ニックリッシュの財務論についての一考察
その他のタイトル Financial Theory of Nicklisch
著者 清水 宗一
雑誌名 關西大學商學論集
巻 9
号 6
ページ 517‑547
発行年 1965‑02‑28
URL http://hdl.handle.net/10112/00021577
.517
一ックリッシュの財務論についての一考察︵清水︶
‑一
は し が き
六
む す び
五
資本処理論
四 資 本 調 達 論
ックリッシ
財務循環論
自己金融論
いように思われる︒とはいっても︑
山
②
シュマーレンバッハの財務論やライトナーの企業財務論を中心として今世紀の十年代から二十年代にかけてドイ
ッ経営財務論は漸次その形態を整えていった︒こうして︑この時代に公けにされた経営経済学書の中には︑シュミ
③ ットの有機観貸借対照表のように︑また︑ニックリッシュの経営経済学のように︑財務に関して注目すべき意見を
述べている書物が見られる︒わけても︑ニックリッシュの財務に関する思考は財務論研究上見のがすことができな
かれの経営学説は経済基調の推移とともにかなりの変遷をたどっており︑その
は し
が き
内 容
ユ の財務論についての
清 一
考 察
水
宗
518
( 4 )
ような変遷の過程における財務思考をいちいち跡づけることは困難であるので︑われわれはここでは︑かれの思考
が最も成熟した時期における財務論を学ぶことに考察を限定しなければならない d このため︑以下われわれは主と
してかれの経営学の第七版である﹁経営経済﹂によって分析を進め︑これに先だっ他の書物には必要に応じて触れ
るつもりである︒ところで︑第七版において財務論の領域から見て注目すべき個所は︑まず︑第一部﹁一般論と基礎
論﹂の B ﹁経営経済的問題﹂の
V I
﹁経済における価値関係の網﹂の中に展開されている財務循環論であろう︒つぎ
に︑第七版において財務論の実質的内容を形成する理論は︑第二部﹁経営﹂の B ﹁経営の構造と活動﹂の第一章
﹁経営構造論﹂の中の B ﹁経営要素論﹂における﹁財産論﹂および﹁資本論﹂にこれをうかがうことができる︒ま
た︑同じ章の C ﹁経営における価値関係の均衡の維持﹂に展開されている積立金に関する論説もまたこれを見のが
凶 すわけにはいかない︒もちろん︑かれの経営経済学説については︑すでに多くの論稿によって紹介され︑論究もさ
れているが︑その財務論を正面から取り扱ったものはないように思われるので︑この小稿はわたくしの財務論研究
の一環としてかれの財務論について若干の考察を試みようとするものである︒
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ニ ッ
ク リ
ッ シ
ュ 学
説 の
紹 介
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判 に
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論 著
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詳 細
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経 営
共 同
体 の
原 理
﹄ 所
収 の
文 献
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図
1 9 2 7 .
一 ッ
ク リ
ッ ツ
ュ の
財 務
論 に
つ い
て の
一 考
察 ︵
清 水
519
一 ッ
ク リ
ッ シ
ュ の
財 務
論 に
つ い
て の
一 考
察 ︵
清 水
財 務 循 環 論
ニックリッシュのいわゆる財務循環
( F
i n
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f )
とはいったい何であろうか︒この問題を明ら
かにするためには︑必然的に価値循環 (W
e r
t u
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もしくは価値の流れ
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e )
に関するかれの
山
考え方の吟味から始めなければならないわけであるが︑その点に関しては︑すでに二︑三の方によって論究されて
② いるし︑また︑価値循環の問題そのものは︑われわれの当面の課題でもないので︑ここでは︑かれの財務循環論を
中心として吟味していき︑その財務循環論の内容から経営財務現象に関するかれの考え方を推論することにしよう︒
さて︑ニックリッシュは価値循環をもって経営の本質であるとするから︑経営が生産経済の主体であるか消費経
済の主体であるかは︑かれにとっては問題にはならない︒そこで︑かれは︑消費経済の単位すなわち家計を本源的
経営とし︑生産経済の単位すなわち企業を派生的経営としている`︒かれのこのような経営の理念を知っておくこと
が︑かれの財務循環論を理解するためにまずもって必要である︒
ところで︑本源的経営である家計と派生的経営である企業との間には︑給付価値の循環
( U
m l
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L e i
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)
すなわち生産価値の循環
( U
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w e
r t
e )
といわれる価値循環のほかに︑財務循環
といわれる価値循環の関係が見られる︒﹁派生的経営である企業にとっては︑抽象的資本
( a b s
t r a k
t e s
K a p i
t a l )
囚
の誘導を行なうことを前提とすることによってのみ給付価値の循環も可能であるからである﹂︒そこで︑いま︑この
財務循環の内容を概略的にいえば︑家計から企業へ資本用役の移転を意味する貨幣価値の流れがあり︑また︑企業
から家計へこの資本用役の対価としての利子や利益といった貨幣価値が流れる︒資本用役の返還としての貨幣価値
の流れが見られる︒しかも︑今日では︑このような貨幣価値の循環は家計と企業との間で直接的に行なわれるとは
そ れ
で は
︑
520
