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中 村 賢 二 郎   

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(1)

中 村 賢 二 郎   

ソヴェト労働法にかんする文献は︑今日わが国でもその他のソグ工卜法部門にくらぺて比較的多く参考にするこ  

︵註1︶  

とができる︒とり√わけソヴュト労働協約についてほ︑現行の労働法典がネップの第姦階に労働協約岩岳e彗崇胃  

監竜○望pを基軸として編第されたものであるという歴史的な理由もあって︑特に興味ある研究対象にされ︑す  

︵訳∩一︶ でに藤田勇助教授の﹁ソヴ註−卜労働協約論﹂ ﹁ソ同盟の団体協約﹂などにみられる注目すべき研究成果もある︒   

しかしこの場合においてもその多くが前掲論文のような学説史的視点からの考察であったり︑協約制度の歴史的   変質過程の研究や現行制度の概説であって︑その各発展段階における実際の慣行や個々のデータを素材とした個別   的な実証的研究でほない︒後者の場合でも現行制度を知るために協約制度の歴史的考察の起点をおもにネップ期に  

ぉいた文献がはとんどである︒′それほネップ前期に成立した一九二二年の現行労働法典のもとで労働協約が労働条   件の改善による労働者の階級的利益の擁護︑労働力の社会主義的組織化︑特に私企巣における資本主義的要素との   斗争のために特にきわめて重要な法的機能をほたし︑同時にまたその過程で当時の協約が国家権力の発布する諸法  

規とならんで︑これを補足す古かたちで山つの法源としての意義−すなわち労働協約が不特定多数の個別的労働   契約にたいして一般的拘束力をもつ法的命題を設定したという意味でーをもつことによって労働協約の規範的性   

初期のソグェlr労働協約   ︵五九︶ 五九    初期のウヴュト労働協約  

!戦時共産主義期まで!  

OLIVE 香川大学学術情報リポジトリ

(2)

︵六〇︶  六〇   琴一手二巻 第山号   格がこの時期において特に前面におしだされたことなどソヴェート労働法制史上割期的な時期であったからでもあ   

︵籠8︶ る︒   

しかし︑こ・のことはネップ以前︑すなわち山○月革命遂行期から戦時共産主萬期にかけての労働協約の意義を  

軽視するものであってはならない︒なぜなら革命直後において搾取階級の抑圧と社会主義土台建設のための強力な  

武器の一つとして当時労働協約のはたした政治的・社会的機能が︑帝国主義諸国の軍事的干渉とそれに呼応してお  

こった国内戦によって︑ソヴチト権力がとるととをよぎなくされた瓜連の戦時共産主義政策のもとでのきわめて中  

央集権的な労働対策に.よ・って若干代行され︑やがてその本来的な機能が阻止される結果になったとはいえ︑それに ︵深4︶   も拘らず山○月革命直後の困難な政治状況のなかでそれはきわめて重要な法的機能をほたしていたからである︒ソ  

ヴュト労働協約ほ︑ネップ期においてはじめて搾取階級の抑圧︑労働者の階級的利益の擁護︑労働力の社会主義的  

な組織化︑労働の生産性向上のための機能をほじめたのではなかった︒それは︑ソヴヱト権力の樹立の時からその  

形成過程のなかで成立︑発展し︑プロレタリア権力におねされた当面の課題の遂行に奉仕していたのである︒ ︵証5︶   

これについて最近﹁ソグ£−卜国家と法﹂誌上に発表されたゲ・カ・モスカレンコの研究メモほ︑こういった問題  

にかんする資料のきわめてとぼしい今日︑注目されてよい文献ではないだろうか︒本稿ほこのメモを素材にして戦  

時共産主義期までに行われていた労働協約の慣行とその実態の調査なとおして︑この段階における労働協約の法的  

性格についていくつノかの問題点の分析を試みたものである︒  

タ    ソヴュト国家ほ︑▼その発展の第山段階からすでに国内の搾取階級の抑圧と外国軍の攻撃の防禦という基本的な課   題をおわされていたのであって︑とりわけ私企業︑で特質労働の搾取を制限すること︑国有化された企業では労働の  

(3)

