金 子 芳 夫
妙法蓮華経に見られる個性化過程
―序品におけるマンダラ - ウロボロスと創造神話―
はじめに
本稿は羅什訳『妙法蓮華経』(以下、法華経と略称)28品を個性化過程という視点か ら考察しようとする試論である。つまり法華経はこころの個性化をめざすプロットに なっているということを論ずるのが本旨である。
そもそも個性化とは
C・G・ユングによれば、「私は個性化という表現を、心理的な
個体・すなわち他から分離した分割しえない単位・一つの全体・を作り出す過程とい う意味で使っている」⑴と述べている。この個性化過程をユング派の重鎮エーリッヒ・ノイマンは『意識の起源史』の中で、
歴史的-社会的視点に立って、神話的モチーフを意識の発達度に従って、A. 創造神話、
B. 英雄神話、 C. 変容神話というふうに段階的に配列し、さらに意識の諸段階を表わす
のに、大きくウロボロス、太母、原両親の分離、英雄の誕生、英雄の戦いと勝利、対 立の結合による個性化、というように神話的イメージを使って分類している。しかも 個人意識と人類意識の発達を二重写しにしているという⑵。
このような視点に配慮しつつ、本稿においてまず法華経の序品第一を考察してみた い。
⑴ 『個性化とマンダラ』(1991)p.49
⑵ 林 道義「解説」(エーリッヒ・ノイマン著・林道義訳『意識の起源史 下』紀伊国屋書店
妙法蓮華経に見られる個性化過程
――序品におけるマンダラ-ウロボロスと創造神話――
金 子 芳 夫
はじめに
[1]無量義処三昧に入る
[2]光に照し出された東方仏国土
[3]東方仏国土における仏子・菩薩と法華経各品
[4]創造神話・日月灯明仏因縁譚
[5]日月灯明仏の三乗
[6]仏舎利供養
[7]妙光と求名の役割――老賢人とトリックスター(道化)
[8]まとめにかえて
1991)。なお林道義博士によれば「ノイマンは意識とは本来中心志向をもつものであり、そ のことを自我が自己意識化することこそ自我と自己との一体化であり、それが個性化であ ると理解している‥‥自我が全体性の中心志向を実現する代理機関として生まれてから、
やがて全体性と対立し、最後に再び全体性と結合するまでの全発達過程」(同 p.679)で あると、これを個性化過程と捉えている。
[1]無量義処三昧に入る
本稿が対象としているこの序品⑴には、法華経が説かれる因縁が説かれ、法華経全体 の進むべき道筋が描かれている。それはあたかもマンダラが観想すべき対象であるよ うに⑵、法華経の観想すべき全体を示すものでもある。
このことをユングは「マンダラのなかに描かれた過程をたどる瞑想の目標は、ヨガ
[ママ]行者が『内なる』神に気づくこと・すなわち彼が観想を通じて自分自身を神とし て再認識し、それによって個物の幻影を逃れて神的状態である普遍的な全体性へと回 帰することである」⑶と、また「マンダラは誕生の場所、まさしく誕生の器、仏陀が生 まれる蓮華である。ヨーガ行者は、蓮華に座して不死の姿に変容する自らの姿を見 る」⑷とも述べている。
ところでこの観想すべき対象のマンダラは、経典によれば、釈迦仏が無量義経を説 き終わると、無量義処三昧に入られたことにはじまる。このとき天空から花の雨が降 りそそぎ、大地が震動した。奇瑞を目の前にして不思議に思う弥勒菩薩は見たままの 現象を文殊師利菩薩に語り、その現象が起きる因縁を問うている。これに答えた文殊 は過去仏・日月灯明仏の最後の同名仏にも、このような現象が現われることを理由に、
これから釈迦仏によって法華経が説かれようとする前兆であると答えた。
そこでまず、この間における釈迦仏と日月灯明仏との発光前のシチュエーション(場 面設定)を、現在進行形にある釈迦仏の仕草・動作やその周囲の大衆と周辺環境の変 化を描写する経典編纂者自身の記述と、その場面を見て伝える弥勒の口述による偈文、
そして過去の日月灯明仏の記憶を想起して伝える文殊の口述による散文と偈文とを、
その対応関係に沿って表に示せば、以下の【表1】のようになっている。
なお下記【表1】の「6 東方仏土の様相」の経典編纂者〈6〉、これに対応する弥 勒の口述〈6*〉や文殊の散文《6》・口述《6*》の相当箇所は、次章に述べるので簡略 化してある。
【表1】「発光前のシチュエーション」
仏 名
項 目 釈迦仏【現在】 日月灯明仏【過去】
経典編纂者 弥勒口述(偈) 文殊口述(散) 文殊口述(偈)
1 四 衆 に 囲 遶 さ れ て 無 量 義 経 を 説 く
〈1〉爾時世尊。四 衆圍繞。供養恭敬 尊重讃歎。爲諸菩 薩説大乘經。名無 量 義 教 菩 薩 法 佛 所護念。(大正9 p.2b)
《1》是時日月燈明 佛。説大乘經。名 無 量 義 教 菩 薩 法 佛所護念。(大正 9 p.4a)
《1*》時佛説大乘 經 名 無 量 義 於 諸 大 衆 中 而 爲 廣分別(大正9 p.4b)
2 無 量 義 処 三 昧 に
入る 〈2〉佛説此經已。
結加趺坐。入於無 量義處三昧。身心 不動。
《2》説是經已。即 於 大 衆 中 結 加 趺 坐。入於無量義處 三昧。身心不動。
《2*》佛説此經已 即 於 法 座 上 加 趺 坐 三 昧 名 無 量義處
3 天 空 か ら 花 の 雨
が降り注ぐ 〈3〉是時天雨曼陀 羅華。摩訶曼陀羅 華。曼殊沙華。摩 訶曼殊沙華。而散 佛上及諸大衆。
〈3*〉雨曼陀羅 曼 殊 沙 華 栴 檀 香 風 悦 可 衆 心
(大正9 p.2c)
《3》是時天雨曼陀 羅華。摩訶曼陀羅 華。曼殊沙華。摩 訶曼殊沙華。而散 佛上及諸大衆。
《3*》天雨曼陀羅 天鼓自然鳴
4 仏 の 世 界 が 六 種
に震動する 〈4〉普佛世界六種 震動。‥‥是諸大 衆得未曾有。歡喜 合掌一心觀佛。
〈4*〉地皆嚴淨 而 此 世 界 六 種 震動
《4》普佛世界六種 震動。‥‥是諸大 衆得未曾有。歡喜 合掌一心觀佛
《4*》一切諸佛土 即時大震動
5 仏 の 眉 間 よ り 光 が 東 方 世 界 を 照 し出す
〈5〉爾時佛放眉間 白毫相光。照東方 萬八千世界。靡不 周遍。
〈5*〉眉間光明 照 于 東 方 萬 八 千土
《5》爾時如來放眉 間白毫相光。照東 方萬八千佛土。靡 不周遍。
《5*》佛放眉間光 現 諸 希 有 事 此 光 照 東 方 萬 八 千佛土
6 東方仏土の様相 〈6〉下 至 阿 鼻 地 獄。上至阿迦尼吒 天。‥‥
〈6*〉從阿鼻獄
上至有頂 ‥‥ 《6》如今所見是諸
佛土。‥‥ 《6*》示一切衆生 生死業報處 ‥‥
この【表1】「発光前のシチュエーション」(入定から発光に至るまでの場面)は、
