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雑誌名 奈良教育大学紀要. 人文・社会科学

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(1)

奈良教育大学学術リポジトリNEAR

子どもの行動の歴史的変容[?] −高度成長期を境 とした対応関係を軸として−

著者 岡本 定男

雑誌名 奈良教育大学紀要. 人文・社会科学

巻 43

号 1

ページ 79‑94

発行年 1994‑11‑25

その他のタイトル A Historical Change of Children's Behavior [?]

 −With Special Reference to the

Corresponding Relation Observed in the Period before and after Economy's High Growth−

URL http://hdl.handle.net/10105/1659

(2)

子どもの行動の歴史的変容[Ⅲ]

‑高度成長期を境とした対応関係を軸として‑

岡 本 定 男 (奈良教育大学教育学教室)

(平成6年4月28日受理)

承   前

前巻迄で、 1970年代以降顕在化する子どものからだと心の「おかしさ」の決定的分岐点であり

「魔のトンネル」でもあった高度経済成長期が、従来の単なる静態的な体の歪みや意識的運動能 力の低下の指摘に留まらないレベルでの子どもの行動の歴史的変容を引き起こしていることを、

筆者の独自の視点による調査に基いて分析してきた。こ,での着目は、 「人」 「物」 「自然」の全 てに亙る子どもの無意識的・条件反射的・習慣的なレベルでの行動変容へのそれである。限られ たサンプル調査ではあるが、教育史及び子どもの生活・文化史にあっての高度成長期のもたらし たものの真相解明‑の一つの足がかりとすることを意図している。以下は、前巻に引き続く、無 意識的条件反射的行動と、それに引き続く日常的習慣的行動の変容への分析とそれらのまとめで

ある。

こゝで、便宜上前巻に記したこの調査の概要を再掲載しておく。

○ 調査概要

(1)調査時期:1988年12月 ‑1989年1月

(2)対象者:① 奈良教育大学2年生の両親 110名(回収率 55%)

② 奈良教育大学2年生    142名(同 71%) (3)対象者の平均年齢(当時)

① 親  49歳1ヶ月

② 学生 20歳1ヶ月 (4)対象者の子どもの頃の住所

(力 親:近畿地方   60%

(奈良:24%、大阪:15%、兵庫:6%、その他:15%

中国地方  8 %  九州地方  8 % 北陸地方  5 %  その他  19%

(令 学生:近畿地方  72%

(奈良:35%、大阪23%、兵庫6%、その他: 8%) 中部地方  6 %  中国地方  5 %

関東地方  4 %  その他  13%

79

(3)

(5)対象者の子どもの頃の家族数(%)

3 人 4 人 5 人 6 人 7 人 8 人 以 上

1 9 18 20 21 27

学 生 4 4 3 30 14 4 2

(6)対象者の子どもの頃の親の職業(%)

農 . 演 . 林 業 商 業 会 社 員 公 務 員 そ の 他

24 29 20 16 ll

学生 3 15 51 28 3

(7)回答方法:記憶再生による自由記述

I

尚、図8以下も、前巻同様、「以下のものを見たり、出合ったりしたとき、主としてとった行動・

動作を一つまたは二つだけ記して下さい」という問いに対する自由記述の答を内容によって%で 示したものである。各々において主にとった行動・動作のグラフ上段(白抜き)は、 1950年前後 に子ども時代を送った世代の、グラフ下段(線入り)は、高度成長期が完全に終若した1970年代 後半から80年前後にかけて子ども時代を送った世代のそれを示している。また、グラフの数値は、

男女あわせた平均として算出し、その後の括弧に、前項を男、後項を女の数値として示している。

事項の下にアンダーラインのあるのは、グラフ上段の数値がグラフ下段の数値の2倍を上回って いることを示しており、事項の下に点線のあるのは、逆にグラフ下段の数値がグラフ上段の数値 の2倍を上回っている場合を示している。また、 「何もしない」というのは、回答が無記入ない

し「覚えていない」ものも含んでいる。

〔1      日() :

図8‑1 道端の石をみたとき

図8‑1は、 「道端の石をみたとき」の子ども の反射的な行動に於て、高度成長期の前後に差 があるかどうか、をみようとしたものである。

こゝに見る限り、一見しての大きな差はない。

石けりをしたり、拾ったり、といった対象その ものへの関心は、殆ど同率に両者が示している ことがわかる。しかし、遊びとしての石けりで はなく、目障りなのか、なにかイライラがあっ たのか、その石を「足でける」という反射行動 に於て、 1980年前後の子どもの行動は、 50年前 後のそれを顕著に上回っている点は、注目に値 する。これは、既にたびたび指摘したような、

高度成長期を経た子どもの、自然や対象に対す る粗暴化攻撃化の表れと見て良いだろう。そし てもう一点、 80年前後には全く見られなかった

(4)

川に投げる

きれいな 面白い 石を圧す,ひろう

何もしない

50     .00%  行為として、その石を拾って「投げる」という

図8‑2 河原の石をみたとき

SO IOW

手にとる

拾って遊びに使う

振り回す

何もしない

図9 落ちたり、立て掛けてある棒をみた とき

50      iooj;

見上げる, 田rsesi

とぴつく, とびおりる

さわる,つつく, iJ卓Ltzftく

何もしない 33Z (26,40) 31Z (27,34)

図10 塀や崖をみたとき

反射行動が、 50年前後にあったという点。これを、

粗暴化行為とみるか、巧微なからだの表れとみ るかは一概に断じ得ないが、少なくとも対象と のより多様な関わりという点で、 50年前後の子 どもが勝っていたということは言えようか。

