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占領軍 によ る反 共教育政策 実施 の経緯 について

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占領軍 によ る反 共教育政策 実施 の経緯 について

熊 谷 忠 泰

Zum Prozeß der Vollziehung der antikommunistischen

Erziehungspolitik durch die Besatzungsmacht

von

Tadahiro KUMAGA

は  じ  め  に

  1946年11月 「日本 国 憲 法 」,翌47年3月 教 育 基 本法 」 の公 布,そ れ に 引 きつ づ く関 連 諸 法 令 の公 布 に よっ て いわ ゆ る 「憲 法 ・教 育 基 本法 制 」 が成 立 した 。49年12月 の こ とで あ る。

4年 間 にわ た る悪 夢 の よ うな戦 争 が終 息 して 日本 国 民 は,と りわ け 教 育 関 係 者 は,過 去70年 に わ た る明 治 維 新 以 来 の 中央 集 権 的 ・官 僚 主 義 的 ・イ デ オ ロギ ー的 教 育 の 歴 史 を反 省 し,平 和 ・民 主 ・人 権 尊 重 の 原 理 に 立 つ 教 育 を 求 め て不 断 の努 力 を続 け た結 果,や っ との 思 い で こ の 「法 体 制 」 を 手 中 に した 。 い まや そ の具 体 的 実 践 とい う段 階 に な った と き,世 界 は大 き く 変動 しは じめ た の で あ る。 い わ ゆ る 「冷 戦 構 造 の定 着 」 に よる世 界 戦 略 構 造 の変 化 が決 定 的

とな った の で あ る。

  この事 態 は わ が 国 に も大 き く影 響 した 。 結 果 的 に い えば,そ れ ま で の民 主 的 ・進 歩 的 政 策 は一 転 して反 民 主 的 ・反 動 的 方 向 へ と進 行 しは じめ た 。 世 界 戦 略 上,な か ん つ くア ジ ア戦 略 上 のお が 国 の地 位 が 高 まる に つ れ て,こ の政 策 転 換 は ます ます 有 意 性 を帯 び て きた 。 日本 保 守 層 は これ を 奇 貨 と して そ の政 策 転 換 に便 乗 して,戦 後 改 革 を 一 挙 に破 粋 しよ うと企 図す る に いた った 。

  この よ うな 教 育 政 策 転 換 に先 立 って,す で に 一 つ の教 育政 策 が 潜 行 して いた の で あ る。 そ れ は,占 領 二,三 年 目頃 か ら,表 向 きの華 々 しい民 主 的教 育 改 革 と並 行 して秘 か に行 わ れ て い た の で あ る。 今 で こそ こ の事 実 は 自明 の こ と とな って い るが,む ろ ん当 時 は,一 般 的 日本 人 に は 知 られ て い な か った こ とで あ る。 今 日に な って,ひ とは そ れ を 簡 単 に 「冷 戦 」 の 影 響 だ とい う。 事 実,そ うで あ る。 しか し,そ う した 「断 定 」 と 「事 実 」 との 間 に は まだ 大 きな ギ ャ ップが あ る の で は な い だ ろ うか 。 世 界 戦 略 的 な意 味 で の 「冷 戦 」 もあ れ ば,ア ジ ア戦 略 的 な 次元 で の 「冷 戦 」 もあ る。 また,こ の 両 者 が 具 体 的 に ど う関連 し,そ れ が,具 体 的 に 日 本 に どの よ うな形 で 持 ち 込 まれ て きた の か 。 普 通 には 考 え も しな い こ とで あ ろ う。

  しか し,現 実 に行 わ れ て い た 事 実 を 政 策 史 的 にみ て い こ う とす る場 合,上 記 の よ うな 考 え は,是 非 経 過 して お か な け れ ば な らな い 過 程 で あ ろ う と考 え る。 教 育事 象 を 「教 育」 とい う 枠 で 断 ち切 る の で は な く,世 界 政 治 史,日 本 政 治 史 との関 わ りに お い て,つ ま り,そ れ らの 文 脈 の 中 で一 つ の教 育 事 象 が どの よ うに 作 用 して きた か を 明 らか に した い と思 う。

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2 長崎大学教育学部教育科学研究報告  第28号

1  冷 戦の開始と展 開

  (1)  冷 戦 と は何 か

  「r冷 戦 』(Cold  War)と い う語 は,1930年 代,主 と して諜 報,謀 略 活 動 とか,第5列 の心 理 的 戦 争 とい った,公 然 た る実 力行 使 を と も なわ な い敵 対 活 動 を漠 然 と さす フ ラ ンス 語 の 「冷 た い戦 争 」  (La  guerre  froide)に 由来 す る とい わ れ て い る。 」1)し た が っ て,そ れ は,  歴 史 上 多 くの 国 家 間 の 敵 対 関 係 と構 造 的 に 区別 され る特 殊 な性 格 を もっ て い る。  つ ま り,「 平 和 は 不 可 能 で あ る の に,戦 争 も起 りえ な い状 況 」2)の こ とだ と され る。  °rの 「戦 争 」 は いわ ゆ るく 公 式 を もった 戦 争>3)で あ る。 宣 戦 布 告 が 行 わ れ,平 和 状 態 と戦 争 状 態 と が 切 断 され る 。 しか し,こ の場 合 は そ うで は な く,和 戦 未 分 化 の 中 間段 階 に あ る。 しか し同 時 に,こ の非 公 式 抗 争 で は,何 よ りも当事 者 間 で 争 わ れ て い る争 点 が,妥 協 や 譲 歩 の余 地 が な い ほ ど鋭 く対 立 して い る とい う状 況 を特 徴 と して い る。 したが っ て,冷 戦 とは,「 交 渉 不 可 能 性 の相 互 認 識 に 立 った 非 軍 事 的 単 独 行 動 の応 酬 」4)と 定 義 され る。

  以 上 か らす れ ぽ,冷 戦 の 開 始 され た 時 期 は,米 ソ指 導 者 の意 識 の うえ で,交 渉 不 可 能 の相 互認 識 が 形 成 さ れ,交 渉 よ り 「単 独 行 動 の 自由」 が 露 わ に な っ た時 期 とい うこ とが で き る。

そ れ は,ソ 連 の対 外 行 動 に 関 して 当 時 ワ シ ン トソ当 局 者 達 が 抱 い て い た危 惧 に 対 して 明確 な 方 向 づ け と理 論 的 根 拠 を 与 え た とされ るG・ ヶナ ンの モ ス ク ワ発 電 文5)が 届 い た46年2月 ら3月 に か け て の 時 期 と され て い る6)。 もち ろ ん,米 ソ間 の対 立 そ の もの は す で に 第 二 次 大 戦 中 に あ った とい わ れ て い るが,45年2月 の ヤ ル タ会 談 でそ れ が 徐 々に露 わ に な り,ポ ツダ ム会 談,戦 後 の外 相 会 議 の 頃 に は もはや 決 定 的 な もの に な っ て い た よ うで あ る。 つ ま り,46 年9月 の ロソ ドン,12月 の モ ス ク ワで の二 回 の外 相 会 議 にお い て,米 ソ両 国 は,ポ ー ラ ソ ド

問 題 に 加 え て,  ル ー マ ニ ヤ と ブル ガ リヤ の新 政 権 の 非 代 議 制 的 性 格 を め ぐ って 対 立 が 深 刻 化 し,も は や 交 渉 に よ る妥 結 の 道 は 殆 ど残 され て い な か った と い う頃 で あ る7)。

  (2)  冷 戦 の 展 開

  こ う し た 決 定 的 な 対 立 が 生 じ る ま>x,す で に 顕 在 的 な 冷 戦 の 第 一 歩 は 踏 み 出 さ れ て い た 。 46年2月9日 の ス タ ー リ ソ 演 説,つ ま り 戦 争 が 現 在 資 本 主 義 の 基 礎 に お い て 不 可 避 的 で あ り,ソ 連 は ど の よ うな 偶 発 事 に 対 して も対 応 で き る経 済 建 設 と 原 爆 保 有 の た め の 科 学 ・技 術 を 発 展 さ せ る と い う演 説8)に 対 して 返 さ れ た フ ル ト ソ 演 説 が そ れ で あ る 。・3月5日,前 英 首 相 チ ャ ー チ ル は,ア メ リ カ の ミ ズ ー リ州 フ ル ト ン に お い て,ト ル ー マ ソ大 統 領 同 席 の 下 で ソ 連 の 「膨 脹 政 策 」 を 攻 撃 し て,「 今 日バ ル ト海 の シ ュ テ ッ テ ィ ソ か ら ア ド リ ア 海 の ト リ エ ス テ に 至 る ま で 大 陸 を 横 断 し て 鉄 の カ ー テ ンが 下 ろ さ れ て い る 」 と 述 べ,英 国 国 民 の 対 共 産 主 義 結 束 を よ び か け た9)。 こ の 頃,ト ル ー マ ソ政 府 は,さ き の ケ ナ ソ 電 の 分 析 に 基 づ い て,ド イ ツ 賠 償 物 資 の 対 ソ輸 送 中 断,原 子 力 の 国 際 管 理 に 関 す る バ ル ー ク ・プ ラ ソ の 妥 協 の 拒 否,

