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日 本 近 代 法 史 研 究 の 方 法 論 に つ い て

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(1)ヤ. ヤ. 吉. 井. ー戦前の全法体制の原型の提起をめぐってi. ヤ. 日本近代法史研究の方法論について. 序. 小括に代えて1今後の課題と方向. 明治二十年代初頭の法体制と﹁三二年体制﹂論. 利谷信義﹁三二年体制﹂論の検討. 一 序 む ヤ 戦前の全法体制の原型の析出の意義と分析視角. 二 三 四. 五. ち. 蒼. 生. 夫. 本稿は︑維新変革から第二次大戦の敗戦に至るまでの日本の全法体制の基本構造を総体的に明らかにしようとする. 場合︑その原型︑すなわち︑戦前の法体制の形成過程と︑形成された法体制の再編過程・崩壊過程を含む全法体制の. 四四五. む セ 主要な構成諸要素が構造的に定置目確立する時期の法体制︵以下︑本論中における法体制の原型とはこのような意味で用い. 日本近代法史研究の方法論について.

(2) 日本近代法史研究の方法論について. ヤ. ヤ. ヤ. ち. 四四六. る︶を析出することの現時点での意義は何か︒また︑このような原型を析出しようとする場合の問題点および今後の. 課題と方向について︑最初の原型の提起である利谷信義氏による﹁三二年体制﹂論を︑これまでしばしば重視されて ヤ. ヤ. きた明治二十年代初頭の法体制との連関で検討することをつうじてみいだそうとするものである︒. ところで︑戦前の全法体制の原型を求めるということについて︑若干のコメントをつけておきたい︒それは︑第一. に︑このような課題設定は﹁法は自己に固有の内在的な発展法則をもたない︑ということの正しい理解を前提﹂とし セ. 産業資本. てはじめて成り立ちうるということであり︑また︑そのねらいは﹁法現象の全構造的連関﹂を明らかにしようとする ヤ. ことにある︒第二に︑戦前の全法体制の原型を折出しようという課題は︑戦前日本資本主義の構造的定置. へ. ち. 二. ヤ. ヤ. 戦前の全法体制の原型の析出の意義と分析視角. 一月号︶. 一七頁︒. 確立過程の研究︑あるいは︑戦前日本帝国主義の成立︑天皇制国家権力の確立の研究と密接な関連をもっている︒こ の れらの諸研究は︑日本近現代史の全過程を眺望しうる歴史的位置の全体構造の把握を目指すものであり︑戦前の全法 体制の原型の析出はその一環として行なわれるべきものである︒. ヤ. ︶ 稲本洋之助﹁資本主義法の歴史的分析に関する覚え書﹂︵﹃法時﹄一九六六年一 1 ︵ ︶ 中村政則﹁日本帝国主義成立史序論﹂︵﹃思想﹄一九七二年四月号︶ 一頁参照︒ 2 ︵. ヤ. ︶ 原型の析出の意義 1 ︵.

(3) ち. ヤ. も. ヤ. 戦前の全法体制の原型の析出の意義は︑原型が︑戦前の全法体制の総体的把握にとってもつ客観的意義および現代. 日本法ないし戦後の全法体制の総体的把握に対する関連のあり方によって規定づけられる︒. ところで︑戦前の全法体制の発展過程を目本資本主義の発展との対応において解明することを課題とし︑大きな成. 果をあげるとともに︑以後の日本近代法史研究に多くの理論的︑実証的な問題を提供したのは︑一九五八年から刊行. された﹃講座日本近代法発達史﹄であった︒この﹃講座﹄は︑﹁明治維新から敗戦に至る約八○年間のわが国の経済. および政治との関連において︑国家法の構造と機能とを分析すること﹂を目的としていた︒そして︑法律学が伝統的. に制定法の解説や解釈に努力を集中していた事実に対して︑ーもちろんそのような法律学が果した大きな役割を認め. たうえでi﹁経済・政治・社会の諸現象との関連において法現象の構造と機能とを分析するという仕事は︑もっとも. 強力な社会統制の手段としての法を理解するために必要である﹂との認識に立って︑法現象を諸社会現象の一環とし ヤ ヤ て分析することをねらいとしていた︒そのことはまた︑﹁特に︑後進資本主義国の常として法律をてことして資本主. 義経済の発足と推進とを行わなければならなかった近代日本にとっては︑法の演じた役割はきわめて大きく︑またそ. の政治権力の特殊の構造からも法の演じた役割は特殊のものとならざるを得なかったのであり︑経済および政治との の 関連において日本の近代法を究明することは︑日本の近代史研究にとって欠くことのできない重要課題である﹂と︑. 日本近代法の史的究明が日本近代史研究にとって不可欠な構造的連関をもつものとして位置づけられていた︒. また︑法現象を諸社会現象の一環として全体的に分析しようとするこの﹃講座﹄は︑そのねらいから︑かなり明確. 四四七. に全体の時期ー明治維新から敗戦に至るまでの時期の時代区分を行なっている︒その時代区分をするにあたっての基 日本近代法史研究の方法論について.

(4) 日本近代法史研究の方法論について. 四四八. 準は﹁一応どういう時期に︑公法私法を通じて日本法全体としての体制が確立して︑その後どういうふうに変ってい. くかということを︑常に資本主義の発展と関連させながら考える﹂こととして︑全体の時期を四つに分け︑第一期. ぶ. ﹁法体制準備期﹂︵明治維新ー明治一三年︶︑第二期﹁法体制確立期﹂︵明治一三年ー大正三年︶︑第三期﹁法体制再編期﹂. ︵大正四年−昭和六年︶︑第四期﹁法体制崩壊期﹂︵昭和七年ー昭和二〇年︶と各時期に命名した︒その後の日本近代法史研. の 究は現在に至るまで︑一応この時代区分を基準としている︒. しかるに︑戦前の全法体制の総体的把握は︑六〇年代後半に刊行された﹃講座現代法﹄所収のいくつかの論文︑た. とえば︑長谷川・利谷﹁日本近代法史﹂︵﹃講座現代法﹄第一四巻所収︶︑利谷﹁戦前の日本資本主義経済と法﹂ ︵同第七. 巻所収︶によって︑かなり明確に︑現代日本法の︑ないしは戦後の法体制の総体的把握を行うための歴史的前提を明. らかにする為に必要な手続きであると意義づけられた︒このように︑戦前の全法体制の総体的把握︑すなわち第二次. 大戦の敗戦を境として︑それ以前の全法体制とそれ以後の法体制とを区別して把握するという見方は︑日本資本主義. の発展過程について︑﹁戦前・戦中の日本資本主義と戦後の日本資本主義とは︑単なる連続的な関係ではなくて︑そ ぶ の間に一定の構造的特質としての断絶が認められる﹂︒あるいは︑日本近現代史について︑﹁維新変革を起点とする歴. 史過程が︑第二次大戦における敗戦および戦後改革をもって︑いわばひとまとまりのサイクルを終えたのであり︑こ. 鋤. 働. のひとまとまりの歴史過程を︑仮に日本の﹃全近代﹄と呼ぶとすれば︑戦後社会にたいしてこの﹃全近代﹄が母胎を ⑯ なしている﹂という歴史認識を前提として︑それに対応する法現象の歴史について︑﹁戦前と戦後とで︑国家と法の 総体としての性格は変化した﹂とする認識を基礎としている︒.