次に、同じ石でも「河原の石をみたとき」を 比較したのが図8‑2である。こゝでは、全体 として、その行動に取り立てての違いがない。

ともに、 2人に1人は、その石を「川に投げる」

という行為をとり、ともに4人に1人は、石拾 いなどの探索行為をしている。即ち、両者ともに、

8割以上の子どもが、河原の石に対する意欲的 反射行動を起こしているわけであり、この行為 に関しては、両者の違いより、両者を含めた今 日90年代半ばの子どもとの相違を予想する方が 妥当性を有しているかもしれない。

図6のような放置されたダンボ‑ルや大きな 空箱のように目立つものではなく、また図7の ようなそれ自体の価値をもたない、唯の棒に対 しての行動の差をみてみたのが図9である。こゝ でも、両者に顕著な行動の差はみられない。ただ、

50年前後の子どもの方が、 「何もしない」という 点でやや目立つくらいである。対象に対して「何 もしない」という反応が、 50年代の方により多 いという傾向は、図2(小さな穴)・図5‑1 (水 たまりの氷)・図5‑3 (池・湖の氷)図8‑1

(道端の石) ・図8‑2 (河原の石)と並んで意 外にも多い。このことは、この調査が、記憶再 生による自由記述であり、先に断ったごとく、

無回答ないし忘却を含めての「何もしない」で ある点を考慮しなければならない。しかし、こ の図9の両者の差13%は、これ迄及び以下のど の場合よりも顕著である。あえて、この点での 調査者の推測的見解を述べれば、 50年前後の子 どもが、行動の積極性・全身性及び冒険性に於て、

80年前後の子どもに比べ勝っていた、その故に こそ、 「小さな穴」や「道端の石」同様、遊びの 対象としての魅力に乏しい唯の棒に対し無関心 であった、と考えられよう。しかし、前項同様、

(5)

5。    1。甥  両者の顕著な相違の差への注目以上に、こうし

図11空家をみたとき

50      10W

あたらせてもらう

もっと湛やす

旋芋などをす畢

近よる

巳00 四raVEi

何もしない

図12 焚火をみたとき

50      10W

図13 蔓や紐など上から垂れ下がったものをみた とき

たただの棒に対してさえ、両者ともに手に取っ たり、遊びに使ったり、振り回したり、といっ た積極行動にでていたことの今日の子どものそ れとの予測される差の方が一層重要であるだろ う。

「塀や崖をみたとき」はどうだろう? この 差を示したのが図10である。こ,でも、こうし た対象に対し、無記入や記憶なしを含めた「何 もしない」という回答が、ともに約3割ある。

しかし、より多くは、何らかの積極的行動を反 射的に起こしている。しかも、こゝでは、注目 すべき顕著な差が伺われる。約3人に1人が、

ともに塀や崖に「のぼる」という積極的全身的 冒険的行動にでている点では同様であるが、 50 年前後の子どもの約10人に1人が、「落書きする」

という行為にでている点である。こうした反射 的行為は、高度成長期を完全に過ぎた時点の70 年代後半から80年前後の子どもには、殆ど全く 消失している行為なのである。逆に、 80年前後 の子どもの特徴的行為として、塀や崖を「さわる、

つつく、ける、たたく」といった探索ないし攻 撃的行為が、顕著に現れてくる。 「落書きする」

という反射行為が、高度成長期以後完全に消失 する、という背景には、一戸建て住宅から集合 住宅への住居事情そのものの変化や木の塀から コンクリート塀への変化といった材質の変化も 全く無視することはできないであろう。しかし、

やはり、決定的には、 80年前後の子どもの内的 要因によって、もはや落書きという行為が消え てしまった、と見るのが妥当であるだろう。

図11は、外から見てそれとわかる「空家をみ たとき」の行動の違いをみようとした。両者と も「中に入る」と「何もしない」がそれぞれ約 3割いるという点で顕著な差はないが、残りの 約3割には、その違いが現れる。 50年前後の子 どもに「中をのぞく」という行為をする子ども がかなりいる、という点である。さらにこゝで 注目出来そうな点は、単なる時代の差だけでなく、

その性差である。空家をみて、反射的に中まで

(6)

ソリ,スキー

雪投げ,雪合戦

雪ふみ,走り阿り

雪玉つくり

さわる,手にとる

何もしない

図14 積もった雪をみたとき

葉色を見回し, 背伸びや津呼吸

する 走り回る,すべる

zfiBMsuml且 を撃ぜ

草在やつくしとり ねころぶ

大声を出す

図15 土手や堤防など小高い所へ出たとき

こわす.世やす, 娘をとる

透げる

のぞく,近寄る, 樺でさわる

E56監Kfi?

避ける

みたことなし

何もしない

図16 間近に蜂の巣をみたとき

入ってしまう子どもが、両者とも断然男の子が 多かったのに対し、ただ「中をのぞく」だけと いう子どもは断然女の子が多いことである。こ の性差に注目した高度成長期を境とした行動の 差という点では、「近寄らない」という意志をもっ

た消極行為に極めて顕著な差が伺われる。即ち、

50年前後の女の子で、空家には近寄らない、と いう子は、僅か6%であったのに対し、 80年前 後になると19%と、 3人に1人の割合になった という点である。もっとも、 「中に入る」という 積極行為においては、逆に80年前後の女の子の 方が50年前後の子に比べて、およそ2倍もいた という点を考え合わせれば、これを単に消極化 と見ることは出来ないだろう。

