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「有翼の天女図」五考

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「有翼の天女図」五考

─絵双紙の中の「天津乙女」と「羽衣」─(龍野)

目次はじめに一.黒本『はごろも』二.天人の朋輩としての雷神と天狗

   (一)黄表紙『晒落摸様飛羽衣』

   (二)黄表紙『荒山水天狗鼻祖』

   (三)黄表紙『雲飛脚二代羽衣』小括

はじめに享保年間(一七一六~一七三五)の上方で香道の中から発生した「翼型の羽衣」という意匠は、十八世紀の第三四半期には歌舞伎の世界に入り込んでいった。同時に、「翼型の羽衣」は絵双紙の中へも浸透してゆく。これらのうち、最初期の黒本では笑いの要素はいまだ稀薄であるが、十八世紀末の黄表紙では、歌舞伎の世界のしばしば被虐的な「天人」の物語とは対照的な、奇想天外な笑いに満ちた羽衣天女の物語が 生み出されてゆく。そこでは、「翼型の羽衣」を伴う天津乙女は、時世装と唐装とインド風の菩薩形の間を往還しながら、時に迦陵頻伽像へと接近しつつ、しばしば「有翼の妖物」としての天狗と関連付けられている。本稿では、これら文化年間以前の絵双紙に見られる天津乙女像と羽衣像の様態について、概ね年代を追って確認してゆくこととする。一、黒本『はごろも』羽衣説話に取材した絵双紙の中でも、最も初期に属するのは黒本『はごろも』であり、東京都立中央図書館加賀文庫所蔵の一本(八八四五二四

る弓削道鏡の兄であり、兄弟ともに笛の名手との設定である(一ウ~ 原で羽衣を手に入れる漁師白龍は、後に長屋王子の参謀役を強いられ 逸文に由来する天人流浪譚とを綯い交ぜたものである。また、美保松 弟である長屋王子の謀叛の企てに、謡曲『羽衣』の趣向と『丹後国風土記』 (一七五二)の刊行と推定される。物語の大筋は、当今たる淡路廃帝の – 六)の表紙裏に「宝暦二壬申年」の墨書があることから、この年

         龍 野 有 子 「有翼の天女図」五考

   

│ 絵双紙の中の「天津乙女」と「羽衣」

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二オ)。生来の唖ゆえ山中に遺棄された長屋王子(一オ)は、唖娘の生き胆を食らって発話能力を獲得する(二ウ~三オ)。他方、白龍の笛の音に誘われて美保松原に降り立った天乙女は、白龍に羽衣を奪われ、子持ちの寡夫となっていた白龍の懇願により、その子が成長するまで養育係として地上に留まることを余儀なくされる(三ウ~四オ、図①)。やがて長屋王子は悪党どもを率いて追い剥ぎとなるが、その襲撃を退けた道鏡の力量を見込んで参謀とし(四ウ~五オ)、内裏に踏み込んで皇位を要求するも、吉備大臣と横萩大臣に退けられる(五ウ)。かたや道鏡は女帝の寵愛を獲得する(六オ)。長屋王子は道鏡に命じて紀名虎の白骨を蘇生させると(六ウ~七オ)、生前の百倍力となった名虎と一党とを伴って再び内裏に乗り込んで皇位を要求し、狼藉を尽くすも(七ウ~八オ、八ウ)、吉備大臣が内侍所の紐を解くと名虎は元の白骨に戻り、横萩大臣の家臣久米八郎が一党を蹴散らして退散させ(八ウ~九オ)、落ちのびた長屋王子は白龍の家に辿り着く(九ウ)。その白龍宅では、心ならずも白龍の妻女となっていた天乙女が天上から鳴り響く楽の音に望郷の念を募らせて出奔を決意し(九ウ~一〇オ、図②)、長屋王子は白龍の子と羽衣を掠めて逃走する(一〇ウ、図③右)。出奔した乙女は、鳥羽の恋塚を経て(一一オ、図③左)大和の高天寺に到り、鶯の音にさらに望郷の念を募らせ、嘆きの歌を詠む(一一ウ~一二オ)。他方、白龍と道鏡の兄弟は長屋王子を追って潜伏先の黒滝山に到るも、長屋王子は両名を打擲し、白龍の子の殺害を企てる(一二ウ)。その様を、追っ手を命ぜられた久米八郎が窺い(一三オ)、長屋 王子は久米との格闘の末に首を打たれ、羽衣と白龍の子を奪回した久米は大臣から褒美に預かる(一三ウ~一四オ、図④)。かくて帝は面々を集め、天乙女は羽衣を掛けた若松を前に、白龍道鏡兄弟の笛に合わせて霓裳羽衣の曲を舞うと(一四ウ~一五オ、図⑤)、羽衣とともに昇天しつつ、国土安満の宝を降らせ、「めでたし〳〵」となる(一五ウ、図⑥)。この絵双紙の筋書の骨子をなす長屋王子の皇位簒奪計画と、横萩大臣の家臣久米八郎による討伐のプロットは、元文五年(一七四〇)二月大坂豊竹座初演の浄瑠璃『鶊山姫捨松』(並木宗輔作)に依拠するもので、史実の長屋王の変とは無関係である。また、紀名虎の白骨の蘇生は、延享元年(一七二〇)九月大坂市山座初演の近松門左衛門『井筒業平河内通』によるもので、近松の浄瑠璃では文徳天皇の第一皇子惟喬親王が、弟の惟仁親王(清和天皇)から皇位を奪うことを目論み、外祖父名虎の骸骨を祀って招魂する。他方、生来の障害により山中に遺棄された皇子という設定は蝉丸伝説、生き胆による唖の治療は奥州安達ヶ原の鬼女伝説に関連づけられる。なお、史実の淡路廃帝(淳仁天皇)は長屋王とは従兄弟関係にある男帝であるが、この絵双紙では女帝となっており、史実の道鏡を寵愛した孝謙上皇・称徳天皇との混交が生じているほか、紀名虎の没年を「すぎつるさいめいてんのうの御代」とするなど、浄瑠璃や歌舞伎とも共通する確信犯的なアナクロニズムを多々含んでいる。この絵双紙では、羽衣は都合五回登場する。①白龍が見出す場面(三ウ、図①右)、②長屋王子が強奪する場面(一〇ウ、図③右)、③久米

