• 検索結果がありません。

沖縄へ移住する若者たち

N/A
N/A
Protected

Academic year: 2021

シェア "沖縄へ移住する若者たち"

Copied!
18
0
0

読み込み中.... (全文を見る)

全文

(1)

沖縄へ移住する若者たち

桐野夏生『メタボラ』にみる移住者像

須藤 直子

はじめに

この研究ノートは、2005年11月28日から2006年12月21日まで「朝日新聞」朝刊に 連載された桐野夏生の小説『メタボラ』を題材に、沖縄へ移住する若者たちの享楽的な態 度と、沖縄と「日本」の狭間で揺れるナイチャー1の微妙な立ち位置を論じるものである。

小説『メタボラ』は、記憶喪失に陥った〈僕〉/ギンジと、宮古島出身の昭光/ジェイ クという二人の主人公を中心に、現代日本における若者たちの労働や搾取の構造、家族関 係の歪み、「夜の世界」とのつながりなどを描いた作品である。『メタボラ』が世に出た 当時は、若者たちの非正規労働が社会問題化され始めた時期でもあり、『メタボラ』に描 かれた若者たちの姿は、時代状況をまさに反映したものであった。

その一方で、本作は、搾取の構造にとどまらず、「沖縄移住」によって顕在化した沖縄 と本土間の葛藤を描いた作品としても読み解くことができる。主人公の〈僕〉/ギンジと 昭光/ジェイクは沖縄本島で出会い、それぞれタイプの異なるゲストハウス(安宿)に滞 在する。このゲストハウスには、長期で沖縄に滞在し続ける「移住者の予備軍」や、沖縄 を消費していく本土出身の若者たちが描かれており、それは数々の批判や排外言説の対象 となった沖縄移住者の姿を見事にとらえていた。

1990年代以降、沖縄県外出身者による沖縄への移住が注目され、2000年代前半には沖縄 ブームと密接にかかわりながら、移住者の増加が指摘された。2000年代後半には沖縄移住 のマーケットが拡大するほどであった2。しかし、多様な移住者が沖縄へ流入する過程で、

1 沖縄出身者は本土(内地)出身者を「ナイチャー」あるいは「ヤマトゥンチュ」と呼ぶ が、それは単なる呼称にとどまらず、時として侮蔑的な意味が込められる場合がある。本 稿では、どちらの呼び方も取り上げているが、それぞれ引用元の表記に従った。また、ど ちらの呼び方により馴染みがあるかは世代によって異なっており、特に若い世代は「ナイ チャー」を用いることが多いため、ここでは「ナイチャーの微妙な立ち位置」とした。

2 2000年代後半に、沖縄移住の情報を提供したり、移住のための説明会を開いたりする沖 縄移住を斡旋する企業が現れた。また、沖縄県内の二大銀行は、移住者のために特別な金 利を設定したり、東京に相談窓口を設ける動きもみせた。しかし、さまざまな沖縄移住の 情報を掲載していた企業のHPは、2008年頃を境に運営がストップしているところも少な くない。また、2004年に創刊された雑誌『沖縄スタイル』(枻出版社)は、2009年3月発 行の第30号をもって定期刊行が休止になった。2000年代後半に拡大した沖縄移住のマー ケットは急速に冷え込み、もはや沖縄移住は「商品」にはならないといえる。

(2)

移住者はたびたび批判にさらされるようになる。それは、移住者が沖縄移住本3や雑誌の中 で、沖縄イメージを再生産する「楽天的」な存在として描かれたこと、また沖縄県内にゲ ストハウスが増加し、住民票を沖縄に移さずに長期で滞在する若者層の存在が近隣住民の 不安を一部でかきたてたことが背景にある4。しかし、このような移住者に対する批判の根 底には、沖縄と本土の歴史的な深い溝や、沖縄の人びとが本土に対して抱く疑念や嫌悪が 横たわっていることは明確であった。移住者を「腐りナイチャー」(金城 2006: 166)と して糾弾する語りが出現したことが一つの証左である。

本研究ノートは、上記のような沖縄移住をめぐる言説を踏まえ、『メタボラ』を沖縄と 本土間の葛藤の物語として読み直していく。沖縄へ移住する若者たちは、これまでどのよ うな存在として捉えられ、解釈されてきたのか。そして、沖縄移住者に向けられた批判は、

何を問題化していたのか。『メタボラ』に描かれた移住者像を通して、沖縄と本土間に生 じている葛藤を考察していきたい。

1.沖縄移住者はいかにして論じられてきたか

小説『メタボラ』に描かれた移住者像を分析するにあたり、まず本節では、沖縄移住な らびに移住者について言及した先行研究を整理しておきたい。ここでは、二つの領域の研 究をみていく。第一に、沖縄観光と移住のつながりに焦点を当てた社会学的研究、第二に ポストコロニアリズムの研究である5

(1)沖縄移住ブームにおける「貧困層」の移住者

1990年代以降、沖縄県外出身者が沖縄の文化や風土に惹かれることで、自発的に沖縄へ 移り住むことを「沖縄移住」と表現するようになった。この用語は、1993年に出版された 篠原章・宝島編集部編の『ハイサイ沖縄読本』によって初めて公に言及されたと考えられ る。『ハイサイ沖縄読本』の編集に関わったボーダーインク社の新城和博氏は、沖縄ブー ムを客観的に捉えるための指標として「沖縄移住」という言葉を「わざと」作り出すねら いがあったと述べている(同時代社編 2001)。熱狂的な沖縄ファンが、沖縄を頻繁に訪れ たり、沖縄文化を消費したりするだけでは飽き足らず、最終的に沖縄に「住みつく」様子 を「沖縄移住」という用語で捉えようとしたのである。

上記のような沖縄ブームの延長線上に現れた沖縄移住について、多田治は、「マス・ツ ーリズム型の駆け足観光では物足りない」人々が、半年に一度沖縄にロングステイをした り、沖縄の安宿に長期で滞在したりするようになることで、観光と移住とがなだらかにつ

3 沖縄移住者の移住過程や生活の様子などを記した解説書(ハウツー本)、体験記、ノン フィクションなどを総合して沖縄移住本とした。これらの出版数の推移や内容の分析につ いては、須藤(2013)を参照のこと。

4 『八重山毎日新聞』(2006年5月25日付)は、住民票を移さずに長期で石垣島に滞在 する者を「幽霊人口」と表現した。

5 沖縄移住者の動向を把握しようと努めた先行調査および研究として、内閣府沖縄総合事 務局総務部調査企画課(2006)、沖縄県企画部地域離島課(2008)、琉球大学法文学部人 間科学専攻社会学コース(2008)、井本(2009)などがある。

(3)

