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吉野山地東部川上地方の地質について(予報)

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奈良教育大学学術リポジトリNEAR

吉野山地東部川上地方の地質について(予報)

著者 志井田 功

雑誌名 奈良学芸大学紀要

巻 1

号 1

ページ 70‑73

発行年 1951‑03‑01

URL http://hdl.handle.net/10105/5231

(2)

−70−

吉野山地東部川上地方の地質について(予報)

志井 田   功(地学教室)

(1951年1月25日受領)

1・緒    言

四南日本外苛に於ける所謂秩父地魔の地質に関する 知識は、近年次第に尊富の匿を加えつゝある0近畿南 部紀伊山地方面の該地背の地質については、東部の≡

冥膝南部地方】)2)3)、及び樽に西部の和歌山膀揚摸、

由良地方4)5)6)7)に就いては研究陪栗の発表されたも のが少からザあるが、中央部即ち吉野山地及び高野山 地等に関しては詳細な研究精巣の発表せられたものが 比較的倭少であって末だ不明の点が少くない08)の10)

】1)筆者はこの比較的不明な地域の一都に属する吉野 山地の中、古生臥樺に秩父古生層を主とする地帯の 暦序学的並に構造地質学的研究を企て、昨夏爽公務の 余暇を利用して、先づ吉野川上流が薯野山地東部を横 断する奈良鯨吉野都=上村地方を踏査する機会を得た ので此の結果の概要を地質略図と共に予報的に発表す る。追って詳細は研究の進展するにつれて逐次発表の 予定である。諸賓の脚叱正を得れば執こ事である。

番研究に当り\種々脚助言を賜った京大級下進教授ヽ 東京文理大塔本拾義教授並びに現地踏査に際して多大 の御援助を頂いた川上高等学校長澤部武久、用上村第 三中学校長大久保準一及び川上村高原小学校長佐古武 雄の諸氏に対して深甚の感訝iの意を衷する次第であ

る。

2・地等踪分並に各地静の贋序及び構造 当地域は稗々顎著な構造線により,攻のような数個 の構造帯に分つことが出爽る。即ち北より南へ、大滝 背、白旗岳碑、高原一中興管、山上ケ岳背、柏木碑の 5背である。最後の2標の前額は1の構造線を以て所謂 鳥泉型石灰岩を含む飯塚保五郎技師の松尾暦3)に接す る。争覇道標は岩相的に夫々多少異った特徴を持って いるが一般に化石の産出が稀であり、暦序分帯、他地 域との対比等の点で多大の困難を感ずる。以下述べる 層序礪係は主として特事な鍵層である石灰岩.輝線凝 灰岩、其他等によって得られた岩相的の見料上の結果 から判威したものである。(5万分1地形図、青野山、

高見山、山上ケ岳、大台ケ原山参照)

A・大瀧橋 本衿は四寸岩山南方、迫部落北方、

自屋岳北方を結ぶ構造線以北を占めて居り、之を構成 する岩啓は、黒色粘板岩乃至薄暦理経質粘板勤;主体 であり、灰褐色砂岩、角岩等を爽在し、殆んど石灰岩を 見ない。大瀧以北に於ては痛に輝株凝灰岩を爽在L、

又、黒色千枚臥輝岩、変質輝線岩等の分布も若干見ら れる。寒帯の地質構造は一般に北西一南東の走向を有

し、北東に200〜3CO傾斜して居るので酋南方程見耕上 下泣の岩層が露出して屠るが、四寸岩山北東部には1

の菅斜構造があって同山頂附近では酉南方に焼いて 居る。又大瀧北方に於ては傾斜の著しく念な部分があ

こ1ビキ

り、玉穂瞳と川上村衣引部落を結ぶ線に沿う附近に於 ては南方に倒れたIもec111−1bentanticl加の存在するこ とが推定せられる。踏査地域内に於けるオ地背の岩層 の厚さ累計は見料上2000−11以上と推定される0本地背 と大淀町より上市町方面に亘って分布する千枚岩頭を 主体とする地帯との暦序的関係は之が漸移的なもの10)

であるか、文は構造線によって暁されておるかは不明 であるが、五鮭峠東方の白倉山頂上部には殆んど垂直 な片哩をもった千枚岩が小範囲に露出するに対し、之 に近接する五敵陣附近及び白倉山東北方山稜部に於て