社会主義的組織な強化することに主力をそそいだ︒このような課題は︑ソプチ卜最初の労働法典が採択された山九  

山八年末までに多く採用された以下述べるような特殊な労働協約締結方式の援助によって解決された︒革命直後の  

ソヴュト権力のもとで締結された初期の労働協約は︑まず何よりも二〇月革命の遂行と密接な内的関連をもって  

おり︑かつそれによってその法的機能も孝た規制されていたということを忘れてはならない︒   

プロレタリアート独裁の樹立という労働者階級の政治的勝利によるところの未曽有の革命的たかまりのもとで︑  

一九一七年一山月〜血二月にはイワノフ紡績工・モスクワ製革エその他のストライキが成功裡に終ったが︑この場  

合工場経営者や企業主は企業が国有化されることを恐れて労働協約にもられた労働者の要求事項に同意している︒  

経営主がその労働解合の作成した労働協約の調印な拒否した場合には︑その協約は労働人民委員ぎp暑膏鼓﹂賀豊  

CC眉眉竃p がそれを確認することによって国家権力機関が発する周範的法令と同じような義務的効力をもった  

のである︒   

たとえば︑山九仙七年山︑二月七日付の労働人民委員ゐ決定によって︑屋敷番・玄関番のストライキ山掃にかんす  

る紛争委員会が作成したぺトロダラード屋敷番・玄関番組合と住宅委員会および家主の中央連盟との間の協定が確  

認された︒この協定の内容ほ︑屋敷番・玄関番の俸給額その他の労働条件を規定したものであったが︑との人民委  

︵錐6︶  

員の決定は︑.協定が郊外をのぞきぺトロダラードの全家主を義務付けるものであると布告した︒当協定は︑労働人  

民委員という国家権力機関の確認後鵬九山七年一二月七日付で規範的法冷となった︒国家機関による労働協約の確  

認というこのような法的形態は︑最初は労組の作成した協定の承認を拒否する経営主のサボタージにたいする斗争  

手段として生れたのであるが︑そのど国家の管理下で労働条件を設定する場合に採用されるようになった︒国家機  

関が裁可すること′によって︑協約に義務的効力をもねせるというこの独特の協約の締結方式によって︑一九山七年  

︵六一︶  六副   

初期のソヴヱト労働協約  

OLIVE 香川大学学術情報リポジトリ

(4)

第三十二巻第叫号  ︷六二︶  六二  

一一・月から一九山八年二月にかけて総計六六件の労働協約が締結されたが事実はこれよりももっと多数であったと  

報告されている︒  

一九山八年三月に屈辱的なプレスト・リトクスク条約を受諾して︑ソヴェト国家ほツアーが無謀にはじめた戦争  

からやっと足をぬぐうことができた︒この講和条約締結後の一九一八年春から社会主義建設の新段階への移行︑﹁  

搾取者の搾取から﹂獲得した勝利の組織的な強化へ︑すなわちプbレタリア国家権力の強化と経済の安定化の諸政  

策をソヴヱト権力は強力に推進させた︒当時レ一両;は︑国内の生産力を復興させ︑社会主義の原理にもとづいて   ′  

仝経済生活を再建するために︑このあたえられた仙時的な休戦期を最大限に利用する必要を力説している︒   

講和締結後のこの小憩の時期に︑経済生活がいくらか活気づくにつれて労働協約件数も増加し︑劇丸山八咋三月  

〜六月の間に二ハ一件をかぞえ︑それほすぐ前の四ケ月間よりも九五件も多くなっている︒当時はいまだに︑国内  

に種々様々な経済ククラードが残存していて︑大規模な企業がまだ国有化されていない時期であったから︑その大  

︵註ナ︶  

部分は︑おもに︑多数をしめていた私企業で締結されたものである︒この時期に締結された協約の実例を次k二・  

三引用してみよう︒   

H 全ロジャ裁縫労務者労働観合ぺトログラード支部ほ労働協約を作成︑山九山八年五月一四日にはぺトログラ  

︵証8︶  

−ド労働組合協議会付属の賃金委員会がそれを採択した︒この協約の有効期間ほ二九仙八年九月一日までであり︑  

それは﹁ぺトログl㌢−ド市の仝裁縫企業に﹂適用され︵同協約四条︶︑この協約規定にていしょくするあらゆる協定  

は無効とされた︵五条︶︒同協約はまた一九一七年山○月二九日件の決定﹁入時間労働日について﹂を補足するかた  

ちで︑夜間労働ほ七時間制︑精神労働者の昼間労働は六時間制・夜間労働ほ五時間制といった短縮労働日を設定し   

(5)

/  

た︵山○条︶︒時間外労働は特別の場合しか許可されず︑普通賃金の倍額を支払うことになっていた ︵ニュ条二項  

註︶︒雇傭は︑裁縫労働組合員のなかから︑﹁工場委員会・代表委員または職場労働者の多数の同意によって﹂管理  

部が行い︵脚九条︶︑管理部は新採用の各労働者に労働協約を印刷した賃金簿を交付した︵二二条︶︒同協約はまた︑  

定員縮少・企業整備・刑法的性格の微罪∵労組が設定した労働協約.・労働規律の不履行などの法律に軋ない解雇条  

件を列挙している︵二三条︶︒企業整備・定員縮少による解雇の場合は︑当人に二週間前に予告するはか︑一ケ月の  

賃金に相当する解雇手当を支払ケこと︵三ハ条︶1裁縫労務者は月給制であり︵七二条︶︑賃金には男女の差別をつけ ■  

ないこと︵七四条︶などを規定していた︒   

目 モスクワ食品製造労務者労働組合ほ︑食品企業経営者と山連の労働協約を締結七た︒有効期間六ケ月︑一九  

︵鑑9︶  

一八年四月山日発効のビール工場経営者との間に結ばれた協約の第一条は︑組合・経営者相互の関係ほすべて合意  

のうえでこれを行うことを強調している︒各企業に発生する争議解決のための評価・・調停警貝会は︑労資の代表が  

﹁その数にかかわりなく︑平等な権利にもとづいて﹂構成された︵一条︶︒工場経営者は労働組合点からしか採用で  

きないという完全なクローズド・ショップ制がとられ︵四条︶︑労務者のせめに上る解雇といえども労資調停委員室  

の決定により厳重に限られた理由によってしか許されなかった︒また企業縮少あるいは企巣整備による解雇の場合  

には︑これを二週間前に当人に予告し︑実務期間によって定め′られる額の解雇手当窒父付しなければならない︒た  

とえば︑実務期間副○ケ月までは一ケ月︑五年以上は三ケ月︵九条︶︒貸金控除や罰金ほ禁止され︵山九条︶︑ま空ハ  

ケ月実務の労働者ほ二週間の有給休暇︑山年以上のものには一ケ月の有給休暇がもらえた︵二二条︶︒   

日 日︑臼のぺトログラード・モスクワの例と同じようなことが地方のエ業中心地にもみられる︒たとえば︑山九  

︵注iO︶ 一八年三月に建築労務者労働組合はデュル市およびチエル県請負業者達盟と六ケ月の期限で労働協約を締結した︒  

︵六三︶  六三    初期のソヴェト労働協約  

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(6)