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源氏香之図の図像形成とその論理

─「乙女」図としての「羽衣」を軸として─(龍野)

八郎が奪回する場面(一三ウ、図④右)、④大臣に差し出す場面(一四オ、図④左)、⑤天乙女の舞の場面(一四ウ、図⑤右)である。うち、②の羽衣は杉の葉状のやや長い尾羽を持つが、これ以外は蓑亀の尾に似た短い尾羽となっており、常に領巾状の天衣を伴っている。旧稿でも触れたように、この絵双紙の羽衣の形状は、宝暦三年下半期の江戸中村座の興行を描いた版画類に見られる羽衣と共通しているが、中でも『敵討巌菊水』の辻番附に見える瀬川吉次の天人図(図⑦)は、構図全体がこの絵双紙の天乙女の舞の場面に倣ったものと見てよい。その天乙女の装束は、天降った直後(四オ、図①左)と昇天の場面(一五ウ、図⑥)では襞飾の着いた大袖衣に襞襟を付け、宝髷を結い上げた唐装風であるが、舞の場面(一四ウ、図⑤右)では小袿袴と大垂髪に檜扇を持つ宮中装束風であり、白龍宅に住まっている場面(九ウ~一〇オ、図②)や放浪の場面(一二オ、図③)では小袖着流しに日本髪の時世装となっている。天人の時世装へのやつし姿は、延享二年(一七四五)正月中村座の『羽衣寿曽我』をはじめ、歌舞伎狂言にも頻出するもので、絵双紙と芝居が共通した想像力に根差していることをよく示している。なお、昇天の場面の天乙女は、本文では「はころもをちやくし天上し給ふ也」と記されるが、翼型の羽衣を背に装着した姿では描かれていない。蓮弁が舞い散る中、雲気に包まれて遊泳するような姿勢で天衣を翻し、合掌しつつ昇天する姿は、装束こそ襞飾付きの唐装風ながら、仏教図像としての飛天図の参照を強く伺わせる。他方、天乙女が降らせる「こくとあんまんのたから」の中には、小判、打ち出の小槌、宝鑰とともに隠れ笠と隠れ蓑が描かれている。「天の羽 衣」と「隠れ蓑」の意味論的・形態的な関連性については旧稿で触れた通りであるが、この絵双紙では、翼型の羽衣と隠れ蓑は明確に描き分けられており、両者の相関性は既に稀薄となっている。この絵双紙では、複数の浄瑠璃から採られた趣向が羽衣説話と綯い交ぜられているが、全体の結構は勧善懲悪であり、笑いの要素は稀薄である。しかし同時期の浮世草子では、既に天人降臨譚と笑いの要素が結びつき始めていた。二、天人の朋輩としての雷神と天狗黒本『はごろも』の推定刊行時期にわずかに先立つ寛延四年(一七五一)の正月に刊行された評判記『役者枕言葉』の口開の浮世草子「大評判は光りかゝやく冬空の雷」では、芝居好きが集まる座敷に、落雷と共に唐装風の天人が落ちてくる(図⑧)。この「二八計なる天人」は、「天津空に。久しう住居をいたして。ちか比から虎の皮やといふ雷さんに嫁入しました。稲妻といふ妻でござんす」と自己紹介する。座敷に集った面々は、天界を恋しがって嘆く稲妻夫人を前に思案を巡らした末、役者評判記を土産に天界に送り返してやる。これは「臍と評判は兼ての大好物」の雷神を大いに喜ばせ、芝居町を潤す慈雨が注がれて、いともめでたく結ばれる。この天人自体は羽衣説話とは無関係であるが、ここでは天人が雷神と結びつけられていることに注目したい。同様の結びつきは、これに半世紀ほど先立つ元禄十三年(一七〇〇)の江戸山村座『傾城蘭麝躰』の五番目「風流大まつり」の「かみなりもなびく乙女のはごろも」

