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人間科学としての人間工学(?) : 予備的考察

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(1)

人間科学としての人間工学(?) : 予備的考察

その他のタイトル Ergonomics as a human science : Preliminary considerations

著者 雨宮 俊彦

雑誌名 関西大学社会学部紀要

巻 17

号 2

ページ 89‑114

発行年 1986‑03‑31

URL http://hdl.handle.net/10112/00022728

(2)

人 間 科 学 と し て の 人 間 工 学

(I)

ー 予 備 的 考 察 ー 一 雨 宮

俊 彦

Ergonomics as a human science  :  Preliminary considerations  Toshihiko Amemiya 

A b s t r a c t  

I n  t h e  f i r s t  h a l f  o f  t h i s  p r e l i m i n a r y  e s s a y ,  t h e  h i s t o r y  o f  e r g o n o m i c s   i s   s h o r t l y  d e s c r i b e d .  D i v e r s i f i c a t i o n  o f  e r g o n o m i c  r e s e a r c h  a ・ r e a   a n d   t h e  n e e d   f o r  t h e  f r a m e  w h i c h  o r g a n i z e  i t s  e x p a n d e d  a r e a  i s   e m p h a s i z e d .   I n   t h e   l a t t e r   h a l f ,  a u t h o r ' s  i d e a s  c o n c e r n i n g  t h e  f r a m e  f o r  e r g o n o m i c s  a r e   s t a t e d .   M o r p h o ‑ e c o l o g i c a l  v i e w p o i n t  a n d  b i o ‑ i n f o r m a t i o n a l  v i e w p o i n t  a r e  c o i n e d .   T h e  p r e c i s e   c o n t e n t  o f  t h e s e  t w o  v i e w p o i n t  r e m a i n e d .  t o  b e  d e f i n e d .  B u t  a c c o r d i n g  t o  a u t h ‑ o r ' s  c o n t e n t i o n  t h e s e  t w o  v i e w p o i n t  c a n  b e  o u t l  i n d  b y  t h e   c o n c e p t   o f   h o m i n ‑ i z a t i o n  a n d  t h e  c o m p a r i s o n  b y  m a c h i n e ,  a n d  h a v e   r e l e v a n c y ̲  t o   m a n y   i m p o r t a n t   p r o b l e m s  o f  e r g o n o m i c s .   F i n a l l y  t h e  r e l a t i o n s h i p  b e t w e e n  e r g o n o m i c s  a n d  i d e a s   o f  h u m a n  s c i e n c e  i s  d i s c u s s e d .  

key words :  e r g o n o m i c s ,  human s c i e n c e ,  i n t e r d i s c i p l i n a r y  a p p r o a c h ,   h o m i n i z a t i o n ,  machine m o d e l ,  s e l f ‑ o r g a n i z a t i o n  

抄 録

この予備的評論の前半では,人間工学の歴史が簡単に記述されている。ここでは,人間工学の 研究領城の多様化と拡大した領域を組織化するための枠組みの必要性が強調されている。後半で は,人間工学の枠組みに関する著者の考えが述べられる。形態住居学的観点と生体情報論的観点 という言葉が考案された。これらの二つの観点の内容については,はっきりと規定されないまま に留まっている。しかし,著者の主張によればこれらの二つの観点はヒト化の概念と機械との比 較を通じて輪郭を描くことができ,人間工学の多くの重要な問題に適切性を持つ銀点である。

最後に,人間工学と人間科学の諸理念の間の関係について議論がなされた。

キーワード:人間工学,人間科学,学際的接近, ヒト化,機械モデル,自己組織化

‑ 8 9  ‑

(3)

関西大学「社会学部紀要」第

1 7

巻第

2

号

1 .  

は じ め に

梅谷

( 1 9 7 3 )

によれば,システム工学についてこんな笑い話がある。戦後,何々学とか何々工 学とか学問の数がやたらと増え水増しになってしまったので,会議がもたれ,他の学問から借用 した理論や方法,概念は一切もとの学問に戻すことになった。この提案がすっかり実行された後 最初分厚いハンドブックに一杯だったシステム工学の内容は,システム的思考法と言う哲学を残

してからっぽになってしまった。

人間工学もシステム工学や行動科学などと同様,第二次大戦後に成立した歴史の浅い新興の学 問である。これらは,いずれもなんらかの意味で学際的だが,一つの学問としてまとまった根拠 もまたその後の運命も一様ではない。例えば,行動科学は構造主義や現象学などと同様,特定の 科学銀に基づいた一種のスローガンとして,心理学や社会学,経営学等にまたがる人間行動に関 する総合的科学として唱えられたが,今日では心理学における行動主義やそれに結びついた科学 観の衰退とともに,行動科学が云々されることはほとんどなくなった。これに対し,人間工学や システム工学は,従来まとめて扱われなかった固有の問題領域の存在とその領域における研究の 知見の有用性によってまとまった百科全書的学問という点で似ている。共に,行動科学よりも,

より着実な地盤の上にあると言え,今日まで生き延びそして発展をとげている。

システム工学では,最初に述べたように,学問としての身分についてその学際性に纏わる議論 が今日でも残っている。人間工学の場合も,一つの

D i s c i p l i n e

として存在している根本的理由と して,

"Theu n d e r l y i n g  e n t i t y  o f  e r g o n o m i c s  i s   t h e  s t y l e  o f  t h i n k i n g  o f  e r g o n o m i s t s . "  

( S i n g l e t o n ,  W, T .  1 9 8 2 )

と言われるように,事情は同じかもしれない。実際,筆者は人間工学 のテキストを何冊か読んでみて,それが生理学や心理学などの他の科学や工学からの理論や概念 の借用と一連のデークの継ぎ接ぎにしか見えないこに対し,梅谷氏がシステム工学に対して感じ たのと同様なことを感じた。

以上のような学問としての身分云々の議論は,システム工学や人間工学のような実践的学問に ついてはあるいは的外れかもしれず,上述のような人間工学の学問としての性格は,実務家や実 務家養成のための教育の場合にはとりあえずは深刻な問題とならないだろう。必要となる知識が 心理学から来ようが生理学から来ようが関係なしに,人間工学のデークブックやテキストを参考 にしながら,実例にあたることにより人間工学的思考法はおのずと身につくだろう。しかし,一 般教養として人間工学を心理学や生理学と並んで教育することを考えるなら,人間工学にとって 根本的な人間工学的思考法が,集成された知識の構成を通じてはっきり読み取れないことは問題 となる。

筆者は一般教養としての人間工学の教育を念頭に,人間工学に関する知識の再構成を試みた。

そして,基本的発想自体は修正と洗練を経れば,実践的・学問的意義もあるかもしれないと考え

‑ 9 0  ‑

(4)

