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現代のマタギ

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現 代 の マ タ ギ

80  

田 ロ 洋 美

マタギとは誰か

こんにちは︒ご紹介いただきました︑田口と申します︒

今日は現代のマタギLとい・つ話なんですが︑とても難しい問題があります︒というのは・皆さんも御存知のように︑現代は環境問題︑フ︑こで関わってくるのは森林の保全や野生動物の保護という問題︑とくに生物多様性という大きな問題があります︒狩猟とい・つものが野生動物の纏を目的としている以上︑こうした現代社会が抱えている問題

を抜きにしては語れないんです︒そ.﹂で︑今日お話したいのは日本の狩猟というものが歴史的にどのように位置づけられてきたのか︑どんな役割を果たしてきたのか︑そこにはどのような問題が生じていたのか︑そうしたことをお話しながら︑現代の狩猟の問題を中部東北地方の狩人︑マタギに焦点を合わせながら見ていきたいと思います︒

まず︑マタギとは誰か︒

マタギの定義ということですが︑マタギを狩人︑猟師︑しかも専業の猟師というふうにくくるとすれば・現在マタギは天も存在しません︒また断言口はできませんが︑過去においてもおそらく存在しない.狩猟だけで家族を養い生

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現代 の マ タ ギ

きた人というのはそうはいないんです︒マタギはあくまでも生業の↓部なんですね︒農業のかたわらに狩猟をする︒

あるいは・農地を持たなかった場合などは︑夏から秋には川魚を捕ったり︑薬草・山菜の採集︑杣夫(樵)や下駄職

人︑鉱山で働いた人もおりますが︑狩猟シーズン以外は他の生業についていて︑秋から冬になると狩猟をするという

かたちをとる・重要なのは狩猟で獲得した毛皮や漢方の原料ークマの胆︑シカ角︑黒焼きにするためのサルなど

ーを現金や物に換える販路︑ルートを持っていた︑そうした換金・交換システムを持っていた個人ないし集団なん

ですね︒つまり・マタギという営みが成立するためには交換システムが前提としてあるわけです︒また換金を目的に

する場合は︑換金システムの成立︑市場の整備というのが前提になってくるわけです︒

﹁マタギ﹂という言葉は︑猟師たちが山の猟場に入ったときに使用する︑一般の言葉とは違った言葉︒符牒というか︑

隠語というか・忌み言葉といった言い方をしますが︑日常語と異なった表現をする︒クマをイタズ︑米をクサノ︑︑︑︑

水をワッカ・犬をセタと言ったりするんですが︑そのマタギ言葉で自分自身︑人間を指すんです︒しかも男子をマタ

ギと言うんですね︒当然︑山の猟場に入っている男子は狩人ですからマタギは狩人︑猟師を意味するということにな

ります︒マタギ言葉で女性をヘラと言いますが︑ヘラというのは女性の性器を意味していて女性性器を持った人間を︑

あるいはコマタギという場合は一人前になっていない猟師︑見習いの若者を指します︒マタギの語源については諸説

あって明らかではありませんが︑マタギは股の木︑男性性器を指しているとマタギたちは言っています︒よく知られ

ている説としては︑マダ剥ぎが転じたものだという柳田國男の説︑マータンガー︑マータンギーといったサンスクリ

ット語との関係に注目した南方熊楠の説︑アイヌ語説もありますね︑マタウンパでしたか︑それもある︒沢山ありま

すが︑これだといえる有力なものはありません︒

ともかく・地域によって若干表現に違いはありますが︑猟場では日常使う言葉と違った言葉でコミュニケートした

人たちなんです︒そのような見方をしますとマタギというのは排他的ですし︑ある特定の職能集団とみることができ

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ます︒現在ではマタギというとかなり広い地域や意味で使われていて︑これは地域の観光行政と関わって﹁マタギの

里﹂というような商標的な使われ方︒また大平洋戦争後︑マタギという人々の存在がメディアを通じて一般に普及し

て︑歴史的に伝統的に狩猟をしてきた人々全般︑とくに中部東北地方のクマ狩りを主体として狩猟を行ってきた人た

ちを指して用いられています︒あるいは︑マタギは伝統的狩猟者で︑自分もそれを自称することでイメージアップ・

狩猟者としての正統性を語ろう︑という人もいるわけです︒

しかし︑マタギという言葉が一般に普及する以前というのは︑いろいろな地域の猟師さんたちに聞いてみますと︑

マタギといえば秋田の狩人を指したと言うんです︒新潟県の鷺醗などでもマタギの本家は秋田だといっています・し

かし︑三面は慶長年間の絵図に登場していますからかなり古い集落であるわけです︒また︑三面のマタギ言葉でもマ

タギは男性︑狩人を指します︒どうも秋田県の阿仁と新潟県の三面はかなり古くから︑近世初頭から深い関わりがあったようです︒このへんのことは柳田國男も﹃山村生活の研究﹄に収められている﹁山立と山臥﹂という論考で書い

ています︒

その三面ではマタギというのですが︑それはあくまでも猟場︑狩猟の現場に入ったときの自称で︑むらにいるとき

にはマタギとは言わない︒ヤマド︑ヤマンド︑ヤマビトなどと自称してきたんです︒マタギ言葉というのはあくまで

も猟言葉であって︑日常の生活では絶対に口にしなかったんですね︒日常の生活では猟師のことを〃シシトリヤマド〃と言ったんです︒でも︑いったん猟場に入るとマタギという具合に使い分けられていたんです︒三面では・マタギ言葉というのは本当に軽々しく口に出してはいけなかったんです︒﹁聞かば語るな︑語らば聞くな﹂と言われるぐ

らい︑この言葉を大切にしてきた︑いやそこには怖れというか︑畏敬というものがあって︑現在でもたやすくは教え

てもらえませんし︑教わっていても口に出して言うことは禁じられています︒ですから三面のマタギたちはマタギ言

葉を伝授するときには︑誰にも聞かれない場所へ行って︑口を漱いで︑浄めてから伝えたと言います︒このことを秋

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現 代 の マ タ ギ

田の阿仁で聞いてみますと︑やはり阿仁の磐でもそうであったらしいんです・ただ根子ではシシトリヤマドというよ.つな雪口葉を聞≦﹂とはできませんでしたが︑日常では鉄砲撃ちと言っていたようです・僕がツ﹂のような話を聞いたの竺九八〇年代ですから︑もっと以前に聞けていれば違った言葉︑たとえばヤマダチという言葉を耳にできたかもしれません︒

では︑三面や阿仁以外の地域ではどうであったか︒長野︑新潟︑福島︑山形︑宮城などの県のむらでは自分たちの.﹂とは何と呼んでいたのかと猟師さんたちに聞きますと︑鉄砲撃ちとかカリュウ(狩人)・猟師殺生人という 一︒い

・つ.