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も見える。「風流大まつり」は六つの所作事からなる一座総出の「大おどり」であり、他の所作事の「知恵ハくうかい色もんじゆ」「かうしよく自然居士」といった名題からして、「かみなりもなびく乙女のはごろも」は久米仙人風の艶笑譚を組み込んだ所作事であったと推測できる。これらから、羽衣を持物とする天津乙女と雷神は、「美女と野獣」風の滑稽味を帯びた、天上界の好一対と見なされていたことが分かる。同様に、天津乙女としばしば関連づけられるのが天狗である。とりわけ、翼型の羽衣像の普及定着と時を同じくして隆盛期を迎えつつあった黄表紙では、翼型の羽衣を持物とする天津乙女と、その身に翼を生やした天狗とが、しばしば類縁の存在として描かれる。その好例が、安永九年(一七八〇)刊の山東京伝による『晒 落摸 ようとんだ羽衣』一〇と、寛政五年(一七九三)刊の曲亭馬琴作、北尾政美(鍬形蕙斎)画の『荒山水天 狗鼻祖』、そして享和元年(一八〇一)刊の竹の塚の翁(竹塚東子)作、北尾重政画の『雲飛脚二 にだいの代羽衣』一二であり、それぞれに異なった形で天津乙女と天狗とが関連づけられている。

(一)黄表紙『晒落摸様飛羽衣』『晒落摸様飛羽衣』では、天津乙女に縁のある天界の生き物として、天狗と雷神の双方が登場する。物語は、「は こざきのう らがしに」住む色白美男の美保松の行水姿に見惚れた乙女が、久米仙人よろしく「つ うやう しないけん」、羽衣ともども下界に落下してくる場面から始まる(一オ、図⑨)。乙女から「いかにげ かいのい ろおとこ

をかなへてたべや」と熱烈に求愛された美保松は、「天人にほれらると   わがこひ

  かたじけな」しと乙女を妻に迎え、

老母との三人暮らしとなる(一ウ~二ウ)。しかしある日、美保松が戯れに羽衣を身に着けたところ、「これし衣おとこへのふ わゆえあぶないといふやつ」にて、美保松は己が意に反して天界に連れ去られてしまう(三オ、図⑩)。雲の上に棲まう天人たちは、下界からやってきた美男子に色めき立つ(三ウ~四オ、図⑪)。他方、夫も羽衣も失った乙女は、姑を養うべく得意の音曲で深川芸者として身を立て、やがて白金町で質屋と両替屋を営む大尽白両の目に止まる(四ウ~八オ)。この間、天上界での美保松は、日夜言い寄ってくる天人たちのため「じ んきよのほどもおぼつかなき」仕儀に陥った上に、これに嫉妬した天狗どもの迫害にもあって難儀した末、雷神に助けを求める(八ウ~九オ、図⑫)。ここでは、天狗は好色な天人たちを挟んで主人公と敵対するのに対し、雷神は厳めしげな外見に反して心優しき救済者の役割を宛てがわれている。美保松は臍くりを担保に雷神の力を借り、羽衣を携えて落雷とともに下界に戻ってくるが(九ウ~一〇オ)、見知らぬ土地で右往左往する(一〇ウ)。この間に乙女は白両に身請けされて深川を去る(十一オ)。美保松は何とか箱崎まで辿り着くも、我が家は既に空店となっており、致し方なく羽衣を質入れすると(十一ウ~十二オ、図⑬)、そのまま物語から退場する。他方、白両夫人となった乙女は、ある夜隣家に訪れた歌姫が謡った『羽衣』の曲に望郷の念を募らせ、天界を慕って泣き崩れる(十二ウ~十三オ)。奇しくもその日、羽衣が質入れされたことを知った白両は、乙女にこれを与える(十三ウ~十四オ)。乙女は大いに感謝して羽衣を