(5) ヨ. ち. さて︑戦前の全法体制の総体的把握が︑戦後の全法体制の総体的把握を行うための歴史的前提を明らかにする為に. ヤ. ヤ. ち. へ. 必要な手続きであるとして意義づけられるとすれば︑戦前の全法体制の原型の析出の意義は何であろうか︒戦前の全 ヤ. ヤ. 法体制の原型は︑戦前の全法体制の発展過程を把握する基準となる︑すなわち︑この原型が戦前の全法体制の主要な. ヤ. ヤ. ヤ. ヤ. ︵この場合︑この原型の析出によって︑戦前の全法体制の発展過程. ヤ. 構成諸要素が凝集されている法体制としてとらえられるとすれば︑原型の析出は︑戦前の全法体制の基本構造を解明 する手掛りを与えるものとして意義づけられる︒. ヤ. が論理必然的に解明されることになるのではない︶︒. この原型の析出と戦後の全法体制の総体的把握との関連はどうか︒戦前の全法体制の原型は︑戦後の全法体制の構. 造的特質を直接的に表現しているものではない︒すなわち︑戦前の全法体制は一応︑形成過程︑確立過程︑再編過程 ヤ. ヤ. ・崩壊過程の全過程を終了し︑戦後の全法体制は︑戦前のそれの単なる再編成ではない︒戦前と戦後の全法体制に ち. ヤ. は︑一定の性格の変化があると考えられる︒したがって︑戦前の全法体制の原型の析出は︑戦前の全法体制が戦後の. 再建された全法体制の歴史的前提をなしている限りで︑そして原型がそのような戦前の全法体制の主要な構成諸要素 ヤ. ヤ. を凝集している法体制である限りで︑戦後の法体制を全体的に明らかにするための間接的に必須の前提をなすもので. ある︒現時点において︑戦前の全法体制の原型を析出することは︑このように意義づけられる︒. ②分析視角 ヤ. ヤ. ヤ ヤ 戦前の全法体制の基本構造を明らかにしようとする場合︑その全法体制の発展過程を把握する基準としての原型に. 四四九. ついて最初の本格的な問題提起を行なったのは︑利谷氏である︒その原型は︑明治三十年代初頭の法体制に求められ 日本近代法史研究の方法論について.

(6) 日本近代法史研究の方法論について ⑬. 四五〇. ︑︑. るのではないかーこれを﹁三二年体制﹂と呼ぶ︑という提唱が利谷氏の仮説である︒そこで︑戦前の全法体制の原型を. 析出するにあたっての分析視角について︑利谷氏が﹁三二年体制﹂論を提起する際にとった分析視角を手掛りとして 検討していくことにしたい︒. 利谷氏は前掲﹁戦前日本資本主義経済と法﹂において︑﹁戦前の全法体系の基本構造を解明しようとする場合︑産. 業資本確立期の再生産構造が︑日本資本主義の構造的特質を規定しているとするならば︑それに対応する法体系の基 ㈱ 本構造﹂を明らかにすることが﹁中心的課題﹂となる︒すなわち︑﹁それは︑産業資本確立段階の法体系の準備過程. 法体系の形成過程と︑形成された法体系の再編過程・崩壊過程を把握する基準となり︑戦前の全法体系の基本構造の ㈲ 解明の手掛りを与えるものである﹂︒この課題の解決にあたっては︑第一に﹁先進国の産業資本確立段階との相違を ⑯ 正視すること﹂︑すなわち﹁後進的な日本資本主義の場合には列強の圧力の下において国家的独立を達成する手段と. して︑国家権力の強力な介入による資本主義の育成に成功したとしても︑その崎型的性格と国家的独立に対する脅威 ㈲ の持続が産業資本確立以後も︑ひきつづき国家権力の強力な介入を要求した﹂こと︑第二に﹁国家権力の介入は積極. 的な形で継続し︑さらにその後の段階に及ぶとしても︑その果した役割と介入の形態は︑資本主義の発展段階に対応 ゆ して異なるものであり︑したがってまた︑法体系の基本構造も一定の変化をみせる﹂ことに注意すべきであるとす. る︒そして︑具体的に︑﹁三二年体制﹂の枠組を国際的条件と国内的条件との連関において︑つづいて︑産業資本確. 立期の再生産構造の特質︵これは︑確立過程の検討によって明らかにされる︶︑﹁三二年体制﹂の経済政策とその法的 鋤 表現および官僚制と治安体制の分析がなされる︒.

(7) 以上のような分析視角はつぎの点をとり込む方向で深められる必要がある︒ひとつには︑﹁先進国との対比﹂と﹁国. 内的発展段階の確定﹂から︑産業資本確立期の法体制を分析していこうとする場合︑下部構造が充分に自生的に発展. していなかった段階において︑強く国際的契機に規定されて︑上部構造と下部構造との構造的連関が特異なものとな 鋤 った日本近代の場合︑二十年代初頭までの公法中心の法体系の整備をどうみるか︑更に︑﹁絶対主義的天皇制﹂のもと. で﹁上から﹂資本主義が育成されたことによる︑公法と私法の矛盾の問題をどうとらえるか︑という問題があり︑他. 方で戦前日本資本主義の﹁産業資本確立過程が︑半封建的土地所有と小商品生産︑マニュファクチュアの広範な残存 鋤 を伴ない︑かつ帝国主義への転化を同時的規定としてもつ﹂ものであったとすれば︑そのような産業資本の確立過程. に対応する法体制の分析には︑先進国において抽出される産業資本主義段階における法の歴史的・論理的構造に一定. の操作を行うとともに︑帝国主義のインパクトの関連を含めた独自の方法論的構成が必要とされる︒. また︑法体制の基本構造に直接にかかわる国家権力の強力な介入の﹁役割﹂と﹁形態﹂および︑それらが資本主義. の各発展段階に対応して異なるという正しい指摘は︑﹁戦前日本社会における支配体制の主要な三つの構成要素とも 四 いうべき資本主義・地主制・天皇制﹂の構造的連関において具体的に分析されることを必要とする︒そして︑支配階. 級内部での対立および︑支配階級と被支配階級︵農民・プ・レタリアートを中心とする︶との基本的階級対立が︑法. と政策の制定過程と実施過程において︑どのように影響し︑結果としていかなる階級の利益が擁護されることになっ たのかという法体制と階級配置との関連を軸とした分析が必要とされるように思われる︒. 四五一. 以上の検討を前提として︑以下においては﹁三二年体制﹂論を明治二十年代初頭の法体制との連関で検討し︑それ 日本近代法史研究の方法論について.