ながるようになったと述べている(多田 2008: 234-235)。また、秋山道宏も「従来、移動 の側にあると見られてきた観光は、移動性の高まりによる観光の延長としての移住という 現象の出現によって、住まい方・居住のあり方と密接に関連してきている」と述べ、沖縄 への移住を「住む観光としての移住」として説明した(秋山 2009: 61-63)。すなわち、観 光と移住は断絶したものではなく、移住が沖縄ブームの延長線上に位置づけられながら、

新たに移住ブームとして確立していったのである。

しかし、長期滞在者や移住者の著しい増加は、沖縄県内外から批判を噴出させることに なる。土井智義は、沖縄へ住民票を移さずにドミトリーと呼ばれる安宿に長期間滞在して いる若者層を「貧困層の移住者」として考察した(土井 2007: 54-55)。彼らは、犯罪のイ メージと結び付けられたり、沖縄社会における「ミドルクラス」の道徳意識から外れる存 在であるとし、沖縄社会から「内なる敵」としてみなされていく(土井 2007: 55)。彼ら の多くは、社会的に問題化されたニートやフリーターの若者たちであった6。「貧困層の移 住者」は、沖縄の隣人たちから嫌悪の対象とされ、排外的な言説が向けられていった。

以上のように、沖縄観光と明確に結びついた移住ブームの興隆は、長期滞在者というよ そ者を増大させ、批判の対象となっていった。それは、日本社会においてニートやフリー ター、あるいはひきこもりに向けられた批判と軌を一にしていたといえる。

(2)オリエンタリストとみなされた移住者

沖縄移住ブームにおける移住者の増大にさらに拍車をかけたのは、沖縄移住の指南書 や、移住者の生活を取り上げた沖縄移住本の出版であった。沖縄移住に関連するさまざま な書籍や雑誌の内容は、スローライフを象徴するものに限定される傾向があり、移住者た ちのイメージが固定化され、さらなる批判を生み出していく。

池田緑は、移住者によって書かれた移住の体験談などを取り上げながら、「あたかも“現 地報告”のように風呂の入り方や酒の飲み方にいたるまで、日本人によってもの珍しく、

好奇心をかきたて、無害で都合のよい沖縄人像を逐一“発信”する日本人沖縄移住者は、

沖縄オリエンタリストそのものである」と述べた(池田 2007: 82-83)。その上で、前項で 取り上げた貧困層の移住者も想定しながら、沖縄移住者を以下のように形容している。

表現は悪いが、日本社会は社会の中の“食いつめ物/不適応者”を沖縄に大量に送り 込み、その地の経済を破壊し(失業率の高い沖縄での沖縄人から職を奪い)、自らの(自 らにとってのみ)心地よい状況を作り出す。これこそ宗主国の植民地に対する典型的な 態度だ。そして植民地には必ず軍隊が存在するということも含めて、日本人は沖縄人に 対して植民地支配を今なお実践している。(中略)近年の移住ブームによる移住者たち は、日本人の植民地主義の現代的尖兵といっても過言ではない。(池田 2007: 83-84( ) 内は池田による)

6 沖縄の安宿に長期で滞在する若者の多くは、観光のために外に出る機会も少なく、宿の 中にひきこもっているような状態であるとし、下川裕治はそれを「外こもり」と表現した

(下川 2007)。

(4)

池田は、移住者が執筆した沖縄移住本に取り上げられている移住の動機をクローズアッ プしながら、移住者の多くは「社会の“食いつめ物/不適応者”」であると理解する。そ れは、沖縄に「癒し」を求めたり、都市の生活からの「脱出」という語彙によって移住の 動機が語られることを主に示している。島袋まりあは、アルベール・メンミが指摘した植 民者の特徴が、「宗主国で人生を成功させた人びとではなく、むしろ宗主国に適応できな い人びと」であることを強調しているが(島袋 2007: 334-336)、この「社会の“食いつめ 物/不適応者”」という移住者の解釈は、まさに「宗主国に適応できない人びと」であっ たといえるだろう。すなわち、沖縄への移住者が自ら日本社会からの逃避や脱出を記述す る態度に、植民者の姿を重ねているのである。

また、野村浩也は、沖縄に対する日本の植民地主義を米軍基地の「押しつけ」に見てい るが(野村 2005: 26)、野村にとって沖縄ブームや沖縄移住は、日本人の植民者としての 加害性を覆い隠すものであると説明する。沖縄ブームを「加害者を癒す沖縄ブーム」とし た上で、「沖縄病患者」や「沖縄大好き!」の日本人を「沖縄ストーカー」と概念化しな おすべきだという(野村 2005: 171)。また、「沖縄人になりたがる日本人や沖縄に平気 で『移住』(移民!)できる日本人まで多数発生し、日本人向けに沖縄(人)をおもしろ おかしく描いた本や『沖縄移住本』の出版も活発だ」と沖縄への移住に言及した(野村 2005:

169)7

以上のように、ポストコロニアリズムから移住者を論じる視角は、移住者のふるまいや 態度に、政治的かつ歴史的な問題を投影している。それは、土井が論じた貧困層の移住者 のように、あるタイプの移住者に対して向けられるというよりも、むしろ「日本人」全体 へと向けられているようにさえみえる。これまでも幅広い属性をもつ本土出身者が沖縄を 訪れ、沖縄の文化を消費し続けてきたが、池田や野村の論考では、沖縄ブームによって沖 縄を訪れたり移住したりする「日本人」がより顕著になり、そのことが、沖縄に対する日 本の植民地主義をより説得的なものにしたと考えられているのである。

2.小説『メタボラ』の分析視角

前節では、沖縄移住ならびに移住者について言及した二つの領域の先行研究を整理した。

そこでは、移住者はニートやフリーター、「社会の“食いつめ物/不適応者”」として捉 えられていた。では、本稿において小説『メタボラ』に描かれた移住者像を分析するにあ たり、どのような視角から移住者を捉えていくことができるのか。本節では、『メタボラ』

のあらすじを簡単に紹介したあと、本稿の分析視角を提示していく。

(1)『メタボラ』のあらすじとこれまでの読まれ方

桐野夏生の小説『メタボラ』は、朝日新聞の連載が終了したあと、2007年に単行本化、

2010年に文庫化(上巻・下巻)された。本稿では、2010年の文庫版(第一章から第五章が

7 移住者を批判する主体は、沖縄出身者である場合が多いが、池田緑は沖縄県外の生まれ である。池田の論考が掲載された野村浩也編の『植民者へ』の中で、野村は「日本人」の 池田がポストコロニアリズムから沖縄の植民地支配を指摘することが重要であると述べて いる(野村 2007)。

(5)

上巻、第六章から第十章が下巻)を用いる。なお、以下では本作のストーリーをごく簡単 に紹介するが、小説の展開を決定づける局面については一切触れない。それは、『メタボ ラ』を沖縄と本土間の葛藤を描いた作品として論じる際、小説の重要な局面を引き合いに 出さずとも分析が成立するからではあるが、まだ『メタボラ』を読んでいない読者に対し て、ネタを明かさないという意図もある。