た。本論文では,筆者なりに構想している人間工学の輪郭を,人間工学に関する学問論をまじえ ながら,予備的評論として描いてみることにしよう。

人間工学を一言で言えば,機械や装置等の設計や運用にあたって人間が係わる部分について,

人間にとって使い易いよう人間特性の知見に基づき指針を与える学問である。人間工学の当初の 研究対象は航空機の計器など軍用の装置の設計が中心だったが,以後人間工学は急速にその研究 対象の範囲を広げ,今日では衣服や生産,輸送機器から住居やコミュニティ環境まで人工の物や 環境すべて(以下これらを総称して装置系と呼ぶ)の設計にあたって人間工学的考慮をはらうこ

との重要性が認識され研究の対象とされている

(McCormickand S a n d e r s  1 9 8 3 )

。

人間工学の基本的特徴は,人間特性を装置系との関連で研究する点にある。人間特性をそれ自 体として研究する学問には,解剖学や生理学,心理学,人類学など一連の人間に関する科学があ り,それぞれの理論的背景と守備領域を持つ。一方,人間工学は人間特性のなかで装置系との関 わりで関連のある側面について,装置系との関わりという観点から研究する。例えば,人間工学 の古典的テーマである身体計測では身体各部の寸法を椅子や机などとの関連で扱うが,身体計測 は元来が人類学で確立された手法で,身体各部の寸法それ自体の研究を動物との関連や個体差,

人種的特徴といった文脈で行うならそれは解剖学や人類学の研究となる。あるいは,近年多くの 人間工学の研究がなされている

VDT( V i d e o  D i s p l a y  T e r m i n a l )

問題では,主要な問題とし て瞳孔・焦点調節系の機能が

VDT

画面の特性との関連で扱われるが,瞳孔・焦点調節系の機能 自体は生理学および心理学の研究対象となる。したがって,人間工学は人間に関する個別科学に 人間特性の知見やその研究方法について依存する部分が大きく,人間工学の独自性は問題とする 人間特性の守備領域や理論的背景にではなく,人間特性を装置系との関連において捉える視点あ

るいは人間工学的思考法にあると言える。

人間工学のもうひとつの特徴は,装置系の使い易さ,より分析的に言えば効率や安全,健康,

快適さといった諸価値の実現を,直接的な目標として追求する点にある。人間工学は,価値の追 求を介して,社会と密接な関係を持つ。まず人間工学の研究テーマは社会的必要に答えるべく選 択されるし,結果も費用/効果と言った観点からの評価を度外視できない。

C h a p a n i s ,A . ( 1 9 7 9 )  

の言うように,人間工学者は単なる実験室の実験家であったり理論的夢想家であってはならず,

研究結果を常に実験室や図書館を越えた実際的社会的関連性のもとで捉える必要がある。しかし 人間工学が追求する価値は経営科学における動作研究などの場合とは違い,短期的な経営的利益 だけでなく長期的な社会全体の健康や安全の水準まで含む

( S i n g l e t o n ,W, T .  1 9 8 2 )

。このこと は,今日の我々の社会が科学技術に基づく装置系の発展によって根本的影響を受けており,人間 と装置系の関係について多くの問題を抱えていること,そしてこの問題の一部には人間にとって 何が望ましいのかという価値の問いなおしまで含まれざるをえないことも併せて考えると,潜在 的に人間工学が広範囲で難しい問題に関連していること,また逆から考えると人間工学が将来的 に社会にとって重要な学問の一つになりうることを示唆する。

(5)

関西大学「社会学部紀要」第

1 7

巻第

2

号

以上のように,人間工学は歴史がごく浅く最近領域を著しく拡大してきた,学際的で実務的学 問である。初めに述べた人間工学のテキストの寄せ集め的性格は,そうした事情を反映している のかもしれない。林

( 1 9 8 4 )

によれば,人間科学としての人間工学や総合的人間工学ということ が言われたことがあったが,それにふさわしいテキストは書かれていない。杉山

( 1 9 8 5 )

も現在 の人間工学における統合的枠組みの欠如とその必要性を主張している。

ここでは人間工学を,前述したような人間工学の領域の拡張を受けて,生物としての人間と物 質文化の関係を実践的関心のもとに扱う学問として通常よりもやや広義に_あるいは,文明批 評的にすぎるという印象を与えるかもしれないが 解す。そして,文化も含めた広い意味での 進化的な基本的視点に基づき,人間特性についての知見を装置系との関連で捉えなおすことを試 みようとする。後に議論するように,人間科学のもっとも有望な方向は生物としての人間と文化 をつなぐ進化的科学としてのものなので,これは一言で言えば人間科学としての人間工学となる。

以下,本論文ではまず人間工学の歴史を簡単に振り返り現在の人間工学の課題について検討し それを受けて人間特性の概括的把握とそれに基づく人間工学に関する構想を述べる。それから補 足的に,人間工学と人間科学の関連についての考えを述べる。ここでの目的は基本的構想を述べ ることであり,本論文では人間工学の具体的内容についての立ち入った記述は行っていない。ま た,価値実現のための方法論や社会との関係についても稿を改めて論ずることにする。

2 .  

人 間 工 学 の 歴 史 と 課 題

(i) 

過去の人間工学営み

古くから人間は,道具や住居を人間が使い易いようにするための人夫を重ねてきた。足指のカ を活かした足半などの日本の古い履物(近藤

1 9 7 9 ) ,

人間の領域的行動特性を利用した江戸や高 山などの町並み(伊藤

1 9 8 5 )

および洋の東西を問わず間,尺,寸,

y a r d ,  f o o t ,   i n c h

と言った メートル法以前の,道具や住居を人間の大きさに合わせて作るための簡便な測定ヽンステムとして 機能していた人体尺度(戸沼

1 9 7 8 )

など, 今日の専門家の目から見ても端保すべからざる知恵 が込められているものが多い。こうした工夫は,生産過程が細分化されていない状況のもとで試 行錯誤を経て一種の伝統として選び抜かれしだいに蓄積されていったものと考えられる。

ある意味で,人間工学は過去のこうした営みを,技術の発展が装置系を急連に変えてゆきかつ 生産過程が分離・細分化されていて,試行錯誤的改善の積み重ねが困難な現代において,科学的 探求や成果に基づきつつ専門的活動として,引き継ぐものだとも言える。ここで,人間工学の任 務は科学に基づく改善だが,人間工学が依拠する科学は人間に関するもので,後に述べるように 人間には根本的に既存の機械とは異なった特徴があり,これが装置系の設計運用において重要と なる。 したがって, 科学の応用と言っても従来の科学技術の展開とは性質の異なったものとな

