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グローバル世界の市民性教育としての世界史

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(1)

学位論文

グローバル世界の市民性教育としての世界史

    兵庫教育大学大学院 学校教育研究科

教育内容・方法開発専攻 認識形成系教育コース

M11143H

古塚 明日人

(2)

研究に際して

研究の過程および論文の構成

1 とはどのよ一な時 で どのよ口な

1

2

が求められているのか

4

第1節現代とはどのような時代か 第2節 グローバル化が生むリスク

第3節 リスク対応には個人の資質が必要となる

第4節求められるrグローバル人材」(イギリスの事例をもとに)

2   グローバルビに るにあたって 日 が える

4

12 15 16 26

第1節 第2節 第3節 第4節 第5節

3

日本はどういった課題を抱えているのか グローバル人材に本当に必要な資質とは何か

「ローカライズ能力』_資質1_

なぜ文化を知ることが必要なのか

一般化した知誠としての文化理解_資質2_

は その時 を理  るために生まれた

26 39 54 61 65 のである   69 第1節社会系教育には何ができるのか

第2節社会科の誕生と歴史教育の目的 第3節世界史はなぜ必要か

第4節歴史的思考カとは何か

第5節世界史に特有の目標とは何か 第6節世界史の問題点

4章  新しい「世界史」

69 72 75 78 82 84 88 第1節 羽田の「新しい世界史」

第2節羽田のr新しい世界史』の問題点 第3節世界史の「目標」の意味

88 90 93

(3)

「(2)諸地域世界の形成」

「(3)諸地域世界の交流と再編」

「(4)諸地域世界の結合と変容」

何5)地球世界の到来」

5     しいr の  モデル

99

100 102

105

109 第1節 「『ギリシア人』はいかにして誕生したか_自己アイデンティティの形 成_」((2)諸地城世界の形成一ア)      109 第2節 「世界の一体化がもたらす『グローバル』の誕生と『自己』の変化」((4)

諸地城世界の結合と変容一イ)       120 第3節 「大量生産・大量消費の誕生と拡大一グローバル化の中のローカライズ ー」((5)地球世界の到来一工)       128

、  グローバル  の

第1節新しい『世界史」のかたち 第2節今後の課題

としての

142

142 143

(4)

序章

研究に際して

 近年、若者の内向き志向や海外経験の少なさを指摘し、グローバル化への対 応の遅れが指摘されることが多い 。政府もグローバル化人材推進会議2を設置し、

その対応を検討するに至った。

 筆者は大学卒業後、宮崎県の私立高等学校で4年間、高卒認定・大学受験予 備校で3年間、世界史の授業を担当した。この数年で当時の教え子たちがイン ドやイラン、イギリスなどの海外へと巣立つ姿を目の当たりにし、海外をフィ ールドとして活躍し始めた教え子たちと、内向き志向と呼ばれる若者たちとの 間にどのような違いがあるのかと考えるようになった。また、筆者自身がバッ クパッカーとして各国を訪れるうちに出会う若者たちの姿も刺激になった。彼 ら・彼女らもまた、世界をフィールドに選び、旅をしている。彼ら・彼女らの 旅のフィールドが世界に及んでいることは、世界の一体化を示す例でもある。

 また、筆者はギリシアの安宿に滞在しているときに、そこで知り合ったオラ ンダ人男性から、うちの会社へ来て一緒に働かないかと声をかけられたことも ある。もちろんそれは正式なオファーでもないし、冗談のつもりだったのだろ う。しかし、こうした形で海外での仕事を得ることも可能なのだと驚かされた。

筆者はオランダ語は挨拶程度にしかわからず、英語も決して流暢なわけではな い。にもかかわらず、こうして声をかけてもらうことができるのである。海外 で働くことに語学の必要性は実は薄いのだということを実感した瞬間であった。

 こうした、教え子たちの現状や自分自身の経験をもとに、より多くの若者に グローバル化した世界で活躍してもらう方法とはどのようなものなのかという 疑問が浮かんだ。そこで、そのための教育、特に世界の事柄に数多く触れるこ とのできる世界史のあり方についての研究を行うことを志した。本研究は、こ のような個人的な経験と一般社会の乖離についての疑問から浮かんだものであ

る。

 本研究は、世界史の教え方、学び方が変わり、日本の若者がグローバル化に

平成24年1月20日、文部科学省報道発表「「日本人の海外留学者数」及び「外国人留学生在

籍状況調査」並びに「外国人留学生の1O月渡日状況」について」

/h岬:〃㎜.m11t.llll/1−mlm/11u111/11/ll/1111111・1tm/(1111年11月11日アクセ ス)など。

2平成23年5月19日に新成長戦略実現会議決定。

(5)

対応できるグローバル人材に近づく一助となることを目指す。

研究の過程および論文の構成

 本研究は、「グローバル社会に対応する」という課題から考察をはじめる。そ こではまず、グローバル化という現象を含めた現代の社会のあり方についての 理解を深めるためにギデンズやバウマンらといった社会学者の研究を検証する。

それによってグローバル化の持つ本来の意味を明らかにする。一般的には、こ の現象に対しては、単に「世界が一体化・普遍化するもの」という程度の認識 が多数を占めるであろう。しかしその中にはモダニティの伝播の過程の他に、

局地的なナショナリズムの高まりや社会の再編成による新たなリスクの誕生な どが存在する。こうした検証内容を明らかにするのが本論文第1章である。

 次に、明らかになったグローバル化の正体と日本の現状を関連づけながら、

グローバル化に対応する人材の育成について検証する。その際には、政府によ るグローバル人材育成推進会議の提言や、ヨーロッパを中心としたシティズン シップ教育が主な検証対象となる。特に、ギデンズをブレーンに据えたブレア 政権時代からシティズンシップ教育に取り組んだイギリスの事例からは多くの 情報を得ることができるため、これに注目する。この成果として、グローバル 化に対応するため必要なものが見えてくるだろう。これによって明らかになる、

日本が現在抱えるグローバル化に対応するための課題を本論文第2章にまとめ

る。

 グローバル化という現象、.現代社会の姿、文化への理解といった、グローバ ル人材に不可欠な資質が明らかになったところで、学校教育での取り組み方に ついての研究に移る。ここでは、現代社会の姿や文化への理解といった観点か ら、社会系教科の歴史と現状について考察する。まず、小中高それぞれの学習 指導要領に記載される社会系教科の「目標」、次に、社会科成立の歴史、さらに、

世界の歩みを知ることができる科目である世界史が成立した過程や背景を検証 する。すると、そこには様々な場面で登場する「歴史的思考力」という抽象的 な概念が明確な説明がないまま取り扱われていることが明らかになる3。よって、

3平成22年度版学習指導要領を分析したが、「歴史的思考力」の定義はない。また、戸井田克己

「学習指導要領の変遷と歴史的思考力養成の課題」においても、東京学芸大学史学会二○一○

年度院生ワーキンググループ「史学会大会委員会企画報告歴史学習における歴史的思考力の育

成一差別意識を考える授業案を通じて一」においても、明確な定義はなされていない、とされ ている。

(6)

