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詩人としてのケストナー

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詩人としてのケストナー

      平 野 七 濤串

(平成17年10月11日受付:平成17年11月25日受理)

要     旨

 ケストナーはわが国においては児童文学者として有名であり,すべての『子どものためのケ ストナー①』は古くから邦訳され,日本の「子どもたちともう子どもでない人々②」に読み継が れてきた。ケストナーの子どもの本の魅力は,賢く勇気ある子どもたちが.一致団結してずる

く性悪な大人たちをやっつけ,胸のすくような勝利を収めるそのダイナミックな展開にある。

 だが『大人のためのケストナー③」に収められた諸作品には.このような明るい展望は見られ ず,特にその詩は「陰欝で,諦念にみち,苦く,辛辣で④」である。「非凡な観察⑤」者であるケ ストナーにとっての世界,彼の時代の現実は,まさにそのような問題にみちた厳しいものであっ たということである。彼の児童文学の面白さも.単なる子どもの夢と冒険物語の楽しさにある のではなく,実はそのような苛酷で不安定な現実を出発点として,それを基盤に展開されてい る点にある。

 このように見てくるとケストナーの文筆家としての本領は,何よりもまずその詩作品におい て発揮されていると考えられる。以下においてはこのようなことを踏まえながら,ケストナー の詩3編を考察する。

KEY WOR1〕S

K査stner    ケストナー Jugendliteratur児童文学

Gedichte   詩作品 Wirkhchkeit 現実

 ケストナーはわが国においてはドイツの児童文学作家としてつとにその名を知られている。

子どもらしい伸びやかさと正義感にあふれた工一ミールや点子ちゃん,そして双子のルイーゼ とシャルロッテは,何世代にもわたって日本の「子どもやもはや子どもでない人たち⑥」を魅 了し続けてきた。これらケストナーの子どもの本の世界においては,ユーモアあふれる歯切れ のいい文章で,周囲の大人のずるさや社会の組織の矛盾により困難な状況に陥れられた子ども たちが,一子どもなりの精一杯の知恵や努力,そして子ども同士の連帯と行動によってその困難 を乗り越える様子が生き生きと描かれている。この点が,ケストナーの児童文学が長く人々の 心を捉え続けてきた理由のひとつである。そしてそれはまた「賢く,そして勇気をもって立ち 向かえ⑦」ば必ず報われるという,いわば夢と希望への展望が,ケストナーの児童文学におけ

‡言語系教育講座

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368 平 野 七 濤

る一つの大事なメッセージとして読み取れるということであろう。

 実際ケストナーにとり成長途上の子どもは,いまたあらゆる可能性を秘めているという点で 人問の理想的な生の原型であり,希望と夢の象徴であった。ある詩の中で彼は,「ひとつのこ

とだけはいつ何時でも確かだ,/それは子どもは愛らしく,オープンで,善良であるというこ と⑥」とうたっている。マルセル・ライヒ・ラニッキーは「子ども時代への憧れ,すなわち失 われたパラダイスヘの憧憬という背景において,彼が世界的名声を負っている本,つまり子ど ものための小説は考察されねばならない⑨」と述べているが,まさにそのとおりであろう。つ まり純真な子どもたちが主人公である児童文学の世界においてのみ,モラリストとしてのケス

トナーが心底から世界に対して希求するその理性と秩序を世界は容易に回復しえるのである。

おそらく児童文学はケストナーにあっては,自 分の理想主義を体現できるほとんど唯一の貴重 な場であったといえるかもしれない。

 なぜなら彼は,先に引用した詩の冒頭の2行の後に,「だが大人たちは実に耐え難い存在だ,

/時としてこのことが,われわれのあらゆる勇気をくじいてしまう」と続けているのだ。そして,

さらに第2詩節目は,「性悪で醜く.老いぼれた大人たちも/子どものころはほとんど完壁だっ た。/今日の思いやりある,魅力的な子どもたちも/明日には大きくなり,卑小になる⑩」と続く。

 貧しい少年アントンには,風変わりだが友情厚い裕福な家庭の子どもである点子ちゃんが寄 り添い,母に託された140マルクを盗まれてしまった工一ミールには元気で賢く団結力のある ベルリンの町の子どもたちが頼もしい援助の手を差し伸べる。そしてアントンは,念願だった 北海の保養地に母とともに招待され,工一ミールは母から預けられたお金を無事取り戻す。こ れらのいわば輝かしいハッピー・エンドは,「思いやりある魅力的な子どもたち」の,偏見の ない,あらゆる卑近な価値判断に迷わされない自由奔放な行動によってのみ可能なのであり,

「ほとんど完壁な」子どもたちの世界においてのみ成立しうるまさに奇跡的な出来事なのだ。

不透明で理不尽,複雑なこの現実,つまり「性悪で醜く,老いぼれた大人年ち」が牛耳ってい るこの現実の世界では,賢く勇気ある行動が結局は実りある結果をもたらすというハッピー・