パ リ,ニ ュ ー ヨ ー ク外 相 会 議,特 に パ リ平 和 会 議 で のJ・F・ バ ー ン ズ 国 務 長 官 の 対 ソ 非 妥 協 的 態 度 の 堅 持10),ま た46年9月 同 長 官 の ドイ ツ の シ ュ ト ウ ッ ツ ガ ル トで の ドイ ツ処 理 問 題 に つ い て ソ連 と の 見解 不 一 致 と の 演 説11)な ど 一 連 の 対 ソ新 路 線 を と る こ と で 自信 を 深 め て い た 。 特 に,ア メ リ カ の 対 ソ強 硬 路 線 か ら 逸 脱 して 米 ソ協 調 を 主 張 し て い たH・ ウ ォ ー レ ス を 商 務 長 官 の 地 位 か ら 追 放 し た46年9月 の トル ー マ ソ の 措 置 は,政 府 の 新 路 線 を 内 外 に 示 す 象 徴 的 な 事 件 と な っ た12)。

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占領軍 による反共教 育政策実施 の経緯について(熊 谷) 3

  1947年 初 頭,  ギ リシ ャ,  トル コ に 対 す る 英 国 の 援 助 打 切 りに 発 し た 地 中 海 の 危 機 は,ト ル ー マ ソ ・ ド ク ト リ ソ の 名 で 知 ら れ る 対 応 を 生 み,ア メ リ カ の 外 交 政 策 上 の 一 大 転 機 と な っ た 。 す な わ ち,47年2月21日,戦 後 経 済 危 機 に 悩 む 英 国 政 府 は,ギ リ シ ャ に 介 入 した 英 軍 維 持 が 困 難 と な った た め,ギ リ シ ャ と トル コ に 対 す る 英 国 の 経 済 援 助 打 切 りを ア メ リ カ に 通 告 した 。  トル ー マ ソ は 直 ち に ギ リ シ ャに 出 兵 す る と と も に,  さ ら に 経 済 援 助 を 行 う こ と と し た 。3月12日,ト ル ー マ ン は 上 下 両 院 合 同 会 議 で 演 説 し,全 体 主 義 の 「膨 脹 」 に 対 す る 防 衛

と い う名 の 下 に,ギ リ シ ャ,ト ル コへ の4億 ドル の 軍 事 援 助 の た め の 立 法 を 議 会 に 要 請 し, 承 認 さ れ た 。 こ の 対 共 産 斗 争 の 宣 言 が 「トル ー マ ソ ・ ド ク ト リ ン」 で あ り,ま さ に 冷 戦 の 宣 戦 布 告 と い うに ふ さ わ し い も の で あ っ た13)。 こ う し て,共 産 主 義 に 対 抗 す る た め の 国 際 政 治 の 再 編 成,反 共 同 盟 の 形 成 が ア メ リカ 外 交 の 目標 と な っ た が,こ れ は 当 然 国 内 に も 適 用 さ れ る こ と に な る 。 こ の 宣 言 と 同 時 に,連 邦 官 吏 忠 誠 審 査 令 が 出 さ れ,体 制 へ の 信 従 が 要 求 さ れ た14)。

  トル ー マ ソ 宣 言 に よ っ て,ア メ リカ の 勢 力 は 急 速 に 地 中 海,西 ア ジ ア 方 面 に 浸 透 した 。 第 二 次 大 戦 中 に 世 界 に 拡 が っ て い た 米 軍 軍 事 基 地 は,戦 後 も そ の ま ま 維 持 さ れ て い た が,更 そ の 維 持 が 継 続 さ れ,ま た47年 中 に ア メ リ カ で は 「国 家 安 全 保 障 法 」 の 制 定 に よ っ て,国 総 省 や 統 合 参 謀 本 部 が 設 定 され,軍 事 体 制 の 一 層 の 強 化 が 図 ら れ た 。 こ う し て 外 交 政 策 と軍 事 政 策 とが 一 致 し,ま た 軍 部 と大 企 業 と の 結 合 で あ る 「軍 産 複 合 体 」 が 拡 大 し,ア メ リ カ の 対 外 政 策 を 左 右 す る の で あ る 。 宣 言 は,西 ヨmッ パ に も 直 ち に 影 響 を 及 ぼ し,西 ヨ ー ロ ッ パ 諸 国 内 部 で の 反 共 戦 線 の 系 列 化 を も た ら し た15)。 と りわ け フ ラ ン ス,イ タ リ ヤ で は 容 共 分 子 の 閣 外 追 放 措 置 が と ら れ た が,同 時 に こ れ ら の 諸 国 で の 労 働 運 動 の 激 化,政 局 の 動 揺 は,

ア メ リ カ か ら す れ ば,戦 後 の 経 済 困 難 に 便 乗 す る 共 産 党 の 侵 蝕 と み ら れ た 。 ドル 不 足 に 対 す る 経 済 援 助 を 訴 え る ヨ ー ロ ッ パ に 対 し て,共 産 主 義 に 対 抗 す る 経 済 復 興 の た め の 措 置 を 講 ず る こ とが,「 封 じ込 め 」 政 策 の 新 し い 局 面 と な っ て マ ー シ ャル ・プ ラ ンが 提 唱 さ れ た の で あ る16)。

  1947年6月5日,国 務 長 官 マ ー シ ャ ル は,ヨ ー ロ ッパ 諸 国 が 共 同 復 興 計 画 を 立 案 す る こ と に 対 し て ア メ リ カ が200億 ドル の 経 済 援 助 を 与 え る と い う方 針 を 声 明 し た 。  そ の 場 合,ヨ ロ ッ パ 諸 国 を ま と め て 援 助 し,ま た 国 連 を 通 さ ず,ア メ リ カ の 発 言 権 の 強 い 機 関 に よ っ て 援 助 を 与 え る と した が,そ れ は,ヨ ー ロ ッ パ を ア メ リ カ の 市 場 圏 と して 再 編 成 し,同 時 に 共 産 主 義 に 対 抗 し よ う と す る 意 図 か ら で あ っ た 。 こ の 提 案 を め ぐ っ て,6月 末 パ リで 英 仏 ソ三 国 外 相 会 議 が 開 か れ た が,  ソ 連 は こ の 提 案 は トル ー マ ン 宣 言 の 発 展 で あ る と して 拒 絶 した の で,翌 日,英 仏 の み が ヨ ー ロ ッ パ ニ ニ ケ 国 に 復 興 会 議 へ の 招 請 状 を 送 っ た 。 ソ連 及 び 東 ヨ ー ロ ッ パ 八 ケ 国 は 参 加 を 拒 否 し た 。 ギ リ シ ャ,ト ル コ を 含 む 西 ヨ ー ロ ッ パ の 一 六 ケ 国 に よ る 復 興 会 議 が,7月12日 か ら パ リで 開 催 さ れ,9月22日,報 告 書 が マ ー シ ャ ル 長 官 の も と に 提 出 さ れ た 。48年4月,ア メ リ カ は 「対 外 援 助 法 」 を 成 立 さ せ,援 助 計 画 の 実 行 を 開 始 した 。 こ う して,ア メ リ カ の 対 外 支 配 力 は 圧 倒 的 に 強 化 さ れ る こ と と な っ た の で あ る17)。

  こ う した ア メ リ カ の 冷 戦 政 策 に 対 し て,ソ 連 と東 ヨ ー ロ ッパ 諸 国 お よ び 仏 ・伊 の 共 産 党 に よ っ て,47年10月 コ ミ ン フ ォル ム(共 産 党 情 報 局)が 組 織 さ れ た 。 そ の 創 設 会 議 で の 宣 言 は,ト ル ー マ ソ ・マ ー シ ャ ル ・プ ラ ソ は,ア メ リカ 膨 張 政 策 の ヨ ー ロ ッパ に 現 わ れ た 一 部 に す ぎ な い,世 界 は 「帝 国 主 義 」 と  「民 主 主 義 」 の 「二 つ の 陣 営 」 に 分 れ た,各 国 共 産 党 は

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4 長 崎大学教育学部教育科学研究報告  第28号

「反 帝 ・民 主 主 義 」 の基 礎 の 上 に 九 ケ 国共 産 主 義 の 活動 の 調 整,情 報 の 交 換 の 組 織 と して コ ミン フ ォル ムを 結 成 した と述 べ て い る18)。西 側 は,か つ て の コ ミンテ ル ンの 復 活 とみ て警 戒 したQ

