議会における投票ルールと相互依存費用
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(2) 北海道教育大学紀要(人文科学・社会科学編)第69巻 第1号 Journal of Hokkaido University of Education(Humanities and Social Sciences)Vol. 69, No.1. 平 成 30 年 8 月 August, 2018. 議会における投票ルールと相互依存費用 伊 藤 泰 北海道教育大学函館校・法哲学研究室. Voting Rules used in the Legislature and Interdependence Cost ITO Yasushi Department of Legal Philosophy, Hakodate Campus, Hokkaido University of Education. 概 要 議会において審議される問題のなかには,社会の人びとがみな公的な処理を望んでいるよう なものだけでなく,処理に関する法制化の是非をめぐって人びとの意見が割れているようなも のなど,多様な性質のものが含まれる。そして,それらの問題に応じて相互依存費用曲線の形 状は大きく異なりうる。したがって,投票ルールをはじめとしたさまざまな法的制度を説明す るために相互依存費用という概念を活用しようとするのならば,社会の多様な問題を視野に入 れることが必要である。. 1.はじめに 議会で法案の審議を行う際に用いられる投票ルールは,どのようにして決まるのか。この問題に関して, ジェームス・ブキャナン(James M. Buchanan)とゴードン・タロック(Gordon Tullock)は,その記念碑 的著作『合意の計算』(The Calculus of Consent)において相互依存費用概念に基づく説明を行った。すな わち,憲法の制定あるいは改正の作業を進める人びとは,将来議会においてさまざまな問題に関する法案が 審議されることを予測したうえで,それらの問題にかかわる相互依存費用が最小となるような投票ルールを 選択するだろうというのである。 ブキャナン=タロックのこの理論は,その後の公共選択論の発展の先駆けとなったものであり,現在もな お大きな影響力を有している。もっとも,相互依存費用概念に基づく彼らのこの理論は,議会において審議 される問題の種類に関して,ある特殊な前提に依拠しているように思われる。ブキャナンらは,検討対象で ある投票ルールが用いられる問題とは,その処理に関して法制化を行うことが集団のすべての人びとにとっ て利益になるものであり,それゆえ彼らはこの問題においてそれぞれ望ましいと考える法案の提出者あるい は支持者として行動するだろう,ということを暗黙の裡に仮定しているのである。 しかしながら,実際には議会において審議される問題のなかには,その法制化の是非をめぐって意見の割. 85.
(3) 伊 藤 泰. れるものもあることだろう。そうであるとすれば,それらの問題に関する審議において用いられる投票ルー ルは,どのように選択されるのだろうか。本稿は,このことを検討する。. 2.ブキャナン=タロックの相互依存費用概念 議論を行うにあたり,まずブキャナン=タロックの相互依存費用概念について簡単に説明しておこう。仮 に何らかの問題の処理を公的な仕方で行うものとした場合,そのための集合的決定がどのような仕方で行わ れるかに応じて,それらの処理から人びとが得られる便益は違ってくるだろう。たとえば環境保護の取組み に関する法案を審議するものとしたとき,その法案の採決に用いられる投票ルールが単純多数決である場合 と全員一致ルールである場合とでは,前者のルールの方が法案可決に必要な数の賛成票を集めることは容易 であるだろう。他方で,後者のルールの下では可決成立した法律に対して不満の声は出ないと考えられる (不満であるなら同意しないはずだから)のに対し,前者のルールの下では自分の支持しない法律(環境保 護についての特定の公的枠組み)に従わなければならない人びとが現れることは避けられないだろう。 このことは,外部費用および意思決定費用という2種類の費用によって表すことができる。まず他者が主 導した望ましくない集合的意思決定によって人びとに課される費用としての外部費用については,特定の問 題の処理を公的な規制にゆだねる場合,この費用は集合的決定に際してその合意が必要とされる人数の減少 関数になると考えられる。