図12は、 「焚火をみたとき」にとった行動であ る。こゝにも、一見しての顕著な差はないよう であるが、 「避ける、火を消す」という消極行為 と、 「焼芋などをする」という関連行為に、顕著 な差を見ることが出来る。 50年前後の子の10人 に1人が、焚火を見て焼き芋などをするという 行為にでていたのに対して、 80年前後には、そ のような子は、もう殆どいなくなったことがわ かる。しかし、こゝでも、逆に両者ともに「何 もしない」という子は、それぞれ5%、 7%し かいず、 9割以上の殆ど全ての子が、焚火に対 し強い関心と反射的行動をまだとっていたとい う姿の方が、今日との歴然たる差を予想させて 興味深いかもしれない。

さらに「蔓や紐など上から垂れ下がったもの をみたとき」はどうであろうか? その結果が、

図13である。こゝでは、かなり顕著な両者の行 為の差が表れている。 「ひっぼる、ふる」といっ た、積極的ではあるが部分的な体を使った探索 行動において、 80年前後の子が目立つのに対し、

「ぶら下がる」 「ターザン遊びなど」全身を使っ た遊びにおいて、50年前後の子が目立つ点である。

しかし、こゝでも、時代差とともに、性差に注 目すると、激的変貌とでも言うべき違いを見出 すことができる。 「ひっぼる、ふる」という行為 における女の子の差に注目してみよう。 50年前

(7)

小石を投げつける

^'チンコ,空気鎌で 竺コ 声・音をたてて おどす一木をゆら

(KB旧SEE

食べ物をやる, 画REOEE^H

教える,声を聞く 名前を考える

下を夢tfj歩̲(

何もしない

50      10W

後に42%だったのが、 80年前後になると80%と 殆ど2倍に激増しているのである。そして、こ れと対照的に、 50年前後には、 13%の女の子、

即ち10人に1人が、こうしたものを見て反射的 に「ぶら下がる」子がいたのに、80年前後には1 % と全く姿を消したのである。もっとも、両時代 の子どもの違いをトータルとして捉えたとき、

こゝでも、ぶら下がった蔓や紐などといった、

一見見過ごしそうなものに対して、ともに約8 割が積極的な関心を寄せる身体活動をとってい たという点こそ注目に値する、という見方が成 り立つかもしれない。

図17 木や電線にとまった烏などをみたとき  「積もった雪をみたとき」の反応の違いはど うだろうか、これを問うたのが図14である。こゝ では、一見して、その初発の反射的行動の違い

50      10W 捗で叩く,石を

投げる,追い払う おいかける

よくみる,立ちと まる,近づかない

tUJォwy謬臼 3BI閉

みたことなし

何もしない

図18 道を横切る蛇をみたとき

50       10W

礼を雷って頂く

礼を言って受け取 り安で乱に岳して から食べる

*」.

BE∃ Efll (上段は烏欝答)

図19 外で顔見知りの大人が食べ物をくれると 言ったとき

が表れている。 50年前後の子どもの最頻行動が、

「雪だるまつくり、ソリ、スキー」であるのに 対し、高度成長期を終了した80年前後の子ども

のそれは、 「雪ふみ、走り回り」へと重点を移し ているのである。このことと、 「雪玉つくり」に おいて、前者が0であるのに対し、後者の子ど もが18%もいることを併せて捉えたとき、両者 の雪に対する反応に、注目すべき変容が表れて いると見ることが出来るだろう。即ち、 50年前 後の子どもが、単なる積極性・全身性・冒険性 に於て80年前後の子どもに勝っていたのみなら ず、図5‑2の「田んぼの氷をみたとき」の反 応と同様に、対象を遊びの素材に変える意欲と 能力と技巧性に於て顕著な優位を示していたと いう点である。もっとも、こゝでも、先の「雪 玉つくり」の両者の画然たる差を考慮したとき、

80年前後の子どもが、積極性・冒険性・巧敵性 という点で50年前後の子どもに劣る反面、その 結果としての対象‑のより多様な反応が表れて

きた、という把握も成り立つであろう。

次は、 「土手や堤防など小高い所へ出たとき」

の比較である。これは、見方を変えれば、広い 空間における子どもの反射的行動変容のティピ カルケーススタディである。こ、でも、前項同様、

一見しての差が見て取れる。図15によれば、と

(8)

50     io<g  もに、最頻行動こそ、 「背伸びや深呼吸」ではあ

「あとで」という 断る

うoiRい、.

しぶしぶ遊びを やや̲石 丸はそんな時、用 事を頼まなカ、った (上段は熊解答)

図20 友人や近くの友達と遊んでいて親から 用事を頼まれたとき

50       100*

静かにしている, 自分の部足に

とじこもる 反発する,居直る

図21親からひどく叱られたとき

るが、次いでの頻度を示す行動に顕著な違いが 表れているのである。即ち、 50年前後の子ども の3人に1人は、見通しのきく広い空間に出た とき、 「走り回る、すべる、かけ上り下り、石投 げ」といった全身的技巧的行動に出ていたのに 対し、 80年前後になると、半減してしまうので ある。つい気持が良くって「大声を出す」子ど もの激減と併せ、広い空間での開放感を、反射 的全身行動に移して表現していた50年前後の子 どもの特徴を、こゝに明確に読みとることが出 来るだろう。

さて、これ迄の全ての事象や場面が、それに 近寄ったり触れたりしても、それ自体としてな んら危険性のない対象であったのに対し、図16 の「間近に蜂の巣をみたとき」は、少し性格が 異なる。これを、やゝ敷宿した把握をすれば、

予想される身の危険に処する子どもの反射的行 動の歴史的変容の1ケースと見倣して良いだろ う。高度成長期を境とした、こうしたいわば本 能的な行動に変容はあったと言えるのだろう か? こゝでも、これ迄に指摘してきた質的な 差がくっきりと表れていると言える。 50年前後 の子どもで、 「逃げる」 「近づかない、避ける」

