早稲田大学図書館蔵
桑木嘉雄関係資料目録
平成 1 7 年 4 月
早稲田大学図書館
はじめに
本資料は物理学者桑木義雄 (1878‑1945) に関する資料である。桑木義 雄は 1896 年(明治 29) に東京帝国大学物理学科に入学した。在学中、欧州か ら帰国して間もない長岡半太郎、田中館愛橘などに学んだ。桑木は外国語と数学の 能力にすぐれ、マッハの『力学の発展‑歴史的批判的記述による』を読んで強い印 象を受け、以後物理学の歴史的発展の過程が彼の主要な研究分野となった。また桑 木は哲学者として著名な 4 歳年上の兄厳翼の影響もあって物理学の哲学的問題に関 心を持ち、マッハなどによる絶対運動の可能性についての疑問からアインシュタイ
ンの特殊相対性理論に関心を持つに至った。
今日桑木裏雄の名がわが国におけるアインシュタインの紹介者として知られてい る所以である。
桑木は 1907 年から 2 年間欧州に留学し、帰国後明治専門学校教授を経て、九 州帝国大学の応用力学の教授に就任した。 1 938 年に九州帝大を定年退官し長野 県の旧制松本高校の校長になった。 1941 年に日本科学史学会の初代会長に推さ れ 、 1945 年終戦を前に松本でその生涯を終えた。
本資料は 20 0 0 年 10 月に桑木義雄令孫で校友の桑木敏氏よりご寄贈をうけた ものである。桑木裏雄の生涯や業績を知るのに格好の材料を提供してくれるが、と くに 1 750 通を超える数の書簡群に、桑木の学向上やそれ以外の分野における豊 かな人間関係をみることができ、 2 度にわたる欧米滞在時の絵葉書などに家族への 細やかな心遣いを窺うことができる。
本資料は、わが国の近代科学史・物理学史に関心をもっ人々にきわめて有益なも のになると信じるものである。
200 5 年(平成 17) 4 月
早稲田大学図書館
凡例
1 収録資料は全 2163 点で、内訳は書簡 (1757 点)、桑木義雄著作 (95 点 ) 、 桑木義雄蒐集資料 (296 点)、その他関係資料 (15 点)である。
2
請求記号は「ヌ 6-9305J とし、以下個々に分類番号 (A~D) ・小番号を付す。
3 本資料全体を早稲田大学図書館特別資料(貴重書)に指定し、管理および利用・
運用は、資料管理課特別資料室において担当する。
4 書簡の排列は差出人・宛名の氏名の五十音順またはアルファベット順である。
同一人の書簡は年代順とした。
5 書簡の内容を「備考J欄に抄録した。
目次
A 書簡
桑木議雄宛諸家書簡(日本人差出、外国人差出)…... ・
H・ . . 1 桑木義雄宛親族書簡...・
H・ . . . . ・
H・ . . . ・
H・ . . . . . ・
H・ ‑ …
H・
H・ . . . ・
H・ . . . 7 5 桑 木 嘉 雄 書 簡 . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . 8 8 桑 木 惑 雄 追 悼 書 簡 ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ 9 9 桑木義雄親族問書簡…...・
H・ . . … . . . ・
H・ . . . . . ・
H・ ‑ … . . . . ・
H・ . . . ・
H・ .100 桑木義雄家関係書簡…...・
H・ . . . .. ・
H・ . . . . ・
H・ . . . ・
H・ . . . ・
H・ . . . . ・
H・ ..102 B 桑木惑雄著作
著作・ 原 稿 ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ 103 日 記 . . . ・
H・ . . . . . ・
H・ . . . . . ・
H・ . . . . . ・
H・ . . . . . ・
H・
H・
H・ . . . .. ・
H・
H・
H・ . . … … 105 抜 刷 ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ 106 掲載新聞・雑誌…...・
H・
H・
H・ . . . . ・
H・ . . …
H・
H・ . . . ・
H・ . . … . . . ・
H・ ...107 C 桑木耳英雄蒐集資料
写 真 . . . . ・
H・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ 108 書 簡 ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ 109 新聞・雑誌記事切抜…...・
H・ . . . . . ・
H・ . . . . . ・
H・ . . . . . ・
H・ . . . .. ・
H・ . . … 110 その他...・
H・ . . … … . . . ・
H・ . . . . . ・
H・ . . . . . ・
H・ . . . . . ・
H・ . . . . . ・
H・ . . . . . ・
H・ . . 11 6 D その他関係資料
桑木議雄家関係資料....・
H・‑……
H・
H・ . . … . . . ・
H・ ‑ …
H・
H・ . . . ・
H・ . 11 8
書簡(桑木或雄宛諸家書簡)
書簡
桑木義雄宛諸家書簡(日本人差出)
番号 差出人 S付 形態 対五 匂し 備考(内容}
練兵場の草取りの話等は伝聞致候が種々の苦痛御察し申上候。併し上等兵 も幾分か注意致候由せめてもの事保御座候。先づ一時の事と御忍びの程祈 A1 愛知敬一 明治37年10月25日 封書 居候。ニュートン祭も近づき候まま軍機の秘密も過去然属する分御もらし 如何カミ侯哉。随分多き事と存候。次ぎ匁小生等は相変らず依ぐづぐづ致居 候。当年の卒業生は大学院入学少なく林君は支那蘇州の教師伝出立し貝原 君は学習院保内職等匁て大鉱寂実を極め居り候
A2 青戸信賢 昭和13年4月30日 封書 <校長就任祝辞>
A3 秋田康介 明治41年1月l日 葉書 <年賀状>御来訪の年は何の風情も無之汗顔の至りに奉存候
A 4
浅野肇 明治41年1月3日 葉書 <年賀状>例の出板物中々はかどらず内山のづるいのにも困り入り候 A5 阿多賀雄 〔昭和13年)4月19日 封書 <校長就任祝辞>A6 松高等学校長)〔アダチ) (浜 昭和13年4月1日 電 報 ゴエイテンヲシュクス A7 阿万田令造 昭和13年4月18日 封書 <校長就任祝辞>
A8 姉崎正治 明治43年7月15日 葉書 先日卒業式の時山川先生にも一寸御話し致しおき候
く礼状〉過日ハ突然推参しまして御同吟を願ひ失礼の段御許し願ひます。先 生のしっかりした御認に未熟の芸を配したことはすみませんでしたが非常 に愉快な一時間半を与へて下さいましたことを深く感謝します。あの朝か A9 安倍能成 昭和9年4月20日 封書 ら少し腹工合がわるかったのですが、同吟して頂いてゐます中に心気共に 爽快になり翌日も実にさはやかな気持にて今日に至っています。乍筆末奥 様へもよろしく御伝願ます。六月には又ゆっくり御同吟の機会を与へて下
さることを祈ってゐます
AI0 荒木貞夫 昭和17年l月7日 葉書 く年賀状〉光輝ある新春を迎ヘ御同慶に御座候。此時こそ奥恭しき国民精神 深みある古武士の風格を見度ものに御座候
A11 荒木貞夫 昭和17年4月16日 封書 今回多年の育英貢献に有終の美をなされ御退官の由、今回迄の御功績に対 し心より感謝仕り候
A12 安東完 明治41年l月1日 葉書 <年賀状>(宛先住所記入商欠)
< r
アインシュタイン伝」恵贈礼状〉福岡ニて色々御厄介ニなりましたとき のことをなつかしく思い出して居ります…本日アインシュタイン伝を御窓 A13 池田芳郎 昭和9年9月25日 封書 贈下されまことに有難く御礼申上げます。アインシュインの考えてるように偏微分方程式で物理のことか知れるならどんなによかろうと思ひます…