本作は、記憶喪失に陥っている〈僕〉が、沖縄の密林で職業訓練所から脱出してきた宮 古島出身の昭光と出会う場面から始まる。〈僕〉は自分の名前も思い出すことができない 状況にあり、昭光から「ギンジ」という名前を与えられる。昭光も本名で自己紹介したあ と、自らを「ジェイク」と名乗り、二人は行動をともにすることになる。その後、名護市 で埼玉出身のミカと出会い、二人で彼女のマンションに転がりこむが、ギンジは石材店の 仕事をみつけて働き始める。一方のジェイクは、住み込みのアルバイトを探している過程 で、恩納村にある「パラダイスマニア・ロッジ」(テントを張った宿泊施設)を経営する

「イズム」と出会い、パラダイスマニア・ロッジで「ボランティア」を始める。パラダイ スマニア・ロッジを出たあとは、ホストクラブでホストとして働き始める。

その後、ギンジは石材店を辞め、那覇市内の「安楽ハウス」という安宿にたどり着く。

そこでオーナーの釜田と出会い、従業員として住み込むようになる。ここでの生活の中で、

ギンジはすべての記憶を取り戻すことになり、〈僕〉の家族や、派遣労働者として工場に 勤めていたことなどを思い出す。最後には、昭光と再会を果たし、フェリーに乗って渡嘉 敷島へ向かうシーンで終わる。

『メタボラ』の簡単なストーリーは以上の通りである。〈僕〉が取り戻した過去の記憶 の詳細は伏せておくが、上記でも記したように、〈僕〉が派遣労働者として工場に勤めて いたという描写は、『メタボラ』を若者たちの労働搾取のストーリーとして読ませること に寄与した。文庫版の解説において宇野常寛は、昨今の派遣労働の現状に触れながら「本 作において桐野は、こうした『ゼロ年代』の『格差社会』の問題の本質が、むしろアイデ ンティティ不安=承認の問題であることを抉り出している」と述べている(宇野 2010:

369)。また、四方朱子は、〈僕〉の家族や、派遣先の工場に「僕の場所」がないことを指 摘し、その絶望感が〈僕〉の記憶喪失につながる出来事へと駆り立てていくことを論じて いる(四方 2009: 76-79)。

このように、『メタボラ』は確かに搾取の構造の話であり、アイデンティティ不安の話 である。しかし、その一方で、内藤千珠子は、『メタボラ』を沖縄と日本本土の歴史的な 関係性という視点から論じた(内藤 2007: 114-117)。内藤は、「『僕』が失った記憶をめ ぐる物語に、沖縄や日本をめぐる歴史と記憶という問題系が立ちのぼるようなしかけが施 されている」と述べ、「楽園のイメージと基地をめぐる現実の落差がそのまま同居し、大 日本帝国の負の遺産を負わされている沖縄。(中略)沖縄をめぐって、多くの人々はほと んど記憶喪失のような関わり方をしているのではないか?」と指摘した(同上 2007: 115)。

この内藤の指摘と同様に、筆者にも、〈僕〉と昭光を取り巻く登場人物たちの言動に、沖 縄と日本の関係性が透けて見える。『メタボラ』は、日本社会の若者たちの「現在」を描 いた作品だが、それが沖縄を.

舞台に展開されたという点に、『メタボラ』を沖縄と本土間 の葛藤のストーリーとして読ませるポイントがある。

(6)

(2)二つの移住者像

では、本稿における『メタボラ』の分析視点を示しておこう。第1節では、二つの領域 の先行研究をレビューすることで、これまで沖縄移住者がどのような視点から論じられ、

批判されてきたのかをみた。そこでは、移住者はニートやフリーター、あるいは「社会の

“食いつめ物/不適応者”」として捉えられていたが、それらを以下のように二つの移住者 像として整理し直すことができる。

第一に、本土での生活から一時的に、あるいは長期的に離脱し、刹那的で享楽的な「今 を生きる」若者の移住者である。第二に、「今を生きる」ことを可能にする沖縄が、かつ て激しい沖縄戦を経験し、今でも米軍基地問題と苦闘している姿には無自覚な移住者であ る。これら二つの移住者像を、『メタボラ』を解釈する際の枠組みとするならば、『メタ ボラ』は沖縄と本土間の葛藤を描いた物語として立ち現れる。具体的には、『メタボラ』

に登場する二つのゲストハウス、すなわち「パラダイスマニア・ロッジ」と「安楽ハウス」

の経営者たちの語りが、二つの移住者像を見事に体現しているのである。

そこで、本稿では、〈僕〉と昭光がパラダイスマニア・ロッジと安楽ハウスでそれぞれ 直面した出来事と、経営者やスタッフたちの会話を具体的に取り上げ、上記二つの移住者 像がそれぞれのゲストハウスでねじれながら共存していくことを析出する。ゲストハウス の経営者とスタッフたちとの会話、彼らと〈僕〉や昭光との会話を分析することで、沖縄 と本土間の葛藤が沖縄における移住者のふるまいや態度にいかに描かれていったのかに迫 ってみたい。

3.ゲストハウスの移住者たち

本節より、『メタボラ』における移住者の記述を読み解いていく。はじめに、昭光/ジ ェイクが一時滞在することになる恩納村の「パラダイスマニア・ロッジ」を取り上げ、経 営者のイズムを信奉する若者たちの享楽的な態度をみていく。次に、〈僕〉/ギンジが宿 泊する那覇市の「安楽ハウス」について、経営者の釜田や従業員たちが沖縄の安宿にやっ てきた経緯や背景を整理する。

(1)パラダイスマニア・ロッジとイズム

上巻の第二章と第三章で取り上げられるのは、パラダイスマニア・ロッジである。昭光 が名護市内でアルバイトを探しているときに、恩納村にあるというパラダイスマニア・ロ ッジの経営者であるイズムと出会う。パラダイスマニア・ロッジは、テントを張った宿泊 施設で、イズムの思想や生き方を反映した、ユートピアのような空間である8

アルバイトとして雇ってほしいと申し出る昭光に対して、イズムは採用を承諾するが、

8 「パラダイスマニア・ロッジ」は、沖縄に実在するゲストハウスを想起させるという指 摘があるが(四方 2009: 87)、筆者も「パラダイスマニア・ロッジ」の描写とその経営者 イズムが、今帰仁村に実在する「ビーチロックビレッジ」の高橋歩と重なることを指摘し ておく。

(7)

「うちはバイトという言葉は使わないで、ボランティアと呼んでいるんだ」と答え、以下 のように説明する9

1. 「で、自給はどのくらいですかー」

2. イズムは、大きな声で笑った。

3. 「だから言ったじゃない。ボランティアであって、バイトじゃないの。パラダイス マニアというコンセプトを共有する仲間が集まって、ボランティアで参加する、と いうことだからさ。無料奉仕だよ。その代わり、飯と寝るところは保証する」

