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育,1943.6)

ドキュメント内 差別と侵略の教育史年表 (ページ 40-54)

学徒勤労令公布(一般教育,1944,8)

       41  15年戦争期,男子の労働力の不足から政府は,女子の労働力(「知的」,「性 的」なものも含む)に着目していった。ここではこのことについて,就学女子

と一般女子に対する政策に分けて述べていくことにする。

 就学女子に対する政策は,教育制度と教育課程の二つの観点から進められた と考えられる。教育制度においては,夜間教育,高等教育などそれまで配慮さ れてこなかったことに対して関心が示される(1937年からの教育審議会におい て,女子大学の設置が答申されるが,実現されず)。しかし,就学男子に対し て就学女子への教育政策は遅れていた(女子に対する全面的な高等教育機関開 放は,1945年になされた)。

 教育課程の面では,高等教育などにおいては男子に代わるべき戦時下での有 用な人物養成のため,女子の知的労働力の引き出しが考えられた。1944年に発 表された女子専門学校刷新要項では,技術系における男子不足に備えるため,

工業科などの緊要な科目の設置答申がなされた。また,この時期,理科系課程 をおく女子専門学校の認可が増加した。

 一般女子に関して,政府は「家」を守る女子という見方から,国家要員とし ての直接的な戦力化を目ざしていく。まず,第一に,三婦人団体(大日本婦人 会,愛国婦人会,大日本国防婦人会)を統合しての大日本婦人会発足など婦人 組織の中央統合化があげられる。そして,将来の兵力として子がみられ,母子 保護法,「戦時家庭教育指導要網」等により多産が奨励される。未婚の一般女

子(12〜40歳)も,女子挺身勤労令により,動員される。

 第二に,「性」の組織化である。「大陸の花嫁」送出,「内鮮結婚」や「傷痩 軍人」との結婚奨励,兵帖地への「慰安婦」派遣により,女子の「性」が国家

レベルで目標とされ,組織化された。こうした国策としての女性観の発想は,

敗戦直後も具体化され(1945.8.18内務省通牒,「外国軍駐屯地における慰安 施設に関する」件),引き継がれる。

 15年戦争期,女子の生き方は一方で強要され,また他方で自らの選択として

「総力戦体制」作りに協力しつつ侵略を支える手段として国策に組み込まれて

いった。

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2−4 夜間学校

西暦 1931 1932

1933 1934 1935

1936

1937

1938

1939

1940

1941

1942

1943

1944

1945

夜間学校

5,18夜間中学(各種学校)卒業者に専 門学校受験資格を認める〔通〕 12.5夜 間実業学校の設立認可要項改正〔通〕

4。1夜間授業での照明等に留意(青年 学校令〔勅〕)  9.11夜間女子中学(各 種学校)卒業者に専門学校受験資格を認 める〔通〕

9.14教育審議会,夜間中学・夜間女子 中学を正規の中等学校とする内容の中等 教育に関する件を答申

3.1尋常夜学校を国民夜学校(各種学 校)に改称〔勅〕 6.16教育審議会,

国民夜学校(各種学校)等につき答申 3.23名古屋高等工業学校規程改正,夜 間4年制設置〔省〕  4.23東京市,尋 常夜学校を国民夜学校に改称〔市告〕

1.21中等学校令改正公布,夜間中学・

夜間女子中学を正規の中等学校とする

〔勅〕

4.24官立工業専門学校規程制定(11校 に夜間部)〔省〕 11.8夜間学校学徒動 員に伴う措置要綱決定〔通〕

〔市告〕…東京市告

関連事項

青年学校令公布(一般教育,1935.4)と これに伴う動き(関東州・満鉄・在外日 本人・被差別部落民,1935樺太・台湾・

南洋群島,1939)

東京市立第一商業学校開校(女子,1935.

4)

山口県下関東和会,夜間学校を開設(在

日朝鮮人,1937.1)

国民学校令公布(一般教育,1941.3)と これに伴う動き(樺太・台湾・南洋群島・

朝鮮・関東州・満鉄・在外日本人・障害 児者・被差別部落民,1941)

学徒勤労令公布(一般教育,1944.8)

戦時教育令公布(一般教育,1945,5)

       43  15年戦争期における夜間学校は,初等,中等,高等教育の各分野においてそ

れぞれ改革がなされた。初等教育においては,小学校令の「小学校に類する各 種学校」規程により設立された「尋常夜学校」が存在していたが,1941年の「国 民学校令」の公布により「国民学校に類する各種学校」としての「国民夜学校」

に変わった。これらの夜間小学校は特に,都市部において多く設置され,昼間 の労働のため学校へ通えずに義務教育未修了となったり,義務教育の免除・猶 予の対象となったこどもたちが通った。15年戦争期になると朝鮮人児童が増え,

生活の厳しさから夜学校に通うこどもたちが多くなり,また日本語の習得の為 に夜学校で勉強し,昼間の学校にいくこどもたちもいた。

 中等教育においては,教育要求の高まりの中で私立の「夜間中学」が「中学 校に類する各種学校」として,1924年頃から設立されていた。1932年に「夜間 授業を行う中学校に類する各種学校卒業者の専門学校入学者検定規程第11條に 依る指定に関する件」が出,専門学校への進学の機会が保証されるようになっ た(夜間授業を行う「高等女学校に類する各種学校」についても,1935年同様 な規程が出た)。「夜間実業学校」は,1917年の「実業学校令」改正以後,すで に商業,工業,職業,農業の各実業学校で順次制度化されていた(設立主体は 私立が多かった)。1932年の専門学校受験に関する夜間中学の資格取得は,夜 間実業学校の設立認可要項にも影響を与えた。このような教育機会拡大の動向 は,1939年の教育審議会の答申に反映し,1943年の「中等学校令」の改正とな っていった。これにより夜間中等教育は正規の制度として整備された。なお,