労働法典がまだなかったこのようなソヴュト国家の発展段階でほ︑労働条件を規制する主要な法形式としてほ労  

働協約以外には庵かったのであるが︑⊥九仙八年七月二日何の人民警貝会議の決定は︑はじめて﹁労働協約確認手  

︵髄11︶  

続にかんする規則﹂を確認した︒この決定ほ︑虜働条件規制形態としての労働協約に法律上の効力を認めたばかり  

でなく︑その内容を詳細に規定した最祝の法律であ′った︒この規則ほ︑すでにその頃慣行として実際に行われてい  

た労働協約の法的構成手続を規定した滝のである︒当時︑完全な労働立法がないため雇備・転任・解雇・賃金・労  

働保護等々といった多くの個別的な労働問題が︑労働隊約によって親刺されていたので︑特に搾取と剰余労働を収  

奪していた私企業ではこの協約内容にた・いする厳重な監督を国家ほ要求した︒また労傲協約をたんに登録するたけ  

ではなく︑協約の締結における従来の慣行をみとめ・て︑労働人民委員部やそ虻地方機関が協約をかならず確認する  

ようにした︒    ある︒   第三十こ巻 第言了   二ハ四︶  六四  

雇傭・解雇にたいする労務者管理は次のようにきわめてほっきりとした方式で行われた︒その協約の第二条は︑﹁労 +  

務者の雇傭は労働組合を通してしか行ゎない︒デュル市およびチエル県建築労務者労働組合員のみを採用する﹂︒  

第三条は︑﹁労務者の雇傭・解雇ほ企業主が行うが︑労働組合委員会および代表委員の同意と承認なしにほこれを  

行えない﹂と︒第四条は時間外労働ほ特殊な場合しか許されず︑五割増し賃金が支給されると規定している︒労働  

者のせめによらない原因にもとづく空過の場合には︑最低生活費が保障された︒この協約は︑労資双方の署名後テ  

ユル労働人民委員によ/つて確認されている︒   

以上が一九一人年のプレスト講和条約締結後の仙時的な休戦期に実際に締結された労働協約の慣行内容の山例で  

(7)

かくして労働人民委員部などの国家機関が協約の各条文をあらゆる角度から審査し確認した後︑はじめてそれは  

法的効力をもつという方式が公的に確立した︒それ故︑この時期の労働協約ほ︑その法的性格において規範的法令  

であった︒労働協約の基礎には︑原則として一応は両当事者の同意が存在していたけれども︑労組の提案した協約  

を企業主が拒否するか︑▼あるいは交渉にあたって意見がくいちがった場合にほ︑当該労働人民委員部がこの協約を  

確認し︑企業主の同意にかかわりなくそれに義務的効力を付与することができた︵仰九山八年七月二日付の同規則  

六条︶︒労働協約を合液化し誓﹂の規則によって︑との特異な協約締結方式を実際に広く適用すそ﹂とが法的に可  

能叱なった︒事実このために︑締結された協約件数も増加し︑七月に三七件︑八月に五七件︑九月にほ−九七件︑  

山九劇八年の下半期の総数ほ上半期の二〇五件にたいして実に一三ハ山件をかぞえ︑るはどになった︒  

︵詰12︶   

山九劃八年六月二八日 

︵誰ほ︶  

め︑山九山八年八月三二日成は国有化された企業数は三〇〇〇以上をこえるようになった︒この指令によって︑国  

儀経済の最も重要な轍制高地︵土地・銀行・商船隊・鉄道・外国貿易・大規模産業︶および鉱業・冶金・機械・紡  

線・製革・製糖その他のエ業部門などのきわめて重要な企業は血切ソヴュト国家の手に集中した︒   

産業およびその他の国民経済部門の国有化とソヴュト国家機構の強化・発展につれて国営企業・施設で労働協約  

が多数むすぼれるようになった︒これらの協約ほ私企業でのそれとは︑ほっきりとちがっていた︒私企業での労働  

協約は︑国内の資本家階級の抑圧という社会主義国家の機能′に照応して︑労働者の賃金やその他の物質的な保障の  

水準をたかめ︑あらゆる手段をもちいて労働を保護することによって資本主義的搾取を抑圧することを目的として  

いた︒したがって︑賃金率を最大限可能なかぎりあげ﹁時間外労働・空過・解雇等々にさいして高額の金銭的補償  

をするとか︑雇傭や解雇にほ労働者側の監督を強化するといった要求がこの協約のおもな内容をなしていた︒これ  

︵六五︶  六五    初期のソグヱト労働協約  

OLIVE 香川大学学術情報リポジトリ

(8)

一九仙八年の下半期になると国営企業や施設の労働協約は︑全ソ同盟労働組合中央評議会如月Cコ○の特別委員  

会が作成し︑労働人民委員部が確認した模範的労働協約眉旨ep胃註∴芦岩e胃鷲宮印篭3誓p にもとづいて締 ︵注14︶   治されるようになった︒この協約を特徴付ける主要な条項を次に簡単に列挙してみる︒   

