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香川県の地質について (その1) 東讃岐地方の新生代層--讃岐層群を中心に---香川大学学術情報リポジトリ

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(1)

香川原立農料大学学術報告 272

香ノり恩甲地質について(そり1)

東商肢地方の新草代暦

−・‥こ−さ;・持−・デ モー・::−._・中一」、∴・−・一

斎 藤

実。中 山 山 義

The younger Cenozoic strata developed in the

T6san district,Kagawa prefecture,、Shikoku

−witnspecialr・eferencetotheSanukigroup−

恥 雨inoruSAITO洩ndKaz叩OShiNAKAYAMA

(Laboratory qf Earth Science)

(Received NovemberL30.1953)

富え が ∴普

香川県北部の瀬戸内海鹿たは花崗岩め老年期丘陵の主に痍由する讃岐富士と・よ‘はれも飯野山,また 古戦場と.して,溶岩台地と・して著名な屋島,掛こ国分,白峰の連峰などがあり,こ′ォ王らは首ぐから瀬 戸内火山御こ凰する火山として第三紐■末から箪四紀にかけて活動したものときれてヤーや.

域は水成岩の発達ほ偲とんどなく大部分が火山岩からなり,

噴出物である政次角礫岩,凝衣岩,集塊岩などがとびと・びに存在しているにすぎない.そのため時代 を決定する首獲物学的資料にとぼ㌧く,唯これら火山性堆積物は従来瀬戸内硫として一偏されそ?時

代も鮮新世こ東新せとされていた..■Lかし痕癒,(i952年)瀬戸種山あ代衷的な海軍1毒あるニ仁山附

近わ新郎頑声内研究グノ十プの藷氏によってなされた‖即ちニヒ山あ溶琴を触地胤(ニ上屑料 か車扱層療(Ⅰ妄十軋)や比較的下部の地配より不整合に層ほれておる・離セこれま童顔軸にな うセJこた二上山の讃岐岩瀬の噴出も欝≡紀の活動と考えられ為に薮った‖また瀬戸内火山系にぞくす 亭嘩?地産,一室生;ノ′J、豆畠,右槌, 仝貌があをらかになりっ」ある、.よつセ攣潜ら−ま瀬戸内系火山ゐ中心軸こぞくする香両県地境め顔究 か瀞声内入山活動の地史を考える主に大いに綬立っも

して寛讃肢地先(屋島,八軒,津庸)一′ゎ地質調査を行らたのでありますか.・まだ藤吉釦き勤達してお

りませんものゝ現在までの観察おとりまとめたのでその概要を報告することとした小網査にあたり御 怒卯な御指導を賜はった香川大学臥ヒ教授,及び梯・々と紳助言をいたゞいた壌北大学教授江口博士, 叉植物化石の鑑定に関し御教示下された凍北大学教授奥津博士の諸発生に対し衷心より感謝の背を表 する,また化石搾集にその労をと.られた本学白然科学部地学班の学生諸君に厚く御礼を申しあげる“

l 地 質 概 証

本地域の地質調査は1932年地質調査所佐藤技師によってなざれ高松図幅(7万5千分の1)として まとめられている..当区新生代眉はほとんど火山砕盾物からなる淡水性堆積屑で瀬戸内統という名称 で一・指されてきたい佐藤は瀬戸内統な火山砕屑物の種‡駅に.より,(1願性凝次岩,(2満輝石安Il協賛集 塊凝灰岩,籾基性ゴ泉衣角礫岩の三岩層に分った,これは周序的というよりほむしろ岩質的に分弄した

(2)

第5巻第3骨(1954) 2称

ものに.すぎない∴筆者らは屋島,八乗.津田らの三地区こに分離分布するこれら漸生代層(洪積屠をの

ぞく)の層序が極めてよく−優し,東讃岐地方の標準層序翠決定することが出来た・その新生代層は調 査の結果その間にわずかの time、g・apあるもほと.んど−・連の火叫活動にともなう堆積物なるが故に 讃岐層群とよぶことにするい即ち下位より領家常にぞぐする各穆深成岩勢を不整合濫屋島塩基性凝爽 角礫岩層,浦生屑,讃岐岩質㌧安山常及びその集塊岩,彗の摩遜衣岩層,八乗集塊岩の順序でかさなり 更に讃岐層群を不整合に覆っている屋島礫層が溶岩台地上にある.本区の基盤岩である額家琴打ちぞく する各種花崗岩顆は佐藤により詳細に記載されでおるので省麿する.別掲の柱状由に示した通り,こ れらの基盛岩の優蝕面上に堆積あるいほ流出した.と考.え.られる顔岐層群を下隠よりのべると次のよう である

