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A Study on the Sculpture of Brancusi

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静岡大学教育学部研究報告 (人文・ 社会科学篇)第49号 (1999.3)87〜

106

87

ブランクーシに関する一考察

A Study on the Sculpture of Brancusi

Hideo TosAKA

(平成 10年

10月

5日受理

)

ルーマニアの トウル グ・ ジュにブランクー シの ア ンサ ンブル と して知 られ るモニ ュメ ン ト (作品群)があ る。その中の一つ に「接吻の門」がある。 ブラ ンクー シの作 品 の中で は、唯一 の環境彫刻 と言えるモニュメント群であり、第一次世界大戦の戦没者の慰霊を兼ねて設計され た。はじめは「無限柱」だけの依頼であったのだが、次第に構想 は拡大 し、 lKm離れた二つ

の公園と、それらを繋 ぐ道路までを含み入れた計画となった。この構想された世界観に対 して は、新 たに後 の項 で考証 したいと思 う。

この「接吻の門」の直 ぐ脇で、陶器 によるブランクーシの「 接 吻」、

「 ブランクー シの顔」のペ ンダン トを作 り、売 うて い る青年 が いた。

私 は単 な る道端 の物売 りか と二瞬思 ったのであるが、彼 は、 日本 か ら 来 た私 に好意 的な輝 く日と笑顔で話 しか けて きた。

思 うよ うに言葉 で 伝達 で きない私 で はあ ったが、 トウル グ 0ジ ュのア ンサ ンブルを見 に 来 た理 由を話 した。彼 は嬉 しそ うに何度 も頷 き、そ して、腰掛 けて い

た革製 の大 きなボス トンバ ッグを開いた。何 と、その中にはブランクー ① ベンダン ト シの資料 (書籍類)が、 ぎっしりと詰め込 まれていたのである。向学心の強い青年であ り、 ブ ランクTシの研究者であった。資料収集 も旅行の目的の一つであった私に、クライオヴァに行 けば彼の資料が手 にはいることなどを教えて くれ、更 に、彼の持つ資料を臆面 もな く見せ、本 のページを括 りつつ、「無限柱」が、どの様 に計画 され、制作 され、

'現

状 に据 え付 け られたの か ということ等を説明 して くれた。彼は真のブランクーシの信奉家であり、生活費稼 ぎの為 の 尊敬するブランクニシのペ ンダン トづ くり者であった。生活の糧の為 にも常 に信奉す る者の側 に身 を置 く、ルニマニア人の真面目な姿を見た気が した。彼の背後にブランク=シの姿を合 わ

せ見 る思 いが した。更 に青年 は、ブランクーシの生家、ホビツプヘ行 くにはタクシーを利用す ることを勧 め、実際に、運転手に信 じられぬ安価な金額での往復運賃まで交渉 して くれたので ある。 ブランクーシの生家での長 い時間の経過 にも関わ らず、実直なタクシー運転手 は幾 らか の割 り増 しの請求をすることもせず、事 も無げに トウルグ・ ジュまで引き返 して くれた。彼の

「 ペ ンダン ト」売 りの青年 は、名前を書 いた紙切れを私に手渡 して呉れたのだが、 その後 の旅 程の間に何処 に紛れて しまったのか、私の手元か ら失せて しまった。 きっと、ブランクーシ研

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究の成果を著 しているに違 いない。名前の書かれた一枚の紙片を失 って しまったことの心残 り は今 も続いている。彼の所有す る、羨 ま しさまで感ず る程の豊富な資料 と、何よりも、彼 との 出会 いは、私 に更 にブランクーシの作品を直に鑑賞する為のアメ リカ旅行を決意 させた。

ニューヨークを中心 とし、ブランクーシの彫刻鑑賞を主体にした研究旅行を行 った際、 ボス トン美術館でブランクーシのスライ ドを手 に入れるべ くメンバーズルームの部屋の戸を叩いた。

メンバーで もない、異国人の私 に不審 な顔をす る受付の女性を後 目に、若 い学芸員 は用件 を聞 いて くれた。旅行の目的を聞いて くれた彼 は、多大なスライ ドの引き出 し棚の中か らブランクー シのスライ ドを喜んで選び出 し、譲 って くれた。更に、短 い旅程の中でボス トンのオール ドタ ウンで一 日を費や して しまうには勿体 ない、ハーバー ド大学 はブランクーシの「 カ リアチュー ド」を所有 しているので、是非、見 に行 くといいと教えて くれた。旅行前 に揚 げていたデー タ の中には漏れていた作品である。ただ残念なことに、建物修復中で作品には出会えなか った。

スライ ドだけを手 に入れ、構内で何時間 もこの大事な「 スライ ド」を覗 き込んでいた時の心境 は今で も忘れない。

美術史的に見れば、 ブランクーシは20世紀の最 も重要な彫刻家の一人 として広 く認め られ ている。その彫刻作品の形態 と素材の物質性 にたいす る独創的で創造的なことにおいて、後 に 続 く芸術家に様々な形で影響を与えてきた。 しか しなが ら解釈の上で、各個人 とイデオロギー の正当性を保つために曲解 と思われる様なブランクーシに対する見方が存在 した事 も事実であ る。

12年前の拙稿「 ブランクーシの直彫 り彫刻に関する研究」(研究報告、第37号)は、 フラ ンス旅行、ルーマニア旅行、アメ リカ合衆国東部中心の旅行で鑑賞 したブランクーシ彫刻作品 を通 して、 ブランクーシの資料を検討 しなが らまとめ、彫刻家 ブランクーシの現代彫刻 にお け る特質 (生い立 ちか ら生涯 に渡 る境遇、 ブランクーシの彫刻形態に関わる思想的背景・ 宗教 的 背景・ 時代的背景)を考察 し、「作品」により、創造世界の顕現性 を模索 し、考証す ることに あった。

本稿 は、「 ブランクーシに関す る一考察」 と題 し、鑑賞 (ブランクー シの作品 =〔表象〕

)

を通 して、「作品」に秘め られた創造世界 と創造 に関わる思索の背後 にあ る世界 を考察 し、論 じ、混沌 とした現時代への示唆を引 き出せた らという試みである。

ブランクーシに纏わる文献資料の点検 と、今現在、20世紀が幕を下 ろし、世紀代わ りしよ うとす る中、あらためて芸術思潮の変化を鑑み、そこに示 された来 し方への秘め られた鍵 を探 し求め、迫 りくる21世紀の精神基盤の礎を求め、論考す るものである。現在進行中の現代美 術に客観的評価を与える事 は難 しいと言われてきたが、足早 に変化 し続 けた20世紀末の今、