限らず︑銀行その他の金融機関の仲介によって間接的に行なわれる︒そして︑右のような外部的な財務循環のほか
に︑企業の内部における財務循環が存在する︒これが︑
しくわしく吟味してみることにしよう︒
さ て
︑
かれの財務循環論の骨子であるが︑以下において︑もう少
かれは財務循環を説明するために︑これの図式化を試み︑二つの図を用いている︒
︵上記︶について︑かれの述べているところを圧縮すると︑
第 1 図では︑他の諸経営からの︑つまるところ︑本源的経営である家計からの抽
象的資本の誘導が問題である︒点線は資本利用の委託を示し︑他方︑実線は対価と
して利益配当分または利子に関するおよび払い戻しに関する権利を示す︒資本利用
の代価としての価格は利子率であり︑配当率もそれが利益が獲得されるかどうかに
依存しているならば︑この意味をもっている︒資本調達市場は図の
1 1 である︒しか
し︑参加の場合には派生的経営の解散のさいに︑信用供与の場合には負債の満期日に︑別の面が随伴してくる︒こ
の面が未解決である限り︑資本の利用が可能である︒しかし︑未解決の面は︑一方の線すなわち点線においては払
い戻しの表示によって後で解決するし︑他方の線すなわち実線においては払い戻しに関する権利や利用の対価に関
する権利の消減の記入によって後で解決する︒未解決の面が未解決である限り︑それは現存するある経営が資本の
誘導を行なったという事実を図示する︒この図ほ捨象を意味するので︑この図を現実に接近させるならば︑諸経営
の財務関係が似ている集団の系列が︑この図の代表的経営にとって代わる︒そして︑現実に生活している個別の諸
経営では財務取引において明らかになる個別的なことがらが種々である︒何といっても︑抽象的資本の調達におい
ては参加と信用供与との割合が重要である︒なぜなら︑その割合は︑土地や業種の特質︑経営の法律形態や規模︑ つぎのようにいえよう︒
一 ッ
ク リ
ッ ツ
ュ の
財 務
論 に
つ い
て の
一 考
察 ︵
清 水
︶
い ま
︑
ま ず
︑ 四
第 1 図
521
一般的景気変動の推移︑業種の商況の経過︑ならびに︑ある一定の時期における個別の経営の状態によっ
て決まるからである︒さらに︑信用供与の湯合には︑期間の長さの差異が重要であり︑また︑信用が供与される他
の諸条件の差異が重要である︒しかし︑これらのすべての個別的なことは︑諸経営の生活中に諸経営の任務から発
生するものと解さなければならない︒この関連を強調する結果︑諸経営によって必要とされる抽象的資本を︑永続
的に用立てられなければならないものと︑一時的にだけ使用されるものとに区別することになる︒一般的にいうと︑
経営任務の縮小または拡大は︑必要とされる永続的な資本の量を変化させるにちがいない︒永続的な資本の場合に
はとにかく何よりもまず参加資本が問題になるが︑﹁利益﹂から払い戻されるべき出資者の払込金の場合のように︑
固
参加資本は一時的な資本としても見い出される︒
以上は︑ニックリッシュが第 1 図について説くところの大要であるが︑かれは︑先に示した第 1 図と全く同一の
形式の図を第 2 図として掲げ︑前とは少し異なる説明を与えている︒以下︑かれの所説の要旨を述べることとする︒
ここでは︑利用のための資本の委託が問題ではなくて︑資本の利用それ自体が問題である︒また︑資本利用の代
価としての対価が問題であって︑それは参加資本の場合には︑経営の内部的諸関係によって測定され︑信用資本の
場合には︑図の
1 1 で︑すなわち︑市場で協定された利子率によって測定される︒要するに︑ここでは︑資本の委託
と返還との間で︑すなわち︑資本の調達と資本の償還との間で起ることが問題である︒それは︑まさに資本利用と︑
その代価としての対価の供与である︒それはたいてい一回の行為で行なわれうるのではなく︑資本調達と資本返還
との間隔の間で継続的に行なわれなければならない︒対価は多くの場合には年という時の単位によって算定され︑
配当率も利子率も通例︑年率である︒点線の矢柄の矢は家計から企業への資本の継続的な利用を表わし︑資本の継
続的な利用の委託は家計から企業への継続的な給付と見なさなければならない︒これに反して︑点線でない矢柄の お
よ び
︑
一ックリッシュの財務論についての一考察︵清水︶
五
522
ニ ッ
ク リ
ッ シ
ュ の
財 務
論 に
つ い
て の
一 考
察 ︵
清 水
︶
1 6 1
矢は対価の動きを表わしている︒
これを要するに︑ ニックリッシュに従えば︑第 1
図では︑抽象的資本の誘導が問題であり︑そこでは︑資本利用 の委託と後日の払い戻し︑また︑資本利用の対価に関する権利および払い戻しに関する権利と︑それらの権利の後 日の消滅とが表示されるのである︒また︑第
2 図では︑資本の利用それ自体と︑資本利用の代価としての対価の供
与とが問題であり︑そこでは︑資本の利用と対価の動きとが表示されるのである︒それゆえ︑第
1 図では︑外部的
な財務循環を表示し︑また︑第 2
図では︑内部的な財務循環を表示しようとしていると見てさしつかえないだろう︒
かれは経営財務現象に関する定義を下していないのであるが︑財務循環に関する右のような記述の内容から推論す るならば︑資本の調達と償還︑資本の運用とその対価の供与が問題となっている︒
ところで︑右に見たところでは︑本源的経営である家計と派生的経営である企業との関係を基本的な財務循環の 図式として議論していたが︑しかし︑このような状況は現実には必ずしも成立しない︒いま︑これをかれの説明に
聞けば︑かれはおよそつぎのようにいっている︒
本源的経営から派生的経営への資本利用の継続的委託は︑同一の派生的経営に対して行なわれるとは限らず︑多 数の不特定の派生的経営に対して行なわれることが多い︒それゆえ︑本源的経営と派生的経営との間に介在するあ る新しい種類の派生的経営である銀行経営が必要である︒そして︑抽象的価値を貯蓄した本源的経営の方から︑こ の抽象的価値が︑継続的な利用のためにかあるいは他の派生的経営︵もしかしたら本源的経営も︶に利用を仲介す るために︑銀行経営に移送される︒銀行経営が自らそれを利用するときには︑その代価として対価を支払わなけれ ばならないが︑これに反して︑銀行経営が仲介だけをするときには︑仲介の給付の代価としての対価を受け取るの 1 7 1
で あ
る ︒
一
ノ
523
(7) (6) (5)
一 ッ
ク リ
ッ シ
ュ の
財 務
論 に
つ い
て の
一 考
察 ︵
清 水
N i c k l i s c h , a . a . 0 . , S S . 1 1 3 1 1 4 .
