1)美術作品を、生活の場から美術館へ隔離したという批判もある。
第1節 美術館における幼児期の鑑賞体験の意義
Ⅰ.鑑賞を成り立たせる諸要素
美術館で鑑賞する独自性について考えてみよう。美術作品の鑑賞は、美術館でなくても できる。本来、美術は生活の身近に存在していた。人智を超えたものへの祈りや畏敬の念、
宗教的内容や道徳的戒めなどの表現や伝達に用いられ、人間の生活に密接に関わってきた。
社会の発達に伴い、美術品は特権階級によってのみ享受された側面もあったが、近代以降、
美術館という場において、美術品が市民に公開されるようになった 1)。以来、美術館が美 術鑑賞のための特別な場所であるかのように考えられがちである。しかし、美術作品が設 置されている公共施設もあるし、室内装飾に用いる店舗もある。美術品を愛好し所有する 個人収集家は、個人的な空間の中で楽しむ。あるいは茶道では、個人が所有する美術作品 である茶道具を、もてなしとして茶会の中で使用する。このように日常的に美術作品に触 れ、鑑賞する機会はある。だが、美術館で鑑賞する独自性もあるのではないだろうか。
次のような筆者の経験を紹介しよう。全国の複数館を巡回する展覧会を、ある美術館で 鑑賞した。展示作品の1つに感銘を受け、次の巡回先となった別の美術館へ出かけ鑑賞し た。しかし、先のような感銘は受けなかった。会期中に、テレビの美術番組がその展覧会 を取り上げ、番組の視聴を通じ再度同作品を見たが、その際には、別の物を見せられたか のような落胆を覚えた。同じ作品を見ていながら、この違いは何に起因するのだろうか。
ここに、美術館で原作品を鑑賞することの独自性が関わっていると考えられる。つまり、
鑑賞は、作品単体で成り立つものではなく、作品と作品が置かれた空間との関わり、文脈、
それが原作品かどうか、また鑑賞者の状態などの諸要素との関わりから成ると言えよう。
Ⅱ.美術館で鑑賞すること
美術作品が美術館に置かれた場合に関わる、美術館固有の要素とはどのようなものだろ
2)作品保護の観点からすれば、展示ケースに免震機能が施されることなども含まれるが、ここでは鑑賞を基点とす るため扱わない。
うか。第1章で確認したように、美術館を含む博物館の機能は、収集、保存、展示、調査 研究、そして教育普及である。これらは作品のための機能であり、公益に資するための機 能である。美術館という建築物は、これらの機能のために設計され、様々な設備がなされ ている。展示に直接関わる主要ないくつかの要素を確認しよう。
1.空調
作品保護のために、温湿度は厳重に管理されている。温度は22~44℃、湿度は50~60
%が適切であるとされている。温度については、20 ℃±5℃とも言われており、いずれ の場合も、急激な変動がないよう管理されている。塵や虫の進入を防ぐため、外気を直接 取り入れることはしない。鑑賞環境へも配慮し、空気の浄化も併せて行われている。
2.照明
油彩画は150~200lx と比較的高い照度に耐えるが、日本画、版画などは50lx程度に抑
えられている。鑑賞者は、美術館の中で生活空間とは異なる光を感じる。また、1つの美 術館の中でも展示室によって照度が異なり、順路を追って鑑賞するうちに光の変化を感じ ることとなる。
3.壁面・床など
一般的にホワイト・キューブと言われるように、壁面や床に白が使われることが多い。
しかし、オルセー美術館が、2012(平成 24)年に、壁面を深みのある暗い灰色、青、緑、
紫などにし、床も暗い色のフローリングにするなどに改装したように、展示作品に合わせ て白ではない色を用いる動きもあり、美術館全体の印象を変化させている。いずれにして も、単色を使うことには変わりなく、日常とは異なる空間を創出している。
4.作品保護設備
作品保護のために、絵画の額に低反射アクリル板が取り付けられたり、展示ケースに入 れられたり、結界が置かれたりする 2)。これらは、生活の中で美術作品を楽しむ際には、
3)展示希望する作品を所蔵していない場合、所蔵者に展覧会への出品を依頼することがある。所蔵者が出品を拒否 すれば、所蔵者の意図が働くことになる。
設置されないものである。作品保護は人的にも行われる。展示室内に配置された監視員は、
鑑賞者への配慮を持ちつつ、作品保護を行う。来館者は、監視員の存在を感じつつ鑑賞し ている。
5.キュレーション
ここまで設備面を取り上げてきたが、不可視の要素がある。学芸員(キュレーター)によ るキュレーションである。
