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三 浦

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Academic year: 2021

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三 浦

 毎日新聞社が昭和47年,全国の16歳以上の男女から層化無作為抽出法で4000 人を選んで調査した結果によると,「あなたは自分のことをガソコなたちだと 思いますか」という質問に対し,ガンコなたちであると答えたのは全体で53%

であった。かなり高い数である。内訳は男性55%,女性51%,60歳台57%,20 歳台55%,30歳台50%であった。年齢による差はあまりなかった。「では,他 人はあなたのことをどう言いますか」という質問に対しては,「ガンコなたち である。」と答えたのは全体で40%,(男性45%,女性35%)であった。他人に はそれ程ガンコには見えないと思っているようである。内心と表現されたもの

との違いということもあろう。殊に女性はその点に抑制が働いているのであろ う。さらに,「あなたはつき合いのいい方ですか」という質問に対しては,い い方と答えたのが全体で80%であった。(男,女とも80%)内面的にはガソコ でありたいと思いつつも,社会的行動としては協調しているのであろう。

 さて,ここでとりあげた「ガソコ」とはどういうことであろうか。常識的に は一応わかっていると思うので,前述のようなアンケートにも答えることはで

きる。しかし少し深く考えてみると,そう単純なものではないことがわかって くる。人間の心理現象は複雑微妙な面が多く,日常見なれている心理現象やそ れを表現する言葉も一義的ではないことが多い。それで,言葉の意味を明確に つかまないうちに調査をしたり実験したりしても,そのデータは何を意味して いるのか曖昧なものになってしまう危険がある。「面白い」という言葉も多義 的だ。r自主性」とか「孤独」,「ぐず」などについてもいろいろな種類がある。

ここではガソコという言葉を分析してみたい。

 がんこさとは,広辞苑によれぽ,「かたくなで意地を張ること」「かたよって 事理に通ぜぬこと」とある。がんことは自分の考えや行動を容易に変えようと

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しないことである。頑固とはもともと頑迷固随と言われ,人の言うことに耳を 傾けないことと,愚かで,才能のはたらきが鈍いということが含まれている。

だが頑固一徹と云うと,自分の考えに自信をもっていて,ひとの言うことにた やすく付和雷同しない,あるいは右顧左時しないという意味になる。信念があ る行動という意味になる。こう考えると,頑固にはよい意味と悪い意味がある

ことがわかる。

 土佐人気質を「いごつそう」という。いごつそうの意味には片意地,一徹,

がん固,強情っばり,負けずぎらい,つむじ曲がり,わがまま,がむしゃらと いったものに,偏屈,ひねくれ,あまのじゃく,横紙破り,ひとりよがり,唯 我独尊 ごう慢不遜といった意味も加わっている。

 宮城音弥教授によれば高知県人気質は分裂質で勝気であるという。祖父江孝 男教授によれば高知県は弁護士の数が多く,民事訴訟が非常に多いという。離 婚率も高い。司馬遼太郎氏によると,土佐人は議論を肴に酒を飲むそうである。

土佐言葉はきわだって論理性が高く,黒白をはっきりさせたがるという。

 熊本県人かたぎを肥後もっこすという。これもがんこさを表現している。宮 城氏によれぽ分裂質と強気から成っているという。性格特性は繊細でなく,礼 儀正しくなく,豪放で反抗的であるが,保守的で事大主義的である。

 祖父江氏によれば偏屈で,非妥協的で,反骨的で,一徹である。「薩摩の大 ぢょうちん,肥後のくわ形」と云われ,大将気取りのところがあるという。

 長野県人もがんこである。宮城氏によれば長野県人気質は分裂質で弱気であ るという。性格特性は理屈っぼく,ねばり強い。合理主義で質素でけちである。

 そのほか青森県人も「じょっばり」だという。強情張りの意であろう。佐賀 県人も「こんじょうもん」と言われている。文章完成法テストの結果,P(肯 定)が最低で,NP(否定)が多かった。

 かくて高知,熊本・長野・青森,佐賀と,それぞれがんこな県民性をもち,

それを誇りにもしているようである。そしてそのがんこさは,細かく見ると少 しずつは違ってもいる・勝気であったり,強気であったり,弱気であったりす

る。

 一人の人を考えても,ある面ではがんこだが,他の面ではがんこではないと

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いうこともある。これは「頑固さの一一般性」の問題である。自分の心の核心に 触れることでは頑固であっても,自分にとって中心的でないことについては頑 固ではないこともある。また,ある人に対しては頑固であっても他の人には頑 固ではないということもある。好きではない人には頑固にふるまい,好きな人 には協調的になる。