(8) ヤ. 日本近代法史研究の方法論について ヤ. 四五二. によって原型の析出の特徴と間題点をさぐってみることにする︒ そこでまず︑ コニニ年体制﹂論の概観と従来指摘さ れてきた問題点を一応整理しておこう︒. 題﹂︵﹃法セ﹄一九七二年四月号︶︒稲本﹁現代法研究の方法上の諸問題﹂︵﹃社会科学研究﹄二三巻一号一九七一年九月︶参照︒. ω 現代日本法ないし戦後の全法体制の総体的把握に関する研究動向については︑藤田勇﹁七〇年代における民主主義法学の課. この﹃講座﹄の時代区分の理由及び各時期における法体制の特色については﹁時代区分について﹂︵前掲﹃講座日本近代法. 前掲﹃講座日本近代法発達史﹄第二巻︑三二二頁︑福島発言︒. ②・③・④ ﹁編集委員のことば﹂︵﹃講座日本近代法発達史﹄一九五八年二月︶. ⑤ 発達史第二巻︶︑三コニ頁以下参照︒. ⑥. ω たとえば︑長谷川正安・利谷信義﹁日本近代法史﹂︵﹃講座現代法﹄第一四巻所収︶では︑﹁明治維新の諸改革から昭和二〇. ︵一九四五︶年の敗戦までを日本の近代とみとめ︑この時代を通ずる法現象総体の変遷を︑日本の近代法の歴史としてとらえ. ることにする﹂︵三頁︶として︑ 一応全体の時期について﹃講座日本近代法発達史﹄の時代区分を基本的に承認し︑それを基. ﹃講座日本近代法発達史﹄では必ずしも明確に戦後の法体制への見通しをもっていなかった︒︵﹁法と歴史と社会と﹂﹃法セ﹄. 準として︑各時期をさらにいくつかに区分するという方法をとっている︵六頁︶︒ ⑧. 一九七二年四月号︑七三i七四頁利谷・福島発言参照︶ 下山三郎﹁近代天皇制研究の意義と方法﹂︵﹃歴史学研究﹄一九六六年七月号︶一頁︒. ⑨﹁日本の産業革命﹂︵﹃シンポジウム日本歴史18﹄一九七二年三月︶における大石嘉一郎報告︑一二頁︒. ⑪ 前掲長谷川・利谷﹁日本近代法史﹂一一一頁︒. ⑩. ⑫ このような見解にはいくつかの問題がある︒その第一は︑﹁国家独占資本主義体制の表現形式及び保障形式としての現代法﹂. できるかという問題意識﹂からする批判である︵前掲︑稲本﹁現代法研究の方法上の諸問題﹂=呈ハ頁︶︒この点について︑第. という観点から︑﹁戦前・戦中と戦後の法制度を両者の外形的断絶にかかわらずどこまで継続的なものとしてとらえることが.

(9) 日本帝国主義の崩壊︑及び戦前・戦中の日本資本主義と戦後のそれとには一定の構造的断絶があること︑それに対応する法体. 二次大戦の敗戦を境として法体制を区分するのは︑単に法体制を戦争の前と後で区切るということではなく︑天皇制国家.旧. 制は総体としてその性格の変化を結果したという認識によっている︒その場合︑長谷川氏も指摘されるように戦前と戦後との. 第二には︑日本の﹁近代法﹂と﹁現代法﹂をどのようにとらえるかという問題である︒たとえば︑渡辺洋三氏は﹁近代市民法. 国際条件の変化も重視されなければならない︒︵長谷川﹁法及び法学と現代﹂﹃現ジャ﹄一九七二年五月号︑七一頁︶参照︒. を︑産業資本主義段階の法といい︑現代法を︑独占段階の法という﹂︵﹁近代市民法の変動と問題﹂﹃講座現代法﹄第一巻八一. 一期とし︑戦後︑とくに一九五五年以降の法の展開期は︑現代法の第二期にあたるとしている︒︵同一一二i一一九頁︶︒また︑. 頁︶︑そして︑大正中期の独占段階の法から︑昭和初期に国家独占資本主義の法となる戦前の日本の法の展開期を現代法の第. 現代日本法を﹁国家独占資本主義の法﹂としてとらえることを提起したNJ討議資料では︑日本における国家独占資本主義の. 成立を昭和初期︵一九三六・七年︶に求める︵NJ研究会﹁国家独占資本主義としての現代法をいかに把握するか﹂﹃季刊現. 代法﹄第五号︑二六ー二八頁︶︒﹃現代法のまなび方﹄では︑﹁満州事変の過程を通じて︑ 日本における戦時国家独占資本主義が. ているが︑長谷川氏はこれらの見解を批判して︑﹁日本の近代法の体系は一口に近代市民法とはいえない原理と構造をもって﹂. 形成﹂されるとしている︒これらの見解は︑主として法を資本主義の発展段階と対応させて﹁近代法﹂と﹁現代法﹂を区別し. おり︑﹁日本の近代法体系を︑市民法としてとらえることがでぎないということは︑法を経済との関連だけでとらえることが. 七〇頁︶︒更に戦後の法体系を現代法とみる理由として﹁戦後日本の国際条件. その改善を法的実践の目標として重視するからである﹂とし︑﹁国家論次元での現状認. の関係にあわせて考えなければならない﹂︵同. できないということを意味している﹂︵前掲﹃現ジャ﹄七〇頁︶︒ここでは︑﹁天皇制という国家の絶対主義的性格が経済と法. 七一頁︶を強調する︒. の戦前との決定的なちがいに注目し︑ 識の必要﹂︵同. ここでは︑日本の﹁近代法﹂と﹁現代法﹂という問題を考えるにあたって第一に︑戦前の全法体制の総体的把握︑言いかえれ. 四五三. 問題のレベルが違うこと︒第二に︑法史の立場から︑日本の﹁近代﹂と﹁現代﹂を︑したがって﹁近代法﹂と﹁現代法﹂を規. ば︑第二次大戦に法体制の画期をおくことの意味と︑日本の﹁近代法﹂と﹁現代法﹂の区分をどこに求めるかということとは. 日本近代法史研究の方法論について.

(10) 日本近代法史研究の方法論について. 四五四. 定づけるにあたって︑歴史学が日本の﹁近代﹂と﹁現代﹂の区分を設定する理由が︑帝国主義世界体制が成立する二〇世紀に. おいては世界史の発展段階を︑日本史の時代区分の基準にとり入れる必要があること︑この見地に立って︑日本現代の始期が︑ 樹﹁近代・現代の画期﹂﹃日本歴史﹄別巻一︑二二二−二二三頁︶. に注目する必要があること︑すなわち︑法史の立場から︑. 日本帝国主義の成立あるいは︑社会主義国の誕生による資本主義の全般的危機を向かえた時期に求められていること︵遠山茂. ち. ち. ち. ち. も. ち. セ. 歴史学上の区分をどう考えていくかが必要であることを指摘するにとどめたい︒なお︑今後は維新変革から戦後への展望を含 前掲﹁戦前の日本資本主義経済と法﹂一九二ー一三〇頁︒. めて︑日本近・現代法史としての時代区分を考えてゆく必要があるのではないだろうか︒ ⑬ 右同. 一二八頁︒. ・⑮ 右同一二七頁︒ αφ. ⑯・⑰∵⑱. 利谷氏のコ壬一年体制﹂論の提起は︑本論文の外に︑前掲﹁日本近代法史﹂︑﹁明治前期の人権と明治憲法﹂︵﹃基本的人権﹄. 第二巻所収一九六八年︶︑︵﹁明治三〇年代の法体制の基本構造﹂︵高橋幸八郎編﹃日本近代化の研究﹄上巻所収一九七二年︶︑. ㈲. ﹁明治法史研究の視点﹂︵一九七二年法制史学会秋期学術大会報告︶︑︵﹁明治以後﹂︵﹃法社会学講座﹄第九巻所収一九七三年︶. ﹃法の科学﹄創刊号所収一九. において展開されている︒なお︑この﹁三二年体制﹂論を検討したものとして︑早大近代法史研究会﹁日本近代法史学の課題. ー利谷信義﹃三二年体制﹄論の検討を手掛りとして﹂︵七二年度民科冬季合宿研究会報告要旨︶ 済と法﹄﹂︵﹃法制史研究﹄一八︑一九六八年︶がある︒. 七三年がある︒また前掲﹁戦前の日本資本主義経済と法﹂を紹介したものに︑山中永之佑﹁利谷信義﹃戦前の日本資本主義経. ⑳ 天皇制国家にはいくつかの諸概念が冠せられているが︑筆者は﹁絶対主義的天皇制﹂という概念がもっともよく︑天皇制国 九五頁以下参照︶. 家の本質をついていると考える︒なお︑この点につき︑中村政則﹁日本資本主義確立期の国家権力﹂︵﹃歴研﹄一九七〇年 別 冊特集. 中村攻則︑前掲﹁日本帝国主義成立史序論﹂三頁︒. ⑳大石嘉一郎﹁日本資本主義確立期に関する若干の理論的間題﹂︵﹃歴研﹄一九六四年一二月号︶ ㈱.

