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差別と侵略の教育史年表
15年戦争期
小沢ゼミ
1 つながりを見いだそう II 年表
III関連年表と解説 1 一般行政と教育 1−1 一般行政 1 1−2 一般行政 2 1−3 一般教育 2 皇民化と教育
12345678 22222222
(外交・軍事政策)
(国内民衆動員)
児童保護 障害児者教育 女子教育 夜間学校
被差別部落民教育 沖縄教育
アイヌ教育 在日朝鮮人教育 3 大東亜共栄圏と教育(1)
3−1 植民地台湾 3−2 植民地朝鮮 3−3 樺太・南洋群島 3−4 関東州・満鉄付属地 4 大東亜共栄圏と教育(2)
4−1 「満洲国」
4−2 蒙彊・中国占領地 4−3 東南アジア占領地
5 日本的国際化と教育 5−1 在外日本人学校 5−2 留学生
1V どのようなつながりを見いだすか
直轄植民地
小沢有作
中島 純 中島 純 毛 剣文
本田 豊 佐藤充子 細川たかみ・宮田幸枝 古賀芳夫 古賀芳夫 一盛真・上原由充 小沢有作 曹永枝・増田洋子
徐 愛 石橋満里子・南相理・林恵蘭 大森直樹・日比野真士 劉 麗郷 カイライ政権型植民地・占領地 大森直樹 張 亜東 程 凱
北原拓也 李 立bk 共同討議
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1 つながりを見いだそう
1 年表の作成に向けて 1991年春・
1 風通しの試みを
教育史の年表は各種あるけれど,〈差別と侵略〉という角度から編まれた年 表は作られていない。だから,作ってみたい。作ったら,必ず,発見すること
がある。それが大きな楽しみである。
もっとも,女子教育史なら女子教育史年表といったように,個別分野の年表 は,それぞれに,いくつも,編まれている。ただ,今までは,縦割システムの
もとで,個別分野のなかに閉じこもってきた。タコッボ風であった。
欠けていたのは,これらを横に並べて,おのおのの出来事のあいだにつなが りがあるかどうか,それを見つける風通しの試みである。
タコッボに穴をあけて,出来事を較べて,見る。女子教育に起こったことと 被差別部落の教育に起こったことと夜間学校に起こったことのあいだに,っな がりが見えてくるかもしれない。アイヌ教育と台湾植民地教育のあいだに連関 があることが浮かんでくるかもしれない。ばらばらだった出来事が一つのつな がりの相の下にあるように見えてくれば,しめたものである。
ばらばらに見えるさまざまな出来事のあいだにつながりがあること(内的連 関)を発見する,それが研究するということであり,また研究する楽しみとい
うものである。一つのことを深く追求する心と同時に,それがどのようなつな がりの相にあるか,つながりを探す心が研究者において欠かせない。
と格好をつけてみても,ほんとは,やってみなければ,何も見えてこない。
おタカさんではないけれど,「やるっきゃない」。歩かなければ,道は開けてこ ないのである。
2 構成
さて,この年表,タテ軸に「学制」発布以降から今日までの歩みをおく。教 育も昔からあり,侵略(秀吉の朝鮮出兵やアイヌ支配)や差別も古くからある
3 けれど,さしあたっては近代学校制度を導入してから後の時代に限る。差別と 侵略の観点から日本近代教育史の諸事実を取り出して編年に編んでみようとい
う狙いである。その視点から見て,大きな変わりめ(=歴史の節目)が浮かび 上がるかどうか。浮かびあがってくれば,おもしろい。その発見を種(ネタ)
にして,いろんな思いつき・仮説が出てこよう。
ヨコ軸には,被差別・被侵略の存在を項目として置き,おのおのに即して,
それにかかわる教育の出来事をピックアップする。
ヨコ軸の項目としては,L般史における大きな出来事」をしるしたあと,「教 育制度・政策」と「差別」と「侵略」の三つの種別,その下にたとえば女子教 育,障害児者教育などを項目としておくようにしたら,どうであろうか。
i 教育制度・政策
「一般史における大きな出来事」とは,たとえば日露戦争とか米騒動,三一 運動,あるいは敗戦,朝鮮戦争とか,差別と侵略の状況やそれらへの対応のし かたに変容をもたらした事件をさす。
「教育制度・政策」のところは二項目に分け,はじめに「教育制度・政策」
の項をおき,その移り変わりのポイントポイントを辿る。教育理念の姿(教育 勅語や教育基本法など),学校制度の変遷などは,おさえておかなくてはなら ないであろう。たとえば,教育勅語は植民地時代の朝鮮教育の基本とされ,朝 鮮の子を「天皇のために死ぬ朝鮮人」に変質させるという民族差別の教育を方 向づけた。理念・制度・政策は国内の差別を強め,国外への侵略を支え,これ らを再生産する機構になったりしたのみならず,植民地・占領地の住民に対す る教育の土台になったのである。
これに「就学差別」の項目を加えようというのが,私の案である。日本の学 校は,小学校から大学まで,昼夜二重構造をとっている。初等教育も,戦前は 特殊小学校から夜間小学校の流れがあり,戦後も夜間中学校として受けつがれ ている。その「夜間」課程の側面を取りだしていく。都立大学にも夜学がある。
他人事ではない。あわせて,「識字の10年」が始まっている(1990年は国際識 字年)。「識字」活動の歩みを追うことも必要になろう。戦後でいえば,夜間中 学,識字学級などがこれにあたる。文字を奪われていることは最大の教育差別
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である。
ii 差別と教育
以上の二項目は「教育制度・政策」の変遷を主に見るものである。次に,国 内における「差別と教育」の歴史を辿る種目をおく。日本に被差別の社会集団 がいくつもあり,これとかかわる教育が展開されてきていることは,われわれ のよく知るところである。それらを項目に分けて置く。