 老人はがんこであると言われる。老化によって柔軟な心が失われるからであ る。「がんこおやじ」ということが昔から言われてきた。また,幼児は聞き分け がなく,駄々をこねるという意味で頑固である。反抗期の子どもは反抗という 形で頑固な行動をする。また,精神薄弱児は融通を利かせて,臨機応変に考え

ることができないという意味で頑固である。

〔がんこな人たち〕

 わが国では昭和20年の敗戦により,価値体系が急激に崩壊した。そして日本 人は全体に自信を喪失した。世の親や教師は何をどう教えてよいかわからなく

なった。そして妙に物わかりのよい態度になってしまった。かみなりおやじや 頑固おやじがいなくなった。しかし世の中には世間に同調せず,がんこ一徹に

「わが道を行く」人生を送った人が時々いる。

 (1)昭和49年10月,公正取引委員会がトラック業者を独禁法違反容疑で強制 調査を行った。この事件に関する資料を公取委に持ち込んだのはトナミ運輸岐 阜支店の営業マソの串岡弘昭氏(30歳)であった。串岡氏はこの内部告発を行 ったあと,神奈川支店,東京営業本部などを転々とした後,50年10月からは高 岡市から車で30分の,同社の教育研修所で働いている。やる仕事もない状況で,

「ほされ」ている。「会社をつぶす気か」という非難の声を浴びせられた。そ して一人ぽっちの戦を続けている。しかし串岡氏は,「自分は悪いことをした のではない。」という確信があったので,こうしてガソコにがんばっているの

である。

 (2)孤独の中でひっそりと昭和51年11月に死んだ東京・葛飾の元教員,宮内 雅雄氏(67歳)は生涯独身で,けちを通り越した生活をしていたが,死んでみ

たら財産は一億円を越していた。宮内氏は昭和22年から48年まで中学校教諭で

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あった。教員を退職してからは,夜はあかりをつけず,風呂は入ったことがな いし,洗濯もしないし,床屋にも行かないという生活であった。「死んだら金 は施設に寄付したい」と言っていたそうだ。彼はけちに徹していた。それを徹 底して実行した。一徹だったのであろう。この人もがんこな人間の一例である。

 (3)漱石学校最後の弟子,石原健生氏は昭和51年11月,87歳で亡くなった。

石原氏は生涯独身で,文明を拒否した仙人のような暮しぶりで,周囲の人たち からは変人扱いされていた。1600㎡の広大な敷地に一間きりの小さな家に住み,

蒲団は敷きっぱなし,洗濯や掃除はほとんどしなかった。こうした変人の生涯 を送り通すのもガンコな人間の一例である。

 (4)そのほか自分の罪が実は無実であることを長年月訴え続けて遂にそれを 果した例は何人かいる。こういう人たちは意志強固という意味でガンコである。

 水俣病の責任追及とか,成田飛行場反対闘争とかで苦しい情況になってもめ げないで闘いを続けている人たちもやはりガンコな人たちであろう。こういう 人たちは「信念」にかかわるガンコさの問題となる。

 確信犯の人たち,殉教者,かくれキリシタンの人たちなどは,それぞれ立場 は違うが信念をまげないで人生を送るという点では共通している。

 中国の副主席の郡小平氏は四人組が跳梁していた頃も洗脳を否定していた。

「批林批孔」のスロ 一一ガソが幅を利かせていた頃も自分の考えを主張していた。

そしてそのために二度も失脚を招いた。郡小平氏は頑固な人のようだ。彼の近 代化路線への信念と自信と勇気がそうさせたのであろう。これもガンコな生き 方の一例であろう。

 そのほか「日の丸校長」と云われた高知県の校長先生とか,「がんくつ王」

と云われた人など信念を通した人がいろいろいる。

〔がんこさの周辺〕

がんこさに近いものとして,日常生活に見られるものには,強情,反抗,ひね くれ,拗ねること,ふくれっ面などがある。片意地や強情とガンコはどういう 関係であろうか。ひねくれ,あまのじゃくとガンコはどういう関係だろうか。

反抗,劣等感とガンコはどうつながっているのであろうか。心の硬さ(rigidity)

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とガンコはどういう関係になっているだろうか。それぞれ複雑な関係である。