続けてこの「歴史的思考力」の具体的な内容検証を行う。その際には、イギリ スやアメリカの事例を検証した先行研究を参考にする。これらの研究によって、

世界史が持つ、他の科目にはない役割や、それに対しての現状が持っ課題が明 らかになるだろう。これを記すのが第3章である。

 従来にはない新しい「世界史」を考えるにあたって、同様の問題意識を持つ 羽田正の『新しい世界史一地球市民のだ.めの構想』(2011)は1つの指針を示し ている。しかし羽田自身も認めるように4、この取り組みは始まったばかりで未 完成なものである。よって、その問題点を探りながら、さらに世界史Aおよび Bという科目についての分析を進め、グローバル化に対応するための資質を育 成する「世界史」のあり方を探る。その結果、グローバル世界における、新し

い「世界史」の条件の1つが明らかになる。

 新しい「世界史」とは、グローバル世界に対応するための市民性を身につけ ることを狙いとした世界史である。ここまでの研究で明らかになる、特殊な事 例を列挙する暗記型ではない、一般化された認識としての文化・アイデンティ

ティの理解、そしてそれらを自覚し、尊重するためのハイブリッド化や現地化 といった資質を身につけるための世界史の形を、最新の学習指導要領の「内容」

の展開に合わせて、年間の取り組み方を例として考える。それが本論文第4章

となる。

 続けて、第5章では、第4章で明らかにした新しい「世界史」の理念を具体 化し、その授業のモデルを示す。民族や文化といったものが生み出され、認識

される過程を1っ目に、それらが他者との出会いと交流の中で再編される過程 を理解するための授業モデルを2つ目に示し、3つ目には、年間の指導計画の 最後となるべきものを挙げる。これは「世界史は何のために学ぶのか」といっ

た問いに対する返答である。世界史で学んだ内容を実社会で活かすための実例 として構成するものであり、また、異文化を尊重するための姿勢を学ぶ機会と

もする。

 これまでの研究によって見えてくる、「グローバル世界の市民性教育としての 世界史」だが、やはりまだ課題も多い。概要を振り返りながら、本研究の持つ 課題を終章に記することとする。

4羽田(2011),p.216など

(7)

第1章

 現代とはどのような時代で、どのような人材 が求められているのか

 本章では、「グローバル化に対応する」という課題に向けて、まずは「グ ローバル化」という現象そのものへの理解を深める。ギデンズやバウマンな どの社会学者の研究をもとにし、現代という時代の姿、グローバル化という 現象が生み出した新たなリスクの姿を浮き彫りにし、次にギデンズをブレー

ンに置いたブレア政権時代のイギリスの政策を検証する。そこで明らかにな る個人の資質の必要性から市民教育の形を明らかにする。

第1節 現代とはどのような時代か

 「世界がグローバル化している」というのは、現代において、非常に多く見 聞きする文言である。事実として世界の時間距離は益々縮まり、欧州・アフリ カ・ロシア圏における連合の動き、環太平洋地域の経済連携も進展している。

ヒトもカネもモノも情報を地球を駆け巡る。ただ、こういった世界の拡大とい うものは今にして始まったものではない。人類が諸地域に文明を築きながら、

その文明圏を拡大し、それぞれの文明圏がせめぎ合い、結びっきながら時代を 経てきたのだ。人類はアフリカを旅立ち、地球規模に散った。古代エジプトと ヒッタイトはカデシュで条約を締結し、2つの文明圏がオリエントとして関連 した。アガメムノンのトロイアとの戦いは、今日ヨーロッパと呼ばれる地域と アジアと呼ばれる地域の密接な関係を意味した。マルコ=ポー口は地中海世界 から大都に足を運ぶことでモンゴル帝国による世界の繋がりを証明してみせた。

ピサロがタワンテインスーユ5を「インカ帝国」にまとめたことは「旧大陸」と

「新大陸」の断絶を解消した。こうして人類は地球規模に生活の舞台を広げ、

それぞれの生活圏から文明圏へと拡大し、さらに文明圏同士が繋がりを生み、

やがてモンゴル人の政策が中央アジアや西アジアを越えてヨーロッパにまで影 響を及ぼし、「インカ」人の黄金がヨーロッパの経済に革命的変動を及ぼすとい

う状況をも生み出すに至った。にもかかわらず、「グローバル化」という言葉が 大きく取り上げられるようになったのは近年のことである。この現象には、か

5「インカ」とは、元来、タワンティンスーユ(4つの州)を治める者の称号である。

(8)

っての文明と現代文明を区別して考える背景があるのだろう。梅樟忠夫は「現 代文明とは、産業革命以来しだいに発達してきた大規模な生活様式を中心にし て、設計しなおされた、あたらしい人間の生活様式である」と説明する6。梅樟

は現代文明を「産業革命以後」の「あたらしい人間の生活様式」だと言ってお り、それ以前の文明と区別しようとする。この考えをもとにすれば、この新し く設計された生活様式の拡大が現代において言われる「グローバル化」という

ことになろう。

 バウマンは梅樟の考えと同様のものをさらに発展させたかのような「近代化」

像を描き出す。「ものごとを異なったものに、おそらく、それまで以上に、そし て現在よりもよくしようとする衝動、そうしたものを促す衝動にそれ以上の力 を加える実践を伴う衝動」が「近代化」と呼ばれるのだと説明するのである7。

そしてまた、「近代化を「近代」への道、つまり、「近代になる」結果をもたら し、いったん、その仕事が終わったら、完遂したその使命」を停止してもよい、

一連の行動と解釈すべきではない。近代化こそが近代そのものである。近代は 一度止まると消滅してしまう」とさえ主張し、近代という時代は近代化しよう とする運動そのものであるとしている8。つまり、近代というものは、ものごと をよりよくしようと設計し直し続ける、変化を続ける時代であるということで ある。そして、この変化が止まったときが近代の終末なのだということになる。

 「近代」を論じる際に、その近代性を「モダニティ」と表現することも多い。

「「モダニティ」とは、およそ17世紀以降のヨーロッパに出現し、その後ほぼ 世界中に影響が及んでいった社会生活や社会組織の様式」である9。ここでギデ

ンズは明確に梅樟と同様の見解を示している。ところが、「近代」と「現代」を 区別し、「現代」を「ポスト・モダン」や「ハイ・モダン」と呼び分けることも ギデンズによって行われる。こういった区別を行うならば、梅樟の言う「現代 文明」は、ギデンズのいう「現代」とは異なるものだということになる。この 両者の考える内容を比較してみれば、梅樟は産業革命以後を「現代文明」とし ているが、ギデンズは産業革命以後の「近代」のうち、「ポスト・モダン」や「ハ イ・モダン」を「現代」と呼んでおり、そこから、梅樟の「現代文明」はギデ

