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太平洋戦争時における「崩壊期日本漁業の実態」

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(1)

太平洋戦争時における「崩壊期日本漁業の実態」

その他のタイトル A Survey of Japan's Fisheries in War (1941‑1945)

著者 柏尾 昌哉

雑誌名 關西大學經済論集

巻 4

号 6

ページ 538‑558

発行年 1954‑12‑25

URL http://hdl.handle.net/10112/15785

(2)

.538 

明治新政府による上からの漁業改革は極めて多くの封建的諸関係を引継いだものではあったが︑領主経済を抹殺

したことは剰余価値の徹底的牧奪をある程度緩和して全体的には漁業における資本主義的発展の可能性を与えた︒

ところで︑立遅れた日本資本主義の漁業政策はその頭初からアジャ略奪漁業を強行することにあった︒これは国内

' ( 1 )  

的には旧い生産関係の新しい制度化である漁業制度の整備を基幹としていわゆる漁業秩序維持を基本政策とし︑沿

岸漁民の漁業を制約して産業資本としての沿岸から沖合への健全な発展を極めて不充分なものにするとともに︑国

外的にはかかる旧い制度的制約を破壊することなく逆に利用し乍ら比較的制約の少ないと.ころに新しい型をとつて

侵略的漁業として発展せしめ︑日本資本主義経済の発展による国内市場の拡大及び技術の進歩に伴う漁業生産力の

向上に対応せしめたのである︒ここに登場したのが北洋及び韓海である︒そして北洋及び韓海こそ明治政府の軍事

的進出の路線の上における漁業法と漁業生産力発展との矛盾の捌け口であった︒又︑日清日露両帝国主義戦争はア

ジャ略奪漁業の基礎固めであり︑ヨーロッパ大戦はその飛躍的発展の挺子であった︒かくして北洋を頂点として︑

世界漁場の三分の一を占有し︑世界総漁獲の三分の一を産し︑

一 ︑ 序

ョーロッパ罐詰市場を独占する帝国主義漁業国日本

太平洋戦争時における

﹁崩壊期日本漁業の質態﹂

(3)

539 

( 表

1) 日本漁獲物貿易額推移 (単位1,000

円 )

文年i一区、~

轍 出 扁Al大資本会社lB

AxlOO 

I

轍 入 高

1911 

( 明4

.4)

12,971 

5

刈 )

o,i 38

?  1916 (大5) 23,629  10,200?  43

3,668  1922 (大11) 20,877  11,250?  54

3,625  1930 (

5) 50,523  39,000?  77 4,936  1935 (

10) 86,000  81,000  94%  5,000  1939 (

14) 169,200  142,000  89 3,800 

「農林省統計表」及び水産庁「漁獲物累年統計表」より作製。

大査本会社と言うのは遠洋漁業会社及び大蓋本貿易会社の分を総計 した数字であり、正確な数字とは言えないが大勢を示すものとして は大過ないものと思われる。

が形式されたのである︒

又︑日本漁業の中核は北洋を中心とする遠洋漁業であった︒と言うのは︑

ないにしても︑ 日本総漁獲中に占める比率は決定的で

その罐詰加工比率従って又それ等がヨーロッパ市場

に直結する比率はほとんど一

0

0 ︒ハーセントに近く沿岸漁業の二〇

貿易のルートに乗るためには遠洋漁業の大資本会社の手を経なけれ

︵ 表

1)

ばならなかったからである︒かくて北洋は日本漁業の頂点に君臨し

たのである︒

ところで︑北洋初期の発展に資金的背景をなした問屋的高利貸的

商業資本は網元及び漁民層の上向化産業資本化を圧へつつ逆に漁業

権を通じて半封建的牧奪を極度に強化しつつ北洋の奥深く侵入し︑

そこを舞台にして日本資本主義発達から形成された財閥が︑これ等

の商業資本をめぐつて華々しい勢力争いを展開し︑その過程におい

て独占的漁業資本を醗成し︑それは更に三井︑三菱両財閥によるヨ

ーロッパ賄詰市場をめぐる独占の斗争となって具現し︑更にこの間

資金を通じて国家権力が介入し︑北洋漁業の資本集中を凄惨な形態

( 2 )  