‑ 9 2  ‑

(6)

る。また,人間に関する科学のように非常に複雑な事象を対象とする科学の応用では,物質科学 を単純に模倣した「科学主義」(ハイエク

1 9 5 2 )

的割り切りは困難で,その時々の科学的知識の 有効性や限界も測りながらある程度の曖昧さも許容しながら科学的知識を適用するような柔軟な 本来の意味での知的な態度が要求される。 したがって, 人間工学を長い歴史的スパンで捉えれ ば,単なる技術的合理性の人間への適用や機能・健康といったイメージの隠喩(柏木

1 9 7 9 )

では なく,人間も含めた真の合理性を追求する営みの一環として位置づけられると言える。

( i i )  

人間工学成立の背最

人間工学の成立年代に関する教科書的記述は省略するが,学会の設立や専門雑誌の創刊および 教科書の出版を目安にすれば,

1 9 5 0

年代の初めになる。そして,これに先立って人間工学に関す るいくつかの先駆的研究が

1 9 3 0

年代から

1 9 4 0

年代に行われている。これらはその後の研究の範と なったもので古典的研究とも言える。ここでは,これらの自然発生的に行われた研究を通じて具 体的に人間工学成立の背景となった事情を見ることにしよう。

①  英文クイプライクーのキー配列の改良(田中・山田

1 9 7 8 )

現行の英文クイプライクーは

1 8 7 3

年にアメリカの

S h o l e s

によって開発された。これは,上の 段のキーが左から順に

QWERTY

となっているので,

"QWERTY"

配列と呼ばれる。このキー 配列は当時の機械式キーボードにおけるバーの

jamming

を防ぐため,通常の英文で続けてよく

出現する文字対(例えば,T‑HやH‑E等)を隣どうしに並ばないようにしたものである。この配 列は,当時の技術的制約のもとでの装置設計で,人間の指の運動特性についての考慮はまった<

なされていない。そして,この配列が当の技術的制約が解消した後も踏襲されているのである。

Dvorak

らの研究は指の運動特性に適合したキー配列を目指したもので,

1 9 3 2

年に

Dvorak

式 改良型配列として特許となった。当時のクイビスト学校の旧弊墨守的態度やその他の種々の事情 があって,

Dvorak

式は広く受け入れられるところとならなかったが,比較研究によると,

Dvorak

式は

"QWERTY"

配列よりも速度や疲労,誤りの点で操作性において優れていること が示されている。

Dvorak

らは研究結果を,

"TypewritngB e h a v i o r "  ( 1 9 3 6 )

という大部の本にまとめた。 こ れは動作研究の

G i l b r e t h

にささげられており,内容も動作研究的手法と当時の学習心理学等を ふまえたものとなっている。

R 

椅子の生理学的研究(オーケルプローム

1 9 7 0 )

椅子の座り易さは,人間工学の好みの研究テーマの一つといってよいが,研究の先鞭をつけた のはスウェーデンの外科医オーケルプロームで,

1 9 4 8

年の

" S t a d i n gand s i t t i n g  p o s t u r e "

は 椅子研究の古典といわれている。彼は背筋の筋電図測定から筋にかかる負荷を評定しており,背

もたれの重要性を指摘し,望ましい椅子の形状や寸法について解剖•生理学的知見に基づき;個 人差も考慮して実際的提言をしている。

(7)

関西大学「社会学部紀要」第

1 7

巻第

2

号

⑧  航空機の計器設計

航空機の連度と計器数は,

1 9 4 0

年以降急激な増加を示し,訓練されたパイロットにとっても時 に過重な負担として事故の原因となった(リーズン

1 9 7 4 )

。特に第二次大戦中は,特別の才能を もたない一般の航空士が緊急時にも適切な操作が可能な計器が要求され,実験心理学者と工学者 が協力して研究に当たった。例えば,当時一般的に使われていた三針式高度計が,他のクイプの 高度計と比較して,読み取りの速度や正確さの点で問題があることが実験の結果をもとに指摘さ れた。こうした戦時の学際研究が,特定の問題をめぐる研究チームやハンドブックという形で制 度としての人間工学成立の契機となった。コントロール装置と視覚表示の研究を中心とした人間 工学初期の

" k n o b sand d i a l s "  e r a  (McCormick and S a n d e r s   1 9 8 3 )

における諸研究は,戦 時の学際研究を直接的に引き継いだものである。

以上,人間工学の先駆的,古典的研究の例を三つ簡単に紹介した。これらの例を通じて,人間 工学成立の背景を考えてみよう。

まず第一に,いずれの場合も一方に技術の進歩によって生じた問題と,もう一方に人間に関す る科学の成立がある。

Dvorak

の場合は, タイプライターという事務用機器の開発と

G i l b r e t h

以来の動作研究および学習心理学,ォーケルプロームの場合は学校や事務所,列車などといった 多量の規格化された椅子を必要とする世俗的公共機関の出現と医学や生理学,航空機の計器の場 合は航空機の技術的発達と実験心理学がそれぞれの研究の背景としてあげられる。

第二にクイプライクーや航空機のように,人間と機械が一つの系を形成し一定の作業をする場 合の,作業効率や安全性の制限要因の変化がある。タイプライクーの

jamming

や航空機の運航 能力のように,当初は機械そのものによって作業効率や安全性が制限されていたものが,機械の 性能の発達により作業効率や安全性の制限要因が操作者の人的要因に移る。人的要因に対する対 策としては,操作者の選抜・訓練と機械の人間工学的改善があり,両者は互いに補いあうものだ が,機械が一部の専門的利用から一般的利用へと普及するにつれ機械の人間工学的改善の相対的 重要性は増す。以上のことは,車やコンビュークの場合についても言えることで,一般に装置の 性能が増し利用が普及すれば人間工学的対策が必要となってくる。

( i i i )   Ergonomics

と

HumanF a c t o r s  

人間工学の国際学会は

" I n t e r n a t i o n a lErgonomics A s s o c i a t i o n "

で, 人間工学の英語によ る正式の名称は,一応は

Ergonomics

だと言ってよいだろうが, 人間工学成立の背景を反映し て

HumanF a c t o r s

という名称もあり,時に議論の対象となる。

Ergonomics

は英国産の名称 で

( 1 9 4 9

年に

K . F .  H M u r r e l l

によって造語された)字義通りに解すればギリシア語の

Ergon

(作業)

