神話構築への試み : ケイト・ショパンの『めざめ
』を読む
著者 宮北 恵子
雑誌名 主流
号 58
ページ 97‑109
発行年 1997‑03‑10
権利 同志社大学英文学会
URL http://doi.org/10.14988/pa.2017.0000015132
神話構築への試み
一一一ケイト・ショパンの『めざめ
J
を読む一一宮 北 恵 子
『めざめj
( T h e Aw
αk e n i n g
,1 8 9 9 )
は,ショノtン(KateChopin, 18511904)の「最も野心的な作品
J l
でありながら,出版当初から酷評にさらされ,事実そのために彼女の作家生命は終わりを告げた.しかし19ω年代の女性解 放運動の中で再評価され,イプセンの『人形の家j(Et
D u k k e h j e m
,1 8 7 9 )
と 同様,フェミニスト・ドキュメントとして政治的マニフェスト的地位を得た.女性の自立を扱っているという点で,この小説はフェミニスト批評の最適の 対象かもしれない.しかしケイト・ミレット的「性の政治学の図式j2を読み 取ろうとすれば,この小説を自由恋愛,女権の主張,結婚の不正を論じた
「問題小説
J 3
に押し留めてしまうことにもなりかねない.本稿は,この小説の超自然的特質に注目し, 19世紀文学のアイデンティ テイ神話の枠組みの中にありながら,ショパンが時代を越える普遍的かつ典 型的な人間の状況と運命をどのように見つめていたかを,おとぎ話の研究と 神話批評の方法論を援用して分析していく.おとぎ話の研究は多分に心理分 析的であり,
I
おとぎ話は魂のイメージである」と言うT.
ザイフェルトの 観点に立てば,w
めざめ』に登場する様々な人物は「一人の人間の内部の表 象や出来事のイメージ的表現J 4
であるという視点を可能にする.また,N.フライの神話批評に立脚し,キリスト教の聖書はその詩的特性のために 文学の中で適宜,再創造されて来たという観点から,小説の中の肱いばかり のブリコラージ、ユ的特質5に意味の統合を図れば,新しい神話としての『め ざめ
J
の位置づけが可能となる.『めざめ』は,ニューオーリンズのクレオールを夫に持つ
2
児の母で,当 時2 8
歳のエドナ・ポンテリエが,避暑地のグランド島で宿の長男ロパート・ルプランと知り合い,精神的にも肉体的にも目覚めるという「自己発見への 官能的な航海
J
(s e n s u a l v o y a g e o f s e l ι d i s c o v e
ry") 6を描いた物語である.しかし,そのエドナが家族を捨て自立し,ロパートへの恋のやる瀬なさから,
ある放蕩者と性関係を持ち,入水自殺をするという終局から見れば,
r
孤独 の魂」の物語とも言え,美しい言葉の芸術性ゆえに一抹の悲哀を感じさせる 作品となっている.この作品はいきなり冒頭から,一つの「奇跡
J
に焦点を当て,それをカメ ラ・アイ手法でクローズアップさせているのが印象的である.夏のグランド 島で,中年の仲買人のレオンス・ボンテリエが宿の揺り椅子に座りながら,「浜辺からカタツムリのような歩調で進んでくる白い日傘
J
(4) 7に日を凝ら している.近づいてくるピンクの裏地の日傘の下に妻のエドナと若いロパー トがいる.二人は水浴で多少疲れた様子で小屋に着くと,互いに向き合って ポ}チの柱にもたれて座るが,レオンスは日焼けした妻を,r
貴重な私有財 産の一つにキズが出来てしまったのを見るJ ( 4 )
ような目で見て,僅かに小 言を言うだけで,二人を残して男たちの集う夜のクラブに行ってしまう.エドナとレオンスの結婚は,伝統の化身ともいえる彼女の父と姉からの逃 避が原因の「全くの偶発事
J
であり,r
運命の定めという仮面をつけた他の 多くの結婚に似ていたJ
(18).このような婚姻関係と,夫レオンスの所有観 念が先行するところには,ザイフェルトが言うような「奇跡J
,つまり「我 と汝が互いに相手を見いだすという奇跡J 8
は起こらない.しかしエドナと ロパートには「海」という共通の磁場があった.r
海J
はp.