で推し進めて行った諸事情は既に論じた︒ パーセントを遥に上廻り︑更に沿岸漁業の漁獲物でも加工とりわけ

(4)

5

太 平

洋 戦

争 時

に お

け る

﹁ 崩

壊 期

日 本

漁 業

の 実

態 ﹂

即 ち

︑ サ

ケ ︑

マス︑力ニの罐詰が国際罐詰市場の独占に直結することは無限の資源を秘めると迄言われる北洋を

めぐつての三井︑三菱の対立斗争を激化し︑これは大正一三年の三菱系日魯漁業の集中統合になって第一の独占期

を終了した︒ところがこれは逆に母船式サケ︑

じてヨーロッパに送られ︑短期間に日魯漁業の集中を脅威する段階に迄躍進した︒そこで群小漁業資本を集中し続

けていた日魯漁業は国家権力と結んで日本水産及び大洋漁業を閉め出し第二の独占期を形成したのである︒

置いて遠くアラスカに向った︒又︑ マス︑カニ漁業を急速に発展せしめ︑増大する罐詰製品は三井を通

かくて北洋を独占された大洋漁業は主力を南方漁場に指向してその独占を狙う傍ら︑北千島に北方最後の拠点を

日本水産は日魯及び大洋の対立の間隙を利用して母船式カーー漁業の独占を決定

づけた︒猶その他のあらゆる漁業でも集中が弛行されたのである︒即ち捕鯨は日水︑大洋二社で分割し︑北海道を

日水が握れば大洋は山陰九州の大型定置を占領し︑又台湾朝鮮は二社が分割独占したようにその独占は内地沿岸の

優良漁場をもくまなく覆う程のものであった︒かくて︑ 日魯︑日水︑大洋の資本三社による国家権力を媒介とした

内外漁業独占は完了し︑それは更に一二社による製氷部門︑加工部門︑貿易部門の独占的支配と連つて決定的強さを

持つに至った︒

このような﹁国家権力の生産部面の内部への引ずりこみと国家資本の役割の増大とは︑準戦時体制の過程に国家

( 3 )  

独占資本主義えの移行を準備し開始させると共に︑日華事変突入の道を拓いた﹂ものであり︑これは一般漁民層の

牧奪︑横領を一層苛酷なものにし︑昭和︱一年日華事変突入以後はこの牧奪︑横領が拡大再生産され︑戦事経済の

蔽いがたい矛盾は共々に国家独占資本主義を益々成熟せしめたが︑日本漁業も遂には激しい戦時消耗に打ち克つこ

とが出来ず加速度的に縮小生産の途を辿らざるを得なかったのである︒

(5)

541 

( 4 )  

日本漁業生産力の歴史的発展を漁獲高によって観察すれば︑第一の発展期は明治四三年から始まつて大正七︑

太平洋戦争時における﹁崩壊期日本漁業の実態﹂

横ばい前期ー八年から︱二年迄

二 ︑

ー 昭 和 八 年 か ら 一 六 塁 ー

いわゆる横ばい期の日本漁業

漁業に集点を合して見ることとする︒

一 五

(1 ) 漁業法は明治三四年公布された︒先に明治八年に施行された海而官有制︑借区制は漁業における秩序維持を某幹とする 明治政府の茶本的な漁業政策に消つて強力な軍事的官僚的支配を背怪に︑低い漁業生産力と呼応してその役割を果して来 たのであるが︑これが漁業法によって新しく成文化制度化され承認化された︒四三年には再び同じ意図のもとに全面的に

改正完備された︒詳しくは次書を参照されたい︒

羽原又吉﹁明治維新を中心とする水産業の変遥過租と漁業法との関係並に其の後の推移﹂

昭和一三年︶

潮見俊隆﹁日本における漁業法の歴史とその性格﹂

原暉︱︱‑﹁日本漁業制度史論l

水産庁経済課﹁漁業制度の改革﹂

( 2 )