は綬く北東方に匪軌、た粘板岩反び砂岩が分布してお り、前者の接触喝は新座、叢林に遮られて末だ観察し ておらないが、四国の状況より恰も千枚碧はKlippe状 に粘板岩地構内に坂喝された如き分布状態を示してお る。もし庇の千枚岩が前言巳上市町方直のものに相当す るものであれば所謂千枚岩地帯と本澤とは相当低角箆 の衝上司を以って接しておるのではあるまいかと考へ

られる。

筒址の附近の概況については脇水鉄五郎博士の報告 8)があるが筆者の観察結果とは多少意見を異にして居

ろ輝である。

B.白産岳等 白扇岳を中心とする一律に分布し、

その南線は白臣部落北方、井光部落北方を結ぶ構造線 により、高原一中興帯に接して居る。本帝はその東方 に於て出上村、四郷村境界山稜附近に連続延長して分 布して屠ると思われるが踏査地域内に於ては分布狭少 であってその地質肺道も詳細不明であるが、岩相的に は灰白色桂署を主とし、赤色桂岩及び灰白色石灰岩の

奈良学糞大一一声紀要:第1番 第1旨.1951(昭和26年)3月1日

(3)

富野山地東執り上地方の地質について(予報)       −71一

薄層を爽在し、南北の砧地帯とは著しく趣を異にして 居る。

C.高覆−ヰ奥帯 北緯は前記の構造線により大歳 韓及び自愚詠討こ接して屠り、南経は大天井ケ岳北方 首丁茶鼠肘近、下多古部落南方、北和田訃落北方、自 責岳頂上附距を結ぶ構造線によって山上ケ岳帯及び相 木虎に接して屠る。オ帯の南部に於てはその一般走向

は南線の構造線に略々並行で撤ね南西の方向を有する が北紬こ於いては次第に北西一南東方向に歪れ、北路 の構造線とは一般に斜行して居る。高原用上流発雷堰 堤附近、下多古部落西方を結ぶ線には1の菅斜軸が存 在し、叉迫及び白屋部落田近には若干の小招曲が見ら れるが、其他は一般に北方乃至北東方に向って200内 外に憤く草創構造をなして居る。踏査地域内に於ける 本背の厚さは見掛上累計的250Glllと推算される。本背 の層序は岩質上4分される。その概要は次表の通りで ある。(I†符;最上甚→I帯;最下部)

区 分 ]主 要 岩 層 i 雲 雀 岩 冠

厚  さ

IV 中 舶 匿 芸ソズ 、

7〔 ) 0111十

6( X〕 111= ±

帯 禁 楓  角岩 、粘舷

700 111土 I 帯  鳩 色砂岩 慧 岩、柵 岩 、

500111十 i 上表の内、IV帯の輝練凝灰岩ま北西方井光部落方面 に至るに随い次第に緑色砂岩に移化して居る。玉に持 書巳すべきは≠帯の上部に爽在する礫岩・であって、中興 部落南西方、新自動車道路切創に於て翻察した結果に よると砂岩暦は上下2枚あり、著しいものは下位のも のであって厚さ的40−−1内外に壊し、一部は租粒砂岩に 移化して一般に淘汰不良である。礫は含黒雲母花崗岩、

酸性火成岩、砂岩、角岩及び黒色細粒柾質岩等の円礫 乃至彊角礫であって、大きさは径1cm乃至8cl】1程笈で あり、灰緑色砂岩によって膠緒されて居り、石灰岩質 のものは末だ見当らない。

比の礫岩の連続性については末だ追跡不充分であっ て明言し得ないが、井光及び武木の谷に於ては之と同 一暦準と推定される部分に全くその露出の見られぬ串 より、局部的にレソズ状に介在して居るものと思われ る。筒お比の礫岩の下位的2(刀111の暦準にある角蹟状 石灰岩の小レゾズ状体より Triticites sl)・を得た。軋 帯の中には棒に石灰岩の集中して居る部分が2暦準あ

ソギテ

り、扮尾部蕃西方に露出るするものがその上位のもの で、下多古部落附近に存在するものがその下位のもの であり、高原谷入口附近に見られるものは略々前者に 相当する。之等の石灰岩中よりは末だ化石を見出して 居ないが、一般に極めてイヒ石に乏しい諒である01帯 中には処々に満俺質の小レソズ件或は囲塊を爽在する 部分がある。石灰岩は数暦準に存在するが高原谷股姥 上流に露出するのが最下のものである。

