日本人の身体認識と人間観
﹁うつしみ﹂と﹁うつせみ﹂をめぐって一
はじめに
内 藤
明
近年の生命科学の進歩により︑生命体としての人間の身体や精神の仕組み︑その機能や働きが︑さまざまな方面
から究明されてきている︒またそれに呼応しながら︑身体や精神︑広くいうなら人間の生命や存在自体をどのよう
にとらえるか︑といった古くからの命題が︑いろいろな形で問い直されてきている︒科学技術の大いなる発達を享
受しつつも︑人間存在のさまざまな矛盾や限界に立ち会わねばならない現代人にとって︑そのような問いは必然的
なものといってよい︒
ところで︑人間の身体や生命や存在をどのようにとらえるか︑その把握の仕方や方法は︑歴史を潮っていくなら︑
地球上の諸地域や諸民族のそれぞれの生活様式や精神構造と密着して︑いわば文化の形として継承されてきたもの
といえる︒近代の普遍性指向は地域の固有な観念を隠蔽しがちだが︑文化の深層に流れている観念の再認識は︑地
早稲田人文自然科学研究 第46号 94(H.6).10 61
球世界がある均質性を指向しながらも一方向その個別性を露呈していく現代にあって︑さまざまな考える視点を提
出するだろう︒
さてここでは︑日本人における身体認識︑人間観ということを︑ロ本語︑とくに和歌・短歌などにおいて︑﹁この
世の人間存在﹂をいうものとしてつかわれてきた﹁うつしみ︵うつそみ・うつせみ︶﹂という言葉について考えるこ うつ みとで探ってみたい︒二節以下に述べていくように︑﹁現し身﹂という語は︵現在はあまり使われないが︶︑占代の﹁う うつせみっそみ﹂﹁うつせみ﹂という語を源とし︑中古・中世に意味を変容させながら﹁空蝉﹂として継承され︑さらに近世. うつしみ近代において占代への復古や現実︑個我重視をともないながら生成されてきた﹁現身﹂という語をそのベースにし
ていると考えられる︒その多くが文芸語として使用されることから︑一般の馴染みは薄いかもしれないが︑日本人
の八間観︑さらにその世界観を︑それぞれの時代を背景にしながら写し出している︒細部にわたっては別稿に譲る
が︑その語義やそれへ寄せる観念を見ながら︑日本人にとっての身体︑人間存在の認識の変化を見︑また日本文学
の方法的特質について考えていきたい︒
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(一
j﹁うつしみ﹂への指向 上田三四.一と日本的身体
1 内なる自然
内科医であり︑歌八︑文芸評論家︑小説家であった上田三四.一︵.几一二〜一九八八年︶に嘱.うつしみ この内
なる自然﹂︵一兀し八年平凡社刊︶と題された箸作がある︵初出は雑誌﹁文体﹂.堅し六〜しヒ年︶︒上田は一一六六年︑四
日本人の身体認識と人間観
十二歳の時結腸癌で手術を受けるが︑その大病から癒されて約十年後にこの著作はなされた︒上田はその﹁あとが
き﹂で︑﹁死のおびやかしと︑手術のときの全身麻酔による一種の死の体験と︑その後の再発の不安をともなった何 しょうじ年かの歳月は︑私に︑身体を中心に据えて生死のことを逸りたいという思いを切実に植えつけ﹂たといい︑そのよ
うな﹁体験から出た身体論 精神と身体に関する試論﹂が本書であると述べている︒癌からの生還の後︑上田は
医業の傍ら︑第三歌集﹃湧井﹄︑現代小説論集﹃眩量を鎮めるもの﹄︑古典評論﹃西行・実朝・良寛﹄﹃俗と無常−
徒然草の世界﹄など︑旺盛な仕事をしていく︒十年前の苗田体験と現在との往還の中で︑十年置時間の中で熟成さ
れてきた命︑生死への認識と︑近年の身体論とが融合して書かれた体験記的︑論考的エッセイが︑この﹃うつしみ
この内なる自然﹄である︒
さて︑その中で上田は︑まず︑全身麻酔による﹁何時間かの空白﹂いわば﹁死の予行﹂を回想しながら︑﹁身体の
消滅が心の消滅﹂であり︑﹁身体を離れて存在し︑身体の消滅ののちも存在しつづける心というものはありそうにな
い﹂ということを︑体験として語る︒これは︑生涯﹁死後における霊魂の存在や霊魂の救済といった宗教的立場﹂
によらなかった上田の意識から当然ともいえるが︑そこから上田は︑﹁身なくして心のありえないこと﹂︑また唯物
論でもなく︑唯心論でもなく︑﹁身と心の二元的対立ないし相関﹂でもない︑﹁緊密に抱合する心身相即的身体を私 つは生きていると感じている﹂と語っている︒心とからだを包括する身体の感覚︑そういったものとしての身体への
認識といってよいだろう︒
また上田は︑創ロを開いて内臓を露にする手術後の満身創疾の身体の生命現象に触れ︑﹁私はいささかも意識によ
って生きず︑一個の完全な身体としてさえ生きているのではなく︑その身体の︑よりいっそう自然に属する部分に
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よって生き﹂﹁生かされていた﹂ことを述べる︒﹁私は切り開かれた肉体の地平に横たわって︑水や空気や塩といっ
た自然の物質︑また落下や慣性や伝導や浮力といった自然の法則によって生かされていた﹂と語り︑臓器に象徴さ
れる﹁内なる自然﹂は︑﹁外なる自然に照応し︑照応を越えて感応し︑感応を越えて連続していた﹂という︒手術後
の体験が︑内部の自然としての身体を否応なく発見させたとともに︑その内部の自然と外部の自然との親和が感応
されたことを語っている︒いわば大きな自然の一部として動かされている自らの身体の認識といってよい︒
さらに︑その後の時間を経た現在からの考察曝して︑﹁身体﹂を統御し︑また時には統御しかねる﹁精神﹂につい
て︑精神病理学や﹁精神は身体の帰納律的呈示である﹂という前川孫次郎の考えなどを視野に入れながら︑精神と
身体との分かちがたき関係をいう︒そして︑市川浩が︑日本語の﹁身﹂が︑﹁わが身﹂﹁身につく﹂﹁身にしみる﹂﹁身
を入れる﹂﹁身になってみる﹂﹁身につまされる﹂など︑ときに﹁身体﹂を︑またある場合には﹁心﹂を︑また﹁自
己﹂や﹁立場﹂をも表わすものであることから︑﹁﹃身﹄は単なる身体でもなければ︑精神でもなくIlしかし時と
してそれに接近する一精神である身体︑あるいは身体でみる精神としてのく実存﹀を意味するのである﹂︵市川﹃精
神としての身体﹄︶と述べている論を敷術しながら︑
勝手なことをいえば︑結局︑身と心をあわせて﹁身﹂偏に﹁心﹂と書く字をつくるとき︑精神である身体︑あ
るいは身体である精神としてのく実存﹀は︑ほぼ正しく捉えられたことになるだろう︒そして私は︑その作ら
れた字に﹁うつしみ﹂の訓を与えたい︒うつしみ1現身の自覚はふたたび私を十一年前の大病の記憶につれ
戻す︒
と述べていく︒
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日本人の身体認識と人間観
ここでいわれている﹁現身﹂︵﹁うつしみ﹂︶は︑市川のいうような複合性︑多様性をもった﹁身﹂に︑現在性︑現
存在としての﹁現﹂が冠されたものとして一応理解できる︵﹁うつしみ﹂の語義については後に詳論する︶︒﹁現はう
つつ﹂は︑死や夢や狂に対して︑生きている状態︑覚めている状態︑正気の状態などをいう語であり︑﹁うつし心﹂