  米 ソ両 国 の 狭 間 に あ って最 大 の犠 牲 を被 った の は ドイ ツで あ った。 戦 後,ド イ ツは 米 英 仏 ソの 四 ケ 国 に 分 割 占領 され,軍 政 に よ って ベ ル リン は 四 国 の共 同管 理 下 に お か れ,ポ ツ ダ ム 協 定 に従 って 運 営 され て い た。 連 合 国 は,当 初 ドイ ツを 統 一 の単 位 と して処 理 す る方 針 で あ っ た か ら,分 割 占領 や 共 同 管 理 は あ くま で も 暫 定 的 な も の で あ った 。  しか し,47年 に入 っ た 頃 に は,ア メ リカで は 対 ソ前 進 基 地 と して の 日本 と西 ドイ ツの重 工 業 復 活 の 方 針 が 唱 え ら れ,ソ 連 占 領 地 帯 を 排 除 した 西 ドイ ツを分 離 国 家 と して樹 立 す る こ とに な った19)。

  48年2月23日,米 英 仏 三 国は ロ ン ドソで三 国 会 議 を 開 い て,西 ドイ ツ経 済 復 興 とい う名 目 で,西 ドイ ツ 及 び 西 ベ ル リソの 通 貨 改 革 と マ ー シ ャル ・プ ラ ソへ の編 入 を決 定 した 。 ソ連 は,こ れ を ポ ツ ダ ム協 定 違 反 と して,4月1日,ベ ル リソ と西 ドイ ツ との交 通 を 規 制 す る こ と と した 。 事 実 上 の封 鎖 は,6月18目 の貨 物 自動 車 の停 止 か ら開始 さ れ た20)。6月26日 か ら 空 輸 開始,9月29日 三 国 か らの安 保 理 事 会 へ の提 訴,そ の後 若 干 の経 緯 が あ って,49年5月

4日,一 応 の 妥 協 が 成 立 した。 そ れ は,5月12日 まで に封 鎖 を解 除 し,5月24日 に パ リで 四 国外 相 理 事 会 を 開 い て,通 貨 問 題 を 含 む 一 切 の ドイ ツ問 題 を 討 議 す る とい うこ とで あ っ た21)。

  しか し,こ の 間 に 西 側 で は急 速 に西 ドイ ツの 樹 立 を 進 め た。5月8日,憲 法 制 定 会 議 が ド イ ツ連 邦 共 和 国 基 本 法(ボ ソ憲 法)を 採 択 した 。 これ に対 抗 して5月30日,第 三 回 人 民 大 会 が ドイ ツ民 主 共 和 国 憲 法 を 採 択 した 。 パ リ四 国 外 相 理 事 会 は,ベ ル リ ンの交 通 ・通 信 の正 常 化 を 約 した 以 外 に は 成 果 は な か った。 や が て9月21日,ド イ ツ連 邦 共 和 国 が,つ い で10月7

日,ド イ ツ民 主 共 和 国 が 成 立 した 。 こ うして ドイ ツは 二 つ の 国 に分 立 した。 ベ ル リン問 題 が 新 た な難 問 と して 発 生 した 。 ソ連 の ベ ル リン封 鎖 の 目的 が,西 ドイ ツ政 府 の樹 立 を 阻 止 す る こ とで あ った とす れ ぽ,そ れ は失 敗 した こ とに な る。 しか し,ソ 連 か らす れ ぽ,こ う した 強 硬 手 段 を と らせ た 原 因 は あ くま で も西 側 の ポ ツ ダ ム協 定 違 反 に あ った こ とに な る22)。

  論 述 は 少 し遡 るが,1948年4月 の 対 外 援 助 法 が成 立 した 後,ア メ リカ で は,6月11日,「 ソ デ ンバ ー グ決 議 」 が 上 院 を通 過 した 。 これ は,個 別 的 ・集 団的 自衛 の た め の地 域 的 お よ び そ の他 の集 団 的 協 定 を 促 進 し,ア メ リカの 安 全 に関 す る武 力攻 撃 が あ った場 合,国 連 憲 章51条 に基 づ い て個 別 的 な い し集 団的 自衛 権 を 行 使 す る決 意 を表 明す る と して,他 国 との 軍 事 的 相 互 関 係 を結 び,さ らに これ らの 国 々の軍 備 増 強 を 要 求 す る方 針 を 明 らか に した もの で あ る。

日本 の軍 備 力 復 活 も こ の決 議 を根 拠 と して い るの で あ る。 こ の決 議 に基 づ い て,7月,ア リカ と ブ ラ ッセ ル 条 約 加 盟 の西 ヨ ー ロ ッパ 連 合 五 ケ 国(英,仏,和,ベ ル ギ ー,ル クセ ン ブ ル ク)に カナ ダを 含 め て予 備 交 渉 が 開 始 され,10月 末,広 範 な北 大 西 洋 条 約 の結 成 の 企 図 が 公 表 され た。 そ の 目的 は,ソ 連 お よび そ の影 響 下 の 国 家 群 に 対 抗 す る軍 事 同盟 の 結 成 で あ る。49年4月4日,ワ シ ン トソで 北 大 西 洋 条 約(NATO)が 調 印 され た 。 上 記 七 ケ国 の 外 に イ タ リア,ノ ル ウ ェ ー,デ ンマ ー ク,ア イ ス ラ ン ド,ポ ル トガ ル の計 一 ニ ケ 国 が 参 加 し た 。 この条 約 は,一 締 結 国 に対 す る攻 撃 は全 締 結 国 へ の攻 撃 と 見傲 し,そ の場 合,各 締 結 国 は被 攻 撃 国 を 援 助 す る こ とを規 定 し,ま た武 力攻 撃 に 対 す る抵 抗 能 力 を維 持 し発 展 させ る と

して軍 事 力 の 増 強 を 方 向 づ け た もの で あ る23)。

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占領軍 による反共教育政策実施 の経緯について(熊 谷) 5

  NATOの 成 立 は 実 質 的 に ソ 連 に 対 抗 す る 軍 事 同 盟 の 形 成 で あ り,ま た 西 ヨ ー ロ ヅ パ の 軍 備 増 強 の 出 発 点 と な っ た 点 で,冷 戦 の 歴 史 上 画 期 的 な 事 実 で あ っ た 。 と く に 西 ドイ ツ の 再 軍 備 は,こ の 機 構 に と っ て 不 可 欠 の も の と な っ た 。 し か し,NATO成 立 時 点 で は 西 ヨ ー ロ ッ パ 諸 国 の 対 ソ軍 事 力 は 明 ら か に 劣 勢 で あ っ て,辛 う じて ア メ リ カ の 原 爆 独 占 に よ っ て 補 い 得 た に す ぎ な か っ た 。 と こ ろ が,49年9月23日,ト ル ー マ ソ が ソ 連 の 原 爆 実 験 成 功 を 発 表 した こ と は,こ の 考 え に 大 き な 衝 撃 を 与>xた 。 し た が っ て,こ の 衝 撃 は 「原 子 力 ス パ イ 」 に 対 す る 憤 激 に 転 嫁 さ れ,そ れ は ま た 「ス パ イ 取 締 り」 と い う名 目 で の 「赤 狩 り」,マ ッ カ ー シ イ ズ ム の 跳 梁 を 準 備 す る こ と に な っ た 。 ソ連 の 原 爆 保 有 に 対 す る ア メ リ カ の 軍 事 的 反 応 は,50 年1月 の トル ー マ ソ の 水 爆 製 造 の 促 進 命 令 で あ っ た24)。

  (3)戦 後 の ア ジ ア惰 勢

  第 二 次大 戦 の結 果 は,ア ジア 情勢 を も大 き く変 え た 。 久 し く東 ア ジ アで 「憲 兵 」 の役 割 を 担 った 日本 の崩 壊 は,東 ア ジ ア の植 民地 ・従 属 国 に お け る民族 解 放 運 動 に飛 躍 的 な前 進 の信 号 とな った。1945年8月17日,イ ン ドネ シ ア共和 国 の,9月2日 ヴ ェ トナ ム民 主 共 和 国 の独 立 が宣 言 され,イ ソ ドシナ共 産 党 の ホ ー=チ=ミ ンが 大 統 領 に 選 ば れ た 。 続 い て ラオ ス に臨 時 政 府 が樹 立 さ れ,カ ンボ ジア に お い て も フ ラ ソ ス支 配 に 反 対 す る独 立 運 動 が 起 きた25)。

  ヴ ェ トナ ム に は独 立 宣 言 後 直 ちに 北 緯16度 線 を 境 に して 北 部 に 中 国 国府 軍,南 部 に イ ギ リ ス軍 が進 駐 した。 日本 軍 の 武 装 解 除 の た め で あ る。 中 国 軍 は46年6月 に撤 退 した が,イ ギ リ ス軍 に 加 え て南 部 に進 入 した フ ラ ソ ス軍 は,46年9月 の ブ ォソ テ ー ヌブ ロー会 談 の協 定 に も 拘 わ らず 北 上 し,12月19日 ハ ノイ で の 全 面 衝 突 に 入 り,第 一 次 イ ソ ドシナ戦 争 が 開 始 され, 54年7月 の ジ ュネ ー ヴ協 定 まで 戦 争 が 続 い た 。 そ の 後,ヴ ェ トナ ム軍 の抗 戦 に悩 む フ ラ ンス

