我図に於げる貿易統制政策の概観
上 坂
酉
各国間に於ける通商上の摩擦が︑最近かなりに激化してきたところがら︑在来の生ぬるい保護貿易政策も非常時一
色に塗りこめられて.統制主γ義的貿易政策を闘際的に流行せしむろにいたった︒まことに﹁貿易統制﹂たる語は︑現
代貿易の時代相を一言にして輩くし縛るものである︒我闘の貿易統制もまたか︑ふる時代の所帯出であると一誌のソてよい︒
印ち
︑
一方には保護闘税によって輸入を抑制したがら︑他方には輸出をして自由競争に放任し℃きたこれまでの肢行
的保護政策日炉︑震替安に来じた輸出再盛期に於いて.利害関係国から猛烈な排貨政策の反峰に遭づて行詰り︑その準
路打闘を嵐らんとして斯の時代の流行児を採りあげたものである︒
我闘の貿易政策は︑明治維新以来から最近まで︑大韓に於いて保護主義室その基調としてきたものである︒その理
由は︑欧米諸圏にくらべて粧槽的に後建問であった関係上︑彼等に遁随し若くは併進し℃ゆかうとするには︑どうし
ても保護助成の主義政策に操らなければならなかづたからである︒かく︑輸相観的には保護主義を基調としてきたもの
ではあるが︑時代の進展に伴び︑その間多少異色の政策形態を示してゐるもので︑この観難から︑我閣の貿易政策は
我闘に於ける貿易統制政策の概観一三五
我図に於ける貿易統制政策の概観
一 一 一 一
六
これを助長政策・保護政策・統制政策の三期に分けることができる︒第一期は︑明治の初年から︑保約改正に上り居
留地制度が撤廃されるまでの時代で︑開税政策によって圏内産業を保護することが不可能であったところから︑関税
以外の直接手段により産業貿易の鷺達を助長してきた時代である︒第二期は︑保約改正以後から最近までの時代で︑
闘税自主擦を得た結果︑累吹的に保護関税制度を強化して産業貿易の鷲展を園ってきた闘晩中心の時代である︒第三
期は︑昭和七・八年の貿易再盛期にはいってから今日までの時代で︑輸出貿易は勿論輪入貿易に封しても種Kの統制
を加へなければ︑艶外商権の維持費展を殻果づけることが困難となっ℃きた統制中心の時代である︒
この三者は︑夫々の時代の支配的地位を占めてゐる政策形態を表はしたもので︑それが純粋の形に於いて劃期され
てゐるといふのではない︒粧のノ℃︑我闘に於いても︑貿易統制の行はれ初めたのは︑如上の所謂統制政策時代に先だ
つものである︒この意味からこの統制時代を更に前期と本期とに犬別することが安嘗とさるLであらう︒前者は︑
政策の基調をたほ関税一描張の保護主義に置いた時代で︑それ故︑貿易活動に劃する闘家の統制手段もまた︑箪に局
部的に且また極め℃非強制的に行はれたものに過ぎない︒然し︑この期に︑我園に於ける貿易統制の礎石が据ゑられ
たもの故︑この黙で本期と密接な闘聯性をもってゐる︑骨一日はY貿易統制の揺藍期ともいふべき時代である︒後者は︑
その政策基調が統制主義に移行して︑貿易統制が本格的に政策化されるにいたった時代である︒市して︑その初期に
は︑関係各闘の客観的情勢に累されて︑受動的に統制手段を採るべく齢儀たくされたのであるが︑その後期には︑良
費的に圏策としての統制政策を金差し寅施するにいたった︒然しながら︑幸か不幸か︑その政策的機能を充分に瑳揮
することのできない中に︑今岡の大事費が勃穫して︑震めに貿易管理政策に念轄せざるを得ない情勢となりつL
ある
ので
ある
︒
我閣に於ける貿易統制は︑局部的の統制手段とし℃は︑遠く大正六年以降或種の職出品に劃して行はれた輸出検査
制度による品質統制の如きものを指摘することができる︒然し現代貿易統制の礎石とたったものは︑大正十四年三
月に制定された輸出組合法設に重要輪出品工業組合法の賓施に伴ふ組合制度による企業統制である︒何故︑大正の末
期に輸出嗣係商工業者の組合組織を必要とするにいたったか︑それ段︑欧洲大職後の瓦動恐慌と芙後に於ける大震火
災の突護に因って大打撃を蒙うた敗残の貿易機構を蒋整する必要からで︑それまで殆んど無組織同様であった輸出闘