の場を求めた︑山で暮らす人々の自称ですけれど︑この場合はマタギや杣︑ともかく山に生きる人々全般を指すのです.マタギはヤマビトのなかに含まれるんですね.そしてヤマビトという言い方とい・つのは新潟・長野から東北南部にかけて広く分布しています︒

結論を急ぎますが︑本来的とか元々はという言い方はできませんが︑近代初頭あたりに用いられていたマタギとい.つ雪口葉は︑現在のよ・つ藍般的なものではなくて︑ある狭い地域︑限られた人々にのみ通じていた言葉であったとい

じゃあ︑お前はマタギをど・つ定義するのだ︑ということになりますが︑三では中部東北地方の豪雪山岳幾で秋田などの狩人︑狩猟を生業の郵としてきた人々でマタギを自称してきた人々︑あるいはこの人々の影響によって狩猟を生業の一部として組み入れ︑狩猟技術や販路︑あるいは信仰ーというよりも精神世界・世界観と言った方がい

いでしきつI‑︑狩猟を取り巻くさまざまなシステムを受け継いできた個人および集団・とでもしておきましょう・つまり︑狩猟が生業の一部を担えるさつになるには︑狩猟で獲得されたものを交馨源・換書源として利用できる市場とい,つものが必要になる.マタギという人々はそれを生業と位置づけるかぎりにおいては・市場へ傾斜した狩

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猟・つまり市場の要求に応えることで成⊥立しえるわけで︑技術的には市場が求める動寝の纏方法に長けていくわ糾

けです・市場と言ってもですね︑なにも消費市場ばかりが市場ではありません︒これは後で詳しく話すことになりま

すが・農作物を野生の鳥や動物から守るという仕事︑雇われマタギとして生活を立てた人々もあったわけで︑.﹂れも

ひとつの労働市場と考えられます︒

狩猟をめぐる状況

僕は五年ほど前から・何人かの仲間たちと・シアのシベリアや極東農の少数民族︑狩猟採集民︑牧玄田狩猟民の調

査をはじめているんですが・およそ北緯四三度くらいから北緯七五度ぐらいの寒冷な地域です.南は沿海州︑ハバロ

フスク州・北はサバ共和国(旧ヤクー自治土ハ和国)に至る箒です︒こア﹂には僕たちと同じよ,つな顔をしたモンゴ

︒イドの少数民族が数多く暮らしています.彼らの生業の中心もまた︑つい.あ間まで狩猟採集にあったわけです︒

その狩猟というのはどのような狩猟であったかとい・つと︑・シア極東地域︑東シベリアの場ムロは毛皮獣狩猟なんです

ね︒

毛皮獣狩猟というのは・たとえばイタチ科のζテンやオコジョ︑︑︑︑ンク︑ウサギやフッコ︑アザフシ︑北米では

ビーバーなんかですね・衣料防寒用に用いられる毛皮を専門縫る狩猟のことです︒とくにロシアの場ムロはクロテン

ですね・ク︒テンの需要がとても高かったんです︒何処にそれだけの霧があったかとい・つと︑︒シア国内よりはむ

しろヨ←ッパに需要があったわけです︒ヨ←ッパの人々は︑今でこそ森林の保全や野生動物の保護とい,つ問題を

積極的に訴えていますけれど︑たとえぼイファ痙動などがそれですが︑もともとは彼らが最も野生動物を獲って

利用してきた人々なんですね・とた上流階級の人々にとって︑毛皮は防寒具あるいはファッシ.ン性とい,つ意味だ

けではなく・地位と富の象徴・ステイタス・シンボルであったんです.〒ロッパで竺五世紀から一七世紀の段階 ⁝

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でほとんど毛皮獣を獲りつくしていたんですね︒中世から近世への移行期にヨーロッパの毛皮資源が尽きてしまって

いた︒これは狩猟民を考える意味ではすこぶる重要な問題なんです︒ですから防寒用毛皮資源というものをヨーロッ

パは外に求めたんです︒ロシアはシベリアへ︑ヨーロッパは北アメリカへと毛皮を求めていったんです︒一五世紀か

ら一七世紀に至るおよそ二〇〇年間というのは﹁大航海時代﹂︑ヨーロッパにおける発見と冒険の二世紀と言われて

いますが︑ヨーロッパの毛皮資源の枯渇とそれを求める力︑毛皮交易という問題がその陰にあったんです︒現在︑欧

米の歴史家や生態学者たちのなかには︑このような毛皮交易をめぐる問題に注目して︑欧米による﹁生態学的帝国主

義﹂﹁生態系破壊と植民地主義﹂といった視点から研究を進める人々が数多く出てきていますし︑著書や論文はかな

りの数になっています︒そうした歴史的な過程︑世界システムの形成過程という構図のなかで︑搾取され利用された

過程をへて今を迎えている少数民族の状況というのは︑かなり厳しいものがあるんです︒

僕の好きな本のなかに﹃エスキモーの息子たちへ﹄というのがあるんです︒これはアンソニー.アパカルク.スラ

ッシャーというエスキモー︑イヌイットの男性が︑殺人犯(冤罪)として服役中に書いた本なんです︒これをジャー

ナリストの本多勝一さんが紹介して上野渥子さんという方が翻訳されたんです︒この本のなかで︑僕が非常に震えた

一節があるんですが︑その部分をちょっと読んでみます︒

現 代 の マ タ ギ

私の所へ食料をもらいに来た一六歳のエスキモーの少年に質問したことがあった︒

﹁私と一緒に狩をしに行かないか︒衣服用の毛皮も手に入るし︑食用のアザラシの肉もあるぞ﹂

彼は答えた︒﹁私は矢を射る方法も狩猟の方法も知らない︒血だらけになったり︑汚れるのはいやだ﹂

私は彼に言った︒﹁君は矢を射ることも狩猟もしなくてよい︒ただ見張りをして私を少し手伝ってくれればい

いのだ﹂

8S

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少年が言う︒﹁私は狩猟とか射撃に関連のあることはしたくない︒そんなことをするのは野蛮人だけだ﹂

だが南部では彼に仕事はなかった︒昔ながらの技量も身につけていなかったので︑福祉の世話にならざるを得

なかった⁝⁝滅びた民族の一人として︒

(﹃エスキモーの息子たちへ﹄アンソニー・アパカルク・スラッシャー著︑上野渥子訳︑一九八一︑二一五‑二一

六頁)

8b  

という一節です︒これは確かにアラスカのエスキモーという民族の話なんですが︑現在の少数民族の中の狩猟採集民

の親たちが少なからず思っている︑あるいは体験していることではないかと思うんです︒アラスカであろうと︑ロシ

アであろうと︑子供たちは都市の生活に憧れて︑むろん日本でも同じなんですが︑どんどん自分たちの祖先からの文

化︑あるいは生活形態︑技術を捨てて︑生きていこうとします︒ロシアの作家ツルゲーネフの﹃父と子﹄ではありま

せんが︑世代間ギャップというのが少数民族の中で大きな問題になっています︒まあ︑他人のことは言えないわけで

す︒僕自身も田舎を出て東京で暮らしているんですからね︒自分たちの過去を否定することにアイデンティティーを

求めるというかたちは洋の東西にかかわらず見られるわけで︑そのことがこの一節にも現れていて︑ロシアの少数民

族もやはり同じような状況にあるのです︒

日本のマタギたちも民族問題こそありませんが︑同じような状況にある︒次なる世代︑後継者がぜんぜんいない︒

育たないんですね︒むしろ︑日本の若者の場合は︑狩猟はもはや生業にはなりえないし︑クマを獲っても︑その危険

性や労働に見合うだけの収入たりえない︑そんなことをしなくても職さえ得ることができれば暮らしていける︑狩猟

をするというのはイメージ的に腰が引ける︑というのが本音のようですね︒

で︑ある青年がですね︒僕は今﹁ブナ林と狩人の会・マタギサミット﹂という狩人の交流会をやっているんです︒

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今年で一〇周年になるんですが︑一〇年もやっているといろいろな話を聞≦﹂とができるんです.で︑ある青年が曇口

