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『アメリカの息子』におけるビッガーの空間移動と 言語の獲得

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『アメリカの息子』におけるビッガーの空間移動と 言語の獲得

著者 松村 明子

雑誌名 Core

号 33

ページ 77‑100

発行年 2004‑03‑15

権利 同志社大学英文学会Core編集部

URL http://doi.org/10.14988/pa.2017.0000015061

(2)

『アメリカの息子』におけるピッガーの空間移動と言語の獲得 77 

『アメリカの息子』における ビッガーの空間移動と言語の獲得

松 村 明 子

Richard Wrightの『アメリカの息子

J

は抗議文学の典型と言われ、その センセーショナルな殺人と、主人公ビッガー。トーマスの白人への憎悪に満 ちた言動ゆえに、賛否両論を呼ぴ起こした作品である。 TheodoreDreiser  の『アメリカの悲劇j と比較されるリアリズム手法ゆえに多くの読者の共感 を呼ぶことができたと評される一方で、抗議小説に過ぎず、大きな限界を持 っているとの批判もあった。黒人文学は、 Wrightを中心として1940年代 に起こったシカゴルネッサンスの状況の中で、白人によって確立された文学 に対し、いかに独自の黒人文学を作っていくかという課題を抱えていた。そ のためJamesBaldwinは、『アメリカの息子j の抗議小説の面を大きく捉 えて強く批判した。黒人に対する過酷な状況は絶対的な支配力と影響を主人 公にもたらし、超えられないものとして書かれているとこの作品の限界を指 摘している

J

さらにRalphEllisonもまたWrightの作家としての偉大さは 認めながらも、この作品の主人公、ビッガー・トーマスは白人の目に映る

「悪い黒人

J

badnigger"のステレオタイプに終始しており、黒人男性の実 情を無視したものだとして主人公の描き方に疑問を投げかけている。また Alan W. Franceは、 Wrightによるメアリー・ダルトンやベッシー・メイ ヤーなど、女性への見方、描き方が男性中心主義だと批判している。またそ

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78 アメリカの息子』におけるピッガーの空間移動と言語の獲得

の一方で、この作品は、 EdwardMagoliesをはじめ、多くの批評家から実 存主義的小説としての高い評価をも得てきている。また各国で翻訳され、読 み継がれている事実があり、最近では、リアリズム小説としてではなく、

Craig Wernerらによってモダニズム小説としても評価されているO こうい った点から時代を超えて、様々な角度から読み得る小説であると言えるO

Wrightのこの作品が書かれた当時の黒人文学の状況を見てみると、アメ リカの伝統的文化の中で、独自の文学を確立することの意義と難しさが見え てくるO それまでの黒人による主な文学テキストとしては、「スレイブ。ナ ラテイブ」として出版されてきた奴隷体験記があるO しかしアメリカ文学の 伝統の中で、編集、出版者であり主な読者である白人に受け入れられるため には、黒人の書いた作品に白人の序文をつけることで、その内容及び作者の authenticityを読者に証明しなければならなかった。さらに『アメリカの息 子』が書かれる以前には、人種問題を正面から争点とする黒人作家は少なく、

差別ゆえに悲惨な運命を辿るという登場人物設定はあまり見られなかった。

こういった状況が示しているように黒人文学が読者の信用を得、説得力を勝 ち得るためには、西欧的文学の伝統に組み込まれる以外に方法がなく、白人 の検閲的土壌の中で自分たちのナラテイブを確立するには、ミンストレルシ ョー的な nigger"のイメージ、つまり白人が抱いている黒人像をなぞるし か方法がなかったのであるO

『アメリカの息子』でWrightが用いた三人称の語り手によるリアリズム 的手法は、こうしたアメリカ文学の伝統における黒人文学の位置を踏まえた、

Wrightの戦略であるO ミメーシス的現実を丁寧に再現し、読者にこの現実 を受け入れさせることで、ピッガー・トーマスに共感を抱かせ、白人の持つ 既成の黒人観や黒人の実情への見方を変えさせようとしているのである。こ

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『アメリカの息子』におけるビッガーの空間移動と言語の獲得 79  の作品は一貫してビッガーの視点から見た世界を描いており、自分の言葉で 感情や意思を表現する力を持たない主人公の代りに、語り手がその感情の原 因や変化を代弁している。つまり、ピッガーの身体化された感情や押し殺さ れた沈黙の意味を、語り手が説明する手法を用いている。また他の登場人物 との関わりやサウスサイドの黒人街、それと対照的な白人の町の描写など、

細部を丁寧に埋めるような現実の再現は、厚みのあるテクストを作り出して おり、リアリズム的手法によって、ミメーシス的現実を作り上げ、読者をそ のリアルな世界へと導くことに成功しているO これまでの黒人文学に見られ る黒人像とは異なり、黒人社会との間に共感を持てず、残酷な殺人を犯すピ ツガー・トーマスの設定は、新しい文学を作り出したいという Wrightの意 図が表れていると言える。なぜなら黒人による残酷な白人女性の殺人及び逃 亡、そして死刑という典型的なピカロ物語のプロットを踏まえながら、その 行為を引き起こす黒人の悲惨な社会的状況を克明に描き、三人称による語り を通してトーマスの身体化された懇りと、憎悪に読者が共感できるからであ るO このように、 Wrightはリアリズム手法を用いることで、白人と黒人の 分離制度を正当化する JimCrowがいかに不当な差別的状況を黒人にもたら