(1)作品選択
美術館が収蔵・展示する作品は、何らかの基準により選び取られた物である。例えば、
県立美術館の場合は、その県に縁のある作家や県の伝統技術に関わる作品の中から選び取 られることが多い。特定の作家を扱う美術館もあれば、版画、水墨画など様式上の種類を 基準にして収蔵・展示する美術館もある。美術館の方針により、選ばれる作品と選ばれな い作品が生じる。我々は、美術館に収蔵・展示されているから価値があるものと考えがち であるが、収蔵・展示されていないから価値がないわけではなく、各々の美術館の方針に より選ばれるか、選ばれないかだけの違いなのである。展覧会においても同様で、展覧会 の主題や目的によって、展示作品が選定される 3)。そこには展覧会を担当する学芸員の選 択基準が働いている。
(2)展示
展示構成をどのようにし、どの作品をどの位置に展示するか、照明をどのように当てる かなど、展示には様々な意図が働いている。順路に沿って作品を見ることで、何らかの物 語の中に来館者を引き込むことが企図されている。例えば、特定の作家の回顧展の場合、
制作年代順に構成するのか、描かれた内容物や主題により構成するのか、あるいは制作場 所の違いにより構成するのかなど、構成は幾通りも考えることができ、それにより会場設 営や作品の配置が変化する。
(3)情報提供
展示では、様々な形で情報提供がなされており、内容も多岐にわたる。鑑賞者の目に触 れやすいのは、作品の横に掲示されるキャプションや解説パネルである。作品名、制作年、
4)制作の過程に着目すれば、鋳造作品のように、原型から鋳抜いて制作するものも含まれたり、鋳造が作家の死後 に著作権者らによって行われる場合もあるが、そのようにして制作された作品は、原作品と見なす。また、版画も、
制作の過程から複数制作が可能であるが、同様に原作品として扱う。
5)筆者は美術館に勤務しており、図録や絵葉書、複製画をはじめあらゆる複製品を見ており、また担当者らが慎重 に色校正し製作する過程も承知しているが、それにも関わらず原作品を完全に再現するものは存在しない。
6)Walter Benjamin:Das Kunstwerk im Zeitalter seiner technischen Reproduzierbarkeit, 3rd ed., 1939.(ヴァルター・ベンヤミ ン:「技術的複製可能性の時代の芸術作品」,山口裕之訳:『ベンヤミン・アンソロジー』,河出書房新社,2011年,300 頁.)
作者名、作者の生没年、使用されている材料などの情報が、文字により提供されている。
文字情報はその他に、紙を媒体にした展示作品一覧表や、リーフレットなどがある。近年 は、音声による情報提供も盛んである。作品情報が録音された小型音声再生機器とイヤホ ンの貸し出しを行う美術館は多い。人的な情報提供では、学芸員によるギャラリートーク などがある。その他にも、多様な内容の情報が、有形無形に提供されている。どのような 情報を、どれだけ、どのような形で提供するかも、キュレーションの一部である。
以上から、美術館は作品鑑賞の場であるが、必ずしも中立的な場ではなく、美術館が持 つ多様な機能ゆえに、様々な情報が付加されている。そして、その付加される情報こそが、
美術館で鑑賞することの独自性に繋がっている。
Ⅲ.原作品を鑑賞すること
原作品を鑑賞する独自性について考えるために、複製 4)をどう捉えるかということを考 えてみよう。原作品と複製との違いは何だろうか。絵画を例にすると、色彩、質感、大き さなどが挙げられる。現在は、印刷技術などが発達し、原作品と見紛うほどの複製を製作 することができる。しかし、色校正などに細心の注意を払ったとしても、原作品を完璧に 再現した複製画を作ることはできない 5)。質感も同様であり、特に筆触の完全な再現はで きない。
ベンヤミン(W. Benjamin, 1939)は、「どれほど完全な複製においても欠けているものが ある。それは、芸術作品のもつ「いま、ここ」という特質、つまり、芸術作品の存在する その場所における一回的なあり方である」6)と述べている。この言葉に参照すれば、生涯 にわたり鑑賞し続けるその一回一回が、唯一無二の鑑賞機会であり、幼児期に鑑賞すると
7)ミネルヴァ書房編集部/編:『保育所保育指針 幼稚園教育要領―解説とポイント』,ミネルヴァ書房,2008年,257 頁.
