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アメリカ学校財政制度訴訟の新展開(1)

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アメリカ学校財政制度訴訟の新展開(1)

‑平等論から適切・妥当性論‑の志向‑

59

白 石   裕

はじめに

アメリカの学校財政制度訴訟は,判決の動向という点からいえば, 1960年代後半に始まり1980年 半ばまで判決が相次ぎ, 1つの区切りというべき時期を形成した。その後短い寸断の期間があったも のの80年代末から再び判決が相次いで揖さjtるという経緯を辿っている。本論は,そうした動向の

なかで80年代末から現在に至る新しい展開(以下,新展開という)を示している訴訟の動向と法理 を探るものである。

ここで「新展開」とは,それ以前の「生成期」と「展開期」における学校財政制度訴訟がインプッ トとしての教育機会の平等を主な争点にし,他との相対的関係を問う「平等」が重大な関心であった のに対し, 80年代末からの新しい展開の時期においてはアウトプット(学力達成など学校教育の成 莱),あるいはアウトカム(市民として必要な資質の形成など将来を見越した能力の獲得など)とし

ての教育機会の平等を主な争点とし,そのための「適切・妥当な」 (adequate)な財政制度や教育内 容,さらには学校制度がどのようなものであるべきかを問う訴訟であるということである。いわばア

メリカ学校財政制度制度が争点をシフトさせているのである。

本論に入る前に,訴訟の時期区分について一言つけ加えておきたい。本論では上で述べたように, 1960年代後半から84年代半ばにかけての訴訟の動向を学校財政制度訴訟の「生成期」と「展開期」

に,そして80年代以降を「新展開期」に分けて考えている。 「生成期」とはマクニス判決(1968年)1) からロビンソン第1判決(1973年)2)までを指し, 「展開期」とはロビンソン第7判決(1976年)3)以 降の各州の判決から1984年のイーストジャクソン判決̀'1)までの時期を指す。

この時期区分は通説ともいうべきスロー(Thro,William. E.)の説とやや異なる。その違いはロビ ンソン判決の取り扱いの違いによるものである。スローは1960年代後半からロドリゲス判決(1973 午)5)までを「第‑の波」の時期,ロビンソン判決からクコール判決(1989年)6)までを「第二の波」

の時期と区分し,同じ1989年のヘレナ初等第1学区判決7)以降を「第三の波」の時期としている。

スローの時期区分は,訴訟の争点としての法的根拠を何に求めるのかということを基準としたもので ある。そして,その法的根拠とは「第‑の波」の時期には合衆国憲法修正14条の法の平等保護条項 であり, 「第二の波」においては合衆国・州憲法の平等保護条項と州憲法の教育条項,そして「第三 の波」の時期では州憲法の教育条項である8)。筆者も法的根拠に関してはスローの分類と同じ見方を

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60   アメリカ学校財政制度訴訟の新展開(1) ‑平等諭から適切・妥当性論‑の志向‑ (白石)

している9)。もちろんそれは判決の傾向がそうであるというのであって,すべての判決がその分類に 当てはまるということではない。 「第三の波」の時期の判決においても法の平等保護条項を法的根拠

とした事案10)もある。

筆者がスローの見解ではなく, 「生成期」, 「展開期」, 「新展開期」という時期区分を設定するのは, アメリカ学校財政制度訴訟とは司法の側からすれば,アメリカ教育の重要な原則とされる教育機会の 平等の原則をどのようにとらえ,法理として構成し,それをどのような形で保障していくのかという 問題であり,そのためには各時期の法理の特徴と課題を明確な形でとらえる必要があると考えるから である。そういう視点からすれば,学校財政制度訴訟の本格的な訴訟において,最初の違憲判決であ るセラノ判決(1971年11)最初の合憲判決であるロドリゲス判決(1973年),そして州憲法の教育 条項を適用して学校財政制度訴訟の新たな道を拓いたロビンソン判決(1971年)はその後の学校財 政制度訴訟の法理の基本的形態をつくり出した判決であり,それらは「生成期」に位置づけるべきだ と考えるからである。

また, 「生成期」・「展開期」の時期と「新展開期」とでは判決の法理が明らかに変化している。ス ローはそうした焦点の推移にほとんど注目していないが,教育機会の平等の実現という視点からすれ ば,それは重大な転換である。

本論では,以上のような問題意識から,適切・妥当性の問題に焦点を移している「新展開期」のア メリカ学校財政制度訴訟の動向と法理とはどのようなものなのか,その課題はなにかを探るものであ る。ただしその特徴を把捉するために,初めに,その前段階である「生成期」と「展開期」の学校財 政制度訴訟の動向と法理を判決の教育機会の平等のとらえ方とその法理を中心にして概観しておきた い。また, 1989年以降の時期区分については筆者はスローと同じ見方をしているので,ときに「第 三の波」という言葉を用いる。

l 学校財政制度訴訟の生成と展開 1学校財政制度訴訟の生成

1)現代学校財政制度訴訟の始動

本論でいうアメリカにおける学校財政制度訴訟とは,教育費や教育サービスの学区間格差(生徒1 人あたり教育費で比較。通常は2‑3倍の差)を生じている公立初等中等学校財政制度(具体的には 地方財産税収入に依拠している公立学校財政制度)を合衆国憲法あるいは州憲法の定める平等保護条 項あるいは教育条項に抵触し,当該生徒から教育機会の平等を奪うものとして提起される訴訟のこと である。

こうした訴訟は1960年代以降のものであるが,アメリカにおける学校財政制度訴訟は60年代にな って初めて登場したのではなく,それ以前にもソイヤー判決(1912年12)などの例がある。しかしな がら,そうした以前の例は財政的に富裕な学区に住む納税者が税の徴収と配分に不満をもち,起こし た訴訟である。 60年代以降の訴訟においても展開期のバス訴訟(1976年13)新展開期のエッジウッ

