• 検索結果がありません。

行政組織の環境適応に関する一考察 : 組織文化の 視点より

N/A
N/A
Protected

Academic year: 2021

シェア "行政組織の環境適応に関する一考察 : 組織文化の 視点より"

Copied!
21
0
0

読み込み中.... (全文を見る)

全文

(1)

視点より

著者 中嶋 学

雑誌名 同志社政策科学研究

巻 2

ページ 195‑214

発行年 2000‑12‑20

権利 同志社大学大学院総合政策科学会

URL http://doi.org/10.14988/pa.2017.0000004725

(2)

行政組織の環境適応に関する一考察

―組織文化の視点よりー

中 嶋  学

あらまし

 社会環境の急速な変化及び社会的要請に適応 した行政活動を行うために、行政組織も環境適 応していくことが必要であるという前提に立ち、

組織が環境適応を行なうためには活動を規定し ている組織の認識が変化する必要があるとして、

組織の環境適応を組織の認識及び組織文化の変 化と位置づけ、組織文化概念を用いて行政組織 の組織学習モデルを構築・検証する。組織文化を 変化させるものとして組織学習の概念を位置づ け、行政組織の組織学習の特徴を明らかにする ことにより、行政組織の環境適応の特徴を考察 する。

1.はじめに

 近年、社会を取り巻く環境は急速に変化して いる。OA技術の発達に伴う情報化により生活が 便利になった反面、少子・高齢化社会の出現、オ ゾン層の破壊や大量の二酸化炭素の排出による 地球温暖化という地球環境の悪化などの様々な 課題が発生している。

 このような状況の下、行政組織も社会環境の 急速な変化に適応した行政活動を行っていくこ とが求められる。しかし、現実には行政組織は社 会環境に適応していないと思われる。その一つ の例が自然環境の保護に関してである。長良川 河口堰建設問題に象徴されるように、自然環境

の保護をめぐり行政組織と市民の対立が頻発し ている。行政組織が自然環境の保護という社会 的要請に対して適応できていない結果が、行政 組織と市民との対立という形として表出してい ると考えられるのである。

 それでは社会環境の変化に適応した活動を行 なうためには何が必要となるのであろうか。組 織の活動は、その組織の「ものの見方」に規定さ れる。組織はその合理性に限界があるため、社会 環境のすべての局面を認識することはできない

1。そこで、組織の目的に従って、環境のどの部 分に注目するかという注意の焦点を決める2。 よって、注意の焦点が異なるために「ものの見 方」が異なり、それが組織の活動に反映される。

例えば、建設省と環境庁という行政組織を考え た場合に、長良川という対象に対して、建設省は 河口堰建設という行政活動を行い、環境庁は長 良川に生息するサツキマスを絶滅危惧種に指定 するという行政活動を行なうというように、全 く異なる活動を行なっている。さらに、環境庁 は、長良川河口堰の建設に反対の意向を示しさ えした。

 本稿では、組織の「ものの見方」である認識が、

組織活動を規定しているという考えに立ち、組 織が環境に適応するためには、その活動を規定 している組織の認識が変化する必要があると考 え、組織の環境適応を組織の認識の変化と位置 づける。

 しかし、これまでの行政組織の環境適応に関 する議論をみると、認識の変化という観点から

  1March, J. G. and H. A. Simon, Organizations, Wiley, 1958.(土屋守章『オーガニゼーションズ』, ダイヤモンド社 , 1977 年 , 232 ペー ジ。)

  2同上 , 231 ページ。

(3)

行政組織の環境適応を論じるということはなさ れていなかったように思われる。本稿では、行政 組織がいかに認識を変化させるかという点から、

行政組織の環境適応の特徴を考察していく。

2.組織の認識と組織文化

 この節では、組織の認識を Schein の組織文化 の概念の中に位置づける。このことにより、組織 の認識が組織内で共有化される理由と、組織ご とに認識の仕方が異なる理由が明らかになるか らである。

 組織文化という概念はあいまいに扱われてお り、組織構造で説明できない現象はすべて組織 文化に帰属された。そのため、「創造的な組織は 創造的な文化をもっている」という程度の説明 力の乏しい命題しか得られず、理論的分析には 適していなかった3

 しかし、Schein は組織文化を、「ある特定のグ ループが外部への適応や内部統合の問題に対処 する際に学習した、グループ自身によって、創ら れ、発見され、または、発展させられた基本的仮 定のパターン ―― それはよく機能して有効と認 められ、したがって、新しいメンバーに、そうし た問題に関しての知覚、思考、感覚の正しい方法 として教え込まれる4」と定義した。組織文化を 彼のように定義するならば、「組織内の様々な現 象や複雑な組織行動は、基礎的仮定5の視点から 統一的に解釈できる6」のである。組織活動を統 一的に解釈できる視点は有用であり、本稿にお ける組織文化の概念は Schein によるものを利用 する。また、Scheinは組織文化を以下の三つのレ ベルに分類している7

①基本的仮定:組織のメンバーに「当然のこ と」とみなされているために、そのメンバー は他の前提に立った行動は想像もできない。

ある問題に対する解決策が繰り返し機能す

ると、仮定だったものが徐々に一つの現実 として受容されるようになり、「当然のこ と」とみなされるようになる。さらには、あ まりに当然のこととなり、意識されなくな る。基本的仮定には、(i)自然に対する人間 の関係、(ii)現実と真理の本質、(iii)人間 性の本質、(iv)人間活動の本質、(v)人間 関係の本質の五項目が含まれている8

②価値レベル:「どうあるべきか」についての 信念や知識を反映したものである。組織に おいては、社会環境への適応はいかにある べきか、組織内部の統合はいかにあるべき かという問題についての組織内部の合意を 含む。

③人工物レベル:観察可能なレベルであり、物 理的空間、技術的な成果、書かれたり話され たりする言語、メンバーの行動パターンな どである。

 Schein は、「ひとたび文化が共有された仮定と いう意味で存在し始めると、今度は、それらの仮 定が環境の何を知覚し、環境をどう認識するか に影響を及ぼす9」と述べているが、組織文化の どのレベルが認識に直接関わるかは明確にして いない。よって、組織の認識と組織文化の関係を 明確にしておきたい。結論からいえば、組織の認 識は組織文化の価値レベルにより決まる。

 組織はその合理性に限界があるため、社会環 境のすべての局面を認識することはできない。

そこで組織は、組織の使命、さらには使命から導 き出される目的に従って、社会環境のどの部分 に注目するかという注意の焦点、つまり認識の 仕方を決定する。組織の使命、目的は、組織の社 会環境への適応はいかにあるべきかという考え を反映するので、組織文化の価値レベルに関わ るものである。よって組織の認識は価値レベル により決まり、組織の使命、目的に関する合意が ある限り、組織の認識は組織メンバーにより共 有される。また、組織はそれぞれ異なった使命、

  3桑田「組織文化と組織行動」, 『経済と経済学』, 1988 年 , 35 ページ。

  4Schein, E. H., Organization Culture and Leadership, San Francisco: Jossy-Bass, 1985. (清水紀彦・浜田幸雄訳『組織文化とリーダーシッ プ』, ダイヤモンド社 , 1989 年 , 12 ページ。)

  5Schein のいう basic assumption に対して、桑田は「基礎的仮定」という訳語を当てているが、本稿では「基本的仮定」という訳語 を使用する。

  6桑田 , 前掲書 , 1988 年 , 36 ページ。

  7Schein, 前掲書 , 18 〜 26 ページ。

  8同上 , 108 ページ。

  9同上 , 68 ページ。

(4)