セイヤーステ ッドやL・レアリーを始め多くの批評家が認めているように,この小説を貫 く「象徴的な声J 9
であり,エドナの人間としての目覚めに大きく関わるイメジャリーとして機能している.
エドナとロパートの聞に起こった「奇跡」は彼女に,これまで考えもしな かったような感情と生命力の目覚めを与え,少女の頃から人生の二面性一ー 順応する「外的存在
J
と疑問を抱く「内的存在J ( 1 4 )
ーーに敏感だった彼女 に生の統合を示す機会を与えた.彼女にとって「汝,愛する人」がいっさい の中心となり,過去はすべて彼女の「今」に集結され,再解釈されていく.「奇跡、」は「我と汝の,絶対的な独自性
y o
の体験であると同時に,エドナ自 身の「内的存司自と「外的存在」の双方の聞に起こった百雷として,小説で は彼女の身体の描写を通して視覚化されている.エドナがエマソンと同じく「日」の人であったことは,彼女を中心に作品が展開していく第2章を,
ショパンがエドナの目の描写から始めていることから理解できる.その日は
「黄褐色に輝く聡い日で,素早く対象に迫り,考え膜想する
J
(5)まるで鳥の 目である.その目がロパートを次のように捉えている.In coloring he [Robe此,]was not unlike his companion [Edna]. A clean聞
shaved face made the resemblance more pronounced than it would o出erwisehave been. (5)
つまり,
r
二人は髪や肌の色が同じで,ロパートは髭を剃っていたのでエド ナの顔と瓜二つである」というのである。これは自分の鏡像を見るのと同じ 感覚を引き起こさせ,ロマン主義文学が好んで描いた分身モチーフとナル キッソス神話を重ね合わせたような効果があり,自我の問題にエロスと死の 意味作用を加え,作品展開の重要な動因となっているといえよう.小説にはエドナと海に関連する男性がもう一人登場する.この男性は彼女 の想橡の世界に現れ,
r
裸で海岸の岩棚に立ち,一羽の烏が羽ばたき去って 行くのを絶望と諦めの境地で見つめていたJ
(25‑26).エドナはこの時聴き 入っていた,ラチニョール夫人の弾く悲しいピアノ曲を「孤独J
(Solitude"2 5 )
と名づけている.ユングは,女性にとって魂のイメージは男性として現 れるという.男性は心の中に永遠の女性であるアニマを単一の形で持つのに 対して,女性はアニムスを複数で持っているという 11この裸の男性をエド ナのアニムス像と捉えることの手掛かりは,エドナの最後の入水場面にある.彼女が海に消えて行く時,彼女の「目
J
は翼を折ったー羽の烏が上空から彼 方の海へ力尽きて舞い落ちていく姿を捉えているからである.そこには裸の 男性の姿はなく,太陽と風と波に身を任せ,衣を脱ぎ捨てた生まれたままの エドナの姿があるだけである.イメージの重ね合わせは,エドナと裸の男性 を実体と影とする鏡像の効果を生み出している.次に,エドナが自己と出会い,最後には「孤独」を受け入れ,悠久の時に 抱かれていく彼女の目覚めの過程を作品を追って見ていこう.
E
エドナの目覚めの過程は言語,象徴,行動の面から語られ,とりわけ身体 のイメージによって形象化されている.彼女の変容,つまり「自分らしくな る」ことは,日常われわれが纏っている「偽りの衣を脱ぎ捨てるjことから 始まっている.グランド島でエドナが「自制のマント」を綾め始めたきっか けは色々あったが,母性賛美のラチニョール夫人からの影響が特に強く,夫 人の「過剰な程の肉体的魅力」が「美に対する感受性の強い
J
エドナを刺激 しないで、はいなかった.事実,誰の「目」にも,この夫人は自分の「全存在」代he...whole existence")を余すところなく発揮していたのである (14). 成熟への希求は,エドナがラチニョール夫人とお喋りしながら,海を鏡と して自分の魂の姿を写しとっている場面 (7章)に顕著に示されており,
「あまり物を考えない子供
J ( 1 7 )
であった彼女だけに,内なる世界を執揃に 言語化しようとする「知」への格闘の中に,目覚めの具体的進行がみられる.しかし成熟への原初的,ロマンティックな衝動は何よりも彼女の「泳ぎたい という欲望」から始まっている.エドナは夏の間,泳げるようになろうと必
死だ、った.ロパートは毎日,彼女に系統だった指導をしていたが報われず諦 め寸前だった.ところがある夜,彼に誘われて「神秘的な時間に,神秘的な 月の下でj水浴び、をした.すると突然「力
J ( 2 7 )
が出てきて,彼女は歓喜の 芦をあげ,そのまま力任せに一人で泳ぎだしたのである.しばらく前から彼 女に「内なる光」が差し始め,r
宇宙における自分の立場J
(14)を認識し始 めていただけに,現実の海と月明かりの空が融合する世界に泳ぎ出た彼女に とって,r
宇宙と孤独」の感動は魅惑的であり,今にも「無限の世界」に手 が届きそうに思えたのだった.しかしその時,哨嵯に「死の幻」に襲われ,彼女は気を失いそうになって必死に泳ぎ帰っている(28).