拙稿﹁北洋漁業の生成と発展﹂︵関西大学経済論集︑第四巻第一︳一号︑昭和二九年︶

( 3 )

井上睛丸︑宇佐美誠次郎﹁危機における日本資本主義の構造﹂六六頁

(社会絃済史学八のニ・三•四号、 日本漁業の生産高は昭和八年には最大のピークたる五

00

万噸大台を突破したのであるが︑それ以後は生

産手段たる漁船︑漁網︑漁業技術等の引続いた高度化にも拘らず漁獲高は増加せず一進一退を続け︑遂には一六年

を境にして戦時経済の急激な進展とともに急ピッチで低落崩壊を見せるのである︒以下本稿はかかる低落期の日本

(6)

.542 

太 平

洋 戦

争 時

に お

け る

﹁ 崩

壊 期

日 本

漁 業

の 実

態 ﹂

0 年の小さな谷を含んで昭和二年迄の間であり︑第二の発展期は昭和三年から八年以降の横ばいを含みつつ昭和一

( 5 )  

六年迄の間であり︑昭和一七年以降敗戦迄の間はいわゆる衰微崩壊期である︒即ち昭和八年に五

00

万噸を越えた

︱二年日華事変突入を期にじり l \下降を始めた︒併しそれは四五

0 万噸を下限として下降気味ながらも一六年迄は一応横ばい状態であったが︑

りと下降カープを画き始める︒かくて一八年には八年に比し三割減の四

0

0 万噸へ下落し︑

00

万 噸

へ ︑

0 年にほ六割減の二

00

万噸へと急落している︒﹁表

2

﹂により更に詳細に観察すれば︑沿岸漁業は

昭和八年以降一貫して下降しているが︑沖合及び遠洋漁業の方は八年以後も上昇を続け一四年を一応のピークとし

﹁その他﹂即ち内水面漁業及び養殖等はほとんど変動がない︒而も内水面漁業及び養殖

等の占める漁獲比率は﹁表

3

﹂に示されているように極めて小さく何れの時においても一割を越えることはなく︑

且つ変動もないので︑漁獲高推移を問題にする場合捨象しても差支えないものと思う︒ 一九年には四割減の三

漁業の必須生産手段である漁船を考寮しよう︒昭和八年の漁獲高ピークには機動船約五万隻︑無機動船三二万隻

合計約一二七万隻︑総屯数にして約五 0 万屯の漁船が存在し︑それは隻数の面では徐々の増加でしかなかったが屯数

︵ 表

4)

の面では急激な増加であった︒そしてその傾向は昭和八年以降も続けられ一六年迄及んでいる︒即ち︑隻数は僅少

づつ増加し一四年頃には一応三八万代へ達し一六年を境に下降する︒ところが︑実は増加したのは機動船のみであ

った︒而も一般的機勁化即ち小型漁船の動力設置の時期は一応昭和一 0 年頃迄に終つているから︑それ以後の増加

は資本主義漁業のいわゆる沖合遠洋用の比較的大きい漁船のそれが中心となっていると言へる︒屯数指数が隻数指

数に比してかなり大巾に伸びているのはこの点を物語っているのである︒従って昭和八年以後も漁船の機動化は依 て一六年を境に下落する︒ 漁獲高は以後は上昇の気配を見せないままに︑

︵ 柏

尾 ︶

一六年の第二次大戦以後は︑はつき

(7)

543 

2)

指 数

らドさ

I1933 1935 1937 1939 1941 1943 1944 1945 1946 

8 10 12 14 16 18 19 20 21

消 岸 100  96  94  88  89  72  60  44  53 

沖合及 100  122  112  133  120  80  51  28  33 

び遠洋

その他 100  110  102  98  101  99  100  81  96 

100  97  98  91  88  69  61  42  55 

「農林省統計表」及び水府庁「漁獲物累年統計表」より主として作製し、 G.H.Q.