エンドをケストナーは決して書きえないのである。

 たとえば,1950年に出版されたエピグラム集『短く,簡潔に』に,その名もまさに「ハッピー・

エンド.すなわち終わりよければ」という2行詩があるが,そこでケストナーは「もし2人が

最後に結婚すれば,こう言ってやれ,/終わりよければ一すべてが悪い1⑪」と明快に言い切っ ている。類まれな現実観察能力の持ち主,ケストナーにとっては,ハッピー・エンドは大人の 世界においてはまやかしか欺臓でしかありえない。従って,たとえば『工一ミールと探偵たち』

でケストナーを知った人が,その後,30歳のケストナー自身がほぼ等身大で主人公である『ファ ビアン』を読むと,これらの本は本当に同じ人の手になる作なのだろうか,と疑問を持つのも 無理のないことと思われる。⑫子どもが主人公ではないケストナーの作品はまことに「陰欝で,

一種の諦念にみち,苦く,辛辣」である。それが両大戦を経験し,冷戦のさ中の1974年に生を 終えた「非凡な観察者」であり,「モラリスト」たるケストナーの目に映じたこの世界の赤裸々 な現実であったといえよう。そしてハッピー・エンドが書き得ないということは,そのような 世界の悲惨,陰欝を見ながらも,それに対する「積極的な」解決策を見つけ,提示することが 容易には為し得ないということも意味しているのである。

 たとえば彼は,「ケストナーさん,どこに積極的なものがあるのですか?」という長いタイ

トルの詩の第5詩節において「人間という種は破綻した,/彼らとともにその家も国家も世界

(3)

も。/そ札なのに君らは,僕がうまく辻棲を合わせるよう望んでいる,/だが,そんなことで 片がつくと思うのか?/」と述べている。題名に語られる「積極的なもの」とは,このような 世界の破綻,つまり悲惨に対して,なんらかの具体的な解決策,たとえばなんらかの宗教や思想,

あるいはイデオロギーに基づく救済策を「積極的」に提示することを意味している。ケストナー 自身はだが,生身の個人,そして人間の社会が,ある特定の宗教,思想,あるいはイデオロギー により救われるとは決して信じられなかったのだ。したがってこのような「積極的な」解決策 は,かれにとっては単なる「辻接合わせ」,あるいは「ごまかし」でしかないということになる。

即ち第6詩節は「僕はごまかすつもりはないし,決してごまかさないであろう⑬」と続くので

ある。

 このようにあらゆるイデオロギー的なものから自由であることは,ケストナーの生涯のどの 時期についても,またその著作のすべてにおいて一貫して見られることであり,それがたとえ ば左翼の鋭敏な文芸批評家ベンヤミンなどからは,手厳しい批判を浴びせられた由縁でもあっ た⑭。しかしそれはまた,ケストナーの作品を読んで感じられる大きな豊かさの源でもあると 思われる。ソ連及び東欧の共産圏が解体してイデオロギーが人間の生にとってもつ意味が希薄 になり,逆に宗教が人を極めて排他的で狭隆な立場へと追いやることの多い今日の状況におい て,理性と人問の良識のみを拠り所として描かれるケストナーの世界と人間像に,確かに教え

られたと感じられることは少なくないはずであ糺

 さて,ケストナーの児童文学と大人を扱った著作について話を戻せば,ある意味ではまさに 明と暗のような対比的な関係にありながら,これら2つはともに文筆家ケストナーを成立させ ている大事な要因の形を変えての発現であると思われる。ハッピー・エンドに輝く児童文学は,

この世のいかなる悲惨や理不尽を見ようとも,ケストナーのうちに秘かに,しかし根強く残る

「人間の良識への信頼⑮」の現われなのであり,大人を扱う文学に見られる「陰欝,諦念,若さ,

辛辣」は,何度も繰り返すとおり,「非凡な観察者⑯」ケストナーのなせる業なのであり,既述 のようにこの2つ要因が相侯って文筆家ケストナーを成立させている。つまり,逆説的な言い 方になるが,ケストナーは,世界や人間に対する希望や夢を捨てないからこそ,その悲惨や陰 欝,つまり負の部分を決してたじろがずに,あるいは妥協せず徹底的に見つめて記述するので あり,書くことは,従って,彼にとっては希望に向けての行為であった,ともいえるのである。

 このようなケストナーの文筆家としてのありようを,ラニッキーは,「彼は,…  実際,ド イツの最も希望にみちたペシミストであり,そしてドイツ文学史上のもっとも肯定的な否定提 言者である⑰」と巧みなレトリックを使って見事に表現している。「希望」と「悲観主義」,そ して「肯定的」である「否定」とはまさに互いに相容れぬものの極致であるが,このような矛 盾するものを,その相反する力のもたらす緊張に精力的に忍耐強く耐え,己のうちにその生涯