これは,投票ルールが包括的になるにつれて,個々人の意思に反する決定がなさ れる確率は減るからである。最終的には,当該問題についての投票ルールとして全員一致ルールが採用され る場合に,これらの外部費用はゼロになるだろう(図1参照)。. この図において横軸は,N 人からなる集団におい て集合的決定を行う際に,それぞれの投票ルールの もとで法案の可決に必要とされる賛成票の数を表 す。また,縦軸はそれらの投票ルールのもとで集合 的決定を行った場合にかかる外部費用を表す。なお, 外部費用とは,立憲段階における人びとの将来を見 越しての期待費用であることに注意。 図1 外部費用曲線. つぎに集合的行動をとるにあたって他の人びとと交渉を行うことに伴う費用としての意思決定費用につい ては,それぞれの投票ルールの下で合意が求められる人数が多くなるにつれてその値は大きくなり,全員一 致ルールの近くでは非常に大きな値をとると考えられる(図2参照)。これは全員一致に近い基準のもとでは, ひとりひとりが拒否権をもつのと同じことになり,自らの「同意」を高く売ることが可能になるためである。 かくして,特定の問題の処理を集合的決定によって行おうとする場合,そこで用いられる投票ルールがど のようなものであるかに応じて,人びとのうえにかかる費用は異なり得る。ここで,それぞれの投票ルール のもとでかかる外部費用と意思決定費用を足し合わせたものを相互依存費用と呼ぶことにしよう。そして, 当該問題に関する相互依存費用曲線の形状は次のようなものであるものとしよう(図3参照)。 問題の処理を集合的決定に委ねた際にかかる費用がこのようなものである場合,人びとは議会におけるこ の問題の審議の際に用いられる投票ルールを変えることで,自らに課せられる費用を軽減することができる。. 86.
(4) 議会における投票ルールと相互依存費用. この図における横軸は,図1の場合と同様にそれ ぞれの投票ルールのもとで必要とされる賛成票の数 を表す。また縦軸は,それらの投票ルールのもとで 集合的決定を行う際にかかる意思決定費用を表す。 外部費用と同様に,この場合の意思決定費用も,立 憲段階における人びとの期待費用である。 図2 意思決定費用曲線. 縦軸は外部費用と意思決定費用を合わせた費用で ある相互依存費用の大きさを表す。図1の曲線 C お よび図2 の曲線 D を垂直方向に足し合わせること で,このような曲線が得られる。. 図3 相互依存費用曲線. すなわち,もし N 人の集団において K 人の同意を集合的決定の条件とするような投票ルールがこの問題の 審議において用いられるならば,その処理を公的な枠組みにゆだねることによって人びとにかかる費用は最 小のものとなるだろう。したがって彼らは,公的な処理を行おうとするのならば,その前提として,K/N 多数決がその問題の審議において用いられるべきことを求めるだろう。 このように,相互依存費用という概念は,集合的決定を行うに際して用いられる投票ルールについての説 明を与える。さらにこの概念は,他にも多くのことがらについての説明を与えてくれる。ブキャナン=タロッ クによれば,代議制を採用した場合に代表者の数をどの程度にするか,それら代表者を選出するための投票 ルールをどのようなものにするか,また代表者の選出基盤をいかなるものにするか,といったことなどは相 互依存費用の大小によって説明されうるという。たとえば,代表者の人数については,これを少なくするほ ど議会における法案審議にかかる意思決定費用は削減されるものの,他方で代表者が少なくなるほど選挙民 の利害が代表される程度が小さくなり外部費用は増大するだろう。かくして,人びとにとって最適な代表者 の数とは,これら2種類の費用を合わせた相互依存費用が最小となるようなものであるということになる。 また,デニス・ミュラー(Dennis C. Mueller)は,相互依存費用概念を活用することで,憲法上の権利 についての説明を行っている。それによれば,法律による侵害からの免除を与えるものとしての憲法上の権 利は,議会での拒否権と同様の役割を果たしつつ,かつ継続的に行われる審議にかかる意思決定費用を節減 するものとして,相互依存費用が最小となるのが全員一致ルールであるような場合に設定されるのだとい う1。 1 Cf. Mueller (1991) 318-24 ; Mueller (1996) 212-17 ; Mueller (2003) 631-34. なお,ミュラーのこの理論によって説明可. 87.