(11) 三. 利谷信義﹁三二年体制﹂論の検討 ヤ. ヤ. 前述のように︑戦前の全法体制の基本構造を明らかにしようとする場合︑その原型は明治三十年代初頭の法体制に. コ三一年体制﹂の枠組のうち︑重要なものとしてつぎのものがあげられる︑と説く︒. 求められる︑とするのが利谷氏の仮説である︒ 利谷氏は︑. ﹁第一は︑明治二十七年︵一八九四︶七月の日英通商航海条約をはじめとする列強との条約改正とその発効︵明治三+. 二年︶である︒これは治外法権の撤廃と関税自主権の一部回復をもたらし︑日本の国家的独立を一応達成せしめた︒. 第二は︑国家法体系が全面的に成立したことである︒すなわち︑民法典・商法典の全面施行をはじめ︑各種の法令. が整備された︒これは︑国内法体系の確立であるとともに︑世界的な資本主義法制への平準化であり︑条約改正︑金. 本位制の採用︵一八九七年の貨幣法の制定による︶による世界的な政治的経済的平準化に対応するものである︒. 第三は︑国家的独立の達成と同時に︑日清戦争の戦勝の結果︑明治二十八年︵一八九五︶の目清講和条約︑明治二十. 九年の日清通商航海条約によって︑日本は植民地領有国となり︑叉不平等条約による治外法権や利権の掌握国となっ の た︒植民地法制は︑国内法体系の性格をも規定するものとして︑重要な意義をもつ﹂︒. 以上のように︑﹁三二年体制﹂の枠組は︑目本が独立の資本主義国として成立したことを意味しており︑そのこと は︑戦前の法体制の基本構造の認識にとって重要な点であると指摘する︒. 四五五. つぎに︑戦前日本資本主義の再生産構造と法体系︑とくに再生産構造にもっとも近い関係にある民法典・商法典に 日本近代法史研究の方法論について.

(12) 日本近代法 史 研 究 の 方 法 論 に つ い て. 四五六. ついてつぎのようにいう︒﹁民法典・商法典の内部構造それ自体︑および両者の関係は︑法的には一定の整合性が与え. られている︒しかしそれは︑現実の再生産構造が安定的に成立し︑法典がその外被として︑それを表現しているから. ではない︒逆に︑現実の資本の再生産構造の自己完結を媒介し︑本来ならば存在すべき媒介環を代位しているものこ. そ国家権力であって︑その媒介作用を実現する一つの手段として法典が制定されている︒したがって︑日本資本主義. の産業資本段階に対応して制定された民法典・商法典は︑安定的に成立した再生産構造を外側から保障するというも む のではなく︑本来それ自体で完結しうるものではない﹂︒. 右の点を明らかにするために︑産業資本確立期における日本資本主義の再生産構造の特質を確立過程の検討にょっ ㈲ て明らかにし︑更に︑それを完結せしめるために国家権力が代位している媒介の環︑及びその法的表現を考察する︒ 再生産構造の特 質 は つ ぎ の 通 り で あ る ︒. ﹁第一に︑地主制の下における農業︑及び農業と社会的分化の不十分な﹁在来産業﹂が三重の意味で﹁移植産業﹂. 育成の防壁となる︒ω﹁移植産業﹂育成を可能とする租税徴収源︒②輸出産業として外貨の獲得源︒③﹁移植産業﹂ の安価な労働力源である︒. 第二に︑政府によって育成された﹁移植産業﹂は︑重工業部門においては︑生産物を軍需品として再生産過程外に. 排出する比重が大きいから︑生産手段の輸入が継続的に必要とされる︒軽工業部門においては︑紡績業・織物業にお. いて典型的にみられるように︑﹁移植産業﹂の防壁となるために狭あい化した国内市場を基礎とすることができず︑海 外市場に販路を依 存 す る ︒.

(13) 以上においては︑各産業部門の関連が主として海外市場を媒介にして成立している︒しかも大規模な軍備拡充と膨. 大な政府需要が再生産構造の維持・拡大の動因をなしている︒そこでは︑再生産構造は︑それ自体では自己完結性を もたず︑そのためには国家権力の媒介を必要とする﹂︒. ﹁三二年体制﹂の枠組の実質をなす再生産構造の特質が︑かかるものであるとすれば︑その自己完結性を直接に補 完している国家権力の﹁法﹂的表現の解明がつぎの課題である︒. ところで︑再生産構造が確立すると︑経済政策と法とは分化し︑﹁経済政策と未分離であった法が再編成されて一. 定の法体系を形成し︑確立した再生産構造を維持する機能を果すことになるのが先進国の場合であった︒ところが︑. 日本ではそうならず︑三二年体制段階の経済政策は︑国家権力の経済過程への積極的な介入を示している点に問題が. あった﹂と︑日本近代の場合産業資本確立段階においても経済政策と未分離の法が存在することに注目する︒. すなわち︑ここでいう三二年体制段階の経済政策とは︑﹁一応日清・日露の二つの﹁戦後経営﹂を包括するもの﹂で. あり︑ここにみられる特徴としては﹁この経済政策の軍事的性格であり︑その目的が新たな戦争の準備であることは. 歴然としている︒経済過程に対する国家権力の積極的介入は︑戦争準備ということからくると同時に︑国家権力の媒. 介なしには︑自己完結性をもたない︑日本資本主義の再生産構造の基本的体質からもきている︒したがって︑民法典. や商法典は再生産構造の中心的部分を表現するにすぎず︑その周辺にあって再生産構造の現実的な完結性を保障す. ヤ. ヤ. ヤ. ち. ヤ. ち. ヤ. ヤ. け. 四五七. るための法制度が存在することになる︒それは︑国家権力の活動そのものの表現であり︑経済政策と未分離であっ て︑経済過程に対して権力行政的に介入し︑経済的に介入するものではない﹂︒ 日本近代法史研究の方法論について.

