戦後ドイツにおける記憶の政治と記念碑
著者 中尾 健二
発行年 2013‑03‑31
出版者 静岡大学
URL http://hdl.handle.net/10297/7594
様式F-19
科学研究費助成事業(学術研究助成基金助成金)研究成果報告書
平成25年 3月31日現在
研究成果の概要(和文):先ず「記憶の政治」にかかわるベルリンにおける記念碑などの諸施設 をつぶさに視察し、その歴史的な変化を目のあたりにすることによって、それがどのような方 向へ向かっているのかを体験でき、さらに考察のための多くの資料を収集することができた。
次にこれら資料を整理・編集し、講義ならびにドイツ語の授業に取りいれ、授業の活性化なら びに受講生の歴史認識の啓発に資することができた。
研究成果の概要(英文):First by this time visitation of monuments concerned with Memory Politics in Berlin I was able to have some experiences on their historical changes and to collect some materials which I can use for a deliberation on this problem. Secondly by editing of these materials I was able to take up this problem into my lectures and German classes. It contributed to activate my classes and to enlighten my students about how to appreciate the recent past.
交付決定額
(金額単位:円)
直接経費 間接経費 合 計 交付決定額 900,000 270,000 1,170,000
研究分野:人文学
科研費の分科・細目:哲学・思想史 キーワード:政治思想史・公共圏
1.研究開始当初の背景
(1) これまで何度か、一度は文部科学省在 外研究員として、またその後数回は私事渡航 でドイツ連邦共和国の首都ベルリンに滞在 した。その際その地にある主要な記念碑の類 を必ず訪れ、その施設から読み取ることがで きる「最近の過去(ドイツであればナチス政 権下、日本であれば 15 年戦争の時代)」に対 する彼我の認識の違いに心を動かされた。そ
して、この問題を継続的に追い続けたいと思 ったことが、この研究の背景であり、動機で ある。
(2) これら施設の重要な側面である表象芸 術性が、公共圏(世論形成)において重要な 機能と意義をもっていることを明らかにし たいと考えた。一例を挙げれば、国立の追悼 施設であるノイエ・ヴァッヘ(Neue Wache)
にはケーテ・コルヴィッツの「死んだ息子を 機関番号:13801
研究種目:挑戦的萌芽研究
研究期間:2011~2012 課題番号:23652012
研究課題名(和文)戦後ドイツにおける記憶の政治と記念碑
研究課題名(英文)Memory Politics and Monuments in Postwar Germany 研究代表者
中尾 健二(NAKAO KENJI)
静岡大学・情報学部・教授 研究者番号:70022316
抱く母」像が拡大・複製されて置かれている。
ポツンとそれだけが置かれているわけだか ら、入り口に掲げられた碑文(テクスト)と ともに、この像こそが何かを語っている、あ るいは何かについては語ろうとしていない と考えざるをえない。歴史的記述にテクスト 解釈とともに美術批評を組みこまないと何 事も始まらないわけである。
忘れることのできない思い出がある。2005 年夏に短期で私事渡航した際に、ベルリン地 区のナチス時代の記憶にかかわる施設を見 て回り、写真を撮ってきた。その直後の 9 月 に浜松西高の 1 年生が「国際理解」という総 合的学習の一環として大学キャンパスを訪 問した折に、模擬講義をすることになり、「過 去とのかかわり方―ドイツの場合―」と題し て、これらの写真を見せて、主観を交えず簡 単な説明を加えたのであった。高校生たちは その後、附属図書館で 1 時間ほど時間を与え られて、この講義についてのレポートを書か されたのであるが、何人かの生徒はきわめて 激烈かつ感動的な文章を書いてくれた。戦後 日本が抑圧してきたもの―加害の歴史―が いかに大きなものであるか、そしてそれによ ってわれわれの歴史意識に空白が生じてい ることを高校生の文章は正確に撃っていた ように思う。抑圧されたものの回帰であるか ら激越であり、それを克服しようとする意志 ゆえに感動的なのであった。これと同時に写 真を通じてであれ、その無言のイメージ(表 象性)がもっている雄弁性についても、確証 をえられたように感じたのである。
