『鼻奈耶』にあらわれない浄法
山 極 伸 之
1
.はじめに
漢訳律文献中の『鼻奈耶』は,訳出年代の古さから,その重要性が指摘されて きたにもかかわらず,殆ど研究が進んでこなかった文献でもある.平川は,経録 における記述,道安の「毘奈耶序」の内容,訳語の古さなどを踏まえ,竺仏念に よる『鼻奈耶』の訳出が383年であるとし,『十誦律』『四分律』『摩訶僧 律』『五 分律』に先行する古訳時代の律文献であることを明らかにしている1).『鼻奈耶』 は他律のような犍度に該当する部分を有していないため,平川が指摘しているよ うに「不完全な律文献」と言わざるを得ない面もあるが,経分別の成立史を考え る上では無視できない文献である.それにもかかわらず十分な検討が行われてこ なかったのは,漢訳文だけで正確な意味を理解することが極めて困難であること に由来する.一方,因縁譚については『十誦律』とよく対応する箇所を含んでい るため,『十誦律』と同系統の部派に属するものであると位置づけられてきた2). しかしながら,『十誦律』と対応する因縁譚ならびに学処条文の詳細な比較検討 は十分には行われていない.これまで筆者は諸律に見られる浄法の内容を検討 し,そこから仏教教団の変容過程について研究を進めてきた.その中で『鼻奈 耶』と〈パーリ律〉,漢訳諸律とを比較検討する研究も若干行ってきたが3),未 だ残されている問題の一つに,漢訳の「浄」という概念が,いつ,どこから発生 したのかという点がある.この課題を検討していく端緒としてあらためて『鼻奈 耶』を取り上げ,諸律において浄法との関連が顕著である箇所に関して,『鼻奈 耶』がいかなる内容を示しているのかについて検討を行う.2
.捨堕法
1
条
捨堕法1条は直接的に浄法を説くものではないが,内容的に関係が深いことが 確認できる.以下に『鼻奈耶』『十誦律』〈パーリ律〉の捨堕法1条を提示する4). (紙数の関係で原文割愛)[A]『鼻奈耶』尼 耆波逸提1条 【因縁譚】世尊が舎衛城にいた時,跋難陀は衣装を蓄え放置していたために,虫や鼠など が噛んで傷んでしまった.これを見た長者がこの様子を頭陀比丘に伝えたが,比丘たちは どう対応すべきかわからず,世尊に告げた.世尊は学処を定めた.(T24, 874b19–25) 【学処】もし比丘,三衣および一日成衣が有れば,終身にわたり[それを]持つことが出来 る.もしこれを過ぎれば,尼 耆貝逸提(捨堕)となる.(T24, 874b25–27) [B]『十誦律』尼 耆波夜堤1条 【因縁譚】仏が王舎城にいた時,六群比丘は衣服を蓄え,繰り返し衣を取り替えて用いて いた. これを聞いた仏は,衣服を蓄え,繰り返し衣を取り替えて用いるは罪であるとし,学処を 定めた.(T23, 29c27–30a28) 【学処】もし比丘,衣がおわって, 絺那衣を捨ておわってから,余分の衣を蓄えるのは 十日にいたるまではよいが,もしこれを過ぎて蓄えれば,尼 耆波夜提(捨堕)となる. (T23, 30a28-b1)5) ※この後に,「作浄」(浄施)に関する解説が続く.(T23, 30b13–20) [C]〈パーリ律〉Nissagiya-pācittiya no. 1 【因縁譚】世尊がヴェーサーリーにいた時,世尊は諸比丘のために三衣の受持を許可した. これを聞いた六群比丘は,一組の三衣だけでなく,何組かの三衣を保持して活動し,他の 比丘によって「余分の衣」を蓄えていると非難された.そこで世尊は「長衣を蓄えると捨 堕になる」と定める(初制).その後,アーナンダが余分の衣を得たが,サーリプッタにそ れを贈呈したいと考えた.その時サーリプッタはサーケータにいたので,アーナンダはど うやって贈呈すべきかを世尊に尋ねた.世尊が「何日で戻ってこれるか」と尋ねると, アーナンダは「九日か十日で」と答えた.そこで世尊は学処(sikkhāpada)を制定した. (VRI Pār. 302.6–303.11; PTS VP III, 195.4–196.8) 【学処】衣(=作衣の時期)がすでに終わり,カティナ[衣]を捨ててから十日間を最長と して,比丘は余分の衣を保持しても構わない.