N i c k l i
笞
h , a . a . O . , S S . 1 1 2 1 1 3 .
われわれは︑以上において︑
えたと思う︒しかし︑
(4)
( 3 ) ( 2 )
七
ニックリッシュの言う財務循環とはいかなるものであるかを︑ひとまず明らかにし
かれの財務循環論は以上のところで見ただけにとどまるのではなく︑別の個所で取り扱われ
ている積立金の問題も︑内部的な財務循環のことがらとしてこれを理解することができるのであり︑われわれは︑
この小稿の第五項においてこの問題を検討することにする︒
山
N i c k l i s c h , W i r t s c h a f t l i c h e B e t r i e b s l e h r e , 6 . A u f l . , S t u t t g a r t 1 9 2 2
s.(~絡 {Betriebslehre..\.I 認
fナノ)"
1 7 3 f f . ; G r u n d f r a g e n f i i r d i e B e t r i e b s w i r t s c h a f t , S t u t t g a r t 1 9 2 8 , S . 2 4 f f . ; D i e B e t r i e b s w i r t s c h a f t ,
7 . A u f l . , S t u t t g a r t
1 恕 9
ー3 2
( 以
後 B e t r i e b s w i r t
咎
h a f t
と 略
す ︶
s . , 1 0 3 f f .
市 原
季 一
著 ﹃
ド イ
ツ 経
営 学
﹄ ︱
‑ =
二 頁
︒ 中
村 常
次 郎
稿 ﹁
経 営
概 念
と 価
値 循
環 ﹂
経 済
学 論
集 第
二 十
五 巻
第 一
︑ 二
号 N i c k l i
啓
h , B e t r i e b s w i r t s c h a f t , S . 1 6 3 . u n d S . 1 7 5 .
な お
︑ か
れ は
﹁ 参
加 の
形 態
に お
け る
抽 象
的 資
本 の
誘 導
だ け
で な
く ︑
信 用
供 与
に 帰
因 す
る 価
値 循
環 も
ま た
こ れ
に 属
し て
い る
﹂
と 述
ぺ て
い る
( N i c k l i
咎 h ,
a . a . 0 . , S .
1 0 5
. ) ︒
N i c k l i s c h , a . a . 0 . , S S . 1 0 9 1 1 2 .
資 本 処 理 論
この項で述べることは資本処理
( K a p i t a l d i s p o s i t i o n )
する説明を少し検討しておこう︒ の問題であるが︑その前に︑ ニックリッシュの資本に関
つまり︑以下においては︑資本概念と資本の分類に関する見解を吟味することか
ら出発して︑資本処理に関するかれの見解の吟味に進んでいくという道をとりたいと思う︒
524
さて︑われわれは︑まず︑ ニックリッシュの財務論についての一考察︵清水︶
山 かれが資本概念についてどのように考えているかを明らかにすることから着手しよう︒
資本概念は前項で取り扱った財務循環の問題においてすでに重要な地位を占めていたが︑資本処理や資本調達の問
題は資本概念に関連する問題であるから︑われわれは︑ここで念のため︑かれの経営学の第六版である﹁経済的経
営学﹂における概念規定を顧みたうえで︑
かれによると︑簿記方は資本を単に自己資本すなわち所有者が営業に供与したものであると考えているが︑かよ
うな簿記方の資本概念はたしかに狭すぎるものであって一企業に供与されているすべての財務的手段︵日
n a n z i e l l e
︑幽
M i t t e l )
︑すなわち︑自己資本および他人資本が資本概念の中に総括されなければならなしそこで︑かれは︑資
本を定義してつぎのようにいう︒﹁資本︵営利資本︶とは目的に対する手段として一経営経済に用立てられる経済
図 的財貨の蓄積である﹂と︒ところで︑かれは︑対立する概念である財産との関連において資本を問題とし︑つぎの
ような見解を示している︒
財産はその具体的な形態とこれによる構成とにおいて一企業に供与されている手段であるのに対して︑資本はこ
の財産集団の中に滞留するもの
( B l e i b e n d e )
であり︑どんな種類の財貨が財産の中に存在しているかをとわず︑
諸財貨に内在する価値の総計である︒また︑財産は財貨の種類によって分類されるが︑資本は今日の経済生活の基
礎をなす法秩序︑すなわち︑経済的財貨に対する私有財産
( P r i v a t e i g e n t u m ) k l .