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アメリカ学校財政制度訴訟の新展開(1) ‑平等諭から適切・妥当性諭への志向‑ (白石)  61 ド第4判決の訴訟(1995年)1°'のように富裕な学区の住民が提起した訴訟もないわけではないが,そ うした訴訟はきわめて少なく, 60年代から始まる訴訟は,納税者の税負担(とりわけ地方財産税) の問題に加えて,というよりは貧困学区の子どもの教育を受ける機会を主たる争点とした訴訟である。

そうした意味で60年代以降の学校財政制度訴訟は現代学校財政制度訴訟というべきものである。

そうした現代学校財政制度訴訟の先駆けとなったのはマクニス判決(1968年)である。マクニス 事件は原告が敗訴したものの,地方財産税課税力の差に基づく生徒1人あたり教育費の学区間格差を 合衆国憲法の法の平等保護条項に違反するとして争われた最初の裁判であった。しかしながらマクニ ス判決やその直後のバラス判決(同じく原告敗訴15)においては学校財政制度訴訟を憲法上の問題と して論ずることが可能な法理を欠いたままの裁判であり,その後の訴訟を先導するような役割を果た していない。その意味でこれら2つの判決は,現代学校財政制度訴訟の先駆けではあったが,生成期 を創造する判決とはいえない。ただし,マクニス訴訟において原告が主張した教育ニーズに従った学 校財政制度の要求は, 1980年代半ば以降のニュージャージー州のアポット訴訟につながる教育機会

平等の重要な観念であることは指摘しておかなけjMどならない。

2)学校財政制度訴訟の基本形態の生成

生成期を創造することになったリーディング・ケースは3つの判決である。すなわち,最初の違憲 判決を下したが)フォルニア州最高裁判所のセラノ判決,セラノ判決を否定し最初の合意判決をTし た合衆国最高裁判所のロドリゲス判決,そして学校財政市棚空訴訟の新しい方向を示したニュージャー ジー州最高裁判所のロビンソン判決である。これら3つの判決は現代アメリカ学校財政制度訴訟の原 型となっている。

これら3つの判決はいずれも生徒1人あたり教育費の学区間格差が争われた事案であるが,教育機 会の平等をどのように考えるか,その論拠はどのようなものであるのかという点に絞っていえば,以 下のとおりである。

セラノ判決は,原告側の訴訟代理人となったクーンズ(Coons,John.E.)らの「財政的中立の原 則」16)を採り入れ, 「子どもの教育の質が親や地域社会の資産に左右されない」ことをもって教育機 会の平等であるとの見解を示した(教育機会平等の否定的定義)。そして財政的中立の原則からすれ ば,学区間の教育費の相対的格差は合衆国憲法の法の平等保護条項になりうるのである(相対的剥奪 請)。なぜならば,教育費は教育の質を規定しており,教育費不足は教育の質の低下を示すものであ るからである。

こうした前提に立って,判決は教育費の相対的格差が違憲となる論拠を立論するために,学区の資 産は貧困な者を差別しているがゆえに教育資源の配分のための基準としては不適切であり,差別の

「疑わしき分類」 (suspectclassification)になること,また,市民社会において果たす教育の重要な 役割に鑑みて教育は十分な保護を受けるべき「基本的利益」であるという2つの基準を学校財政制度 訴訟の審理に適用し,それゆえ「厳重審査」を用いてが)フォルこア州公立初等中等学校財政制度に

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62   アメリか学校財政制度訴訟の新展開(1)一平等論から適切・妥当性論への志向‑ (白石) 違憲判決を下したのである17)。

財政的中立の原則を基にして裁判所の違憲判断を導く法理を築いたセラノ訴訟の成功の影響は大き く,他州での訴訟を誘発し, 1971年から73年までの間に出された9州の判決18)のほとんどがセラノ 判決の理論に従い,合衆国憲法の法の平等保護条項をめぐる裁判となった。

セラノ判決を全面的に否定したのがロドリゲス判決である。ロドリゲス事件は,セラノ事件と同じ く,生徒1人あたり教育費の学区間格差を生じているテキサス州公立学校財政制度が合衆国憲法の法 の平等保護条項に違反するとして提訴されたものである。ロドリゲスら原告は,セラノ訴訟の原告ら

と同じく,学区資産に差に基づく教育費格差は差別の疑わしい分類になること,教育は基本的権利で あり,したがって裁判所の審査基準は厳重審査を用いるべきだと訴えた。そうした点を考慮しつつ, 以下に判決の要旨を述べる。

ロドリゲス判決は,教育費と教育の質との関係については懐疑的であり,セラノ判決のように教育 費の相対的格差に重大な問題を見出さない。判決は,教育機会の平等の判断基準として絶対的剥奪と 相対的不利益という基準を設定・比較し,前者の場合には法の平等保護違反なりうるが,後者の場合 にはなりえないという(教育機会平等の絶対的剥奪定義)。この基準に照らすと原告らの子どもは公 教育の機会をまったく奪われているわけではないから学校財政制度は違憲とはいえないのである。そ の意味で学区資産は差別の「疑わしい分類」にはならない19)。

教育が基本的権利であるかどうかについては,判決は,合衆国憲法により明示的に,あるいは黙示 的に保障されている教育を受ける権利があるかどうかで判断すべきであるとして,合衆国憲法には教 育に関する条項はなく,教育に黙示的な権利として地位を与えている憲法上の権利もないとして教育 の基本的権利論を退けた20)そしてそれゆえに合理性テストを用いて,テキサス州学校財政制度は 合法的なものであるとして合憲判決を下した。