を通じてずっと抱え続けてきたことが,ケストナー文学がもつ力の源であったと思われる。つ まり単純明快でありながら,実に深いその魅力は,何よりもまずこのような源泉により培われ てきた,ということである。

 彼のハッピー・エンドの児童文学が与える感動も,ハッピー・エンドの与える単なるカタル

シス,あるいは単なる子どもの夢と冒険の物語が与える面白さであるよりは,それが,現実に

ついての「非凡な観察者」ケストナーにより観察された底なしの悪や汚辱に満ちた本物のこの

現実をその出発点とし,それを基盤として展開し,描かれているからであると思われる。「陰

欝で,諦念にみち,苦く,辛辣である」彼の詩の世界は,このような意味で,多方面に活躍し

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370

平 野七 溝

た工一リッピ・ケストナーのもっとも大事な基盤として見られねばならない。ジャーナリスト であり,劇作家であり,シナリオライターであり,小説家であり,児童文学作家でもあったケ ストナーは,したがって,何よりもまず第一に詩人であったと規定されるべきなのである。な ぜなら,われわれはここに彼のあらゆる著作,活動を通じてその奥底に通奏低音のように響い ている堅固な基調を発見できるからである。

 さて以上述べてきたことを踏まえて,以下ではケストナーの詩を考察する。ケストナーは全 部で8冊の詩集を刊行している。最初の『腰の上の心臓』(1928)の冒頭の詩が「1899年生まれ(つ まり彼自身の生年である)⑱」と称することに象徴的に示されているように,彼の詩の多くは実 際に彼が経験した当時の社会的,政治的出来事を題材としており,あたかもある一定の時期の ドイツの都市,ベルリン,ないしドレスデンの詩で綴られた年代記を読む感さえある。そのよ うにほとんどが時代的,地域的に限定された題材を扱っているにも拘らず,おそらく多くの人 は,彼の詩を読んで何がしかの感銘と共感を覚えずにいられないことであろうと思う。それは,

ベンヤミンでさえ認めざるを得なかったケストナーの言葉を扱う才の偉大さ⑲によるばかりで なく,それこそ,前にも述べたように,あらゆるイデオロギー,思想,宗教から自由に,まさ に普遍的人間的な基盤,つまり理性と人間の良識への希望のみを拠り所として観察し,思索し,

そして詩作するケストナーの世界観,人間把握の広さと深さに何よりも負っているのではない かと思われる。

 だがそのケストナーの詩をここですべて取り上げることは紙面の制約の点でも不可能であ

る。以下には特徴的な一ものを3点取り上げ,考察し,鑑賞したい。

2

 さて1928年に出版された既述の第1詩集の冒頭の詩「1899年生まれ」においてケストナーは,

「人形遊びをする代わりに/僕らは世界の鼻づらを覗き込んでしまった。/ユーペルンを眼前 にして戦死しなければ.僕らは世界のチョッキに唾を吐きかけた⑳」とうたっている。この詩 句は,第1詩集のみならず,ケストナーのあらゆる詩作品に通底するひとつの気分,基調を表

している。「世界の鼻面」とは,得体の知れぬ動物のように,荒々しく恐ろしく見える世界,

現実のことである。具体的には第1次世界大戦とそれに付随するあらゆる惨事,不幸を意味し ている。第1次大戦が始まったときに15歳になる!899年生まれとは,まだ「人形遊び」してい てもいい年頃に,つまり子どもらしい屈託のない夢に浸っていてもよい時代に,およそ理不尽 で厭わしい世界の風貌に直面せざるを得なかった年代なのである。続く2行目の「ユーペルン」

は,第一次大戦中の1914/15に大きな被害を受けたベルギーの町である。この詩行の意味は,

自分たちは戦死をしてしまうか,あるいは生きながらえたとしても幸せな,楽な生が待ってい るわけではなく,生き残ったら生き残ったで,「世界のチョッキにつばを吐く」以外はない。

つまり正装した「世界」,表面を取り繕った世界,きれいごとの現実などはまったく信じられず,

それはまさに唾棄すべき対象として軽蔑するほかはない,ということであろう。

 このような世界の醜さ,理不尽についての徹底した認識とそれへの不信と軽蔑の念が,既述

のようにケストナーのあらゆる詩作品の基底には存在すると思われる。しかしケストナーが詩

を書くということは,それにも拘らず希望は彼においては決して完全に捨て去られてはいない

ということなのである。それを,ラニッキーは,「ケストナーの憂欝な合理主義」と呼び,そ

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してそれは,彼の「彼自身によって再三再四疑われ,しかしながら決して放棄されないところ の,理性の倫理的力と秩序のもつ道徳的働きへの信頼⑳」であると説明している。

 さてではその世界の理不尽のひとつ,「貧困」とそれによる苦しみを描いた作品を初めに見 てみよう。

絶望 Nr.1

小さな男の子が通りをかけて行く.