経典編纂者の番号で言えば〈1〉世尊が四衆に囲まれ菩薩のために大乗経の無量義・教 菩薩法・仏所護念というものを説き、〈2〉その経を説いた後、無量義処三昧に入ると、
〈3〉天空から花の雨が降り注ぎ、〈4〉仏世界が六種に震動し、〈5〉仏の眉間⑸より発す る光が東方にある一万八千の仏国土⑹を照し出し、次に〈6〉その東方仏国土の様相が 語られる。
このうち〈1〉〜〈6〉は【表1】に示したように、弥勒菩薩による釈迦仏の奇瑞を 伝える偈文をはじめ、文殊菩薩による過去の日月灯明仏の奇瑞を思い起こした散文や 偈文もほぼ全同である。とは言うものの、確かに弥勒の偈文〈1*〉〈2*〉に省略された 箇所があるにはあるが、これは経典編纂者の叙述をうけての質問であるので、無量義 経を説かれた後であることは容易に分かる文脈となっている。しかし〈6〉の具象的な
事柄になると、弥勒の偈と文珠の偈に差異があったり、文殊の散文では省略という形 で述べられていたりする。これについては次の章で改めて考察することにする。
この【表1】から解るように、釈迦仏のときも、それを現に目の当たりにしている 弥勒も、また文殊の語る過去の日月灯明仏にも、同じ現象が起きていることで、この 現象が普遍性をもっていることを示しているのだが、この奇瑞なる現象を祝すが如く、
天空からの花の雨が地上に集まるものたちに降りそそぐのは天の国と地上、すなわち 神の超越性と人間の生命とを象徴し、父なる天空が雨を介して母なる大地に生命を与 えているように、地上の衆生に生命の息吹を与えようとしていると理解できる。
また、大地ににわかに起こる震動は原始仏教聖典の『大般涅槃経』によればその因 縁を8つあげ、その最初の因縁として、虚空に風が起き、大海を波立たせ、大地が震 動すると⑺、当時は考えていた。虚空に風が起こることは、父性的ウロボロス⑻の自己 創造に関わっていることを窺わせる。しかも法華経の真実が説き明かされようとする 経旨からすると、大地が震動する8つの因縁のうち第6番目「初転法輪」にも関わっ ている⑼と言えよう。
続けて釈迦仏の説法後、無量義処三昧に入られると眉間白毫相より光が発せられる。
もともと三昧は無意識との接触をはかることであり、無量義処三昧は無量なる義を生 じさせる拠り所に焦点を当てた三昧という意⑽からして、諸法の実相をさし、三昧によ るエネルギーが仏の眉間より発する光となれば、その光の投影された世界が実相とい うことになろうが、その東方仏国土の様相については次節で述べる。
なお東の方向について一言添えれば「夜の海の航海(夜の航海)」⑾を予想せしめる ものがある。つまり死と再生である。
さらに眉間より発する光について付け加えると、光のもつシンボルは非常に強烈な 男性性で、父とか魔神とか神とかのイメージと結びついた「上なる」超越的なもので ある⑿。しかし一方で、クンダリニー・ヨーガのチャクラの7つのうち一つの眉間に、
ヨーガの瞑想によって根のチャクラにある女性的エネルギーを上昇させると、チャク ラが開く⒀、とも言われている。こうした光に焦点をあてれば、無知なる闇を打ち破る 父性的ウロボロスをイメージさせ、またチャクラに焦点をあてれば、何かを生み出そ うとする母性的ウロボロスをイメージさせる。このいずれもこれから展開する法華経 の個性化過程に現われることを予想せしめていると言えよう。
⑴ 「序」は、諸橋轍次『大漢和辞典』巻四の(p.550)によれば、❶かき。かべ。堂の東西の かべ。❷ひさし。夾室。堂の序の外。❸まなびや。学校。❹ついで。順。敍に通ず。❺つ いでる。㋑次第をわけさだめる。㋺次第がさだまる。㋩後を承けてかはる。順をおふ。㋥
つぐ。つづける。㋭かさねる。㋬つらねる。ならべる。㋣かざる。㋠のべる。次第ただし くいひつらねる。❻いとぐち。はし。すぢ。❼はしがき。❽序文を書く。❾或は㘧に作る。
❿姓。徐に通ず。などとある。また小川環樹・西田太一郎・赤塚 忠 編『角川新字源』(p.327)
には、①かき(牆)。家の東西にあるかき。②まなびや。中国古代の学校。③のべる。順序
を追って申し述べる。④ついで。順序。次第。⑤ついず。順序だてる。⑥はし。いとぐち。
⑦はしがき。文体の名。などとある。いとぐちほどの意であろう。ちなみに、闍那崛多共 笈多訳『添品妙法蓮華経』は「序品第一」、竺法護訳『正法華経』は「光瑞品第一」、梵文 は「NidAna(因縁、いわれ、序)」となっている。
⑵ エーリッヒ・ノイマンは「成熟した人間に浮かんできたマンダラ-ウロボロスのシンボル 体系は、彼が今『満足して』いるこの世界から再び自由になり、自己自身に到着しなけれ ばならないことを暗示している」(『意識の起源史(上)』(1991)p.78)と。また「全体性 構造は心の中心としての自己の中枢とともに、マンダラ・中心をもった円・両性具有的な 存在であるウロボロス・として象徴される」(『意識の起源史(下)』(1991)p.621)と言っ ている。
⑶ 『個性化とマンダラ』(1991)p.179
⑷ 同上書 p.27
⑸ 大人三十二相の一つ。岡田行弘「三十二大人相の系統⑴」(『印度学仏教学研究』第38巻第 1号、平成元年12月)、福原隆善「仏典における白毫相」(『印度学仏教学研究』第41巻第1 号、平成3年12月)など参照。
⑹ 『妙法蓮華経』には「東方萬八千世界」(p.2b)「東方萬八千土(佛國界)」(p.2c)「東方萬八 千佛土」(p.4a、p.4c)とあり、『正法華』には「東方萬八千佛土(諸佛國)」(p.63c、p.66a)
「東方萬八千土」(p.64a)「東方佛土」(p.66c)とあり、梵文SP(KN)には「東方一万八千 の仏国土(pUrvasyAM diSi aXTAdaSa-buddhakXetra-sahasrANi)」(p.6、p.20)、「[東方]一 万八千仏国土(aXTAdaSa-buddhakXetra-sahasrANi)」(p.8)、「[東方]一万八千の国土
(aXTAdaSa-kXetra-sahasra)」(p.24)とある。
⑺ DN.16 MahAparinibbAna-s.(大般涅槃経 vol.Ⅱ p.107、南伝7 p.77)に「この大地は 水の上に立ち、水は風の上に立ち、風は虚空の上にある。阿難よ、まことに大風が吹くと き、大風が吹くことによって水は動かされ、動かされた水は地を動かす。これが大きな地 震出現の第一の因、第一の縁である」とある。なおこの経の対応経については、『総覧』(釈 尊伝研究会著 2019)p.1897の事績番号79.301参照。