ンズのいう「近代(モダニティ)」を指すものであり、ギデンズの「現代」とは

6梅樟(1974),P.144 7バウマン(2008),p.168

8同上

9ギデンズ(1993),p.13

(9)

その意味を異にするものだということになる。(図1)

図I「ギデンズと梅樟の示す『現代』、『現代文明』の比較」

ギデンズ

ンズ 「現代」

「近代」

「現代文捌 産業革命

産業革命

(出所)ギデンズ『『近代とはいかなる時代か?一モダニティの帰結一』

         および、梅樟『文明の生態史観』より、筆者作成

 さて、では梅樟は「近代化」についてどのように考えるのか。梅樟は、「ひと つの有機体の成長にともなう脱皮のようなもの」とする先進資本主義諸国の近 代化に対して、それ以外の旧大陸の諸国の近代化について、「内部からの成長に

ともなう脱皮というより、そとの世界から急速にせまってくる近代文明の圧力 に対する、有機体の必死の適応であり、新生である。近代化はしばしば、猛烈 なスピードで強行される」と分析し、先進資本主義諸国がそれ以外の諸国から

「ある分野においては、おいこされるというようなこともでてくるであろう」

とその驚異的な速度と圧力に驚嘆しているm。梅樟は外部から襲いかかる、変化 を促す力の強さと速度に注目しているわけだ。注意しなくてはならないのは、

梅樟がこの持論を発表したのは1957年のことだということだ。それから時代は 50年以上を経た。「ある分野において」、当時先進資本主義諸国と梅樟が位置づ

けた日本の立ち位置はどうなったか。確かに西ヨーロッパと日本という、梅樟 のいう先進資本主義諸国は中国をはじめとしたBRICS諸国、韓国や東ヨーロッ パ諸国に追い越された分野も出てきているかもしれない。そしてさらに、梅樟

o 樟前掲,pp.141−142

(10)

が持論を表明した当時から50余年を経た今日、新たな動きが外部から日本を襲 っている。それがグローバル化だ。グローバル化への対応に迫られている日本 は、現在、外部から襲いかかる変化を促す力の強さと速度への対応に迫られて

いるのだ。

 私たちは、近代(モダニティ)というものの伝播を経て、さらにポスト・モ ダン、ハイ・モダンの時代に差し掛かっている。この我々の時代は「モダニテ ィのもたらした帰結がこれまで以上に徹底化し、普遍化して行く時代に移行し ようとしている」l1。これまでに世界を作り替え、局速度で世界に広まった「近 代」がそのまま近代化を止めずに進み続け、それが普遍的なものとして定着し ていくという段階に入ったのである。「近代」は猛烈な速度で世界の隅々に広ま

り、それはその出自である西欧においては時間とともに成熟し、その他におい ては、「近代」が各地域の土着的伝統の領域に入り込み、単なる時間の経過によ

る変化ではなく、「近代」という文化の「文化転移に由来する」変容であるハイ ブリッドモダンを形成し 2、それがさらに推し進んだ結果、普遍化していく。

 このような後期近代の時代に差し掛かり、我々は大きな時代の特徴を認識し なくてはならない。1つ目が、「近代という時代が始動させた途方もない《変動 の速さ》」だ。これまでの伝統による文明はもちろん変化を継続的に行ってきた。

だが、近代に入ってからのその速度は極度に速くなった。次に挙げられるもの が「《変動の拡がり》」である。世界の各地域がその相互に連動する関係を強め ていくにっれて、その連動性は速度とともに広範囲に影響を及ぼした。さらに

3っめに「《近代的制度の本質》」への関連がある。近代の社会は、それ以前の それとは連続性を持たない、まったく異なる原理によって、秩序づけられてい る」ということだ13。「文化移転」による変動によって、これまでとは単純な時 間の連続によってならないのが現代である。こうした特徴を踏まえ、これから の時代を考えなくてはならない。

 ギデンズはそのうえでポスト・モダンの世界において、「歴史性が時間と空間 の相関関係を秩序づけることはもはやないであろう」と、それ以前の時代との 連続性を持たない時代として現状を分析しつつ、「しかし、伝統が本来備える特 質を一部復活させるような、社会生活の特定の側面にたいする執着が、おそら

く再び生じていくかもしれない」とも述べており、単に普遍化に向けて突き進

11

Mデンズ前掲,p15

2 咩戟i2011),p.29

13 Mデンズ前掲,pp.18−19

(11)

むのみではなく、伝統や土着という部分への立ち返りの要素をグローバル化の 中に認めている。前述の、ハイブリッドモダンをさらに押し進めた結果のグロ ーバル化という動きとの矛盾がありそうであるが、これはそうではない。ギデ ンズは「ローカルなことがらとグローバルなことがらとを明らかに複雑なかた ちで組み合わせていくことになろう」と続けて予見しており14、このような、グ ローバルと土着の関係にこそ、グローバル化して行く世界に我々が相対すると きの重要な観点が示されているのである。世界がただ普遍化し、同じものにな っていくという理解に終始していてはならない。

 これからの世界には「変動の速さ」「変動の拡がり」「近代社会の歴史性との 分断」という大きな特徴があるわけであるが、これらを我々は明確に意識する 必要がある。これらの特徴の訪れ、つまりモダニティの地球規模の拡大はもは や自明である。我々はこうした世界の動きに対応するために「ローカルなこと がらとグローバルなことがらとを明らかに複雑なかたちで組み合わ」さった状 況に対応する能力を個人としても得る必要がある。つまり「グローバルなこと がら」に対応しようとするEUやASEAN(リージョナルな領域)の方針、ある いは国家(ナショナルな領域)の動きは、「ローカルなことがら」である地方・

地域のあり方に変化を促し、また、個人(パーソナルな領域)にもライフスタ イルの変更をもたらすことがあり得るということであり、我々個人もまた、グ ローバル化へのその対応の仕方を考えていかなければならないということにな

る。

 欧州におけるEUの成立、ロシア圏の連合の動き、アフリカ連合の存在などは、

明確に我々の暮らすこの時代の世界の変動を表している。これらの動きはグロ ーバル化という拡がりに対して、「ヨーロッパ圏」「ロシア圏」「アフリカ圏」な

どといった、言わば、リージョナル領域とも呼べる領域を各地域が求めた結果 だと言えよう。ナショナルな領域を越えながら、またグローバルよりは狭い範 囲での結びつきを持とうとしているのである。そして例えば「ヨーロッパ圏」

は構成するヨーロッパの国ぐにを守ろうとし、また他の「アフリカ圏」との交 渉を持つことになる。まさにギデンズの主張のように、「ローカルなことがらと

グローバルなことがら」が絡み合っている姿だ。こうした、既存の「国家」の 枠組今を越えた動きは、一方でローカルな動きがグローバルな事象へ影響を与

える力を考えれば、「超国家体を形成していく代わりに、それぞれの国家が地球

Mギデンズ同書,p.220

(12)