(5) 伊 藤 泰. 3.法案の審議に関する暗黙の前提 このように,相互依存費用概念は,ブキャナン=タロックの理論において中心的な役割を担っているだけ でなく,彼らの影響を受けた多くの研究者の理論のなかで重要な位置づけを有している。もっとも,ブキャ ナンらの相互依存費用概念は,そのような汎用性をもつ基礎的な考えとして重要な意義を有するものの,同 時に一定の制約をも抱えているように思われる。 たとえば,ブキャナン=タロックは,民主的社会における憲法について考えるに際して,対象とされる集 団のすべての構成員が有権者であるとの仮定を置いている。これにより,彼らの理論枠組みのもとでは,相 互依存費用の大きさを左右するひとつの重要な要素である,有権者の範囲についての操作を議会において行 うことは想定されない。しかしこのことは,そのような操作からの保護を与えるものとしての憲法上の選挙 権条項について理論的に考察することを不可能にしている2。また,ブキャナンらは,それらの集団のなか には社会階級や民族的・宗教的・人種的なグループ化に基づく継続的かつ熾烈な対立は存在しないとの仮定 を置いている。これは合理的個人による選択の結果として憲法について説明するうえでの不可欠な条件とし て, 「平等」が必要であるとブキャナンらが考えるからである。しかし,逆にこのことにより,そのような 熾烈な対立に起因する侵害から少数者を含む市民を守るものとしての基本的人権について考えることは,ブ キャナン=タロックの枠組みのもとでは困難になっている3。 ・・ これと同じようなことは,投票ルールが用いられる問題の種類についても指摘できる。上述の通り,ブキャ ナン=タロックによれば,一般に投票ルールがより包括的なものになるにつれて,意思決定費用は増加する。 特定の問題の処理に関わる法案可決のために必要な賛成票を集める交渉は,求められる票の数が増えるに 従ってより困難になるからである。もっともこのことは,意思決定費用の主体としてそこで考えられている 人びとが,当該問題を処理するために集合的決定を行うことにみな前向きである,ということを前提してい る。というのも,もしその問題の処理に関する法制化自体を拒否する者がいるとしたら,彼にとっては,提 出された法案の採決にかかる投票ルールが全員一致ルールに近づくほど,この法案の否決に要する人数を集 めることは容易になるのだから,意思決定費用はむしろ小さくなるだろう。つまり,そのような問題に関し て法案を提出する側にいる人びとにとっての意思決定費用曲線は,たしかに投票ルールが包括的になるにつ れて右上がりであるだろうけれども,その法案の否決を目指す人びとにとっての意思決定費用曲線は逆に右 下がりであるに違いない。 要するに,ブキャナン=タロックは,相互依存費用概念に基づいて投票ルールの選択について説明するに あたり,特定の問題の処理に関して集団のすべての人びとがそのための法制化に肯定的であるという状況を 暗黙の裡に前提しているのである。一定の範囲の投票ルールの下でなら当該問題を公的に処理した方が私的 な仕方で処理した場合よりも安くつくということに人びとすべてが同意し,そのような公的な処理の案とし て各自が支持する法案の提出を競い合っている状況。これは,ブキャナン=タロックが議論を行うに際して, 主に男女の争い型の諸問題を念頭に置いているということを意味する。. 能であるのは,必ずしも憲法上の権利のすべてではない。この点に関しては,伊藤(2012)111-12頁,伊藤(2018a)7頁 を参照。 2 伊藤(2018b)参照。 3 上述の通り,ミュラーはブキャナン=タロックの枠組みに則り憲法上の権利についての議論を行ったが,継続的かつ熾 烈な対立の不在というブキャナンらの仮定は,そのような対立に由来する少数者への侵害からの保護を重要な意味として含 む憲法上の権利についての考察の場を,ミュラーの権利論から奪っている。伊藤(2018b)参照。. 88.