といえば夢や狂気に対する︑覚めた状態︑正気をいう︒対極に向こう側の世界を置き︑それを意識しながら︑現存
在︑生きていることを強く自覚した語が﹁うつつ﹂﹁うつし﹂である︒一度死を強く意識した上田にとって︑生きて
いること︑生きている﹁我﹂の自覚は相当に強かったはずである︒その現存在性を基底に︑心身の合一の自覚とそ
の認識によって﹁我﹂を感じ︑それをさらに大きな自然の中に定位させようとするところに︑上田によって選ばれ
うつしみた﹁現身﹂という語の力があったといってよいだろう︒
上田著の﹃うつしみ﹄について述べてきたが︑これは文学作品であり︑その背後の知的操作やさまざまな言説は︑ ︵1︶強調される﹁体験﹂の背後に見え隠れする︒身体は今日︑哲学などの分野からさまざまに論じられている︒しかし︑
ここには︑しばしばデカルトに託しながら論じられる西欧近代的な心身二元論に対する︑体験と追体験をとおして
構築された︑日本的な身体認識の典型的な言説が語られているといってよいだろう︒それは︑心身相即的身体とし
うつしみての﹁現身﹂の認識であり︑その認識は﹁内部の自然としてのうつしみ﹂と外部の自然との感応︑一体化に向かっ
ていくので・ある︒
ところで︑このような﹁うつしみ﹂観は︑さらに緯書において︑世界との親和︑調和︑合一化への指向へ及んで
いく︒ 身体という内なる自然と︑外界という外なる自然との冥合のうちに成就する生の至福感が私の到達した立場で
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あり︑外界は一自然だけではなく社会をもそこに含む外界は︑見てきたようにその両面性を一つに合して︑
そこに自然社会相同の︑したがって自他相見を可能にするところの︑広義の自然性ともいうべきものを現成し
ていた︒
これはいわば空間的な︑世界内存在としての﹁うつしみ﹂である︒そしてそのような人間観︑世界観に立った﹁至
福感﹂への静かなる熱望が︑上田の創作活動のひとつの原点になっていることは疑いない︒また︑これを時間的な
観点からいうと︑﹁死ぬ存在としての人間のかなしみ﹂︑﹁人間の無常﹂︑老いて死んで行く有限の命としての﹁うつ
しみ﹂は︑外部の自然を流れる永遠の時間と︑内部の自然を流れる回収することのできぬ人生の時間との間に︑回
帰する季節一例えば︑年々に咲いては散る花一という時間を置くことで慰撫されるという︒本書の終り近くで
上田は︑劉廷芝の詩﹁年年歳歳花相似 歳歳年年人才レ同⁝⁝﹂を引用しながら︑次のように述べている︒ いざな 花は無常の一回性と︑永遠の回帰性との両面をそなえて︑人間を誘う︒誘われて人間はその一回性と回帰性の
はざまに︑彼の身体という一個の内なる自然を置く︒人間 私は︑何に向ってその身体をさし出しているの
であろうか︒外なる︑とわざわざ断るまでもない大きな自然に向って︑身体という内なる自然をさし出してい
るのである︒花と私は同じ無常の時間に運ばれながら︑私は花に逢い︑花に誘われることによって無常を越え︑
自然の︑その永遠に回帰するものの息吹きに包まれる︒
ここには︑一度﹁死﹂を身近く感じ︑生の無常︑﹁うつしみ﹂の無常︑はかなさを意識した上田が︑四季の絵巻物
語的展開を持つ﹃古今集﹄などの勅撰和歌集や︑﹁折節の移りがはるこそ︑ものごとにあはれなれ﹂という﹃徒然草﹄
などに見られる季節の景やその推移の意識と深く関わる中で作り上げてきた︑人間の身体︑生の時間とそれを包む
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大きな自然の時間との対応についての一つの認識が示されている︒ある意味では通俗的ともいえるが︑そこに東洋
や日本の一つの伝統に立とうとした上田の人間観︑自然観︑世界観があり︑そういった時間や空間の観念の中に︑
上田は自らの﹁うつしみ﹂像を立てようとしたといえるだろう︒生あるものとしての自己の身体を主体化しながら︑
それを外部の自然との融A口︑親和の中に定位させ普遍化していく方向が︑そこにある︒上田は日本の伝統的な身体
認識を意識しながら︑﹁うつしみ﹂という語によって︑現在を生きる﹁個﹂としての人間を打ち立て︑またそこには
かない生命としての有限性を見ながら︑それを外部の﹁自然﹂や世界と融合させることで賛美しようとしていると
もいえよう︒そこにおいて︑有限の時間と永遠の時間が美しく出会い︑人間の魂は慰撫︑救済されようとしている
のである︒
日本人の身体認識と人間観
2
上田三四二の短歌における﹁うつしみ﹂
さて︑﹃うつしみ この内なる自然﹄の指向を見てきたが︑体験をもとにしてこのようにして獲得されていった認
識は︑上田の創作活動の推移と深く関わっている︒例えば︑その短歌を見ると︑上田は生涯六冊の歌集を出してい
るが︑癌の手術以前の歌を収めた﹃黙契﹄二九五五年刊行︶︑﹃誰﹄︵一九六七年刊行︶では︑﹁うつしみ﹂の語の用例は数
例に過ぎ亀・これに対して・手術前後から始まる﹃湧井﹄︵一九七五年刊行︶では︑+例ほどの用例寛られるさ・
になる︒それはまず︑自らの癌を知り︑﹁死﹂を意識して後の︑
壮年のわがうつしみは若やぎつついつよりぞ死を育みみしは
生きたきのちの十年を空想すれど夏くるや否や病むうつしみは
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と肉体そのものとしての﹁うつしみ﹂から始まり︑手術の成功を経て︑
おぼろ夜とわれはおもひきあたたかきうつしみ抱けばうつしみの香や
と︑官能性を込めながら人間の﹁うつしみ﹂がたたえられる︒そして︑手術より二年を経て花時の吉野を尋ねた﹁花
信﹂の一連では︑
かね ひた 岩むろの鉄さびしたる底つ湯にうつしみは病むこころを洒す
盛りすぎつつはざまはなだるる花あかりにてうつしみは苦を忘るべし
と︑﹁うつしみ﹂はいわばこころと融合しつつ︑それを包みこむ湯水や花と一体化しようとしていき︑また
うつしみは息あたたかし眼によせて紅梅のはな露ふくむかな
といった形での季節の自然との親和も詠まれていく︒
また﹃うつしみ この内なる自然﹄の執筆時と重なる﹃遊行﹄︵一九八二年目︶では︑﹁身﹂の語が様々に使われ︑﹁う
つそみ﹂﹁うつせみ﹂などの古語も登場するが︑ をく 秋天のそばだつ六十階の屋最上階にうつしみいこふ
地軸もてめぐる地球の遠心にみてうつしみは氷菓をふくむ
など︑都市空間の中での自然との親和や︑宇宙的な広がりの中での身体感覚がとらえられ︑いわば現在性としての
自らの﹁うつしみ﹂が確認され︑外界︑世界との一体化とその至福がうたわれている︒そして︑必ずしも語として
の﹁うつしみ﹂が使用されなくとも︑﹃湧井﹄以降の上田の歌の世界は︑外部の自然の大いなる力によって癒された
身体と︑四季の景物との出会いの喜びをうたうものが多くみられ︑そこに﹁うつしみ﹂の自覚が深化していく︒﹁世
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日本八の身体認識と人間観
界は違和感に満ち︑苦痛に満ちている︒︿中略︶それを歌うのが短歌だ︒そういう立場を否定する理由を私は持たな
い︒しかし私は︑歌は本来憎しみの声ではなく︑やや口籠る言葉ではあるけれども︑愛の声であり︑怨念ではなく︑