r
夜」もまた,r
海」 と同様,精神的・肉体的神秘の象徴としてエドナの目覚めに重要な役割を担 っている.夜の海における「力J
が介入した偉大な体験は,エドナにとって「初めて感じる胸ときめく欲望
J
(30)であり,彼女を「長き愚かな夢から目 覚めJ
(103)させた奇跡の体験で、あった.小説は,この海の奇跡の後,徐々にファンタジ}の象徴的世界へと入って いく.ロパートがエドナを執劫に海に誘ったその月夜,彼は帰る路々,彼女 を「霊
J
(a spirit"2 9 )
のいる神秘の世界へ誘おうとする.これは身体から 精神,あるいは自然から超自然への認識の移行と考えられる.その「霊は湾 に住み,独特の洞察力で,共に半天界に昇るに似合いの人を捜していて,月 夜にその霊は愛する人を射止める」但9 )
という彼の作り話を契機に,エドナ は個人的にも社会的にも変化していく.翌朝,ロパートは聖母マリア教会のあるシェニエール・カミナダに向かう 船の中でも彼女に「湾の霊」の話するが,今度は彼女もそれに興じている.
この「霊」は「習慣
J ( 1 6
,1 7 )
に支配されてきた彼女の古き意識の「鎖」を 断ち切り,彼女を新しい生命衝動へ誘う存在である.r
何処へでも好きな方 へ自分の帆を向けて自由に漂って行けるJ
(33)と感じた船上のエドナにとっ て,シェニエール・カミナダは新生のための特殊な空間であった.13章が ファンタジーで彩られているのは,それが「非日常的な世界」だからである.ニューオーリンズという日常的世界に対して,地理的にも精神的にも「中間 の世界」を形成し,存在論的にトポロジカルな価値づけがなされている,と 言うキャセイルの指摘12は,エドナの目覚めの根幹に係わるものとして意義 深い.
船中で二人が意気統合する話に出てくる「輝く月夜」ゃ「丸木舟
J
,r
湾の霊j,
r
島j,r
宝物j,r
海賊の金貨」は,おとぎ話には付き物である.おとぎ 話の住人に変身した二人は,このミサの旅に出かける早朝の会話に見られる「互いの情熱に対する無意識性j13という点で,まだまだ無邪気そのものであ るが,無意識の中にも顕在化されていく何かがあることを, unusual"や extraor也nary"(32)という言葉が暗示していることにも注目したい.ユン グ的な解釈を用いるなら,この「無意識性」は個性化過程の危険な道におけ る中間段階ということであり,これを突破するには自分の無意識を注意深く 観察しなければならず,それは白雪姫がガラスの棺に横たわる過程を意味し,
生と死の聞を訪佳いながら,無意識が意識的自我に出会うための長い旅が必 要だという期間である 14
E
エドナは,シェニエール・カミナダの「中間の世界」で「束の間のエデン の園的エピファニーj15を経験するが,それは彼女の「眠り」と共に始まっ たことは重要である.ミサで,ずしっと「眠気j(drowsiness" 34)を感じた エドナが教会を飛び出し,ロパートの案内で、行った所は村外れのアントワ}
ヌ夫人の小屋だった.葦聞から「海の瞬き」が聞こえる静かな所で,
r
この 眠そうな( drowsy")島では毎日が神の日("Go仇day")に違いない」と彼女に は思えた.この眠りの島の場面は神話的思考によるイメージの宝庫であり,それぞれが何の「記号j(心像と概念の結合)となりうるかを掴み,その集 合体の提示をどのように定義するかによって,作品の解釈も分かれよう.例 えば,
r
オレンジの木々の聞に見える静かに件んでいる小さな灰色の家々の長い連なり
J ( 3 5 )
は,禁断の木から姿を覗かせたエデンの不吉な蛇を想起さ せるが,蛇は別面,r
真の知恵J
・「治療J 1 6
の象徴でもあるから,ここでは眠りの創造性と繋がると言えよう.