(6) 議会における投票ルールと相互依存費用. 4.男女の争いと片想いの悲哀 4−1 男女の争い 社会の中に生起するさまざまな問題のなかには,政治哲学者のジェレミー・ウォルドロン(Jeremy Waldron)のいわゆる「政治の環境」によって特徴づけられるものがある。ウォルドロンによれば,「政治」 とは,集合的決定の必要性については人びとがみな同意しつつも,その決定の内容をめぐっては意見が割れ ているという状況のもとに生じるのだという4。環境保護や市場経済の条件確保にかかる問題など,多くの 問題はその処理をめぐってこのような状況のもとにあると考えられる。 このタイプの問題は,ゲーム理論において「男女の争い」と呼ばれるゲームとして表現することができる。 たとえば,プレイヤー1とプレイヤー2という2人のプレイヤーが α および β という2つの選択肢のなかか ら選択を行うゲームを考え,そしてこのゲームにおける彼らの利得は図4のようなものであるとしよう(各 セルの左側の数字はプレイヤー1の利得を表し,右側の数字はプレイヤー2の利得を表す)。このようなゲー ムは,これを説明するためにダンカン・ルース(Robert Duncan Luce)とハワード・ライファ(Howard Raiffa)が次のようなストーリーを与えたことから,男女の争いと呼ばれる。男性(プレイヤー1)と女性(プ レイヤー2)がある夜のデートの行き先として,ボクシングを観に行く(行動 α)か,バレエを観に行く(行 動 β)かを迷っている。しかし,電話が通じない等の技術的な理由により,2人は相手がどちらに行こうと しているかを知らない。男性はバレエよりもボクシングが好きで,逆に女性はボクシングよりもバレエを観 たいと思っている。しかし彼らはそれぞれが好きなものを単独で観るよりは,あまり気の乗らないイベント であっても一緒に出かけたほうがよいと思っている。このとき,彼らはどのような選択を行うだろうか5。. 図4 男女の争い. ここで仮にこのゲームの2人のプレイヤーは,ある特定の問題を処理するための手立てについて議会にお いて話し合っている2つの集団であるものとしよう。それらの集団の人びとはともに,一定の範囲の投票ルー ルのもとでなら,この問題については法律を作って公的に処理したほうが私的なやり方でこれに対処した場 合よりも費用が少なくて済むだろうと考えている。もっとも,いかなる内容の法律が望ましいかについては 彼らの意見は異なる。仮に提出可能な法案は α と β の2つしかないものとしたとき,集団1(プレイヤー1) の人びとにとっては,いずれかの法案が可決されるならば費用の削減が期待できるものの,その2つの法案 を比べれば法案 α のほうが法案 β よりもよい。他方,集団2(プレイヤー2)の人びとにとっては,同じく. 4 Cf. Waldron (1999) 101ff. 5 Cf. Luce and Raiffa (1957) 91.. 89.