 (1)強 情

 強情は強いという字を使うけれど,自分の気持を抑制できないことから起る のであるから,弱い心の産物である。

 親子間の強情は親と子の意志がうまく疎通しないために発生する。子供の意 図を無視しているために起っていることがある。親が子供の立場を全然認めな いなら,子供は自己主張をせざるを得ない。

 理解力の弱い子供は強情になりやすい。「聞きわけがない」という言葉は強 情という意味と理解力のないという意味を含んでいる。

 強情は自分の意志に反して現れる。強情な子は問題事態の解決にはいろいろ なやり方があることを知らない。廻り路行動がとれない。パーソナリティが未 分化であるために強情になっているのである。

 また強情は他人の立場を理解し得ないために生ずる場合もある。自己中心性 と関係がある。また言語活動が不十分なために強情になることもある。

 (2) ひねくれ

 ひねくれた子どもとは,性質がすなおでない子どものことである。一たんひ ねくれるとその行動パターソは持続する。人の話や人の行為を変にまげて考え,

裏を読み,意地悪くうけとる。裏を読むとは隠れた行動の動因を考えることで ある。好意を好意として受けとらず,愛情をすなおに温く受け入れることをし ない。好意の裏を考え,悪意を読み取ろうとし,他人の愛情に意地の悪い解釈 をつける。人間は天使ではないから,われわれの好意や愛情にもいろいろと不 純なものが混っている。人を助ける行為の中にも自分の利益を計り,相手を利 用する気持がいくらかは入っているかもしれない。それに対し,気立のよい人 は,美しい行為からそのまま,美しいものを感ずる。ひねくれた人は美しい行 為から汚いものを嗅ぎつけて喜ぶ。「あいつは名を売るために慈善をやってい るのだ」などと考える。ひねくれ者の目には世の中の醜くさや欠陥や汚なさだ

けが映る。

 ひねくれた子供は相手を困らせることを目的として行動するように見えるが,

意識的にそうしているわけではない。むしろ,相手が無茶なことを言い,いい

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加減なことをするので,それへの反応としてひねくれた行動をとる。人の基本 的要求の一つに社会的承認の要求がある。この要求が満足させられないと劣等 感を生ずる。人から馬鹿にされるとひがみを生ずる。人はみな互に愛し合って 生活したいと考えるが,この要求が満足させられないと素直ではなくなる。

 ひねくれた子どもは社会的承認の要求が人一倍強い。そこで所属集団の「権 威」に執拗に挑戦する。教師とか年長者に執拗に反抗する。つっぱっている中 学生の行動もこれである。しかしこの反抗はわがままな反抗とは異る。ひねく れ者の反抗は知性的ぶった冷静さをもっている。

(3)すねること

 たとえば「ピアノが上手だから弾いてごらん」と云うと,当人もその気にな って弾き始めるが,ちょっとしくじって誰かが笑ったりするとプソとなってし まい,もうどうなだめても弾こうとしない。ということがある。

 また,食事の時,こぼしたことを注意されるともう怒ってしまい,全然食べ ようとしない。いくらお腹が空いていても食べない。これはその子なりにプラ イドを傷つけられたからである。当人もどうしようもなくてそうしている。こ れは「完全癖」とか「かん癖」が関係しているようだ。こうした拗ねた行動は ひねくれに似ている。「どうせ……だから」と自分から世間から離れていく。

そして自己の中に閉じこもる。世を白眼視する。人の愛情を素直に受け入れな い。拗ねるのは何かわざとらしい執拗な所がある。そこが強情に似ている。

(4)ひがみ

 「どうせ私は貧乏人だから……」とか,「どうせ俺は嫌われ者だから……」

と考えるのはひがみ根性である。ひがみ根性が一たん形成されるとそういう思 考様式が定着する。

 ひがみは他人の好意や愛情を信じないことから起る。仲間に入りたい気持は ありながら「どうせ仲間はずれだ」と自分できめてかかって,かたくなにそっ ぽを向き続けるのは,自分を仲間に入れてくれるというみんなの好意を信じな いからである。主我的認識に走り,客観的認識ができない。そうなってしまっ たのは,失敗体験の積み重ねによるのであろう。失敗のショックのために,客 観的認識ができなくなっているのであろう。

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 (5) あまのじゃく

 人が左と言えば自分は右と云うのをあまのじゃくと言う。卒直に他人に賛同 できない性質である。つむじ曲り,へそ曲りである。彼等の心には周囲の人と 一緒になれないものがある。大勢と一緒になることを嫌い,自分だけ孤立しよ うとする。ひがみと劣等感があまのじゃくを発生させる。分離性性格もあまの じゃくを生じさせる。