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源氏香之図の図像形成とその論理

─「乙女」図としての「羽衣」を軸として─(龍野)

着すると、「さらバ〳〵といふままに

ともに昇天する者の姿は全て立位で表されており、物語冒頭で地上に またこの黄表紙では、戯れに羽衣を身に着けた美保松も含め、羽衣と で、最終場面で羽衣を着して昇天する姿も小袖に丸髷のままである。 その一方で、地上の男の妻となった後の乙女は小袖着流しの時世装 衣天女》と同一類型となっている。 衣を翻し、胸前には羯鼓を装着しており(図⑮)、後の本多錦吉郎の《羽 題簽に描かれた乙女は、菩薩形に類する着衣に翼型の羽衣を着けて天 する姿は、仏画や仏堂荘厳の迦陵頻伽に酷似している。また、上巻の に落ちてきた当初の乙女も同様だが、背に翼型の羽衣を装着して飛行 瓔珞や腕釧を装着して、大きく翻る天衣を伴っている。この点は下界 上半身には条帛のみをまとい、下半身に裳を着け、高い髷に天冠を被り、 その天界の天人たちの着衣は、菩薩形の飛天におおむね倣うもので、 ることになる。 ではなく、空中を飛行する時にのみ用いる特殊な装具と想定されてい く描かれることから、この黄表紙における羽衣は天人の常の衣の一部 松に言い寄る天人たちは、領巾は纏っているものの羽衣は伴うことな 独で描かれる場合でも、常に領巾を伴っている。他方、雲の上で美保 女なり美保松なりが装着している場合でも、装着者を伴うことなく単蝶仙人」に描かれた「天人」たちの唐風装束とは異質である。一四 この黄表紙の羽衣は、長い尾羽を伴う典型的な翼型であり、天津乙の評判記『役者千贔屓位指』の浮世草子「贔屓〳〵は其人の菓に寄飛 このみよる がするハ」という落ちで締めくくられる(十四ウ~十五オ、図⑭)。評判は光りかゝやく冬空の雷」、あるいは明和六年(一七六九)正月刊 なり少女の裳裾」の詞章を踏まえた「やくしゆ屋のみせといふにほいいずれにしても、この黄表紙の天人の服制は、黒本『はごろも』や「大 と謡曲『羽衣』の詞章と共に昇天してゆき、最後は謡曲の「色香も妙る。   かすみにまぎれてうせにけり」降下する天人が遊泳するような姿勢で描かれているのとは対照的であ

(二)黄表紙『荒山水天狗鼻祖』寛政五年(一七九三)刊の『荒山水天狗鼻祖』の冒頭部(二ウ~三オ、図⑯)に登場する天津乙女は、羽衣とともに三保松原に下った当初から小袖姿であり、芝居の台帳を擬した体裁の本文でも「あまつ乙女の天人着流し」と描写されている。ただし、漁師白良に奪われた羽衣とは別に、大きく翻る領巾ないし天衣を着けており、この天衣が天津乙女が常の女人とは異なる存在であることを示す記号となっている。羽衣を奪われた乙女は白良の妻となり(三ウ~四オ)、やがて出産するが、生まれてきたのは卵であり(四ウ~五オ)、そこから孵化したのは有翼鼻高の「へんちきなひよっ子」だった(五ウ、図⑰右)。両親はこの息子を「太郎よぼ うよ」と溺愛するが、異形のために周囲の子どもからは疎まれ、鶏のほか遊び相手がいない(六オ、図⑰左)。これを不憫に思った乙女は、自分が天に戻れば太郎坊の異形も解消されると考え、秘かに羽衣を取り戻すと、葛の葉子別れよろしく書き置きを残して昇天し、物語から退場する(六ウ~七オ、図⑱)。ただし昇天の様は絵としては表されず、夫と子の就寝中に小袖に丸髷姿で屏風に書き