目的をもっており、ゆえに各組織の認識も異な るものとなる。

3.組織学習と組織の環境適応 3.1 組織学習の概念

 2節において、組織の認識を組織文化の中に 位置づけたが、組織文化がいかに発展し変化して いくのかを説明するのが組織学習の理論である10。  Schein は組織文化を変化させる基本的な組織 学習メカニズムとして、積極的学習と回避学習 の二種類の学習メカニズムを挙げている11。ま た、Scheinによる組織文化概念の特徴は、組織文 化を人工物レベル、価値レベル、基本的仮定とい う三つのレベルに分類したところにあるので、

その組織文化を変化させる組織学習を論じる場 合には、組織文化のレベルに対応した組織学習 のレベルを考慮する必要がある。よって、組織文 化を変化させる組織学習を組織学習のメカニズ ム、組織学習のレベルという二点から捉えるこ とにする。

 Scheinが基本的な組織学習メカニズムとした積 極的学習と回避学習は以下のような特徴をもつ12

①積極的学習:積極的に問題の解決に取り組ん でいる状況では、目標に対して何らかの効 果が認められるまで対応策が試される。有 効性が繰り返し確認された解決策は、組織 の知識として蓄積され、有効性が評価され なくなるまで保持される。積極的学習にお いて獲得された知識は、目標がはっきりし ているので、機能しなくなったことが認識 されやすい。

②回避学習:不安を回避しようとする状況で は、目標とすべき不安の源泉が明確でない ことも多いので、手当たり次第の対応にな る傾向が強い。手当たり次第の対応からも すばらしい解決策が生まれる可能性はあり、

この点において問題はない。しかし、問題は 一度苦痛や不安が回避されると、不安回避

に役立った知識が際限なく繰り返される傾 向があることである。不安を回避したいと いう意識が植え付けられてしまい、実際に 不安の原因が消えた後でも、その知識が繰 り返されることになりやすい。回避学習に より一度身につけた知識は変化しにくい。

それゆえ、環境変化への適応が遅れる。

 また、組織学習に関する文献をレビューした Fiol・Lylesは、組織学習が低次学習と高次学習と いう二つのレベルに分類できることを示した。低 次学習と高次学習の特徴は以下のようになる13

①低次学習:単なる既存の行為の繰り返しや 部分修正であり、表面的で短期的な影響を 組織に及ぼす。

②高次学習:特定の行為や活動の変化ではな く、組織全体におよぶルールや規範の変化 に関わり、その変化は組織全体に長期間に およぶ影響を与える。低次学習と比較して 組織の認識過程の変化に深く関わる。

 また、Argyris・Schon は低次学習と高次学習を シングル・ループ学習、ダブル・ループ学習とい う用語を用いて分類している14

 学習のメカニズムおよび学習のレベルという 二つの軸を用いると組織学習は、図−1のよう に分類できる。縦軸は組織学習のメカニズムで あり、横軸は組織学習のレベルである。

 低次学習は、積極的学習、回避学習のどちらの 学習メカニズムを通じても生じ、また、高次学習

10Schein, 前掲書 , 234 ページ。

11同上 , 222 〜 227 ページ。

12積極的学習と回避学習の特徴については、伊藤信二「学習のメカニズムと組織革新」, 『組織科学』, Vol.24, No.2, 1991 年を参照。

13Fiol, C. M., and M. A. Lyles, "Organizational Learning," Academy of Management Review, Vol.10, No.4, 1985, pp.807-808.

14Argyris, C., and D. A. Schon, Organizational Learning II, Addison-Wesley, 1996, pp.20-21.

図−1 学習の類型

①積極的・低次学習 ③積極的・高次学習

②回避・低次学習 ④回避・高次学習

(5)

も積極的学習、回避学習のいずれの学習メカニ ズムによっても生じるのである。さらに、それぞ れの高次学習の過程は、後述する「尋問型」、「知 識蒸留型」に分かれる。以下では、尋問型と知識 蒸留型という組織学習過程の説明を行ないたい。

 Argyris・Schon は、「尋問(inquiry)」を Dewey の定義を用いて「発生した疑問を解決に至らし める行為と思考の組合せ」とし、組織学習は「尋 問」により生じるとしている15。組織活動の結果 が予測していたものと大幅にズレていた場合、

既存の基本的仮定、価値レベルが根底から大き く揺さ振りを受け、組織活動を規定している基 本的仮定、価値レベルに対して尋問が起こる。尋 問の結果、それらが変化した場合に、組織が高次 学習を行ったということになる。尋問型高次学 習は、組織の既存の価値・規範である価値レベ ル、基本的仮定の妥当さ、適切さを見極め、そし て必要ならば修正し、今後に予想される環境に ふさわしい価値・規範に変えるか、全く新しい発 想と着目にもどづいた価値レベル、基本的仮定 を創り出すものである16

 しかし、尋問による高次学習は、以下の三つの 理由により生じにくい17

①尋問により高次学習が生じるためには、既 成のものよりも新しいものが有用であるこ とが立証されなければならない。しかし、基 本的仮定は、組織にとって根源的であるが ゆえにそれを評価する価値前提が存在しな い。

②基本的仮定は組織のメンバーの間において

「当然のもの」と考えられており、無意識な ものとなっているので、尋問が起こっても どの仮定が有効でどの仮定が無効であるか という識別をすることが不可能である。

③基本的仮定は、社会環境からのインプット のうち何が重要で、何が重要でないかを選 り分けることにより、組織メンバーが認知 の不確実性や過剰性から経験する不安を軽 減する機能を果す。したがって、たとえ新た な基本的仮定のほうが機能するかもしれな

くても、安定をもたらしてきた基本的仮定 を捨てることは不安を作り出すので基本的 仮定は変化しにくいのである。

 本稿における低次学習、高次学習に対して、そ れぞれ「ビジネス・ラーニング」、「ストラテジッ ク・ラーニング」18という用語をもちいて組織学 習のレベルを区別している桑田は、組織学習の 過程を「知識蒸留」の過程として捉えている19。 以下で知識蒸留過程の説明を行いたい20。  尋問による高次学習が生じにくい理由は前述 したが、それらの理由により、高次学習が生じる 場合は、組織メンバーにとって高次学習を尋問 のように明確に意識される形ではなく、自然な 流れとして受け止められることが重要となる。

はじめに、組織活動が従来の基本的仮定の枠内 で生じた場合、この活動は自然なプロセスとみ なされる。活動による経験を通じた学習は「アク ション・ラーニング」と呼ばれるが、アクション・

ラーニングにより組織は人工物レベルを変化さ せていく。低次学習を通じた人工物レベルの変 化とさらにその変化を基にした新たな活動の展 開により、組織は出発点となった基本的仮定か ら遠く離れた活動を行っていることに気づくこ とになる。

 こうして得られた人工物レベルの変化は、価 値レベルへと蒸留される。この際、低次学習の内 容は一般化、抽象化されていく。この蒸留過程は 行為と認知が相互作用していく社会的学習プロ セスである。

 次に基本的仮定への蒸留が生じる。価値レベ ルは、繰り返し使用されることにより、もともと 特定の状況で使用されていたものが「当然のこ と」として考えられるようになり、徐々にひとつ の「事実」として取り扱われるようになる。「事 実」がさらに繰り返し使用されると、最終的には 意識の底に沈み、その「事実」に基づいた活動以 外は考えられないといった基本的仮定となるの である。この蒸留の結果、基本的仮定の集合の一 部の要素が変化する。

 Schein は組織文化の変革過程を次のように考

15Argyris and Schon, op. cit.,  p.11.

