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文 差 額 地 代 の 価 値 的 基 礎 に つ い て

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(1)

b

E

文 差額地代の価値的基礎について

ll

久留島陽三教授の著書道代論研究﹄によせて││

井 上 周

はじ

めに

﹁私

見﹂

への

久留

島氏

によ

る批

判点

久留島氏所説の検討

差額地代論上の究極問題

はじめに

地代論の領域でもっとも興味深いのは差額地代ーであり︑

) ¥ .  

差額地代の価値的基礎について そこにおける﹁虚偽の社会的価値﹂の理解をめぐる論争

(2)

差額

地代

の価

値的

基礎

につ

いて

である︒この論争における主要な解釈は︑大別して﹁生産説﹂

﹁流

通説

﹁社会全体の剰余価値の一部説﹂に分ける

ことができる︒もちろん︑それぞれの説の内部にも多くの相違点はあるが︑大別すれば右の三つの解釈のいずれかに

属するであろうQ私はこの三説のなかで︑問題は残されていたが一番マルクスの所説に即しており︑マルクスに近い

見解は﹁生産説﹂だったと思う︒しかし﹁生産説﹂にもまだ不十分な点があり︑この不十分な点

li

向坂逸郎氏によ

る山田勝次郎氏への批判はこの不十分な点を追求したものであったーーをどのように解明するかが︑地代論論争にお

ける残された課題であり︑これが価値論の発展としての地代論の主要課題の一つであった︑と考える︒

久留島陽三氏の著書﹃地代論研究﹄(ミネルヴァ書房︑昭和四七年一一月)は﹁虚偽の社会的価値﹂を基本的には﹁生

産説﹂の立場に立って理解されているとみられるのであるが︑氏の著書全体の評価として農業総合研究所の保志陶氏

l

﹁価値範曜の貫徹の視点から︑包括的に地代論の論点を整理され︑土地固有論という現代の課題にアプローチさ

れている点において︑画期的な労作であり︑教えられるところの多い力作である﹂(﹃土地制度史学﹄六一号︑昭和四八

年 一

O月︑六六ページ)と激賞しておられる︒氏の著書は五篇から成っており︑序篇︑問題の限定において︑

﹁資

本論

体系における地代論の位置﹂︑﹁地代論の成立過程﹂︑﹁地代に関する従来の学説(アダム・スミス︑ジェlムズ・アン

ダlソン︑ディヴィド・リカlド)﹂について考察されている︒ついで第一篇で差額地代︑第二篇で絶対地代︑第三一

篇で地代範曙の揚棄と土地固有︑第四篇で総括と結論︑という順序で考察を進められている︒したがって氏の著書は

文字通り地代論全般にわたる研究であるが︑この小稿では久留島氏の﹁差額地代論﹂に限って問題を考察したい︒

氏は差額地代論論争での﹁謬見﹂として︑

いわゆるマルクス批判家による︑マルクス価値論における﹁﹃平均原理﹄と﹃限界原理﹄との矛盾﹂説(二

(3)

木保幾氏の見解)

⑮ 

向坂逸郎氏の﹁市場価値偏侍説﹂

⑥ 

虚偽の社会的価値の源泉を﹁強められた労働﹂に求める見解(山田勝次郎氏)

⑬ 

井上周八氏の﹁資本的条件H平均原理︑土地的条件日限界原理説﹂

a;l 

白杉庄一郎氏の﹁平均原理の限界原理への自己疎外﹂説

の五つをあげて批判を加えられている︒そこで以下︑私見に対する久留島氏の批判を検討し︑このことによって地代

論の同題点をどのように把握し解明しなければならないかを再び考えてみたい︒

﹁私 見﹂

への久留島氏による批判点

久留島氏は﹁従来の諸説とは︑やや異なった︑井上周八氏の﹃資本的条件H平均原理︑士地的条件日限界原理説﹄

なる

もの

に言

及し

てお

きた

いし

(一

一一

一一

ペー

ジ)

として︑次の私見を引用する︒

﹁工業の﹃平均原理﹄はそのまま農業にも貫徹しており︑ただ土地的条件(豊度および位置など)についてのみ

﹃限界原理﹄的であったのである︒このことは︑マルグスの﹃表一﹄でA地からD地までの経営は︑同等分量の資本

(したがって生産諸条件とそこでの労働力は同一費であることが仮定されている)が充用ぎれており︑

一グ

lタ

!

の小麦の市場価値が︑土地的条件が相対的にゼロであり︑ただ資本的・経営的条件が社会的・標準的であるところ

で︑成立している点に示されている︒:

価値の大きさを規定する﹃社会的必要労働時間﹄という概念は競争により成立するものであることを明確にすべき

差額

地代

の価

値的

基礎

につ

いて

(4)

差額

地代

の価

値的

基礎

につ

いて

である︒すなわち︑問題の箇所における一グオーダーの小麦の市場価値は︑土地的条件(そこでは豊度)は捨象され

ている(相対的にゼロである)が︑資本的条件は社会的・標準的であるところの最劣等地の生産物で規定されてい

る︒このため︑差額地代は﹃無地代地を零点として計算された豊鏡度の差別に比例﹄して生じ︑ここに工業での﹃プ

ラス・マイナス・ゼロ﹄に対し︑農業での﹃プラス・マイナス・不一致﹄が生ずる︒

この﹃プラス・マイナス・不一致﹄である点は農工両生産物の交換が本質的に不等価交換となることを意味しな

ぃ︒なぜなら︑農工を問わず︑商品の価値

(H

社会的価値日市場価値)の大きさを規定するものは︑社会的必要労働

時間││﹃現存の社会的・標準的な生産諸条件と労働の熟練および強度の社会的な平均度とをもって︑何らかの使用

価値を生産するために必要とされる労働時間﹄ーーーであり︑それゆえ工業の場合にはこの社会的必要労働時間の規定

がそのままあてはまり︑農業の場合にはこの規定はそのまま最劣等地においてあてはまる︒つまり最劣等地の生産物

が市場価値を規定するという形であてはまるのである︒このため︑たとえば農業部門に投下された二四

0

時間は価値

形成的労働時間としては工業の二四

0

時間ではなく六

00

時間に相当する︒農業の二四

0

時間×土地的条件日工業の

00

時間となるのである︒このことは工業での﹃強められた労働﹄の場合と同様である︒ただ工業の﹃強められた

労働﹄はある生産部門内の優秀な企業において生ずるのであるが︑農業ではこの優秀な企業に相当するものが農業部

門全体!l厳密には最劣等地を除くーーであること︑したがって工業での﹃強められた労働﹄のプラスは逆のマイナ

スにより相殺されるのに対し︑農業では土地的条件(豊度)により強められた労働は逆のマイナスによって相殺され

ることがない

l i

ただし農業でも資本的条件によるプラス・マイナス・ゼロは工業と全く同様に存在する!ーという

点が異なるのである︒それゆえ工業の六

00

時間と農業の二四

0

時間という価値形成的労働時間としては異質の労働

(5)