私はこの頃も古いことをこつこつやって居るのみです…西様や伊藤兄など 益々御研究の御事と拝察して居ります…
A14 石井蒸 昭和13年4月24日 封書 <子弟入学挨拶>
A15 〔石川〕成章 明治40年11月14日 葉書 過般肥南日奈久の清泉に浴し、玖摩の急湾に梓して両岸ノ秋色ヲ賞し申 候。其後有国附近に遊び明日は佐賀に行く積りに候
田舎の事とて各別面白き事も無御座候。只呑気なことは到底東京の比にあ A16 石川成章 明治41年1月26日 葉書 らず。貴兄も御帰朝の上は近い所に御住居の御事に御座候へは時々往来可
仕。今より鶴首相楽み居申候 A17 石倉小三郎 昭和13年4月20日 封書 <校長就任祝辞>
言挙げせぬ御国柄黙々不鏡の御実践真に是れ皇国教育の真骨頂と存候。皇 A18 石黒次官〔英 昭和14年6月21日 封書 国の為加餐御健闘を祈り候。教授の方々や生徒諸君の時局に慮するの心得 彦〕 を心より喜び
E
感入り候。阿け楚むる亜細亜の空に気吹していざ進ままし四方のはてまで A19 石黒英彦 昭和14年8月2日 葉書 〈暑中見舞〉
A20 石坂伸吉 昭和13年4月22日 封書 <校長就任祝辞>
A21 石津吉磨 明治41年2月28日 葉書 当地雪に候へども東京は梅のよしに御座侯.大学にては棲井先生が学長に 成られ申候
書簡(桑木或雄宛諸家書簡)
番号 差出人 日付 形態 鏑考{内容}
A22 石津吉磨 明治41年6月4日 葉書 御校閲を賜はり候物理書本文の印刷漸く一昨日法に終了仕候 A23 石津吉磨 明治41年10月初日 葉書 裏面は米沢理科研究会員にて小生は左より二人目に御座候
A24 石谷侍市郎 明治41年l月l日 葉書 <年賀状>西洋は日本と寓事反対とききますから目をくぽめて白黒してお かちんを吐き出しますのでせうね
こんな絵葉書をお送りしては異人に尋ねられたときは如何に御返答にお困 A25 石谷侍市郎 明治41年3月 葉書 り遊ばすかとも存じますが、そこはそれ先生一流の御緋解の途もありませ
うとかまわずに
A26 〔石谷〕侍市郎 明治41年9月29日 葉書 私は過る日から那須地方に俳って居ます
A27 〔石谷〕侍市・ 明治42年1月27日 葉書 「美人絵葉書Jを先生に呈する様な豪傑は理科に無いかと思って自分独り
某 豪傑ガッテ此絵葉書を選みました(侍市)
A28 石団幹之助 昭和14年8月10日 封書 <原稿落手>
A29 石野又吉 昭和13年4月17日 葉書 <校長就任祝辞>
A30 石原謙 明治43年6月18日 葉書 毎度兄を通じての御伝言有りがたく御礼申上候
く手渡し〉応召の目。仲秋前一夜の月、陪々として白檀梢上に照る。先生今 A31 石原純 明治37年9月23日 封書 帝都を発して皇軍の召に赴かんとせらるるか。将に行を送りて上野に到ら
んとし、蒼皇枯筆を籍りて破机に傍る
A32 石原純 明治37年10月19日 封書 <山形市歩兵第32聯隊応召時>落葉樹の黄変、蘭菊の幽香、何を申しでも 秋に寂しい感に候
A33 石原純 明治37年12月11日 封書 <山形市歩兵第32聯隊応召時>朔風猟々冬営を吹いて勇士の夢今何れにか 復く
A34 石原純 明治37年12月21日 封書 <山形市歩兵第32聯隊応召時>嚢日は妄りに一家の私事を申展ぺ清覧を汚 し奉り誠に失礼し候
〈近況〉霜も降らず梢を鳴らす風も無く暖い暖い日和、大学の旅順占領祝挺 会の朝はそれであった。正門に国旗が翻って居た。会の趣向は提灯行列の 陳腐に倣わず式場で聯合艦隊司令長官及攻囲軍指令部へ感謝状を送りそれ から各分科を一般公衆に縦覧させ夜祝盃を挙げるといふのである。物理学 科では諸器械等を列べ二年三年の連中総がかりで夫々説明或は実験やらう として前日から準備をした。液体空気、 X放射線を始め光線の美、電磁の A35 石原純 明治38年1月21日 葉書 奇、音響の妙各々素人の耳目を牽いて非常な人気であった。ぞろぞろとし て無慮一万人夕方には塵挨が机上に堆くなった。充分の交代も出来ず十一 時から四時まで廊下に立って潮の如き人の波に撲まれたのにハ閉口したが 近来にない理科大学の斯種の活動はうれしい事と思はれる。集会所で七八 人して夕餐を喫しつつ今日の種々の出来事を愉快げに談して居るうちに運 動場に万歳の声が聞える。理科の二階からサーチ・ライトをやるのが見え る。月夜の空だが美事に照った。祝盃は今酎であろう。正門のアーク燈、
赤門のイルミネーションを見て帰途に就く。翌日夜之を記るす
A36 石原純 明治40年11月10日 葉書 (片面欠)香港、錫蘭、伯林よりの御通信、うれしく在り難く拝見仕候。
御安着喜ばしく存上候 A37 石原純 明治41年1月1日 葉書 遥恭賀正
物理学総論の件、弘道館にては出版する積りにて庚告も出し候位に候が、
A38 石原純 明治41年9月15日 葉書 単猿にて出版するならば「物理学総論Jといふ名は如何にや一度御伺なさ るべしと弘道館へ申置候
<年賀状>クリスマスなど盛なることと存じ上候。当地ニウトン祭例の通 り賑かにて長岡先生の「るむめる光板にて水銀すペくとる線の複雑なるを A39 石原純 明治42年1月l日 葉書 示す」実験、中村先生の「黒石板をAnalyserとして結晶透過の偏光干渉の
美しい形を示すJこと、須藤一高教授の「アルゴン、ネオン、クリプト ン、クセノン等の稀薄管放電のスペクトルJ飯盛女高師教授の「水に浮ぺ たる水銀粒の牽引」の実験等有之候
A40 [石原〕純 明治42年10月19日 葉書 御葉書にて拝見致候庭で見ると御校内快澗なよい場所と思はれ候 A41 石原純 明治42年11月8日 葉書 いつぞや御話申上候拙論先月「数物」にて公けにいたし侯
書簡(桑木或雄宛諸家書簡)
醤号 差出入 B付 形態 備考{内容}
A42 石原純 明治43年5月9日 封書 Minkowskiの論文かして
A43 石原純 明治43年5月21日 封書 (封筒欠)Minkowskiの論文ありがとう
ボンデロモーチープフォーカスの出し方:A々は御説の如くエネルギーより 導くものに外ならず、別に新らしいことではなく候へ共、ラチビテーツプ A44 石原純 明治43年6月9日 葉書 リンチープよりすれば(他の諸関係に於ける知く)極めて簡単に容易く出 すことが出来申候。エンチクロペヂーにあるローレンツの書いたもの、今 迄よく目を通さず居候が、御教示により、右に関する部分だけ一読いたし 候
A45 〔石原〕純 明治43年7月28日 葉書 近著のZeitschriftにあるノルドストルム及アプラハムの議論はやはり後者 の方、正当なるやうに存じ侯
A46 〔石原〕純 明治43年10月30日 葉書 「数物」の拙論に付き御異見あらば切に何度願上候 A47 石原純 明治43年11月7日 封書 種々有益なる御忠言被下毎々難有拝諦仕り候
〈出版社へのクレーム〉・弘道館との関係は第一版中の一部の印税としてー A48 石原純 明治44年1月30日 葉書 昨年暮、先生の御斡旋により金五十円受取候て其の後は其侭になり居候…
只正直に売れただけの印税を毎年暮にても送りもらえば結構に候…学芸雑 誌のプランクの演説の御訳文拝見仕候
く回答〉御手紙拝見。如仰Relativitatder Zeitなること多少の興味ある A49 石原純 明治44年3月9日 薬害 も、所謂Relativitatsprinzipにて要求する慮は純粋にRelativi tat der
Zei tではなく、 Relativitatder Lichtw何回ではないかと考えます…
〈論文批評〉物理学校雑誌の記事拝読。今日先生を措いては、此方面の新知 識を世に紹介し得る人は無いと思います。先月の分の中に、プランクの光 A50 石原純 明治44年4月23日 葉書 速度の不変の証明をのせられましたが、あれは「証明」資格はないように 考えますが、如何。云々〈近況〉先日長岡先生より御話ありて東北大学へ赴 くやう申付られ候。近日中確定することと存候。之も偏に先生方の御蔭と 感謝致居候
〈近況) (東北帝大赴任)昨日当地に着任候。東京から来ると、静かな街と A51 石原純 明治44年6月l日 葉書 思はれ候。風何となく冷かに吹き候。大学は未だ建築工事も全部完成せ