「日本の農林水産資源」を援用して作製した。

3) 漁 種 別 日 本 漁 獲 高 比 較 ( 単 位 % )

こ~, 闊 閉 I  醤~

沿 岸 72 64 

沖 合 及 び 逮 洋 21  29 

その•

7  7 ・  

100% 100% 

「農林省統計表」及び水産庁「漁獲物累年統計表」より作製。

1

165933800  劣

77  13  10  100% 

4) 日 本 漁 船 豚 推 移 指 数

~ 1 1 9 3 3 11935 11937 11939 11941 11943  11944 11945 11946 

8 10 12 14 16 18 19 20・ 21

隻 機 動 船 100  109  135 

1661  168  140  93  85  103 

無機動船 100  100  99  99  98  97  88  84  86 

1 100  101  106  108  103  95  82  68  73 

I100 103 10s 138 1s9 1371  111 91  164 

「農林省統計表」より作製、但し昭和19年及び20年の数字は概算であるから指数

も正確とは言いがたいc

5) 船 型 別 動 力 漁 船 推 移 指 数

~ I 1933  1937  1940 

区別 8 12 1s

10屯 未 潤 100  166  270 

10 20 100 118  132  20 50 100 123  134  50屯 以 上 100  272  332 

「農林省統計表」より作製、昭和19 20年は概算数字

236  123  130  103 

5  o l  

8 9

8 5

8 0

 

9 4

2  

ー昭

63 

9 4 6 2

1 ‑ 2 8

8 1 3 9

1 5 0 9

8 0  

1

(8)

.544 

そこで︑漁業生産手段が向上発展を継続しているにも拘らず何故に漁獲高が昭和八年から横ばいに入ったのかと

言う問題が現われる︒ところが︑漁獲高の減少は︑よ<見ると沿岸漁獲の減少であって沖合及び遠洋は逆に延びて

さえいるのである︒又漁船の大型化も実は沿岸漁民のそれではなく資本層のものであり︑沖合遠洋用漁船の増加が

中心である︒とすると︑沖合及び遠洋漁業に関する限り漁船の高度化と漁獲高増加は昭和八年をピークとすること

なく一六年迄上昇を続けたと言へる︒逆に沿岸漁業は沿岸漁民の一般的機動化の時期に漁獲高を大きく延ばしたが︑

略々機動化の完了した昭和八年頃から漁獲高は上昇せず︑逆に下降線を辿り始めたのである︒それは何故か︒

一方において沿岸漁業のもつ半封建的性格が生産力向上に阻止的であることがあげられ︑他方巨大資本漁業によ

る沿岸漁業への侵入とそれに伴う沿岸漁業資源の枯渇化があげられる︒

北洋を中心に激しく繰り拡げられた巨大資本の漁場独占をめぐる斗争は他の資本を吸牧し打倒し︑あるいは排除

し乍ら︑その独占を完成させてゆく︒そして︑北洋は勿論︑南方漁場︑韓海漁場︑北千島漁場等々主要な沖合遠洋

漁場を集中独占した巨大資本は︑更にその鋒先を内地沿岸にも指向したのである︒そして︑ここへ更に中小資本が

割込んで︑その斗争を一層激化し︑沿岸漁場をめぐつて旧来の半封建性のまつわる沿岸漁業に対する資本主義漁業

の侵出となって具現し︑沿岸零細漁業を基底とした日本漁業を漸次質的に転換し︑又同時に沿岸小漁民層の分解を

一層激しく促進せしめた︒

かくて︑沿岸漁獲の減少は︑沿岸漁業の半封建的性格自身の矛盾から生起したからであり︑巨大資本及び中小資 その改良︑高性能化は続けられている︒

太平洋戦争時における﹁崩壊期日本漁業の実態﹂

︵ 表

5)

然として続けられ︑而もそれは大型化の傾向であり︑それが一六年迄続いたことになる︒他方︑漁網︑漁具の類も

(9)