D.山上ケ岳禅 大天井ケ岳、山上ケ岳束斜面の鴨 川国有林地域をヨニとする峻険な山地を占めて居り、前 記高原一中興鞍及び校紀栂木精とは上谷討二落、首丁茶 屋を結ぶ私法線によって境して居る。主に砂岩及び灰 白色柾岩より成り、後者の部分は一投に著しい紅屋を なして居る。文盲丁茶屋南方では砂岩の一書のこ礫賢部 を爽在して居り、高原谷及び下多古谷の上流盲餌こほ砂 岩中に赤色柾岩の介在して居るものが見受られる。石 炭岩の露出は末だ発見して居ないが殆んど爽在しない 様である。大天井ケ岳頂上部附近には石英閃紘岩宜の 岩体が本槌を貫いて露出して屠る。9)11)12)本給内には 若干の小摺曲が存在するが之を全体的に見るならば北 東方に授かに焼いて居る様である。なお山上ケ岳附近 では縫岩が層聞招曲に依り著しく高角渡に僻射して屠 る部分が見られる。

E.柏木等 川上何泊木部落を中心とする一骨に 分布し、高原一中興帯、山上ケ岳倍及び南方の所謂鳥 巣塑石灰岩を含む地律とは夫々既述の構造線を以って 接して居る。全体として略々東西の意向を香し、北方 へ200乃至330傾斜して居る。砂岩、粘板岩、石灰岩を 主体とし、下部には輝臨凝灰岩を介在する。文角岩も 若干ある。石灰岩は灰白色無化石状であってその産状 は棺々塊状である。柏木南方の不軌富のある厚い石灰 岩は本職中部のものである。耳管上部の砂岩は白−」記山 上ケ岳借のものに岩質が近似して居る。

3.対比及び地質時代

A.各構造碍相互間の暦序的幽係については互いに 構造線によって隔てられて居る上に依るべき化石の産 出も極めて稀であるために、之を推察することは困難 であるが弓恥、て岩相上より比較して論ずるならば白屋 岳帯、山上ケ岳袷及び相木樽上部が岩相的に極めて近 似性を有することより判断して、柏木背の上位に山上 ケ岳帯が位し−白靂岳背は略々山上ケ岳標に相当する

ものと推定される。

B.酋南日本外野に於て秩父地背の厨序が比較的に

よく判っている土佐地方の各構造穂13)と本地域のもの

とを比較すると、大瀧背は北方の千枚岩顎を含む所謂

長静変成岩背に南接すること、粘板岩等の微粒貿岩が

(4)

一.72 −

志 井 田   功

多く、石灰岩の稀であること等より判断して土佐地方 の秩父地帯二化帯に対比され、所謂秩父古生層の一部に 属すると思われる。之に対して高原一中興硯は暦序的 性質が綿々明らであって、特に同塵の附帯上部に介在 する花崗質岩群を含む礫岩はその産状より見て所謂薄 衣式礫矧こ近似する。但し是に近接した暦準より産す る前記化石の種類より推して琵書式地北上山地に於ける 該礫岩の暦準よりは稗々下位のものではあるまいかと 思われる。叉本尊内に著しく輝粍凝灰岩及び石灰岩の 串賭することは上記事実と共に本符が、薄衣式及び所 謂休場式礫岩を含み、含紡績虫石灰岩の卓蛤する土佐 地方の秩父楷中澤に相当し、二畳・石炭系を主体する ものであることは疑のない処と思われる。柏木背は二 塁石炭紀碍及び鳥貝型石灰岩を含む地御こ接して存在 し、無化石質石灰岩がよく発達し、輝練塀灰岩を含む ことより推して土佐地方の秩父地簡南澤即ち三宝山屏 群の下部に相当し、その一部は秩父古生暦の上部を占 めるものであろう。文山上ケ岳符及び岩買上是に近接 する白陸岳得は踵岩及び砂岩の著しく卓越すること及 び後記三宝山野群中部に類似する相木背の上部に続く ものと推定される点より判窮して土佐地方の三宝山暦 群の上段即ち斗賀野蹄の一部に相当し、その地質時代 は≡三重乃至傍線紀に属するものではあるまいか○但し 以上の推定は一股に化石による裏付に乏しく諺に大胆 な論であって\詳細は今後の研究に侯たねばならない。

4.裏地の閏日陰

A・相木帯の南には砂岩、角岩の互暦を主体とし、

塊状無化石灰岩岩爽在し、餌場保五郎技露酎ま、大迫部 落東方の石坂署中より、若干の鳥巣型化石を報告して 屠るが2)、筆者はその南の伯母谷川合流点附近の泥灰 質頁岩中に、二枚介其他を稀々鷺宮に含む化石環を発 見した。これの瞼討は末だ充分なされて居ないが、附 近には相当化石産出の見込みがあり、この地域の中生 界研究上光明を興へるものと思う。