(中略)

4. おいらの後ろから、女の子の歓声が聞こえた。到着したばかりの「ゲスト」が海を 見に来たのだった。おいらはなーんとなしに寂しくなって、汚れた浜を眺めていた。

どこを向いても、ナイチャーしかおらんな、と考えていた。

(桐野 上: pp. 134-139)

昭光はアルバイトに採用されて喜んだのも束の間、無料奉仕だと聞かされて愕然とする

(3)。また、はじめてパラダイスマニア・ロッジを訪れた際に、「どこを向いても、ナイ チャーしかおらんな」という印象をもち、非常に閉じた空間であることを実感する。

さらに、パラダイスマニア・ロッジで働いていた経験があるという奈良県出身の拓也と 出会った際、拓也からイズムを信奉するような語りを聞き、パラダイスマニア・ロッジへ の不信感をつのらせる。

5. 「拓也さんはどこの人かー?」

6. 「奈良や」

7. 「だったらよー、何で沖縄に来たかー」

8. 「俺、アパレル行こ思てたんや。ほら、俺、服好きやろ。ア・ベイジング・エイプ とかな、ステューシーとかな、好っきやねん。でも、バイトすんのも面倒くさい思 てぶらぶらしてて、タワレコの前通ったんや。そしたら、若いヤツが仰山おってな。

何やろって中覗いたら、イズムさんがトークライブやってたんや。強いオーラ出し ててな、めっちゃカッコええやん。俺マジ憧れたんや。しっかも、ほら、中古のバ ス買って世界中の海を回ったやろ。愛と冒険心がチケットや、言うてな、何か、え え話やんけ」

(中略)

9. 「あばっ、イズムって、そんなヤツなんすかー」

10. 拓也がじろりと昭光を睨んだ。

11. 「ヤツって何や、ヤツって。チョーええ人や。俺、イズムさんがおるから沖縄来た んや。あのパラマニ・ロッジはな、俺らの聖地や。ほら、メッカの巡礼てあるやろ。

あれと同じや。みんな、若い衆は、イズムさんの聖地目指して来るんじゃ。ほいで

9 本節の分析から、文庫版『メタボラ』の本文を引用していくが、考察が煩雑にならない ために一文ごとに通し番号をふった。

(8)

な、イズムさんのソウルに触れたら、その後は自由に生きるために散るんじゃ。里 見八犬伝知ってるか。皆で、イズムさんのソウルをばらまくんじゃ。おら、聞いと んのか、ボケ」

(桐野 上: pp. 162-164)

昭光に対して饒舌に話す拓也の語りから、カリスマ的存在のイズムのもとに、全国の若 者が「ボランティア」として集まってくる様子がうかがえる。すなわち、拓也が象徴する ように、「バイトすんのも面倒くさい思てぶらぶらして」いるような若者たちがこぞって 集まってくるのである(8)。しかも、既述のとおり、パラダイスマニア・ロッジは「無料 奉仕」であり、パラダイスマニア・ロッジに来ることは、自立して生計を立てることとは 全く結びつかない。一時的に享楽的な空間を共有することでのみ、パラダイスマニア・ロ ッジは完結していることがわかる。

さらに、昭光が「ナイチャーしかおらんな」と述べていたように、パラダイスマニア・

ロッジの内部は、ナイチャーで完結していた。パラダイスマニア・ロッジには、沖縄にか かわる要素が入り込む余地がないのである。このようなパラダイスマニア・ロッジに胡散 臭さを覚える宮古島出身の昭光だが、働き始めてすぐ、東京からやってきた女子大生四人 グループと付き合っていたことがイズムにばれてしまい、パラダイスマニア・ロッジを追 い出されることになる。昭光によって「聖地」を汚されたと思ったイズムは、「ここは、

俺の王国だからだよ」という言葉を発し、ほかのスタッフとともに昭光をリンチする。昭 光が初めてイズムに出会うシーンと、「ここは、俺の王国だからだよ」と吐き捨てるイズ ムの二面性は、パラダイスマニア・ロッジの歪んだ空間そのものである。

(2)安楽ハウスと釜田

上巻の第四章、下巻の第六章では、〈僕〉/ギンジが宿泊するようになった那覇市の「安 楽ハウス」での出来事が詳細に取り上げられる。〈僕〉は那覇空港でたまたま安楽ハウス のチラシをもらい、長期で宿泊するようになる。安楽ハウスは釜田という人物によって運 営され、〈僕〉は釜田に思い出しはじめた過去の記憶の断片を打ち明けたり、釜田も〈僕〉

を気に入ってくれるなど、昭光とイズムよりは良好な関係性を築いていく。

〈僕〉は、釜田の印象について、次のように述べている。

12. イズムが他人に緊張を強いるのに対し、釜田は対照的だった。十歳も年下の女の子 にカマチンと呼ばれても、気にしている様子もないし、他人に説教などしそうにな かった。イズムは辺りを睥睨し、すべてを支配下に置いて帝国を作りたそうだが、

釜田はゲストハウスのオーナーが気に入っているように見える。

(桐野 上: pp. 224)

釜田は、ゲストハウスのスタッフたちとも良好な関係を築きながら、オーナーらしいふ るまいを見せていた。イズムが、多くの若者から信奉され、パラダイスマニア・ロッジを

「俺の王国」と呼んでいた様子とは大きな違いがある。〈僕〉に対しても、ほかのスタッ フや旅行客と同じように気さくに接していた。

(9)

では、安楽ハウスに住み込みで働く若いスタッフたちは、安楽ハウスでどのような生活 を送っているのか。以下のように話す場面がある。

13. 「じゃ、きみは今、何してるの」

14. リンコは、僕の問いにせせら笑った。

15. 「あんたと同じだよ、ぶらぶらしてる。お金がなくなったら、その辺で水商売」

16. 「下にいる小沢君たちは、スタッフになる前は何してたんだろう」

17. 「ボラバイトとかやって、ある程度貯まったら遊んだり、ここに来て手伝ったりし てるんでしょう。フウヤンはミュージシャン志望で、ミヤちゃんは五年くらい世界 を放浪してたって聞いた」

(桐野 上: pp. 237)

18. 小沢が少し酔った口調で言った。いつもより、饒舌だった。

19. 「俺だって何もしてないよ。ニートってヤツ。高校の時、キビ刈り隊募集の広告見 てさ、こういうの、俺に向いているかもしれないと思ったんだ。だから俺、高校出 てずっと季節労働者。俺、おとなしいし、受け身が楽しいから、案外農作業が向い てると思うんだけどさ。最近、キビ刈りって機械になっちゃったからな。今に仕事 なくなるかもしれないね。

(桐野 下: pp. 30)

安楽ハウスでスタッフとして働くリンコたちは、上記のようにゲストハウスで「ぶらぶ ら」しており、「何もしていない」と述べる。これは、先のパラダイスマニア・ロッジへ 向かう前の拓也が「バイトすんのも面倒くさい」と思っていたことと重なる部分がある。