 (6)だだをこねること

 幼児が駄々をこねるのもガソコに近い。これは躾けの誤りから起る。だだを こねた時,求めているものを与えると,駄々をこねることが物を得る方法であ ることを知る。一たんこの習慣ができてしまったら,その治療方法は条件解き のやり方になる。

 (7)ふくれっ面

 これは不満足についての自己主張の一種である。不当な取扱われ方に対する 抗議という意昧の時,執拗さが現れる。

 (8)意地悪

 意地悪は他人の幸福に対する継続的妨害である。自分自身が幸福な人は意地 悪はしない。愛を知らぬ子,愛されていない子,のけものにされている子,い つも不平不満をもっている子などが意地悪をする。不当に,不正に扱われてい ると思っている子の意地悪は執拗になる。

 (9)復讐心

 法を信頼し,社会の批判を信頼し,あるいは神の裁きを信頼できれば復讐心 はしずまるが,それがないと,復讐は復讐を呼ぶ。

 一たん復讐を心に誓うと,それを果すまでは執拗にチャンスをうかがう。忠 臣蔵の話,蘇我兄弟の話などがそれである。近くは続発している過激派学生の 内ゲバ事件にもそれが見られる。

 (10)反 抗

 意志の疎通がうまくいかないことから反抗は発生する。価値のおきどころの ずれから相手との断絶感がおきる。話し合っても無駄だと考えると問答無用と

なる。そして互いに相手をガソコだと考える。虚勢的反抗の段階ではガンコさ

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はあまり見られないが,英雄的反抗の段階になると執拗に反抗する。

 (11)従 順

 子どもの自我意識に基く自己主張と,成人と子どもとの問の愛情関係の円滑 さの欠如により,従順でない行動が発生する。成人が子どもの生活に無理解で,

不可能なことを強いたり,約束を破ったり,嘘を言ったり,過干渉になると,

子供に反対暗示の状態を作り,大人からの命令や希望にことごとく反対する態 度が生ずる。口答え,反抗などは不従順の積極的な現れであるが,強情はその 消極的な現れである。反抗や口答えは外向的な子供に多く見られ,強情は内向 的な子供に見られる。

 すなおな性格は気持がよい。のびのびと育ったという感じがする。幼児は人 を疑わない。ひねくれがない。自我がまだ十分できていないので,「自分の意 志」がそれ程強くない。意志転導性も大きい。

 青年期になると一般に反抗的になる。青年は自我が強くなり,批判的になる。

 わが国では戦後は従順という言葉ははやらない。民主主義の教育では自主性 が強調され,主張すべきことは主張すべきだと教える。しかし外国ではどうで

あろうか。

 ソ連の幼児教育では従順と服従のしつけが強調されている。ソ連教育省から 出された「生徒守則」にも,「学校長と教師の命令に絶対に従うこと」「学校長

と教師には敬意を払うこと。道で教師や学校長に出あった際には礼儀正しいお じぎによる挨拶をすること。」とある。

 中共の生徒守則にも大体同様なことが書かれている。わが国の現状とは大分 違っている。

 主体性のない従順はよくないが,主体性をもちつつ,いたずらに異を立てる ことなく,小異を棄てて大同に就き,協調的に行動のできる従順さは望ましい ものである。主体性と協調性は統合されるべきものである。

〔しつこし、81生ネ各〕

(1)粘液質

ヒポクラテスの液体病理説に基いて四気質説が唱えられたが,四気質の中の

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一つの粘液質は,不活磯で無関心な性格で,熱しにくくさめにくい性質である。

歴史上の人物では徳川家康の性格がこれであると云われる。

 (2)粘着気質

 クレッチマーは体格と気質の関係を考え,循環性気質と分裂性気質に分類し たが,後にエンケ(Enke, W.)はこれに粘着気質(Visk6se)を追加した。

これは闘士型の体型に対応する。粘着型は固執と爆発を基調とする。人に馴れ るのに手間がかかるので交友範囲は狭い。しかしひとたび交るに至ればその交 りは深く且長い。仕事ぶりはこつこつと粘り強くやり遂げる。しかし臨機応変 に処理するような柔軟性に欠ける。ものの考え方は飛躍することなく,筋を通 す。信念をもって動く。意志が強く,くいついたら離さないという傾向がある。