⑻ 林道義博士の同上書『意識の起源史(下)』「解説」(1991)p.684
⑼ 『大般涅槃経』には大地震出現の8つの因と縁として、上記註⑺の1. 風動・水動・地動
(自然現象)、2. 神通力を有する人(地の想い・水の想い)、3. 菩薩の入胎、4. 菩薩 の出胎、5. さとり、6. 初転法輪、7. 捨寿行、8. 般涅槃をあげるが、その6番目 のである。同上書『釈尊の生涯にそって配列した事績別原始仏教聖典総覧』(CD版、中央 学術研究所 2019)p.1897以下参照。なお『妙法蓮華経』「譬喩品」第三に「(釈提桓因・
梵天王等が告げて)佛昔於波羅㮈。初轉法輪。今乃復轉。無上最大法輪」(大正9 p.12a)
などの記述が見られ、いわば第二の転法輪を示唆している。
⑽ 「無量義(mahA-nirdeSa)」とは、無量に分別せられるもの、これを方便品では「唯、仏と 仏とのみ、乃ち能く諸法の実相を究め尽せばなり」とあるところの諸仏のみの「実相」を いい、その三昧(無量義処三昧)は諸仏のみの「実相」を「基底(pratiXThAna)」とした もの、それが無量に分別されるもの、一実相(全体)である。荻原雲来「無量義とは何か」
(『日本仏教学協会年報』第7 昭和10年)、横超慧日「無量義経」(『印度学仏教学研究』昭 和29年)参照。
⑾ C・G・ユング 野村美紀子訳・秋山さと子解説『変容の象徴 精神分裂病の前駆症状』(筑 摩書房 1988)p.320以下、ならびに河合隼雄『ユング心理学入門』(培風館 1991)p.187
を参照。
⑿ 林道義博士によれば「これは(女性の自我を母性的ウロボロスから切り離す役割を演ずる 父性的ウロボロスは)女性に対して、神的-超越的な恐ろしいもの、侵入するもの、襲う ものと感じられる男性的なものであり、雨・稲妻・光線などによってシンボルされる非常 に強烈な男性性であるが、単に男性的であるにとどまらず、父とか魔神とか神とかのイメー ジと結びついた『上なる』超越的なるものであるため『父性的』とよばれるのであろう」
(同上書『意識の起源史(下)』「解説」(1991)p.685)と述べて居られる。
⒀ 『個性化とマンダラ』(1991)p.265の訳注16
[2]光に照し出された東方仏国土
さて、経文には「そのとき仏は眉間白毫相より光を放ちて(爾時佛放眉間白毫相光)、
東方万八千の世界(仏国土)を照らすに、周遍せざることなく(東方萬八千世界。靡 不周遍)」とあり、続けて経典編纂者は各仏国土の様相を次のように語る。
〈6 1〉「下は阿鼻地獄に至り、上は阿迦尼吒天に至る(下至阿鼻地獄。上至阿迦尼吒 天)」
〈6 2〉「此の世界に於いて、尽く彼の土の六趣の衆生を見(於此世界。盡見彼土六趣 衆生)」
〈6 3〉「又た、彼の土の現在の諸仏を見(又見彼土現在諸佛)」
〈6 4〉「及び、諸仏の説く所の経法を聞き(及聞諸佛所説經法)」
〈6 5〉 「并びに、彼の諸の比丘・比丘尼・優婆塞・優婆夷の、諸の修行によりて道を 得る者を見(并見彼諸比丘比丘尼優婆塞優婆夷諸修行得道者)」
〈6 6〉 「復た、諸の菩薩・摩訶薩の、種種の因縁・種種の信解・種種の相貌によりて 菩薩の道を行ずるを見(復見諸菩薩摩訶薩種種因縁種種信解種種相貌行菩薩 道)」
〈6 7〉「復た、諸仏の般涅槃されるを見(復見諸佛般涅槃者)」
〈6 8〉 「復た、諸仏の般涅槃の後に、仏の舎利を以て七宝塔を起つるを見る(復見諸 佛般涅槃後以佛舍利起七寶塔)」
とあり⑴、この不可思議な現象を見た弥勒菩薩は文珠菩薩にその理由を問うときに、偈 文で東方仏土の様相を語っている。そこには仏国土(器世間)と、その中の六趣の衆 生(衆生世間)、現在の諸仏、諸仏の説く所の経法、諸の修行によって道を得る者、菩 薩の道を行ずる者、諸仏の般涅槃、仏の舎利を以て七宝塔の建立に至る、不可思議な 仏国土の様相が見られる、と。これに答えた文殊は同様の現象が過去世における日月 灯明仏にもあり、この現象には普遍性があることを述べようとしている。
そこで釈迦仏と日月灯明仏の現象を比較し、時間を超えて共通することを示すため に、経典編纂者による釈迦仏の照らし出す東方仏国土の様相を伝える叙述と、弥勒に
よる同じ釈迦仏の東方仏土を語る口述偈文、また文珠による過去世の日月灯明仏の照 らし出す東方仏国土を回顧する口述散文、ならびに同様の文殊による口述偈文を、そ れぞれの対応関係に沿って表示すると、下記のような釈迦仏と日月灯明仏の【表2】
「東方仏国土の様相」となる。
ただし、【表2】「6 6 菩薩」の経典編纂者の叙述〈6 6〉に対応する弥勒や文殊の 相当箇所、例えば弥勒の口述偈文〈6* 6 1〉などのように、項目「6 6 菩薩」は後に 述べるので省いてある。
【表2】「東方仏国土の様相」
仏 名
項 目 釈迦仏【現在】 日月灯明仏【過去】
経典編纂者 弥勒口述(偈) 文殊口述(散) 文殊口述(偈)
6 1 欲界・色界 〈6 1〉下至阿鼻地 獄。上至阿迦尼吒 天(大正9 p.2b)
〈6* 1〉皆如金色 從阿鼻獄 上至有 頂(大正9 p.2c)
《6 1〜8》如今所見 是諸佛土。彌勒當 知。(大正9 p.4a)
《6* 1》
6 2 六趣衆生 〈6 2〉於此世界。盡 見 彼 土 六 趣 衆 生。
(大正9 p.2b)
〈6* 1〉諸世界中 六道衆生 生死所 趣 善惡業縁 受 報好醜 於此悉見
(大正9 p.2c)
《6* 2》示一切衆生 生死業報處(大正 9 p.4c)
6 3 仏 〈6 3〉又見彼土現 在諸佛。(大正9 p.2b)
〈6* 3〉又覩諸佛 聖主師子(大正9 p.2c)
《6* 3 1》有見諸佛 土 以衆寶莊嚴 琉璃頗梨色 斯由 佛光照(大正9 p.4c)
《6* 3 2》及見諸天 人 龍神夜叉衆 乾闥緊那羅 各供 養其佛(大正9 p.4c)
《6* 3 3》又見諸如 來 自然成佛道 身色如金山 端嚴 甚微妙 如淨琉璃 中 内 現 眞 金 像
(大正9 p.4c)
6 4 法 〈6 4〉及聞諸佛所 説經法。(大正9 p.2b)
〈6* 4〉演説經典 微妙第一 其聲清 淨 出柔軟音 教 諸菩薩 無數億萬 梵音深妙 令人樂 聞 各於世界 講 説正法 種種因縁 以無量喩 照明佛 法 開悟衆生(大 正9 p.2c)
《6* 4》世尊在大衆 敷演深法義(大正 9 p.4c)
6 5 僧(四衆) 〈6 5〉并見彼諸比 丘比丘尼優婆塞優 婆 夷 諸 修 行 得 道 者。(大正9 p.2b)
〈6* 5〉若人遭苦 厭老病死 爲説涅 槃 盡諸苦際 若 人有福 曾供養佛 志求勝法 爲説縁 覺 若有佛子 修 種種行 求無上慧 爲説淨道(大正9 p.2c)
