目 次 はじめに 1. 出現率の推移と「2 つの転換期」 2. 「奥さん」が登場する広告 3. 「妻」が登場する広告 4. 「母」が登場する広告 5. 「彼女」が登場する広告 6. 「女・女性」が登場する広告 7. 広告の重心移動 はじめに 例えば,コンビニエンスストアに出かけると,私たちは3000 品目の商品に囲まれる。デ パートに足を伸ばせば,100 万品目を超える。インターネット上のショッピングモールにア クセスすれば,1000 万の商品アイテムに出会うだろう。 ここで,「事物との関係において直接知覚される自己」(本多,2005: 23)としてエコロジ カルセルフの概念を導き入れるならば,私たちは,未知の商品に接するたびに夥しい自己を 見いだすことになる。 「エコロジカルセルフは,環境の中のそこかしこに存在する。私たちは,自分がどこにい るのか,何をしているのか,何をする可能性があるのか,何をしたところかといったことを, 見る(聞く,感じる)ことができる」(Neisser, 1993: 18) いいかえれば,商品というアフォーダンス(Gibson, 1979=1985)から逆照射されることで, 私たちのありようは瞬間ごとに彫り込まれていく。では,そうした商品を売り込もうとする
関 沢 英 彦
広告は,私たちに何を見せてくれるのか。 まず,その商品が与えてくれるアフォーダンスを示唆することで,商品の購入者が獲得し うるエコロジカルセルフの可能性を教える。 同時に,その商品を所有し,使用することによって,周辺の他者との関係性がどのように 変わるのか,あるいは変わらないのかというインターパーソナルセルフのありうる像を提示 する。 消費者が広告に触れることは,商品のアフォーダンスと,他者という社会的なアフォーダ ンスの双方を探り当てるきっかけとなる。商品情報を集め,特定の商品を買い求める行為は, 欲求を満たし,日常生活の利便性を向上させる。加えて,広告に接触し,消費行動をするこ とは,自分を取り囲むモノとヒトのアフォーダンスを関知しながら,自己のアイデンティテ ィを刻々と確認していく行為でもある。 広告は,商品の物理的な特性を告知することで,そこに立ち上がってくるエコロジカルセ ルフのありようを伝えると同時に,商品の象徴的な意味を描くことで,社会的な存在として のインターパーソナルセルフに及ぼす影響についても語る。このようにして,広告は,それ に接触する者に対して,多種多様な「自己像」を供給する源となる。 「……アイデンティティとは,自己の多様な部分,あるいは時によって異なる自己同士, そして私たち個々人が属している様々な環境・システムといったものの間の途絶えることの ないせめぎあいの過程なのである」(Melucci, 1996: 49) 本稿は,アイデンティティを巡る「せめぎあいの過程」が男性よりも熾烈であらざるをえ ない女性に焦点を当てる。「広告に登場する女性たち」(e.g.,Goffman,1976)を表す言葉の使 用頻度と用例を見ていくことで,彼女たちのアイデンティティの歴史的な構築過程を振り返 ることを目的とする。 1.出現率の推移と「2 つの転換期」 東京コピーライターズクラブは,東京を中心に活躍するコピーライター・CM プランナー の職能団体である。1963 年から前年度の優秀な広告作品を選抜し,『コピー年鑑』として発 刊している。ウェブ上のコピー検索システム「コピラ」は,『コピー年鑑』に収録された新 聞・雑誌・ポスター広告等印刷媒体における広告のヘッドラインとテレビ・ラジオCM 等 電波媒体におけるコピーに含まれている語彙を検索することができる。 電波媒体におけるコピーは1977 年版から収録されている(1975 年にテレビ広告費が新聞 広告費を抜いたため,1976 年の優秀コピーを選ぶ時点から電波媒体のコピーも含むように
改変され,1977 年版の『コピー年鑑』から印刷媒体と電波媒体の両方を含むようになった。 以下の記述では「版」は煩雑なので省略する)。ちなみにウェブ広告は2005 年から審査対象 になった。 広告における女性たちを表す言葉の出現頻度を見るために,1963 年から 2004 年までの印 刷媒体と電波媒体の広告20088 点を対象にして,コピー検索システム「コピラ」によって検 索をした。検索語としたのは,「女・女性」「母(お母さん・お母様を含む)」「妻」「奥さん(奥 様,奥さまを含む)」「彼女」である。 その際,各年の総広告数の増減による影響を除去するために,各出現頻度を,その年に『コ ピー年鑑』に収録された総広告数で除し,その結果を出現率推移としてまとめた(図1)。 40 年間余の出現率推移を一覧すると,1970 年代初頭と 1980 年代半ばに節目が見られる。 ここでは,1970 年代初頭の節目を第 1 転換期,1980 年代半ばの節目を第 2 転換期と呼んで おこう。 第1 転換期には,1960 年代に最も出現率が高かった「奥さん」が 3 位に低下し,「女・女性」 が1 位に浮上する。第 2 転換期には,長らく最下位であった「妻」の出現率が上昇し,「奥 さん」,「彼女」を抜いて第3 位になっていく。
変化の詳細は,後述していくことになるが,ここでは2 つの転換期が戦後の女性史におい て重要な時期と重なっていることに注目しておきたい。 「……女性たちはモノという道具を使うことにより,自分をたえず拡張しつつ生きている」 という視点から「『モノと女性』の交渉史」をまとめた天野正子・桜井厚は,「女性がみずか らの生きかたの選択肢を拡張していく次元」として,「身体性」「家庭性」「社会性」の3 つ を設定している(天野・桜井,1992: 13―14)。 広告における女性を表す言葉の出現率推移を見ていくときに,「身体性」「家庭性」「社会 性」の3 つの次元は有効な枠組である。 ちなみに「身体性」とは,「準身体として,それを使う女性たちの身体を拡張し,自分と 身体との関係(身体文化)に大きな影響をあたえるモノたち」の次元を指す。具体的な商品 としては,生理用品,避妊具,下着,ストッキング,ジーンズ,パーマ,化粧品,食卓など があげられる。 「家庭性」とは,「女性たちの主要な『居場所』とされる家庭の生活領域に直接はたらきか け,そこでの日常性を変容させていくモノたち」の次元である。台所の流し,電気洗濯機, トイレ,エプロン,財布,風呂,ベッド,化学調味料,インスタント食品などが当てはまる。 「社会性」とは,「女性たちを,より広い『社会』に結びつけていくうえで大きな役割を果 たすモノたち」と規定されている。たばこ,手帳,電話,自転車,時計,アルコール飲料, 乗用車,制服などが含まれる。 戦後の消費社会を振り返るとき,第1 転換期以前の 1950 年代半ばから 1960 年代は,女性 たちの「家庭性」の次元に変化をもたらす家電品など,家事の合理化に関わる商品が発売さ れ,普及していった時期であることはよく知られている。 その後に訪れる1970 年代初頭の第 1 転換期は,生理用品,パンティストッキングの本格 的な普及によって,女性たちの「身体性」をアフォードするモノが充実していった時期とい うことができる。中ピ連(中絶禁止法に反対しピル解禁を要求する女性解放連合)が結成さ れ,ウーマン・リブ大会も開かれているなど,フェミニズムの台頭が見られた時期でもある。 1980 年代半ばの第 2 転換期は,男女雇用機会均等法(1985 年公布)に象徴される時期で あり,女性たちの「社会性」の次元との関わりが深い。 実際,「……1980 年代は女性が働くことについての書物の花盛りの時期」であった(鹿野, 2004: 141)。また,当時流行したバイブル型の手帳は女性たちにも普及した。自動車に関し ては,1975 年度末で全免許保有者の 22.0% であった女性の免許保有者数が,1987 年度には 35.8% に上昇する。女性たちが男性たちに伍して「移動手段」を手にする時代になったこと を示している(運輸省,1988)。 女性たちが,生きかたの選択肢を拡張していった3 つの次元と,2 つの時代の転換期の所 在を確認した上で,以下,具体的に女性を表す言葉の推移を見ていこう。