主なものをあげれば,「女性」,「障害児・者」,「被差別部落」,「沖縄」,「ア イヌ」,「在日朝鮮人」などになろう。これらに対応して,これらに個別にかか わる教育が,多かれ少なかれ,長く展開されてきている。
これらは従来,「女子教育史」,「障害見者教育史」,「同和教育史」,「沖縄教 育史」,「アイヌ教育史」,「在日朝鮮人教育史」といったような名称で,個別教 育史として研究されてきたものである。領域によって研究の蓄積に深浅があり,
それが年表の精粗になって反映してきているが,われわれの年表作りにあたっ ては,これらを使わしてもらうことからはじめるのがベターであろう。
個別の年表を見て思うことは,たとえば女子教育についていえば,学校教育 による性差別の再生産という教育政策の流れを捉える一方,それとの対峙・そ れからの解放としての対抗教育counter−educationの運動=婦人解放の教育運 動の歩みを追うスタイルを取っていることである。「差別と教育」にかかわる 個別年表は,ほぼ共通して,このような特徴を備えている。これをわれわれの
年表にどう活かしていくか,議論しなければならぬ問題である。
iii侵略と教育
「差別と教育」の種目のあとに「侵略と教育」の種目がつづく。国内の差別 があるからこそ,国外への侵略が容易になる。差別のない所には侵略は成り立
たない。
領土化は近代以前からあったが,侵略→植民地領有は帝国主義と結びつく。
日本では1945年までの歴史的事実で終止符をうつ。世界的にいっても,植民地 領有としての侵略(;旧植民地主義)は,第二次世界大戦終了以後,なくなっ
た。それに応じて,植民地教育という現象も生じなくなった。
旧植民地主義に代わって新植民地主義が登場した。植民地を領有する代わり
5 に経済面・文化面で従属をはかろうとする。そうなると,教育のかかわりかた
も,「植民地教育」から「教育援助」へ形を変える。
1945年以降,「植民地教育」の事実がなくなったことが,日本現代教育史の 特徴であり,またわれわれの年表の大きな特徴になる。在日朝鮮人教育に対す る戦後の抑圧は,事実として植民地教育の継続であるが,本年表のカテゴリで は,差別に入れている。(古典的)侵略がなくなっても,差別は残るのである。
1945年までの「侵略と教育」の種目には,その開始の時代順にしたがって,
「台湾」「朝鮮」「中国(関東州,満洲国,その他)」「その他の植民地(樺太,
南洋群島など)」「大東亜共栄圏」という5つの項目に分けることができよう。
日清戦争(台湾領有),日露戦争(朝鮮及び樺太の領有),第一次世界大戦(南 洋群島信託統治)というふうに,戦争ごとの植民地をふやし,15年戦争期にそ れが最大規模に達した。これに応じて植民地教育も広がっていった。年表の項
目もふえる。
iv 教育における人の往来
以上のほかに「差別」と「侵略」の間に「在外子弟の教育」の項目を設けた らどうであろうか。明治開国以降,日本人はアジアの太平洋沿岸地域に居留,
それに応じて日本人学校を各地に設立した。釜山のそれが第1号であった。戦 後も1950年代末「海外日本人学校」として再開,今日,最盛を迎えている。
以上にあげてきた項目を横に順に並べると,「一般」,「教育制度・政策」,
「就学差別」からはじまり,これを1グループとすると,次に,「女子教育」,
「障害児者教育」,「同和教育」,「沖縄教育」,「アイヌ教育」,「在日朝鮮人教育」,
「在外子弟の教育」とつづき,そのあと,「台湾」,「朝鮮」,「中国」,「その他の 植民地」,「大東亜共栄圏」となる。あわせて15項目。
戦後は「侵略」の5項目がなくなるから,10項目。代わりに「教育援助」の 項を新設し,留学生もここに入れるか。そういえば,大東亜共栄圏時代にはア
ジア人留学生を積極的に招いていた。
留学生と記してみて,アジアからの留学生が明治開国早々からきた反面,日 本人が欧米に赴いた100年の歴史があることを想起した。初・中等教育レベル の「海外日本人学校」と高等教育レベルの「留学生」とをセットするのも,一
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案である。この2項をまとめて,教育における人の行き来であるから,これを
「差別」と「侵略」の間におくか,議論してみたい。留学生を加えると,16項 目になる。最多項目期は十五年戦争時代で16項目。
図示すると,次のようになる。横一列に並べると一枚の紙に収まりそうにな いので,グルーピングしたら,どうだろう。
1グループ 2グループ
一般 教育制度
@政策
就学
キ別
女子
ウ育
障害児
メ差別
同和
ウ育
沖縄
ウ育
アイヌ
ウ育
在日朝鮮
l教育
3グループ 4グループ
在外子弟
フ教育
留学
カ
台湾 朝鮮 中国 その他のA民地大東亜
、栄圏
3 タコツボ型認識からの解放 i 曲がり角に立っ
このような年表を作ろうと思い立ったのには,わけがある。ひとつは私個人 の内部からつきあげてくるもの。もうひとつは運動の縦割システム,研究の専 門化。運動も研究もタコツボに閉じているけれど,この枠を取っ梯わないかぎ り新しい人間解放の教育のパラダイムは見えてこまい。そう予測しているので
ある。
個別に閉じこもる運動と研究は,今や限界に達した。その内部からの新しい 解放理論 差別と解放にかんする認識の新しい枠組み が生まれる見込み
は少ない。個別の枠を抜けでて,差別と侵略の重層的・連関的な構造を探り,
それにかんする新しい理論の枠組み(=パラダイム)を予想し,新しいパラダ イムから個別の運動と研究を位置づけ,結びなおしていく。このように教育研 究のやり方を新しくしていくことが求められている。
タコツボ的研究から連関的視野の形成へ。差別と侵略にかんする教育研究は
7 脱皮の時に至っている。いいかえれば,転換期に立っている。私は,私の内外
を振り返ってみて,このような実感をもつ。
連関的視野の形成,この言葉を再引すれば,教育における差別と侵略のもろ もろの出来事のあいだにつながりを発見すること。新しいパラダイムはそのな かから姿を見せてくるであろう。そこへ向けての最初の作業として年表の作成