545 

太 平

洋 戦

争 時

に お

け る

﹁ 崩

壊 期

日 本

漁 業

の 実

態 ﹂

︵ 柏

尾 ︶ ⑤浅海具藻類害敵駆除助成︑

⑥魚巣普及助成等によって 沿岸漁業増産に関する施設費として五五万円を計上し︑

①道府職員漁業指導助成︑②漁業用餌料購入助成︑③

本が従来沿岸漁民のものであった魚獲を沖合において獲得してしまったからであり︑更には沿岸漁業自身にも資本.

が侵入して︑漁場の分割独占を強行しつつ︑資源枯渇をかえり見ない略奪的漁業を行ったからであったと言うこと

が明瞭となる︒即ち高度の生産手段をもつて︑貧弱極まる沿岸漁民の漁場に侵入して来るのでは勝負は始めから問

題ではない。•ここに、沿岸漁業の漁獲高減少の理由が示されるのである。

B

横ばい後期—ーニ年から一六年迄ー

昭和︱二年日本帝国主義はその性格から必然的に日華事変の渦中に投じた︒それは国内の牧奪と横領機構の一層

の整備を要請し︑いわゆる戦時体制がしかれ︑漁業では生産力維持増進政策となって具体化した︒これは明治政府

以来一貫してとつて来た政策と軌を一にするものであった︒

最初の施設は︑

( 6 )  

︱二年第七三議会で確立された﹁農林水産政策﹂によるもので︑農林水産物の生産増強と農山漁

民の生活安定をはかるものであった︒その後戦争の拡大とともに戦時経済の統制は強化され︑一三年には商工省外

局として﹁物資需給調整局﹂が設けられ不足資材の開発及び増産︑輸入物資調整に当った︒更に同年﹁改正輸出入

臨時措置法﹂に基き︑ ﹁需給調整協議会令﹂が公布され統制は全面的となった︒これに伴つて漁業用資財として欠

くことの出来ない石油︑綿絲︑

漁具漁法改良助成︑ マラフロープ︑鉄鋼材︑針金︑ゴム︑染料等の物資も例外なく規正を受け︑漸く表

面化しつつあった沿岸漁民の応召徴用による労佑力不足と相侯つて漁業生産力を減退せしめた︒ここにおいて一四

年には更に﹁臨時農村対策施設﹂に関する経費︵六七 0 万円︶の一部として漁業用資材の統制をなすとともに︑別に

④深部着生てんぐさ採取助成︑

(10)

lS46 

甚だしい欠乏とによって代表さ した︒生産条件の困難性は漁業 労仇力の減退と必需生産資材の

( 表

6)

大された形において矛盾が暴露 産条件の困難性増大が漁業自体

漁 獲 物 価 格 シ ェ ー レ 指 数

あげるには至らなかった︒

太平洋戦争時における﹁崩壊期日本漁業の実態﹂

り︑生産力増強に必死になった

が︑沿岸漁業の低落傾向はもは

や決定的でありほとんど成果を

即ち生産力の維持拡充と言う

至上命令の下に戦争への総動員

的参加を要請された漁業は︑生

に内在する諸矛盾に作用して拡

れる︒そしてこれは漁獲物と一

︵ 表

6)

般物価とのシェーレの拡大とと

もに脆弱な経済的基礎の上に立 魚類︑貝類︑藻類の増産をはか

100  100 

1935  10 108  111 

3 7 1 2

‑ 1 1 4

1 2 8  

1 9

: 盟

163  175 

1941 

~

250 

罪 ︳ 2 6 8 2 8 6

農林省及び水産庁賓料. 