判決がテキサス州学校財政制度を合法的なものとしてあげている理由は, 「適切な教育」と「教育 のローカル・コントロール」である。 「適切な教育」とは法定の最低基準の教育を指し,たとえ貧弱 な質の教育にせよ,法定の最低基準を満たす基礎教育の機会が提供されていれば教育の機会が剥奪さ れていることにはならないのである(教育機会平等に関する最小限の基礎教育定義)0

「教育のローカル・コントロール」はアメリカ公教育の重要な原則となっているが,判決は教育の 自由,地方の教育ニーズへの対応,教育の多元主義などの利点をあげ,この原則を支持する。それゆ え教育費の学区間格差も教育のローカル・コントロールの観点から説明されるのである21)セラノ 判決もローカル・コントロールの重要性は認めるが,財政力が貧困ゆえに教育条件の整備が十分にで

きないような学校財政制度の下では,ローカル・コントロールは「残酷な幻想」22)にすぎないと批判 する。

かくて,ロドリゲス判決は,生徒1人あたり教育費の学区間格差を許容し,学校財政制度を是認す る判決となり,そこで示された法理は,学校財政制度の合憲判決を支える論拠としてその後の学校財 政制度訴訟に採りいれられることになった。とくに合衆国最高裁判所の判決であるだけにその影響は

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アメリカ学校財政制度訴訟の新展開(1) ‑平等諭から適切・妥当性諭‑の志向‑ (白石)  63 大きく,展開期において合憲判決が多くなることの理由ともなった。また,ロドリゲス判決により, 合衆国憲法修正14条の法の平等条項を根拠にして学校財政制度訴訟を提起する道が少なくとも当分 の間は閉ざされることになった。

ニュージャーシー州最高裁判所のロビンソン判決は,ロドリゲス判決により法の平等保護に依拠し た学校財政制度を合衆国裁判所に提起する道が閉ざされたときに,州憲法の教育条項を適用して新た に学校財政制度訴訟を開いたことでリーディング・ケースの1つとなった。判決は, 「ゆきとどいて 効率的な」無償教育を提供するという州の義務を定めた州憲法の教育条項は, 「現代において子ども を市民として,そして労働市場における競争者としての役割を果たせるように準備させるに必要な教 育機会」を命じているという(教育機会平等の結果定義)。そして,教育費と教育の質との関連を認 める立場から,ニュージャージー州における教育費の大きな学区間格差(1970‑71年度において全 米で最大の部類)は,そうした教育機会の質の格差を生むのであり,それは州憲法の教育条項違反に なるとの判決を下した23)。

ただし,判決は教育の重要性を認めつつも,州憲法に明示的規定があるという理由だけでは当該利 益が基本的権利になるわけではないとして教育の基本的権利論説を退け,また,州は親の資産に基づ

き,あるいは授業料の支払能力に応じて公立初等中等学校への入学を条件づけているわけではないと の理由をあげて,学区の資産格差は「疑わしい分類」にはならないとした。そして審査基準としては 比較衡違法を用いた24き。ロビンソン判決により,以後,多くの州の訴訟は州憲法の教育条項を根拠

にして学校財政制度訴訟を争い審理するという方向で学校財政制度訴訟が進むことになった。

2 展開期の学校財政制度訴訟 1)展開期の裁判所の審査基準

1976年のニュージャージー州最高裁判所のロビンソン第7判決以降から1984年のミシガン州最高 裁判所によるイースト・ジャクソン判決までの約8年間の展開期において14州の最高裁判所が学校 財政制度訴訟に判決を下している25き。原告らの訴えは事案により異なるが,基本的には教育費の学 区間格差の問題であることには変わりはない。 14州の判決のうち違憲判決が6州,合憲判決が8州と 合憲判決がやや多くなっている。

ロビンソン判決によって州裁判所を舞台として,そして州憲法の教育条項を法的根拠とする訴訟の 道が示されたことを受けて,展開期には州の裁判所が州の教育条項を根拠とした判決が多くなってい る。ただし,教育条項のみで裁定を下した判決は1州で26)州の教育条項と平等保護条項を併用した 判決が8州27き,その2つに合衆国憲法の平等保護条項を加えた判決が1州となっている28)。その他は 州憲法の平等保護条項を根拠した判決が1州2‡'う,州教育条項と川の他の条項(課税条項)を根拠とし

た判決が3州となっている30き。

これを違憲判決,合憲判決でみると,教育条項のみを根拠とした判決は違憲判決を下しているが, 教育条項と平等保護条項を併用した9つの判決のうち違憲判決が,31)合意判決が6である32)。この

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64 ・アメリカ学校財政制度訴訟の新展開(1) ‑平等論から適切・妥当性諭への志向‑ (白石)

ように,展開期には教育条項の適用は必ずしも原告勝訴とはならず,そのため教育条項の適用は「公 立学校財政改革には特に効果的な道具ではない」33)といわれた。教育条項の適用が原告勝訴の大きな 要因となるのは1989年以降の「第三の波」以降である。

セラノ判決が示した教育の基本的権利論, 「疑わしい分類」としての学区資産論,そして「厳重審 査」基準についてはどうかといえば,教育を基本的権利と認めた判決は4州34)学区資産を「疑わし い分類」としたのは3州35)そして「厳重審査」を適用したのは3州36)である。生成期に比較する とセラノ型法理を用いた判決が少なくなっている。それとは反対に, 「合理性テスト」を用いたのは 9州で,そのうち6州が合憲判決を下している。したがって,展開期の判決については州の教育条項 を法的根拠としつつも,セラノ型法理を用いた違憲判決よりもロドリゲス型法理を用いた合憲判決が 多くなっているといえるであろう。こうしたことから70年代前半の生成期に比べると,この時期の 学校財政制度訴訟は「入り混じった結果と限られた成功の10年」37)といわれるのである。