がある。
ii連関を探る心
私は,朝鮮に対する植民地教育の歴史をデッサンすることから,研究を始め た。その後,アジア,アフリカにたいする植民地教育をのぞき,在日朝鮮人教 育の歴史を調べ,併行して大東亜共栄圏の教育とアイヌ教育に目を向けた。
「満洲国」教育の文献を集めた。さらに,部落解放教育,障害児者教育,識字 運動にかかわった。どれもこれも中途半端のままに終わっているが,渡り歩い たおかげで,ひとつのことと他のこととのあいだにどのようなつながりがある のだろうかと問う問題意識を抱くようになった。
日本の植民地教育に通底するもの(=構造)は何だろうか。
日本の差別教育に共通するもの(=構造)は何だろうか。
日本の植民地教育と差別教育にはどのような連関があるのだろうか。
このようなつながりをさぐる課題に目を向けるようになった。
十数年前に書いた「近代学校と教育」(『教育労働研究』1977年)は,その心 もちを表した最初の論文だったように思う。この論文は,一人の目で差別と侵 略の教育をオーバーレビューしたというメリットをもつけれど,内容は事柄の 羅列に終わっている。羅列とつながりは異なる。
また,「差別と教育についての断章」(『教育科学研究』1983年)という論考 を書いて,差別と教育の関連を考えることに手をつけたが,思いつきの域を出
ていない。
2つとも敗戦までのことを扱い,戦後について書いていない。その意味で,
中断している。でも,気持ちのなかではしつこく追い続けている。弁解めくが,
この年表もその続きとして私のなかに位置ついている。
このようにこだわり続けるなかで,差別の教育の個々の問に,差別の教育と
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侵略の教育の間に,同時代的なつながりがあることを強く感じるようになって いった。しかし,どのような相の下でつながっているのか,その連関まで見え ていない。これを見るには,出来事をつき合わせてみることが必要になる。と なれば,さしあたっては年表を作って,同時代に何が起こっているか,横に通 覧してみることである。
疑問から事実調べへ。もうちょっと格好つけていえば,勘から実証へ。これ が研究の成り行きである。
iii扇型の認識方法へ
運動と研究の現状に目を移すと,タテ割システムが貫徹している。婦人解放 の教育,障害児者教育,部落解放教育,在日朝鮮人教育などなど,おのおのが 自分の解放教育に閉じこもって,他の教育の解放とどのようにかかわっている か,つきつめることが少ない。
数年前,俵萌子さんを代表とする「女性民教審」が教育改革案を提出した。
男女平等教育及び障害児者教育については記していたけれど,部落の子や在日 朝鮮人の子やアイヌの子らの教育については一言もふれていなかった。見えな
い存在にしてしまったのである。ひどくがっかりしたことを覚えている。これ は反差別の教育運動においてもタテ割システムが貫いていることの反映である。
このようなタテ割システムを官僚制といいかえることができる。官僚制は行 政のなかにあるだけでなく,運動のなかにも,研究のなかにも貫いているので ある。研究の世界はこれを研究の専門性と称し,その名のもとにカモフラージ ュしている面がなきにしもあらずである。
じつは,運動以上に研究においてタコッボ風はひどい。私が十五年戦争期の 在日朝鮮人教育の歴史=「協和教育の時代」を調べていたとき,同時代に被差 別部落や女子の教育に何が起きていたのか,目がなかなか届かなかった。「満 洲国」に住む朝鮮人の教育を調べて,そこから「五族協和」の教育に迫ること
をなおざりにした。女性民教審の改革案を批判したが,批判点はそのまま私に はね返ってくる。他人事ではない。
研究だから集中することが必要である。しかし,集中と内閉(とじこもり)
は異なる。集中すると同時に,そのことの起きた同時代に他の差別や侵略の分
9 野では何が起きたのかを調べる目配りが欠かせない。他の出来事を知ることに
よってそのことの位置や性質がかえって鮮明に見えてくる。
十五年戦争下,植民地では「皇民化」教育が行われた。視線を横に広げて同 時代の出来事を見ると,在日朝鮮人に対しては「協和」教育が,被差別部落に 対しては「同和」教育を展開していた。障害者に対しては優生思想が押しつけ られた。アイヌ教育では「旧土人小学校」が廃止され,和人の小学校へ移るこ とになった。それらの結節点は天皇制国家にあった。
人のやることだから,そう違ったことはできないはずである。私の察すると ころ,差別と侵略の教育の本質は,国家のイデオロギーに大人や子どもを同化 させていく反面,大人どおし,子どもどおしの横のつながりを分断,反目させ ていくことにある。それを時代の課題に応じて,対象の性質に応じて変容させ ていく。時代,時代のその仕組みを明らかにしなければならない。
現象→構造→本質という武谷三男の研究方法論はいぜん有効であろう。
自分が集中して調べるそのことを要として,目を横に広げて差別と侵略の教 育における他の分野に起きたことを視野に収める。集中と目配り。これを扇型 の認識といおう。これに対して専門分野のことしか見ない,知らない内閉型の 研究をタコツボ型の認識とよぼう。今,われわれに求められているのは扇型の 認識であり,研究である。認識と研究におけるタテ割システム=官僚制からの 解放である。年表作りはこれに役立つに違いない。
2 年表作成のなかで 1992年春
1の文章は1991年春に書いた。〈差別と侵略の教育史年表〉に寄せる私の思 いを綴ったものである。その後一年間,時代を十五年戦争期に絞って,皆で分 担して,年表づくりを行った。ひとつのできごとが他の分野(項目)のできご ととどうつながっているか,討論を交わした。そうして,各項目の事項の脇に
「関連事項」を附記し,解説をつける以下のようなスタイルの年表を作成した。
その前書きをいいだしっぺの私がしるすことになった。はじめは1の文章を リライトして載せようと思ったが,むしろ1の文章をそのまま残したうえで,