(14) 日本近代法史研究の方法論について. 四五八. ここで︑経済過程に対する国家介入の諸形態の主要なものは︑関税・貿易政策と法令︑特殊銀行.特殊会社と法令︑ 農林業政策と法令︑である︒. 以上にみてきた経済過程に対する国家権力の介入を︑現実に支えているのが官僚であり︑﹁三二年体制﹂の担い手 こそ官僚制である︒この官僚制についてはつぎのように分析する︒. 官僚制は︑﹁すでに明治十九年︵一八八六︶の帝国大学令及びそれとリンクされた文官試験試補及び見習規則︵明治. 二+年︶︑明治二十六年の文官任用令︑文官試験規則によって安定した再生産機構を確立し︑それによって議会に対す. る執行権力の独自性を確保しようとした︒しかも︑明治三十二年の山県内閣は前年の隈板内閣によるスポイルズシス. テムの一部導入を否定し︑文官任用令の改正によって︑勅任官を高等文官試験合格者からの任用に限り︑政党勢力の. 官僚機構進出を阻止し︑さらに明治三十三年の天皇の﹃御沙汰書﹄によって︑﹃文官任用に関スル勅令﹄その他官僚. 制と教育に関する勅令を枢密院の諮詞事項に付加して︑これらを安定せしめた︒ の また軍官僚についても︑明治三十二年には軍部大臣現役制がとられ︑政党勢力に対する軍官僚機構の防衛を計った﹂︒. 最後に︑国家権力の作用を消極的な形で担保していのものとしての治安体制については︑﹁明治三十二年︵一八九九︶. の銃砲火薬類取締法︑明治三十三年︵一九〇〇︶の治安警察法と行政執行法が先端を切り︑刑法改正事業がそれにつづ. く︒もっとも刑法は明治四十年ようやく議会を通過した︒また工場法案も︑すでに明治三十一年に︑各商業会議所と. 農商工高等会議に諮問されている︒これが治安維持的性格をもっていることは︑その通過が大逆事件のあとの明治四. 十四年であったことからも知られるであろう︒近代日本の社会政策立法の治安立法的性格をここにみることができ.

(15) る㈹ ﹂と説く︒以上が︑利谷氏によって提起された﹁三二年体制﹂論の概観である︒. さて︑この﹁三二年体制﹂論は︑戦前の全法体制の基本構造を明らかにする場合の新たな理論仮説の設定であるこ. とによって︑戦前の全法体制の歴史的分析に多くの理論的かつ実証的な成果をもたらすとともに︑時代区分論そのも のに対する間題提起を含むものであった︒. しかしながら︑このような﹁三二年体制﹂論の提起を全体的に検討したものは少ない︒わずかに二︑三のものを数. えるにすぎない︒そのうちのひとつ︑筆者も一員として参加した前掲︑早大近代法史研究会﹁日本近代法史学の課. 題−利谷信義﹃三二年体制﹄論を手掛りとして﹂では︑﹁三二年体制﹂論の問題点について︑確立期の法体制の特質. は︑形成過程の分析を通じてなされるべきであること︑天皇制国家権力の性格をどのように﹁三二年体制﹂論では理. 解しているのか︑﹁三二年体制﹂と階級配置の関連について︑国家的独立のあり方と﹁外圧﹂の内容︑支配的イデオ ⑳ ・ギーの分析の必要などが指摘されている︒. このような﹁三二年体制﹂論の間題点の指摘に対する利谷氏の解答のうち︑方法に関して﹁現在では︑法的発展過. 程と再生産構造の形成過程とを対応させて全体的に検討し︑さらに︑再生産構造の確立期における両者の関係を構造 姻 的に検討してみる必要があると考えている﹂︒また︑﹁外圧﹂ 植民地化の危機と国家的独立のあり方について﹁日本の. ワンセット. 四五九. 国家的独立の達成糎条約改正と近隣アジア諸国への軍事行動鋒帝国主義的侵略という ワンセット がいかにして成 ⑬ に成功したのかということの解明が必要である﹂との解答が︑今後 立したかー明治 政 府 が い か に し て. の研究のポイントを示唆している点で注意されてよい︒ 日本近代法史研究の方法論について.

(16) 目本近代法史研究の方法論にっいて 四六〇 ⑳ また︑日本の﹁産業資本確立期における国家と経済﹂に関する共同研究での利谷氏の報告︵﹁明治三+年代の法体制の. 基本構造﹂︶に対して指摘された問題点は︑官僚制の拡大傾向について︑日本の資本主義確立のとらえ方︑二十年代地. 主制確立ー三十年代に地主制が打撃をうけるとの理解について︑などであり︑更に︑﹁三二年体制﹂の対象期間︑と. りわけ︑その終期につき︑明治四十年代から大正期にかけての法体制をどう理解するか︑これを独占資本主義段階に ㈲ 対応した法体制とみるか︑﹁三二年体制﹂の再編補強とみるのか︑の間題が指摘されている︒ 以上が︑﹁三二年体制﹂論に対して︑今までに指摘されてきた問題点である︒. つぎに︑右の﹁三二年体制﹂論の概観と従来指摘されてきた問題点の一応の整理を前提として︑﹁三二年体制﹂論と. ﹁三二年体制﹂の対象期間は︑﹁いわゆる﹃法体制確立期﹄の中心をなす︑明治三二︵一八九九︶年から大正二︵一九二二︶. 明治二十年代初頭の法体制との連関を検討する課題に進むことにする︒ ω. 年にいたる時期﹂︵前掲﹁戦前の日本資本主義経済と法﹂一二九頁︶︒あるいは﹁日清戦争を境とする法体制確立期後半を対象 前掲﹁明治三十年代の法体制の基本構造﹂一九三i一九四頁︒. 期間として考えておぎたい﹂︵前掲﹁明治以後﹂二九四頁︑註ω︶︒. ③ 前掲﹁戦前の日本資本主義経済と法﹂一四一頁︒. ω. ④ 利谷氏は︑日本資本主義の産業資本の確立期をいつとみるかについて︑山田盛太郎氏の見解に従い︑明治三〇︵一八九七︶ 前掲﹁明治三十年代の法体制の基本構造﹂一九五ー一九六頁︒. 年ないし四〇年に求めている︒︵前掲﹁戦前の日本資本主義経済と法﹂コ一九頁︶. ⑤. 前掲﹁戦前日本資本主義経済と法﹂一五一ー一五七頁︒ 前掲﹁明治三十年代の法体制の基本構造﹂二〇二ー二〇三頁︒. ⑤・ω・⑧ ⑨.