エドナの眠りの場面においても彼女の視覚が先行していることに注目した い.彼女は「脇の小部屋」の「雪のように白い( snow同white")大きなベッド
J J ( 3 5 )
に裸体に近い姿で横たわり,ほぐした髪を指で棟き,両腕をすり合わせ ながらきめ細やかな自分の肉体を「初めて見るように」じっくりと見ている」(36).彼女のこのような観察眼は,小説の展開に見られるように,外観が内 観に,あるいは内観が外観に変換されるロマン主義的視線であり,自然(身 体)と精神の対応関係によるエマソン的「全存在」の調和への歩みを示すも のであろうe
エドナがどれぐらい眠ったか分からない。白雪姫のガラスの棺のそばには いつも七人の小人たちが交代で番をし,フクロウ,カラス,ハトが泣きに やって来たが,エドナの部屋の外ではロパートが本を読みながら番をしニ ワトリが鳴きながら砂利をつついている.彼女が起きると陽が傾いていて,
午後も大分過ぎていた.アントワーヌ親子は夕べの祈祷で留守であり,全く 二人だけの世界である.ここでも「目
J
の人である彼女は自分の内と外に視 線を交互に移し変えながら世界を観ている.顔を洗いながら,彼女はカーテ ン越しに外のロパートを覗き見た後,壁に掛かった「歪んだ小さな鏡J
(36) に映った自分の姿をじっと見つめている.鏡が歪んでいるというのは,海に 自分の魂を映したのと同じく,鏡の中に自分の想像力を波打たせていたのだ ろう.現に「彼女の目は輝いてばっちり目覚め,顔には赤みがさしJ
(36)新しい生命力への上昇が見られるからである.
『白雪姫』の中の真実を告げる鏡は,白雪姫と相対化された姿をお妃に示 すが,存在の全体性という点では,古い世界は常に新しい世界との格闘の末 に後者が生命を保持し未来を獲得していくものである.ザイフェルトの言葉 を借りれば,鏡は「個人的な発達を映し出す」ものとして,見る者に絶えず
「変容への呼び声J17を発しているのである.それでは,エドナがどのように 変容を遂げていくのか,次に見てみよう.
エドナの変容過程は,彼女が空腹を覚えるという身体の感覚を通して象徴 的に描かれている.キャセイルは,エドナがパンとワインを口にする場面は ほとんど聖餐式を思わせる,と言っている 18エドナの父はケンタッキーの!