しているかを読者に印象づけることに成功している。2

John M. Reillyは GivingBigger a Voice"の中で、 Wrightが意図的に戦 略としてリアリズムの手法を取り、読者に afull and authentic report of  human experience"を共有させ、ピッガーの犯罪行為やその後に達成され

る自分の声の獲得に共感させようとしていると述べている。

Shrewdly acceding to the appearance of realism by weaving a thick  texture of particularized detail in order to authenticate the 

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80 アメリカの息子jにおけるビッガーの空間移動と言語の獲得

historicity of Bigger and his experience, and enticing the reader to  expect novelty with the portrayal of Bigger as a dangerously  confused young man

, 

Wright meets the initial requirements of the  contract between reader and author of realistic fiction. Providing  verisimilitude, Wright allows the reader  acceptthe story's illusion  as a limitation of reality and in return receives a chance to set a  topic that will rectify the ignorance ofthe audience. (49) 

伝統的リアリズムの手法と同様にWrightが用いているのは、黒人文学に よく見られる indirectionの方法で、奴隷だった黒人は絶対的服従を強いる 主人、すなわち白人の言語や見方を表面上は受け入れる構えをしながら、実 際はその言語を真似ながらその意味をずらして自己の主張をする、と言うも のであるO これは西洋文学のカノンの周辺に位置する黒人文学が自らの文学 の基礎を作るために有効な方法であり、 EllisonのlnvisibleMαnに顕著な 特徴であるoWrightはこの二重性を持つ視点をピッガー。トーマスの目覚 めと自己の内面を表す言語獲得を導くものとして用いている。ピッガーは自 分に沈黙を強いていたものが白人への恐怖であると気付き、自ら行為を選ん でいく中で、失われていた言葉を獲得していくのだが、その時ピッガーは白 人の視点をなぞって表面上は真似ながら、自分に有利なように使い、白人の 支配を退けて、自分の自由に生きる時間を延ばしていく。 HenryLouis  Gates

, 

Jr.がTheSignifying Monkeyで述べているように、その奴隷として の歴史ゆえに黒人文学は、 double‑facedとsignifyingという特徴を持って いる。これは表面上、支配的伝統的価値、カノンを真似たり、繰り返したり

しながらずらしていくことで、カノンの持つ価値や力を骨抜きにしようとす

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『アメリカの息子』におけるピッガーの空間移動と言語の獲得 81  る二面的語りの戦略である。

Naming the black tradition's own theory of itself is  to echo and  rename other theories of1iterary criticism. Our task is  not to  reinvent our traditions as if they bore no relation to that tradition  created and borne, in the main, by white men. Our writers used that  impressive tradition to define themselves, both with and against  their concept of received order.... To rename is  to revise, and to  revise is初 日 伊i

CXXiii)

逃亡の段階で、白人の前で、はdouble‑facedで白人の裏を書く戦略を取る ビッガーの姿が描かれており、こうしたトリックスター的方法は黒人民話や 文学によく見られる signifyingの例と言える。 Signifyingについて、 Gates はRogerD. Abrahamsを引用して述べている。

Signiちringseems to be a N egro term, in use if not in origin. It can  mean any of a number of things; in the case of the toast about the  signifying monkey

, 

it certainly refers to the trickster's ability to talk  with great innuendo, to carp, cjole,needle, and lie. It can mean in  other instances the propensity to talk around a subject, never quite  coming to the point. It can mean making fun of a person or situation.  Also it  can denote speaking with the hands and eyes, and in this  respect encompasses a whole complex of expressions and gestures.  (54) 

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82 アメリカの息子』におけるビッガーの空間移動と言語の獲得

どッガーがチンピラ仲間のガスと白人のまねをして遊ぶシーンでは、白人 への恐怖から逃れるために、白人の言動をまね、からかうことで、権力の牙 を抜こうとしている。 Whatare you going to take up at this cabinet  meeting?' Gus asked.Well, you see, the niggers is  raising sand all over  the country' ,Bigger said, struggling to keep back his laughter.ιWe've got  to do something with these black folks....''' (22) 

また検事パックレーのホ。スターの標語を見たピッガーは、白人が法律を適 用する際の、本音と建て前の関係を軽べつしているO 選挙での賄賂の横行を 長日っているビッガーは、白人の社会を構成している法という言葉に注目する。

そして遵守すべき法には実は抜け穴があり、必ずしも守られるものではない という、この言葉の矛盾を当てこすって、「金さえ出せば勝たせるくせに」

と皮肉っているO IF YOU BREAK THE LAW, YOU CANT WIN!" You  let whoever pays you off win!"は7)さらに win"という言葉が権力を得る

ことにつながっていることから、権力者に付きまとう二重性を嘆ぎ取って述 べている。

最初からピッガーの影のようにその声を代弁する語り手の役割は、後半に ピッガーが目覚めていくにつれて変化し、そして最後にはビッガーは自分の 言葉を獲得しているO この言葉の獲得と自己認識、生の意味の獲得が重要な 主題となっている。本稿は、一見抗議小説的なリアリズムを用いながら、