リンコがほかのスタッフについて言及しているように、本土の若者たちが沖縄に来る以 前の生活は、どこかメリハリや目標がない。先の拓也の台詞からは、沖縄に来ることがそ れまでの生活を変える契機となるという期待が見て取れるが、沖縄に長期滞在している間 も、何か行動を起こすことはなく、ただ「ぶらぶら」しているのである。なお、別の場面 で、リンコ自身は石垣島の出身であることがわかる。彼女はいくつかの経緯があって沖縄 本島のゲストハウスに滞在しているが、ほかのスタッフについて言及していた先の台詞は、

離島出身のリンコが「本土の若者たち」をどのように見ているのかを端的に示していた。

また、釜田をはじめ、ほかのスタッフの中には、世界を旅するバックパッカーがおり、

旅の途中で沖縄に辿り着いた者もいる。しかし、また新たな場所へと旅を続けるのか、し ばらく沖縄にとどまるのかは必ずしも明言されない。自分の人生をいかに設計していくの かについて、その判断は常に先延ばしにされている。安楽ハウスに来た経緯も、安楽ハウ スでの生活も、「今を生きる」ことを優先した態度であり、刹那的であるといえよう。

(3)小括

本節では、パラダイスマニア・ロッジと安楽ハウスの経営者ならびにスタッフの様子に ついてみてきた。イズムと釜田のふるまいや性格は対照的であるが、それぞれのゲストハ

(10)

ウスは本土からやってきた若者たちで成り立っており、閉じた空間の中で独特の生活が営 まれていた。その独特さは、単に若者たちがゲストハウスの中で「何もせず」「ぶらぶら」

していることにではなく、ゲストハウスが外の世界と断絶しているという点にある。特に パラダイスマニア・ロッジについては、宿泊施設のまわりの様子は一切描写されず、まさ にユートピアのようである。唯一宮古島出身の昭光だけが、パラダイスマニア・ロッジの

「胡散臭さ」に違和感を覚えており、ゲストハウスを外部から見ている沖縄の人びとと同 じ目線である。

第1節で言及したとおり、土井が指摘した「貧困層の移住者」は、沖縄社会における「ミ ドルクラス」の道徳意識から外れる存在であった。二つのゲストハウスに描かれた若者た ちは、閉じた空間の中で外部との接触を持たずに暮らしている。そして、今日もとどまる のか、明日は去るのかが明確ではないまま、「何もせずに」「ぶらぶら」しているのであ る。このような若者たちが急激に社会の中で増えていけば、近隣住民たちの視線が厳しい ものになることは容易に想像がつく。しかし、パラダイスマニア・ロッジについては、完 全に近隣の集落からも隔絶し、イズムの王国を作り上げることで、外部からの批判や嫌悪 すら遮断している。イズムのカリスマ性がそれを可能にしており、パラダイスマニア・ロ ッジに集う人たちの享楽的な態度は、安楽ハウス以上に徹底されている。

4.沖縄と日本の狭間で

『メタボラ』に登場する二つのゲストハウスは、刹那的で享楽的な「今を生きる」若者 たちによって成り立っている様子が見事に描かれていた。しかし、安楽ハウスのオーナー 釜田は、次第に沖縄社会に対する態度を変え、政治的な発言を繰り返すようになる。それ は、沖縄社会における移住者の地位を高めようとする言動であった。本節では、釜田の発 言を中心に、移住者が沖縄と「日本」の狭間で微妙な立ち位置に置かれていく様子をみて いく。

(1)ナイチャーと沖縄社会

釜田はちょうど〈僕〉が安楽ハウスに宿泊し始めた時期から、安宿の一経営者という立 場にとどまらず、政治的な関心を前面に押し出すようになる。安楽ハウスを卒業するスタ ッフのミヤちゃんの送別会で、釜田は次のようなスピーチを行う。そして、釜田のスピー チに続いて地元の農業市場の女性が紹介される。

20. 「僕ら旅人の心を癒してくれた、この沖縄という土地に何ができるのか。考えた結 果、地域振興しかないと僕は考えました。それで、秋から、農業市場のおばぁたち と組み、うちのホームページ上で、農業市場の新鮮な野菜や果物を買えるシステム を作ることにしました。皆さんは、現在ガーブ川の再開発計画があるのをご存じで すか。氾濫防止、そして経済発展のために、水上店舗と農業市場を取り壊し、大シ ョッピングモールを建設する計画です。皆さん、本当の経済発展というのは、ビル を建てることじゃない。ATMや駐車場を作ることじゃない。雇用の促進と言います が、ビルの建設はたった二年で終わってしまう。その時だけの雇用でその後はどう

(11)

するんでしょうか。それに僕は、沖縄の伝統が失われるのを見たくない。これまで 培われた沖縄の人々の生活文化が失われ、日本中、どこにでもある街のひとつにな れ、と言われているのと同じことなのです。僕はこの計画に敢然と反対するつもり でいます。それは、決してナイチャーのエゴではありません」

21. ミヤちゃんが、目は壇上を釜田に向けたまま、呟いた。

22. 「釜田さん、前はあんなこと絶対言わなかったよね。駄洒落ばっか飛ばす酔っ払い だったのに、変わったよな。あれじゃ、選挙演説じゃん」

23. ぱちぱちと拍手が起きて、今度は市場の仲嶺ウシさんが紹介された。ウシさんは、

ワンピースを着てお洒落していた。

24. 「ミヤちゃーん、市場のおばぁです。長い間、うちの野菜買ってくれてありがとう。

おばぁは、ナイチャーの子たちは、ここで悲惨な戦争があったことも知らないし、

遊ぶことしか頭にないなー、これじゃ駄目さーと思っていました。でも、ミヤちゃ んみたいに世界をたくさん見て、沖縄が気に入ってくれた人もいるし、釜田さんみ たいな、おばぁの生活を考えてくれる人もいてくれて、少しずつ変わっていく風を 感じます」

(桐野 下: pp. 22-4)

釜田は、安楽ハウスを運営するだけでなく、沖縄の地域振興を考えていく必要性を説く

(20)。それは、沖縄の伝統を失わない形で行うべきであり、そのような考えは「ナイチ ャーのエゴではない」と述べる。この釜田の発言から想起されるのは、移住者が「腐りナ イチャー」と呼ばれることを明かした金城朝夫の以下の記述である。

自然を求めてやってくるナイチャーは、その多くが農村地域に住む。彼らの多くがリ タイア族で、きれいな海を眺めながらのんびりと余生を過ごしたいと思っている。最近 では若いナイチャーの夫婦者も目立つが、一様に自然派志向だ。彼ら新住民が求めてい るのは現在のままの八重山の姿であり、これ以上の変化は望んでいないのだろう。従来 の不便な離島生活で苦労し、これから楽になりたいと願う地元住民とは根本的に違うの だ。市がゴミ焼却場を建設したり、道路拡張工事をしようとしたりすると、彼らは必ず 反対する。インフラ整備が遅れた八重山には基礎的な開発が必要なのに、それがわかっ ていない。あるいは、わかろうとしない。(金城 2006: 159-160)