まず︑模範的労働協約ほ︑ロジャ共和国の全領域および最高国良疲済会議と全露中央執行委員会の管轄下にあり  

その管理下にある全企業・施設に適用される︵二条︶︒この協約の有効期間ほ山九山八年九月一日から四カ月間で︑  

国営企業・施設の管理機関とそこにおける全労働者の双方を義務付け︵三条︶ることによって協約の双務性が強調  

されている︒労働者の雇傭は︑職業紹介所をとおして︑製作所︒工場委員会またほその他のそれ常相当する機関の  

参加のもとで︑企業および施設の管理部によって︑一定期間もしくは一定作業の遂行期間中に行われる︵六条︶︒  

新採用者はすべて当該労組と管理部の同数からなる代表者の合同委員会によ′って技能および適性検査が行われる︒  

この試用期間は労働者の場合望ハ日間︑勤務員の場合は二週間をこえてほならない︵八条︶︒解雇は企業整備・定   

_  

第三十二巻 第仙骨   ︵六六︶  六六  

にたいして︑国営企業や施設の労働協約ほ︑社会主義国家のいわゆる経済的・組織的および文化・教育的機能に対  

応して︑社会主義的労働組織の強化発展と労働者の物質的な文化生活卜の需要の充足を狙っていた︒この協約の内  

容は︑その発展の常山段階からすでに社会主義的出来高払制の導入・労働規律の強化・労働時間の生産的な利用・  

生産高と賃金の均等化・労働および生活条件の改善を義務付けていた︒このように協約にもられた労働者の要求  

の水準は︑その協約が締結されるの.が私企業であるか︑国営企業であるかによってことなっていた︒私企業か国営  

企業かという企業の性質によって労働法規範を区別して適用する発端はこのようにしてはじめられた︒この方針ほ  

そのご一連の法令︑特に仙九二二年の労働洛典などにもみられる︒  

(9)

員縮少・労働協約違反・内部管理規則違反・本人の希望・労働不適格以外には許されない︵一〇条︶︒生産労働者  

および補助労働者にはすぺて八時間労働日が設定され︑管理・行政その他の労務者の労働日は六時間に制限された  

︵山三条・一四条︶︒半年間勤続して労働した労働者には二週間︑その他のものにほ年に一ケ月の有給休暇があた  

えられる︵山九粂︶︒休暇期間の賃金は前払いされた︒また模範的労働協約は︑必要な最低生活費︑職稟イの技術︑  

仕事の複雑性と精密度︑労働条件の困難性︑および仕事の危険度などの要するに一般的生産体系のなかでのその工  

業部門の地位を考慮して作られた新しい賃金率を設定した︵二つ条・二一条︶︒畳質ともに男子と同等な労働をし  

ている女子労働者には︑彼らと同じ賃金が支払われた︵二三条︶︒企業または個々の職場が一時作業休止した場合︑  

転職しない労働者にはその空過時間にたいして最初の二週間は賃金の三分の二︑それ以上の空過時間については二  

分の鵬の賃金を支払うことを規定していた ︵山二条︶︒   

生産性向上︑労働観織の改善︑労働規律の強化についてソヴヱト国家と労組がどのように配慮していたかという  

ことは︑以上のような協約の多くの条文や︑またそれに付け加えられた内部管理規則にあらわれている︒ま允︑山  

走の賃金保証をうけた労働者は︑それに相当する一定の労働量を保証し︑評価委員会が制定し労組が確認した生産  

高ノルマを完遂する義務のあることをこの協約の二四条ほ特に強調している︒内部管理規則ほ︑労働者が自己の労  

働義務を正確に遂行し︑労働を秩序付け︑組織化し︑労働時間を生産的に利用するよう要求している︒また労働の  

遅延や労働時間中に会議をひらくことは絶対に禁止している︒   

レーニンは︑経済部門における最も重要な課題は︑生産および生産物の分配にたいする厳重かつ日常的な計算と  

管理の実施︑および労働者の自律化と労働の生産性の向上であると考えていた︒すなわち︑彼ほ﹁ソグェト権力の  

当面の任務﹂のなかで次のようにのぺている︒﹁金銭勘定を正確に誠実にせよ︑節約して経営をおこなえ︑怠ける  

︵六七︶  六七    初期のジグヱト労働協約  

OLIVE 香川大学学術情報リポジトリ

(10)

