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社会主義経済における時間要素の問題--B.B.ノボジロフ理論を中心として---香川大学学術情報リポジトリ

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社会主義経済における

時間要素の問題

− B.B.ノポジロフ理論を中心としで 叫

石 津 英 堆

工.まえがき。Ⅱ..経済計算における時間要素。Ⅲ・支出と生産物の同 一・時点への還元。Ⅳい支出と生産物の同時比較の基本的機能。Ⅴ・個別 生産物の支出効率決定に.おける時間要素。Ⅵい 生産発展途上における障 害。1臥 労拗の節約法則と時間要素。Ⅶ・経済計算紅おける時間要素の 計餅方法。Ⅸ.結び。 Ⅰ 社会主義生産の支出と結果を測定する問題,すなわち労働の効率を測定する 問題ほ,現在のソグェト経済学に課せられた蚕壁間題のひとつである。多くの 藍要性をもつ諸問題はこの問題と緊密なつながりを有する。たとえば,労働生 産性の測定,原価の計算,最も適正な価格形成原則の制定,投資効率の測定, 労働の塁と賀に応じた分配,企業の独立採静制,ル−プリに・よる統制の実施, 社会主義競争の組織化などの問題がそれである。ノポジロフが指摘するよう に,1)これらすべての問題が正しく解決されるかどうかは,生産物を生産サーる ための支出とその結果とが,どの程度に.正しく測定され計辞されるかに.よっ て,多かれ少なかれ左右される。 幾多のソグ‡ト経済学老がそのために多くの努力を資しているに.もかかわ ず,現在のところこの問題ほ根本的な解決をみるに至っていない。現在の経済 計昇ほまだ完成の域にほはど遠いともいわれている。ソグ、エト経済学界払お 1)ネムチノフ編,岡稔訳,『マルクス経済学の数学的方法』,上巻所収,BB小ノポジロフ 「社会主義経済匿おける支出と結果の測定」(.以下ノポジロフ論又と略称),46ぺ−ジ。

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香川大学経済学部 研究年報 4 J964 ー 74−− ける各種の論争ほ,いってみれば,同じ根源から発していると考えても誤りで はないだろう。 周知のごとく,社会主義社食では生産手段が社会千ヒされ,それに・もとづいて 労働も全社会的な規模で社会化される。そしてこ.の社会では,その必然的結果 として,共同の計算で,意識的計画的に個々の産業部門に.生産手段を配分し, 同時に個々の生産単位紅おける個別的労働もまた共同の意志に・したがって,そ れ自体では社会的労働として計画的に支出し,したがってまた生産物の分配お よび利用も計画的に.組織化されざるをえない。社会主義社会では国民経済を共 同の意志に.よって討画的に.発展させなけれぼならないが,だからといって,計

画が作成されるのは,生産を組織し,かつ規制するためではない。それは自己

目的ではなく,社会的欲望の充足ということのうちに・ある討画の目的紅生産を よりょく適合させるためである。 社会的欲望は計画経済における最も基本的な概念である。一−・般的にいえば, 欲望とほ人間の生存あるいは成長に必要なあるいは有用な諸手段に・たいする個 人の状態のことである。この人問の欲望は,その特殊な対象および形態が社会 に.よって−,すなわち一・定の社会が到達している技術および文化の発展段階によ って決定されるという意味で常に社会的なものである。だから,計画経済にと ってそ・の対象となる欲望は,技術と文明の・一億状態から生ずるところの社会的 欲望でなぐてはならない。 社会主義社食では単なる個々人の欲望ではなく,社会全体のたえず増大する 物質的および文化的欲望を,その可能性紅応じて,よ.り完全紅充足していくこ とに生産の本来的な目的がある。だから,その社会を構成する諸個人の生存お よび成島に.とって必要なあるいは有用な諸手段にたいする社会の状態をつね紅 考慮しなくてはならない。個人的欲望の一・定の水準においては,これらの欲望 を直接に.充足するこ.とは不可能であって,そのためには機械および生産用具を 必要とする。このようなばあいには,確かに機械および生産用具にたいする社 会的欲望が生ずることになる。それらにたいする欲望をもつのは一個人でほな く,全体としての社会である。技術水準と利用しうる生産手段の数量に制約が あるかぎり,すべての個人的欲望を充足することはさしあたり不可能となる。 このようなばあい,生産をただ社会的欲望に適合させうるには.,こ.れらの欲望