(17) ⑪. なお︑﹁今後の研究においては︑とくに軍官僚の役割について検討を要する﹂との指摘は重要である︒ 前掲﹃法の 科 学 ﹄ 創 刊 号 一 六 六 ー 一 六 八 頁 参 照 ︒. ⑩ 前掲﹁明治三十年代の法体制の基本構造﹂二〇三頁︒. 安良城盛昭︑石田雄︑大石嘉一郎︑利谷信義﹁産業資本確立期における国家と経済﹂︵前掲﹃日本近代化の研究﹄上巻所収︶. ⑫・⑬ 右同 輔六八頁︒なお︑これらの点をふまえた最新の成果が前掲﹁明治以後﹂である︒ 右同. ヤ. 明治二+年代初頭の法体制と﹁三二年体制﹂論. 二三一−二四〇頁︒. ⑮. ⑯. 四. ヤ. 戦前の全法体制の基本構造を明らかにしようとする場合︑その原型は︑民・商法典の制定によって一応全法体系が. 整備され︑しかも﹁国際関係において一定の位置づけを獲得するに至る﹂︵前掲﹁明治以後﹂二七九頁︶明治三十年. 代初頭に求められるとする場合︑これまでしばしば︑戦前の全法体制の基本構造の分析の際に重視されてきた大日本. 帝国憲法の制定を中心とする明治二十年代初頭の法体制との連関が問題となる︒そこでここでは︑明治二十年代初頭. の法体制が重視されてきた理由および利谷氏の明治二十年代初頭の法体制に対する理解について検討してみよう︒. さて︑明治二〇年代初頭は︑維新変革以来展開されてきた︑富国強兵政策をス・ーガンとする国家権力の︑専制と. 抑圧および対外侵略に対する激烈な階級闘争︑とりわけ一八八一年の﹁革命的情勢﹂を頂点とする自由民権運動の弾. 圧と懐柔の結果︑大日本帝国憲法・皇室典範の制定を中心として︑天皇制国家機構が確立する時期である︒明治政府. 四六一. は︑帝国議会の開設までにあらゆる手段を尽して体制固め︵帝国憲法体制の確立︶を図った︒法体制の整備もその一 日本近代法史研究の方法論について.

(18) 日本近代法史研究の方法論について. 四六二. 環として行なわれ︑諸法典の編纂が急がれ︑法典論争による民法典・商法典の施行延期および条約改正の失敗をのぞ けば︑ほぼ目的は達せられたといえる︒. ところで︑大日本帝国憲法が︑戦前の全法体制の構造的な特質を規定する重要な規範であることはいうまでもな. い︒それは︑天皇制国家の基本原則を規定した︒すなわち︑その告文には﹁皇祖皇宗ノ後喬二胎シタマエル統治ノ洪. 範ヲ紹述スルニ外ナラス﹂とあり︑また伊藤博文による﹃憲法義解﹄は︑﹁天皇の践酢は之を祖宗に承け︑之を子孫. に伝ふ︒国家統治権の存する所なり︒而して憲法に殊に大権を掲げて之を条章に明記するは︑憲法に依て新設の義を む 表するに非ずして︑固有の国体は憲法に由て益々輩固なることを示すなり﹂と説いている︒さらに︑大日本帝国憲法 む 第二章﹁臣民権利義務﹂に規定されている﹁臣民権利﹂の実質をなす法律は天皇の意思であり︑したがって︑この. ﹁臣民権利﹂は︑﹁天皇の意思たる法律を媒介として︑国の﹃機軸﹄としての皇室︑すなわち天皇制のなかに包摂さ む れる﹂のである︒ここに戦前における国家と人民のあり方が規定づけられたといえよう︒. 右のような点に注目して︑戦前の全法体制の基本構造の解明にあたって︑明治二十年代初頭の法体制を重視される. 中村吉三郎氏は︑明治二二年の﹃大日本帝国憲法﹄ならびに﹃皇室典範﹄と︑翌二三年の﹃教育に関スル勅語﹄にょ の って︑天皇制国家およびその基本原則蒔﹁国体﹂が確立し︑この原則こそ︑戦前の全法体制の基幹をなすものであ. り︑戦前の立法および解釈の前提をなすものであったとする︒そして︑この明治二二・三年に確立する基本原則は︑. 戦前の歴史を通じて貫徹した︒すなわち︑その後︑たとえば明治四〇年の株式市場大暴落にはじまった戦後恐慌には. じまる社会不安目危機︑あるいは︑大正六・七年における︑国外での社会主義革命︑国内における室蘭日本製鋼所︑.

(19) く. の. の ほ. 三菱長崎造船所のストライキ︑および米騒動などの﹁憂うべき﹂風潮も︑﹁天皇制の護持と︑そのための﹃家﹄制度 む の堅持﹂とにより乗り越えられた︒さらに︑﹁中日・太平洋戦争においては︑国際的ファシズム勢力の有力な一翼と. して︑国民をわが国最初の総力戦に動員することにさえ成功した﹂国家権力こそ天皇制であった︒ 叫 このような認識にたって︑中村氏は︑天皇制権力と経済構造とのゆ着こそが︑帝国憲法体制の基調であるとする︒. 言いかえれば︑日本近代においては︑﹁近代化と天皇制との絡みあい係わりあいは⁝⁝おのおのにとって当初からと 吻 いうばかりではなく︑その後においても︑それぞれの発展につれ︑ますます緊密の度合を濃くしながら持続する﹂と 指摘するのである︒. 以上︑簡単にではあるが︑主として中村氏の考え方によりながら︑戦前の全法体制の基本構造の解明にあたって明. 治二十年代初頭が画期として重視される理由をみてきた︒そこでは︑天皇制という特殊な国家権力ないしは政治的レ. ジーム︑およびその基本原則と資本主義化との構造的連関こそが︑戦前の全法体制を構造的に特質づけているもので. あり︑それが一定の確立をみるのは︑明治二〇年代初頭であるとして︑この時期の法体制が以後の法体制の一貫した 基調をなす画期として重視されている︒. ヤ. ヤ. ところで︑右のように戦前の全法体制の基本構造の解明にとって重要な意味をもつ明治二十年代初頭の法体制につ いて︑利谷氏は原型の析出という観点からつぎのように論ずる︒. 四六三. ﹁第一に︑法典論争の結果︑法典の全面施行は阻止された︒憲法を頂点とする法体系の整備計画は瓦解した︒これ は条約改正の前提条件の瓦解でもある︒ 日本近代法史研究の方法論について.

(20) 日本近代法史研究の方法論について. 四六四. 第二に︑条約改正事業は︑大隈改正の失敗によって頓座した︒しかも大隈改正の内容である外国人裁判官の採用は︑. 条約改正がたとえ成功したとしても︑国家的独立を妨げる大きな要因となったであろう︒. 第三に︑憲法の表現する支配体制の基礎としての地主制はすでに確立しており︑また資本主義的生産も軽工業にお 圖 いてはすでに支配的な存在となってはいたが︑重工業確立の見通しは未だない︒資本主義の自立はここにはない﹂︒. 明治三〇年代初頭の法体制についてはどうか︒﹁明治三〇年代においては︑一応国家的独立と産業資本の確立︵重工. 業発展の見通しの確立︶をみた︒それは植民地領有と中国に対する不平等な地位と利権の収奪によって支えられてい. ヤ. ヤ. る︒法体制は︑これに対応し︑これを支えるものという性格をもつ︒ここにこそ戦前法体系の原型をみることができ 図. る﹂︒. 利谷氏は︑戦前の全法体制の原型を析出する場合︑ひとつには︑国家的独立および資本主義の自立があること︑ふた ㈲. ︑. ・. つには︑憲法を頂点とする全法体系が整備されたことにポイントを置く︒ことに︑その場合の法体制の内容に︑植民. 地領有が与える規定性を重視する︒そこには︑法体制の原型は︑第一に︑国際的契機と国内的契機の構造的連関にお. いて析出すべきであること︑第二に︑公・私法の全法体系が整備されているかどうか︒いわゆる﹁法体制確立期﹂の ⑯ 前半における公法体系の確立と︑後半における私法体系の確立をトータルに把握しようとのねらいがある︒. 以上のように︑戦前の全法体制の基本構造の解明を行うに際して相異なる二つの見解が存するのは︑日本近代の場. 合︑資本主義が充分に自生的発展をとげていなかった段階において︑強く国際的契機に規定されて︑上部構造と下部. 構造との構造的連関が特異なものとなり︑またそこにおける国家権力はかなり相対的独自性を保持していた︒そのこ.