浄念だと思ってきた﹂︵﹁たまものとしての四+代﹂﹁短歌﹂74・11︶といった短歌への認識と呼応しながら︑外部と一体化
し︑自然と親和することにより充足と至福へ至ろうとし︑﹁うつしみ﹂の至情を﹁われ﹂の声として歌おうとすると
ころに︑いわば仮死を通過し︑死から生還した上田の指向があったといえる︒
*
さて︑上田三四二における身体や精神︑人間存在に対する認識を見てきた︒ここでは︑その認識や文学観に対す
る価値︑評価を問うことが目的ではない︒こういつた認識や世界観は︑西欧近代的な心身二元論︑物心二元論や︑
人間中心主義︑理性中心主義に対する違和感を根底にもったものであり︑また︑現実社会でのさまざまな闘争や変
化と遮断された所で純化された︑一つの物語であり︑一つの文学的立場であると一応いえるだろう︒また日本の現
代にどれほどの普遍性をもちえるか疑問であり︑それによってとらえられない世界︑それが隠蔽する世界があるこ
とは容易に想像される︒ある意味では︑反近代的︑反西欧的な︑東洋の身体への指向といえよう︒しかし︑いずれ
にしろ︑大病や手術の経験を経た上田が︑医者としての知見や︑多く日本の文学伝統の中から抽出してきた感性や
観念によって︑こういつた認識︑﹁うつしみ﹂を作り上げてきたことは事実である︒そして︑上田によって﹂つの身
体性としてとちえられている﹁うつしみ﹂は︑近代性をもった個我︑自我の意識を持ち︑それに対する賛美性を持
ちながら︑一方で有限の存在としての人間の身体の無常性をも含みもっている︒そしてそれは︑現実の向こう側の
世界を意識しながら︑現実︑現在の人間存在をとらえる語として使われている︒
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こういつた﹁うつしみ﹂の発見と生成の前には︑現代の上田という個に触れた︑多くの蓄積された﹁うつしみ﹂
という言葉の過去があったといわねばならない︒それが集積され︑複合されて上田の﹁うつしみ﹂は再構成されて
いるといえる︒では﹁うつしみ﹂という言葉に内包され︑蓄積されている過去とはどのようなものであっただろう
か︒以下主として和歌・短歌における﹁うつしみ﹂の歴史を辿りながら︑そこに投影されている日本人の人間観を
考えてみよう︒
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︵二︶﹁うつしみ﹂の淵源−古代の﹁うつせみ﹂﹁うつそみ﹂
1 賛美としての﹃万葉﹄の﹁うつせみ﹂
﹁うつしみ﹂という語の淵源を求めていくと︑われわれは﹃万葉集﹈の中に兇られる﹁うつせみ﹂︵四1︒例︶︑﹁う
つそみ﹂︵五例︶という語にいきあたる︒﹁うつせみ﹂というと︑一般には﹁空蝉﹂と書いて︑螂そのものをいい︑
また蝉の抜け殻や地ヒにおける短命な螂のイメージと通わせて︑﹁はかなく﹂︑﹁空しい﹂という意を帯びながら﹁世﹂ こうちゼ﹁人﹂にかかる枕詞を思い起こす︒また﹃源氏物語﹄に﹁空蝉﹂の巻があり︑そこでは蝉の抜け殻のように︑小桂
のみを脱ぎ残して光源氏の愛を逃れた女性﹁空蝉﹂が語られ︑光源氏はその衣を身近く置いて︑﹁空蝉の身を変へて
ける木のもとになほ人柄のなつかしきかな﹂の一首を詠む︒しかし︑﹃万葉集﹄の﹁うつせみ﹂﹁うつそみ﹂はそう ウツいった平安時代以降の用法とは異なる︒﹃万葉﹄にも﹁空蝉﹂と表記する例は散見されるが︑それは仮名として﹁空﹂
セミ﹁蝉﹂の訓を借りて使ったものと考えられ︑また蝉の意味やイメージが付与されているものは見・5・れない︒﹃万葉﹈
日本人の身体認識と人間観
の﹁うつせみ﹂﹁うつそみ﹂は︑﹁この世の人﹂︑あるいは﹁この世﹂を指す語であり︑その色調も後世のものとはか
なりの差異があるのである︒具体的な様相を見ていこう︒
香具山は 畝傍ををしと 耳成と 相争ひき 神代より かくにあるらし 古も しかにあれこそ うつせみも
妻を 争ふらしき ︵巻1.一三V
﹁中大頓気山事﹂と題されたこの歌は︑大和の三山をそれぞれ神として︑その妻争いの伝説を神の時代のことと
して述べ︑それを根拠として現代の人間の妻争いを語っている︒﹁うつせみ﹂は︑人々が生きている﹁この世﹂︑ま
た﹁この世の人﹂であり︑窪田空穂が﹁尊むべき神代にしてなお妻争いをしている︒人の世の自分がそれと同じ事
をしたのは当然のことである︑と御自身の行動を是認肯定しようとするのが作意であったと思われる﹂︵﹃万葉集評釈﹄︶
と述べているように︑その﹁うつせみ﹂はここで肯定的︑賛美的に使われている︒そして︑伊藤博氏が﹁今あるこ
とを﹃神代﹄からの事として説明するのは︑神話や伝説が神話や伝説であるために踏んだ重要な型﹂であり︑それ
は神話や伝説が﹁うつせみ﹂の聖なる典拠であることに由来する︑と述べているように︵﹃万葉集全注﹄巻一︶︑この現
実肯定は︑現代を神の時代の反復とする古代的観念に支えられて表現されている︒﹁神代﹂と﹁うつせみ﹂︵現代︶
は﹁連続継承﹂︵青木生子﹃万葉挽歌論﹄︶したものとして捉えられており︑﹁うつせみ﹂は﹁神代﹂に繋がるものとして
の現在であるゆえに︑賛美肯定されるべきものである︑と歌われているのである︒仙覚の﹃万葉集註繹﹄はこの歌
について︑ものを賛める古語に﹁うつ﹂﹁いつ﹂があり︑﹁うつせみ﹂は﹁ワガミヲウツクシム也﹂と注している︒
語義としては無理があるが︑中世の仙覚や近代歌人である空穂が﹁うつせみ﹂︵空穂は﹁うつし身﹂として解釈して
いる︶に読み取った賛美や肯定の要素は︑この世やこの世の人としての﹁うつせみ﹂に対する古代人の認識の反照
71
といえる︒
ところで︑こういつた神代の継承としての現代という発想は︑神々と人間との連続性の中に人間を位置させよう
とする観念と︑またその神々が自然と一体化したものであって︑万物に霊の宿りを見ようとするアニミズム的な世
界観をその背景に想定させる︒言わば︑自然11神から人間が生まれてきたという発想といってよい︒自然と神との
一体化は︑ヤマツミ︵山の神の意︒ツは助詞︑ミは原始的な骨格︶︑ワタツミ︵海の神︶︑カグツチ︵火の神︒チは
原始的な適格︶︑﹁イカヅチ﹂︵雷︶などの神名に象徴されるが︑﹃古事記﹄はその冒頭近くで︑ウマシアシカビピコ も あがヂの神を︑﹁葦牙のごとく萌え騰る物によりて成りませる﹂神として語っており︑﹁春先に萌え出る葦の芽の生命力
の表象﹂としてのその名辞をもつ神の誕生が︵日本古典集成﹃古事記﹄注︶まさしく葦という植物の芽の成長する勢いに ︵3V託してとらえられている︒また︑記紀などに見られる日本神話に︑人間の起源を直接語ったものはないが︑福島秋
穂氏は︑﹃古事記﹄における人間を表す﹁青人草﹂といった言葉や︑記紀の記述︑日本周辺の諸民族の伝承などか
ら︑古代の日本人が竹などの植物と自分たちの生命力とを関連して考えていたとし︑また植物から人間が誕生した ︵4︶という生の起源の説明神話があったのではないか︑と想像している︒日本神話においては︑さまざまな観念や事物
を神格化した神々と人間の間には︑多くの共通性や連続性があり︵勿論対立︑断絶の要素もあるが︶︑その基層にあ