ただし,この時期には,都市の過重負担を問題としたレヴイツトタウン訴訟38)財源確保のため の住民投票制度を問題としたシアトル第1学区訴訟39)ぁるいは財政的に豊かな学区の税収を吸い上

げ貧困な学区に再配分する負の州補助金制度を問題としてバス訴訟40)などにみられるように,学校 財政制度訴訟が地方財産税制度そのものだけではなく学校財政制度の多様な,そして根幹に関わる側 面にまで及び始めことは注目すべきことである。

2)展開期の判決にみる教育機会の平等観念

学校財政制度訴訟における教育機会の平等観念については,生成期において形成されたセラノ判決 が示した財政的中立の原則論および教育費と教育の質との相関関係論を基本に据える相対的剥奪論 (あるいは相対的不利益論)とロドリゲス判決が示した最小限の教育論と教育のローカル・コントロ ール論を基本に据える絶対的剥奪論とは展開期の判決に継承されていく。そして違憲判決が相対的剥 奪論を揺るのに対し,合憲判決が絶対的剥奪論を探るのはその法理からすれば当然のことであろう。

そしてまた,相対的剥奪論,絶対的剥奪論にはそれぞれ長所と問題点があり,相対的剥奪論には他と の相対的関係を重視する公平の視点がある一方で,教育費や教育サービスの絶対的水準の視点が見失 われがちであるのに対し,絶対的剥奪論には教育費や教育サービスの絶対的水準を重視する一方で, 他との相対的関係をあまり問わないため公平の視点が見失われるという問題点がある。

そうした相対立する見解を内包した諸判決のなかから教育機会の平等をより実質的に保障しようと 判決自らが具体的な教育の質の基準や教育費の水準を示した判決がこの時期に現れた。いずれも違憲 判決であるが,そのひとつはコネティカット州最高裁判所のホ‑トン判決(1977年41)である。ホ‑

トン判決は教育機会の平等とは教育の質の保障であるとし,教育の質の評価基準として学級規模や教 員の養成・経験,教材・教科書・備品,生徒の学力テストの得点など8項目をあげている。また,ワ シントン州最高裁判所のシアトル第1学区判決(1978年42)では,判決は,教育機会の平等論として は結果の平等論(教育機会の平等とは『政治,労働市場,思想市場において十分に競争できるスキル

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アメリカ学校財政制度訴訟の新展開(1) 平等諭から適切・妥当性諭への志向‑ (白石)  65 を学ぶ機会を与えること』と判示)と最小限の基礎教育論の定義をとり,最小限の基礎教育に必要な 費用を算出し,その額の支出を命じている。さらに,ウェスト・ヴァージニア州最高裁判所のポーリ ー判決(1979年43)では教育機会の平等とは質の高い実質的平等でなければならか、とし,州憲法の 教育条項にいう「ゆきとどいて効率的な教育」を成し遂げているかどうかを評価する基準として,識 辛,算数の力,市民として必要な政府についての知識など子どもが習得すべき能力をあげた。

裁判所が立法府の権限に属する教育の質や水準を設定することには三権分立の原則から批判もある が,教育条項の適用によって裁判所が教育内容に踏み込んだ判決をするようになったことは展開期に おける学校財政制度訴訟の特徴の1つである。そして,そのことは「第三の波」へと引き継がれて

いく。

暮のまとめ

以上のように,生成期と展開期のアメリカ学校財政制度訴訟を概観したが,それを教育機会の平等 観念および訴訟の法理の構築という観点からまとめると以下のようになる。

まず教育機会の平等観念についていえば,学校財政制度訴訟においては教育機会の「平等」

(equality)を主要な争点として始まり,それゆえ当初は合衆国・州憲法の法の平等保護の規定を法的 根拠として訴訟が展開されていく。その後,教育条項を法的根拠とするようになり,相対的な「平等」

にとどまらない実質的な教育内容の保障を求める判決が現れたが,この2つの時期においては,主に 教育機会の「平等」とはなにかををめぐる訴訟であったといえよう。

そうしたなかで教育機会の平等観念についてはセラノ判決で示された相対的剥奪諭(あるいは相対 的不利益論)とロドリゲス判決で示された絶対的剥奪論が基本的な対立的観念として形成された。そ うした2つの論の枠のなかで各州の判決において否定的定義,最小限の基礎教育,教育結果の平等, 教育ニーズという教育機会の平等定義が示され定着した。

また,この2つの時期においては学校財政制度訴訟を審理する審査基準が登場した。すなわち, 1) 教育を受ける権利を基本的権利とみるかどうか, 2)公立学校財政の財源となっている学区資産を差

別の「疑わしい分類」と認めるかどうか, 3)審査基準として「厳重審査」, 「合理性テスト」, 「中間 テスト」のなかのどの審査基準を用いるかということである。そしてどの審査基準を用いるかは違 憲・合憲判決の行方を左右するものとなった。

日 学校財政制度訴訟の新たな展開 1学校財政制度訴訟の再燃

イースト・ジャクソン判決(1984年)で合憲判決が出されて以降,ニュージャージー州最高裁判 所によるアポット判決(1985年44)を除いて86年までは州最高裁判所による判決もなく,その後87, 88年にかけて3件の合憲判決∠15)が出たものの全米のなかで訴訟の勢いも衰えたと思われた学校財政

制度訴訟であったが, 80年代末になり再び勢いを取り戻した。

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66   アメリカ学校財政制度訴訟の新展開(1)一平等諭から適切・妥当性諭への志向‑ (白石)