八重山地域に移り住むナイチャーと地元住民との対立を事例に挙げながら、ナイチャー に関して述べる金城の指摘は、開発によって沖縄の伝統が失われると危惧する釜田のスタ ンスと似ている。釜田は「ナイチャーのエゴではない」と主張するが、金城は両者が望む もののベクトルが真っ向から対立していることを事例を挙げながら説明しているのであ り、釜田の主張とは相容れない。

そして、釜田はやがて参院選(のちに市議選)に出馬することを表明する。その心境を、

「俺だって、選挙だなんて、思ってもいなかった。ただ、ナイチャーだから黙ってろって 言われるのが癪なんだよな。ウチナーに厭味言われると、結構腹立つよ」と述べるのであ

(12)

る。そして、釜田の考えは以下で明確に表明される。

25. 「あのさ、誤解してほしくないんだけど、俺は前から沖縄の政治に興味があったん だよ。だから、選挙って、ちょっと出てみたいという気はあったんだ。ほら、こっ ちは米軍基地という大きな枷があるじゃない。俺ら、ナイチャーの繁栄は、ウチナ ーが基地を我慢して引き受けているからあるのに、ナイチャーはそれも認識しない で基地を押しつけ、沖縄という土地からいいとこ取りをする、という批判があるよ ね。俺も本当にそう思うよ。俺も含めて、ナイチャーで沖縄が好きなヤツは、みん ないいとこ取りだよ。でもさ、こうやってみんな住民票を移して腰を落ち着け始め た。税金も払っている。そしたら、俺たちだって、口を出す権利があるってことだ よね。つまり、新ウチナーだ。アメリカと同じく、新しい市民が増えて、新しい沖 縄を作るってこと。だから、今度は、ナイチャー差別が問題になるんだよ。どうし て、ナイチャーが基地問題に口を出しちゃいけないの」

(桐野 下: 52-57)

釜田は、地域振興に加えて、沖縄の基地問題に言及する。「ナイチャーの繁栄は、ウチ ナーが基地を我慢して引き受けているからあるのに、ナイチャーはそれも認識しないで基 地を押しつけ、沖縄という土地からいいとこ取りをする、という批判があるよね」という 発言は(25)、先行研究ですでに引用した野村らによる無意識の植民地主義という指摘が 背景になっていると考えられる。

また、目取真俊は沖縄ブームの現状を受けて、以下のように述べる。

どれだけの人が、そういう(沖縄戦などで)沖縄人が味わった差別と同化の歴史を知 っているでしょうか。彼らは差別を克服したのではありません。たんに無知なだけです。

そういう沖縄大好きヤマトゥンチューは、自分が気に入った「沖縄」をつまみ食いする だけで、気に入らない所は無視してすませます。今の「沖縄ブーム」は、ヤマトゥンチ ューにとっての都合の悪い沖縄の歴史や現実を見ないために利用されています。(目取 真 2005: 47-48)

野村や目取真は、沖縄ブームや移住ブームによって沖縄戦の歴史や米軍基地の問題が覆 い隠され、ナイチャー自身も沖縄の歴史や痛みを理解しようとする視点がないことを糾弾 している。『メタボラ』の釜田は、「俺も本当にそう思うよ。俺も含めて、ナイチャーで 沖縄が好きなヤツは、みんないいとこ取りだよ」というように、一見批判を受け入れてい るようにみえるが、目取真らの批判を引き受ける.....

ことはなく、「新ウチナー」として沖縄 の人びとと対等の扱いを受けることだけを主張していくのである。

このような釜田の価値観は、イズムの考え方と微妙にずれている。二人がテレビ番組で 対談をする場面では、次のようなやりとりが行われた。

26. 全員の紹介が終わり、司会者が質問した。

27. 「釜田さんはどうして内地出身者の会を立ち上げたのですか」

(13)

28. 釜田が、持論を展開する。

29. 「俺たちは、余所者でナイチャーだけど、沖縄に骨を埋めるつもりです。だから、

いつまでもウチナーだのナイチャーだのと言ってても仕方ない。できれば、俺たち を新ウチナーと認めて、地域の催しにも分け隔てなく参加させてほしいし、俺たち の意見も聞いてほしいんですよ。だから、俺はまず、俺たちを新ウチナーと呼んで ほしいと言ってます」

30. 「釜田さん、俺は呼び名はどうでもいいんだけどね。それは、ウチナーの人たちが 決めることで、余所から来た俺らが決めることじゃない。違いますか」

(中略)

31. 「いや、俺が言ってるのは、象徴としての呼び名がすべてを表しているんじゃない かってこと。だって、あなたはナイチャーですからって言われたら、それで話が終 わってしまうでしょう」

32. 「だから、終わらないようにしていけばいいんであって、それは個人の問題ですよ。

呼び名がどうこうって言うのは、沖縄の人を脅迫しているみたいなもんじゃないか な。それに、ウチナーとかナイチャーって、単なる区別でしょう。そんな深い意味 があって言ってるんじゃないと思うよ」

(桐野 下: 93-94)

釜田は「沖縄に骨を埋める」覚悟であることを明かし、ナイチャーを「新ウチナー」と 呼んでほしいと繰り返し述べる。「呼び名はどうでもいい」というイズムに対して、釜田 は「あなたはナイチャーですからって言われたら、それで話が終わってしまうでしょう」

と反論するが、その背景には「ナイチャーだから黙ってろって言われるのが癪」であると いう本音があることはすでにみた。すなわち、釜田は沖縄に住民票を移して税金を納め、

ある一定期間居住することで、ナイチャーの沖縄社会に対する発言権を得ようとしたので ある。しかし、既述のとおり、釜田は金城や目取真が行ったような批判を引き受けようと する態度を見せることがない。「新ウチナー」として沖縄社会から認められることだけを 強く望んでいく。

一方で、釜田の上記のような考えに賛同しないイズムは、呼び名を沖縄の人びとに強要 するような態度に対しては否定的である。しかし、「ウチナーとかナイチャーって、単な る区別でしょう。そんな深い意味があって言ってるんじゃないと思うよ」と述べており、

呼称に特別な意味を付与することを否定していることがわかる。このようなイズムの態度 は、新川明がかつて述べたウチナーンチュとヤマトゥンチュの区別を前に無力になる。

相手の「ヤマトゥンチュ」が、九州の男であるのか、東北の女であるのか、あるいは 北海道からやってきた人であるのか、そういうことはここでは一切問題にならない。(中 略)日本(本土)の人間はおしなべて「ヤマトゥンチュ」であり、その人々が住む国土 は「ヤマトゥ」である。(新川 1971: 7)