という危険からの逃避行動に出たのは併せて 37%であったのに対し、 80年前後では、 55%と 明らかに増加しているからである。この両者の 際だっ差は、各々の最頻行動に注目すれば、歴然とする。即ち、 50年前後の最も多い反射行動は、

蜂の巣を「こわす、燃やす、巣をとる」であったのに対し、 80年前後では、何もしないで「逃げ る」子どもが最も多くなった事実である。やはりこゝでも、高度成長期以前の子どもには、危険

を承知で積極的・冒険的かつ技巧的に対象と関わる意欲や能力が顕著に存在したことを確認する ことができるだろう。

野の生き物に対する違いは、あるのだろうか。これを調べたのが、図17の「木や電線にとまっ た烏などをみたとき」である。この違いは、今までのどの場合よりも歴然としている。それは、

両者の最頻行動に注目することで、すぐにわかる。即ち、 50年前後の子どもは、まずそれらに対 し、小石・パチンコ・空気銃で「撃つ」行為に出ていたのに対し、 80年前後になると、 「何もし ない」という子どもが際だってくるのである。 「撃つ」だけでなく、脅したり、木を揺らしたり 電柱をけったりする子も、 50年前後の子どもに多い点を考え併せ、野の生き物への直接的働きか けの顕著なありかを確認できるのである。しかし、この結果は、これ迄筆者が指摘してきた80年 前後の子どもの自然や対象‑の粗暴かつ攻撃的態度の顕著化、という傾向とは矛盾する。ただ、

(9)

この場合の「鳥」が、多くは雀やカラスといった、ありふれた、しかも農作物にとっての害鳥で あっただろうことを思えば、その粗暴攻撃的行為の遠因を推呈することが必要だろう。いずれに しろ、粗暴性攻撃性も含め、 50年前後の子どもには、前項の蜂の巣に対してと同様、対象‑の技 巧的直接的行為の顕著な存在を確認できるのである。

図18は、 「道を横切る蛇をみたとき」の違いである。 90年代の今からすれば、この設問自体が 極めて特殊なものと受け取られるかもしれないが、そういう光景に遭遇したことのない子ども

の%を見れば、そうでないことが了解されるだろう。この事例は、危険と言うより、不気味で薄 気味悪いものに対する反射的行為の違いを予想しうるケースと言って良いかもしれない。こゝで も、両者の違いは、微妙に存在していたことが伺える。即ち、 50年前後の子どもは、 80年前後に 比べ、蛇を叩いたり、追いかけたりする子どもの方がより多く、逃げる子どもは少ない、という 違いである。こゝでも、 50年前後の子どもの、粗暴性・攻撃性の要素を含んだ、対象‑の直接的 技巧的交渉の顕在を見て取ることが出来よう。

これ迄、自然現象・もの・生き物といった対物的反射行動の変容を見てきたが、以下では、親 や大人と関わる対人的反射行動について調べてみよう。この設問も、前項と並んで、一見今日か らは、特殊なものと思われるかもしれないが、こゝでも50年前後を子どもとして送った人の無回 答7%と、 80年前後を子どもとして過ごした人の「経験なし」が4%という点を見れば、充分な 歴史的有効性をもつ設問である、と言えよう。

図19 「外で顔見知りの大人が食べ物をくれると言ったとき」を検討する。両者ともの最頻行動 は、ともに殆ど同率の「礼を言って頂く」である点が、まず注目される。しかし、次いで多い行 動には、明確な変容が表れている。即ち、 50年前後の子どもの約5人に1人が、そのことを「親

に話してから食べる」という行動をしているのに対し、 80年前後では、そのような子どもは4%

と殆どいなくなる。それと対照的に80年前後では、そのような食べ物の受け取りを「断る」子が、

やはり5人に1人いることがわかる。見知らぬ人ではなく「顔見知りの大人」からであっても、

その受け取りを「断る」という行為が顕在化するという点に、主として親のしつけとの関連での 変化を見て取ることが出来るだろう。

親と関わった子どもの対人的反射行動の変容をより顕著に捉えることが出来るのが、 「友人や 近くの友達と遊んでいて親から用事を頼まれたとき」の反応の差である。図20を見て頂きたい。

50年前後では、そんなとき、遊びをやめて「すぐ用事をする」という初発の最頻行動を殆どの子 どもが取ったのに対し、 80年前後になると、その割合は優に半減する。その反面、親の言いつけ を「うっとおしい」と思いつつ「しぶしぶ遊びをやめる」子どもが、 80年前後で激増する。用事 や労働に対する子どもの認識の差や親の権威的指示力の歴然たる変化の‑証左であろう。

図21は、この親との関係のより立ち入った変容を見てとれる好例である。 「親からひどく叱ら れたとき」、ともに最頻行動は「泣く」という反応ではあったが、次いで多い行動には、やはり 明白な違いが表れていることがわかるからである。即ち、 50年前後にあって、 「泣く」に次いで 多い行動が、 「謝る、反省する」であったのに対し、 80年前後になると、 「反発する、居直る」と いう反抗的態度に出る子どもが顕在化するのである。前項の調査結果と同様、こゝに、 50年前後 の子どもの従順性が、高度成長期を経て80年前後の反抗性へと変容した軌跡を読みとることは、

当を得ているのではないだろうか?