長老派の牧師である.少女の頃,父の礼拝から逃げ出した彼女は,クレオー ルの夫レオンスのカトリックの世界にも馴染めないのか,聖母マリア教会の ミサで頭痛を覚え,早々に飛び出ている.この小説を「二つの文化の衝突J19
と見るN.ウォーカ}や M.フレッチャーの視点を借りれば,エドナは二 つの文化の衝突によって「孤独
J
の宇宙に投げ出された,存在論的に「島」と同様,
I
中間の世界J
の人といえ,彼女の聖餐の独自性は堕罪以前のエパ の誕生を可能にする過激なものとなっている.食後,小屋から出たエドナが,近くの木からオレンジを一つもぎ取り,ロパートに与える( threw"37)箇所 は,楽園のエパとアダムを訪併させる.リンゴは『白雪姫』や多くの神話に おける愛の象徴であるが,オレンジもまた愛と婚姻の象徴であり,アメリカ 南部の地方色を感じさせている.二人がオレンジの木の下に立っとロパート の顔がパッと輝いたという場面(37)は,
I
与える」と「受ける」という聖餐 における二つの要素から成る「分有」という人格的触れ合いを可能にしたと 解せると同時に,第二の失楽園の予表と受けとれなくもない.この後,エドナは島全体の変化に驚いて,ロパートに時の推移を尋ねてい る.ベッテルハイムによれば,白雪姫の眠りは「成熟への最後の準備をする 熟成期間」であり,
I
新しい,より成熟したパーソナリティができあがり,古い葛藤が統合されるまでには,かなり成長しなければならないし,時間も かかる」という 20エドナの眠りが「百年
J
(37)であったというロパートの 返事は,時間も象徴体系の中で捉えられていることを示し,眠りにおける時 間性は,ここでもまた蛇のイメージに置き換えられている.しかし茜と金に 染まる夕陽を受けて,長い影が「グロテスクな怪物のように芝生の上をそうっと這っていった
J ( 3 8 )
という描写には,脱皮を終えた蛇の新生のイメージ 以上に,善悪両様の蛇のアンピヴ、アレントな性格が交差し,その後のエドナ の運命に明暗を投げかけていると言えよう.二人が帆船で帰途につくところ で,このファンタジーの世界は終わっている.町
以上,エドナがロパートとの出会いを介して,
1
意識化と全体化J
という魂 の自己「個性化j21を遂げる過程を心理学的観点から見てきたが,この小説 を新しい神話として見るという残された課題において,出発点に置いた「奇 跡」もまた神話象徴体系の中での解釈が必要といえよう.1
奇跡」はまずエ ドナとロパートが互いに相手を見いだすというところに起きたが,それには 時間性 (1泳ぎの訓練」ゃ「眠りJ)と空間性 (1海」や「島J)が必要だ、った.その時間性と空間性を同時に具現するのがエドナの身体であり, 1奇跡」は 一貫してエドナの身体のイメージを介して表現され,身体の知的器官である
「日 jが常にその目撃者であった.
ところが「奇跡」の結末が二人の別離にあった,というのは一体何故なの か.ロパートは鳩小屋でエドナと互いに愛を告白し合った後,彼女の留守中 に,
1
愛すればこそ」とメモをひと言残して去って行く.これに対するエド ナの反応に注目したい.彼女は気が遠くなり,その夜は一睡もしなかったも のの,季節外れのグランド島に舞い戻り,海を前にして「生まれたばかりの 赤ん坊J
(109)のように感じているからである.仮にロパートがミルトンの アダムのように,エドナに「私の決意はお前と共に死ぬことだJ
(''wit h t h e e
Certain my resolution is加Die,"Rαradise Lost, Book IX, 906‑7)と言ったところで彼女は笑うだけだろう.ロパートの狂気の愛に対して,
1
自分はもは やポンテリエ氏のものではないJ
(102)と語るエドナの言葉には,たとえ相 手がロパートであれ,婚姻の所有関係を認めない彼女の心身の独立が読み取 れるからである.エパとアダムの堕罪以後,アダムによるエパの身体の物質化を促したと言える人類歴史において,エドナのこの言葉は,女性の身体の 復権と威厳あるエパの復活を語るものといえよう.しかし身体の復権には身 体の死がその代償であるというパラドックスにエドナは直面する.このパラ ドックスを小説は「海
J
と「眠りJ
,I
パンとワインJ
の象徴的食事で表して いる.これらは死と再生の神話における重要なメタファーである.パンとワインは農耕的象徴体系において,女性を植物的自然の化身と成し,
その自然の豊穣さは生命の一切を生みだす母親として描かしめるものであ る22
I
母親らしくない女性J
(別であるエドナも,母親にはちがいない.し かしエドナが目覚めて獲得した母性は,ラチニョール夫人のマリア的母性や ライズ嬢の超人的・文化的母性に対峠する原初的自然としての,彼女の生も 死も支配し子供まで呑み込むテリブワレマザーで、あった.海の波が大蛇のよ うにエドナのくるぶしに巻きつく最後の場面( 1 0 9 )