( 表

7)

1;;こど」

I憔 業 協 同 組 合 i

3 3

8 ‑

2  

1 9

罪 一

3 2 3

l1

,

491 

2 ,   3 1   9 4   7 6 

1 9

I

2,955 

3 8 0  

醤¢ 2 

~

水産社「漁業組合年鑑」より作製

( 表

8) 巨 大 漁 業 会 社 株 価 推 移 (単位円) (一株50

?;‑ミど」 1935

1937  1939  1940  1941  1942  1943 

10 12 14 15 16 17 18 最高 I ... "'i 99.s ao.o  104.0 

日本水産 最低

72. 0  71. 0  70. 0  63.4 70.0 

最高 70. 8  77. 6 84. 81.5 I 79.9  89. 7  55. 7 

日魯漁業 最 低 50. 3 52. 5 , 54.  55. 5  55. 8  72. 7  49. 1 

極 洋 捕 鯨 [ : : [

!  I 47. 7  57. 9  48. 5  57. 0  49.0 

I 11. 5  28. 7  35. 40. 5  32.0 

0

東洋紐済新報臨時噌flj「株価20年」より作製。・

(11)

547 

つ漁榜部面ことに沿岸漁業を一層の窮乏の中に陥れた︒

︵ 表

7)

この時期には巨大資本に対して︑経済更生運動の基礎の上に立つ.漁業協同組合化運動が漸く展開され始めたが︑

下からの力は弱く︑上からの政策は何れも応急貧弱の域を出ず大きな成果は期されるべくもなかった︒

かくて︑政府の概念的な生産力維持の要請に対するに︑生産資材の制限は極めて厳格且つ具体的に実施され小規

模漁業の休業は続出した︒

他方︑巨大資本漁業は︑中国沿岸漁業権下附とか漁業資材の本省よりの直接割当とかの政府庇護を優先的に受け

て︑昭和一四年の日本水産の一割二分配当及び日魯漁業の一割配当維持で示される如く︑発展を続けたのである︒

( 7 )  

だが︑戦争の長期化は大型漁船の徴用及び資材難と労仇力不足を招来し︑他の種々の悪条件と連なって漸く巨大資

本に対しても大きな重圧となって伸掛り憂色は次第に濃くなって行った︒

︵ 表

8)

る︒而も丁度この大勢の中で日本漁業は第二次大戦の渦中に投げ込まれたのである︒

太平洋戦争時における﹁崩壊期日本樵業の実態﹂

この点は株価によっても充分看取され

(4 ) 近繭康男編﹁日本農業の統計的分析﹂二八九ーニ九

0

(5 ) 拙稿﹁日本漁業における北洋の問題﹂︵関西大学経済論集特集﹁商学研究﹂昭和

I i

( 6

)

第七三議会で確立された農林水産政策は︑農村では改良農具秤及及び畜力の共向利用であり︑樵村では水産共同利用施 設︵労働力不足を補うための施設及び授産施設︶であった︒このため応急施設に関する経痰予募七三万九千円を成立せし

(7 ) 日本は五百噸以上の鋼鉄船五九一六千噸を持つて戦争に突入した

q

その内陸軍の使う﹁

A

﹂船がニ︱

0 0千噸︑海軍の 使う﹁

B

﹂船が一五

00

千噸︑船舶運営会と運輸省管下の﹁

C

﹂船が一七

00

千噸であり︑総徴用噸数は七割に上り︑大

型漁船は八割が徴用された︒以後戦争の進展とともに鉗舶は急激に減少し徴用は益々徹底的となった︒.

J

B

n 1 ヘン︑大内兵衛訳﹁戦時戦係の日本経済﹂上巻参照

(12)