(7) 伊 藤 泰. 2つの法案ともに私的な処理に比べればまさっているものの,法案 β のほうが法案 α よりも望ましい(この ゲームにおいて,双方のプレイヤーが同一の選択を行っている戦略の組(セルⅠおよびセルⅣ)は,この問 題に関してそこで示された内容の法案が可決されることを彼らがともに望んでいる状況として理解できる。 それらのセルにおける利得は,当該法案が可決された場合に双方の集団の人びとが得られる効用(費用の削 減)である。他方,双方のプレイヤーの選択が一致していないセル(セルⅡおよびセルⅢ)は,この問題の 処理のために公的な方法が用いられなくてもよいということを,つまり私的なやり方で処理がなされるべき ことを彼らが望んでいる状況として理解できる。それらのセルにおける利得は,その問題の処理を私的なや り方で処理した場合に双方の集団の人びとが得られる効用である(それゆえ,セルⅡとセルⅢの利得は同一 である) ) 。 ブキャナン=タロックが相互依存費用概念を用いた投票ルールの選択に関する議論を行う際に想定してい るのは,主にこのような状況であると考えられる。このゲームにおいて2つの集団の人びとは,それぞれ望 ましいと考える法案の可決を目指して賛成票を集めようとすることだろう。その場合,このような問題が将 来生じるだろうことを予測した立憲段階の人びとの意思決定費用曲線は,右上がりのものになるだろう。 4−2 片想いの悲哀 しかしながら,社会の中に生起する,集合的決定に至るような問題というのは,必ずしもすべて男女の争 い型のものだというわけではない。たとえば,生存権の具体化立法について考えてみよう。社会的経済的弱 者を救済するための原資を,それ以外の人びとの税負担等によってまかなうことを内容とする立法に関して は,これが弱者にとって有利な所得の再分配の構造をもつことから,いかなる内容の法案が望ましいかとい う争い以前に,そもそも法制化自体に反対する人びとが現れるだろうことが考えられる。彼らにとっては, 自らやその子孫がそのような弱者の立場に立つおそれがない限りにおいて,より負担の少ない法案が望まし いのはもちろんのこと,もし可能であるならばそのような立法が一切なされない状態が維持されることが理 想であるだろう。 このような問題は,図5のゲームのような構造をもっている。このゲームにおいては,ある特定の問題に 関して集団1(プレイヤー1)の人びとは集団2(プレイヤー2)の人びとも巻き込んだ公的な処理がなさ れることを望んでおり,そしてそのような解決策として提出され得る2つの法案(γとδ)のうち法案 γ のほ うをより強く望んでいるが,他方の集団2の人びとはそもそもそのような一切の公的な処理を望んでいない。 後者の人びとにとって,仮にこの問題を公的に処理しようとした場合に最もましなのは δ 法の制定であるが, この法律の下でかかる相互依存費用は,この問題を私的に処理した場合のそれよりも大きいのである。 このようなゲームを,男女の争いとの対比で,「片想いの悲哀」と呼ぶことにしよう。何度デートに誘っ. 図5 片想いの悲哀. 90.
(8) 議会における投票ルールと相互依存費用. てもOKと言ってくれない相手になお片恋慕する青年よろしく,ともに行動すること(集合的決定)を集団 の一部の人だけが望んでいるような問題というのは,我々の社会において少なからず存在することだろう。 4−3 「片想いの悲哀」型問題の相互依存費用 それでは,「片想いの悲哀」型の問題に関する相互依存費用曲線とはどのようなものになるだろうか。は じめに意思決定費用については,先に触れたように,法制化推進派と法制化拒否派とに集団の人びとが分か れるような問題に関しては,そのいずれの立場に属すると予測するかによって,立憲段階の人物の意思決定 費用曲線は形状を異にすると考えられる6。その問題に関して将来立法推進派に確実に属すると考える人物 であれば,法案の可決を目指して仲間の市民と交渉する者として,彼の行動にはブキャナン=タロックの条 件が当てはまるから,その意思決定費用曲線は右上がりのものになるだろう(図6の曲線 D1)。他方で,こ の問題に関して将来確実に法制化拒否派になるだろうと考える者であれば,議会での行動としては,彼は法 案の可決を目指して活動するのではなく,むしろそれらの法案の否決を目指して仲間を募ろうとすると考え られるから,その意思決定費用曲線は右下がりのものになるだろう(図6の曲線 D2)。 