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一年間の共同作業をへて,そこに何が加わったか,どう修正されたかを記した ほうが,研究の歩みを知る意味でプラスになると思うようになった。そこで,
2として,私の気づかされた点を二,三記すことにした。
1 十五年戦争期に絞ったこと
じつは,この年表づくりを数年前から始めていた。そのときは明治の学制発 布を起点にして,1から4までのグループに即して,作業のやりやすさを思っ て,ほぼ十年単位に区切り,年代順にフォローした。1900年まで終えた。 私 のやり方は,立派な理論仮説を設けてそれを実証するという方法をとるよりも,
こういうアイディアで調べてみたら何かが見えてくるかもしれないと思って,
まず歩き始めてみることであるようだ。仮説とアイディアはどう違うかと問わ れたら答えに困るけれど,アイディアはむしろ勘に近い。ここをこのように掘 ったら何か鉱石が発見できるかもしれない。およその見当で動きはじめる。研 究でも勘は大事である。
それを,今回,明治期の作業を引きつがず,十五年戦争期としたのは,どう いうわけであったのであろうか。
十五年戦争期,天皇制国家の教育は,日本教育史上空前絶後の規模に広がっ た。北は「千島・樺太」から南はインドネシアまで。朝鮮,台湾の植民地はも とより,「満洲国」から東南アジア占領地域にいたるまで,天皇制教育を輸出
・強要したのであった。他方,国内に生活する被差別者,女子,障害児者,被 差別部落民,沖縄県民,アイヌ人,在日朝鮮人などに対しても,それぞれを新
たな団体に組織して天皇への忠誠を誓わせる教育を展開して,本国の被差別者 をアジアへの差別者・加害者に変えていった。
しかし,その連関はいまだ定かでない。描きだされていない。連関を捉える 方法,描く方法さえ,わからないままである。その原因には,十五年戦争期の 教育の研究が本国のマジョリティに対する教育を対象としてきたという視野の 限界もあろう。この時期における各植民地・各被差別者に即した個別研究も,
多寡の差はあれ,蓄積されてきているけれど,まだまだ少ない。まして相互の つながりは十分に探求されていない。
II そうではあるけれど,研究上の勘からいえば,十五年戦争期ほどひとつの連 関の下で差別と侵略の教育が展開された時代は,ほかになかった。いいかえれ ば,この時期における差別と侵略の教育を見ていけば,日本近代教育における その連関構造(つながり具合い)をもっとも鮮明に捉えることができよう。歴 史は極限状況に立ちいたったとき,その本質,構造を現す。国家と教育の本質
を露わにする。
それと同時に,この時期ほど教育が反面教師としての姿を如実にした時代も,
他になかった。教育は,天皇制国家のイデオロギーに,日本の子ども・アジア の子どもの意識を同化させる装置として,最大限に働いた。教育はイデオロギ ー暴力を振るったのである。そして,日本の子どもとアジアの子どもを対立さ せ,日本の青年にアジアの青年を殺させ,ついにはそれぞれの命を奪った。教 育が悪く働くとこうなるという見本になった。
十五年戦争期の教育は,日本にとってもアジアにとっても,繰り返してはな らぬ教育である。これを反面教師として,差別と侵略の教育の代わりに自立と 共生の教育をめざさなければならない。この時期の教育を,以降の日本教育の 反省と再生の原点として見すえなければならない。
ゼミには,十五年戦争期の加害者の子孫と被害者の子孫が同席している。韓 国と中国の留学生が同席していることをプラスの条件として,この時期の教育 の事実と意味を一緒に討論し,それぞれの側から光をあてていく。そうすれば,
その事実と意味はもっと豊かに掘り出されてこよう。
2 項目がふえたこと
歩きはじめてみると,最初に予想した項目では事実を覆いきれないことがわ かってきた。最初は4つのグループ,16の項目を予想して,分担,作業を始め た。4つのグループとは「教育制度・政策」,「差別と教育」,「教育の国際交流」,
「侵略と教育」である。グルーピングは,なかの項目をふやし,時代に応じた 命名に変えたものの,変わらなかった。このグルーピングを以下「領域」とい
いカ㍉えよう。
第一の領域では「一般」,「教育制度・政策」,「就学差別」の3項目をおいた
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が,十五年戦争期の政治・外交を調べていくと,民衆の運動をつぶし民衆を動 員していく手だてを「民衆の組織化」として別項目を立てるほうがよいとわか ってきた。ここにファシズム期の政治と教育の特徴がある。これを中において,
教育政策へつなげていく。こうして一項目増えた。
第二の「差別と教育」の領域では,「児童保護」の項目を加えた。戦前,「貧 民教育」と呼んだ教育措置の流れがあり,夜間小学校もその一環に位置づけら れていたので,それらを念頭においた項目であるが,「貧民教育」とはいかに
も冷たい。見下している。それで,今日も用いられている「児童保護」とした。
そうしたら,着目する出来ごともおのつから広がる。乳幼児の命の問題,児童 虐待防止の問題が視野に入ってくる。言葉と視野とはまことに微妙な関連をも
つものだ。
「就学差別」はいつの時代にも形を変えて残っている。非識字者の存在はそ の証しであろう。そのアンチテーゼとして識字運動をここに入れることができ
よう。あるいは,高校中退者11万人の問題も入るか。ではあるが,さしあたっ ては,その制度的な一形態である「夜学」に限ってそれを見ていったらどうで あろうか。日本の学校には,初等・中等・高等,いずれの階梯にも夜学がおか れている。夜学は子ども・青年の労働と結びついている。また夜学には,三角 定期券をはじめ,夜学固有の問題がある。のみならず,昼夜間に差別がある。