再度、共同体 としての「大 きな物語」を形成す ることは難 しいにして も、各個を結び合 わせ る ための所作を私達 は能力 として身 につけている。高度情報化世界を作 り上 げたのも人間の能力 である。 しか し、 このような現代社会の基盤 に据えるべ き項 目は共同体崩壊の中、混沌 とす る 世界の意識の中に浮遊 しているのではないか。個 々には様々な論点 と視点を持 ち合わせてはい

るのだが。やや もす ると失 いかける希望 に託 して、複眼的な視点か らの考証を行 いたい。

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ブランクーシに関す る一考察

日本 において美術館でのブランクーシの大 きな規模の展覧会は行われていない。(注1)そ な事 も関係 してか、ブランクーシ研究に関する著書 は少ない。(注2)そんな中、中原祐介氏の FBrancusi/Endless Beginning ブランクーシ』(美術出版社)がある。今回の論考 に も大 いに参考にさせて頂いたこの著書 は徹底 した多 くの文献調査 と何よりも鑑賞の目をとお して、

ブランクーシを浮 き彫 りにし、正確 に著 している。形態論的立場を明確にし、エピソー ド等 も 多分 に取 り入れ、 ブランクーシ研究家 として第一人者 と私は思 っている。美術愛好家への多大 な貢献を していると思 う。中原氏 は、1976年 の『美術手帖』12月号のブランクー シ生誕

100年記念特集 において、「最後の彫刻家」 と題 して、論文 を掲載 している。哲学者 オルテ ガ・ イ・ ガセ ットの言葉「垂直の侵入者」を、評論家 ジョン・ バージャーが ピカソに被 したの を、 ブランクーシに転 じ、論考 している。インパク トのある優れたブランクーシ研究論文 であ る。美術評論家の視覚 と価値判断の伝播 として、まず取 り上げた。

近年、エ リック・ シェインズ著『Constantin Brancusiコ ンスタンチン・ ブランクーシ』の 翻訳版が刊行 された。創造の際の哲学 に触れている作家自身が残 した言葉を ヒントに してブラ ンクーシの芸術評価を意図 し、ブランクーシの思想背景を考証 し、作家の創造における精神基 盤の模索を し、論 じている。モダニズムの中核を為すブランクーシの20世紀に生 きる人間像

を浮かび上が らせる論理立ては興味深い。 しか しなが ら、思想的背景をプラ トニズムには じめ か ら一元視 し過 ぎるきらいを感ずる。 ブランクーシの残 した言葉を元に哲学的に論証するエリッ ク・ シェインズの見方 は、ブランクーシにおける彫刻創造の本質追究が、プラトニズムの形而 上学的考察を基盤 に している、との見地で説明 している。ブランクーシはプラ トンの著 した対 話篇を蔵書 している。モチーフにおいて も、ギ リシャ神話か ら取 られたと思われるものが多々 ある。 しか し、私 は、ブランクーシの彫刻創造 に関 して、純化に向かわせる制作思念 において はプラ トン哲学の形而上学的考察が作用 しているとしても、純粋思惟の基盤においてはルーマ ニアに伝承 されている慣習 と少年期の体験 とそこに生ずるノスタルジアが存在 しており、プラ

トニズムには、傾斜 しているものとして捉えたい。

鑑賞の目

複眼的視点と現代社会における問題提起

今回の論考 に照 らして、視点を絞 り、ブランクーシの彫刻鑑賞 にあたっての「作品」 と「鑑 賞者」の接点を結ぶ要素 をは じめに抽 出 し、取 り上げてお く。考察のキーヮー ドの所在 を探 る 手だてで もある。その中には 洞察力 における器官構造の働 きとして、物事

(「

作品」)の判断

は、様々な感覚 (五)の交叉の作用 によって行われているところの身体感覚に関わる事例 も 含めて提示す ることとする。普段我々が自明と思 いこんでいる認識 と、認識の方法論を再度見 直すためである。視野 0視座の拡大 を図 ること、論拠の根を増やす ことにある。固定 された概 念で「作品」を鑑賞 し、解釈せず、常 に新鮮な目で物事を見、対処する手だてを得る事である。

「脳」の時代 といわれる現在、(90年代初めよリアメ リカ合衆国が主体 となり)脳の構造、働 き

(Dら」 との関連 まで)に関する研究が進んでいる。未だ、未解明部分が多いといえども、単純 な感覚経路の結び付 けで解決 しようと思 っているのでは勿論ない。様々な角度か ら、様々な形 で美術 に、プランクーシの彫刻作品にアプローチをかける研究者はいるだろう。 トウルグ・ ジュ

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の青年 もボス トン美術館の青年 もその様な一人であり、創造世界の伝達者であると信 じて疑 わ ない。

上 にも述べたように、単に反間材料 としてではな く一つの常識 として、美術 (美)家が著 す場合、はっきりとした自らの理論の方向付 けを示 し、考察する。当たり前の事で、そ うでな ければ内容が分裂 し、崩壊 し、伝達手段を失 うではないか、 といわれるか も知れない。しか し、

美学、哲学ではな く、創造 された「作品」を鑑賞 し、検証す るときに、 この原理 は、前提 とし ての範 (た)をはめす ぎてはいないだろうか。 フレームをはじめか ら限定 し過 ぎてはいない か。 フレキシブルなフレームは構成出来ないのだろうか。 このようなところか ら考察 しなけれ ばブランクーシの創造 された「作品」を開示す ることは難 しいと思 っている。芸術家 は しば し ば直感力の助 けにより発動す る。芸術家が著す場合 も、 この直感力の助 けな くして論ず る事 は 出来ないと感ず る。雑踏の中、見知 らぬ世界で突然に友を得 るように、雑然 とした感覚の中に 突然 に暗示を受 けることがある。そこか ら世界 は動 く。

a)彫 刻 における光の効果

「空間の鳥」、 この快 い響 きを題名 に持つ彫刻 は、1926年にアメ リカ合衆国の税関 において、

美術品 と認 あ られず、「工業製品」 としての関税請求を受 けた。法廷闘争 にまで発展 し、結局 のところは彫刻 としての正当性 は認め られる事 になるのだが、当時 としては、一般の人々には、

このブランクーシの彫刻作品は、彫刻認識のなかに繰 り込 まれる形態を伴 っていない [も ]