それを過ぎれば捨堕となる.(VRI Pār. 303.12–13; PTS VP3, 196.9–11) ※この後に,浄施に関する解説が続く.(VRI Pār. 303.19–20; PTS VP3, 196.19–21) 『鼻奈耶』の場合,跋難陀が衣を蓄えていたことが問題となり,三衣と一日成 衣の保持が許され,それを越えると捨堕になる学処が定められる.一日成衣につ いては用例も少なく,具体的な説明もないため,直ちに意味を確定することはで きないが,続く捨堕2条および3条においても言及されており,そこでの内容等 から「[夏安居が終わった後に布施された]一日で衣を完成させることができる
材料」を示すと思われる6).いずれにしても,十日という期限の設定や,禁止さ れた衣を保持することを可能にする手続きに結びつく内容は説かれておらず,因 縁譚・学処ともに浄法とはまったく関係していない.これに対し,『十誦律』の 場合,六群比丘が衣服を蓄えていたことが問題となり,学処が制定される.場所 や比丘名は異なるが,状況は『鼻奈耶』と同じである.ところが因縁譚と学処の 内容は整合しておらず,因縁譚では全く言及されない「作衣」や「 稀那衣」「長 衣の十日保持」が学処に盛り込まれている7).条文だけを見た場合,そこに浄法 の存在は伺えないが,学処に続く条文解釈や判例部分では具体的な「作浄(浄 施)」の内容が説かれており,学処の内容を解釈・説明するに際して浄法が前提 となっている.一方,〈パーリ律〉では,「長衣の十日保持」の因縁が語られてお り,「作衣」や「 稀那衣」などすべての内容を網羅した因縁譚とは言えないも のの,上記二律に比べるとより整合した因縁譚となっている.さらに,「長衣の 十日保持」を説明する部分で,「 余分の衣 とは受持されたものでなく,浄施 (vikappanā)されていないものである」とされ,規定の適用の上で浄施が例外条件 となっていることを示している.これによって,現存する〈パーリ律〉の経分別 が編纂された時点では,浄施がなされた衣に関しては,規則違反とはならないと いう考え方が成立していたこととなる.
3
.捨堕法
10
条
次に取り上げる捨堕10条は,諸律において最も長文の学処が提示される特異 な規則である.ここでは『鼻奈耶』と『十誦律』のみを提示する8). [A]『鼻奈耶』尼 耆波逸提10条 【因縁譚】仏が舎衛国におられた時,憂填王は舎衛の比丘の衣の状態が悪いことを聞いた. そこで婆羅門を派遣し衣直を持たせて舎衛の比丘に与えさせたが,比丘たちは「世尊は衣 直を取ることを許可しておらず,出来上がった衣ならば取ることができます」と答えた. 使者は比丘に「だれか衣を買うことの出来る人はいませんか」と尋ねたが,比丘はどうす べきか知らなかったので,世尊にこのことを伝えた.世尊は学処を定めた.(T24, 876a29– b6) 【学処】比丘が衣を買うことを望む場合は,よく見知った守園人あるいは五戒を保つ賢者 の助けを借りる.その比丘はかの買衣人に『この場合[あなた]は買衣人ではありません. [衣]直にもとづいて市に出かけ,衣を手に買ってください』と言う.この人が市あるい は銭肆(銭の店)あるいは金銀肆あるいは銅鉄肆あるいは綿絹絲肆に至り,[その]人が 中に入って坐ったら,比丘は四,五,六回までは行って黙然して前に立ち,それで得られればよい.もし六回をこえて更に行って求めれば捨堕となる.もし衣が得られなければ,自 分で出かけて行くか,使者を派遣してその物を得た家に至らせ,衣直を施してくれた人の 前で,使者としてやって来た者は『これこれという比丘は[衣を]得ることができません でした.ご自分で出かけて行って,[衣直を]求めて取り返してください.比丘が得たと 言ってはなりません.[ご自分の]物を無駄にしてはなりません』と言え.(T24, 876b6–14) [B]『十誦律』尼 耆波夜堤10条 【因縁譚】仏が舎衛国におられた時,ある居士が使者を派遣して跋難陀に衣直を送った. 