• 検索結果がありません。

旧産炭地の子どもの居場所づくりにおける 解放子ども会指導者の役割に関する研究 [ PDF

N/A
N/A
Protected

Academic year: 2021

シェア "旧産炭地の子どもの居場所づくりにおける 解放子ども会指導者の役割に関する研究 [ PDF"

Copied!
4
0
0

読み込み中.... (全文を見る)

全文

(1)旧産炭地の子どもの居場所づくりにおける 解放子ども会指導者の役割に関する研究 キーワード:生活と教育,旧産炭地と教育,部落問題,同和行政,同和教育,子どもの居場所 教育システム専攻 中嶋 亮太 序章. を解明することは、貧困や格差の問題がクローズアップ. 第 1 節 問題の所在. されている現代において、教育がどのように応えていけ. 日本社会では今、孤独と競争の中で貧困や格差の問題. るのかを考える上で重要な意味を持っている。. が大きく叫ばれるようになっている。教育学の領域にお. また、解放子ども会は貧困や格差の中で生活する子ど. いても、貧困や格差の問題は重要なテーマとして注目が. もたちの居場所としての役割を果たしてきたと考えられ. 集まっている。社会教育学の領域においては、小川利夫. る。 「学校に行かない・行けない」子どもの居場所に関す. が教育福祉という視点から、生活と教育の問題について. る先行研究で主として取り上げられているのは、精神的. 考察してきた。しかし、社会教育学領域において社会教. なことが要因であるものである。本研究は、貧困や格差. 育実践を生活との関連の中で問題にしていく姿勢は研究. といった生活問題との関わりで社会教育を考えていくも. 蓄積としてはまだまだ少ない。また、学校教育の領域に. のである。つまり低階層の「学校に行かない・行けない」. おいても、子どもの生活環境に学校現場がどのように対. 子どもの居場所における教育活動の現実を明らかにする. 応していくのかという視点は弱いといえる。. ものである。被差別部落の子どもたちの多くは、差別に. 近年の貧困・格差といった生活問題への関心の高まり. よって引き起こされた貧困等の社会的不利益のために長. と、こうした研究動向を踏まえ、本論文は構想されたも. 期欠席となりがちであった。したがって部落解放子ども. のであり、その答えの一つとして筆者が考えるのが、旧. 会は、低階層の「学校に行かない・行けない」子どもの. 産炭地の部落地域における子ども会活動である。. 居場所としての役割を担ってきたといえるのではないか。. 旧産炭地に着目することは、今現代社会で関心が高ま. そしてその解放子ども会の中でもっとも重要な役割. っている貧困や格差の問題、またそれに対応する社会教. を果たしていると筆者が考えるのが、地域の「解放子ど. 育実践の課題をみていくことにつながると考える。それ. も会指導員」である。子ども会は、遊びと生活の場とし. は、戦後復興期そして高度経済成長期において、大量の. て、仲間づくりの場として、部落問題と自らの関わりを. 失業と生活保護世帯の増加という現代社会における貧困. 見つめる場として、 家庭の教育機能を補完する場として、. や格差の問題と通じる社会的課題を日本の中でもいち早. 大きな役割を担っており、その活動を支える中心にいた. く抱えたと考えられるからである。そのため、現代の社. のは地域の「解放子ども会指導員」であるということを. 会教育実践においてどのような取り組みが必要であるの. 本論文の中で考察していく。これまでの解放子ども会活. かを検討することにつながる本研究は重要な意味を持つ. 動と「解放子ども会指導員」の役割を普遍的な文脈に位. と考える。なかでも本論で取り上げる筑豊地域は、エネ. 置づけなおし、その意義を普遍的な言語で語ることによ. ルギー革命の中で生活環境の大規模な変化を余儀なくさ. って、貧困や格差といった生活問題に対する今後の社会. れた地域である。社会構造の転換による厳しい生活現実. 教育活動への示唆を引き出すことができるはずである。. の中で、社会教育は何かしらの対策を講じざるを得なか. 第 2 節 研究方法と本論の構成. ったはずである。. 解放子ども会活動のリアルな現実を探るため、フィール. さらに、被差別部落地域の子ども会活動に着目するの. ドワークをおこない、事例を観察する。フィールドワー. は、部落地域が旧産炭地である筑豊地域の中でも、さら. クは嘉麻市碓井地区(旧碓井町)解放子ども会熊本支部. に貧困や格差の問題が表面化している地域であり、社会. での参与観察による。また解放子ども会指導者や活動に. 教育の必要性が緊急に迫られていた地域であると考えら. 参加している子ども、かつて参加していた青年へのイン. れるからである。そのような厳しい状況の中で、地域が. タビュー調査も用いる。. どのような対応をし、どのような教育が行ってきたのか.