そのきっかけとなったのが, 1989年2月1日に出されたモンタナ州裁判所のヘレナ初等第1学区判 決46)であり,同年6月8日のケンタッキー州最高裁判所のローズ判決47)そして同年10月2日のテ キサス州最高裁判所によるエッジウッド判決̀18)である。いずれも違憲判決であり,あらためて学校 財政制度の問題を裁判で争うことの意義を認識させた判決であった。なお同年にはウィスコンシン州 最高裁判所のクコール判決49)が出されているが,この判決は合憲判決である。

1)ヘレナ初等第1学区判決

これら3つの違憲判決のなかで最初に出されたヘレナ初等第1学区判決は,教育費の学区間格差を 生じている公立学校財政制度の合憲性を争った訴訟である。判決は,地方財産税に依拠しているモン タナ州の公立学校財政制度は教育費の学区間格差を許容し,質の高い公教育(quality public education)の機会を各生徒に平等に保障すべきという州憲法の教育条項に違反していること,また, モンタナ州学校認定基準は質の高い公教育を保障するための基準とはなっていないとの判決を下し た。被告である州は,州の学校財政の責任は標準教育計画のなかで十分果たされていること,致育梯 会の平等とは教育費の相対的水準ではなく標準テストの生徒の成績をもってより適切に測定できるこ と,そして教育費の格差は教育のローカル・コントロールの表れとして認められるべきことを主張し た。これに対して判決は,標準教育計画は最小限レベルの平等さえ成し遂げるに十分でないこと,也 裁判決の記録では教育のアウトプット理論を支えるいかなる証拠もないこと,そして地方学区に選択 の余地を与えない教育費の支出格差をローカル・コントロールの表われとみるわけにはいかないとし て州の主張を斥けた。

ヘレナ初等第1学区判決は,それ以前の学校財政制度訴訟に合憲判決53)をTした同じ裁判所が今 度は違憲判決を下して点において注目されるが,判決の内容が「生成期」 「展開期」のいわゆる伝統 的な論理で裁いた裁判であるためか,ローズ判決とエッジウッド判決と比べるとそれほど注目を浴び る判決とはなっていない。しかしながら,州憲法の教育条項を基にして,モンタナ州学校認定基準が ミニマムの基準の設定にとどまり,質の高い教育(qualityeducation)の実現のための基準とは定義 されていないとの見解は,教育内容の適切・妥当性を問う「第三の波」の訴訟の最初の判決といって よいと考えられる。

2)ローズ判決

ローズ判決は新展開期の時期を画す判決となった.原告らの訴えは,ケンタッキー州の公立学校財 政制度が地方財産税制度に依拠していることにより,ケンタッキー州の教育を不適切,不公平,不平 等なものにしているがゆえに不適切であり,違憲であるというものである。ケンタッキー州最高裁判 所は, 「適切な教育を受ける子どもの権利は基本的権利である」50)と述べ,それにもかかわらず貧困 学区の生徒は不適切で貧弱な教育の機会を受けていないとして,原告らの訴えを全面的に認めた。そ して,ケンタッキー州の全学校制度が州憲法の教育条項(「州議会は,適切な立法措置により州全域

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アメリカ学校財政制度訴訟の新展開(1) ‑平等諭から適切・妥当性諭への志向‑ (白石)  67 に効率的なコモンスクール制度を設置する」)に違反するとの裁定をした。

ローズ判決の特徴は,第1に,事案は学校財政制度訴訟であるにもかかわらず,問題を財政制度の 枠内にとどめず,財政制度も含めて行政制度,学校の施設・設備,教員免許状,そうしたものを定め ている法令など学校制度全体に関わるものを違憲としたことである。判決が,学校制度全体にかかわ

る改革を求めた背景には,ケンタッキー州の公立学校教育の水準(生徒の学力など)が近隣州あるい は全米のなかで下位の部類に属することが指摘できる。第2に,教育条項の効率性規定は州議会にす べての子どもに適切な教育を受ける平等な機会を与えるコモンスクールを設置することを命じている

とし,その上でコモンスクール制度が備えるべき要件と適切な教育としてのガイドラインを示したこ とである(ローズ判決が示した適切の教育としてのガイドラインとは,子どもに以下の7つの能力を 与えるような教育である。 ①複雑で急激に変化する文明において通用するコミェニケ‑ション・スキ

ル(口頭・文書), ②知的な選択肢を考慮しうる十分な経済的・社会的・政治的知識, ③コミュニテ ィ・州・連邦の問題を理解できる統治機構に関する十分な理解力, ④自己をみつめ,自己の精神的・

身体的健廉を考慮しうる十分な知識, ⑤文化的歴史的遺産を評価できる美術に関する十分な知識, ㊨ 職業に関して知的な選択を可能とする普通教育・職業教育における十分で高度なトレーニング, ⑦公 立学校の生徒が近隣の州の生徒と十分に競争しうる学問あるいは職業に関する十分な知識oln

上の第Ⅰの特徴は,学校財政制度訴訟が教育条項を適用することにより学校制度全体にわたる教育 改革への道につながることを示唆した点において後の訴訟に大きな影響を与えることになった。第2 のことは,学校財政制度訴訟の新たな展開期の特徴が「適切・妥当性」 ‑の志向を目指す実質的に最 初の判決になったといえるであろう。以後,学校財政制度訴訟は, 「適切・妥当性」を求めた訴訟が

多くなり, 「適切・妥当性」を理由とすると勝訴する可能性を示すものとなった0

3)エッジウッド判決

エッジウッド判決は,同じく教育費の学区間格差が争われた訴訟である。テキサス州最高裁判所は, 裕福な学区と貧困な学区との間に生徒1人あたり地方財産税評価額で700対1の差を,そして生徒1