托 各

(1)屋島塩基性凝衣角礫岩屑 このものを特に屋島塩草性腰衣角礫岩層と称したのほこの地区で極めて特異な存在であるから■七あ る..従来佐贋が分類した朗の本岩層ほ屋島は勿論のこと,高砕石倍尾山,津別ヒ山,女木,努木など で讃岐岩質安山岩の下位に分布する一一蓮の遼東角礫岩に対して附した名称であって,この岩層名に傲 も適合するのは屋島地区の超衣角礫岩のみであり,津田北山,石滞尾山附近のものはむしろ奥雲安 山東質の凝衣角礫岩であり,上位の浦生層の下部にほいるべきものである〃木屑ほ屋島北嶺より長崎 の鼻に下る道路の高さ200→150m附近笹みられ,省くより屋島の洞窟と.tて知られているのほ本嘉の 韓掘あとである。累蛮母花崗岩を不整合に覆いその境界はC6ncealされておるものゝ割合凹凸がは げしく,50m内外の厚さを示し,全体と.して暗紫色の塩蓋鹿火山岩改餅の2∼4m品の小角礫(瞼鏡 するときほガラス質の申に基性斜長石の針状結晶を多数含む)と花崗岩源の石英∴黒雲母,酸性斜長 石及びわずかの棟礫石(オリヴ色)の裂片が蓋性安山岩質凝次物によって膠結された凝次角礫嘉セあ り,中位では一一部粗砂質となり成層面をあらはし偶層を呈する朗もある、.こめ皮衣資粕砂岩中に10⊥

2dcmの黄色の展次角礫岩のbandがあり,この角礫ほ.主としてacidicashの顔画して角礫状を

呈するもので,その中にほ柘瑠石がみとめられる∴こLの角礫状の凝固次は静状に存在するだけセな く,土れより上偉の塩基性凝次角礫岩中にも散点しで存在する場合がある..木屑中の火山岩礫は本区 に灘られている火山岩乾その起源を求めがたい一.この割合塩基性な火山満動中の筏単にわずかながら 柘相石安山岩の活動があづたものと.想像される

(2)浦 蛍 層

木屑ほ屋島の甫嶺:化部より浦生に通ずる道路斜面k療式的に発達しているので浦生屑となづ煉 る.下部の花崗質砂岩は前記の屋島塩逓性凝衣角礫岩層をや」不整合に覆っており,屋島北嶺の洞窟 附近の霹顧でそ・ゐ境界がみられる.境界は割合盾線的で平担薗の存在がうかゞあれる.三地区で岩酷 ,層犀にわずかの変化はあるが,全体として10∼30mの厚さをもち下位より花崗岩のCObbleをも、づ た花崗質砂岩,砂欝凝次岩,黒雲母安山岩質英次角礫岩の層序がみとめられる..上層になる忙つれて 皮衣質となっているり 即ち屋島地区では山上より浦生に下る道」路の高さ200m附近に露比し,花崗岩 に/直接して花岡質砂質崩次岩,及びガラス質黒雲母安山岩,英雲安山岩の角礫をもった頻衣角礫岩 とがみられる..八乗地区では本層の最下部は10m位のガラス質英賓安山岩のflowであり,八乗専東 方の卑下にわずかにみられるい細粒花崗岩との接触面は30∼40魔の傾斜をもち,その基底部は基盤岩 の角礫をましえて流動角棟状を呈している.この上に5m位の褐色頻次岩,掛ここのわずかの倭蝕面 上に1m位の成層せる砂質凝次岩(dip N300)次iこ10m‡裾)英雲安山岩の小磯を含む黄次色塊状の 凝灰岩がくる… 本層が英雲安山岩のflow な・火ぎ観衆岩が花嵐岩に直接する肝⊂ほ,両者の関係は blended unconfor・mityであり,木屑の堆積前に基塊茎ほ相当の深さまでマサ状を呈していたのでほ