+nomos 

(学)で作業学となる。一方

HumanF a c t o r s

は米国産の名称で人的要因と なる。上述の人間工学成立の背景との関連で言えば,

HumanF a c t o r s

の場合は人間と機械がな すシステムにおける作業効率や安全性の制限要因としての人間要因の研究, 一方

Ergonomics

‑ 9 4  ‑

(8)

の場合は技術の発達により変化した作業環境を人間に関する科学に基づき改善しようとする研 究,という側面を指し示すニュアンスがそれぞれ強いと言えるかもしれない。

今日の人間工学は, 一応は

Ergonomics

が正式名称となっているが

HumanF a c t o r s

的側 面も含んだもので作業学というよりもより広い概念になっており, 米国では現在でも

Human F a c t o r s

が使われることが多い。名称云々の議論は元来重要性を持たないが,

Ergonomics

と

Human F a c t o r s

に関しては学問の成立の事情を反映していると思えるので.以下若干の考察を 加える。

Human F a c t o r s

は.元来が人間と機械がなすシステムにおける人的要因を研究対象とするも のだが,椅子の人的要因とは言いにくいように対象とする機械は装置系全体をカバーするもので はなく一定の制約がある。装置系の分類については技術史においても十分な検討が加えられてい ないが,ここでの議論の文脈では川添

( 1 9 7 9 )

の分類が参考になる。川添によれば,装置系はク イプライターや乗物,コンビュークのように人間の特定の能力を拡大したと考えられる操作系の 装置類と住居や器,椅子等の躁境系の装置類に大別される。この分類に従えば

HumanF a c t o r s  

が対象とするのは操作系の装置類に限られている。操作系の装置類は,よく言われるように人間 の特定の能力を拡大してくれるもので,文字を書くとか移動,計算など装置類運用の目的が明確 で,目的達成に関して装置と人間が共同作業をすると捉えることが可能で,作業効率や安全性の 制限要因としての人間要因を問題にすることができる。これに対して,環境系の装置類の場合に は人間と装置系がシステムとして特定の目的を達成するものとしては捉えにく<,

Human  F a c t o r s

の研究対象とはなりにくい。従って,

HumanF a c t o r s

の概念は環境系の装置類も研究 対象としている今日の人間工学に対しては狭すぎると言える。

Ergonomics

の場合も,作業環境 を生産の場に限定すれば,生活の場の問題も扱っている今日の人間工学に対しては狭すぎる。た だ,操作系の装置類と環境系の装置類の違いに対して.生産の場と生活の場の違いのほうがより 連続的で学問構成にも影響は少ないので,人間工学の研究領域の拡大に応じて全体を代表する名 称を選ぶとすれば

Ergonomics

の方がより問題が少ないと言えるかもしれない。

( i v )   I n t e r d i s c i p l i n a r y

と

T r a n s d i s c i p l i n a r y

人間工学は,戦時学際研究を契機に成立した。戦時学際研究は,学際研究の原型を示す。つま り,何らかの緊急の解決を要する問題があり, それに対し複数の学問分野

( D i s c i p l i n e )

の専門 家がプロジェクトを組んで解決のための総合的対策をたてる。こうした接近方法は.現実の問題 解決のためにきわめて有効な場合もあるが,その成果は事例事例の特殊的なものになってしまい 後まで残る学問的成果は乏しい傾向がある。現在の人間工学の寄せ集め的性格も,ある部分戦時 学際研究という成立の事情を反映しているように思える。

学際的接近は

I n t e r d i s c i p l i n a r yApproach

の訳で,単一の

D i s c i p l i n e

に属さない境界領域 の問題に対する複数の分野からの取り組みを意味する。これに対しスウェーデンの経済学者ミュ

(9)

関西大学「社会学部紀要」第

1 7

巻第

2

号

分野A 分野B 分野

c

分野A 分野B 分野

c

問 題

学際的接近 超学的接近

図1学際的接近と超学的接近

ルダールは,

T r a n s d i s c i p l i n a r yApproach

訳せば超学的接近の必要性を唱えた(西部

1 9 7 5 )

。 学際的と超学的は連続的なものだが,理念的に両者の違いを図示すれば図

1

のようになる。両者 の基本的違いは,学際的接近では特定の問題の諸側面に対し複数の分野から併存的に研究がなさ れるだけなのに対し,超学的接近では問題に応じて複数の分野の概念間の相互的比較と錬成がな され特定の分野に還元できないような概念(これを超学的概念と呼ぶ)が形成される点にある。

この種の超学的概念が,問題に対して適切な形で形成されれば,問題の構造をより明瞭に把握す ることが可能になり,特定の事例に対する対症療法的処方箋というにとどまらず,より一般的永 続的に利用可能な学問的成果がもたらされたことになる。

超学的接近のポイントは超学的概念の形成である。このためには,複数の分野の概念を批判的 につきあわせて問題に関連する本質的部分を非本質的部分からえりわけ,異なった分野の概念間 の隠された関係を見出すことが必要となる。これは,単なる複数の分野の専門家のプロジェクト チームによっては難しく,互いの分野を理解している専門家による長期的な共同研究か,通常は 複数の分野に通暁した一人の研究者の頭脳のなかでの統合作業を必要としているように思える。

例えば,最近形態知覚に関して計算機科学,大脳生理学そして知覚心理学を統合した概念枠組 みを提示した

M a r r ,D  ( 1 9 8 2 )

の仕事は,超学的接近がどのようにして達成され、るかの好例を示 している。形態知覚に関しては,早くから学際的接近が意識され,ケーラーのように知覚場の理 論を大脳視覚領の場の特性に帰したり,あるいは大脳視覚領の特徴検出細胞の知見に基づく多く の知覚心理学研究が行われてきたりしたが,基本的には一方の分野の知見や考えをもう一方の分 野に部分的に転移したにすぎなかった。これらの研究に対する

Marr

の研究の特徴は, 複数の 分野の概念自体を十分に検討し

p r i m o d i a ls k e t c h

等の複数の分野の知見を踏まえた,新しい超 学的概念を定式化していることである。

Marr

が定式化した具体的な個々の概念の適切さの評価 は,これからの研究の展開にまつことになるだろうが,科学の現在の段階における超学的概念の 形成の重要性を

Marr

の仕事ははっきり示していると言えよう。

ここでの主張は人間工学が学問としてのまとまりと長期的に見た有用性を求めるなら,人間工

‑ 96 ‑

(10)

学は人間と装置系の問題に対する学際的知見の集成としてのみではなく,人間と装置系の問題に 対する超学的接近により重点を置いて構成される方向を目指す必要があり,そのためには複数の 分野の概念間の十分な検討が必要だということである。超学的接近は,「言うは易く行うは難し」