よって分類される︒それゆえに︑
企業において働かされている価値がだれに所属するかがここで問題となる︒このようにして︑資本は自己資本と他
図 人資本とに二分される︒
ところで︑ここで注意しなければならないことは︑かれが自己資本と他人資本とを含む資本概念のほかに︑自己
資本だけを含む資本概念をも主張しているということこれである︒このことを︑かれの言葉でいうと︑ ﹁経営経済﹂におけるそれを見ていくことにする︒
八
﹁ 企
業 者
に
525
一ックリッシュの財務論についての一考察︵清水
九
とっては︑企業の自己資本がかれの資本であり︑すなわち資本であるが︑企業にとっては︑自己資本と他人資本と
囚 から成りたつ総資本の概念が有効である﹂と︒こうして︑かれは︑経営経済学上の立場から︑企業を中心とした資
本概念を主張するとともに︑企業者を中心とした簿記的な資本概念をも認めていた︒
以上によって︑﹁経済的経営学﹂における資本概念の内容が明らかとなったが︑﹁経営経済﹂においてかれが資
本概念にいかなる規定を与えているであろうか︒そこでは︑かれはきわめて含蓄のある見解を示している︒
かれに従えば︑財産は個別の目的のための諸価値から構成されており︑﹁この価値総体をおおう抽象的価値
( a
b s
t r
a k
t e
r W
e r
t )
が資本であり︑それは個別の独立経営が総合的抽象的な価値包被に有している持分
( A n t e i l )
伺 である﹂とされる︒要するに︑財産を包被する抽象的価値の蓄積が資本として考えられており︑この資本概念は本
源的経営である家計と派生的経営である企業との両者を含む経営の資本概念である︒このことは︑﹁本源的経営で
ある家計の資本においては︑分業的な総合経済における諸財貨にあずかる持分を家計に間接的に保証する抽象的価
1 6 1
値の蓄積が問題になる﹂という言葉からも十分にうかがわれる︒
しかし︑かれは︑よく右のような資本概念だけに徹しているわけではなく︑同時に︑派生的経営である企業の資
本概念を展開しているのである︒いま︑これをかれの説明に聞けば︑﹁派生的経営においては︑資本は参加資本あ
るいは信用資本として経営に用立てられる貨幣価値額である︒そのさい︑その貨幣価値額が各場合にどういう貨幣
形態に投下されたか︑現金額としてか預金貨幣としてかあるいは有形財産としてかは︑さしあたりどうでもよい︒
その貨幣価値額が投下されなければならないものであって︑自己の価値ではないということだけは確かなように思
われる︒参加資本も自己のものではない︒同様のことはこの経営の利益についても言いうる︒なぜなら︑たとえ利
益が過去の損失の平均化のために︑あるいは損失危険に対する保証のために留保されるにしても︑利益はその発生
526
以上で︑資本概念に関するニックリッシュの見解を検討したが︑
経営学的な資本概念の拡張が企てられたのである︒ 経営である企業の資本概念とが同居していたことを知るのである︒こうして︑要するに︑ 簿記的な資本概念と決別した経営学的資本概念を打ち立てることが問題であったが︑
成とかかわりをもつ資本の分類について述べているところを問題としてみよう︒
まず︑かれは経営がどういう方法で資本を獲得するかにもとづいて参加資本あるいは企業者資本
( B e t
e i l i
g u n g
s ,
o d
e r
U n t
e r
n e
h m
e r
k a
p i
t a
l )
と信用資本
( K
r e
d i t k a p i t a l )
とが区別されるべきであるとしている︒企業において
別することを望む人は︑ 働かされている価値がだれに所属するかによって資本を自己資本と他人資本とに分けるというのが︑
1 8 1
以前においてかれが採っていた態度であるが︑﹁経営経済﹂では︑本来の意味の自己資本というものは︑本源的経 営である家計ではこれを持つことができるが︑派生的経営である企業ではこれを持つことができないから︑従来の
⑲
用語は人を誤解させるという理由で︑参加資本あるいは企業者資本と信用資本という用語を用いたわけである︒
つぎに︑かれは経営の目的に対する関係によって資本を区別している︒すなわち︑かれは︑資本の保有が期間の 多様性の影響を受けるので︑多種の期間内に流通する総体価値をもつ財貨が財産の中に包含されていることが重要 であるとして︑これに関連して︑短期資本
( k u r
z f r i
s t i g
e s
K a
p i
t a
l )
︑中期資本
( m i t
t e l f
r i s t
i g e s
K a
p i
t a
l )
お よ
び長期資本
( l a n
g f r i
s t i g
e s
K a
p i
t a
l )
の区別を設けている︒このことを︑かれの説明に聞けば︑﹁全く厳密に区 おそらく長期という名称を︑消耗しない固定財産に役だっ資本についてだけ使用するだろ
このようにして︑われわれは︑ m
の段階においてすでに出資者の権利に属するからである﹂と︒
一 ッ
ク リ
ッ シ
ュ の
財 務
論 に
つ い
て の
一 考
察 ︵
清 水
つ ぎ
に ︑
﹁ 経
営 経
済 ﹂
かれが︑派生的経営における資本の構 ﹁経営経済﹂では︑そうした
﹁ 経
済 的
経 営
学 ﹂
で は
︑
﹁経営経済﹂において︑家計にも企業にも通用する包括的な資本概念と︑派生的
1 0
527
一ックリッシュの財務論についての一考察︵清水 う︒そういう人は短期的に設置されたのでない残余の財産に対応する資本を中期的とみなす︒長期資本と消耗しな
つ ぎ
に ︑
い財産︑中期資本と消耗する財産︑短期資本と取引財産とが最も狭い意味において相互に一致する﹂と︒そして︑
かような一致の意味は︑かれによると︑総財産と総資本とが等しいようにそれらが金額的に当初から相等しいとい
う意味ではなく︑各財産部分に間に合う資本が調和した期間をもって存在しなければならないという意味である︒
さらに︑かれは︑経営の目的に対する関係によって資本を本来の経営資本
( e i g e n t l i c h e s