2.「奥さん」が登場する広告 伝統的なジェンダーのありようを最も示すと考えられる「奥さん(奥様・奥さまを含む)」 の出現率は,第1 転換期以前が最も高く,第 1 転換期,第 2 転換期を経て,最下位に低下す る。「奥様(さま)」「奥さん」は,高位にある者の屋敷において,公務のための表に対する 「奥」から出た言葉である。接尾語がついて「奥様」となり,そのくだけた言い方が「奥さん」 ということになる。 「おくさまとは,是もむかしは千石の内そとをいひけれども,今は世の中いたりけるにや, 町人なれども身躰(しんだい)有徳(うとく)なるはおしなめておくさまといふ」(『浮世草 子・好色床談義・一 奥さまの好色』より。『日本国語大辞典』第2 巻・小学館の用例)。 町人ならぬサラリーマンの妻たちが大量に「奥様(さま)」「奥さん」のカテゴリーに組み 込まれていくのが1960 年前後である。1960 年の国勢調査において,企業に雇われる雇用者 (53.9%)が,自 営 業 主(22.1%)と 家 庭 従 事 者(24.0%)の 合 計 を 上 回 っ た(佐 藤, 1990: 165)。企業に雇われる雇用者が多数派の社会になった中で,「サラリーマンの妻」と いう地位が確立する。 全有配偶者女性に占めるサラリーマン世帯の専業主婦の割合は,1960 年に 33.2% と初め て3 割台になる(1955 年は 29.9%)。その後,1980 年(37.1%)に頂点を迎え,1990 年(28.1 %),2000 年(26.5%)と低下する(内閣府,2001)。 映画「秋刀魚の味」(1962 年・小津安二郎監督)では,専業主婦である平山秋子(岡田茉 莉子)が,夫の平山幸一(佐田啓二)ともめている。幸一の父から金を借りて電気冷蔵庫を 買う予定なのだが,幸一は多めに借金して,輸入物のゴルフクラブを購入しようとする。妻 の秋子はそれを止めるのだが,結局は,自分も白いバッグを買うことで妥協する。必需品と 考えられるようになった電気冷蔵庫に加えて,ゴルフクラブや白いバッグといった贅沢品に も目配りをするようになった消費社会の到来を示している。 映画の中には,秋子が隣家にトマトを借りに行くシーンがある。秋子は,隣の部屋をノッ クして入った後,まず,玄関口にある電気掃除機を見て「これ,どお。掃除機,具合いい?」 と聞く。隣の奥さんは,「はい,これ冷えているわよ」と「うちには,冷蔵庫があるのよね」 というメタメッセージを込めて,トマトを手渡す。秋子も負けじと,「うちも買うことにし たの,冷蔵庫」と答えると,隣の奥さんは,「でも,あんなもの早く買うと損ね。後から, どんどんいいものができるから」と改めて,「うちの方が買うのは先だったのよ」という確 認のメッセージを送る。
「台所は,かなりの金額のお金がそこに費やされるということばかりでなく,象徴的にも 機能的にも,強い利害関心がぶつかりあう家庭内の場所である……」(Freeman, 2004: 174) とくに白物家電と呼ばれる洗濯機や冷蔵庫などは,「家庭性」の次元を支える有力な製品 であるといえよう。 「技術の消費についてはジェンダーとのつながりが強い。例えば,男性と女性によって等 分に使われている家庭内の技術は大変少ない。洗濯機や日常的な家事のための白物家電は, 主に女性によって使用され,女性性とのつながりが強い……技術の象徴的なジェンダー現象 がモノとしてのありかたに影響を及ぼすのである」(Maclaran, Hogg, Catterall and Kozinets, 2004: 146―147)。 「秋刀魚の味」より11 年前に公開された「麦秋」(1951 年・小津安二郎監督)では,結婚 を前にして女友達が語り合う場面がある。間宮紀子(原節子)は,結婚して秋田に行くこと にした。親友の田村アヤ(淡島千景)は,心配して,「本当にいいの」と問いかける。 「だって,あんたって人。庭に白い草花かなんか植えちゃって,ショパンかなんか,かけ ちゃって,タイルの台所に電気冷蔵庫かなんか置いちゃって。こう,開けると,コカコーラ なんか並んじゃって。そんな奥さんになるんじゃないかって思ってたのよ。あたしが遊びに 行くでしょ。そしたら,ほら,段だらの日除けのあるポーチかなんかでさ,あんた真っ白な セーターかなんか着ちゃってさ。スコッチテリアかなんかと遊んでて,垣根越しに,ハロー ハウアーユーなんていっちゃって……」(「麦秋」)。 実際の経済成長が始まる前に,すでに向かうべき生活の目標が鮮明に描かれていたことが わかる。「庭に白い草花」「ショパン」「タイルの台所」「電気冷蔵庫」「コカコーラ」「段だら の日除け」「ポーチ」「真っ白なセーター」「スコッチテリア」「垣根」……に囲まれた理想の 生活像に向かって,1955 年以降,家庭電化が進行する。 まさに「『家族のプロトタイプ』の青写真に順応しようとする試みは,私たちの多種多様 な活動の中の行為に影響を及ぼす」(Gubrium, 1990=1997: 278)のであり,「家族はつねに 『もの』であると同時に観念でもあるのだ」(Gubrium, 1990=1997: 330)といえよう。 「麦秋」から「秋刀魚の味」に至る10 余年は,白物家電を中心にした「家庭性」の次元を 支える新製品に囲まれて暮らすという「幸福のモデル」が現実のものになっていく道程であ った。こうした段階を経て,1960 年代後半には「奥さん」の出現頻度が頂点を迎えていく のである。
以下,「奥様(さま)」「奥さん」が登場する広告の具体例を見ていこう(括弧内は「コピラ」 で検索された『コピー年鑑』の収録年・広告主・媒体名の順。テレビCM において N また はNA はナレーション,S は字幕スーパー,SL はスローガンの略)。 「この奥さまがいつも同じお店で買物をなさる理由は?」(1965 年・グリーンスタンプ株式 会社・新聞) 「前略,左キキの奥様 あなたの働く左手のためにお台所用品を特製しました」(1966 年・ 伊勢丹・新聞・コピーの一部) 「車が欲しいけれど頭金が10 万円しかないのですが……空き地がないので車庫が作れない のですが……まだ運転免許をとってないのですが……こんなご質問をお持ちの奥様の電話を いつもお待ちしています パブリカP」(1966 年・トヨタ自動車工業・トヨタ自動車販売・ 雑誌) 「奥さまを30 トンの労働から解放 テイジン バルレン ふとんわた」(1967 年・帝人・ 新聞) 「お母さまの代から使っていたから……ただそれだけの理由で銘柄を決めている奥さまが 多いのはフシギです ヤマサ新味醤油」(1969 年・ヤマサ醤油・新聞) 1960 年代,「この奥さま」「左キキの奥様」「ご質問をお持ちの奥様」「奥さまを……解放」 「銘柄を決めている奥さま」など,広告の送り手が,主婦である受け手に呼びかける場合に 「奥様(さま)」という言葉を採用していることが多い。 「ひと月1 回ゴルフをひかえる カラーが届いて,奥さんの表情もほころぶ……。」(1969 年・松下電器産業・新聞) 「奥さんだって たまには誘ってもらいたい。」(1973 年・ダイヤモンドクレジット・新聞) 「奥さんにも,宣言しておきましょう。『飲んだ翌朝は,カゴメトマトジュース。』」(1973 年・カゴメ・新聞) 「奥さんの友達をもてなせますか? ご主人の客の話し相手をしていますか ? 夫婦です ね。」(1977 年・富士銀行・ポスター) 「……こうして毎日,元気でいられるのは,奥さんのおかげです。感謝!」(1984 年・シャ ープ株式会社・新聞・コピーの一部) 1970 年初頭の第 1 転換期の頃からは,「奥さんの表情」「奥さんだって」「奥さんにも」「奥 さんの友達」「奥さんのおかげ」など,夫との関係の中において「奥さん」という言葉が使 われている。1960 年代のように広告主からの便利な呼びかけの言葉として「奥様(さま)」