5/f8 

掴まれねばならない︒ にその中心的な地位を占めた︒ 漁業の戦争経済化

︑ い わ ゆ る 衰 微 崩 壊 期

太 平

洋 戦

争 時

に お

け る

﹁ 崩

壊 期

日 本

漁 業

の 実

態 ﹂

> ︑

H K

ペ ン

シ ェ

ー ド

そして

日華事変以後︑戦争経済は急角度に進み︑その矛盾は益々蔽いがたくなり︑国家独占資本主義が急速に成熟し︑

遂には太平洋戦争へと突入した︒もと l¥ .堵大な戦時消耗を伴ういわゆる総力戦的戦争段階において︑戦争経済が

国家独占資本主義的戦時統制経済を要請するのは当然の帰結であり︑低位な産業である漁業はもとより農業ととも

﹁特に日本の場合の戦時消耗はその生産力段階に比較して極端に多く︑当初のうち

は国内の牧奪︑横領の強化と植民地︑半植民地よりの途方もない牧奪によってそれをカヴァーし拡大再生産を続け

一九四一年︵昭和一六︶をピークとして工業総生産商は戦時消耗に打ち克つことができず︑加 ることができたが︑

速度的に縮小生産の過程をたどらざるをえなかった︒このことは国家独占資本主義的牧奪と横領を基調とする統制

( 8 )  

経済への要請を日本においてますます大ならしめるもの﹂であった︒従ってこの期間の日本漁業はかかる観点から

第二次大戦は本来資本主義社会の世界史的矛盾から生じたものであるが︑その性質は究極において各国の独占資

本︑金融資本の蓄積と投資︑即ちかかる資本にとつての利潤追求確保の形態に他ならない︒そして日本の場合は国

家独占資本主義形態の成熟によって遂行された︒ ー昭和一六年から二

0

年迄ー~

﹁ 日

本 の

漁 業

生 産

一 九

0

八 ー

四 六

年 ﹂

参 照

︵ 柏

尾 ︶

﹁ こ

れ は

金 融

資 本

独占資本以外のものにとつて徹底し

(13)

.549 

先ず漁船では︑

太平洋戦争時における﹁崩壊期日本漁業の実態﹂

産業構造を軍需生産中心へ転換したことは必然的にこれを高度化する︒これによって漁業再生産の基幹である生

産手段生産は事実上停止され︑漁業生産は停滞︑萎縮︑破壊された︒

( 1 3 )  

一七年水産局長通報による漁船戦時標準型統一は唯さえ困難な小型漁船の建造を完全に停止せし

(2) 

戦争による産業構成の高度化への強制的再編成は︑構造自体の矛盾激化と連なって漁船の徴用に直接具現する︒

人員物資を運搬する輸送船の不足は︑漁船の実質的には無償に近い徴用牧奪によって補われた︒これは言う迄もな

<漁業部而からの漁船の激減となって現われる︒而もこれ等の徴用漁船は戦争の進展とともに益々その数を増加

し︑そして再び漁業には帰つて来なかった︒即ち漁船噸数において一六年をピークとして︱

1 0

年には約半分となり

( 1 1 )

1 2

)  

而も大型漁船は全滅したのである︒これは漁船保険制度により支払われた保険金額の而からも充分摘むことが出来

︵ 表

9)

る︒とあれかくの如くして漁業からは大塑漁船はほとんど奪い去られ海底に姿を消したのである︒

(1) 

た牧奪と窮乏︑蓄積の強行であった︒徴用︑ 労仇︑供出︑中小企業整備等の一連の牧奪強行過程と︑

( 9 )  

軍需生産の国家による育成助長︑高利潤の確保は方に帝国主義戦争のもつ本質を露呈する︒﹂ものであったのであ

( 1 0 )  

ところで︑このような戦争が日本漁業の基本構造に関して如何なる影響を与えたであろうか︒小沼勇氏はこれを

① 生 産 手 段 の 牧 奪

② 生 産 手 段 生 産 の 停 止

③ 漁 業 労 仇 力 の 牧 奪

④ 漁 場 牧 奪

⑤ 国 家 に よ る 系 統 的 漁 業 統 制 機

関の設置︵筆者︶の五項目に分けている︒この各々について若千考察しよう︒ る ︒

生産手段の牧奪

生産手段生産の停止

︵ 柏

尾 ︶

それによる

(14)

550 

(3) 