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付けをする乙女の姿のみが表され、羽衣はその足元に置かれている。その後、失踪した母を求めてさまよい出た太郎坊は、烏や雀に苛められていたところを次郎作なる者に保護されるが(七ウ~八オ)、成長するにつれ持てあまされ、「いつそひねつて俳諧師にでもならんと」江戸に出ようとするものの(八ウ~九オ)、相模国で追い剥ぎに遭う(九ウ~十オ)。そこに通りがかった田舎芝居の興行師に救われ(十ウ~十一オ)、初めは鳥姿の軽業師として見世物に出るも当たらない(十一ウ~十二オ)。やがて鼻高の人相から「市川團十郎」と名乗ったところ大当たりとなり、谷町もついて豪遊三昧となる(十二ウ~十三オ)。しかしここに、本物の團十郎が「都見物のかへるさ」に通りかかり、贋の團十郎を捕えて打擲すると(十三ウ~十四オ)、「引き抜きの衣裳にて不動明王のかたちを現じ」、周囲の人間を制多迦矜羯羅の二童子と延命子安地蔵に変容させる奇瑞を引き起こす(十四ウ~十五オ)。かくて團十郎に懲らされ諭された太郎坊は心を改め、「てんぐと名のって強情我慢の凡夫を罰」する役目を担うこととなる(十五ウ)。『荒山水天狗鼻祖』刊行当時の團十郎は、寛政三年(一七九一)十一月に実父である五代目から名跡を継いだ六代目であり、蝦蔵と名を改めた五代目と共に市村座に出勤している。鼻筋の通った美男として世を風靡した五代目團十郎は、團十郎襲名の翌明和八年(一七七一)秋の評判記『役者優軍配』口開の浮世草子「誉れは高し鼻相撲」で既に天狗に擬えられており、安永から寛政年間にかけては團十郎と天狗の類比は常套となっていた。この類比は、鼻高美男の風貌を実父から受け継いだ六代目にも継承されている。 『荒山水天狗鼻祖』の主眼は、その團十郎父子を牽引役として上方を凌ぐ隆盛を遂げつつあった江戸歌舞伎の繁栄を言祝ぐ「江戸ッ子」意識の発揚にあり、羽衣天人譚はその枕として用いられているに過ぎないが、羽衣天女と天狗を卵生というモティーフで結びつけるという発想は、羽衣天女と天狗は双方ともに「有翼」という外見的特徴を持つ、鳥に類する生き物であるとの認識の上に立っている。このことは、「天狗」と「羽民」の同一視・同類視という文脈とも関連する。羽民は『山海経』巻六「海外南経」および巻十五「大荒南経」を初出とする生き物であり、『山海経』には卵生との言及はないものの、明代の『三才図会』人部巻十四では卵生とされ、万治元(一六五八)年野田庄右衛門刊の『異国物語』でも「子を生ずるに卵なり」と明記される。この羽民の存在は、「天狗」なるものの図像の形成のみならず、西欧起源の有翼像、とりわけ有翼裸体童子像の日本における受容の様態を考える上でもきわめて重要な意味を持つのだが、ここではこれ以上深く踏み込むことは控える。異類婚や神人婚と結びついた卵生説話は洋の東西に遍在するが、黄表紙の世界では天明二年(一七八二)刊の芝全交作、北尾政美画の『風雷神天狗落種』に興味深い先例がある。こちらでは、人の女であるお多福お豆が天狗の行水姿に見惚れて天界に浮上し、押しかけ女房となって卵を産む。そこから孵化した風神雷神の双子が地上に転落して、紆余曲折の末に観音菩薩を頼り、金龍山浅草寺の風雷神門に収まるという、寺社縁起譚の体裁である。下界の醜女が天界の異形の男の行水姿に惚れ込んで天界に浮上するという発端部分は、本文では久米仙人に

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源氏香之図の図像形成とその論理

─「乙女」図としての「羽衣」を軸として─(龍野)

比されており、天地と美醜を反転させれば、そのまま『晒落摸様飛羽衣』の冒頭部と重なり合う。卵生による異形の誕生というモティーフとともに、この点もまた羽衣天女と天狗が類縁の存在と見なされていたことの証左といってよい。付言すれば、浅草寺の風雷神門は明和四年(一七六七)の火災で焼失しており、天明二年当時は再建事業の模索中であった。その風雷神門の縁起譚としての『風雷神天狗落種』には、『荒山水天狗鼻祖』とは異なった意味ながら、やはり濃厚な「江戸ッ子」意識を窺うことができる。