(3)

2 香川県立農科大学学術報告

あるまし∴か..津由扇面七は意薄坊より北山に登る道路の切割(高さ150て−2的m)妃療頚し,割合に犀く

2岳m内外,セ位より成虚した凝衆角礫岩(diがヾ20庶,ガラス質英雲安山岩の′ト角礫),糞尿色の凝衣

資鹿砂岩,主として多石基質の英雲安山岩の′ト角礫と花崗岩の裂片どよ

Cobble大の亜角礫をもつ砂質凝次岩となり,Cobbleほ主と.して斑品質の含柘相石黒雲母安山岩で

ある∴敢に5ふの集塊凝灰岩,5mの淡炎色凝衣岩の順でのつてく

や)合輝石讃岐岩質安叫琴溶岩及びその集塊岩,基盤岩及び前記二層を覆って流出したのが含輝

石讃岐岩質安山岩である小これは屋島,津田北叶附近でほとんど等高の溶岩台地をつくり板状節理が

極め七よく発達している..北山の本岩は屋島のものに比べて親分粒状を毒し斜長石の含有量二も多くみ

られる。屋島では下部,中部,上潮と.北山では上部にそれぞれ本岩賀の集塊岩をともなっており特に

上部の集塊岩中には黒雲母安山岩塊がみられる…八乗でほ溶岩の流出はみられないでほとんで集塊岩 である“(この集塊岩中の安山岩塊は石基中に針状の斜長輝石徴晶を多盈に・まじえて英薯安叫岩と

叙蚊岩質安山岩の中間健約なものが多い),本溶岩と下部屑との境界面は屋島では高さ200mの平墜

圃であり北山ではわずかに北方に傾斜しておりそ・の差ほ・50mある“この傾斜は浦生層並びに雪甲犀凝

次岩層も20度内外北に傾斜しておること.より考えるとpr・imaryslopeではなく溶岩流出後に北え

向って傾勤したものと考えられる..(こ.のこと.は八乗地区でも涌生屑が北に30皮内外傾斜しておるこ

とよりもうなづける).次に浦生層と本溶岩との関係1であるが.(i)浦生層は割合渾屑ながら金城

にそ・の分布がみられるい(ii)しかし屋島では西斜面でみられるが東斜面では溶岩が基盤花崗如こ鹿

渡している.(iii)溶岩と浦生層との境界面はほとんで平坦であることなどより浦生層堆積後にわず

かながちの俊蝕期間の存在がうかゞわれる・ ㈲ 雪の磨凝爽岩層 屋島の溶岩台地上に建てられた屋島寺の境内にわずかながら分布する白色の酸性凝灰岩がある・・晩

秋にほ鱒共に倣えて白雪のように美しい,このことより雪の庭と・よばれて屋島展勝の・一つに数え朋t

ているi州こゝに模式的に凝達するので筆者らほ雪の磨凝次岩層と.なづけた.木屑は極めて特長ある英

蛋安山岩質の純白の凝灰岩でわずかに剛旨岩(?),英雲安山岩の小礫をまじえ.ている∴本区の寛芳庵

治札′ト田村附近で牲極めて厚く50m内外,部分的に成層し偽層を示す朗もある・・下位は−灘紳こPis.0−

1iticであり分布地域のmargineに=多い.中部ほ浮石質の凝灰岩であり最上部ほ純白,微細,均質

の凝灰岩で,ぞくに白粉石とよほれ現在採掘されておる、.本腰の中位から上値にかけて珪化木及び多

数の植物化石を産する‖ 珪化木は−・部璃翰化しその村組織よりすると Qれ押−∂〟ぶCタ’梗祝JαBLUMEが

多い,(写炭参照,八乗源氏ケ峰附近,小田村より韓集),穐物化石ほ不完全で笹の鑑定に適する

ものは少いが系のようなものを採集した,(庵治相原の内附近の石劇場)旅g〝・ゞメ砂の言わαMAXIM,

拘留〝ざ坤,拘g〝ぶメ♂グーγ’叫好彿犯AIT,Q加甜■c〝ぶ坤,Sα勧頭,q少gγ−〟ざ申,写〆オ”gαざ少などで

ある..本腰が直接基盤の花崗岩類に・接するところではわずかながら賢母片岩,花崗岩の水飴礫がみと められる,その構遁も全体的に二北朝こ援傾斜しているものゝようであり,讃岐岩慣安山岩流出後北方 え傾勤しつゝ∴沈降しながら本区最大の爆発性の英芸安山岩の活動が開始され多量の火Lり次を一・時に

飛散せしめ,本層を堆積したものと.考えている.