であったということを実証 している。勿論 この時のこの作品は、 ブランクーシ自身の手 によつ て磨かれた もあである。 この事例 は、鑑賞者 (税関係官)に、 この常識的解釈を逸脱 した彼 の 作品に対す る鑑賞眼がなか ったことによる。

滋賀県立美術館 にもブロンズの「空間の鳥」がある。1926/82と あるか ら、1926年 にブラン クーシが倉1作 した「空間の鳥」 としては、おそ らく4番目に創 られた ものの原型か らの再生 と 思われる。 ブロンズ作品では原型か らの2度ぬき、3度ぬきなどはよくあることである。著名

な彫刻家のブロンズ作品などは何処の美術館で も見かけるということは経験があると思 う。 日 本でブランクーシの彫刻、特 に「空間の鳥」が購入 され、美術館 に入 ったことは現代美術の彫 刻の流れの中で当然な くてはな らぬ ものと思 う。 しか し、購入 され、展示 されてか らす ぐに、

見て、不思議な感情 にとらわれて しまった。違和感を覚えて しまったのである。冒頭に記 した

「工業製品」まではいかないが、硬質な金属の輝 きだけが目に飛 び込んで きたので あ る。 これ はどの様なことなのか。 ブランクーシの死後の1982年に造 られたこの「空間の鳥」の造 られた 過程 は知 らない。だが、如何にも機械磨 きされたその表面 は、光の乱反射 は微塵 もな く照射点 は絞 られ、作品の微妙 にゆった りとした膨 らみのあるフォルムを痩せさせている。全面磨 き この作品は、作業 として艶が出れば良いとして造 られたのではないのだろうか。磨 きも形態創 造の一環 としての手 の技である。 ブランクーシが手がけた「空間の鳥」は、本 く見 ると表面 に 微妙な磨 き行程の際の傷 (ラ イン)が残 っている。実 はこれは傷などではな く、止め るところ を知 っている創造者の能力なのである。大理石の「空間の鳥」において もミ ブロンズとは当然 なが ら材質感が違 うので一概 には言えないが、磨 きにおいて、中に細かい線 (磨き傷)を見 る

ことが出来 る。「空間の鳥」の形態論考 は別 に項を設 けて論ず るつ もりであるが、 この美術館 にある作品は、現代彫刻の最高傑作 に入 るこの「作品」(=「空間の鳥」)の、上昇 の フォルム がそがれている。 光の効果〉 という点では、印象派 と言 われるロダンに会 うことをきっかけ

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ブ ランクニ シに関す る一考察

にパ リに来て、更 に初期段階でメグル ド0ロ ッソに影響を受 けたような再現的具象を試みたブ ランクーシが気 に留めぬ筈がない。全面磨 きというのは、創造世界の具現化 と形態追求の結果 の表れ として出てきたものだ。単 に、磨 くという行為ではない。 ブランクーシの彫刻 とはその 様な ものだ。1927年にイサム ●ノグチは、 ローマ賞を受 けたことで、 ブランクーシを訪 ね、・ア シスタントをつ とめるが、 この出会いは、 イサム・ ノグチの作品の 〈光の効果〉に大 いに影響 を及 ぼ していると思われる。直接的な ものは、

「 あか り」 としての彫刻 で よ く知 られ るが、石 彫 において、特 にどこで磨 きを止 めるかに神経が払われている。ただ艶が出ればいいとい うも のではな く、形態 との一体性のものである。滋賀県立美術館の「空間の鳥」が、時間 と共 に機 械的な艶が落ち、形をよく理解す るものが埃を払 い、手で磨 きをかけていけば、 この「空間の 鳥」1926/82は生 きて くるだろうか。期待 し、望みたい ものであ る。 そ して、「空間の鳥」 の 鑑賞者が増えることを期待 している。

b)  内触覚的洞察力

この ことは、誰 にで も経験があり、今更 というか も知れないが、観察眼の基礎を為す ことゆ え、記述 しておこう。仮 に、l mmの厚みの鉄板で囲まれた1ポの立体 と、 1 0mmの 鉄板 で囲 ま れた1ポの立体を目に した時に、どのように認識するかと言 うことである。(条件 と して、一 切の歪みは表面上見えないとして。)日の物質に関する認識判断は、l mmと 1 0mmの厳密 な厚 みまでは、判断出来ず とも、厚い―薄 いの違 いは判断す る。 この時に、重 い一軽いの判断 も同 時に している。 さらに、肌合い

(イ

ンターフェイス

)、

質感 (内的密度)ま で見抜 き、感知 し ている。身体内部 において、感覚器官がどのような経路結合を しているのであろうか。視覚 を とお して判断 しているときに、内触覚的な感覚は下層部の無意識層か らどのような発信を送 っ ているのだろうか。記憶の作用 はどの様 に働 きかけているのだろうか。精神基盤の確立 にたい す る働 きかける機関の要素 と言えるのではないか。

私の属 している、グループ展では、眼の不 自由な方 に作品を触れて もらう試みを している。

私 もここの所、大理石による作品を展示 しているのであるが、眼の不 自由な方 々と接 していて わか った事 は、我々視覚を通 して生活 している者の、物 に対す る接 し方 とは全然違 っていると いうことである。自分 は触 ると言えば、手のひらいっぱいに触れる.こ とと認識 していたのだが、

彼 らは、実 に優 しく、 しなやかな手の動 きで、指の先がまるで、物質 に触れていないよ うにさ え見える。物質か らはオーラが出ていて、そのオーラにより、形態を判断 しているように見 え るのである。その手 は、我 々の視覚 と同 じように、創造の世界を楽 しみ、判断、評価す る日と して、私 には映 る。感覚器官の上層、下層の位相変換以上 に、働 きかける意識一無意識世界を 思わずにいられない6又、眼を見て話す、そ してその時、眼の奥 にある心 を知 る、 とよ く言 わ れる。光の効果のところで も述べたように、本物であることを見極めることは、とりもなおさ ず、:表面の下 に隠れている作者の心を感 じ取 ること。視覚だけでな く (感覚 の交叉)、 内触覚 的洞察力 (後述す る、宇宙的無意識の作用)の働 きによるのだろう。

C)  安易な伝達

最近、美術館案内と収蔵作品案内が書店で販売 されているが、「空間の鳥」 の作品紹介 の記 事で疑間を持 った点がある。一般受 けす るように軽 いタッチで表現 されるのは良いが、 ブラン