ず、ごたごた致し居り候。整頓するのはどうしても九月頃なるべく候。先 は不取敢右御通知まで
〈礼状・近況〉物理学校雑誌別刷御送被下難有存上候。日下部兄が機械、小 A52 石原純 明治44年6月18日 葉書 生が図書の整理を致居候。もはや本多先生も御出あるべく追々賑に相成る
ことと存候
A53 石原純 明治44年9月13日 封書 九州大学へも教鞭を御取りに相成候由、結構なることなから又御多忙の御 事と奉存候
御高見の趣大体に於て諒承致候。只之は用語の上のことに過ぎぬかも不存 A54 石原純 明治44年9月27日 封書 候へ共「アインスタインの特有なるシグナルJと申され候こと、小生には
其必要も之れなきかと愚考仕り候
A55 石原純 明治45年4月25日 葉書 く近況〉ベルリンを経て昨日漸く此慮へ着きました…聞くことと話すことと 中々にむつかしく閉口します。
く近況)5月21日付御葉書有難く拝見。ゾンマーフェルド教授も親切です。同 A56 石原純 明治45年6月8日 葉書 教授は、只今Strahlungの問題につき御研究とみえます。ラウエ氏よりも宜 しくとの事です。 ・アインスタインが新しいアンナーレンに出した動力の 場に於けるレラチピテーツメカニクの論に対する御高見は知何ですか。
く近況〉去る15日から当地ヘ来てフェルザンムルングに出ている。今年は理 A57 石原純 大正l年9月20日 葉書 論の大家の顔が少なく、プランクもアインスタインもアプラハムもヴィー ンも見えず大したことない。実験の方には、おもしろいものも大分ありま した
〈近況〉先日当地へ来たが、まだプランクにも遇いません。近頃は、アイン A58 石原純 大正l年10月22日 葉書 スタイン及アプラハムのグラピテーションの理論が、何となく将来の発展 を待っているように思う。アプラハムは、相待論にすっかり反対の態度に なってしまった
〈近況〉先日は御はがき有難う。例のBerichtも仙台出立前にスタルク教授よ A59 石原純 大正I年12月27日 葉書 りの依頼をうけ大忙しく書候故、も少し書きなほしたき慮も有之候…小林
君の宿所ハBreslau'"同君とは、小生ミュンヘンに居る中、同地へ遊びに来 られて会申候。大場君ハ英国へゆかれて当地にてハ会ひ申さず候
書簡(桑木或雄宛諸家書簡)
番号 差出人 B付 形態 備考{内容}
〈近況>1月13日付御葉書有難く拝調。九大の方も追々御進捗のよし結構に存 じます。同化学科の丸津君は当地の御在学。時々御自にかかります…当地 A60 石原純 大正2年2月3日 葉書 にてポール氏のスペクトロメトリーに関する講義実験一寸おもしろく闘い ています…光の分子説は、アインスタイン自らも放棄し、今日ではスタル クのみが保守しているようです
〈近況〉去る五月より当地に滞在。アインスタイン、ラウエ氏など居りて理 A61 石原純 大正2年7月3日 葉書 論の方は中々盛で、只今Ehrenfest及Nordstronの諸氏立寄られ談話会など は殊の外賑か。アインスタインは相変わらずGravitationstheorieの論を試 み居ります
く近況〉御地大学の物理教室等も追々御整頓のことと存上候。ローレンツの 訳書も御完成の由、御骨折のことと存候。アインスタイン氏は先生のこと 御存〔知〕に候。今度同氏はベルリンへ故ファン・ト・ホッフ氏の後継者 として招聴せられ候こと、同氏には名誉のことながらチューリッヒの為め には惜しきことに人々申居候…九月にパーミングハムにである英国科学年 会には小生も行ってみたく存居候。ストラールングの議論ある白にて、
A62 石原純 大正2年8月10日 葉書 ローレンツ、プランク等の諸氏も出席せらるる由なれば楽みに致居候。ラ ウエ氏は此頃は自分でX線の実験をやって居られ候、ソムマーフェルド及 びデパイ氏のWirkungsQuantumに関する長い論文かアンナーレンに出申候が 原子の知何なるメカニズムがhなる常数を生ぜしむかは依然として不可解 l
のことに候。アインスタイン氏は、再び氏の最初の意見の如くhはスト ラールング自身の性質として存在するものなるべきことを信ぜらるるやう に候
A63 石原純 大正2年12月24日 葉書 独逸から二ヶ月来英国に来ている
く近況〉小生は去る二日に当地へ帰任.当地の大学も二年前と大差はないよ A64 石原純 大正3年6月12日 葉書 うですが、総長の変っているのが一番違った感じがするようです。帰りが
けにベルリンで小林君に遇いました
く論文「アキレスと亀」批評〉裳率房からの話は、先日其主人参りし折話出 でて、先生に紹介してくれとのことにて、名刺を依頼致したのでした。御 仕しいことも承知の上で、大いに恐縮に存じます…私の方も実はいろいろ なことに追われているので何時出来るやら見当もつきかねて居ます。私の 書く分はプリンシプルと云ふやうなものを整理して説明した上、種々の現 象聞の関係をよく分るようにしたいと思ふてゐますが…一寸にはゆきそう もありません。 「アキレスと亀j及文肇との関係の御論も拝読いたしまし A65 石原純 大正4年4月l日 封書 た。…田辺君とは時々意見も交換します。同君の「自然数の概念」云ふ話 も聞きました。次の東北数学雑誌に出されるそうです…〔追伸〕尚アキレ ス問題に就て、一寸一言加へさせて下さい。アキレスが亀に追いつくと云 ふ rProcessJをゼノの考へたやうに分けて考へることはどんな場合にも
「出来得る」ことと思ひます…ゼノのような考をたどる時間は、併しアキ レスの走る時間と比例はしないと云ふことは注意しておく必要があらうと 思ひます…只無限小なものを無限大集めたとき有限のものになるかどうか は、そこに解らずに残り得る唯一の点かと存ぜられます
く論文「歴史と科学J批評〉御手紙並に「歴史と科学Jありがたく拝見致し A66 石原純 大正4年9月4日 葉書 ました。重力理論に就ては尚考へる余地もありませうが、只今では小生の 先日の論文の試みが最も簡単で自然なものと信じて居ます…尚御高見あら ば承りたく存上ます
く論文「物理学と実在」等批評> (実在、静質量、絶対回転} 「現代の科 学jの御論も拝読いたしました。物理学的世界像をつくる場合に、実在は 物理学の問題とならぬと云ふ御結論のやうに読みましたが、それはやはり A67 石原純 大正4年10月l日 封書 哲学的パラドックスではないかと愚考いたします…静質量は物質を数量的 に認識せしむる或る絶対量であると考えます。従ってエネルギーと同様に 宇宙の全質量は一定であることを仮定したい…〔添書〕小林巌君・丸湾常 哉君へよろしく願上ます
く論文「物理学と実在j等批評> (実在、静質量、絶対回転)先日の御手紙 拝読いたしました。又別刷も難有頂戴いたしました。実在ということに就 て、尚田辺君とも話して見ましたが、どうも私には形而上的本位のみを実 在とすると云ふことが充分に承認せられません…「物理学的世界像に対し て数学に云ふコンペルゲンツ、ペワイスが果して成立するでせうか」と云 はれたことに就ては、私もそうだとは御答いたしません。併し、それ故に A68 石原純 大正4年II月10日 封書 「像は任意に沢山出来得るJとは云ひ難いでせう…物理学を数学と同様の コンペンションと考へられるならば、私は余りに自然の深さを無視された 上に於て不満足を感じます。質量の相対性と云ふことに就ては、私はもつ と根本的に進みたいと思ひます。たとヘ通常の意味に於ける質量は変ると する場合にすらも、尚何かの絶対の量がなくては、物質をはかり得ないで せう…地球の絶対廻転のことは…私は最初に申した立場から物理学の唯一 系統を仮定してやはり同じ答を繰返したいと思ひます…〔添書〕別封にて
「アララギJ一部御自にかけます
書簡(桑木或雄宛諸家書簡)
書号 差出人 日付 形態 備考{内容}
く論文批評〉御手紙有がたく拝謁いたしました。直接に御目にかかつて御高 論を伺ったらば啓発する慮も多いことと存じますが、それが出来ぬは遺憾 に存ます.御考のある庭も大体は諒解しましたが、只私にはどうしても A69 石原純 大正4年1I月30日 封書 「夢の問、覚醒の間夫々ゲゼッツが違ふ」と云ふ様な態度で、我々の現に