16古川久敬『構造こわし』, 誠信書房 , 1990 年 , 73 ページ。

17桑田耕太郎「ストラテジック・ラーニングと組織の長期適応」, 『組織科学』, Vol.25, No.1, 1991 年 , 26 ページ。

18桑田耕太郎「組織学習と企業成長(Ⅰ)」,『経済と経済学』, No.73, 1993 年 , 78 ページ。

19桑田 , 前掲書 , 1991 年 , 27 ページ。

20知識蒸留過程の説明は同上 , 30 〜 32 ページに負う。

(6)

えている。組織は、相互作用し合うことによっ て、既存の基本的仮定に適合しない新たな活動

(人工物レベル)を創造する。そして、この活動 は既存の基本的仮定に適合させられるか、また は基本的仮定の変更を強いるかする21。Schein の 組織文化の変革過程の観点から、Argyris・Schon の尋問型高次学習の過程と桑田の知識蒸留型高 次学習の過程との関係を整理すると次のように なる。

 尋問型高次学習にしろ、知識蒸留型高次学習 にしろどちらも新たな活動が既存の基本的仮定 の変化をもたらしている点では同じである。旧 来から存在し続けてきた基本的仮定、価値レベ ルが尋問により新たなものに変化する尋問型高 次学習は、起こりにくいが生じる可能性はある。

また、新しい基本的仮定、本来的価値が組織内で 葛藤や緊張を生まず、自然な流れのなかで、その 一部が変化する知識蒸留型高次学習というパ ターンも存在する。このように、二つの学習過程 は対立するものではなく、パターンの相違として 考えることができる。本稿においても、高次学習 を尋問型高次学習、知識蒸留型高次学習のいずれ のパターンによっても生じるものとして考える。

3.2 行政組織の組織学習

 ここでは、3.3 において行政組織の組織学習モ デルを設定するために、行政組織の変化を取り 扱った具体的事例を組織学習という観点から再 構成し、行政組織の組織学習パターンの特徴を 抽出する。それに先立ち、組織学習により変化す る組織文化の基本的仮定にあたるものを、行政 組織においては公益観であると位置づける。

 Schubertは、行政官の公益観を以下の三つに大 別した22

①合理主義:行政活動の目的は所与のものと 考える。意思決定の過程は、価値中立的な技 術的な過程であり、行政官の権威は専門的 能力に由来すると考える。行政官の公益へ

の関わり方は、与えられた目的をいかに効 率よく達成するかというように手段・手続 が中心となる。

②理想主義:立法機関を公共政策の作成者と して不十分、不適当なものとみなし、公益を 意思決定過程から独立した絶対的なものと 考える。行政官が公益の本質を感知するこ とにより公益は創造され、行政官が「しかる べきである」と考えたことが公益となると 考える。

③現実主義:「公共の意志」や「公益」の存在 に対して懐疑的である。公益は様々な利益 団体がもちよる個別利益が平和的に調整さ れた結果だと考える。それぞれの利益団体 が満足するように個別利益を調整し均衡さ せた時、それが不可能な場合は、不均衡を最 小限にした時に、行政官は公益に最大限に 貢献したと考えられる。

 Schebert によれば、これら三種類の公益観は、

行政活動が問題なく行われているのであれば、

三つの概念の間に価値の優劣は存在しない。ま た、真渕は、Schebert の公益観が行政活動が「い かにあるべきか」という価値観に影響を与えて いると捉えている23

 よって、公益観は「いかにあるべきか」という 価値観に影響を与え、また、各公益観の優劣を決 める基準となる上位の価値が存在しないことよ り、行政組織にとって根源的な基本的仮定の一 つと考えることができる。

 真渕は、日本の官僚制全体を分析単位とし、公 益観を分析した結果、Schebert のいう「合理主 義」、「理想主義」、「現実主義」の公益観の三類型 を日本の行政官の意識から検出した24。さらに、

真渕は 1960 年代には理想主義、70 年代には現実 主義、80 年代には合理主義の公益観が日本の官 僚制全体を分析単位としたときは優勢であった としている25。このことより、60年代後半から70 年代前半に理想主義から現実主義への、また、70 年代後半から 80 年代前半に現実主義から合理主 義への公益観の変化が生じたと考えられる。

21Schein, 前掲書 , 387 ページ。

22Schubert, G. A., " "The Public Interest" in Administrative Decision-Making: Theorem, Theosophy, or Theory," The American Political Science Review, Vol.51, No.2, 1957, pp.347-348.

23真渕勝「現代官僚の「公益」観」, 『季刊行政管理研究』, No.40, 1987 年 , 14 〜 15 ページを参照。

24同上 , 17 〜 18 ページ。

25真渕勝「官僚制の後退?」, 『組織科学』, Vol.28, No.3, 1994 年(a), 31 〜 32 ページ。

(7)

(1) 大蔵省の事例分析

 真渕は、金融行政を例にとり、大蔵省の公益観 が現実主義から合理主義へと変化したことを証 明している。大蔵省の公益観の変化を、基本的仮 定の変化として捉え、組織学習の観点から金融 行政の変化を再構成してみたい26

 1975 年以降、一般会計における国債依存度が 急激に上昇した。国債依存率は 1975 年度当初予 算では9.4%であったが、補正後は26.3%に達し、

79 年度には 39.6%にものぼった。国債の大部分 は銀行に割当られ、国家財政は銀行の協力なく しては成り立たない状況になっていた。大蔵省 が銀行業界へ依存する形となり、大蔵省は銀行 業界への影響力を低下させていき、銀行業界と いう利益団体の影響力は相対的に増大した。そ の結果として、70 年代の半ばに銀行業界から導 入が要求され、大蔵省が無視した譲渡性預金

(CD)が、1979 年に導入され、1984 年にはその 利用範囲の拡大という銀行業界の要求を大蔵省 が承諾した。

 さらに、官僚優位の政治体制から政党優位の 政治体制へ移行するにしたがい、予算編成にお ける主導権が主計局から自民党政務調査会へ移 行することも、大蔵省の影響力が低下する原因 となった。

 影響力の低下に対して、行政組織は二通りの 対抗策をもっている。一つは、影響力に頼らず に、行政活動を行なうために法律に基づく権限を 用いることであり、もう一つは、民営化、規制緩 和などにより活動領域を限定することにより、社 会と相互作用する機会を減少させることである27。  影響力の低下に対して、大蔵省は 1981 年に銀 行法改正を行なった。旧銀行法は 1927 年に制定 され、37 条から構成されていた。旧銀行法はシ ンプルで解釈の余地の多い法律であり、金融行 政を通達等の行政指導28によって行うことと適合 的であった。これに対し、新法では、条文数が66

条に増加した。これは「従来から行われていた通 達等による行政指導のうち、主要なものを法令 に取り入れた29」ためであり、影響力に頼らずに 行政活動を行なおうとする大蔵省の意図の表れ であった。

 また、大蔵省は社会との相互作用の機会を減 少させるために金融自由化のための金融制度改 革を行なった。金融制度改革は 1983 年から 1984 年にかけて行なわれた日米円ドル交渉の結果、

「アメリカが外圧を加えるという形で動きの鈍い 日本のシステムに働きかけることによって、よ うやく制度改革は離陸した30」というように外圧 の助けを借りて実現したのである。

