元亨 『周易』 出典は「易経」の「其徳剛健而文明、〈略〉而行是以元亨」

正中 『易経』 出典は「周易」の「見龍在田、利見大人、何謂也、子曰、龍徳而正中者 也」「需有孚、光享、貞吉位乎天位、以正中也」

嘉暦 『唐書』 出典は「唐書」の「四序嘉辰、歴代増置守韻曰、暦数也」

元徳 『周易』 出典は「書経‐酒誥」の「茲亦惟天若元徳、永不忘在王家」

元弘 『芸文類聚』天部 出典は「芸文類聚」の「老人星体色光明、嘉古元吉、弘無量之 裕、降克昌之祥、普天同慶率土合歓」

正慶 ―光厳天皇即位による改元

建武 ―擾乱帰正のために、後漢の光武帝の年号にならって改元

延元 『梁書』 出典は「梁書」の「沈体文等奏言、聖徳所被、上自蒼蒼、下延元元」 興国 『春秋左氏伝』昭公四年伝、『新五代史』伶官伝序

正平 ―天変や兵革による改元か

建徳 『文選』 出典は「文選」の「建至徳以創洪業」

文中 ―建徳三年四月に改元、文中四年五月二七日に至って次の天授となる 天授 ―山崩れなどにより改元

弘和 ―辛酉革命により改元 元中 ―甲子革令説に基づいて改元

暦応 『帝王代記』 出典は「帝王世記」の「又有草夾階而生、〈略〉王者、以是占暦、

応和而生」

康永 『漢書』 出典は「漢書‐志」の「海内康平、永保国家」

貞和 『芸文類聚』 出典は「芸文類聚」の「体乾霊之休徳、禀貞和之純精」

観応 『荘子』 出典は「荘子‐天地」の「以道汎観、而万物之応備」

文和 『三国志』呉志孫権伝 出典は「呉志‐孫権伝」の「文和於内、武信於外」

延文 『漢書』儒林伝 出典は「漢書‐儒林伝序」の「延文学儒者以百数」

康安 『史記正義』と『唐紀』 出典は「唐紀」の「作治康凱安之舞」「史記正義」の「天 下衆事咸得康安、以致天下太平」

貞治 『周易』 出典は「易経‐巽卦」に「利武人之貞、志治也」

応安 『毛詩正義』 出典は「毛詩‐正義」の「今四方既平、服王国之内、幸応安定」

永和 『尚書』舜典と『芸文類聚』巻8 出典は「尚書‐虞書舜典」の「詩言志、歌永言、

声依水、律和歌、八音諧、無相奪倫、神人以和」「芸文類聚」の「九功六義之興依永和 声之製、志由興作、情以詞宣」

康暦 『唐書』 出典は「新唐書」の「承成康之暦業」

永徳 ―康暦三年(一三八一)二月二四日辛酉革命により改元

至徳 『孝経』 出典は「孝経‐開宗明義章」の「先王有至徳要道、以順天下、民用和睦、

上下無怨」

(12)

嘉慶 『毛詩正義』 出典は「毛詩正義」の「将有嘉慶、禎祥先来見也」

康応 『文選』曹植七啓 出典は「文選」、曹植「七啓」の「散楽移風、国富民康、神応 烋臻、屡獲嘉祥」

明徳 『礼記』 出典は「礼記‐大学」の「大学之道、在明明徳、在親民」 応永 『会要』 出典は「会要」の「久応称之、永有天下」

正長 『礼記』正義 出典は「礼記‐正義」の「在位之君子、威儀不差、可以正長是四方 之国」

永享 『後漢書』 出典は「漢書‐王莽伝」の「能立巍巍之功伝于子孫、永享無窮之祚」

嘉吉 『周易』 出典は「周易」の「孚于嘉吉、位正中也」

文安 『晋書』 出典は「書経‐堯典」の「欽明文思安安」

宝徳 『旧唐書』 出典は「唐書」の「朕宝三徳、曰茲倹謙」

享徳 『尚書』 出典は「尚書」の「世世享徳、万邦作式」

康正 『史記』と『尚書』 出典は「史記」に「平康正直」

長禄 『韓非子』 出典は「韓非子‐解老」の「其建生也長、持祿也久」

寛正 『孔子家語』 出典は「孔子家語」の「外寛而内正」

文正 『荀子』 出典は「荀子‐王制」の「積文学正身行」

応仁 『維城典訓』出典は「維城典訓」の「仁之感物、物之応仁、若影随形、猶声致響」

文明 『周易』 出典は「易経‐同人卦」の「文明以健、中正而応、君子正也」

長享 『文選』 出典は「文選」、阮の「為曹公作書与孫権」の「喜得全功、長享其福」

延徳 『孟子』 出典は「孟子」の「開延道徳」

明応 『周易』 出典は「易経‐大有卦」の「其徳剛健而文明、応乎天而時行」

文亀 『爾雅』釈魚 出典は「爾雅‐釈魚」の「一曰神亀、二曰霊亀、三曰摂亀、四曰宝 亀、五曰文亀」

永正 『周易緯』 出典は「周易‐緯」の「永正其道咸受吉化、徳弘(施)四海、能継天 道」

大永 『杜氏通典』 出典は「杜氏通典」の「庶務至微至密、其大則以永業」

享禄 『周易』 出典は「周易」大畜卦彖程氏伝注の「居天位享天祿也。国家養賢賢者得 行其道也」

天文 『易経』 出典は「易経‐繋辞上」の「仰以観於天文、俯以察於地理」

弘治 『北斉書』 出典は「北斉書」に「祇承宝命、志弘治体」

永禄 『群書治要』 出典は「群書治要‐二六」に「能保世持家、永全福祿者也」

元亀 『毛詩』 出典は「毛詩」の「憬彼淮夷、来献其、元亀象歯大賂南金」

天正 『文選』と『老子』 出典は「文選」、潘岳の「藉田賦」の「高以下為基、民以食 為天、正其末者端其本、善其後者慎其先」

文禄 杜佑『通典職官十七』 出典は「杜氏通典‐職官・祿秩」の「凡京文武官、毎歳給

参照

関連したドキュメント

Aの語り手の立場の語りは、状況説明や大まかな進行を語るときに有効に用いられてい

その結果、 「ことばの力」の付く場とは、実は外(日本語教室外)の世界なのではないだろ

なお︑この論文では︑市民権︵Ω欝窪昌眞Ω8器暮o叡︶との用語が国籍を意味する場合には︑便宜的に﹁国籍﹂

 さて,日本語として定着しつつある「ポスト真実」の原語は,英語の 'post- truth' である。この語が英語で市民権を得ることになったのは,2016年

金沢大学における共通中国語 A(1 年次学生を主な対象とする)の授業は 2022 年現在、凡 そ

これまた歴史的要因による︒中国には漢語方言を二分する二つの重要な境界線がある︒

 中国では漢方の流布とは別に,古くから各地域でそれぞれ固有の生薬を開発し利用してきた.なかでも現在の四川

明治33年8月,小学校令が改正され,それま で,国語科関係では,読書,作文,習字の三教