うには・女房がうるさい・自分は山に生きているんだから鉄砲を持って仲間たちと狩りを楽しむのも悪くないと思,つ

んだけれども・子供たちの教育上良くない︑そんな残酷なことはしないで欲しいと女房が・つるさい︑≦口.つんですね︒

で・田︒さんどうしたらいいだろうか︑と言うんです︒そう言われてもですね︑僕も奥さんに憎まれると困るんです

ね・フィールドワーカーはフィールドの女性に嫌われたら終わりなんです︒まあ︑それは余談ですけど︒

じゃあ︑そもそも狩猟というものが何故そのようなイメージを持たれるようになってしまったのか︒生業としての

地位を失ったことは理解できても︑カルチャ差しての狩猟というものがどうも.﹂の国の場ムロ理蟹れない︒また︑

狩猟の技術についてほとんどと言っていいくらい知られていない︒動物なんて銃さ.藷れば簡単縫れる︑そつ思っ

ている人が多いんですね・つまり︑狩猟技術に対する評価という問題もあるんです︒技術とい・つのはいったん途絶え

るとなかなか復元することが難しいんです︒これが現代のマタギ﹂を語るう.を大きな問題のひとつなんです︒

現 代 の マ タ ギ

法のもとの狩猟

今日は・皆さんがあまり御存知ではない話をいくつかしていきたいと思います︒そこで皆さんのお手元にレジュメ

をお配りしています・三枚からなるレジュメですけれども︑﹁列島の狩猟史﹂とい・つ年表が二枚と︑蔀道府県別狩猟

者関係の統計Lという表があります︒まず︑この統計からお話していきます︒とい・つのは︑現在の日本の狩猟とい,つ

ものが・どのような仕組みで行われているのかを皆さんに御理解頂くために︑まずこれから入ります︒

現在の狩猟というのは︑大きく二つの法律からなっています︒ひとつは狩猟法と俗に呼ばれている蔦獣保護及狩

猟二関スル法律Lというものがあります.これは明治六年(天七三)に出された太政官窟口蔦獣猟規則Lにはじ

まって・明治二八年(一八九五)に﹁狩猟法﹂として法律化して︑その後たびたび改正されて昭和三八年二九六

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列島 の狩猟史

'99,0S,26.神 奈 川 大 学 常 民 文 化 研 究 所 TaguchiHironi

675(天 武4)年r躰 書紀 巻 廿加 に ・今 より以後 瀦 の漁 賭 をい さめ、僻 をつ くり、 および鰍 た ぐいを施 くす るなかれ。

また四 月朔 よ り以綾、 九月三 〇 日 より以前、 ひ みさ き りの黎 を置 くこ となか柘 且つ牛 馬猿鶏 の宍 を食 うこ となかれ」 と い う詔 が記 され てい る。 危険 な髭 の禦 止や牛 馬猿 鶏の 肉を食 す るこ との禁 止

730(天 平2)年:「 続 日本紀 巻第 十Jに 九月 二九 日 「また艦 を造 って多 く鳥獣 を捕 える こ とは

、先 朝か ら禦断 して ある。 また許 可な く兵

や人民 を搬 発す る こ とは現 在 も許 していな い。 と ころが国 々では猛 や囲 いをつ くり、 勝手 に人や 兵士を使 って、 猪や塵 を捕 え殺す 者 がい る。 その頭数 は数 え きれな い程 であ る。 これはた だ生物 の命を奪 うだ けでな く 、 また国法 に遷反 して い

。 よろ し く諸道 に朕の 命を 下 して二つ と も禁 断せ よ」 とあ る

推定 入 口 約800万 812(弘 仁臓 よるロイヤ」レ'ンテ・ングが臥 となる・酌 を一般に禁止する轍 階 層 に よ る 狩 猟 の 分 化 827(天 長10)年;「 令 義解d成 るO山 城、 丹波、 近江 な ど京都周 辺の 山 々に仕掛 け ら

れ規 につ いて 磯 制 が記 されてい る。蹴 機穽Jと 記 され てい る 一 一 → 風 ・追い込 み猟 927(延 長5)年;「 延 喜式 』 が成 る。 諸 国三八 力国 の貢納 物が 記録 され る。 クマ、 イノ

シシ、 シカ、 ア シ カ、 カ ワウ ソ、 カ モ シカ、 タヌキな どの獣 の毛 皮、角 、肉 な どが記載 され

て い る

ii56(保 元1)年;荘 園内 に シカや サル な どの 鳥歎害 があ り、 これを 追い払 うた めに小 屋 を設 け、 人が 住ん でい た こ とな どが伊賀 の黒 田荘 の争論 の記録 に記 され てい る 1193(建 久4)年 二源頼 朝 によ る富士 の巻 き狩 り(「 吾妻 鏡』) 。 この 従、北 条経 時が

度 々巻 き狩 りを行 って い る

12s3(弘 長3)年;川 崎勝 福寺 の鐘 に鳥猷 撃退 を願 う文が あ り、 この頃 か ら鳥 獣に よる 農作物 被害 が大 きな問題 とな って いた こ とが分 か る

且2C後 半 頃;「 粉河 寺縁 起絵 巻』据 木 の上か らシカに 弓を射 か ける猟師 の姿 が描 かれ る 且299(正 安1)年;「 一遍上 人絵 伝 」完成。 旅 す る狩 人の姿、武 士の道 案内 をす る狩人

の姿、 鳥獣 害の ため の鴨 子な どが描 かれて いる

13C〜14C:r矢 田地蔵 縁起 絵巻 』、1粉 河寺縁 起絵 巻」 とどうよ うの 据木 の上 か ら弓 を 射か け る武 者 が描か れ ている。 獲物 は イノ シシ、 シカ

1320(元 応2)年;「 法 然上 人絵 伝1成 る

1326(嘉 暦1)年;『 石 山寺縁 起 』成 るtl武家 に よ シカ皮 を着 た放浪僧 「鹿皮 聖 」の姿 る シカ狩 りの模 様が描 か れて い る が描 か れて いる

b

部民 、 あるい は狩猟 集団 によ る 狩 猟の あ った こ とが 分か る

耕 地 の 鳥 獣 害 と 猟 師

ロ イ ヤ ノレ ン テ ィ ン グ 鷹狩り ・大現模巻き狩り

狩 猟 集 団 の 解 体 単 独 行 動 す る 猟 師

1414(応 永2D年;「 融 通念 仏縁起 絵巻 」成 る ・・

1458(長 禄2)年:山 形県 上 山の鶴脛 温泉 の源泉 が発 見 され、以 降湯 宿町 が発展

1b43(天 文12)隼̀妖 砲 伝 来

農 ネ寸音Bへ の

雇 わ れ 猟 師 の 発 生

鉄 砲 の 需 要 の 高 ま り と 普 及 ト

・57・(天正・)年畑 脹 長篠の合戦で醐 を組繊 一 で鉄砲の蜘

マ タ ギ 集 藩 の 形 成

一̲̲∠ .嵩=」

且588(天 正16)年;秀 吉 、諸 国 に刀符 り令発 布 ZsOO(慶 長5)年;関 が原 の戦 い

1603(慶 長8)年:家 康、 江戸 に幕府 を開 く

1637(寛 永14)年;「 関東 悪党 取締令 」⇒1662(寛 文2)年:r関 東鉄 砲取締 令」

1642〜42(寛 永19〜20)年=寛 永 の大飢 酋

1687(貞 享4)年;「 生 類憐 みの令 」発布 大 開 発 ・干 拓 ・開 墾 耕 地 拡 大 の 時 代

1700(元 禄13)年;長 麟 縣対馬 で イノ シシ や シカに よる農作物 披 害 が激増 し、郡 奉行 に よっ イ ノシ シな どの害獣 の 大規 模な駆 除 がは じま り 1705(宝 永5)年 頃 までつ づ き、 捕獲 され た シ カ、イ ノ シシは8万 頭 にの ぼ る