曲線 D1 は特定の問題の処理に関して将来確実に 立法推進派になるだろうと考える立憲段階の人物に とっての意思決定費用を,また曲線 D2 はこの問題 に関して立法推進派になる可能性はないと考える人 物にとっての意思決定費用を表す。後者の人物に とっては,少数決であるほど法案を否決するために 仲間の同意を高く買う必要があることから,意思決 定費用は急激に上昇する。もっともこれは,審議に ・・・・・・・ おいてその法案を否決するために かかる費用であ り,実際にはその法案がかりに可決されたとしても, 図6 法制化推進派と拒否派の意思決定費用曲線. 少数決のもとでは彼はほとんど意思決定費用をかけ ずに廃止法案を可決させることで,容易に当初の立 法を覆すことができる。. したがって,この問題に関する立憲段階の人物の意思決定費用曲線は,次のように導出されるだろう。ま ず,立憲段階はフランク・ナイト(Frank H. Knight)の意味でのリスクによって特徴づけられるものとし, そのうえである人物が将来ある片想いの悲哀型の問題に関して法制化推進派に属する確率を p,また拒否派 に属する確率を1−pと評価しているものとしよう。さらに,将来確実に法制化推進派に属すると予測される 場合の彼の意思決定費用は曲線 D1 のようなもの,また将来確実に法制化拒否派に属すると予測される場合 の彼の意思決定費用は曲線 D2 のようなものだとしよう。このとき,p の値が0.7だとすれば,その問題に関 する彼の意思決定費用曲線は,曲線 D1 を垂直方向に0.7倍したものと,曲線 D2 を垂直方向に0.3倍したもの を足し合わせることで求めることができる(図7の曲線 D1*+D2*)。. 6 法制化推進派と拒否派に集団が分かれるような問題に関する立憲段階の人びとの意思決定費用曲線および外部費用曲線 については,伊藤(2018a)10-11頁参照。. 91.
(9) 伊 藤 泰. 曲線 D1 を垂直方向に0.7倍したものを曲線 D1*と, また曲線 D2 を垂直方向に0.3倍したものを曲線 D2* と表すことにする。このとき,将来ある特定の片想 いの悲哀型の問題に関して0.7の確率で法制化推進 派に属し,また0.3の確率で法制化拒否派に属する だろう人物の意思決定費用曲線は, D1*+D2*として 表される。 図7 片想いの悲哀型の問題における意思決定費用曲線. あるいはまた,立憲段階はナイトの意味での不確実性によって特徴づけられるのだとしよう。その場合, その人物が自らの将来に関して不十分理由の原理に基づいて見通しを立てるのだとすれば,彼の意思決定費 用曲線は,曲線 D1 を垂直方向に0.5倍したものと,曲線 D2 を垂直方向に0.5倍したものを足し合わせたもの ということになろう。 次に外部費用について考えてみよう。法案を提出する側の人びとかそれともその法案の否決を目指す側の 人びとかということによる相違は,外部費用に関しても見られる。というのも,特定の問題に関する法制化 自体を拒否する者にとって,そのような法制化の試みとして提出された諸々の法案の可決がもたらす損失 は,法制化に賛成の人びとにとってのそれに比べて大きいだろう。つまり,前者の立場に属すると予測する 者の外部費用曲線は,後者の立場に属すると予測する者のそれよりも上方に位置すると考えられる(図8参 照) 。. 曲線 C1 は確実に立法推進派になると考える立憲 段階の人物にとっての外部費用を,また曲線 C2 は 立法推進派になる可能性はないと考える立憲段階の 人物にとっての外部費用を表す。. 図8 法制化推進派と拒否派の外部費用曲線. ここで,先に述べた立憲段階の人物について,将来確実に法制化推進派に属すると予測される場合の彼の 外部費用は曲線 C1 のようなもの,また将来確実に法制化拒否派に属すると予測される場合の彼の外部費用 は曲線 C2 のようなものだとしよう。このとき,立憲段階がリスクによって特徴づけられるのだとすれば, 先に述べた片想いの悲哀型の問題に関するこの人物の外部費用曲線は,曲線 C1 を垂直方向に0.7倍したもの と,曲線 C2 を垂直方向に0.3倍したものを足し合わせることによって求めることができよう。また,立憲段 階は不確実性によって特徴づけられるのだとすれば,この問題に関する彼の外部費用曲線は,曲線 C1 を垂 直方向に0.5倍したものと,曲線 C2 を垂直方向に0.5倍したものを足し合わせたものということになろう。 このように,意思決定費用曲線および外部費用曲線ともに,片想いの悲哀型の問題におけるそれは男女の 争い型の問題におけるそれとはだいぶ異なる。したがって,議会において用いられる投票ルールに関して立. 92.