が使われる場面は減る。 「あのう,僕としては,そんなに家具を持ってきてもらっても,困るんです。だけど,そ のうち絶対,ドーンと広い家に引越しますからと,むこうのお母さんに言ったら,奥さんに なる人が笑った。応援します,住まい選び。週刊住宅情報」(1986 年・リクルート・ポスタ ー) 「……店員 : もう奥さん買わんでええがな そんなん言うんやったら ゴチャゴチャ言う 奥さんやな,ホンマに,買わんでええがな S:誰でもカンタン,からっと揚がる SL:日 清のコツのいらない天ぷら粉 揚げ上手」(1995 年・日清製粉・テレビ・コピーの一部) 「N:奥さま おフロです お食事です おフトンです あ ? 夢ごこち N+S:奥さま独 身ですか? N:と聞かれた気がする 駅長おすすめの『ゆ』JR 九州」(1997 年・九州旅客 鉄道・テレビ) 「NA:隣の奥さん,プロレスラー。水をたくさん お買い物。隣の奥さん,プロレスラー。 私はね,NA+S:電話で宅配,大清水。(1 回くりかえし)」(2000 年・ジェイアール高崎商 事・テレビ) 1980 年代半ばの第 2 転換期以降,「奥様(さま)」「奥さん」が登場するときには,「奥さ んになる人が笑った」「ゴチャゴチャ言う奥さん」「奥さま独身ですか?」「隣の奥さん,風 呂レスラー」など,ひとひねりした笑いやユーモアがからんでいる。 テレビCM の比重が高まる中で,印刷媒体とは異なる話法が増えたこともあるが,「奥様 (さま)」「奥さん」という言葉が,必ずしも肯定的に使える言葉でなくなった側面は否定で きない。少なくとも,広告の送り手が受け手に正面から呼びかける「奥様(さま)」の用例 はほとんど見られなくなる。 3.「妻」が登場する広告 第2 転換期以前に最下位であった「妻」の出現率は,第 2 転換期以降,第 3 位に上昇する。 上昇する「妻」の出現率と下降する「奥さん」の出現率は1980 年代半ばに交差する関係を 成している。 「妻」は,元々,「夫婦,恋人が互いに相手を呼ぶ称」(『日本国語大辞典』第7 巻)である。 家における公的な「表」に対する「奥」に起源を持つ「奥さん(奥様,奥さま)」に比べる と対等な印象を与える。 広告における「奥さん(奥様,奥さま)」の用例では,「家事を担当する主婦」と「妻」の 両方の意味が含まれていた。
だが,「妻」の場合には,家事をする存在であったとしても,ひとまずは「夫の配偶者」 を示している。そこには,「ロマンティック・ラヴ」を背景にした「近代家族」(Shorter, 1975=1987)における「妻」の像が見られる。 「……ロマンスという場合,自発性と感情移入が問題になる……また,感情移入は,男性 の生活と情動を女性のそれと慣習的にわけへだててきた性的役割,すなわち性的分業をあい まいなものにする……」(Shorter, 1975: 148―149 =1987: 156)。 「妻」という言葉で描かれる女性像は,「奥さん」よりも,性的分業の壁を壊していく可能 性が高い。ちなみに『婦人公論』の内容分析においては,すでに1950 年代の半ばに「…… 『家』というよりも,むしろ夫個人の職業という視点,夫に対する妻という視点」が支配的 になっていった(藤田,2003: 97 原文はルビによる強調あり)。 だが,広告において「妻」の出現率が高まるのは,1980 年代半ばの第 2 転換期以降のこ とである。皮肉なことに「近代家族」という考え方がゆらぎ,「ポストモダンファミリー」 (Shorter, 1975: 269―280 訳書では「近未来家族」)が現実化していく頃から,「妻」の存在感 が広告で高まっていく。 「……〈家庭〉を築いていこうとする心性と構えが〈近代家族〉の中核的な要素の一つで あるとするなら,その心性や構えに変化が起こり始めているというのが近年の傾向であり, それが〈ポストモダン家族〉という表現を産み出した重要な背景の一つなのだろう」(藤田, 2003: 67)。 「情愛的な核家族」は,1950 年代半ばから一般化して 1970 年代に定着した。「個人志向的」 であり「集団性は強い」という特徴を持つ。「家父長的な制度家族」のように「地位志向的」 ではなく,自らの意思で家族であろうとする。 一方,「ポストモダン家族」は,1980 年代以降に表れてきた。「個人志向的」であり「集団 性は弱い」とされる(藤田,2003: 65)。 1977 年に話題を呼んだテレビドラマ「岸辺のアルバム」(TBS・山田太一脚本)は,「ホ ームドラマを破壊した決定的なドラマ」といわれている(坂本,1997: 368)。 「『家族の物語』は,女性に特定の役割と生き方を求め,多様な関係や生き方を捨象し,生 活の違いよりも同じ側面を強調し,また同じであることに価値を付与した……一九七〇年代 以後,〈ホームドラマ〉の人気の終焉とともに崩壊しかかっているのは,こうした『家族の 物語』である」(坂本,1997: 375)。
疑いもなく家族という集団への帰属を信じていた「情愛的な家族」の安定感は危うくなっ ていく。そのゆらぎを象徴的に描いたのが,1983 年に放映されたテレビドラマ「金曜日の 妻たちへ」(TBS・鎌田敏夫脚本)である。 第一話で,東京の田園都市線の沿線に住む3 組の夫婦が紹介される。鍋物とワインのホー ムパーティーから帰宅した中原久子(いしだあゆみ)は,突然,泣き出す。 「どうしたんだ」と夫である中原宏(古谷一行)が問うと,「誰とも別れるのはいや……こ のままでいたい……死ぬまでこのままでいたい」とつぶやく。 大型冷蔵庫,ソファ,木目調の食卓が っている広いダイニングキッチン。そのペンダン トライトの下で涙を見せる「妻」はカシミヤとおぼしきセーターを着ている。物質的には恵 まれた家庭の中で,「妻」は,実存的な孤独とでも呼ぶしかない「寂しさ」を訴える(この 段階では,まだ,この夫婦に具体的な問題は発生していない)。 このテレビドラマがブームとなったのは,「ロマンティック・ラブ」の上に成立した「妻」 「夫」の関係に守られていても,あるいはそれだからこそ,個として老いや死に立ち向かわ ざるをえないという事実に視聴者が気づき始めた時期だったからだといえよう。 「死ぬまでこのままでいたい」という言葉を吐かざるを得ない不安感は,物質的な困窮が 薄れた中で生まれるものである。ちなみに「金曜日の妻たちへ」が放映された1983年は,「国 民生活に関する世論調査」において,「これからの生活の力点」として「レジャー・余暇」 を上げる人が1 位になった年でもある(内閣府,1983)。 妻たちの「不安」は,消費生活にともなう「退屈」と表裏一体の関係にあるという見方も 成り立つ(Johnson and Lloyd, 2004: 152―153)。まさに「終身刑としての日常(Sentenced to Everyday Life)」(Johnson and Lloyd, 2004 の書名)において,勝手気ままに楽しみを追求す る中での「退屈」であり,「不安」であるのかも知れない。 以下の「妻」が登場する広告例においても,「奥さん(奥様,奥さま)」のときより,「妻」 (時にはその配偶者である「夫」も含む)の孤独感を感じさせるメッセージが多いことに気 づくだろう。 「たぶん 妻はあなたより長生きです。子はさらに長い人生を持っています。」(1973 年・ 生命保険協会・新聞) 「ドミニクサンダ 15 秒 N:妻であり,母であり,女優である。ドミニクサンダ」(1979 年・パルコ・テレビ) 「薄すぎる妻への関心」(1982 年・伊勢丹・雑誌) 「妻」の出現率が低い段階の広告だが,いずれも,「奥さん(奥様,奥さま)」の場合よりも, 心理的な陰影が濃い表現である。