(10)

(3)子どもの日常的習慣的行動の比較

こ,での調査者(筆者)の設問は、 「以下の状況のとき、習慣的に行なったり言ったりしたこ とをよく思い出して、一つまたは二つだけ記して下さい。」である。前項(2)紀要第41巻及び本 巻所収)が、対物対人的な無意識的反射的行動の変容を見ようとしたのに対し、こ、では日常的 習慣的行動が、高度成長期を境にどう変容したかを捉えようとするものである。 (図の見方は、

(2)と同様である。) サンプルとして、高度成長期以前の1950年前後と終了後の70年代後半から 80年代にかけてを子どもとして過ごした世代(これ迄の分析も含め、以下の文中では、この後者 の世代を便宜的に「80年前後の子ども」というような表現に統一して記してある。)の、日常的 な習慣的行動の違いを、一日の時間の流れに沿って取り上げる。

50       100X トイレ,島磨き.

洗乱 登校準偉 テレビー下段のみ

庭掃除など宴の

1052 95,114)

図1 朝起きて、朝食までにしたこと

50       100*

着替え,身支度, 凪巴聞i‑ irnxMS

時間3I,島古き (下段のみ) 庭揚陸など安の

手伝い

遊び,新聞よみ, ラジオ,テレビ (下段のみ) 闇EZ2日32

かたずけ

1202 (121,123

図2 朝食後、登校までにしたこと

図1は、 「朝起きて、朝食までにしたこと」の 結果である。こ,には、明白な差を読みとるこ とが出来る。 80年前後の子どもが、朝食までに したのは、 「トイレ、歯磨き、洗顔、登校準備、

テレビ」であり、全ての子が、それらのいずれか、

ないし複数をしたのに対し、 50年前後の子は、

その3割が、これらのいずれの行為もしていな いことがわかる。その歴然たる違いを示すのが、

「庭掃除など家の手伝い」である。 50年前後の 子は、歯磨き・洗顔・登校準備もせずに、まず 家の手伝いをした子が3人に1人もいたのに対 して、 80年前後には、もうそのような子は1人 もいなくなったのである。電化製品の急速な普及、

農業など第一次産業の激減、こうした状況を生 みだしたのは、言うまでもなく高度経済政策の 結果である。ここには、子どもに手伝いを求め る家事労働そのものが、この期に全体として消 滅していった事実が、何よりも雄弁に語られて いると言って良いだろう。

図2の「朝食後、登校までにしたこと」の結 果からも、これと同様の傾向が、一層リアルに 示されている。こゝでも、80年前後の子の全てが、

「着替え、身支度、用具点検、トイレ」そして「時 間割、歯磨き」のいずれかまたは複数をしてい るのに対し、 50年前後の子のおおよそ2人に1 人は、そのいずれもせずに「庭掃除など家の手 伝い」 「自分の食器のかたずけ」を必ずしていた

ことがわかる。そして、この家の手伝いや食器 の片づけを登校までに習慣的に必ずしたという

(11)

棲々の遊びなど

Ⅲり¥t>jfmxi町Ej (翠)歌をうたう

宿患,本の暗記

50      100I

図3 登校中友人と、または一人でよく やったり言ったりしたこと

50       1〇0;

宴古の世岳など

皐畢L皐麹寧̲t:

図4 下校後、夕食までに、四季を通じて、ほぼ毎 日したり、やらされたり(手伝い)したこと

50      100%

1日の出来事を 岳し合う

MM日^B

迅tBsMSjSm^i玩

テレビをみる

学校でのことの 撃隼

特に何もなし

図5 食事中、食事とは直接関わりのないこ とで、家族間でよくしたりされたりし たこと

子は、高度成長を終了した80年頃には、見事に

「o」となっているのである。前項とあわせ、

高度成長が、家庭における子どもの手伝いを殆 ど根こそぎ奪い、子どもを朝からひたすら登校 準備とテレビの前に追いやり始めた姿をくっき

り見て取ることが出来るのである。

登校班などをつくって子どもを集団登校させ るような形態が一般化するのも、高度成長を経た、

わけてもモータリゼイションによる交通事故対 策にその一因があると考えられる。 50年前後の 1人または三々五々の自由登校を主形態とした 時代の行動と80年前後とでは、違いがあるだろ うか? これを見ようとしたのが図3の「登校中、

友人または一人でよくやったり言ったしたこと」

の結果である。こゝからは、一見しての大きな 変容はなく、両者ともに色んな遊びをしたり、

おしゃべりや歌を歌って登校する姿が浮かんで くる。ただ、少数ではあるが、 80年前後の子ど ものなかに登校中に「宿題、本の暗記、学校の話」

をする子どもが増え始めたことは、学習を主と した学校のあり方が、子ども達の中に大きく影 を落し始めたことの‑証左と言えるであろう か?

さて、下校後の子どもの日常的な習慣行動は どうであろうか? 図4の「下校後、夕食まで に四季を通じて、ほぼ毎日したり、やらされた り(手伝い)したこと」をみてみよう。こゝでも、

図1及び図2と同様に、家事労働や手伝いにお ける子どもの姿の激変の様相を余すところなく 見て取ることが出来よう。高度成長期以前の子 どもの100%が、 「夕食の手伝い、風呂たき、農 作業、家畜の世話など」の仕事をいずれかない し複数以上していたのに対し、80年前後になると、

そんな子どもは、 3人に1人へと激減している からである。替わって、高度成長は、学習を中 心とした家庭の学校化傾向を促し、前項と対を なすように、 「宿題、勉強など」にいそしむ子ど もを確実に生み出した事実を、こゝに確認する ことが出来るのである。

「食事中、食事とは直接関わりのないことで、

(12)