《6* 5 1》一一諸佛 土 聲聞衆無數 因佛光所照 悉見 彼大衆(大正9 p.4c)
《6* 5 2》或有諸比 丘 在於山林中 精進持淨戒 猶如 護明珠(大正9 p.4c)
6 6 菩薩 〈6 6〉復見諸菩薩 摩訶薩種種因縁種 種信解種種相貌行 菩薩道。(大正9 p.2b)
〈6* 6 1〉我見彼土 恒沙菩薩 種種因 縁 而求佛道 … 以下略…(大正9 p.3a)
《6* 6 1》又見諸菩 薩 行施忍辱等 其數如恒沙 斯由 佛光照 …以下 略…(大正9 p.4c)
6 7 般涅槃 〈6 7〉復見諸佛般 涅槃者。(大正9 p.2b)
〈6* 7〉又有菩薩 佛滅度後 供養舍 利(大正9 p.3b)
6 8 舎利塔 〈6 8〉復見諸佛般 涅槃後以佛舍利起 七寶塔。(大正9 p.2b)
〈6* 8〉又見佛子 造諸塔廟 無數恒 沙 嚴飾國界 寶 塔高妙 五千由旬 縱廣正等 二千由 旬 一一塔廟 各 千幢幡 珠交露幔 寶鈴和鳴 諸天龍 神 人及非人 香 華伎樂 常以供養 文殊師利 諸佛子 等 爲供舍利 嚴 飾塔廟 國界自然 殊特妙好 如天樹 王 其華開敷(大 正9 p.3b)
このように東方に映し出された世界は、経典の編纂者の番号で言えば、〈6 1〉仏国 土、〈6 2〉衆生、〈6 3〉仏・〈6 4〉法・〈6 5〉僧、〈6 6〉菩薩、〈6 7〉仏般涅槃、〈6 8〉仏舎利起塔である⑵。仏国土に輪廻する衆生、つまり迷える衆生がいて、仏教の基 本構造である三宝、これに菩薩と仏身という2つのテーマが加っている。このように 全8つのテーマが過去の日月灯明仏と現在の釈迦仏に取り上げられているということ は、発光前のシチュエーション(場面設定)と同様に普遍的な事象であると同時に、
8つの要素からなる相、いわば観想されるべきマンダラの世界─「8」という数字は、
後に触れるようにユングのいう「完成された(精神的な)状態」─であることを物語 ろうとしていると言えよう。
もっとも文殊の口述による散文には「今見る所の、是の諸仏土の如し」とあって、
釈迦仏が映し出した東方仏土と同じであるとして省略されているし、また偈文では経 典編纂者の番号〈6 7〉〈6 8〉が欠落しているものの、最後の過去仏・日月灯明仏自身 の般涅槃と舎利起塔に関する偈文(【表5】「日月灯明仏因縁譚」の項目11を参照)で は取り上げられているので、過去・現在を一貫している普遍的な事象と理解していた と見ても差し支えないであろう。
なお最後の過去仏である日月灯明仏の偈文箇所については、後の[6]「仏舎利供 養」で再説する。
さて釈迦仏や日月灯明仏が大乗経の無量義経を説き終わった後、無量義処三昧によ って、仏の眉間より発せられた光が、暗黒のうちに闇の東方世界を照らし出したとい うことは、仏のさとりを光という智慧によって明かしていると見ることができ、いわ ばここで描かれる東方世界は仏自身の実相⑶、仏の自内証知を投影したものであるとい えるものであろう。
また〈6 1〉〈6 2〉の器世間・衆生世間についてであるが、なぜ光に照らし出された のが「下の阿鼻地獄から上の阿迦尼吒天に至るまで」なのかという疑問が起こると思 われるが⑷、これには恐らく釈迦仏の入滅と深く関わっているように考えられる。すな わち『大般涅槃経』によれば釈迦仏が下化衆生を旨とする成道後の人生をおくられた のであるが、最晩年にヴェーサーリーのチャーパーラー塔廟での悪魔からの入滅の誘 いに対し、救済されるべき衆生がいる限り入滅しないと宣言されつつも、悪魔の勧め に応じて入滅を決意された⑸。そしてクシナガラの地で入滅に際し四禅[色界]から四 無色定[無色界]に入って、そこから戻って四禅の第四禅、すなわち色界の最上で入 滅されたという伝承⑹は、後世の法華経伝承者にとって色界で入滅されたことを衆生済 度の立場から、敢えて無色界には入らず、欲界から色界に住し続けていると解して、
「下は阿鼻地獄至り、上は阿迦尼吒天に至るまで」を救済されるべき領域とし、その世 界を光に照らし出されたとしたのではないかと思われる⑺。
また特に注目されるべきは、三宝の仏を述べる段の文殊の偈文《6* 3 1》〜《6* 3 3》
であろう。日月灯明仏の光を発した東方仏国土には、仏を供養する諸の天・人、竜・
神・夜叉衆、乾闥・緊那羅がいて、それらが取り囲む中心に仏である「真金の像」⑻が 現われると《6
*
3 3》にあるのは、まさにマンダラの世界を如実に物語っていると言 えよう。ただしこの文殊による最後の日月灯明仏に関する偈文以外の他の資料にはこ のような明確な表現は見出せないが、背景には釈迦仏に対しても同じような意味合い を持っているように思われる。また経典編纂者の散文〈6 4〉の「法」と同〈6 5〉の「僧(四衆)」は三宝の一つと して「法」と「サンガ」が挙げられていると推定されるが、これに加えて同〈6 6〉の
「菩薩」は、従来のサンガとは別の法華経独自の取り上げられ方がされているように思
われる。この点については次章でさらにとり上げたい。
⑴ 大正9 p.2b
⑵ 藤井教公「世親『法華論』訳注⑴」(『北海道大学文学研究科紀要』105、2001.11.30)の「五 依止説因成就」p.79以降を参照。
⑶ 序品の末尾に「今の相は本の瑞の如し 是れ諸仏の方便なり。今の仏が光明を放ちたもう も 実相の義を助発せんがためなり(今相如本瑞 是諸佛方便 今佛放光明 助發實相 義)」(大正9 p.5b)とあり、また方便品にも実相が「唯だ仏と仏のみ、乃ち能く諸法の 実相を究尽される(唯佛與佛乃能究盡諸法實相)」(大正9 p.5c)という経文の主旨から も明らかであろう。
⑷ 仏教の世界観からすれば、三界(欲界・色界・無色界)のうち無色界は物質を超えた世界 で、特別な果報を得たものが死後に生まれるとする。したがって欲界の六道から色界の最 高にある有頂天までが実質的な世界となる。なお法華経の他の箇所でも、例えば「法師功 徳品」第十九に「是善男子善女人。父母所生清淨肉眼。見於三千大千世界。内外所有山林 河海。下至阿鼻地獄。上至有頂。亦見其中一切衆生。及業因縁果報生處。悉見悉知」(大正 9 p.47c)、同「若於大衆中 以無所畏心 説是法華經 汝聽其功徳 是人得八百 功徳 殊勝眼 以是莊嚴故 其目甚清淨 父母所生眼 悉見三千界 内外彌樓山 須彌及鐵圍 并諸餘山林 大海江河水 下至阿鼻獄 上至有頂處 其中諸衆生 一切皆悉見 雖未得天 眼 肉眼力如是」(大正9 p.47c)とある。