1706(宝 永6)年;「 生 類憐 みの令 」解 かれ る

1721〈 享保6)年 ・享 保 の大飢 謹 i733〜45(享 保 〜延享)年 頃、 酉 日本で 狂 犬病 が流行 、野生 の 才オ カ ミに も感 染す る。

富 士東鷲 の村 々の記 録 に才 才 カ ミが家 畜や 人間 襲 った とい う記 録 あ り。 この ころ、村 々で 自衛 の ため に猟師 を雇い 、野犬 や オ オカ ミの駆除 に あ た った

西 日 本

1680(延 宝8)年

臼1本

児島 湾 の干拓

有明 海の干 拓 鉄砲 が民 間 に流 布 溜め 池の造 成etc

北上 平野の 開発

庄内 平野の 開発 下総椿 海の干 拓

越 後平 野の干 拓 津 軽平 野の開etcd

;「 鉄砲改 め」の 全国へ の拡大。 「諸国 鉄砲 改 め」 、在村鉄 砲赦 の把握 と鳥献害 対策の 「威 し鉄砲 」 と 「蝋師鉄 砲」 の分化

鉄 砲 取 締 の 強 化i

沖 積 平 野 ・湾 ・湖 等 の 開 発 鳥 獣 と の 抗 争 が 激 化

Il 武 家 の 武 器 と し て の 鉄 砲 か ら

鳥 獣 害 対 策 の 農 民 の 武 器 へ

農 耕iく

狩 猟 の 二 重 構 造 の 明 確 化d

推定 人 口 約1800万

Di市 場i

1772(安 永D年;秋 瑚 鹿半島に 防 御 的 狩 猟

おける甜 駆除 としひ カ2万7栢 頭 雇 わ れ 猟 師 の 増 加

攻 撃 白勺狩 猟

旅 マ タ ギ のi発 生

(10)

が捕 獲 され る

1783〜1813(天 明3〜 文政9)年;「 菅江 ㎜1が 書か れ る。 この なかで秋 田 のマ タギの名 が度 々鴛場 す る。 天明3年:大 飢 繊

1793(寛 政5)年=草 津 郊外 のr入 山村 入用 帳」 に 「5月8日 江 戸御役 所様 よ り熊 の胆 お薬お尋 ね有 之 候に 付組 合にて 一人 出府1と ある

i810(文 化7)年:間 富林 蔵r北 夷分 界余 話』f東 槌 地方紀 行 」成 る。

北悔遺 ・カラ フ トアイ ヌと大鷹 清朝 統治下 の少 歓民 飯 とのサ ンタ ン交易 が 記 され る

1824〜29(文 政7〜12)年;富 士丹 沢の 猟師 たちが 、捕獲 した ンカや イ ノシ シを 江戸市 中へ 出 し、換 金 してい たこ とが村蓮 出帳 その 他 の記 録 にあ る

!828(文 政11)年;鈴 木牧 之r秋 山紀行1の 恥 秋 山郷湯 本で 秋 田の旅 マ タギ と出逢 う。獲物 は草津 温泉 に卸 してい た とい う

1829(文 政12)年;1卸 府内 繕考 』完 成。江 戸市 中の四 谷鶏 町、

神 田平岩 町な どに 「けだ もの 歴 」 と称 す る獣 肉を扱 う店 が あ った こ とが 記 されて い る

1835〜1a42(天 保6〜13)年;鈴 木牧 之 「北 越 霊謄1刊 行 。 1836(天 保7)年:天 保の 大飢厳

1646(弘 化3)年=秋 山郷 巣鷹 山中 に秋 田の猟師 が移 住 し猟を お こな ってい る との訴 え(文 書)あ り

1849(嘉 永2)年:秋 山郷 山 中 に秋 田佐 竹侯 領の狩 人4、5人 が猟 を してい るとの訴 え(文 書)あ り

ア イ ヌ に よ る 北 方 と の 毛 皮 交 易

〈サ ン タ ン 交 易 ・毛 皮 獣 狩 猟 〉

ロ シ ア の 南 下 、 ッ コ 猟 一r

漢 方 薬 の 需 裏 の 高 ま り

11く す り 喰 い の 流 行D市 場 の 拡 大

山 間 部 の 村 々 へ 結 節 点 と し て の

秋 田 マ タ ギ 定 砦 宿 場 ・ 市 ・ 湯 治

符猟技術その他の伝 場

富 山 ・秋 田 等 を 中 心 と し た 照 胆 な ど の 売 薬 行 商 の 発 生

明 治繰 新b

1872(明 治5)年;「 鉄砲 取縞 規則 」布告 「 一 1873(明 治6)年;「 猟糊1布 告1近 け1

地 租改 正条例 」布 告 一 一一 一 一・‑

b

税w物 ら 金

1880(明 治13)年;国 遭 小銃 村田 続が発 明 されるφ 蓋884年:村 田統民 聞払 い下 げ

捕 獲事 が飛■ 的 に伸 び る 害 猷 と してエ ゾ才 才 カ ミが駆除 の 対象 とな り 貰 金が かけ られ る …

1889(明 治22)年 頃;エ ゾオ オカ ミ絶 滅如:i… 朝 鮮半 島への侵 略政 策

rasa(明 治27)年 旧 清戦 争勃 発φ'台 湾へ の侵攻

呈895(明 治28)年;「 狩猟 法 」公布

中舐 粛部千 島 でロ シア ・ア メ リカ ● イギ リスな どが ラ ッコ猟を 展開。 後 に ラッコを獲 りつ くしrオ ッ トセイ猟 に 切 り讐わ る

推 驚人"

約3300万

1869(明 治2)年;松 前藩の符猟 毛皮取引の独 占権が新政府に移緯。ア

イヌの狩猟も官庁管鰭下 となる, 1 国 隙 毛 皮 市 場 へ の 参 入

1904(明 治37)年;日 露 戦争勃 発 ・…一 ・国内 の狩猟 人Aが 約20万 人に 逮す る ・ 1905(明 治38)年;奈 良 県で 最後 のニ ホ ン才オ カ ミの死 休が 入手