規模の政策を協調して確立したり、紛争解決のために協調戦略をとるかたちの ものとなるのかもしれない」ものであり、ただ一方的に拡がりのみを持つもの ではない15。こうした双方向の「絡み合い」によってそれぞれの国家が、国家を 越えた連合を形成し、さらにそれらの連合が関係し合うことで世界が動いて行

く一方で、「地球規模のレヴェルで生じている諸々の趨勢は、揺るぎない確かな もの」として、グローバルな事象も確かに存在感を放つのだ16。またさらに、ギ デンズが示唆するように、グローバル化が進む一方でローカルや個人の領域へ 価値の高まりをも考えられる。そしてこれもまた複雑な絡み合いの関係の一部 となり、従来のような、世界と国家、国家と集団、集団と個人、といった同心 円の関係だけでなく、世界と個人、世界と集団、国家と個人、などという個別 化されたもの同士の関係性も構築され得る。

 グローバル化によるモダニティは、それぞれの領域の関係性の再構築だけで なく、別の影響ももたらした。産業革命以降、西欧から拡大した「近代」や「近 代化」は、世界の各地に恐るべき速度で拡がっていった。西欧発の新しい運動

は、世界の各地でハイブリッドモダンの段階を経ながら一般化し、普遍的なも のへと定着をしてゆく。世界に画一的な価値観がひろまってゆくのだ。その結 果、西欧の持っていた、先進国としてのアドバンテージは弱体化した。かって 梅樟は、西欧と日本というユーラシア世界の両端を「第一地域」、その他のユー

ラシア世界を「第二地域」と呼び分け、「第一地域」を先進国と見ていた 7。し かしもはやその先進性はグローバル化によって、世界各地に急速に拡がり、「第 一地域」特有の存在ではなくなった。こうしてかつての「第一地域」が他地域

に示した先進性や支配力は、その自らの影響力によって、すっかり衰えてしま ったのだ。これは「当初西欧に生まれた諸制度の影響力の衰退の結果ではなく、

それどころか、そうした西欧に生まれた諸制度が地球全体に拡まっていった結 果」であると言える。これも「グローバル化」という運動がもたらした1つの 変化であり、「こうした過程を、《グローバル化》の一過程と解釈することが可 能」だ 8。西欧はもはや先進国ではなくなりつつあり、グローバル化によって一 体化する世界の一部分となる。「西欧」すら、先進性が移転によって分散した現 代においては大きな意味を持たず、ただ世界の中に取り込まれてゆく。

5 Mデンズ同書,pp.208−209

6 ッ上

7 樟(1974)

8 Mデンズ前掲,p.71

(13)

 世界を取り込もうとするグローバル化は、もはや不可避の現象である。ただ し、注意しなくてはならない。グローバル化の生み出す驚異的な速度は、その 拡大時のみに言われるようなものではない。グローバル化が進み、一体化した 世界において、ギデンズは次のような側面を挙げる。

 したがって、グローバル化とは、ある場所で生ずる事象が、はるか遠く離 れたところで生じた事件によって方向づけられたり、逆に、ある場所で生じ た事件がはるか遠くはなれたところで生ずる事象を方向づけていくというか たちで、遠く隔たった地域を相互に結びつけていく、そうした世界規模の社 会関係が強まっていくこと、と定義できる。 9

 当然ながら、これは有益なことのみには限定されない。不利益なことさえも 猛烈な速度で広大な範囲に広がり、はるか彼方から不利益が襲いかかって来る ことがありえるのである。欧州ギリシャの経済危機がわずかの期間にイタリア ヘ飛び火したことは記憶に新しい。さらにその火は隣国に燃え移ろうとし、そ の炎は欧州通貨ユー口の価値を燃やし、為替変動の結果として日本円の価値を 一気に引き上げた。グローバル化は世界規模の社会関係の強まりをもたらすの

である。

 また、別の側面もある。現在、ヨーロッパ諸国の多くは、移民の増加とその 影響を含む若年層の労働問題を抱えている。特にこの移民の多くがイスラーム であることが問題を大きくしている。米国同時多発テロ事件以降、特にこれま で以上にヨーロッパにおいてイスラームヘの反発が強まっているからだ。イス ラーム系の人々がヨーロッパヘ移住するというグローバルな動きは、一方でヨ ーロッパでの地域ナショナリズムを高めている2。。ギデンズもこのことを挙げな がら、「グローバル化した社会関係の発達は、おそらく国民国家(ないしは、一 部の州)と結びついたナショナリズム感情をある面で弱める働きをするが、も

っと局域的なナショナリズム感情の高まりを結果的に生じさせるかもしれない」

と分析し2 、グローバル化というそのもの自体を「一体化していくと同時にばら

9 Mデンズ同書,p.85

別2012年フランス大統領選挙での右派政党候補の躍進、フランス、ベルギー、オランダなどで

のブルカ禁止法など。

21 Mデンズ同書,p.86

(14)

ばらに分裂していく、均一でない発達過程」とさえしている22。グローバル化の

「その過程の一環として、地域の自治権や文化的アイデンティティを求める圧 力は、高まりを見せ」てゆくことも十分にありうることであり23、現にもう始ま

っている。「地域の自治権」や「文化的アイデンティティ」は非常にローカルな 領域の話である。しかし確実に、これもグローバル化の1つの側面なのだ。

 つまり、グローバル化という動きは、単純に世界を1つの価値観や文化に普 遍化しようとすることではなく、それに対して伝統やナショナリズムといった、

アイデンティティの面にかかわる要素への高まりをも含むものなのである。間 違いなく世界中にマクドナルドやコカコーラは展開し、世界の様々な都市でチ ーズバーガーを食べることは可能だ。日本人の大半はスーパーマーケットで買 い物をし、椅子に座り、テーブルで食事をする。iPhoneはアフリカの街でも使 われる。私たちはどこかの他国へ行ったとしても、大きく変わらない生活を送 ることは可能だ。しかし、実際の生活は同じものにはならない。日本のマク ド ナルドではスタッフの接客態度の向上が常に求められ、商品についても「テリ ヤキマックバーガー」や「月見バーガー」というような、日本の伝統的食生活 に基づいた商品開発が行われる。また、椅子に座り、テーブルで食事を摂る際 には多くの場合は箸が使われる。世界のどこへいっても大きく変わらない生活 様式でありながら、母国へ戻れば母国の伝統的な食事を摂りたくもなる。母国

に戻ることが不可能であれば、その土地で味わえる母国の味に親しみたくなる。

南アメリカ系の労働者は南アメリカの料理を供するレストランに集まるのだ。

ヒト・モノ・カネ・情報が時間距離を縮め、短期間に相互に世界を駆け巡る時 代であるからこそ、経済や価値観までもが共通のものになる。しかしその一方 で、それらを動かす人間とその生活には差異があることもまた見えてくる。人 と人が出会わなければ彼らの違いというものは気づかれない。様々なものが世 界を動くからこそ、様々な違いが見えてくるのである。他者と出会うことによ

ってく自らの輪郭は明確となり、自己の意識を生み出す。世界が1つに繋がろ うとするとき、それまで見えなかった自らの輪郭が強調され、ナショナルやエ スニックなアイデンティティが自覚され始めたのである。