⑸ DN.16 MahAparinibbAna-s.(大般涅槃経 vol.Ⅱ p.104、南伝7 p.72)によれば、悪魔 による入滅の勧めで入滅を決意される(捨寿行)。また同経(vol.Ⅱ p.112、南伝7 p.83)
によれば、成道時と最晩年の捨寿行時に悪魔から入滅を勧められたことになっている。
⑹ 同上DN.16(vol.Ⅱ p.156、南伝7 p.145)
⑺ 釈尊は最後の第四禅で入滅されたが、これに関して『法華経』「如来寿量品」第十六に「我 本菩薩の道を行じて成ぜし所の寿命、今猶、未だ尽きずして、複た上の数に倍せり(我本 行菩薩道所成壽命。今猶未盡復倍上數)」(大正9 p.42c)とあり、久遠仏としての釈尊の 永遠性を暗示している。つまり法華経の伝承者は仏の慈悲が届く範囲を、欲界はもとより 色界の第四禅に至る間で、釈迦仏との再会が果たせると考えたのではなかろうか。ただし 一仏一世界の原則がはたらくので、未来世(56億7千万年後)に弥勒菩薩が弥勒仏となる までの間ではあろうが。田村芳朗『法華経』(中公新書196 中央公論社 1980)p.115以下 参照。
⑻ 梵 文SP(KN)の 67 偈 で は「黄 金 の 柱(svarNayUpa)」(p.24 l.7)と か「黄 金 の 円 盤
(svarNabimba)」(p.24 l.8)とある。なお黄金仏の象徴的意味合いについては『元型と象徴 の事典』に「黄金仏は、全仏教徒の最終目標でもある解脱の成就を表わしているのである。
これを全うするためには数々の邪悪なものに立ち向かわねばならないが、その意味すると ころは、すべての相反するものを認識し一つの完全体に統合する過程を経なければ、真の 精神の解放などありえないということである」(p.481)とある。
[3]東方仏国土における仏子・菩薩と法華経各品
ユングは「初回の夢が全体の見通しを与える」⑴と述べているように、無量義処三昧 により眉間から発せられた光が東方仏国土を現わし、その国土の様相が法華経の全体
を見通すマンダラの如きものであるとしたら、これと法華経各品との間にどのような 構図が見出されるかを指し示すことができれば、序品のもつ意味がより明らかになる であろう。
最初に釈迦仏が照らし出した東方仏土における菩薩と仏子たちの様相を告げる、
「A.経典編纂者の散文」と、「B.弥勒口述の偈文」と、さらに日月灯明仏が照らし出 した東方仏土の諸菩薩の様相を告げる、「C.文殊口述の散文」と「D.文殊口述の偈 文」の事例データ数を表わした【表3】「事例データ数」(東方仏土の菩薩・仏子が登 場する事例データ数)を、まず下に掲げると、
【表3】「事例データ数」
仏 名
語り手 釈迦仏[現在] 日月灯明仏[過去]
菩薩 仏子 王 菩薩 仏子
A 経典編纂者の散文 1 0 0
B 弥彌口述の偈文 17 6 1
C 文殊口述の散文 0 0
D 文殊口述の偈文 3 0
となる。
上記の事例データ数からもわかるように、過去の日月灯明仏における東方仏土の菩 薩・仏子が登場する事例データ数に比べて、明らかに釈迦仏の方が圧倒的に多いこと が了解されるであろう。それだけ弥勒菩薩が見た現在の釈迦仏が写し出す東方仏土の 方が過去の日月灯明仏よりも、菩薩・仏子の事例が多岐にわたり、また多彩であるこ とを予想させる。
次にその具体的な事例を示すことにする。なお釈迦仏のカッコ〈 〉内の番号、あ るいは日月灯明仏のカッコ《 》内の番号は一連の通し番号である。
まず経典編纂者による散文から紹介する。
A
.経典編纂者の散文〈6 6〉 経典編纂者散文(菩薩)「復見諸菩薩摩訶薩。種種因縁種種信解種種相貌。
行菩薩道」(大正9
p.
2b
)とあるのに対して、弥勒の口述による偈文は、以下のようである。
B
.弥勒口述の偈文弥勒の口述による偈文は、適宜テーマごとに20項目(ア〜テ)に分類し、これに対 応するであろうと思われる法華経各品の相当箇所をその下に下線を付して紹介する。
なお例えば、序品の偈の後の(菩薩)(仏子)(諸王)は、それぞれ菩薩、仏子、王 が主辞であることを示し、また序品の偈の下に紹介す法華経各品、例えば「分別功徳 品」第十七の後の[弥]は弥勒菩薩の登場する品、また[文]とあれば文殊師利菩薩
の登場する品であることを示している。
ア.総論(菩薩の求仏道)
〈6* 6 1〉 序品の偈(菩薩)「我見彼土 恒沙菩薩 種種因縁 而求佛道」(大正9
p.3a)
・ 「従地涌出品」第十五[弥]「一一諸菩薩(=地涌の菩薩) 所將諸眷屬 其數無 有量 如恒河沙等 或有大菩薩 將六萬恒沙 如是諸大衆 一心求佛道」(大正 9 p.40c)
イ.布施
〈6* 6 2〉 序品の偈(菩薩)「或有行施 金銀珊瑚 眞珠摩尼 車 馬腦 金剛諸 珍 奴婢車乘 寶飾輦輿 歡喜布施 迴向佛道 願得是乘 三界第一 諸佛所歎」(大正9 p.3a)
〈6* 6 3〉序品の偈(菩薩)「或有菩薩 駟馬寶車 欄楯華蓋 軒飾布施」
〈6* 6 4〉序品の偈(菩薩)「復見菩薩 身肉手足 及妻子施 求無上道」
〈6* 6 5〉序品の偈(菩薩)「又見菩薩 頭目身體 欣樂施與 求佛智慧」
・ 「提婆達多品」第十二[文]「吾(=釈迦仏)於過去無量劫中。……爲欲滿足六 波羅蜜。勤行布施。心無悋惜象馬七珍國城妻子奴婢僕從。頭目髓腦身肉手足不 惜躯命」(大正9 p.34b)
・ 「分別功徳品」第十七[弥]「若人求佛慧 於八十萬億 那由他劫數 行五波羅 蜜 於是諸劫中 布施供養佛 及縁覺弟子 并諸菩薩衆 珍異之飮食 上服與 臥具 栴檀立精舍 以園林莊嚴 如是等布施 種種皆微妙 盡此諸劫數 以迴 向佛道」(大正9 p.45a)
・ 「隨喜功徳品」第十八[弥]「如是等在衆生數者。有人求福。隨其所欲娯樂之具 皆給與之。一一衆生與滿閻浮提金銀琉璃車 馬腦珊瑚虎珀諸妙珍寶及象馬車乘 七寶所成宮殿樓閣等。是大施主。如是布施滿八十年已。而作是念。……」(大正 9 p.46c)
ウ.諸王の出家
〈6* 6 6〉 序品の偈(諸王)「我見諸王 往詣佛所 問無上道 便捨樂土 宮殿臣 妾 剃除鬚髮 而被法服」(大正9 p.3a)
・ 「薬草喩品」第五「一切衆生 聞我法者 隨力所受 住於諸地 或處人天 轉輪 聖王 釋梵諸王 是小藥草 知無漏法」(大正9 p.20a)
・ 「安楽行品」第十四[文]「又夢作國王 捨宮殿眷屬 及上妙五欲 行詣於道場 在菩提樹下 而處師子座 求道過七日 得諸佛之智 ……」(大正9 p.39c)
エ.経典読誦
〈6* 6 7〉 序品の偈(菩薩)「或見菩薩 而作比丘 獨處閑靜 樂誦經典」(大正9 p.3a)
・ 「法師品」第十 ①「若説法之人 獨在空閑處 寂寞無人聲 讀誦此經典 我爾 時爲現 清淨光明身」(大正9 p.32b)