は,ユング的解釈を用い るなら,エドナを蛇が象徴する太母=グレートマザー(人類共通の母)と関 連づけるものである.これはエドナが月明かりの夜,体験した「海」と「空」が融合する世界に,さらに「陸」が
i
容け込む原初の混沌,生命の夜明けへの 回帰を示唆するものでもある.早くに母を亡くしたエドナにとって,I
海」 に 象 徴 さ れ る 太 母 = 原 初 的 自 然 , そ の 「 永 遠 に 続 く 海 の 声J
(the everlasting voice of the sea"7)は「哀しげな子守歌J
(7)であり,I
甘くてj (delicio国 "13),I
魅惑的でJ
(seductive" 14),I
官能的でJ
(sensuous" 14) , 彼女の魂を孤独に誘いつつ,I
身体を優しく,しっかりと抱きしめてくれる」(14)のだ、った.しかし彼女の経験が語るように,それはホイットマンの「海」
と同様,
r
死」という甘い言葉( thelow and delicious word death") 23を曜 く海でもあった.グランド島でエドナが味わった「原初的自然の秩序J 2 4
は, 陸では放蕩者「アロピンの厚かましい眼差しJ ( 7 3 )
に表象される彼の身体を も呑み込んでしまう原初の混沌として現れたことは言うまでもない.エドナとロパートの「奇跡
J
の結末が二人の別離にあったということも,ロパートが愛のメッセージ、を残して去ったということも,上の植物神話の象
散体系に照らせば不思議なことではない.島のオレンジが象徴するこ人の
「結婚」と,やがて訪れる「犠牲的死
J
(別離)は,穀物と葡萄の成育と収穫 のサイクルに照らせば,自然の理である.つまり自然の美神エドナの魂の成 長と死のサイクルの段階に応じて,男神ロパートは息子で、あったり,愛人で あったり,生費にさえ成るのである 25この意味で,女性たち(読者)に嘆 き悲しまれるのはエドナではなくロパートの方であろう.結び
W. H.オーデンは TheEnchα戸dFloodで,ロマン主義者の海に触れて,
「海は,決定的な事件,たとえば,永遠にわたる選択,そして誘惑,堕落,
救済などの危機的な瞬間のおこる場所である」と言った 26エドナの最後の 入水の場面を「救済」と捉えるかは議論の別れるところであるが,以上のよ うな「神話的読み」においては,それが可能である.海を前にして生まれた ばかりの赤ん坊が「目」を開けるように感じたエドナは,少女時代,果てし なく広がるブルーグラスを横切っていったように,後を振り返ることもせず 海中へと身を沈めて行った.ここでもまた「海の感触は官能的で身体を優し くしっかりと抱きしめてくれた
J
(109)のである.エドナの身体の消滅は,「目」による自然の認識という点で,限りなくエマソンの「透明な眼球
J
(Ib e c o m e a t r a n s p a r e n t e y e b a l l ; 1 am n o t h i n g ; 1 s e e a l l . " )
27に近づく.この小説は,
r
自由J
の魂のアイデンティティ獲得の旅を,エドナの身体 を通して描き切ったという点で,エドナの死は再生のための「魂」の,孤独 で独自的な,しかも宇宙的で全生命的な「洗礼」と言えるのではないだろう か.グランド島に一人立ち戻ったエドナが最後の水浴ぴに出かける前に,ロ ノ'{‑トの弟ヴイクターに言い残して行った,r
夕食には魚がいいわJ
(108)と いう言葉には,キリストが弟子たちの所に戻って食べた焼魚と蜂蜜c r
ルカ による福音書J 2 4
,4 2 )
が連想されるであろう.魚はキリストを表し,再生,不滅の象徴であり,ギリシャ神話では海から生まれたアフロデイテを表して
いる.さらにまた,エドナが海に消えた最後の情景に一種の悦惚感を与えて
なでしこ じゃこう
小説を締めくくっている言葉 「蜜蜂の羽音がし,撫子の爵香のような 香りがあたりを満たしていた
J
(109)一ーの象徴性は小説の神話性を一層高 めるものともいえよう.古代から霊魂と表す蜜蜂は,ユング心理学では大地 母神の豊鏡性や愛と関連づけられ,地下墓地に描かれている蜜蜂はキリスト 教ではキリストの復活と救済の象徴である 28このように読んでくると,小 説の冒頭に描かれた,r
浜からカタツムリのような歩調で進んでくる白い日 傘」の中のエドナは,他でもない海から誕生したばかりの「日に焼けたヴイプリマヴェーラ
ーナス」のように思えてくる.絵画『春』や『ヴィーナスjで馴染みの撫子 は女神に捧げる実に相応しい花である.魂の復活神話として味わえるこの小 説は,読者を神話のスピリチュアルな世界に誘い込む.