(2) 第1章 同和問題の概要と部落解放運動団体. 存在していた格差は大きく改善された。これは、同和対. 同和問題の概要と同和行政の確立について述べてい. 策事業特別措置法をはじめとする特別措置法が制定され. く。ここでは、1965(昭和 40)年の同和対策審議会の答. たことがもとにあるものだが、特別措置法制定は、解放. 申の下、政府が同和問題をどのように捉え、特別措置法. 運動団体の運動の成果である。ここでは特別措置法の制. でどのような対策を講じていったのかを調査する。それ. 定に至るまでに運動を施してきた、部落解放運動団体に. を受けて、特別措置法の失効を迎えたいま、現状はどう. ついて調査する。. 変わり、またどのような課題を残しているのかをまとめ る。また、それらの特別措置法の制定に至るまでに運動 を施してきた、部落解放運動団体について調査する 第1節 同和問題とは何か ここでは同和問題の概要について述べる。同和問題は、. 第 2 章 旧産炭地筑豊と旧碓井町 第 2 章では、旧産炭地筑豊とその筑豊地域に位置する 旧碓井町の概要と問題、現状について述べる旧碓井町の 旧産炭地筑豊における位置づけを踏まえ、旧碓井町がい. 人類普遍の原理である人間の自由と平等に関する問題で. ったいどのような地域であるのかを調査する。旧碓井町. あり、同時に日本国憲法によって保障された基本的人権. の行政が同和対策事業を施していく背景には、旧碓井町. に関する問題でもある。明治時代に入ると身分制度は法. の人口の変化、産業の変化も大きく関わっていると考え. 的には廃止されたのだが、精神的・社会的・経済的差別. られる。. は残った。具体的な差別の内容は、個人においては交際. 第 1 節 旧産炭地筑豊の概要. や結婚や就職、集落においてはインフラの整備における. 明治時代に入り、殖産興業政策が実施される中、地域. 公然とした不利益などである。. 内で産出される石炭資源に注目した財閥・資本家が炭鉱. 第 2 節 同和行政の確立. 開発を推進したことで、日本最大の産炭地として筑豊炭. 1965(昭和 40)年の同和対策審議会の答申の下、政府. 田が栄えたのである。第二次世界大戦後も長い間、炭田. が同和問題をどのように捉え、特別措置法でどのような. としては日本一の石炭産出量を誇っていた。しかし 1950. 対策を講じていったのかを調査する。. 年代から始まったエネルギー革命が起こり、エネルギー. 第 3 節 同和問題の現状と主な課題. 源の主体が石炭から石油に移行したことで急速に衰退が. 同和地区実態把握等調査の結果からみても、これまで. 進み、1976 年(昭和 51 年)にはすべての炭鉱が閉山し. の対策によって、対象地域においては生活改善をはじめ. た。炭鉱の閉山後は自治体の財政基盤が失われるととも. とする物的な基盤整備がおおむね完了するなど着実に成. に、 多数の失業者が発生し、 人口の流出が急激に進んだ。. 果をあげ、様々な面で存在していた格差は大きく改善さ. また、生活保護受給者が急激に増え、筑豊地区は日本で. れたことが関係者のほぼ共通の認識として示された。し. も屈指の受給率である。. かしながら、高等学校や大学への進学率に見られるよう. 第 2 節 旧碓井町の概要. な教育の問題、 これと密接に関連する不安定就労の問題、. 本研究のフィールドとなる「旧碓井町」の解放子ども. 産業面の問題など格差がなお存在している分野がみられ、. 会は、単に旧産炭地という視点や筑豊という視点だけで. 差別意識については着実に解消に向けて進んでいるもの. はみえてこないであろう。 旧産炭地筑豊といっても広く、. の結婚問題を中心に依然として根深く存在していること. 炭鉱の規模や経済基盤、部落人口や文化の違いなど濃淡. が指摘された。また、人権侵害が生じている状況もみら. があるはずである。旧碓井町は旧産炭地筑豊においてい. れ、その際の人権擁護機関の対応は十分なものとは評価. ったいどのような位置づけになるのかということ、そし. されていない。こうしたことから、地域改善対策協議会. て旧碓井町の行政が同和対策事業を施していく背景にあ. の意見具申において同和問題の解決に向けた今後の主な. る旧碓井町の人口の変化、産業の変化についてここでは. 課題として、依然と存在している差別意識の解消や、人. 検討する。. 権侵害による被害の救済等の対応、教育、就労、産業等 の面でなお存在している格差の是正、さらには差別意識 を生む新たな要因を克服するための施策の適正化である. 第 3 章 旧碓井町の解放子ども会活動 第 3 章では、旧碓井町の解放子ども会活動について考. と指摘されている。. 察する。まず旧碓井町と同和問題とのかかわりについて. 第 4 節 部落解放運動団体について. 述べる。当時の解放運動や行政はどのような対策を講じ. 部落差別についての課題は依然残っているものの、物. たのかということを調査する。この人々の生活の歴史を. 的な基盤整備については着実に成果をあげ、様々な面で. 追うことが、碓井町の同和地区の歴史を追うことになる.