(3) 従来記念碑の類は、歴史学を中心とし た人文・社会科学的アプローチと美学・芸術 批評的アプローチが別個に追究してきたの ではないだろうか。前者であるとコンテクス ト中心となって、対象そのものの分析・評価 に欠けるところがあり、後者であると対象そ のものに言及されるものの、それがいかなる 政治的・社会的コンテクストで意味づけされ ているかの記述に欠けるところがあった。本 研究ではそれらを統合するような視点から 対象を記述し、その方法論の洗練をめざした い。同時にこうした研究をつうじて、従来は 討議(Diskurs)中心に理解されていた公共圏 概念の拡張を試みる。公共の場での美的な (aesthetisch)作用連関を考慮せざるをえな いからである。これによって現在に適合する 公共圏概念の提示が見込まれる。図で示せば 下記のようになる。
人文社会科学的アプローチ
↓ ↑―――→公共圏における表象 美学・芸術批評的アプローチ
図1
さらに本研究課題とは直接関係ないよう に見えるが、実は DVD などの映像教材を投入 したドイツ語の授業実践から本研究課題が 動機づけをえた面がある。大学における外国 語教育には、語学的訓練の面があることはも ちろんであるが、同時に当該言語圏の文化と 社会に対する知見を学生にあたえることに よって学習面での相乗効果が期待できる。長 年にわたる授業経験から映像教材に対する 学生の評価はきわめて高いことが立証され ている。こうした教材研究の過程で、50 年代 の劇映画と 90 年代以降のそれとを比較する と、背景にあるドイツ社会のメンタリティ自 体がおおきく変化しているのではないかと いう思いにとらわれる。Siegfried Kracauer が 映 画 研 究 で は 古 典 的 な 著 作 で あ る Von Caligari zu Hitler で述べているように、映 画は集団的制作と集団的受容という性格か ら当該社会の深層心理を反映しやすい。一般 の映画は<市場>を媒介として制作・受容さ れており、Kracauer の方法論は依然として有 効なところがある。ところが、本研究課題が 取りあつかう記念碑を中心とした施設は、国 家あるいは自治体、つまり<行政>によって 企画・建設されることが多い。映画と比較す ると、より国家の意思なり公共圏の意思が直 截に反映される。同じ表象芸術でありながら、
映画とはいささか異なった社会的コンテク ストに置かれている。これは映画研究と公共 圏研究とをつなぐ媒介環の位置にあると言 っていい。さしあたりの作業仮説として図2 を示す。Diskurs 中心的な公共圏概念をなん とか拡張できないかという思いがあった。
映画<市場>←-→公共圏<政治文化>
↑ ↑
・・・・・・・・・・・・・・・・・
↓ ↓ 記念碑<行政>
図2
2.研究の目的
対象をドイツ連邦共和国首都ベルリンに おける「記憶の政治」のための諸施設にしぼ り、記憶のためのもろもろの施設(記念碑、
警告碑、建築物、彫刻、オブジェ・・・)が、
いかなる政治文化を背景に設立されるにい たったか、またそれらの施設がどのように人 びとに受容され、いかなる政治文化の涵養に つながっているかを明らかにすることが、本 研究の目的である。
3.研究の方法
こうした施設(ドイツではこれら施設は
Gedenkstaette「想起の場」と呼ばれている)
はドイツ国内にほとんど無数にあり、それら を網羅的に対象とすることは困難であり、研 究の凝集性からいっても疑問が残る。したが って、本研究ではドイツ連邦共和国の首都ベ ルリンにある、いくつかの代表的な施設を取 りあげ、いわばモデルケースの記述を通じて 全体像の輪郭を浮かび上がらせるという方 法をとった。
初年度(2011 年度)は、現地視察を中心に 組み立て、写真やビデオを撮影し、各施設の パンフレット類を収集し、これらの整理・編 集作業を行った。
最終年度(2012 年度)は、これら「記憶の 政治」にかかわる、とくにベルリンにある諸 施設に関係する日独の文献の収集と、さらに これらに基づく考察をすすめた。
4.研究成果
2011 年年末から 2012 年年頭にかけて科研 費による現地視察を行うことによって、いく つかの施設の経年的変化を知ることができ たことは大きな収穫であった。顕著な実例を 以下に挙げたい。
写真 1a
(1) グルーネヴァルト駅 17 番線
かつてベルリン在住のユダヤ系市民はここ に集められ、ここから各地の強制収容所に送