時間の不一致は︑それを同質の労働時間H社会的必要労働時間に還元すれば一致する︒

かくして︑農業の個別的価値二四

0

シリングは社会的価値目市場価値としては工業の六

00

シリングである︒農業

でのいわゆる﹃プラス・マイナス・不一致﹄とか﹃限界原理﹄とかよばれる現象は︑その本質においてマルクス価値

論の貫徹の結果であることは明白である︒

以上のことから︑﹃資本論﹄の初めの﹃社会的必要労働時間﹄の規定での﹃社会的・標準的生産諸条件﹄のなかに

i

﹃土地的条件﹄は含まれていないことがわかる︒だからこそ土地的条件のゼロ﹃│ーといっても豊度のゼロな土地

はないので︑つねに相対的な意味だがーーーの最劣等地の生産物が市場価値を規定したのである︒このことは︑

﹃社

的必要労働時間﹄および﹃社会的・標準的生産諸条件﹄ばという規定が自由競争の結果成立する規定であるのに対し︑土

地的条件はこの資本の自由競争に対し一つの障碍をなしているため︑円社会的必要労働時間一を規定する一契機とし

て﹃社会的・標準的な土地的条件﹄なるものがナンセンスであることを意味している﹂(﹃農業経済学の基礎理論﹄東明

社︑

昭和

四二

年︑

三五

六ペ

ージ

傍点

原文

)︒

そして﹁井上氏の見解によれば︑農産物の市場価値は︑最劣等地の個別的価値によって規制され︑そして︑そのこ

とによって︑価値論が貫徹されるものとされる︒しかし︑その根拠として︑最劣等地においては︑﹃資本的・経営的

条件﹄が﹃社会的・標準的﹄であり︑﹃土地的条件﹄(ここでは豊度)がゼロであるとい︑つことを指摘される﹂

五ページ)とのべ︑しかし﹁農産物の市場価値は最劣等地の個別的価値によって規制されるが︑その根拠は︑資本主

義的経営による土地の占有︑すなわち土地経営の独占によるのである︒というのは︑優等地での供給だけでは︑農産

物巳対する全需要をみたしえず︑最劣等地での供給が絶対不可欠なものであるからである︒そして︑この最劣等地の

差額

地代

の価

値的

基礎

につ

いて

(6)

差額

地代

の価

値的

基礎

につ

いて

ノ、~

個別的価値が市場価値を規制することは︑価値法則と矛盾するものではなく︑まさに価値法則が貫徹していることを

示すものである︒したがって︑井上氏の見解は︑マルクスの﹃価値﹄範曙に対する誤解であるばかりでなく︑農産物

の﹃市場価値﹄法則に対する誤解にもとづく謬見である﹂(同上︑ゴチは井上)と結論される︒

さらに氏は﹁井上氏は︑﹃虚偽の社会的価値﹄について︑次のように述べている﹂として︑次の私見を引用する︒

﹁マ

ルク

スが

よ・

由・

ヨョ

(宣

田口

Y 2 8 N E R

巧巾ユ筆者)といった場合の

F U

岳の真意は何であろうか︒それはこれま

での論点から推測しうるであろう︒すなわち︑土地の優秀性は特定の経営にのみ固定的に充用されて︑無限の自然力

(日光︑空気等︺や︑資本が自由に採用しうる資本的・経営的条件ハ優秀な技術︑設備等)のように︑やがては他の

資本に採用されることにより一般化︑社会化されないがゆえに︑このようにして成立する農産物の価値

(H

社会的価

値H市場価値)は︑この意味で4

・ ∞ ・

4勺であるということである︒しかし︑農産物の六

00

シリ

ング

は肉

虫色

目的

岳山

内庁

l

ロ口

町︒

門巧

日立

H V

向 防 長

H4

40

円けとしては真実の価値であり︑なんら﹃虚偽﹄でも﹃不当﹄でもない︒‑

差額地代部分は資本制社会の基礎上で農業部門に投下された労働時聞が価値形成的労働時間日社会的必要労働時間

として何倍かに強められて生ずるものであり︑この意味で農業労働の生み出した価値﹂(﹃農業経済学の基礎理論﹄一一二

l

九ペ

ージ

︑傍

点原

文﹀

であ

る︒

そし

て︑

﹁井上氏の見解によれば︑﹃虚偽の社会的価値﹄は農業部門内部において︑農業労働の一寸強められた労

働﹄によって生み出された﹃真実の価値﹄である︒しかし︑前述したように︑この場合に前提とされているのは︑等

しい量の労働そのものであって︑﹃強められた労働﹄を前提とすることは誤りといわねばならないし(二六ページU

とさ

れる

(7)

﹂のように久留島氏は︑﹁農産物の市場価値は最劣等地の個別的価値によって規制され︑このことによって価値法

則が貫徹されるもの﹂とされ︑﹁その根拠として︑最劣等地において﹃資本的・経営的条件﹄が﹃社会的・標準的﹄

であり﹃土地的条件﹄がゼロである﹂としている私見は誤解であり謬見であるとされ︑また﹁虚偽の社会的価値﹂の

理解にあたっても﹁強められた労働﹂を前提としているから誤りである︑といわれているのである︒そこで以下︑久

留島氏がそう断定される論拠をより詳しく知るために︑氏がマルクスの差額地代をどのように把握されておられるか

ということから考察を進めてみよう︒

久留島氏は差額地代Iの一般的概念の説明を次のようにのべておられる︒

引用①﹁まず︑第一に︑さきの第一の成立条件︑すなわち︑土地における豊度(市場に対する土地の位置の点はひ

とまず捨象する)の差異によって︑

﹃同等面積の相異なる地所に充用された︑同等分量の資本の不等な収穫﹄

( ζ

HUU

ω

20

・長谷部訳︑川

0ページ︒向坂訳︑第三巻第二部︑八七一ページ︒)がもたらされる︒

そのために︑それぞれの経営には︑それぞれ相異なった個別的価値ないし個別的生産価格が形成される︒

簡単にするために︑ここではこのような差異を︑ひとまず︑優等地と劣等地の差異として考察する︒

第二に︑第二の条件︑すなわち︑資本主義的経営による土地の占有

!l

﹃土地経営の独占﹄!ーによって農業(土l

地)生産物の市場価値ないし調整的市場価格︑すなわち市場生産価格は︑中位の生産条件によってではなく︑したが

って中位の個別的価値ないし個別的生産価格によってではなく︑劣等地の生産条件︑したがって劣等地の個別的価値

ないし個別的生産価格によって規定される︒というのは︑優等地での供給だけでは社会の全需要を充たし得ず︑劣等

地での供給が必要だからである︒

差額

地代

の価

値的

基礎

につ

いて

F

(8)