(3) と考える。私たちの世代は、こうした上の世代の人々が. 中学校に同和対策推進教員は置かれていなかった。その. 勝ち取った権利の中で生活してきた。経済的差別が少な. 中、嘉飯山地区の小中学校では、ほとんどの学校で置か. くなっていったのは同和対策事業特別措置法をはじめと. れていた。そのような状況の中、碓井町立碓井中学校の. する同和行政の成果である。実際にどのようなことが改. 人権・同和教育は、特別措置法の下、1 年間で何時間か. 善されたのかを調査する上で、具体的な同和対策事業に. をまとめて特設の授業として取ることができた。部落人. ついて一つひとつ見ていく。. 口の多い碓井町において、部落問題を抜きにした教育は. 碓井町は残された課題にどう対処しているのかとい. 考えられない背景があった。しかしその学習の内容は、. うことを調査する。. 江戸時代の身分制や過去の部落差別事件など、子どもた. 第 1 節 旧碓井町と同和問題. ち自身の生活と直接結びつくものではなかった。. 日本の国単位で同和問題を解決する国策樹立の要求. 部落の子どもたちの生活現実を知り、子どもたちの生. 問題が起こり、同和対策審議会の答申が行われ、特別措. 活や未来と直接結びつく学びは学校の中だけでは、また. 置法が制定されるまでの十数年間(同和対策審議会答申. 学校の教員だけではつくりえない。学校の教員たちの中. 1965 年、同和対策事業特別措置法 1969 年)は、いわゆ. には、かねてから参加していた解放子ども会活動の重要. るエネルギー革命による町域内外の閉山が続き、「炭主. 性を問い直す声があがり始めた。. 農従の町」は音をたてて崩れていく地域社会構造の変革. 第 2 節 旧碓井町における解放子ども会活動. 期であった。筑豊地区は石炭産業が産業の基盤であり、. 解放子ども会は「部落差別からの解放をめざして、被. 碓井町も例外ではなかった。そのため、碓井町の同和対. 差別部落で組織された部落の子どもたちの生きていく拠. 策は、閉山による失業者の生活不安に対処しながら、本. 所であり、 また自らの置かれている社会的立場を自覚し、. 来の同和対策事業を推進しなければならなかった。同和. 真に部落の完全解放を担いうる人間形成をめざす場」、. 問題は、長い間の部落差別によって生活の全領域に顕在. 「部落差別の現実に学び、 『差別を見抜き、 差別を許さな. している事象であり、その対策は総合的で徹底したもの. い、差別をなくしていく』この言葉を深く噛み締め、解. でなければならない。1969(昭和 44)年の「同和対策事. 放子ども会では『仲間づくり・基礎学力づくり・解放の. 業特別措置法」の制定に伴い、事業計画は企画課担当・. 力』を学ぶ」場とされている。. 事業推進は建設課担当とし、のち同和対策課を設置して. 1970 年代からの旧碓井町の同和対策事業のもと、1977. 総合的、計画的な事業推進に努めてきた。これらが実施. 年には「補充学級」が始まり、翌年の 1978 年には、補充. され始めた時代の碓井町の全人口に対する同和地区人口. 学級が「解放子ども会」へと名称を変えた。現在の嘉麻. の割合は約 50%を占めていた。これらのことから、碓井. 市碓井地区の解放子ども会は7支部から成っており、月. 町は、行政による同和対策事業に重点を置いてきている. に 2 回、各集会所において活動がおこなわれている。参. ということが改めてわかる。現在同和地区に存在してい. 加者は小中学生の子ども、小中学校の教員、地域の指導. る施設の多くが、1970 年代に行われた碓井町の同和対策. 者である。. 事業で建設、整備されたものであることが調査を進めて. 本論文では解放子ども会のリアルな現実を探るため、. いくうちに明確になってきた。1990 年代には、さらに. 本研究ではフィールドワークとインタビューをおこなっ. 様々な事業が行われ、解放子ども会活動は各集会所で盛. た。フィールドワークは 7 支部の中でも主に熊本支部で. り上がりをみせた。このように同和対策事業特別措置法. 行った。それはこの支部では解放子ども会指導者の参加. (1969 年)をはじめとする同和特別措置法の制定から. がなくなったことで活動に衰退がみられるため、過去の. 2002(平成 14)年の失効まで、碓井町は特別措置法の元. 活動の様子や他支部の活動と比較することで解放子ども. で事業が行われてきた。. 会指導者の役割を探ることができると考えられるからで. また、学校教育においても人権・同和教育が盛んに行. ある。インタビューはまず、旧碓井町で生まれ現在も嘉. われてきた。1990 年代、特別措置法施行中では、碓井町. 麻市碓井地区で生活する三人の方におこなった。そのう. 立碓井小学校と碓井町立碓井中学校の碓井町にある 2 つ. ちの二人は指導者として解放子ども会に長く関わってき. の義務教育機関には、 同和対策推進教員が置かれていた。. た方である。また、実際に解放子ども会活動に参加する. 同和対策推進教員は、学校の授業は行わず、周囲の市町. 中学生と、11 年前に碓井中学校を卒業し、現在は社会人. 村の同和対策推進教員との意見交換の会議に頻繁に参加. として働いている方の二人にもインタビューをおこなっ. していたり、人権・同和教育の授業の提示をしたりする. た。これらの調査により、部落地域における解放子ども. 仕事をしていた。1990 年代では、福岡県下のすべての小. 会の意義、解放子ども会が部落の子どもたちにとってど.