新川の指摘には、ウチナーンチュとヤマトゥンチュ(ナイチャー)の区別が、単なる区

(14)

別ではなく、両者の間に決して埋まることがない、あるいは埋めようがない溝があること が含意されている。ウチナーンチュとヤマトゥンチュ(ナイチャー)の区別を自覚的に行 わずとも、両者は最初から最後まで、重なり合うことが決してない。むしろ、そのことを 自覚することで、沖縄社会はウチナーとナイチャーの区別を行うのではないか。すなわち、

両者の区別は「単なる区別」ではなく、断絶し続ける存在であることを表明した区別なの である。

(2)ナイチャー同士の対立

最後に、釜田の価値観や立場をめぐって、異なる意見をもつナイチャーが釜田と対立す る場面をみておこう。安楽ハウスとは別のゲストハウス「月桃屋」を経営する移住者の長 崎は、釜田に対して以下のように反論する。会話の引用がやや長くなるが、一連の応答が 重要であるためすべて引用する。

33. 中沢さんが、口髭に触りながら言った。

34. 「だったらさ、沖縄にいる移住者の講演会組織を作ろうよ。どんどん増えているん だから、中にはものを言いたい人もいるだろう。俺なんか、その口だよ。だいたい 年間二万五千人くらい移住してるんだから、ある意味、この県にお金が落ちている のは確かだ」

35. 長崎さんは首をかしげた。

36. 「でもさ、みんな沖縄は沖縄の人のものだから、口を出すのは失礼だ、と思ってる よ。郷に入っては郷に従え、だ」

37. 「俺は郷に従ってるし、この島をこよなく愛してるつもりだけどね」釜田がやや憮 然とした表情になった。

(中略)

38. 香織さんが頷いた。

39. 「あたしね、沖縄の人に失礼だから何も言わない、という姿勢は、帰るところがあ る人だから言えるんじゃないかと思うの。でも、ここに定住すると決めた以上、関 わっていくのは当たり前だし、仕方ないことじゃないかしら」

40. 「その意見に賛成」と、中沢さんが手を挙げた。「それにさ、若者文化に影響を与え ているのは、俺たちナイチャーだよ。カフェ然り、音楽然り。沖縄がいい意味で発 見されたんだよ、俺たちに」

41. 「そうかなあ。ちょっと傲慢じゃないか」長崎さんが承服できない風に腕組みをし た。

42. 「何だか、俺はナイチャーがこの島をぐちゃぐちゃにしているような気がしてなら ないんだよね。移住組が増えたから、土地の値段が上がってるしさ。ちょっとした バブル状態になってるじゃない。俺は、のんびり暮らしていた人たちに申し訳ない、

と思うことがあるんだよ。その意味で、沖縄の人に失礼だから何も言わない、とい う発言が出るんだと思う」

43. 「でもね、長崎さん。移住者が増えていること自体は誰にも止められないじゃない。

移住組もいろいろだよ。沖縄が好きで、いつの間にか居着いちゃった釜田さんみた

(15)

いな人もいるし、俺みたいに計画的に来た人間もいる。別荘を買って、内地とここ とダブルで暮らしている人もいれば、期間限定組もいる。でも、かなりの数の人間 が移住し続けているというのは間違いないでしょう。さっき釜田さんが言った、沖 縄が合衆国化しているというのは正しいよ。俺たちはナイチャーじゃなくて、新ウ チナーなんだよ。ま、そうは言っても、ウチナーの人は認めてくれないかもしれな いけどね」

44. 「その、認めてくれないってところをよく考えなくちゃ。根深い問題があるんだよ」

45. 「越えられない溝があったとしても、ウチナーは俺らの存在を認めざるを得ないん だよ。沖縄は、基地と観光と補助金で暮らしているんだから」

46. 釜田が苦しそうに言った。

47. 「それは酷な言い方だよ」

48. 長崎さんが憮然とした。

49. 「長崎さんは奥さんがウチナーだから、言いたいこともあると思うよ。でも、それ が現実だよ」

50. 中沢さんが長崎さんを制した。

釜田が「新ウチナー」としての立場を主張する一方で、沖縄出身の妻をもつ長崎は「み んな沖縄は沖縄の人のものだから、口を出すのは失礼だ、と思ってるよ」と述べ(36)、

「何だか、俺はナイチャーがこの島をぐちゃぐちゃにしているような気がしてならないん だよね」と移住者が増加した現状を憂いている(42)。それは、「俺は、のんびり暮らし ていた人たちに申し訳ない、と思うことがあるんだよ」という気持ちの表明になり、だか らこそ「失礼だから何も言わない」という発言に理解を示す。

しかし、釜田や、釜田の妻になる香織、カフェを経営する中沢は、「新ウチナー」とし て発言権を得ることに同意する。「定住すると決めた以上、関わっていくのは当たり前」

(39)であり、新ウチナーとして認めてもらうことが必要なのである。ここで長崎が指摘 したのは、新ウチナーとして認めてもらうことが困難である場合、そこには「根深い問題」

(44)があるということである。ここで、先に取り上げた、ミヤちゃんの送別会に招かれ た市場の女性の発言を思い出してみよう。市場で野菜を売り、釜田がホームページで野菜 を販売するというシステムに参加しようとしているウシさんは、「おばぁは、ナイチャー の子たちは、ここで悲惨な戦争があったことも知らないし、遊ぶことしか頭にないなー、

これじゃ駄目さーと思っていました」と述べたあと、「でも、ミヤちゃんみたいに世界を たくさん見て、沖縄が気に入ってくれた人もいるし、釜田さんみたいな、おばぁの生活を 考えてくれる人もいてくれて、少しずつ変わっていく風を感じます」とスピーチする(24)。

一見、初めは歴史的な出来事に無知であった若者たちを、釜田たちの存在によって次第に 受け入れてくれたように解釈できるスピーチだが、「これじゃ駄目さー」という思いは簡 単に払拭されるものではない。

岩渕功一は、1990年代以降の沖縄ブームは、「ポピュラー文化・消費文化」により特化 したものになり、基地問題等の解決が「棚上げ」されたまま、沖縄の文化がもてはやされ るという事態であると説明した(岩渕 2004: 10)。そのため、1990年以降の沖縄ブームは、

(16)

確かに沖縄への注目度が高まったことを意味していたが、沖縄と本土の間の溝は深まった という見方がある(新崎 2005: 214)。すなわち、ウシさんの発言のように、「ナイチャ ーの子たちは、ここで悲惨な戦争があったことも知らないし、遊ぶことしか頭にないなー、