22 Mデンズ同書,pp.215−216

23 Mデンズ同書,p.86

(15)

第2節 グローバル化が生むリスク

 グローバル化は、「西欧の没落」や欧州の経済問題や局地的ナショナリズムの 高まりによる民族問題などの、有益とはいえない面についても驚異的な速度と 拡がりを見せていることは先に述べた通りだ。では、これらをマクロな世界の ことと捉えた場合、より卑近な、ミクロの世界における影響はどのように存在 するのだろうか。グローバル化が引き起こす土着との絡み合い、ローカルとの 絡み合いの関係を考えれば、我々個人の生活にも少なからず、いや、大きな影 響を与えることは想像に難くない。我々の生活に及ぼす変化と共に、そこには リスクがつきまとう。つまり、リスクもグローバル化し、世界に普遍的に拡が った結果、個人の生活にもその影響を及ぼし始め、「グローバルな経済メカニズ ムの崩壊や全体主義的な超大国の出現など、その他の重大な結果をもたらすリ スクも同様に、現代の私たちの経験にとって避けられない部分」としてのしか

かってくるのだ24。

 世界がグローバル化し、凄まじい速度で均質的に変化していくことは、様々 なリスクをも生み出す。我々はそれぞれの発展の領域において技術や知識を高 度化していった結果、それぞれの領域における専門家によって物事を分業する システムを生み出し、個人の知るところではないものによって動かされるよう になった。これは知らないところで起こったことが確実に我々の生活に影響を 及ぼすという予想できないという、1つめのリスクだ。ギデンズはこのような、

「われわれが今日暮らしている物質的、社会的環境の広大な領域を体系づける、

科学技術上の成果や職業上の専門家知識の体系のこと」を「専門家システム」

と名付けている25。我々が意識せずとも確実に生活の中に他者の影響は介入して おり、それぞれの役割を専門家が担当し、その絡み合いによってグローバル化

した世界は成り立っているという側面を見落としてはならない。専門家によっ て動くシステムを不可視のものとして放っておくことはできず、ここに我々個 人が果たさねばならない役割がある。専門家システムを日常生活から見ること は困難であるからこそ、何らかの形でこれを監視し、監督しなければならない という逆説的な役割も我々は持たなければならない。その例が、大企業の株主 総会や情報開示であり、民主主義における選挙や弾劾裁判である。専門家シス

テムの運用のためにも我々はもはや、ギデンズのいうところの「別の人」、つま

別ギデンズ(2005),p.5

25 Mデンズ(1993),p.42

(16)

り関わりのない他人であるわけにいかないのである。情報の加速化の中で、我々 が手に入れられる情報は格段に増えた。ギデンズは「一八九二年にある評者は、

近代的な新聞の発達の結果、地方の村の住民が、一○○年前の総理大臣よりも 同時代の出来事について幅広い認識を得ている、と書き記していた」ことを紹 介している26。こうした情報を積極的に集め、理解し、参加する姿勢が求められ ているのである。だが、溢れる情報のすべてを取り込んで、それらを理解する

ことは極めて難しい。専門家システムが見えないところで破綻するかもしれな いというリスクに対応するためには、私たちは溢れる情報を整理し、それらを 適切に取り扱うことで、世の中で起きていることを理解しなくてはならないし、

そう努めることが求められる。

 2っめには、一方ではグローバル化は私達に、相互に依存した繋がりを持た せるということが挙げられる。私たちが自給自足の生活を送ることは現代文明 下においては不可能に近く、誰かの育てた作物を食べ、誰かの建てた家に住み、

誰かのために商品を作り、それを売る。それもローカルな領域に留まらず、世 界規模でこのことは起こる。

 ナイキのスニーカーの旅はヴェトナムの劣悪な搾取工場にまでさかのぼり、

ハービー人形の一連の服装はスマトラの児童労働に、スターバックスのカフ ェラテはグアテマラの陽の降り注ぐコーヒー園に、シェルの石油はニジェー ル・デルタの汚染された貧しい村にさかのぼる27

 このようにバウマンは述べており、「西欧の日常の飲食物は、地球規模の経済 的交流を長い間実際に反映してきた」のだ28。

 もはや、ギデンズのいうところの「別の人」、つまり関わりのない他人は存在 せず、我々の一人ひとりが様々な周囲との関わり合いや影響を受けるとともに、

常に何らかの役割を意図せずに持たされている。私たち一人ひとりの行動が世 界に何らかの形で影響を与えており、個人個人の生活が個人では完結せずに、

これが積み重なることで世界のシステムが動いている。「自己の生活が他者に影 響を与えざるをえない」ということだ29。そしてまた、世界のどこかで起こった

26 Mデンズ同書,p.100

27 oウマン前掲,p.181−182

2目 Mデンズ前掲,p.150

宮。 {本(1992),P.3

(17)

出来事が個人の生活にも少なくない影響を及ぼすということも忘れてはいけな

い。

 石油を熱源にした集中暖房装置を完備していても暖炉を設けていない人は、

とりわけ石油価格の変動の影響をこうむりやすい。たとえば、石油輸出機構

(OPEC)による生産・価格協定の結果生じた一九七三年の「石油危機」のよう な状況では、石油製品の消費者は誰もが影響を受けていく3。

 ギデンズはこうした例を挙げている。やはり我々はこの時代にあって、世界 中のどこかと自覚できない領域で絡み合っているのである。

 そして、3つめに人々は高度に高速化した繋がりと情報化によって、親密性 の意味を曖昧にしてゆくということが挙げられる。「地球の裏側にいる相手と電 話でお喋りをしている最中の人は、同じ部屋にいる(「誰からの電話? なんの 月なの?」などと尋ねている)もうひとりの相手よりも、ことによるとその遠 方の相手のほうと親密に結ばれているかもしれない」のだ31。また、家族ととも にリビングルームにいながら、携帯電話やパソコンを介したインターネットの 利用によって遠く離れた相手と親密なやり取りをすることも可能だろう。一見、

どうということのない現象だが、これは、すぐそばにあるはずのコミュニティ が形骸化してしまい、物理的に近い距離において個々人が孤立していくことに つながり、ローカルな領域でのネットワークが遮断されることになりかねない ということでもある。これは従来の親密圏のあり方の変化であり、多様化であ り、流動化である。ギデンズは親密圏の変化について、家族のあり方の選択に のべているのだが、より大きく拡大して解釈することも可能だ。私たちは親密 な友人を離れたところに手に入れることも、身近に作ることも選択できるので ある。その一方で、すぐそばにあるはずのコミュニティの親密圏が揺らぐこと で、突発的な問題が身に降り掛かった際などに、その協力を得ることができな

くなるかもしれない。

 こうしたリスクに我々は晒される時代に生きているのだ。

3。 Mデンズ前掲,p.158

31 Mデンズ同書,p.176

(18)