人あたり教育費で最高の19,333ドルから最低の2,112ドルの格差(9対1)を生じている公立学校財政 制度を州憲法の教育条項(「知識の一般的な普及は人々の自由と権利の保持に本質的なものであり, 効率的な公立無償学校制度を制定し,そのための支援と維持を適切に行うことは州議会の責務であ

る」)に違反するとの判決を下したのである。

エッジウッド判決の事案はロドリゲス判決の事案と同一のテキサス州サンアントニオにおける同一 の学区が提訴した訴訟であり,ロドリゲス判決による合憲と裁定された公立学校財政制度を裁判所が 違憲と判示したものである。そうした両判決の違いを裁定の法的根拠に求めるとすれば,ロドリゲス

判決が合衆国憲法の法の平等保護に依拠したのに対し,エッジウッド判決はテキサス州憲法の教育条 項に拠ったところが大きいであろう。

すなわち,ロドリゲス判決が平等保護条項を基にして教育費の相対的格差を絶対的剥奪論により憲

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68   アメリカ学校財政制度訴訟の新展開(1)一宇等諭から適切・妥当性諭への志向‑ (白石)

法上問題がないと判断したのに対し,エッジウッド判決は教育条項を基にして教育費の格差を「効率 的」学校教育を行う上での重大な問題と認識したのである。エッジウッド判決は, 「効率的」の意味 を通常,理解されているような「経済的」, 「費用のかからない」, 「安価な」という意味ではなく,

「効果的」, 「生産的」という意味に解すべきであると述べている52)。そしてその効率性の意味を財政 的な意味での効率性と教育的な文脈における効率性との2つの文脈においてとらえている。エッジウ ッド判決は,その後,第2判決(1991年),第3判決(1992年),第4判決(1995年)と続くが53)第 4判決に至って生徒の学力を重要な論点とした効率性原理が登場することになる。

以上のように,学校財政制度訴訟の新たな展開となった1989年の3つの判決をみると,いずれも 教育費の学区間格差を争点とし,その限りで学区間格差の原因となる地方財産税制度に依拠する公立 学校学校財政制度を違憲としながらも,判決は財政制度を問題とするというよりは,そうした財政制 度により実施されている教育の内容や質を問題としているところに生成期,展開期と異なる争点が見 出される。そしてそこで問題とされる原理とは平等の問題よりは,適切・妥当な教育のあり方の問題 である。そしてそれは各判決が教育条項を裁定の根拠としているからであると考えられる。そうした 意味でローズ判決が適切・妥当性論を正面に掲げたことが重要な意味をもつのである。かくて,教育 条項を用い,適切・妥当かを問う訴訟に切り替えると,学校財政制度訴訟に原告が勝訴するという戦 略を与えることにもなった。

2 「適切・妥当性」論の台頭 1) 「適切・妥当性」論の推移

しかしながら, 「適切・妥当性」論は,ローズ判決で突然現れたのではなく,それ以前の「生成期」

「展開期」の判決のなかですでに表明されている。 「適切・妥当性」という言葉を合憲性判断の重要な 用語に用いたのは生成期のロドリゲス判決である。すでに述べたように,ロドリゲス判決は法定の最 低基準の教育をもって「適切な教育」であるという定義を下している。ロドリゲス判決以降の,とり

わけ合憲判決はそうした最小限の基礎教育をもって合憲裁定を下しているが,それを生成期・展開期 における典型的な「適切・妥当性」論であるといってよいであろう。

しかしながら,他方で,この時期には「適切・妥当性」という言葉こそ用いていないが,教育の質 を実質的に保障するという観点から教育の内容や評価基準を示したコネティカット州最高裁判所のホ

‑トン判決やウェスト・ヴァージニア州のポーリー判決,さらには基礎教育の実施に必要な費用を自 ら示したワシントン州最高裁判所のシアトル第1学区の判決が出されている。 「第三の波」の「適 切・妥当性」論を先導したローズ判決はその論拠のポーリー判決に拠っていることに示されているよ

うに,これらの判決は, 89年以降の「第三の波」の訴訟の中心的な論点をすでに提示している。

かくて, 「適切・妥当性」という考え方は,生成期・展開期にすでに誕生しており,それが「第三 の波」に受け継がれていくという展開を辿ったといえるであろう。法定の最小限度の基礎教育をもっ て適切な教育と定義するロドリゲス判決のような適切・妥当性論は,その後の判決のなかではより質

(11)

アメリカ学校財政制度訴訟の新展開(1)一平等諭から適切・妥当性諭‑の志向‑ (白石)  69

の高い教育の水準を求める「第三の波」の新しい「適切・妥当性」論にとって代わられることになっ た。

フェアシュテ‑ゲン(Verstegen,DeborahA.)は,こうした論の推移に着冒し,生成期・展開期の

「適切・妥当性」論は古い「適切・妥当性」論, 「第三の波」以降のそれは新しい「適切・妥当性」論 であると述べている。そして古い「適切・妥当性」論が基礎的なミニマム・スキルを与える教育をも って「適切・妥当な」教育とみなしたのに対し(ロドリゲス判決がその典型である),新しい「適 切・妥当性」論は,ミニマムでは不十分であるとし,教育費の格差のみならず,教育費が購入するも の一致材,が)キュラム,教員,施設,予算‑が適切・妥当なものであるかを問うものであるという。

そして,何をもって適切・妥当なものとみなすのかについては, 1989年以降の訴訟においては,イ ンプット基準,アウトプット基準,教育内容・資源基準の3つの適切・妥当性の基準がみられるとの 見解を示している54)