は ア メ リカ の援 助 に頼 り,イ ン ドシナ戦 争 は 国 際政 治 の 焦 点 と して 重 大 化 した26)。

  一 方,イ ン ドネ シア 共和 国 に 対 して は イ ギ リス,オ ラ ソダが 武 力 干 渉 を始 め た。 そ れ は, 49年12月 の ハ ー グ 会 議 に よ って 終 結 した が,オ ラ ソ ダの 経 済 権 益 は確 保 され た。50年1月

た に イ ン ドネ シァ連 邦 共 和 国 が 成 立 した が,ア メ リカへ の 依 存 を 強 め て 国 内政 情 は安 定 しな か った27)。

  大戦 末期 フ ィ リピ ンに 上 陸 した 米 軍 が 抗 日人 民 軍 フ クバ ラバ ップ に対 して直 ち に弾 圧 を も って 臨 ん だ こ とは,民 族 解 放 運 動 に 対 す る ア メ リカの 戦 後 方 針 を 象 徴 的 に示 す もの で あ っ た。 この 方針 は 朝 鮮 に お い て も と られ,日 本 降 伏 後 各 地 に 組 織 され た 建 国準 備 委 員 会 は米 軍 に よ って 否 認 され,李 承 晩 が 米 軍 政 の 支 柱 と して 育 成 され た28)。

  大戦 終 結 時,中 国 で は 新 旧 勢 力 の 交 替 が 進 み つ つ あ った 。 す で に大 戦 中 に 兆 して い た 国 民 党 と共 産 党 との分 裂 は,戦 後 国 民 党 の共 産 党 に対 す る武 力 攻 撃 と して表 面化 した 。45年 か ら 46年 に か け て ア メ リカの 軍 事 援 助 を 受 け た 国民 党 は,7月,中 国東 北 地 方 で攻 勢 に 出 た が, 47年 夏 か ら人 民解 放 軍 は反 撃 に 転 じ,48年 に 東 北 ・華 北 を確 保 して 南 進 し,国 民政 府 を 台 湾

に 追 放 した。 この 時期 まで は ソ連 は 中 共 側 に援 助 を 与 え て は お らず,む しろ1945年8月14日 の 中 ソ友 好 同盟 条 約 に よ って 国 民 政 府 側 を 合 法 政 権 と して 遇 して きた。 しか し,国 民 党 は政 治 的 ・道i義的腐 敗 が 著 しか った の で 民 衆 の支 持 を 得 る に至 らず,結 局 共 産 党 に名 を な さ しめ た の で あ った。1949年10月1日,中 華 人 民 共和 国 の 成 立 が 宣 言 され た 。 ソ連 は じめ社 会 主i義 諸 国 が直 ち に承 認 した ほ か,イ ギ リス,イ ン ド,オ ラ ソダ な どが承 認 した29)。

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6 長崎大学教育学部教育科学研究報告  第28号

  中 共 の 成 立 は,世 界最 大 の 人 口を 擁 す る地 域 が 社 会 主 …義陣 営 に 属 した こ とに よ って 東 西 の 力 関 係 を 大 き く変 え る もの で あ った 。 ア メ リカ の 中共 承 認 拒 否 と ソ連 の国 連 ボ イ コ ッ トに よ

って,世 界 は 深 刻 な危 機 に 遭 遇 した 。 中共 の成 立 は,ア メ リカの ア ジ ア政 策 に再 検 討 を 迫 る もの で あ り,ア メ リカ の政 策 は この 時 期 に大 き く動 揺 した 。 トル ーマ ソは ア ジ ア大 陸 か らの 一 時 的 後 退 も止 む を え ぬ と認 め

,50年1月5日,中 共 が 台 湾 進攻 を 行 って も軍 事 行 動 は と ら な い とす ら声 明 した。1月12日,ア チ ソ ソ 国務 長 官 は,ア リュ ー シ ャ ソー 日本  ..縄一 フ ィ リピ ソを ア メ リカ の 「防衛 周 辺 」 で あ る と演 説 して,台 湾,南 朝 鮮 は そ の 外 に あ る こ とを 示 した 。 そ の 背 後 に は 中共 の 「チ トー化 」 へ の期 待 が あ った 。 しか し,50年2月 の 中 ソ友 好 同 盟 相 互 援 助 条 約 の 成 立 は ア メ リカ の期 待 を 裏 切 る もの で あ り,ま た 国 内 で も,戦 後 拾 頭 しつ つ あ った 国 務 省対 中共 宥 和 政 策 の裏 に は共 産 主 義 同 調 者 の 策 謀 が あ る と い う主 張 が拡 大 再 生 産 され,台 湾 軍 事 援 助 の 主 張 や マ ッカ ー シ イ ズ ム の拾 頭 が 顕 著 とな った30)。

  こ こに 至 っ て ア メ リカの 対 ア ジ ア政 策 は そ の軍 事 的 ・イ デ オ ロギ ー的 性 格 を著 し く強 め, 占 領下 の 目本 を 軍 事 的 再 建 の 軌 道 に乗 せ る こ とに 集 中 す るの で あ る。

2  日本 占領 政策 の転換

  (D  ア メ リカ の 冷 戦 政 策 と 日本

  1948年12月11日,ト ル ー マ ソは 近 くマ ッカ ーサ ーの 経 済 顧 問 と して 日本 に 出 向 す る予 定 の

」 ・ ドッ ジ と会 談 し,つ ぎ の よ うに述 べ た 。 「中 国 の 事 態 の成 行 き は,日 本 の重 要 性 を 倍 加 した 。 国家 安 全 保 障 会 議 は,日 本 経 済 の立 て直 しが 今 日わ れ わ れ の 当面 して い る 国 際 的 課 題 の 中 で 最 も重 要 な もの の一 つ で あ る と判 断 して い る」 と31)。

  この 言 葉 は,48年 以 降 の ア メ リカ の世 界 政 策 の な か で,日 本 経 済 が 極 め て大 きな 役 割 を課 せ られ て い る こ とを 示 して い る。 しか し,そ の 役 割 の 具 体 的 内容 は 何 か,そ れ は48年 を 境 に 実 施 され た 対 日 占領 政 策 の転 換 を正 し く把 握 す るた め に も,ぜ ひ 明 らか に して お か な くて は な らな い こ とで あ る。 む ろ ん,「 転 換 」 自体 の 意 図 は,こ の年1月6日 に行 わ れ た ロイ ヤ ル 陸 軍 長 官 の演 説 そ の 他 で 理 解 され て い る が,そ の 具 体 的 内容 につ い て は必 ず し も明 らか で は な い 。

  そ こ で少 し先 廻 りに な るが,1952年 初 め に 国 家 安 全 保 障 会 議 が ア ジ ア地 域 支 配 の 基 本 点 を 定 式 化 した政 策 文 書 「東 南 ア ジ ア に 関 す る ア メ リカ の 目的 と行 動 方 針 」 を 手 が か りに 検 討 し て み た い。 この 文 書 は,中 共 成 立 や50年6月 の 朝 鮮 戦 争 の開 始 な どの決 定 的 な 経 験 を も とに 作 成 され た もの な ので,あ る意 味 で は ア メ リカの 採 ら ざ る を得 な い基 本 方 向 を 現 わ して い る

と思 わ れ る。 この 文 書 の核 心 的 部 分 は,つ ぎの 四 項 目か らな って い る。

  A  東 南 ア 諸 国 の 一 国 で も共 産 侵 略 に よ って 失 な わ れ る こ とは,恐 ら く同地 域 の 残 りの諸     国 も比 較 的 速 や か に共 産 主 義 に屈 服 す るか,同 調 す る こ とに な ろ う。 これ は 連 鎖 的 に残     りの 国 とイ ン ド,長 期 的 に は 中東 も同 調 し,こ れ は ヨ ー ロ ッパ の安 定 と安 全 を 脅 や か す     こ とに な る。

  B  東 南 ア ジ アが 共 産 化 す れ ば,太 平 洋 の 大 陸 沿 い の 島 々に お け る ア メ リカの 地 位 を不 安     定 な もの に し,極 東 に お け る ア メ リカの 基 本 的 な安 全 保 障 上 の利 益 に重 大 な 危 機 を もた     らす 。

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占領軍 による反共教育政策実施 の経緯について(熊 谷) 7

東 南 ア,特 に マ ラ ヤ と イ ン ドネ シ ア は,有 数 な 天 然 ゴ ム と 錫 の 産 地 で あ り,石 油 そ の 他 戦 略 上 の 物 質 の 生 産 国 で も あ る。 ビ ル マ と タ イ の 米 輸 出 は,マ ラ ヤ,セ イ ロ ソ,香   に と っ て 死 活 的 に 重 要 で あ り,自 由 ア ジ ア の 重 要 地 域 で あ る 日本 と イ ソ ドに と っ て も重   要 で あ る 。

マ ラ ヤ と イ ン ドネ シ ア が 失 な わ れ る こ と は,日 本 に 大 き な 経 済 的,政 治 的 圧 力 を か け   る だ ろ う し,そ の 結 果,日 本 が 共 産 主 義 と和 解 す る 危 険 を 防 ぐ こ と は 非 常 に 困 難 に な   る32).

