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「労働生産性のたゆみない向上の経済法則」論批判 (一)

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(1)

「労働生産性のたゆみない向上の経済法則」論批判

(一)

その他のタイトル On Economic Law of Incessantly Increasing Productivity of Labour

著者 長砂 實

雑誌名 關西大學商學論集

巻 11

号 1

ページ 67‑88

発行年 1966‑04‑07

URL http://hdl.handle.net/10112/00021534

(2)

67 

社会・共産主義の発展・成熱にとって労働生産性向上がもっている意義は巨大である︒レーニンによれぱ︑﹁労働

. '

﹁労働生産性向上ー共通経済法則﹂論の検討

﹁労働生産性のたゆみない向上

11

社会主義の特有経済法則﹂論の検討

社会・共産主義のもとでの労働生産性向上にかんする特有経済諸法則

第一節第二節第 一

1一 節

﹁労働生産性のたゆみない向上の

経済法則﹂論批判口

(3)

68 

すべきかということ︑ 以来現在にいたるまで︑ が示しているところである︒

( 1 )  

これは︑結局のところ︑新らしい社会制度が勝利するために︑もっとも重要な︑もっとも主要なもの﹂で

あり︑また︑﹁労働生産性の向上は︑それなしには共産主義への最終的な移行が不可能であるところの︑

( 2 )  

的な任務である﹂︒社会主義国で労働生産性が︑たえまない︑安定した急速なテンポで向上していること︑ ︱つの根本

それこそが社会的生産物と国民所得の増大と生活水準の向上をひきおこす最大の要因であることは︑現実の諸統計

現代社会・共産主義経済学においては︑

第二の論点は︑なぜか︑

義の多くの独自な経済法則が︑ このような労働生産性向上は︑

とによって︑不当にそれらの意義が軽視されているように思われる︒

﹁労慟生産性のたゆみない向上の経済法則﹂論批判︵一︶︵長砂︶

一九五四年の

一般に︑﹁労働生産性のたゆみない向上の経済法則

(9 KO HO MH 'I eC KH H 38 KO H  H ey KJ IO HH Or o 

︑ ︑

po cT a  n po H3 BO .n

;H Te Ji hH OC TH P  T Y, n; a)

﹂という︑社会主義の特有経済法則として把握されている︒それにもかかわら

ず︑この特有経済法則の内容の理解については︑まだ多くの疑問点がある︒とくに重要と考えられる第一の論点は︑

一般にあらゆる社会構成体に存在し作用すると認められている﹁労働生産性向上の経済法則

py .n .a

)11共通経済法則とこの特有経済法則との関連をいかに把握

3a KO

H IIOBbIIIIaIO~eHCll

II pO H3 B0 ,l l. HT eJ ib HO CT H 

つまり︑共通経済法則の共通性の意味と特有経済法則の特有性の意味とをあきらかにするこ

(9 KO HO MH 'I eC KH H 

とであり︑第二の論点は︑社会・共産主義のもとでの労働生産性のたゆみなく急速な向上という特有な﹁経済的合

法則性﹂は︑前記のような︱つの特有経済法則に表現しつくされるかいなか︑ということである︒第一の論点にか

ソ連邦において一連の論争が存在しているが︑われわれの見解では︑まだ正しい結論がだされていない︒

一般に︑疑問点としても提起されていない︒しかし︑われわれの見解では︑社会・共産主

いわゆる﹁労働生産性のたゆみない向上の経済法則﹂のなかに誤って溶解されるこ

(4)

69 

8 われわれはすでに︑社会・共産主義のもとでの労働生産性向上の経済学的把握にかんする通説に︑また一定の異

( 3 )  

説に︑原則的に同意しえないわれわれの立場をのべたことがある︒ここでの課題は︑このわれわれの立場をより明

確にするとともに︑社会・共産主義のもとでの労働生産性向上の経済的合法則性をいかに経済法則的にとらえるべ

の問題を積極的に追求することである︒

本稿で利用される主要文献を以下にかかげよう︒

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rocrrOJIHTH3••1954.

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(5)

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rrpM COUMaJIM3Me. ≪BeCTHMK JleH. YHMB.≫, cepM9KOH.JI.rrpaBa, Bbm. 3, No. 17, 1958. 