手には1マルクを熱く握りしめて。

時刻はもう遅く,商人たちは壁の時計を 横目でちらちら見やっていた。

子どもは急いだ,駆け寄り,そして叫んだ。

「パン半斤とへ一コン4分の1ポンド1」と 歌をうたうように。だが子どもは突然黙った。

手を開いたら,お金がなかったのだ。

子どもは立ち止まり,暗闇の中に立ち尽くした。

店の窓の明かりが消えた。

都合よく,星がまたたき始めた。

けれどもお金を探すには.そのまたたきは十分ではなかった。

ずっとそこに立っているつもりかのように,

子どもは立っていた。これほど孤独だったことはなかった。

鎧戸がガラガラとガラス戸の上に下ろされた。

そして街灯が頷いた。

子どもは何度も両手を開き.

そしてあちこちと伸ばしてみた。

そして望みは最終的に消えた。

子どもはもうこぶしを開かなかった。

父は食事にしようとした。

母は疲れた顔をしていた。

二人はじっと座り,子どもを待っていた。

彼は中庭にいたのだ。二人はそれを知らなかった。

母はだんだん心配になった。

子どもをさがしに出た。そしてさがし当てた。

(6)

372

平 野七 濤

子どもはじっと物干し台に寄りかかっていた。

その小さな顔を壁に向けたまま。

母は驚き,何をしてるの.と尋ねた。

子どもはそこでわっと泣き出した。

子どもの苦しみは、母の愛より大きかった。

二人は悲しみつつ家の中に入っていった。⑳

 いかなる説明も必要としないほど明快な詩である。「小さな男の子」の大きな痛みが,一読 すればわれわれには手に取るように分かる。.しかしケストナーは決して男の子の心の中に立ち 入ってはいない。出来事を順序良く,しかし入念に描いてゆくのみである。その結果立ち現れ る,夕刻のあわただしさも一段落し,店のシャッターもしまった後の暗闇の中に,「小さな顔 を壁に向けたまま」じっと立ち尽くす少年のイメージは,何千の饒舌な言葉を費やして述べら れた文章よりも,はるかに痛切にわれわれの心を打つ。人問社会の貧困について,イデオロギー や思想,あるいは経済的分析に基づいて書かれたどんな立派な文章よりもずっと直接的に,明 確に貧困が人問に与える苦しみを,それはわれわれに伝えてくれる。

 また音韻について述べれば,この作品も,多くのケストナーの詩作品の例にもれず,各詩節 が4詩行の,すらすらと流れ行くような民謡風詩行である(原文く注の末尾>参照)。そして

この作品の場合,各行は4つのかなり目立つ強音が比較的力強く繰り返され,行末はababの

型の脚韻を無理なく踏んでいる。つまり全体としては,リズミカルで,軽快な音の進み方であ るといえる。このようなこの詩のもつ音韻的な軽やかさは,貧困の苦しさというテーマの「重 さ」にどこか距離と客観性を与え,詩としては好ましからぬ「重苦しさ」に陥ることを防いで いるように思われる。だが他方,この詩の音韻的な軽やかさはテーマの重さとまさに真っ向か ら対立することにより,後者の持つ切実さを浮き彫りにする結果をももたらしているのである。

 ケストナー自身も貧しい少年時代を送った。彼は腕のよい皮革商人の息子として生まれたが,

その子ども時代は決して裕福ではなかった。否,「『芸が身を助ける』という諺がもはや真実で はなくなった」時代,「機械が勝利した⑳」時代にあっては,腕はよくても時代の波に乗ること が下手な実直な職人であった父の稼ぎは,親子3人がどうにか食べていくにも事足りぬほどで あづた。つまり幼い工一リッピは,戦争と敗戦による疲弊,とてつもない戦後賠償の額とイン フレ,そして不況に悩む20世紀前半のドイツの多くの家庭の子どもたちがそうだったように,