Wrightがいかにビッガー・トーマスの声、言語の獲得というテーマを追求 しようとしたかという点を考察する。さらにこの言語の獲得を導くピッガー の空間移動について分析していきたい。空間の移動は殺人や逃亡というプロ ットの進行と連動しているが、同時にピッガーの置かれた日常からの決定的 な脱出をもたらし、逃亡の中での生の意味の発見は、ビッガーにとって新し

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『アメリカの息子Jにおけるピッガーの空間移動と言語の獲得 83  い視点の獲得と自ら選び、取った行動につながっていくO そして空間移動の中 で、ビッガーは、白人が黒人を人間として見るのではなく、劣等人種として しか見ていないこと、実際には黒人も白人も現実の姿を把握していないこと を知る。さらに白人の支配の道具である言語の二重性をピッガーは認識して いくO こうした空間移動は、殺人を犯した黒人の若者の混乱した逃亡の形を なぞりながら、ピッガ}がゆるぎない白人支配から抜け出て行くために自ら 選ぴ取る空間としてあり、最後には牢獄において自己の内部に自分の場所を 見つけ、自分の言葉で弁護士のマックスに生の意味を語ることができるよう になる。このようなピッガーにとって決定的な意味を持つ空間移動とビッガ ーの変化がどのように展開していくかを、第一章、 Fear"から見ていきた

身体化された白人への恐怖心に支配された若者のピッガーは、劣悪な環境 の黒人街に閉じ込められ、自分に何かとんでもないことが起こることに怯え ている。恐怖心と自分への怒りの中に閉じこめられ、それを他人に言葉で伝 えることができない。従って自分の恐怖心、不安感の原因と対処の仕方がわ からず、ピッガーはまわりの家族や、不良仲間にさえ自分の本心を見せるこ とができないでいる。彼の特概は、無関心、他人の拒絶、孤立であり、不安 が大きくなると他人への暴力によって自分の不安感や恐怖心をそらすことし か知らない。不良仲間のガスも「ラインの向こうの側、白人街に住んで、いる」

白人に対する恐怖は常に持っているが、未来のない状況を考えても仕方がな いとあきらめている。これに対しピッガーは、白人による過酷な黒人支配を

「白人はいつも俺の腹の中にいて俺を苦しめる」と身体に内在化させて捉え

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84 アメリカの息子jにおけるビッガーの空間移動と言語の獲得

ている。 Rightdown here in my stomach.... 

EV

eIγtime 1 think of' em, 1  feel'em." (24)さらにこれは監獄に暮らすのと変わらないと憤る。 They don't let us do nothing." (22) 

閉塞感の原因の一つは、狭い一間のアパートに家族4人が押し込められた 暮しにあるO ピッガーの暮らすサウスサイドなど黒人街では、古びた kitchenettes"が多く建ち並んで、いるoWrightは12Million Blαck Voices  で、これについて写真を添えて詳しく記述しているO 例えば、以前に白人が 住んで、いた7部屋付きの一軒の家を、アパートに改造してkichenettesを作 るO しかし7軒の各戸にはコンロと流しがついた一間しかないのであるO さ らに黒人にとって過酷なことに、この一間のkichenetteの家賃は元の白人 への賃貸料の二倍の値であった Whenthe whites folks move, the Bosses  of the Buildings let the property to us at rentals higher than those the  white paid." (210) 

狭い一部屋に押し込められ、脱出不可能なトーマス家の空間には父親は不 在である。現実に目をつぶり、白人の情けにすがっている母親が支える空間 であるO 窒息状態で、絶望感を日常性の中で飼いならすことのできないピッ ガーは、広告用の飛行機を見て、思わず拡大された空間への飛朔を夢見る。

しかし「もしもお前が黒人でなかったら、もしもお金持ちであれば、パイロ ットになれるだろうね」とガスの言う通り、直ちにその実現不可能性に気づ かされる。あまりの自分たちのみじめさに耐え切れないどッガーは、常に家 庭の安らぎや家族の鮮から顔を背けているO He shut their voices out of  his mind. He hated his family because he knew that they were suffering  and that he was powerless to help them." (13)同様にいつもいっしょにい

るガスに対しても白人の庖を襲う恐怖感を投影させ、自分への怒りを狂った

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『アメリカの息子』におけるピッガーの空間移動と言語の獲得 85  ように仲間のガスにぶつけ、他人に暴力的屈辱を味わせることで、自己嫌悪 をまぎらわせている。

ダルトン家に代表される白人の世界へのどッガーの空間移動と、そこで白 人の言語に控目し、自分を守るために利用していくビッガーの変化に焦点を 当てて論じていきたい。黒人街で自己の感情を抑制できないビッガーは、白 人の慈善家、ダルトン家の空間で一層恐怖感を増幅させる。ピッガーの家 は、小説の冒頭で鳴り渡る目覚まし時計の音が示すように、黒いネズミ騒動 と、家族の言い争いなど落ち着きのないざわつきで表されるO これと対照的 に、ダルトン家は広々として、ダルトン夫人が表しているように白いぼんや りとした姿が音もなく動き回る空間であるO Her face and hair were  completely white; she seems to him like a ghost." (48)またピッガーが起き 上がれずひっくり返ってしまうソファや、偵察しているかのように突然現れ る白い猫、それにメアリーの白い柔らかな体などは、ピッガーにとって、や わらかで、つかみ所がないというダルトン家の特徴である。 Misgiving how far back he was sitting in the chair, is first attempt to rise failed." 