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クーシのことを「抽象彫刻のパイオニアのひとりに数え られています。」 と記 してあ る。後 の 抽象彫刻家達 に影響 を与え、本質追究 に伴 う形態の単純化を輪郭的に解釈 した人達の言であろ うが、ブランクーシは自分の作品は抽象ではないと何度 もいっている。 自らは具象彫刻家であ ると言 っているのである。一般の鑑賞者な ら兎 も角、美術館研究員の解説 には自らの考証 の結 果を踏 まえて論 じて貰 いたいものである。世の中の趨勢 と作家の言 とに隔たりがあると思われ るな らば、せいぜtヽ註釈を付 けるべ きではないか。ガイ ドブックは鑑賞者の「作品」 に対す る 指針にもなるものであるか ら。現在の混迷の状態の中、時間的ゆとりが無いせいか、実 際 に美 術館を訪れる鑑賞者が少ないように思える。美術愛好家の意識を高める上で も、美術館へ足 を 運んで もらうためにも、ガイ ドブックは重要な役 目を持つ。安易な伝達 は避けて もらいたい も のである。 この論考で も重要な課題の一つである。

彫刻 は三次元の ものであり、実際に二次元の空間の中での鑑賞体験を持たなければ決 して理解 で きず、実物の鑑賞な くしては創造作品は語 らないと言 うことである。更 に触れるな らば、最 近 はインターネッ ト上で、作品公開 されている。バーチャル リア リティーということが言 われ るように、イルージョンの世界であり、情報 (案)の理論的な伝達様式 としては優 れている が、彫刻作品に直に触れる体感的視覚体験 は不可能である。

「理解できるまで彫刻を じっとみつづけなさい。彫亥Jを理解 したものは、神の間近 にいるので す」(ブランクーシの言葉

)

d)  ポ ンピ ドウ・ センターの否定的状況

ブランクーシは、死後、ア トリエごと作品をフランス政府 に寄贈 した。ア トリエの在 ったモ ンパルナスは区画整理のために移動す ることとなり、パ リ国立近代美術館に復元することとなっ た。私がブランクーシの作品を直に鑑賞す る初 めての機会であ った。 26年前 の こで ある。

その美術館地下室のア トリエは、地下室のスペースに合わせて、間取 りや天丼の高 さに変更が 加え られ、天丼か らの自然光 は、蛍光灯 に置 き換え られていた。生前のア トリエを知 る人 は、

そこに木屑や石の破片等のごみが無い事 に物足 りなさを感 じたという。 しか し、そこを初 めて 訪れた私にとっては、その空間の印象 は鮮烈で、ブランクニシがこの空間の中で日々求めた も のを、ひ しひ しと感 じたものである。その後、ジョルジュ・ ポンピドウ国立芸術文化 セ ンター が建設 され、パ リ国立近代美術館はその建物の中に入 ることとなった。 ブランクーシのア トリ エも再度移動することとなるが、元々のブランクーシのア ト´リエは天丼が高 く、屋根か らの光 を採 り入れていたを、考慮 して、ポンピ ドウ文化セ ンタニ前庭 (正面 エン トランス)の左脇 に

個別 に作 られることになった。 しか しなが ら、暫 くして、経済的問題 (聞くところによるとメ ンテナ ンス費用)によって再生 されたア トリエは閉 じられて しまっ。 (幾つかの彼の作品をセ ンター内の美術館に移 して

)。

その様な時に、再 びパ リを訪れた私 は、 セ ンター上階 にある国 立近代美術館で真 っ白な箱の台座 に乗 っているブランクーシの作品を目にした。 ブランクーシ は生活の中で壁を自 く塗 り、制作の時 も、白い衣服を纏 っていたという。 しか しなが ら、台座 を自 くすればという考えは、フランスの美術館 らしくないと思 った。 ブランクーシは台座 を払 拭 した彫刻家 として既に認識 されていた自明の事であったのだか ら。すべて均等の高 さの台座 は、よ く見かける展覧会の会場の統一感を醸 し出すための常套手段ではある。が、作家 の作品 の意図を生かさなければ、折角の作品 も生 きて こない。台座の払拭 とは、作品に意図 された思 想を背景 に持つ水平基盤の表れで、作品展示 においては、鑑賞者 の目線 を意識 して いる。(こ

(7)

ブ ランクー シに関す る一考察

の ことの意味 内容 につ いて は後 の項で作品 に触 れて、あ らためて論 ず る。)ア トリエ ごと残 し

た彼 の意図 を、 しっか りと汲 むべ きであ る。

  作品の分析 と考察

1。

「空間の鳥」

「子供 の頃、私 はいつ も樹 々の間や大空 を飛ぶ ことを夢見 ていた。 その夢への ノスタル ジー を持 ちつづ けて きた私 は、45歳か ら鳥 をつ くった。私が示 したい と思 ったの は鳥 (その もの)

で はな く、その天与 の能力であ る飛ぶ とい うこと、飛翔である。」。)

飛翔す ることを本質 と して彫刻形態化 された「空 間の鳥」 は、(制作年 は明確 で はな いが)

1923年 か ら1940年 までの約20年間 に、16点作 る られている。多 くの ブランクー シ 研究家が考証 す る様 に、同一主題 による連作 は、 ブランクー シの特 徴 の一 つ で あ り、「 空 間 の 鳥」 は、ルーマニアの伝説 か ら取 られた題名 を持つ「 マイアス トラ」か らの連作 と見 る ことが 妥 当である。「 マイアス トラ」か らの形態的変化 であ る「金 の鳥」 を経 て「 空 間 の鳥 」 へ の連 作 としての捉 え方 は、 ブランクー シの残 した言葉 の端 々か らも垣 間見 ることが出来 る。

「 マイアス トラ」 は、7点作 られてお り、第一作 目は1912年 に完成 している。 制 作 が開 始 されたのが1908年 1910年 か とい うブランター シ研究家 の論議がある。 ブランクー シが「 マイアス トラ」を創 るきっかけとな った経緯 を探 る論議であ り、 ブランクーシの彫刻表 現が個物再現 的な ものであ った らこの様 な論議 は生 まれない。

1909年 にルーマニアの民話 を土台 に した長詩『 伝説 の鳥 マイアス トラー 民衆詩』 が ブ カ レス トで刊行 された事、1910年 に、 ス トラヴ ィンスキーの『 火の鳥』のバ レー公演 が、