(21) とを反映して︑法体系の整備のズレ︑あるいは公法と私法の矛盾が生じることになった︑ことによる︒. たしかに︑先にみたごとく︑明治二〇年代初頭においては︑国家的独立および日本資本主義の確立はなく︑それに ヤ. ヤ. 対応する全法体系の整備は未だ行なわれていない︒明治三〇年代の私法体系の確立をまってはじめて全法体系は︑そ. ヤ. ヤ. の完成をみる︒したがって︑戦前の法体制の原型を明治二十年代初頭の法体制に求めることは無理であろう︒そうで ヤ. ヤ. あるとして︑戦前の全法体制の原型は︑明治三〇年代初頭の法体制に求められるとする場合︑問題は︑明治二〇年代 ヤ. ち. 初頭の法体制の評価・位置づけである︒すなわち︑以上において利谷氏の原型の析出という観点からの明治二十年代. 初頭の法体制についての見方︑および明治三〇年代初頭に原型を求める積極的な理由についてみてぎた︒それにもか. かわらず﹁三二年体制﹂論はどこまで︑自己に内在的な構造的連関において︑明治二十年代初頭の法体制の評価・位 置づけをなしうるかということが問題となる︒. そこで︑小稿を終えるにあたって︑以上の検討を手掛りとして戦前の全法体制の基本構造を解明する場合の間題点 を原型の析出という課題にひきつけて整理し︑今後の課題と方向をさぐっておこう︒. 1 原口清・後藤靖﹁天皇制国家の成立過程﹂ー輔九六六年度大会報告︑︵﹃歴研﹄一九六六年九月号︑一七頁以下参照︶ 憲法﹂一四二頁参照︒ 2 この点については︑前掲︑利谷﹁明治前期の人権と明治 む む 3 法典論争の性格および条約改正間題をどう理解するかは︑原型の析出の重要なポイントの一つである︒. 日本近代法史研究の方法論について. 四六五. 中村吉三郎﹁日本の近代化をいかにとらえるかに当っての﹃天皇﹄制と﹃家﹄制度﹂︵﹃比較法学﹄六巻二号︶四頁︒. 伊藤博文﹃憲法義解﹄︵岩波文庫版︶二二頁︒ ラ @ 句● ⑥ 前掲﹁明治前期の人権と明治憲法﹂一五四ー一五七頁参照︒. 7 ︵.

(22) 日本近代法史研究の方法論について. 四六六. 国体ヲ変革シ又ハ私有財産制度ヲ否. 戦前日本の進路が︑主として︑憲法外機関︵元老︑重臣︑御前会議など︶によって決定されたことは周知のことである︒. ⑨前掲︑下山三郎﹁近代天皇制研究の意義と方法﹂一頁︒. ⑧ 右同 八ー九頁︒. ⑩. ⑪ たとえば︑中村氏はその例として︑大正一四年公布の﹁治安維持法﹂では︑﹁第一条. 前項ノ未遂罪ハ之. ヲ罰ス﹂と規定しているように︑国体の変革︵天皇制国家権力の打倒︶と私有財産制度の否定︵資本主義制度の打倒︶が一体. 定スルコトヲ目的トシテ結社ヲ組織シ又ハ情ヲ知リテ之二加入シタル者ハ十年以下ノ懲役又ハ禁鋼二処ス のものとして と ら え ら れ て い る こ と を 指 摘 す る ︒. なお︑治安維持法における﹁国体﹂の意義については︑宮田豊﹁治安維持法に所謂﹃国体﹄の意義﹂︵﹃法律論叢﹄七八巻三 ー四号︶参照︒. ここで︑近代化とは﹁いわゆる伝統的社会を支えていた諸制度1なかんずく土地保有制度iが解体され︑いわゆる近代社会. ⑫ 前掲︑﹁日本の近代化をいかにとらえるかに当っての﹃天皇﹄制と﹃家﹄制度﹂四頁︒ が形成されていく過程である﹂︵右同︑一頁︶︒. ⑬・㈲ 前掲﹁明治三〇年代における法体制の基本構造﹂一九四i一九五頁︒. 飼 前掲︑長谷川・利谷﹁日本近代法史﹂では︑﹁列強との利害対立の中で展開された植民地政策︑大陸政策の法体制に対する 影響を理解しないで︑日本近代法史を明らかにすることはできない﹂と指摘する︵一一一頁︶︒. 小括に代えて1今後の課題と方向. 区分を行なったものとして︑同氏﹁日本資本主義の発達と私法︵財産法︶﹂︵﹃私法﹄第九号︑一九五〇年︶がある︒. ⑯福島正夫﹁財産法﹂︵﹃講座日本近代法発達史﹄第哨巻︶五頁参照︒なお︑財産法の観点から︑戦前における私法体系の時代. 五. これまで︑利谷氏による﹁三二年体制﹂論の提起を手掛りとして︑まず戦前の全法体制の基本構造を解明しようと.

(23) ち. ヤ. する場合︑その原型を析出することの意義および分析視角について検討した︒つづいて﹁三二年体制﹂論の概観と従. 来この理論仮説に対して指摘されてきた問題点の一応の整理を前提として︑従来しばしば戦前の全法体制の基本構造. ヤ. ヤ. を規定づける画期として重視されてきた明治二十年代初頭の法体制と﹁三二年体制﹂論との連関を比較検討してき. た︒そこでは︑この原型の析出が戦前の全法体制の発展過程を把握する基準となり︑戦前の全法体制の基本構造を解. 明する手掛りを与えるものとして︑しかもそれは明治三十年代初頭の時期に求められるとされる以上︑この理論仮説 ヤ. ヤ. は自己に内在的な構造的連関において明治二十年代初頭の法体制を評価・位置づける必要があることをみてきた︒た. しかに︑この原型は明治三十年代初頭の時期に求められるとする利谷氏の理論仮説は︑現在までの研究成果からみて. 基本的に正しいと思われる︒さきにみた﹁三二年体制﹂論に対する問題点の指摘もこの理論仮説そのものに修正を求. ヤ. ヤ. めるものではない︒そこで︑小稿を終えるにあたって︑明治二十年代初頭の法体制の評価・位置づけの間題を含め. て︑今後この原型の析出という理論仮説をどのような方向でより精緻なものにしていくべきであるかという点につい て若干の検討を試みておこう︒. これまでに検討してぎたところによれば︑明治二十年代初頭の法体制がしばしば重視されてきた理由は︑この時期. において天皇制国家の基本原則目﹁国体﹂が確立し︑この原則が以後の法体制の一貫した基幹をなすものであるとす. る点にあり︑そして何よりもこの原則が広範な国民によるブルジョア民主主義運動として展開された自由民権運動に. 対する弾圧と懐柔の結果として︑かつ強く国際的契機に規定されて確立されたことを重視する︒この見解は戦前の全. 四六七. 法体制の基本構造を規定づけるものとして︑経済構造との対応を出発点としながらも︑かなり国家権力︵絶対主義的 同本近代法史研究の方法論について.