B e
t r
i e
b s
k a
p i
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l )
と
保証資本
( G
e w
a h
r l
e i
s t
u n
g s
k a
p i
t a
l )
とに区別している︒これは財務上の安全性に重きをおく区別であり︑かれ
によると︑創立されるべきある経営が必要な資本の大きさを求める時期においてすでに︑その経営は価値保全額を
付加しなければならないのであり︑また︑経営はその活動中に本来の価値保全に付加されるある一般的な価値保全
を形成していくといっている︒それゆえ︑かれにおいては︑本来の価値保全が本来の経営資本であり︑活動中に本
来の価値保全に付加される価値保全が保証資本であり︑両者がともに経営の危険を負担すると考えられている︒こ
のことは︑﹁価値保全は二つの形式で︑すなわち︑出資者の払込義務としてか︑その経営の財産準備金として現わ
れる﹂という言葉からもうかがわれる︒そして︑ここにいうところの経営の財産準備金とは︑経営が設定する公示
皿積立金および秘密積立金を意味する︒
かれは経営の目的から資本を︑本来的な経営財産に運用されている資本と︑
に運用されている資本とに区別し︑過剰価値物に対応する資本が本来的には経営目的に適合していないということ
は明らかであると述べている︒ここにいう過剰価値物は︑
⑫ な関係をもたない財産のグループにほかならない︒
な お
︑
かれに従えば︑投機的価値物であり︑経営成果と有機的
かれは発生という点から資本を旧資本
( A
l t
k a
p i
t a
l )
と新資本
( N
e u
k a
p i
t a
l )
とに区別している︒ここ 過剰価値物
( U
b e
r w
e r
t e
)
528
I I m
にいう新資本とは外部から新たに供与される資本と︑ある期間中に生じた利益とを意味する︒
ま ず
︑
かれが資本処理という用語をどのように考えているかをみる︒かれによると︑資本処理あるいは資本管理
( K
a p
i t
a l
l e
i t
u n
g )
おいては損失に至らせる資本運用が問題になるが︑このような考え方はかなり大ざっばであるという︒それでは︑
資本処理とは何であるのか︒かれによると︑資本処理は︑最終段階の部分目的まで︑各部分目的のために資本の誘
溝(Ableitung)を行ない︑かつ︑資本を順次回送することであると解される︒また︑資本誤用はどのように理解
されるのであろうか︒資本誤用は﹁悪い資本処理﹂であるが︑﹁損失は資本誘導を行なった目的に帰するにはおよ
ばないのであって︑他の原因に帰しなければならないであろう﹂と述べている点からみて︑また︑市況の推移を考
慮した深刻な個別調査によって誤用であるかどうかの判断を下さなければならないという見解を示しているところ
から推察して︑かれは損失に至らせる資本運用を資本誤用とする考え方には組しないようであるが︑しかし︑結局
は︑かれも資本の損失を悪い資本処理の標識とすることで満足するほかはないと考えたからであろうか︑損失だけ
ではなく︑損失へ導く収益性の低下をも資本誤用の標識と考えているようである︒このことを︑かれはつぎのよう
に表現している︒すなわち︑﹁他の資本処理をするとすれば︑もたらされるだろう収益よりも少ない収益は収益低
a J
下の額だけすでにこれを損失と考えてよいというのでなければ︑損失の標識だけでは不完全である﹂と︒
右に述べたところで︑資本処理という用語をかれがどのように解しているかが︑いちおう明らかとなったので︑
われわれはつぎに︑資本処理に関するかれの論述の内容を吟味することとしたい︒
か れ
は ︑
さて︑われわれは︑進んで︑ ﹁資本処理﹂に関するニックリッシュの見解を吟味するべきであろう︒
に お
い て
は 資
本 の
運 用
( V
e r
w e
n d
u n
g
d e
s K a p i t a l s )
﹁ 資
本 処
理 の
主 目
的 (
H a
u p
t z
w e
c k
)
のことが考えられ︑ また︑資本誤用に
は︑その主目的に従って資本を各部分目的に割り当てることであ 一ックリッシュの財務論についての一考察︵清水
529
︐ " u
る﹂と述べ︑資本処理の問題を﹁働かされている資本﹂
明している︒かれによると︑働かされている資本とは︑
﹁ときどきの経営必要財産
( B
e t
r i
e b
s f
o n
d s
)
は︑働かされている資本はその量において︑また︑その変化において経営必要財産とひじょうに密接な関係にあり︑
経営必要財産が変化するとおりに︑働かされている資本はその量と目的構成において変化すると考えられており︑
また︑働かされている資本の変動は︑働かされない残余の資本の量の決定に与って力があると考えられている︒
ところで︑かれのいわゆる﹁働かされている資本﹂を理解するためには︑それと密接な関係にある﹁経営必要財
産﹂の概念を明らかにしておかなければならない︒かれに従えば︑経営必要財産は︑経営活動の過程に拘束されて
いる財産であり︑ある一定の時期に経営において働かされている財産にほかならない︒そして︑それは過剰な財産
( i . i
b r i g
e s
V e
r m
o g
e n
)
と区別されている︒それゆえ︑経営必要財産として拘束されている財産に具体化されてい
る価値が働かされている資本であるというわけである︒かれがこのような経営必要財産という観念をもち来ったの
は︑各時期において経営必要財産として拘束されていない過剰な財産があると︑それが経営にとって負担となると
考えるからであろう︒つまり︑そういう財産に具体化された資本は利用されていないし︑また︑そういう財産には
価値減少が見られるために︑経済性が低下すると考えるからであろう︒
経営必要財産は操業度に応じて増減変化するが︑
義的に決定されるものではないという理由で︑下限と上限とが存在するといっている︒かれによると︑下限が設け