(三)黄表紙『雲飛脚二代羽衣』『雲飛脚二代羽衣』では、『晒落摸様飛羽衣』や『荒山水天狗鼻祖』以上に羽衣天女と天狗が密接に関連づけられており、物語の筋書きと絵画的描写の双方が両者を緊密に結びつけている。また、その序文(一オ)は、「鸚鵡能 よく人の詞に通ひ天津乙女ハ欄間格天井に宜 よく舞遊 あそべど孰 いづれ鳥類とはなれば」と、やはり天津乙女を鳥の一種としているが、「羽衣」についてはあくまでも着脱自在な飛行具と見なしている。しかも「おとこへのふわ」を抱えた『晒落摸様飛羽衣』の羽衣とは異なって、人の男が着用しても「よく身に応じて飛行自在となさしむ」ものとされており、そのような「羽衣」を手に入れた主人公伯蔵の冒険譚を予告しつつ、この物語は「功ありて身を保 たもつの一助とな」り、「閲する旹ハ童蒙のよき肥やしたるべし」と、お定まりの教訓譚の体裁を整えている。序に続く最初の見開きは、三保松原に下って舞い遊んだ天津乙女が松樹に羽衣を掛け置き、腰巻き一つで水浴する、あぶな絵風の情景か ら始まる(一ウ~二オ、図⑲)。しかし、その艶姿を上空から垣間見て恋情を催した天狗が飛来して乙女を拉し去ってしまい、漁師伯蔵は何も知らぬまま、残された羽衣のみを手にすることとなる(二ウ~三オ、図⑳)。その後、本文では謡曲『羽衣』で羽衣を拾った伯 了の子孫の零落が語られ、伯蔵は美保松原で羽衣を得た「二代目」であることが示される(三ウ~四オ)。伯蔵は、思案の末に羽衣を携えて江戸に上り、「百里一日千里十日」を謳い文句に「羽衣屋」の屋号で空飛ぶ飛脚屋を商い初め、大当たりとなる(四ウ~六オ)。この評判を聞きつけた某大名家の御隠居の依頼で、伯蔵は「長命薬」を求めて異国の地に赴くが(六ウ~七オ)、途上で巨人国の鳥刺しに捕獲され(七ウ~八オ)、異国渡りの珍鳥として大王に献上される(八ウ~九オ)。ここで「は ん年ばかり」愛でられた後は、見世物小屋に払い下げられ、「日本渡漁師鳥」として喝采を浴び(九ウ~一〇オ、図㉑)、身請け人となった巨人に財をもたらす。その後、身請け人の歓送を受けて再び長命薬を求めて旅立つものの(一〇ウ~一一オ)、今度は「大悪玉」の鳥頭人身の化け物どもに襲われ、頼みの羽衣も羽をむしられて進退窮まる(一一ウ~一二オ)。しかし偶然にも、かつて天津乙女を掠った天狗の居所に辿り着き(一二ウ~一三オ)、今や妻女の薫陶のもとで「てんぐのつきや (ママ)いをやめ」て学問に勤しむ「仁者」となった天狗から、長命薬の処方を記した書物を授けられる。羽衣を乙女に返却した伯蔵は、天狗の背に負われて帰国し(一三ウ~一四オ、図㉒)、御隠居に長命薬の処方を届けて大いに労われ、褒美を頂戴する(一四ウ~一五オ)。最終場面は、「大

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うきの物」となった伯蔵が恩人と崇める天狗の画像を礼拝する後姿で締め括られる(一五ウ、図㉓)。この黄表紙では、着脱可能な飛行具としての羽衣そのものが物語の牽引役を担っており、最終場面を除くほぼ全ての場面に羽衣が登場する。また、『晒落摸様飛羽衣』や『荒山水天狗鼻祖』の羽衣は常に両翼が開いた形で表されているのに対し、『雲飛脚二代羽衣』の羽衣は、序文の文言通り「よく身に応じ」るものとして、鳥や天狗の翼と同様に、状況に応じて自在に開閉するものとして描かれており、飛行時以外は翼が畳まれた状態で表される(一ウ、三オ、三ウ、六オ、六ウ、八オ、八ウ、一〇ウ、一二ウ)。しかしそれ以上に注目すべきは、この黄表紙の羽衣は、長く翻る尾羽を伴う翼型の羽衣が定型化した後の作例であるにも拘わらず、ごく短い尾羽のみを伴っていることである。天津乙女の持物としての羽衣を、意図的に天狗の翼に接近させていると言ってもよい。より正確に言えば、これに先立つ黄表紙の中で、天狗の翼の側が着脱可能な飛行具としての羽衣に接近し、それを受ける形で『雲飛脚二代羽衣』では、羽衣の側が天狗の翼の形状に接近しているのである。通例天狗の翼は、その身体の一部として背中に「生えている」ものと見なされる。しかし黄表紙においては、天狗の翼も羽衣同様、しばしば着脱可能なものとして描写される。例えば、上述の『風雷神天狗落種』では、行水を使う天狗の背に翼はなく、盥の傍らに脱ぎ捨てられた衣服と共に翼が置かれている(一ウ、図㉔)。また、『荒山水天狗鼻祖』と同じ寛政五年(一七九三)に刊行された桃栗山人柿発斎(立 川焉馬)作、歌川豊国(初代)画の『天狗礫鼻 はなの江戸子』は、江戸の團十郎父子に対抗心を燃やした山城国蓮台野の天狗連が江戸に下り、團十郎一門に戦いを挑んで完敗するという筋書であるが、江戸下向の道中、天狗どもは「よ (世)をしのぶにハ、は ねがじ やまとなりけれバ、と うぶんは ねをた ゝんでこ しへつけてあるく」(四ウ、図㉕)。この場面に見える取り外された翼は、全体が羽毛に覆われ、背面下部には細く短い尾羽を伴っており、『雲飛脚二代羽衣』の羽衣と瓜二つである。その一方で、『雲飛脚二代羽衣』の内部においては、天津乙女の羽衣と天狗の翼は明確に描き分けられている。いずれも羽毛に覆われた鳥の翼を原型としているものの、天狗の翼の風切り羽相当の部分は、飛膜で覆われたコウモリの翼手を思わせる筋張った形状が強調されており、全体が羽毛で覆われた羽衣とは差別化されている。同様の差別化は『晒落摸様飛羽衣』にも見られるが、天狗の翼を鳥類の翼とコウモリの翼手とを折衷したかのような筋張った形状に描写する慣習は、翼型の羽衣が出現するよりもはるか以前から存在しており、大英図書館所蔵の『天狗の内裏絵巻』(図㉖)など、江戸時代以前の作例にも見出せる。小括「有翼の妖物」としての天狗観とその表象については、他の有翼像との関連を含め、別稿で改めて論ずる予定であるが、天狗の翼を着脱可能な飛行具と見なす発想は、「翼型の羽衣」という観念から派生したものと見るべきだろう。これを天津乙女と羽衣の側から見れば、翼型の