信用してゐる法則に対することが、余りに堪え得られぬことと感ぜられま す。静質量の静と云ふことは、決して正当な意味に於て動に対するもので はないと私は恩ひます。 〔添書〕田辺君の r(最近の〕自然科学」読みま したか
A70 石原純 〔大正8年)1月16日 封書 新年の『アララギ」一部差上げ申しましたから、御一読・御批言賜はりた く切望いたします
A71 石原純 大正8年4月17日 葉書 〈礼状〉小生の学士院授賞につきお祝ひくだされ、恭なく御礼申上ます。
A72 石原純 〔大正10年)7月4日 封書 <改造社自然科学叢書監修者の件。岩波の同様のものの執筆の件>
A73 石原純 [大正10年)8月3日 封書 〈スキャンダル事件の件)(東北帝国)大学休職の辞令が出る予定を伝える A74 石原純 大正10年12月10日 封書 <還銀問題>
A75 石原純 〔大正11年)7月18日 封書 〈論文借用の件〉改造社アインスタイン全集を出すにあたってマークスプラ ンクの論文等借用したいので、東北帝大の遠藤美寿宛送って欲しい旨
〈図書借用の件〉先日拝借のNaturwiss.あり慈く存じあげます、只今別便に て御返送いたしましたから御受取り下さい、尚ほこの外に同じく
A76 石原純 〔大正11年)9月8日 封書 Naturwiss. 4 (1916)…にあるアインスタインの文をも直ぐに訳したいので、
若し御差支へがないゃうでしたら拝借したいと思います…御聞入れの上は やはり仙台遠藤氏宛に至急御送りを頗ひ上げます
アインシュタインの京都、大阪での講演に人が集まらず福岡のも心配して A77 石原純 大正1I年12月12日 封書 いる。東北大に来ているウィーンのMolish博士から、 Thirring氏の rIdee
der R‑TheorieJを翻訳して欲しい旨あり
A78 石原純 大正1I年12月18日 封書 アインシュタインが12月24日に福岡へ講演に行く予定
A79 石原純 大正12年l月8日 封書 「相対性原理付録Jとりよせてから送ります。 HあれH は当分考えさせて 下さい
A80 石原純 大正12年2月8日 封書 門司の写真送ります A81 石丸優三 昭和13年4月28日 封書 <校長就任祝辞>
A82 石本巳四雄 昭和9年10月19日 葉書 陳者今回御著書「アインシュタイン侍J一冊御送付に与り誠に難有く厚く 御礼申上候
A83 伊豆直吉 明治43年l月l日 葉書 <年賀状>小生も昨年八月末当地高等農林方ヘ転任仕候 A84 板垣政彦 昭和13年4月12日 封書 <転任挨拶返礼>
A85 板橋盛俊 明治42年1月2日 薬害 謹賀新年。明治四十二年元旦
A86 板橋盛俊 明治43年6月16日 葉書 御繁仕中御起稿誠に恐入申候。指力線・磁位・磁界・磁力の四僚正に御受 取申候
「物理学と認識Jについて御手数かけ申訳ありません。 Meyersonの認識論 についてのパンフレット有難う・自然科学と哲学にまたがる御研究まこと にuniQueと存じます。 5月号の「経済往来」所載の三木清氏の唯物論に対し A87 市河彦太郎 昭和6年6月12日 封書 て批評を下せるのは先生か田辺氏位かと存じます・唯物論を取らず、実際
の運動としては英国の労働党のような運動が日本に起こることが望ましい ように思います。河合栄治郎教授のような考えがよいと思われますが、そ の出発点の唯物論反対をNewphysicsの上に組立ててみることが更にょいと いう気がします
「ファラデー及びマックスウェルに依る物理学の変革」を御送付下さり恐 絡に存じます.最近Eddingtonの rNaturephysical WorldJその他の和訳 A88 市河彦太郎 昭和7年1月29日 封書 も出てだんだんNewphysicsが日本にも一般的に知られて来ましたが、その
認識論的基礎にまで立入って考察されているのは、先生と田辺博士位で、
先駆者としての御骨折は大変と存じます
A89 井上 明治41年l月15日 葉書 謹賀新年。狩野亨吉氏昨年より病気之為帰京致居候
A90 井上哲次郎 明治44年6月27日 葉書 く礼状)r時関空間之観念Jに関する御論文御送り被下難有奉存候。右者
「絶対運動」と同じく哲学上重大之関係有之候。右不取敢御礼申上候
書簡(桑木義雄宛諸家書簡)
書号 差出人 B付 形態 備考(内容}
〈礼状〉御高著「物理学上認識の問題」御送り被下難有奉存候。右深く感謝
A91 井上哲次郎 明治45年4月2日 葉書 仕候。他日御論文集御発行相成候ハパ一大哲学書と相成可申候。小生等大 に樽益を得申候
〈礼状>r九州に於ける理学の発達」早速拝読仕候。種々啓発被致申候。此 段厚く御礼申上候。何卒今後壱部の書に御纏め被下度希望之至に御座候.
文貝原益軒先生記念講演速記等者一纏めにして印刷に付し可申計画有之候 問貴下之益軒に関する御考之大要を是非共中に掲載致度存居申候。乍御迷 惑御承諾被成下候様御願ひ申上候。尚序に一二点に就市御尋申上候 「麻
A92 井上哲次郎 昭和6年3月l日 封書 回は浅見姓」と有之候が、綾部氏にては無之欺如何 又「このとき我国に は支那の朱子学が入り来ったが、朱子学の宇宙論は天円地方と称しJ云々 と有之候が、朱子学は鎌倉時代の末に輸入被為候故「このとき」はぴたり と当たらぬやうに被考候が如何。次に天円地方は古代より有之、大戴礼記 にも「天円而地方」と有之故に無疑様に被考候が如何。定めて御高説有之 候事と被存候問御質問申上候次第に御座候。若御高説御垂示被下候へば大 幸に御座候
く礼状〉先日者御論文四篇御送り被下難有奉存候。此段厚く御礼申上候。九 州に於ける理学の発達之中に林羅山が長崎に之きたる事御記載有之候が右
A93 井上哲次郎 昭和6年3月31日 封書 者何之書に出候や何卒御垂示被下度御願ひ申上候。物理科学方面より観た る貝原益軒壱篇長短に拘はらず御起草被下候へば大幸に御座候。此儀御承 諾被下度偏に奉希候
A94 井上哲次郎 昭和9年10月27日 葉書 く礼状〉御高著アインシュタイン伝御送り被下難有奉存候
A95 茨木清次郎 昭和13年4月24日 葉書 <校長就任祝辞>
A96 今川覚伸 明治41年8月30日 葉書 五月十二日ヨリ北陸ヲ初メ東北各地方北海道ニ至ル迄五十九ヶ所ノ中学校 ヲ訪問致シ明治専門学校ノ趣意被露仕候為メ七月二十日迄カカリ申候
〈挨拶状〉拝啓先般は御手紙を賜りまして恐れ入りました…なほ松本高校に
A97 今中次麿 〔昭和14年)4月24日 封書 は中学同窓の関係にて知り合ひの英文学専攻文学士大林実君在職致し居る 筈と存じます.御薗陪の節はよろしく御伝へのほど願い上げます。
A98 入沢達吉 昭和10年1月14日 封書 く礼状〉アインシュタイン先生伝恵贈に関して
A99 岩本周平 明治41年1月l日 葉書 <年賀状>万国郵便聯合端書。異郷の新年を如何に感ぜられ候や
AIOO 岩本周平 明治42年3月5日 葉書 一昨夜は寺田、友田両氏の送別会にて山上集会所にて夜晩くまで不相変館 先生の気焔を聞き候
AIOI 上回敏・悦子 明治45年l月1日 葉書 く年賀状〉
AI02 Uchigasaki. S. 明治42年11月6日 葉書 大西洋上にて御認めのゑはがきは夏中に拝見しました。既に課業を御はじ めになった頃と存じます
AI03 内田銀蔵 明治41年8月30日 葉書 (修善寺菊屋の絵来書)六月十七日ノ御寄セガキ難有拝見致候。謹而御健 康ヲ祝シ申候
AI04 内田銀蔵 明治44年6月23日 葉書 高著別刷ありがとう。私の講演は主として言語上より立てた説です。来8月
『芸文』に掲載されたらお送りします
くテ礼取状調〉陳上者多去大之る四宜月貴ヲ地得へ参上之尊宅節井ハ一ニ方貴教ナフザル御厚、御情多ニ預リ御蔭ヲ以 使 、又御 室ヘ参上 忙中格別御歓 待ヲ蒙リ、種々有益ナル御講話拝聴マタ御珍蔵之図書標本等拝見、難有奉 鳴謝候・・・御約束申上候「トドハンターJノ記事アル雑誌以同使、小包ニ市 !