る自然観︑人間観は︑唯一神の創造による人間の誕生を語る聖書的な世界とは様相を異にする︒そのようなものと
して︑人間のこの世での存在をとらえる語として﹁うつせみ﹂があったといえるだろう︒もう一例見よう︒ あ うつせみし 神に堪へねば 離れ居て 朝嘆く君 放れ居て 我が恋ふる君 玉ならば 手に取り持ちて 衣な
らば 脱く時もなく 我が恋ふる 君ぞ昨夜の夜 夢に見えつる ︵巻2・一五9
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日本人の身体認識と人間観
天智天皇崩御に際しての﹁婦人作歌﹂であるこの歌では︑冒頭に﹁うつせみ﹂と﹁神﹂との対照がなされている︒
顕界︵この世︶の人間と幽界︵あの世︶の神との乖離がいわれているわけだが︑﹁幽界に存在している身に対させた﹂
︵窪田空穂﹃万葉集評釈﹄︶﹁うつせみ﹂の語自体に︑はかなさや無常が示されているわけではない︒﹁神﹂は幽界に移っ
た﹁君﹂︑人間のありようであり︑﹁うつせみ﹂と﹁神﹂とは対照︑対置されながらも︑その連続が想起︑あるいは
願望されている︒そしてその顕界と幽界とを繋げる通路が﹁夢﹂であり︑歌によって表現されることによって︑﹁君﹂
はまさしく作者によって﹁見え﹂たのである︒伊藤博氏はこの﹁夢﹂に﹁魂呼ばいのための夢占によって求めた﹃見
た夢﹄﹂を想定する︵﹃万葉集の表現と方法上﹄︶︒﹁うつせみ﹂は恋うる力によって︑神と拮抗できるのであり︑日常的
な意味でのこの世の人の意におさまらないものをもっている︒
右の﹁うつせみ﹂二例は﹁神﹂という語と対照されながら使われており︑ともに初期万葉におけるこの語の位相
を語っていよう︒神の行動を反復︑継承しようとする﹁うつせみ﹂には古代人の人間観が示されており︑人の死に
際して︑残された者が顕界の人間であることを意識するとともに︑顕界と幽界との連続を感取するところには︑そ
の死生観︑他界観があらわれているといえよう︒これらにおいて﹁うつせみ﹂という語には︑神話的な世界や呪力
と結び付くような︑いわば賛辞としての要素が内在されている︒
そして︑このような﹁うつせみ﹂は︑それ以後の万葉の歌における︑枕詞︑ないし枕詞的な用例にも継承されて
いる︒ うつせみの命を惜しみ波に濡れ伊良虞の島の玉藻刈り食む ︵巻1・二四︶
うつそみの人にあるわれや明日よりは二上山を弟背とわが見む ︵巻2・一六五︶
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みことかしこ うつせみの 世の人なれば 大君の命畏み⁝⁝ ︑ ︵巻7・一七八七︶
お み いのち 配流された麻続王の歌と伝える一首目は︑三句以下で自己を戯画化するが︑﹁うつせみ﹂は﹁命﹂︵﹁命﹂の﹁イ﹂
いきは﹁息﹂の﹁イ﹂であり︑﹁チ﹂は勢いや力︑霊格を表すVにかかって﹁命﹂を賛美する働きをなしており︑そこに
はかなさや︑わびしさがこめられているわけではない︒また二首目の﹁うつそみ﹂はこの世を指しながら﹁人﹂に
冠されたもので︑﹁うつそみの人﹂は﹁ちはやぶる 神か漸くらむ うつせみの 人か障ふらむ﹂︵巻4・六一九︶︑﹁あ
しひきの 山鳥こそば 上向ひに 妻どひすといへ うつせみの 人なるわれや 何すとか 一日一夜も 離りみ
て 嘆き恋ふらむ﹂︵巻8・一六二九Vなどのように︑神や鳥と対置される人間のこの世での存在形態を示していよ
う︒弟への挽歌であるこの歌において︑作者は明かに顕界から幽界を望み﹁見﹂ている︒それぞれ︑先に見た二つ
の長歌の﹁うつせみ﹂のもっている古代的な要素を︑枕詞とはいえ内在化しているようだ︒また︑三首目のように︑
奈良朝の歌に多く見られる﹁世﹂にかかる枕詞としての﹁うつせみ﹂も︑他界︑幽界に対される現実︑現在として
の﹁この世﹂を強調する形での﹁うつせみ﹂であり︑この限りでは︑はかない世としてのイメージは固定化してい
ない︒このように︑﹁うつせみ﹂の﹃万葉﹄での在り方は︑後の﹁空蝉﹂とは大きく相違している︒
2
﹁うつせみ﹂の語源
74
さて︑ではこのような﹁うつせみ﹂﹁うつそみ﹂の語義︑原義はどのようなところに求められるだろうか︒後で詳
うつ うつ みしく述べるが︑この語源については江戸の国学者の説の中で︑まず﹁顕しき身﹂11﹁現し身﹂があって︑その音が転
じたものが﹁うつせみ﹂﹁うつそみ﹂であるとする解が広まり︑近代もその解が継承された︒古語に存する﹁うつし
日本人の身体認識と人間観
国﹂︵﹃中臣寿詞﹄︶︑﹁うつし人﹂︵﹃源氏物語﹄︶と同様の語構成をもった﹁うつし身﹂を想定し︑﹁うつせみ﹂はその﹁現
し身﹂の変化したものだというのである︒先の上田の理解も︑基本的にはこの線上にあろう︒これに対して戦後に
なって大野晋氏は︑上代特殊仮名遣で︑﹁うつせみ﹂の﹁み﹂がミの甲類であり︑ミの乙類である﹁身﹂と異なって うつ みいることなどから︑﹁現し身﹂からの変化を否定し︑この語の﹁語源の位置に立つ言葉﹂として︑﹃古事記﹄で雄略 う つ し お み天皇が葛城之一言主骨大神に言った﹁恐︑我大神︒有宇都言意美︑不覚﹂の﹁宇都志意字﹂に求めた︒そして﹁お
み﹂は人の意味であるとし︑﹁現しおみ﹂の相接する母音の脱落により﹁うつそみ﹂さちに﹁うつせみ﹂が生まれた ︵5︶とした︒
大野氏の﹁おみ︵臣︶﹂11﹁人﹂説には疑問も出され︑﹁うつせみ﹂の語源については議論の尽きないところであ うつ おほみ う つ し お みる︒しかし︑西宮一民氏が古事記の﹁宇都志意美﹂を﹁現し大粟﹂として﹁現実の人間の姿をもつ霊的存在﹂︵日本
古典集成﹃古事記﹄︶とし︑また﹁オミ﹂に﹁人間を万物の霊長とする考えから発した人間の美称﹂︵﹃万葉集全注﹄巻三︶ ︵6︶と解しているのは一つ示唆的である︒詳しくは拙稿を参照していただきたいが︑﹁ミ﹂は﹁原始的な霊格の一﹂︵﹃岩
波古語辞典﹄︶といわれ︑﹁オミ﹂には﹁臣下﹂という意味の以前には神観念とかかわろうとする有力豪族の尊称とし
ての義があったのではないかと考えられる︒そのような﹁み﹂﹁おみ﹂を内包する﹁うつせみ﹂﹁うつそみ﹂は︑本
来的に︑人間を神との繋がりのもとに賛美する性格をもっていたのではないか︒そして﹃古事記﹄の葛城之一言主
脳大神に対する﹁うつしおみ﹂という言い方は︑幽界から顕界への神の現出を述べたものではないかと考えられる
のである︒
古代語の語源自体を見出だすことは難しい︒﹁うつせみ﹂が︑こういつた﹁うつし・おみ﹂から直接転じたものか
75
どうか確証の限りではないが︑﹁うつ︵現ごと﹁み﹂をもつ﹁うつせみ﹂﹁うつそみ﹂は︑顕界と幽界との低い垣根
のもとでの︑様々な神々の末喬としての人間に対するある賛辞性が継承されており︑それが前に見てきたような歌
における︑この語の性格を規定しているのではないだろうか︒﹁現し身﹂といった︑いわば近代的現実感をもった語
義とはやや位相を異にしたところに︑古代人の人間観に支えられた﹁うつせみ﹂﹁うつそみ﹂の原義は求められよ
う︒そしてそのような人間観︑世界観が︑古代人の︑この世の人︑この世に対する一つの認識を示していると考え
られるのである︒
76 3
無常としての﹁うつせみ﹂へ