注
1 Marie Fletcher,The Southern Woman in the Fiction of Kate Chopin," The Awαkenir協 2nded., Margo Culley (New York: W.W. Norton Company, 1994), p.
193.
2 Kate Millet, Sexual Politics (New York: Doubleday & Company Inc., 1970)はフェ ミニスト文学批評の先駆けをなした書.数名の男性作家を取り上げ,小説中の女性 の性の扱いを家父長的支配の構図で捉え分析している.
3 Edmund Wilson
,
p,
αtriotic Gore: Studies in the Literature of the Americαn Civil War (New York: 0幼'rdUniversiたyPress, 1962), p. 591.; Nancy Walker, "Feminist or Naturalist: The Social Context of Kate Chopin's The Awakening," Southern Q山 崎rly17 (1979), 103. 両者は問題小説とか女性解放という視点を否定する立場をとっている.
4 ThωdorSe出,rt,Schneewittchen,入江良平訳 『おとぎ話にみる死と再生~ (新曜 社, 1開3),p. 13およびp.187.
5 レヴイ=ストロースは『野性の思考jの中で「神話的思考の本性は,……限度の ある材料を用いて自分の考えを表現することである.……神話的思考とは,いわば
プリコラージュ
一種の知的な器用作用であるJと言っている.大橋保夫訳 (みすず書房, 1976), p.22.
6 Elaine Showalter,Tradition and the Female Talent: The Awαkening as a Solitary Book," New Essα:ys on The Awakening ed., Wendy Martin (New York:
Cambridge University Press, 1988), p. 45.
7 TheAωαkening, op. cit. 引 用 は 本 文 中 の ( )に頁数を示す.
8 Seifert, op.cit., 196.
9 Gregory L. Candela, ''Walt Whitman and KatβChopin: A Further Connection,"
WaltWhitmαn Review 24 (1978), p. 163. 10 Sei伽t,op.ciム196.
11 河合隼雄 『物語と人間の科学j(岩波書底I回3),pp. 206‑7.
12 Ottavio Mark Casale,官eyondSex: The Dark Romanticism ofKate Chopin's The Awαkening," BαII St,αte UniversiかForum19 (1978), 78‑79.
13 Jane P. Tompkins, "The Awakeni噌 :An Evaluation," Feminist Studies 3 (Spring‑ Summer 1976) ,23.
14 Sei島rt,op.ci.tリ 165‑66. 15 Casale, op.cit., 80.
16 Iマタイによる福音書
J
(10: 16)及び「民数記J
(21: 9)参照.17 Sei島rt,op.cit., 115 & 118. 18 Casale, op.citリ,80.
19 Walker, op.cit., 99; Fletcher, op.c札 173.
20 Bruno Bettelheim, The Uses ofEnchαntment:Meαningαndlmpor伽weofF1αiry Tales,波多野完治・乾佑美子訳 『昔話の魔力j(評論社,19鈎),p. 279.
21 Sei島rt,op.ci.tリ 160.
22 Northrop Frye, The Great Code: The Bible and Literature,伊藤誓訳『大いなる 体系:聖書と文学j(法政大学出版局,1叩5),p. 218.
23 Walt Whitman, "Out ofthe Cradle Endlessly Rocking," (ll. 165幽68)inLeαves of Grasss参照.
24 Casale, op.cit., 79. 25 Frye, op.cit., 218.
26 W.H. Auden, The Enchαifed Flood; or The Romαntic Iconography of the Se仏 沢 崎 順之助訳 『怒れる海:ロマン主義の海の図像学j(南雲堂, 1974), p.31.
27 Ralph Waldo Emerson, Nature: Addresses and Lectures (Bosωn and New York: Houghton, Mifllin and Comp田y,1903), p. 10.
28山下主一郎他訳 『イメージ・シンボル事典j(大修館書庖, 1984)参照.