(2)大蔵省の組織学習パターン

 大蔵省がもともと保持していた現実主義的公 益観に基づけば、それぞれの利益団体が満足す るように個別利益を調整し均衡させた時、それ が不可能な場合は、不均衡を最小限にした場合 に、公益に最大限に貢献したことになる。しか し、大蔵省は、影響力の低下につれ、現実主義的 公益観に基づいた活動を行なう能力、つまり調 整能力を低下させていった。調整能力の低下が 象徴的に表れたのが、銀行業界の要求による CD の導入、利用範囲の拡大であった。

 Scheinの組織文化変革過程からすると、調整能 力の低下に伴う行政活動の変化が既成の基本的 仮定に変化をもたらしたのである。大蔵省の基 本的仮定である公益観の変化は、徐々に影響力 を低下させた結果、公益観が変化したことから も分かるように、何かを境に公益観が変化した という尋問型高次学習ではなく、自然の流れの 中で公益観が変化する知識蒸留型高次学習で あったと考えられる。

 知識蒸留型高次学習が進行し、公益観が変化 しつつある中で生じた行政活動の変化が、銀行 法改正であった。しかし、もう一つの変化である 金融制度改革が生じるのは日米円ドル交渉とい

26大蔵省の公益観の変化の事例は、主として真渕勝「金融行政の変化:脱規制と法制化」, 『季刊行政管理研究』, No.53, 1991 年。

真渕 , 前掲書 , 1994 年(a)。真渕勝「財政・金融政策」, 西尾勝・村松岐夫編『講座行政学 3 政策と行政』, 有斐閣 , 1994 年(b)

を参照。

27真渕 , 前掲書 , 1994 年(a), 34 ページ。

28「行政指導は、法律上の強制力(法律効果)ではなく、事実上の強制力のみに基づく相手の『自発的』協力行動により、ある政策 目的を実現するように相手に働きかけるような政策手段である」と大山が指摘しているように、行政指導が有効に機能するか否 かは行政組織の影響力が一つの大きな要素となると考えられる。大山耕輔「産業政策過程における通産省」, 『季刊行政管理研究』

, No.52, 1990 年 , 65 ページ。

29井上拓雄「新銀行法等の施行に伴う関連政省令の解説」, 『金融法務事情』, No.990, 1982 年 , 43 ページ。

30田所昌幸「ある外圧の事例研究」, 『姫路法学』, No.1, 1988 年 , 252 〜 253 ページ。

(8)

う外圧を経た後であった。進行中の知識蒸留過 程が外圧により促進されることにより、大蔵省 は高次学習により公益観を変化させ、その結果 が金融制度改革という行政活動となって表れた と考えられる。

(3)通産省の事例分析31

 ここまでは、現実主義から合理主義への公益 観の変化を扱ったが、以下では、1960 年代に国 際化への対応の先鋒に立ち、先進的に対応した といわれる通産省を例に理想主義から現実主義 への基本的仮定の変化を見てみたい。ここで通 産省を事例として扱うのは、先進的な対応には 行政活動の変化が必要となり、行政活動の変化 を規定している価値レベル、さらには基本的仮 定の変化が、通産省の事例を通して分かりやす いと考えるからである。

 1950 年代の産業政策について、北山は利益を 実現させるために圧力を行使する利益団体と、

自らの政策指向をもつ通産省の相互作用を中心 とし、そこへ関係国会議員が両者を仲介、後押し する形で政策が形成されたと指摘している。通 産省は、「業界の混乱をひきおこすような過当競 争を防止し、業界の安定した秩序を維持する32」 という政策指向をもっており、鉄鋼業に関する 政策では、業界内の大企業に近い立場をとり、繊 維産業に対しては中小企業寄りのスタンスを とっていた。つまり、通産省は自らの指向と一致 する利益団体を選択し、排他的な「下位政府33」 を構成し、その下位政府において政策を形成し ていたのである。よって、北山のいう利益団体と 通産省の相互作用は認めれられるが、通産省の 政策指向と一致するもの、いうなれば通産省が

「しかるべき」と考えたものが公益として捉えら

れており、1950 年代の通産省は理想主義的な公 益観をもっていたということができる34。  1960 年から始まった対外取引きの自由化は、

通産省の産業政策の有効なテコであった貿易政 策上の外貨割当権の喪失を意味していた。外貨 割当権は、通産省が自らの政策指向を実現する 際の重要なリソースの一つであり、外貨割当権 の喪失により、通産省は政策指向を実現する能 力を低下させたのである。この能力低下に対し て、通産省は特定産業振興臨時措置法案(特振 法)の法制化という行動をとった。特振法は、過 小規模と過当競争という問題がある日本の産業 体制に対して、官民協調方式により企業規模の 拡大と有効競争の実現による市場の秩序化で、

国際競争力を実現していこうという考えに基づ いた法律案であったが、その背後には、自由化に より喪失した外貨割当権と代替するなんらかの 新しい権限を獲得したいという通産省の危機感 がうかがわれた。

 しかし、特振法案は公正取引委員会、金融界、

大蔵省などの反対により廃案となった。「もはや 日本株式会社のようなエリート主義でなく、内 閣主導による『自由化』という大きな政策転換、

国会の抵抗力や自民党の影響力、そして利益団 体の影響力が増大したことによる多元主義化、

あるいは関係者の利益政治化が進んだ35」ので あった。

 多元主義は下位政府の開放を意味し、大企業 と中小企業、先発企業と後発企業、将来の需要に 対して強気の企業と弱気の企業、不況に対して 脆弱な企業とそうでない企業等様々な利益が交 錯する中で、通産省は「ビジョン行政36」を展開 するようになった。

31通産省の事例分析にあたっては、主として北山俊哉「日本における産業政策の執行過程(一),(二)」, 『法学論叢』, Vol.117, No.5, Vol.118, No.2, 1985 年 , 1986 年と大山 , 前掲書 , 1989 年及び建林正彦「産業政策と行政」, 西尾勝・村松岐夫編『講座行政学 3 政 策と行政』, 有斐閣 , 1994 年を参照。

32北山 , 前掲書 , 1985 年 , 61 ページ。

33北山は、下位政府を「特定のイシュー領域に専門化している、政府アクター、非政府アクターの両方を含む政治アクターの小集 団」と捉えている。同上 , 56 ページ。

34村松も通産省の基本的な考え方を「公共政策は全く諸勢力の競争の場に委ねられるべきではなく、公的権力による意図的調整が あってはじめてより適切に公益に接近できるものである」と述べている。村松岐夫「行政体系と環境」, 辻清明編『行政学講座 5 行政と環境』, 東京大学出版会 , 1976 年 , 66 ページ。

35大山耕輔「現代日本における行政指導の政治構造」, 『社会科学研究』, Vol.40, No.6,  1989 年 , 47 ページ。

36建林は「ビジョン」行政が通産省が政策官庁への脱皮を図る過程で表れてきたとしている。建林 , 前掲書 , 98 ページ。産業の期待 される将来の方向や指針が審議会などの検討を経て繰り返しビジョンとして提示されると、産業や企業の意思決定にいくらかの 影響を与える。また通産省は、税制や財投などの特典を与えることにより意思決定を望ましい方向へ誘導しようとした。大山 , 前 掲書 , 1989 年 , 38 ページ。また、通産省の産業構造政策ビジョンは、70 年代「知識集約型」、80 年代「創造的知識集約型」、90 年 代「柔軟で活力のある産業構造の実現」である。大山耕輔「通産省による産業政策の政策評価」, 『組織科学』, Vol.28, No.3, 1994 年 , 47 ページ。