され る。 ニ ホ ンオオ カ ミの絶滅

ト で 19且1(明 治4a)年=山 形県 天童温 泉開 発本 楕化

1918(大 正7)年;シ ベ リ ア 出 兵

両 年;r狩 猟 法 」 改 正

1922(大 正1且)年;シ ベ リ ア撤 兵

↓毛皮 輸出 国 となる

高 原、 山間部 の猟師 た ちは ・ 殖 業i櫛 の ハ ンタ ーたちの ガ イ

ドを鋤 め収 入を え る (明沿30444)年;日 本 、北 洋で オ ッ

軍事 工廠 の設立 18971911 トセイ猟 を展開 b

陸 軍 被 服 本 廠 ・ 糧 秣 廠 軍用防寒毛皮の需甕の増大 ・市場介λ

毛皮岬場翻 雫劉

同 年;毛 皮 用 兎の飼養 を副 棄 とす る農 家の ため に1養 兎新 剛 朗刊 1925(大 正14)年;狩 猟 法 の改正 に よって ニホ ンカモ シカが 狩猟 獣か ら除外 され 以降保 護の 対象 とな る。 これ に よ り中部 東北 地方 のマ タギ、 あ るいはマ タギ の系譜 にあ る猟師 た ちの府 猟対 象が 急速 にニ ホ ンツキ ノ ワグマへ と移行 して い く

上925(大 正14)年1こ の年 、横浜 港 か ら輸 出 された毛 皮 は約44万 枚 、神 戸港か らは約27万 枚。 その ほ とん どがア メ リカへ 輸 出 された

タ ギ る 旅 1929(昭 和4)年;大 日本 連合 猟友会 結成

1934(昭 和9)}ニ ホ ンカモ シカ、 天然記 念物 に指定 。全 面禁 猟 とな る 全 日本狩 猶倶 楽部 結成

1937(昭 和12)年 薩溝橋 事 件、 日中戦 争に突 入。 国有林 臨時 伐採開 始b l938(昭 和13)年:

1941(昭 和16)年;対 米英 にm布 告0太 平洋 戦争勃 発

1914年:第1次 世界 大戦 勃発 。 ヨmッ パ の毛皮 市場 が混乱 に陥 る

この ころか ら農家の 削算 と して饗 兎.藩 ● が曝 融 され るa輸 出 用、軍 用毛皮 として ウラ ジオス トッ

ク経 由で シベ リアか らも毛皮が輸 入 され る

[

農 家 の 副 業 と し て 兎 や 馳 の 飼 養 が 奨 励

1926年=ニ ュー ヨー ク の ウ#一 ル衛 で株価 の大 曇 落。 世界 恐慌

この こ ろ、 民俗 掌者等 に よる狩猟集 藩の 譜査 がお こなわ れ る

人 口5000万 を突確

職 飾 鵬 支翻 毛頗 期 規」軍 部 主 導 に よ る

戦 時 体 制 下 の 統 制 狩 猟

1945(昭 和20)年 ・太 平津戦 争終 戦

1949(昭 和24)年:新 潟県 の マ タギ 集藩 三面の 伝統的 カ モ シカ猟 スノヤ マ中止

1952(昭 和27)年;新 潟 県 のマ タギ集 藩 三面 のサ ルヤ マ中止 。 マ タギた ちの伝統 的な カ モ シ カ猟 が完金 に姿 を 消す

戦時体刷終了 着 手マ タギr猟 師 た ちの戦死 が相次 ぎ 狩 猟集 団の空 洞化 、組 繊的解 体期 を迎 え る

1955(昭 和30)年1ニ ホ ンカモ シカ、国 の特 別天然記 念物 に指 定 され る

1963(昭 和38)年;「 誇 獅法1を 改 正 、i鳥 猷保獲 及狩 猟二 関ス ル法律}と 改 称、公 布

数名 に よ って密か にお こなわれ てい た簾 マ タギ も 昭 和30年 代前半 に中ム 秋田 マ タギに よ る伝 統 的 な旅 マ タギが完 全に姿 を消す

化 学 織 維 の 台 頭 に よ り

毛 皮 市 場 が 衰 退 期 を 迎 え る マ タ ギ 集 落 の 急 速 な 過 疎 化

(11)

都 道 府 県 別 狩 猟 者 関 係 の 統 計

北 海 遺 青 森 県 岩 手 県 宮 城 県 秋 田 県 山 形 県 福 島 県 茨 城 県 栃 木 県 群 馬 県 埼 玉 県 千 葉 県 東 京 都 神 奈 川 県 新 淘 県 富 山 県 石 川 県 福 井 県 山 梨 県 長 野 県 岐 阜 県 静 岡 県 愛 知 県 二 重 県 滋 賀 県 京 都 府 大 阪 府 兵 庫 県 奈 良 県 和 歌 山県 鳥 取 県 島 根 県 岡 山 県 広 島 県 山 口県 徳 島 県 香 川 県 愛 媛 県 高 知 県 福 岡 県 佐 賀 県 長 崎 県 熊 本 県 大 分 県 宮 崎 県 鹿 児 島 県 沖 縄 県

(平 成2年)

20①の口別人県の

府上遭以都歳 )( 付)交%状(免合猟割狩の ( 交)録%登合(者割猟の狩付

91,117,841 289,525 100 256,391 104

4,王66,029 1.083.262 1.047,899 1,628,655 928,922

12.125 4,302 5.415 5.335 5.978

9.19 1.49 1.87 1.86 2.06 842,847

1.533,397 2,052.Ox7 402,140 1,490.919

5,025 11,237 9.fi53 6,816 5.767

1.74 3.88 3.33 2.35 1.99 4,610,911

4,D29,43E

9,179,725 5,s星6,且7s

1.836,474

11,312 12,011 10,387

8,554 6,910

3.91 4.15 3.59 2.95 2.39 837,405

852,544 807.048 fi31,996

1,608.07星

E,505,785 2,691,233 9,858,127 i,i1LV.'tYV

872,538

i.ass 1,520 1.911 5,872

且o.823

5,089 9,394 6,947 5,0a3 2,126

0.81 D.52 4.43 2.03 3.74 i.7s 3.24 2.40

且 、 ア4

○.73 26,070

60,397 69,257 98,017

0且,576

4,276 4,809 7,711 2,301 5,523

置.48

1.66 2.66

0.7s 1.91

454.683 584.429

!,418,097 2.092,073 1,175.434

2,371 3,384 z,ass 4.350 5,033

4.82 1.17 2.58 1.50 1.74 622,885

7EO,838 1.]22.192

623,542 3,508,475

3.532 2,170

"i ,442 且0,285

1.22 0.75 2.57 3.55

度②年入2る五成き捨平で四﹁得で.・取位料が5資者第

10,918 3,617

z,so・

4,973 5,且81

4.26 1.91 2.97 1.94 2.02 4.59?