(10) 議会における投票ルールと相互依存費用. 憲段階における人びとが相互依存費用概念をもとに選択を行おうとするのであれば,仮に将来自ら(あるい はその子孫)が置かれるだろう立場について一切の確率予測が不可能であるというのであっても,少なくと も自らが直面するのが男女の争い型の問題かそれとも片想いの悲哀型の問題であるかということだけは, 知っているのでなければならない7。. 5.規模の利益 かくして,将来議会において審議されるであろう問題に関して,それが男女の争い型のものであるか,あ るいは片想いの悲哀型のものであるかといったことについて,立憲段階の人びとは予測することができるも のとしよう。彼らは,それらの問題に関する相互依存費用に基づき,法案の可決のために議会の構成員のう ち何人の賛同が必要とされる場合に費用が最小となるかを知ることができる。もっとも,仮にそうだとして も,それらの費用計算から即座に当該問題の審議において用いられるべき投票ルールが導き出されるわけで はないだろう。というのも,投票ルールの選択に関しては,規模の利益が生じるものと考えられるからであ る。ブキャナン=タロックによれば, もちろんこの幅の広い二分類(さまざまな人権がひとたび承認された後にこれに修正を加える公的決 定,およびそれ以外のあらゆる政府の決定)は,すべての共同行為が,二つの意思決定ルールのうちの どちらか一つに置かれるべきであると示唆するものではない。範疇の数,選択されるべき意思決定ルー ルの数は,個人が支配すると期待する状況,および多くの活動に同じルールを用いることから生じると. 7 それでは,次のような問題についてはどうだろう。. 問題の処理にかかる利得構造が左のゲームのような場合,いずれの集団(2人のプレイヤー)とも何らかの法案の可決に よって私的な処理よりも費用を削減できるが,しかし一方の集団の人びとが支持する法案は他方の集団の人びとにとっては 望ましくない(私的な処理よりも費用のかかる)ものである。また右のゲームのような場合, 集団1(プレイヤー1)にとっ ては2つの法案ともに費用削減の効果が認められるものの,集団2(プレイヤー2)にとってはそのような効果が認められ るのは一方の法案(法案 θ)のみである。これらのケースにおいて, 集団1が議会の多数派であるものとしよう。これにより, 左のケースにおいては法案 ε が,また右のケースにおいては法案 η が可決されるのだとすれば,これらの結果はいずれも集 団2の人びとにとってはそれぞれの問題を私的に処理した場合よりも費用のかかるものである。この場合,将来これらの問 題が生起することを予測した立憲段階の人びとの相互依存費用曲線は,どのような形状のものになるだろうか。 ここでもし,2つの集団の構成員の数の差が微々たるものであり,集団2の人びとにとっては十分巻き返し可能なもので あるならば,その問題に関する相互依存費用曲線はブキャナン=タロック型のものになるかもしれない。しかし,2つの集 団の構成員の数の差が非常に大きく,当該問題に関して集団2の人びとは圧倒的な少数派の立場に置かれているのだとしよ う。その場合,たとえば右のゲームにおいて仮に過半数以上の同意が法案可決に求められるのだとしたなら,彼らはこの問 題に関して議会において法案 θ の可決を目指して仲間を募るよりも,むしろ徹底して法案 η の否決を目指して活動するので はないだろうか。そうだとすれば,この問題に関する立憲段階の人びとの相互依存費用曲線は,片想いの悲哀型のものにな るかもしれない(もしこのことが正しいのだとしたら,議会において用いられるべき投票ルールの選択の基盤となる相互依 存費用曲線の形状は,他方でそのような投票ルールとしていかなるものが用いられるかということにも依存している,とい うことになるだろう)。. 93.