﹁うつせみ﹂の陽の部分︑賛辞性としてのこの語の志向を﹃万葉﹄の歌から汲み取って来たが︑万葉も末期の大
伴家持になると︑﹁うつせみ﹂には無常観を帯びた︑はかなく︑空しいイメージが付与されているものも見られるよ
うになる︒
あめつち よのなか 天地の 遠き初めよ 世間は 常なきものと 語り継ぎ 流らへ来たれ 天の原 振りさけ見れば 照る月も こぬれ 満ち欠けしけり あしひきの 山の木末も 春されば 花咲きにほひ 秋づけば 露霜負ひて 風交り もみち
散りけり うつせみも かくのみならし 紅の 色もうつろひ ぬばたまの 黒髪変り 朝の笑み 夕変らひ
吹く風の 見えぬがごとく 行く水の とまらぬごとく 常もなく うつろふ見れば にはたつみ 流るる涙
留めがねつも ︵巻19・四一六〇V
言とはぬ木すら春咲き秋づけばもみち散らくは常をなみこそ ︵四一六一︶
日本人の身体認識と人間観
うつせみの常なき見れば世間にこころづけって思ふ日ぞ多き ︵四=ハニ︶
﹁世間の無常を悲しぶる歌﹂と題されたこの長短歌は︑まず世間無常という真理を太古以来のものとして提示し︑
つぎに自然の変化︑無常を言い︑最後にこの世の人としての﹁うつせみ﹂の変化︑老い︑無常を示して悲傷する︒
それを受けた反歌でも自然の変化︑無常と︑﹁うつせみ﹂の無常が強調される︒無常を自然の景の﹁うつろひ︵ふ︶﹂
(「レる﹂という語に︑継続を表す﹁ふ﹂がついた語︶によって表徴することは︑以後の和歌の中でごく普通に行わ
れていくことであり︑それが人間における時間の推移や変心と重ねて詠まれていくことは︑小野小町の﹁花の色は
移りにけりないたづらにわが身よにふるながめせしまに﹂︵﹃古今﹄活写一一三︶などをあげるまでもなく一般的だ︒ おも また︑﹁病に臥して無常を悲しぴ︑道を修めむと欲ひて作る歌﹂では︑
うつせみは数なき身なり山川のさやけき見つつ道を尋ねな ︵巻20・四四六八︶
と︑この世にある人間が︑はかない﹁数なき身﹂であることを言いながら︑自然への投入︑仏道への志向を歌う︒
これらの歌では︑無常なものとしてのこの世での人間の存在形態をいう語として︑﹁うつせみ﹂が使われており︑ま
た︑この二首あとには︑
みつぼ 水泡なす量れる身とは知れれどもなほし願ひつ千年の命を ︵四四七〇︶
と︑﹁数なき身﹂が﹁誉れる身﹂たることをいって︑仮合のものとしてのこの世の身体がいわれている︒また︑妾の
死に接しては︑
うつせみの世は常なしと知るものを秋風寒み偲ひつるかも ︵巻3・四六五︶
⁝⁝うつせみの 仮れる身にあれば 露霜の 消ぬるがごとく⁝⁝ ︵四六六V
77
と歌われている︒両三とも枕詞信用法だが︑﹁うつせみ﹂はこの世とその人間にかかって︑﹁世﹂と﹁身﹂の無常︑
はかなさを詠みこんでいる︒仏典︑仏教の浸透が︑﹁うつせみは露なし﹂という人間観︑世界観を作り出して仮性の
身体への観照的態度とその表現を培っており︑それが病や死を契機に仔情化されているといえよう︒
そして︑﹁うつせみは数なき身﹂﹁うつせみの仮れる身﹂という発想︑表現は︑直接に﹁うつせみ﹂11﹁現し身﹂と
いうわけではないが︑ここには﹁うつせみ﹂が後代に抱え込むことになる身体性と︑その無常性を先取りしている︒ しょうじ病や死は︑恋の狂気と並んで︑﹁身体を中心に据えて生死のこと﹂︵先掲上田︶への関心を高める︒﹃万葉﹄の恋歌は︑
恋するに死にするものにあらませばわが身は千たび死にかへらまし ︵巻11.二一二九〇V
朝影にわが身はなりぬ玉かきるほのかに見えていにし子ゆゑに ︵二三九四︶ うつなど︑﹁現し心﹂を喪失した﹁からだ﹂としての﹁身﹂を強く意識させている︒しかし︑家持のいう﹁身﹂は︑﹁か
らだ﹂に﹁いのち﹂が宿っている人間のこの世での存在そのものであり︑ある意味では身体と精神の合体した︑心
身合一の身体といえ︑そのまるごとが﹁数なき﹂﹁零れる﹂ものだといっている︒そしてそのような﹁身﹂を相対化
し︑対象化する︑もうひとつの発心する心がいわれているともいえる︒一つの思想性をもった︑人間観︑世界観と
しての仏教的なものが︑﹁身﹂への新たな認識を与え︑それと触れ合いながら︑この世の人間の存在形態としての﹁う
つせみ﹂という語に︑新たな色相が与えられていったといってよいだろう︒
家持の﹁うつせみ﹂が皆このような要素をもっているわけではない︒しかしここには︑古代的な顕界と幽界の連
続相が︑仏教的な此岸と彼岸に置き換えられ︑さらに彼岸への強い憧憬の下で︑賛美︑賛辞としての﹁うつせみ﹂
が︑無常としての此岸である﹁うつせみ﹂に変化していく契機を見ることができるだろう︒﹁うつせみ﹂は世の人や
78
身にかかる枕詞としての展開を遂げていくが︑その中で︑世や人や身に対する認識の変化が︑この語の性格を変え
ていく︒万葉時代︑﹁うつせみ﹂はすでに︑様々な用法で使われ︑変化していき︑その原義は分からなくなっていた
と思われるが︑賛美の記憶を残しながら︑そこには︑はかなさ︑空しさへの傾斜が始まっているのである︒
︵三︶﹁うつせみ﹂から﹁空蝉﹂へ中古・中世の﹁うつせみ﹂
日本人の身体認識と人間観
さて︑平安朝以後︑日本の中古・中世における﹁うつせみ﹂は︑右に見てきた家持の﹁うつせみ﹂の延長上にあ
るが︑そこでは﹃万葉﹄には見られなかった﹁蝉﹂の要素が浮上してくる︒九世紀末に成立したといわれる﹃新撰
万葉集﹄︵上巻︶では︑
ウツセミノ ワビシキモノハ ナツクサノ ツユニカカレル ミ ニ コ ソアリヶ レ 蜆蝉之 僥敷物者 夏草之 露丹懸礼留 身丹許曾阿里芸評
と蝉のもぬけをいう﹁蜆蝉﹂を用いて﹁うつせみ﹂を表記した例がある︒この歌自体︑﹁うつせみ﹂は﹁訳しき﹂を
導きながら︑実際の﹁蝉﹂の﹁身﹂がイメージされている︒そしてこの歌は︑﹁蝉人運命惣相同 含レ露殉レ暫養レ躬
三夏優遊林樹裏 四時喘息此簑中﹂と︑人と蝉の運命のはかなさを嘆く詩句と合わされている︒蝉の命のはかない
ことは﹁蟷蜻不知春秋﹂︵﹃荘子﹄︶など漢籍において古くからいわれているところであり︑露によってその余命を保つ
イメージは﹁蚕食甘言レ飲︑三十日而化︒蝉飲而不レ食︑三十日塁壁︒婬総懸レ食言レ飲︑三日産霊﹂︵﹁准南子﹄︶と記
されている︒そして﹃新撰万葉﹄には︑﹁つれもなき夏の草葉に置く露を命と頼む蝉のはかなさ﹂と︑消え易きもの
の象徴としての﹁露﹂に命をつないでいく﹁飲而不食﹂の蝉のはかなさがいわれている歌もみられる︒貴族社会を
79
中心に人々の生活の深くまで入り込んだ仏教が︑この世と人を無常とする観念を一般化し︑その象徴として蝉をと
らえる見方を育んだといえよう︒
ところで︑実際に︑﹁うつせみ﹂と﹁蝉﹂との一体化︑﹁うつせみ﹂の﹁蝉﹂の歌語化が何時︑何を契機として起
こったかはわからない︒﹃万葉﹄で﹁空蝉﹂﹁虚蝉﹂という表記が選ばれたこと自体に︑﹁うつせみ﹂に対して﹁蝉﹂
を意識させる何らかの要素があったことも考えられなくはないが︑﹃万葉﹄の﹁うつせみ﹂に﹁蝉﹂をイメージさせ
るものがないことは︑語源がわからないままの偶然の﹁空蝉﹂﹁虚蝉﹂という表記が︑逆に﹁蝉﹂を意識させるに至
った可能性を想像させる︒そして︑脱け殻を残して飛び立ち︑そして十日ほどではかなく死んでいく蝉の生態が︑