差額

地代

の価

値的

基礎

につ

いて

/¥ 

そこで︑全生産物は劣等地の個別的生産価格によって規定きれる︒この市場価格で販売されうるから︑震等地はこ

の市場生産価格以下で売るべき理由は少しもない︒しかし︑優等地はこの市場生産価格以上に売ることもできない︒

したがって︑優等地の経営には︑その個別的生産価格と市場生産価格との差額に等しい超過利潤が発生する︒この超

過利潤は︑私的土地所有のもとでは地代に転化して︑土地所有者の取得するところとなる︒それが差額地代である︒

すな

わち

﹃差額地代は︑土地所有者によって彼の所有権にもとづいて︑農業企業家からとりあげられるであろう︒

なぜなら︑差額地代は︑資本にたいする正常の平均利潤を超過する︑利潤の余剰分であり︑また農業では︑競争の自

白は農業八の資本投下の自由という意味で存在する(あるいは資本主義的発展によってつくり出される)のであろか

ら︑平均利潤で満足して土地所有者に超過利潤をひきわたすような農業企業家を︑土地所有者はいつでも見つけだせ

るであろう︒土地の私有は︑差額地代をつくりだすのではな︿︑差額地代を農業企業家の手から土地所有者の手にう

つしかえるにすぎないのである︒﹄(レI

ニン

全集

︑第

五巻

一一

八ペ

ージ

︑傍

点は

筆者

によ

る)

要するに︑差額地代Iは︑付土地における豊度および位置の差異︑口資木主義的経営による土地の占有︑以上の二

点を成立条件とし︑劣等地の個別的生産価格によって規定される市場生産価格と優等地の個別的生産価格との差額と

して発生する超過利潤が地代に転化したものである﹂ハ九四│主べlジ︑ゴチは井上)︒

右の久留島氏による差額地代Iの一般的概念の解説は︑マルグスとレiニンに依拠されたものであり︑何らの謬見

も介在しないもののようであるが︑しかし︑本稿の筆者がゴシックで示した文章はのちに再考したいためのものであ

次いで氏は﹁このような差額地代Iの概念ないし本質に関連して注意すべき点は︑差額地代と価値法則との内的関 る

(9)

連である﹂として︑﹁市場価値と個別的価値との関連﹂﹁農産物の市場価値と価値規定ないし価値法則との関連﹂とい

う二つの論点を示し︑それぞれに説明を加えられる︒すなわち︑第一の論点では︑個別的価値から市場価値が成立す

るメカニズムを簡単にのべ︑そして﹁市場価値(そして市場価値について述べたいっさいは︑必要な限定を加えれば

生産価格にも当てはまる)は︑各特殊的生産部面で最良の条件のもとで生産する人々の超過利潤を含む﹂(呂田円♂ロ回目

関与芹白

r E ‑ ω

NC ω

長谷

部訳

︑川

一五

豆ベ

iジ

︒向

坂訳

︑第

三巻

第一

部︑

二二

0ページ)点を明らかにされる︒

も ち ろ

ん︑この超過利潤が優等地によって発生した場合︑差額地代となることを説明する前提として︑氏が市場価値と個別

的価値との関連を明らかにされたことはいうまでもない︒

次に氏は﹁農産物の市場価値と価値規定ないし価値法則との関連﹂の説明に移る︒

﹁前述した如く︑工業生産物の場合には︑一般に市場価値は中位の平均的条件の下で生産される商品の個別的価値

によって規定されるが︑農産物の場合には︑いわゆる土地経営の独占という特殊事情が存在するために︑市場価値ま

たは市場生産価格は︑中等地ではなくて劣等地の個別的価値または個別的生産価格によって規定される︒

というのは︑土地経営の独占のために︑農産物の金需要を充たすには劣等地の生産が必要であり︑劣等地を経営す

る資本家にも平均利潤が確保されねばならないからである︒

しかし︑この場合市場価値は︑劣等地の個別的価値以上であることはできない︒すなわち︑

自身以上であるということはありえない︒﹄(宮

R

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‑ 8

・寸

巴・

口・

ω・

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・大

島・

時永

訳︑

川別

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場価

値・

・・

・・

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自分

七四

ペー

ジ︒

傍点

は原

著に

よる

Jこれに対して︑優等地の商品がその個別的価値以上に販売されうるということは︑

が︑同一の部面(産業)内で生産される他の諸商品よりも有利であるということから説明されるのであって︑したがっ ﹃それらの生産諸条件

差額

地代

の価

値的

基礎

につ

いて

(10)

差額

地代

の価

値的

基礎

につ

いて

て価値の法則には反しない︒﹄これに反して︑もし市場価値が劣等地の個別的価値以上だとすれば︑このことは劣等地

の生産物が﹃市場価値とまったく関係なしにその価値以上に売られることによってのみ可能であろう︒﹄会・回・0

・ ・

ω・

N S

・大

島・

時永

訳︑

W

七四

ペー

ジ︒

傍点

は原

著に

よる

︒)

したがって︑農産物の市場価値規定は︑﹃土地とその豊度の差異

ι

もとづくものではなく︑必然性をもって生産物

の交換価値にもとづくところの︑一つの社会的行為││社会的に意識されず意図されないで行われる行為だとはいえ

ーーである︒:::同一種類の諸商品にとって市場価格の同一性は︑資本主義的生産様式の11また総じて︑個々人の

あいだの商品交換にもとづく生産の

li

l 基礎上で価値の社会的性格がみずからを貫徹する様式である︒﹄(三日♂ロ回目

F H H

Hω

H H

長谷

部訳

︑川

一七九ページ︒向坂訳︑第三巻第二部︑八三二ページ)すなわち︑差額地代が円相異な

る諸土地種類の諸生産物の相異なる個別的価値﹄と区別される﹃調整的な一般的市場価値にもとづくかぎりでは︑こ

のことは︑社会的な競争を媒介として貫徹される・一法則であって︑これは︑土地にも︑土地の豊度の相異なる程度

にも

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白・

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J

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訳︑

三O

五ペ

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︒向

坂ば

︑第

三巻

第二

部︑

O

二八

ペー

ジ)

したがって︑農産物における市場価値の規定ないし法則は︑価値規定ないし法則の貫徹形態である︒差額地代I

は︑優等地の個別的価値あるいは個別的慌産価格とこの市場価値あるいは市場生産価格との差額たる超過利潤が地代

に転化したものである︒

要約すれば︑差額地代

I

は︑基礎範曙たる価値範曙を基礎として︑それとの内的関連において把握されるととも

に︑差額地代ーによって価値範曜が確定されるものである﹂(九七!八ページ︑ゴチは井上)︒

このように氏は︑要するに農産物の市場価値は最劣等地の個別的価値によって規定されること︑差額地代I

の成

(11)