「妻が出かけると,この部屋も広くなったような気がします。あいつ,帰ってこなきゃい いのになぁんて,そんなこと考えてる困った私。広いマンション借りたいです。応援します, 住まい選び。」(1986 年・リクルート・雑誌) 「N:外から,うちで待っているひとに,これから帰ると電話することを,カエルコール といいます。SE:ルルル ルルル ルルル ルルル N:妻はいないようです。妻たちの 声: カエルコール,ありがとう。♪:NTT 」(1986 年・NTT・ラジオ)
「妻は,人前でキスされたら すごく,うれしい 駅まで送るわ Kiss & Ride カローラ」 (1989 年・トヨタ自動車・ポスター) 「彼女は良き妻であり,やさしい母親 そして,社会の良きメンバー。ジェニーは毎朝点 訳をする。ひとりでも多くの人を喜ばせる為に自分の時間を役立てたい……」(1989 年・松 下電器産業・テレビ・コピーの一部) 夫婦と子供から成り立つ「標準世帯」は,1965 年から 1975 年まで 45% を越えていたが, 第2 転換期の頃には 40% に低下した(「1985 年国勢調査」。総務省統計局,2000)。広告の メッセージも,夫婦を単位としたものが増えていく。 とはいっても,「妻」は家におらず,外に出かけていることが多い。クルマなどの「女性 たちを,より広い『社会』に結びつけていくうえで大きな役割を果たすモノたち」(天野・ 桜井,1992: 14)が「妻」たちの「社会性」を支えているのである。 「NA:男は,4 年前離婚した。今年 7 歳になる娘は,妻がひきとり,その妻は,半年前再 婚を果たした……NA+S:父と母への,生命保険。NA+S:そのホケンは,私です。SL: 第一生命」(1996 年・第一生命・テレビ・コピーの一部) 「妻よ,ボーナス日を返済日と呼ぶんじゃない。」(1998 年・日鉄ライフ・雑誌) 「妻はひとり。クルマは外車。会社は丸の内。趣味はスポーツ。旅行は海外。オトコには, 足りないものがある。男の生活誌『ブリオ』明日創刊」(1999 年・光文社・新聞) 「男:昨日,妻が出ていきました。女:ごめんなさい,あなた……わたしは行きます。でも, バウンティがあれば平気よね。ただのペーパータオルじゃないのよ……」(2000 年・プロク ターアンドギャンブルファーイーストインク・テレビ・コピーの一部) 「SE:(犬の遠吠え)父 : ただいまー,おい,みきはまだ帰ってないのか ? NA:娘,外泊。 妻,美白。SE:ピチョン,ピチョン。父:じゃ,明日は 7 時に起こしてくれよな。おやす み NA:父,淡泊。妻,美白。SE:ピチョン,ピチョン。母 : あなた……ワイシャツ,い い香りね。口紅までつけて 父: えっ ?! NA:夫,軽薄。妻,美白。SE:ピチョン,ピチ ョン……母: ほんとは,私にも彼氏がいるんだけど,ね。NA:妻,告白。そして,美白。 ライオンから」(2000 年・ライオン・ラジオ・コピーの一部)
「妻と口論した。パックツアーだったので,仕方なく無言でディズニーワールドを歩いた。 わたしは,もっと気ままに歩きたい。自由旅行のワールドクリエーション」(2001 年・ワー ルドクリエーション・ポスター) 「男たちの告白 夫 20 秒 NA:エメロン・男たちの告白 夫 : 私は,妻が長い髪をかき 上げる仕草をみると,いまだに胸がドキドキします。残念なことに,妻以外の女性が髪をか き上げるともっとドキドキしてしまうのですが……」(2002 年・ライオン・ラジオ・コピー の一部) 「妻」が登場する場面を見る限り,「男は,4 年前離婚」「男 : 昨日,妻が出ていきました」 「ほんとは,私にも彼氏がいるんだけど」「妻と口論」「妻以外の女性」……など,夫婦の距 離は遠くなる一方である。 ちなみに「標準世帯」の率は,2005 年には 29.9% と 3 割を切り,「夫婦のみの世帯」が 20.1% に上昇した。加えて,「単独世帯」の伸びが著しく,2007 年には 29.5% に達して,「標 準世帯」29.2% を抜くと予測されている(国立社会保障・人口問題研究所,2003)。 4.「母」が登場する広告 「母」の出現率は,第1 転換期以前は,「奥さん」に次いで 2 位であり,第 1 転換期以降は, 「女・女性」に次いで2 位の位置を占めている。1980 年代半ばの第 2 転換期以降は上昇傾向 にある。 「母」を巡る社会の実情としては,1971 年から 74 年の第 2 次ベビーブームには,毎年 200 万人の出生数であったのが,1984 年には 150 万人を切り,1990 年以降は,120 万人前後に まで低下した(国立社会保障・人口問題研究所,2006)。現実の「母」の数の伸びが鈍るな かで,広告における「母」の出現率は高まっていることになる。 興味深いことに同時期の育児雑誌の発行部数も,1980 年代の半ば以降,上昇している(全 国出版協会,1978∼2003)。1980 年代の前半(80∼84 年)の年間発行部数が平均 737 万部で あるのに対して,後半(85 年∼89 年)の平均発行部数は 1265 万部に増加。その後,1997 年に2192 万部でピークを迎えるまで伸び続けている(その後は急激に減少し 2003 年は 1449 万部)。 育児雑誌は,新生児から幼児を持つ若い母親が読むことが多い。出生数の低下の中での発 行部数の増加は,彼女たちが自分の親などに子育ての相談をすることが減り,雑誌などのメ ディア情報に頼るようになったからだと想定される。 「育児雑誌の内容に『普通の人』の経験談が増えてきたのは80 年代後半からで,90 年代 になっていっそうその傾向が強まっている」(村松,2000: 123)という指摘もある。広告に
おいて「母」の出現率が高まったのは,メディアにおいて「(赤ちゃんから幼児を持つ)母」 の存在感が高まったことに連動しているとも考えられる。 だが,広告に関する限り,1980 年代後半から「母」の出現率が増えていった理由は,人 口構成の変化という要因である。以下の広告コピーを見れば了解されることだが,高齢化の 進展に伴って広告のメッセージは,幼い子を持つ「若い母親」に向けたものから,「年配の 母親」を持つ子供世代に向けたものへと移行していく。 「赤ちゃんをお持ちの方 秋にはお母さまになる方 どうしても読んでいただきたいお知 らせ」(1964 年・伊勢丹・新聞) 「お母さまなら無関心でいられない〈話〉」(1965 年・三洋電機・新聞) 「三代のお母さまがさがしていました 赤ちゃんの入浴法」(1965 年・山之内製薬・新聞) 「赤ちゃんが夜泣きして困っているお母様へ」(1966 年・西武百貨店・新聞) 「お母さま=音楽は9 年間も必修科目です」(1966 年・日本楽器製造・新聞) 「お母さま,かわいい足音がきこえたら,カルピスです。」(1972 年・カルピス・雑誌) 「ピアノが弾ける男の子。お母様にも昔,憧れではなかったでしょうか。」(1972 年・河合 楽器製作所・雑誌) 「一日に102 種類も洗っているお母さんへ」(1973 年・日立家電販売・新聞) 1960 年代から 70 年代前半の第 2 次ベビーブームにかけての広告においては,赤ちゃんや 幼児を持つ「(若い)母」に対して,家事や育児を巡る解決策・積極的な提案を行っている メッセージが多い。 「まあ,お母さんそっくりになって。」(1977 年・パルコ・新聞) 「浴衣の母ちゃんまぶしい。トリコンの夏。日本の夏。」(1979 年・サントリー・新聞) 「みんな出かけたら,母さんが楽しんでいる。」(1980 年・ソニー・新聞) 「子供にとって最初の教科書は,母親です。」(1981 年・三和銀行・雑誌) 「生まれたのでは,ありません。生んだのです(私生児の母・多喜子)」(1982 年・日本テ レビ・ポスター) 「お母さんが机を欲しがっていることを,お父さんは知らなかった。」(1982 年・西武流通 グループ・新聞) 「ステージを見あげるお母さんは文学少女にもどっていた。今夜こそ打ち明けようかな 彼のこと。」(1983 年・麒麟麦酒・新聞) 1970 年代後半から 80 年代の前半においては,育児以外に世界を広げていく「母」の像が
浮かんでくる。「生まれたのでは,ありません。生んだのです(私生児の母・多喜子)」「お 母さんが机を欲しがっていることを,お父さんは知らなかった。」のコピーが示すように, 「母」の世界にも「社会性」の次元が関わっている。 「母曰く,途中でやめてはいけません。」(1984 年・武田薬品工業・雑誌) 「遊んでいるお母さんが,好きですか。働いているお母さんが,好きですか。」(1985 年・ サントリー・新聞) 「喜ぶ母がゴロゴロいる」(1986 年・味の素ゼネラルフーヅ・雑誌) 「N: 母の勇気を,なんとかしたい。とらばーゆに,ミセスの求人ページ,できました ……」(1986 年・リクルート・テレビ・コピーの一部) 「母と別の道。」(1987 年・パルコ・新聞) 「父も母も素敵でした。」(1987 年・サントリー・新聞) 「お母さんがいなかったら,わたしもいない。」(1988 年・中日新聞東京新聞・新聞) 「母からもらった厚い鍋+私が選んだ洋風だし 彼が喜ぶコク・カレー」(1988 年・味の 素・ポスター) 「一番のなかよしは,母でした。」(1989 年・JR 東日本・ポスター) 「母さん,元気ですか。車庫入れは上手になりましたか。」(1990 年・トーヨーサッシ・雑 誌) 「帰省先でだれが下着を洗うんですか。 1.もちろん わたし 2.もちろん お母さま SILVER OX」(1990 年・内外衣料製品・雑誌) 「母は子より勉強している。」(1991 年・三菱地所ホーム・新聞) 「娘よ,母より美しくなれ。」(1991 年・東陶機器・新聞) 「父ちゃんも,母ちゃんも,おまえの夜が心配だ。」(1991 年・トーヨーサッシ・ポスター) 「母になりたい女性と,重役になりたい女性の両方が好きな服。」(1991 年・オンワード樫 山・雑誌) 「母は,今,自分が,サーカスにいるのを,知らないんですよ。」(1992 年・講談社・ポス ター) 「僕が母のことを考えている時間よりも 母が僕を考えている時間のほうがきっと長いと 思う」(1992 年・日本電信電話・ポスター) 「車を買うかどうか迷っていたら,母がドンと押し出してくれました。」(1993 年・トヨタ 自動車・新聞) 1980 年代半ば以降は,情報の受け手に対して,その人自身の「母」をテーマにした広告 が増えている。
例えば,「母と別の道」「お母さんがいなかったら」「母からもらった」「一番のなかよし」 「母さん,元気ですか」「僕が母のことを考えている時間」「母がドンと押し出してくれまし た」「娘よ,母より……」などである。 「母」自身に対して訴求する場合も,「N:母の勇気を,なんとかしたい」「母は子より勉 強している。」「父ちゃんも,母ちゃんも,おまえの夜が心配だ」など,以前よりもその年齢 は高めになっている。 こうした変化は,高齢化の進展と未婚率の上昇によって生じた。ちなみに1985 年に,女 性25∼29 歳の未婚率が 3 割を越える。1990 年には 4 割を上回り,1995 年 5 割,2000 年 6 割へと上昇する。男性30∼34 歳の未婚率も,1985 年に 3 割弱,1990 年 3 割強,2000 年 4 割, 2005 年 5 割に達している(国立社会保障・人口問題研究所,2006;総務省統計局,2006)。 「ところで,母は幾つになったんだろう。」(1994 年・大沢商会・新聞) 「父さん母さん,ボクに最後の投資をする時が来た。」(1994 年・伊勢丹・新聞) 「お母さんを店長って呼び始めた日。」(1995 年・モスフードサービス・新聞) 「父母が,年をとっていた。わたしの知らないうちに。」(1996 年・小野薬品・新聞) 「あ! 母さんが口笛吹いてるよ。(ウインドウを買って変わった,母の一日)」(1996 年・ シャープ・新聞) 「母: 顔とかムネとかばっかりみてちゃダメです。女はホネで選びなさい。S: お母さまに は,骨がある。N:サクサク 2 枚で 600 ㎎ ザ・カルシュウム ヒロシ : 骨かあ」(1997 年・ 大塚製薬・テレビ・コピーの一部) 「母さんもほんとはピンクにしたいらしい。」(1999 年・マツヤレディス・ポスター) 「母さんが,若返った。父さんが,走り出した。(北京で何があったんだ。)北京を始めよ う Begin Beijing 」(2000 年・北京市政府観光局・ポスター) 「お母さんの顔,はっきり思い浮かびますか。(アイボ)」(2000 年・ソニー・ポスター) 「母が年をとったことを,味の薄さで知りました。母の味,娘の味。」(2001 年・天王醤油・ ポスター) 「娘(オフ):病院で何故か母はパソコンを始めた……」(2001 年・松下電器産業・テレ ビ・コピーの一部 120 秒の長尺 CM は死にゆく母が孫にメールを書いているという設定) 「やせてた頃の写真を,母は見せたがる。MATSUYA LADIES」(2001 年・マツヤレディ ス・ポスター) 「母がきれいだと歳をとるのが,こわくない。西武の母の日」(2001 年・西武百貨店・ポ スター) 「S:ソニーミュージックオーディション……昨年から,ふたりは母親と弟と離れて暮ら す こ と に。有 名 に な っ て,自 分 た ち の 歌 を 母 と 弟 に 聴 い て も ら い た い Sony Music
Audition」(2002 年・ソニーミュージックエンタテインメント・テレビ) 「いいわけを考えることさえ,面倒だった。お母さまの手料理なのに,残してしまった。 体の疲れに,養命酒。胃腸の不調に,養命酒」(2004 年・養命酒製造・新聞) 1990 年代になると,「ところで,母は幾つになったんだろう」「父母が,年をとっていた。 わたしの知らないうちに」「母さんが,若返った」「母が年をとったことを,味の薄さで知り ました」「病院で何故か母はパソコンを始めた」など,老齢の「母」が登場する広告が一段 と増える。 「母がきれいだと歳をとるのが,こわくない」「いいわけを考えることさえ,面倒だった。 お母さまの手料理なのに,残してしまった」など,年老いても元気な「母」に対して,子供 世代の方が年齢を感じるほどに社会全体の高齢化が進行している。 5.「彼女」が登場する広告 「彼女」の出現率は,約40 年間にわたって低く,変化もあまり見られない。「彼女」は,「奥 さん」のように受け手に呼びかける二人称的な勢いを持たないし,「妻」「母」のように情緒 的な喚起力をもたらすことも少ない。 「……小説や詩のような文芸とは異なり,広告の場合は,三人称によって表現される登場 人物に感情移入をすることは, 遠でありすぎるのだろう」(関沢,2005: 52)と指摘した ように,広告メッセージとしては,冷静さが弱点となる。 「彼女と〈ホワイト〉は同じ故郷をもっています この美しい蝶の名はゴネプテリクスク レオパトラ ホワイト」(1967 年・ライオン・新聞) 「ヒザ上論争がさかんなころツインは早くも彼女たちのバッグにすべりこんでいた……セ ーラーツイン」(1968 年・セーラー万年筆・新聞) 「彼女は 生まれてくる子どもを ピアニストにするつもりはありません」(1968 年・日 本楽器製造・新聞) 「彼女のヒミツはあなただって見ぬけません『おフロもどうぞ』のアンネです」(1972 年・ アンネタンポン・雑誌) 「彼女はフレッシュジュース 資生堂ナチュラルグロウリップスチック」(1976 年・資生 堂・ポスター) 「彼女が美しいのではない。彼女の生き方が美しいのだ。インウイ。」(1978 年・資生堂・ 雑誌) 「彼女は,ハイヒールを経験した。」(1978 年・ダイアナ靴店・ポスター)
「生まれて10 日目。彼女の予測寿命は 85 歳 世界大百科事典」(1978 年・平凡社・新聞) 1960 年代から 70 年代の広告に登場する「彼女」は翻訳調の文体の中で使われる。「幕末 から明治初期にかけて,西欧語の三人称女性代名詞の訳語」(『日本国語大辞典』第3 巻)と して登場した「彼女」の出自を考えるならば,不思議ではない。 当時は,1960 年の総広告費 1740 億円から 1973 年には 1 兆 768 億円と 1 兆円の大台にま で急成長を遂げた時期である。日本の広告制作者は,アメリカの広告作品集や理論書・手法 書を手本にしながら,広告においても先進国入りをめざすことに必死であった。翻訳調もそ うした「模倣段階」で表れた現象である。 「コピー」または「キャッチフレーズ」を検索語にして,国会図書館の蔵書検索を行うと, 1950 年代は 1 冊(翻訳書ではない)である。1960 年代は 17 冊の蔵書があり,そのうち翻訳 書が4 冊を占める。1970 年代では 8 冊上がってくるが翻訳書はない。広告の成長期であり, 広告先進国のアメリカからの輸入理論や手法が大きな影響力を持っていた1960 年代の特異 性が現れている。 「M:まんまる顔の女の子はいい妻になれるってワタシってなれそう,ねッ !! N:と勝 気な彼女が甘えてきた。それというのも,ヴィンテージの香りにまいったから。M:ここま できたらサクセス 資生堂ヴィンテージ」(1980 年・資生堂・ラジオ) 「彼女は素足。僕の部屋,ロックンロール・アイランド。パイオニア・プロジェクト 7000」(1980 年・パイオニア・ポスター) 「『すきなんや』と,友人のK が打ち明けたコは,あの頃,密かに付き合っていた僕の彼 女だった。無理かもしれないけれど,みんな,いい場所にいるといいね。日本リクルートセ ンター リクルート」(1983 年・日本リクルートセンター・雑誌) 「彼女は,スキーに行っちゃった。だれかと 新幹線スキー」(1991 年・東日本旅客鉄道・ ポスター) 「当日キップで運よく席がとれた。でも,彼女とは一緒に座れなかった。ということがな いために,年末年始のキップは,1 ヶ月前から発売いたします。お正月愛情特急大増発 JR 九州」(1994 年・九州旅客鉄道・ポスター) 「彼女には男ができるし,ろくなことがないんです。ほんとに神さまなんですか?」(2003 年・全日空空輸・テレビ・コピーの一部) 「彼女」は「三人称女性代名詞の訳語」としての代名詞から転じて,「恋人である相手の女 性」を表す名詞の役割も果たす(『日本国語大辞典』第3 巻)。1980 年代以降における「彼女」 は,恋人を示す名詞的な用法が増えていった。
「男: ちょっとちょっと彼女。あらー,久しぶりやなあ。」(1995 年・マンダム・ラジオ・ コピーの一部) 「ねえ彼女,家族にならない? 家族割」(2002 年・KDDI・ポスター) 「彼女」が,二人称単数形として俗語的な呼びかけの言葉として使われる用例も,1990 年 代以降の広告に見られる。街角のセールスやナンパの場面では,「彼女」が初対面の女性に 対する「声かけ」として使われる。広告という不特定の人への呼びかけの言葉として登場す るのも自然な流れである。 6.「女・女性」が登場する広告 「広告はジェンダー,アイデンティティについてたくさんのことを語る」(Cortese, 2004: 51)といわれる通り,40 年余の推移の中で,「女・女性」の出現率は著しく伸びている。 だが,1990 年代以降の急激な伸びは,『コピー年鑑』の収録コピーにおいて,テレビ CM・ラジオ CM の比重が高まったことの影響が大きい。1980 年代まではつねに 2 割以下で あった電波媒体のコピーが,1990 年以降,3 割から 4 割を占める年が多くなった(2003 年 からは再び1 割台に戻った)。 電波媒体のCM においては,ドラマ仕立ての展開の中で男と女の掛け合いの場面が多い。 とくに女性(または男性)のありかたに関わるCM ではなくても,単なる登場人物として 出現率を高めることになる。その証左に「男・男性」の出現率の推移を見ていくと1990 年 代以降は,「女・女性」とほぼ重なる伸びを示している。これは,男女が対になって登場人 物を演じていることを示している。 以上の媒体特性が及ぼす影響を差し引いて考えると,「女・女性」の出現率は,第1 転換 期に「母」「奥さん」を一気に抜いて,1980 年代にその頂点を迎えたと想定できる(印刷媒 体のみにおける「女・女性」の出現率は,1990 年以降,低下傾向にある)。 ただし,1990 年以降の電波媒体においても,単なる登場人物としてではなく,その生き 方に触れた形で「女・女性」が使用される広告例は見られる。 だが,全体的な動向としては,1990 年代以降において「女・女性」という言葉の使い方 が変化してきたというべきであろう。 ところで,「女・女性」という言葉を巡っても,そこに歴史的な経緯があることはいうま でもない。 「新しい言葉の模索は,みずからが属する『男ではないほうの性』をどう表現するかの意 識化から始まった。その結果が,他称・自称としての『婦人』から,『女性』への変換,お
よび自称としての『おんな(女)』の立ち上げであった」(鹿野,2004: 71) 1980 年代から 90 年代にかけて,「婦人」については,「対語をもたず差別性に根ざす」(鹿 野,2004: 72)ということで,「女性」に変換されていった。労働省婦人局は 1997 年に女性 局に名称変更となっている。 一方,「おんな(女)」の場合は,「生身の感覚をただよわせているがゆえに,身体ごとの 解放を求めて,それに引き寄せられていった」(鹿野,2004: 72)のである。 以下,「女・女性」の登場するコピーは数が多いので,1960 年代,1970 年代,1980 年代, 1990 年代,2000 年代に分けて見ていこう。 「女らしさをたいせつに フラワーモード」(1964 年・帝人・新聞) 「女の心をとらえますね……このトレロンの感触 東レアクリルせんいトレロン」(1965 年・東洋レーヨン・新聞) 「ヤングレディ(彼女)をこちらに向かせたい!! 成長する企業は,若い女性層に注目し ています ヤングレディ」(1965 年・講談社・新聞) 「婦人 楽部・若い女性の見開きページはついにー! 新聞紙面をはみ出しました」(1967 年・講談社・新聞) 「男性は,女性よりも,靴下のタルミを気にすることが分かりました 東レプロミラン」 (1968 年・東洋レーヨン・新聞) 1960 年代は,「女・女性」という言葉が広告で使われることは少なかった。使われるとき も,「女らしさをたいせつに」「女の心をとらえますね」といった従来のジェンダーのとらえ かたの範囲内で訴求する場合か,「女性」という集団全体を指し示すために使用される場合 の2 つに限られている。 「複写機の広告というとすぐ女性が出てくることに女性はもっと怒るべきです。」(1971 年・富士ゼロックス・新聞) 「同じ女の一生です。流し台でムダ骨を折りつづけるなんて,そんなバカな……ヒューマ ンリブを考えよう ステンレス流し台」(1972 年・東芝商事・新聞) 「死ぬまで女でいたいのです。」(1976 年・パルコ・新聞) 「女性よ,テレビを消しなさい」(1976 年・角川文庫・ポスター) 「自分に正直になればなるほど,女は評判が悪くなるのです。ラングラーギャルズ」(1977 年・ラングラージャパン・雑誌) 「美女は,もうマイナスのシンボルになってしまった。」(1977 年・角川文庫・ポスター)