(功 八乗集塊岩層

八東五励LLl及び北方の小山丘を構成し標式的に発達しているので八東集塊岩とよぶ。.全犀60m内

外,その中に2m内外の淡灰褐色の砂質凝灰岩を挟み,その外30cm内外のものがレンズ状に2⊥3

屑挟有されていて・低層の発達が著しい,下部は斑品質の黒雲母安山岩,閑雲安山岩質の集塊岩であL)

前記凝双岩にひきつゞいて行ほれた火山活動による産物であり,むしろ嘗の廃凝次岩層の上部には入

るべきものと考えている._と部は紫蘇輝石角閃安山岩質集塊岩,北方丘優には更に上位の両輝石安山

(4)

第5ノ準第3号(鱒4) 岩質集塊宥があろ..津田北山北部では白色酸性凝灰岩の上俄に−5−10mの黒雲母安山岩貿の集塊岩煎 嘩統的に発達している.∴、,昼土讃岐層群の各部層について碍敬したのであるが∴爽笹この諒岐層寧を泰 しい不審合で覆うている屋島礫層笹つい記載をすゝめる (1)屋 島 r礫 層 讃岐岩質集塊岩を不整合に覆い層理の発達したgr・anulegraVelが屋島の最高点292.5p

傍に5m内外の厚さで発達している.1∼2cm程度の小角礫で5cm内外の間隔をもって極めて明瞭

な層理を示し,(写虞参照)Peb.gr・anul占zone,COar・Se ZOneと交互し.ほとんど水平であり時 として10M・2(痩のdipを示すもOr・iginaldipと思われる..小角礫の大部分榛ガヲス質の英雲安山岩 と花崗岩とであり魂に琴母片岩もある‖これらが花崗岩の分解砂によりゆるく膠結されて串る叫集塀 岩との境界ほ極めて不規則で部分的に・abut?関係で接しておノり堆積当時割合地形起伏の−あつキニ キやミうかゞわネtる・、層琴や償層の発達を示すものゝ礫が極めて− apg可ar■ でありかつ黒雲母片が層 琴に・並行にあることなどより割合静かな流れのもと・に堆積したものと考えやれる、

甘 考

察 瀾述の通り本地唾の新生代層ほ⊥っの層群と二つの部層とに分けられる.即ら讃岐屑癖と屋島藤屑 及か洪積鳳で塾‘る..両者の問にほ醜薯克不重合関係がみ上申られも..讃岐腐群の地質年代にこづいて ほ,年代決定に対する首生物学的資料にとぼしいが,本層群のや「ゝ上位に偵する雪め卑凝灰岩層より 得たる植物化石,及び盲瀬戸内地域の新生代層と nom卑猥tidnにおけるHl附こ相当し,讃岐層群としてほ,■古滞声内地域の「古い方の新生代」.の割 合上の部分,即ちG∼Hl偉段・占めるものと考えてし、るりまた屋島礫層と洪積層との関係について静ず べき何らの資料も得られないが,本区の洪積層は各瞳安山労円礫が花崗岩分解砂によってゆるく膠緒