は︑農産物における市場価値の規定︑市場価値法則の貫徹の結果であること︑を明言されているのであって︑いわゆ

る﹁価値法則のモディフィケlシヨン﹂説とは異なっており︑右の点に関する限り︑筆者も久留島説と同様の見解に

立っており何らの異存もないQ

しか

し︑

マルクス陣営内部での論争の多くがそうであったように︑右のいわば結論を

支える背景的理論が実は問題となるのである︒

また氏の説明のなかで﹁工業生産物の場合には︑一般に市場価値は中位の平均的条件の下で生産される商品の個別

的価値によって規定されるが︑農産物の場合には︑いわゆる土地経営の独占という特殊事情が存在するために︑市場

価値または市場生産価格は︑中等地ではなくて劣等地の個別的価値または個別的生産価格によって規定される﹂との

べられている点であるが︑一言補足すると︑土地経営の独占によって土地的条件においては最劣等地であり︑いわゆ

る﹁限界原理﹂的であるが︑資本的・経営的条件においては﹁社会的・標準的﹂であり︑いわゆる﹁平均原理﹂的で

ある︑ということが﹁差額地代﹂の理解にあたっては常に忘れられてはならないということである︒そしてこのこと

が把握されている場合にのみ︑さきのマルクスのことぱ﹁市場価値は︑劣等地の個別的価値以上であることはできな

い﹂という意味が了解できるのである︒なぜなら︑劣等地の個別的価値とは︑

﹁資本的・経営的条件﹂においては

﹁社会的・標準的﹂でありながら︑ただ﹁土地的条件﹂においてのみ劣等であり︑したがって︑最劣等地の生産物の

個別的価値こそ︑﹃資本論﹄冒頭の価値の大きさの規定である﹁現存の社会的・標準的生産諸条件と労働の熟練と強

度の平均度とをもって何らかの商品を生産するのに必要な労働時間﹂を一示すものにほかならないからである︒そして

﹂のことが把握されるなら︑﹁優等地の商品がその個別的価値以上に販売されうるということは﹃それらの生産諸条

件が︑同一の部面(産業)内で生産される他の諸商品よりも有利であるということから説明されるのであって︑した

差額

地代

の価

値的

基礎

につ

いて

(12)

差額

地代

の価

値的

基礎

につ

いて

がって︑価値の法則には反しない︒﹄﹂ということばの意味も理解することができるのである︒つまり︑優等地の有利

さが超過利潤を生むことは︑工業での有利な生産条件をもっ企業が超過利潤を生むことと何ら異ならないことをマル

グスは明言しているのである︒このことは後で再び詳論されなくてはならない重要論点である︒

さてここで︑これまでみてきた久留島氏の所説の要点と﹁私見﹂への批判を整理しておこう︒それはいちおう次の

ようにいってよいであろう︒

ω

農産物の市場価値は最劣等地の個別的価値によって規定される︒

ω

その根拠は︑土地における豊度の差異と︑土地経営の独占による︒

川というのは︑優等地での供給だけでは農産物に対する全需要をみたしえず︑最劣等地での供給が不可欠なものだか

らで

ある

川だから︑最劣等地では﹁資本的・経営的条件﹂が﹁社会的・標準的L

であ

り︑

﹁土地的条件﹂がゼロであるからで

はなく︑そのように主張する井上説は謬説である︒

同そして︑この最劣等地の個別的価値が市場価値を規制するのは価値法則と矛盾するものではなく︑まさに価値法則

が貫徹していることを示すものである︒

川﹁﹄虚偽の社会的価値﹂は農業部門内の土地的条件(豊度)によって﹁強められた労働﹂によって生み出された﹁真

実の価値﹂である︑と井上はいうが︑この場合の前提は等しい量一の労働そのものであり︑﹁強められた労働﹂を前

提とする井上説は課りである︒

(13)

久留島氏所説の検討

まず川農産物の市場価値は最劣等地の個別的価値によって規定される︑という点からみよう︒この点についてはマ

ルクス自身の説明が︑農産物の市場価値は最劣等地の個別的価値による︑としているのであり︑この点についてマル

グス経済学者の聞に見解の相違はない︒マルクスは﹃資本論﹄第三九章の﹁差額地代I

﹂ を 説 明 す る た め

﹁ 表 こ を

作成し︑次のようにのべている︒

﹁四

種類

の土

壌︑

A︑B︑

c

︑Dを想定しよう︒さらに︑

一グ

ォ iタiの小麦の価格を一一一ポンドすなわち六

O

シリ

ングと想定しよう︒地代は単なる差額地代なのだから︑このクオーダーあたり六

0

シリングという価格は︑最劣等地

にとっては︑生産費︑すなわち資本プラス平均利潤に等しい︒

Aは︑この最劣等地であって︑五

0

シリングを投資して一グオーダーリ六

0

シリングを生産するとしよう︒つまり

利潤は一

0

シリング︑または二

OM

であ

る︒

Bは︑同じ投資で二グオーダーリ一二

0

シリングを生産するとしよう︒その利潤は七

0

シリングであり︑超過利潤

は六

0

シリングであろう︒

Cは︑同等な投資で三クオーダーH

一八

0

シリングを生産するとしよう︒総利潤二ニ

0

シリング︒超過利潤H

一二

0

シリ

ング

Dは︑四クオーダーn

二四

0

シリングリ超過利潤一八

0

シリングを生産するとしよう︒その場合には次のような序

列となるであろう︒

差額地代の価値的基礎について

(14)

差額地代の価値的基礎について マルクスの表ー

資 本 利 潤 地 代

土地種類 ークォータIシリンク、 投下額 クォータIシリンクや クォータIごリング

A  1  60  50  '/6  10 

2  120  50  1'/6  70  1  60  C  3  180  50  2 '/6  130  2  120  4  240  50  3 '/6  190  3  180  360  821 

│ 1 0  I 600  I 

Kapital, III.S, 703.長谷部訳, (4), 172ページ,向坂訳,

ページ。差額地代第一形態の基本表である。

λb 

1 生産物とその生]クォーター当り I~ <>h~Fe'

1

土 地 豊 即 時 的 基 礎 と 産価格 │の生産価格 I~ <>h"" Fe'1する例外的生産力によっ

│ 

クォ

J

lI土地豊度│̲L‑,",,‑'IT.D<‑Iて生じた超過利潤 1 シリング

タ ー lタ ー シリング

土地種類

最 劣 等 1 =60 

1 =60  A 

60  A2

1 =30  2ニコ60

120  Aの3

1 =20  3 =60 

180  A4

1 =15  4 =60 

360 

それぞれの地代は︑Dでは一九

O

シ リ ン グ 一

0

シリング︑すなわち

DとAとの︹利潤聞の︺

差 額 で あ り ︑

Cではごニ

O

︹シリング︺│

0

シリング︑すなわちCとAとの差

額で

あり

︑ Bでは七

0

シリングl

0

シリング︑すなわちBとAとの差

額であった︒そしてB︑C︑D

の総

地 代 は

H六クォi

タ!日三六

O

リングであり︑DとA︑CとA︑B

とA︑との諸差額の総和に等しいL

(同

名目

Hm

wH

・ 同 日 目 ・

ω・ 叶

C N ω・長谷部訳︑青

木文庫

同九

一七

ペー

ジ)