(47)整然とした静けさが支配しているダルトン家の空間は、ビッガーが映函 館で見た、性的欲望に支配され、虚栄心に満ちた白人の家のイメージとは異 なり、冷ややかで、不安をかきたてるものとなるO The rich young woman  was dancing laughing with her lover." (133) 

ダルトン家では、白人の言葉の使い方は特別の意味を伝達し、それが黒人 の自分には理解ができないことに、初めてピッガーは気づくO そして後に白 人の言葉を真似たり、逆手にとって、自分の思い通りにするために言葉の効

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86 アメリカの息子』におけるピッガーの空間移動と言語の獲得

果を考えたりする。ダルトン家に雇われた運転手のピッガーは白人の町の中 を移動し、白人の文化の中に吸収され、できるだけ早く自信をもって環境に なじむことを要求された。ケーススタデイに興味を示す学者のようにダルト ン夫人はピッガーを取り扱う。 Usingthe analysis contained in the case  record the relief sent us, 1 think we should evoke an immediate feeling of  confidence. ..."  (48)夕、ルトン夫人にとってピッガーは ageneralized object  ofher cathartic altruismア(86)にすぎないと、 JamesNagelは述べているO

こうした夫人の言葉は、常に指示される側に立つピッガーには意味やトーン がつかめない。さらに娘のメアワーはどッガーに会うなり、組合に入ってい るかと尋ね、事情のわからないピッガーは雇い主であるダルトン氏の視線が 気になって、自分を苦境に追い込むかのようなメアリーに憎しみを感じるO

このように黒人の居住地から白人の空間に入ったビッガーは、白人の目には 実際の自分の姿を見せず、 HarrietBeecher Stoweの描いた従順な善意の黒 人像、アンクル・トムを演じるのが安全だとわかるO

この慈善家の家庭では、通常白人が要求する黒人としての行動基準があい まいなため、ピッガーは黒人としての分をわきまえない言動をして、首にな らないかと不安に思う。 JimCrowの制度下では、白人は黒人の領分に突然 入ってくることがあるが、黒人は許可なしに境界を越えられない。つまり一 方通行の進入なのである。ピッガーは移動の手段の車を持ち、運転手として ハンドルを握りながら、白人の空間で白人の文化を外から眺めるO ピッガー はそこに自分の休息の場所や自分の所有物を見いだすことはない。まして自 分の名前をそこに付けることはできない。ビッガー・トーマスという名は、

Nigger Tom"を示唆して、白人の目からみた柔順な黒人像、アンクル・ト ム的役割を期待される名前である。コミュニストであるジャンやメアリーは、

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『アメリカの息子Jにおけるビッガーの空間移動と言語の獲得 87  人間の平等を勝ちとるという主義上の目的を持ってビッガーに近づこうと

し、白人と黒人が対等だという立場を強調して、黒人街のレストランで共に 食事をしようとする。しかし、彼等には黒人の状況や心情は見えていないの で、ビッガ}がそれで窮地にたつとは考えが及ばないのである。

罰を怖れて決して入り込もうとはしなかった白人の空間に、ビッガーがつ いに移動する転換点となる場所は、メアリーの部屋である。 深酒して泥酔状 態、で、意識を失いかけたメアリーを抱えて二人でここに入った時に、ピッガー は白人と黒人を分ける境界を越えたことになるO 深夜にダルトン夫妻が百を さまして自分を各めるのではないか、と不安に押しつぶされそうになりなが らメアリーの部屋を探していた時は、境界線のことは意識に入っているC し かし碕閣の中で腰瀧とした意識でベッドに横たわるメアリーは、ピッガーに とっては脅威を与える白人ではなく、ベッシーよりももっとやわらかい肉体 を持つ女性であるO 初めてダルトン家のソファに座った時のように、ピッガ ーは、わけがわからず混乱してメアリ」のやわらかい肉体から離れがたくな る。 Hebounded halfway up, in fear; then realizing what had happened,  he sank distrustfully down again." (47)そしてその一瞬に、突然ダルトン 夫人が白い幽霊のように戸口に現れ、白人の世界の境界から自分の世界に戻 る出口を塞いでしまうO 深く根付いた白人への恐怖で、パニックに陥ったビッ ガーは、越境した自分の姿を隠すために、メアリーの肉声を押し殺すことに なる。

黒人男性にとって境界侵犯とされる最も危険な地帯であり、絶対に侵入し ではならない空間であるメアリーの部屋に入り、殺してしまったとたんに、

ピッガーは無力な黒人であるという現実に引き戻される。 Thereality of  the room fell from him; the vast city of white people that sprawled 

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88 アメリカの息子1におけるビッガーの空間移動と言語の獲得

outside took its place." (86)ビッガーは、小説の冒頭で部屋に侵入し殺され た黒いネズミのように、出口を捜して走り回りだす。そして次に進むのが、

地下室の空間であるO ここでピッガーは自分に割り当てられた仕事である炉 の管理を利用するO 白人の最も怖れる、ゆがめられた男性像とは、白人女性 への強いレイプ願望を持つ黒人で、当然リンチの対象である。白いぼんやり