第3節 リスク対応には個人の資質が必要となる

 ギデンズはこうしたリスクを整理し、「ローカルなことがらとグローバルなこ とがらとを明らかに複雑なかたちで組み合わせていくことになろう」と今後を 予測している32。つまり、極端に言えば、個人のことがらが世界のことがらと複 雑に絡み合うと考えるのである。

 例えば、2011年の東日本大震災に伴う原発事故が各国において原子力発電の 今度の進むべき道に対して議論を生んでいる一方で、ギデンズはこれを予見し ていたかのように『モダニティと自己アイデンティティ』の中で「原子力への 依存を減らすことや、原子力発電資源を全廃しようと模索することは、重要な ライフスタイルの変化を伴うだろう」と述べている33。まさに2011年に日本人 が体験したことを言い表している。原子力発電所を相次いで休止させたことに よって、我々一人ひとりが日常生活から電力の消費を下げるライフスタイルを 迫られた。逆に言えば、個人が節電に努めることで原子力発電所の休止を可能 にした。それだけではない。世界に対して原子力発電のあり方を問う切っ掛け となり、世界中の人々にライフスタイルの選択を迫ることにもなった。これは 我々の個人としての生活の在り方がグローバルな世界の、現代という時代の在

り方に影響を与えているという一例といえよう。原子力発電という大きなリス クに対応するためには、我々個人によるライフスタイルの選択は欠かせず、リ スク対応のためには個人の領域での賢明な判断が必要であるということになる

34 B

 我々はグローバル化の生み出すリスクに対応するための手段を考えなくては ならない。先にも述べたように、もはや現代における危機とは全体の危機に留

まらず、我々の個人というローカルな領域にまで及んでいる。ギリシャからは じまる欧州の金融危機は、日本においても円高の加速させる。そして日本の経 済は多大な打撃を受け、当然ながら個人の生活にもその影響を及ぼした。否応 なしに我々はそのライフスタイルを変えさせられていくことになる。世界と個 人の絡み合いを実感せざるを得まい。現代の世界は、「社会変動のぺ一スが以前 のシステムよりもずっと速いというだけでなく、その範囲、それが既存の社会 実践や行動様式に影響する際の深さについてもそうである」、「暴走する世界

32 Mデンズ同書,p.220

宮3 Mデンズ(2005),p.252

糾ただし、このことをどれだけ継続できるかという問題もあり、それが世界に対して何を示す のかという分岐点にもなる。

(19)

runawaywor1d」なのだ35。そして否応なしにライフスタイルを変えさせられる 我々は、「急速に変化する社会生活の環境に関連」する新しい自己アイデンティ ティの再構築をも迫られる36。「個人の決定もまたグ1コーパルなことがらに影響 する」だめだ37。このような、ライフスタイルが経済や政治といった分野へ影響 を及ぼす状況をギデンズは「ライフ・ポリティクス」と呼ぶ38。そしてグローバ ル化が進む上で大きな問題となるであろう格差についても、やはり個々人のラ イフスタイルヘの影響を指摘している39。

 世界がグローバル化する以上、世界に及ぼすリスクは、もはや個人にとって

「別の場所」でのできごとでははなく、確実につながっている世界での存在で ある。個人はすでに他のできごとに係わりのない「別の人」ではなく、すべて の人が何らかの役割で世界の営みに加わり、専門家システムの監視に参加する 必要があることは先に述べたとおりだ。グローバルなリスクを回避するために は、個人のアイデンティティの構築と個人のライフスタイルの構築が欠かせな いのである。そのためにはそれについて個々人が決断を下す必要があるのだ。

「別の人」でない以上、自ら考え、自ら選択し、自ら行動する市民が求められ ているのである。

第4節 求められる「グローバル人材」(イギリスの事例をもとに)

 では、そうした市民を育てるための取り組みを、イギリスの取り組みから見

てみたい。

 かっての大国イギリスは、第二次世界大戦後、「ゆりかごから墓場まで」と呼 ばれる福祉国家を標榜していた。しかしその結果、イギリスは「福祉に人々が ぶら下がる非効率な国家」に成り下がった40。そしてこの国は長きにわたる経済 停滞の期間を過ごすことになってしまった。所謂「イギリス病」である。イギ

リスは長年の病を克服しなくてはならなかった。その一手が、保守党サッチャ ー首相時代の小さな政府路線である。しかし、その路線が功を奏することはな く、サッチャーの後を受けたメージャー保守党政権においてもこれを克服する ことはできなかった。特にこの期間の福祉の没落は明確であり、「教育や医療の

35 Mデンズ同書,p.17

36 Mデンズ同書,p.244

37 Mデンズ同書,p.250

38 Mデンズ同書,.p.243

3目 Mデンズ同書,p.261

4。 R口(2005),p.8

(20)

荒廃が深刻化」し41、若年層の失業や犯罪の増加までを生み出した。こうした背 景から、メージャーの次に首相に就任した労働党のブレアは、ギデンズをブレ ーンとして迎え、従来の労働党が目指した社会民主主義とも、サッチャーらの 保守党が目指した新自由主義とも異なる、その両者を組み合わせた第三の道を 標榜することとなった。ブレア政権はこうして、これまでになかった形で、社 会の立て直しから のイギリス病の克服を目指すことになった。当然、そこでは サッチャー時代に荒廃した教育や医療といった福祉の再興が必要だった。「人間 が豊かに生活するためには」、「社会の領域がしっかりしていなければならない」

のであり、その社会の基盤を保障するのは教育や医療などの福祉であろう。で は、その「社会」はどのように確立されるのか。「社会とは、自発性と協力原理

と無償労働によって支えられる」ものであり、我々個々人が「対価や報酬なし で取り組むのが社会の領域」であり、その取り組みを行える個人を育み、まも

ることが社会の根本であると山ロー邸は述べている42。

 イギリスは、イギリス病と呼ばれた危機的な衰退の時期から脱するために 様々な手段を講じてきた。その一例がサッチャーのもとで進められた福祉政策 やブレアの「社会」に対する見直しだ。ブレアの場合には、国家の建て直しの ために「社会」の再構築が不可欠と考え、そのために「自発性」というものを 重んじた。自発的に市民が「社会」に係わることで社会自体を再整備し、国家 の再建に繋げようというのだ。この目論みは、これまでに述べてきた、ギデン ズによる「グローバルとローカルの絡み合い」の構図に似ていまいか。いや、

当然である。ブレア政権の背景にはギデンズがいるのである。かくしてイギリ スは、ブレア政権のもと、衰退する自国の再建と、EUという連合体内部での躍 進、さらにはEUが国際舞台の存在感を増大させることを目指し、市民に対して よりよい振る舞いと.しての公民性を身につけることを求めたのである。もはや

「別の人」は存在せず、社会学の語る、家族を中心とした親密圏から、政治に 代表される公共圏へ比重が移動し始めた個人の生活のあり方は、揺らいだ親密 圏を伴う、見えない「専門家システム」に社会を任せておけない。個人の生活 のあり方は公共的なものに重きをおくかたちに変化し、市民は自発的な公民性 をもってグローバルに展開される絡み合いに参加せざるを得なくなった。この グローバル化のリスク対応の要点は、サッチャーから引き継いだ、「イギリス病