家持の歌などにおいて既に獲得されていた︑無常のものとしての現世︑現世の人の意としての﹁うつせみ﹂と結び
付き︑次第に蝉の要素が自立化して︑﹁うつせみ﹂すなわち蝉の殻︑また蝉として理解されるようになったのであろ
う︒そしてまた︑地上に残された蝉の殻は︑﹁空﹂の︑洞としての﹁蝉﹂であり︑ある意味で家持のいう﹁起れる身﹂
としての人間のからだ11屍をも想起させもするのである︒
ともかくも︑﹃万葉﹄には︑実際の﹁蝉﹂を詠んだものが一首︑﹁ひぐらし﹂︵﹁日晩﹂︶を詠んだものが十首ある
が︑そこに蝉のはかなさを強調したものはない︒﹃万葉﹄から﹃新撰万葉﹄﹃古今集﹄が生まれて来る間︑すなわち
八世紀後半から九世紀末頃までの間に︑﹁うつせみ﹂と﹁蝉﹂とを結合させ︑そこに空しさやはかなさを見る発想が
生まれ︑定着化していったのである︒次に︑そういった﹁空蝉﹂の様相を見てみよう︒ たま 空蝉のからは木ごとにとどむれど魂のゆくへを見ぬぞかなしき ﹃古今集﹄物名四四八
空蝉のからを見つつもなぐさめつ深草の山煙だにたて 同哀傷八=二
80
日本人の身体認識と人間観
右の歌は︑﹁うつせみ﹂で直接に蝉を提示しながら︑蝉の脱け殻がうたわれている︒一首目は︑蝉の脱け殻とその
中にあったであろう魂が対照され︑また挽歌である二首目は︵作者は僧都勝延︶︑死者の屍を蝉の脱け殻に暗示しつ なきがらつ︑亡き人を思うよすがとしての火葬の煙がいわれている︒形見として地上に残される蝉の脱け殻は︑人間の亡骸
をも連想させる︒これらの歌からは︑人間の身体は︑﹁から﹂としての肉体︵からだ︶に︑﹁たま﹂︵魂︶が一体化す
ることにより成立するのであり︵死はその分離V︑両者をもって命ある一つの﹁身﹂が存立するという︑日本人の身
体認識を見ることができよう︒
空蝉の空しきからになるまでも忘れんと思ふ我ならなくに ﹃後撰集﹄恋五八九六
空蝉のこゑきくからにものぞ思ふ我も空しき世にしすまへば 同夏 一九五
一首目は男が女に贈った相聞歌で︑﹁空蝉﹂は枕詞として使われているが︑亡骸になるまでの思いの継続を誓うこ
の歌は︑﹁から﹂と﹁たま﹂が一体化された生きた﹁身﹂が発するところの誠実な恋情がいわれている︒そして︑亡
骸の直接性は︑﹁蝉﹂をイメージ化することで︑情趣化されている︒また二首目では︑﹁空蝉﹂は完全に蝉の意とな
っている︒そして蝉のはかなさというイメージのもとに︑その声が﹁我﹂の物思い︑空しき現世への認識を呼び起
こしており︑我が身と︑蝉の命との一体化がなされている︒
このように︑王朝和歌において︑﹁うつせみ﹂は﹁蝉﹂を意識しながら︑枕詞としての類型的な表現や発想を生ん
でいく︒ 空蝉の世にも似たるか花ざくら咲くと見しまにかつ散りにけれ ﹃古今集﹄春下七三
寝ても見ゆ寝でも見えけりおほかたは空蝿の世ぞ夢にはありける 同哀傷八三一二
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ね うちはへて音をなきくらす空蝉の空しき恋もわれはするかな ﹃後撰集﹄夏 一九二 ね あらたまの年の三とせは空蝉の空しき音をや泣きて暮らさむ 同三五 九七一
一二首目の﹁うつせみの世﹂は先の家持の歌にもあった︒﹁空蝉の﹂は枕詞であると同時に︑﹁うつせみの世﹂で
一つの成句を成しており︑一首目では︑その﹁世﹂は推移する自然に託された無常のものとして詠まれ︑また亡き
人を夢に見ての二首目では︑死を契機として現世そのものが︑夢のようにはかないものであることが認識されてい
る︒蝉そのものは表面化されず︑仏教思想を背後においた世界観が﹁うつせみの世﹂として示されるようになって ねいる︒また︑三四首目は恋の歌で︑直接には﹁空しき﹂にかかる枕詞だが︑とくに三首目の﹁音をなきくらす﹂は
鳴き暮らす蝉の生態と︑声をあげて泣き暮らす﹁われ﹂の悲しみが一体化されており︑四首目にもそのような蝉の
イメージが遠くに控えている︒
また世の中が空しく︑厭うべきものであるとする観念は︑世にある人︑我が身を︑変化する︑はかなく︑空しい
ものとする認識と重なる︒時代は下るが︑次のように﹁うつせみ﹂は﹁身﹂にもかかる︒
人知れずねこそなかるれ空蝉の身をなきものと思ひなせども ﹃続古今﹄郡上 一五五六
空しくてやみぬべきかなうつせみのこの身からにて思ふ嘆きは 西行﹃山家集﹄下
一首目では︑無常を認識した上での実感としてのその情感がいわれ︑また二首目は恋の歌として詠まれているが︑
﹁うつせみの身﹂としての人間の身体︑我が身をとらえる類型が背後にあろう︒それは﹁いとひてもなほいける世
は空蝉の身をかへながらねこそなかるれ﹂︵﹃新千載﹄下上一七五9といった形で認識され︑情趣化されてもいく︒
このように︑﹃古今集﹄を規範として継承されていく和歌伝統にあって︑﹁うつせみ﹂は︑蝉と重なり︑蝉に付着
82
するイメージと合体しながら︑無常を表徴するものとなっていく︒﹁うつせみ﹂自体が身体を表すわけではないが︑
﹁うつせみの世﹂﹁うつせみの身﹂という表現類型は︑古代における︑この世︑およびこの世の人としての意をもつ
﹁うつそみ﹂﹁うつせみ﹂という語を継承しながら︑仏教的無常観に彩られた︑日本の中古︑中世の身体認識︑世界
観の一端を凝縮したものであるといえよう︒
日本人の身体認識と人間観
︵四︶﹁空蝉﹂から﹁現身﹂へ1近世国学の指向
1 解釈としての﹁現身﹂
さて︑このような﹁空蝉﹂としての﹁うつせみ﹂は︑平安朝以後の和歌の規範となっていく︒十二世紀中葉に成
立した藤原清輔の歌学書﹃奥義抄﹄は﹃万葉﹄の﹁うつせみの人目をしげみ逢はずして年をし経れば生けりともな
し﹂をあげ︑次のようにいう︒
うつせみとは蝉のもぬけたるから也︒みもなきものをばかくいふ也︒うつせ貝などいふもみもなき右心︒うつせ
みの丸めとは︑もぬけてからをばおきてゆきさるものなれば︑人もしかあれば︑はかなきものによそへて人とい
はむとて︑うつせみとはおくなり︑集には空蝉とかけり︒
空洞︑空虚の﹁うつ﹂との関わりから︑﹁もぬけたるから﹂を﹁うつせみ﹂の原義としているのであり︑いわば︑
平安朝の﹁空蝉﹂観を通して︑万葉の﹁うつせみ﹂を見ているといえよう︒そして︑﹃奥義抄﹄は続けて︑﹁生きた
る蝉﹂も﹁うつせみ﹂といい︑蝉は﹁あだなるもの﹂なれば︑﹁生きたる蝉をむなしとよめる歌おほかり﹂と述べて
83
いる︒このような言説が一つの規範となって︑和歌伝統における﹁うつせみ﹂像が継承されていく︒
しかし︑こういつた和歌伝統に対して︑近世江戸時代の国学者の万葉理解は︑新たな展開を見せていく︒まず下
河辺長流は﹃万葉集管見﹄で︑﹃万葉﹄の﹁中大兄三山歌﹂の﹁うつせみ﹂について︑﹁このうたにてはうつくしき
蝉という心急︒蝉のはのうつくしきに女の髪をたとへて︑詩にも作れり︒されば︑うつせみのつまとも︑妹ともつ・
けてよめり﹂と︑そこに賛辞の要素を読む︒これは先にあげた仙覚の﹁ホムルコトバ﹂とも一脈通じる発想で︑語
義的には無理だが︑伝統的な﹁空蝉﹂観念とは異なったところでの﹃万葉﹄の読みが認められる︵長流は﹁うつせ
みの命﹂などについては︑﹁命短きもの﹂としての蝉から出た発想としている︶︒そしてこのような理解は︑契沖に ︵7︶引き継がれ︑契沖は︑長流同様に︑﹃奥義抄﹄に繋がる伝統的な解に︑﹁ホムル詞﹂という解を加えている︒
さて︑このような解に対して︑荷田春満の﹃万葉集僻案抄﹄は﹁三山歌﹂の釈で︑
虚蝉母とは︑今日の顕身もと云詞也︒虚蝉の二字は仮訓也︒うつの身・うつし身・うつせ身・うつそ身同じ古語
にて︑この集の歌にあまた見えたり︒現在の身を云古語也
という解を示している︒﹃万葉﹄にある﹁虚蝉﹂という表記は︑漢字の訓だけを仮に利用したものであり︑﹁うつ﹂
﹁うつし﹂という古語から理解すべきだというのであり︑ここに︑﹁現在の身﹂としての﹁うつせみ﹂理解が示され
た︒そして︑このような理解を決定的におし進めたのは︑賀茂真淵である︒真淵は﹃冠辞考﹄で﹁集中に︑空蝉・ モヌケ欝謄など書しは仮字なるを︑後人は空蝉の字に泥て︑蝉脱の事とのみおもへり︑その本を極むれば︑いき死の違に
なん侍りける﹂として︑万葉の諸例を検討しながら﹁これら皆うつ・の身てふ意なる事︑ことわるを待ずて明らか
ウツ ゥツ也﹂とする︒そして﹁うつしみは顕しき身てふ意にて正しきを︑うつそみ︑うつせみなどいふは音の転ろひし物成﹂
84
日本人の身体認識と人間観
ウツシオミ ウツシオミとして︑﹃古事記﹄雄略記の﹁宇都不意美﹂を﹁顕御身也﹂と解する読みを示しながら︑うつしみU顕し身から︑う
つそみ︑うつせみなどが生まれたとする︒そして古今集以降の︑﹁蝉のもぬけ﹂﹁生きてある蝉﹂としての﹁うつせ
み﹂理解は︑﹁是らはた.・かの空蝉の字を心もせで見て︑古語を忘れたる也けり﹂であり︑﹁うつせみ﹂には本来的
に﹁はかなき﹂という意味は備わっていないと述べている︒また︑真淵の学を継承した本居宣長は﹃古事記伝﹄で︑
う つ し おみ ウツシオミ
オ
師説を受けて﹁宇都志意美﹂を﹁現大身﹂︵﹁大は御と云むがごとし﹂︶の意とし︑また﹃器量答問録﹄では︑地上に みたま うつしみおいてすでに死んだ神といえども︑﹁其御霊は留りてあることにて︑時としては︑現身をもあらはすことあり﹂と答 うつしみえて︑直接﹁現身﹂という言葉で︑再び現れた神の身体︑姿をとらえている︒この世に人間の形で現われている身 うつしみ体の意味での﹁現身﹂という言葉の︑一般的な使用の可能性が示されていよう︒
このようにして︑十七世紀末から十八世紀にかけて︑﹁蝉﹂と関わるはかなさを内包した解釈を退けた︑﹁現し身﹂
としての﹁うつせみ﹂という解が生まれてくる︒そこには︑中古中世の伝統的な用法や解釈に拘泥されないところ
で古代に向かい︑古代の文献の中で万葉を理解しようとする一つの方法︑また外来の文字である漢字を使った表記
を仮の物として古語の音声に拠ろうとする志向︑また王朝貴族的な繊細さやはかなさや優艶に向かわずある種の現
実︑現世的なもの︑太さや強さといった﹁ますらおぶり﹂に向かっていこうとする国学者の意思を読み取っていく
ことができる︒ある意味では一つのイデオロギー的な万葉観︑古代観がそこに発生しているともいえるが︑そこに
﹃万葉﹄の新たな読みが指向されている︒それは復古を蔵したところの脱中世化︑近代化であり︑強烈な個として
の自我の主張ではないにしろ︑現実に生きる人間の﹁身﹂を強く打ち出し︑それを肯定し︑賛美する方向といえる︒
菅野覚明氏は﹁近世における実なるものへの関心は︑現世を虚しい仮の宿りと捉える見方が後退し︑かわって眼前
85
の人間世界を唯一の実なる人倫世界と見る近世朱子学が思想界の主流として登場してきたことによって始まったと ︵8Vいってよい﹂という︒反朱子学としての祖画学も︑反儒学としての国学も︑このような流れの延長上にあり︑その
背後の社会には︑伝統的な無常観によらない人間観︑世界観が胚胎していたといえよう︒﹁現身﹂という解釈は︑こ
ういつた時代が生み出した︑一つの人間観であるともいえよう︒
﹁うつせみ﹂のこういった解釈は︑二節で述べたように︑﹁うつしみ﹂という語が実際に古代に存在していないこ
とや︑﹁身﹂の上代特殊仮名遣の違いから︑戦後の万葉学の中で否定されていくが︑その後近代に至っても︑この語
の理解に大きな影響をあたえていく︒鹿持雅澄のように︑﹁うつせみ﹂を﹁顕し身﹂とする﹁近世古学の徒﹂の通説
ウツシアヲミを半ば肯定しながら︑﹁うつしみ﹂︵顕身︶と書いてある例が万葉に一つもないことに注意し︑﹁顕青身﹂︵﹁青﹂は人
民の意の﹁青人草﹂の﹁青﹂︶の﹁シアヲ﹂が転じて﹁そ﹂になったという可能性を想定しているものもある︵﹃万葉
集古義万葉集枕詞口巻二﹄︶が︑近世の多くの注釈書は︑真淵の説を踏襲し︑それは近代に及ぶ︒近世の読みや指向
が︑近代のあるものを準備しており︑そこに一つの連続性を見ていくことができるのである︒
2
歌語としての﹁現身﹂の成立
このような﹁現身﹂としての﹁うつせみ﹂﹁うつそみ﹂理解は︑
しみ﹂︵現身︶を生み出して行く︒真淵の﹃賀茂翁家集﹄には︑
うつしみの ことをもとはず うらぶれて いにしなにもが
よあやまち⁝⁝ 中古中世には存在しなかった歌語としての﹁うつさねどこは こともなありそ たたみはも ゆめ
86
日本人の身体認識と人間観
秋風の 吹きうらがへす 秋の野の 葛のうら葉の うらぶれて いにしその子は はぎ見にと 行きやはしつ
る 露わくと まどひやはせし うつし身は かなしきかもよ かへり来ぬ 道に過ぎぬと 家人の 告げつる
ものを⁝⁝
など︑万葉調の長歌として作られた挽歌の中で︑この世に生きる人間の意味で﹁うつしみ﹂という語が登場してい
る︒また︑真淵の弟子鵜殿余野子の集﹃佐保川﹄には︑
・⁝:ゆく雲の 過ぎにし君は いかさまに おもひへだてて よみ路ゆく しるべの使 それにだに ことをも
つげず なりにけん 是をおもへば うつし身は 大かたにだに かなしきに おなじよどのの あやめ草 根
をふかめつつ おもひけむ 人いかばかり 玉かづら 面影をのみ⁝⁝
といった﹁うつしみ﹂が見られ︑また真淵の門下の村田春海の﹃臼後集﹄や橘千蔭﹃うけらが花﹄にも﹁うつし身
と ありしその世は﹂︑﹁うつし身の 世を長月の﹂と︑故人の生前が﹁うつし身﹂としていわれている︒春海にし
ろ︑千蔭にしろ︑世にかかる枕詞などとして﹁うつせみ﹂の語も使っており︑また﹁うつしみ﹂の挽歌での使用の
多さは彼らの﹁うつし身﹂に宿る﹁空蝉﹂のイメージをも思わせるが︑ともかく︑この世の人としての﹁うつしみ﹂
という語が使われていることは︑国学の身体化を思わせるものがある︒
また余野子は真淵の一周忌の万葉調の長歌の中で﹁天つちの 神もたすけて 万代に ますらむものと たのみ
つる かものうしはも うつそみし 神にたへねば⁝⁝﹂と︑中古中世には埋もれていた﹁うつそみ﹂という万葉
語を使っている︒本居宣長の﹃鈴屋集﹄にも﹁うつそみの世の長人とながらへて千年いほとせとありこそわがせ﹂
といった使用が見られ︑ここで﹁うつそみ﹂は﹁世﹂の枕詞ながら︑そこに空しく︑はかない意は込められていな
87
い︵なお﹃産屋集﹄には﹁うつせみ﹂﹁うつそみ﹂はあるが︑擬万葉語である﹁うつしみ﹂の用例はない︶︒さらに︑
本居大平撰の﹃八十浦の玉﹄には︑宣長の門人平準門︵村田次九兵衛︶の﹁大国主大神の御尋にかしこけれどよみ
て書ける﹂として
⁝⁝現身は 国避りまして 御霊はも 出雲の国に⁝⁝