50       100%

「ごちそうさま でした」

食墨を放しへ 持っていく

何もしない

図6 (夕)食後、まず唱えたり、したり したこと

50       100I

タオルで】乳蛤作り 水鉄砲.ふだ選び

歌をうたう, Ll」3?」」

泳ぐ,水かけ, もぐる

体こすり,洗顔

図7 湯船に入っていてしたこと

50     蝣        100Z

「おやすみ」

照&szm;d ∃ie:

図8 四季を通じ就寝に際して、言ったり させられたりしたこと

家族間でよくしたりされたりしたこと」を調べ たのが、図5である。この回答の中の「特に何 もしない」という項目には、無回答や記憶なし が入っているのは、既に断った通りであるが、

やはり、両者の、そしてこ、では、子どもに特 有というより、家庭の食事風景の確かな歴史的 変容を見ることが出来るだろう。即ち、 50年前 後の子どもをめぐる家庭の食事風景には存在し なかった光景として、 80年前後には、併せて36%

の子どもが、食事中殆ど常に「テレビを見る」

「学校でのことの報告」をするようになった事 実を見るのである。ただ、両者ともに、 「1日の 出来事を話し合う」という光景が約4人に1人 は見られるという点は、 90年代半ばの今日との 相違を予想させるであろう。

この食事風景と関わって、食事と関わる作法 やしつけという点での相違を見ようとしたのが、

図6の「(夕)食後、まず唱えたり、したりした こと」である。こゝでも、微妙な変容を伺うこ とが出来るようである。顕著な数値上の差とし ては、 「何もしない」が、 50年前後の子どもに目 立つが、たびたび断ってきたように、この「何

もしない」には、無記入や記憶なしが入っており、

記憶に約30年もの差のある点を考慮すれば、この、

数値を文字どおりの「何もしない」と見ること は出来ない。しかし、 「ごちそうさまでした」を

(夕)食後に唱えることを常とした子どもの割 合が、 80年代の子どもの方に多い、という点は、

何を意味しているのだろうか? 良く言われる、

「昔は、家庭での親のしつけが厳しかった」と いうような言説と、この結果は矛盾するのである。

この点での考察は、後の図8で行うことにしよう。

一方、風呂場での習慣的行動に差はあるので あろうか? この点を教えるのが図7である。

こゝで目立つのは、 「歌をうたう、数を数える」

という行為が、高度成長期以後の子どもに顕著 化する点であろう。最頻行動で見る限り、 50年 前後は「タオルで風船作り、水鉄砲、ふだ遊び」

であったのに、80年前後では、この「歌をうたう、

数を数える」という行為にとって替わられてい

(13)

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図9 日曜の朝、いつもと違ってしたり させられたりしたこと

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図10 いわゆる奉仕的・自治的活動として集団 的にしたりさせられたりしたこと

るのである。これだけでは、断定できないが、

前項(2)で分析した、対物的反射行動における50 年前後の子どもの、対象との直接的全身的関与 の特質の一端をこ、でも伺うことが出来るかも

しれない。

図8は、 「四季を通じ就寝に際して、言ったり させられたりしたこと」を調べたものである。

ともに、習慣的行動として、 「おやすみ」を言っ ていた子どもの多いのがわかる。ただ、高度成 長期以前に子ども時代を送った子の2人に1人 しか「おやすみ」を言わなかったのに対し、 80 年前後の世代になると、約4人に3人と殆どの 子どもがその言葉を口にするようになった点は、

注目に値する。この意味をはっきりさせるには、

次に多い習慣的行為の方に目をやれば良い。即ち、

50年前後の子どもは、 「おやすみ」と同時にか、

或いは、 「おやすみ」は言わなくともなのか、 4 人に1人は、 「服たたみ、蚊帳つり、ふとんしき、

雨戸しめ」をいつもしていたのに対して、高度 成長期を終了した時点では、もうそういったこ とをする子どもは、殆ど全くいなくなった、と いう点である。これと関わって、先の図6 「(夕) 食後、まず唱えたり、したりしたこと」と併せ、

以下のような仮説的規定が可能なのではあるま いか? 即ち、高度成長期を経ることで、子ど もは、家庭における手伝いに替わって、 「ごちそ うさま」とか「おやすみ」といった親子・家族 間の礼儀作法的行為を親から求められるようになったのである。逆に言えば、 50年代迄を子ども として過ごした世代は、子どもの頃、親との言葉による要求以上に、家事労働や手伝いの方を親 から優先的に求められいた、ということになる。図8の「服たたみ」や「雨戸しめ」といった行 為をする子どもなど殆どいなくなった80年前後には、逆に「おやすみ」を言う子どもが明確に増 加していること、その意味を調査者は、そのように仮説的に捉えたい。

家事労働や手伝いが、高度成長期以後はっきりと減少したことは、図9の「日曜の朝、いつも と違ってしたりさせられたりしたこと」の結果を見れば明白である。 「朝食作り、掃除、洗濯」は、

ほぼ半減し、 「畑の草とり、家畜の世話」といった労働も皆無となり、これに替わって、 「遅くま でねる、ゆっくりする」子が、 2倍強に増加しているのである。但し、 「自分の靴洗い、部屋掃除、

布団干し」といった、いわゆる手伝いではなく子ども個人に関する身の回りのことをする(させ られる)子は、逆に高度成長期を経て増加している点への注目も必要であろう。このことは、先 の図6や図8での挨拶をする子の増加とあいまって、子への親からの要求が、高度成長期を経る ことで質的に変容したことの別の表れと見て良いだろう。換言すれば、高度成長期は、家庭にあっ

(14)

ての子どもに対する親の要求を、家事労働や手伝いから、子が身の回りのことを自分でするよう に仕向けるしつけ的教育的な要求へと変化させる転回点となったことを意味している。

さて、家庭内でなく、地域にあっての子どもの日常的習慣的行動は、どう変容したのだろうか?

