タイトル
日本語のローマ字表記に対する西洋人の貢献
著者
中川, かず子; NAKAGAWA, Kazuko
引用
年報新人文学(16): 2-5
ローマ 字 と 言 えば、 日本人 の 多 くはヘボン 式 に 馴染 みがあると 思 われる。 街中 の 交通標識 や 地下鉄駅 名 は 日本語 とヘボン 式 ローマ 字 が 併記 されている。 現在 ではヘボン 式 でも 日本式 でもあまり 表記法 には こだわらずに、 漢字 に 併記 する 形 でローマ 字 が 記 されている。 私自身 は 一九九八年三月 に﹁ローマ 字 と 日本 の 近代化 ︱ヘボン 式 に 至 るローマ 字研究史 ﹂︵﹃ 人文論集 ﹄ 第十号所収 ︶を、その 後数編 のローマ 字研究 に 関 する 論文 や 書評 を 著 し、 最近 では﹁ 日本語 のローマ 字 表 記 を め ぐ る 西 洋 人 の 研 究 史 ﹂︵﹃ 北 海 学 園 学 術 研 究 助 成 総 合 研 究 報 告 書 所 収 、 二 〇 一 五 年 三 月 ﹄ を ま と めるなど、ローマ 字研究史 に 関心 をもって 取 り 組 んだことがあった。しかし、その 後 はしばらくローマ 字研究 から 遠 ざかっていた。そのような 中 、 最近 、 大手新聞社 の 編集者 からローマ 字 についての 質問 が [巻頭言]
日
本
語
の
ロ
ー
マ
字
表
記
に
対
す
る
西洋人
の
貢献
中川
か
ず子
あ っ た。 そ れ は、 ﹁ 令 和 ﹂ を ロ ー マ 字 表 記 す る の に、 な ぜ﹁ L eiw a ﹂ で は い け な い の か と い う 読 者 の 質 問 が 新聞社 に 寄 せられ、 ﹁ラリルレロ﹂ が ﹁ R a R i R u R e R o ﹂ と 表記 される 理由 を 聞 きたいというものだった。 なぜ﹁L﹂でなく﹁R﹂かを 調査 し 記事 にまとめることになったという。 さて、 十六世紀以降 にスペイン・ポルトガルの 宣教師達 による 切支丹文学書 や 日本 の 物語 やイソップ 童話 のローマ 字版 が 著 されるが、これらが 日本 で 初 めてのローマ 字資料 とされる。この 最初 の 資料 でも ラ 行 は﹁R﹂とされていた。その 後 、 日本 の 国字論争 を 二分 した﹁ヘボン 式 ﹂︵ 標準式 ︶と 田中館愛橘 ら の 提唱 した﹁ 日本式 ﹂の 対立 が 始 まったのは 明治十八年 ︵ 一八八五年 ︶であり、 論争 が 終結 し 折衷案 と しての﹁ 訓令式 ﹂が 昭和十二年 に 発表 されるまで、 実 に 五十年余 りかかっている。しかし、 議論 の 中心 は、シ、チ、ジとヂ、 拗音 の 表記法 で、ラ 行 についてはいずれもRとされ、 見解 の 相違 はなかった。 で は こ れ ま で ラ 行 の ロ ー マ 字 表 記 に﹁ L ﹂ が 用 い ら れ た 資 料 は な か っ た の だ ろ う か。 十 八 世 紀 か ら 十 九 世 紀 に か け て 見 て い く と、 ま ず、 ﹃ 蘭 学 階 梯 ﹄︻ 大 澤 玄 澤 著 ︵ 巻 下 ︶、 一 七 八 八 年 ︼ に 日 本 語 の 五 十 音 表 が 音 韻 表 の よ う に ア ル フ ァ ベ ッ ト で 綴 ら れ て い る が、 ハ 行 が﹁ F ﹂、 ラ 行 が﹁ L ﹂ と な っ て い る。 全 体 的 に は 日 本 式 の よ う に シ、 チ、 ツ、 ヂ、 ヅ は﹁ si, ti, tu , d i, d u ﹂ と な っ て い る が、 ラ 行 は﹁ L a Li Lu L e L o ﹂ と 独 特 の 表 記 法 が と ら れ て い る。 他 に は、 英 国 人 宣 教 師 、 ウ オ ル タ ー・ メ ド ハ ー ス ト︵ Wa lte r M ed hu rs t, 1 79 6-1 857 ︶が 著 した﹃ 英和 ・ 和英語彙集 ﹄︵ A n E ng lis h a nd J ap an ese a nd J ap an ese a nd E ng lis h Vo ca bul ar y, 18 30︶では、 序文 で﹁ 日本語 のラ 行音 はRを 用 いるが、 語頭 ではLに 近 い﹂と 説明 した 上 で、 五十音表 のローマ 字綴 りや 和英語彙 の 部 でラ 行音 はLまたはLとRの 併記 で 示 している。 例 を 挙 げると、 五 十 音 表 で は、 ﹁ ラ ﹂︵ ra , la︶、﹁ リ ﹂︵ ri, li ︶、﹁ ル ﹂︵ ro o, lo o ︶、﹁ レ ﹂︵ re , le ︶、﹁ ロ ﹂︵ ro ︶ と、 ﹁ ロ ﹂ の み R と し て い