﹂の

表の

前提

は︑

マルグスによっ

て明記されているように最劣等地A

から最優等地Dに至る四等級の土地

に同等分量の資本および労働が充用

(15)

されていることである︒それにもかかわらず︑A

にく

らべ

B

で一

C

で 一 一 ︑

Dで三クオーダーのより多くの生産物が

収穫されている︒その理由は︑B︑

c

︑Dなる各農業経営の独占的生産条件たる土地的条件111この表では位置は捨

象され豊度のみーーによるのである︒つまり︑土地的条件以外の資本の自由にしうる生産諸条件では各等級地いずれ

も同

一で

あり

標準的であること︑そこでの労働力も平均労働力が充用されていることが前提とされているのであ

現実には︑個別資本の自由にしうる資本的・経営的生産諸条件の差異は︑農業経営でも存在する︒だから︑最劣等 る

地の個別的価値は最劣等地の農業経営の侵劣によって様々である︒これらの様々な個別的価値から一つの社会的価値

M市場価値が成立する︒これは最劣等地での平均的な個別的価値である︒この関係はB︑

c

︑D地でも存在する︒B︑

c

︑D地の個別的価値とはそれぞれB︑

c

︑D地の個別的価値の平均である︒そして︑A地の個別的価値の平均のみ

が農産物の市場価値なのである︒しかし︑農業にも存在するこの資本的・経営的条件に起因する諸個別的価値の相違

と︑したがって優秀な農業経営が入手する超過利潤の問題は︑﹃資本論﹄の地代論以前の段階でマルクスによって解

決ずみである︒そこで︑農業特有の地代となるべき超過利潤の性格を明らかにするため︑マルクスは同等分量の資本

および労働が充用されているという前提に立っており︑最劣等地の個別的価値がそのままで市場価値を規定すると想

定しているのである︒

川その根拠は︑土地における豊度の差異と︑土地経営の独占による︒

では︑な︑ぜ農産物の市場価値は最劣等地の個別的価値によって規定されろのかQその根拠として︑久留島氏は士地

における豊度の差異と土地経営の独占を指摘される︒この点も山田勝次郎氏を始めとしてマルクス経済学者の聞で強

差額

地代

の価

値的

基礎

につ

いて

一五

(16)

差額

地代

の価

値的

基礎

につ

いて

一 六

調されてきた点で︑久留島氏がこの点を指摘されるのは当然である︒山田勝次郎氏はレIニンやリュビーモフに依拠

して︑論争の当初からこの点を向坂氏などに強調しつづけていた︒山田氏は﹃地代論﹄(岩波金書︑昭和三二年五月)

で ︑

﹁差額地代となる剰余価値の源泉︑実現︑本質︑転形などに関する:;:諸規定の内面的関連を包括した一覧表﹂

を次の如く示している︒﹁

ω

自然的基礎としての︑土地豊度の実存

i

←凶投下詰資本有機的構成を同一と仮定として

の︑豊度を異にする諸土地を例外的な自然力として利用する諸農業経営における︑労働生産性の相対的差異の物質化

i!+川資本主義的生産様式の基礎の上では︑農業経営巳内属するこ重の特殊性の作用によって︑一般的市場法則の偏

僑が必然的に起るQそして︑この市場法則の偏侍を通じて︑最劣等地での個別的生産価格が市場調節的となる│+川

最劣等地以外の各優良地における︑個別的生産価格以上の超過剰余価値の相対的増進の現実化│←刷社会的総利潤の

視角からみれば︑平均利潤以上の︑農業部門独特の超過利潤の形成│←川この独特の趨過利潤として実現される剰余

価値の本質は︑﹃不当な社会的価値﹄として規定される│←例土地所有の力による︑この超過利潤の地代化│←附差

額地

代の

成立

﹂(

八六

ペー

ジ︑

ゴチ

は井

上﹀

ここで山田氏のいう﹁二重の持殊性﹂とは︑山田氏がその著書で再三強調

された﹁土地の有限性に起因する土地経営の独占と土地豊度の不等性および漸減性﹂のことである︒すなわち︑農業

部門では資本はエ業とは異なり︑それ自身労働対象であると同時に労働手段でもある独占されうる自然的生産条件と

しての土地という︑資本の創造しえない有限な生産条件を受け︑したがって︑レ!ニンのいう﹁土地経営の独占﹂が

生ず

る︒

つまり︑農業では不可欠の生産手段である土地の有限性のため︑資本による土地経営は﹁一種の独占﹂

﹁ 土

地経営の独占﹂を生じ︑農産物価格は中位の土地経営の生産物の個別的生産価格によってではなく︑最劣等地の生産

物の個別的生産価格によって調整されるのである︒

(17)

ただし︑土地の有限性は農業資本家の自由競争を決して排除しない︒との点︑レ

l‑

一ンは﹁土地の有限性という事

実から(土地の私有にかかわりなく)論理的にでてくることは︑土地全体が資本家たる農業企業家によって占有され

るであろうということだけであって︑これらの農業企業家間の競争の自由のどんな制限の必然性もけっしてでてこな

い﹂

(﹃

iニン全集﹄第五品守二五ページ﹀とのべ︑すべてのヨーロッパ諸国では農奴制度が廃止された後︑身分的土地

所有制が破壊され︑商工業資本が農業に投下され︑借地や抵当債務が増大していること︑およびロシアでも農奴制度

の遺物が多く存在しているにもかかわらず︑改草後においては農民や平民および商人遣による土地買入れの増加や︑

私有地︑国有地および共有地などの貸付が増加していること等含指摘し︑﹁これらすべての現象はなにを証明するか

それは︑土地所有の独占にもかかわらず︑またその所有のかぎりなく多様な形態にもかかわらず︑農業のなかに

白由競争が発去したことを証明すろものである︒現在あらゆる資本主義諸国において︑あらゆる資木所有者は︑この

資本を︑商u某あるいは工業の任意の部門に投下するのと同様に容易に︑あるいはほとんど同様に容易に農業に投下す

ることができるのである(土地の買入れ︑または借地によって)﹂(同上一一六ページ﹀とのべている︒したがって︑久

留島氏が次のようにのべられたのは当然であったQ﹁上原氏が︑﹃農業部門についてみるならば︑生産条件としての

土地の有限性よその経営的独占のために︑資本聞の白由競争が阻止されて︑生産物は平均的な土地条件の下での個別

的生産価格でなく︑最劣等地のそれが市場価値となる﹄と説明されているが︑これは︑競争を探介として貫徹される

市場価値規定について誤解されたものである︒﹂

(川

上正

道・

上原

信博

﹃農

業政

策﹄

︑有

斐閣

︑一

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傍点

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者に

よる

J

いずれにしても︑川その根拠は︑土地における豊一度の差異と︑土地経営の独占による︑についても異存はない︒問題は︑

差額

地代

の価

値的

基礎

につ

いて

(18)