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源氏香之図の図像形成とその論理

─「乙女」図としての「羽衣」を軸として─(龍野)

羽衣の定着以前はもっぱら雷神と結びつけられていた天津乙女が、「翼型の羽衣」という意匠を介して、新たに「有翼の妖物」としての天狗との結びつきを獲得したと言ってもよい。そうした結びつきは、言葉と絵の相乗による奇想天外な連想遊戯と、時世に即した江戸前の笑いを本領とする、黄表紙という駄菓子的な文芸領域の中でこそ生み出され、展開し得たものであった。これに対する上菓子的文芸としての読本では、黄表紙とは多分に異なった趣の羽衣天女譚が生み出されている。とりわけ文化年間の読本に見られる羽衣天女像は、十八世紀最終四半期の黄表紙の羽衣天女像とは対照的な、生真面目な教訓性と高踏趣味に彩られているのだが、これらについては稿を改めて論ずることとする。

注一

拙稿

「「有翼の天女図」三考─「翼型の羽衣」像の発生」『如是我聞録』編集委員会編『如是我聞録』、二〇二〇年、一~十三頁、および「源氏香之図絵の図像形成とその論理─「乙女」図としての「羽衣」を軸として─」『岡山大学文学部紀要』七三号、二〇二〇年十二月、三〇~五二頁。二

拙稿

「「有翼の天女図」四考─江戸中期の芝居の中の「羽衣」と「天人」─」『文化共生学研究』二〇号、二〇二一年三月、六九~九二(二五~四八)頁。三

史実の

「よこはぎのおとど」(藤原豊成)は「横佩大臣」であるが、ここでは後述の『鶊山姫捨松』に倣って「横萩」とする。四

ただし

『鶊山姫捨松』の長屋王子は、久米八郎景勝が首を刎ねる寸前で大炊の君(淳仁天皇)による制止が入り、流罪に留められる。五

拙稿

「「有翼の天女」図四考─戸中期の芝居の中の「羽衣」と「天人」─」『文化共生学研究』第二〇号、岡山大学大学院社会文化科学研究科、二〇二一年三月六

拙稿

「「有翼の天女図」三考─「翼型の羽衣」像の発生」 七

役者評判記研究会編

『歌舞伎評判記集成』第二期第三巻、岩波書店、一九八八年、一五四~一五九頁。八

九 ~二九二頁。 佐藤恵理、鳥越文蔵編『江戸板狂言本一』古典文庫四三九、一九八三年、二九〇

久米仙人の逸話は

『今昔物語集』巻十一第二四話、『発心集』巻四、『徒然草』第八段、『私聚百因縁集』九など。浄瑠璃では寛保三年(一七四三)十二月京都中村座『粂ノ仙人吉野桜』、歌舞伎狂言では元文二年(一七三七)五月大坂中山新九郎座『久米仙人袖振山』など。一〇