これらは夜学創設以降こんにちまで引きつづく問題である。十五年戦争期に限 っても,夜間小学校に在日朝鮮人の子らが激増する現象が起きている。公立中 学校,さらには国立の理工系大学に夜間コースが設置されたのも,この時期で
ある。「就学差別」を「夜学」と代えて,ここに移そう。
第三の「教育の国際交流」の領域でも,「在外子弟の教育」を「移民教育」
と「海外日本人学校」に分けるのが実際に合っていよう。十五年戦争期,内原 訓練所などで国策として満蒙開拓青少年義勇軍の養成が行われた。「大陸の花 嫁」も送られ,いま,中国残留孤児になっている人もいる。さかのぼると,ハ ワイやブラジル等への移民が行われ,文部省も『移民教育』という本を出した ことがあった。「移民の教育史」を探ってみなければなるまい。これと,いつ れ日本に帰ってくる子らを対象とする「海外日本人学校」とは,性質が異なる。
13 第三の領域を「教育の国際交流」と仮称したが,交流といってよいかどうか 問題である。「移民教育」にせよ「在外日本人学校」にせよ,日本から持ち込 む,日本人子弟の教育であって,現地でのつきあいはうすい。国際交流という カテゴリにふさわしいものかどうか。戦前も戦後もあやしいものである。留学 生はこれに該当するが,十五年戦争期には,対欧米はストップしてアジァから 招くというゆがんだ形態になった。そのうえ,東南アジアから留学生を招いて も,日本からこの地に留学生を送ることをしなかった。一方的であった。こう 考えると,国際交流という言葉はふさわしくない。なにか適切な用語はないも のであろうか。
第四の領域「侵略と教育」は,事実に正確を期そうとすれば,必然的に項目 はふえざるをえなかった。「中国」とひとくくりにした項目は,侵略の日時に 従って,「関東州・満鉄附属地」,「満洲国」,日中戦争以降の「中国占領地(蒙 彊・華北・華中・香港)」とした。「樺太」と「南洋群島」も別べつになる。最 後に「東南アジア占領地」である。
こう書きしるすと,1896年以降の台湾植民地化からはじまって,1942年以降 の東南アジァ占領地に至るまで,アジア各地の人びとに対して,日本の軍隊と 政治と教育はどんなにたくさんひどいことをしてきたのであろうか,その非民 族化・非人間化の所業を思うと恐ろしい。わざわざよそへ出かけていって悪い ことをしたのである。すいませんでしたといってすむことではない。第四の領 域は1945年8月15日をもって消えるが,それだけに侵略の事実を肝に銘じて,
これをくり返さぬ政治と教育を創っていかねばならない。それが本当に謝罪す
ることになる。
以上のような具合で,16項目から出発した年表づくりは22項目にふくれた。
かりに「教育援助」の項を加えても,1945年8月以降の戦後になると,「侵略 と教育」の領域はなくなるから,項目は14に減る。差別と侵略の教育の観点か らどんな項目立てが適切か,これからも議論を重ねていかねばなるまい。
3 命名に苦しむこと
そのコトやモノに命名したり命名しなおしたりすることは,性格や状態を自
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分なりに認識・再認識することができたから,そうするのである。だから命名
・再命名することを,つよく定義・再定義することだといいかえてよい。
年表作成の途上で,これほどかしこまった状態ではないが,これに似たよう な状況にぶつかった。そして,私たちなりに命名・再命名を試みた。それには,
二つのケースがあった。それぞれのケースをふり返ってみよう。
i 時代の特性と命名
領域を四つに分け,カバーする分野を定め,前節にみるような名前を附した。
でも,それはまだ領域を指示する標識であって,領域の特性を表す定義ではな い。そこまで熟していない。また,今はそうするよう急がなくてもよい。
しかし,年表の十五年戦争期については,その教育の特性を文章化しなけれ ばならないから,そうもいっておれない。この時期,四つの領域はそれぞれに
どのような特性を表出したか。それをつかんで,それにあった命名を工夫しな ければならない。
「教育制度・政策」の領域ではどのような特性が表れているのであろうか。
年表作りの過程で見えてきたことのひとつは,女・青年・子ども・労働者・被 差別部落民・在日朝鮮人といったように,あらゆる階層を階層別に組織し,戦 争と侵略に総動員していく姿であった。教育・宣伝もすべて「精神総動員」を 鼓舞するために奉仕させられた。他のことはいっさい弾圧された。「動員」の 時代である。そうであれば,この時期のこの領域の特性を「民衆動員」とつか んで,「民衆動員と教育」と名づけることができよう。
「差別と教育」の領域ではどうか。こうして階層別に組織化・団体化すると 同時に,国体観念ということばを発明し,天皇に奉仕する教育を行った。部落 の子も沖縄の子もアイヌの子も在日朝鮮人の子も,みんな「天皇のために死ぬ」
よう洗脳された。そうした意味では,「天皇の臣民に化する」皇民化の教育が 被差別の子らにたいしても徹底し,これが時代の教育の特徴となった。こうし て「皇民化と教育」という命名が生じた。
私は以前朝鮮に対する植民地教育の歴史を書いたとき,その教育の根本特徴 を「同化」とし,わけても第三次朝鮮教育令(1938)以降の時期を「皇民化」
教育の時代とした。同化,皇民化を植民地教育のカテゴリとして用いたのであ
「5 るが,考えてみれば,天皇制の思想に子どもの意識を同化させる点は,本国の 教育も同じである。むしろ,ここが本家で,それが植民地に延長されたにほか
ならない。であれば,同化は国家教育の中心機能であり,皇民化は十五年戦争 期の天皇制国家のそれであると考えたほうがよい。
命名に困っているのは「教育の国際交流」の領域である。移民教育にせよ在 外日本人学校にせよ,日本人の都合に発し,相手の事情を組み入れていない。
一方的な持ち込みであるから,はじめから国際交流の名に値しない。十五年戦 争期には,これが極まった。交流という言葉を使うのに抵抗があった。特に担 当者が抵抗を感じた。せっばつまって,「日本的国際化」といって,日本の都 合本意の教育の持ち込みを表すことにしたが,皆がこれで釈然としたわけでは