革命直後に締結された労働協約の内容を詳細に分析してみると︑すでにそこにはそのごのソヴェト労働法のあら  

ゆる基本的な原型が塑牙的に現われていることとがわかる︒その当時の協約には︑雇僻事続︑特に当人が事務系に  

適しているや否やを検査するための予備試験︑転職条件︑解雇理由︑労働者のせめによらない解雇の際の解雇手当  

にかんする規定などがすでにあった︒労働協約中の労働時間にかんする茸には︑﹁九仙七年項○月二九日何の決定  

﹁入時間労働日について﹂の主要な条項が再録されているはか夜間労働ほ七時間制︑勤務員ほ六時間労働制︑時間  

外賃金などのもろもろの重要な規定があった︒一九山八年六月仙四日何の人民委員会議の決定﹁休暇について﹂の  

公布まえからすでに多くの労働協約には年二組の童給休暇をとる権利が保証されていた︒時間給・出来高姶の賃金  

体系︑各種労働者の賃率︑.性別・年令・人種・民族にかかわらない同山労働同賃金の原則︑出来高ノルマ︑罰金  

・控除からの賃金保障などの賃金問題ほ︑労働協約できめられていた︒また衛生上の労働条件︑女子労働者・未成  

年者の特典の規定もあった︒とりわけ国営企業・施設の協約では︑労働規律の強化・労働生産性の保障にかんする  

いろいろな措置が特に注意されている︒協約を実施するさいに発生する紛争の特別審理機関︵評価・合同その他の  

委員会および製作所・工場委員会︶ の構成について大抵の協約が規定していた︒   

山九山八年二山月山○日に最初のソヴュト労働法典が公布された︒その内容は︑ソヴヱト政権の最初の年に発令    第三十二巻 第一号   二ハ八︶  六八  

な︑盗みをするな︑労働規律を厳重にまもれ ー はかならぬこういうスローガンは︑かつてブルジョア汐−がこう  

いう言葉で搾取階級としての自分の支配をおおいかくしていた時代にほ︑革命的労働者から正当にも二実に付さ  

れていた︒しかしブルジョアジーが打倒された現在では︑現時機の当面の主要なスローガンとなりつつあるのであ  

︵詳lS︶  

る﹂ここに指摘された彼の思想は実ほ上述の模範労働協約のなかに具体化されたのでほなかろうか︒  

(11)

になったもろもろの労働立法︵八時間労働日・労働義務・労働監督・休暇︶を総括しただけでほなく︑労働協約の  

慣行によって作られた労働法制をも収集している︒したがって︑この法典の条項は︑このような慣行から借りてき  

たものが多い︒    たとえば︑法典三二条は雇傭のさいの予備試験制を規定してこの試用期間は労働者ほ六日間︑半熟練工ほ山二日  

間︑熟練工および昔任工は¶ケ月以上をこえてはならないとしている︒これは再雇傭者の試用期間を︑労働者は六  

日︑勤務員蜂二週間にすると全ゾ同盟労働組合中央評議会の模範労働協約八粂やその他の山連の労働協約が規定し  

ていたのに準じている︒同じく︑法典第四六条に列挙の解雇理由は︑全露裁縫労務者労働組合ぺトログラ﹂ド支部  

の労働協約二三条および全ソ同盟労働組合中央評議会の模範労働協約6条その他に規定していたものである︒ま  

た法典五九条は賃金率の額決定のさいに考慮される労働の性質︵労働の困難性・︑労働条件の危険率・複雑性・精密  

度その他︶の規定であるが︑これは金属労働者のすべての労働協約や全ソ同盟労働組合中央評議会の模範労働協約  

二〇条二二鳥茅の他に規定していたものセある︒労働法典第六九条は︑﹁その方式・理由の如何にか\かわらず﹂  

賃金控除を禁止した規定であるが︑これもモスクワ・ビール工場経営者との協約の山九条に規定していたもの︒  

山九一七年一〇月二九日付の決定﹁八時間労働日について﹂の公布後は︑はとんどの労働協約が夜間労働時間を七  

時間に制限したが︵例えば北部工業地区繊維産業労働観合の協約九条︶︑この法規はやがて法典八四条にうけつが  

れた︒所定の生産高ノルマの完遂︵一品条︶︑不誠実な労働熊度による解雇︵二九条︶などの規定は︑特に国  

営企業の協約︵全ソ同盟労働組合中央評議会の模範労働協約二四条︶その他多くの協約にもすでに書かれていたも  

のである︒このような比較対照は法典のその他の条項でもすることができるが︑ともかく革命直後の労働協約規  

範と一九一八年のこの法典とがどのように密接な関係にあるかをしめす実例としては以上で十分理解できると思  

︵六九︶  六九    初期のノブチト労働協約  

OLIVE 香川大学学術情報リポジトリ

(12)

山九一八年三月に屈辱的なブレスト︑・‖ノー﹁クスク条約を受諾してやっとえられた山時的な休戦は︑はやくも同年  

六月帝国主義諸国の干渉戦によってその夢はやぶられた︒・ソヴェ▼卜権力ほその困難な政治的状況のもとで︑生れた  

ばかりの社会主義権力の防衛のために戦時統制政策嘉二時的に実施すること叡よぎなくされた︒一九山八年のこの  

労働法典転︑この外国軍の軍事的干渉と国内戦の時期 − 戦時共産主義期﹂に採択されたものである︒したが・つ  

て︑  た︒たとえば全般的義務労働制などはその典型である︒仙九一八年九月二日付の全霧中央執行委員会の指令は国内  

が戦線であること皇旦言して一連の戦時共産主義政策が強行された︒経済生活は一切戦時体制に細かえられ︑それ  

に従属化した︒工業の国有化ほ︑ほじめ大企業および基本的部門だけを国有化し︑組織的な準備ののち漸次中小企  

業部門にも及ぶという方針がとられていたが︑戦争遂行の必要上急速に中小企業をも含む金工業の国有化方針に転  

換し︑その他の小企業も国家統制をうけるようになった︒   

このことは︑労働部門においても労働条件の労働協約によらない中央集権的な規制方式・賃金の現物化・社会保  

険の社会保障への切替という型であらわれた︒この時期におけるソヴヱト政権の経済政策のもっとも重要かつ緊急  

な実践的課題は︑生産手段を最大限に利用するために全産業にたいして国家統制を渉透させ国民経済の管理を集中  

化し︑労働の生産性を向上させ︑工業製品を軍隊や農村に補給する東海に国家の手に集中化することであった︒こ  

のような政策がこの時期の労働規制の法的諸形態をもまた規定した︒かくの如き国民経済管理の中央集権化と私企  

業の国有化のもとで︑労働関係の契約的規制方式が規範的なものに変っていったのである︒しかしこの変化は︑色   

萬ノ0  

琴一山十二巻 第ご号   ︵七〇︶  七〇  

(13)