(4) のようなものであったのか、そしてその中で解放子ども. 終章 本研究の成果と今後の課題. 会指導者はどのような役割を果たしてきたのかを探って. 本論文では、解放子ども会が果たしてきた役割として. いくこととする。. ①遊びや文化・スポーツ活動とそれを通した仲間集団. ○考察. の形成. 今回インタビューをさせていただいた 3 人はいずれも. ②基本的生活習慣や学習習慣の形成、困難を抱える子. 旧碓井町の同和地区で生まれ育ってきた。3 人とも家庭. どもの自立支援. が貧しく、中学校までしか学校に通えておらず、学校に. ③人権・部落問題学習. 通っている間も、小学校、中学校ともに、家計を支える. ④子育て・教育のネットワーク形成. ために学校を休んで働くといった生活を送っていた。そ. といった 4 つに整理した。こうした役割を果たしてきた. れは 1、2 日という単位ではなく、数ヶ月にも及ぶ単位で. 解放子ども会が困難を抱える子どもたちの居場所となっ. あった。そのため、学校の授業についていけず、学校に. たのである。そしてその中で解放子ども会指導者は中心. 行っても疎外感を感じることが多々あったと考えること. 的な役割を果たしてきた。本研究における参与観察とイ. ができる。このような教育の機会をはじめ、日常生活ま. ンタビュー調査の分析は解放子ども会の指導者が地域や. でも奪われたのである。部落の子どもたちを何とかした. 保護者、学校の教員を巻き込んで、子どもの居場所づく. いという思いをもつ彼らのような解放子ども会指導者が. りをすすめてきたことを明らかにした。また、そのこと. 現れた背景には彼らの厳しい生活経験があったのである。. が貧困や格差といった生活問題の中にいる子どもたちに. 部落の子どもたちには、子どもたちにとって身近な人か. とって重要な意味をもっていたということがわかった。. ら身近な出来事を例に出してそして重ね合わせていく必. それは解放子ども会指導者の参加がなくなった熊本支部. 要がある。そうすることによって、子どもたちにとって. での活動が、学校の教員主導で発展を遂げてきてはいる. 部落差別は他人事ではなくなり、自分の将来にも真剣に. ものの、困難を抱えた子どもの居場所となるには足りえ. 向き合うことができるようになるであろう。. ない部分があるということからもわかる。また、子ども. また、今回のインタビューでは現在も地域の解放子ども. の育ちを中心に据えた場合、地域の人材や学校の教員を. 会指導者が今も多く参加している下臼井西支部でも調査. 子どもの居場所づくりにおける社会的資源とするコーデ. を行ったが、そこでは以前と変わらぬ活動がおこなわれ. ィネーター的な役割を担ってきたともいえるだろう。彼. ている。 やはり地域の指導者の存在がなくなったことが、. らは自らが歩んできた人生での経験から地域の子どもの. 熊本支部の解放子ども会を以前とは違った場へと変えて. 