(9)

(4)通産省の組織学習パターン

 外貨割当権を背景に「しかるべき」政策を行っ てきた通産省は、外貨割当権を喪失し、それに伴 い行政活動を変化させねばならない危機に瀕し ていた。この危機的状況において、通産省がとっ たのは、特振法案の立法化であった。これは、外 貨割当権の喪失に伴い変化せざるを得ない行政 活動を、既成の基本的仮定である理想主義的公 益観に適合させようという動きであった。

 しかし、特振法案の法制化失敗は理想主義的 公益観への「尋問」となり、従来の公益観を一変 させた。特振法案の廃案が尋問型高次学習と なったことは、特振法案の廃案後にその考え方 に基づいた行政活動が、ほとんど行なわれな かったことからも分かる。

 また、特振法案の廃案により、通産省は開かれ た下位政府において相対立する利害関係を調整 しなければならない立場に立たされたといえよ う。このような状況のなかで、対立する利害の調 整という活動を日々行うことで、現実主義的公 益観という新しい基本的仮定が定着していった と考えられる。

3.3 行政組織の組織学習モデルの設定  積極的学習と回避学習という二種類の学習メ カニズム、低次学習と高次学習という組織学習 のレベルおよび前節で取り上げた大蔵省、通産 省の組織学習の事例より行政組織の組織学習モ デルの設定を行いたい。

 行政組織の組織学習メカニズムは、回避学習 が中心となると考えられる。その理由は、ビュー ロクラシー37としての特徴が影響するからであ る。

 ビューロクラシーの進化は、同時に「大企業 病」や「組織の硬直化」と呼ばれる「官僚制」の 問題という逆機能の現象を生じさせる。野中は Merton の議論をふまえて、「官僚制」の逆機能の 例として以下の六項目を挙げている38

①規則の神聖化:ビューロクラシーが効果を 発揮するためには、組織反応の信頼性と規

則の厳守が要求されるが、規則の厳守はや がて組織目的と関係なく規則を絶対化し、

予測の立たない変化した条件下で組織は臨 機応変の行動がとれなくなる。

②保守性の誘発:規則を遵守させるための刺 激剤(例えば、勤続年数による昇進、年金、

昇給)は、規則厳守の関心を過大にし、臆病、

保守性、技術主義を誘発する。

③下位集団の利益の優先:先任順の昇進は集 団内同僚間の競争や攻撃を減少させ集団精 神を助長するが、集団の安全が脅かされる と、組織の顧客や組織内上位の管理者を助 けるよりも自らの集団の利益を擁護する。

④問題処理範囲の限定:ビューロクラシーの 特徴の一つである人間関係の非人格化の過 度の信奉は、個々のケースのもつ特殊性を 無視することにつながり、パーソナルな意 義をもった問題、緊急を要する個々の問題 処理に対応できない。

⑤顧客と職員の関係性の逆転:ビューロクラ シー構造における職員は組織内部の地位にか かわりなく社会構造全体の権力の代表者とし て行為するので、「人民の公僕」といわれな がら顧客中心のサービスを提供できない。

⑥非人格的関係の反作用:インパーソナルな 関係が要求されている場合に、パーソナル な関係に基づいて対応が行われると汚職、

情実、えこひいき、ご機嫌とりという反作用 が生じる可能性がある。

 これらの特徴を組織学習の観点から考えると、

新しい活動を起こすことに対する不安から、問 題を積極的に解決する積極的学習よりも、対処 的な回避学習が学習メカニズムの中心となると 考えられる。

 日本の行政組織を考えた場合でも、行政官の 昇進は国家Ⅰ種試験によって採用されたキャリ ア職員と、それ以外の試験によるノンキャリア 職員の間には昇進のスピードや最終的に到達で きる職位については顕著な差異がみられるが、

昇進はそれぞれのグループ内ではほぼ均一であ り、年功序列を基礎として行われている39。さら に、年功序列と並んで、減点主義人事が行政組織

37ビューロクラシーの訳語である「官僚制」という語は、ビューロクラシーの逆機能面のみを強調するニュアンスがあるので、本 稿ではビューロクラシーという語をそのまま利用する。

38野中郁次郎『組織と市場』, 千倉書房 , 1974 年 , 83 ページ。

39大河内繁男「職員の異動と能力開発」, 西尾勝・村松岐夫編『講座行政学 5 業務の執行』, 1994 年 , 270 ページ。

(10)

の人事考課の特徴となっており40、保守性が誘発 され、規則が絶対化されやすい環境にあるとい うことができ、回避学習が組織学習の中心とな るといえる。

 第二番めの特徴として、高次学習の生じにく さが挙げられる。前述したように、回避学習の動 機は何らかの原因によって脅かされていると いった恐怖心や、何が起きているのか、これから どうなるのか分からないといった認知的失見等 から生じる苦痛、不安の軽減である。ひとたびあ る行動により、苦痛や不安が回避されると、その 行動の中止は再び不安、苦痛につながるという 恐怖から、回避学習により得られた思考様式、信 念および基本的仮定はきわめて安定したものと なる。よって、組織学習のレベルを考えた場合、

行政組織の基本的仮定は安定しており、高次学 習は生じにくいといえる。

 行政組織の場合、日本の行政官僚制は、法規万 能主義に加え、過度に行政規則、内部管理規則

(内規)に依存しており、先例踏襲、旧套墨守の 傾向が強く保守的であると非難されるが41、この 傾向は、特にノンキャリア職員に強く見られる。

一方、行政規則、内規の変更はキャリア職員の職 務であるため、キャリア職員は規則の改廃を厭 わない42。しかし、キャリア職員等の組織の中枢 にいる人々は、過去の成功が既存の基本的仮定、

価値レベルに基づいたものであるがゆえに、そ れらを過剰学習しがちであり43、価値レベルや基 本的仮定を変化させる高次学習は生じにくい。

 基本的仮定の安定性や学習はキャリア職員を 中心に行われるといった行政組織の組織学習の 特徴は、加護野のいうビューロクラシー型の組 織文化の進化プロセスと一致する44。ビューロク ラシー型の組織文化の進化プロセスの特徴は、

新しい行動様式、知識が生み出されるプロセス は既存の行動様式や知識の延長上にあるものが 多く、大きな飛躍は少ないという点である。これ は、行政組織が高次学習を行いにくいというこ

とを示している。

 以上のことより、学習のメカニズム、学習のレ ベルにおける行政組織の組織学習の特徴は、学 習メカニズムの中心は回避学習であり、その結 果として基本的仮定の安定性が高く、高次学習 は生じにくいということができる。

 以上のような特徴をふまえて、前節で扱った 大蔵省と通産省の組織学習のパターンから行政 組織の組織学習モデルを設定したい。

 銀行業界の要求などに対する回避学習結果と しての大蔵省の行政活動の変化、つまり人工物 レベルの変化が高次学習に結び付くには、日米 円ドル交渉という外圧を必要とした。大蔵省は、

人工物レベルの変化が自然な流れの中で価値レ ベル、基本的仮定の変化につながる知識蒸留型 の高次学習を行いつつあった。しかし、基本的仮 定の安定性の高さゆえ、蒸留過程の進行には限 界があり、蒸留過程を後押しするものが必要で あったと考えられる。その役目を日米円ドル交 渉という外圧が果したのである。

 外貨割当権の喪失に回避的に対応することに より通産省の人工物レベルが変化し、それが既 成の価値レベル、基本的仮定とは適合しないも のとなっていたにもかかわらず、通産省はそれ を既成のものに適合させようとしたのである。