〔〇〕八.K.TpOHOB,3aKOH IIOBb!IIIaIOmecrrpOM3BO,ZJ:MTeJibHOCTMTpy,n:a xapaKTep ero八咄CTBMSIIIpH 

KaIIMTaJIM3Me rrpH COUMaJIM3Me. ≪Bee. JleH. YHMB‑≫, cepH9KOH・伽JI.rrpaBa, Bbm. 1, No. 5, 1959. 

SJI. JI10601IIHU, 06mecrreuH中皿ecKHe9KOHOMecKHe3aKOHbI. rocIIOJIHTM3., 1959. 

〔:::〕noJIHTHqecka9KOHOMcouMaJIH3Ma.CoU9KrH3; 1960, fJI. VIII, (A. E. fpHropbeB). 

2noJIHTHqecka9KOHOMHSICOUMaJIM3Ma. 113•«BbICIIIaHIIIKOJia≫. 1960, fJI, X, (C. r. CTpyMMJIMH,) 〔2KypcJieKUMM ITO IIOJIMTH'IeCKO9KOHOMMMcouMaJIH3Ma. 11•«Bb!cIIIasi:IIIKoJia≫, 1961, (11. A. EpMaKoB 

n. n. JlHTBRKOB). 

〔ま〕TTOJIMTM'IeCKaH9KOHOMMSI (yqe6HMK). rocrrOJIHTM3., 1962. 

匹〕r.H. ECTaeB,8KOHOMecK3aKOHIIOBblIIIeHMSI rrpOH3BOMTeJibHOCTMTpya.8KOHOMM3., 1962. 〔SA.n. JlRIIHH, 06mecTBeHHblfI TPY.n: KOMMJHH3M, 8KOHOMM3・,1962.

〔こ〕E.BaJIMBa'I, 8KOHOMH'IeCK38KOHIIOBbIIIIaIOmeii:csi: rrpOH3BOMTeJibHOCTMTPYaHaJieKTMKaero 

pa3BMTMBcrreu呻皿ecK38KOHCOUMaJIM3Ma, ≪8KOHOMecKMeHayKM≫, No. 6, 1962. 

隣〕11.A. TMXOHOB, MaTepHaJibHO‑TeXHecKaR6a3a KOMMJHM3Ma rrpOM3BOMTeJibHOCTbTPYa.8KOHOMM3., 

1963. 

ほ〕r.H. ECTaeB,8KOHOMH'IeCK3aKOHJ;IOBbIIIIeHHSI rrpOM3B0,ZJ:MTeJibHOCTM Tpyaero MCIIOJIMb30‑

BaHHMe rrpH couMaJIM3Me. ≪CouMaJIMCTH'IeCKHH TPY.n:≫, No. 11, 1963. 

gB.11. COMOB, 8KOHOMH'IeCKHH 3aKOH IIOBbIIIIaIOmeiksi: rrpOH3B0HTeJibHoii:CHJibI o6mecTBeHHoro TPYa.

(6)

71 

れに疑問がある︒

2 2

2 1

第一節

H3 A. Mr ỳ 19 63 . 

﹁労働生産性向上11

(

1 6

CT p.  

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注①

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K e,   cT p. 9   3.  

③『富大経済論集』第六巻第一―-•四号合併(昭和一二六年三月)一五五l一五八ページ、および同誌第九巻第一二号(一九六三

年十月︶九ページを参照のこと︒

一般に︑労働生産性向上が共通経済法則として把握されるさいには︑三つの論拠が提出される︒しかし︑

第一の論拠として︑諸社会構成体を通じて労働生産性が向上してきているという歴史的事実がもちだされ︑

さい労働生産性向上と社会的生産力の増大とが事実上同一視される︒たとえば︑

(B Ce 06 um i)  

社会の生産力︑なによりもまず労働用具の変化と発展である︒この法則は︑

つぎのようにいわれる'~「それ

ぞれの生産様式は先行する生産様式にくらべてより高い労働生産性をつくりだし︑より大量の生産物を社会に保証

する︒⁝⁝したがって︑向上する労働生産性は普遍的経済法則である︒その物質的基礎をなすのは︑

一方における社会的に必要な労働ある

いは労働時間︑他方における生産された生産物の量のあいだの相互関係を表現する︵傍点ー引用者︶

(7)