・ 「法師品」第十 ②「若人具是徳 或爲四衆説 空處讀誦經 皆得見我身」(大正 9 p.32b)
オ.禅定
〈6* 6 8〉 序品の偈(菩薩)「又見菩薩 勇猛精進 入於深山 思惟佛道」(大正9
p.3a)
〈6* 6 9〉序品の偈(菩薩)「又見離欲 常處空閑 深修禪定 得五神通」
〈6* 6 10〉序品の偈(菩薩)「又見菩薩 安禪合掌 以千萬偈 讃諸法王」
・ 「薬草喩品」第五「獨處山林 常行禪定 得縁覺證 是中藥草」(大正9 p.20a)
・ 「化城喩品」第七「諸比丘。若如來自知涅槃時到。衆又清淨信解堅固。了達空 法。深入禪定。便集諸菩薩及聲聞衆。爲説是經」(大正9 p.25c)
・ 「分別功徳品」第十七[弥]「其大菩薩衆 執七寶幡蓋 高妙萬億種 次第至梵 天 一一諸佛前 寶幢懸勝幡 亦以千萬偈 歌詠諸如來」(大正9 p.44c)
カ.受持
〈6* 6 11〉 序品の偈(菩薩)「復見菩薩 智深志固 能問諸佛 聞悉受持」(大正 9 p.3a)
・ 「法師品」第十「其有衆生求佛道者。若見若聞是法華經。聞已信解受持者。當知 是人。得近阿耨多羅三藐三菩提」(大正9 p.31c)
キ.説法教化
〈6* 6 12〉 序品の偈(仏子)「又見佛子 定慧具足 以無量喩 爲衆講法 欣樂説 法 化諸菩薩 破魔兵衆 而撃法鼓」(大正9 p.3a)
・ 「方便品」第二「如是諸人等 漸漸積功徳 具足大悲心 皆已成佛道 但化諸菩 薩 度脱無量衆」(大正9 p.9a)
・ 「安楽行品」第十四[文]「如來亦復如是。以禪定智慧力。得法國土。王於三界。
而諸魔王不肯順伏。如來賢聖諸將與之共戰。其有功者心亦歡喜。於四衆中爲説 諸經。令其心悦。賜以禪定解脱無漏根力諸法之財。又復賜與涅槃之城。言得滅 度。引導其心。令皆歡喜。而不爲説是法華經。……」(大正9 p.39a)
ク.寂然宴黙(孤独・沈黙・謙虚さ)
〈6* 6 13〉 序品の偈(菩薩):「又見菩薩 寂然宴默 天龍恭敬 不以爲喜」(大正 9 p.3a)
・ 「譬喩品」第三「若得作佛時 具三十二相 天人夜叉衆 龍神等恭敬」(大正9 p.11a)
*この一文は、仏となれば天人・竜神等に恭敬されるという意であるが、序品の偈は東方世 界には天竜の恭敬を求めない菩薩を見るということで、そのアンチテーゼを意味する用例
として譬喩品の一文をここでは取り上げた。
・ 「従地涌出品」第十五[弥]「不樂在人衆 常好在禪定 爲求佛道故 於下空中 住」(大正9 p.42a)
ケ.救済
〈6* 6 14〉 序品の偈(菩薩)「又見菩薩 處林放光 濟地獄苦 令入佛道」(大正 9 p.3a)
・ 「方便品」第二「舍利弗當知 我本立誓願 欲令一切衆 如我等無異 如我昔所 願 今者已滿足 化一切衆生 皆令入佛道」(大正9 p.8b)
コ.経行
〈6* 6 15〉 序品の偈(仏子)「又見佛子 未甞睡眠 經行林中 懃求佛道」(大正 9 p.3b)
・ 「分別功徳品」第十七[弥]「又於無數劫 住於空閑處 若坐若經行 除睡常攝 心」(大正9 p.45a)
サ.具戒(威儀)
〈6* 6 16〉 序品の偈(仏子)「又見具戒 威儀無缺 淨如寶珠 以求佛道」(大正 9 p.3b)
・ 「分別功徳品」第十七 ①[弥]「若復持禁戒 清淨無缺漏 求於無上道 諸佛之 所歎」(大正9 p.45a)
・ 「分別功徳品」第十七 ②[弥]「況復持此經 兼布施持戒 忍辱樂禪定 不瞋不 惡口」(大正9 p.46a)
シ.忍辱
〈6* 6 17〉 序品の偈(仏子)「又見佛子 住忍辱力 増上慢人 惡罵捶打 皆悉能 忍 以求佛道」(大正9 p.3b)
・ 「勧持品」第十三「常在大衆中 欲毀我等故 向國王大臣 婆羅門居士 及餘比 丘衆 誹謗説我惡 謂是邪見人 説外道論議 我等敬佛故 悉忍是諸惡 爲斯 所輕言 汝等皆是佛 如此輕慢言 皆當忍受之 濁劫惡世中 多有諸恐怖 惡 鬼入其身 罵詈毀辱我 我等敬信佛 當著忍辱鎧」(大正9 p.36c)
・ 「分別功徳品」第十七[弥]「若復行忍辱 住於調柔地 設衆惡來加 其心不傾 動 諸有得法者 懷於増上慢 爲此所輕惱 如是亦能忍 若復懃精進 志念常 堅固 於無量億劫 一心不懈息」(大正9 p.45a)
ス.親近
〈6* 6 18〉 序品の偈(菩薩)「又見菩薩 離諸戲笑 及癡眷屬 親近智者 一心除 亂 攝念山林 億千萬歳 以求佛道」(大正9 p.3b)
・ 「譬喩品」第三「又舍利弗 若見有人 捨惡知識 親近善友 如是之人 乃可爲 説」(大正9 p.16a)
・ 「法師品」第十「若親近法師 速得菩薩道 隨順是師學 得見恒沙佛」(大正9
p.32b)
*「智者に親近する」という「智者」を、「善友」とか「法師」と捉えて採録した。
・ 「安楽行品」第十四[文]「當安住四法。一者安住菩薩行處及親近處。能爲衆生 演説是經。……」(大正9 p.37a)
*これは四安楽行のうち、第一の身安楽行、以下、第二の口安楽行、第三の意安楽行、第四 の誓願安楽行とが述べられている。
セ.仏・僧への布施
〈6* 6 19〉 序品の偈(菩薩)「或見菩薩 餚饍飮食 百種湯藥 施佛及僧 名衣上 服 價直千萬 或無價衣 施佛及僧 千萬億種 栴檀寶舍 衆妙臥具 施佛及僧 清淨園林 華菓茂盛 流泉浴池 施佛及僧 如是等施 種 果微妙 歡喜無厭 求無上道」(大正9 p.3b)
・ 「分別功徳品」第十七 ①[弥]「若人求佛慧 於八十萬億 那由他劫數 行五波 羅蜜 於是諸劫中 布施供養佛 及縁覺弟子 并諸菩薩衆 珍異之飮食 上服 與臥具 栴檀立精舍 以園林莊嚴」(大正9 p.45a)
・ 「分別功徳品」第十七 ②[弥]「阿逸多。若我滅後聞是經典。有能受持若自書若 教人書。則爲起立僧坊。以赤栴檀作諸殿堂三十有二。高八多羅樹高廣嚴好。百 千比丘於其中止。園林浴池經行禪窟。衣服飮食床褥湯藥。一切樂具充滿其中。
如是僧坊堂閣若干。百千萬億其數無量。以此現前。供養於我及比丘僧」(大正 9 p.45c)
ソ.寂滅法
〈6* 6 20〉 序品の偈(菩薩)「或有菩薩 説寂滅法 種種教詔 無數衆生」(大正 9 p.3b)
・ 「方便品」第二「是故舍利弗 我爲設方便 説諸盡苦道 示之以涅槃 我雖説涅 槃 是亦非眞滅 諸法從本來 常自寂滅相 佛子行道已 來世得作佛」(大正9 p.8b)
・ 「藥草喩品」第五「如彼卉木叢林諸藥草等。而不自知上中下性。如來知是一相一 味之法。所謂解脱相離相滅相。究竟涅槃常寂滅相。終歸於空。佛知是已。觀衆 生心欲而將護之。是故不即爲説一切種智」(大正9 p.19c)
タ.如虚空(不二)
〈6* 6 21〉 序品の偈(菩薩)「或見菩薩 觀諸法性 無有二相 猶如虚空」(大正 9 p.3b)