の典型のようなもので,ここでは人間工学への超学的接近の方向を云々するだけだが,色彩学や 姿勢に関する研究などこれまでの超学的接近のなされてきた分野を採り込みながら,人間工学に おける超学的接近の比重を増してゆくことも可能ではないかと思う。

(v)  人間工学の発展

人間工学成立以降の発展の基本的パターンは,扱う問題領域の拡張につぐ拡張である。この拡 張は,技術の発展にともなって生じた人間と装置系に関する社会的問題_大規模化・自動化シ ステムの出現と発展,情報技術の発達と普及,都市化の進展と居住環境問題など_に即してな されたものである

( B a r b e r ,P 1 9 8 3 )

。 ここでは,この問題領域の拡張を研究対象とする装置系 の範囲の拡張と依拠する人間特性の範囲の拡張の二つの側面から述べる。

①  研究対象とする装置系の拡張

最初に述べたように,今日では意図的に形成された人工の物や環境全てが人間工学の研究対象 となっている。このことをもう一度確認するために,人間工学の代表的教科書の一つである

Mc‑

Cormick and S a n d e r s  ( 1 9 8 3 )

の記述を以下に引用する(若干

HumanF a c t o r s

側からの見 方に偏っているが)。

「

HumanF a c t o r s

あるいは

Ergonomics

が,ある程度独立した学問分野としてかたまった のは,第二次世界大戦中のことだった。そのきっかけとなったのは,新しく複雑な装置がよく訓 練された軍人の多くにとっても,安全かつ効率的に使いこなせなかったという事実である。この 問題は装置の設計に注意を向けさせ,人間に使いやすい装置設計のための試みとして実を結ん だ。この最初の関心から,この学問分野には初め

HumanE n g i n e e r i n g

という名称が与えられ た。

HumanF a c t o r s

という名称はもうすこし後になってあらわれた。

軍事用の装置を人間に使いやすいように設計するという関心は後に,輸送,伝達,計算機その 他若干の領域などの非軍事的問題へも浸透していった。しかし長い間この領域拡大は比較的ゆっ くりしたものだった。建物やコミュニティなどの建築躁境,消費製品,医療, レクレーション用 品や機器,生産過程,輸送と伝達その他人々が使う人工の物や環境すべての設計において人間工 学的考慮を払うことの重要性について一般的認識が(少なくとも人間工学の専門家の間で)広ま

ったのは,ごく最近,主に

1 9 7 0

年代のことである。」

R 

依拠する人間特性の範囲の拡張

人間工学成立当初に問題とされた人間特性は,比較的限られていた。成立当初の,

" k n o b s and d i a l s "  e r a

では, 人間と機械の物理的接触面が問題とされ, 考慮される人間特性は身体計 測値,運動特性それに知覚能力などが中心だった。これに,疲労,ストレス,ヒューマンエラー

‑ 9 7  ‑

(11)

関西大学「社会学部紀要』第

1 7

巻第

2

号

などの労働科学で扱われてきた問題が加わる。この時期で問題にされたのは,基本的には人間と 装置系の関係に関する問題の内,個人と装置系のハードウェアに関する問題だったと言える。

上述の人間特性に関連した問題は現在も重要なテーマとして研究が続けられているが,社会に おける技術の発展に対応して当初人間工学では扱われなかった人間特性も問題とされるようにな った。この発展は,二つの方向をとっている。一つが装置系のソフトウェア設計の問題も扱うよ うになったことであり,もう一つが集団と装置系の関係も扱うようになったことである。

前者の方向の研究は,情報技術の発達普及にともなって生じた問題を中心として,近年急連に 発展し

c o g n i t i v ee r g o n o m i c s  

(認知人間工学)または s~ftware

p s y c h o l o g y ,   a p p l i e d   c o g ‑ n i t i v e  s c i e n c e  ( V e e r ,  G .  C . ,   T a u b e r ,  M.  J . ,   G r e e n ,  T .  

R. 

G . ,   and G o r n y ,  P .   1 9 8 4 )  

と呼 ばれている領域を形成しつつある。これは,コンピュータのエディタやプログラムの概念的理解 の困難さに対処するために,情報負荷や記憶,概念モデル形成といった認知的な人間特性の知見 に基づいてソフトウェア設計を行うことを主な目的としている。ただし,今日情報技術の適用範 囲は広く,また人間工学としての内容にも基本的な違いがないので,狭義のコンビュータに限ら ず乗物や家庭用電気機器,生産システム等の操作における認知の問題も,認知人間工学の対象と なると考えてよいだろう。

後者の方向の研究には,大規模化・自動化システムの集団による操作運営に関するものと居住 環境に関するものとがある。

大規模化・自動化システムに関しては,航空機における,

C o c k p i t R e s o u r c e   Management 

の場合のように(山森

1 9 8 4 ) ,

装置系操作にあたる集団内でのコミュニケーションや役割分担,

指揮体制などが問題とされる。これは,従来の人間工学では扱われなかった問題だが,装置系が 大規模化し集団による操作運営が通常となる一方,自動化が進み役割分担意識の希薄化と緊急時 における過重負荷が生ずるといった事態に対処するためには装置系操作の状況下における集団の 問題は,人間工学特に安全人間工学にとって重要な課題となる。

居住環境に関しては,従来の人間工学で扱われてきた動作空間や動線計画の延長上で対人的・

集団的に規定される空間の問題として,領域性に基づく空間設計がなされている。国電のロング シートの座席割(正田

1 9 8 1 )

や防犯のための高層住宅のエレベーターホールの設計などがその 例である。また,都市景銀や認知地図の問題も,集団と環境の問題として考えられるかもしれな い。

最後に,ごく最近の展開として

M a c r o e r g o n o m i c s

(巨視的人間工学)と言われるものがあげ られる。これは,オフィスオートメーション

(OA)

機器システムやファクトリーオートメーシ ョン (FA) の導入にあたって,全体的効率を高めるために,職務分担や組織運営などの社会技 術的

( s o c i o t e c h n i c a l )

な問題まで含めて考えていこうとするものであり,人間工学の第三世代な どとも呼ばれることがあり

( ' " k n o b sand d i a l s "  e r a

が第一世代,認知や集団特性も扱うのが第 二世代で,第一,第二世代まとめて

M i c r o e r g o n o m i c s

と言われる

H e n d r i c k ,H ,  W 1 9 8 5 ) ,  

日

‑ 9 8  ‑

(12)

本人間工学会にも

1 9 8 4

年にオーガニゼーション・デザイン研究部会が発足している。巨視的人間 工学は

OA

や

FA

など装置系の発展に伴う問題に対応して生じたもので,社会技術的問題の考慮 が重要なことは明らかだが,このレベルの問題まで人間工学に含めることが妥当か疑問も残る。

⑧  人間工学の範囲

以上見てきたように人間工学の領域はかなり広くその境界は流動的である。人間工学の範囲を どこで区切るかは,人間工学の概念規定と他の分野との守備分担をどう考えるかによる。