AI05 内田銀蔵 大正8年6月2日 封書 御送申上候…大江文城氏ノ程朱哲学史論モ見当リ候ママ併セテ御送り申上 候…拙稿「ポムペ先生に就きてJ}JJI別一冊奉謹呈候…「ガリレオ」ニ関ス ル小生蔵書、早稲田ニ預ケアルモノノ題名ハ左ノ如クニ御座侯 Galileo Galilei‑‑Per il Terzo Centenario dalla Inaugurazion
delJ' insegnamento di Gallileo Galilei nello Studio di Padova. F i renze. 1892
AI06 大石 明治40年8月20日 葉書 富士山頂ヨリ遥ニ君ノ渡欧ヲ送ル
AI07 大石和三郎 明治41年1月1日 葉書 <年賀状>併せて平素の疎潤を謝す
AI08 大石和三郎 〔明治41年)3月21日 葉書 杭州南京漢口沙市等へ行キマシタ
AI09 大河内正敏 昭和9年10月88 封書 く礼状〉貴著「アインシュタイン伝」壱部御恵贈与被成下難有拝受仕候…
AllO 大島文義 昭和13年5月15日 封書 〈礼状〉来校時の配慮に関して
大塚明郎 昭和10年6月25日 封書 〈アインスタイン伝批評(ローマ字)
>
書簡(桑木議雄宛諸家書簡)
番号 差出人 、 琵付 形態 鋪考{内容}
「窮理通J原本の記述と西村氏の'学界偉人,との記述が異なるがどっち A112 大槻如電 大正10年1月11日 封書 が正しいのか教示を乞う。梅園,高里両先生の墓所を伺いたい。(新撰洋学
年表〕に書き加えたい。柳問先生(志筑忠雄)の「求力論」と同種の翻訳に 蘭化(前野良沢)の「翻訳運動法」という本があるが、所蔵しているか
f究理通」と両先生の墓所判明、ありがたし。 「翻訳運動法j 〔前野蘭化 A113 大槻如電 大正10年2月l日 封書 著)1冊.
r
火器発法侍」 〔志筑忠雄著)1冊は言うまでもなく珍本だが書写するや否や。 「求カ論J 〔志筑忠雄訳〕は原本も写しで悪本であるので副 本の方を・・・
A114 大槻知電 〔大正10年)2月14日 葉書 今月末御上京靭御訪したい
A115 大槻知電 〔大正10年)2月27日 葉書 昨日貸した写本のうち「簿算J(中}II[淳庵]傍訓)が急に必要になったので 明日来訪の節携帯して下さい
A116 大槻如電 〔大正10年)3月10日 封書 │す3書月はる2知0日電慎の徳原堂稿で用高紙橋を東使岡え、京ば一再束交l子円峨の記念だ至があどうりか、遺。著近畿を収を集し中ばら・踏く象旅新行 A117 大槻如電 大正10年3月29日 葉書 20日懐徳堂で講演後直に南紀行しました
A118 大槻如電 大正10年4月25日 封書 議遊三句有余。暦象新書謄写の件承知、写字生田中保之に依頼。久保氏と は京大図書館で面会
「暦象新書J写本できたので書留小包で送った。写料50円。橋本の
r
(阿 A119 大槻如電 大正10年5月318 封書 蘭陀始制〕エレキテル〔究理原)Jは大阪で写させているがまだ今井氏には話が出来ていない
A120 大槻如電 大正10年6月7日 封書 52円預かったうち写字料50円。橋本(宗吉)の〔阿蘭陀始制エレキテル〕究 理原は一時立替にしておくので小為替で送って欲しい旨
r
(阿蘭陀始制エレキテル〕究理原」写本二冊{残紙49枚,表紙2枚)すぐに A121 大槻如電 大正10年6月8日 封書 送ります。写字料1枚10銭、金5円。本書は都合六部の写本があるがその原本はありゃなしゃ
八円儀之件御入念承知仕候。理学之濫筋拝読仕候。猶隔靴之憾有之と存 候。拝陪「さん学一歩 中天務著」此人ハ海上随鴎門人、緒方洪庵の師、
A122 大槻如電 大正11年l月4日 封書 天保六年死、五十三才、大阪天満穏海寺。御校医科大西君が御所蔵なり。
久保君より通知有候や。然ルニ一本写取申度御手ニ写字生も有之候へば何 卒御手数願上申度。其書の丁数不分明に而写字料を送る事も一寸困却仕 候。御出京と御申越御携帯被下候は大幸都合。伏て奉願候
A123 大槻如電 大正11年1月6日 葉書 4日に書面を出したが中央局が焼けたので燃えたかもしれないので着不着を 一報下さい
4日差出しの郵便は焼けてしまったらしい。 「算学一歩J他があった。九大 医科の大西氏が所蔵しているので写し取って欲しいと久保氏よりいわれて A124 大槻如電 大正11年l月14日 封書 いるが,写字料をいくら送ってよいのかわからないので仲介して取斗ってほ
しい。 「理学濫傍」拝見しました。付:如電詠短冊一枚「天つ月の青海原 にかけうつる雲路波路も高光依見ゆJ七十八如電
A125 大槻如電 大正11年1月15日 葉書 電報が届く前に再信うけとりました。拙詠の短冊は…
A126 大槻如電 大正11年2月初日 葉書 「算学一歩Jについては何分よろしく。付属の手紙が面白き者と被思申 候。是非一見したい
A127 大槻如電 大正11年7月7日 薬害 8円返却されました。
r
(新撰〕洋学年表Jやっと慶応3年までこぎつけた A128 大槻如電 大正12年6月7日 封書 「算学一歩・引律」は写字するや否や。文政11年出版の「海内医林伝J(山本眉山(善太))の著訳はそれ以前と判明しました
A129 大槻如電 大正13年2月18日 封書 「新撰洋学年表J清書再訂おわりました。今秋出版の予定。福岡の洋学者 青木五龍先生の墓所をお調べ下さい
武谷父子〔元立・祐之〕と「窮理適Jの両類が判明しありがとう。水減君 A130 大槻如電 大正13年4月14日 封書 より「筑紫史談」早速拝読、 ツクシ"という名義には一考あり。著書に
書いたので後日うつして送ります
久閥怒々震災後始末ー浅草の宅地ハ売却仕候。居住する事四十八年に御坐 候。当分弟文彦宅ニ寄寓(表書し処)御文通等同所充に願上申候。御多用 中恐入申候へと、武谷水域武藤長蔵両君へ御次手の靭御言侍被下度候。熊 A131 大槻知電 大正13年12月14日 封書 沢生ハ存居候はず。洋学年表ハ来春早々印刷ニ着手仕候間遅くも三四月の 交ニハ呈貴覧候。久保君ハ御洋行由しと承り申候。御帰朝頃ニハ必一覧ニ 供すぺく候。八十一才と相成申候へば総てがものうく相成可成用事を省居 申候
A132 大槻如電 大正15年10月初日 封書 来訪下さったが不在で残念でした。 「洋学年表J製版できた。地震のため 丁度2年のびた
A133 大槻如電 大正15年12月4日 封書 雑誌「科学知識」昨日届いたがもうすでに読んだものだったぞ
書簡(桑木或雄宛諸家書簡)
番号 差出人 箆付 形態 鋪考{内容}
A134 大槻如電 昭和2年1月14日 封書 先年 r(新撰〕洋学年表J刊行し只今製本中。近日2部お送りしますので久 保君へl部渡してほしい
A135 大槻如電 昭和2年2月4日 封書 r (新撰〕洋学年表」を送りました。久保君にも送った
A136 大槻如電 昭和3年7月17日 封書 御帰朝の事は聞いていました。自著「御肇国史」出版に取りかかりました A137 (1
大槻如電 年末詳8月18日 封書 (花実2枚) 「赤壁前賦集字
E
次先人頭J N遜遊長遺寄…M M千尋絶壁白水‑2) H 付:名調l枚
A138 大野 明治41年2月8日 薬 害 明日(土曜)午後七時頃片山君が君の慮へ行く筈です.小生も其時刻に参 上します
A139 大野 明治41年3月15日 葉書 貴兄の函はがき帖へ。巴里にて A140 Ohno. N. 明治42年l月5日 葉書 <ドイツ語の年賀状>
A141 大場成実 明治45年5月19日 葉書 廿九日朝当府着清水友三郎君の御話で同君と同宿仕候 A142 大場成実 昭和13年4月18日 封書 < 校 長 就 任 祝 辞 >
A143 大村清一 昭和13年4月6日 封書 < 校 長 就 任 祝 辞 >
A144 大森偉一郎 昭和13年4月28日 封書 < 校 長 就 任 祝 辞 >
A145 岡上梁 昭和13年4月初日 封書 < 校 長 就 任 祝 辞 >
A146 岡田恒輔 昭和13年4月18日 封書 < 校 長 就 任 祝 辞 >
A147 岡田良平 大正15年1月1日 葉書 謹賀新年
A148 Ok
. i
1 明治42年4月22日 葉書 十九日ニ当地着スルヤ否ヤ当大学ノ商業科ニ居杉村君ノ御世話ニテ直ニ大 学ニ参リバストール教授ニ遇ヒ候A149 沖巌 明治42年7月26日 葉書 八月三日リバープルをカルマニアニテ御出帆との事確定致され候哉 A150 奥田譲 昭和13年4月18日 封書 < 転 任 挨 拶 返 礼 >