太 平

洋 戦

争 時

に お

け る

﹁ 崩

壊 期

日 本

漁 業

の 実

態 ﹂

め︑漁船建造は政府に一元化され事実上は建造されなくなってしまった︒勿論大型漁船建造は望み得べきもなく︑

ここに略々完全に漁船建造は停止され︑その上戦争の進展につれて修理すら困難となった︒

︵表

10

)

次に︑漁網では︑軽工業部門たる綿工業は軍需工業高度化の犠牲となって縮小の一路を辿り︑又︑軍需景の増大

は生活必需物資を極度に不足ならしめた︒いわんや︑漁業用綿糸の生産はほとんど顧慮されなかった︒即ち漁業用

︵表

11

)

綿糸の平均耐用年数二年を越えてもそれは全く補充されず︑従つて漁拘は次第に原始的漁業に逆行せざるを得なか

次 に 石 油 は ︑

のであったから︑世界第二二番目の石油産出国であった日本は戦争準備の過程において極力貯蔵に努めて来た︒併

︵ 表

1 2)

し戦争は日本の予定を遥かに越えた石油を必要とし石油事情は忽ち悪化してしまった︒従って最初から国内需要は

極度に圧へられ︑漁業食糧確保のための漁船用石油も厳格極まる統制を受けた︒漁業生産力の低い小漁民の石油は

先ずその供給を杜絶され︑それは中小資本を経て︑大資本にも及んだ︒尤もそのときには大資本と言へども大型漁

かくの如くあらゆる漁業用生産手段の生産は事実上全く中断され︑

ん だ の で あ る ︒ 船は既に漁業から離れてはいたのだが︒ っ

た ︒

日本不足資源の中でも最も不足しているものであり︑而もそれが戦争遂行上決定的重要性を持つも

漁業労仇力の牧奪

︵表

13

)

漁業労仇力の牧奪は三つの面から強行された︒即ち第一には直接兵員として︑第二には徴用漁船附属員として︑

︵表

14

)

第三には軍需工場エ貝として漁業から大きく牧奪されて行った︒かくて昭和八年には一五 0 万の漁業人口を擁して

日本漁業はここに縮小再生産の道を急速に歩

四四

(15)

551 

( 表

9) 漁船保険金支払額推移指数

I14

15

16

17

18

19

,100 oo 

83  141  210  303  665 

255  336  468  659  ? 

救 助 費

100  160  144  189  208  ? 

.  1

, 

100  120  186  277  484  ? 

水産経済研究所襴「水産経済年報」及び水産庁統計資料より作製

( 表1

0) 日 本 軽 工 業 の 縮 小 過 蒜

綿 機 労 働 者 数 綿 布 生 産 額 (100万平方ヤール)

合 計 1民 需1軍 需

ー,

︵ 柏

尾 ︶

1937  1941  1942  1943  1944 

12 16 17 18 19

12,165,000  11,435,000  8,646,000  4,166,000  3,593,000 

208,154  164,095  115,605  80,977  56,000 

2,214.0  449.2  353.3  283.9  375.3 

2,184.0  310.2  182.4  51.0  174.6 

30.0  139.0  170.9  332.9  200.7 

アメリカ合衆国戦略爆華調査団「日本戦争締済の崩壊」 P. 68 

( 表1

1)

漁獲高と綿糸生産の指数

1漁 獲 高 1漁業用綿・糸

,生産 1935 10 100  100  ]94015 105  106  1941 16 77  126  1942 17

~I

76 

194318 37  194419 1945 201

小沼勇氏「前掲害」 P.11より引用

12)日本(濶州、朝鮮、台湾を含む)

の石油事愉'(単位1000バレル)

~I 原油 1 粗製品 I 在庫

1937 12 22,701  29,224  43,062  1938 13 20,869  27,186  44,356  1939 14 21, 175 23, 799  51,398  1940 15 24,113  25,916  49,581  1941 16 5,071  21,239  48,893  1942 17 9,836  19, 085129/ 38, 229  194318 11,662  20,  25,327  194419 3,226  12,949  13,816  1945 20 809  1,933  4,946  J.B. コーヘン「前掲書」 P.199より作製。

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