差額

地代

の価

値的

基礎

につ

いて

;i

川優等地での供給だけでは農産物に対する全需要をみたしえず︑最劣等地での供給が不可欠なものだという点であ

ω久留島氏はこの点を︑私が氏の所説を引用した際ゴチで注意を喚起しておいたように︑極めて重視されており︑

ω

農産物の市場価値は最劣等地の個別的価値によって規定されることの論拠とされている︒氏は@いわゆるマルクス批

判家

によ

る︑

マルクス価値論における﹁﹃平均原理﹄と﹃限界原理﹄との矛盾﹂説の検討で︑二木保幾氏の論稿﹁マ

ルクス価値論における平均観察と限界原理との矛盾﹂(﹃中央公論﹄昭和四年二一月)を検討され︑

﹁二

木氏

の説

は︑

するに次のようなものである︒マルクスにあっては︑商品の価値が一方で︑社会的に必要な労働時間によって規定さ

れ︑したがって︑平均観察﹄の原理あるいは﹃平均原理﹄によって説かれており︑他方で︑差額地代論では︑この

﹃平均観察﹄原理をすてて︑円第一巻における価値と殆んど同一物なるかに取扱っていた市場価値﹄が最劣等耕作

地︑すなわち限界耕作地の個別的生産価格あるいは個別的価値︑すなわち限界生産価格あるいは限界価値によって規

定されるという︑いわば﹃限界原理﹄をもって説明している︒これは︑明らかにマルクスの価値論における﹃平均観

察﹄あるいは﹃平均原理﹄と司限界原理﹄との矛盾以外の何ものでもない︑というのである﹂

2 0

九ページ)

σ

べ︑次のように結論されていた︒

﹁この二木氏の見解は︑マルクスにおける﹃土地生産物を支配する市場価値法則﹄の誤解にもとづくものである︒

前述した如く︑工業生産物の場合には︑一般に市場価値は中位の平均的条件の下で生産される商品の個別的価値に

よって規定されるが︑土地生産物の場合には︑いわゆる土地経営の独占という特殊の事情が存在するために︑市場価

値は最劣等地の個別的価値によって規定される︒というのは︑土地経営の独占のために︑全需要を充たすためには︑

最劣等地の生産が必要であり︑最劣等地を経営する資本家にも平均利潤が確保されなければならないからである︒

(19)

しかし︑この場合市場価値は︑最劣等地の個別的価値以上であることはできない

Qすなわち︑

自分自身以上であるということはありえない︒﹄(呂田吋同吋

3 U g ュ

・寸

丘二

円・

ω‑

N8

・大島・時永訳︑川

﹃市

場価

値・

・・

・・

・が

七四ページ︒傍点は

原著による︒)これに対して︑優等地の高品がその個別的価値以上に売られうるということは︑﹃それらの生産諸条件

が︑同一の部面(産業)内で生産される他の訪商品よりも有利であるということから説明されるのであって︑したが

って︑価値の法則には反しない︒(出E

0

・ω

‑N

∞ω

大島

・時

永訳

︑山

七三ページJそれ故︑

土地生産物の市場価値法

則は価値法則と矛盾しないばかりか︑それは伺値法則の貫徹形態である︒﹂(一O

九 一

0

ペー

ジ︑

ゴヰ

ノは

井上

) もっともここで氏は︑最劣等地での供給が不可欠であることのほかに︑以前の引用にはなかった平均利潤確保とい う条件をつけ加えておられるのだが︑この両者の関連をどのように理解しておられたか︒

( 1 )  

イコール最劣等地経営での平均利潤確保﹂というお考えであったのだろうか︒

﹁最劣等地での供給不可欠

(1

﹀ところで久留島氏は︑向坂逸郎氏の﹁市場価値偏侍説﹂を批判した保志悔氏の﹁地代範鳴と土地同有一(﹃土地制度史学﹄

第四

O号︑一九六八年七月)を﹁すぐれた論稿﹂(一一一ページ)とされ︑山田勝次郎氏の﹁強められた労働説﹂批判の場合

にも︑保志論文を﹁参照されたい﹂といわれている︒久留島氏の所説を知るために︑ここで保志論文の次の箇所をみておく必

要が

ある

﹁差額地代は︑市場価値法則の﹃貫徹﹄から生じるのであって︑決してその﹃偏侍﹄から生ずるのではない︒商品の価値法

則は︑市場価値法則を媒介として貫徹する︒すなわち︑同一一様類の諸商品の生産者たちの聞の競争を通じて︑相異なる但別的

諸価値は一つの社会的価値︑即ち市場価値に均等化される︒この市場価値の姿態において︑﹃価値の本性﹄はみずからを表示

する

ところで︑差額地代は︑独占されうる自然力の利用と結びついた労働の自然発生的生産力の増大から発するものであるが︑ ︒

︑ . ︑ .

︑ . ︑ .

︑ . ︑ .

この土地のつきものである﹃白然力﹄は﹃問題の生産部面の一般的諸条件に属するものではなく︑また一般的に産出されうる

差額地代の価値的基礎について

(20)

差額地代の価値的基礎について

もの

たる

当該

生産

部面

の諸

条件

に属

する

もの

では

ない

﹄(

関与

注目

子切

凸・

回二

山・

33

から︑つまり資本によって産出し得ない

生産条件であるが故に︑個別的価値の社会的価値への均等化に参加し得ず︑それを除いた﹃一般的生産諸条件﹄の均等化で一

つの市場価値が規定される︒かくて市場調整的生産価格は最劣等地となるので差別は固定化される︒又︑市場価値成立のためには︑市場に投ぜられた商品総量が社会的欲望が要求する分量を充足するということが前提である︒しかるに農業生産におい

ては︑土地の有限性という条件下にあって︑優良地のみでは需要を満たし得ず︑最劣等地の生産価格が︑市場調節的価格たらざるを得ない︒差額地代は︑土地という﹃一般的﹄ならざる生産条件の下において︑市場価値規定の貫徹の結果生じるのであ

って

決し

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の﹃

偏侍

﹄か

ら生

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もの

では

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︒﹂

(円

土地

制度

史学

﹄第

四O号︑五ページ︑ゴチは井上﹀ 二O

きて︑工業の場合を考えてみると︑工業でも上︑中︑下の諸企業によって生産が行われるわけであり︑需給の一致 を前提としてみた場合︑その需要にこたえる供給のなかにも最悪の企業の生産物が存在するととは当然であるが︑こ の場合最悪の企業の生産物の供給がなくては全需要を充たせないので︑最悪の企業の生産が必要であり︑最悪の企業 にも平均利潤が確保されねばならない︑などという暴論が成立しえないことはいうまでもないし︑久留島氏もそのよ