とした、境界のよく見えないダルトン家で、この最も避けなければならない 民のような状況に入ってしまったピッガーは、害を撒き散らす黒いネズミの ように駆除されるしかない。しかし、ピッガーはこの炉を利用して、毘に入 った黒いネズミの niggerヘつまり、ゆがめられ押し付けられた像を燃やし てしまうのである。つまり偶然に殺してしまったメアリーの死体を燃やすこ とで、ビッガーは自分を窒息させ、不安に駆り立てていた白人から見た黒人 像をも燃やしてしまうO

ピッガーの腹の中に侵入し、底しれない不安を引き起こしていた白人の存 在は、ピッガーが初めて自分の自由意志で行動を起こすことにより消えてい くO He had murdered and had created a new life for himself. It was  something that was all his own

, 

and it was thersttime his life he had  had anything that others could not take 'omhim." (101)神のごとき力を 行使できる白人の家の中で、黒人が白人女性を殺し、その家の炉で燃やして 隠蔽できると、そのような知力と胆力を黒人が持っているなどと誰が想像で きるだろうか?この時からビッガーは探偵ブリテンや新聞記者の質問にも、

白人が何をどのように望んで、いるか考え、どのように振舞えばよいかを計算 し行動に移していく O He knew that white thought that all Negroes  yearned for white women, therefore he wanted to show a certain fearful  deference even when one's name was mentioned in his presence." (185) 

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『アメリカの息子』におけるビッガーの空間移動と言語の獲得 89  黒人街に空き家のまま放置されている誰も住んでいない空間を逃げ場とし て移動する中で、ピッガーはダルトン氏が黒人居住区の土地の持ち主である ことを知る。慈善家として黒人の教育に貢献し、青少年育成のために卓球施 設など何百万ドルも寄付をするダルトン氏は、同時に黒人を黒人街に閉じこ め、白人よりも高い家賃を払わせる会社の大株主であるO そして経済的に黒 人の居住空間を支配し、そこから膨大な収入を吸い上げている theSouth  Side Real Estate Companyの営業方針を立てている人物なのであるO マッ クスが法廷でこの矛盾について尋問した時、ダルトン氏は黒人街の貧困も、

他の地区の住宅を黒人には貸さないという慣習も、何ら自分に責任があるわ けではないと答えているO 1 didn't make the custom." (303)さらに Mr.

Dalton, doesn't this policy of your company tend to keep Negroes on the  South Side, in one area?"とのマックスの聞いに対し Wellitworks that  way. But 1 didn't originate.…" (303)と述べている。このように、 Jim Crowに従って、黒人をサウスサイドという一定の地域に閉じこめる役割を 果たしているダルトン氏は、まさにピッガーの腹の中にいる白人を代表して いると言える。

Mr. Dalton was somewhere far away, high up, distant, like a god. He  owned property all over the Black Belt.... Even though Mr. Dalton  gave millions of dollars for Negro education, he would rent houses to  Negroes only in this prescribed area

, 

this corner ofthe city tumbling  down from rot. (64) 

ダルトン氏への強迫状を書くことは、白人の支配の道具である言葉をうま

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90 アメリカの息子』におけるピッガーの空間移動と言語の獲得

く利用し、自らの言葉を獲得する一歩であるO 白人社会の中でその主張やイ デオロギーが疑問視されている共産主義者こそが白人の望む犯人像であり、

そうした白人の抱く悪のイメージで強迫状を出すことで、ピッガーは犯人と しての自分の姿を隠すことができる。こうした支配者に対する欺きや嘘は、

逃れようのない白人の支配を長年受けてきた黒人の民話や音楽にはよく見ら れる。4つまり黒人を理解しようとしない白人の盲目性に対し、黒人は自分の 運命を左右する白人の言動をよく知っているのである。こうした探偵ブリテ ンや警察の捜査やメアリーの捜索をかく乱し、台無しにする戦略は、 Gates のいう SignifyingMonkeyの行為と同じである。 Asanthropologists  demonstrate, the SigniちTingMonkey is  often called the Signifier, he who  wreaks havoc upon the Signified." (52)新聞などのメディアは、ビッガーが 強迫状で警察や探偵をだまして時間を引き延ばし、さらに共産主義者ジャン に罪をなすりつけようとしたことを、黒人にしては狭猪過ぎると一様に評し ている。さらにまた、メアリーとジャンの性的関係を尋ねられた時にビッガ ーは、ブリテンが信じ込んで、いる黒人男性のイメ」ジ、すなわち黒人男性は 白人女性に興味があるという偏見による批判を避ける為、わざと下を向いて、

明確な返答をすることを避けている。 GatesはBlackLiterαture & Literary  Theoryの中でそれを次のように述べている。 Signifyigcan also be  employed to reverse or undermine pretense or even one's opinion about  one's status. The use of repetition and reversal (chiasmus) constitutes an  implicit parody of a subject's own complicity in illusion." (289)このように

ピッガーが逃亡のために取る、白人の言動の繰り返し、まね、はぐらかし等 の様々の行為は、ピッガーの中に住む白人を殺し、自分の選んだ行動を取り、

黒人ではなく、白人が使いそうな言葉で強迫状を書くことで言葉の持つ力を

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『アメリカの息子』におけるビッガーの空間移動と言語の獲得 91  知る行為なのである。 Hethought a kidnap note.... He'd give something  that Britten to worry about... he felt a certain sense of power, a power  born of a latent capacity to live." (155) 