11,754 12.184

..11

8.202

1.77 4.58 4.75 2.57 3.20 6,949

10,593 877 5.334 5.985

2.71 4.!3 0.39 2.08 2.33 753

1,965 1,982 6,576 10.930

i.:

0.57 o.77 2.56 4.07

6,UU9 2,717 9,204

ヱ,344

7,692 2,578 9,786 1.825 3,293 8,033 4,038 4,406

2.35 3.BL

.8且

2.34 1.os 1.64 0,52 s.00 i.ai 1.87 0.71 i.zs 2.35

1.57 1.72 3,127

L794 5,98f 7,782 5,103

1.22 o,70 2.33 3.04

口者%人猟の持上る④以め合歳占割

20にの

0.0032 0.0029 0.4040 0.0052 0.0033 0.0064 0.0053

○.0073 0.0047 o.ooas D.DO40 0.0025 0.0030 o.00it O.00E4 0.0038 0.0021 O.OplB 0.0023 D.0093 o.oos7 0.0034 0.0035 0.0014 0.0038 o.oo2a o.oozy o.aoo7 0.00且9 0.0023 111,'

0.0052 0.005$

0.DO53 o.002 0.0043 0.0057 o.oozy 0.0066 0.0185

④ の 全 国 比 L,A 1.00 4.91 1.25 i.ss 1.03 z.00 1.66 2.28 1.97 1.53 1.25 0.78 0.93 0.34 0.44 1.19 0.ss 0.56 0.72 2.91 2.09 1.D6 1.09 0.Q9 1.19 0.75 0,69 o.22 0.59 o.72 2.16 1.63 1.81 1,66 Q.66 1.34 i.78 o.9且

2.06

6.7742.341

.990 .OO産9

635,9002,2430 .772,1060 .820 .00351.09

1,130,1841,9430 ,67L9030 .740.007D .53

1,355,5277,4432 .576,75812 .690 .00551 .72

915.3256 ,4622.236 .2402.430 .00712.22

845.287置0,4513 .618,3423 .250.Ol243 .88

1,316.60612 ,0404,1610 ,5図4.100 .oosi2.89

8重7,2006420 .224170 .160。00080 .25

轟 謙 鞭 艦 莫躍 年騨 関簸耀 灘 朧 屠県羅 櫻 菱簸は 織 盤

5.16 0.59

(12)

現代 の マ タ ギ

三)に﹁狩猟法﹂から蔦獣保護及狩猟一要ル法律Lという名称に換わって公布されたものです.これは雛庁の

管轄になっているんです・さらに︑もうひとつが狩猟に用いられる機器︑とくに銃器ですね︑.﹂れを担当しているの

が警察国家公萎員会でして﹁銃刀法﹂とい・つのがある︒正式な名称は﹁銃砲刀剣類所導取締法﹂ですが︑これ

も明治五年二八七三に出された太政官布告﹁鉄砲取締規則﹂にはじまるんです..︑の二つの太政幕止︑が現行法

の基礎となっているんです・またこの二つの柱から派生するこまジまとした法があります︒﹁火薬取締法﹂あるいは

蔦獣保護及狩猟二関スル葎施行規則Lや百然公園法﹂﹁森法﹂なんかですね.あるいは特別鳥獣保護区︑休猟

区・自然幾保全幾・森林生態系保護地域というものが幾つもあって︑さらに都道府県毎に条例などもありますか

ら・この叢にも存在する法や条例︑ゾ⊥ングなどのうえ鏡在の狩猟があるとい・つわけですね︒まあ︑.﹂の二つ

の法の柱というのはですね・いつごろからはじまるのか︑というとですね︑江戸時代までいってしま.つんです.鉄砲

の所持は基本的には鑑札許可制というかたちですが︑これは江戸時代の鉄砲改めとい・つ制度で許されていた﹁猟師鉄

砲﹂も同じです︒

ところで・この狩猟免許制度なんですが︑明治から大正にかけて欧米に倣って苦︑心してつく・りれたはずなんですが︑

日本というのは・ちょっと海外と違っているんですね︒呆の狩猟免許制度とアメリカ︑カナダ︑︒シアなどの制度

とを比べると・基本的に違うのは︑海外の狩猟ライセンスは動物種毎に出されるんですね︒クマを獲りたい人はクマ

.・つ

ッパ式と言いますか︑欧米で一般的に見られるハンティング.ライセンスなんです︒

これに対して日本の狩猟免許のあり方はそ・つではな毛ですね︑=月の一吾か︑b翌年の二旦五日までは法定

猟期と言って・葎で認められた狩猟期間があって︑この期間内であれば狩猟してよい動物種について許される︑と

いうかたちですね・つまり期間限定︑狩猟対象動物種限定の狩猟免許であるわけです︒ただし︑北海道のエゾシカな

(13)

んかですね︑若干.﹂の狩猟期間が異なる動物種もあるというツしとです.よくテレビで=旦吾に琴日から狩猟

が解禁になりました﹂という報道があって︑耳にされていると思いますが︑それですね︒

そして︑法定猟期とは違った特別の猟期︑狩猟というものもあるんです.この背景については・後で詳しく触れるヲ﹂とになりますけれども︑特別な狩猟の内容は.﹂テ﹂で触れておきましょう︒これも大きく二つあるんです・看害鳥

獣駆除Lと﹁緊急叢処置﹂とい・つものなんですね.これは現代のマタギを語るうえでは非常量要なことなんです・結論からいえば︑.﹂.﹂に現代のマタギの役割と存在理由があると一言えるからなんです・ちょっと大袈裟かもしれませんけどね︒宥宝聞鳥獣駆除Lとい・つのは︑最近饗にサルやクマが出没して嚢や住民が困っているという新聞記事が出ますが︑,︑の出没馨に対する対応策です.この場合は︑たとえばある農家の畑にクマが出没して作物を荒らすと︑嚢は役場などに墜口墾口を出して︑地元の猟友会の人たちも立ち合って現場を確認する・そして・これはこのまま放置すると墜口が拡大する恐れがあるというときに︑都道府県知事に駆除の申請をして・被害をおよぼし鳶獣を駆除するものです.また︑中部東北の山村では︑雪解けとともに山菜シ支ンや登山シ︺ズンがはじまりますから︑人々が山に入る機会が増える.するとクマなどとの遭遇事故というのも起こ蚤﹂とになります・そこで事前にあ

る程度のクマを間引いてお.﹂・つ︑あらかじめ予防のために纏しようという駆除が行われる・ですから・幾によっ

ては宥虫.鳥獣駆除Lの.︑とを﹁予防纏﹂とか﹁予殺駆除﹂と言ったりしています.これが中部東北地方の山岳地

域で現在も行われてい暮のクマ狩りになるわけです︒春のクマ狩りは四月から五月上旬ですから・当然・法定猟期

から外れています︒ですから猟期外の特別狩猟になるんです︒

しかし︑.﹂ツ﹂に問題もあるんです︒春のクマ狩りというのは︑あくまでも有害であるクマの事前の纏ですから・

墜山に遭.つ.﹂とを前提にしている.法の解釈というのはとても矛盾することがあるんですが・ようはマタギたちの春のクマ狩りは︑人身事故や農作物被宝口に遭い続ける︑その危険性を持ち続けることで︑特別許可がおりる・つまりは・

(14)