ない。
十五年戦争期における「侵略と教育」の特徴は,日本国家自らが命名したよ うに,「大東亜共栄圏」の樹立にあった。そのイデオロギーが「八紘一宇」,天 皇の下に皆一家という皇民化思想であった。日本が実権を握った所はどこでも,
その地の大人や子どもに日の丸を掲げさせ,君が代を歌わせ,宮城を遥拝させ た。いうことを聞かないと,殴ったり投獄したりした。そうした諸事実を総括 する言葉として「大東亜共栄圏と教育」は迫力に乏しいが,時代の空気を想像
させるバネにはなるであろう。
民族を踏みにじるこんな暴行をアジアの諸民族に重ねてきたのであった。そ う思うと,ことに東南アジア占領地などについては,そう一括せず,フィリピ ン,シンガポール,マレーシア,ビルマ,ベトナム,インドネシアというよう に,一つ一つに即してその跡を辿らねばならない。そうしなければ,その地域 の人びとの痛みを想像し,抵抗を知る手がかりさえ失ってしまう。なのに,私 たちは,スペースと力量不足を理由にして一括している。それは,いわば靴に 足を合わせるやり方であって,足に靴を合わせるやりかたではない。
ii行政用語と再命名
十五年戦争期に使われた言葉,命名された用語を見てみると,それらの多く が行政用語として使われ,当事者にとって差別語としてあることに気づかされ
る。当時の用語をそのまま鵜呑みにしないで,どのように命名しなおしたらよ
16
いか,考えることを迫られた。
例えば,アイヌ人をさして「旧土人」といい,アイヌ小学校を「旧土人学校」
と名づけている。「旧土人」は1878年から行政用語として使われはじめた。189 9年に制定された「北海道旧土人保護法」には,今日もこの法律は生きている が,第9条で「北海道旧土人ノ部落ヲ為シタル場所ニハ国庫ノ費用ヲ以テ小学 校ヲ設クルコトヲ得」と規定,国費のこの小学校を「旧土人学校」と称したの
である。
この小学校を廃止したあとも(1937年,第9条削除),『北海道教育史』(196 3年刊)の中では「旧土人教育」という項目を立てて,アイヌ教育史を記述し ている。行政用語は,歴史の記録の中で歴史用語に転化して,生きつづけてい
るわけである。
「旧土人教育」という名称は和人の行政がつけた用語である。自らをアイヌ,
人間と称したアイヌの人ぴとにとって不当な差別語にほかならない。私たちは 踏襲することができない。踏襲すれば,行政と同様,自らをアイヌ人を支配す
る側におくことになる。それを否定する意味をこめて,私たちはアイヌ教育,
アイヌ小学校と命名しなおしたい。何よりも,年表にみるとおり,当時,すで に行政用語に対してアイヌ人は自らをアイヌと呼ぴ,民間の和人もこれに同じ ているのである。こう思うと,法令など行政用語として再録しなければならぬ 場合を除いて,アイヌ教育と記すのが自然の態度になろう。
行政用語は統治する側が統治するために命名した言葉である。そこには統治 する側のイデオロギーが刻印されている。それが文書として残り,歴史記録に なり,歴史用語として幅をきかす。しかし,それらは被差別の当事者を見下す 意識を内包し,当事者にとって差別用語となる。とすれば,行政用語を使うの
を止め,新しい言葉を用いなければならない。
このような再命名の必要を「旧土人教育」→「アイヌ教育」を例にとって記 したのであるが,このほかにも再命名を要するたくさんの行政用語にぶつかっ た。それをいくつかに分類して例示しよう。
イ まず人種差別の用語である。「旧土人」のほかに,台湾の高山族に 対 する政策を「理蕃」と名づけている。
17 ロ また,植民地支配用語がある。「大東亜共栄圏」などはその典型であろ う。「日満支」とか「満蒙開拓」とか統治政策にからんだ用語は数限りな くある。
ハ 国名,地名の改名も植民地支配の一環である。「満洲国」,「樺太」,「南 洋群島」,都市名で言えば「京城」(ソウル),「新京」(長春),「昭南市」(シ ンガポール)など。
二 朝鮮人に対して「半島人」と呼んだのも十五年戦争期である。「内鮮結 婚」も奨励された。わざわざ固有名詞の下の語をとるような言い方は差別 意識の反映である。
ホ 天皇制起源の用語がある。被差別部落の子らにかかわる「同和教育」,
在日朝鮮人の子らに対する「協和教育」がそれである。これらの用語は天 皇制思想への拝脆を意味する。それから卒業しなければならない。それで,
本年表では,「被差別部落民教育」,「在日朝鮮人教育」と記すことにした。
へ 知恵遅れの子らに対する「臼痴」という言い方,貧しい家の子らの教育 に対する「貧民教育」,「特殊夜学校」というようないい方も,差別性まる だしである。
歴史を捉えなおすということは,事柄を支配する側から認識することから民 衆の側から認識しなおすことを通して,命名しなおす営みである。私たちは否 応なしにこの中にほおり込まれているところである。
II年表
凡例
1.法令類の略記号について,法=法律,勅=勅令,通=通牒,省=省令,
府=府令,などとした。
2.年月日について,基本的には,日までを原則とするが,月のみ明記する 場合,8.− 10.一などとした。
3.年代の表記は西洋紀年を用いた。
18
1 一般行政と教育
西暦 1931
1932
1933
1934
1935
1936 1937
1938
1939
1940
1941
1942
1943
1944
1945
一般行政1(外交・軍事政策)
9.18関東軍,「満洲事変」おこす(15年
戦争開始)
1.28海軍陸戦隊「上海事変」おこす 9.15日満議定書調印・「満洲国」承認 3.27国際連盟脱退〔詔〕
7.7蔽溝橋事件おこる(日中戦争全面
化)
11.3近衛首相,東亜新秩序建設を声明 12.16興亜院官制公布〔勅〕
12.22閣議,満洲開拓政策基本要綱決定
7.27大本営政府連絡会議,南進政策決
定
927日独伊3国同盟調印
1120大本営連絡会議,「南方占領地行政 実施要領」決定