もはやピッガーは白人のために白人の空間を走る運転手ではなく、炉を管 理する召使でもなく、自分の場所となる自分の内面空間の獲得を求めている。

メアリーの殺人の前には黒人居住区も白人の町も共にすべて白人の支配下に あり、その地図や引かれた境界線はビッガーにとって絶対的なものだ、った。

道案内や進入禁止の標識の読み方は、白人の言葉で書かれ、決まっているの だが、ピッガーはそれを読み替えて前進している。白人の目には変化してい るビッガーの姿は見えず、ピッガーの目には、以前ぼんやりとした白いもの が支配していた世界の景色は変容して見える。 Never had he had a chance  to live out the consequence of his actions; never had his will been so free  as in this night and day of fear and murder and flight." (225)黒人の自由 な思考の行動を阻んでいた、白人のみが入れる一方通行の道も、ピッガーに は白人のディスコースが作り出した標識によって決められたことだとわかっ てくる。この黒人に対する閉じ込め、行動の規制、教育を受ける機会の剥奪 といった白人社会の考えは、ピッガーの逮捕時に報道された新聞記事に明確 に反映している。5

Sti1l another psychological deterrent can be attained by conditioning  Negroes so that they have to pay deference to the white person with  whom they have to ome in contact. This is  done by regulating their  speech and actions. We have found that the injection of an element of  constant fear has aided us greatly in handling the problem. (261) 

(17)

92 アメリカの息子』におけるビッガーの空間移動と言語の獲得

このように、経済的、政治的、さらに文化的にも黒人の社会的進出は禁じ られているのである。 Reillyは、 indirection" signiちring"と言う言葉を 使 っ てWrightが 描 く ビ ッ ガ ー の 戦 略 方 法 の 適 切 さ を 説 明 し て い るO

Signi

f Y

ing is, thus, an example of creative politics that draws upon a  store of knowledge about the way of white folks to achieve ends that  custom and prevalent racial assumptions deem improper." (42) 

慈善家としての顔を持つダルトン夫人は目が見えないため家の中に留まっ ているが、ダルトン氏を土地所有者として有力者に押し上げるために、強力 な経済的基礎を提供している。 Ifit wasn't for her, he would not be doing  what he does. She made him rich." (57)全身白い衣服に身を包んで、音も 立てずに移動する夫人は、ピッガーを脅かす理由のわからない恐怖のシンボ ルのようだ。メアリーの殺人の場で幽霊のように立っていた夫人の姿や、メ アリーの首を切断した時にぼんやりとした白い存在としてみていた猫のイメ ージは、姿を見せずにどッガーを支配する存在を示しているO A white  blur was standing by the door, silent, ghost like. It filled his eyes and  gripped his body." (84) Two green burning pools... stared at him from a  white blur that sat perched upon the edge of the trunk." (90)これはまた、

慈善家としてのダルトン氏の奥に臆された黒人支配者の性質につながる。さ らに現実のピッガーの姿が見えず、センチメンタルな善意を押し付けるメア リーもまた、母同様に盲目であるO 炉の中からメアリーの骨といっしょに発 見された片方のイヤリングが手がかりとなって、炉の中の骨はメアリーだと 判明するのだが、イヤリングは母から娘に代々伝えられ相続されてきたもの で、メアリーが白人文化の歴史や伝統の中でダルトン夫人の継承者であるこ とを示しているO このように黒人が進入しではならない境界があいまいに見

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『アメリカの息子jにおけるピッガーの空間移動と言語の獲得 93  えるダルトン家の空間は、あたかも過酷な境界線が存在しないかのようにみ せかけているO ピッガーの抱く白人のイメージは、人ではなく、突然襲って

くる自然の脅威である。 Theyare sort of great natural force, like a  stormy sky looming overhead, or like a deep swirling river stretching  suddenly at one's feet in the dark." (109)表面上は、白いやわらかいベール が覆っていてもその下や裏には暗く渦巻き、黒人を飲み込んでしまう恐ろし い世界があるというものだが、ダルトン一家の空間はまさにこの二重性のイ メージを体現しているのであるO

ピッガーを裁く社会的視点と、独房でのピッガーの自己認識及び言語の獲 得がどのようにこの主人公の生に意味を持つのかを考察していきたい。黒人 分離政策、 JimCrowを支える法の空間である裁判所では、ピッガーは徹底 的に黒人という集団の一人として扱われ、一人の人間とは見なされない。法 の空間では言語の役割がほとんど白人のためのものとして使われており、白 人の文化やそれを支える言葉を知らないピッガーは、その事件の当人である にもかかわらず、全く呉邦人のような存在となるO コミュニストの弁護士マ ックスの言葉を通して、裁判の進行や、結果を知るO ここで検事として白人 の世界を代弁するのがパックレーだが、彼の残酷さや黒人差別は、ステレオ タイプ的なもので、検事への再選をねらう個人的野心にピッガーの事件を利 用し、白人の憎悪をあおって裁判での圧倒的勝利をねらっている。しかしパ ックレーやメディアはビッガーを凶悪な黒人の一人としてしか考えず、一人 の人間として対することは決してない。これに対抗するマックスもまた、ピ ッガーの犯行を社会的差別が起こしたもので、白人側の偏見、差別的措置を

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94 アメリカの息子jにおけるピッガーの空間移動と言語の獲得 批判することに終始しているO