  要 す る に,民 族 革 命 と社 会 主 義 を圧 殺 す るに は,東 ア ジ ア資 本 主 義 圏 の結 成 が 不 可 決 だ と い う こ とで あ る。 換 言 す れ ば,革 命 の 連鎖 反 応 を 阻 止 す るに は,そ の可 能 性 を もつ 地 域 全 体 を反 革 命 的 体 制 と して組 織 す るほ か な い とい う立 場 で あ る。 そ して 日本 に は,他 の ア ジ ア諸 国 との軍 事 的,経 済 的 な相 互依 存 と協 力 の 関 係 で 積 極 的 な地 位 を 占 め,そ の反 革 命 体 制 を維 持 す る役 割 を与 え られ る の で あ る33).

  こ う した 役 割 は,す で に 占領 当初 か ら 日本 に課 せ られ て い た 。 日本 は ア ジ ア諸 国や イ ギ リ ス に対 し,占 領 当初 か ら消i費物 質 を提 供 させ られ て きた 。 総 司令 部 は,45年12月,日 本 政 府 に よる綿 花 の輸 出 を許 可 した が,こ れ は 日本 の た め で は な く,  「連 合 国 の 国民 を救 済 す る た め 」 の もので あ った 。 事 実,日 本 国民 の 間 で 衣 料 ・繊 維 製 品 が 極 度 に欠 乏 して い た46〜47年 の問 に,日 中戦 争 以来 の在 庫 品 まで も含 む 綿 糸,綿 織 物,生 糸 な どが 大 量 に朝 鮮,香 港,イ ギ リス,ビ ル マ,イ ソ ドネ シア,ト ル コ,セ イ ロ ンな どに 輸 出 され て い た の で あ る。 ま た, 46年,  「終 戦 処 理 費 」 の名 目で,政 府 予 算5億4700万 円を 南 朝 鮮 の飛 行 場 ・鉄 道 線 路 の復 旧 ・修 理 ・再 建 費,難 民 救 憧 費 な ど と して 使 用 して い た 。 した が っ て,48年 の政 策 転 換 の第 一 の 内容 は,す で に実 施 され て きた この施 策 を 系統 化 し,そ の 生 産 力 的 基 礎 を 確 立 す る こ と で あ る とい うこ とが で き る34).

  第 二 に,東 ア ジ ア資 本 主 義 圏構 想 が反 革命 政 策 の基 軸 と され た こ とは,資 本 主 義 的 方 法 で 諸 国民 の経 済 生 活 を再 建 す る こ とが,軍 事 的 方 法 と並 ん で 革 命 勢 力 と戦 う有 力 な方 法 で あ る とい う判 断 に基 づ く もの で あ る。48年 初 頭 に実 施 され は じめ る対 日政 策 の転 換 も また,日 本 とア ジ ア諸 国 に対 す る 同様 な攻 勢 を意 図す る もの で あ った 。 そ れ は,単 に 日本 の資 本 主 義 の 安 定 を 図 る とい うだ け で な く,英 ・仏 が マ ラヤ ・イ ソ ドネ シ アか ら食 糧 ・原 料 を 入 手 し,ド ル の節 約 と獲i得に成 功 す るた め に,こ れ らの地 域 に お け る民 族 革 命 運 動 を破 壊 す る役 割 も与 え られ て いた の で あ る。48年2月 に発 表 され た ス トライ ク対 日賠 償 調 査 団報 告 書 に,「 日本 を 強 力 な工 業 国 にす る方 が,極 東 の平 和 と繁 栄 とに 対 して,こ の広 い人 口の多 い領 域 に現 状 どお りの不 安 定 と経 済 的 失 調 状 態 を つ づ け る よ りも危 険 が 少 な い と思 わ れ る」35)と述 べ て い る のは こ の現 わ れ で あ る。 これ は,同 時 に この地 域 で産 出 され る戦 略 物 資 一錫 ゴム,米, タ ソ グス テ ソ,鉄 鋼,石 油 な どを ア メ リカの支 配下 に お くこ とに も役 立 つ はず で あ った 。   第 三 に,ア メ リカが 対 日政 策 を転 換 して ア ジア支 配 に必 要 な 軍 事 費 ・経 済 援 助 費 を縮 少 す る こ と も,こ の時 期 の世 界 政 策 上 極 め て重 大 な 問題 とな って い た 。 こ の時 期 に は,ア メ リカ の軍 事 費 の 削減 は 大 統 領 ・軍 首 脳 部 の 要求 に反 して 急 テ ン ポで 進 んで いた 。 これ は,人 民 の 諸 斗 争,国 内改 革 の必 要 と と もに,資 本家 の な か で経 済 的 見地 か ら軍 備 縮 小 を要 求 す る声 が 有 力 だ った た め で あ る。 しか も この時 期 に ア メ リカ政 府 ・軍 首脳 が 主 力 を 注 いだ のは,ヨ ロ ッパ資 本 主 義 の復 興,ヨ ー ロ ッパ に お け る軍事 力 バ ラ ン スの 優 位 の確 保,ソ 連 の軍 事 的 ・

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8 長li奇大学教育学部教育科学研究 報告  第28号

政 治 的 抗 争 の焦 点 を ヨー ロ ッパ に お く こ とな ど,ヨ ー ロ ッパ第 一 主 義 の路 線 で あ った か ら, ア ジ ア で の 占 領 費 ・援 助 費 の切 りつ め が緊 要 とな った の で あ る。 日本 占領 が主 に 米 陸 軍 に よ って 担 当 さ れ て い た こ とは,こ の要 因 が 一 層 大 き く作 用 す る条 件 とな っ た。 対 日政 策 の転 換 が 当 初 陸 軍 長 官 ロイ ヤ ル や 同 次官 ド レーパ ー の指 揮 の下 に 遂 行 され た の は,こ の 結 果 で あ る。 陸 軍 首 脳 が 対 日政 策 転 換 に どれ ほ ど大 きな 期 待 を も っ て い た か は,48年3月 に 来 日 した ドレー パ ー の 次 の 発 言 に よ く現 わ れ て い る 。  「日本 の 復 興 計 画 は,米 国 が現 在 日本 や 朝 鮮 や 琉 球 に 対 して支 出 して い る多 額 の復 興 資 金 の 負 担 を 切 り上 げ,や が て そ れ を全 くな くす る た め の 目的 を も って い る」36)。

  (2)  政 策 転 換 の 基 本 方 向

  対 日 占領 政 策 の転 換 の 画 期 を な す の は,1948年3月20日,ド レーパ ー陸 軍 次 官 を 中心 とす る ドレー パ ー使 節 団 の来 日で あ る。 す で に 対 日賠 償 の緩 和 を主 張 す る ス トライ ク報 告 が3月 1日 に公 表 され た が,ド レー パ ー使 節 団 は さ ら に,総 司令 部 の路 線 を強 硬 に 変 更 させ る権 限 を もち,前 項 で 述 べ た役 割 を 日本 に担 わ せ るた め に必 要 な諸 施 策 の実 施 に 当 るた め の もの で

あ る。

  そ の基 本 目標 と した の は,短 期 間 の うち に 日本 工 業 の輸 出能 力 を 飛 躍 的 に 拡 大 す る こ とで あ った。 英 ・仏 で さ え ドル 不 足 の た め に 工 業 原 料 の入 手 に 苦 しん で い る時 期 に,こ の よ うな 構 想 を立 て る こ とは 常 識 に 反 す る こ とで あ っ た。 に も拘 わ らず ドレーパ ー らは,6月9日

日本 の 対 外 貿 易 計 画 を 発表 す る一 方,滞 目中 に 次 々 と布 石 を 置 い て い った37)。

  まず 行 わ れ た の は,「 過 度経 済 力 集 中 排 除 法 」 の実 施 を 最 小 限 に と どめ る こ とで あ る。 同 法 は,47年12月 に成 立 し,48年2月4日 に は257社 の指 定 が 発 表 され て,指 定 を受 け た 独 占 的 多 角 経 営 会 社 を 一 業 種 ご とに 分 割 す る こ とを ね ら った もの で あ った 。 日本 の独 占企 業 は コ ン ツ ェル ン の形 態 を と る こ とに よ って,そ の地 位 を確 保 して きた とい う歴 史 的 性 格 を も っ て い た が,同 法 は この 性 格 を つ き崩 し,私 企 業 相 互 の 自由 な 競 争 を 保 護 し よ う とい うも の で あ った 。 だ か らそ れ は,巨 大 企 業 の独 占的 地 位 に 致 命 的 な 打 撃 を 与 え る はず で あ った 。 これ に 対 し,当 使 節 団 は,5月4日 五 人 委 員 会(集 中排 除 審 査 委 員 会)を 設 置 し,僅 か な 例 外 を除 い て 事 実 上 企 業 分 割 を 握 りつ ぶ させ,独 占企 業 の 温 存 を 図 った の で あ る。 ドレー パ ー使 節 団 の こ の行 動 は,日 本 の輸 出能 力 の基 礎 を独 占企 業 に お き,こ れ の保 護 を通 じて 貿 易 計 画 を実 現 させ よ う とす る も の で あ る こ とを示 して い る。 で は,そ れ が どの よ うに して 東 ア ジ ア資 本 主 義 圏 に結 び つ い た の で あ ろ うか38)。