A151 小倉金之助 明治37年10月4日 葉書 先生によって導かれた僕は永く永く先生が人格の感化を忘るることなきを 盟ひます
原因君から時々先生の近況を承ります。物理学校で突卯数理会が発起とな A152 小倉金之助 明治37年10月9日 葉書 りました{小倉金之助=19歳・物理学校の生徒でかっこの9月から大成中学 校5年級入学当時・年譜によれば明36年 物理学校講師桑木或雄先生の感化 を受けた"とある)
明日から中学の試験です。物理学校のクラスの皆はのんきです。この頃つ A153 小倉金之助 明治37年12月11日 葉書 まらぬものを書きました(r東京物理学校雑誌J巻14に寄稿'ベルヌリー兄
弟の数学的生涯H のこと) A154 小倉金之助 明治38年1月1日 薬害 く年賀状〉
A155 小倉金之助 明治38年2月9日 葉書 卒業試験も終りました。伊藤君萩中学に赴任しました。松蔭を学ぶ元気あ るべきか。僕は大成〔中学〕での器械体操に閉口しています
A156 小倉金之助 明治38年2月19日 葉書 今日卒業式です(物理学校)。先生の薫闘を受けられた事光栄に思います。
昨夜椿君が来訪しました。愈々軍隊に召集されたそうです
〈礼状・近況〉この間は図らずも、長時間に
E
り御垂教の機会を得ましたこ A157 小倉金之助 大正6年7月5日 薬害 とを感謝いたします。あれから、また名古屋に参り、漸く落ち付いた所で す。御礼が遅れまして、誠に済みませんでした。御許るし下さいませ…(※大阪医大教授に転任・塩見理化学研究所研究員になる)
先般当校御視察の際は種々御懇切なる御指導を蒙り有難く厚く御礼申上 候。扱て承り候へば先生には今回松本高等学校長に御就任被遊候由・・・小生 A158 織田祐萌 昭和13年4月12日 封書 は松高に十年程在職仕り殊に思想問題喧しき時代に約七年間生徒主事を拝
命して苦慮致したる丈に懐しみも深く又信州の風光も忘れ難く覚え候。四 年前広高に騒動ありし後故ありて当地ヘ参り候も松校の発展も常に念じ居 候慮に御座候・・・
A159 撃術研究舎議 昭和9年11月9日 葉書 アインシュタイン停右御寄贈被下御厚意奉深謝候
A160 栢野〔康行〕 明治41年l月19日 葉書 浅井忠逝き、橋本雅邦逝く。此の春母国の美術界は頓に寂莫を感じ申侯
書簡(桑木義雄宛諸家書簡)
番号 差出人 毘付 形態 舗考{内容}
A161 栢野 明治41年6月10日 葉書 今年の太平洋画舎は数年振りに面白く見物致し候.不折ノ作尤も真面目に て大作との世評に御座候。浅井先生遺品陳列も嬉しく侯
A162 鹿島〔梧〕ー 明治41年l月2日 菜書 (片面欠)。恭賀新年。四十一年元旦
<年賀状>此回は京都府庭前の大通りに候。尤も平常あまりにぎやかとい ふ方の処では之なく候が、ウンテルデンリンデンの新年のにぎやかさ(新 A163 柏木好三郎 明治41年l月1日 葉書 城君にききたり)とおくらべ下されたし。吉川君は二日頃出発される筈で あるが小生などはいつのことかわからず、今日は寒くて雨がふっていやな 天気です。田辺氏の音響と音楽は廿日頃出版になるだろうとの事 A164 柏木好三郎 〔明治41年)9月9日 葉書 貴著普通力学一部御送被下難有頂戴致候
A165 柏木好三郎 明治42年l月22日 葉書 <年賀状>今年は東京では度々雪で大そう寒いそうですが当地では例にな く暖です
A166 柏木好三郎 昭和9年2月23日 葉書 メイエルソン氏の科学哲学といふ別刷御送下されありがたう御座いました A167 片山正夫 明治42年2月[1日 菜書 其後アメリカをぶんめい一月十日無事帰朝仕候
A168 勝野 明治41年4月7日 薬 害 四月三日発羅馬ヨリノ御葉書今朝拝承 A169 勝野 明治41年8月12日 薬害 戦場ノ見学ヲ終リ漸ク当瑞西ニ来リ勝景玩味
A170 勝野正実 明治41年8月22日 葉書 Haggも案外にツマラナキ慮ニ有之驚キ入候。今夕「アムステルダムJに向 う筈
A171 勝野 明治41年10月21日 葉書 ヤガテ小生之在独満期も七ヶ月ト云フニ可至
A172 勝野正実 明治41年12月28日 葉書 当地来着以来悌国ヨリ之見物客誘導二時間を取ラレ未ダ御訪問を不出来得 候
A173 勝野正実 明治42年3月1日 葉書 昨日Leipzigに於而御賢兄様悌国に御転学之為該地乃出発之儀聞及驚樗 A174 勝野正実 明治42年4月28日 葉書 隊付御期切迫ノ為大急ギノ旅行ヲ致シ去廿六日[朝]帰着致候。残余一ヶ月
気愈西独乙国ノ駐在モ終リヲ告ゲ六月上旬出発可致 A175 勝野正実 明治42年5月30日 葉書 是非其内拝眉之上御旅行中ノ御話承り度候
A176 〔加藤〕 恭平 明治43年3月10日 葉書 小生漸く香港着明後日更に南下可仕候 A177 加藤恭平 明治44年8月3日 葉書 暑気烈敷折柄愈々御多祥を奉願候
A178 加藤恭平 大正3年9月10日 葉書 素子様目出度御結婚之儀高歳之至りに御座候。又夏子嬢御肥立良好之由何 よりと奉存候
陳者過般ハ松本高等学校へ御赴任被成候旨御通知依接し有難く存候。松本 A179 加藤正治 昭和13年5月14日 封書 ハ拙者郷里然も候故自然御自伝かかり候機会も可有之と存候が何卒郷里青
年之ため四万御指導御教訓之程御願申上候。乍延引御挨拶迄
A180 金井延 年月日未詳 葉書 昨月至日来旅行来十ニ四日ノ頃帰伯可仕候問、其上御尋ネ申上候筈ニ御座 侯
A181 金子幹太 昭和13年4月19日 封書 <校長就任祝辞>
A182 狩野亨吉 昭和6年4月8日 葉書 く礼状>
r
日本に於ける理学思想、の発達」御恵贈被下面白く拝見仕候…A183 狩野亨吉 昭和10年l月1日 葉書 〈年賀状〉
先般御地勿於て理化学大会開催の際は百事御斡旋匁預り御蔭匁て好都合匁 A184 嘉納治五郎 昭和2年5月31日 封書 終了し候段奉深謝候。又其際は種々御懇切なる品御恵与高々御礼申上候。
其後九州各地巡回漸く一昨日二十九日帰京いたし候。右御挨拶まで如比匁 候
A185 Kaba. Y. 明治41年l月28日 葉書 新婿や曽我寿や初芝居
A186 蒲寧 明治41年2月11日 葉書 紀元節ノ佳辰ニ当り貴兄ガ御健康ヲ祝し将来ノ高福ヲ祈ル
書簡(桑木裁雄宛諸家書簡)
番号 差出人 日付 形 態 鋪考(内容}
A187 蒲 〔宣言〕 明治41年3月11日 葉書 市川園磁冬振りニテ東上、歌舞伎座ニ仁木長兵衛二ノ替リニ光秀、赤垣ヲ 演ゼントシ昨今新聞前景気盛ナリ
A188 蒲寧 明治41年3月12日 葉書 ニ月ニナリァ東尽ハ降雪頻々、昨十日陸軍紀念日ニモ短時間ナガラ多量一 降レリ
A189 蒲寧 明治41年6月25日 葉書 君の御近況知何。今年は何慮に海水浴をし玉ふや
A190 蒲寧 明治41年7月9日 葉書 御両君を膝栗毛に警へたではない。此絵を見て一寸浮んだ迫です。然し伯 林にて共に麦酒て盃を舞せるなど実に倫快の事でしょう
A191 蒲寧 明治41年7月9日 菜書 霧雨連日例年より雨量多し。内閣総辞職後継内閣の詮議中、時候の為か殺 傷事件有之
A192 蒲寧 明治41年8月25日 葉書 貴兄亦撮影在らば送られたし。貴編普通力学閲読したり A193 Kaba. Y. 明治42年1月1日 葉書 < 年 賀 状 >
A194 蒲寧・歌子 明治42年12月3日 葉書 種々御心配相かけ候。小生縁談も漸く纏り去る五日田辺歌子と結婿仕候て 精一人前の人間らしき心地致し候
A195 蒲寧 明治43年3月10日 葉書 耳富雄麦酒一杯に少々惑乱したる結果?さるにでも君も今年は男子を持たる ならんがなるべく平易な名をつけ玉ヘ
A196 川瀬光順 昭和13年4月18日 封書 < 校 長 就 任 祝 辞 >
A197 河東卓四郎 〔昭和13年)4月20日 封書 < 校 長 就 任 祝 辞 >
陳は此般九州帝国大学教授御拝命之趣慶賀之次第と奉存候。此後益々大学 の為に斯学の為に貢献せ被れんこと多大之嘱望を以て期待罷居候。本邦に A198 菊池大麓 〔大正3年)4月28日 封書 も追々大学も増加し将来学術研究の気運益隆盛に向ひ欧州の学界をも凌駕 するに至らんこと希望の至りに御座候。何卒国家の為充分御尽力之程奉祈 侯
A199 菊池大麓 〔大正3年4月28日〕 封書 (封筒のみ)
A200 紀平正美 昭和6年3月9日 葉書 〈礼状〉御研究御発表の論文抜刷二部御恵贈被下難有御礼・..