4 R口同書,p.10

4宮 R口同書,pp.84−85

(21)

克服」という課題に取り組むために活用され始めたのである。そして、イギリ ス病の克服は欧州圏、ひいては世界の経済への巨大な影響もあることが容易に 予測できる。ブレアはイギリス国民に絡み合いへの参加による国家規模のリス

クの回避と、欧州・世界へのイギリスの躍進を期待したのである。

 ブレア労働党政権はイギリス病克服のために様々な福祉政策を打ち出したが、

その「目的は、弱い人を支えることだけでなく、グローバルな競争の中でも自 立して働き、生活できる人間を育成することに置かれ」ており、人材の育成に 注力していた。まさに、絡み合いに参加し、公民性を持った市民を育てること で、ライフ・ポリティクスの面からの国家再建を目指したわけだ。そしてさら に現実の雇用問題を鑑みて「雇用の流動性や柔軟性を前提としつつ、どこの企 業でも働けるような質の高い労働力」としての若者を育てようとしていたので

ある43。

 イギリス病は自国というナショナルな段階での話ではなく、グローバルな競 争力の低下へもつながる現象であることは言うまでもない。ここでブレアが目 指す国家の再建とは、国際社会においての競争力の復活という面も強いだろう。

しかしヨーロッパはもちろんのことながら、アジアや中南米などの国々も競争 力を身につけつつあり44、もはや大英帝国の栄華のような時代を取り戻すことは 容易ではない。より現実的に、ヨーロッパの国々と、アジアの国々と、中南米 やアフリカの国々との競争に打ち勝っていかなければならないのである。そこ で教育である。「一般的な労働者の読み書き計算能力が低いと、労働者の質も低 いままで、外国との競争に勝ち抜くことはできない」のだ45。経済の基礎部分を 支えるのは紛れもなく市民であり、労働者だ。これらの労働者は単純に労働を 行うだけの存在ではもはやなく、ライフ・ポリティクスの一員でもある。「人間

を生産に不可欠な「資本」ととらえ、それに投資するのが教育政策」であり46、

市民の教育抜きに競争力を高めることは不可能なのだ。

 近年競争力を上げてきている国家の例を挙げるならば、真っ先に中国やイン ドが出て来よう。これらの新興国はもちろんのことながら、北欧の小国でさえ もこういった教育への注力は共通しているという47。このうち、新興国では「少

蝸山口同書,p.20

ψBRICSの台頭など。

45 R口前掲,p.48 蝸山口同書,pp.47−48

47 ッ上

(22)

数の優秀な若者を留学させ、国の経済や行政の牽引車とするという政策がとら れている」。一方の小国では「労働力の量ではまったく太刀打ちできないので、

質を上げることが課題」であり、「反すべてに十分な教育を与え、全体として国 民の知識水準、労働能力を向上させるという戦略が」採用されている。いずれ

にせよ、教育から経済政策を見つめ直すという潮流は世界的なものである。

 ブレアが教育を重視するのにはもう1つの意味がある。格差の是正である。

貧しい家庭に生まれた子どもは、満足な教養を身につけることが出来ず、貧困 の中に成長してく。その子どもが成長して家庭を持ったとき、彼らは満足な収 入を得られず、その家庭は貧しいままに留まる。結果、その家庭に生まれた子 どももまた満足な教育を受けることができず、貧困の連鎖の中から逃れること ができない。これがイギリスの現状だ48。ここからの脱却を目指し、ブレアは教 育を掲げた。山口は、ブレア労働党が教育を重視する理由の1つとして以下の

ものを挙げている。

 教育は人生における成功の機会と密接に結びついている。高い教育を受け れば、それだけその人の成功の可能性は広がる。しかし、貧しい家庭に生ま れた子どもは、十分な教育を受けられないことも多く、出自や生まれ育った 環境によって成功の機会を奪われるという問題が存在する。こうした不公正、

不平等を解消するためには、質の高い高教育が必要だという発想である。49

 教育の充実と革新を求めるブレア政権は、ここで1つの新たな提案に出会う。

「シティズンシップのための教育と学校における民主主義の指導一教科シティ ズンシップのための諮問委員会最終報告書」、通称「クリック報告」である。こ

こでは「シティズンシップ導入の背景として」「若者の政治的無関心・問題行動」

を挙げている50が、これに着目したブレアが、「社会民主主義的な政策理念に基 づく個々人の自立を支援する教育と、地域コミュニティの再生を結びつける、

国民にもわかりやすい具体的な目玉プラン」5 として採用したのである。

 もちろんこうした考えはもはやグローバル化した現代において一国に留まっ

48 セが、これはイギリスのみに限られたことではない。フランスにおいてはドリュ=ベラ(2007)、

日本においては刈谷(2012)らが、同様の経済格差からの学力格差への強い影響を論じている。

49 R口同書,p.48

5。 ?Rほか(2008),p.167

61 セ原(2001),p.31

(23)

ではいない。ローカルやナショナルな運動はそのまま驚異的な速度でグローバ ルな領域へ拡大する。欧州評議会やユネスコもまた、このシティズンシップ教 育に着目し、「ナショナルなレベルだけではなく、ローカルやリージョナル、イ

ンターナショナルなコミュニティに参加していく市民像を提唱」しているのだ52。

イギリスがイギリス病を克服するために着目した教育は、ナショナルな領域で の効果だけでなく、欧州や世界への効果も期待されている。

 では、より広く運用されることになったシティズンシップ教育において、育 てるべき資質について見てみよう。中山は、『シティズンシップヘの教育』で、

シティズンシップ教育において育てるべき資質として、コーガンとデリコット が挙げる「21世紀の市民に求められるもの」を紹介している53。

①グローバル社会の一員として問題を見、アプローチする能力

②他者と協力的に協同できる力や社会における役割や義務に対して責任を持 つ能力

③文化的差異に対して理解したり、受け入れたり、尊重したり、忍耐する能

④批判的に系統的に考える能力

⑤非暴力的に紛争(摩擦)を進んで解決しようとする姿勢

⑥環境を守るために自分のライフスタイルや消費行動を進んで変える姿勢

⑦人権(女性やエスニックマイノリティなど)に対して意識的であり、擁護 する能力

⑧ローカル、ナショナル、インターナショナルレベルで進んで政治に参加し ようとし、参加できる能力

 これらをさらに分類してみると、「他者と協力的に協同できる力や社会におけ る役割や義務に対して責任を持つ能力」(②とする)と「文化的差異に対して理 解したり、受け入れたり、尊重したり、忍耐する能力」(③とする)と「非暴力 的に紛争(摩擦)を進んで解決しようとする姿勢」(⑤とする)、さらには「人 権(女性やエスニックマイノリティなど)に対して意識的であり、擁護する能 力」(⑦とする)は非常に近いところになる資質ということができる。そのうち、