・ 「安楽行品」第十四 ①[文]「復次菩薩摩訶薩觀一切法空。如實相。不顛倒不動 不退不轉。如虚空無所有性。一切語言道斷。不生不出不起。無名無相實無所有。
無量無邊無礙無障。但以因縁有。從顛倒生故」(大正9 p.37b)
・ 「安楽行品」第十四 ②[文]「觀一切法 皆無所有 猶如虚空 無有堅固 不生 不出 不動不退 常住一相 是名近處」(大正9 p.37c)
チ.妙慧
〈6* 6 22〉 序品の偈(仏子)「又見佛子 心無所著 以此妙慧 求無上道」(大正 9 p.3b)
・ 「方便品」第二「是諸佛但教化菩薩。欲以佛之知見示衆生故。欲以佛之知見悟衆 生故。欲令衆生入佛之知見道故。舍利弗。我今亦復如是。知諸衆生有種種欲深 心所著。隨其本性。以種種因縁譬喩言辭方便力。而爲説法。舍利弗。如此皆爲 得一佛乘一切種智故」(大正9 p.7b)
*序品の「妙慧」は、「一切種智」をさすととらえた。
ツ.舎利供養
〈6* 6 23〉序品の偈(菩薩)「又有菩薩 佛滅度後 供養舍利」(大正9 p.3b)
・ 「方便品」第二「諸佛滅度已 供養舍利者 起萬億種塔 ……」(大正9 p.8c)
・ 「如来寿量品」第十六[弥]「衆見我滅度 廣供養舍利 咸皆懷戀慕 而生渇仰 心」(大正9 p.43b)
・ 「薬王菩薩本事品」第二十三「(日月淨明徳佛の入滅)爾時一切衆生憙見菩薩。
見佛滅度悲感懊惱戀慕於佛。即以海此岸栴檀爲 。供養佛身。而以燒之。火滅 已後。收取舍利。作八萬四千寶瓶。以起八萬四千塔。…」(大正9 p.53c)
テ.起塔
〈6* 6 24〉 序品の偈(仏子)「又見佛子 造諸塔廟 無數恒沙 嚴飾國界 寶塔高 妙 五千由旬 縱廣正等 二千由旬 一一塔廟 各千幢幡 珠交露幔 寶鈴和鳴 諸天龍神 人及非人 香華伎樂 常以供養 文殊師利 諸 佛子等 爲供舍利 嚴飾塔廟 國界自然 殊特妙好 如天樹王 其華 開敷」(大正9 p.3b)
・ 「方便品」第二「諸佛滅度已 供養舍利者 起萬億種塔 金銀及頗梨 車 與馬 腦 玫瑰琉璃珠 清淨廣嚴飾 莊校於諸塔 或有起石廟 栴檀及沈水 木櫁并 餘材 塼瓦泥土等 若於曠野中 積土成佛廟 乃至童子戲 聚沙爲佛塔 如是 諸人等 皆已成佛道」(大正9 p.8c)
・ 「授記品」第六「諸佛滅後 起七寶塔 亦以華香 供養舍利 其最後身 得佛智 慧 成等正覺 國土清淨 度脱無量 萬億衆生 皆爲十方 之所供養」(大正 9
p.
21c
)・ 「分別功徳品」第十七[弥]「以舍利起塔 七寶而莊嚴 表刹甚高廣 漸小至梵 天 寶鈴千萬億 風動出妙音」(大正9
p.
46a
)・ 「薬王菩薩本事品」第二十三「(日月淨明徳佛の入滅)爾時一切衆生憙見菩薩。
見佛滅度悲感懊惱戀慕於佛。即以海此岸栴檀爲 。供養佛身。而以燒之。火滅
已後。收取舍利。作八萬四千寶瓶。以起八萬四千塔。高三世界。表刹莊嚴。垂 諸幡蓋懸衆寶鈴。爾時一切衆生憙見菩薩。復自念言。我雖作是供養心猶未足。
我今當更供養舍利。便語諸菩薩大弟子。及天龍夜叉等…」(大正9 p.53c)
C.文殊口述の散文
文殊による口述の散文箇所には相当する記述が欠落しているので、当然のごとく紹 介すべき資料はない。
D.文殊口述の偈文
最後に、文殊の口述による3つの偈文を紹介する。
《6* 6 1》 文殊偈文(菩薩)「又見諸菩薩 行施忍辱等 其數如恒沙 斯由佛光照」
(大正9 p.4c)
《6* 6 2》 文殊偈文(菩薩)「又見諸菩薩 深入諸禪定 身心寂不動 以求無上道」
(大正9 p.4c)
《6* 6 3》 文殊偈文(菩薩)「又見諸菩薩 知法寂滅相 各於其國土 説法求佛道」
(大正9 p.4c)
以上、「A.経典編纂者の散文」の1データ(菩薩1)、「B.弥勒口述の偈文」の24 データ(菩薩17、仏子6、王1)、「C.文殊口述の散文」のデータなし、「D.文殊口 述の偈文」の3データで、すべて合わせて28データである。これを表にしたのが、以 下の【表4】「東方仏土の菩薩・仏子の様相」である。
【表4】「東方仏土の菩薩・仏子の様相」
No. 分類 A.編纂 B.弥彌偈 主辞 品名 弥/文 C.文殊 D.文殊偈
1 ア.総論 6 6 〈6* 6 1〉 菩薩 従地涌出品第15 弥 2 イ.布施 〈6* 6 2〉
菩薩 提婆達多品第12 分別功徳品第17 隨喜功徳品第18
文 弥 弥
《6* 6 1》
〈6* 6 3〉
〈6* 6 4〉
〈6* 6 5〉
3 ウ. 諸王の
出家 〈6* 6 6〉 王 薬草喩品第5
安楽行品第14 文 4 エ.経典読
誦 〈6* 6 7〉 菩薩 法師品第10① 法師品第10② 5 オ.禅定 〈6* 6 8〉 菩薩 薬草喩品第5 化城喩品第7
分別功徳品第17 弥
《6* 6 2》
〈6* 6 9〉
〈6* 6 10〉
6 カ.受持 〈6* 6 11〉 菩薩 法師品第10
7 キ. 説法教
化 〈6* 6 12〉 仏子 方便品第2
安楽行品第14 文 8 ク. 寂然宴
黙 〈6* 6 13〉 菩薩 譬喩品第3
従地涌出品第15 弥 9 ケ.救済 〈6* 6 14〉 菩薩 方便品第2
10 コ.経行 〈6* 6 15〉 仏子 分別功徳品第17 弥 11 サ.具戒 〈6* 6 16〉 仏子 分別功徳品第17①
分別功徳品第17② 弥 弥 12 シ.忍辱 〈6* 6 17〉 仏子 勧持品第13
分別功徳品第17 弥 《6* 6 1》
14 ス.親近 〈6* 6 18〉 菩薩 譬喩品第3 法師品第10
安楽行品第14 文 15 セ. 仏・僧
へ布施 〈6* 6 19〉 菩薩 分別功徳品第17① 分別功徳品第17② 弥
弥 16 ソ.寂滅法 〈6* 6 20〉 菩薩 方便品第2
薬草喩品第5 《6* 6 3》
17 タ.如虚空 〈6* 6 21〉 菩薩 安楽行品第14①
安楽行品第14② 文 文 18 チ.妙慧 〈6* 6 22〉 仏子 方便品第2
19 ツ. 舎利供
養 〈6* 6 23〉 菩薩 方便品第2 如来寿量品第16
薬王菩薩本事品第23 弥 20 テ.起塔 〈6* 6 24〉 仏子 方便品第2
授記品第6 分別功徳品第17
薬王菩薩本事品第23 弥
このうち主な特徴をあげると、文殊があげる事例、つまり上掲の「D.文殊口述の 偈文」《6* 6 1》〜《6* 6 3》で紹介したように、過去の日月灯明仏の事例には菩薩の みを主辞としてあげるのであるが⑵、弥勒があげる釈迦仏の事例には菩薩以外に、仏子 と王を主辞としてあげている。特に菩薩以外に仏子を掲げる点で、弥勒があげる釈迦 仏の事例の羅什訳法華経における特徴と言えるかも知れない。