2)平等・公平原則から適切・妥当性原則への転換

このように学校財政制度訴訟が争点をシフトさせている背景にはさまざまなものが考えられるが, とりわけ指摘されているのが連邦教育省教育卓越審議会の報告書『危機に立つ国家』 (1983年)であ る。この報告書は,アメリカのチビもたちの学力低下の傾向に警鐘を鳴らし,それを国家的危機とと

らえ,学力向上を国是とすべきことを提言したものである。この警鐘に促されて生徒の学力向上が州 の重要な教育政策の課題となり,各州はそのためのさまざまな政策を打ち出すこととなった。こうし た国(連邦・州政府)あげての取組みが学校財政制度訴訟に影響を与えたであろうことは想像に難く ない。

ここではそうした背景の説明はさておいて,訴訟の法理という観点から争点のシフトの要因を考え てみると, 89年度以降の訴訟が憲法の平等保護条項ではなく教育条項を法的根拠にしての争いであ ることがあげられる。平等保護条項を用いた場合には教育費や教育の質の相対的関係が問われること になるが,教育条項を用いた場合には憲法の定める教育条項の内容が吟味され,その内容に即した教 育を提供することが行政当局に求められることである。そうなると求められるものは,教育費の適切 な配分はもとより,適切な教育内容や教育制度である。

しかしながら,平等訴訟がまったく別の意味の適切・妥当性訴訟に変化したのかといえば,そうで はない。平等訴訟は1980年代に入ると,次第に公平訴訟という言い方に変わってくる。平等 (equality)と公平(equity)の概念は同一であるとの見解もあるが,一般的には公平概念は平等概念 を含むより広い概念であるとされる。学校財政制度における公平概念についてベルン(Bern,R.)ら の研究を参考にすると,公平概念には①水平的公平(同一の者は同一に扱う), ②垂直的公平(異な る者は異なるように扱う), ③平等な機会(資産の中立)の3つがある55)ベルンらの分類を援用す ると, 「生成期」 「展開期」の学校財政制度訴訟は③の資産の中立を内容とする平等な機会を主な争点 とした訴訟であったといえよう。これに対して「新展開期」の訴訟は,生徒のニーズを充たすことを

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70   アメリカ学校財政制度訴訟の新展開(1)一平等論から適切・妥当性論への志向‑ (白石)

目的とする②の垂直的公平を主な争点とする訴訟であると考えることができる(その全部ではない が)。もちろん①の水平的公平はいずれの時期にも共通の争点であるが,それを土台としてその主な 争点をいえば,以上の区別ができるのである。

そうした意味から言えば, 「新展開」においても公平の概念は生きているといえるのであり, 「適 切・妥当性」論へのシフトはパラダイムの変換というよりは一連の概念枠組みのなかでの争点のシフ トと考えるほうが妥当である。事実, 「第三の波」の訴訟においても教育費の格差自体を争点とする 訴訟も依然としてあるのであり,そしてその限りで「生成期」 「展開期」と同じような問題を争点と し,それを審理する法理も従来の法理(財政的中立,教育の基本的権利など)でなされている訴訟も 存在しているのであって,すべての訴訟が「適切・妥当性」論で一括できるようなものとはなってい

ない。その意味で「第三の波」の訴訟は, 「生成期」 「展開期」のパラダイムを継承・発展させている といえよう。

1) Mclnnisv. Shapiro, 293 F. Supp. 327 (N. D. III. 1968), affidsub nom, Mclnnis v. Ogilvie, 394 U.S. 22 (1969).

2) Robinson v. Cahill, 62 N.J. 473, 303 A.2d 273, cer. denied, 414 U.S. 976 (1973).

3) Robinson v. Cahill, 70 N.J. 464, 360A.2d 400 (1976).

4) Easりackson Public Schools v. State, 348 N.W. 2d 303 (Mich. App. 1984).

5) San Antonio Independent School District v. Rodriguez, 411 U.S. 1, rehearing denied 959 (1973).

6) Kukorv. Grover, 436 N.W. 2d 568 (Wis. 1989).

7) Helena Elementary School DistrictNo. 1 v. State, 769 P. 2d 684 (Mont. 1989).

8) Wil一iam. E. Thro, The Third Wave: The Impact of the Montana, Kentucky, and Texas Decisions on the Future of

Public School Finance Reform Litigation, Journal of Law & Education, Vol. 19, No. 2, Spring 1990, pp. 238‑249.

9)白石裕『教育機会の平等と財政保障‑アメリか学校財政制度訴訟の動向と法理』 111真。

10)たとえば Tennessee SmallSchool Systems, etal,v. Mcwherter, 851 S.W. 2d 139 (Tenn. 1993)の判決は,州 憲法の平等保護条項のみを用いて違憲判決を下している。

ll) Serranov. Priest, 5Cal.3d584,487P.2d 1241 (1971).

12) Sawyerv. Gilmore, 109 Me. 169, 83A. 673 (1912).

13) Busev.Smith, 247N.W.2d 141 (1976).

14) Edgewood Independent School District v. Meno, 917 S.W. 2d 717 (Tex. 1995).

15) Burrusv. Wilkerson, 310 F. Supp, 572 (W.D. Va. 1969), affd mem., 397 U.S. 44 (1970).

16) John. E. Coons, William H. Clune III and Stephan D. Sugarman, Private Wealth and Public Education, p. 304.

17) Serrano v. Priest, supra, pp. 1252‑1258.

18) 9つの判決は以下のとおりである。

Parker v. Mandel, 344 F. Supp. 1068 (D. Md. 1972); Rodriguez v. San Antonio Indep. School Dist., 337 F. Supp.