された礫層であって,かつてEbY’astegt)don sugかamaiToKUNAGA(財闇付入樋)を達した鮮

新∼洪積層よりは上位のもので中部洪積層に入るべきものと思われろり 屋島礫層堆積彼の上昇期間 中の倭蝕にと.もない洪積層の堆積をみたのではあるまいか,屋島礫層の時代を・一応Il∼Jlのある部分 (比轄的下位)を・占めるものと考えている,讃岐屑群の堆横過程を・みるにかなりの沈降,隆起〉(広範 囲のものでなく局部的なもの)をくりかえしかつ金屑が火山性堆積物なるが放に・その碑造牒判然と七 ないがかなりの造構運動があったように思われる..花崗岩の侵入後,白票紀∼首筋三絶にかけ七の広汎 な遁陸運動の結果,本区は陸化し長い俊蝕期間中に古生層(山口層)は削刺され花崗岩斬が霹肘㌻るに 致った一.そして新第三紀初期∼中期における造横道動と沈降運動とに関聯して,この花崗岩の僚飴面 上に.(浅い水城部分出現,低窪地が飛びとびに存在する状態)爆発性の基性火山活動が行はれ主とし て屋島方面より北方えかけてその火山灰,角礫などを掲出せしめ,その間にわずかながら柘杓石■安山 岩の活動も問畝的に行はれたようである”この活動が弱まるにつれて,部分的にわずかながら上昇, 倭蝕期を捗むものゝ仝体的には沈降をたどり,潰い水城は津田方面にまで全域に.拡り,浦生層の下位 を占める花崗質砂岩などの非火山性物質の堆積をみるにいたるいついでガラス質の英箕安山岩,熱雲 母安山岩などの活動が起り溶岩の流出と.同時に少盈の火山灰,角礫などを堆積盆地え供給している. これにともなえる溶岩流は本区の南部方面に′ト山丘を形成している..(浦生層堆積の初期にほ屋島, 津田方面に・湖沼の出;呪をみるが八乗地区ほまだ高まりの部分をなし,前二者よりやゝ遅れ英芸安山 岩流出後浸水したものと.思われる)この活動の終了と同時にわずかに上昇し俊蝕されつゝ火麻物質を ほとんどともなわない讃岐岩質安山岩の活動に入り,本区・一・帯に.溶岩を流出したのである(∧東地区 はあまりみられない)流出後北方へ傾く新著な傾斜運動に入り(幾分かの地塊化をともない,屋島地 区は大した影響をうけない),これは火山活動と浸水をともなった,即ち本区最大の火山活動である

(5)

27占 香川県立農料大学学術報告 英雲安山岩.黒雲母安山岩の活動が行われ,一博に大魚の火山灰などの火山性抽出物を供給し,それ らよ−りなも湖成層を堆積した∴ついで閃重安山岩∴角関東山岩,更に雨輝石安山岩の活動に移り八東 集塊署を形成したいこの活動は割合ほやく終了しうし、、車上昇削剥の時代には入り;Ⅰユ∼Jlの頃帯びこ の地域の全部もしくは・−一周分が沈降しで屋島礫層を堆積したものと.考えられる.これら・−■邁の火山活 動厄.GノこHiにかけて行われたもゐと考えている、小

あ と が 尊

この論女でほ従来本地区内で瀬戸内統と1一括されていた火山性堆横層を蕾疲層群と・し,その時代 もG∼Hl痢に息るものと改め,その層序と.それに関聯せる火山宿敵とっいて論じた.しかし讃岐層群 全部屑が火山性地出物からなる堆積層なるためその構造を判然とし庵ず,しカ 宿とめ蘭痛も明らかにする七とが出来なカごったJそのうえ極め七不備のノ魚が多いが,古瀬内地域新生 代地史に寄与する朋あれば奉である∴晩在西薮蚊馳・方の新生代層を調査中であり,既に三豊郡・仲多 度那の画磯北蔑一博に分布し,従来洪積層と考えられていた若い地層群(筆者等仮称三豊層群・基底礫 屑,泥炭を伴うシルナ層,アルコーズ砂礫等の茸屑,金屑厚50∼100mlより此払g’β弼〝Cよαd‰新一cみα, 八川くん心/′.阜/♪イ}りん・−/、り・りり=/イり./は′/.Jご′州.イ、′/∴′′、7′/・・′J′∫・Tl−小‥J/ハハ〃‥山、11・イー′/ /(イ叫小′∴抽′//・川・呵/ゾ)川/′♪∴ヾ、り〃・ん′こり′小ノ′J=・ご・i一り…、川′〃〃血ト/川′一汁・⊥=睾′、砧′∼ り/…/・///′/、L㍉ノ,JJJ♪ ′・り.イハり・∴ノ./、し−.いイJ∴て 川こ■川●′/、JJ.、●/JW・心−り /・′トー′/●JJヾ..け・、∴/、り/J、ノI、 A桓・、鱒二,窄■∼去■α動弗中沼∂∂:′〝C的グα,毎の楓物週休を探襲しており,藤川県下にも相当広範囲に 由右層卿硝慮即ち鮮漸層の分布していること.が判明した.帰洛一偏して改稿し と 講演しキ.なおこの研究に・要した費用の−・部ほ文部省の科学研究費によったものである 文 献 1.佐藤 源郎:高教囲階地質説明背 馳栗許香所ユ932 2,.遠藤 誠道:最適=の地質時代において日本群島に絶滅せる植物,動物及植物第2巻9号1934 3.小林 良∵・:四国地方地質誌195ユ 4.・ノ漕藤 次男:大分麗辞の地史判(研究地質写経詑5E巻1952 5・池辺 展生‥日本の新生界,徳串堺地学研究会報(蓼旨)1952 6り 斉 藤 契:香川県における傾斜地の地質及び花崗岩の風化について,香川蟄大学術報償第4巻3号1953 フ1・壁間 太郎 8.輔越 j和衛・永井 浩三:愛媛児与居島附近の地質地腰学会関西支部報(要旨)1953 9・首藤 次男:患州異同群の地史学的研究(T)地質ギ雑誌第59巻693号1953 10.首藤 乱‥香川県の地形ユ.953