係の中小商工業者に︑先づ法的組織を典へ︑共同の施設機関によってその輸出活動に諸般の便盆を供し︑政府が戸}れ
を監督し時に指導して︑軟出貿易の振興を園らんとしたのである︒
然したがら︑この時代から昭和七・八年に於ける輸出再盛期の到来までは︑我圏産業貿易界の受難期であって.多
年に亙つ℃︑不況打開のためにあらゆる警策努力が試みられたときであり︑従づて︑貿易に加へられた統制手段も︑
それは後年の如き貿易統制政策として行はれたものでたく大震災後の大入超時代に︑一一植の輸出振興政策として輪
出闘係の中小商エ業着に艶する組合組織の奨蹴を主とじたものであった︒ぞれ以外にあっては︑昭和三年七月に︑重
要輪出口聞に封ずる取締規則が沓布されて︑従来一部商品に行はれてきた輪出検交制度がこ﹀に全面的に確立されるこ
とλなりた︒また︑同年五月には︑輸出補償︑法が瑳布されて︑輸出手形に闘する不渡危険に封じ︑国家の損失補償制
校図に於ける貿易統制政策の概観
一 一 一 一
七
我図に於げる貿易統制政策の椴滋
一 コ 一
λ
度が実現され℃輸出振興上に一新機軸を出した︒更に︑同六年七月には︑輸出組合法が改主されて︑賞施上の諸般陪 が︑多くの結に於いて改善されるにいたりた︒然し︑これ等の諸施設は︑この時期を通じて不援の極にあった輸出貿 日却の振興を唯一の目標となしたもので︑その認めに必要とさるよ郁門だけに統制的政策を講じてきたものに過ぎた︑か ったのである︒それ故︑輸出組合法の貰施以後この貿易不況時代に於ける貿易統制は︑共後の本格的統制期に新ん て︑これを統制前期として匝別分類するを安賞とする︒
我闘に於ける貿易統制が︑本格的に賞現さる
Lにいたったのは︑師設の一如く︑昭和七・八年輸出再盛時代にはいつ
てからのことで︑それは︑間接的には︑経梼統制政策の世界的流行に促進されたことであり︑直接的には︑この時期 に︑関係各園の採った不常な邦口問抑陸一政策に挑蛮もしくは強要されたものである︒而して︑前期に播種されながら︑
業者の自発的活動を訣いた矯め︑その護連遅々とし℃振はなかりた輸出組合が︑この期に入るや︑俄に輸出統制の執 行機関として更生し︑著しく世の鵡轄をひくにいたったのは注目に慣する︒然し︑この時期の輸出統制は︑邦品需要 闘の輸入抑曜に艶する臆念工作とし℃受動的に行はれたもの故︑輸出振興とは言びながら︑それは秘来の市場維持に
汲A
たるもので︑事費は輸出自制に類したものであっ犬︒粧の
Jて︑ひとしく貿易統制の本期と一一一日っても︑それはなほ
受動的統制期ともいふべき時期に属するものである︒
この時期に賞現された主たる統制手段乞一瞥するに︑その初期印ち昭和八年三月には︑外聞震替管理法が護布され
て︑我闘資本の海外逃避が防止さるLと共に︑それが貿易方面にも及んで無潟替輸出が許可制度となるにいたった︒
また︑翌九年四月には︑貿易法規上劃期的立法ともいふベ芳﹁貿易調節及通商擁護ニ嗣スル法律﹂いか護布され︑且ハノ
関税来他或種の通商濁裁樺を大頬大臣に賦興することLたの一た︒それは.日印・日蘭・日加・日濠・等々の通商問題
が頻々として起り︑その都度市場維持の立場に在る我圏が苦境に立たざるを得たくなったので︑臨機臆饗的に外闘の
不鴬政策と封抗する必要いかあったからである︒而して︑十年七月には︑加奈陀が我が入超闘であるにか与はら歩︑過
酷な差別的関税を邦口問に課してその輸入を抑摩したので︑十年七月同闘に艶し初めてこの通商擁護法が費動され︑十
一年六月には︑同様の事情から濠洲園に劃しても︑若干の法規を改正して同法を丹波動し︑以て報復したのである︒ま
た︑輸出品の品質統制を徹底せしむるため︑十一年五月には重要輸出品取締法を制定公布し︑輸出品に劃して︑従来
の検査制度以外に検閲制度をも貫施することLたり︑同時に︑職出組合法を改正して︑輸出組合の統制機能を一一暦昭一
化せしめることLたったのである︒
回
然しながら.素Aこれ等の輸出統制に闘する勤策施設は︑種々の客観的情勢に徐儀たくされたもので︑我が輪出向山