られるのは︑財貨量の不足のために経営活動の継続が脅かされることを考慮するからであり︑また︑上限が設けら
れるのは︑利子を支払わなければならない資本を過大に持ったり︑過剰価値物
り ヽ
一 ッ
ク リ
ッ シ
ュ の
財 務
論 に
つ い
て の
一 考
察 ︵
水 清
( u b e
r s c h
t i s s
i g e
W e
r t
e )
の管理
( a
r b
e i
t e
n d
e s
K a
p i
t a
l )
︐ の問題と結びつけて︑これを説
h"
3
﹁経営過程において保持することのできる資本の量﹂であ ^
" u
に投下された資本﹂であるとされる
Pそれゆえ︑かれにおいて
かれは︑経営必要財産を形成する各財貨有高が金額的に全く一
530
よ る
と ︑
鳴 のために超過費用が生じたりすることを阻止しようとするからである︒
﹁資本処理の目標は さて︑働かされている資本という概念内容と結びつく資本処理に提出しなければならない要求の内容は︑
か れ
に
つぎのとおりである︒第一︑資本の完全な運用
( v o l
l e V
e r
w e
n d
u n
g )
第二︑資本の正しい運用
( r i c
h t i g
e
V e
r w
e n
d u
n g
) すなわちこれである︒そして︑ かれは︑その要求にあっては一般につぎの二つの可能性が重要であ
凹 ると見ている︒ここに︑二つの可能性とは︑資本流通の強度あるいは緊張に重きをおくことである︒そして︑この
闘 ことについて︑かれはつぎのような考え方をとっている︒資本流通の強度は運動している資本量を意味し︑資本の
増加あるいは減少によって調節される︒そのさい︑重要なことは︑資本が急速に調達されるか︑あるいは︑資本供
与の条件や経営における運用が資本の急速な償還を許すか︑ということである︒一方︑資本流通の緊張は流通の速
度に現われる︒経営給付の各単位がより少なく負担する結果となるように資本費用を経営給付に一層強く割り当て
ることによって︑緊張は加速的に高められる︒統一的な資本処理はその個々の場所での運用の効果に留意しなけれ
ばならないし︑また︑この効果の判定を実行しうる拠り所となる資料を配慮しなければならない︒ここに︑資本処
個 理が労働過程の経過や財産の利用と交錯する境界領域がある︒
こうした考え方にもとづいて︑資本処理に関する要求が出されているわけである︒
ところで︑かれによると︑資本の交換
( A
u s
w e
c h
s l
u n
d g
e s
K a p
i t a l
s )
もまた資本処理の一環である︒このこ
とをかれはつぎのように述べている︒すなわち︑﹁不利な条件で供与されている資本を一層有利な条件で供与され
る他の資本に取り替えることが可能であるならば︑資本の交換もまた資本処理という任務の一部である︒ここで︑
佃 資本処理と資本調達とが重なり合っている﹂と︒資本の交換は資本調達を必然的に伴うのであるから︑かれにおい
ては︑資本調達も資本処理に包含されると考えられていると解せられる︒このような解釈は︑
一 ッ
ク リ
ッ シ
ュ の
財 務
論 に
つ い
て の
一 考
察 ︵
清 水
︶
一 四
531
(11)
一ックリッシュの財務論についての一考察︵清水 N i
c k l i s c h , B e t r i e b s l e h r e ,
S.
6 6 .
N i c k l i s c h , B e t r i e b s w i r t s c h a f t ,
S
.
3 7 5 .
田資本概念については︑中村常次郎稿﹁資本概念に関するニックリッシュの態度﹂
店刊︑所収︶参照︒
ガ[
N i c k l i s c h , B e t r i e b s l e h r e ,
S
.
6 4 .
③ 山
5
~~
~~
6
7
~~
⑧
⑲
c k N i l i s c h , a . a . 0 . ,
S.
3 7 6 .
なお︑かような一致に関するニックリッシュの所説については︑ヘルレも近著の財務原則
の章でその参照を要求している
( D .
H a r l e , F i n a n z i e r u n g s r e g e l n n u d i h r e P r o b l e m a t i k , i W e s b a d e n
1 9 6 1 ,
S.
3 6 .
) ︒
N i c k l i s c h , a . a . 0 . ,
SS .3 7 7 3
7 8 .
なお︑却空止金を保証資本とみる所説は︑かれの﹁経済的経営学﹂においてもみられる︒
すなわち︑そこで︑かれは︑つぎのように述べている︒﹁企業者の出資したこの衰本部分は危険をまず第一に負担するので
はあるが︑直接または間接に存在しうるある特別の保証がその資本に帰属する︒問接的には︑企業者資本は公示稲立金およ ( 1 0 )
N i c k l i s c h , a . a . 0 . ,
s s .
3 7 2 3
7 3 .
N i c k l i s c h , a . a . 0 . ,
S.
3 7 2 .
u m 資 本 の 調 達 お よ び 運 用 か ら で き る だ け 大 き な 効 果 を 確 保 す る こ と で あ る
︒ 資 本 維 持 も ま た こ の 目 標 に 包 含 さ れ る
﹂ と い う 言 葉 か ら も そ の 裏 付 け を 得 る だ ろ う
︒
以上で︑
わ れ わ れ は
︑ 資 本 処 理 に 関 す る ニ ッ ク リ ッ ツ ュ の 所 論 を 概 略 考 察 し て き た
︒ か よ う な 考 察 の の ち
︑ N i c k
l i s c h , a . a . 0 . ,
s s .
6 5 6 6 .
N i c k l i s c h , a . a . 0 . ,
s .
6 7 .
N i c k l i s c h , B e t r i e b s w i r t s c h a f t ,
S.
9 0
` .