々論ぜられているように国内戦の勃発ど急激に行なわれたものではなく︑当時の経済的状況の変化の過程のもと  

で︑国内の反革命勢力と 

労組と経営主の協定により採択された種々様々な内容の賃金条項をもった労働協約が︑労働人民委員部の指令・  

決定や全ロジャ産業別労働組合および金岡盟労働組合中央評議会の一方的な賃金条項による労働規制にとってかわ  

ったのほ山九一九年になってからである︒一九一九年二月には労働協約の締結件数は六二件であったのに︑九月に  

はたった七件にへった︒反対に︑山方的な賃金条項の数は急増し︑一九二九年末にはその補足も加えると二五二件  

︵詳16︶  

になった︒   

山九一九年五月一日にほ﹁賃率にかんする叫般規則﹂が公布されたが︑同規則ほ企業・施設の労働条件の総額を  

あらかじめ規定していたのでこの点について協議の余地がのこされていなかった︒そのため同規則発効後は︑劃九  

山八年七月二日付の指令﹁労働協約確認手続にかんする規則﹂が正式に廃止になったわけではないのに︑労働協約  

はその実質的意味を失い︑次第に姿をぼっしてしまった︒ある研究者のいうごセく﹁賃率協約は賃率指令に変化し  

︵饉17︶  

た﹂ のである︒山九山九年の下草瓢になると︑協約締結件数は︑はとんど稀になった︵七月には一件︑九月には  

七件︶︒   

ソヴ‡ト労働協約の発展の第一段階は︑以上のようにして終った︒この時期のあらゆる労働協約の一般的特色と  

は何か︒それほ︑この段階における協約がその法的性質において規範的法令であったということ︑また当時労働関  

係を規制する基本的塑態としてもっとも重要な法源であったばかりではなく︑この協約慣行の土台のうえにきずか  

れたソヴュト労働立法の生々しい源泉として大きな役割をしたということである︒すなわち︑この時期に協約締結  

の過程で作られた労働法規範ほ︑︑山九叫八年の労働怯典︑山九劃九年の賃金にかんする仙般規則および仙九二〇年  

︵七一︶  七劃    初期のソヴェー﹁労働協約  

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(14)

︵註1︶ソヴュト労働法にかんする日本の文献中特に︑労働協約にふれたものを次にあげる︒   

○畑中政審・吉良勝共著﹁ソヴェトの労働1し社会主義国家における法の実態11﹂昭和二五年山一月︑日本評論社発行︑七五  

貢以下  

○金岡盟法律学研究所編︑山之内劇郎訳﹁ソグヱト労働法﹂上巻︑昭和二九年一〇月︑厳松告発行︑山二八頁︑一三六頁︑二四  

〇貴以下   

○ソ同盟科学アカデ︑︑︑−法研究所編︑藤田勇訳﹁国家と法の理論﹂下巻︑昭和二九年二月︑巌松堂発行︑二九二トニ九三巧   

○山之内一郎著﹁社会主義国家の法﹂下巻︑山九五〇年山二月︑東大協同組合出版部発行︑三〇三日以下   

○国立国会図書館調査立法考査局編﹁各国労働法別の概観﹂所収の和田敏雄﹁ソ連労働法制の概僻﹂一五〇頁以下︑昭和二七年  

三月︑調立質料A五   

〇政治経済融究所編﹁ソ連労働法の研究﹂昭和二四年六月︑野村書店発行 四二雷以下   

○自ソ親善協会編﹁社会主義社会の労働と賃金﹂所収の山之内仙郎﹁ソヴュトの労働法規﹂ 山七三員以下 叫九五〇年山月 ナ  

ウカ社発行   

○ハロルド・パーマン 明山和夫訳﹁ソヴェト法制度論﹂昭和三二年九月 朋文杜発行二五三貢以下   

0﹁現代社会主義講座﹂第四巻︵社会主義の理論と現状︶所収の秦正流﹁労働観合﹂昭和三山年七月 東洋経済新報社発行 三  

山二頁以下   

○ルドルフ・シュレジンガー長谷川正安訳﹁ソヴュト法理論−その社会的背景と発展−﹂上巻一九五山在∵○月 みすず書  

房発行一〇〇頁以下︑一六七貢以下   

○胡麻本常山著﹁ソグヱト民法・労働法﹂昭和二四年山二月 法律文化社発行 九二雷以下    第三十二巻憩γ号  

の一般賃率規則のなかに法的な表現をとおして実を結んだのである︒   ︵七二︶  七二  

(15)