第二世代の人間工学は,認知心理学や集団心理学,環境心理学などと共通の人間特性を問題と しているが,これらは直接に装置系の設計や価値の追求に関わらないので,守備分担の問題は生 じない。第一世代の人間工学と知覚心理学,生理学の関係と変わらない。従って,第二世代まで を人間工学に含めることについての学問構成上の問題はないと言える。

守備分担の問題が生ずるのは,直接に装置系の設計や価値の追求に関わる医用工学・環境医学 や社会工学との間である(社会工学については研究プログラムだけで実際の研究はあまりなされ てないが,固有の領域を持つ学問としての存在理由は明白なので,医用工学・環境医学や人間工 学とならべて記す)。筆者の考えでは, 人間工学は基本的に個体および集団レベルの問題を扱う のに対し,医用工学・環境医学は器官レベルの問題を社会工学は社会レベルの問題を扱う。境界 領域にはどちらのレベルに属するかはっきりしない一連の問題があり,人間工学は中間の微妙な 立場にあるが,基本的なレベルの分割の理由とその必要性は明白である。

医用工学は器官レベルの問題を扱い,人間臓器の問題などがこれにあたるが,感覚代行や義手 義足は人間工学の問題にもなる。これは,感覚器や運動器が個体としての行動遂行に直接関係す るからで,この点で器官レベルと個体レベルは連続的である。また,環境大気中の粉塵や温度,

湿度の影響は個体全体へ影響し人間工学でも扱われるが,呼吸循環器系との関連が深く環境医学 あるいは労働衛生学の問題でもある。同様なことは,大気圧や振動,騒音の問題についても言え る。従って,これらは人間工学にとっては下の方のレベルの境界領域の問題群である。

社会工学は社会レベルの問題を扱う。第三世代の人間工学が扱う問題のかなりの部分,社会工 学あるいは産業社会学,経営学などの問題となる。ここでも,

C o c k p i t

の

Crew

間の問題から 工場組織員間の問題まで連続的だが,組織や制度が重要な要因としてはいってくると人間工学が 扱う問題を越えると,考えた方がよいだろう。

( v i )  

人間工学の課題

①  統合的枠組みの必要

以上述べたように,人間工学は急速に領域を拡張した。しかも,好みのテーマが知的流行とし て移り変わるということなく,現在も第一世代的研究が盛んに行われている。結果として,人間 工学の専門誌や学会報告は多様な研究を満載している。この多様性は人間工学が社会が知見を必 要とする問題に地道に取り組んでいることを示すものであり,基本的には望ましいものである

(13)

関西大学「社会学部紀要」第

1 7

巻第

2

号

( B a r b e r ,  P 1 9 8 3 ) 。

問題は,本論文の初めに述べたように,多様で広い領域にわたる知見が整理,統合されないま までいることである。

B a r b e r ,P ( 1 9 8 3 )

によれば,現状は学生や実務家にとっても学習と記樟 の過重負担となっており,今後の人間工学の発展をはかるうえでも知見の整理,統合が必要であ る。以下,

B a r b e r ,P ( 1 9 8 3 )

の指摘を引用する。 「人間工学のように領域を拡張しつつある分 野では,統合的枠組形成の作業は素材となる知見を経験的な規則性や理論的原理(/)に基づい て,系統だてることによってなされるかもしれない。これまで人間工学者が,省察や一般原理の 展開,技術の現状の展望に時間とエネルギーを費せなかったのは,個別的知見の緊急の要求に答 えるのに忙しかったためだろう。多くの高水準の人間工学の調査・研究が行なわれ続けているの は,本誌

[ E r g o n o m i c s ]

に示されている通りである。これを越える挑戦は,より生産的な成長 が可能なように,成長しつつある知識とデータベースを組織化することである。」

R 

問題状況に適した人間特性の把握

今日の人間工学はかなり精密な研究が行われているが,場合によっては精密さの引き替えに研 究される人間特性が断片的になり,現実の装置使用の問題解決に適切でなくなることもあり,臨 場感を欠く人間工学などといった批判を受けることが多い。例えば,椅子の設計で精密な身体計 測が行われても,実際に椅子に座っている行動の観察がないがしろにされると,身体に寸法的に ぴったり合っていても座りごごちの良くない椅子ができる。一般に人間工学が研究対象とする人 間特性は,自然科学的な精密な研究が難しいことが多い。しかし,研究しやすいあるいは扱いや すい人間特性にのみ着目し他を捨象するというアプローチにのみ頼ったのでは,問題状況の改善 を目的とする人間工学の場合,逆効果になることもある。従って,人間工学の研究では問題状況 の全体的把握の重要性は大きく,個々の研究はそれとの関係で検討しなくてはならない。

問題状況の全体的把握のためには,現場を知るということも大切だが,学問としての人間工学 の立場を考えるなら,問題状況に即して全体を捉えるための理論や視点が重要となる。人間とコ ンビュークの相互作用を捉えるために,

C a r d ,Moran and N e w e l l  ( 1 9 8 3 )

が人間の情報処理過 程の全体像についてかなりおおざっぱながらも近似的定量的モデルを仮定したのは,問題状況に 即して全体を捉えるための理論を定式化しようと試みた例である。彼らの試みの評価について は,ひとまず置くとしても,問題状況の全体的把握のためにはなんらかの理論や視点が必要で,

問題状況の複雑さに応じて近似やおおざっぱさ,推測なども純粋科学で許される以上に許容され る必要があると言うことができるだろう。

以上,統合的枠組みによる知見の集約の必要性と統合的枠組を通じての実践への関与の意義に ついて述べた。その他,人間工学の知見やデークを生産や生活にどう活かすか,あるいは,子供 の発達と装置系の関係など,人間工学の課題と考えられる問題は多いが,これらの問題について の議論は別の機会にゆずることにする。以下では,筆者の考える人間工学の統合的枠組みの方向 を大ざっぱに描いてみることにしよう。

‑100‑

(14)

3 .  