現 代 の マ タ ギ

クマ狩りを持続したければ︑被害に遭い続けなさい︑ということになってしま・つんです︒ちょっと変ですけど︑そつ

いうことになる︒また・昨年から今年︑法改正が行なわれて︑権限の一部が地域行政︑市町村長に移ったんです︒

﹁緊急避難処置﹂というのは︑たとえば皆さんの家の庭先にですね︑クマが突然現れたと︒自分には子供もいるし︑

とても危険だ・そこで緊急にクマを駆除してくれませんか︑といった場合に緊急避難の処置として駆除をする︑とい

うものなんです︒この場合は︑許可の申請は事後処理になります︒現場の判断ですね︒それでこの特別な狩猟の判断

をする権限や狩猟免許の交付は各都道府県知事があたっていたんです︒今は免許の交付だけが知事ですね︒

もしも北海道で狩猟をしたい場合︑僕は神奈川県に住んでいますから︑神奈川県で狩猟免許の試験を受けます︒合

格して北海道で狩猟をするには︑北海道知事に許可申請をして︑許可をもらう︒そして︑狩猟税を支払ってはじめて

北海道の狩猟登録ができるんです︒しかし︑肴害鳥獣駆除Lや﹁緊急避難処置による狩猟の場ムロは︑そつではな

いんです・僕は川崎市に住んでいますから︑横浜市に出没した有害な動物の駆除には参加できないんです︒あくまで

特別な狩猟の場合は・その行政区の狩猟者が行うんです︒横浜市の住民にとって墓.であっても川崎市に住む僕に直

接の害はありませんから︑特別な許可による狩猟はその行政区が行2﹂とになる︒しかし︑許可はそれぞれの知事が

出していたんです︒今は︑知事から市町村長にこの権限が移っています︒

ただ・この狩猟免許制度のあり方ですが︑欧米式と日本式ではどちらが良いとか悪いとか︑という書口い方は一概に

は言えないんですね・欧米と日本では狩猟を見るときの基準がまるで違う︒欧米は狩猟をする側に基準がありますが︑

日本は狩猟を管理する側に華がある︑どうもそのように見えるんですね︒ ゴロ︑乏のは日本式は31常に面倒だ︑とい

うことです︒動物種毎にライセンスを取得する欧米式の場合は︑自分の興味以外の動物種の法的な位置づけは細かく

知らなくてもいいんです︒しかし︑日本の狩猟者はそれではいけない︒狩猟してよい種と保護獣とをすべて智なく

てはいけませんし・さまざまな法律も知らなければなりません︒・シアの場ムロはとても簡単で︑日本のよ.つな筆記試

93

(15)

験などありません︒基本的にはライセンスは購入すればいいんです︒ですから︑どちらが良い悪いという見方ではな

くて︑こうした法制度に立脚して近代の狩猟というものがあるのだ︑という理解をしてもらいたいと思うんです︒

統計に見える歴史

そこで﹁都道府県別狩猟者関係の統計﹂(九〇頁)を見て頂きたいんです︒

この統計は︑平成二年(一九九〇)の環境庁狩猟統計をもとにつくったもので︑ちょっと古いんですけど・まあ・ひとつの傾向を見るにはこれでいいと思います︒表の一番左から各都道府県の二〇歳以上の人口と狩猟免許の交付数︑

その全国でのパーセンテージがあります︒狩猟免許は二〇歳以上に取得権がありますから二〇歳以上の数字で割合を

算出しています︒次に登録証交付状況というのがありますが︑これは先ほども言いましたが︑実際の狩猟をするための登録がされた数値です︒免許を許可されたのと実際に猟をする数は違うわけです︒他県から猟に来る人もいますか

らね︒そして登録された実数の全国で占める割合︑都道府県毎の人口のなかで狩猟登録された人数がどれ程占めてい

るか︑その全国比となっています︒ですから︑たとえば東京都のところを見て頂きたいんですが︑狩猟免許の交付を受けたの竺万三八七名いたわけです︒それは全国の三・五九パ←ントを占める︒で︑東京都内で実際に狩猟をす

る手続きをとった人は八七七名しかいない︒じゃ︑この他の人たちはどうしたのか︒免許だけを取得して猟に出なか

ったのか︒そういう人もいるでしょうが︑大半は他県に出て猟をしているんです︒ですから︑都道府県毎の狩猟免許

取得人口と実際に猟を行って登録される数字というのは違ってくるということです︒免許を取得した数よりも登録された数が上回っている都道府県は岩手︑福島︑茨城︑福井︑山梨︑岐阜︑三重︑滋賀︑奈良ですけども・どちらかといえば吾本に顕著です︒つまり︑西日本︑あるいは都市部の狩猟者が吾本に猟にやってきている・そうした傾向があるんです︒これは主に羽物撃ちと言って鳥猟︑ガンやカモを獲物としている人たちの動きですね・

(16)

現 代 の マ タ ギ

それで︑関東にお住まいの皆さんは狩猟というのは︑マタギに象徴されるように︑伝統的な狩猟をやっている東北

地方がかなり盛んなように思っておられるのではないでしょうか︒東北で沢山動物が獲られているんじゃないかと︒

でも︑実際はそうではない︒この表はあくまでも目安でしかありませんけれども︑たとえば一〇〇万人しかいない県

と三〇〇万人いる県とでは違うレベルにありますし︑林野面積や野生鳥獣の生息分布の濃い薄いもあって一律に語れ

ませんが︑人の動きや狩猟のインパクトを知る目安にはなります︒ただ動物種の捕獲数を載せていないので実数を把

握できませんが︑単に捕獲数で比較した場合︑有害鳥獣駆除の対象になる代表的な大型獣は東はクマで︑西はイノシ

シです︒戦後︑昭和二〇年代から四〇年代ぐらいまでというのはかなりの数を獲っていたんです︒ツキノワグマです

と年間二〇〇〇頭のオーダーで獲っていたんです︒それが二〇年続いたわけですからトータルでは約四万頭あまりで

すね︒それでもツキノワグマは獲り尽くされることはなかったんです︒当時考えられていたよりもずっと多くのクマ

が生息していたんです︒しかし︑九州山地でほとんど絶滅して︑生態的な研究も進んで︑少し捕獲数を自粛しようと

いう動きが出はじめた︒それが昭和五〇年代のはじめごろでした︒そうした動きを経て︑平成六年の場合はツキノワ

グマは一〇八〇頭︑イノシシは一万九一五二頭です︒大体ですね︑平成に入ってからのイノシシの有害による捕獲数

は一万五〇〇〇から二万三〇〇〇頭ぐらいのオーダーで推移しています︒クマは一〇〇〇頭前後です︒北海道のヒグ

マの場合は︑大体一〇〇頭から二〇〇頭のオーダーですね︒まあ︑クマとイノシシでは繁殖の割合がまるで違います

ので比較にはなりませんが︑一応の捕獲実数というのを知っておいていいかと思います︒ただ︑今紹介した数値は有

害だけで法定猟期内の捕獲数は含まれていません︒ですから︑実質的な数値はこれを上回るということです︒

ところで︑この表を見ると︑狩猟人口の多い地域︑一行政区あたり一万人を超える狩猟免許取得者がいる地域とい

うのは︑北海道︑関東と東海︑九州︑四国に集中しているのが分かります︒県外免許の数も含めた表の一番右の欄︑

全国比では高知︑宮崎︑山梨︑鹿児島︑福島︑和歌山︑長野︑愛媛︑秋田の順になります︒確かにこれらの県は高齢

95

(17)