貧困の中に生まれ,貧困とともに育ったとい?ても過言ではなかったのである。上掲の詩は,

そのような子ども時代のケストナーが髪髭としてくるような作品である。

 さて上掲の詩に話を戻せば,最終詩節の2行目,少年が母を前にしてついに泣き崩れるとき,

その涙には悔しさ,申し訳なさ,情けなさ,そして家族への愛と,あらゆる意味が混ざり合っ

ているといえるだろうが,ここにおいてこれまでの緊張が一瞬解消され,一種の詩的カタルシ

スが感じられるといってもよい。だが「貧困」というテーマに即してみれば,もちろんそこに

は何の解消も解決も提示されていない。母と少年は「悲しみながら家へ入っていく」のみなの

である。既述の詩をここで再び持ち出せば,人々が「ケストナーさん,どこに積極的なものが

あるのですか?」と間う由縁であり,あるいは彼自身の児童文学との大きな違いであるといっ

てもよいだろう。件の詩において彼はこの問に対して,「それがどこにあるか,知っているの

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は悪魔だけさ⑳」と答えている。ここに安易に解決を提示せず,あえて開かれたままにしてお くことが,モラリストとしてのそして詩人としてのケストナーの良心であるといってよいであ ろう。「解決」がないと言っているのではない,事態を克明に観察しつつ,しかし希望は決し て捨てずに,そしてあえて開かれたままにそれを放置するということである。ここにわれわれ は,安易な解決よりももっと確かな,一種の真実の手ごたえをむしろ感じ取れるのではないだ

ろうか。

 最後に「絶望Nr.1」という一風変わったこの詩の題名に注意を向ければ,それは文字通り この絶望が,この子どもにとって第一番目の,つまりはじめての「絶望」であるという意味に

受け取れよう。即ち彼が青年になり,成人し,そしてさらに中年になれば,第2,第3の,わ

ずか1マルクの喪失による絶望(だからといって絶望の深さが少ないということは決してない)

とは別の形の,もっと複雑な,あるいは分かりにくい絶望が襲うだろうということである。し かし恐らく常に新たにそれらに立ち向かうことが,ケストナーにとっては,まさに生きるとい うことに他ならなかったのである。

3

さて貧困に苦しむものの詩から,今度は富裕なものたちをうたった詩を見てみる。

銀行家たちへの讃歌

あいつらを知らない奴は,喜んでもいい1 君らは相変わらず.誰のこと?と尋ねる。

5%の利子で金を借り,

それを10%でさらに貸し付ける奴らのことさ。

彼らはいまだ眉ひとつ動かさなかった。

だが彼らの心はいまだかつて平穏だったことはない。

差額が彼らの成果なのだ。

(そのことをどう理解しようと勝手だが)

彼らの食欲は底知らずだ。

彼らは神や世界も負り食う。

彼らは種をまかない。ただ収穫するだけだ。

彼らは自らの金を孕ませる。

彼ら自身が魔術師なのだ。

空の手から,魔術で何かをひねり出す。

電話口で金を作り出レ

砂から石油を作る。

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374 平 野 七 濤

金が有り余るほど,金はかつかつだ。

彼らはこれらすべてを,思いのまま操る。

そして他人の首を切り落とす。

紙は時折,とても鋭いのだ。

彼は金作り産業の規則は信じているが,

神はまともに信じちゃいない。

彼らのたったひとつの共感。

彼らは金を愛してる。そして金も彼らを愛してる。

(だが一度は誰も破産をするものだ1)⑳

注:消費者は社会組織の左手で,生産者は右手だ。銀行家は両者の間の内緒ことだ。

 前掲の詩と同様,一読して容易に理解しうる。しかしなんと異なる情景であろうか。同じく 容易には解決は与えられない,「陰欝な,苦い」現実の実相でありながら,まさに対極的な世 界である。

 ここには資本主義のからくりにより,紙幣という単なる薄っぺらの紙に過ぎぬものに架空の 価値が付加されてしまい,それのみをひたすら信じ,ひたすら愛し,それに踊らされる人問の 滑稽で本末転倒した生が小気味のよい風刺と皮肉をもって描かれている。それが人間らしい生 にとっていかに空しく,倒錯したものであるかを,第3詩節の3詩行目,「彼らは種をまかない。

ただ収穫するだけだ。」という詩句が実に鋭く突いている。自らの手で,自らの労働により「種 をまく」ことがない限り,そこには自らに対しても社会に対してもいかなる真の「価値」も生 産されていないのである。したがって,「差額が彼らの歳臭(傍点筆者)なのだ」という第2 詩節第3詩行には「(そのことをどう理解しようと勝手だが)」という皮肉な注が付加されるの である。つまりありていに言えば,彼らの「成果」は成果ではない。無であるということであ る。彼らの「成果」,即ち「空の手」から「ひねりだされた」彼らの「収穫」は,ゼロであり,

幻想に過ぎない。ゼロからは,ゼロしか産出されないからである。

 この「収穫」が実は幻想であるからこそ,彼らの「食欲は底知らず」なのである。つまり彼 らはいつまでたっても満たされないのである。そしてその空しい「底知らずの」食欲は,つい には彼らの内面をも侵食する。つまり,人間の精神性のひとつの拠り所である「神」や「世界」