A201 木村善太郎 昭和13年4月18日 封書 < 校 長 就 任 祝 辞 >
A202 日下部 〔明治40年)7月11日 葉書 静かさは無炎吊丈之鯨かな(コロンボーにて) A203 Kusakabe. S. 明治40年8月29日 葉書 八月四日無事当地に着仕り候
A204 日下部 明治40年9月30日 葉書 無事安着大慶至極に存候。小生月沈源に行く事に決定致昨日伯林出発序に ハンプルグに参り只今見物致し居り候
(Goettingenの消印)小生は講義を八ツ聞いて居るとて共代り実験は何も A205 日下部 明治40年12月4日 葉書 致しません。聞くと言っても本の名義丈で実は実験と幻燈とを見に行く様
な者、説明は丸で聞き取れぬので閉口です
A206 日下部四郎太ほ 明治40年12月27日 書7t皇ミ室Eヨ主 当地の名物は此様な物ばかりで夕食後に出掛くる場所はありません か
小生夏季休暇を利用し来月中旬より約四週間位の見込にてデシマルク、ス A207 日下部 明治41年7月14日 葉書 ヰデン、ノールイ及露国の首府を見物に出鈴け度く思ひ居り候が貴兄も御
同行如何に候哉
兎に角九月五日乃至十日の問に伯林に着する筈に候。貴兄は其頃迩御滞在 A208 日下部 明治41年7月23日 葉書 知何に候哉。小生は其次は約十日間の濠定にてス井ッツルを見物してリオ
ンに転学。来春法滞在の筈に候
A209 日下部〔四郎 明治41年8月25日 葉書 小生デンマルクより一昨日当地に参り候。山水の美日本に劣らず前面の湖
太〕 水は松嶋の如く背面の山は京都の如し
A210 日下部 明治41年9月8日 葉書 本日露都出発ダンチッヒを経て十日[午]十一日に貴地に参り候ぺく候
書簡(桑木義雄宛諸家書簡)
番 号 差 出 人 S付 形 態 備考{内容}
A211 Kusakabe. S. 明治41年9月24日 薬害 先日伯林に立寄りし際には既に貴兄御出立後にて残念仕り候。本多君にも 舎ひ申さず候
A212 Kusakabe. S. 明治41年10月21日 葉書 当地には約三十名の日本人なれど何れも商業家のみにて学生を外国語学校 卒業を一人たるのみ
A213 日下部 明治41年末 菜書 昨日曜を幸ひ晴天なりし故近郊なる千六百尺の高山(?>に登り四週を眺 望し浩然の気を養ひ申し候
A214 楠本長三郎 昭和13年4月20日 封書 < 校 長 就 任 祝 辞 >
A215 久世庸夫 昭和13年4月22日 封書 < 校 長 就 任 祝 辞 >
御無事御安着ノ由何ヨリノ御事ト奉存候。却説兼テ御預り致居候御手荷物 A216 工藤久夫 明治40年10月27日 葉書 ハ本日代理底へ引渡御送附可渡事ニ取斗置申候問悉着ノ上ハ御査収被下度
先ハ右御通知這 A217 園松豊 昭和13年4月23日 封 書 < 校 長 就 任 祝 辞 >
A218 久保猪之吉 大正9年6月27日 封書 (封筒欠><本贈呈の添書き>
A219 久保猪之吉 (1924) 葉書 巴里ノ古本ヤ御目ニカケ候。此頃ハエヲ貰ル方ガ得策ラシク御座候 A220 久保猪之吉 昭和9年10月3日 葉書 御令息ニ御託シ下サレ高著アインスタイン侍御恵贈下サレ難有拝受 A221 (Kubo. K) 明治41年7月12日 葉書 当地には数理物理学的智識を注入することが必要の急務であるといふ僕の
理念は僕の言を待たずして近々実行の途につく速になっている A222 Kume. T. 明治40年12月初日 葉 書 (ドイツ語文)
A223 Kume. T. 明治41年1月1日 葉書 < ド イ ツ 語 の 年 賀 状 >
A224 倉成粂吉 昭和10年8月17日 葉書 御恵贈ノアインシュタイン侍難有奉謝候。早速拝読致候慮浅学ノ小生ニハ 難解ノ点モ種々有之候得共得ル慮不砂
A225 蔵原〔番〕吉 明治41年l月l日 葉 書 謹賀新年
「アインシュタイン停J御恵贈下され、御厚志辱く厚く御礼申上候。貴重 A226 栗原嘉名芽 昭和9年10月7日 葉書 なる文献の豊富に集録されたるは誠に有難く、ゆるゆる拝読いたし度く楽
しみ居り候
桑木厳翼・新村 文教舎の遠足で久し振に天然の景色に援し遥かに風車を見てドンキホーテ A227 出・服部教ーほ 明治40年10月26日 葉書 の無理ならぬことを感じました(厳翼)兄を同道せざりしを憾とす、況ん
か や日くれて道に迷ひしに於てをや(新村)
A228 桑木厳翼・伊丹 明治41年8月30日 葉書 昨夜無事着、宿所変更の為二三軒マゴツキ伊丹氏の家に宿(桑木)御来遊
繁ほか 待ち候(伊丹)
A229 桑木厳翼・三浦 明治41年10月10日 葉書 昨夜は市立劇場にイプセン初期の作を観る。半オパ一式のもの。寧ろ全く
新七 オパーの如く歌のみなりせはと思はる。劇場は中々立派(厳翼)
A230 桑木厳翼・坂口 明治42年6月16日 葉書 倫敦の黒煙と塵挨とには少し閉口して居たが久し振の田舎道も愉快(厳
昂 翼)祝御健康(坂口)
A231 桑木務・徳永太 昭和17年5月24日 葉書 (桑木或雄・道子宛)ローマに赴く途中ペルンに寄り徳永代理公使御夫妻の
郎 御歓待をうけました(務)務さんは大変元気にしてゐます(徳永太郎)
A232 桑木務・朝永振 年月日未詳 葉書 午前はスキー午後は講演討論を行いなかなか愉快です(務)遥に御挨拶申
一郎 上げます(朝永振一郎)
会l粂ひ木し琢同~氏・が1亘昔ナ福宛岡j支;文庖部省に勤の丈めてJ;lゐらbれ仰た‑tこTとと共を知に釆ってb聯れたか驚甲府きまさんしたにお A233 桑木務・中村春 年末詳5月29日 葉書
太郎 f(桑申対木1)御挨拶も申上げずに当地へ参りまして御令息様にお目にかかり A234 〔小出満二〕 昭和13年4月l日 電報 ゴエイテンヲシュクス
書簡(桑木裁縫宛諸家書簡)
番号 差出人 ヨ付 形態 鋪考(内容}
A235 室田 明治42年l月13日 葉書 御地にては降雪は直ちに掃きちり申候かし。当地ては通例人道のみにて他 は中々行き届かず候
A236 古賀十二郎 大正15年1月1日 葉書 謹賀新年。当年は是非俸地にて拝芝の栄を得度存上ます。
A237 児島茂 昭和20年5月13日 封書 く書籍の疎開について><保険契約の件〉
A238 五島清太郎 明治41年1月20日 葉書 先達物理ノ教室ニテ伯林御滞在ノ由承知仕リ候ニ付右重々欠礼仕候段平ニ 御詫申上候
A239 [後藤〕 昭和13年4月3日 電報 ゴエイテンヲシュクシアハセテゴケンショウヲイノル A240 後藤七郎 昭和13年4月7日 封書 <転任挨拶返礼>
A241 小林良済 昭和13年4月3日 封書 <校長就任祝辞>
A242 小松原隆二 昭和13年4月18日 封書 <校長就任祝辞>
A243 菰田高一郎 昭和13年4月初日 封書 <校長就任祝辞>
A244 近新三郎 明治40年11月16日 葉書 御着欧被遊大慶の至 A245 近新三郎 明治41年1月1日 葉書 謹賀新年
