は じ め に 二 〇
一 一 年 三 月 の 東 日 本 大 震 災 に よ っ て 被 害 を 受 け た 岩 手 県 と 宮 城 県 の 太 平 洋 沿 岸 部 に あ た る
、 い わ ゆ る 三 陸 に お け る 海 の 空 間 認 識 が ど の よ う に 形 成 さ れ た の か
、 本 論 で は 近 世 に お け る 地 図 や 叙 述 を 通 じ 、 以 下
、 三 回 に わ た り 論 じ て い く も の で あ る
。 三 陸 に お け る 津 波 被 害 の 記 録 は
、 甚 大 な も の で は 貞 観 十 一 年 ( 八 六 九 ) の 貞 観 地 震 か ら 始 ま る
。 度 重 な る 大 規 模 な 津 波 は こ の 地 域 に 大 き な 被 害 を も た ら し た が 、 人 々 の 暮 ら し は 平 成 の 今 も 続 い て い る 。 三 陸 沿 岸 部 に 暮 ら す 人 々 の 生 活 や 文 化 の 継 承 の 理 由 を 知 る に は 、 彼 ら が 津 波 を も た ら す 海 に 対 し ど の よ う な 認 識 を 持 ち
、 暮 ら し の 中 で 海 が ど の よ う な 空 間 と し て 利 用 さ れ て き た の か を 明 ら か に す る 必 要 が あ る 。 さ て
、 近 世 は 国 内 に 統 一 的 か つ 強 力 な 政 治 権 力 で あ る 江 戸 幕 府 が 出 現 し
、 貨 幣 経 済 の 進 化 と と も に 国 内 の 経 済 シ ス テ ム が 複 雑
、 精 緻 化 し 、 コ メ や 商 品 の 需 要 が 拡 大 し た こ と か ら 流 通 シ ス テ ム が 発 展 し た 時 期 で も あ る
。 こ れ に よ り 、 河 川 や 海 を 使 っ た 船 に よ る 水 運
・ 海 運 が 隆 盛 し 、 三 陸 に お い て も 南 部 藩 や 一 関 藩
、 伊 達 藩 の 回 米 や
、 長 崎 か ら
近 世 三 陸 の 海 に お け る 領 域 と 境 界 ( 1 )
|
横 浜 市 立 大 学 所 蔵
『 徳 兵 衛
・ 佐 五 平 渡 海 記 録
』 の 紹 介 を 通 じ て
|
松
本
郁
代
龍
崎
孝
中 国 へ 輸 出 す る た め の 海 産 物 、 い わ ゆ る 俵 物 を 回 送 す る た め に 新 た な 海 の 航 路 を 生 ん だ (1)
。 ま た 世 界 史 的 に み れ ば 、 植 民 地 主 義 、 重 商 主 義 が 進 む 西 欧 社 会 か ら の 影 響 を 無 視 で き な い 時 代 で も あ っ た
。 こ の よ う な 動 向 の 中
、 三 陸 沿 岸 に も 寛 永 二 十 年 ( 一 六 四 三
) 、 現 在 の 岩 手 県 山 田 町 に オ ラ ン ダ 船 が 来 訪 し た よ う に (2)
、 西 欧 各 国 の 外 航 船 が 現 れ 始 め た 。 ヤ マ ト に よ る 支 配 の あ と 三 陸 を 含 む 東 北 は 「 陸 奥
」 と 称 さ れ た
。 畿 内 や 江 戸 な ど 東 国 に お け る 政 権 の 中 枢 か ら み れ ば
、 東 北 は 主 要 陸 上 交 通 路 の 行 き 着 く 先 で あ り
、 さ ら に 三 陸 は そ の 中 で も 最 も
「 辺 境 」 の 地 域 と さ れ た 。 そ の よ う な 三 陸 の 姿 を 描 い た 地 図 や 叙 述 は
、 作 成 主 体 に よ る 空 間 認 識 を 表 象 化 し た も の
、 と い う 一 面 を 持 つ 。 し か し 、 集 落 名 や 街 道 ま で を 詳 細 に 描 い た 三 陸 の 地 図 は
、 江 戸 幕 府 が 諸 藩 に 作 製 を 命 じ た 「 正 保 国 絵 図 (3)
」 ま で 待 た な け れ ば な ら な い