(24) 日本近代法史研究の方法論について. 四六八. ︵法現象の全構. 天皇制︶のあり方に重要性を認め︑また法体制の形成過程における階級闘争︵自由民権運動を中心とする︶の契機を 積極的に評価していこうとするものである︒. これに対し﹁三二年体制﹂論は︑戦前の全法体制の発展過程を把握する基準となるような法体制. 造的連関︶の析出をねらいとし︑それを産業資本確立期の再生産構造に対応する法体制にみい出そうとする︒ただ︑. さきにみたように現在利谷氏は﹁法的発展過程と再生産構造の形成過程とを対応させて全体的に検討し︑さらに︑再. 生産構造の確立期における両者の関係を構造的に検討してみる必要﹂を説いて︑具体的には前掲﹁明治以後﹂で︑ の ﹁明治三〇年代初頭に至る法現象の展開過程を追究する中で︑なぜそれが原型性を有するかを明らかに﹂するという. 視角から分析を試みられ︑また従来の論稿において比較的不充分であったと思われる統治機構の分析およびそこにお いて階級配置の問題も積極的にとり込もうとされていることは注意しておきたい︒. ところで︑戦前の全法体制の基本構造を解明しようとする場合における右のような見解の相違は︑対象の複雑性. ︵たとえば公法・私法の矛盾︶に規定されているーそして︑その背景には歴史学上の最大の論点の一つである天皇制 カ 国家の確立をめぐる理論的対立が存在するーとともに︑法の歴史的分析の方法ひいては戦前の全法体制の時代区分の. 仕方そのものの相違にかかわっていると思われる︒したがってこれらの問題に対する理論的検討が必要なわけである. が︑紙数の関係上別稿で行うことにせざるを得ない︒ただここではつぎの点を指摘しておこう︒第一に︑法の歴史的. 分析は経済構造との対応を出発点としながらも︑階級支配における法という特殊なイデオ・ギ1の役割の分析をめざ. すものであり︑それは歴史のそれぞれの発展段階における人民の階級闘争の発展と展望の主体的︑客観的条件の解明.

(25) ヤ ヤ. に集約されなければならないということ︒第二に︑﹁自己に固有の内在的な発展法則をもたない﹂法の歴史的分析の. 方法をいかに構築していくかという︑より根本的な問題がある︒原型という理論仮説が︑戦前の全法体制の発展過程. を把握する基準となるものとして提起される以上︑この問題に対する理論的検討は不可欠の前提である︒. 以上の理論的検討とともに︑さきに﹁分析視角﹂において指摘した点を具体的につめていくこと︑その場合とりわ. ち. ち. ヤ. ヤ. け︑国家権力の直接的な掌握者である天皇制官僚とブルジョア・地主との抱合せの形態と機能を︑法現象の全構造的. 連関において解明することが今後原型の分析を行っていく際に必要とされる︒そのことをとおして︑原型の析出とい. う理論仮説−明治二十年代初頭の法体制の評価・位置づけを含めた⁝の設定ひいては戦前の全法体制の時代区分の仕. 方をより精緻なものにしていくことが︑法史研究の立場から︑日本近現代史の全過程を眺望しうる歴史的位置の全体. 構造の把握ないしは天皇制国家論の解明への手掛りを与えることを可能にするのではないかと思われる︒. 自由民権運動の評価は︑戦前の全法体制の基本構造を解明する場合︑重要な課題の一つである︒多くの研究成果のうちか. ら︑ここでは後藤靖氏の﹃自由民権運動の展開﹄1﹁自由民権研究の成果と課題﹂を参考文献としてあげておく︒. ω. 制国家の性格 の 解 明 を 試 み ら れ て い る ︒. ② 前掲﹁明治以後﹂二七五頁︒なお︑利谷氏は前掲﹁明治前期の人権と明治憲法﹂において︑形成過程の分析をつうじて天皇. ③周知のように︑天皇制国家権力の確立については︑明治二二年の大日本帝国憲法発布および翌二三年の帝国議会の開設を指. る﹂︵中村︑前掲﹁日本資本主義確立期の国家権力﹂八五頁︶ことを指標とする明治三十年代確立説がある︒とくに︑後者は. 標とする明治二十年代確立説と︑﹁一九〇〇年代に資本主義と地主制と天皇制とがある統一的な構造連関をもって定着確立す. ﹁日本帝国主義の成立と天皇制国家権力の確立の間題とを統一的に把握﹂︵中村︑前掲﹁日本帝国主義成立史序論﹂二頁︶する. その段階︵日本帝. 四六九. ことを要求するものである︒この二つの見解の対立における問題の所在について芝原拓自氏は︑﹁間題は︑. 日本近代法史研究の方法論について.

(26) ω. 日本近代法史研究の方法論について. 四七〇. 皇制を日本帝国主義の基盤とせざるをえないような在来の生産様式および国家形態の変革の特殊性が︑すでに一八八○年代末. 国主義の成立−筆者︶こそが天皇制国家およびその階級的基礎の確立なのか︑それとも︑いずれにせよ地主制・資本主義・天. 六頁︶と指摘している︒ここで︑天皇制国家権力の確立をめぐる問題が︑ひとつには日本帝国主義の成立との関連を︑ふたつ. までに︑世界資本主義とその帝国主義への転化のなかで規定されていたか︑ということです﹂︵﹁報告皿﹂﹃講座日本史﹄10二. 互の関連においていかに把握するかにかかっていることに注目する必要がある︒. には﹁戦前日本社会における支配体制の主要な三つの構成要素ともいうべき資本主議・地主制・天皇制﹂の構造的連関を︑相. 今後︑法の歴史的分析の方法に関する理論的検討を深めていくにあたっては︑藤田勇氏による﹁歴史的法体系の内的編成﹂. ﹁各段階における反映のセオリー︵対応と媒介の関係の仮設︶の解明﹂︵前掲﹁資本主義法の歴史的分析に関する覚え書﹂︶︑. ︵﹁法と経済の一般理論ノ:ト﹂1とりわけ歴史的法体系の内的編成︑﹃法セ﹄七二年五月号から連載︶︑稲本洋之助氏による. さらに山中永之佑氏による﹁統治装置と人民とのかかわり合い﹂︵﹁法の歴史的分析の方法﹂前掲﹃法の科学﹄創刊号所収︶を. 基準とする法の歴史的分析の方法が︑それぞれに重要な問題提起を含んでおり︑手掛りとなるように思われる︒なお︑法の歴. 史的分析の方法論をめぐる戦後の諸成果については︑山中︑前掲﹁法の歴史的分析の方法﹂を参照されたい︒ ︵一九七三年十月︶.

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ている。本論文では、彼らの実践内容と方法を検討することで、これまでの生活指導を重視し

 さて,日本語として定着しつつある「ポスト真実」の原語は,英語の 'post- truth' である。この語が英語で市民権を得ることになったのは,2016年

なお︑本稿では︑これらの立法論について具体的に検討するまでには至らなかった︒