る。 一方 、 和英語彙 の 部 では、わずかにRも 使 われている︵ 例 : R ip pa 立派 ・ R iss hin 立身 ・ R oot so ob o るつぼ ・ R ek i r ek i 歴々 , ・ R an 卵 、ほか︶が、 大部分 のラ 行語彙 はLで 綴 られている︵ 例 : Lib ets 離別 ・ Lioo W aoo 竜王 ・ L ooi 類 ・ L ei m ei 黎明 ・ L ek id ai 歴代 ・ L aige ts 来月 ・ L afd a 駱駝 、など︶ 。 十八世紀 から 十九世紀半 ば 頃 まではヨーロッパ 人 による 日本研究 が 盛 んであり、 フランスの L . P agè s ︵ 18 14 -18 86 ︶、 L .d eR os ny ︵ 18 37 -19 14 ︶、 オ ラ ン ダ の J. J. H off m an ︵ 18 05 -18 78 ︶ は そ れ ぞ れ﹃ 日 仏 辞 典 D ict io nai re J apo nai s-F ra nç ai s, 18 68﹄、﹃ 日 本 詩 歌 集 A ntho lo gi e J ap ona ise , 18 71﹄、﹃ 日 本 文 典 Ja pa ns ch e Sp la akl eer , L eid en , 1 86 7 ﹄ を 著 し た。 ロ ー マ 字 表 記 法 に つ い て は、 シ、 セ、 チ、 ツ、 拗 音 に 違 い が み ら れ る も の の、 全 体 的 に 日 本 式 に 近 い 綴 り 方 で、 ラ 行 は R で 共 通 し て い る。 ま た、 ほ ぼ 同 じ 頃 に イ ギ リ スの F. D . D ick ins ︵ 18 38 -1 91 5 ︶による﹃ 日本 の 詩歌 ︱ 百人一首 Ja pa ne se O de s— H ya k N in I s’s hiu , 18 66﹄ の 中 で 用 いられたローマ 字 はシ、チ、ジ、ズ、ラ 行 ︵R︶がすべてヘボン 式 と 同 じ 綴 りであり、 拗音 に ﹁i﹂があったり、 母音 の 無声化 に 厳格 な 方針 が 窺 える。 こうして 西欧 の 日本語 ・ 日本文学 の 代表的 な 研究者 により、ローマ 字表記法 が 示 されていくが、 十九 世 紀 半 ば か ら 後 半 に か け て ヘ ボ ン︵ J.C . H ep bu rn , 18 15 -19 11 ︶ が ブ ラ ウ ン︵ S.R . B ro w n, 18 10 -18 80︶ の 協 力 を 得 て 刊 行 し た﹃ 和 英 語 林 集 成 ﹄ で ヘ ボ ン 式 ロ ー マ 字 が 示 さ れ る と、 英 国 人 外 交 官 ︵ ア ー ネ ス ト・ サトウ、アストンなど︶や 学者 ︵チェンバレン︶ 等 もローマ 字表記法 について 論考 を 示 している。 東京 帝 国 大 学 博 言 学 教 授 だ っ た チ ェ ン バ レ ン︵ B .H .Ch am ber la in ︶ は、 日 本 式 ︵ si, tu な ど 音 韻 式 ︶ で も ヘ ボ ン 式 ︵ sh i, ts u な ど 表 音 式 ︶ で も 日 本 語 の 正 確 な 発 音 を 示 す わ け で は な い と し な が ら も、 ヘ ボ ン 式 の ような 表音的綴 り 方 を 支持 する 立場 を 示 し、 多 くの 日本研究書 や 日本語文典 にヘボン 式 ローマ 字 を 使用
した。 先 ほどの﹁L﹂と﹁R﹂に 話 を 戻 すと、 日本国内 でこの 問題 が 議論 されなかったわけでははないよう だ。 一九三二年 に 刊行 された﹃ 各国語 におけるローマ 字 の 使 ひ 方及 び 国際的立場 より 見 た 日本式 ローマ 字 ﹄︵ 佐伯功介著 、 日本 ローマ 字会出版部 ︶では、 ﹁ 日本語 には 正 しい[l]はない﹂ ︵ 佐久間鼎 の 説 を 引用 して︶とか﹁ラ 行音 の 候補 にはlとrが 立 つが、rの 方 が 国際的 の 散 らばりの 幅 が 広 い﹂といった 理由 で、 大 まかに 纏 められるrを 取 り 入 れた 方 がよいという 見解 がまとめられている。 ローマ 字 をめぐって 様々 な 見解 や 議論 が 続 いたわけであるが、 スペイン ・ ポルトガルから 始 まり、 ヨー ロッパ 大陸 と 日本 で 大 きく 発展 した 日本語研究 の 中 で 受 け 継 がれてきたローマ 字表記法 に 対 し、 改 めて 西洋人 の 貢献 の 大 きさを 感 じざるを 得 ない。 ︵なかがわ かずこ・ 北海学園大学人文学部教授 ︶