られていった。今は廃線となっている 17 番 線を 90 年代にドイツ鉄道株式会社が「想起
写真 1b
の場」としてととのえたのである。ここ 10 年ほどで施設自体に変化はないが、訪れる人
びとは着実に増加している。とくに犠牲にな った関係者がいるイスラエルからの団体が 多いようである。写真 1a に示すように、こ の 17 番線プラットフォームにはユダヤ系市 民が強制収容所に送られた日ごとに一枚の 鉄板がしつらえられ、そこに日付と人数、送 られた強制収容所名が浮き彫りにされてい る。筆者が訪れた折にはある鉄板に一輪の花 が挿されていた。おそらくこの日に送られた 人の遺族か関係者であろう。
また写真 1b のようにプラットフォームの 突端に以前からあるヘブライ語のタイトル にドイツ語の碑文を記した銘板には立派な 花輪がそえられていた。これは以前見かける ことがなかった。慰霊のための目的地として 定着してきた証拠だろう。この一民間会社に よって建設された「想起の場」は、訪れる人 びとを着実に増やしているように見受けら れる。
(2) ホロコースト警告碑
ベルリン中心部、ブランデンブルク門近く にある、いわゆるホロコースト警告碑(正式 名称は「殺害されたヨーロッパ・ユダヤ人の
写真 2a
写真 2b
ための記念碑」)は、その正否はともかく着 実に「観光地」としてのポピュラリティを獲 得しつつあり、とくに外国からの見学者が絶
えないことは注目してよい。さまざまな高さ のコンクリートの立方体(Stele「墓標」と も呼ばれている)を数千個置いた敷地から道 路一本隔てたスペースは以前空き地であっ たのだが、今やカフェとみやげもの店の入っ た立派な建物がたってしまった。横のハン ナ・アレント通りには観光バスがずらりと停 車していることがしばしばである(写真 2a、
2b 参照)。
(3) ザクセンハウゼン強制収容所跡 またベルリン郊外オラーニエンブルクに ある、ザクセンハウゼン強制収容所跡は、見 学者のための施設・設備が年々拡充している。
1999 年にここを初めて訪れた時には写真 3a にあるような「想起の場・ザクセンハウゼン」
とある壁もその背後にある立派な案内所も
写真 3a 写真 3b
なく、ここからしばらく収容所の壁づたいに 歩いて正門を入ってすぐ右手に小さな木造 の小屋があり、そこにパンフレット類が置か れていただけであった。さらに今回敷地の内 部に入っていくと「Arbeit macht frei」の 文字をかかげた正門からドイツ民主共和国 時代に建設された、敷地中央を横断する装飾 的な壁が撤去されたことがわかるのである
(写真 3b を参照)。これには「我が意を得た り」の感もあった。本来の姿を復元する方向 で修復されつつあったのである。敷地の一番
奥にあるソ連による巨大な解放記念塔はど うするのであろうか。
かつてドイツ国内の政治犯、ユダヤ系、同 性愛者などのみならず、ヨーロッパ中からの それらを強制収容していたザクセンハウゼ ン強制収容所は、いまやヨーロッパのみなら ず世界各国からの見学者が自発的にやって くる場となったのである。
三つの顕著な例を挙げてみたが、これらか ら推し量られることは、ドイツにおける「想 起の場」が自国の戦没兵士の追悼のためでは なく、自国の政府ならびに兵士たちによって 被害を被った人びとの追悼のために設置さ れており、したがってそれら被害を被った 国々からの見学者も数多く訪れていること である。「加害の歴史」を残そうとするドイ ツの意志、世論と行政の意志を感じるし、そ れが国際的にも評価されているのである。
これらの見聞は写真やビデオなどの収集 された資料とともに、学際科目「異文化と出 会う」やドイツ語の授業実践に活用すること で授業の活性化をはかることができた。これ らの授業におけるレポートや授業アンケー トなどから判断すると、受講生にここに孕ま れている問題を自発的に考えさせるという 点ではきわめて効果的であったと評価でき よう。これもこれら「想起の場」がもつ表象 性が大きく影響している。無言のメッセージ が「物」を通して伝わるのであろう。公共圏 においては、「物」としてあることが大きな 影響力を行使していると考えざるをえない のである。
目下今回の研究課題は、収集した資料の授 業への活用の段階に留まっているが、今後は 収集した内外の文献にもよりながら論文等 で自分自身の考察も形にしていきたいと考 える。
5.主な発表論文等 なし。
6.研究組織 (1)研究代表者
中尾 健二(NAKAO KENJI)
静岡大学・情報学部・教授 研究者番号:70022316
(2)研究分担者
なし ( ) 研究者番号:
(3)連携研究者
なし ( )
研究者番号: