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生と物語──ヴラジーミル・ナボコフの

「かつてアレッポで……」

鈴木 聡

1. 実在と非実在 2. 複数の生 3. 虚言と真実 4. 可能性の複雑化

1.実在と非実在

ヴラジーミル・ナボコフの短篇小説「かつてアレッポで……」1)は、1943年五月、マサ チューセッツ州ケンブリッジで執筆され、『アトランティック・マンスリー』誌1943年月 十一号に掲載されたのち2)、九作品を収めた短篇小説集『九篇の短篇小説』(1947年)3) と、十三作品を収めた短篇小説集『ナボコフの一ダース』(1958年)4)に収録されたほか、

ペイジ・ステグナーの編纂による『ナボコフ集成』(1968年)5)にも再録された。これは、

同じ1943年一月に執筆された「アシスタント・プロデューサー」6)に続いてナボコフが英 語で創作した短篇小説第二作ということになる。

それ以前にナボコフは、最初ロシア語で執筆した短篇小説「雲、城、湖」(1937年執筆)7) と「オーレリアン」(原題は「ピリグラム」、1930年執筆)8)を英語訳して、それぞれ『ア トランティック・マンスリー』誌1941年七月号と十一月号に発表していた9)。そのほかに 彼が『アトランティック・マンスリー』誌への掲載を念頭においていたと推察される作品とし ては、先行するふたつの作品の発表時期に開始された短篇小説「フィアルタの春」(1936 年執筆)10)の英語訳がある。

1942年以後、ナボコフは「フィアルタの春」の掲載を求めていくつかの雑誌と交渉を重 ねたものの、結局は不調に終わり11)、『ハーパーズ・バザー』誌1947年五月号でようやく 日の目を見るまで数年の歳月を要することとなった。発表のあてがないまま営々と続けられた 改訂が、マクシム・D・シュレイアーが考えているように、1943年五月までにひとまず終 えられたのだとすれば、それと並行するようにしてナボコフは、もうひとつの短篇小説の構想 をいだき、それを「かつてアレッポで……」として完成させたということになるだろう。

そのような成立事情から察するならば、ナボコフは、雑誌掲載の見通しが立たない「フィア

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ルタの春」をいったん棚あげにして、それに代わる、もう少し受け容れられやすそうな作品を 新たに、最初から英語で執筆する途を選んだようにも思われてくる。たしかに、ともにあるひ とりの女性にたいする語り手の固執に主眼をおいている点などに、ふたつの短篇小説の共通性 を見て取ることはたやすい。だが、両作品を読みくらべてみた読者が得る印象は、そのような 共通性にとどまるものではないはずである。言葉を換えるならば、「かつてアレッポで……」を、

「長すぎる」という理由でおおかたの雑誌編集者から難色を示された「フィアルタの春」の短 縮化を主たる目的として書かれた作品と見なすのは早計に過ぎるといってよい。

両作品に共通して認められるモティーフが、初期から晩年にいたるまでナボコフが繰り返し 取りあげてきたものであることから、その多様な表出の一例である「フィアルタの春」の改訂 の過程で彼が、同じモティーフの異なる処理方法を思いつくにいたったのだとも考えられる。

両作品のもっとも大きな相違点は、「フィアルタの春」の語り手(ロシア語版ではヴァーセン カ12)と呼ばれている)が長年恋慕の情をいだいてきた、語り手と同じくロシア出身のニーナ と呼ばれる女性が、「1930年代初頭のある日」(Nabokov 2002: 413)13)とされるふたりの 最後の出会いの時点において他人の妻となっているのにたいして、「かつてアレッポで……」

の匿名の語り手の人生を掻き乱す(やはり匿名の)女性は、彼の結婚相手そのひとにほかなら ないというところであろう。

「フィアルタの春」の本文中でもうひとつ重要な時点として設定されているのは、語り手と ニーナがはじめて知り合ったとされる「1917年前後」(Nabokov 2002: 415)である。そこ にあっては、記述されている出来事の系列のうちもっとも古いこの時点までいったん遡った のちに、いくつかの印象深い場面が順を追って断片的に回想される。かくして、「十五年間」

(Nabokov 2002: 414)の年月と、それを最終的に締め括る結節点となるべく定められていたこ

とがあとから判明する、架空の保養地、フィアルタの春の一日の出来事が並行して、交互に呈 示され、織りなされてゆく段取りとなる。

「フィアルタの春」の説話構造の鍵となっている過去と現在の接合という基本的パターンは、

「かつてアレッポで……」においては、最近アメリカ合衆国に移住ないしは亡命してきた語り 手が旧友であるV──この頭文字がナボコフ本人を想起させることはいうまでもない14)──

に宛てて手紙を書いているという枠組み形式へと移し換えられている。そこで語られる現在は、

語り手が、忌まわしい記憶をいだいたまま眼にしている「セントラル・パークの緑色の空虚」

(Nabokov 2002: 562)のように、束の間、実体化するにすぎず、「フィアルタの春」のなかで

語り手がニーナとの再会を果たす運命的な一日のようなものは生起し得ない。それはすなわち、

「フィアルタの春」における再会に相当するような劇的な展開が「かつてアレッポで……」の なかで生じることはないということであり、その中心的登場人物であるはずの女性(語り手の

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妻)が、「フィアルタの春」のニーナに比肩すべき実在感を獲得することもないということで ある。

「フィアルタの春」の執筆にあたってナボコフは、「1930年代初頭のある日」や「1917 年前後」のように、年代を具体的に特記することによって、語り手の生涯の重要な一時期が作 者個人のそれと重なっていることを暗示しながら、舞台となる土地にかんしては「フィアルタ」

や「ムレチ」のような架空の地名15)を用いることを選んだ。その効果として期待され得るのは、

本来、直接的な背景であったかもしれない、特定の場所にかかわる作者個人の具体的な記憶と のあいだに、はっきりとした距離を設けることであっただろう。だが、形式上、虚構として呈 示されてはいても、テクストが語り手の記憶として形象化しているものは、もともとの素材で あった(かもしれない)作者自身の記憶がそうであったような、鮮明さの名残をとどめている ように思われる。

それにたいして「かつてアレッポで……」において特徴的なのは、場所にかんする記憶は危 機感や焦燥感、さらには恐怖に纏い付かれて、明確さを失っている点である。「どことも知れ ない目的地に向かう、時間も決められていない列車を待ち、抽象的な町々の陳腐な舞台装置を 抜けて歩き、肉体的疲労の恒久的な黄昏のうちに生きながら、私たちは逃走した。」(Nabokov

2002: 562)ここでは年代の記載はあえて避けられているものの、題名に含まれているアレッポ

(オスマン帝国領を経て現在はシリア領)も一例となるように、実在の地名が数多く言及され ている。そして、おそらくは唯一アレッポを例外として、その他の地名は、なんらかの意味で、

第二次世界大戦中、作者自身とその家族が現実に体験した絶望や希望と結びついている。作者 は、自分たちが耐え忍ばなければならなかった苦難に満ちた流転の旅──「時間を超越した、

顔をもたない、悠久の恐怖の塊」、「黙示録さながらの大量脱出」──を語り手による回想のう ちに(かなり大胆な脚色を施しつつ)取り入れたのだった。

用いられた手法の点では対照的ということになるだろうが、「フィアルタの春」においても「か つてアレッポで……」においても、読者がテクストをなかば自叙伝的なもの、あるいは少なく とも作者の実体験の一齣を加工したものとして読んでみる余地が生じることは否定できない。

このように、読者が勘繰ってみようとすれば、いかようにでも勘繰ることができるようにする 仕掛けは、ナボコフがさまざまなテクストのうちに、さまざまな様態で巧妙に潜ませているも のであるといっておいてよかろう。しかしながら、「フィアルタの春」や「かつてアレッポで

……」が典型的に例証しているように、虚構をかたちづくっているもろもろの構成要素は必ず しも、いわゆる現実その他の、テクストの外部に存在するなにかに起源を有しているわけでも なければ、それらと関連づけられて解釈されることをなんらかの規範や必然性によって定めら れているわけでもない。

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かりに虚構テクストの登場人物と現実の作者ナボコフのあいだになんらかの類似あるいは相 違が見いだされるとしても、それらが入念に計算された微妙な均衡のうえになりたつものであ ることを忘れてはならない。その点は、「フィアルタの春」と「かつてアレッポで……」が共 有していると思われる、他者の手になる過去の文学的テクストとの関連性についてもあてはま ることだ。多くの読者が察知するように、両作品の執筆にさいして作者は、かなり意識的に、

アントーン・チェーホフの代表的な短篇小説のひとつ、「犬を連れた奥さん」(1899年)を 読者に連想させようとしている。ただし、そこでめざされていたものとは、単純な引喩でもな ければ、題材の再利用でもなかったと考えるべきであろう。

前述したシュレイアーのように、「フィアルタの春」と「犬を連れた奥さん」のあいだに共 通している十のモティーフ──「憐憫」、「退屈」、「宿命」、「階段」、「湿り気/花」、「北方」、「イ ンク壺」、「ポスター」(チェーホフの場合は『ゲイシャ』という芝居の広告看板)、「ライラッ ク色」、「肉体的な温かさ」──を認め、ナボコフの意図はチェーホフの短篇小説を踏襲するこ とにあったのではないかと論じる研究者もいることはたしかだ16)。しかしながら、妻子を家 に残した出張旅行の途中、架空の保養地であるフィアルタに立ち寄った語り手と、そこで彼が たまたま再会するニーナのあいだにある関係は、「犬を連れた奥さん」の主人公ドミートリイ・

ドミートリイチ・グーロフとアンナ・セルゲーエヴナのあいだにあるそれとはかなり様相を異 にするものである。

「かつてアレッポで……」においては、「犬を連れた奥さん」という形象そのものがテクスト 上に立ち現われる瞬間がある。ドイツ軍の侵攻が迫るパリから──というよりも「大虐殺と悲

惨」(Nabokov 2002: 563)の恐怖から──逃れる途中、列車のなかで語り手の妻は、家に残し

てきた「セッター」を哀れに思って突然啜り泣きはじめる(「あのかわいそうな犬のことが忘 れられない」[Nabokov 2002: 562])。そのことが語り手に衝撃を与える。彼らは犬を飼ったこ となどなかったのだ。妻はただちに、自分たちがじっさいに犬を飼っていた場合を想像してみ ただけだと弁明する。しかし、ふたりは犬を飼う計画について話し合ったことさえなかった。

なぜ妻が、存在したはずのない犬のことを急に思い起こしたのかという理由は解明されること なく、居心地の悪い違和感だけが残されることとなる。

ここで生じている「矛楯の絡み合い」17)については、「セッター」がただたんに想像によっ て思い描かれたわけではなく、現実に存在したという代替的可能性も皆無ではないという方向 へ推測をめぐらしてみることもできるはずである。じっさい、あとの箇所で、妻から「途方も

ない話」(Nabokov 2002: 566)を吹きこまれていたというアンナ・ヴラジーミロヴナという老

婦人が、「パリを離れるときにあなたが自分の手で絞め殺した」(Nabokov 2002: 567)犬のこ とで語り手を非難するとき、語り手と妻が飼っていたはずのない犬はふたたび実在性を回復す

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る。当然のことながら、語り手が強調しようとしているのは、妻の虚言癖なのだろうが、読者 には、ふたつの極端の双方を同時に視野に収めることができるという利点があるということも 肝に銘じておくべきだろう。

もちろんそのためには、テクストの表面に配置された言葉の意味を別様に読み解き、その多 層的な構造を探り出そうとすることが不可欠になってくるに違いない。その結果、得られる結 論は、「セッター」の実在あるいは非実在のように、どちらとも決めがたいまま保留されざる を得なくなる恐れもあり得る。それでもなお、読者それぞれが、そのような読み解きかたを多 少なりとも試みなければならなくなることがあらかじめ想定されているのではないかと思える ほど、多義性、曖昧性、あるいは不確定性は、「かつてアレッポで……」のテクストを一貫し てしるしづける特性となっているのである。

2.複数の生

「かくも多くの日没が導いてきた国」(Nabokov 2002: 560)──あとの箇所では「大洋の向 こうにある灰色の楽園」と呼ばれるもの(Nabokov 2002: 563)──に到着したことをVに知 らせる語り手の手紙は、もうひとつ重要な報告を含んでいる。彼は、Vがフランスを去ってか ら一箇月ほどのち、「やんごとないドイツ人たち」が猛然とパリに来襲してくる二、三週間ま えに18)結婚したというのだ。ところが、その直後に続く数行によって、語り手の言葉の真実 性は根柢から揺るがされてしまう。

「結婚の記録証明を提出することもできるけれど、いまでは確信をもって私の妻は存在しな かったのだということができる。きみはほかの情報源から彼女の名前を知ることができるかも しれないが、そのようなことは取るに足りない。それは幻影につけられた名前なのだ。それゆ え私は、彼女について、短篇小説(正確にいえばきみの短篇小説のひとつ)のなかの登場人物 について語るときと同じ公平さをもって語ることができる。」

語り手の口吻は、想像上のものと断じられた飼い犬にかんする妻の弁明と奇妙なほど似か よっている。教訓的に受けとめるならば、ここで提言されているような公平さは、「かつてアレッ ポで……」を読む読者にたいして暗に要請されている姿勢と目されてよいものなのではないか。

といっても、それはごく一般的な意味でいう中立性のようなものではない。言表の揺らぎその ものを受け容れること、テクスト上で生起している個々のことがらにかんして一義的な解釈を くだすことをいったん踏みとどまり、不確定性をありのままに受けとめてみることが肝要なの だ。それは、ウィリアム・シェイクスピアの戯曲『ヴェネツィアのムーア人オセロウの悲劇』

(1603年執筆と推定される)19)第五幕第二場に由来する「かつてアレッポで……」という 表題そのものの解釈にも関係してくる問題であるが、その点はのちほど改めて取りあげること

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になるだろう。

「かつてアレッポで……」のテクストは、シェイクスピアの作品から採られた引用の断片で あるその表題20)をも含めて、一段落ごと、一文ごとに屈曲あるいは屈折をともなうようにし て進展してゆく。自分がアメリカ合衆国21)に到着したことをVに知らせる冒頭の文の直後に 語り手は、「私が最初に出会った人物のひとり」は昔馴染みのグレープ・アレクサーンドロヴィ チ・ゲッコー22)であったと記す。どういうわけか、Vが「われわれの国民文学」を裏切って いると考えているらしいゲッコーが、(「私の消息を聞く光栄に価しない」とでもいうかのよう に)気の進まない様子でVの住所を教えてくれたというところが、この短い挿話の要点である といってよい。だが、その他の細部はどのように位置づけられるべきなのだろうか。コロンバ ス・アヴェニューを横断しながら、ゲッコーが捜していたという、「私たち三人のうちだれひ とりもう二度と訪れることがないだろう」とされる「街角の小さなカフェ」は、どこにも繋が りを生じさせることなく放置されたままで終わるのだ。

続く第二段落で「きみに聞かせたい話がある」と切り出しながらも、語り手はなかなか本題 に移ろうとしない。「それで思い出すのは──つまり、こういうふうに述べはじめて思い出す のは──私たちが最初の、乳房から溢れ出たばかりのように泡立っている韻文を書いていたこ ろ、薔薇、水たまり、明かりの燈った窓といったすべてのものが私たちに『自分は韻を踏んで

いる!』[I’m a rhyme!]23)と叫びかけてきたころのことだ。」「これはこのうえなく有用な宇宙

だ」というとき語り手が念頭においているものとは、異なる土地、異なる文化にあっては維持 し続けることの困難なロシア語、ロシア文学の豊かな息遣いなのだろう。いうまでもなくそれ は、第一段落で触れられていた「われわれの国民文学」と関連づけられてよいものである。

「ロシア語の動詞の朗々たる魂は、木々の荒々しい身動きや、捨て去られた新聞紙のような ものが、果てしなく続く吹きさらしの堤防沿いに滑り出しては停止し、実りなくはためき、翼 もないのに引きつるようにしてふたたび藻掻きはじめるさまに意味を与えてくれる。」おそら くは子ども時代に語り手たちが興じたであろう「私たちは遊ぶ、私たちは死ぬ」という単純な 対句もロシア語では韻を踏むのだが、移住を機に英語で書くことをあえてみずからに課そうと しているらしい語り手は、「韻」(rhyme)という語を含む「ig-rhyme, umi-rhyme」という、音 の類似に言寄せてはいるものの、それ自体としては無意味な言葉遊びに自閉するしかない24)。 それゆえ語り手は、「現時点では自分は詩人ではない」という感慨を吐露するのだ。

語り手が書いた最良の詩──それは、妻そのひとと同じくらい「漠然とした」ものであった とされる──は、『文学雑記』(Literaturnye Zapiski)誌25)でVによる陰惨な嘲笑に晒されたと いう(Nabokov 2002: 561)。彼はまた、ドイツを「世界中の物笑いの種」(Nabokov 2002: 562) として揶揄するような一節を含む何冊かの書物の著者でもあった。戦火に追われるようにして

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Vや語り手がフランスを去る以前、ともに亡命ロシア人文学者たちからなる文壇で、ある程度、

重きをなしていたであろうことはじゅうぶん察することができる。とはいうものの、それ以上、

語り手が詩人として得ていた評価について窺い知るすべはない。註釈めいた余談によって仄め かされていることがらで満足しておくしかないのだ。

語り手の書く詩とその妻(「私の亡霊のような妻」[Nabokov 2002: 566])のあいだになにか 通じ合う要素があることは疑いなかろう26)。彼によれば、妻を思い浮かべ視覚化しようとす るときに、心のなかで「小さな褐色の母斑」のような具体的な細部に執着しなければならない のは、判読不能な文を読むときに句読点に集中しなければならなくなるのと同じことである。

互いに相通じるそのような属性のためということなのか、妻は「私の詩の曖昧さ」が気に入っ ていたと語り手はいう。『オセロウ』の主人公オセロウが、愛する女性デズデモウナにたいし て正面から自己を向き合わせるのではなく、「戦闘、攻城戦、武運」(第一幕第三場)にかんす る物語を自己の代替物とし、物語を語ることによって彼女の心をとらえようとしたことを想起 してみてもよかろう。

語り手とその妻の相互関係は、「もし私にとって彼女が幻像のままにとどまっていたとすれ ば、彼女にとっての私もまたそうだったのだろう」という言葉によっても明示されていると いえる。だが、その関係そのものが幻像にすぎなかったことが早晩明らかとなる。「彼女はた だ私の詩の曖昧さに惹かれていたにすぎず、そのうちそのヴェールを引き裂いて穴を開け、見 知らぬ他人の愛想の悪い顔を見たのだろう。」別のところでは、両者の関係は、「ふたつの無味 乾燥な岩山のあいだに位置する霧に閉ざされた深い谷間に呑みこまれている」(Nabokov 2002:

567)とも称される。「それ以前の過去において人生は現実的であったし、それ以後の未来にお いて人生は現実的となるのでないかと私は願っている。」(Nabokov 2002: 568)

妻が語り手の詩に魅力を感じていたという事情を踏まえて考えてみるならば、「現時点では 自分は詩人ではない」という語り手の言葉の裏には、二重三重の意味での喪失感が秘められて いると見てよいでのではなかろうか。彼は、いまの自分にとって詩を(とりわけロシア語の詩 を)書くことは不可能だと自覚しつつ、かといって、その代わりになにをどのように書くこと ができるかを探り当てることもできずにいる。しかも、彼が当面関心をいだき、話題とするこ とができる対象とは、自分が失ったものだけなのだ。そのような次第で、語り手は、みずから のおかれた苦境について、古くからの知人に訴えずにいられなくなるわけである。

しかしながら、ここで問題が浮上してくる。語り手は、チェーホフがどこかで言及していた とされる「話を書いてほしくてたまらない」饒舌な女性に自分を擬しつつ、Vにたいし、我が 身に起こった事態──「私たちのずたずたにされたロマンス」(Nabokov 2002: 567)──につ いて、「きみの藝術のプリズム」(Nabokov 2002: 568)をとおして明らかにしてもらえるので

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はあるまいかという淡い期待を表明する。それは、物語そのものを起動させるうえで有効な契 機となるものでもあり得るだろう。しかし、このようにして語り手がV(テクスト外における 作者の役割を代行する虚構上の存在でもある)になにかを託そうとすることにより、容易に説 明づけることができない論理的な齟齬が生じざるを得なくなってくる。

手紙のなかで語り手が、みずからの回想にもとづいて、自分自身を登場人物とする短篇小説 のようなものが書かれることを望み、なかばそれを予期してさえいるかのように見えるのはな ぜなのか。どうしてもロシア語を捨てなければならないこと27)、そのため、本来自分が書く べきであった(書くことできたかもしれない)文章を自分に代わって書いてくれる書き手が必 要となったことを前提とするのには無理があろう。Vに宛てた手紙は、すでにそのような文章 そのものを実体化させていたと考えられるからである。

Vが、受け取った手紙をどこまで自己の作品として書き直したのかという点は曖昧にされて いる。そのため確言することがむずかしくなっているのだが、その手紙に、語り手みずからが 継承すべき文化的・文学的遺産との断絶を表象するという目的があったことはじゅうぶんに想 像し得るだろう。それゆえにこそ語り手は、手紙を書くにあたって、あえてロシア語ではなく 英語を用いたのではないか。そうだとすれば、皮肉なことに、母語以外の言語による文書の作 成は、語り手にとって乗り越えがたい障碍などではなかったということになるだろう。もちろ ん、そうはいっても、母語による豊穣にして闊達な表現に相当するものを達成することが依然 として最大の難関として残されることに不思議はあるまい。だが、その点はVの場合も同様で あるはずなのだ。

他者の言語を用いて自分の身のうえについて語る語り手が、それと同時に想定し、そのこと 以上に重要視しているのは、自分が、他者によって語り直されるための素材を提供し委ねてい るということである。そのような錯綜した状況のうちに見いだされるものは、ただたんに、自 分が虚構テクストの登場人物であることを意識している登場人物というメタフィクション的な 仕掛けを超えたなにかであるといってよい。自己の意志によってはなにひとつ確定することが できず、ひたすら風に吹かれるままに身を任せるしかない無力な新聞紙がそうであるように、

有為転変に弄ばれることを余儀なくされるという設定それ自体が表象しているものがあるよう だ。簡単にいってしまうならば、テクストのいたるところで生じている軋み、喰い違い、不調 和などは、深い喪失をかかえた語り手の苦渋や煩悶を反映すると同時に、ロシア語を捨てて英 語を新たな表現手段とすることを宿命として受け容れなければならなかった作者自身がまさに 直面している難題を比喩的に語るものでもあるのだ。

細部にかずかずの気懸かりな問題点を孕んではいるものの、表面的に見るならば、「かつて アレッポで……」の物語はけっして複雑なものではない。その基本的構造は、ふたつの筋立て

(9)

の組み合わせとして単純化してまとめておくことのできるものである。第一の物語が、語り手 と妻の結婚生活の破綻をめぐるものだとすれば、第二の物語は、ふたりが──というよりも、

正確を期していえば、最終的には語り手ひとりが──フランスを出国するまでのいくつかの出 来事をめぐるものであることになろう。それらふたつの筋立ては、「私たちの燈火管制下のパリ」

(Nabokov 2002: 561)でかなり年下の女性と急速に懇ろになった語り手が、結婚後、Vの「幸

福な逃亡」を手本とするというかねてから温めていた計画を実行に移すこととするという発端 から、つねに同時に進行してゆくこととなるわけである。

3.虚言と真実

「私たちの破滅的な新婚旅行」(Nabokov 2002: 562)は、当初スペインをめざすものであっ たはずなのに、予定を変更して、ニースに向かうこととなった。その途中、食糧を手に入れる ために、フォジェール(ラングドック=ルシヨン地域圏エロー県に実在する)という駅で妻を 残していったん下車した語り手が戻ってみると、列車はすでに発車してしまっていて、あとに は「ただ一片のオレンジの皮」(Nabokov 2002: 563)28)が残されているのみであった。紆余曲 折を経て──「いくつかの見当はずれの場所に誤情報を転送するというお定まりの行動以外、

警察は役に立つようなことをなにもしてくれなかった」──ようやく巡り会った妻29)は、離 れ離れになっていた数日のあいだ、見ず知らずの男とともに過ごしていたと告白するのだった。

最初のうち彼女は、難民たちの集団と行動をともにし、金を所持していないことに気づいた ために、ある女性から金を借り、誤ってどことも知れぬ町にたどり着いたあげく、ようやくニー スまでやってくることができたのだという、「いささか朦朧としてはいるものの、完全に陳腐

な」(Nabokov 2002: 564)物語をもって説明に代えていた。その後、彼女は前言を翻して、「私

はあなたに嘘をついていた」、「私は嘘つきなの」(Ya lgunia30)というのだった。そうはいっ ても、最初の説明が嘘であった以上、列車のなかで出会った、ヘア・ローションを販売してい る「獣同然の男」といっしょにモンペリエに滞在していたという新たな説明もまた、全面的に 信用できるものと見なしてよい保証はないように思われる。語り手は妻の告白にけっして納得 することなく、その懊悩と苦悶はいっそう深まってゆくばかりであった。

「時と

4 4

、場所と、責め苦。彼女の扇、彼女の手袋、彼女の顔覆い布

4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4

。私は、その夜と、それ に続く幾夜ものあいだ、彼女から少しずつ聞き出しながら、それでもすべてを聞き出すことが できないまま過ごした。私は、最初にまずあらゆる細部を調べあげ、こまごましたすべての過 程を再構築したうえで、はじめてそれに耐えられるかどうかを決めなければならなくなるだろ うという、奇妙な妄想に支配されていた。だが、欲望の対象となっている知識の極限は達する ことのできないものであったし、そこまでゆけば自分は満ち足りるだろうと想像し得る近似点

(10)

を予想することもできなかった。当然のことながら、知識を構成しているひとつひとつの細片 の共通分母は、潜在的には、個々の細片それ自体のあいだにある空隙の数と同じくらい無限で あったからだ。」(強調は原文による)

「時と、場所と、責め苦」は『オセロウ』第五幕第二場(幕切れとなるロドヴィーコウの科白)

から、「彼女の扇、彼女の手袋、彼女の顔覆い布」は同じ戯曲の第四幕第二場(イアーゴウの 妻であり、デズデモウナの侍女であるエミリアを問い糾すオセロウの科白)からの引用である。

劇中における時間的順序が逆転されて、オセロウの旗手イアーゴウによる策謀が判明したのち の、彼にたいしてくだされるべき処罰にかんする科白と、デズデモウナがなんらかの口実を設 けて副官のキャシオウとふたりきりになろうとしたことはなかったかという詰問が並置されて いることになる。

しかも、処罰にせよ詰問にせよ、その対象となるものは、原典とは異なって妻そのひとに置 き換えられている31)。その結果として明確化されるのは、「かつてアレッポで……」における 語り手の疑念は、第三者の言説によって搔き立てられるものでもなければ、それによって打ち 消されるものでもないということだ。この短篇小説にあっては、『オセロウ』の場合とは真っ 向から対立するように、妻は、互いに対立し合う言説の中心に位置する存在でもなければ、い われない汚名を着せられた無辜の犠牲者でもない。妻本人が疑念を生じさせ、それを裏づける 役まわりとなっているのである32)

少しまえの箇所で語り手はすでに、『オセロウ』の主人公が妻であるデズデモウナにたいし ていだいたものと同様の(もしかすれば根拠のない)疑惑と嫉妬に触れていた。彼は、年若い 妻と結婚したプーシキンと自分を引き比べつつ、たとえプーシキンの詩を模倣することはかな わないまでも、「比類ない天才の運命を(嫉妬、猥語、孔雀の羽根の扇の蔭から彼女がアーモ ンドの形をした眼を金髪のキャシオウに向けるのを見るときの刺すような痛みにいたるまで)

模倣することに喜びを見いだす種類の懐古的ロマン主義」(Nabokov 2002: 561)に浸る余地は あったと述懐していたのである。

この箇所において『オセロウ』が引き合いに出されていたのは、あくまでもプーシキンの最 期へといたる経緯を念頭においたうえでのことである点に留意すべきであろう。1837年旧 暦一月二十七日、プーシキンは、絶世の美女であった妻ナターリヤに懸想して、彼女を誘惑し ようとし続けたフランス人士官ジョルジュ=シャルル・ド・ヘーケレン・ダンテス33)に憤慨し、

自分から申し入れた決闘の結果、ダンテスの撃った銃弾を腹部に受け、その二日後に亡くなる こととなる。このような文脈からすれば、「金髪のキャシオウ」にあたるのはダンテスであり、

オセロウにあたるのはプーシキンであることにならざるを得ない34)。しかしながら、あえて 指摘するまでもなく、シェイクスピアの戯曲のなかでふたりの登場人物がそれぞれに果たして

(11)

いる役割はかなり趣の異なるものである35)

『オセロウ』の本来の物語をある程度変形してまで、語り手が、それをプーシキンの伝記と 重ね合わせようとしているのはなぜなのか。その悲劇的な運命を模倣したいと思わせた理由と はなんであったのか。鍵となるのは、語り手が妻にたいしていだいている感情であろう。それ が、もともと屈折をともなうものであったということなのではあるまいか。かりに彼が妻を愛 していたのだとしても、その愛はおそらく、生きている女性に直接差し向けられたものではな く、過去の文学的遺産と関連性をもつことへの固執、現実の出来事として、虚構の場面として 幾度となく繰り返されてきた嫉妬や葛藤や心の痛手を自分もまた改めて味わってみたいという 倒錯的な欲望の延長線上に位置づけられてしかるべきものなのだ。

極端ないいかたをするならば、語り手が妻を責め立てるようにして追及したものとは、必ず しも真相や真理と呼び得るなにかではなかったように思われる。そのようなものよりもむしろ 自己の被虐性を満たすために必要不可欠な新たな刺戟を得ることこそが、なににもまして重要 だったのではないかと推察することさえできそうだ。執拗な究明にたいする反応から判断する 限り、妻のほうもまた、はたして夫を納得させ得る説明を行なう気があったかどうかは疑わし いといえるだろう。

「そうだった、最初のとき彼女は疲れすぎていて話に耳を貸す気になれなかったし、そのつ ぎのときには私が彼女を置き去りにしたことは確実だといって話に耳を貸そうともしなかっ た」と語り手は記す(Nabokov 2002: 564)。そもそも相手にたいするなんらの気遣いも介在し ない以上、両者のあいだで誠意ある質疑応答──本文にしたがうならば、「審問」(Nabokov

2002: 565)──がなされる見通しはほとんどなさそうである。それにもかかわらず、語り手と

妻のあいだでは、お互いを消耗させる、不毛な対話が繰り広げられたのだった。

「彼女のそうした説明は、じっさいには無意味で苦痛であったが、どうやら彼女としては私 に与える残念賞のようなもののつもりであったらしい。そんなふうにして長い時間が続いて いった。彼女は時折、取り乱しては、ふたたび元気を回復し、活字にすることのできない私の 質問にたいして息もつかずに囁き声で答えたり、痛ましい微笑を浮かべつつ、なんとかまとは ずれな註釈という半安全圏[semisecurity]に潜りこもうとしたりした。いっぽう私はといえば、

痛みのあまり顎が破裂しそうになるくらいまで繰り返し猛り狂って臼歯を磨り潰すように食い しばっていたが、その燃えるような痛みのほうが、鈍い、呻吟するような疼きに忍従するより はましであるように思われた。」(Nabokov 2002: 564-65)36)

このようにして語り手夫妻が互いを責め苛んでいたあいだ37)、他方でふたりは、時間を空 費しつつ、役所が必要書類を交付してくれるのをむなしく待ち続けていた。というよりも、そ のふたつしかなすべきことがなかったのである。この箇所において、すでに触れておいたふた

(12)

つの筋立ての組み合わせ──語り手と妻の結婚生活の破局へといたる物語と、パリから南フラ ンスへ、南フランスから大西洋の向こう岸へと続いてゆく逃避行にかんする物語──は、緊迫 の度合いを徐々に増してゆく気配を見せはじめる。

ふたつの筋立ての交差するところにおかれた語り手の境涯を慮るならば、まことに不条理な、

出口を見つけることのかなわないふたつの難題を突きつけられている状態とでもいい表わして よいかと思われる。だが、テクストをもう少し読み進めてみると、それが実態とはやや異なっ ていることがわかってくるだろう。語り手が突きつけられていたものとは、ひとを嘲弄してや まない現実世界のいかなる難局をもうわまわるような、ひとつの解きがたい謎だったのである。

「とりわけ言語道断な」一日が終わったある晩のこと、語り手は石のベンチに腰かけなが ら、「領事や警視のべたべたする手によって幾百万の人命が弄ばれている紛いものの世界」

(Nabokov 2002: 565)を呪詛しながら涙する。そのとき、ふと気づいてみると、妻も泣いてい

たのだ。「あなたは私が狂っていると思うでしょうね」といいながら彼女が露わにした激情は、

一瞬、彼女が「現実の人間」になったかと思わせるほどのものだった。「私はやっていない」

というのが彼女の訴えであった。「もしかすると私は一度に複数の生を生きているのかもしれ ない」というのである。

「複数の生」といういいかたは、『オセロウ』にかんする伝統的な作品解釈にあってしばしば 指摘されてきた多重構造38)となんらかの関連があるものとして論じることもできそうだ。妻 がなぜそんなことをいったのか、真意を問い詰めてもよいところなのに、語り手は特段の反応 を示したわけではなかったらしい。衝撃を受けたのかどうか、そもそもなにかを感じたのかに ついては、なんの記述もない。語り手は、妻の言葉をただたんに比喩的な表現として受けとめ たにすぎなかったということも考えられよう。すなわち、想像力豊かな妻が、飼ったこともな い犬の身を案じたように、じっさいに存在しなかった男性との一過的な情事を実体験のように 語っただけだったのだと理解して、安堵したのではないかということである。空想によって生 み出された作話が、現実の生と同様、個別に存立している異なる生としてとらえられているの だと判断することにさほど無理があるとは思われない。

「私はやっていない」という言葉を素直に受けとめるとすれば、語り手の妻は、自分がいっ たん打ち明けた真相(とされていたもの)を否定して、夫の知らない男とともにモンペリエに 滞在していたとする説明を打ち消したのだと見なさざるを得ない。だが、彼女がこれまでに前 言撤回を繰り返してきた点を振り返ってみるならば、ここでもまた、犬の実在あるいは非実在 の問題と同様の、互いに相容れない可能性の併存について考慮してみなければならなくなるこ とだろう。

すなわち、語り手の妻の人生には複数の男性が存在し、そのなかの誰か、たとえば語り手と

(13)

ともに暮らしているはずの人生にはあっては、他の男性は存在しないことにしておくというの が、彼女が自分自身の身の安全のために定めておいた原則のようなものだったのではないかと 想像してみるということだ。そのように解釈するならば、語り手にとっても読者にとっても、

なんとも腑に落ちなかった、一匹の犬が存在すると同時に存在しないという事態の意味すると ころについても、展望が開けてくるのではなかろうか。

4.可能性の複雑化

語り手が、突然、泣き崩れた妻の態度を眼のまえにして、束の間でも、それを演技ではない かと疑ってみたかどうかは、テクストからは推し量ることができない。結局のところ彼は、変 転する妻の遁辞に翻弄されながら、複数の可能性のうちのひとつだけを納得のゆく、合理的な 答として選択するという、ある意味では常識的な対処によってみずからを満足させざるを得な かったようだ。「彼女の遅延にかんする最初の説明を最終的に容認するまでに私が経過しなけ ればならなかった多様な舞台[stages]39)をくどくど話してみても退屈なだけだろう。」つまり 語り手は、夫とはぐれた妻が、助けてもらった難民たちの集団としばらく暮らしたのち、ひと りの女性から金を借りてニースにたどり着いたという話を信じることにしたのだということに なる。

夫妻はほとんど会話をせず、ともに時間を過ごすことも少なくなったが、妻は時折どこかか ら戻ってきては夫に桜桃やタバコを与えた。夫のほうは「数篇の詩」(Nabokov 2002: 566)を 書き、「入手し得る限りのワイン」を飲んだ。そのような小康状態とでも呼んでよさそうな時 期に、ふたりは一週間「カブール」(架空の地名であると思われる)に出かけ、岸辺で寛いだ りもした。「こんなことをいうと奇妙に聞こえるだろうが、私たちの新しい関係が仕合わせに 思えれば思えるほど、奥底にある痛烈な悲しみがますます強く感じられるようになるのだった。

しかし私は、それこそがすべての真の至福に本来的に備わった特徴なのだと自分にいい聞かせ 続けたのだ。」

この箇所を読むとき読者は、急転直下で訪れた平穏に困惑しつつ、語り手が認めている以上 の奇妙さを感じ取るのではないだろうか。出国査証の発給を待ち侘びながら慣れない土地に 仮寓している夫妻に、一週間、保養に出かけたりする余裕があるものだろうか。その滞在先 に架空の地名が与えられていることは、作品中で言及される他の多くの地名── 「 ガール県 」

(Nabokov 2002: 562)、「オード県」、「ドローム県」、「ヴァール県」、「バス=ピレネー県」(現 在の名称はピレネー=アトランティック県)、「ポー」──が実在のものであるのに引き比べて なにか作為的であるように感じられる。もしかすると、架空の地名には、ここで語られている 思い出それ自体が捏造されたものであることを暗に示唆する意図が秘められているのではない

(14)

だろうか。

語り手の言葉がはたして信頼に価するものなのかどうかという、読者の脳裡に兆す一抹の疑 いもさることながら、「一度に複数の生を生きている」という妻の発言からも察知されるとおり、

このテクストのうちにあっては、語られるべきことがらのいくつかが語られず、語られたこと がらのいくつかは真偽のほどが定かでないという一定の原理が常態として働いている点を忘れ てはならないだろう。とはいいながら、われわれが「かつてアレッポで……」を構成するふた つの物語のうちのいっぽうとしてとらえてきた、語り手(ならびにその妻)の逃避行にかんす る部分にかんしては、疑念を差し挟む余地は少ないようだ。語り手がついに出国査証を二枚手 に入れたあと、すぐさまマルセイユまで出かけ、乗船券も購入したことは事実として受けとめ ておいてかまわないはずである。

だが、その直後に生じる展開は(またしても)唐突であると同時に、なにか不自然にも感じ られる。戻ってみると40)、妻の姿はなかった。いや、おそらくは妻が失踪したことが意味さ れているのだが、ここでは修辞的な工夫が凝らされていて、じっさいに用いられているのは間 接的な表現のみである。まず語り手は、「テーブルのうえのグラスに活けられた一輪の薔薇」

──「そのあからさまな美」は 「 糖衣を思わせるピンク色 」 で彩られ、その茎には 「 寄生性の 気泡 」 が張り付いている──を見る。

そのあとには、かつてその部屋にあったはずなのに、いまは見当たらない事物が列挙される。

「彼女の着替え用の二着のドレスは消えていた、彼女の櫛は消えていた、彼女の格子縞のコー トは消えていた、彼女の帽子代わりだった藤色の蝶形リボンがついた藤色のヘアバンドは消え ていた。」「 枕にピンで留められた走り書き 」 もなければ、語り手を「啓発する」ような、なに ものも部屋にはなかった。「もちろん薔薇は、フランスの三文詩人たちが虚辞[cheville]と呼 ぶものにすぎなかった。」

アレグザンダー・N・ドレシャーが指摘しているように41)、ナボコフは、ロバート・ルイ ス・スティーヴンソンのエッセイで虚辞という用語が使われていることを知っていたものと考 えられる。じっさい、ナボコフがスティーヴンソンの文学観、文体観に傾倒していたことは、

後年、コーネル大学で行なわれることとなる、スティーヴンソンの中篇小説(ナボコフの言に したがうならば「短い長篇小説」)『ジーキル博士とハイド氏の奇妙な事件』(1885年執筆、

1886年出版)42)にかんする講義43)からじゅうぶん汲み取ることができるといえよう。そ の講義のなかでナボコフは、スティーヴンソンの『文藝論集』44)で開陳された文体にかんす る考えかた──「……最高度の優雅さと意味深長な含蓄を控えめに達成するもの、あるいは、

控えめでないときには、最大限の意味と活力を利得として獲得するものこそは、これ以上ない くらい完璧な文体なのである」45)──にたいして満腔の共感を表明しているのだ。

(15)

ナボコフの講義録の編纂者であるフレッドソン・バワーズの註記によれば、ナボコフの書類 挟みには、講義中に引用した一節を含む「四ページ分のタイプされた引用文」が残されていた とされる。講義のなかで読みあげられた引用文の一例としてバワーズが示しているのは、ス ティーヴンソンのエッセイ「文学の文体における技巧的要素について」(1885年)からの 抜粋である。「綜合的な物語」のうちにあっては 「 膨大な量の哲学と機智が同時に含意されて いる 」 と述べられている箇所で、とくに機智については、恒常的に細心の工夫を凝らすこと、

困難を克服すること、「二重の目的」を達成すること、「二個のオレンジ」を「空中で同時に踊 り続ける」ようにさせることといい換えられ、それこそが、読者に喜びを与えるものなのだと されている46)。この引用箇所の直前にあたる、講義録の註では引用されていない段落でスティー ヴンソンは、虚辞という概念に触れていたのだった47)。「 散文の天才は韻文の法則に勝るとも 劣らないほど断固として虚辞を拒絶する 」 というのが彼の主張なのである。

順序は逆となるが、同じ段落でスティーヴンソンは、作家の表現技法の冴えを奇術師の鮮や かな手捌きに擬えていた。「奇術師が二個のオレンジを巧みに操るとき、それを見守るわれわ れの喜びは、二個のいずれもが、一瞬たりとも、見過ごされたり犠牲にされたりすることが ない点から生じる。作家の場合も同様だ。そのパターンは、感覚を超越したものをとらえる

[supersensual]48)耳を楽しませるけれども、それと同時に論理の要請をとおし、なによりも

まず論理の要請に応じるように取り扱われるのである。」

「かつてアレッポで……」の読者が、虚辞という語を手がかりとして、スティーヴンソンのエッ セイの該当箇所を想起するにいたるというのは、なかなか困難であるように思われるし、ナボ コフが、スティーヴンソンの唱道する優れた文体の理念をみずからの作品によって実践しよう としたのだと明言することもできかねる。それでも、「かつてアレッポで……」のなかでじっ さいにナボコフがなし遂げているところを見ると、文脈こそ異なっているとはいえ、スティー ヴンソンの言にあった「二個のオレンジ」という比喩や「二重の目的」という概念は、まさに その本質を突いているかのように思えるのである。

これまでわれわれがふたつの筋立ての組み合わせとして読んできた「かつてアレッポで

……」は、出国査証の入手という懸案の解決と、語り手の妻の失踪、あるいは、より正確にい うならば、彼女に纏わるありとあらゆる事物の消失を転換点として、新たな様相を呈しはじめ る。語り手がさほど気にとめることもなくいったん聞き捨てにしてしまった、妻にとっての「複 数の生」とはなんであったのかという問題が、改めて浮上して、執拗に付きまといはじめるのだ。

妻の姿が消えて以後、語り手は知り合いのもとを訪ねて事情を詳らかにしようとするが、多 くの者はひたすら口を噤むのみであった。ただひとり腹蔵なく話を聞かせてくれたアンナ・ヴ ラジーミロヴナという老婦人から、語り手は、妻があるフランス人青年と恋仲となり、いまは

(16)

ふたりでロゼール県のとあるシャトーにいっていることを教えられる。老婦人はその青年の写 真を見せられたことがあったという。ここ数週間、妻は、ひとりでいくつかの家庭を訪問する たびごとに、夫に離婚を懇願したのに、拒まれ、それどころか、彼女を撃ち殺して自分も死ぬ と脅迫されたという話を広めていたのだった。語り手にとっては迷惑このうえない、莫迦げた 顚末であっただろうが、老婦人の眼からすれば、彼は、駆け落ちした妻と青年を追いかけて射 殺しかねない危険な男のように映っていたのである49)

語り手自身がまったく与り知らぬあいだに、本人の思いも寄らなかったようなイメージが他 人の想像力のなかでかたちづくられ、跳梁しはじめるというのは、なにかドッペルゲンガー的 な幻想をパロディ化した状況とでも解釈してよさそうだ。当人にとっては不本意なことには違 いないけれど、このようにして語り手は、妻のいう「複数の生」の一部に関与させられ、みず からも「複数の生」を生きるよう強いられることとなる。ひとりの女性の奔放な振る舞いに嘲 弄されて、その夫たる立場にあった男性の同一性がいわば根柢から揺るがされようとしている さまには、まことに瞠目させられるものがあるといってよい。

同一性の危機とまではいわないにせよ、テクスト上で発生しているかずかずの事象は徐々に 曖昧さを増し、結論めいたことがらを確定的なものとして呈示することが困難になってくるよ うだ。たとえば、語り手は、じっさいに犬を絞め殺したことはなかったとしても、衝動的な暴 力に走る傾向とまったく無縁であったとまでは断定しかねるはずだ。オセロウのように妻を絞 殺することがあり得たはずなのに、たまたまその衝動が現実化しなかったというだけのことか もしれないのだ。個々の事態や出来事に多様な可能性があり得ることは、語り手本人も認めて いる。「有閑紳士が巡回セールスマンに変わったのか、変身はその反対方向であったのか、は たまた、相手はそのどちらでもなく、私たちが結婚するまえに彼女を口説いていた、これといっ て目立つところのないロシア人だったのか──そうしたすべては完全にどうでもよかった。」

(Nabokov 2002: 567)

副次的な登場人物の身元を顧慮しないと表明することによって語り手は、その問題をあえて 取るに足りないものとして抛擲しようとする姿勢を、これ見よがしに示したつもりなのだろ う。だが、そのいっぽうにおいて彼が、現実とはどのようにでも変転し得るとらえどころのな いものであると認めていることも疑いない。彼が妻の存在を繰り返し全否定すること──「私 の妻は存在しなかったのだ」、「彼女はそもそもまったく存在しなかったのだ」(Nabokov 2002:

567)──にも、それが傷心や憤りから生じた強弁にすぎない以上、ある種の皮肉がともなわ ざるを得ないと見るべきであろう。

「 長く陰鬱な船旅の四日めの朝 」、語り手は船の甲板で、パリでチェスの相手をしたことが ある老医師に、妻の具合はどうかと話しかけられる。医師は、出港の二、三日まえに、妻がマ

(17)

ルセイユの堤防のうえを歩いているところを見かけたのだった。妻は、夫が鞄と乗船券をもっ て迎えにきてくれることになっていると医師に話したという。この挿話もまた、語り手の妻が 歩んでいるとされる「複数の生」のうちのひとつを例証するものなのだろうか。「亡霊のよう な妻」が、真正の亡霊として、みずからの存在を否定する夫に付きまとい続けているというこ となのだろうか。

慎重に読み解くことによって幾重にも複雑化してゆく可能性を秘めたこの眩惑的なテクスト の素性をもっともよく語っているものとはその表題であろう。Vに宛てた手紙の最後の段落で 語り手は、またしても『オセロウ』との関連性を明示するため、第四幕第一場におけるオセロ ウの科白からの引用である「それにしても残念だ

4 4 4 4 4 4 4 4 4

」(強調は原文による)という言葉を書き出 しにおいている(Nabokov 2002: 568)50)。そのいっぽうで語り手は、「 用心しなければ、すべ てがアレッポ

4 4 4 4

で終わることになりかねない 」(強調は原文による)といい、Vにたいして、「勘 弁してほしい、V、きみがもしそれを表題に使うようなことがあれば、とうてい我慢できない ような含意を自分の言葉に帯びさせることになるだろう」と警告している。

語り手が、みずからの手紙の内容と『オセロウ』の一節との関連性にかんして、ある種の示 唆を与えようとしていることはまちがいなさそうだが、ともあれ、手紙にもとづいた作品の発 表にあたっては、くれぐれも「アレッポ」という語を用いた表題を付さないように彼が念を押 したということは、いちおう銘記しておいてよいだろう。他方で読者は、『オセロウ』に由来 するこの表題がじっさいに作品に冠されていることをすでに承知している。この表題そのもの が、語り手の意向に反した、語り手以外の者による関与と、作品を成立させている虚構上の論 理の伏在を証していることになるといってよい。Vがみずからの名前を頭文字で表わすことを 選んだように、表題についても、手紙の編纂者としての主体的判断をくだしたことは確実だか らである。

シェイクスピアの作品におけるオセロウの科白は、「かつてアレッポで、/質たちの悪い、ター バンを巻いたトルコ人が/ヴェネツィア人を殴打し、ヴェネツィアの悪口をいった」とき、自 分は「その割礼を受けた犬の喉頸を摑んで、/一撃を加えた」という思い出にかかわるもので ある。科白の最後で「こんなふうにして」といいつつ、オセロウは(おそらくは隠しもってい た短剣で)みずからを刺し貫く。過去における自己の振る舞いを屈折させ、過去における懲罰 の対象を自己へと置き換えることにより、オセロウは、自己を「ターバンを巻いたトルコ人」、

「割礼を受けた犬」を類推させるなにものかとして位置づけようとしたかのようでもある51)。 オセロウの同一性は、つねに他のどこかへと──過去における武勲、真珠を海に投げ捨てた

「卑賤なインド人」、オセロウ自身によって懲らしめられた「ターバンを巻いたトルコ人」へと

──転位され、その結果、単一の定義に還元し得ないものと化してしまう。そのような意味合

(18)

いの多層化と揺れ動きに似たものが、「かつてアレッポで……」の場合にも生じ得ることは否 定できない。Vが表題を『オセロウ』から借りた意図と、語り手がそれを避けるように求める 素振りをとおして婉曲に示唆した意図のあいだで、読者は、複数の可能性を同時に思い浮かべ なければならなくなるだろう。それらの可能性は、スペクトル的に配列されたものとして想像 することもできる。

そこには、じっさいに語り手がだれかを刺し殺し、自分自身をも刺し殺したというところか ら、ただたんに、そのような極端に走ることを夢想し危惧しただけというところまで、種々の 段階が多肢選択の項目のように含まれてくるはずである。そして、結局のところ、「熱くなっ た石の厚板のうえで干すために茶色の漁網が広げられ、海面に反映した斑模様の光が繋留され た漁船の舷側で戯れているところ」(Nabokov 2002: 568)でいったりきたりしているとされる 妻の姿が、語り手の幻想なのか現実なのかは、ついにどちらとも決定づけることができないの である。

1) Vladimir Nabokov, “‘That in Aleppo Once. . .’” 表題が引用句であるために、論文中で言及するさいは、

もともと用いられていた引用符をさらに引用符で括る表記を用いるのが正当であろうが、煩雑に感じ られるため、引用句であることを示す鉤括弧を省略することとした。本論文中における議論は、下記 の版に依拠している(引用箇所は括弧内のページ番号によって示すこととする)。Vladimir Nabokov, The Stories of Vladimir Nabokov (1997; New York: Vintage International, 2002), pp. 560-68.

2) Cf. Boyd 1991: 62. 当時、ナボコフはのちに『ニコラーイ・ゴーゴリ』(Nikolai Gogol [New York: New Directions, 1944])として出版されることとなるニコラーイ・ゴーゴリ論を執筆中であった。ナボコ フを『アトランティック・マンスリー』誌の編集者エドワード・A・ウィークス(1898年生、

1989年歿)に紹介したのはエドマンド・ウィルソンであった。Cf. Karlinsky 2001: 12.

3) Vladimir Nabokov, Nine Stories (New York: New Directions, 1947).

4) Vladimir Nabokov, Nabokov’s Dozen (New York: Doubleday, 1958).

5) Vladimir Nabokov, Nabokov’s Congeries, Selected with the Author’s Collaboration and with a Critical Introduction by Page Stegner (New York: The Viking Press, 1968). 編者ペイジ・ステグナーによる序論、

書誌的註釈、年表、『記憶よ語れ──自叙伝再訪』(1967年)の抜粋、十一篇の短篇小説、自序、

長篇小説『プニン』(1957年)全篇と三篇の長篇小説の抜粋、十篇の詩などを収録。1971年刊 行の再版ではThe Portable Nabokovと改題された。

6) Vladimir Nabokov, “The Assistant Producer” in Nabokov 2002: 546-59. 『アトランティック・マンスリー』

誌1943年五月号に掲載されたのち、『九つの短篇小説』、『ナボコフの一ダース』、『ナボコフ集成』

に収録。

7) Vladimir Nabokov, “Cloud, Castle, Lake” in Nabokov 2002: 430-37.

8) Vladimir Nabokov, “The Aurelian” in Nabokov 2002: 248-58.

9) この当時、ナボコフのロシア語作品の下訳を担当していたのはピーター・A・パーツォフ(1908年 生、1967年歿)であった。Cf. Shrayer 1999: 337, n. 61.

10) Vladimir Nabokov, “Spring in Fialta” in Nabokov 2002: 413-29. パーツォフとの共同作業によって英語訳 された三作品はいずれも『九つの短篇小説』と『ナボコフの一ダース』に収録され、「オーレリアン」

(19)

以外の二作品は『ナボコフ集成』にも再録された。

11) Cf. Karlinsky 2001: 63, 69, 72.

12) ヴァシーリイの愛称である。英語版ではヴィクターに変更されている。

13) ロシア語版にはなく、英語版で書き加えられた。

14) それは、ナボコフがはじめて英語で執筆した長篇小説『セバスチャン・ナイトの真実の生涯』(1941

年、Vladimir Nabokov, The Real Life of Sebastian Knight [1941; New York: Vintage International, 1992])

の語り手の名でもある。手紙のなかの呼びかけとしては頭文字が用いられていたとは考えにくいので、

この表記にかんしては、手紙の編纂者としてのVの意志が働いていると見なすことができよう。

15) これらの地名の由来にかんしては、以前、別の論攷のなかで考察したことがある。鈴木聡「回想と解 離──ヴラジーミル・ナボコフの「フィアルタの春」」、『東京外国語大学論集』第83号(2011年)、 163‐84ページ。

16) Shrayer 1999: 214-15.

17) Strandberg 2000:189.

18) 伝記的事実に即していえば、ナボコフとその家族がフランスを出発したのは1940年五月のことで ある。「かつてアレッポで……」の語り手が結婚したのは翌月ということになるだろうが、その時点で はすでにドイツ軍はパリに到達していたのではないかと思われる。

19) ナボコフは、すでに長篇小説『暗闇のなかの笑い』(1938年、ロシア語版の表題は『暗箱』

[Камера обскра, 1931年執筆、1932‐33年発表]、Vladimir Nabokov, Laughter in the Dark [1938; New York: Vintage International, 1989])でこの戯曲のパロディ化を試みていたと考えることも できる。Cf. Schuman 1995: 515. その観点からいえば、種々の状況が異なっているとはいえ、最後期の 長篇小説『透明な対象』(1972年、Vladimir Nabokov, Transparent Things [1972; New York: Vintage International, 1989])の主人公ヒュー・パーソンが睡眠中に妻アルマンドを絞殺することもたんなる偶 然とは思えない。

20) ナボコフがシェイクスピアの戯曲からの引用を作品の表題として用いたもうひとつの例としては、戯 曲『アテネのタイモンの生涯』(1623年初出)第四幕第三場の一節を引用した長篇小説『青白い炎』

(1962年、Vladimir Nabokov, Pale Fire [1962; New York: Vintage International, 1989])を挙げるこ とができる。

21) 冒頭の文自体において明記されているわけではないが、のちに「ニュー・ヨーク」、「 シカゴ 」、「コロ ンバス・アヴェニュー」(ニュー・ヨーク市マンハッタン区の通り、九番街とも呼ばれる)、「セントラ ル・パーク」などという地名が言及され、最終的には、語り手が苦労の末に入手した(「合衆国という 血清が注入された」[Nabokov 2002: 566])出国査証の文字によって確認される。

22) その第一名は、ナボコフの知人であった詩人・批評家グレープ・ペトローヴィチ・ストルーヴェ(1898 年生、1985年歿)を連想させる。

23) 指摘するまでもないことだろうが、この一文は地口になっている。

24) この箇所では、「遊ぶ、死ぬ」を意味するロシア語(играем, умираем)が英語風にラテン文字化し

た表記が用いられている。

25) 1920年から1940年までパリで刊行されていたロシア人亡命者たちの文藝雑誌『現代雑記』

(Современные записки)をモデルとしたものであろう。

26) さらに、それに加えて語り手は、自分自身と妻の関係を、アレクサーンドル・セルゲーエヴィチ・プー シキンとその妻ナターリヤという、人口に膾炙した文学史上の先例に擬えること(「懐古的ロマン主義」

に耽ること)が感じさせた魅力にも触れている。

27) それは、海外から英語圏に移住し、そこで文筆家としての第二の人生を歩もうとしている者だけに求 められる絶対条件である。

28) オレンジの皮は、「フィアルタの春」においても語り手が眼にする光景の一部をなしている(Nabokov

2002: 413)。このような細部によって「かつてアレッポで……」は、先行する「フィアルタの春」と結

参照

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5 あると考えられる。 第7章「括弧符号」では、

ールがある.Block モジュールは,波括弧{}で囲まれたものとして表現する.Block

れらの関係において,序は起承と結び付き,破は

Lunatics, Lovers, and a Poet: A Study of Doubling and the Doppelgänger in the Novels of Nabokov (The University of Conneticut, 1972, Unpublished Ph.D. The Double

彰さんもよくいらしてました)

の草﹂は 、﹁一首全体﹂のイメージを

ロシア語版の標題は “ Королёк ” で 、『 最新 消息 』 (Последние новости) 誌に発表された 。 ドミートリイ ・

Concordance to the Riverside Chaucer 5)