B.各構造背の境界をなす構造線の性質については 末だ追跡不充分であり、之を明言する域に到達して居 らないが、相木背の甫緑と鳥巣韓との関係は不動窟南 方東熊野街道路傍の露出に見られ、其処では相木帯の 石灰岩と鳥巣型石灰岩体との問に石灰岩より或る断犀 角礫岩鷺が存在し、是によって‡巴握される断層面は附 近の地形との関係より刑威して北に600程漫傾くこと が推定される0是より推して柏木背は所謂鳥巣碍上に 楷々高角箆を以って衝上して居るものと考えられる。

英他の構造線の性矧こ就ては本地域の東方隣接地域で ある鳥羽図幅内について嘗て論せられたように3)、叉 野後図幅に於ても同様な事柄が指摘される如く、是等 の構造線はそれが地質図上に直線状に表現されて屠る

ことより推して直立的な断層であるとして解釈され得 るものなりや否やの点叫については本地執こ於ける今 後ゐ研究に期する次第である。鈴お大滝北方の千枚岩 質岩休と粘板岩帯との境界面が匪速の推定の如く睦め て低角渡の衡上面であるか否かという問題に関しては 本地方に於ける所謂御荷鉾線の性質を詭ずる上に興味 ある事項であり、今後の研究に俣たねばならないo

C,7万5千分1野放図幅に伐れば中奥川上流部の秩父 古生厨中に礫岩の爽在することが示されて居り、其の 位置は筆者の高原一中奥常北緑の構造線の東方延長部 の北側に位して居る様であるが、この礫岩の暦序的位 置についての研究は今後の碑題として興味を覚える。

D.本地域の閏方、犬峯山脈を越えた洞川及び黒滞 村赤溺方面には石灰岩を多く含む岩層の発達すること が記されて屠り、9)11)是等は夫々本地域の伯木管及び 高原一中興檻の延長部或は相当管と推定されるが、そ れ以西か地域に於ては遠く高野山南方方面に至る問、

含石灰岩犀の存在が極めて稀な隊である11)。是等の問 の全役の滑息を究明する矯めに今後本地堺の西方に調 査稲喝を拡大することが望ましい。筒お本地方に於け る構造発達史の開題を考究する矯めにはその南方に分 布する中生屏地等の研究を行い是と比較帯造論的立場

に於て解決を計る必要がある。(1951,1,20記)

参 考 文 献

1)飯塚保五郎(1929)、7万5千分1鳥羽図幅及仝訟 明菩

2)飯塚保五郎(1932)、7万5千分1野後図幅及仝設 附書

3)小沢儀明(1930)、7万5千分1地質図鳥羽図幅を 読みて其の地域の地質構造を解辞す(小川博士還 腰細念地学論叢)

4)館林寛青(1930)、紀伊由良附近の鳥某統其他 について、地球、Ⅹ腋魯

5)井上重−(1933)、和歌山囁有拝りIl流域の地質

(一)、(二)、地球、Ⅹ正春

6)鈴木達夫くけ35)、7万5千分1秒坊図幅 7)松本達郎(1945)、西南日本外啓地質構造発達

史に関する新知見一和歌山願有田川流域の地質的 研究一九大理学部研究報脅、地質学、VOLV.No,1 8)脇水鉄五取1917)\大台原山、地学雑誌、ⅩⅩ1Ⅹ巻 9)K・Oki(1934、)Geology ofthe Yoshin0−6111ine

dバ圧ictin Ya−1latO ProYince,(京大卒論)

10)m中元之進(1949)、紀伊高野山近傍に於ける所 謂三波川、御荷鉾及び秩父系の相互関係に就いて

(−)、鉱物と地質、Ⅷ魯

11)金原信泰(1902)\20万分1和歌山図幅並仝証明書 12)鈴木 醇(1937)、粥南日本外野及び琉球列島に

発達せる花崗岩質岩石に就いて、地質学雑誌、

Ⅹ1.Ⅳ巷

13)小林貞一(1950)、日本地方地質誌、四国地方 14)小林貞一(1935)、丙南口本地体構浩と中生代古

地矧に関する一考証(其の2)\地質学雑誌\ⅩT.Ⅱ巻

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