  こ こ です べ て の 産 業 部 門 につ い て融 れ る こ とは 本 意 で は な い の で,代 表 的 な 部 門 の1,2 に 止 め て お きた い が,そ れ は徹 底 的 な企 業 保 護i政策 に よっ て生 産 力 を増 大 させ,国 内 消費 を 犠 牲 に した対 外(主 要連合 国,東 ア諸国)輸 出 の増 加 を 図 る方 法 で 行 わ れ た 。  最 も重 視 さ れ た のは,綿 糸 紡 績 お よび 綿 織 物 業 で あ る 。 この 部 門 が 占領 当初 か ら海 外 の 衣 料 不 足 を緩 和 す る 役 割 を与 え られ て い た こ とは す で に 述 べ た 。 そ のた め,戦 前 か らの 独 占企 業 で あ る10大 紡 に 特 別 の保 護 が な され て い た。 まず 生 産 割 当 量 の増,労 働 者 の確 保 と生 産 の継 続 を 図 るた め の 優 遇 措 置,石 炭 ・針 ・布 ・ス ピ ソ ドル 油 な どの 優 先 供 給,電 力使 用 制 限 の 除 外,原 料 綿 花 の 輸 入 ・供 給,集 中 排 除 法 の適 用 中止,羊 毛 ・化 繊 ・絹 紡 の兼 業認 可,そ の 他48年5月14日 6000万 ドル の 対 日綿 花 民 間借 款協 定 の 締 結,6月 の1億5000万 ドル の 綿 花 回 転 基 金 設 定,7

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占領軍に よる反共教育政策実施の経 緯について(熊 谷) 9

月 の 占領 地 域 経 済 復 興 基 金 の 日本 へ の提 供 な どが 行 わ れ る よ うに な った 。 こ うした 結 果,綿 製 品 と くに綿 織 物 の 輸 出 は 急 増 し続 け,こ れ らの独 占企 業 は,49年 の ドッジ ・ライ ンの下 で

も好 況 を 続 け た が,そ れ は 政 策 的 な輸 出 の伸 長 に よ る もの で あ る。49年,日 本 は早 く も米 ・ 英 に つ い で世 界 第 三位 の 綿 製 品 輸 出 国 に な った39)。

  また,重 化 学 工 業 の分 野 で は,民 族 解 放 斗争 に対 す る抑 圧 に,日 本 か らの輸 出 品 が直 接 役 立 て られ た 。 そ の 代 表 的 な も のは フ ィ リ ッ ピ ソで あ る。 フ ィ リッ ピ ソに 対 す る輸 出 で,輸 出 総 額 中 に大 きな比 重 を 占 め るの は,セ メ ソ トと鉄 鋼 で あ る。 と ころ が,こ れ らの 輸 出 品 は 経 済 開発 計 画 に の っ て,地 方 に お い て は,専 ら フ ク団(共 産主義者に指導 された解放運動 の非合法 組織)掃 討 用 の 軍 用 道 路 建 設 に 向 け られ た。  日本 の セ メ ソ トと鉄 鋼 製 品(亜 鉛 鉄 板)は これ に投 入 され た の で あ る。 日本 で 生産 され た セ メ ン トの うち,46,47年 度 に は31%,42%が 占領 軍 用 に 消 費 され,国 内消 費 を圧 迫 した。 この よ うな輸 出 と引 換 え に,日 本 鉄 鋼 業 は鉄 鉱 石 を 獲 得 した の で あ る40)。

  以 上 の こ とは,東 ア ジ ア経 済 圏 とで もい うべ き もの が作 られ 始 め た こ とを 示 す も の で あ ろ う。 日本 は 綿 製 品,化 学 製 品,建 設 資 材,車 輔,鉄 道 施 設,電 気 器 具 な どを 供 給 し,工 業 原 料,食 糧 な どを 輸 入 す るわ け で あ るが,そ れ は単 な る交 易 関係 の発 展 とい うよ りは,ヨm

ッパ 資 本 主 義 諸 国 の 危 機 を 焦 点 とす る ア メ リカ の世 界 政 策 が作 り出 した も ので あ った41)。

  (3)  政 策 転換 の頂 点

  対 日占領 政 策 の頂 点 を なす の は,49年 初 頭 に 開 始 され る ドッジ ・ラ イ ンの実 施 で あ る。 こ れ は,実 に強 引 無 類 の方 法 で実 施 され,戦 後 日本 の政 治 ・経 済 を 一 変 させ る ほ どの役 割 を演

じた 。 で は,ド ッジ ・ライ ソ とは 何 で あ り,何 故 これ ほ ど強 引 に実 施 され た の で あ ろ うか 。   ドッジ ・ライ ソ とい うの は,ド レー パ ー構 想 を最 も ドラス テ ィ ックな 方 法 で具 体 化 した も の にす ぎ ない 。1948年5月,ド レー パ ー使 節 団 は 次 の よ うな報 告 書 を 発 表 した 。 「(1)日本 産 業 復 興 は 今 や わ れ わ れ の主 要 な 占領 目的 で あ る,(2)米 政 府 は 米 国 自身 の利 益 のた め に 日本 経 済 復 興 計 画 を 援 助 す る,(3)こ の政 策 は陸 軍 省 で作 成 され,国 務 省 に 支 持 され,マ 元 師 が 同意 して い る方 針 で あ る」 と述 べ,④ 日本 の 外 国 貿 易 拡 大 の た め の融 資 に米 資 本 を利 用 せ よ,⑭ 賠 償 を 思 い 切 って 削 減 せ よ,㊥ 総 司令 部 の 「財 閥解 体 」 政 策 を 緩 和 せ よ,⇔ 日本 の輸 出 を振 興 し,商 船 隊 の 規 模 を 拡 大 せ よ一 と勧 告 した42)。また,(1)予 算 均 衡(イ ソフ レの終 息)を 達 成 す る こ と,(2)国 家 公 務 員 を 削 減 す る こ と,(3)産 業 へ の 補 助 金 を 打 切 る こ と,(4)公 共 料 金 を 引上 げ る こ と,(5)増 税 を行 うこ とな どが 必 要 で あ る と し,さ ら に 日本 国民 に過 度 の政 治 的 自 由を 与 え るべ き で は な く,労 働 者 に対 して は 労働 の強 度 と質 を 高 め,消 費(・o・・)を切 りつ め,規(ee・・)律 に従(・・・)わせ,戦 斗 性(・o・s)を奪(e・)うべ きだ と指 摘(・・s・)した 。 ドレーパ ーは4月 上 旬(ses・・・・・・・・・)帰国(・・)する と,ド ヅジ に対(・・・・・)

しこの 路(・・e・)線に 沿(・)った 日本 経(e・・・)済復 興 」 に 当 る よ う依 頼 した43)。

  こ の間(eo・),アメ リカ政 府(・・・・e・)は,7月に芦 田 内 閣(eo・・)に10原則 の 提 示 を 行 う一 方,日 本経 済 復 興 を極 め て 早 期 に達 成 す る必 要 を痛 感 す る よ うに な った。 既 述 の48年12月 の トル ー マ ン と ドッジ と の会 見は この こ とを 現 わ して い る。 また,米 政 府 が12月18日,総 司令 部 に対 しあ らた め て

経 済 安 定 九 原 則 」 の実 施 を指 令 した の は,こ れ まで の復 興 計 画 の進 展 が 「事 態 」 の要 求 に 合 わ な くな った こ とを示 して い る。