これが、特振法の法制化へつながった。この既成 の基本的仮定へ適合させようという試みは、基 本的仮定の安定性ゆえに生じたと考えられる。

しかし、既成の基本的仮定へ適合させる試みの 失敗、つまり特振法法制化の失敗により、既存の 基本的仮定が一変する尋問型高次学習が引き起 こされたと考えられる。

 これらの二つの例から、行政組織の組織学習 パターンとして図−2のような大蔵省型と通産 省型という二種類のパターンを引き出すことが できる。

 行政組織の組織学習の特徴を仮説的にまとめ ると以下のようになる。

40伊藤大一「公務員の行動様式」, 辻清明編『行政学講座 4 行政と組織』, 東京大学出版会 , 1976 年 , 217 ページ。

41西尾勝『行政学』, 有斐閣 , 1993 年 , 200 ページ。

42伊藤はキャリア職員とノン・キャリア職員の違いの源泉を職務の差異に求めている。つまり、ノン・キャリア職員の場合は、規 則を適用することが主要な職務であり、彼らにとって重要なのは現行の規則に精通し、その適用に慣熟することである。それゆ え、規則に対する関心も現行のものに執着し、変革を厭う保守的なものとなる。これに対して、キャリア職員の職務は、運用す べき規則そのものを制定することであるから、変革を厭う理由はない。それどころか、キャリア職員はノン・キャリア職員に対 する関係上、権限意識を満足させるためにも革新的たらざるを得ない立場にある。伊藤 , 前掲書 , 239 ページ。

43加護野忠男『組織認識論』, 千倉書房 , 1988 年 , 176 〜 177 ページ。

44加護野忠男「文化進化のプロセス・モデルと組織理論」, 『組織科学』, Vol.17, No.3, 1983 年 , 10 〜 11 ページ。

(11)

①ビューロクラシー型組織の特性をもつ行政 組織の組織学習メカニズムは、回避学習が 中心となる。

②回避学習が学習メカニズムの中心というこ ともあり、基本的仮定の安定性が高く、高次 学習を生じにくい。

③日本の行政組織の高次学習過程は、尋問型、

知識蒸留型のいずれのパターンでも生じる が、知識蒸留型高次学習の過程においては 補助的作用が必要となる。

4.事例分析(河川法改正)

4.1 河川法改正について

 河川法改正案は、1997 年 5 月 28 日に可決成立 した。この河川法改正は、1964 年に成立した河 川法(以下 1964 年河川法と呼ぶ)制定時からの 条文そのものに手を入れるという意味で河川法

の大改正であったが、なかでも「河川環境の整備 と保全」の追加という河川行政の根幹をなす河 川法の目的の変化は、改正の最大のポイント だった。

 事例として河川法改正を扱う理由は、長良川 河口堰建設問題に象徴されるのであるが、自然 環境の保護を訴える市民と行政組織との対立が 河川行政において頻発しており、河川行政を担 当する河川局という行政組織が適応を求められ ているということができるからである。そして、

それに対する河川局の適応の結果が河川法改正 であったと考えられ、河川局の社会環境への適 応である河川法改正の過程を検討することによ り、行政組織の組織学習パターンが明らかにな ると考えるからである。

 行政組織のモデル設定のための事例分析では、

省庁レベルを分析単位として用いた。その理由 は、①設置および掌握事務の範囲が国家行政法 による法定事項として省庁単位で定められてお り45、②人事面に関しては、採用が各省庁ごとに 図―2 大蔵省・通産省型の組織学習パターン

①大蔵省型

低次学習

人工物レベルの変化

蒸留型高次学習のスタート

外 圧

高次学習の進行 基本的仮定の安定性より

高次学習の停滞

②通産省型

低次学習

人工物レベルの変化

試みの失敗

尋問型高次学習 人工物レベルの変化を 既成の基本的仮定へ適合させる試み

45西尾 , 前掲書 , 93 ページ。

(12)

行われ、他省庁へ出向することはあっても、原則 として生涯を通じて元来の採用省庁に帰属する46

③各省庁の政策形成過程における活動様式にそ れぞれの省庁の特徴があることより47、省庁レベ ルをある程度の凝集性をもった単位として考え ることができ、省庁を単位とした組織文化が存 在すると考えるからである。しかし、4 節では、

分析単位として建設省河川局を用いる。本稿で は、1 官房 6 局、さらに 8 つの地方建設局、252 の 事務所をもつ建設省全体を扱う準備はなく、ま た4節の目的は行政組織の組織学習パターンの検 討にあるので、組織学習パターンが明確に現れ ると考えられる河川法改正を担当した河川局に 焦点をあてるのが適当と考えられるからである。

しかし、河川行政は建設省発足当初から建設行 政の中心であったことや、建設省における河川 局の地位を考えると河川局を扱うことにより、

建設省の組織学習パターンの一断面にも迫れる と考える。

4.2 事例分析

(1)日本の河川の特色48

 日本の河川は短く、急流であり、また、日本は 温帯モンスーン地帯に属し、年平均降水量は 1,600mm であり豊かな水資源を有する。その一 方で、集中豪雨が起こりやすいという特徴があ り、梅雨前線および台風の時期には毎年のよう に水害による被害が生じる。

 このような自然条件に加え、河川が形成した 河川の氾濫域である沖積平野が、経済・社会活動 の枢要な位置を占めているという社会的条件が 存在し、河川の氾濫による浸水の危険性がある 河川氾濫区域は、全国土の約 10%、平地の約 33

%を占め、ここに人口の約 50%、資産の約 75%

が集中している。このような自然的社会的条件 により水害による被害は甚大であり、河川行政 においては治水事業の重要性が認識され、治水

事業が実施されてきた。

 また、自然的社会的条件により水害による被 害を受けやすいという特徴の反面、ひとたび降 水量の少ない状態が続くと水不足が生じると いった特徴も有している。

(2)治水・利水の時代

 1948 年から建設省が河川行政を担当するよう になったのだが、上記のような河川の特色およ び、1945年の枕崎台風、47年のカスリン台風、48 年のアイオン台風などによる大災害が相次いだ こともあり河川行政の核は洪水対策を中心とす る治水事業となった49

 1950 年代に入っても依然として大型台風が日 本列島を襲った。57 年には、死者および行方不 明者 929 人を出した狩野湾台風、そして翌 58 年 には日本台風史上最大の犠牲者、死者および行 方不明者 5,012 人を出した伊勢湾台風が来襲し た。これらの大水害の発生も契機となり、治水長 期計画の法律的根拠となる治山治水緊急措置法、

および治水事業に関する政府の経理を明確にす るための治水特別会計法が 1960 年に制定され、

これに基づき、治水事業 10ヶ年計画が閣議決定 された50

 治山治水緊急措置法の目的の中には水需要へ の配慮も含まれていたが、大水害連発時代の後 に訪れた高度成長時代は、水不足という新たな 試練を河川行政にもたらした。1964 年の東京オ リンピック直前の東京の水不足は、その象徴的 事件であった51

 水不足の解消のためには、水系を一貫して総 合的に水資源の開発利用の計画を確立するとと もに、ダム、堰、湖沼水位調節施設などの水源施 設と、水を重要地に導入する幹線水路などの建 設を一体的かつ計画的に行なう必要があった。