Remember that men can starve from a lack of self‑realization as  much as they can from a lack of bread!... The truth is, this boy did  not kill!.... He was living, only as he knew how, and as we forced him  to live.  The action that resulted in the death of those two women  were as instinctive and inevitable as breathing... It was an act of  creation! (366) 

しかしピッガーは多くの白人と敵対して自分を弁護するマックスの姿勢に初 めて他人に信頼感を抱き、偏見なしに白人と語る機会を持つ。

独房の空間に閉じこめられるが、ここでピッガーは初めて自分の内部に自 己の場所を見つけることができる。そしてそれまでの不安や苦しみから自由 になり、他人とつながることができる。マックスに対し、自分自身の内で言 語化してきた以上に濃密に話したことに気づき、それで、落ち着きを得るO

He could not remember when he had felt as relaxed as this before...  it was not until after Max had gone that he discovered that he had  spoken to Max as he had never spoken to anyone in his life; not even  to himself. And his talking had eased from his shoulders a heavy  burden. (333) 

さらにマックスとの語らいの中で自分が認められた気がし、自分が何かを 持っている人間として発言したことに気づくのであるO but in Max's 

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『アメリカの息子』におけるピッガーの空間移動と言語の獲得 95  asking of those questions he had felt a recognition of his life, of his  feeling, of his person that he had never encountered before(333)そして 人と人の間の信頼を初めて知る。 Butthis

, 

this ‑ confidence?" (333)さら に、何かを持っている人間としての自分を驚きと共に発見する。つまり宗教 は望まず、自分の置かれた場所に留まっていなかった人間としての自覚であ る。 Hehad told Max that he did not want religion, that he had not  stayed in his place" (333)尋問に備えてのマックスの質問をきっかけに初め て自分の生の意味を考え始めた時、ピッガーは他人とつながりたいと強く願 うO そして白人からの憎悪ゆえに、いつも他の人間と関わることを避けてき たピッガーにとって、人とのつながりの中で自分を見つめようとすることは、

自己発見の大きな一歩となった。 Hestood up in the middle of the cell  floor and tried to see himself in relation to other men, a thing he had  always feared to try do,so deeply attained was his own mind with the  hate of others for him." (334)一人の人間として自分の選んだ行為とその結 果を直視し、それを引き受けようとすることが、同様に一人の人間である他 人をみつめることに行き着く。そして自分の生の意味を他人との関係におい てつかみたいと初めて心から願うのである。 Hewould not mind dying  now if he could only find out what this meant, what he was in relation to  all the others that lived, and earth upon which he stood." (336)そして以 前には身体化された不安や怒りをどこかにぶつけることでしか自己表現でき なかったピッガーは、自分に深く根付いた白人への恐怖こそがメアリーを殺 すことにつながったことを認識する。そしてその結果として自分に課された 死刑を受け止めようとするのであるO つまり白人への怖れゆえに、自ら目を つぶり、深い沈黙を強いられていたビッガーは、黒人としてではなく、一人

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96 アメリカの息子jにおけるピッガーの空間移動と言語の獲得

の人間としての自分の姿を直視し、自分で選んだ行為を肯定する。そして初 めて信頼関係を築けたマックスにそんな自分を理解してもらいたいと、必死 で自分の言葉を探す。しかしピッガーが語りたい唯一の他人であるマックス は 1didn't want to kill! But what 1 killed for

, 

1 am! It must've been  pretty deep in me to make me kill!  1 must have fe1t it  awful hard to  murder...." (391)というピッガーの言葉を理解できないままに終わるO マッ クスはピッガーの最大の理解者なのだが、深く同情をすることはできても、

彼を救うことはできない。ピッガーが自ら考え、そこから自分の言葉を獲得 し、マックスに語ることができたことで、ピッガーの自由を求める空間移動 は完成するのであるO

ピッガーの置かれていた過酷な状況は耐えがたいものであり、何か自分に 恐ろしいことがきっと起こると自分で予感していたかのように、殺人事件は 起こる。ピッガーは自分が白人による差別ゆえに生きながら抹殺されている ことを実感しているのである。しかし他の黒人、例えば、ピッガーの母やベ ッシー、チンピラ仲間のガスたちのようにその状況でその事実に目をふさい で、息をこらして生き延びようとする人間もいるO このような中でどッガー は意図せずしてメアリーを殺したことで、黒人が置かれている過酷な日常性、

つまり変えようのない現実から抜け出ることになる。殺人を犯してしまうこ とが恐ろしいことであるように、人が現状から抜け出て、予測のできない得 体の知れない力を及ぼす空間を否応なくあるいは、みずから選んで移動する のは恐ろしいことだろう。黒人の直面する想像を絶するような現実の中でさ え、自らの存在の本質を考えることもなく、ほとんどの人はあきらめのうち に自らの感覚や思考を閉じて、現状を超えるような契機をもたないものであ る。従ってメアリーの死後、死体を燃やしたり、脅迫状を出したりといった

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『アメリカの息子』におけるビッガーの空間移動と言語の獲得 97  様々な反逆行為を行ったが、これは自分を支配していたものを抹殺し、自由

を求めて自らの生の主人公たらんとするビッガーの必然的行為で、あるO つま り、 badnigger"の単なる逃避行ではなく、自分の置かれた現実を超えるた めに、予測のつかないような恐ろしい力を及ぼす空間に自ら飛び込んでいく ことであったと言える。