  この 「事 態 」 とは,第 一 に,冷 戦 の激 化 で あ る。48年 後 半 期 に は,ベ ル リ ソ問 題 が ア メ リ

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10 長崎大学教育学部教育科学研究報告  第28号

力対 外 政 策 の焦 点 を な して い た 。 ソ連 の封 鎖 に対 抗 して 続 け られ た 空 輸 作 戦 は,12月 で 半 年 に もな り,ま た ドイ ツの 東 西 へ の 分 割 は,対 立 の深 刻 さを 示 す も の で あ っ た。 この こ とが, ア メ リカの 中 国 国府 援 助政 策 を 転 換 させ た 。12月16日,ア メ リカは 軍 事 顧 問 団 を 中 国 か ら撤 退 させ,同 時 に援 助 の 追 加 不 能 を 声 明 した 。 これ は,国 府 の 見放 しで あ り,中 共 の 勝 利 を 決 定 的 に した 。 こ の よ うな 事 態 の 思 い が け な い進 展 が ア メ リカ支 配 層 を 慌 て させ,ド ッジ の 日 本 派 遣 と な る の で あ る44)。 第 二 に,ア メ リカ資 本,と くに ウ ォール 街 主 流(・ ックフェラー 財閥を代表 とする)の,日 本 市 場 や ア ジ ア の 諸 資 源 を 支 配 し よ う とい う要 求 が,ア メ リカ政 府 に 日本 「復 興 」 を急 がせ た と 見る 向 き もあ る45)。 第 三 に,ド レーパ ー構 想 に よる 日本 支 配 は,48年11月 の 国 家 安 全 保 障 会 議 で 決 定 され,そ れ が 日本独 立 後 も 日本 を ア メ リカ に 繋 ぎ と め る 方 法 だ と され た こ とで あ る。 す なわ ち,(1)日 本 を経 済 的 ・社 会 的 に強 化 し,占 領 後 も 自 発 的 に 米 国 との友 好 を 保 た せ る,(2)そ の 目的 達 成 の た め,総 司令 部 は 可 及 的 速 か に 行 政 責 任 を 日本 側 に 移 譲 す る,(3)15万 人 の 国 家 警 察 を組 織 させ る,(4)日 本 が 国 内改 革 の 計 画 を 自身 の ペ ー ス と方 法 で 行 うこ とを許 す べ きで あ る,(5)占 領 に よる心 理 的 抑 圧 を 最 小 限 に減 らす べ き で あ る46)。こ こ に は,講 和 後 を も 見通 した 今 日時 点 以 後 の す べ て の 重 要 占領 政 策 が 圧 縮 され て い る。 この 決 定(  0 )は,冷戦 激 化(e Oりの)に対 応(0  )して 作 成(   s)され た 対 日講 和 方 針(    む0 e )に関( む)する最 初( 0  )の正 式 政 策 文 書(りe     )であ るが,中 国か らの軍 事 顧 問 団 引 揚 げ とほぼ 時 を 同 じ くして 議 決 され た こ とに 注 目 し な くて は な ら な い。 第 四 に,48年11月 以 来,ソ 連 が ア メ リカに対 して 対 日講 和 の促 進 を 強 く 要 求 す る よ うに な っ た こ と も挙 げ られ る。 ア メ リカ は ソ連 が 日本 に,よ り寛 大 な条 件 を 提 示

し,そ の た め に 日本 の世 論 が ソ連 に 傾 くの を恐 れ て い た か らで あ る47)。

  と ころ で,日 本 派 遣 を 依 頼 され た ドッ ジは,対 日早 期 講 和 の た め の対 策 が 必 要 で あ る 旨 を,す で に10月18日 ドレー パ ー に 書 き送 って いた 。 ま た,中 国情 勢 との 関 連 で ア ジア に お け る 日本 の地 位 が 一 段 と重 大 に な り,日 本 復 興 の緊 急 性 が増 した とい う判 断 に お い て も,ト ル ー マ ソ ら と一 致 して い た。 彼 は,49年 の 米 下 院 歳 出委 員 会 で述 べ て い る。  r日 本 は 現 在 極 東 に お け る わ れ わ れ の権 益 の焦 点 を な して い る。 … … 日本 は わ れ わ れ が 大 き な影 響 力 を も ち, か つ わ れ わ れ が 目的 達 成 に必 要 な諸 要 因 の す べ て に完 全 な 統 制 力 を も っ て い る ア ジ ア唯 一 の 国 で あ る。 … … わ れ わ れ の将 来 の 極 東 政 策 の発 展 は,極 東 地 域 へ の 今 後 の援 助 拡 張 の 跳 躍 台 と して,ま た 供 給 源 と して,日 本 を 利 用 す る こ とを必 要 な ら しめ るで あ ろ う」48)。 ドッジ ・ ライ ンの 無 類 の強 引 さは,以 上 の よ うな意 味 で,短 期 間 に 日本経 済 を 復 興 させ る必 要 か ら生 ま れ た もの で あ る。 彼 の 構 想 は,彼 が 実 際 に行 って示 した よ うに,目 本 の労 働 者 や 民 衆 を 計

画 的 に 失 業 と生 活 苦 に投 入 す る こ とに よっ て,目 本 資 本 主義 を立 ち直(・)らせ よ うとい うの で(e・・s・・eo)あ る。 彼(・e・・)はこ う書(o・)いて い る。 「失 業(・e・・s・)を増 大(・・・)させ れ ば,そ の結 果(・oosss)として 労 働 能 力(・os・o)の増 大 と生 産 の

増 加 を もた らす で あ ろ う」  「病 気 を な お す た め の活 動 は,常 に不 愉 快 な も の で あ る」49)。

  日本 の 経 済 復 興 は,単 に 「経 済 」 だ け の問 題 で は な い 。 そ れ は,す べ て 冷 戦 の進 行 に 対 応 し,冷 戦 に 勝 利 を 得 ん とす る ア メ リカの 西 ヨー ロ ッパ ・東 ア ジ ア戦 略(・s)に基(・o)づい て発 想(・e・)され た もの で あ る。 日(・・a・)本の通 路(oe・)に重 大(・eo)な影 響(・・s)を与(・)える発 言(o・)と勧 告(e・)を盛(・o)った48年(・o・o)5月(oe)のド レーパ ー報(e・e) 告 書 の 線 以 降,同 年11月 の 国 家 安 全 保 障 会 議 の 「議 決」 を 促 し,日 本 に広 範 な政 治 的 ・社 会 的 政 策 の 展 開 を強 い る こ とに な る。 反 共 路 線 は終 始 一 貫 した 占領 政 策 で あ った と して も,冷 戦 が 顕 在 化 しな い段 階 で の 占領 政 策 に は い まだ それ ほ ど顕 著 な反 共 性 は 認 め られ な か った 。 そ れ が 兆 し始 め る の は 「三 月 斗 争 」 へ の 占領 軍 干 渉 な い し政 令201号 を 促 が した 「マ 書 簡 」

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占領軍 による反共教 育政策 実施の経緯 について(熊 谷) 11

発 表 の頃 か らで あ る。 これ は,ド レーパ ー報 告 書 の 反 映 とみ るべ きで あ ろ う。 そ の後 の 「 察 予 備 隊 」 設 置 の マ 書 簡,リ ッジ ウ ェイ 声 明,急 が れ た 講 和 条 約 の締 結,安 保 条 約 の 締 結 な

ど,す べ て は 以上 の路 線 の な か に コ ソパ ク トに 内蔵 され て いた とい わ な くて は な らな い.

3  政策転換の 日本的展 開

  (1)吉 田1政権 の 成 立

  芦 田 内 閣総 辞 職 の あ と,民 自党 総 裁 吉 田 茂 が 内 閣 首 班 に 指 名 され た 。48年10月19日 の こ と で あ る。 これ よ り先,幹 事 長 山 崎 猛 との 首 班 争 い で,吉 田はG2(参 謀 二 部 一 謀 報 部)の 支 持 を 得,当 時 復 活 しつ つ あ った 独 占企 業 の 後 援 も うけ て勝 利 を得 た の で あ る。 この こ とは, 吉 田 が ドレーパ ー ・ ドッジ ・ライ ンの 強 力 な推 進 者 と な る こ とを 決 定 づ け た こ とを意 味 す る。 支 持,後 援 者 は何 れ もそ の 実 施 を 強 く期 待 して いた か らで あ る。

  組 閣後,間 もな く吉 田 は そ の 準備 工 作 に 着 手 した 。10月30目 ゴ7月22日 付 マ書 簡 に基 づ く 政 令201号 の 「法 制 化 」 と称 し,国 家 公 務 員 か ら争 議 権 ・団体 交 渉 権 を 奪 う 「国 公 法 改 正 案 」

を通 過 させ,ド レ  0報 告 書 に い う 「過 度 の政 治 的 自由 の 制 限 」 の第 一 歩 を踏 み 出 した。

ま た,12月17日,国 務 省 と陸 軍 省 は ド レー パ ー らの 勧 告 「日本 経 済 安 定 計 画 九 原 則 」50)を発 表 し,そ れ は,翌18日,吉 田 へ の マ 書 簡 と と も に発 表 され た 。 これ に先 立 つ11月29日,総

令 部 労 働 課 長 ヘ プ ラ ーは,「 賃 金 三 原 則 」51)の実 施 を 日本 政 府 に指 令 して い た52)O   吉 田内 閣 は,12月23日,不 信 任 案 が 可 決 され た の を機 会 に議 会 を解 散 し,49年1月23日,