従来夜間授業を担ってきていた実業補習学校は,1935年青年学校に統合され,

夜間授業は次第に減少するようになっていった。

 高等教育においては1918年の「大学令」「高等学校令」の改正以後,私立大 学や私立専門学校を中心に夜間部が多く設置されるようになっていた。15年戦 争期になると理工系の工業専門学校における夜間部の設置が行われるようにな り,1944年には官立工業専門学校に夜間部が法的に設置されることとなった。

 15年戦争期における夜間学校は,高度国防国家建設の一環としての教育制度 改革と共にそのあり方が変化し,初等教育では依然として各種学校であるのに 対し,中等・高等教育においては,正規の学校として整備されていった。

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2−5 被差別部落民教育

西暦 1931

1932

1933

1934

1935

1936 1937 1938

1939

1940

1941

1942

1943 1944 1945

被差別部落民教育

2,5第2回全国融和団体連合大会開催,

内務省・文部省諮問に答申

9.12融和事業全国協議会,部落経済更 生運動要綱決定 10.30文部省,国民融 和に関する件を依命通牒〔通〕

5.11融和教育調査会,融和事業に関す る教育的方策要綱決定

6.24全国融和事業協議会,融和事業に 関する総合的進展に関する要綱と融和事 業完成十箇年計画決定

829文部省訓令第24号及び融和教育の 徹底に関する件を依命通牒〔訓,通〕

7.14全国融和事業協議会,融和事業の 総合的進展に関する要綱の改訂決定

1.16文部省,融和教育研究会設置 12.1紀元2600年奉祝全国融和団体連合 大会,厚生省・文部省諮問に答申

6.25中央融和事業協会,同和奉公会改 組決定(「融和教育」から「同和教育」へ

転換)

3.31文部省社会局編集『国民同和への 道』発行

関連事項

上海事変で爆弾三勇士戦死(一般行政1,

1932.2)

青年学校令公布(一般教育,1935.4)左 の要綱で青年学校にも言及,また関連す る動き(夜学・関東州・満鉄・在外日本 人,1935 樺太・台湾・南洋群島,1939)

厚生省官制公布(一般行政2,1938.1)

国家総動員法公布(一般行政2,1938.4)

閣議,満洲開拓政策基本要綱決定(一般 行政1,1939.1)

国民学校令公布(一般教育,1941.3)

国民学校令公布(一般教育,1941.3)と これに伴う動き(夜学・樺太・台湾・南 洋群島・朝鮮・関東州・満鉄・在外日本 人・障害児者,1941)

中央協和会創設(在日朝鮮人,1939.6)

大政翼賛会発足(一般行政2,1940.10)

大日本青少年団結成(一般行政2,1941.1)

大日本婦人会発足(女子,1942.2)

      45  15年戦争期の被差別部落民教育では,部落差別の「解決」を標榜し中央融和 事業協会や同和奉公会が政府・各省と結びつき実施した「教育的取組」が主流

となっていく。

 中央融和事業協会は,水平運動に対抗するための「内部自覚覚運動」を基本 とした「自覚更生」と「融和教育」という二本の柱を中心にした融和運動によ り,被差別部落と部落外に対する教育的機能を集中的に発揮させていく。

 1935年の「融和事業に関する総合的進展に関する要綱」はそれまでの取組の 整理であり,その後の1939年の要綱の「改訂」は,「日中戦争」開始後,「時局

に対処し国策に順応」するための「同和報国運動」へと融和運動の内容をより 侵略的なものへと深化させていく転換点として押さえることができる。

 その要綱の改訂では,(1)部落側が劣勢であること (2)一般側に伝統的差別観 念等が存していること (3)部落と一般が集団として対立していること,という

「差別根拠」の把握は同じままであるが,融和事業の指導方針が「部落の利益 のために図ること」というものから,「一身,一家,一集団を国家のために捧 げ尽くして,皇国日本の真姿顕現に貢献」するというものに変更されていく。

それは具体的には,部落民と部落民以外という区別を無くし,「国民一体」と しての「皇国民」がともに侵略戦争に協力し適進することが融和事業であると 規定される「改訂」であった。

 そのような内容が,「部落に関する自覚更生施設」や「社会一般に関する教 育教化施設」という,経済更生運動・青年運動や学校教育・社会教育のあらゆ る場面で被差別部落内外に対して強調され実行されていくのである。特に,部 落の人口・資源の調整という名目で打ち出された「満洲開拓」は,「同和報国 運動」の時期には部落に関する「自覚更生施設」の筆頭に数えられるものとな り,それを支え実行するための考え方が,部落民自ら自覚していくように教育 的機能が強化されていくのである。

 「国民同和への道」はそのような意味で,「部落改善」と「国民一体」という 枠組みとともに,侵略戦争を部落民自らが担っていくよう内容をまとめられた

ものであり,以後の「教育教化施設」としての学校・社会教育における指針と して,文部省自らが作り上げたものである。

ドキュメント内 差別と侵略の教育史年表 (ページ 40-54)

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