○竹原良文著﹁ソ同盟の労働政策と社会保障﹂一九四九年五月 真理社発行 三三貢   

○佐々木正制著﹁ソ連労働者の生活−ソ連労働法を中心として−﹂昭和三三年 日刊労働通信社発行 三二頁以下   

O﹁ソ同明血共産党軍二〇回大会﹂第一ノ分冊︑一九五六年三月︑合同出版社発行︑一五九頁  

○内閣総理大臣官房調査室編﹁ソヴュト年鑑﹂ 劇九五五年度版 三七八膏以下   

○末川博著﹁ソヴュー﹁ロジャの民法と労働法﹂大正一五年一〇月 改造祉発行 七一斉以下︑一三八頁以下   

○ソ同盟大使館編﹁ソヴュートの労働離合﹂一九五八年九月発行   

O﹁ソ連の労働組合制度﹂日本ILO協会編   

○マグロウ云キ1編 山之内山郎訳﹁サブヱト法論﹂第三巻 昭和六年 希望閣 四五頁以下  

なお︑協約制度の歴史的分析ほ当時期のソグェl﹁労働連動史の研究を背景になされなければならないが︑日本の文献としては   

○ロゾクスキー著・鈴木安蔵訳﹁変革期紅於けるロジャ労働組合運動−党・労働観合・工場苧貝会ならび紅ソヴュト1﹂昭和  

二年迂遠交閣発行   

○マルコフ著・山下竜三訳﹁ソグ‡−﹁労働組合運動史﹂上・下山九五五年五月︑青木書店発行  

︷註2︶ソヴユL﹁研究者協会編﹁社会科学の諸問題﹂第三集一九五五年三月 大月苔店発行◇日本労働法学会編﹁労働法講座﹂第   

七巻下 一九五九年五月 有斐閣発行 二山九三貫以下  

︵註3二九五七年レニングラード大学出版所発行の ﹁ソグェト法の四〇年﹂第一迭の労働法の茸宝ハ固執饗したエフ・芸・レ   

ダイアントとア・エス・パγコフほ︑そのなかでネップ期の労働協約の法的性質を次のようにのぺている︒﹁ネップに移行する   

紅つれて︑労働関係の協約的な規制方式が鱒鱒普及した︒食粒徴発制から食糧現物税への移行︑企業の独立採算制への転化︑   

労働義務制の擬止と契約による労働誘致方式の採用によって︑わが国の労働協約の発展の諸条件がつくり出された︒一九二二年   

八月二三日払ロシア・ソヴエト連邦社会主義共和国人民委員会議は指令買働協約について.鵬を公布したが︑やがてそれ牲山九  

初期のソヴュト労働協約   ︵七三︶  七三  

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(16)

/  

二二年の労働法典第四茸皐琴−−二六条に取入れられることになった︒山九二二年労働法典第一五条ほ︑労働協約とほ〟方労  

働者および勤務員を代表する労働組合と他方雇傭者との間に締結される協定であり︑個々の企挙施設および経営もしくほその連  

合のための労働・雇傭条件を定め︑かつ将来の個人的雇傭︵労働︶契約の内容を決定するものである︑と規定している︒この規  

定ほ︑個々の労働協約の締結のさいの義務的規範を設定する労働協約の規範的性格をはっきりと強調したものである︒協約中の  

規範的条項は︑国家権力諸機関の公布する規範的法令と同様な法的効力をもっ鞋︒労働協約の主要な目的は︑労働条件と雇傭条  

件を設定することであった︒これらの条件が協約の構成要素をなしていた︒︵ヴェ・エム・ドガドフ﹁ソヴェート労働協約の発展  

の諸段階﹂ソ同盟科学アカデミー学報︵経済・法律の部︶−九四八年︑二号︑八五頁︶労働協約は中央集権的性格をも?てい  

た︒人民委員部または中枢部は当該労組中央委昌す二般的労働協約を締結し︑その後ほそれにもとづいて︑地方︵現地︶協約がむ  

すぼれた︒この時期に締結された労働協約は︑即労働法典および個々の立法的法令を発展させ︑補足した︒協約ほ現行立法笹違  

反することもできた︵要するに︑労働者の地位の改薯の簡ではなく︶︒労働法典のなかの諸規範は︑協約的合意の方法で具体化  

され補足される規鳩の最低限と考えられた︒㈲現行立法で解決されていない若干のきわめて亀要な規定︵労働協約の賃金部門・  

雇腑および解雇・徒弟制度︶を設定した︒㈲私企業部門と社会主義部門とで昇った性格をもっていた︒後者では︑労働協約ほ労  

働者・勤務員の利益を企菜・施設の利益と関連させて保護するために利用された︒前者でほ︑それほ資本主義的要素と斗争し︑  

それを制限し一掃するソヴュト国家の政策実施の有効な手段の脚つであった︒団体的な労働協定規範と個別的な労働協定規範︵  

個人的な雇傭契約︶の関係はどのようなものか︒労働協約は一般的規範力を有する規範的協定に入れることができるが︑個別的  

な労働契約ほ個々の具体的労働法関係紅おける当事者双方の権利・義務を設定するものである︒労働法典罪二八条ほ︑労働法規  

の所定条件︑労助協約の条件および内部管理規則にくらべて勤労者の地位を悪化させる労働契約の条件を無効としている︒かく  

して︑労働法規所定の条件のみならず労働協約の条件にくらべて勤労者の地位を悪化させる労働契約の条件は無効とされた︒法  

典二八条は個別的協定によって労働協約の条件を破棄しえない原則を確立した︒規範的要素としての労働協約ほ労働者・勤務員    ︵七四︶ 七四   第三十二途 盟二号  

(17)