パ リのオペ ラ座であ り、大好評 を博 した事、 この様 な事が 目に留 まり、アイデアを想起 された とい う推測で ある。 この推測 だ と制作 のは じめを1908年 に遡 る事 は出来 ない。 ブランクー シの彫刻 における表面 の全面が磨かれた単純化 は1910年 の「眠れ る ミューズ」か らの連作 に見 られ、「 マイアス トラ」の単純化 された形態 の制作年 は、 1910年 か らと見 る事 に妥 当 性 があ るよ うであ る。

第一作 目の「 マイアス ト この一作 目の「 マイアス ト

台座、石灰岩の「 カ リアチュー ド」、長押の役 目を果 たすやや長方形 の石灰岩角柱、 そ して大 理石 の「 マイアス トラ」 の四つ の要素 によ って構成 されて い る。

「 カ リアチュー ド」を含 む石灰岩 の三う の部分 は、 1908年 に完 成 されている。 この年 には「大地 の知恵」 と題す る石灰岩 の左右 シ ンメ トリカルな女性裸婦座像 も制作 されている。前年、1907年

の「接吻」(連作、前拙稿 に詳述)の制 作 か ら、 直彫 り彫刻 を は じ めてお り、素材 の物質性 を彫刻 における重要 な要素 と位置 し、石材 での新 たな彫刻表現への模索 を始 めたばか りで る。

「 カ リアチュー ド」 は、新 たな彫刻 の方 向性 に関わ る精神基 盤、

思考基盤 の確立 の過程 における模索中の「大地の知恵」のヴァリエー ションだと考えられる。「大地の知恵」 は、 ブカレス トの美術館で 見たが、高さは5 0cm程のそれほど大 きくはない作品であって、

の制作年 は1908年 1912年 と記 されている。

を考証 してみると、全体 は、下か ら縦に長い石灰岩の長方形 の

 大地の知恵

(8)

多少 アフ リカ彫刻の影響を受 けたルーマニアの宗教的伝承 と感ずる素朴な農耕の民の印象を受 けた。 ここには、ルーマニアの慣習に残 る神秘的な宗教性か ら来 る観念 と感性の自然観が存在 す る。「大地の知恵」は、のっぺ りしたその相貌の中に、個別性か ら、普遍性への彫刻形態 の 変化を見て取れる。西欧やアメ リカ人の目か ら見 ると、東洋的で神秘的なものとも、映 るらし い。思想 と宗教的背景の違いはものの見方 と感 じ方において微妙な差異を見せるということで ある。(文化圏の違 う他視点か らの考察 には興味のあるところであるが、文化圏の違 う作家論 的考証 において、何処 まで理解、追究、解釈が出来ているかの疑間は、自分 も含めて残 る。

)

「 マイアス トラ」がブランクーシの中で構想 されるのには、 この模索の段階を基礎 に持 って いる。何故ならば、台座を払拭 した作家 としての意味合いの中には、視線の方向を考慮 に入れ た構造を持つ彫刻作家であると言える面 もあり、視線の位置関係だけを保つ為に「カリアチュー ド」を台座代わ りに使用 したなどとは誰 も思わない。「 カ リアチ ュー ド」 と「 マイアス トラ」

の一体性には、ブランクーシにとって重要な意味が秘められている。エ リック・ シェインズは、

指摘す る。 ブランクーシの蔵書 《プラ トンの対話篇》 によって、 ギ リシャ神話か ら取 られた

「眠れる ミューズ」・「 レダ」等のタイ トルを もつ作品、ギ リシャ哲学者「 ソクラテス」 など のタイ トルを持つ作品、そ して、彼の残 した言葉をもとに、ブランクーシはプラ トニズムの理 想主義を彫刻の創造世界で目指 したのだと。

私 は、一理 は認めたいと思 うが、 ブランクーシの世界 は一面では説明できないところがある。

ロダンの元を離れ、ロダンと同 じタイ トルが見 られるか ら、全 くロダンに傾倒 し、ロダンの傘 下 にあったのか。彫刻を人間の尺度 に戻 したロダンに対 して生涯、尊敬の念は忘れなかった と 言われるが、彫刻の創造世界 は全 く反対の当時まだ未踏の世界に踏み入れようとしていた。 モ ダニズムの理想主義者であって もプラ トニズムー辺倒の理想主義者ではなかったのではないか。

形而上学的なイデアの重視 は、純粋なブランクーシの精神構造 にとって光明であるか も知れな いが、彼は、思想よりも働 くことを、最上 にしたのである。

話を「 カ リアチュー ド」に戻す と、浮かび上がるのはギ リシャ神殿の人頭柱「 カリアュー ド」

である。神殿 は政の場であり、例祭の場であり、討論の場であ った。「 カ リアチュー ド」 は場 を見守 る神であり、見つめる神であった。ブランクーシにとっては理想的なモチーフであ った と思われるが、既に目指す創造形態 は個別か ら離れた普遍性であり、非再現的な創造にあった。

ブランクーシは後に述べているように再現性的彫像の中で も後期ヘ レニズムの彫像を大げさな ものとして忌避 している。視点を変えてルーマニアの家の構造を見てみよう。屋根を支える柱 は装飾 (彫)が施 されている。木の文化特有の、表現 こそ違えど、天蓋を支える柱であ り、

宇宙軸の象徴である。ルニマニアにおいて、柱にさらなる意味性が含まれているかは知 らない。

すべては推測であり、憶測である。だが、ブランクーシにおいて、パ リに定住 してか らの、方 向変換 と意識確立 は勤勉 さと共 に直感的であ り、合一 と直感の繰 り返 しである。直彫 りに至 る 短期間の実験 とも思われる再現的彫刻を見れば理解で きるであろ う。推論 を極度 に早 めれば

「 カ リアチュニ ド」の上 には子供の頃か らのノスタルジックな夢の鳥 にだぶ らせた霊魂 の象徴 の鳥「 マイアス トラ」が、必要であった。

「 カ リアチュー ド」 と「 マイアス トラ」の合体 (二体性)は、人間の思想世界 (空)と神的 世界の合一 と見 ることが出来 る。個別性か ら普遍性への探求によって生死一体の宇宙的観念 の

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プランクーシに関する一考察

思想背景が生 まれたのではなかろうか。1907年か らはじまる「接吻」の連作、1910年

の「眠れる ミューズ」か ら「世界のはじまり」までの連作 (形態上分類)、 そ して1912年

の「 マイアス トラ」か ら「空間の鳥」までの連作は、ブランクーシの描 く三大テーマとも言 え る世界観で括 ることが出来 まいか。人間の、人類の営みの世界を象徴する「接吻」 シ リーズ、