への関心を,金への欲というこの恐ろしい胃袋は一切食い尽くしてしまう。即ち,「彼らは神 や世界も負り食う」。つまり彼らは「神などまともに信じちゃいない」のである。彼らにはま さに「金」しかない。「金」への関心のみが彼らを生かし,奔走させ,そして「他人の首を切 り落とし」さえさせる。

 近代社会,そして近代人の悲劇であり.喜劇である。どぎつい明暗を与えられることにより

強欲さと同時に虚妄さをも浮き彫りにされたドーミエの銅版画に登場しそうな「金の亡者」の

姿である。

(9)

4

 では,貧困が人々を苦しめるその一方では,「金の亡者」が蹴雇する世界で,普通の人々は どう生きていくのか。容易には解消しそうにないこの世界の悲惨,あるいは底なしの欲望の醜 さを目の当たりにし,なおかつ絶望しきってしまわず,どう生きていくのか。

最後に,このような世界でどうにかまともに生きてゆけるための,しかも,何らかの主義や宗 教といった枠組みを頼らない,つまり,既述の言葉を使えば,「積極的」ではない,ケストナー の人々に対するささやかな人生の「処方箋」たる作品を考察する。

都会人のための夜の処方隻

どこかのバスに乗るがいい。

一度は乗り換えてもかまわない。

どこへいくかは問わない。それはその時になればはっきりしてくる。

けれど夜でなければならないことに注意せよ。

一度も見たことのないところで、

(この場合.それが大事なのだ),

バスを降り,そして闇の中に、

什むのだ。そして待つ。

見えるものすべての寸法を測るのだ。

門や切妻屋根,木々やバルコニー,

家々、その中に暮らしている人々。

これを冗談でやってるなんて考えてはいけない。

それから通りを歩いてゆけ。縦横に。

前もって決めた目標には決して従うな。

とてもたくさんの通りがある。ああ,本当にたくさんの1 曲がり角の背後にはさらに多くの通りがある。

散歩の際は時間をたっぷりとるがいい。

それは,ある意味でもっと高次の目的に役立つ。

それは忘れ去られたものを目覚めざす。

わずか1時間かそこらで,そこまで行く。

すると,まるで1年もの間,果てしなく続くこれらの通りを 歩いているような気になるだろう。

そして自分白身が恥ずかしいと思い始める。

肥満してしまった自分の心が。

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376 平 野 七 濤

そして知らねばならぬことを、再び知るに至る。

満足しきって視界が曇ってしまう代わりに,

つまり自分は少数派であるということを1 それから最終バスに乗ればいい,

それが闇の中を走り去ってしまう前に。⑳

 ここでは声高に情熱的に何かが叫ばれ,教示されているわけではない。だがこの詩には,生 きるということについて,何事かを示唆するものが確かにあると感じられる。ラニツキーは,

ケストナーの書くものには,「押しつけがましいところはまったくない」のだが,必ずどこか に「教訓的なもの」が含まれているといい,それも「ドイツで一番面白くて才気のとんだ教訓」

と述べているが,この詩に感じられる一 u示唆」は,われわれの人生に広さと爽やかさをもたら してくれるような種類のものである。それは,あたかも人生のどこかに風穴を開けてくれるよ うな,不思議な静かな示唆である。

 この詩はまず第一に,われわれをあらゆる日常的で卑近な,いわばルーティーン化された生 活の枠組みの外へと連れ出そうとする。時刻は「夜でなければならない」。しかし3詩節には,

「見えるものすべての寸法を測る」とあるから,何も見えない真っ暗な夜中ではない。暗くは あるが,まだ物の形が判別できるほどの闇,つまり夕暮れの薄暗がりの頃から始まる「夜」と 考えてもよいであろう。仕事とそれにまつわるさまざまなしがらみに縛られた昼間とも,すべ てが眠る真夜中とも違う,まさに「たそかれ」時の「夜」である。

 その中を,「どこへ?」とは間わずに「バスに乗る」。そして「一度も見たことのないところ で」バスを降りるのだ。しかもそれには,「(この場合,それが大事なのだ)」との注まで付与 されている。ここまでで既にわれわれは,通常の生活のさまざまな制約,約束事,あるいはほ とんど無意識的になっている習慣から脱出し,新たな時空間の中に入り込んでいる自分を感じ るだろう。

 そしてそこで詩人が提示するのは,「見えるものすべての寸法を測る」という,一見奇妙な 要求である。「門や切妻屋根,木々やバルコニー,家々」そして「そこに暮らす人々」と,こ

こに具体的に上げられているものは,なんと言うことない,われわれの日常にごく身近に存在 する物たちである。身近であるゆえに,通常はほとんど意識的に見ることさえない物たちといっ てもよいかもしれない。そのような物たちを,上に述べたように,日常的な生活の枠組みを脱 出した者の目で見るのである。そのときこれらの物たちは,人問の生活に由来するあらゆる関 連性を突破して,まさに純粋なその物自体としての新鮮な相貌をわれわれに示すであろう。そ