72 

﹁労働生産性のたゆみない向上の経済法則﹂論批判︵一︶︵長砂︶

( 1 )

︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑

8 5

)﹂︒この論拠は︑労働生産性向上を︑さしあたって︑生産力的視点からとらえる限りはかならずしも誤りではな

い︒マルクスは︑﹁労働の生産力は多様な事情によって︑なかんずく︑労働者の熱練の平均度・科学およびその技術

学的な応用可能性の発展段階•生産過程の社会的結合・諸生産手段の範囲および作用能カ・によって、また自然諸

( 2 )  

関係によって︑規定される︵傍点ー原文︶﹂とのべ︑また︑﹁生産力なるものは︑もちろん常に︑有用的・具体的労

働の生産力であって︑事実上では︑ただ︑与えられた時間内における合目的的︒生産的活動の作用度のみを規定す

( 3 )

る﹂とのべている︒さらに︑﹁吾々が労働の生産力の増大というのは⁝⁝それによって一商品の生産に社会的に必要

な労働時間が短縮されて︑より少量の労働がより多量の使用価値を生産する力︑を獲得するような︑労働過程にお

( 4 )

ける変化のことである︵傍点ー原文︶﹂︒だが︑この論拠の一定の限界はあきらかである︒なぜなら︑われわれが問

題にしているのは︑種々の生産諸関係に共通する︑抽象的ではあるが本質的な連関を表現する共通経済法則であっ

て︑具体的な生産力発展の法則ではないからである︒すくなくとも︑マルクスは︑生産力的視角から労働生産性向

上を共通経済法則とはみなさなかったし︑それ自体をくわしく展開しなかった︒マルクスが注意を集中したのは︑

そのような労働生産性向上が︑商品・資本主義的生産諸関係の発展・運動にいかなる合法則性をひきおこすか︑そ

れらがいかなる特有経済諸法則に表現されるか︑ということであったのである︒

マルクスが︑﹁生産費がつねに減少し︑生きた労働がつねにより生産的となる⁝⁝一般

( 5 )  

的な経済法則

(a ll ge me in e ok on om is he   Ge ze tz ,  B c e o o l l ¥ H i i   aK OH OM H' le CK Hi i  3a Ko H)

﹂について述べていることで

( 6 )  

ある︒ほとんどすべての論者によってもちだされているこの論拠は︑しかし︑われわれの見解によれば︑論拠とは

なりえないように思われる︒なぜなら︑マルクスは一般的経済法則の用語を他にも多く用いているのであって︑そ

( 7 )  

のいずれの場合にも︑商品・資本主義生産の経済諸法則の一般的性格"ー傾向的貫徹が念頭におかれており︑この場 第二の論拠とされるのは︑

(8)

73 

たーによって規定されている︒労働の生産性の増加とは︑まさに︑商品に含まれる労働のうち生きた労働部分が

減少して過去の労働部分が増加し︑しかもその結果︑その労働の総量が減少するということ︑

が増加する以上に生きた労働が減少するということである︒⁝⁝商品に入りこむ総労働量のこうした減少は︑いか

なる社会的条件のもとで生産が行われるかに係わりなく︑労働の生産力増加の本質的な標識であるかに見える︒生 こ ︑   ︑ ︒

﹁労働生産性のたゆみない向上の経済法則﹂論批判︵一︶︵長砂︶ 合もけっしてその例外ではないからである︒右の引用個所の前後の文脈からも容易に判断されるように︑がここで述べている法則は︑けっしていわゆる労働生産性向上の共通経済法則ではなく︑﹁労働生産性と労働の価値

( 8 )  

創造が逆比例するという⁝⁝商品生産の一般的法則

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)﹂︵傍点ー引用者︶のことにほかならな

い︒右の﹁一般的経済法則﹂のなかに︑あらゆる社会構成体にそなわった共通経済法則的内容をもとめうるとすれ

ば︑それは︑価値のなかにひそむ共通な内容である生産物の生産に必要な労働時間として﹁生産費﹂を理解し︑商

品を生産する労働から二者闘争的性格を捨象したものとして﹁生きた労働﹂を理解する場合だけである︒そして︑

マルクスが︑﹁労働時間は︑交換価値が消失する時でさえ︑富の創造的本質として︑また︑

( 9 )