万物の生命を象徴す る「卵形」 シ リーズ、霊魂の悦楽を象徴 (伝説上では太陽のシンボルであ り、不死鳥であ り、奇跡を起 こす魔術の鳥である)する「鳥」のシリーズであり、すべてを宇 宙的精神世界が貫 いている。

「 マイアス トラ」は、形態的には鷲のような直立 した姿で表現され、

鳥の個別的な特徴 としての表面のマチエールは全て消去 され、全面 は磨かれている。全体 は一つのマ ッスの中に要約 されているが、首 部、胴体部、翼部の区別 は見 られ、嘴 と目は鳥の視覚特徴を残 して いる。第1作目の「 マイアス トラ」をニューヨーク近代美術館で見 た印象 は前拙稿で詳 しく述べたが、白大理石が光を反射する以上 に 吸収 し、特 に首部 はかたちを透明に している。見上 げる目線の効果

も考慮 に入れた「鳥」の存在 は純潔、崇高その ものであった。

7点の「 マイアス トラ」の制作の後、形態の純化 と上昇性 を意識 してた「金の鳥」が1919年 より制作 され る。「 マイアス トラ」

のスケールは概ね6 0cm程であったが、「金 の鳥」 は、9 0cm強 引 き延ばされている。全体形状 もよリー体化 し、真 っ直 ぐ上方 に伸

び、「 マイアス トラ」 にあ った目は無 くな っている。胴、脚、翼 の区別 もな く下 窄 ま りの断面 楕 円の中に一体化 されている。唯一、鳥 の形状 を探すな らば、首部 と胴体部 にか ける緩 やか な 凹面 が胴体部 に胸 の膨 らみ として意識 させ ることと口が開かれた形で残 っていることぐらいで ある。

形態純化 は進んだと見 られるが、「金 の鳥」が、4点しかつ くら

れなか った理由として、 プランクーシ研究家の中原祐介氏 は「形態 的に満足で きなか ったか らにちがいない。あるいは上半身 はいくぶ ん再現性が強いのに対 し、下半身がほとんど再現的なデイテイルを 取 り去 って しまったという上下の非調和を感 じたか らかも知れない。

②と述べている。 この「金の鳥」で特出すべ きは、台座の形状であ る。「金の鳥」の直 ぐ下 に、菱形の重 な った形状 の台座が現 れたこ とである。

(因みにこの形状の表れを持 って、霊魂の象徴 としての鳥、 との見 解を持 っている。後 に詳述する)

 金の鳥

「空間の鳥」に至 って、胸か ら首 にかけての くばんだ曲面 も全て消去 され、鳥 としての形状 は 全て取 り除かれた。形態 は一体化 され嘴と思 しき部分 も斜めにカットされた楕円面を残すのみ となった。上昇性を強めるために「金の鳥」の直 ぐ下にあった菱形形の台座が緩やかな波形 と なって全体形状の中に取 り込まれた。・「 マイアス トラ」か ら鳥の普遍性 としての本質である飛 翔を求めて、形態 における純化過程を、伝統的彫刻素材である大理石 とブロンズでの制作の繰

③ マイアス トラ

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り返 しの中で行われ、究極 とも思える彫刻が誕生 した。 ブロンズ作品 においては形態純化 と光の効果が相 まって、重量感を空間の中に解 き 放つ。白大理石 においては光の反射 と光の吸収において、我々をデ リ ケー トな無限の世界へ と誘 う。色大理石において石特有に持つ柄が形 態 と相 まって、作家の手 により上昇性を高め られ、目を上部空間へ と 誘 う。

「空間の鳥」は、1923年か ら1940年の間に16点1作された。

外見上 は同 じように見えて も全て大 きさと形状において微妙 に違 って いる。「金の鳥」の倍近 い2メ ー トル高のものもある。

伝統的な、面 により囲まれたマ ッス (塊)を持つ彫刻 というのは、

凹凸の組み合わせによってフォルムを形成す る。 ブランクーシの「空 間の鳥」が、「金の鳥」より転 じ、凸の フォルムで形成 されているに も関わ らず、固 くな らずに、有機的に立 ち昇 る形態印象 とインパ ク ト を与えるのは、作家 自身が述べる、作家個人の手を通 した技 にある。

我々は、球 は形態認識 において、完全性 (究極性)を持ち合わせた 停止 した形であると見 る。「眠れる ミューズ」(前拙稿出)か らの連作 に示 された玉子の様な楕円球的形態 には、方向性を感 じ取 る。更 に、

作家の手 による有機的楕円形態 は、生命の始 まりを我々に意識づける。

「空間の鳥」の断面形状 は左右 シンメ トリカルな幾何学 的輪郭 を持つ 楕円形であるが、上昇のイメージの、微妙な反 りのある中心軸を持 っ たフォルムの中に重層的に繰 り込 まれている。「空間の鳥」 は、下か らの最小限の連続波形 と全体 ボ リュームを占める上層部へ と、 この幾 何学的輪郭を持つ断面ではあるが、有機的な膨 らみを感 じさせ る断面 の階層的な連続形態である。その断面の形状 は、究極 としての円に限 りな く近づ ける限界への探求心の姿が窺われる。 ここに働いている形 態追求が、「 マイアス トラ」か らはじまる「鳥」 の具現化であ り、 《 飛翔》の思 いへの純化過程を経た立体表象化である。

 空間の鳥 (大理石)

勤勉なブランクーシにおいて、哲学的思考 (特に読書を通 して身 につけたであろう来 し方 に 向か う理想主義を基盤 とす る精神構造)とルーマニアの慣習か ら繰 り込 まれた意識、無意識構 造 は、重層 して、形態の個の再現性か ら非再現的な普遍の有様への創造世界へ と導いた。 この 理想主義的普遍性への探求 は、彫刻家 に、形態の表面的マチエールを消去 し、形態の純化へ と 進行 させた。 この形態の純化過程における精神基盤 は、はじめか ら固定概念を持 って しての事 ではな く、西欧的見地か らは未文明のルーマニアの片田舎か ら、パ リに定住 し、変動す る社会 構造 と、それに伴 う様 々な形での芸術運動の渦中において生活 し、普遍性 に向けて還元的制作 をす る中での理想主義 において、他の地域世界が内包 している宇宙真理のエレメン トを、 プラ