うな主張をされているわけでは決してないことはいうまでもない︒

では農業の場合﹁優良地のみでは需給を充たしえず﹂

﹁最劣等地での供給不可欠﹂ということは何を意味するの

か︒それは︑マルクスの﹁表一﹂ではA︑B︑

c

︑Dでの総供給量一

O

グオーダーが全需要を充たしており︑その場

合価値と価格の一致が前提されている︑ということなのであるが︑ではこの場合︑なぜ

A地の個別的価値が農産物の

市場価値を規定するのか︑しかも個別的価値の総計二四

0

シリングであるものが六

00

シリングの市場価値として成

立するのは何故か︑という点が難問として残るのであって︑私はこの点を︑﹃資本論﹄冒頭から展開されるマルクス

怖値論の発展として理解することが︑差額地代ーのもっとも重要な点だったと考えるのである︒そして︑優良地のみ

(21)

で需要は充たしえず︑最劣等地での供給不可欠ということそれ自体は正しいのであるが︑このことが︑最劣等地の生

産物の個別的価値が市場価値を規定するのはなぜか︑そして個別的価値と市場価値の総計における不一致があっても

価値法則の貫徹であるといえるのはなぜか︑を説明する根拠となるとは考えられないのである︒また工業では最劣等

の企業では平均利潤を入手できないのであるが︑農業では最劣等地の経営でも平均利潤を入手できる︑とされている

のであるが︑ではなぜそうなるのであるか︑が問題なのであって︑農業では最劣等地の経営も平均利潤を入手できる

から︑農産物の市場価値は最劣等地の個別的価値によって規定される︑というだけの説明では不十分だと考えるので

ある︒また︑川その根拠は︑土地における豊度の差異と︑土地経営の独占による︑という点についても︑この二重の

特殊性が最劣等地の個別的価値をして市場価値たらしめるのではあるが︑この場合︑個別的価値と市場価値との総計

における不一致があっても︑なぜそれが価値法則を侵害せず︑価値法則の貫徹なのかを解明することが肝要だったと

思うのである︒

それ故︑川この最劣等地の個別的価値が市場価値を規制するのは価値法則と矛盾するものではなく︑まさに価値法

則が貫徹していることを示すものである︑ということは結論として正当であるが︑この結論的命題を内容的に説明す

ることが地代論論争のポイントだったのである︒そこでマルクスの﹁虚偽の社会的価値﹂に関する問題提起の前提か

らの考察が心要となるのであって︑その前提が﹁資本的条件日平均原理︑土地的条件U限界原理﹂ということだった

のであり︑井上の所説が﹁資本的条件日平均原理︑土地的条件H限界原理﹂説なのではなくマルクスの問題提起がそ

うなっていたのである︒この点私は次のようにのべている︒

﹁商品の価値の大きさはその生産に必要な労働時間によってきまり︑この労働時間は労働の生産力を構成している

差額

地代

の価

値的

基礎

につ

いて

(22)

差額

地代

の価

値的

基礎

につ

いて

種々の要因の諸変動につれて変動する︒が﹃なかんづく︑労働者の熟練の平均度・科学およびその技術的な応用可能

性の発展段階・生産過程の社会的結合・諸生産手段の範開および作用能力・によって︑また自然諸関係によって︑規

定さ

れて

いる

﹄︿

民間

1E

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・訳

ω

二二

ペー

ジ)

この労働の生産力ハ日生産性)を大別すれば︑﹃社会的生産力﹄

と﹃目然(発生﹀的生産力﹄とに分けられる︒自然的生産力は労働の自然的条件にいわば受動的・消槌的に依存してお

り︑本源的になんらの費用も要しない無償の白然力として人為的にこれを再生産しえないものである︒これに対し社

会的生産力は自然的諸条件の能動的・積極的利用に基づいており︑資本および労働そのものから発生するものとして

人為的に再住産することができる︒

ところで問題は︑この無償の自然発生的生産力が︑さらに誰にでも利用可能な無限の自然力

1 1

日光︑引力︑蒸気

の弾力性

l l

等と︑本来無償の自然力であるにもかかわらず︑有限な独占しうるものであるため︑一定の社会的条件

のもとでは無償で使用しえない有償の自然力(日土地)とに区別されるという点である︒ぞれ故生産諸条件は︑これ

を資本が自由に創造し︑もしくは無償で自由に利用しうる諸条件と︑資本の自由に創造し利用しえない有限な拙占さ

れうる自然的諸条件とに大別できる︒たとえば硲正天氏は前者を資本的条件(あるいは経営的条件)︑後者を土地的

条件と名づけ︑次のように述べている︒﹃ここに最劣等なる生産諸条件とは︑厳密には﹁最劣等の︑すなわち何らの

地代をももたらさざる土地﹂の意味であって︑いわば土地的条件の意である︒ひろく生産諸条件というときには︑資

本から独立せるものとしての土地的条件のほかに︑資本自らが造り出しこれに従属する諸々の続首的諸条件をも含み

うるのである︒したがって農産物の場合にも︑土地的諸条件と経営的諸条件とがいろいろな仕方で結合しうるのであ

って︑たとえば最劣等地における農業生産も種々なる程度における︑したがってより榎良な経営的条件をもちうるわ

(23)

けである︒しかしかかる経営上の諸条件の優劣の差異は︑人為的経過的性質なものであって︑直接には地代とは無関

係であるQしたがって当面の問題についていえば︑われわれは経堂的諸条件の差異は︑これを捨象すべきであり︑い

わばそれはすべて同一であると前提しなければならぬ︒問題はただ土地的諸条件の差異にのみ限定されるべきであ

る︒しからばここにいう土地的諸条件とは何か︒差額地代に関するかぎりにおいては﹁相等しい面積の種々なる土地に

充用せられたる等しい大きさの資本から生ずる不等の諸結果﹂が問題である︒これらの不等な諸結果を生ぜしむる︑

一般的な︑資本(すなわち経営的諸条件)から独立せる原因としては︑土地の自然的豊鏡性と位置とがあげられ︑7

る︒われわれは以下︑後者を考慮外におさ︑前者のみをとりあげることとするQしたがって土地的条件とは︑ひとま

ず土地の自然的豊能性のことである﹄(﹃日本農業の諸問題﹄︑三O

七ペ

ージ

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﹃地

代の

理論

﹄一

五三

四ペ

ージ

)︒

乙のように土地的条件と資本的条件(経営的条件)についての説明は︑酪正夫氏の用語を私が正しいものとして踏

襲させていただいたものである︒いわゆる﹁平均原理﹂と﹁限界原理﹂の矛眉説なるものは︑このニ条件を同一視す

ることから生ずる謬説であること︑マルクスにあっては︑﹁平均原理﹂は資本的条件において貫徹されており︑ただ

土地的条件の場合のみ﹁限界原理﹂が成立するにすぎないことを明らかにしたのである︒そして︑このことが価値法

則の貫徹の結果なのである︒なぜなら︑一般に独占されえない自然的諸条件は新設企業がいつでも自由に無償で使用

できるし︑このような自然力は︑資本に包摂され︑資本の生産力として︑資本的条件そのものに付随する一要素なので

あるが︑有限な土地的条件は明らかにこれとは異なっている︒差額地代の考察において問題となるのは独占されうる

有限な自然力たる土地的条件である︒この有限な独占的自然力に起因する例外的生産力により︑優等地の経営は同一

時間内により多くの商品を生産し︑商品一個当りの個別的価値を小さくする︒しかし︑農産物にあっても︑その価値

差額

地代

の価

値的

基礎

につ

いて

(24)

