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キトラ古墳の調査 -

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Academic year: 2021

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1 はじめに

 キトラ古墳は、明日香村大字阿部山字ウエヤマに所在 する二段築成の小規模な円墳である。1983年以降の調査 により、各壁に四神などの彩色画が描かれていることが 判明し、2000年には我が国2例目の極彩色壁画古墳とし て特別史跡に指定された。

 2004年におこなわれた石室内の発掘調査(第135次調査)

では、刀装具や木棺の飾金具をはじめとした遺物が出土 し、石室の規模や構造が判明した。また、石材表面に描 かれた朱線を一部確認したが、朱線の多くは漆喰により 覆われていることが推測された。さらに石室各面のフォ トマップを作成し、高精細画像による分析も可能となっ た(文化庁ほか『特別史跡キトラ古墳発掘調査報告』2008)。一方、

壁画については損傷が著しく、速やかな保存処置が必要 であると判断され、同年、壁画を描いた漆喰の全面取り 外し方針が決定された。この方針決定を受け、順次漆喰 の取り外し作業が進められ、2010年6月、床面を除く5 面全面の漆喰の取り外し作業が無事終了した。

 今回の石室内調査は、文化庁からの要請を受け実施し たもので、床面に残存する漆喰上の精査、石材表面に残 る朱線や加工痕跡の観察、石室構造に関する考古学的検 討を主な目的とした。調査は、奈文研都城発掘調査部、

奈良県立橿原考古学研究所、明日香村教育委員会の3者 が共同しておこない、調査期間は2011年6月13日から6 月24日までである。

 なお、石材の番号は、東西壁石、天井石、床石につい ては南から付し、北壁石については東から付す。

2 石室の調査

棺台痕跡 キトラ古墳床面の漆喰上には、2004年に撮影 したフォトマップの分析から、棺台の存在が推定されて いた。また、2004年の石室内調査で出土した漆塗木棺片 に、水銀朱仕上げと黒漆塗仕上げの2者が存在すること から、後者が棺台の破片にあたる可能性が指摘されてき た(前掲:文化庁ほか2008)。

 今回の調査では、床面の東西両側に幅約18㎝、北側に

幅約20㎝の範囲で漆喰の残存が良好な部分が存在するこ とが明らかとなった。これらの漆喰表面には、盗掘以前 に天井石の隙間などから流入した土砂によるものと考え られる土汚れが顕著に認められた。

 さらに、これら床面周囲の漆喰の内側に、他よりも劣 化が少なく白色を呈する漆喰が幅約3㎝の帯状にのびる 状況を確認した(図168)。この帯状に残る白色の漆喰は、

劣化および土汚れを免れた部分と理解でき、その理由と しては、幅3㎝ほどの何らかの器物が漆喰上に載ってい たためと推測できる。この白色を呈す帯状の漆喰は矩形 をなすようであり、また石室東西両壁からの距離が等し く、床面のほぼ中央に位置したと考えられることから、

棺台痕跡と判断した。

 棺台の痕跡が確認できたのは北辺、東辺、西辺の3辺 であり、南辺については漆喰の残存状況が悪く、確実な 位置を特定できなかった。痕跡の東西幅は68㎝で、南 北長は、東辺で117.0㎝分、西辺で137.5㎝分が残存する。

キトラ古墳石室床面は南北238㎝、東西104㎝であるが、

南辺が北辺と対称の位置にあったと仮定すると、棺台の 長さは200㎝前後に復元できる。高松塚古墳の棺台は、

幅66㎝、長さ217㎝に復元されており、今回キトラ古墳 で確認した値に近似する。

 棺台の形状に関しては、白色の漆喰が帯状をなすこと から、棺台は底板をもたないか、底板があったとしても 床面と接する構造ではなかったと判断できる。

 なお、高松塚古墳では、棺台設置後、その周囲に仕上 げの漆喰を塗布していたとされているが(岡林孝作「高松 塚古墳の木棺と棺台」『月刊文化財』532、2008)、キトラ古墳 床面の漆喰の状況からは、そのような工程は復元できな かった。

朱  線 今回の調査では朱線の痕跡を66ヶ所で確認した。

朱線の痕跡は、最短で0.3㎝、最長で41.2㎝で、同一直線 上に並ぶものを1本として計算すると、計20本となる。

その内訳は床面3本(図169下)、天井6本(図169上)、東 壁7本、南壁1本、西壁3本で、北壁では確認できなかっ た。既往の調査およびフォトマップでは、床面1本、天 井5本、計6本の存在が判明しており(奈文研『キトラ古 墳壁画フォトマップ資料』2011)、今回新たに14本分の朱線 を確認できた。

 線の太さは、1~3㎜を基本とするが、一部には6㎜

キトラ古墳の調査

-第170次

(2)

図168 床面上の漆喰状況 1:12

棺台痕跡

30㎝

0

漆喰が厚い部分 漆喰が薄い部分

(3)

図169 朱線位置図 1:15

天     井

床     面 0 50㎝

(4)

ほどの太さとなる箇所もある。朱線の大半は石材の外周 縁にみられ、主に石材を加工する際の基準線として利用 されたと考える。

 一方、天井石には、4石に跨がり二重の長方形が描か れていたと推測できる。内側の長方形は屋根形の刳り込 みの縁辺部にみられ、屋根形を削り出す際の基準線と理 解できる。外側の長方形は、石室の内法と同形同大で、

四周の壁石の内側上辺に対応すると考えられる。この朱 線は、石室を組み上げると、本来は壁石により隠される 位置にある。しかし、盗掘により南壁石西上部が破壊さ れたことと、後述するように南壁石の高さが他の壁石よ りわずかに低いことから、南辺・西辺の2辺のみについ ては、その存在を確認することができた。