これを地方自治体が行なうことは困難であり、

国家的な立場から事業を実施する機関が必要で あった。さらに、事業資金を調達するために国の 財政資金を集中的に利用する必要があった。こ

46同上 , 114 ページ。

47活動様式は、①企画型、②現場型、③査定型、④交渉型の四つに類型化できる。城山英明・鈴木寛・細野助博編『中央省庁の政 策形成過程』, 中央大学出版部 , 1999 年 , 7 ページ。

48日本の河川の特徴の記述は、建設行政研究会『建設(Ⅰ)』, ぎょうせい , 1985 年 と玉井信行・水野信彦・中村俊六『河川生態環 境工学』, 東京大学出版会 , 1993 年を参照。

49高橋裕『都市と水』, 岩波書店 , 1988 年 , 2 ページ。

50建設行政研究会 , 前掲書 , 326 ページ。

51高橋 , 前掲書 , 16 ページ。

(13)

のような状況を背景に、1961 年に水資源開発促 進法および水資源開発公団法が成立した52。  1964 年には、河川行政の基本法であった 1896 年に制定された河川法が、抜本的に改正された。

改正の重点は、利水を中心とする河川使用規定 の整備を図ることであった53

 治水と利水の橋渡し役となったのが、洪水調 節、発電、灌漑、水道などの複数の目的をもった 多目的ダムであった。多目的ダムの考え方は、内 務省土木試験所長で東京大学教授を兼任してい た物部長穂と内務技師萩原俊一により 1926 年に すでに提案されていた54のだが、1950年代にその 主眼は電源開発にあり、1950 年代後半に入ると 水資源確保が中心となった。また、第二次世界大 戦後まもなくは、枕崎台風、カスリン台風による 被害から連続大堤防の築造によって洪水をでき るかぎり速く海へ排出する高水工事方式の限界 が明らかになり、ダムによる洪水調整に大きな 期待が寄せられるようになっていた55

(3)河川局受難の時代56

 1960 年代半ばから河川局は数々の反対運動、

裁判の矢面に立たされた。

 そのはしりとなったのが、1956 年から 66 年に かけての「蜂の巣城」と呼ばれる反対小屋が築造 されたことで知られる室原知幸を中心とする下 筌ダム建設反対運動である。反対住民はダムサ イトに築いた蜂の巣城を住居として大闘争を繰 り広げた。一方で、「法には法、暴力には暴力」を 標榜する室原は、法廷闘争を展開した。なかでも 東京地裁に提訴した「事業認定無効確認訴訟」は 最初の治水裁判であった。

 この反対運動は、1970 年代以降、各地で盛り 上った早明浦ダムや苫田ダム反対運動などのダ ム反対運動の萌芽であり、かつ上流ダム水没地 域における不公平な措置への抗議のはしりで あったといえる。

 下筌ダム反対運動は、1970 年、室原が「理に 叶い、法に叶い、情に叶う」事業であることを提

唱し、建設側の建設省九州地方建設局も「その幅 広い意見と批判は、貴重な経験、教訓として今後 の建設行政に生かしていく」ことを明らかにし て和解が成立したが、次に、発生した水害に対し て行政の責任を問うという形での裁判が多発す るようになる。

 本格的な水害裁判として著名なものに、加治 川水害裁判がある。1966 年 7 月と 67 年 8 月に続 けて三箇所の同一地点で破堤が生じて大水害に 見舞われたことに対して、18 名の原告が 68 年に 提訴した。洗掘破堤した一箇所のみ原告の請求 が認められ、残り二箇所は越流破堤によるもの で不可抗力であるとし行政側に責任はないとい う第一審判決が 75 年に新潟地方裁判所により下 された(新潟地裁昭和 50 年 7 月 12 日判決)57。こ の判決により、近代治水思想の弱点である超過 洪水対策の不在が法的に公認されたといえる。

加治川水害訴訟が契機となり、その後、水害訴訟 が頻発した。

 水害訴訟の判決の中で、他の訴訟に大きな影 響を与えたのが、1984 年の大東水害訴訟に対す る最高裁判決(最高裁昭和 59 年 1 月 26 日第一小 法廷判決)58であった。この判決では、治水事業 は莫大な費用を必要とし、その実施には技術的 制約や流域の開発などの社会的制約が伴うので、

行政側に絶対的安全確保の義務はなく、未改修 や改修途中の河川の安全性は「過渡的な安全性」

で事足りるとされた。

 1984 年に建設省の絶対安全確保の義務はない という判決が下されたが、河川局は 1976 年に河 川審議会に総合治水小委員会を設け対策の協議 を行い、翌 77 年に総合治水対策小委員会は中間 答申を発表し、新しい治水策を提唱していた。そ の中で、河川改修を促進することに加え、流域開 発により増大した河道への洪水流出量、土砂流 出量の抑制、そのために流域内の保水、遊水機能 を維持することが提唱された。河道中心の治水 から全流域を含めた洪水対策が提唱されたので ある。その他にも、洪水氾濫や土砂流の危険区域

52建設省河川局開発課「水資源開発 50 年の歴史」, 『河川』, No.623, 1998 年 , 72 ページ。

53建設行政研究会 , 前掲書 , 328 ページ。

54大熊孝『洪水と治水の河川史』, 平凡社 , 1988 年 , 184 ページ。

55同上 , 188 〜 189 ページ。

56受難の時代の記述は、大熊 , 前掲書と高橋 , 前掲書を参照。

57判例時報 783 号 , 3 ページ。

58判例時報 1104 号 , 26 ページ。

(14)

においては、水害に安全な土地利用方式などの 設定、洪水時の警戒避難体制の拡充、被害者救済 制度の確立などの対策が含まれていた。

 以上のように、1960 年代中頃から 80 年代にか けては、河川局にとって住民運動や水害裁判を 経験した受難の時代であったが、都市化、工業化 を伴う経済発展による水質汚濁への対応が必要 とされた時代でもあった。「公共用水の保全に関 する法律」および「工場排水等の規制に関する法 律」を大幅に発展させた水質汚濁防止法が 1970 年に制定された。

(4)アメニティへの着目

 1970 年に制定された水質汚濁防止法は、河川 環境への配慮から制定されたものであったが、

これは「起こってくる問題に対処する対処療法 的59」なものであった。一方、1980 年代からは、

河川行政は自然環境に対し、「公害防止から環境 の創造へと視点を移し、環境の質、アメニティを 重視する60」という方向へ進んでいった。この観 点で導入された最初のビジョンが「親水性」で あった61。河川公園の中に人工河川をつくり子供 に遊び場を提供したり、階段護岸で水辺へ近づ くことができる工夫がなされたり、景観に配慮 した河川構造物の建設などが行なわれた。

 この方向性が最初に明文化されたのは、1981 年の河川審議会の「河川環境管理のあり方につ いて」の答申であり、その中で「河川環境」とい う概念が取り上げられた。この答申は、河川管理 には、治水、利水の他に河川環境の面があること を指摘し、河川環境の基本的方針に基づき、水環 境の管理と河川空間の管理とが全体として十分 に調和のとれるように総合的に管理し、河川環 境を適正に管理するような施策の実施を指摘し た。これを受けて河川局では、1983 年より「河 川環境管理基本計画」を水系ごとに策定し、河川 環境の管理を図ることとなった62

 良好な河川空間を形成するという観点から展

開された事業として、桜づつみモデル事業、ふる さとの川整備事業、マイタウン・マイリバー整備 事業などがある。この段階では、人間からみて近 寄りやすい、美しい河川空間が考えられていた が、次の段階として「生き物の棲んでいないのは 人工水路であり、川ではない」という認識が出来 上がりつつあり、自然の生態系に富んだ川を取 り戻そうという気運が高まっている63。生態系の 保全を確保するために実施されている事業とし ては、多自然型川づくり、魚がのぼりやすい川づ くり推進モデル事業がある。