52 ?Rほか(2010),p15

53 ッ上

(24)

③、⑤、⑦を内包する上位概念として、より抽象度の高い②を置くことができ る。つまり、②を具体化したものとして③、⑤、⑦が存在するということだ。

 次に、残った「グローバル社会の一員として問題を見、アプローチする能力」

(①とする)、「批判的に系統的に考える能力」(④とする)、「環境を守るために 自分のライフスタイルや消費行動を進んで変える姿勢」(⑥とする)、「ローカル、

ナショナル、インターナショナルレベルで進んで政治に参加しようとし、参加 できる能力」(⑧とする)、さらに先ほどの②を見てみよう。これらのうち、④

⑥⑧は先に見た②と③⑤⑦の関係のようにはない。しかし、①を2つの要素に 分解してみると、それぞれの項目の持つ意味の見え方が変わってくる。まず① の前半部分「グローバル社会の一員として問題を見」る能力(①一1とする)に

④は分類され、後半部分「アプローチする能力」(①一2とする)に②⑥⑧は分類 される。つまり、図式化すると以下のようになる。(図2)

図2「21世紀の市民に求められる資質の系統分類」

①{竃1;

② ③

(出所)『シティズンシップヘの教育』p.15をもとに筆者作成

 こうして見ると、まず重要視されるのが、①一1「グローバル社会の一員とし て問題を見」る能力、①一2「グローバル社会の一員として問題」に「アプロー チする能力」であることがわかる。そしてそれらを構成するものとして、④「批 判的に系統的に考える能力」と②「他者と協力的に協同できる力や社会におけ

る役割や義務に対して責任を持つ能力」、⑥「環境を守るために自分のライフス タイルや消費行動を進んで変える姿勢」、⑧「ローカル、ナショナル、インター

(25)

ナショナルレベルで進んで政治に参加しようとし、参加できる能力」が存在す るという構図になっていることがわかる。

 では、次に、それらの能力を育てるために、と期待されたシティズンシップ 教育との繋がりを見てみよう。

 ユネスコにおいては、「シティズンシップはもはやナショナルな文脈のみでは 考えることはできず、それゆえシティズンシップ教育に新しい意味を与える時 期にきている」とさえしており、欧州評議会においても「より多くの雇用と強 い社会結束を伴い、持続可能な経済成長を可能にし得る、世界でもっとも競争 力のある、ダイナミックな知的基盤型経済」を目指す戦略(リスボン戦略)を 打ち出してきた54。いわば、この教育はもはやイギリスというナショナルな文脈

を飛び越えて、ヨーロッパというリージョナルな領域へとその価値を拡げてい る。このリージョナルな領域さえ飛び越えて行き来することが、⑧の能力とい うことになる。そして、「より多くの雇用と社会結束」のためには②が不可欠と いえる。こうして、新しい欧州のあり方の根幹としてコーガンとデリコットの 求めるような人材の育成のための教育として活用され始めたのだ。

 だが、「二○○四年一月のタイムズ紙の教育特集で発表された調査によれば、

中等教育の教師のわずか四分の一しか、労働党政権になって教育環境が改善さ れたと答えていない」55。この教育が、社会の根幹をなす若者に対する福祉とし て当初の目的を果たすには至っていないことがわかる。シティズンシップ教育 は、山積する現代における課題を解決し、グローバルに活躍するべくコーガン とデリコットの求める資質を持った人物を育成するには、まだまだ依然として 改善の余地のあるものであり、問題を一足飛びにしてしまうような夢の教育で

はない。これを導入する欧州各国や、日本においてもこのことは忘れてはなら ない。しかし一方で、これ以上に有力視されるものも今のところは出現してい ないといえよう。各機関があくまでもシティズンシップ教育を推進し、これの 実践についての研究が引き続いてなされていることがそれを物語る。そして、

これはシティズンシップ教育に改善の余地があるということであって、コーガ ンとデリコットの提唱する市民像に問題があったというわけではない。

 ではイギリスでうまくいかない原因は何か。当然ながら、ただ1つを挙げて 原因を固定するというのはあまりにも愚かしい。しかし、山口は「学力向上を

54 ?Rほか同書,pp14−16

55 R口前掲,p.51

(26)

目に見える形で評価しようとするあまり、点数至上主義に陥っているという弊 害は明らかである」と指摘する56。若年層の再建を性急に求め過ぎたということ か。確かに競争力の向上を学力に求めるときに、その基準を数値化しやすい、

点数に依存してしまうということは起こり得ることだ。

 「この点は、日本も同じ誤りに陥りかねない」とさらに山口は警鐘を鳴らす57。

日本もバブル経済以降、イギリスと同様に経済的停滞を招き、福祉重視の方針 から小泉政権下に各種の民営化などの小さな政府の路線へ向かった。そしてそ の後は中道左派の民主党政権に移って現在に至っている58。このようにイギリス

と類似した時間を経てきた日本59においても、シティズンシップ教育の要素を導 入している。例えば2002年の学習指導要領の特徴としては「総合的学習の時間」

の新設が挙げられよう。そしてその根拠となったのが「生きるカゴの育成であ る。水山によれば、そのために学校5日制と併せて総合的学習の時間を用いる ことで、「生きる力」を音もうという狙いだ。「学校5日制は「学校が、家庭や 地域と共に「開かれた学校づくり」をし、地域の人材やNGO/NPOも含めた市 民社会のリソースと連携していくという市民参加型の地域づくりになることを 意味して」いるのだと水山はいう61。これは参加型の市民を育成しようという試

みである。しかしこれは思うような効果を上げることができず、単なる授業時 間の削減になってしまう事例が多かった。その結果、参加型の市民育成もなさ れず、また子どもたちの学力の低下をも招いてしまった。そしてそれが批判に さらされ、一部では山口の警告するような誤りに向かっていく危険性は十分に 考えられる。

 もう一度、コーガンとデリコットの求める市民像を振り返ってみよう。まず 最も上位に求められるのが、①グローバル社会の一員として問題を見、アプロ ーチする能力である。その下位の概念として、②他者と協力的に協同できる力 や社会における役割や義務に対して責任を持つ能力、④批判的に系統的に考え る能力、⑥環境を守るために自分のライフスタイルや消費行動を進んで変える

56 R口同書,p.55

57 ッ上

58

スだし、2012年12月16日の衆議院選挙の結果、政権交代は確実になった。

59 R口前掲

6。「生きる力」とは、「自分で課題を見付け、自ら学び自ら考える力、正義感や倫理観等の豊か

な人間性、健康や体力」であると平成10年6月30日の中央教育審議会(答申)「「新しい時代

を拓く心を育てるために」一次世代を育てる心を失う危機一」において定義される。この理念 は現在も引き継がれている。

6 ?R(2007),p.54

参照

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市民社会セクターの可能性 110年ぶりの大改革の成果と課題 岡本仁宏法学部教授共編著 関西学院大学出版会

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