 また、床面中央にも1本の朱線を確認した。この朱線 は床面のほぼ中央に位置しており、床石を加工する際の 基準線と考える。キトラ古墳の床石は、周囲を一段低く 削ることで中央の南北238㎝、東西104㎝の範囲を高く造 り出し、床面としている。その段差は3㎝ほどで、床面 四周は斜めに削り落とす。床面中央の朱線は、石室南端 部で、床面上面から、床面南辺を画する斜面の上面にま で一連で続いていく状況を確認した。このことから、中 央の朱線は少なくとも南端の床石(床石1)南側の削り 出しが終了した後に引かれたと理解できる。床石加工の 順序を考察する上で興味深い事実である。

石室南端部の構造 今回の調査では、石室の入口部を閉 塞する南壁石が、他の壁石よりも2.5 ~ 3.0㎝低く加工さ れていることを再確認した。南壁石の高さは112.5㎝、東・

西側壁の南端の石(東壁石1・西壁石1)の高さはともに 115㎝である。これは石室の開閉を容易にするための意 図的な工夫と考えられる。

 また、天井南側では、南端の天井石1が南に向かって 傾斜し、天井石1とその北側の天井石2の継ぎ目には1

㎝ほどの段差が生じていることを確認した(図170・171)。  その要因を以下に考察する。天井石1は、石の半分以 上が東壁石1・西壁石1より南に出ており、石の重心が 東西の壁石には載っていないと指摘されている(『紀要 2004』)。そのため、天井石1の重心は南壁石が受けるこ とになるが、南壁石が上記のように他より低く加工され ているため、天井石1が南に傾く結果を生じた。この傾 きはキトラ古墳の石室構造自体に起因しており、石室組 み立て完了時には天井石1は傾斜していたと考える。

 また、天井石1の前面下辺と南壁石上面の隙間には目 地留めの漆喰が三角形状に残存しているが、これらが二 次的に移動した形跡はみられない。このことからも、天 井石1の傾きが、古墳完成後の地震などの二次的要因に よるものではないと理解できる。

合  欠 目地の広い部分で石材同士の合欠の方向を確認 した。東西壁石は、どちらも北小口で外側が突出してお り、北から石材を設置したことがわかる。ただし、東壁 中央の上下2石の間には隙間がほとんどなく、上下間の 合欠の有無は確認できていない。天井石と床石について は、両者とも北小口で下側が突出しており、南から順に 設置したと理解できる。北壁は東西2石で構成されるが、

合欠の方向は確認できなかった。 (若杉智宏)

石材の加工痕跡 天井石1、南壁石ともに墓道に面する 部分では、チョウナ叩きを密に施して平滑面を造り出す

(図175)。ただし天井石1でも、墓道正面から視覚が遮 られる上面や東西側面では加工が粗く、前者では一辺3

㎝前後の三角形を呈するノミ小叩きの痕跡、後者では幅 3㎝前後のチョウナ削りの痕跡が凹凸をなして明瞭に残

図170 低い南壁石(右下)と天井石1(右上)の傾き(北西から) 図171 天井石1(右)と天井石2(左)の隙間(下から、右が南)

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存する(図173・174)。壁画の下地漆喰が取り外された石 室内壁でも、部分的にチョウナ叩きの痕跡が確認できる が、前述の天井石1や南壁石よりも平滑に仕上げられて おり、ノミ削りや磨きを重ねて最終仕上げとしている可

能性がある。 (廣瀬 覚)

天井石1の梃子穴 天井石1の東側面下端には、不整な 台形を呈す穴が認められる。穴は天井石1前面から北へ 約15㎝の位置にあり、南北幅13.5㎝、東西幅8㎝、最大 高5.5㎝を測る。西側面下端では、盗掘時に南側を壊さ れているものの、同様の穴があいていたことが確認でき、

両側面の対となる位置に穴を配していたと判断できる。

 この穴の存在は2003年度の第130次調査時に確認して おり、石室組み立てに使用したと考えられていた(『紀要 2004』)。同様の穴は、高松塚古墳でもみられ、石室構築 時に石材位置を微調整するための梃子穴と判断されてい る(『紀要 2008』)。キトラ古墳の穴も、形状・大きさが高 松塚古墳のものとほぼ一致することから、梃子穴として 利用された可能性が高い。梃子穴は、天井石1で確認し ただけであるが、他の石材のいくつかにも外側に同様の 穴を設けていたと推測できる。

3 ま と め

 今回の調査では、従来の調査で指摘や想定がなされて いた点を追認するとともに、より詳細な観察・検討およ び記録作業をおこなうことができた。

 棺台については、床面に残る痕跡から位置や大きさ、

構造の復元が可能となった。また、石材にみられる朱線 は、今回新たに14本分を確認でき、終末期古墳築造にか かわる石材加工技術について貴重な知見を得ることがで きた。

 棺台の存在や朱線、梃子穴、合欠、場所による石材加 工の差異や工夫などは、高松塚古墳でも認められる特徴 で、それらの一部はマルコ山古墳(網干善教・猪熊兼勝・

菅谷文則『真弓マルコ山古墳』明日香村教育委員会、1978)や 石のカラト古墳(『奈良山報告Ⅰ』)でも確認されている。

石室形状や技法の共通性からは、同一の技術系譜にある 石工集団の関与が想定できるが、石室構造や細部加工に は差異もみられる。今回の調査成果は、終末期古墳にお けるキトラ古墳の位置づけを考える上で重要であり、今 後さらに検討を加えていきたい。 (若杉)

図174 天井石1西側面のチョウナ削りの痕跡(南西から)

図172 天井石1の加工の精粗(南西から)

図175 天井石1前面のチョウナ叩きの痕跡(南から)

図173 天井石1上面のノミ小叩きの痕跡(南西から)

参照

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