これじゃ駄目さー」のままなのであり、「根深い問題」として沖縄と本土の間に横たわっ ているのである。

おわりに

本稿は、桐野夏生の小説『メタボラ』に描かれた移住者像を通して、沖縄と本土間に生 じている葛藤を考察してきた。

イズムと釜田によってそれぞれ経営されている二つのゲストハウスの様子と、二人の語 りが示していたのは、刹那的で享楽的な「今を生き」、沖縄問題とは無縁であることを無 自覚に表明する移住者の姿であった。イズムと釜田はウチナーンチュとナイチャーの区別 について異なる見解を持っていたが、ある一つの共通点を持っていたといえる。それは、

沖縄から受ける批判を、どちらも引き受けようとする態度をみせないことである。イズム は、ウチナーとナイチャーの区別に特別な意味を見出さず、釜田は「ナイチャーだから黙 ってろって言われるのが癪」であるとして、新ウチナーとしての地位の確立を主張した。

このような二人の態度は、目取真が指摘したように、「気に入らない所は無視してすませ る」態度であり、沖縄社会におけるナイチャーの位置取りを確立することが、彼らにとっ ては一番重要であった。

桐野が、『メタボラ』において沖縄移住の実態をどこまで描こうとしたのか、また描く ことの意図はどこにあったのかについては、いくつかのインタビューや対談を読むだけで は十分に理解できない。しかし、本稿で見てきたように、桐野は二つのゲストハウスの様 子を詳細に描写していた。それらの描写によって、これまで沖縄移住者に向けられてきた 数々の批判が、「批判を引き受けようとしない移住者の態度」を批判していたことが析出 された。沖縄ブームや移住ブームによってより顕著になった沖縄と本土間の葛藤は、まさ にこの批判のループが続いていることにあるといえる。そのループをどこかで断ち切るこ とは可能なのか。そして、断ち切るのは一体誰なのか。私たちは、沖縄と本土の対話を断 ち切ることなく、この議論を継続していく必要がある。

参考文献

秋山道宏,2009「『移住ブーム』『観光ブーム』から見える地域・住まい方の変容」多 田治編『2008年度 一橋大学多田治ゼミナール 沖縄・八重山調査報告書 第2巻 観光 と環境,文化と自然の社会学~沖縄・八重山諸島のフィールドワークから~(2009年 8月版)』タダオサム・ダイアリー,2009年9月30日取得,http://d.hatena.ne.jp/tada8/).

新川明, 1971 『反国家の兇区』現代評論社.

新崎盛暉,2005『新版沖縄現代史』岩波書店.

土井智義,2007「『非琉球人』の再来?」『けーし風』第56号: 52-5,新沖縄フォーラ ム.

同時代社編集部編,2001『沖縄で暮らしてみた』同時代社.

(17)

池田緑,2007「沖縄への欲望――“他者”の“領有”と日本人の言説政治」,野村浩也編『植 民者へ ポストコロニアリズムという挑発』松籟社.

井本伸, 2009 「沖縄移住を考える――ブームはいつ起こったのか?」『沖縄国際大学経 済論集』5(1): 105-18.

岩渕功一・多田治・田仲康博編,2004『沖縄に立ちすくむ――大学を越えて深化する知』

せりか書房.

春日武彦,2007「評論『メタボラ』と『悪人』にみる現在 原寸大としての小説」『小 説TRIPPER』2007年秋季号 16-9,朝日新聞社.

桐野夏生・吉田修一,2007「対談 桐野夏生×吉田修一 現実のリアルとフィクション の強度」『小説TRIPPER』2007年秋季号 6-15,朝日新聞社.

金城朝夫, 2006 「はっきり言おう,『迷惑だから,勝手な幻想持ってくるな!』」, 野 村旗守編『沖縄ダークサイド』宝島社.

内藤千珠子,2007「季刊ブックレビュー 沖縄をめぐる記憶の壺」『小説TRIPPER』2007

年夏季号 114-117,朝日新聞社

野村浩也,2005『無意識の植民地主義――日本人の米軍基地と沖縄人』御茶の水書房.

目取真俊, 2001 『沖縄/草の声・根の意志』世織書房.

――――, 2005 『沖縄「戦後」ゼロ年』日本放送出版協会.

――――, 2006 『沖縄 地を読む 時を見る』世織書房.

斎藤環,2007「評論『メタボラ』と『悪人』にみる現在 若者は『母なき世界』を浮遊 する」『小説TRIPPER』2007年秋季号 20-3,朝日新聞社.

四方朱子,2009「『メタボラ』――搾取をどう描くのか――」『立命館言語文化研究』

21巻1号: 73-87.

島袋まりあ, 2007 「太平洋を横断する植民地主義――日米両国の革新派と『県外移設論』

をめぐって」, 野村浩也編 『植民者へ ポストコロニアリズムという挑発』松籟社:

317-56.

須藤直子,2009「『沖縄へ移り住む』ことの現在――生き方の問い直しと『沖縄移住』

――」,平成20年度琉球大学大学院人文社会科学研究科修士論文.

――――,2011「新しい『移住』のかたち――1990年代以降の沖縄への移住を事例とし て――」『早稲田大学大学院文学研究科紀要』第56号 第一分冊: 63-80,早稲田大学 大学院文学研究科.

――――,2013「『沖縄移住』再考--観光客はいかにして『移住者』になるのか」『琉 球・沖縄研究』第4号: 138-161.

多田治,2004『沖縄イメージの誕生-青い海のカルチュラルスタディーズ』東洋経済新 報社.

――――,2008『沖縄イメージを旅する――柳田國男から移住ブームまで』中央公論新 社.

高橋順子,2005「『復帰』をめぐる企て――『沖縄病』に表れた沖縄受容の作法」,北 田暁大他編,『カルチュラル・ポリティクス 1960/70』せりか書房.

田中和生,2007「評論『メタボラ』と『悪人』にみる現在 寂しい時代の小説」『小説

(18)

TRIPPER』2007年秋季号 24-8,朝日新聞社.

田中佑弥編,2009『辺野古の海をまもる人たち 大阪の米軍基地反対行動』東方出版.

参照

関連したドキュメント

 平成25年12月31日午後3時48分頃、沖縄県 の古宇利漁港において仲宗根さんが、魚をさ

学校の PC などにソフトのインストールを禁じていることがある そのため絵本を内蔵した iPad

、「新たに特例輸入者となつた者については」とあるのは「新たに申告納税

[r]

この延期措置により、 PM 排出規制のなかった 1993 (平成 5 )年以前に製造され、当 初 2003 (平成 15

の 45.3%(156 件)から平成 27 年(2015 年)には 58.0%(205 件)に増加した。マタニティハウ ス利用が開始された 9 月以前と以後とで施設での出産数を比較すると、平成

「TEDx」は、「広める価値のあるアイディアを共有する場」として、情報価値に対するリテラシーの高 い市民から高い評価を得ている、米国

本章における試験解析では、石垣島沖と仙台沖の 2 海域で解析を行った。石垣島沖のデー タでは解析により SDB(衛星海底地形図)が得られ、Lyzenga (1978)