め て 資 本 調 達 論 に 関 す る 考 察 に 進 む こ と が 可 能 と な る
︒
一五
は じ
︵日本会計学会編﹃財務諸表論﹄森山書
532
こ こ で ︑ ニックリッシュの﹁資本論﹂の中心的な部分と思われる﹁資本調達論﹂に眼を転ずることにしよう︒か れは︑まず︑﹁調達されるべき資本の額の決定﹂を取りあげ︑つぎに︑﹁資本調達の方法および形態﹂を取りあげ ている︒前者では︑資本の額の決定が問題とされ︑また︑後者では︑決定された資本の額を前提として︑それをど
四 資 本 調 達 論
⑲
N i c k l i s c h , a . a . 0 . ,
S.
3 8 2
.
U 8 ) 闘資本流通のこの二つの性質の関連に関しては︑かれはさらにつぎのような説明を与えている︒すなわち︑
いるところの給付は運動させられた資本量と︑流通の速度とからの所産である︒速度が増加するさいには少しの資本量をも
って同じ給付を生産することができ︑また︑資本量が同一であるとしても︑速度が増加するさいには︑多くの給付を生産す
る こ と が で き る ﹂ ( N i c k l i s c h , a . a . 0 . ,
S.
3 9 7 . )
と ︒ N i c k l i s c h , a . a . 0 . ,
SS .
3 8 1 3
8 2 .
0 6 ) U 5 )
もっとも︑かれは資本処理を広義に解するさいには︑財産の管理や財産の利用をも資本処
理に加えることができるという見解を示している︒
N i
c k
l i
s c
h ̀
a .
a . 0 . ,
S.
3 8
1 ・
N i c k l i s c h , a . a . 0 . ,
SS .
3 3 4 3 3 5 .
( 1 4
N i c k l i s c h , a . a . O . ,
S.
3 8 0 .
⑬
N i c k l i s c h , a . a . 0 . ,
S.
3 7 9 .
U 2 l 金額によって保証されるのである﹂ び秘密積立金の形成によって保証され︑直接的には︑企業者資本は︑保証額として企業者に支払われる普通の金利を上廻る
( N i c k l i s c h , B e t r i e b s l e h r e ,
S.
6 6 . )
と ︒ N i c k
︾
l i 啓 h B e t r i e b s w i r t s c h a f t ,
S.
3 2 7
u n d
S.
3 7 9 .
一ックリッシュの財務論についての一考察︵清水
﹁ 流 通 が 示 し て
1六
.533
一 ッ
ク リ
ッ シ
ュ の
財 務
論 に
つ い
て の
一 考
察 ︵
清 水
︶
単位とは比較にならないほど大きい︒そこで︑
か れ
は ︑
一 七
﹁その営業部門の最小の諸経営にとっては財産の最小の必 かれは︑調達されるべき資本の額の決定要因として︑まず第一に︑ に関するかれの所説を顧みることにしよう︒ のようにして調達するかということが問題とされるのであってみれば︑
で は
︑
なものとはいえないだろう︒われわれは︑ まず︑以下において︑
﹁その営業部門の経営を支配している工程単 かれのそういう行き方そのものは別に特異
﹁調達されるべき資本の額の決定﹂に関するかれ
の見解を考察することから始めよう︒
さて︑かれは予備的段階として一般的見地から﹁調達されるべき資本の額の決定﹂の問題を取りあげている︒つ
まり︑かれの考え方でいくと︑一般的な見地から考察するさいには︑一方では︑費用価値をもったこの種の経営給
付を生産するためには少なくともどれくらいの資本が必要であるかということ︑正確には︑その営業部門で引続き
活動しうる最小の独立の経営はどれくらいの資本を使用するかということが問題とされ︑また︑他方では︑どれ<
らいの資本がこの営業部門の一経営の財産において最高度に利用されうるかということ︑具体的には︑資本が最有
利に運用される経営規模はいかなるものであるかということが問題とされるという︒そして︑かれは資本が最有利
に運用される経営規模が︑その経営の置かれている産業活動領域の大きさに依存し︑また︑その領域における需要
の密度に依存するという見解を示している︒この一般的な関係の理解を前提としてかれはある特定の経営にとって a の資本計量の問題に接近するという態度をとっている︒
いったい︑かれは︑各経営において調達されるべき資本の額が何に依存すると考えたであろうか︒この点
位の大きさ
( G
r o
B e
d e
r
P r
o z
e B
e i
n h
e i
t )
﹂を掲げている︒そして︑ かれは︑ここにいう工程単位の例として錯鉱
所の錯鉱炉をあげている︒それは︑製品がある一人の人間の元で製造されるような小規模な紙巻煙草工業での工程
534
すのである︒かれはこのことの説明のために︑ つぎのような例を設けている︒
要額およびそれとともに資本の必要額は何よりもまずこの工程単位の大きさに依存している﹂と主張するのである︒
そ し
て ︑
かれは︑ここにいう工程単位の大きさが単に原料の量といった物量的な意味においてではなく︑価値的に
1 2 1
考えられていることはいうまでもないことであるとしている︒
つ ぎ
に ︑
かれが︑調達されるべき資本の額の決定要因として掲げる第二のことは︑
る給付の量﹂すなわち︑
こ う
し て
︑
﹁ 給
付 能
力 ﹂
( L
e i
s t
u n
g s
f a h
i g
k e
i t
)
である︒そして︑それは経営の操業度をさすようで ある︒かれによると︑給付能力したがって操業度の変化が経営の実際の資本需要
( K
a p
i t
a l
b e
d a
r f
