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昭 和 祖 十 三 年 度   ( 上 級 )

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Academic year: 2021

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昭和祖十三年度 (上級)

これから、わたしの話すことをよ‑聞いて'その後で、紙に答えを書いて‑ださい。

同じ事を二度話します。聞いている問に、メモを書いてもかまいません。メモは'紙

の裏に書いて‑ださい。

では

、始 めま す。

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‑ i .   '

」 ' 蝣

私は'二十歳ぐらいから'喜劇ばかり四十年書き続けてきました。つまり、人を笑わせるこ

,とを念願として生きて来たのです。かと言って'今日の講演も人を笑わせるのではないかと'

期待しないでいただきたいものです。むしろ、大いに悲しませたら大成功と思っております。

私は、時たま、講演というものをさせられるのですが'先日ある所での講演で、私がおか

しな事を言っても'全然反応がないということがありました。講演者にとってこれくらい悲 しく、屈辱を感じるものはないのですが、とうとう終りまでこの反応なしが続きました。

は'すっかりがっかりして控え室に戻り'大いにぼやきました。すると、主催者側は、「も し聴衆が笑うようなことがあってはいかんと患って、開会前によ‑たしなめておいたので

す。」と言うではありませんか。私は'開いた口が塞がらないほど驚いたのでしたが、考えてみ

ると、この講演会の場合ばかりでなく、わたしたちの問には、笑うことは礼儀に反するという

観念がかなり強くはびこっているようです。

これはいつごろから始まったものでしょうか。徳川時代のことわざには、「男は三年に片 頬」というのがあります。男というものはめったたに笑うものではない〇 三年に叫度ぐらい笑

とどえばよい。それも、片頬に留めておけt というのですから、ずいぶんしみったれた笑いです。

このような、徳川時代の笑いの忌避は、はっきりと演劇の上にも表れております。中世までは、

能狂言のような喜劇がちゃんと日本にも発達しておりました。あの'狂言というものは、急 に出来たものではなくて'それまで日本にあった笑いの要素が'あのような形にまでおし

進められたものなのです。日本国民は、決して笑いは嫌いではなく、笑い上手であったことが

分かります。

徳川期の代表的劇作家である近松門左衛門は'喜劇'笑わせる芝居は書いておりません。悲

劇ばかりです。徳川期に入って、どうして笑いが起こらなくなったのか。それは、武士たちが

笑いの危険性を知っていたからでありましょう。それというのも、笑いには必ず、加害者、笑

う者と被害者、笑われる者がいますが、加害者のつもりが、いつの問にか被害者になってい

II

(2)

ることがあるからでしょう。徳川期の武士は、恥を最も重視しましたから、笑いの被害者にな

かた卓

ることを嫌いました。「満座の中でよくも笑い者に致しおったな」なんていうのは'敵討ち

せりふの発端によ‑出てくる科白です。つまり'恥の文化が極度に発達していましたから'笑いなん

せんばんて危険千万なものは、お互いに敬遠したのでありましょう。ですから、侍は渋面を作って'

笑わないことに専念していたのです。

しかし、徳川期にも、笑いの芸術がないわけではありませんでした。笑っていたのは、侍で

しよせんはなくて'町人たちでした。しかし'彼等の笑いは'遠慮笑いで、所詮は日陰の存在でした。

例東ば、俳語の這なども、1種の笑いの芸術と言えましょうが、芭蕉にしても'侍であること

をやめてその道に入っています。西鶴にしても、町人なればこそあの笑いが書けたので'

笑いの度の強いものほど社会の底辺に近づくのです。落語など'長い間文字に残されなか

ったので'学者に取り上げられず、芸術として認められたのは、ついこの十年ぐらいのこと です。いわば不幸な芸術なのです。

今、わたしたちは、明治百年とか言って'いかにも近代化したようなことを言っていますが、

わたし少なくとも、笑いに関してはまだ徳川時代の延長です。そういう国で、私のような喜劇作者

に文学賞が与えられたということは、誠にありがたいことと申さなければなりません。

今聞いたテープの内容に基づいて、次の文が正しいかどうかを答えなさい。正しいもの には○の印を、正しくないものには×の印をつけなさい。

号 わたしの仕事は、喜劇を書くことです0

2 わたしは'四十年間'笑いについての講演ばかりして生きてきました。

3 わたしは'講演中に笑われると'恥ずかしくなりますO 尋 先日'あるところでわたしのした講演では,だれも笑いませんでした.

5 聴衆は'あいた口がふさがらないほどおどろいていました。

昏 聴衆の反応がないということは'講演者にとっては悲しいことです・

7 日本では'笑うことは礼儀に反することだと思われてきました。

8 徳川時代のさむらいは'笑うことを敬遠していました・

9 徳川時代のさむらいは'笑われることを重大な恥としました。

柑 徳川時代の町人は'笑うことを禁じられていました。

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徳川時代には'笑いの芸術はなかったのです。徳川時代の代表的な劇は悲劇でした。徳川時代以前にも'日本的笑いの芸術が発達していました。狂言は'徳川時代以後に発生した笑いの芸術です。落語は'徳川時代には町人のものだったのです。日本には'昔から狂言という笑いの芸術がありました。日本では'笑いの芸術は発達しませんでした。日本人は'もともと笑うことが好きではないのです。落語は'こんにちでも笑いの芸術として認められていません。日本では'喜劇で文学賞を受けた人はありません。

参照

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