しての瞬間にわれわれは,世界がいかに多様で独特の輝きにみちたものであるかを驚きととも に発見するに違いないのである。

 続く第4詩節で詩人はさらに,「それから通りを歩いてゆけ」と要求する。「通り」は,場所 と場所,物と物,人と人を結ぶ。「通りを歩いてゆく」ことにより,それも「縦横に」歩いて ゆくことにより,われわれは,上述の「物たち」が様々につながり合い,広がってゆくのをや はり驚きとともに感じ取るのである。「通り」とはこのような意味で,この詩においては,世 界の思いがけぬ広さと新たな可能性をわれわれに保証するものとして読まれねばならない。そ れゆえに詩人は,世界には本当に「たくさんの通りがある」ことを,「ああ,本当にたくさんの1」

と深い感銘の念をもって語っているのである。続く「曲がり角の背後にはさらに多くの通りが

(11)

ある」という詩句も,一見行き止まりの,つまり先が見えぬところにおいても,そこまで来て みれば思いがけぬ新たな道が多方面につながっていること,すなわち,ひとつのものの背後に は,今まで見えなかったもの,知らなかったものが隠れており,それらがまたさらに彼方へと つながっていくことを意味している。

 つまり世界は,ある状況において眺められれば,無限に広く,多様であり,ひとつのものは 他のものたちと様々につながり合い,思いもかけぬ可能性にみちたものであることを,この詩 は教えてくれるのである。しかもそれをわれわれは,薄暗がりの中にたたずむ堅固な門や家々,

それに覆いかぶさるように大きく茂った木々,さらには,その闇の中にどこまでも続く道,曲 がり角の背後に続くいくつもの小道,といったきわめて具体的なイメージを通して,いわば感 動的な体験として身をもって知るのである。ここにケストナーの詩を読むひとつの醍醐味があ

る。

 さでこのような世界の広さ,多様さ,あるいはその思いもかけ均可能性についての新たな認 識を得て,人はそれからどこに行くのか。人はこの新しいさわやかな「認識」を抱えながら,

ただ「最終バスに乗る」のみ,すなわち再び以前の日常の生に戻ってゆくのみなのである。決 して理想的でも好もしくもないその日常の生の現実をなす枠組みを変える,あるいはそこに揺 さぶりをかけるといった要素は,ここにはまったく読み取れない。前述の「どこに積極的なも のがあるのですか,ケストナーさん?」と問う人々の声が,まさにここにも聞こえてくるよう である。

 ささやかなさわやかな認識は,文字通りさわやかなささやかな認識のままにとどまる。しか しその認識は,同時に人をしてわが身を振り返えらせ.白ら自身が,即ち白身の心の「肥満」

が「恥ずかしい」と思わしめるのである。日常の生に流されるうちに,いつの間にか心に付着 してしまったさまざまな不純物,怠惰,周囲への不毛な思惑,打算などに,それはわれわれの 意識を向け,その狭い樫桔から脱出することを可能にしてくれるのである。そしてわれわれに,

何ものにも縛られぬわれわれ白身の心という「小さな自由㊨」を取り戻させてくれる。それは まことに「小さな」自由であるが,しかし実はそれがすべての出発点である。そして実際そう であるべきなのだ。

【注】

①ErichKヨstner.K直stnerfurKinder(以下KfKと記す)2Bande,Zurich,1985

②K身stner1A1sicheinkleinerJungewar,K恢Bd.1,S.451

③K註stner:K査stnerfurErwachsene(以下KfEと記す)3B:nde,Zurich,1983

④Marce1Reich−Ranicki:ErichK直stner,derDichterderk1einenFreihheit,inNachprufu㎎

 uber deutsche Schriftste11er von gestern.M廿nchen,1999,S.309

⑤A.乱O..S.317

⑥K査stner.A1sicheink1einerJungewar,inKfKBd.1.S.451

⑦K乞stner:POnktchenundAnton,inK倣、S.16usw.

⑧A.乱O.,GenesisderNiedertracht(〉EinMamgibtAuskunft1930).inKfEBd.1,

 S.214

⑨Ranicki:肌O.,S.316

(12)

378 平 野 七 1壽

⑩K身stner:GenesisderNiedertracht,S.214

⑭K身stner:HapPyend,d.h.Endegut(くKurzundbundigEpigramme1950),inKfEBd.1S.

   345

⑫たとえば,今江祥智:「私的ケストナー小史」、inクラウス・ゴートン著,那須田他訳:『ケ    ストナー ナチスに抵抗し続けた作家』参照

⑬K註stner:UndwobleibtdasPositive,HerrK畳stner?1〉EinMamgibtAuskunft〕,S,218

⑭Wa1terBenjamin:LinkeMe1ancholieZuErichK身stnersneuemGedichtbuch:inW.