人 間 工 学 の 構 想

(i) 

人間工学の構想

すでに述べたように,現在の人間工学に含まれる領域は非常に多岐にわたる。ここでは,先に 述べた理由で

Macroergonomics

に属する問題は除外し,問題を

M i c r o e r g o n o m i c s

の領域に 限ることにする。また下の方のレベルでも個々の器官との関わりが強く個体の行動レベルの問題 との関わりが弱い,大気中の粉塵や圧力,ガス,温度,湿度,振動,騒音などの問題は環境医学 や労働衛生学に,人工臓器の問題は医用工学にそれぞれ委ね問題領域から一応除外する。扱うの は個体および集団における行動レベルの問題群である。微視的な生物科学あるいは社会科学では なく,人間科学に係わる問題群を中心として扱うことになる。

上限と下限のレベルを越える問題を除外しても,問題領域は非常に広い。これを,

H u l l

がか つて学習理論で試みたような公理系的に構成された命題群あるいは工学系の学問にあるような数 式と手順の集合としてカバーすることは不可能だし無意味である。基本的構想としては,人間特 性を装置系との関連で概活的に捉えるための概論の部分と個々の問題を扱う各論の部分に分けて 扱う。概論と各論の部分は人間特性の把握を中心に展開される。価値実現のための最適化に関す る数学的計算科学的問題やデークベースの利用,社会との関連といった問題は方法論で扱う。人 間工学の方法論の問題については,稿を改めて述べる。

概論の部分では,まず人間特性をヒト化

( h o m i n i z a t i o n: 

ニ足歩行への移行との関連で一連の 変化が生じたことで,ここで人類が他の霊長類と分岐した特殊の存在となった。)と機械との比 較という観点から考察する。人間は,ヒト化によって装置系を利用するようになり,また装置系 の利用によってヒト化が進行した。したがってヒト化と装置系の利用の間には内在的な関係があ り,装置系との関連で重要な人間特性がヒト化の理解を通じて把握できる。機械との比較につい ては,人間と機械のシステムを構成する上で重要な知見として人間工学でも以前からそれぞれの 長短が比較されてきた。あるいはさらに進んで

C a r d ,Moran and Newell ( 1 9 8 3 )

の主張する ように,機械と同型的なモデルで人間特性を記述することにより,人間と機械のシステムの効率 的な設計が容易になる。これは,機械との比較で人間特性を捉えることの第一の意義だがもっと 人間を中心に考えれば機械と基本的に違う人間の特性を明確に把握することが重要になる。機械 と基本的に違う特性は機械化された環境においてないがしろにされやすく,それにたいする配慮 が必要となるからである。

概論の部分では,次ぎに装置系を人間との関係で分類し,ヒト化と機械との比較という観点か ら捉えた人間特性とつきあわせ,人間工学の基本的視点を見出すことを試みる。装置系の分類に ついての検討はこれからの課題だが,おおまかにはすでに述べた川添

( 1 9 7 9 )

の分類が妥当だと

‑101‑

(15)

関西大学『社会学部紀要」第

1 7

巻第

2

号

考えている。結果として,形態住居学的視点と生体情報論的視点の,相補的な二つの視点が得ら れる。以上が概論の部分で,まだおおざっぱな考えしかないが,扱う問題ははっきりしている。

概論の部分の拡充,洗練はかなりに理論的あるいは思弁的な作業となる。

各論の部分は,形態住居学的視点と生体情報論的視点についてそれぞれ四つの部分からなる。

具体的問題を把握するための概念枠組みとそれに対応する装置系設計の問題の組合わせがその内 容である。基本的視点に位置づけられながら,概念枠組と問題が相互作用的に洗練発展していく のが望ましいが,そのためには問題領域のまとまりとそこに含まれる問題のある程度の複雑性が 必要である。各論の部分が,人間特性に関する実際的知見の集約と蓄積の場となる。

( i i )

概 論

①  機械との比較から見た人間特性

科学の歴史においてモデルとしての機械は重要な役割を果たしてきた。機械をモデルに科学上 の重要な原理が定式化され,その原理が人間特性の研究にも適用された(カードウェル

1 9 7 2 )

。 機械が人間の能力の一部分を拡張した延長物として捉えられることも併せて考えると,機械は人 間にとって一種の鏡の役割を果たしてきたことになる。こうした人間機械論の系譜を歴史順に並 べると表

1

のようになる。原理に照らせば,人間の身体の部分は機械に比べてはるかに巧妙に構 成されているとは言え原則的に同じ扱いが可能である。

表1 人間機械論の系譜

機 械

l

原 理

I

人 間

機械時計とポンプ 力 ,子,,..,.  循環系,筋・骨格系の生体力学 内 燃 機 関 エネルギー エネルギー代謝

サ ー ボ 機 構 制 御 ホメオスタシス,運動制御の一部 コ ン ピ ュ ー タ 情 報 処 理 神経系の一部,遺伝情報

人間工学との関係では,筋・骨格系の生体力学が姿勢,エネルギー代謝が作業負荷の評価に関 して問題となる。ただし,姿勢の問題はヒト化の観点から捉えられる問題であり,作業負荷に関 しては今日では個体全体のエネルギー消費よりも身体の各部への不均衡な負荷や心理的負荷の方 が重要な問題となる。今日の人間工学にとって基本的重要性を持つ人間機械論のモデルは,制御

・情報処理に関するものである。制御の問題もシステムにおける情報伝達による調整機構を問題 としているので,両者をまとめで情報論的観点と呼ぶことができる。

人間工学の領域での情報論的観点からの人間のモデルとしては,運動制御における伝達関数や フィードバックの遅れに関する数学的モデルや

C a r d ,Moran and Newell ( 1 9 8 3 )

による情報 処理モデルなどがある。これらのモデルは,人間のモデルとしては不充分な点も多いが,計量的 な予測が可能でコンビュータや乗物などの装置系と同じ用語で人間特性を記述しているという強

‑102‑

(16)

みがあり,それぞれ一定の成果をおさめている。現在のところ,運動制御モデルと情報処理モデ ルのつながりは弱いが,ロボット工学の発展を受けて両者のつながりはより密接になり,モデル

としての有効性を増すだろう。

問題はこれらのモデルによって捨象される人間特性である。例えば,コンピュータと人間の脳 による情報処理は同じ用語で記述できる側面がありそれはそれとして重要だが,その情報処理様 式には基本的に異なった点がある(表

2)

。

表

2

コンピュータと脳の比較(石井•清水 1984)

I 

脳

I 

コ ン ビ ュ ー タ

I 

情報処理の方法 ニューロンの階層構造による情 プログラム通りの情報の等価的 報の並列処理と新しい情報の自 交換

己組織

情報処理の能力

I 

帰納能力と演繹能力をもつ 本格的な帰納能力をもたない 記 憶 忘槌れることができる分散的な記 忘記槌れることができない局部的な

知 的 独 立 性 1 主観的で自己主張がある 他動的で自己主張がない 右 脳 と 左 照 左脳が分析的で論理的な情報処

理,右脳が包括的で直観的な情 I 

報処理

現在コンビュータについては,並列処理を取り入れた推論マシーンの研究などがなされており 表

2

の比較は既存のコンビュータについてのものだが,将来コンピュータが発達しても基本的な 違いは残るものと,考えられる。人間と機械の基本的違いについては,心身問題などの哲学的問 題があり,原理的な扱いは難しいが人間工学にとって重要な問題としては生体の自己組織化の問 題がある。