(6)

27ラ

筋5巻第3号、(1954)

木質白石の組織(雪の庭凝荻岩層)×50

R e s u:汀l‘

Intheeasternpart.of Kagawa pr・efecture(Tosan district),Shikoku,yOung・er

Cenozoic rocks are exposed extensively。

Theyrestmainlyon abasementofgr・anites andmica・・SChists of so−Called Ryoke

Metamorphics.They ar・e COmPOSed of various sorts of voIcanic,pyrOClastic and a

few sedimentary rocks..

Theyoung・er Cenozoic rocks are divisibleinto the fol】owing onegr・Oup and one

memberby adistinctunconformity;thelowerIistheSanukigTOupWiththe//VoIcanic†/

and the upperis the Yashima gravel。

From a fewpalaeontolog・icalevidences(plant fossils)and others,theSanuki

group maybe mio−plioceneingeologicalage(G−HlOfIkebe′sletternomination on

thesubdivisionofJapaneseTer■tiary)andtheYashima gravelmay be p】io−p】eistocene

け1−Ⅰ2)

The stratigTaphica】sequence of this str・ata and the successionof voIcanic activ−

(7)

278 香川療克典御大学学術撃億

Yasbim争graVel(5m)

ヽ一、J■ゝW す †

Hornblende andesite

Two PyroxeneA.

Hor・nblende・biotite A Bi6tite A Quartz−mica A. (Biotiedacite) Augite bear・ing

Sanukitic A

Quartz・micaA..(glassy) BiotiteA(glassy) Pitch stone

Biotite dacite flow

Yaguri agglomerate

(50m)

Yukinohiwq tuffmember

(p】a‡itfossils)(10−50m)

Sanukitic andesite flow

(Aggiom?rate)(2050m)

■ヽ●ヽ■、一ヽ■、\、、ヽ、・■■■■■■■■−_∴、.一_−

Urou tu琵member

(20m)

■ヽヽ、−\■ ヽ ■lヽヽ「−−、−−ヽ、I■ヽ ■■・ヽ′ヽ

Yashima basic tuff

breccia member(50m) Sanuki

grOup

(8)

至高勉 地 長 尾 町

(9)

克讃岐地方新生代地層層序 舛膝中山(1953) 屋 島 地 区 八 実 地 区 津 田 地 区 八 Agglomef■ate At・qAb 穿き 集 塊 50m Agglome工atや(30m) Ab,Ah−b(H) 20

plantfossil

50 AbAh・b(R) As Agglomerate 2q Aq・・m,Ab(G) St膵tified8andyt11ff(1) P Browntuff(5) 25 ■■−・・、一′■■ Finegtained騨相聞ite Aq・m英奉安山潜 Ab 典雲母安山替 Atl・bl咽安山岩 Ah 角閃安山智 A$ 荊妓曽於家山管 At・p複喝す責Il(岩 P 松脾岩に近い G柑 花岡鸞 (G.)ガラス質 (′†II班品質 Ag 糀棺石安山夢

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