使者は跋難陀が商人の子と一緒にいる所に到着し用件を伝えた.そこで跋難陀は商人の子 に「この衣直を君が受け取って勘定した上で預かっておいてくれ.浄人が見つかったら取 りに来るから」と告げ,商人の子は言われた通り勘定をして預かった.その時舎衛国の 人々に集会があり,その集会には欠席者に罰金を科すという規則があった.商人の子が戸 締まりをして集会に出かけようとしたところ,跋難陀が浄人を連れて衣直を取りにやって きた.商人の子は集会のことを話して待ってくれるよう頼んだが,跋難陀が承諾しないた め,衣直を用意して集会に参加することが出来ず罰金を払わされた.そこで商人の子は比 丘を非難し,人々も比丘たちを非難した.この事を聞いて,世尊が学処を定めた.(T23, 46c12–47a9) 【学処】もし比丘のために,王あるいは王臣あるいは婆羅門,居士を派遣して衣直を送っ たとしよう.この使者が比丘の所に至って次のように言う「大徳よ,王あるいは王臣,婆 羅門,居士がこの衣直を送りました.あなたは受け取って下さい」と.比丘は次のように 言うべきである「私は比丘の法により,衣直を受け取ることができません.もし衣を必要 とする時は,浄衣を得るならば自分の手で受けて速やかに衣を作って保持します」と.こ の使者は比丘に言う「大徳よ,執事人にして,よく比丘のために執事をする者はいますか」 と.この比丘は,「この人は,よく比丘のために執事をします.」と,執事人あるいはサン ガの園民あるいは優婆塞を示すべきである.この使者は執事人のところに行って次のよう に言うべきである「よいかな,執事さん,あなたはこの衣直を受け取って,これこれの衣 を作って某比丘に与えてください.この比丘が,比丘衣を必要とする時がきたならば,あ なたは衣を与えてください」と.この使いは語り終わったら,比丘の所に戻って報告すべ きである「私は既に語り終えました.大徳よ,もし衣が必要な時は,[執事人のところに] 行って受け取ってください.まさにあなたに衣を与えるべきであります」と.この比丘は 衣が必要になり,執事人のところに行ったならば次のように言うべきである「私は衣が必 要である」と.二回三回と行って衣を求めて,それで得られれば問題はない.もし得られ ない場合は,四回五回六回まで執事の前に行って,沈黙して立つべきである.もし四回五 回六回まで沈黙して立って衣が得られれば問題はない.もし得られない場合,これを過ぎ て衣を求めれば尼 耆波逸提である.もし衣が得られない場合は,衣直を送ってきた所に 従って,自分であるいは使者を派遣して言うべきである「あなたが送ってくれた衣直を私 は得ることができませんでした.あなたは自分の物を知って,失うことがありませんよう に」と.これが正しい対応の仕方である.(T24, 47a9–27)
『鼻奈耶』の因縁譚は非常に短く簡潔であるが,学処制定の経緯と,学処の内 容とが合致している.衣直を受け取ることを世尊が許可していなかったことを発 端として,「知識守園人」と「五戒賢者」が認められるのであり,因縁部分と学 処は整合している.他律と異なり執事人には一切言及していないが,そこにも不 整合はない.つまり『鼻奈耶』の因縁譚は,学処制定に至る経緯を必要最小限の 形で語るものと理解できる.一方『十誦律』の場合,ここでも因縁譚と学処の内 容とが整合しないものとなっている.まず,衣直を預けるのが「商人子」とされ ており,執事人などの特殊な在家者を想定していない.「商人子」は単に衣直を 預かる役目を担っているだけで,彼が衣直を衣に替えるわけではない.それは一 緒に連れて行く浄人の役割であり,浄人が彼から比丘の受け取ることの出来ない 衣直を受け取って,それをさらに衣に替えるという手順を示している.因縁譚で は執事人について全く言及していないが,学処は執事人の存在が前提となって規 定されており,因縁譚と学処の内容が乖離している.またこの矛盾が『鼻奈耶』 以外の諸律の捨堕10条に共通した問題点となっている点にも留意する必要があ る9).