東京都立図書館加賀文庫。京伝作の常として画は

「北尾政演」名義である。一一

東京都立図書館加賀文庫ほか所蔵。清田啓子「翻刻

年期」、『駒沢短大国文』 刻あり。また作品分析については、清田啓子「荒山水天狗鼻祖─曲亭馬琴の青 短期大学研究紀要』三号、一九七五年、八九~一六五頁に加賀文庫本による翻   曲亭馬琴の黄表紙」『駒澤

六号、一九七五年、三八~四八頁。

一二

早稲田大学図書館

ほか所蔵。竹の塚の翁(竹塚東子)作、北尾重政画、通油町鶴屋喜右衛門刊。一三

雷神が求めたのは金子ではなく

「臍」である。一四

『歌舞伎評判記集成』

第二期第九巻、一九九〇年、二一七~二二〇頁。一五

『歌舞伎評判記集成』

第二期第一〇巻、一九九二年。一六

一七 六九頁。 版は同社〈江戸〉選書、一九八〇年)、團十郎父子と天狗については特に五〇~ 西山松之助『江戸ッ子』、歴史文化セレクション、吉川弘文館、二〇〇六年(初

『黄表紙芝全交集』

第一巻、フジミ書房、二〇〇八年所収。一八

一九 がる事こゝんのたワけ」(一ウ) たためしハあれともてんぐのはなのあかきをミてつうをうしないてんへとびあ 「むかしくめのせん人が女のはぎのしろきをミてつうをうしなひ下かいへおち

西山松之助

『江戸ッ子』五三~六九頁に加賀文庫本の翻刻あり。二〇 Or 13839、一五六〇~一六〇〇年頃、二巻本、上巻三一〇×九〇三〇ミリ、下巻三一〇×六四六六ミリ。平山郁夫、小林忠編『秘蔵日本美術大観四

一九九四年、八八~八九頁、辻英子『在外日本絵巻の研究と資料』笠間書院、 図書館・アシュモリアン美術館・ヴィクトリア・アルバート博物館』講談社、 大英

(10)

一九九九年。二一 「讀本ハ上菓子にて。絵双紙ハ駄菓子也」

、式亭三馬『昔唄花街始』跋、文化六年(一八〇九)。

(11)

源氏香之図の図像形成とその論理

─「乙女」図としての「羽衣」を軸として─(龍野)

図①黒本﹃はごろも﹄三ウ〜四オ図②黒本﹃はごろも﹄九ウ〜一〇オ 

(12)

図③黒本﹃はごろも﹄一〇ウ〜一一オ図④黒本﹃はごろも﹄一三ウ〜一四オ 

(13)

源氏香之図の図像形成とその論理

─「乙女」図としての「羽衣」を軸として─(龍野)

図⑤黒本﹃はごろも﹄一四ウ〜一五オ

図⑦『敵討巌菊水』辻番附(部分) 図⑥黒本『はごろも』一五ウ

(14)

図⑧﹃役者枕言葉﹄挿絵第二図 

図⑩『晒落摸様飛羽衣』三オ 図⑨『晒落摸様飛羽衣』一オ

(15)

源氏香之図の図像形成とその論理

─「乙女」図としての「羽衣」を軸として─(龍野)

図⑪﹃晒落摸様飛羽衣﹄三ウ〜四オ図⑫﹃晒落摸様飛羽衣﹄八ウ〜九オ

(16)

図⑬﹃晒落摸様飛羽衣﹄十一ウ〜十二オ図⑭﹃晒落摸様飛羽衣﹄十四ウ〜十五オ

(17)

源氏香之図の図像形成とその論理

─「乙女」図としての「羽衣」を軸として─(龍野)

図⑮﹃晒落摸様飛羽衣﹄上巻題簽図⑯﹃荒山水天狗鼻祖﹄二ウ〜三オ

(18)

図⑰﹃荒山水天狗鼻祖﹄五ウ〜六オ図⑱﹃荒山水天狗鼻祖﹄六ウ〜七オ

(19)

源氏香之図の図像形成とその論理

─「乙女」図としての「羽衣」を軸として─(龍野)

図⑲﹃雲飛脚二代羽衣﹄一ウ〜二オ図⑳﹃雲飛脚二代羽衣﹄二ウ〜三オ

(20)

図㉑﹃雲飛脚二代羽衣﹄九ウ〜一〇オ図㉒﹃雲飛脚二代羽衣﹄一三ウ〜一四オ

(21)

源氏香之図の図像形成とその論理

─「乙女」図としての「羽衣」を軸として─(龍野)

図㉖大英図書館本『天狗の内裏絵巻』

第十三紙 (部分) 図㉕『天狗礫鼻江戸子』四ウ

図㉔『風雷神天狗落種』一ウ  図㉓『雲飛脚二代羽衣』一五ウ

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