(5)ダム開発による生態系破壊

 アメニティ、生態系に配慮した河川の整備を 行っている河川局であるが、治水・利水を目的と したダム建設は、一方で河川の自然環境に大き な影響を与える。例えば、魚類が河川を上がれな くなり生態系が破壊されたり、上流から流れて くる土砂をダムにため込むことにより、土砂の 物質循環が遮断され海岸線の侵食の原因となる ことが指摘されている64

 このため全国でダム建設をめぐり、河川局と 市民との対立が深刻化している。表−1は全国で 対立の見られる主要な事例を示している。

 生態系を含む自然環境の保護をめぐる建設省 と市民との対立の中でも、長良川河口堰建設問 題65は全国で行なわれている反対運動の象徴と なった。その中でも、1994 年 4 月 8 日から開始さ れた試験湛水に対しての船上ストは、河口堰の ゲート降下を体を張って防ぐという実力行使を 含む激しいものであった。河川局は市民側の船 の周りにオイルフェンスを張り巡らせ食糧補給、

人員交代を困難にさせるという応酬に出た。こ れに対し、市民側は、国連の人権擁護委員会に救 済を打電するという大規模なものであった。

 また、河口堰建設の是非をめぐる問題は、自民 党議員320名による建設推進署名と、超党派国会 議員 259 名による建設反対署名が行なわれるな

59宇都宮深志「環境行政と倫理」, 人間環境問題研究会編『環境法研究 11 開発と環境』, 有斐閣 , 1979 年 , 46 ページ。

60同上 , 47 ページ。アメニティは「人間が生きるうえに大事な快適さ」あるいは「快適な環境」と定義されている。船橋晴俊「社 会制御としての環境政策」, 飯島伸子編『環境社会学』, 有斐閣 , 1993 年 , 65 ページ。

61玉井・水野・中村 , 前掲書 , 6 ページ。

62建設省河川局環境課「河川環境行政の歴史」,『河川』, No.623, 1998 年 , 81 ページ。

63玉井・水野・中村 , 前掲書 , 7 ページ。

64大熊孝・天野礼子・保母武彦・D. ビアード『日本のダムを考える』, 岩波書店 , 1995 年 , 5 〜 17 ページ。

65長良川河口堰建設問題は、自然環境の保護以外に、治水・利水上からの堰の必要性、堰建設による防災上の問題を争点としてい る。詳しくは、北川石松・天野礼子編『巨大な愚行長良川河口堰』, 風媒社 , 1994 年を参照。

(15)

ど国会を二分する問題となった。

(6)河川法改正へ

 1992 年 6 月にブラジルのリオ・デ・ジャネイロ で国連主催の国連・環境と開発の会議(UNCED)

が開催された。UNCEDでは持続的開発(Sustainable Development)がキーワードとなった66。これは、環 境を損なわない形で開発を進めることが可能で あり、それを実行すべきだという考え方であり、

これによって対立的に捉えられてきた環境と開 発を、両立させ統合しようというものである。

 UNCED では、「リオ宣言」、「行動計画アジェ ンダ 21」、「森林に関する原則声明」「気候変動枠 組条約」、「生物的多様性保全条約」に関して国際 的合意が行なわれた。これらは、21 世紀への地 球環境政策の枠組と原則を示したものであり、

各国政府は国内の法制度を整備する際にこれら の原則を踏まえることになる67。特に、アジェン ダ21は各国政府が21世紀に向けて地球環境の保 全と開発問題に関して行動する基本枠組を示し、

その実行を担保するメカニズムを整備するため

のものであった68

 各国政府の国内法制度整備の際の原則を提示 したUNCEDは、環境基本法の制定に影響を与え た。環境基本法には、UNCED の持続的開発とい うキーワードを反映して、環境負荷の少ない、持 続可能な経済、循環型社会に転換していくとい う理念が掲げられた69。また、「環境基本法制の あり方について」という答申を行なった審議会 メンバーであった森島昭夫は、「環境基本法につ いては、リオの会議が終わった直後から、かなり 精力的な取り組みが始まりました70」と述べ、当 時環境庁長官であった中村正三郎は、「UNCED のあった年に(答申を)まとめてしまわなけれ ば、なかなかまとまらないのではという考えも あって、(審議会のメンバーに)非常にご無理を お願いいたしました(括弧内は筆者)71」と述べ ており、UNCED は環境基本法の内容のみなら ず、その制定過程にも影響を与えていたことが 分かる。

 1993 年 11 月に環境基本法が成立し、この後す ぐの 94 年 1 月に環境政策大綱が建設省より発表

名称

二風谷ダム

千歳川放水路

相模大堰 辰巳ダム 足羽川ダム 長良川河口堰 徳山ダム 細川内ダム 苫田ダム 川辺川ダム

地区 北海道

北海道

神奈川 石川 福井 三重 岐阜 徳島 岡山 熊本

目的

治水 利水 発電

○ ○ ○

○ ○ ○

○ ○

○ ○

○ ○ ○

○ ○

○ ○

○ ○ ○

総貯水量 万 m

3

2,710

8,000 6,000

66,000 6,800 8,500 10,600

主要な対立点

アイヌ民族の聖地での開発、サケの遡 上の阻害

ラムサール条約指定地域のウトナイ湖 周辺の自然環境への影響

生態系への影響、希少種の存在 ダム湖による水質悪化、景観への影響 ダムの必要性が低い、水質悪化 必要性の低下、生態系への影響 生態系破壊、ダムの必要性が低い 自治体が建設計画に反対 ダムの必要性が低い

ダムによる河川汚濁、絶滅危惧種への 影響、洪水の危険性は低い

(出典)栗山浩一(1997)『公共事業と環境の価値』, 築地書館 , 63 ページ .

表−1 対立の見られる主要な水源開発の事例

66加藤一郎「開発と環境」, 人間環境問題研究会編『環境法 22 地球環境保全への法制度的展開』, 有斐閣 , 1995 年 , 6 ページ。

67宇都宮深志「二一世紀への環境政策の理念と枠組」, 人間環境問題研究会編『環境法研究 20 21 世紀への新しい環境政策を探る』, 有斐閣 , 1992 年 , 3 ページ。

68宇都宮深志「地球環境保全とアジェンダ21」, 人間環境問題研究会編『環境法研究22 地球環境保全への法制度的展開』, 有斐閣, 1995 年 , 53 ページ。

69座談会「地球サミットを終えて」, 『ジュリスト』, No.1015, 1993 年 , 24 ページ。

70同上。

71同上 , 25 ページ。

参照

関連したドキュメント

組織変革における組織慣性の

 ラディカルな組織変革の研究では、伝統的に業績の悪化・危機あるいはトップの交代が組

[r]

参考資料ー経済関係機関一覧(⑤各項目に関する機関,組織,企業(2/7)) ⑤各項目に関する機関,組織,企業 組織名 概要・関係項目 URL

((.; ders, Meinungsverschiedenheiten zwischen minderjähriger Mutter und Vormund, JAmt

指標 関連ページ / コメント 4.13 組織の(企業団体などの)団体および/または国内外の提言機関における会員資格 P11

省庁再編 n管理改革 一次︶によって内閣宣房の再編成がおこなわれるなど︑

) の近隣組織役員に調査を実施した。仮説は,富