これが悪い方向に行くと,頑固,強情,つむじ曲りなどになりやすい。

 (3)執着性格

 飯田真は,執着性格が躁欝病の病前性格であると云う。几帳面で,綿密で,

勤勉で,徹底的で,細部拘泥的で,融通が利かない。熱しにくくさめにくい。

秩序を保ちたがる。正義感が強い。良心的でうらみがましい攻撃をする。価値 が多様化し,無秩序化した現代社会は執着性格の人にとっては存在の基盤を掘

り崩されて,欝病の発病の危機にさらされている。

〔硬 さ〕rigidity

 心的硬さの研究は1894年NeisserによってPerseverationとい言葉が用い られた頃から始まる。Perseverationとはある行動を始めるとその行動を途 中でやめて他の行動に移りにくくなるような傾向を云う。その後MUIIerは Perseveration tendencyを言い, Achは「決定傾向」を説いた。しかし硬

さをパーソナリティの問題として取り上げるようになったのはJones(1915年)

などからである。精神分析学者たちも硬い行動をとりあげて考察している。

 ゲシュタルト学派の心理学者レヴイン(Lewin, K.)は心の硬さ(rigidity)

という言葉を使い出した。(1935年)彼は人間の心の構造をトポロギー的に表 現するとき,「分化度」とともに境界壁,障壁,性格壁の存在を考えた。その 壁がもっている性質の一つとして「硬さ」が問題にされた。すなわち,硬さと

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は隣i接領域間の交通を妨げる隔壁の機能的性質とされた。ウェルナー(Werner,

H・)は,硬さを強情,目標固定,ステレオタイプ,柔軟性の欠如,行動変化の 困難のような現象的事実を意味する顕型的記述概念とした。それに対しレヴイ

ンの弟子のクーニソ(Kounin, J. S.)は硬さを「人の構造」の構想に基く構成 概念とし,構造的硬さを考え,元型的に考察した。

 ゴールドシュタイソ(Goldstein, K.)は脳損傷者の硬さと生来性の精神薄 弱者の硬さとでは異ることを論じた。前者は機能の孤立化(isolation)によ る硬さであり,このタイプはある状態から他の状態への移行が困難であるから

「移行性の硬さ」という。これに対し,後者は機能の分化の欠如による硬さで ある。このように硬さとは何かについていろいろな理論が展開された。

 硬きを測定する方法としてはルーキソス(Luchins, A.S.)が考案した「水 がめテスト」,埋没図形を見つけさせる方法,移行図形を使う方法(犬一猫テ

スト),ロ 一一ルシヤッハ・テストの一部を使う方法,質問紙法などいろいろ考 案された。質問紙法では態度的硬きが測られた。そしてそのいろいろな方法を 使って硬さを測った結果,同一人の硬さが,測定方法によって異ることがわか ってきた。一口に硬さといっても実はいろいろな種類の硬さがあるのではない かと考えられる。すなわち硬さの一一般性というものは今のところまだ言えない のではないかと考えられる。

 硬さを規定する環境的条件としては,恐い場面,むつかしい場面,緊張のあ る場面や,あいまいな目標の場面では硬さがふえるという研究がなされてきた。

 従って,硬い反応の事態を生じないようにするにはストレスがないようにす ること,事態をなるべに見通しの利く,はっきりしたものにすること,社会か ら隔絶しないようにすることなどが必要である。 (文献⑦参照)

 要するにガンコさは現象面から捉えた時の記述概念である。硬さは現象的記 述概念と構造的・力学的概念と両方がある。現象記述という面ではガンコさと 硬さは重なる面もある。しかしガンコさにもいろいろな側面があり,硬さにも いろいろな側面があるので,両者が重ならない側面もいろいろと考えられる。

 例えぽ知覚的硬さとガソコさなどである。さまざまな現れ方をするガンコさ と硬さをもっと整理するのが今後の課題である。ガンコさと「信念」や,偏狭,

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狭量の関係の解明も必要であろう。よい意味でのガンコさと悪い意味でのガン コさが同一人の性格構造の中でどういうあり方をしているかを分析する必要が ある。よい意味だけのガンコさになり得るか否かの問題である。