の労働関係を規制する一連の法規範を設定した︒この時期の労働協約は︑労働条件や労働賃金を規準化するきわめて重要な方式   

であった︒法典の第一五条にょれば︑労働協紛ほ将来の個人的な雇傭︵労働︶契約の内容を規制する︒この条項によって︑労働   

協約は個別的な労働協定に自動的に入れられる一般的な労働・雇傭条件を設定する︒協約で規定した規範的讃条項は︑事実上︑   

国家機関の規範的法令と同じ法的効力をもつようになった︒協約は労働者・勤務員の労働・雇傭条件を規準化することによっ   

て︑労働関係規制の源泉となった︒それは︑労働および賃金条件を規制することによって国民経済プランの遂行のための重要な︑   

斗争手段になった﹂︒︵三二ハ 一 三一入頁︶  

︵註4︶前掲番の筆者はそのなかで次のようにのべている︒﹁労働関係規制の協約的方式は社会主義建設期に広く発展した︒一〇月   

革命後の数カ月には︑労働協約は︑企業の労働者・勤務員の労働関係規制のさい規範的法令としてあらわれた︒私企菜で経営者   

が当該労働組合作成の労働協約の調印を拒否した場合にほ︑それほ労働人民委員部の布告虹よって︑その結果国家権力機関の発   

布する規範的法令として義務的効力をもった︒∵九一八年七月二日付の人民委員会議の指令還貝金率および労働条件︵条項︶設   

定の労働協約︵賃率表︶確認手続について﹄○営p葛ey諾ep責①牒≡︒白日e喜昌男琶︒空p︒三屋国号ざ   

ヨヨ岩垂岩垂呂さ月警C宗昌胃00名説○昌○静ロき置賢y告○呂訟壱y膏︵HO巨○莞書e︶は︑労励関係の協約的規制方   

式の発展に重要な役割をした︒外国軍の軍事干渉および国内戦の時期は︑わが国の労働協約の発展を容易ならしめなかった︒経   

済関係の中央集権化︑食糧徴発制︑一般的義務労働制︑賃率表による賃金の厳重な中央集権的規準化は︑この時期において労働   

関係の協約的規制方式を許さなかった︒﹂ ︵三一六頁︶  

︵註5︶法学博士候補 ゲ・カ・モスカレンコ﹁発展の第劇段階におけるソヴュト労働協約﹂ ロ戸試OC琵莞崇○⁝CO諾語呂辞   

宍巨昂百恵塗已∵号喜索p岩二眉葛昌∴¥岩eC誓e苫p琵琶琶﹁ソヴ言国家と法﹂完五八年四号・三〇1一   

二玉東  

︵註6︶ ﹁ロシア・ソヴュト連邦社会主義共和国法令集﹂一九一七年︑第六号  

初期のソヴェト労働協約  

/  

一〇一貫参照  

︵七五︶  七五   

OLIVE 香川大学学術情報リポジトリ

(18)

第三十二巻 欝﹂号   ︵七六︶  七六  

︵註7︶ 劇九一八年五月冬日にほ︑約三〇〇の大企菜が国有化された︒ぺ・イ・リヤシチエンコ﹁ソ同盟国民経済史﹂T一.出.白守   

月eヨ○⁚昌c苫p寧持出這pO竜○⊇警笛幹c昌P CCC勺第三巻︑国立政治阻害出版所・モスクワ 山九五六年︑三五頁参照  

︵註8︶ ﹁一〇月革命・社会主義建設中央国家アルヒーフ﹂第五四五一フォンド︑第二目録︑第﹂五仙境文書︑第二T−−二三号   

参照月rA①P㌔cc忘.∽㌫−﹀昌.㌘声−早戸NT.鱒  

︵註9︶ ○月革命・社会主義建設中央国家アルヒーフ﹂第五四五一フォンド︑第二目録︑第一五三項文書︑第五四 − 五六号参  

照  

︵註10︶ ○月番命・社会主義建設中央国家アルヒーフ﹂第五四五一フォンド︑第二目録︑第一五七項文書︑第⁝三1〟六菅参照  

︵註11︶ ﹁ロシア・ソヴュト連邦社会主義共和国法令集﹂ 山九一八年︑第四八号 五六八頁参照  

︵註12︶ ﹁ロシア・ソヴュト連邦社会主義共和周法令集﹂一九一八年︑第四七号 五五九頁参照  

︵註13︶ぺ・イ・リヤシチ壱ソコ﹁ソ同盟国民経済史﹂三六頁参照  

︵註14︶ ○月革命・鹿金主義建設中央国家アルヒーフ﹂第五四五一フォンド︑第二日録︑第一四九項文書︑常山一九−−二二ハ   

号参照  

︵註15︶グェ・イ・レーニン全集︑第二七巻二劇五貢︵﹁ソグェト権力の当面の任務﹂現在の仙般的スローガンの節︶︒邦訳では︑   

大月書店刊︑全集︑第二七巻︑二四六寅︒  

︵註16︶ ﹁副○月革命・社会主義建設巾央国家アルヒーフ﹂第五四五山フォシド︑第三日録︑第二六四項文書A︑難五七号参照  

︵註17︶エス・ラビノダィッチ・ザハーリン﹁ア・フック著﹃ドイツ法における賃率︵労働︶協約﹄の露訳の序説﹂モスクワ・山九  

二四年一〇頁参照   

参照

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