図10は、そのうちの「いわゆる奉仕的・自治的活動として、集団的にしたりさせられたりしたこ と」の差を示している。両者ともに、 「道路掃除、道の草とり、溝掃除」といった自分の家の回 りの清掃を、親に替わって果たしていた姿が浮かんでくる。この点ではほぼ同型であるが、次に 多くの子がとった行動には、その変化の跡が際だっていることがわかる。即ち、高度成長期以前 の子どもの併せて42%が、日常的に「神さん掃除、公民館掃除」や「火の用心」をしていたのに 対し、 80年前後になると、そういう共同体的自警的活動を行う子どもは、併せても9%と、殆ど いなくなってしまったのである。それでは、 80年前後の子どもは、その分、こうした奉仕的・集 団的活動そのものをしなくなってしまったのであろうか? そうではない。高度成長期を経るこ とで、子ども達は、地域共同体の精神的文化的アイデンティティの象徴と言える氏神や公民館か ら撤退し、替わって、 「学校の草ひき、砂運び、廃品回収」や「ごみ集め」に立ち働くようになっ たのである。ここに、高度成長期を境に労働や作業を通した地域の精神的人間的結びつきが、子

どもの中にあっても崩壊し、替わって、学校が、広義の教育活動の一貫として、逆に、地域に子 どもの日常的集団的作業や活動を求め組織する主体へと転化してゆく一典型をみることが出来る だろう。

(4)子どもの無意識的習慣的行動変容のまとめ

これ迄、まず(2川こ於て、細かくは、

① 自然的要素の強い物や状況(図1‑図5、図8、図10、図14及び図15) (塾 人工的要素の強い物や状況(図6、図7、図9、図11及び図12)

③ 生き物(図16‑図18)

④ 人(図19‑図21)

の4種類、大きくは「自然」、 「物」、 「人」の3種類、さらに大きくは、物(図1‑図18)と人 (図19‑図21)の2種類に対する子どもの無意識的条件反射的行動の変容をみてきた。そして、

それに続いて(3)では、子どもの1日の日常的習慣的行動の変容を考察してきた。ともに限定的で はあるが、筆者の独自な視点に立つサンプル調査によって、従来欠落してきた無意識的条件反射 的な子どもの深相レベルでの行動変容を跡づけ、併せて、家庭や地域での子どもの行動変容を比 較してきた。

こ、で、この調査を結論的に概括しておくことにする。

高度成長期は、子どもの

① 「自然」 「物」に対しての条件反射的行動を、 1950年前後の全身性・冒険性・巧敵性とい う積極的働きかけから、 70年代後半に入っての局部性・逃避性・攻撃性という消極的働きか けへと質的に転化させた。

② 「人」に対する行動も、 50年前後の交渉的傾向から、 70年代後半からの忌避的傾向へと転 化させ、わけても親に対しては、従順性から反抗性‑と変容させた。 (但し、この点につい ては、サンプル数が極めて少数であり、今のところ、仮説的指摘に留まる。)

③ 家庭にあっての子どもの日常的習慣的行動を、 1950年代の家事労働や手伝い優先型から70

(15)

年代後半からの個人中心のしつけ型ないし学習中心型に変え、家庭の学校化傾向を大きく促 した。

④ 地域にあっての子どもの日常的習慣的行動を、 50年前後の共同体的自治的活動から、 70年 代後半に到っての校外教育的な集団活動へと質的に変容させた。

こうした独自の視点に立つ調査を通じて、漠然とした子どもの行動変容への認識が明碑に確か められた側面と、やや意外なと思える側面が浮上してきた。以下その点についても、簡潔に指摘

しておく。

① 「自然」をも含む「物」に対する対物的反射行動の側面に於て、高度成長期が、それ迄の 全身的冒険的な、総じて直接的積極的な行動を急激に衰退させたことは、ある意味で予想さ れた結果ではあった。しかし、その直接間接の結果として、対象への攻撃的ないし逃避的傾 向を出現させたことは、注目すべき点であると言えよう。

(参 しかし、もう少しこれを子細に検討すれば、別の側面も明らかになった。即ち、高度成長 期は、子どもの「自然」や「物」に対する関心を間接的ないし観察者的なものへと変えたの であり、それら‑の攻撃的ないし逃避的行動がそっくり取って替わったわけではない、とい う点である。 (例えば、図8‑1の「道端の石をみたとき」の反射行動のありかを子細に見 れば、 「足でける」という行為が、遊びとしての「石けりをする」を両者ともに上回っている。

石けりでなくただ蹴るという行為は、確かに対象への粗暴化攻撃化の表れである。しかし、

そういう要素を確かに含みつつ、 「道端の石」という対象そのもの‑の注目と関心の存在と いう点では、かえって、 50年前後の子どものそれを上回っているとも言えるからである。そ れは、極めて些細なとも言える存在としての、図9 「落ちたり立ててある棒をみたとき」の 両者の行動を比較すれば明らかである。そうした唯の棒を、手に取ったり、拾って遊びに使っ たり、振り回したりする確かな関心は、総体として、 80年前後の子どもの方が上回っている からである。こうした傾向は、調査した対物反射の殆ど全てに於て言えることである。)即ち、

高度成長期は、逃避性や攻撃性を一部に引き出しつつ、子どもの対物反射的行動を、直接的 冒険的反応から、間接的で探索的な反応‑と変容させたのである。

③ 家庭や地域にあっての子どもの日常的習慣的行動に於て、労働や共同体の維持に関わる要 素が急速に衰退したことは、予想された調査結果ではあった。しかし、高度成長期を経て、