この釈迦仏の照らし出した東方仏土の菩薩・仏子について、個々の事例ケースに関 する特徴をあげると、まず経典編纂者の〈6 6〉と弥勒口述の偈文〈6* 6 1〉は、 菩 薩とは仏道を求めるものである という意味で、菩薩の総論的な概念を示していると 受け取れよう。
次に菩薩の各論的な部分であるが、ここでは弥勒の伝える釈迦仏の東方仏土に映し 出される菩薩と文殊が伝える日月灯明仏の東方仏土における菩薩とで、表現に多少の 違いがあってもある概念が共通するような類似表現の事例、例えば〈6* 6 7〉「或見菩 薩 而作比丘 獨處閑靜 樂誦經典」の「独処閑静 楽誦経典」という記述と、「法師
品」第十「若説法之人 獨在空閑處 寂寞無人聲 讀誦此經典 我爾時爲現 清淨光 明身」(大正9 p.32b)の「独在空閑処…読誦此経典」という記述に類似すると思わ れるような場合に、類似する事例として挙げた。
このような弥勒と文殊との間で類似する事例も含めて共通する事例としては、釈迦 仏の照らし出された東方仏土の菩薩の「イ.布施」に関する事例〈6* 6 2〉〈6* 6 3〉
〈6* 6 4〉〈6* 6 5〉〈6* 6 19〉は、日月灯明仏の《6* 6 1》の「施」に対応している。
同様に「オ.禅定」に関する事例〈6* 6 8〉〈6* 6 9〉〈6* 6 10〉〈6* 6 13〉の記述は
《6* 6 2》、また「ソ.寂滅法」(「寂滅の相」)に関する事例〈6* 6 20〉〈6* 6 21〉〈6*
6 22〉の記述は《6* 6 3》、さらに「シ.忍辱」に関する事例〈6* 6 17〉の記述は日 月灯明仏の《6* 6 1》の「忍辱」に相応している。
次に弥勒と文殊と共通しない事例、つまり弥勒になって新たに出現した事例という ことになるが、釈迦仏の「エ.経典読誦」に関する事例〈6* 6 7〉、同じく「カ.受 持」に関する事例〈6* 6 11〉、「キ.説法教化」に関する事例〈6* 6 12〉、以下「ケ.
救済」〈6* 6 14〉、「コ.経行」〈6* 6 15〉、「サ.具戒(威儀)」〈6* 6 16〉、「ス.親 近」〈6* 6 18〉といった事例があげられる。
そのほか経典編纂者の記述には、前章[2]「光に照し出された東方仏国土」の「6 7 般涅槃」の〈6 7〉と「6 8 舎利塔」の〈6 8〉に相当する、「ツ.舎利供養」釈 迦仏の弥勒偈〈6* 6 23〉と「テ.起塔」(塔廟建立)〈6* 6 24〉に関する事例がある が、これは別の章で改めて取り上げることにする。
最後にここで取り上げた全28データのうち、釈迦仏の事例24データに対応する法華 経がどの品であるかを、すでに【表4】「東方仏土の菩薩・仏子の様相」に示してある が、一言述べておきたい。
これは必ずしも厳密で正確な視点で取り上げたものだけではないことをお断りして おきたい。いわば、ある程度の方向性、つまり方便品以下の記述にある品名を示すこ とができれば良しとする程度のものも含まれているということである。
こうした趣旨で取り上げた品名を挙げると、「方便品」第2、「譬喩品」第3、「薬草 喩品」第5、「授記品」第6、「化城喩品」第7、「法師品」第10、「提婆達多品」第12、
「勧持品」第13、「安楽行品」第14、「従地涌出品」第15、「如来寿量品」第16、「分別功 徳品」第17、「隨喜功徳品」第18、「薬王菩薩本事品」第23の14品である。しかもこの うち弥勒なり文殊なりが登場する品は、すでに表で示したように第12・第14・第15・
第16・第17・第18があり、これを含めた全14の品には法華経の中心思想の説かれた箇 所が多く占めていると言えるのではなかろうか。
このようにここで取り上げた東方仏土の菩薩の様相が、すなわち序品の当該箇所が あたかも初回の夢の如くに、釈迦仏のこれから説かんとする法華経の方便品以下の全 体の見通しを与えていると言えよう。
⑴ ユングは「初回夢」について、「最初の夢はしばしば分析の全体としての見通しをあたえ、
さらに夢を見た人の心的葛藤についてセラピストに洞察をあたえることができる 普遍的 イメージ をあらわす」と述べている。カール・G・ユング著者代表 河合隼雄訳者代表
『人間と象徴(下)』(河出書房新社 1992)のp.214、ならびに同書注214(p.289)参照。
⑵ ただし漢訳《6* 6 2》「菩薩」に対応する梵文SP(KN)71偈には「善逝の嫡子たち(putrAH Sugatasya aurasA)」(p.24 l.16)という表現である。また漢訳には「…諸比丘 在於山林 中」(大正9 p.4cの18行目)と「比丘」とある箇所でも、これに対応する梵文SP(KN)
69偈は「人々の指導者(=仏)の子どもたち(putrA naranAyakAnAM)」(p.24 l.12)、すな わち「仏の子どもたち」の意であったりする。
[4]創造神話・日月灯明仏因縁譚
法華経には神話的モチーフを段階的に従った創造神話、英雄神話、変容神話のいず れもが語られているが、そのうち本経の冒頭にある序品では創造神話が語られている。
この創造神話の内容を表をもって紹介すると、以下の【表5】「日月灯明仏因縁譚」
(2万仏最後の日月灯明仏の涅槃と起塔ならびに仏弟子[八王子、徳蔵、妙光、求名な ど])のようになるが、このうち項目番号6の〔6〕と〔6
*
〕の箇所は、前述の[3]「東方仏国土における仏子・菩薩と法華経各品」に相当するので、これを省いて紹介し てあることをご了解いただきたい。
【表5】「日月灯明仏因縁譚」
項目 散/偈 文殊口述(散文) 文殊の口述(偈文)
1 初代の日月灯明仏 〔1〕諸善男子。如過去無量無邊不 可思議阿僧祇劫。爾時有佛。號日 月燈明如來應供正遍知明行足善逝 世間解無上士調御丈夫天人師佛世 尊。演説正法。初善中善後善。其 義深遠。其語巧妙。純一無雜。具 足清白梵行之相。(大正9 p.3c)
〔1*〕我念過去世 無量無數劫 有佛 人中尊 號日月燈明(大正9 p.4b)
2 声聞・縁覚・菩薩 〔2〕爲求聲聞者。説應四諦法。度 生老病死究竟涅槃。爲求辟支佛者。
説應十二因縁法。爲諸菩薩説應六 波羅蜜。令得阿耨多羅三藐三菩提 成一切種智。(大正9 p.3c)
〔2*〕世尊演説法 度無量衆生 無數 億菩薩 令入佛智慧(大正9 p.4b)
3 最後の日月灯明仏(同
一字・同一姓) 〔3〕次復有佛。亦名日月燈明。次 復有佛。亦名日月燈明。如是二萬 佛。皆同一字。號日月燈明。又同 一姓。姓頗羅墮。彌勒當知。初佛 後佛皆同一字。名日月燈明。十號具 足。所可説法初中後善。(大正9 p.3c)
〔3*〕