(11) 伊 藤 泰. 期待される「規模からの利益」に左右されるであろう8。 議会において審議される個々の問題に関する相互依存費用曲線は,問題ごとにその形状が多少とも異なる であろう。したがって,相互依存費用最小化の論理からすれば,それらの問題に関する審議において用いら れる投票ルールは,問題ごとに異なるということになる。もっとも,この結果として数多くの投票ルールが 林立することになれば,これを用いる人びとのあいだに相当の混乱が生じることも予想されよう。安定した 議会運営という観点からすれば,用いられる投票ルールの数はできるだけ少ない方が望ましい。 そうすると問題は,規模の利益による影響はどの程度か,ということになる。これについてはむろん個々 の状況次第であるだろうけれども,一般的な傾向としては,諸問題の利得構造が類似していて,それらの問 題における人びとの勝敗の確率,およびそれらの問題に関わる諸々の立場に彼らが属する確率が等しいほ ど,投票ルールは統一化の方向に進むだろう。たとえば,男女の争い型の問題が複数提起されることが予想 される場合,それらの問題にかかわる人びとの利害が似通っていて,また人びとの流動性が見込まれるのな ら,それらの問題に用いられる投票ルールの統一化によって得られる利益は,個々の問題に関する相互依存 費用曲線の形状の相違を相殺するものであるかもしれない。他方,男女の争い型の問題と片想いの悲哀型の 問題が予測される場合,しかもそれらの問題における多数派と少数派の構成が固定している場合などは,そ れらの問題に用いられる投票ルールの統一化はたしかに規模の利益を生むだろうけれども,しかしその利益 は相互依存費用曲線の形状の甚だしい相違を相殺するほどのものではないかもしれない。. 6.おわりに ここまで我々は,議会において審議される問題のなかには,⑴いかなる処理を行うかに関して細かな意見 の相違はあるものの,基本的に社会の人びとがみな公的な処理を望んでいるような問題(男女の争い型の問 題)だけでなく,⑵法制化の是非をめぐって人びとの意見が割れているような問題(片想いの悲哀型の問題) など,多様な性質のものが含まれること,それらの問題に応じて相互依存費用曲線の形状は大きく異なりう ること,投票ルールの統一化は規模の利益を生むがこれもそれらの問題に応じたものであること,などを見 てきた。ブキャナン=タロックの相互依存費用論は,男女の争い型の問題を暗黙の裡に前提しているが,以 上のことを踏まえたとき,それが妥当な想定であるかには疑問の余地がある。さまざまな法的制度を説明す るために相互依存費用という概念を活用しようとするのならば(そしてそれは適切なことであるが),社会 の多様な問題を視野に入れることが必要であるだろう。. 〈参考文献〉 伊藤泰(2012)『ゲーム理論と法哲学』成文堂. 伊藤泰(2018a)「社会権の公共選択的基礎づけ」『公共選択』69号. 伊藤泰(2018b)「憲法の選挙権条項の公共選択的基盤」 『公共選択』70号. Buchanan, J. M. and Tullock, G. (1962), The Calculus of Consent, Ann Arbor, The University of Michigan Press(宇田川璋 仁監訳(1979)『公共選択の理論』東洋経済新報社) . Knight, Frank H. (1921), Risk, Uncertainty, and Profit, Boston, Riverside Press,(奥隅栄喜訳(1959) 『危険・不確実性およ び利潤』文雅堂書店).. 8 Buchanan and Tullock (1962) 77(邦訳86-87頁). 94.
(12) 議会における投票ルールと相互依存費用. Luce, Robert Duncan, and Howard W. Raiffa (1957), Games and Decisions: An Introduction and Critical Survey, New York, Wiley & Sons, Inc. Mueller, D. C. (1991), “Constitutional Rights,” Journal of Law, Economics, and Organization, 7⑵, pp.313-33. Mueller, D. C. (1996), Constitutional Democracy, New York, Oxford University Press. Mueller, D. C. (2003), Public Choice III, New York, Cambridge University Press. Waldron, Jeremy (1999), Law and Disagreement, Oxford, Clarendon Press.. (函館校准教授). 95.
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