生活問題に関わる教育的支援をしてきたのである。. しまっていると考えることができるだろう。 地域の指導者の参加がなくなった熊本支部の解放子. 主要参考文献. ども会は現在、学校・教師主導で運営がすすめられてい. 青山堅太郎『嘉飯山年表』フジイ印刷、2005 年. る。 「地域で」 「地域が」というより学校での勉強の補充. 碓井町誌編集委員会『碓井町誌』碓井町、1982 年. 学習や非行生徒を何とかつなぎとめようとするための場. 碓井町総務課/企画『碓井町郷思録―碓井町閉町記念誌. となっている。そのため学校と変わらないような場にな. ―』碓井町立碓井琴平文化館、2006 年. っている。地域の指導者の方からリアルな部落の歴史や. 解放出版社編『部落差別』解放出版社、1997 年. 現状を聞いたり、何気なく楽しい話をしたり、学校での. 解放出版社編『部落問題資料と解説〈第 3 版〉 』解放出版. 悩みや進路の悩みを話したり、ときには叱られたりとい. 社、1997 年. うことができる場ではなくなっていた。. 「新隣保館運営の手引」作成検討会『新隣保館運営の手. また興味深かったことは、今回インタビューをおこな. 引き』太陽美術、1998 年. った青年が今も解放子ども会での学びの重要性を感じて. 平兮元章『旧産炭地の都市問題―筑豊・飯塚市の場合―』. いるということも重要なことである。そしてこれこそが. 多賀出版、1998 年. 解放子ども会活動の本質である。中学生時代に非行に走. 部落解放研究所編『地域の教育改革と学力保障』部落解. っていた彼が解放子ども会での学びや思い出を大切に思. 放研究所、1996 年. い、当時の指導者や仲間たちに感謝できるということ、. 増山均『子育て新時代の地域ネットワーク』大月出版、. そして青年となった今、今度は指導員として解放子ども. 1992 年. 会に関わりたいと考えているということは当時の解放子. 森山沾一 『社会教育における人権教育の研究 部落解放実. ども会の成果である。. 践が人間解放に向け切り拓いた地平』福村出版、2011 年.

(5)

参照

関連したドキュメント

1  ミャンマー(ビルマ)  570  2  スリランカ  233  3  トルコ(クルド)  94  4  パキスタン  91 . 5 

 親権者等の同意に関して COPPA 及び COPPA 規 則が定めるこうした仕組みに対しては、現実的に機

拠点内の設備や備品、外部協⼒企業や団体から調達する様々なプログラムを学ぶ時間。教育

[r]

 ファミリーホームとは家庭に問題がある子ど

□一時保護の利用が年間延べ 50 日以上の施設 (53.6%). □一時保護の利用が年間延べ 400 日以上の施設

 英語の関学の伝統を継承するのが「子どもと英 語」です。初等教育における英語教育に対応でき

原田マハの小説「生きるぼくら」