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社会主義経済における時間要素の問題 −− 75 −−−−・ のうちどれが社会的欲望であるか,またどれが社会的欲望でないかを決定する ことが必要となる。合理的な計画の諸任務のひとつほ,この決定を行うことで ある。 社会主義のもとでは生産の欲望への適合が共同の意志に.したがって計画的に おこなわれる。したがって−この社会では、種々の欲望が事前に.調査され,それ らの相対的太いさが評価されているこ.と,また生産手段(労働をも含めて)が 計算されていること,かつこ.の計算に.もとづいて,なにを生産すべきか,いか なる数量だけ生産すべきであるか,またそれをいかに配分しいかに利用すべき であるかを確定しなくてはならない。このような生産計画と配分計画を決定す るにさいしては,もちろん生産手段の総体が合理的紅配分され効率的紅利用さ れなくてほならない。に.もかかわらず,現実のソ同盟における現在の経済引算 ほその完成の城にははど遠い状態に.ある。 社会主義社会では,攣.に生産計画を作成し,かつ生産と消費とのあいだの均 衡が実現されるように.その計画を遂行するだけでは不完全である。さらにその 社会は一生産物の分配が無償で行われないとすれば一分配計画を作成し, それが実行されるようにしなけ・ればならない。計画が適正なものであれば,生 産の欲望への,したがって生産と消費とのあいだの合理的な均衡が維持される であろう。このような消費をめぐる理論的な問題紅関する分析はソ同盟でも今 日ようやく着手されたほかりであるg)経済計画に.おいては経済均衡の問題と ともに経済計昇の問題が蛋要性を有することは論をま−たない。 −・般的にいえほ,経済選択の問題は2つの段階において提起される。すなわ ち第1の段階でほ,なに.をどれだけ生産するかを知ることが問題であり,第2 の段階でほ.,いかに.してそれを生産すべきかを知ることが問題である。滞1の 問題については,まずなに.よりも消費者たちがなにを欲しているかを知らなく てはならない。国民消費の計画化に関する理論的研究はソ同盟では比較的新し く,その成果はむしろ今後に待つべきかも知れない。第2の問題は生産技術の 種々のバタアント間の選択を意味する。いうまでもなく,これは生産組織の最 適化の問題である。

2)3KOHOMHZ(0−MaTeMaT肌eCKHe MeTORbI,Bbml1,nOA peA・At・n・

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ー 76 − 香川大学経済学部 研究年報 4 J964 いま−・定の物質的財貨を生産すること,つまり−・定の結果をうる∈.とが決定 されたはあい,それを生産するに.ほ多数の生産方法が技術的に可能である。当 然そのばあい紅ほ諸方法のう・らで最尊の(最適の)ものを選択するという超済 問題が提起される。も、ちろん,最適企画′リアソトとほ最少限の支出でなくて−は ならない。国民経済に‥おける各種の支出は常紅労働の支出である。それは人間 がある生産物を生産するために.直接投下した生労働,すなわち現在支出される 労働のみならず,同時に.また過去労働すなわち生産手段にすでに対象化されて いる労働でもある。このようにあらゆる支出は.労働からなり,労働のみからな る。だから,あらゆる支出は.単一・の屋こに.よって表示されうる。前述のごとく, 同一・の結果をうるために,多数の方法あるいは多数の要素が有効に使周される ばあいには,いつでも経済的選択の問題が提起される。そしてこの経済的選択 は,いずれの要素あるいはいずれの方法を用いることが有利であるかを引算す ることのできる「測定単位」が存在するぼあいにのみ,合理的に行うことがで きる。 しばしば指摘されるように,経済的合理性は,−・定の財貨を生産サーるにあた って,最小の努力と犠牲とを必要とする方法が使周されるときにのみ実現され る。ここ紀聞題となるただひとつの努力は人間労働が行う努力のみである。か かる努力の尺度ほ労働時間である。「犠牡」については,主観的見地に立つと・ とが正当であるかのように.みえるし,近代理論は現紅そのような主張をくりか えしてきた。しかし主観的見地ほ計画化には適用されえない。たとえば,−・定 の金属の−・定盈の利用を意味する犠牲(消費の断念)を他の金属の同一・鼠の利 用を意味する犠牲といかに.しで比較するか。こ.の種の犠牲を比較測定するとい うことは実現しえない課題である。しかし「■犠牲」の概念に.客観的意味を与え. うるし,しかもそれを努力の概念に.還元することができる。このような還元 は,−・財貨の利用を表示する「犠牲」を当該財貨の生産に.要する労働と等しい ものとして定義することに.よってなされる。 結局のところ,生産は労働以外のな紅ものも要資しない。それゆえに,一・定 の結果をうるための最も経済的な方法は,最小の労働支出をもってそれを生産 することである。マルクス主義経済学が教えるように,労働は人間にとって要