12.8日本軍,マレー半島に上陸開始
11.1大東亜省官制公布〔勅〕
11.5大東亜会議(日本・「満洲国」・タイ・
フィリピン・ビルマ・中華民国注兆銘政 権)開催
8.14ポッダム宣言受諾決定
一般行政2(国内民衆動員)
10.1陸軍省『国防の本義とその強化の 提唱』頒布
2.18「天皇機関説」事件おこる
3.24内務省,メーデー禁止通達 8.24閣議,国民精神動員実施要綱決定 10,12国民精神総動員運動中央連盟創立
1.11厚生省官制公布〔勅〕
4.1国家総動員法公布〔法〕
2,9国民精神総動員強化方策決定 7,8国民徴用令公布〔勅〕
10.12大政翼賛会発会式 1123大日本産業報国会結成
1.16大日本青少年団結成〔勅〕
11.22国民勤労報国協力令公布〔勅〕
4.30「翼賛選挙」実施
6.2大日本労務報国会結成
1.18閣議,緊急国民勤労動員方策要綱 決定
8.15戦争終結の詔書を放送
Ig
一般教育
4.1青年学校令公布〔勅〕
5.31文部省『国体の本義』刊行 11.30 閣議,満洲に対する青年移民送出決定(翌 年より満蒙開拓青少年義勇軍送出)
7.15教育審議会青年学校教育義務制実 施に関する件答申
4.26青年学校義務制公布〔勅〕(満12歳 以上19歳以下の男子)
3.1国民学校令公布〔勅〕 4.4閣 議,教育職員の外国及び外地派遣に関す る件決定 5.一教育審議会,興亜教育 に関する事項 7.21文部省『臣民の道』
刊行
5.21大東亜建設審議会,大東亜建設に 処する文教政策決定
6.25閣議,学徒戦時動員体制確立要綱 決定(軍事訓練と勤労動員を徹底)
11.12大東亜青少年指導会議開催 823学徒勤労令公布〔勅〕
5.22戦時教育令公布〔勅〕(全学校・職 場で学徒隊編成)
2 皇民化と教育
西暦 1931
1932
1933
1934
1935
1936
1937
1938
1939
1940
1941
1942
1943
1944
1945
児童保護
7.27文部省,全国の農漁村欠食児童20 万人と発表
4.1児童虐待防止法制定〔法〕
5,5少年救護法公布〔法〕
3.31母子保護法公布〔法〕
1.11厚生省官制公布〔勅〕
4,1社会事業法公布〔法〕
4,9初の集団就職列車,秋田から東京 へ580人
8.1厚生省人口局に母子課設置
5.1−8全国児童愛護運動,「健民運動児 童愛護」と名称変更
11.1厚生省健民局設置,母子課移管 12.23恩賜財団・母子愛育会設立
6.30閣議,学童の集団疎開決定 7.20文部省,学童疎開の範囲を東京の 他12都市に拡大
障害児者教育
6.1全国初の肢体不自由児のための小 学校,光明小学校開校(東京市立)
12.1全国初の弱視学級南山尋常小学校 に設立(東京市立)
3。26肢体不自由者救済教育令制定に関 する建議(衆議院議決)
1.15傷疲軍人保護対策審議会設置 12,8国民学校,師範学校及幼稚園に関 する件答申(盲・聾の就学義務制)
5。1国民優生法公布〔法〕
6.29全国初の精神薄弱児のための小学 校思斉小学校開校(大阪市立)
5.8国民学校令施行規則第53条の規定 に依る学級又は学校の組織に関する規程 制定(心身異常児の養護学級創設)
3.2中学校規程,高等女学校規程制定
(身体虚弱その他身体異常の生徒の学級
編成)
8.22集団疎開学童の教育に関する件通
牒〔通〕
女子教育
4.1東京市立第一女子商業学校開設
(最初の公立女子夜間甲種実業学校)
3,31母子保護法公布〔法〕
1.一日本軍,上海に「慰安婦」送る 8.一朝鮮総督府諮問機関,「内鮮人の通 婚」を奨励
12.22閣議,「大睦の花嫁」政策決定(満 洲開拓政策基本要綱)
1.26教育審議会,大学令による女子大 学創設を提起
2.2大日本婦人会発足
3.29文部省,戦時学徒体育訓練実施要 綱(行軍等に重点)通牒〔通〕 5.7文 部省社会局,戦時家庭教育指導要綱制定 1.10文部省,女子専門学校刷新要綱発
表
8.23女子挺身勤労令公布・施行〔勅〕
夜間学校
5.18夜間中学(各種学校)卒業者に専 門学校受験資格を認める〔通〕 12.5夜 間実業学校の設立認可要項改正〔通〕
4.1夜間授業での照明等に留意(青年 学校令〔勅〕) 9.11夜間女子中学(各 種学校)卒業者に専門学校受験資格を認
める〔通〕
9.14教育審議会,夜間中学・夜間女子 中学を正規の中等学校とする内容の中等 教育に関する件を答申
3.1尋常夜学校を国民夜学校(各種学 校)に改称〔勅〕 6.16教育審議会,
国民夜学校(各種学校)等につき答申 3.23名古屋高等工業学校規程改正,夜 間4年制設置〔省〕 4.23東京市,尋 常夜学校を国民夜学校に改称〔市告〕
1.21中等学校令改正公布,夜間中学・
夜間女子中学を正規の中等学校とする
〔勅〕
4.24官立工業専門学校規程制定(11校 に夜間部)〔省〕 11,8夜間学校学徒動 員に伴う措置要綱決定〔通〕
〔市告〕…東京市告
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西暦 1931
1932
1933 1934
1935
1936
1937
1938
1939
1940
1941
1942
1943
1944
1945
被差別部落民教育
2.5第2回全国融和団体連合大会開催,
内務省・文部省諮問に答申
9.12融和事業全国協議会,部落経済更 生運動要綱決定 10.30文部省,国民融 和に関する件を依命通牒〔通〕
5.11融和教育調査会,融和事業に関す る教育的方策要綱決定
6.24全国融和事業協議会,融和事業に 関する総合的進展に関する要綱と融和事 業完成十箇年計画決定
8.29文部省訓令第24号及び融和教育の 徹底に関する件を依命通牒〔訓,通〕
7.14全国融和事業協議会,融和事業の 総合的進展に関する要綱の改訂決定
1.16文部省,融和教育研究会設置 12.1紀元2600年奉祝全国融和団体連合 大会,厚生省・文部省諮問に答申
6.25中央融和事業協会,同和奉公会改 組決定(「融和教育」から「同和教育」へ