280 (W. D. Tex.1971), rev'd, 411 U.S. 1 (1973); Van Dusarts v. Hatfied, 334 F, Supp. 870 (D. Minn. 1971); Hollins v.

Shofstall, Civ. No. C‑253652 (Ari. Super. Ct, June 1,1972) , rev'd, 110 Ariz. 88, 515 P. 2d 590 (1973); Caldwell v.

Kansas, Civ. No. 50616 (Johnson County Dist. Ct, Kan., Aug. 30, 1972); Milliken v. Green, 389 Mich.l, 203 N.W. 2d 457 (1972), vacated, 390 Mich.389, 212 N.W. 2d 711 (1973); Robinson v. Cahill, 118 NJ. Super. 223, 287 A. 2d 187 (1971), supplemented in 119 N.J. Super.40, 289 A, 2d 569 (1972), affd as modified, 62 N. J. 473, 303 2d 273 (1973);

Spano v. Board of Edu. Of Lakeland Cent. School Dist. No.l, 68 Misc. 2d 804, 328 N.Y. S. 2d 229 (Sup. Ct. 1972);

(13)

アメリか学校財政制度訴訟の新展開(1) ‑平等論から適切・妥当性論への志向一泊和   71

Sweetwater County Planning Comm. v. Hinkle, 491 P. 2d 1234 (Wyo. 1971), juris, relinquished, 493 P. 2d 1050 (Wyo.1972).

19) San Antonio Independent School District, v. Rodriguez, supra, pp. 23‑24・

20) Ibid,p.33.

21) Ibid, pp.49‑51.

22) Serrano v. Priest, supra, p. 1260.

23) Robinson v. Cahill, supra.

24 Ibid.

25) 14州の最高裁判所の判決は,以下の26)から30)の判決を合計した数であるC 26) Seatle School District No. 1 v. State,Wash., 585 P. 2d 71 (1978).

27) Olsen v. State, Or.,554 P. 2d 139 (1976); Horton v. Meskill, 376 A. 2d 359 (1977); Pauley v・ Kelley, 255 S・E・ 2d 859 (1979); Board of Education of the City School District v. Walter, 390 N・E. 2d 813 (1979); McDaniel v.

Thomas, Ga,, 285 S.E.2d 156 (1981); Board of Education, Levittown v. Nyquiat, 453 N.Y.S. 2d 643 (1982); Lujan v.

Colorado State Board of Education, Colo.649 P. 2d 1005 (1982); Dupree v. Alma School District N0.30, 651 S・ W・

2d 90 (Ark. 1983).

28) Hornbeck v. Somerset County Board of Education, ∠158 A. 2d 758 (Md. 1983)・

29) Washaki County School District No.l v. Hershler,Wy0., 606 P・ 2d 310 (1980).

30) Buse v. Smith, 247 N.W. 2d 141 (1976); Danson v. Casey, Pa., 399 A. 2d 360 (1979); EastJackson Public School v. State, 3∠18 N.W. 2d 303 (Mich. App. 1984).

31) Horton v. Meskill, ibid; Pauley v. Kelley, ibid; Dupree v. Alma School District N0. 30, ibid.

32) Olsen v. State, ibid; Board of Education of the City School District v. Walter, ibid; McDaniel v・ Thomas, ibid;

Board of Education, Levittown v. Nyquist, ibid; Lujan v. Colorado State Board of Education; ibid, Hornbeck v・

Somerset, ibid.

33) William E. Thro, supra, p. 229.

34) Pauley v. Kelley, supra; Buse v. Smith, supra; Horton v. Meskill, supra; Washaki County School District No. 1 v.

Herschler, supra.

35) Pauley v. Kelley, ibid; Washaki County School Board District No. 1 v. Herschler, ibid; Dupree v. Alma School District N0, 30, ibid.

36 Ibid.

37) Note, ¶1e School Finance Reform Movement, A History and Prognosis: Wil一 Massachusetts Join the Third Wave

of Reform? Boston College Law Review (September, 1991) Vol. 32. p・ 1136.

38) Board of Education, Levittown v. Nyquist, supra.

39) Seatle School District No. 1 v. State, supra.

40) Buse v. Smith, supr・a.

41) Horton v. Meskill, supra.

42) Seatle School District No.l v. State, supra.

43) Pauleyv. Kelley, supra.

44) Abbottv. Burke, 495A. 2d 376 (N.J. 1985).

45) Fair School v. Oklahoma, 746 P. 2d 1135 (Okla. 1987); Britt v. North Carolina, 357 S・ E. 2d 432 (N.C.1987);

Richlandv. Campbell, 364 S. E. 2d 470 (S. C. 1988).

46) Helena Elementary School District No.l v. State, 769 P. 2d 684 (Mon. 1989).

47) Rosev.The Council for Better Education, Ky., 790 S. W. 2d 186 (1989).

48) Edgewood Independent School District v. Kirby, 777 S. W. 2d 391(Tex. 1989).

49) Kukorv. Grover, supra.

(14)

72  アメリカ学校財政制度訴訟の新展開(1) ‑平等諭から適切・妥当性論への志向一泊石)

50) Rose v. The Council for Better Education, supra, p. 212.

51 Ibid.

52) Edgewood Independent School District v. mrby, supra, pp. 394‑395.

53) Edgewood Independent School District v. Meno, supra.

54) Deborah A. Verstegen, Judicial血alysis During the New Wave of School Finance Litigation‥ ne New Adequacy in Education, Journal of Education Finance 24 (summer 1998) , pp. 51」58.

55) R. Berne & L. Stiefel, The Conceptualization and Measurement of Equity in School Finance, John Hopkins University Press, 1983.

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