) 一日五十トンの給付能力をもつセルローズ経営が︑新しい使用財産を使用することなしに︑生産を十︒ハーセント だけ増加することができるとすると︑その経営は新しい給付能力を標準として取引財産を手持ちするにちがいない︒
設備財産は二︑四
00
︑ 000
マルクで変化がないとすると︑
一 六
0 ︑
000
マルクになり︑総財産は四︑
五 六
0 ︑
000
マ ル
一日五十トンの生産のさいに二︑四 00 ︑
O O
O マ
ルクであった取引財産は︑生産が十パーセント増加して五十五トンになると︑同様に十パーセント増加して︑二︑
六四 0 ︑ 000 マルクになり︑総財産は五︑ 0 四 0 ︑ 000
マルクになる︒また︑操業度が十パーセントだけ低下
すると︑取引財産は十︒ハーセント減少して︑二︑
1 4 1
ク に
な る
︒ かれの考え方でいくと︑給付能力の変化したがって操業度の変化に応じて取引財産の額が決まり︑ひ いては総財産の額も決まる︒そして︑これが経営の実際の資本需要を決めるというのである︒ただし︑かれは︑操 業度が上昇する場合には追加の資本が用立てられなければならないとするが︑操業度の低下する場合には︑正常な 操業度へ復帰しようとする努力が行なわれるので︑財産の構成を変化させる必要はあっても︑新しい資本処理はさ
一ックリッシュの財務論についての一考察︵清水
に影響を及ぼ ﹁経営が生産することのでき
一八
535
一 ッ
ク リ
ッ シ
ュ の
財 務
論 に
つ い
て の
一 考
察 ︵
清 水
さ ら
に ︑
一 九
かれが︑調達されるべき資本の額の決定要因として掲げる第三のことは︑資本流通における重複の程度
である︒このことを︑かれの言葉でいうと︑﹁第三にあげるべきことは︑同様の個々の財産の流通の状態が︑最初の
流通の後にすぐつぎの流通が続き︑その後にまたつぎの流通が続くというようになるとは限らないので︑流通の繰
り返しが同じ資本をもって行なわれうるのではなくて︑持続的にあるいは少なくとも一時的にそれ以上の資本を必
固 要とするということである﹂と︒そして︑このことについてのかれの説明を︑われわれの理解する限りにおいてで
きるだけ短く圧縮すると︑つぎのようにいえよう︒
かりに︑すべての財産が流動財産であり︑かつ︑すぐつぎの流通が先行する流通にびったりと随伴するとすると
同じ資本をもってする流通が繰り返し行なわれることになるのだが︑実際上かようなことはない︒最初の流通が全
く終る以前に︑すぐつぎの流通がすでに始まりそうである場合には︑最初の流通とすぐつぎの流通との重複がひき
起されるだろう︒その重複はそれに関与している価値の額だけ叉それが持続する期間︑それまで必要であった資本
を上廻る新しい資本を必要とするだろう︒各財産部分の流通期間は種々様々であるから︑各財産部分に対する関係
が一層正確に追求されるときに初めて︑資本額に及ぼす影響が一層明らかに認識される︒たとえば︑営業用土地︑
投資および固定有高のような財産基本有高は︑その利用によってのみ流通に参加するものであり︑それに具体化さ
れた資本が固定しているので︑右に述べた重複が起りえない︒また︑ただ一度の使用によって完全に消耗する財産
の場合には︑重複が起りがちである︒長い消耗期間をもつ財産の場合には︑消耗が少しずつ行なわれて︑個々の活
動において消耗する価値が流通に参加するのであるが︑右に述べた重複が少しも起りえないというわけではない︒
全部の価値をもって流通する流動財産の場合には︑ある流通が別の流通に結合するので︑重複が起りがちである︒
固しあたり不必要であると述べている︒
536
しかし︑無制限に重複が起るのではない︒たとえば︑初めに比較的大きな金額の仕入れが行なわれているときには︑
売上収入金はしばらくの間︑自由な資本になるので︑固定財産の場合の減価償却留保資本とちょっと似た関係がみ
岡
ら れ
る ︒
以上で︑われわれは︑調達されるべき資本の額の決定に関するニックリッシュの所論を概略考察してきた︒
そ れ
で は
︑
﹁資本調達の方法および形態﹂の問題は︑
一 ッ
ク リ
ッ シ
ュ の
財 務
論 に
つ い
て の
一 考
察 ︵
清 水
︶
かれにおいては︑どのように理解されるのであろうか︒わ
れわれは︑さらに︑こうした問題を究明しなければならない︒
まず︑かれが﹁資本調逹﹂
( K
a p
i t
a l
b e
s c
h a
f f
u n
g )
ということをどのように考えているかをみるに︑かれはつぎ
のようにいう︒﹁資本調達は二様の意味に解されるべきである︒そのさいに経営は能動的あるいは受動的でありう
る︒第一は︑経営が他の経営のために調達を行なうときであり︑第二は︑調達される資本が経営自身に供与される
ときである︒他方の側面と同様に一方の側面が問題になりうるのであって︑そのことは銀行経営にだけ当てはまる m のではない︒たとえば︑販売財務のさいでも第一の︑すなわち能動的な意味の資本調達が問題である﹂と︒これに
従うと︑かれは資本調達をもって︑経営が他人のために資本供与を行なう意味にも︑また︑経営が外部の資本供与
図 者から資本を調達する意味にも解していることがわかる︒このような理解の仕方はかれ独自のものではないが︑か
れはこの両者の関係について︑能動的側面からその経営の資本力に対する要求が生ずるがゆえに︑受動的側面は能
動的側面によって影響を及ぼされると述べている︒しかし︑後に展開する資本調達の方法および形態の説明では︑ m 受動的側面だけが問題にされている︒
つぎに︑かれは資本調達の方法および形態に影響を及ぽす要因を問題として︑つぎのような考え方をとっている︒
資本調達の方法および形態は種々の影響下にあり︑何といっても資本調達の目的がそれに影響を及ぼす︒目的のた
1 1 0
537