転換)
3.31文部省社会局編集『国民同和への 道』発行
沖縄教育
8.27沖縄県教育調査会発足(県教育の
振興を目的)
2,一沖縄県教育会,県民の読み換える べき姓84を発表 10.7国民精神総動員 沖縄実行委員会開催
4。一沖縄県から満蒙開拓青少年義勇軍
(第一次)送出
10,1沖縄県学務課,沖縄県教育綱領・
沖縄県社会教育綱領発表
1.7柳宗悦ら,標準語励行を批判(沖
縄方言論争)
12.10大政翼賛会沖縄支部発会式 3。1県立沖縄拓南訓練所開設 8.9沖縄文化連盟結成
8.22沖縄からの学童疎開船対馬丸,米 潜水艦により撃沈(学童700余人が死亡)
3.24男生徒を鉄血勤皇隊・通信隊,女 生徒を補助看護婦に部隊配属
3.一住民の集団「自決」相次ぐ
アイヌ教育
4.10バチェラー八重子『若きウタリに』
刊行 6,6北海道旧土人奨学資金給与 規程制定 8.2北海道アイヌ人青年大 会開催
8.25チン青年団結成(機関誌『ウタリ
乃光り』創刊)
2.3北海小群更正団創立
3.31北海道旧土人保護法改正(アイヌ
小学校の廃止)
2,一田中寛一「アイヌ児童の知能」発表
(『教育心理学研究』14−2)
12.一ジョン・バチェラー,日本を去る
12.一柳宗悦「アイヌへの見方」発表
(『工芸』106)
10.一長見義三『アイヌの学校』刊行
在日朝鮮人教育
(1930)10.文部省普通学務局,内地在住 朝鮮人の児童に就学義務を規定
10.30閣議,朝鮮人移住対策の件決定
8.31内務省,協和事業実施要旨を通牒
〔通〕(同年末,地方協和会設立)
1.10山口県下関市東和会,夜間学校を 開設
3.一下関向山小学校『半島児童教育所 感』発行
6.28中央協和会設立総会開催
11.10朝鮮総督,創氏改名に関する二つ の制令公布(在日朝鮮人にも適用)
5,一中央協和会『協和国語読本』発行
7.1兵庫県協和会,「協和お母さん学 校」開設
5.11中央協和会,壮丁錬成要綱を発表 10.20陸軍省,陸軍特別志願兵臨時採用 規則公布〔省〕
5.16厚生省,内地在住朝鮮人の勤労報 国隊員,勤労奉仕隊員の訓練費国庫補助 に関する件通牒〔通〕 1L20中央協和 会,中央興生会に改称
23
24
3 大東亜共栄圏と教育(1)一直轄植民地
西暦 植民地台湾 植民地朝鮮 樺太
1931 12.10多蘭泊アイヌ人教育所廃
校,公立学校となる 1932 11.18書房の新規開設禁止
1933 12,12高等女学校科目の日本史 3,7政務総監,農家経済更生 4,1白濱アイヌ入教育所ほか を国史と改称 計画樹立に関する件通牒〔通〕 3校が廃校,公立学校となる
儂村振興運動開始)
(敷香教育所存置)1934 3.1台湾社会教化要綱公布
4.1農村簡易学校開校4.28樺太庁拓殖学校官制公布
〔府〕 〔勅〕
1935
1936 1,1台北帝国大学医学部増設
〔勅〕
1937 9,10国民精神総動員実施要綱 10.1皇国臣民の誓詞制定
公布〔府〕1938
2.23陸軍特別志願兵令公布〔勅〕3.4第3次朝鮮教育令公布〔勅〕
7.一国民精神総動員朝鮮連盟発足
1939 5.11台湾青年学校規則公布 4.20中堅青年修練所規定公布 3.25樺太庁師範学校官制公布 7,8国民徴用令公布〔勅〕 〔勅〕 3.31樺太公立青年学校 11.10創氏改名に関する二つの
官制公布〔勅〕1940 2,11改姓運動推進
制令公布〔制〕7,一協和会設置
1941 3,26台湾教育令改正〔勅〕 3.31第3次朝鮮教育令改正公 3.1樺太国民学校令公布〔勅〕
小学校公学校を国民学校に改称 布〔勅〕 (小学校を国民学校に 4,19皇民奉公会発足
改称)1942 4.1陸軍特別志願兵制度実施 5.8閣議,徴兵制施行決定 4,11樺太青年学校令公布〔勅〕
9,一国語常用の家実施 10.1朝鮮青年特別練成令公布
1943 4,1義務教育の一部実施
〔勅〕3.27樺太庁官制改正公布〔勅〕
9.23閣議徴兵制施行決定
10.20学徒特別志願兵制実施 (内地編入) 11,3大政翼賛会
(1945年より施行予定) 11.12
樺太支部発足
台湾青少年団代表,大東亜青少 年指導会議参加
1944 9.24徴兵制度を実施
4,1第1回徴兵検査実施8.23女子挺身隊勤務令公布 10,30学徒勤労令施行規則公布
1945 3.31青年学校規定公布(府) 6,13国民義勇隊樺太隊編成
7,1戦時教育令公布〔勅〕
〔制〕…朝鮮総督府制令
南洋群島
3.25島民教育用国語読本第3 次編纂発行
3.27南洋庁実業学校官制公布
〔勅〕
1.10国際連盟,日本の南洋委 任統治継続を承認
12.17南洋庁官制改正公布〔勅〕
(初の視学設置)
2.23拓殖練習生制度発足(庁
告示) 4.1コロール町青年学校設置(庁認可)
11.27南洋群島青年学校規則公
布〔庁〕
3.29南洋庁国民学校官制公布
〔勅〕 4,2南洋庁公学校官制
公布〔勅〕ll.1南洋庁官制改正公布〔勅〕
(拓務省から大東亜省へ移管)
5.20南洋庁諸学校官制公布
〔勅〕(諸学校を一括規定)
11.12南洋群島連合青年団代表 大東亜青少年指導会議参加
関東州・満鉄付属地
2.26関東庁廃止,関東州・満 鉄付属地教育行政が関東庁から 駐満大使館関東局に移管〔勅〕
4.24関東州及南満洲鉄道付属 地に於ける青年学校に関する件
公布〔勅〕11.30満鉄付属地の教育行政が 関東局から離れ日本人教育は駐 満大使館教務部に中国朝鮮人教 育は「満洲国」に移管〔勅〕
2.26関東局・大使館教務部,
教科書編纂部を共同経営
4,15関東局に在満教務部設置 旧満鉄付属地の教育行政を管掌 3,31関東小学校官制が関東国 民学校官制に改正〔勅〕,旧満鉄 付属地では在満国民学校規則公 布〔在満教務部令〕
3.27在関東州及満洲国帝国臣 民教育令公布〔勅〕
4.20関東州の中国人初等教育 機関公学堂を公学校に改称
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