   Benjamin Gesamme1te Schriften Bd.III,Frankfurt/M,1980,S.279−283

⑮Ranicki:a.a.O.,S.311

⑯A.a.O.,S.309&317.

⑰A.a,O.,S.307

⑱K乞stner:Jahrga㎎18991〈HerzaufTai11e1928〕:inKfEBd.1,S.43

⑲Benjamin:a.a.O.,S.281

⑳Kastner:a.a.O..S.43

⑳Ranicki:a.a.O.,s.311

⑳K自stner:VezweinungNr,11>EinMamgibtAuskunft),S.173−174

⑳K直stnerlA1sicheink1einerJungewar,S.488

⑳K首stner:Und wo b}eibt das Positive,Herr K直stner?,S.218

⑳K首stner:HymmsaufdieBankierslくL身mimSpiege11929〕,inKfEBd1,S.139

⑳K首stner:N畳。huichesRezeptfurSt査dterl>EinMamgibtAuskunft),S.204−205

⑳Ranicki:a.a.O.参照

Verzweifelung Nr.1

Ein kleiner Junge1ief durch die StraBen und hie1t eine Mark in der heiBen Hand.

Es war schon sp身t und die KauHeute maBen mit Sitenb1icken die Uhr an der Wand.

Er砒nete immer wieder die H自nde Ond drehte sie1angsam hin und her.

Dann war die Ho冊nung end1ich zu Ende.

Er流血ete seine F査uste nicht mehr...

Er hatte es ei1ig.Er hupfte und summte:

Ein halbes Brot und ein Vierte1pfund Speck.

Das klang wie ein Lied.Bis er p16tz1ich verstummte.

Er tat die Hand auf.Das Ge1d war weg.

Der Vater wo11te zu essen haben.

Die Mutter hatte ein mむdes Gesicht.

Sie saBen und warteten auf den Knaben.

Der stand im Hof.Sie wuBten es nicht.

Da b1ieb er stehen und stand im Dunke1n.

In den Ladenfenstern er1osch das Licht1 Es sieht zwar gut aus,wenn die Steme funke1n.

Doch zum Suchen von Ge1d reicht das Funke1n nicht.

Die Mutter wurde allm身hlich bange.

Sie ging ihn suchen.Bis sie ihn fand.

Er lehnte sti11an der Teppichstange und kehrte das kleine gesicht zur Wand.

A1s wolle er immer stehen b1eiben,

stand er.Und war,wie noch nie,a11ein.

Die Ro11註den k1apperten uber die Scheiben.

Und die Laternen nickten ein.

Sie fragte erschrocken,wo er denn b1iebe.

Da brach er in Iautes Weinen aus.

Sein Schmerz war grδBer a1s ihre Liebe.

Und beide traten traurig ins Haus.

(13)

K至stner aIs Dichter

Nanami HIRAN0中

RFS亡ME正

    K査stner ist in unserem Land a1s deutscher Jugend1iterat ganz beruhmt und ist a11es von

,,K査stner for Kinder,■,ins Japanisch0bersetzt,von den.1Kindern und Nichtkindern in Japan seit1angem sehr gerne ge1esen.In a11en KinderbOchern von K身stner bek査mpfen die Kinder,

sehr gescheit und mutig.uberdies sehr solidarisch,die sch1auen bδsen Erwachsenen,und tragen einen sehr g1乞nzenden Sieg davon.

    Diese dynamische Entwick1ung ist in K身stners Jugendliteratur der Punkt.der uns sehr bezaubert.

    Aber die Werke in、、K直stner fOr Erwachsene,I haben fast keinen solchen he11en Ausbiick,

sondem die meisten sind、、duster und resigniert,bissig und bitterI一.Das bedeutet.dass die We1t.d.h.die Wirk1ichkeit sener Zeit,die sich in den Augen K盆steners,eines Mames mit

..der auBergew6hn1ichen Beobachtungsgabell widergespiegelt hat,war so problematisch und schwierig.

    Der Reiz der Jugendliteratur K自stners1iegt nicht im Verg汕gen der b1oBen kind1ichen Traum−und Abenteuergeschichte.sondern kommt daraus,dass sie in der Tat diese harte Wirklichkeit a1s Ausgangspunkt der Geschichte hat und auf dessen Grund sich entwickelt.

    Deswegen kann man.kδnnen wir sagen,das wichtigste Wesen K互stners a1s SchriftsteHers vor allem in seinen,.dusteren und resignierten,bissigen und bitterenll Gedichten finden.A1so untersuche ich unten,auf der oben gesagten Sachen fuBend,drei von seinen Gedichten zu beobachten und interpretieren.

‡ Division of Languages:Department of Foreign Languages

参照

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