これはかなり簡単な話で,機械は外から組み立てられるのに対し,生物は環境との相互作用を 通じて自らを形成していくという基本的違いがあるという主張で,古くはカントが唱えている

(坂本

1 9 7 5 )

。この考えは単純だが,機械と生物の違いについて重要なポイントをおさえている と思われる。実際,自己組織化や形態形成の問題は既存の機械をモデルとした原理に依拠した従 来の自然科学にとって扱いの困難な問題として残されてきた。最近になって,科学の新しいフロ

ンティアとして,プリゴジンの散逸構造論やハーケンのシナージェティクス(ハーケン

1 9 8 1 ) ,

清水のバイオホロニクス(清水

1 9 7 8 )

など,開放系における自己組織化現象と形態形成の数理 的研究がなされているが,これは既存の機械をモデルとしない自然原理(特に生命に関わりの深 い原理)の探求だと言える。

私は,従来の情報論的モデルで扱えなかったもっとも重要な人間特性が,環境との相互作用を 通じての自己組織化に関する問題だと考える。環境との相互作用を通じての自己組織化と関連す

‑103‑

(17)

関西大学『社会学部紀要』第

1 7

巻第

2

号

る人間特性を整理してみると図

2

のようになる。まず,生物は機械と違ってスウィッチを切るわ けにいかず動的に自己を維持する必要がある。その結果として生ずるのが, リズムや疲労,生体 周期などの現象である。これらは,生きているという状態の基本的属性であり,その把握は難し いが自己組織化系の特徴としてある程度まで数学的な記述もなされている(清水

1 9 7 8 )

。もうひ とつが環境の自己への同化で, 同化はビアジェの言う同化と調節の同化にあたる。 ビ ア ジ ェ

( 1 9 3 6 )

の比喩を借りれば,人間は食物を食べるように情報を摂取しなくてはならない。眼にと っては有意味な光のパクーンが,耳にとっては有意味な音列が,思考の器官にとっては解くぺき 課題がそうした食物である。ここで有意味とか解くべきというのは,有機体の情報処理図式に適 合的な情報のことを言う。こうした情報の自己の情報処理図式への摂取が同化である。同化は自 己維持と関連して人間に固有の特徴を形成する。例えば,一般的に言って機械に対しては過重負 荷はあっても過少負荷は問題とならない。ところが人間の場合は,ビジランス作業や感覚剥奪の 場合問題となるように過少負荷も深刻な問題を引き起こす。これは,環境の自己への同化の必要 と関連した機械と違う人間の特徴である。その他,適正負荷と関連したモチベーションの問題や 状況に不適切な図式の解発によるヒューマンエラーなども環境の自己への同化との関連で理解で

きる。

環境との相互作用を通じての自己組織化

^ 

動的自己維持・環境の自己への同化

⇒

‑ 0 ,  

|リズム・疲労•生体周期 I

適正負荷・モチベーション

・ヒューマンエラー

図

2

動物としての人間の基本的特徴

以上の諸特徴を表面的に機械によって模倣することは可能だが,原理的にはこれらは既存の機 械には見られない人間に固有の特性であり,人間と機械的環境との関係を考える上での配慮が必 要とされる。従来の情報論的モデルに環境との相互作用を通じての自己組織化をも取り組むこと は,かなり難しい問題だが,両者をふまえた観点が人間工学には必要であり,こうした観点を生 体情報論的観点

( B i o ‑ i n f o r m a t i o n a lV i e w p o i n t )

と呼ぶことにする。

R 

ヒト化から見た人間特性

人間の身体は進化の産物であり,遺伝暗号は地球上の全生物と,身体の組織や器官の基本的体 制は脊椎動物と,呼吸・循環•生殖・温度調節系など海中生活から陸上生活への適応に関連する 器官系は哺乳類とそれぞれ共通である。また,特殊化していないことや両眼視や拇指対向性など の知覚運動能力,大脳の発達,社会性などは樹上生活と関連して獲得された霊長類と共通の特徴 である。最後に樹上生活から地上生活への適応としての二足歩行と関連して一連の変化が生じこ れをヒト化という。このように,人間の身体の特徴を,他の生物との階層的類似性および生活場

‑104‑

(18)

所への適応の歴史という観点から捉えることができる。

以上のような生物進化的観点と機械モデルおよび数学モデルによる人間特性の把握は,互いに 補い合う関係にあり,拮抗するものではない。生物進化的観点は明確性で劣るが問題の全体を捉 えるには適している。一方,機械モデルおよび数学モデルは明確で研究を深めるには必須だが,

場合によってはモデルが問題把握に不適当な方向に展開してしまう危険やモデル的に扱いにくい 重要な人間特性を見落としてしまうおそれもある。原則として,扱う人間特性が複雑で不透明性 が大きい場合ほど生物進化的観点からの把握が必要となる。

人間と装置系との関係では,すでに述べた理由でヒト化に関連する人間特性が重要である。そ してこれらの人間特性には,現在の機械モデルおよび数学モデルでは扱えない問題が含まれてお り,進化的観点からの接近が必要になる。

ヒト化の機構については, 発育制御遺伝子の変化(グールド

1 9 7 7 )

や文化・遺伝子共進化が 重要だが,ヒト化に関連した人間特性は,全て二足歩行との関連で位置づけることができる(図

3) 。

図3 ヒト化による人間の諸特徴(香原1

9 8 6 )

人間工学との関連で問題になるヒト化に伴う人間特性を列挙すると以下のようになる。二足歩 行・姿勢と椅子や履物,寝具(これらを家具に対し体具と呼ぶことにする)の問題。姿勢と関連 した視野の変化と視覚的作業域や景観ディスプレー。姿勢と関連した手足の可動域の変化と手足 の作業域。手指技能と道具の使用。世界モデルおよび記号(言語)能力と認知地図,図像的伝達 と言語的伝達の問題。可望性と学習容易性。等。

これらのあるものは,脊椎の生体工学や言語的伝達の情報論,可塑性と学習能力にかんする認 知心理学など機械モデルや数学モデルによる研究がなされているものもあるが,これらのモデル では扱えない問題も含まれている。それは,姿勢,作業域,景観ディスプレー,認知地図など人

‑105‑

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