に劃する他図の輸入防過を緩和させるために︑我闘がらの出超固に謝しては︑した年の輸出自制策を採り︑我闘へ心
入超園に聾しては︑うは千の通商擁護策を講じてきたもので︑いづれにしても︑不利なコンディションの毛とに受動
的に錆されてきたものである︒かくこれまでの貿易統制位︑我が輸出市場︒情勢に封廃するため厭止ながら行はれて
我閣に於ける貿易統制政策の概貌
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我闘に於ける貿易統制政策の概説
一四
O
飛たものであるが︑東亜の風雲が何とたく不穏の議兆をみせて︑各方面に準戦経憐瞳制を整備したければならない時
代の認識が高まるにづれ︑いつまでもかLる卑屈な泊極的統制に甘んじ︑相手圃の政策に迎合して.共時共時の受動
的統制にのみ浮身をやりすといふことは︑園家主義的乃至会盟主義的な貿易統制本来の指導原理を歪曲するものだと
自省され︑殊に濠洲園に劃する通商擁護法委動の結果がこれに決定的の論蟻を典へて︑闘民経掛の会憧観的見地から
圃策としての統制政策を樹立し︑以てこれを活用する時代の機運を迎へるにいたった︒市して︑昭和ナニ年一月輸入
魚替許可制の賓施を契機として︑統制本期は︑こLに自動的統制期にはいるにいたづたのである︒
この期聞はきはめ℃短期であるが︑かたりに目まぐるしい時期であれ/た︒先づ︑昭和十一年秋︑閥積の一般的大改
正の立案︑軍捕費を盛った港大藤算︑世界的物債高の大勢などが︑我が業者を駆って空前の思惑輸入に超らしめ︑そ
の結果︑園際貸借の悪化と基準矯替相場維持の困難とが︑政府営局を慎憎せしめて︑翌十二年の年初早々︑思惑輸入
禁止を理由として潟替管理法の劃期的改正が行はれ︑輸入詩替の許可制度が賓現された︒而して︑七月には更にこれ
が強化されて千園以上の轍入矯替は九て大職大臣の許可を要することに改められ︑輸入貿易に艶して過去に其比を
見ざる強度の統制が加へられるにいたり'たのである︒それと同時に︑他方には.輸出柿償法が改正ぢれ︑補償指定匝
域の損張︑損害補償率の引上などによる輸出奨蹴策が講ぜられたのである︒更に︑同年八月には︑輪出偏僚の統制政
策が是正されて︑所謂貿易及産業調整誌の護布を見︑それによっ℃統制強化に伴ふ貿易と産業との摩擦が調整さるL
こと
Lなった︒また︑同時に︑従来の輸出組合法に代る貿易組合法が制定されて︑新に輸入業者の組合結成︑雨組合
の聯ム口合及び中央舎制度が認められ亡︑輪出輸入の貿易商系に於ける摩擦を議肪し︑更に進んで開者の提携協力を強
める乙とミなったのである︒三与に於い亡︑生産組合ハ工業組合及産業組合﹀・輸出組ム口・輸入組合の三者を有機的に
聯繋せじめることにより︑民によく貿易統制の貫を拳げ得る時代となったのである︒
然るに
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の貿易統制の識は畏過程に於ける最後の段階は︑支那事壁一の失穫により︑その自動的統制期の熟成を侠)
AJ
まもたく︑念特して戦時経槽瞳制の下に置かるLこと︑ふたり︑すでに︑十二年末期に登令された臨時措置法誼に臨時
輪出入許可規則︑によ
σ
て︑多くの輸出入口叩の上に貿易管理が部分的たがら貰現されるにいたったのである︒欧洲大戦が︑世界経揖の一大ヱポツク・メlキudグとなった如く︑今回の大事援もまた︑我閣の経商政策をして鞍前と戦後と
のそれを載然と劃期づけることであらう︒経って︑戦時の間は︑車なる貿易統制にとどまらす︑非常時的た管理政策
に持換さるべきは営然の成行であるが︑戦後にいたって再び貿易統制時代をみるとしても︑それは︑今日探りつLあ
る如き貿易統制とは︑恐らく特具の内容を有するものであるに連びない︒それ故︑そうした時期までも貿易統制時代
と呼び得るかどうかは設断を許さたいものがある︒
主