〈礼状〉尚、貴重なる図書を貸与され、加え、貴論文の抜刷を多数御恵与下 され、身に余る光栄と存じ、心から感謝の念を禁ずるを得ませぬ。小生咋 夜(二十三日)出発、今暁九時半院倉致しました…今春四月からは出来得 A246 近藤洋逸 昭和10年l月24日 封書 るならば阪大理学部にて(京都に近き関係もあり)本格的に勉強を開始致 し度いと考えてゐます…明日から京阪地方へ旅立ちます。阪大の大学院入 学可能か否かが未定なので、部長真島教授に直接御願ひしようと思ってゐ るからであります…
<礼状>このたび豚児八束の入学に関しましては並ならぬ御高配にあづか りましていかに御種を申上げてよきかわれら夫婦ともこのうへもなき感謝 と歓喜とに満されて居ります。との御謹は到底短日時に於ては御報い出来 るものには非ず、せめては小生の微力を我学園に在られる御令息のうへに 蓋し御思の幾分にでも酬いるよりほかないと考へて居ります。然るところ A247 西僚八十 昭和17年3月25日 封書 先日はまた結構なる御祝品賜はり重ねて恐縮いたしました。なによりも学 修上必要なる書物にて有難く頂戴いたしました。豚児にもよく申聴かせこ の御記念品の意味を永久に忘れぬゃう心得させました十九日御帰京の際は 御多忙を考ヘわざと拝趨遠慮いたしました。いづれ御閑暇のころ改めて参 堂為綾御挨拶申上げたいと存じてをります。以上寸格をもって乍非種あつ く御種申上ます
A248 早乙女清房 明治43年4月24日 葉書 旅順に参り吉田弟彦氏に遇ひ共に背面砲台を見物いたし往年同胞苦戦の跡 を偲ひ申候
A249 早乙女清房 明治43年8月24日 葉書 小生病気入院に就ては深く御心配下され御見舞を辱ふし有がたく奉謝候 A250 早乙女清房 大正2年9月5日 薬害 本年は御上京もなされざりしや、小生は目下当地に参り居り近日帰京の積
りに有之候
A251 早乙女清房 昭和9年10月18日 葉書 アインシュタイン侍一冊。右貴著御恵贈に与り有がたく受領。
A252 坂井英太郎 明治41年l月l日 葉書 恭賀新語
A253 坂井英太郎 明治41年8月13日 葉書 理科大学と人類教室との問、新築の数学教室木造にて至て粗末なから九月 下旬位には出来致すべく、講義の場処丈を間に合ひ可申候
A254 阪田貞明 明治40年8月初日 葉書 御滞神之折は何之風情もなく失礼しました。天候も静まりて瀬戸内海の景 格別よろしかりしと存候
A255 阪田貞明 明治40年12月24日 葉書 <年賀状>確かとは申されませんが来春(四十一年)あたり欧米へ出張が 出来るかもしれません
阪田貞明 明治41年l月30日 葉書 此方よりも是非御留守宅を御尋ね可被致候
A257 阪田貞明 明治41年5月初日 葉書 去る十一日浦塩着。当日同地発去廿四日聖都着。来三一日より開会之航海 会議に列席之上六月十日頃御地に向ふ積に御座候
A258 阪国 明治41年6月初日 葉書 明二十一日(日曜日)午前十時半頃迄に参上いたさねば湖水浴之御伴は出 来ぬことと御承知被下度候
書簡(桑木或雄宛諸家書簡)
番号 差出人 日付 形態 鏑考{内容}
填伊瑞旅行を終り当地に参りて新村君の宿に飛込み未だ巴里に参らず目下 A259 阪田・新村出 明治41年10月19日 葉書 英仏併合博覧会開会中之折柄本日は終日見物致候(阪国)伯林から倫教に
来ると山の中から俄に東京に来たより以上の感がありますよ(新村) A260 阪田貞明 明治42年6月24日 葉書 元の所の裏あわせに当りインカムプなる家有之。当分の所と思ひ本日転居
致しました
A261 佐川栄次郎 明治42年l月6日 葉書 先日家捜して御迷惑をかけ失敬致候 A262 桜井錠二 昭和9年9月22日 葉書 く礼状〉アインシュタイン伝壱部右御寄贈御礼 A263 桜井錠二 昭和10年1月2日 封書 く年賀状(名刺添書))
A264 佐野静雄 明治41年1月(12)日 葉書 (片面欠)田中館先生に面会致候。先生例ノ如ク勢能ク居ラレ候 A265 佐野静〔雄〕 明治42年l月1日 葉書 < 年 賀 状 >
A266 津田源ー 昭和13年4月27日 封書 <校長就任祝辞>
A267 四野宮豊 明治42年1月1日 葉書 <年賀状>小生ハ去年四月下旬当校ニ参リ候。橋本君ハ名古屋ノ第八高等 学校ニ転任致サレ候
A268 〔柴〕田桂太 明治41年l月5日 葉書 < 年 賀 状 >
拝復其後御礼のため一度相趨と存じながら取紛れ失礼いたし居り候。さて 島村抱月(瀧太 昨夕御招を蒙り難有奉存候。然るに貨は熊本の方を急ぎ候ため昨早朝一同 A269 郎) 大正4年2月2日 封書 を率い出発の手筈と相成居り乍遺憾此度は拝趨の機を得まじと存し候。尚 何れ可申上と得し候へ共不取敢右御返事芳御礼まで如此に御座候 (芸術 座用実・同封筒)
先日来御地開演中は格別の御芳志を蒙り奉感謝候。此地も引きつづき盛況 A270 島村抱月 大正4年2月6日 封書 に御座候。御安神被下度。出発の際は終に拝眉の機を得ず失礼いたし申
候。今後とも可被懇宜御願申し上度松井よりも千万が高申出し候。先は不 取敢御礼まで如此に御座候 (芸術座用筆)
A271 島村抱月 大正4年10月21日 葉書 (表}台湾より御挨拶申上候。十月廿一日 台 南 に て 島 村 生 (裏)すま子 (台湾絵薬害)
島村抱月・中村
(芸術座第二回研究劇(閣の力)四幕目絵葉書) <暑中見舞(印制物))(宛名書│
A272 吉蔵・松井須磨 大正5年7月17日 葉書
子 き別人代筆か?)
清水清蔵・田中 今度廃嶋高師之本間君病気で休められ代りに天野之祐君行かれる由に候 A273
館寅・天野之祐 明治41年8月16日 葉書 (清水)小生は相変らずベンデルを振り昼寝をして居ます(田中館)小生 は本年もgの旅行の御伴をして居ります(天野)
A274 清水清蔵 明治41年9月25日 葉書 小生事山陰、北陸巡回致居候慮去十八日帰京仕候。来月中旬には大演習始 まり后には暇となる都合にて今より何かと計画致居候
A275 清水(清蔵〕 明治42年1月1日 葉書 (陸軍砲工学校学生卒業式紀念)謹賀新年。併大兄之万福を祈る
大分暖くなりましたね。今度本多君より大兄と日下部君の写真を送っても A276 清水清蔵 明治42年4月9日 葉書 らって久しぶりて御壮顔に接するを得たので欧喜至極に存します。ツエツ ペリン伯の空船は当地でも大分に評判ですが今度帰国之折には詳しく話し てもらいたいと思ふて居ます
A277 清水清蔵 明治44年4月9日 葉書 近頃日本橋か開通して左のものが比較に以て来たから御機嫌伺ひに誌で差 上げ申候
A278 清水武雄 大正 15年 1~1日 葉書 〈年賀状〉
A279 清水武雄 昭和9年10月8日 葉書 く礼状〉本日ハ改造社より御著ア氏伝送附、御恵与ニ預りまして誠に難有御 礼申上ます・・・
A280 Shimizu (清水武
年末詳8月17日 葉書 小生無事相暮居候。 X線の実験を致居候へども万事捗らず閉口致居候。平
雄) 和を待居申候。先日田辺、小田両君にお目にかかり候。
A281 清水半吾 昭和13年4月27日 封書 <校長就任祝辞>