白人の世界はどッガーにとって逆らうことが不可能な自然の脅威としてあ り、これを自ら進んで超えることは、思考の武器である言語を持たないビッ ガーのような存在には不可能であった。従って、白人女性をレイブし、殺し た残忍な黒人、駆除すべき黒いネズミという白人によって書かれた筋書きに 抗うことによって、ピッガーは初めて自分で選んだ行為、つまり自ら進んで 空間の移動を始めるのである。シカゴのごみためのようなゲットーであるサ ウスサイドに生まれ、ダルトン家に代表される白人の空間に入ることで、白 人の持つ二重性、偽善性に気づく。さらに逃亡中には、メディアカ九叶冶にゆ がんだ黒人のイメージを言葉によって増殖させ、人々の心に憎悪を植え付け るかを知る。また法廷や政治において、パックレーに代表される支配者は権 力を維持するためにいかに言葉によって黒人差別を利用しているかを、ピッ ガーは感じ取っている。こういった空間移動を通して、ビッガ}は自分が獲 得した生の意味を表現する言葉を持ちたいと強く願うのであるO なぜ、なら白 人によって押し付けられた「醜いサル」、 nigger"でしかない自分を表す言 葉は、嘘であり、表面上のものだからであるO 自分がどこから生まれて、ど こを通り、どこに行きついたのかという本質的な空間移動を考えることは、

ビッガーにとって自己の内面に初めて自分の場所を見つけたことにつながっ ているのであるO このように死を前に到達したビッガーの自己認識は、以前 に、殺人の後や逃亡中に感じていたような勝ち誇った感情ではなく、もっと

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98 アメリカの息子』におけるビッガーの空間移動と言語の獲得

落ち着いたものである。怒りや不安に苦しんだ末、もはや自分を憎み、他人 のせいにして暴力に訴えることはない。二人の女性を殺し、死刑になる自分 を、自分の選んだ行為として受け入れている。『アメリカの息子』の主人公 は、白人の作り上げた空間を移動し、それを否定し、自己の内面深くにそれ に取って代わる空間を、つまり一人の人間としての場所と言語を作ることに 成功するのである。これはWrightが当時自分の人生において望んでいたこ とであり、カノンに対し周辺におかれていた黒人の文学を自らのディスコー スを探求することで、築こうとした姿勢と重なっている。

1. For Bigger's tragedy is not that he is cold or black or hungry... but that he  has accepted a theology that denies him life, that he admits the possibility of  his being sub‑human and feels constrained.... The failure of the protest novel  lies in its rjectionof life, the human being, the denial of his beauty, dread,  power, in its insistence that it  is his categorization alone which is  real and  which cannot be transcended." (17) 

2.社会生活上の差別と隔離政策のJimCrow法は1890年から1910年に全南部 で確立され、学校やパス、レストラン、劇場、プールなどあらゆる場所で segregationが制度化された。また黒人による強姦の罪には、死刑を適用し、黒 人と白人の結婚にも罰金や懲役刑が課された。さらに陪審員に黒人を採用しない 慣行のため、黒人の犯罪には特に過酷な判決が下された。『黒人文学全集 別巻』

早川出版Cp.24850)

3.  Wright12Million Black Voicesの中でさらに詳しく述べている。 And Bosses of the Buildings take these old houses and convert them into  kitchenettes' and then rent them to us at ratesohigh that they make  fabulous fortunes before the houses are too old for habitation. What they do is  this: they take, say, seven‑room apartment, which rents for $50 month to 

(24)

『アメリカの息子』におけるピッガーの空間移動と言語の獲得 99  whites, and cut it  up intoevensmall apartments, of one room each; they  install one small gas stove and one small sink in each room. The Bosses of the  Buildings rent these kitchenettes to us at the rate of, say, $6 a week. Hence,  the same apartment for which white people ‑ who can get jobanywhere and who receive higher wages than we ‑ pay $50 a month is rented to us for 

$42 a week!" (p.21011) 

4.  Gate自はTheSignifying Monkeyの中で、 FrederickDouglasによる 1855 Narrativeを引用して次のように説明している。 Writingabout the genesis  ofthe lyrics ofblack song, Douglanotedthe crucial role of the signifier in the  determination of meaning: 

The slaves would compose and sing as they went along, consulting neither  time nor tune... they would sing, as a chorus, to many seem unmeaning  jargon, but which, nevertheless, were full of meaning to themselves.  Douglas continues his discussion by maintaining that his fellow slaves would  sing the most pathetic sentiment in the most rapturous tone, and most  rapturous sentiment in the most pathetic tone 'set of oppositions which led  to the song's misreading by nonslaves." (6667)

5.黒人の教育や行動の規範に関する白人の考え方は、 NativeSonの中で、ピッ ガーが逮捕された後の新開記事によく反映されている。 Crimessuch as the  Bigger Thomas murders could be lessened by segregating all Negroes in  parks, playgrounds, cafes, the measures tend to keep them as much as  possible out of direct contact with white women and le自白entheir attacks  against them. If separate schools were maintained, it would be fairly easy to  limit the Negroes' education by regulating the appropriation of money  through city, county, and state legislative bodie自."(261) 

Works Cited 

Abraham, Roger D. Deep Down in the Jungle: Negro Narrαtive Folklore from 

参照

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