以上の概観に従って︑左に︑我闘に於ける貿易統制政策の稜展過謹を綿括表示し℃みやう︒
期
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年 年 七 三 月 月 重 出 職 要 品 出
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中小検出業者泣に品輸向工業者の組合組織奨励
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重要輪出u聞に叫却する検査制度の確立
五 年 五 月
戦品補償法
品輸
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融上
h u信用危険に封する図家補償制皮の賞施
我閣に於げる貿易統制政策の税制倒
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我閣に於げる貿易統制政策の概観 貿易統制
;本
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二︑自動的統制期
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国 六 年 七 月 昭和八年一一一月 同
九 年 四 月 同
十 年 七 月 同
十 一 年 六 月 同 年 関 年 昭和十三年 同
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同 年 同 年 同 年 昭 和 十 二 年 九 月 同 ど竿 年
十一月 同 年
十二月 同
験出組合法改正
外闘居附替管理法
貿易調節及遁商擁護
一一
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ル法
律 謝加遜荷擁護法勅令
恥到濠報復勅令
まL 月
重要検向日間取締法
王L 月
総白組合法改
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外園祭替管制組法改疋
四 月 輸出補償訟改正 七
月
外聞
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営体
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刊法
改正
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J1 貿易及関係産業ノ調 整ユ閥スル法体 貿易組合法
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輪出入品ナドニ開スル臨時措置法
九 月
出削
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入許
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規則改正
外図潟替管理法改正
同 重要産業統制法捻に工業組合法の制定公布に伶ふ拡
張的改正
資本の海外逃避防止錐に無お替験出許可制度の資地 外図︒執り叉は執らんとする措置に射する貿易調節 蛇に遁商擁護の原則制定 カナダ閣に謝する沼商擁護法の後到
描体制附図に帆到する遁商擁護法の後動
重要輸出
υ聞に叫到する検査投に検閲制度の実施
轍山山統制の強化
験入峰崎替許可制皮の賓施
補償指定地域の療技・補償率的引上・其他
総入居岬替許可不要限度の低下ハ千回以下)・英他
統制強化に伶ふ貿易と産業との摩擦調整 験入業者の組合制皮此に輸出入組合の聯合合及中央 貿易管規の部分的質調叫 舎の寅挽
不念ロ聞及不要口凶の轍入禁止及制限・重要品及緊急品
の輸出入許可制の貸施 許可不製品目の匙加
験入同局替許可不要限ー伎の低下(百周以下)・英他
(昭和十三年二月十四日)