 ガンコさと硬さは教育的にも大事な問題である。信念のある子,自主性のあ る子の育成に関係がある。パーチとラヴイウッツの思考的硬さの研究結果から,

課題場面の解決には硬さが関係していることがわかった。創造性のある子への 育成への重要な留意点であろう。アメリカのフレミソグ(Fleming, E. S.)等

の研究によれば,独創的な子は硬さが少いことがわかった。(小学年生で研究 した。)しかし一方,天才の病蹟学的研究を見ると,天才たちには硬いパt−一・ソ ナリテイの人が沢山いたことがわかってきた。このへんの統合をどう考えるか も今後の課題である。

 パリー(Pally, S.)の研究によれぽ,失敗や恐れや不安があると硬さがふえる ことを証明した。人が脅迫された状態では課題解決の方法を変更することはむ つかしい。そういう状況では悩みをもって助言を求めて来る人が,与えられた 助言をすなおに受け入れることができにくい。それは彼が硬い心になっている からである。従って精神衛生的相談の場面で,臨床家の姿が脅迫的なものとし て問題児の目に映ると治療効果は上らないであろう。問題児に訓戒を与える時,

その子を硬い心にしてしまっては効果が上らない。心の構造転換を容易にする ための工夫が必要であろう。ガンコな子の矯正方法,反抗的な子の説得方法,

カウンセリングにおいて早く洞察に導くための工夫なども今後の課題である。

《参考文献》

1)Baer, D. J.:Factors in Perception and Rigidity・Perception and Motor  Skills. 19. 1964.

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3)Fleming, E. S.&Weintraur, S.:Attitudinal rigidity as a measure of creativity

 in gifted children. J. educational PsychoL VoL 53, No.2.1962.

4)古谷妙子:態度変化に対する抵抗についての実験的研究,心理学研究28巻,1958 5)広中平祐;小沢征爾:やわらかな心をもつ,1978,創世記

6)加藤義男:精神薄弱児の動機づけに関する研究一硬さに関する動機づけ理論の検

(12)

  討,教育心理学研究,19巻3号

7)Mc Andrew, H.:Rigidity and Isolation:Astudy of the deaf and the blind.

  J.Abn. Soc. Psychol. Vol.43,1948.

8)三浦 武:人の構造における硬さについて,心理学研究,20巻,1950 9)三浦 武:心的飽和速度の実験的一研究,人文学報No.10.1953.

10)三浦 武:心理学的力学の段階性,人文学報No.31.1963.

11)三浦 武:場の理論とパーソナリティ,詫摩武俊(編):性格心理学(大日本図書)

  P.117−131.1974

12)三浦 武:硬い心,都立大学附属高等学校研究紀要第1号.1974

13)三浦 武:緊張とがんぽり, 「児童研究」21巻6号.1976.

14)三浦 武:すなおさについて, 「児童研究」(聖心学園)22巻2号.1977.

15)村川紀子:問題解決におけるリジディティの因子分析的研究,教育心理学研究   10巻3号.1962.

16)村瀬孝雄i:硬さの発達心理学的分析,教育心理学研究,2巻3号.1954.

17)森政 弘:かたくてやわらかい頭,実業之日本社.1978.

18)Pally, S.:Cognitive rigidity as a function of threat. J. Personality. Vol.23.

  No.3.1955.

19)Rehfisch, J. M.:Ascale for personality rigidity. J. consulting Psychol.

  Vol.22, No.1.1958.

20)Wolpert, E. A.:Anew view of rigidity. J, Abnormal and Social Psychol.

  Vol.51.1955.

21)Zelen, S. L:Goal−setting rigidity in an ambiguous situation。 J. Consuling   psychol. Vol.19, No.5.1955.

22)司馬遼太郎:歴史を紀行する 文芸春秋社 1969.

23)祖父江孝男:県民性 中央公論社 1971.

24)宮城音弥:日本人の性格 東京書籍 1977.

25)舎人栄一:わが県の実力番付 祥伝社 1980.

26)NHK放送世論調査所:日本人の県民性 NHK.1979.

〔追 記〕

 森重敏教授が昭和56年3月,定年で退官されることになった。森氏と私とは学生時

代以来のつき合いである。親子関係の研究で何年も共同研究を行ったし,教育心理学 や児童心理学の教科書の編集を二人でやってきたりした。森氏が都立大学に着任され,

私のあとの教育心理学の講義を担当することになったし,また私が学生部の相談課長

を辞任したあと,森氏がそれを引継いでくれた。こんなに同じコースを歩くことにな

ろうとは全く予想もしなかったが,不思議な縁であった。その公私ともに永いつき合

いの間,互に心を許してやってこれたのは大変嬉しいことであった。この機会に森さ

んに厚く御礼を申し上げたい。

参照

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