4
.波逸堤法
68
条
最後に,波逸堤法68条を取り上げる.これも直接的に浄法を説くものではな いが,他律の学処に浄法が登場することから比較検討を行う必要がある10). [A]『鼻奈耶』波逸堤法68条 【因縁譚】世尊が舎衛国 樹給孤獨園にいた時,跋難陀は売衣が余ったので,比丘尼に与 えた.後に,借りてから着用された衣が傷んでしまったので,価値を損なったと責めた. この様子を十二法比丘が聞き,世尊に告げた.これを聞いた世尊は学処を定めた.(T24, 890b16–19) 【学処】もし比丘,売衣が余り,比丘あるいは比丘尼,式 摩尼,沙彌,沙彌尼に与えて, 借りて着用された衣が傷んで戻ってきた時に,その価値について責めるならば[波逸堤の 罪に]墮す.(T24, 890b19–21) [B]『十誦律』尼 耆波夜堤68条 【因縁譚】仏が王舎城におられた時,怠惰な性質の六群比丘は自分で衣を洗濯,修繕,裁 縫しなかった.彼らは衣にその必要が生じると,比丘・比丘尼・式 摩那・沙弥・沙弥尼 にそれらの衣を与え,洗濯,修繕,裁縫が終わった時に戻り,与えた比丘などに返還を求 め,返還されない時には強引に衣を奪い返した.これを聞いた仏は,衣を与えておきながら強引に奪い返すのは罪であるとし,学処を定めた.(T23, 114b29-c24) 【学処】もし比丘,他の比丘・比丘尼・式 摩尼・沙彌・沙彌尼衣に衣を与え,それらの者 たちが返さないのを強奪して取って着ければ,波逸提となる.(T23, 114c24–26)11) ※この後に,「作浄」(浄施)に関する解説が続く.(T23, 114c29–115a20) [C]〈パーリ律〉Pācittiya no. 59 【因縁譚】世尊がサーヴァッティーにいた時,ウパナンダは共住(saddhivihārika)の比丘に 自ら衣を浄施し(vikappetvā),返還されていないのに(apaccuddhāraṇaṃ)使用した.これ を聞いた世尊は,ウパナンダを呵責してから学処を制定した.(VRI Pāc, 163.15–164.2; PTS VP4, 121.14–29) 【学処】およそ比丘が,比丘あるいは比丘尼あるいは式 摩那あるいは沙弥あるいは沙弥 尼に自ら衣を浄施して,返還されていないのに使用すれば波逸提となる.(VRI Pāc, 164.3– 4; PTS VP4, 121.30–33) ※この後に,浄施に関する解説が続く.(VRI Pāc, 164.14–165.2; PTS VP4, 122.9–18) 『鼻奈耶』の場合,比丘尼などに一旦与えた衣が傷んだことを責めるならば波 逸堤になるとされるのみで,因縁譚・学処ともに浄法との関連は説かれていな い.一方,『十誦律』では因縁譚・学処ともに浄法は説かれないが,条文解釈と 判例部分には「現前作浄」という浄法が示されている.これは〈パーリ律〉『四 分律』など諸律に見られる「現前浄施」「展転浄施」と対応するものであり,浄 施を用いた運用方法が明らかに前提となっている.さらに〈パーリ律〉では,上 記二律には登場しなかった浄施を示すvikappetvāの語が学処条文そのものの中に 組み込まれており,律の運用を学処条文にまで反映させる段階を示していると考 えられる.
5
.おわりに
諸律において浄法との関連が顕著である三箇所について,『鼻奈耶』の記述内 容を確認した.以上の内容を踏まえて,現時点で『鼻奈耶』に関して指摘しうる 留意点をまとめると以下の通りである. ①『鼻奈耶』には浄法の存在を示す記述そのものが存在しない12). ②結集に関わる記述を持たないため,十事を巡る問題に関わる「浄」の事例が 存在しない. ③学処・因縁譚ともに『十誦律』と一定の共通性が見られる. ④『鼻奈耶』の組織形態を律蔵としてどう位置づけるべきかが課題である.『鼻奈耶』は特殊な律文献であるため,そこに浄法を示す記述が見られないから といって,直ちに明確な結論を導きだせるものではない.しかし,学処と因縁譚 に限って言えば,経分別としての組織を十分に備えており,条文解釈や判例を殆 ど有していなくとも,律としての機能が果たせないわけではない.その学処と因 縁譚に浄法がみられないことから,『鼻奈耶』が編まれた時点で,浄法が存在し ていなかった可能性が考えられる.この律が,なぜ学処と因縁譚だけから構成さ れたのかという問題とあわせて,少なくとも浄法が全く含まれていない点は,浄 法の成立状況を考える上できわめて重要な要素の一つである.