者人口が多くて︑数字に隠されたそれぞれの状況があることを考慮しなくてはなりませんけれども︑西日本も意外に

狩猟が盛んであることは分かると思います︒

西日本の狩猟のセンターと言いますか︑集中している地域はイノシシ猟が盛んな地域であるわけです︒狩猟をして

いる人たちは︑﹁西の大物︑東の羽物﹂と言ったりします︒西の大物というのはシカ︑イノシシですね︒東の羽物と

いうのはガン︑カモ︑キジ︑ヤマドリなどです︒また︑これは語弊があるとこまるんですが︑野生動物は西から滅ぶ︑

とも言うんですね︒たとえば︑ニホンカモシカですが︑カモシカは現在中国山地には生息していない︒なぜ生息して

いないか︑ハビタットの条件を中国山地がみたしていないというのではなくて︑これはもう獲り尽くしたとしか考え

ようがないんです︒逆に言うと︑中国山地はそれだけ人の手が入って︑早い時代から拓かれていった︒そのために農

耕地や人間の居住空間から排除されたり︑毛皮や肉といった資源として獲り尽くされ︑いなくなったということです︒

現在︑中国山地のクマが問題になっていてほぼ絶滅するだろうと言われています︒それで何とか︑この地域のクマを

守ろうということで米田一彦さんという人が一生懸命広島で頑張っています︒九州山地はすでに滅んでいると言って

いいですし︑四国山地も二〇数頭でしたか︑かなり危機的な状況になっています︒クマが生息している地域は若狭湾

と紀伊半島の先端部を繋ぐ線から東︑鈴鹿山地から東になってきているんですね︒もはやニホンツキノワグマの生息

域の中心は中部東北地方です︒

それで︑西日本のなかでも中国︑関西地区は狩猟者が比較的少ない︒これは拓かれてから久しい時間︑鳥獣を生活

空間から排除し続けてきた地域であるからだということが言えそうなんです︒といえば︑ピンときた方もいらっしゃ

るかと思いますが︑この表からは︑農耕が早くからスタートし鳥獣害対策が早くから行われてきた畿内を中心に︑同

心円的に狩猟者の数は増していく︑という傾向が見えるんです︒これはあくまでも大雑把な見方ですよ︒でも︑狩猟

者の多い地域というのが︑先ほども言ったように九州南部︑四国の高知︑北関東︑そして北海道となっているんです︒

96

(18)

つまり︑人間の開拓圧が古くからおよんでいた地域ほど狩猟者の数も少なく︑野生鳥獣の生息状況も薄くなる傾向が

ある︒すなわち︑いち早く排除が完了した地域には狩猟者が少ない︑ということなんです︒ちなみに平成六年は・二四万人ですから︑かなりの勢いで狩猟人・は減少しているんです︒冒頭で話したように狩猟者の高齢化と若者の狩猟離れがあっていよいよ統計にも現れはじめているんですね︒それと農業離れもあります︒

現 代 の マ タギ

狩猟と農耕

そこで︑二つ目のレジュメ﹁列島の狩猟史﹂(八八‑八九頁)という年表を開いて頂きたいんです︒.︑の年表は︑二年前につくってみたものなんですが︑新人物往来社から昨年出版された﹃復元技術と暮らしの日

本史﹄に掲載したものを︑その後少し手直ししたものです︒この年表はですね︑文献を中心に日本列島で展開されてきた狩猟を通史的にチャートを加えながら描いてみたものなんです︒一般的にはですね︑日本では狩猟というものは

あくまでもサブカルチャゐと︑日本の生活文化を考えるうえではあまり重要なファクターではない・というふうに思われがちです︒日本は農耕を中︑心に形成されてきた社会だから︑欧米のようなハンティング.ライフは存在しない・狩猟は特殊なものだといった見方ですね︒それがあるかと思うんですが︑でも僕はそうは考えない・むしろ農耕を中︑心に発展してきた社会であるからこそ︑狩猟は今日まで持続しえたんだ︑と考えるんです︒先ほどの統計資料にもあったさつにですね︑平成二年の段階でも二九万人︑六年には二四万人の狩猟免許取得者がいたんです・まあ・一億二〇〇〇万人のなかの二〇数万人なんてたいしたことはないとも言えますが︑なぜ二〇数万人の狩猟合が現在も存在しえるのか︒どうしてか︒それを見ていくと︑農業との関わり︑日本列島の開拓史との関係が見えてくるわけです・

つまり︑我々の生き方とい・つのは︑耕地を拓いて作物をつくって︑生を実現するという戦略をとってきたわけですね.しかし︑その戦略をこの呆列島という大地の上で展開していくと・どういうことが起こってくるかというと・卯

(19)

野生動物たちのハビタットを奪って?︑彼らの生息域を破壊して我々が使いやすい土地に変・えるとい,つことになる.

でも・奪えたようで奪えきれないんですね︒ここが面白いところです︒

アジア的生産様式・水田稲作農耕︑というのは湿地や河川流域の平坦地︑段丘を拓いていきます︒水辺に生自心する

鳥類は繁殖地を奪われます・しかし︑いったん壊されて築かれた耕地で栽培されるものは︑鳥類の餌にもなる難で

あるわけです・極端な言い方をすれば︑農耕地を切り拓くという行為は野生の鳥獣のハビタットを破壊しながらも結

果的には彼らの餌場をつくってしまうことになる︒追い出したはずのものを︑結果的には引き付けてしまいもするん

です・東京都のなかでも吾市とか奥多摩︑神奈川県の丹沢山地︑このあたりの農家の人たちに話を聞きますと︑作

物を放っておいたらあっという問に鳥に喰われてしまうと言います.とんでもない勢いで喰われてしま,つんです.農

家の人たちは本当に大変なんです.虫にやられ︑鳥にやられ︑獣にやられる︒おまけに天候によって収量が左套れ

るんですね・現代ではダイオキシンによる汚染なんかもあるわけです︒現代の肇は︑このよ・つなさまざまな肇被

害に対する対策がこうじられていますが︑それでもやられてしまう.まして︑古代︑中世となるともっと凄い.ムフよ

りも圧倒的に野生鳥獣の個体数が多かった時代です.ですから開拓開墾をして耕地を拡大してい趨程とい,つのは︑

野生の鳥獣との争議になるんです.そうしたなかで収量を効率よく︑肇に獲得していくためには︑邪魔な鳥獣を

排除しなければならなかった.農業というのはそういう生き方︑戦略なんです.すなわち︑持続的な肇とい,つのは

肇に都合のよい野生の鳥獣との共存はありえても︑その他の鳥獣との共存はありえないんです.明治時代の文圭日な

どには・農業上有効な鳥獣と有害な鳥獣といった分け方が見られますが︑まさにそつな︑bざるを.姦いわけです︒

ところが・これに対して狩猟というのは︑野生の鳥獣を纏することによって直接生活資源として利用したり︑生

活に必要な物資や現金に換えることで盛立します.ですから︑狩猟を持続的に行お・つとする場ムロには︑野生の鳥獣も

持続的にそこにいてくれなくてはなりません.持続的な狩猟というのは野生の鳥獣と共存しなければ成山老.姦いん

参照

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[34] , Quiver varieties and t–analogs of q–characters of quantum affine algebras, preprint, arXiv:math.QA/0105173. [35] , t–analogs of q–characters of Kirillov-Reshetikhin modules

), Principles, Definitions and Model Rules of European Private Law: Draft Common Frame of Reference (DCFR), Interim Outline Edition, Munich 200(, Bénédicte Fauvarque-Cosson

教育現場の抱える現代的な諸問題に応えます。 〔設立年〕 1950年.

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