8)ミネルヴァ書房,前掲著7),4頁.
いうことも、その時期においてしかできない鑑賞があるということになる。
Ⅳ.幼児が美術館で鑑賞することの意義
ここで再び、第2章での事例研究を踏まえ考察してみよう。2008(平成20)年改訂の『幼 稚園教育要領』では、「指導計画作成上の留意事項」として「地域の自然、人材、行事や 公共施設などの地域の資源を積極的に活用し、幼児が豊かな生活体験を得られるように工 夫すること」7)と示されている。1998(平成 10)年の『幼稚園教育要領』にも、ほぼ同様の 記述がある。また、2008 年の改訂により法制化された『保育所保育指針』では「保育の 環境には、保育士等や子どもなどの人的環境、施設や遊具などの物的環境、更には自然や 社会の事象などがある。保育所は、こうした人、物、場などの環境が相互に関連し合い、
子どもの生活が豊かなものとなるよう、(中略)計画的に環境を構成し、工夫して保育しな ければならない」8)と示されている。1999(平成 11)年の『保育所保育指針』にも同様の記 述があるが、改訂により保育士を始め様々な人との関わりが重要であること、一時の活動 ばかりでなく子どもの生活そのものが豊かになるよう環境構成を工夫することが強調され ている。これらから、幼児の発達には、人・物・場という環境が重要であり、保育施設は 環境構成において、地域の人材、公共施設を有効に活用すべきと考えていることが分かる。
美術館という場や展示作品、またその職員も、活用すべき地域の資源と見なされると言え よう。
それでは、美術館や職員を環境として活用することの意義は何であろうか。「全体鑑賞」
や「美術館探検」では、美術館の持つ建築物としての特徴や機能がそのまま教材となり、
幼児は五感を通じ美術館を知る。五感には、視覚だけでなく、素足による触覚、展示室毎 に異なる進行の声の響きを聞き分ける聴覚、油絵の具など画材の臭いや建築資材の臭いな どを嗅ぎ分ける嗅覚を挙げることができる。味覚を直接通すものはないが、幼児は活動を 通じ様々に刺激を受け、感覚を研ぎ澄ませながら、美術館を体感していると言える。「全 体鑑賞」や「美術館探検」ばかりでなく、「お話作り」他、各種の作品鑑賞プログラムに おいても同様である。展示は作品のみで構成されるものではなく、床の色や感触、壁の色、
9)岡山万里・高橋敏之:「大原美術館における対話による幼児のための絵画鑑賞プログラム」,『美術教育学』第 30 号,美術科教育学会,2009年.
10)高階秀爾/監修・高階秀爾他/著:『大原美術館名作選155』,財団法人大原美術館,2004年,47頁.
天井の高さ、調光などあらゆる要因との調和により成り立つものである。さらに、そこに 鑑賞者や職員がいて、美術館は、本来の在るべき様態となる。幼児は、活動を通じ美術館 の本質的な機能を体感している。筆者はこれまでの実践の中で、入館前に大きな声を上げ て、はしゃいでいた幼児が、建物内へ入ると同時に落ち着いた様子を見せる場面を、数多 く目撃してきた。このことは、美術館独特の雰囲気を幼児が敏感に感じ取り、空間(場)に 応じた心情に移行したことを裏付けていると言える。美術館独自のものとは、即ち美術館 に行かねば感じられないものである。保育施設では創出し得ないものを、幼児は感じ取り、
学んでいると言えよう。
Ⅴ.幼児が原作品を鑑賞することの意義
絵画鑑賞プログラム「対話」において、図1に示すピカソ『頭蓋骨のある静物』につい て「恐いから好き」と述べた幼児がいた。幼児は、直接あるいは間接に経験したり、親し んでいる対象が作品中に描かれているとき、その作品を好む傾向があるが 9)、「恐い」と いう感情も、幼児には日常的に経験しているものであり、好意や関心を持つ要因となり得 る。『頭蓋骨のある静物』は、『ゲルニカ』の5年後第二次世界大戦中に制作され、戦争 や暴力への抗議という主題を内包している 10)。戦争や暴力、死などが主題となっている作 品を、大人は「幼児にはわからない」という理由で、鑑賞させない場合がある。確かに、
幼児が戦争や暴力の恐ろしさ、悲惨さ、愚かさを理解したり、死について思索を深めたり することはできないだろう。しかし、そのことが鑑賞の機会を妨げる理由にはならない。
11)高階,前掲著10),47頁.