「ファッションが女の生き方なら,下着は女自身です。」(1978 年・ワコール・ポスター) 「結婚すると,女は自由になる。」(1978 年・西武百貨店・新聞) 「口で言ったら暴力で返された。女の子って強いなあ。GORO」(1979 年・小学館・ポス ター) 「仕事のできる女性をキャリアガールと呼びましょう。Canon NP-5500」(1979 年・キヤノ ン販売・新聞) 「女は,ファッションを食べて育つ」(1979 年・西武百貨店・ポスター) 1970 年代の第 1 転換期以降,「女・女性」の取り上げ方は明確に変化する。「複写機の広 告というとすぐ女性が出てくることに女性はもっと怒るべき」「流し台でムダ骨を折りつづ けるなんて」など,当時のフェミニズムの流れに呼応した怒りのメッセージが出現する。 また,「死ぬまで女でいたい」「下着は女自身」「女は,ファッションを食べて育つ」とい った女の「身体性」を,正面から肯定する言葉も見られる。「自分に正直になればなるほど, 女は評判が悪くなるのです」というコピーは,女性が自らに求められる「感情管理」を拒否 したときに生じる不都合を「告発」している。 「女性が作り上げてきた感情の技術は装い(=feign 引用者)の技術と類似している……他 の地位の低い人々にとってそうであるように,よりよい演技者になるということは女性にと っても利益になることであった」(Hochshild, 1983:166―167=2000: 191) 感情管理を拒んでもいいではないか。「女らしい」ふりをしなくてもいいではないか。こ うした主張が重なり合うところにラングラーのジーンズは位置づけられている。 「市場は,フェミニズムを進展させるために使えるのだろうか? もし,可能だというなら, どのようにして?」(Scott, 2000: 17)という従来のフェミニズムの視点からすれば異端とも 言うべき問いかけに対する答えがここにある。1970 年代から 80 年代にかけての日本の広告 には,消費者市場を巡る言説自体が,フェミニズムを推進するという「市場フェミニズム」 の実験場でもあった。 いまから思えば,「死ぬまで女でいたいのです。」という1976 年のパルコの広告は,30 年 近く後に書かれた次の文章に呼応するイメージ喚起力を有していた。 「フェミニズムがいつも生と死の問題を考えてきたことは,フェミニズムがいつもある程 度,ある種のやり方で哲学的であったことを意味している。人生をどう形作るのか。そして, それにどのように価値を与えるのか。どのように暴力から自らを守るのか。加えて,新しい 価値を根付かせるために,どのように世界とその諸制度に抗していくのか。こういったこと
をフェミニズムが問うてきたことは,結果として,フェミニズムの哲学的な探求が,ある意 味で社会を変えていくという目的と一致していることになる」(Butler, 2004: 205) 第1 転換期から第 2 転換期を経過していく日本の広告は,「市場フェミニズム」の熱気に あふれていたが,世の中では,そうした動きを「女の時代」という言葉で言い表していた。 「N:女の時代か。ウーン。西武」(1980 年・西武百貨店・テレビ) 「総人口の50.8% は女性です。国会議員の 3.4% は女性です。」(1981 年・総理府・新聞) 「女性の美しさは都市の一部分です。インウイ」(1981 年・資生堂・ポスター) 「いい女になるためには,悪い女にもならなくちゃあね。」(1982 年・マリークワントコス メティックスジャパン・ポスター) 「住所氏名年齢職業を脱いで,ただの女でいるのもいいものね。」(1982 年・資生堂・雑誌) 「……N:キミたち女の子の気持ちって,とっても不思議で,UFO みたいに に満ちてて, おじさんには分からないコトのほうが多いんだけど。でも,シャワーコロンのフワ? と軽 い,いい香り。あれで女のコがウキウキ楽しくなるんだろうなぁ,きっと。……汗のち香り。 資生堂シャワーコロン。」(1983 年・資生堂・ラジオ・コピーの一部) 「働き者だよ,日本女性。お勤め帰りのお楽しみ。教えた男がワルイのよ。トワイライ ト・ドリンクス」(1983 年・サントリー・ポスター) 「Ms. ニッポン いい女はいい女,ミス・ミセスの区別はいりません。だからミズ 資生 堂エルクシール」(1984 年・資生堂・ポスター) 「女性N:わたしは夜中に突然いなりずしが食べたくなったりするわけです。それはもう, 食欲とかそういうことではなくて,ただもうなんだか頭の中がいなりずしでいっぱいになっ てしまうわけなんです。それで,こうやってセブン―イレブンに……」(1985 年・セブンイ レブンジャパン・テレビ) 「忙しさも,男女平等だよ。とらばーゆ」(1985 年・リクルート・ポスター)
「キャリアウーマンって,働く女性のことなんでしょ。PARCO CULTURE PARK」(1985 年・パルコ・ポスター) 「女も,単身赴任の時代が来るのかしら?」(1986 年・愛知県・新聞) 「女だって,女房が欲しい。」(1986 年・NTT・雑誌) 「プロの男女は,差別されない。」(1987 年・リクルート・ポスター) 「みんなが少しずつ,いい女になっているんじゃないかな。」(1987 年・レナウン・雑誌) 「女性の数だけ,色がある。わたしの名は,シュウウエムラ」(1988 年・シュウウエムラ・ ポスター) 「女は,10 年生きのびる 一生が,一年生。」(1988 年・第一生命保険・新聞)
1980 年代のコピーを見ていくと,女性と労働の関係がより踏み込んだものになっている ことがわかる。1985 年の男女雇用機会均等法の成立をはさんで,「働き者だよ,日本女性」 「忙しさも,男女平等」「女も,単身赴任」「プロの男女」など,現実の仕事におけるテーマ が取り上げられており,1970 年代の抽象的な語り口とは一線を画している。 ちなみに1984 年に実施された「婦人に関する世論調査」(内閣府=総理府,1984)によれ ば,「今の日本では男女の地位が平等になっていると思いますか,それともまだ平等になっ ていないと思いますか」という質問に対して,73.9% が「平等になっていない」と回答して いた。「あなたは,女性が職業をもつことは,女性の地位を高めるのに役立つと思いますか, それとも,役立つとは思いませんか」という質問には48.3% が「役立つと思う」という回 答であった。 1970 年代は,女の「身体性」を理念として表明するコピーが多かったが,1980 年代にな ると,女の欲望・感情を日常生活の中でそのまま肯定する傾向が強まる。「いい女になるた めには,悪い女にもならなくちゃあね。」「ただの女でいるのもいいものね」「キミたち女の 子の気持ちって,とっても不思議で」「女性N:わたしは夜中に突然いなりずしが食べたく なったりするわけです」といったコピーにその傾向が表れている。 また,高齢化する人口構造を背景にして「いい女はいい女,ミス・ミセスの区別はいりま せん」「女は,10 年生きのびる」といったメッセージも登場する。 「憲法第二十二条には『職業選択の自由』と書いてある。しなやかな女性のための求人雑 誌 Salida 」(1990 年・学生援護会・ポスター) 「芳本: 今のあたしって,やっぱミスキャストなんだよねえ。神様にお願いして,役,代 えてもらおう。本木: 会社やめんのかよお。N+S:女性のワーキングメディア サリダ」 (1990 年・学生援護会・テレビ) 「GNP の何千万分の 1 かは,私ががんばっているのだから,そのへんも,考えてほしい。 女の職業選択誌 Salida」(1991 年・学生援護会・ポスター) 「私だって,日本経済を支えているひとりなんだから,もうすこし,幸せにしてほしい。 女の職業選択誌 Salida 」(1991 年・学生援護会・ポスター)
「恋愛ばかりじゃ,不安です 女の時代は,終わらない。女の新聞 Tokyo Lady Kong」 (1991 年・蘭華社・ポスター) 「M:結婚話は,嬉しいけれど,甘えられない意地もある 惚れて惚れぬく仕事がしたい 一度生まれたからは N:女性の職業選択誌 サリダ」(1991 年・学生援護会・テレビ) 「ママはまだ女性として美しいかしら。トルーマン・カポーティを読みながら キューピ ーアメリカンマヨネーズ」(1991 年・キューピー・雑誌) 「女は,仕事で死んだりはしない。胸は本物。現代のゴールド。ブローチ・ヌベール」