これら,今回の検 討を踏まえ,浄法をめぐる状況について次のようにまとめることができる. (1) 『鼻奈耶』タイプから『十誦律』タイプへの律蔵の展開過程で,浄法が組 み込まれるようになった可能が高い. (2) 学処でvikappanāを説く〈パーリ律〉波逸堤59条は,『鼻奈耶』『十誦律』 よりも学処の新しい段階を示している. (3)「浄」という語が,いつから,いかなる意味で使用されるようになったか は不明である. このように未だ解明されていない問題点も多い.上記の諸点を踏まえながら, さらに浄法の起源と発展の歴史について,関連する諸資料を精査しながら検討を 継続していく必要がある. 1)平川(1999, 162–166).あわせて船山(2019, 218)参照. 2)平川(1999, 168).『鼻奈耶』に見いだされる阿闍世説話と有部系文献との近親性につ いては,山極1999参照.『鼻奈耶』と『十誦律』に見られる因縁譚の共通性については 奥村2000参照. 3)因縁譚との関係については山極1999, 浄法との関係については山極2002参照. 4)〈パーリ律〉『十誦律』が示す内容ならびに浄法との関係については山極2009; 2014参照. 5)対応するサンスクリット語資料については山極2014参照. 6)「一日成衣」の語は『鼻奈耶』に,①僧残法第3条の因縁譚(T24, 862a23–24),②捨堕 第1条の学処条文(T24, 874b26),③捨堕第2条の学処条文(T24, 874c3),④捨堕第3条 の学処条文(T24, 875a23)の四例がある.また,『十誦律』にも一例,⑤犍度の衣法の状 況設定の描写部分(T23, 201a28)が存在する. 7)ここでは因縁譚と学処条文が整合していないという事実を指摘するにとどめるが,が, 諸律の経分別には同様の事例が多数存在している.このような事例を詳しく検討してい くことは,現存する諸律の学処がいつ成立したのかを考える上で重要な資料となる.こ の点については,山極2002参照. 8)捨堕10条の学処と因縁譚に関する比較検討については,山極2002参照. 9)山極2002参照. 10)『十誦律』の内容については山極2014を,〈パーリ律〉の内容については山極2009参照.
11)対応するサンスクリット語資料については山極2014参照. 12)「浄」の語の使用例は多数あるが,「浄行」(T24, 852b7–8)「不浄行」(T24, 852b16–17), 「婬不浄」(T24, 860c5),「浄油」(T24, 865c18),「清浄梵行」(T24, 867c21)等,いわゆる 不浄行に関する用例が殆どであり,一部に文字通り「清らか」であることを示す事例が 見いだされる. 〈略号表〉
VRI Pāc = Vinayapiṭake Pācittiyapāḷi: Devanāgarī Edition of the Pāli Text of the Chaṭṭha Saṅgāyana. Dhammagiri-Pāli-Ganthamālā 88. Igatapurī: Vipaśyanā Viśodhana Vinyāsa, 1998.
VRI Pār = Vinayapiṭake Pārājikapāli: Devanāgarī Edition of the Pāli Text of the Chaṭṭha Saṅgāyana. Dhammagiri-Pāli-Ganthamālā 87. Igatapurī: Vipaśyanā Viśodhana Vinyāsa, 1998.
PTS = Pāli Text Society.
VP = The Vinaya Piṭakam: One of the Principal Buddhist Holy Scriptures in the Pāli Language. Ed. Hermann Oldenberg. 5vols. London: Pali Text Society, 1929–1964.
〈参考文献〉 奥村浩基2000「『鼻奈耶』と『十誦律』」『パーリ学仏教文化学』14: 69–71. 平川彰(1960)1999『律蔵の研究』1,平川彰著作集9,春秋社. 船山徹2019『六朝隨唐仏教展開史』法蔵館. 山極伸之1999「律蔵にあらわれる阿闍世と韋堤希」『佛教大学綜合研究所紀要別冊 浄土教 の総合的研究』35–67. ― 2002「学処条文と因縁物語の不整合にみられる律蔵成立史上の諸問題―特に尼 耆波逸堤(捨堕)第10条をめぐって―」『櫻部建博士喜寿記念論集 初期仏教からアビ ダルマへ』法蔵館,199–216. ― 2009「律蔵が示す浄施の種々相」『日本佛教学会年報』74: 231–252. ― 2014「十誦律にみられる浄法」『法然仏教の諸相 藤本淨彦先生古稀記念論文集』法 蔵館,21–46. 〈キーワード〉 説一切有部,『十誦律』,〈パーリ律〉,波羅提木 ,学処 (佛教大学教授,博士(文学))