。 ま た 、 叙 述 に お い て は 、 古 川 古 松 軒 ( 一 七 二 六
~ 一 八 〇 七 ) の 『 東 遊 雑 記
』 、 菅 江 真 澄
( 一 七 五 四 ~ 一 八 二 九 ) の い わ ゆ る 「 諸 国 遊 覧 記 」 な ど
、 陸 上 を つ う じ た 紀 行 文 が あ る が 、 三 陸 に 関 す る 叙 述 は き わ め て 少 な い
。 た と え ば 近 世 中 期 の 一 七 〇
〇 年 頃 に 書 か れ た
『 人 国 記
』 で は 、
「 陸 奥 国
」 を
「 朋 友 の 為 に 無 益 に 討 ち 果 し 、 主 君 へ 志 を 忘 れ
、 父 母 へ 孝 を 忘 れ な ど す る 類 、 そ の 数 を 知 ら ず (4)
」 と 表 現 す る な ど
、 そ の 認 識 は 一 種 の 偏 見 す ら 感 じ さ せ る 。 し か し 歴 史 的 に 見 れ ば 三 陸 沿 岸 は 、 漂 流 民 が 帰 国 し た り 外 国 船 が 漂 着 す る な ど (5)
、 偶 発 的 と は い え 国 際 性 を 受 容 し た 場 所 で も あ っ た
。 本 論 の 目 的 を 巨 視 的 に 捉 え れ ば
、 陸 上 の よ う に 明 確 な 境 界 と 領 域 を 持 た な い 海 に お い て 、
「 誰
」 が ど の よ う な 目 的 で 領 域 を 明 確 化 し 維 持 し
、 そ の た め に ど の よ う に 境 界 を 設 け
、 そ れ が な ぜ 変 化 し て い っ た の か 、 こ れ ら の 点 に 関 し て 資 料 を 通 じ て 明 ら か に し て い く こ と で あ る 。
「 誰
」 が
、 と い う 主 体 は 幕 府 な ど の 政 治 権 力
( 陸 か ら の 認 識 ) の み な ら ず
、 日 本 の 開 国
、 つ
ま り
は 国
際 化
や 現
在 に
至 る
グ ロ
ー バ
ル 化
の 中
で 、
通 商
や 水
産 業
に お
け る
漁 業
補 給
地 と
し
て の 経 済 面 に お け る 包 摂 を 意 識 し た 諸 外 国 か ら の 圧 力
( 海 か ら の 認 識 ) も 対 象 と す る
。 以 下
、 本 稿 で は 、 横 浜 市 立 大 学 学 術 情 報 セ ン タ ー 所 蔵
「 奥 州 仙 台 領 小 竹 浜 六 兵 衛 船 難 風 逢 唐 土 漂 エ
流 書
」 (
『 徳 兵 衛 ・ 佐 五 平 渡 海 記 録 』 所 収
) の 紹 介 を 行 う 。 近 世 海 運 の 発 達 に よ っ て 、 幕 府 の 海 禁 政 策 に よ っ て 設 け た
「 日 本 」 の 海 と い う 境 界 が 、 漂 流 と 漂 流 民 の 帰 国 に よ っ て 自 壊 を 始 め て い く 。 同 時 に 幕 府 は
、 そ れ ま で 関 知 し 得 な か っ た 新 た な 空 間 の 存 在 と 情 報 を 収 集 し 、 そ れ が 漂 流 民 の 属 す 藩 や 故 郷 で あ る 三 陸 沿 岸 の 社 会 に も も た ら さ れ た 。 こ の よ う な 海 に お け る 空 間 認 識 の 拡 大 が 人 々 の 間 に も 漸 進 ・ 拡 散 し た 一 端 を 、 三 陸 を 出 自 と す る 漂 流 民 の 記 録 か ら 提 示 す る
。 一 、 問 題 の 所 在
― 海 と 陸 を め ぐ る 三 陸 の 表 象 三 陸
沖 は 列 島 沿 い に 太 平 洋 を 北 上 す る 日 本 海 流 ( 黒 潮
) と 南 下 す る 千 島 海 流
( 親 潮 ) が 交 錯 す る 、 特 異 な 自 然 現 象 が も た ら さ れ る 地 域 で あ る 。 そ の こ と は 歴 史 的 に 三 陸 を 出 身 と す る 漂 流 民 や 西 欧 諸 国 の 船 舶 の 来 訪 や 漂 着 を 登 場 さ せ た と い え る 。 ま た 北 か ら の 海 流 は 東 北 地 域 に お け る 冷 涼 な 気 候 を も た ら し 、 飢 饉 に つ な が っ た ほ か