つねにとどまる﹂と述べていることからも︑

七 =

その生産に必要な費用の

このような理解は可能であるし︑許されるであろう︒し

このことは︑労働生産性向上と不可分な︑商品生産の一特有経済法則からそれに固有な生産関係的内容を捨︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑象することによって︑労働生産性向上にかんする︱つの抽象的な共通経済法則の存在を確認することにほかならな

第三の論拠としては︑マルクスが﹁資本にとっては⁝⁝無条件的には妥当しない﹂﹁労働の生産力増加の法則﹂

(1 0)  

についてのべていることがもちだされる︒この論拠を検討しよう︒ここでのマルクスの思想を正確に理解するため

つぎの引用をしないわけにはいかない︒﹁商品の価値は︑その商品に入りこむ総労働時間1過去の及び生き

つまり︑過去の労働

(9)

74 

こうして︑以上の三つの論拠を検討して明白になったのは︑ 一の論拠がもっている限界はあきらかである︒ り展開された規定性における存在にほかならない︒つぎに︑

一般に︑きわめて安易に︑労働生産性向上の共通経 産者たちが予定の計画に従って生産を規制する社会では︑いな︑単純な商品生産においてさえも︑労働の生産性は無条件的にこの尺度で測られるであろう︒だが︑資本制的生産においてはどうであるか?⁝⁝・資本にとっては︑労働の生産力増加の法則は無条件的には妥当しない︒資本にとっては︑過去の労働において追加されるよりも多くが︑総じて生きた労働においてでなく労働の支払部分において節約される場合にのみ︑この生産力が増加される:・⁝

( 11 )  

ここではつぎのことがあきらかだと思われる︒まず︑ここでの﹁労働の生産力増加の法則﹂それ自体は︑商品生

産の一般的経済法則であって︑けっして共通経済法則ではない︒これは︑第二の論拠に登場した一般的法則の︑よ

ここに共通経済法則の存在をもとめうるとすれば︑

の法則から商品生産に特有な生産関係的内容を捨象して︑﹁総労働時間﹂︑﹁過去の労働﹂︑﹁生きた労働﹂などを抽象

的共通性・一般性において把握した場合にすぎない︒この場合にえられる労働生産性向上にかんする一.つの共通経

済法則の抽象的性格はあきらかである︒さらに︑当然の結論として︑ここで資本主義にとって﹁無条件的には妥当

しない﹂のは︑商品生産の一般的経済法則であって共通経済法則ではない︑といわねばならない︒ここでは︑﹁生き

た労働﹂が>部分とM部分とに敵対的に分割されない場合と分割される場合との違いが問題とされているのであっ

て︑ある社会構成体では労働生産性が無条件的に向上し︑別の社会構成体では無条件的には向上しない︑というこ

とが問題にされているのではない︒商品生産一般の経済法則が資本制生産には無条件的には妥当しない例は︑ほか

に︑いくらでもあげることができる︒たとえば価値法則と生産価格法則とについてそれがいえる︒このように︑第 ﹁労働生産性のたゆみない向上の経済法則﹂論批判︵一︶︵長砂︶

(10)

75 

﹁労働生産性のたゆみない向上の経済法則﹂論批判︵一︶︵長砂︶

済法則の存在が主張されている︑ということである︒だが︑検討したように︑労働生産性向上の共通経済法則なる

それは︑労働生産性向上と不可分な商品・資本主義生産に特有ないくつかの経済法則かものが存在するとすれば︑

らの一定の科学的抽象の結果としてえられるいくつかの共通経済法則の総体としてしか存在しない︒われわれは︑

すでにふれたもののほかに︑﹁可変資本部分にくらべての不変資本部分の逓増の法則﹂のなかに︑﹁生産手段に合体される労働力にくらべた生産手段の量的大きさの増加﹂という︑﹁労働生産性増加を表現する﹂経済法則の存在をもと

( 1 2 )  