差額

地代

の価

値的

基礎

につ

いて

は個別的価値ではなく社会的価値︑市場価値である︒そして農産物の市場価値は最劣等地の生産物の平均的個別的価

値によって規定される︒なぜなら︑最劣等地の資本といえども︑それは社会的・標準的生産諸条件をもっ平均資本の

投下が前提とされており︑平均利潤を入手することが前提となっているからである︒この資本は工業では平均利潤を

入手しており︑資本にとっては利潤が目的なので︑農業︑工業のいずれに資本を投下するかは資本家にとってはどう

でもよいのである︒もし農業で平均利潤を入手できなければ︑資本はそこを引上げる︒この結果︑優等地の商品の個別

的価値はより大なる市場価値に社会的行為によって換算され︑ここに両者の差額"超過利潤が生ずる︒地主はこの超

過利潤を地代として要求する︒だからマルクスの表一において︑A地の生産物一グオーダーは︑需給一致の前提を与

えられた条件下で︑社会の需要を満たすに必要な供給量の一部分を構成しており︑このことは同時に︑A地の投下資本

は社会的・標準的生産諾条件と熟練と強度の平均度をもっ労働を充用しているが故に︑平均利潤を入手しているとと

になるのである︒また︑したがって右の生産諸条件のなかには土地的条件ば含まれていないのであって︑このよ︑つな

事態は資本制生産様式の基礎上での競争という社会的行為によるものであり︑競争は︑事後的にではあれ︑結局は資

本家が平均利潤を入手し︑地主が超過利潤を入手する傾向を生み出すのである︒土地的条件によって発生した超過利

潤は地主の対抗力によって資本によって一般化されることなく︑平均利潤の形成にも参加せず︑地代として地主の所

得となる︒しかし︑﹁一定の生産部面における資本が何らかの理由で均等化の過程に捲きこまれなくても︑何の変り

もないであろう︒その場合には平均利潤は︑社会資本のうち均等化過程に入りこむ部分に基づいて計算されるだけで

ある

﹂︿

岡田

町民

同日

・日

ω ‑ H 2

・訳川二六一二ページ)だけである︒だから私は次のようにのべたのである︒

﹁農業における超過利潤は︑商品の一般的生産価格のうちへ規定的に入りこむのではなく︑一般的生産価格を前提

(25)

としており︑この利潤は常に︑独占された自然力を自由にしている個別資本の個別的生産価格と︑問題の生産部門一

般に投下された資本の一般的生産価格との差額から発生するのである︒

独占的自然力が有限であり︑かつ経済的豊度および位置を異にしているため﹃土地経営の独占﹄が生まれ︑この結

果独占的農業経営が入手する差額地代部分が一般的利潤率の形成に参加しないということほ︑農産物の市場価値が独

占的自然力をその自然的基礎として成立する超過利潤とは無関係に成立しているということである@つまり資本的・

経堂的条件は社会的・標準的であり︑土地的条件は相対的にゼロであるところの最劣等地で︑農産物の一般的生産価

格が成立している︑ということである︒すなわち土地的条件日限界原理であり︑農産物の市場価値が土地的条件の相

対的いいゼロであるところで決定されることの必然性は︑山田氏がレlニンに依拠して強調した土地の有限性をその自

然的基礎とする土地経営の独占と︑土地豊度の不等性および漸減性をその自然的基礎とする各経営資本の生産力の不

等性および漸減性という﹃二重の特殊性﹄をもっ農業生産部門に資本の競争が行われ︑市場価値法則が貫徹した結果

なのである︒かくして土地的条件H限界原理の成立や︑最劣等地の標準的経営の生産物による市場価値の決定という

事態は吋資本論﹄官頭の価値規定の貫徹であって︑﹃資本論﹄回目頭の社会的必要労働時間の規定は独占されうる土地

的生産条件を除いた・資本の自由にしうる生産諸条件

! l

つまり資本自体の創造しうる生産諸条件か︑または自然の

ままで︑すべての資本の自由になる限りでの生産諸条件

1

1が標準的であって︑しかもそこでの生産の主体的要因たる

労働力も平均労働であるという前提のもとで︑何らかの使用価値を生産するのに必要な労働時間なのである︒したが

ってマルクスのいう社会的・標準的生産諸条件とは︑いわゆる資本の自由にしうる生産条件のみを意味しているので

ある︒それゆえ﹃資本論﹄の冒頭の﹃社会的必要労働時間﹄の規定における吋社会的・標準的生産諸条件﹄や︑市場

差額

地代

の価

値的

基礎

につ

いて

二五

(26)

差額

地代

の価

値的

基礎

につ

いて

一 一

価値決定の場合のいわゆる﹃組合せ﹄における中位の生産諸条件の中には︑当然有限な土地的条件は含まれない︒﹂

(﹃

農業

経済

学の

基礎

理論

﹄一

O

)

だから﹃土地的条件日限界原理︑資本的・経営的条件日平均原理﹄という視点はマルクスの差額地代Iの解明にあ

たって不可欠の前提であり︑﹁従来の通説とやや異なった﹂ものなどでは勿論ない︒

だが論争課題はまだ残る︒それは﹁生産説﹂と﹁流通説﹂との論争における究極の問題点である︑工業の超過利潤

は個別的生産価格と市場生産価格とのそれぞれの総計の一致において成立しているのに対し︑農業の差額地代は個別

的生産価格と市場生産価格とのそれぞれの総計の不一致において成立している点の差異の労働価値説に基づく解明で

ある︒すなわち︑工業の強められた労働による超過利潤は︑個別的価値の総計と社会的価値(市場価値)の総計とが

プラス・マイナス・ゼロとなるところに生ずるが故に︑価値の実体たる労働の裏付けをもっ真実の価値であるが︑農

業のそれはプラス・マイナス不一致であるところに成立しているが故に︑価値の実体を含まぬ﹁虚偽の社会的価値L

あるとする﹁流通説﹂からの疑問にいかに答えるか︑ということである︒残念ながら久留島氏の著書にはこのいわゆ

る﹁価値の実体欠如説﹂への言及が文字通り欠如している︒だから︑川農産物の市場価値は最劣等地の個別的価値に

よって規定されている││凶その根拠は土地における豊度の差異と土地経営の独占による11川というのは︑優等地

での供給だけでは農産物に対する全需要を充たしえず︑最劣等地での供給が不可欠なものだからである││附そして

この最劣等地の個別的価値が市場価値を規制するのは︑価値法則と矛盾するものではなく︑まさに価値法則が貫徹し

ていることを示すものである︑というにとどまっている︒もちろんこれら四点の指摘はそれ自体正しい指摘である︒

だが次の

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