12)倉橋惣三:「幼稚園に於ける芸術教育」,『芸術教育の新研究』,大空社,1987年,354頁.文化書房(1922年)復刻.
13)川村善之:『美術の鑑賞教育―理論と実践』,日本文教出版,1975年,54頁.
幼児は、『頭蓋骨のある静物』において暴力による死、破壊、滅亡を暗示していると言わ れる頭蓋骨 11)を、「恐い」と指摘している。描かれたものが象徴するものを、直感的につ かみ取っている。倉橋惣三(1922)は、次のように述べる。
幼児に美しきものを与えることには何人も異論なきことであるが、いかなる美しいも のが幼児に与えるに適当かという点に於て或る人々は子供には子供らしきものを与え ねばならぬといふ。子供らしきものといることは極めて茫然たるを免れないが、吾人 は芸術に於いて―其の芸術たる真価に於いて、子供らしいといふことが何の意味を持 つかを頗る疑うのである(中略)幼児観念に受入れ易きものを受入れ難きものに比して 子供らしいといふのならば或る承認を与える(下線は筆者による)12)
主題のみに注目すれば、『頭蓋骨のある静物』は子どもらしいものではないと認識され、
幼児に与えるべきではないものと見なされるだろう。しかし、倉橋惣三(1922)の指摘する 通り、芸術たる真価において子どもらしいことは意味をなさず、むしろ子どもらしからぬ 主題において、この作品は真価を持つ。そして、幼児はその主題の核たるものを、幼児概 念に「受入れ易きもの」として、受け取っているのである。川村善之(1975)が、「(幼児の 鑑賞は)見たものの感じをそのままに受け取る。これは鑑賞活動の基盤である」13)と述べ ていることにも通じると言えよう。
川村善之(1975)は続けて「また幼児は好奇心が強く、見慣れないもの、新しいものを求
図1.ピカソ『頭蓋骨のある静物』
14)川村,前掲著13),54頁.
15)有馬知江美:「人間形成としての幼児対象プログラム」,大原美術館教育普及活動この 10 年の歩み編集委員会/編
:『かえるがいる―大原美術館教育普及活動この 10 年の歩み 1993-2002』,財団法人大原美術館・株式会社人文経済 研究所,2003年,246頁.
める。これも鑑賞活動の芽生えである」14)と述べている。幼児が日常生活の中で見慣れて いるものは、互いの造形作品であったり、幼児向けに作られた造形物と言えよう。互いの 造形作品を見ることにも意味があるが、それだけに止まっていては発展がない。また、幼 児向けに作られた造形物は、先の倉橋の言葉を借りれば幼児観念に「受入れ易きもの」で はあるが、時に大人が考える幼児概念であり、偏りを持ったものとなる恐れがある。「見 慣れないもの、新しいもの」として美術作品を提示することにより、幼児は好奇心を持っ て作品と関わろうとする。そして、原作品だけが持つ、色調、形態、質感、量感や時間の 堆積としての作品の存在感を、「見たものの感じをそのままに受け取る」。
有馬知江美(2003)は、幼児対象プログラムにおいて「(幼児は)作品にみなぎる生を(中 略)追体験する」15)と述べている。「作品にみなぎる生」とは、先に挙げた原作品の造形的 諸要素により知覚されるものである。さらに、作品が内包する主題もそれらを通じて、認 識される。幼児は、原作品を鑑賞し、造形的素養が育まれる機会を得ると同時に、鑑賞の 面白さの本質に触れていると言えよう。