ンクーシ自身が内包 しなが ら、確立 (発)していつたのではないか。その結果、「空間の鳥」

は、未来派のウンベル ト・ ボッチオーニや ロシア構成主義のウラジミール・ タ トリン、 ダダの マルセル・ デュシャンが、アンチテーゼを持 って芸術の概念を見直させたのとは別の方法で、

 空間の鳥 (プロンガ

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ブランクーシに関する一考察

それ までの彫刻 の概念、認識 を変 え させ た と言 え る。

アメ リカ合衆国 とソビエ ト連邦共和国が冷戦状態の中、核戦争の不安があった。その当時、

核の脅威 に対す る、今 は亡 き鈴木大拙氏 と谷川徹三氏のテ レビ対談があった。哲学者谷川徹三 氏の「核のボタンは押 されますか。」の質問に対 し、鈴木大拙氏 は「人間 には、  宇宙的無意 "があるか ら、ボタンは押 さない。」③と言われた。鈴木大拙氏 は笑 っており、谷川徹三氏 は 納得 した表情 に見 られたという記憶がある。無意識層の下 にある宇宙的無意識、その対談風景

は忘れることが出来ない。

ブランクーシの彫刻に、 この様な世界の扉を感ずるのである。私には、  宇宙的無意識"の

確固たる認識 はもてない。 しか し、その様な世界を体感 したとしか思えない人達 は先達の思想 家、宗教家に見 いだせる。彫刻家 にあっては唯一、 ブランクーシがその様 に見える。

2。 木彫の世界

万物悉 く仏性あ りではないが、 ブランクーシの直彫 り彫刻をはじめた意味は、彫刻 における 個別性か ら普遍性を探求す る上での形態 に絶対性 (極限性)を求める事 と共に、素材の物質性 を求め示す事であった。木彫が始め られるのは1913年で、 ロダンの元を離れた時を起点 に して も6年が経過 している。その理由は、ルーマニア出身のブランクーシにとっては、ルーマ ニア時代の生活習慣の中で、木があまりに身近な素材であり過 ぎたせいであったと言える。逆 の言 い方をすれば、直彫 り彫刻を石か らはじめた訳 は、それまでのブランクー.シにとって経験 のない、初めて経験する彫刻素材であり、 ロダンのア トリエを出て、新たな理念を基 に創造 を 企てるには適材であったと言える。1913年 は、その意味で、 ブランクーシが押 し進 めよ う としたテーマの基礎が確保 された時 と一致 している。その上で、ブランクーシにとって最 も物 質性 と対話 しやすい木を素材 として、パ リに生 きるべき基盤探 しと理念 (思想的背景)を固 め る為の模索を木彫 に求めたといえるも(前拙稿で木彫の項を設 け、論 じたのであるが)ブ ラン クーシの思考の世界を重層的に見 ることが出来、 ブランクーシの考察の上で、欠かせないこと であるので改めて項を立て、木彫作品の中か ら三つほど取 り上げる。前記紹介 した、エ リック・

シェインズの論考 も比較検討 しなが ら述べたいと思 う。

a) 「魔女」

『呪術の ことを、ブ ランクァシは、ひどく生真面 目に考えていたと誰 もが語 っている。 おそ らく、ブランクァシが農民出身だったか らだろう。191.6年か ら24年の「女魔法使 い」 の 形態 は、 この木彫 りに使われたカエデ材が三又 に分かれていたことに由来 している。そのて っ ぺんの形状 は、まぎれもなく魔女のとんが り帽子を暗示 し、後方に突 き出された円筒形 は、魔 女の空中飛行をほのめか している。いつ ものように顔 には表情 はなぃが、素材 にあった節が作 品に組み込 まれ、それがすべてを見通す 目を暗示 しているのか もしれない。 ここで も容貌の特 徴 は、余計なものに思われる。 というの も、 きわめて緊張を要する事態であることが形態全体 で表現 されているか らである。 この頭部が据え られている台座の比較的平板な形態が、その上 部の斜めの面か らの水際立 って巧妙な転調 と、なっている。いくつ ものか くどの例外的な配分 と いう点で も、木の表現 と形態の可能性にたいする鋭敏さという点で も、:こ の「女魔法使い」は、

ブランクーシの もっとも創意溢れる木彫作品である。』ぁ (エ リック・ シェインズ

(12)

「魔女」あ るいは「女魔法使 い」 にたいす るエ リック 0シ ェイ ンズの考察であるが、形態論的 に細部 まで観察 し、述べてい る。

エ リック 0シ ェイ ンズはブランクーシをプラ トニズムを中心 に置 く作家であ ると説 く。彼 の説 によると、魔女 の彫刻構想 を持 った ブランクーが、三又 の木 を表現素材 と して選 び制作 を した事 にな る。 その形態 は、 とんが り帽子 と空中飛行 を具現 し、節 は、 すべ てをみ とおす 目を暗示 し、緊急 を要 す る事態 とい う物語性 を観 て いる。個体性 の再現的彫刻 と して解釈を下す。 しか し、ブランクー シは本 当にそ うい う見解 を持 っていたのであろ うか。 ブランクー シの彫刻 は、形態 の単純化が 目的で はな く、創造世界 の形態純化 によ って生 まれ る彫刻形態であ る。私 は三又 に分かれた木 により、

彼 は強 く木 の物質性 を感 じ、認 め、構想 が浮 かんだ作品 と理 解 す

る。三又 に分かれた木 を観察す ることで、 その中に木 の精霊 を感 じ、魔女 の構想 を持つ。 木 の 普遍性 と魔女 の本質 の追究 であ る。木 を磨 くことによ って、元 々三方 に枝分かれ していた木 の 空間 における絶対 的位置 (方向性)を与 え、強 く現れた木 目によ り、形態 の中に導線 を強 めて い る。「魔女」 は、 いたず ら好 きの、物語性 を含んだ魔女 で な く、森 の主 と しての精 、森 の精 霊 その ものである。

b)「アダム とイブ」

『 ブランクー シの性的 な ものにたいす る関心 は、1916年 か ら1921年 の「 アダム とイ ブ」 によ りはっきりとあ らわれている。 イブは、開 田部 のあ るス、たつ の球体 の組 み合 わせ で あ り、下 にあ る球体 は、 日唇 に も陰唇 に も似 て いる。 この芽体 を支 えている部分 は、単純 化 され てはいるが、 まぎれ もな く勃起 した男根 と睾丸 を再現 して いる。彫刻家 自身 は、 この作 品 につ いて次 のよ うに述 べている。「 イブは上部 であ り、 ア ダムは下部 だ。 イ ブの役割 は生 命 の持 続 とい う点 にあ る。彼女 は魅力的であ ると同時 に無垢 なのだ。 そ して肥沃 であ り、萌芽で あ り、