総 選 挙 が 行 わ れ た 。 結 果 は,民 自党 が 倍 増(131→264)す る とい う大 勝 で,社 会党,民 主 党, 国‑協党 は 軒 並 み 半 減 に 近 い惨 敗 を 喫 す る とい う情 況 の な か で,共 産 党 だ け が 九 倍 増(4→35) とい う成 績 で あ った 。49年2月16日,第 三 次 吉 田 内閣 は,民 主 党(犬 養 健)と 連 合 して333 議 席 を 擁 して 成 立 した 。 力 の 政 治 が 始 ま ろ う とい うの で あ る。 そ の際 吉 田 は,「 政 府 は 国 民 と一 体 とな って経 済 九 原 則 を 強 力 か つ 忠 実 に 実 行 す る こ とを 誓 う。 しか る に終 戦 後 の 国民 思 想 の 混 乱 に 乗 じ,現 下 の 国 情 を い さ さか も省 み ず,無 責 任 な行 動 を ほ しい ま まに し,破 壊 的 な 意 図 の 下 に 行 動 して い る者 もあ るが,… 断 固 と して これ を 排 除 せ ん とす る もの で あ る」53) と宣 言 した 。 これ は,民 自党 の 意 図 す る と ころ を 最 も よ く披 歴 した 言 葉 で あ る。

  そ の 吉 田 内 閣 が どれ ほ ど ドッジ ・ライ ソに忠 実 で あ った か は,ド ッジ ・ライ ン発表(2/17, 最 終案3/24)後 の3月19日,吉 田 は新 聞記 者 連 盟 総 会 の 席 で 次 の よ うに 述 べ て い る。 「わ が

国 経 済 の 再 建 と 自立 を 確 保 す るた め に は,特 に輸 出 の最 大 限 の振 興 と増 大 とを 図 る必 要 が あ る。 す な わ ち,日 本 経 済 は 本 質 的 に 国 際 通 商 を 基 本 と した 交 易 経 済 で あ るべ きで あ り,そ の 自立再 建 は 輸 出 振 興 へ の 挙 国 的 努 力 が 根 本 とな る。 した が って,今 後 わ が 国 は輸 出産 業 を 中 心 と した工 業 生産 の振 興 を 図 らね ば な らな い 。 基 礎 生 産 財 の 増 産 と生 活 物 質 の必 要 量 確 保 と を 中 心 と した 工 業 生 産 の再 建 とい う従 来 の 方 向を 輸 出 品 生 産 の強 化 とい う方 向 に移 行 せ しめ ね ば な らな い 。 国 内 消 費 を 切 りつ め,資 本 の蓄 積 を図 る一 方,生 産 費 の節 約 に よ り輸 出 向製 品 の 増 産 を 図 らね ば な らな い 」54)。国 民 の 生 活 必 需 品 の生 産 を切 りつ め,国 民 に犠 牲 を強 要 しなが ら輸 出 産 業 の 振 興 を 「数 の 力 」 で 強 行 し よ う とい うの で あ る。 独 占企 業優 遇,対 米 戦 略 従 属 の 姿 勢 が 最 も鮮 明 に 現 わ れ た 発 言 といわ な くて は な らな い。 こ うして,ド レーペ ー ・

ドヅジ ・ライ ソは,吉 田 を 得 て 強 力 に 実 施 され て い くの で あ る。

(12)

12 長崎大学教育学部教育科学研究報告  第28号

  同様 に,前 記48年11月 の 国 家 安 全 保 障 会 議 の線 も この 「数 の 力 」 に よって 推 進 さ れ る こ と に な る。 ア メ リカは 吉 田 内 閣 を前 面 に立 て,そ の 責 任 に お い て ドッジ ・ライ ンを実 施 させ る と と もに,特 に 労 働 攻 撃 と共 産 主 義 運 動 ・民 主 主 義 運 動 を 抑 圧 させ る の で あ る。 そ れ が 「団 体 等 規 正 令 」 で あ り,「 定 員 法 」 で あ る。

  総 司 令 部 は,こ の 前 後 か ら ドレー パ ー路 線 を強 め る必 要 を 痛 感 し始 め る と と もに,労 働 運 動 指 導 者 層 の な か の共 産 主 義 者 を 直 接 排 除 す る方 針 を もつ よ うに な った 。 つ ま り,民 同 勢 力 を育 成 し,共 産 主 義 の影 響 を圧 倒 し よ うとい うこれ ま で の 間接 的 ・消 極 的 方 針 の転 換 を迫 ら れ た の で あ る。1948年12月6日,総 司 令 部 労 働 課 は,第 八 軍 あ て 次 の よ うな 書 簡 を 送 った 。

労 働 運 動 に お け る共 産 主 義 者 の 取 扱 い に は特 別 の注 意 が必 要 で あ る。 … …彼 らに は 消 極 的 に 出 る よ りも積 極 的 に 出 た 方 が 効 果 が 期 待 され る。 … …共 産 主 義 者 に 対 して 明確 な情 報 上 な い し教 育 上 の 攻 撃 を加 え る実 際 的 効 果 は,具 体 的 事 例 に よ って慎 重 に 考 慮 せ られ ね ぽ な らな い 。 も し攻 撃 した 方 が若 干 の 共 産 主 義 者 を 殉 教 者 に して しま う こ とか ら 失 わ れ る もの よ り も,ア メ リカの 国 益 に一 層 奉 仕 す る と判 断 され る な らば,積 極 的 に そ の 計 画 を 実 行 に移 す ぺ きで あ る。 また(ア メ リカを)非 難 して い る共 産 主 義 的 哲 学 ・慣 習 を 占領 軍 が 黙 認 して い る と誤 解 され る恐 れ が あ る 時 は,い つ で も直 接 的 手 段 を 使 用 す べ きで あ る」55)。そ して,こ れ に 基 づ い て49年1月30日 付 「作 戦 命 令 第 八 号 」 が 作 成 され た。 しか し,こ の 命 令 書 は 府 県 軍 政 部 に 下 達 され な い ま ま とな っ た。 に も拘 わ らず,こ の直 後 の2月12日,吉 田 首 相 は 記 者 会 見で,米 議 会 の 非 米 活 動 委 員 会 に まね た非 日活 動 委 員 会 を設 置 す る意 図 の あ る こ とを 明 らか に した56)。そ れ が,4月4日 に ポ ツダ ム政 令 の形 を と る 「団 体 等 規 正 令 」 と して 法 制 化 され た の で あ るQそ れ は,上 記 書 簡 の趣 旨 が選 挙 に お け る共 産 党 の進 出 と相 ま って,吉 田 内閣 の 手 で 具 体 化 され た こ とを 示 す も の とい うほ か な い で あ ろ う。 団 規 令 の主 旨 は,「 暴 力 主 義 的 企 図 に よ っ て政 策 を 変 更 し,又 は 暴 力 主 義 的 方法 を 是 認 す る よ うな傾 向 を助 長 し,若 し くは 正 当化 す る」 団 体 の禁 止 と団体 お よび 個 人 の処 罰 を定 め た もの で あ る。 こ の政 令 の 施 行 と と

もに,法 務 庁 特 別 審 査 局 に 第 四 課 が 新 設 され,左 翼 団体 の 調 査 を 行 うこ と に な っ た こ とは, この政 令 の 「目的 」 を よ く現 わ す もの で あ る。 ドッ ジ ・ライ ンを 実 施 す る に 当 って,こ の よ うな弾 圧 法 規 を どれ ほ ど緊 急 に 必 要 と して い た か,そ の 心 情 もわ か る よ うで あ る。

  これ よ り先,2月1日 に ド ッジが 来 日 した 。 これ に ロイ ヤ ル 陸 軍 長 官 と ウ ェデ マ イ ヤ ー陸 軍 参 謀 長 代 理 が 同行 した。 この こ とは,ド ッジ ・ライ ンの もつ 軍 事 的 意 味 の 大 き さ を示 唆 し て い た し,殊 に ウ ェデ マ イ ヤ ー の 同行 は,彼 が47年7,8月 に 中 国 情 勢 検 討 使 節 と して 派 遣 さ れ て い た こ とに照 して,中 国情 勢 との 関 連 の深 さ を表 わ して い る と もい え る57)。

  ド ッジ ・ラ イ ソの基 本 内 容 は,2月17日,総 司令 部 経 済 科 学 局 長 か ら池 田蔵 相 あ て 書 簡 に よ って 示 され,改 め て3月24日,最 終 案 が 政 府 に提 示 され た 。49年 度 政 府 予 算 案 が 容 易 に 実 施 に移 され た のは,修 正 を 許 さな い 命 令 と して政 府 に通 告 され た こ と と,こ こで も吉 田 が 政 権 の座 に い た こ とが 大 き く作 用 した 。 吉 田は,渋 る池 田 を抑 え て ドッ ジ予 算 を 呑 む 決 意 を か た め,す で に 衆 院 予 算 委 で 出 され て いた 反 対 意 見を 「数 の 力」 で 押 し切 る挙 に 出 た の で あ る58)。

  ドッジ ・ライ ソは1ド ル360円 の 単 一 為 替 レ ー トの 強 行 実 施 と シ ャ ウ プの 税 制 改 革 に よ っ て補 足 され,ま た 公 務 員 ・公 共 企 業 体 労働 者 の 人 べ ら しを実 施 す る た め,5月30日 に 「定 員 法 」 を成 立 させ て そ の体 制 を 固 め た。 定 員 法 は ドッジ ・ライ ソの実 施 を成 功 させ るた め と,

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