めることができる︒さらには︑﹁労働の生産性の増大を資本制的に表現する特殊的形態に他ならない﹂﹁剰余価値率

(13) の増加と利潤率の低落﹂の法則のなかに︑一定の共通経済法則の存在をもとめることさえ可能であろう︒たとえば︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑マルクスは︑﹁利潤率の累進的低落︑または︑生きた労働によって運動させられる対象化された労働の分量に較べれ︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑

(1 4)

ば取得される剰余労働が相対的に減少するという法則﹂︵傍点ー引用者︶についてのべている︒﹁したがって︑われ

われは︑つぎのような総括をおこなうことができる︒第一に︑われわれが労働生産性向上を共通経済法則として把

握する場合には︑生産力的視角からみた労働生産性向上そのものの承認であってはならず︑そのような労働生産性

向上と不可欠な特有経済諸法則のなかに︑すべての社会構成体に共通して存在する︑抽象的ではあるが本質的な諸

契機の連関をみいだすことでなければならない︒第二に︑労働生産性向上の共通経済法則といわれるものは︑実は︑

一連の共通経済法則の総体としてのみ存在しているのである︒

このような観点からすれば︑われわれは︑ソ連邦の論者たちが︑

的性格を正しくとらえていないといわざるをえない︒また︑大多数の論者が︑この共通経済法則の内容を︑﹁単位生

( 1 5 )  

産物生産に支出される時間量の減少あるいは単位時間に生産される生産物量の増大﹂に帰着させているのも正しく

ないと考えられる︒もっとも正しいと考えられる見解は︑デ・カ・トゥリフォーノフ︵︹9

CT p.

5 6 )

 のもので 一般に︑労働生産性向上の共通経済法則の抽象

(11)

76 

い︒次節へすすもう︒ 実在するのは︑特有経済諸法則としてでしかありえない︒ ある︒彼は︑﹁共通経済法則としての労働生産性向上法則の本質﹂を︑一の労働力量がますます多くの生産手段量を運動させるようになる﹂という﹁特殊性﹂をもった︑﹁生きた労働と物

一定の︑必然的な連関を表現する﹂点に︑第二に︑﹁その生産にたずさわった労

働者一人あたり︑単位時間中に生産される生産物の増大﹂という︑﹁生産される生産物の量とその生産にたずさわっ

たものの量とのあいだの必然的な連関を表現する﹂点に︑第三に︑﹁単位生産物の生産における労働︵生きた労働お

よび対象化された労働︶総量の減少︑だが︑対象化された労働の割合が増大し︑生きた労働の割合が減少する︑と

いう不変の条件のもとでのそれ︑﹂を表現する点に︑そして︑最後に︑﹁どの社会の発展においても︑また︑ある生産

様式が他の生産様式に勝利するさいに︑結局︑決定的な役割をはたすのが労働生産性向上である﹂︑ということを表

現する点に︑もとめている︒だが︑この論者も︑﹁特有経済法則とはちがって︑共通経済諸法則は︑つねに︑歴史的発

展のすべての段階において︑社会的進歩の法則︑生産力と社会的生産全体の前進運動の法則である﹂︵︹9

CT p.

5)

と述べる限界をもっている︒ここでは︑共通経済法則が︑もっぱら︑具体的な生産力発展の法則としてとらえられ

( 1 6 )  

ている︒共通経済諸法則の抽象的性格の事実上の無視がここにはある︒だが︑実際には︑それらが発展法則として

労働生産性向上の共通経済法則的性格をいかに把握するかにかんする︑以上のような見解の相違は︑それを社会

主義の特有経済諸法則との内的関連においていかにとらえるかにかんする見解の相違としても展開されざるをえな

ほかに︹

1 5

CT p. 43をみよ

K

質的生産の物的要素とのあいだの︑

この法則が第一に︑﹁同一の労働量あるいは同

(12)

77 

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皿・皿K・マルクス﹃資本論﹄︑前出︑圃三七七

i ‑

四同右︑山九六八ページ︒

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CT p.

5ふもみよ︒

11

にはいかない︒たしかに︑大多数の論者は︑ これをいかなる経済法則によって理論的に表現するかという問題が︑最終的に解決されたとみなすわけ

労働生産性のたゆみない︑

これを︑﹁労働生産性のたゆみない向上の経済法則﹂という︑

急速な向上が社会・共産主義に特有な経済的合法則性であることは︑

第二節

誰も否定できな

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