(1992 年・ワールドゴールドカウンシル・ポスター) 「女性の明るさで,景気の回復。」(1995 年・丸井今井・新聞) 「残業し,ワープロ打った企画書で出世したのは,先に帰った課長だけ。だったら,コー ヒー入れてエラくなろう。既に女性店長・副店長が4 人生まれた事業部だよ。株式会社クラ チ」(1995 年・ドトール事業部・雑誌) 「女性たちよ,家を持とう。」(1996 年・富士銀行・ポスター) 「女: 私……身体をかくしている。けっこうメリハリのある身体をストンとした服でかく している……素直になりたいナァ 『女』っていうことに……NA:あなたの本音を本気で生 かす ワコール」(1996 年・ワコール・ラジオ) 「N+S:美しい 50 歳が増えると,日本は変わると思う M:∼ N+S:女性ホルモンの 働きに似たうるおい S:植物抽出成分。女性ホルモンそのものではありません N:アク テアハート 資生堂 S:誕生」(1997 年・資生堂・テレビ・コピーの一部) 「搾りきったレモン。女性2 人に 1 人の,将来の姿です。」(1997 年・都道府県牛乳普及協 会・新聞) 「『タフでなければ,生きて行けない』というセリフは,女性専用にしたい。岩田屋Z― SIDE」(1998 年・岩田屋・新聞) 「女の子らしいと,働きにくい。」(1999 年・日本エムディエム・雑誌) 「女性面接官: 基本的にうちは男子は採用していないんだけど 男子学生 : でもぜひ入りた くて 女性面接官: あーっちょっと立ってクルッと回ってくれる 男子学生 : はい 女性面 接官: あまり鍛えてないわね。ところであなた自宅通勤 ? 男子学生 : いえ 女性面接官 : 結 婚してもつづけるの 男子学生: できれば NA:男性のみなさん,差別を受ける女性の立 場で一度考えてみてください。差別やセクハラ問題についてのご相談は,連合フリーダイヤ ル0120154 の 052 154 の 052 までどうぞ SL:ユニオン・レンゴー」(1999 年・労働組合 総連合会・ラジオ) 1990 年代の広告においては,バブル崩壊後の現実が色濃く反映している。過重なほどの 仕事をこなしている姿,あるいはもっと良い条件の転職先を探している様子が目に浮かぶ。 しかし,必死に働いても「出世したのは,先に帰った課長だけ」という壁にもぶつかる。 女性たちは「タフでなければ,生きていけない」というセリフのひとつもいいたくなる。 同時に「私……身体をかくしている。けっこうメリハリのある身体をストンとした服でか くしている……素直になりたいナァ 『女』っていうことに」と「身体性」の底にある欲望 についても自然体で語る。 「私たちを使うか,私たちにバカにされるか。当社の女性スタッフに立ち向かえる人,大
募集。」(2000 年・プロスタッフ・雑誌) 「日本国民は,20 歳から飲酒と喫煙,18 歳から男性の結婚,16 歳から女性の結婚,15 歳 から臓器提供が認められています。」(2001 年・日本臓器移植ネットワーク・新聞) 「秘密のトルコちゃん 世界中行きつくした女の,トルコ」(2001 年・トルコ政府観光局・ ポスター) 「インターネットでは,『あたし』と書けば男も女になれる」(2001 年・KDDI・ポスター) 「NA+S 本当に怖いことは,最初,人気者の顔をしてやってくる。今しかない。戦前に走 らない道を。護る女。社民党」(2002 年・社会民主党・テレビ) 「体力がある女 ‘美しい女’の見え方が少し変わってきていると思う。ナイキスイムウェ ア,誕生。」(2002 年・ナイキジャパン・新聞) 「NA:昔,女は選挙権がなかったと聞いています。今,私は持っているので行こうと思っ ている。みんながどうするのかは,自由にしていいと思うけど。MEANE MACHINE」(2002 年・ソニーミュージックエンタテインメント・テレビ) 「女の子市民は,戦争を放棄する。女の子市民の香り。」(2002 年・資生堂・ポスター) 「12 分間にひとり,女性が乳がんと診断されています。」(2003 年・エイボンプロダクツ・ 新聞) 「ひとつも悩みがなさそうな女が映っていた。あ,これ私か。ずっと裸。たまに浴衣。 ANA’s 湯ごもり九州」(2003 年・全日本空輸・ポスター) 「いい女性誌の登場って,何よりの経済効果だと思います。小泉今日子」(2003 年・宝島 社・新聞) 「私は10 代女性ですが,考え方は 50 代男性です。(今の消費者は難しい。)消費者をイン サイトする会社。Tokyu Agency Inc. 」(2003 年・東急エージェンシー・新聞)
「世界のどこかで,1 分間に 1 人の女性が妊娠・出産が原因で死亡しています」(2003 年・ ジョイセフ家族計画国際協力財団・ポスター) 「男ではない夫,女ではない妻。」(2004 年・ 萊・新聞) 「……NA:だから今『女がボクシングなんて……』と言われたら私はどうすると思う ? そう 闘う,私は闘う S:IMPOSSIBLE IS NOTHING」(2004 年・アディダスジャパン・テ レビ) 「そして10 歳の女の子は, 社長 になりました。」(2004 年・VEC 財団法人ベンチャーエ ンタープライズセンター・雑誌) 2000 年代に入ると,「女・女性」という言葉が,より広い視野のもとで登場する場合が増 える。 まず,「日本国民は……16 歳から女性の結婚,15 歳から臓器提供が認められて」「12 分間
にひとり,女性が乳がんと診断」「世界のどこかで,1 分間に 1 人の女性が妊娠・出産が原 因で死亡」など「生命」の文脈がある。 「NA+S……戦前に走らない道を。護る女」「NA:昔,女は選挙権がなかった……今,私 は持っている……」「女の子市民は,戦争を放棄する……」など「政治」の議論も過去には 少ない例といえよう。 「いい女性誌の登場って,何よりの経済効果」のように「マクロ経済」の話として,女性 のことが語られることも新しい。 一方,1970 年代からの流れを引いているものも見られる。女性のパワーを示すのが「当 社の女性スタッフに立ち向かえる人,大募集。」「闘う,私は闘う」などであり,女性たちの 欲望の解放を素直に訴えるのが,「ひとつも悩みがなさそうな女が映っていた。ずっと裸。 たまに浴衣」である。 「インターネットでは,『あたし』と書けば男も女になれる」「私は10 代女性ですが,考え 方は50 代男性」など,男女の境界線の脆弱さに触れた広告も初めて登場する。 「すべてのアイデンティティは,『他者』を有している。それとの対比において,自らの違 いを際だたせる」(Weedon, 2004:19)とするならば,現代はジェンダーを巡っても,「他者」 が見えにくい時代である。「肉体・衣服・行いといった文化的コードがジェンダーを表す」 (Weedon, 2004: 7)といった分かりやすい状況ばかりではなくなってきた。2000 年代の広告 において,「『女性』の多義性に対する配慮」(四方,2004: 87)は必須のものとならざるを えない。 7. 広告の重心移動 「マーケッターは,しばしば生物学とジェンダーを結びつけたステレオタイプ的な訴求を する」(Arnold, Price and Zinkham, 2004: 511)し,「広告主は社会において女性たちの役割 が変わってきている実態に追いついていない」(Botterill, 2005: 444)とつねに非難されてき た。
確かに,「女性と消費文化の関係についての分析は,極端に分かれたものになりがちであ る」(Goodman and Cohen, 2004: 84)といえよう。
「ひとつは,消費文化は女性たちを犠牲にすると主張する……消費は女性たちを奴隷化す る領域であるというのだ。一方では,消費文化は女性たちが積極的に関わるひとつの公的分 野を切り開くことで,女性たちを自由にしていくものであると論ずる」(Goodman and Cohen, 2004: 84)