、 地 殻 上 の 特 性 が 大 規 模 な 津 波 の 発 生 を 生 む な ど 、 三 陸 の 社 会 は 地 球 規 模 の 自 然 現 象 に 強 く 影 響 を 受 け て き た 地 域 で あ る 。 こ れ は 近 世 に お い て 二 十 回 以 上 の 漂 流 事 案 が 三 陸 で 発 生 し (6)
、 そ の 漂 着 先 が カ ム チ ャ ツ カ な ど の ロ シ ア か ら フ ィ リ ピ ン の ル ソ ン や ベ ト ナ ム ま で 東 半 球 の 北 半 分 と い う
、 地 球 の 四 分 の 一 に 及 ぶ 範 囲 で あ る こ と か ら も わ か る
( 【 表 1
】
「 三 陸 に 関 わ る 漂 流 漂 着 事 例 」 参 照
) 。 三 陸 は 、 政 治 や 経 済 、 文 化 の 中 心 地 と な る 首 都 周 辺 で は 「 辺 境
」 と 認 識 さ れ
、 表 象 さ れ て き た
。 古 代 か ら 設 け ら れ た 中 央 か ら の 主 要 陸 路 は
、 現
在 の
宮 城
県 内
に お
い て
北 上
川 に
ぶ つ
か る
と 内
陸 沿
い に
方 向
を 変
え 、
奥 羽
山 脈
の 東
側 、
№時期姓名
1673
1705
1712
1750
1752
1752
1753
1753
1753
1761
1765
1774
1788
1793
1794
1795
1803
1820
1827
1839
1841 積み荷人数6 534 船の規模漂流・漂着場所
1延宝元不詳不詳不詳 台湾︵当時︑東寧と称す
)
2宝永2百姓権八ら米12
反帆中国広東省海南3正徳2不詳米
13
中国広東省 端帆4寛延3又五郎ら塩鮭︑鰹節
16
端帆中国福建省5宝暦2伝兵衛ら塩鱧︑等
20
端帆中国淅江省6宝暦2不詳不詳不詳琉球国運天
7宝暦3嘉兵衛ら米
宝暦3善右衛門ら不詳8
19
広東省惠州府端帆 台湾を経て中国 竹内徳兵衛ら大豆︑魚〆糟 9宝暦325
中国海南島端帆 ルソン島を経て1200
カムチャツカ石積 露西亜属国宝暦武右衛門ら米
24
端帆中国南通州沖明和2七兵衛ら米
安永3佐五兵ら米
12
帰国端帆安南︑中国経由で24
反帆中国広東省潮州沖天明8善吉ら干鮭不詳中国広東省潮州沖
寛政5津太夫ら材木︑米露西亜国に漂着︑モスクワ訪問寛政6清蔵ら米
25
漂着端帆ベトナム︵安南︶に 寛政7不詳不詳不詳 三か月の漂流の後南海の島享和3継右衛門ら鱈582
石積800
石積ロシア・ホロムシリ島
文政3平之丞ら大豆︑塩肴 不詳南洋・パラオ島
文政不詳不詳不詳イバタン
天保庄兵衛ら不詳不詳ホウロギボウホウ︑ラナイ島天保不詳 不詳不詳ルソン その他の特記事項︻ ︼は典拠
漂流民は台湾で奴隷となり鄭経︵錦舎︶が解放︑長崎へ送還︻通航一覧︼
漂流中に2人︑中国で3人死亡︒権八は中国船で帰国︻通航一覧︼
漂流数
10
日︑中国で2人︑帰国途上に1人死亡︻通航一覧他︼仙台沖にて遭難︒現地で1人死亡︒乾隆帝より銀牌賜る︻南部叢書他︼
仙台沖で暴風雪に遭遇︑百日漂流︒9カ月後に全員帰国︻通航一覧︼
相馬沖で大風に遭遇︑首里より
24
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11
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20
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150
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60
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