開花 なのであ る。 ア ダムは地下 に い る。 彼 は働 き、 汗 を流 す」。 イ ブ とア ダムを「 上 部」 と

「下部」 に分 けているブロ ックは、広、た りの融合 も象徴 しているのだ ろ う。 それ は、 イ ブの台 座 であ るばか りでな く、 アダムに とって はエ ンタブラチ ュアで もあるか らであ る。それゆえ、

ここで は、 ア ダムは、 カ リアテ ィー ドの人物 に もな ってい るQそ して、当然 の ことなが ら、 イ ブをア ダムの頭上 の台の上 に載 せ ることによ って、 ブランクー シは、女性が男性 にとって理想 とな りうることを語 って いる。彫刻家 はまた、 アダムには栗材、 イブにはオーク材 を使 用 す る ことによ って、応、た りの人格化 の相違 を強調 している。 エ ンタブラチ ュアの下 で、 アダム は、

まさに押 しひ しがれているよ うにみえ る。 その背面 のカー ブと正面 の鋸状 の形態が、圧縮 され てい るさまを効果的 に印象づ けるので あ る。 また、 この彫刻 を側面 か らみ ると、おのず と別 の 連想 が浮かんで くる。 この角度 か らみ ると、 イブはぶか っこうにお腹 をつ きだ した臨月間近 の 妊婦 の姿 のよ うにみえ る。最上部 の「芽体」 は、保護用の フー ドに似 てみえ る。 ブ ラ ンクー シ が、 この彫刻 を と くに横 か らみて もらいたか った ことは、 この視点 による写真 をみずか ら撮 っ ていることか らも半J明る。』∞(エ リック 0シ ェイ ンズ)

「 ア ダムとイブ」 に関す るエ リック・ シェイ ンズの作品評 であるが、 ここに も「魔女」 に見 られたよ うな鑑賞 の視点 が見 え る。 エ リック 。シェイ ンズの試 み は、 ブランクー シの残 した言

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ブランクーシに関する一考察

葉 を分析 し論 じることにあ る。 この評 の中 には、 ブランクー シの言 葉 も取 り入れて論 じているが、総意 を汲 み取 る前 に、言葉 の文 を取 って 基準 の決め付 けが強 いよ うであ る。 この作品 に関 してエ リック・ シェ イ ンズの一番 の問題 は、や は り、 ブランターシはプ ラ トニズムが基盤 にあ ると提唱す るが故 に考察点 を狂わ している点 にある。「 アダム」」

と「 イブ」の間 にあるブロックはェ ンタブラチュアであるとしている。

(彼は他の作品 において も最上部 の彫刻形態 の直 ぐ下 にあ るブロ ック を悉 くエ ンタブラチュアと呼んでいる。)そ の上 で、上 記 の説 明 にな る訳 であ り、「 アダムとイブ」 は我 々鑑賞者 の立 つ ベ ー ス と同 じにな るわけであ る。又、 ブランクー シ研究家 の多 くは、 ロダンに「 アダム」

と「 イブ」の別 々の作品が あ り、 ブランクーシは「 アダム」 と「 イブ」

を一体化 し、 ロダ ンに対す るア ンチテーゼがあると論 じている。 ロダ ンを含 め、再現的彫刻全 てに対 して、「 ビフテキ」 と呼んだブランクー

シであ るが、 ロダンは人間の尺度 に彫刻 を引 きず り降 ろ した彫刻家 として、 ロダンに最後 まで 敬意 を表 したの もブランクーシである:「アダムとイブ」 は、個別性か ら普遍化 とい う彫刻世 界の指 向性 を持 った ブランクー シ故 に創 り得 たのであ る。要素 の合体 はあ って も、全体か ら要 素 だけを抽 出 し、分析 を行 う様 な もので はない。 ブランクーシの言葉 をそのまま素直 に解 釈 す れば「 アダム」 は、地下 にいる。「 アダム」」 と「 イブ」の間 にあるブロックは地表 (地)を

顕 わす。そのまま素直 に理解すべ き作品で ある。 ブランクー シの展覧 における構成 は、視線 の 重視 と共 に、 この ブロ ックが、彫刻世界 を解 く鍵 に もな っている。 ブロ ックはブランクー シの 彫刻 の創造世界 のベースにな ってお り、 それ故 に、台座 を払拭 した彫刻家 と言 え るので あ る。

飛翔 の本質 とい う言葉 によ って、上昇 の意識 を強 くしが ちであ るが、「 ア ダム とイ ブ」 によ っ て、地下 にまで世界 を育 むのである。今回 は論 じないが「 ペ ンギ ン」、「 アザ ラシ」 とい うよ う な作品 を含 めて考察すれば、三界の世界を見つめて制作 しているということになる。ニューヨー クの グ ッゲ ンハ イム美術館 で見 た この作品 は、解釈を求 めて何度 も引 き寄せ る不思議 な、 リズ ムを感 じさせ る彫刻である。

C)「ソクラテスのカップ」

木彫の中で、 ブランクーシ研究家がよく論 じる「 ソクラ テスのカップ」 という作品がある。プラ トンの対話篇をよ く読んだ形跡があるという観点 と作品の タイ トルか らか、

ソクラテスに導かれた世界の象徴 として捉え られる趣 きが 強い。 しか し、革命的芸術運動 (以前か ら続 く芸術様態 に 対す るアンチテーゼの立場)の真 っ直中にいて、ブランクー シは、そのアンチテーゼの立場をとったりすることもなく、

又、アフリカ彫刻の影響 ―  彼 に とって都合の良 い も

のを利用 したり、模倣 したりするのではな く、アフ リカ彫刻の世界を自分の求める世界 と平行 す る、同 じ目を持つ ものとして同 レベルで捉える意味での影響 ― を受 けなが ら、彼の存在 す る時代認識を持 って時代の中に生 き、彫刻の世界を展開 していった事を見ても解 るように、

プラ トニズム的思考で制作を したと考えるのは無理があろう。「眠れる ミューズ」、「 レダ」 の

 ソクラテスのカ ップ

 アダムとイブ

参照

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