家庭にも地域にも、学校教育及び校外教育の影響がくっきりと表れ始めていることを、その 日常性の行為・活動として兄いだし得た由ま、裏要である。

④ そのコロラリーとして、子どもが、とりわけ家庭内での手伝いや労働に替わって、一方で、

「ごちそうさま」や「お休みなさい」といった広義の礼儀作法を顕在化させ、一方で大人や 親への無関心や反抗性を増大させたことは、注目すべき事実であろう。

epZmJH声

「異質の世界だった都市と村とが接近して同質的になり始めたのは、昭和三十年代なかば以降 のことだと言ってよかろう。」し511

70年代以降顕在化したと思われるわが国の激変ぶりによって、従来まで確かにあったと思われ た諸々のものの確かな境界が、急速にぼやけてしまった。都市と農村との境界は、その顕著なも

(16)

のの一例にすぎない。私見によれば、大人と子ども、男と女、自然物と人工物、日常と非日常、

本物と偽物、健康と病気、遠くと近く、古さと新しさ等々、数え上げればきりがない。境界がぼ やけてなくなったことで、各々その本質的属性と思われていたものが揺らぎ、相互浸透を引き起 こし、人々は、目の前の対象や現実と相対しつつも、その本質や属性のありかを、容易に見抜く ことが困難になってしまった。

現代ドイツの代表的美学者の一人、ディートバルト・ケルブスはこう言う。

「湖や草原を一瞥したとしても、泳いでよいものかピクニックを楽しんでよいものか、信頼で きる情報は何も与えられない。食べ物の一皿のサラダも、その姿、香り、味はもはや私たちに 果たして食べてよいものか、信頼できる情報は何も与えられない。生と死を決するのはもはや 外観ではなく、知ること、つまり起りうる帰結の知的予見なのである。」

こうして人々は、自分自身の感覚や判断への信頼を急速に失わされ、

「振る舞いの決定(食べるか食べないか、飲むか流し捨てるか、外出するか家に篭もるかにい たるまで)を技術的な知覚機器に委ねねばならない。すなわち、私たちはそのごく単純な生活 の営みにいたるまで、機械装置に依存している」し53'

のである。今日の大人は、まだ相対的に、 「人」 「物」 「自然」に豊かに恵まれた環境や関係の 中で子ども時代を送ってきた。そのことによって、感覚や体力や対物・対他認識の豊かで直接的 な蓄積をまだ保持している。しかし、高度成長期の「魔のトンネル」をくぐって以降生まれ成長 した今日の青年や子どもたちは、自らの五感の代わりの人工的センサー、間接的でマニュアル化 した子育て、 l弘'作業・体験・実感・興味を欠いた受動的で概念的な学習、そして隅々にまで行き わたった管理的機構に囲い込まれて、しなやかな感覚や敏捷なからだ、外界に生き生きと働きか ける瑞々しい心を形成し得る端緒を兄いだしにくくされている。

「もろくなった子どもの体力も、反面からみれば英知に富んだ適応現象とみることもできる。

‑ (略) ‑からだが弱くなったといわれるのは、弱くても生きてゆけるからであり、英知がそ の方法を見出したからであるO」く551

果たして、我々には、今こうした把握の転換が求められているのであろうか?

いずれにろ、子どもの行動の歴史的変容を引き起こした「魔のトンネル」に対する本質的な検 討が、今後より本格的かつ総合的な形で始められねばならない。

(51)祖父江孝男編『日本人はどう変わったのか』日本放送ITJ版協会、 1987年、 p. 16.

(52)ディートバルト・ケルブス、長田謙一訳「イメージ牡界の牡界イメージ」教育科学研究会編『教育』国 土社、 1988年9月号、 p.72.

(53)同上

(54)寺内定夫『感性があぶない』毎日新聞社、 1989年参照

(55)渡辺俊男「現代の子どもはどうしてもろいのか」稲村・小川編『からだ』前掲、 p.121.

(17)

A Historical Change of Children's Behavior [IE]

‑ With Special Reference to the Corresponding Relation Observed in the Period before and after Economy's High Growth

Sadao Okamoto

(Department of Pedagogy, Nara University of Education, Nara 630, Japan) (Received April 28, 1994)

This is the final one of three times continued papers. I illustrated a part of the result of my survey concerning about children's unconscious conditioned reflex response in the last paper. I will also continue to indicate about a difference of the reflex responded behavior of children who lived before and after the economy's high growth in our country. It is made from 15 questions and their outcomes.

① From my investigation, we will gain the result that the economy's high growth

caused the immense historical change of children's behavior toward to the nature and the things from whole bodily, adventurous, and skilful responce to partial bodily, shunning, and aggressive one.

② As the second result, I would present a hypothesis that the economy's high growth

also brought out the change of children's unconscious conditioned behavior against a person from the communicatable tendency to avoidable one. Especially toward their parents, they turned from an obedient attitude to a defiance.

Then I will illustrate the results of my 10 questions concerning about childrens daily and habitual behavior before and after the period of the economy's high growth.

Consequently I would summarize the outcome of my investigation with these 10 items as follows.

③ Economy's high growth changed the daily habitual activities of children in their

home from the housework or the assistance to their parents to the manner or to the learning concerning about school education.

④ It also changed the activities in their communities from the cooperative and self‑gov‑

ernmental behavior to the educational activity out of school.

I believe that these questions and their results are the clue of the deeper and more essential research about the influence on child's life and culture in future.

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