とあり︑また﹁布太良山大神二百年の御祭の日よめる﹂として
⁝⁝村肝の 心をくだき 現身の 身もたなしらず つとめまし いそしみまして⁝⁝ ウツシオミとある︒これは︑神の︑この世での示現︑姿を現身といったものであり︑これは﹃古事記﹄雄略記の﹁宇都志摩美﹂
ウツシオミを﹁顕御身也﹂とする真淵・宣長の解と呼応したものといえよう︒
さて︑﹁うつせみ﹂の語は︑小沢藍庵や香川景樹をはじめ近世の多くの歌人が使っているが︑純粋な万葉語として
の﹁うつそみ﹂やその万葉解釈による近世語﹁うつしみ﹂の使用は︑国学の流れの中に顕著であるようだ︒﹃万葉﹄
への傾倒︑古代への憧憬と復古意識が︑中古中世には埋もれていた﹁うつそみ﹂といった﹁うつせみ﹂以前の万葉
古語を発掘させ︑そしてまた﹁うつしみ﹂という擬万葉古語を生みだし︑流布させていったといえる︒古代におけ
る神と一体化することで人間の存在を賛美する﹁うつそみ﹂﹁うつせみ﹂は︑中古・中世の無常観を背後においた有
限の存在としての﹁空蝉﹂に変容し︑さらに近世の現実主義の中で︑現実と個を際立たせつつ︑人間肯定としての
古代への復古をも帯びながら﹁うつし身﹂として再生したと考えられるのである︒
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日本人の身体認識と人間観
︵五︶ ﹁現身﹂の展開 近代の﹁うつしみ﹂
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伊藤左千夫と﹁うつそみ﹂
さて︑近世において︑﹁うつそみ﹂﹁うつせみ﹂それに﹁うつしみ﹂の三語が︑並行して使われるようになったが︑
近代においてそれはどのような展開を見せていくだろうか︒
まず﹁うつせみ﹂であるが︑これは一つに︑中古︑中世の﹁うつせみ﹂11﹁空蝉﹂の伝統的用法を継承しながら︑ ︵9︶ある命脈を保っていた︒
空蝉のからもこぼれてかしは木の森の夕風ふきたちにけり 明治天皇
うつせみの木がくれて住むひともなし山のおくまで道のある世は 樋口一葉
空蝉の世にすむはてを尋ぬれば流水落花ゆくへしらずも 大西祝
一首目では︑蝉を空蝉といってその殻がいわれ︑二首目では﹁ひと﹂が意識されながら﹁木がくれ﹂が蝉にイメ
ージされており︑三首目では﹁世﹂の枕詞として冠されて﹁空蝉の世﹂が一つの慣用旬として使われている︒しか
し︑蝉の短命と人の世の無常とを重ねた﹁空蝉の世﹂に類する表現は︑いわゆる新派和歌が隆盛になっていく中で︑
近代文学としての短歌からは後退する︒それに変わり︑﹃古今集﹄に象徴される伝統を否定して﹃万葉集﹄を賞揚した
正岡子規以下の根岸短歌会ーアララギ派において︑国学の流れを汲みながら︑万葉語としての﹁うつせみ﹂や︑ うつしみ﹁現し身﹂としての﹁うつせみ﹂﹁うつそみ﹂︑さらに語としての﹁現身﹂が︑盛んに使われるようになる︒
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この傾向をまず顕著に示しているのは︑伊藤左千夫︵一八六四〜一九=二年︶である︒貞光威氏によれば︑左千
夫は子規の門に入る以前から﹃万葉集古義﹄などをとおして﹃万葉﹄の研究をしており︑また序歌︑枕詞︑造語な ︵10︶どの表現技巧を尊重し︑技巧によって豊かな調べの歌をつくることをまず目指していたという︒正岡子規には﹁う
つせみのひつぎを送る人絶えて谷中の森に日は傾きぬ﹂﹁うつせみの耳管痛みつごもりをうまいは寝ずて年明にけ
り﹂といった﹁うつせみ﹂の例があり︑そこには既に中世的﹁蝉﹂の意識による無常観はないが︑さらに左千夫の
・ ︵11︶歌には︑﹁うつそみ﹂の用例が数十見られ︑﹁宇津曾味﹂と万葉仮名風に書かれたものもある︒そこには︑万葉の古
語としての﹁うつそみ﹂の語彙が︑その調べとともに強く意識されているといえる︒例えば次のような歌がある︒
現そみの世の人むらは蟻のごと花の山べををちかへりすも 明治33年
うつそみ 下界の人にわれあれば天の原常世の国の花の名は知らず 39年
一首目は﹁夢に風船に乗りて花を見る﹂という一連のもので︑大空から見た地上が﹁現そみの世﹂といわれてい
る︒また二首目は蓼科の高原より出された葉書の歌で︑高原を﹁天の原﹂にたとえ︑普段の自分の生活の場を﹁下
界﹂といっており︑それに﹁うつそみ﹂を当てている︒手首とも遊び心を持った歌だが︑神代や他界︑幽界に対す
る現世の人と空間という意味での﹁うつせ︵そ︶み﹂の原義が︑ここには無意識の内に生かされているかのようだ︒
そして︑このような﹁うつせみ﹂観を背景に︑左千夫の﹁うつそみ﹂は︑現実の時間︑空間を示す語としての性格
を強くもっている︒
うつそみの世界かたまけ浮き立てる御艦薩摩に春の風吹く 明治40年
うつそみの人のつくりし作り菊世にはびこりて古こひしも 同
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日本入の身体認識と入間観
うつそみの眼に見る形のさながらに五百歳経たる釜にしありけり 39年
たとえば︑ 一首目は﹁丁半歳旦之類﹂の十二首中の歌で︑﹁世﹂にかかる枕詞としての﹁うつそみ﹂といった要素
を持ちながら︑その世はまさしく現代︑現実の世界であり︑明治のナショナリズムを背景に︑はかない無常のもの
としての﹁世﹂という観念から遠く離れている︒ちなみに﹁馬酔木﹂明治40年3月号には︑同じ﹁丁未歳旦﹂の日
に記された﹁一国の元気を現顕せる歌﹂という論が掲載されており︑そこで左千夫は﹁予は今︑天地栄ゆる此の明
治四十年の年頭に立ちて︑一大遺憾を感ぜざるを得ざるを悲む︑殊に国粋的文学たる作歌の上に於いて︑一国の元
気を発揮せる快作に接せざるを霞む﹂と述べている︒逆にいうと︑左千夫の作は︑まさしく﹁一国の元気を発揮せ むねる﹂︑肯定と賛美を旨とした年頭にあたっての所感の歌といってよいだろう︒また二首目は︑自然の状態としての﹁古﹂
と対照しながら︑神代ならぬ後世の﹁人﹂に冠された﹁うつそみ﹂である︒また三首目は︑古い釜を得ての作だが︑
﹁五百年﹂を向こうに置きながら︑今現在を生きている我の﹁眼﹂が強調されている︒それぞれ︑万葉に傾倒した
左千夫によって︑いわば近代に復活された﹁うつそみ﹂であり︑一︑三首目に見るように︑そこには現実︑現在と
しての﹁うつせ︵そ﹀み﹂に対する肯定的視線がうかがえるのである︒
ところで左千夫の歌には仮名表記での﹁うつしみ﹂という語は見られない︒﹁現身のむくろ忘れて空かける思ひそ
吾がする夜のあけくれば﹂︵﹁馬酔木﹂40年5月︶というように﹁現身﹂と表記されているものがいくつか見られるが︑ ウツソミ ムクロ例えば右の歌は﹁新仏教﹂︵40年4月︶で一二句﹁現身の形骸﹂で再掲載され︑﹁精神修養﹂︵44年4月Vでは﹁うつそみ
のむくろわすれて﹂とある︒﹁現身﹂という表記は先に述べたように江戸以来のものだが︑左千夫はその漢字の表記
﹁現身﹂のみをとって︑それを万葉古語である﹁うつそみ﹂と読ませようとしていた可能性がある︒歌の内容から
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