費するただひとつのものである。人間がその労働を行うにあたって利用する諸

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社会主義経済における時間要素の問題 −【・77 1 生産物(労働対象と労働用兵)は,それらの諸生産物が生産されるために.ほ労働 を必要とするかぎりでのみ人間にとって要致す−る。いかなる財貨といえ.ども, それは人間労働の産物でありうるがゆえに,それほ決して「稀少」ではない。 財貨が稀少であるのは,その取得が労働を必要とする理由によ.ってのみであ る。その生産に必要とされた労働に無関係な「稀少性」は,その生産を増加し えない財貨に.関してのみ存在する。その他のいかなる財貨といえども,それほ 人間労働によって増加されうるがゆえに,決してL稀少1ではない。労働価値 論に立つ人びとの多くは,稀少性概念をそのように理解し,支出の測定紅おい ては格別にそれを考慮する必要はないとみなしてきた。もちろん,労働支出の 測定は自己目的ではない。ノポジロフが明確に指摘しているように.,$)支出の 測建ほ経済法別に.従属している。したがって,社会主義の特殊的経済法則一 基本的経済法則,労働生産性のたえまない増大の法則,計画性のある(釣合の とれた)発展法則−が支出の測定にたいして,労働生産性増加テンポの最大 化,すなわち最終生産物1単位あたりの労働支出の低下テンポの最大化という 方向づけをあたえる。支出がこのような極値問題紅従属しているばあい紅は., 生産物に′たいす・る労働支出はその生産物を生産するための労働によっで測定す ることはできない。いいかえると,ある生産にたいする支出の最小限を発見す るためには,各種のバリアソトに.よっでそれを生産するさいの支出を計算し て−,その結果を比較するだけでほ十分とはいえないのである。 社会主義のもとでも,(1)各種の生産手段は代替性を有すること,(2)各種の相 互に代替可能な生産手段の効率が不等なこと,(3効率の高い生産手段がそれに たいする需要に比べて(その効率的な用途に比して)不足すること,そのため 効率の高い生産手段を特定の用途に.充用することによって−,他の生産物にたい する支出は増加しうる。ノポジロフはこれを逆連関支出と名づけ,支出の測定 においてこれを重視すべきことを強調した。ノポジロフに.よれば,個々の各生 産物にたいする較差支出(几噌申epe叩HaJIbHbIX3aTPaT)は,、つぎの要素で 成される。すなわち,(1)それを生産するための支出,(2)逆連関支出がこれであ る。しかし投資の限界,不足生産手段の制約,僚良な天然資源の不足が存在する 3)前掲苔,ノポジロフ論文,142ぺ一−ジ。

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香川大学経済学部 研究年報 4 ヱ964 】 7β− かぎり,生産物の個別価値を計算し,その最小化をはかることはできない。社 会主義のもとでほ,生産支出の局部的最小限という原理が人間の意志に.かかわ りなく効力を失い,客観的に.実現できなくなる。いいかえると,社会主義のも とでの労働節約原理は,国民経済の全生産物にたいする労働支出の全般的最少 化の原理としてしか実現されない。ノポジロフほこのような観点から独自の労 働支出の測定方法を提案した。その方法とは,所与の蓄積量のもとで所与の構 成と恩の最終生産物にたいする労働支出の最小限を発見することである。そし てこ.の問題において最小化される患は,社会的観点から考察するならば,未来 の労働つま−り生労働であると理解される。そのため過去労働はゼロに等しいと され,過去労働によって:生産された生産手段は,この生産手段の使用に.よって 節約される未来労働の大きさに応じて−,すなわち道連関支出という形で支出の 計算澱.含まれるとみる。−・見すると,そのような説明は著しく逆説的にみえ. る。この点に.関するノポジロフの説明ほこ.うである。 社会全体にとっては,−・定の時点における(たとえば計画期間の期首に.おけ る)過去労働は不変鼠である。総じて過去のできごとが変更しえないのと同様 に,それも変更しえない。しかし未来の(生きた)労働ほ.可変鼠である。計画 で定められた最終生産物がどのように.して生産されるか紅よって,それは大き くもなれぼ小さくもなる。したがって,社会全体にとっては,所定の生産物を 生産するための総労働支出(過去労働と生労働)の最小限は.,生労働支出の最 小限紅よって決定される。何しろ不変景と可変盈の和の最小限は,可変畳の最 小限紅よって決定されるのである。ノポジロフに.従うかぎり,労働節約の法則 ほ,究極において生労働の節約法則であり,生労働の生産性増大の法則である とされる。しかしここでノポジロフがあげているように,過去労働が(−・定の 時点紅おいて)不変盈であるのは,社会全体についてだけであり,国民経済の 個々の部分についでではない。明らかに.国民経済の各部分にとっては,過去労 働の支出は常に可変盟である。個々の部分においては,生産手段の配分いかん に応じて過去労働の支出を増減することができる。各生産物紅たいする支出の 計算紅は,生労働だけではなく物的支出も含まれる。過去労働の支出をゼロと みなすからといって,過去の支出の生産物を労せずしてえた額偶の贈物とみな すべきではない。それはただ過去労働の生産物が過去の支出軋隠じてではな

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社会主義経済における時間要素の問題 叩79 − く,未来の支出に応じて,すなわちそれを使用することによって社会の生労働 が節約される程度に応じて,支出の引算に含ま−れるというだけのことである0 要するに,ノポジロフにあっては,過去労働の生産物の支出の測定は,生労働 の最大限の節約がえられるように過去労働の産物を利用すべしというのであ る。このさいえられる評価乗数が,生産手段の種類によって経済的に・は意味を 異紅する。(1)再生産しうる労働対象のばあいには,逆連関支出の原理に・よって 制定されるその価格であり,(2)以前に.生産された労働用具−一建物,施設,機 械設備−のばあいにほ,物理的・道徳的磨滅を考慮して引算された労働用具 の使用に.たいする賃貸料となり,(3)天然資源のば糾、にほ.,それほ差額地代を あらわし,(4)投資のばあいには.,それは投資の標準的効率(資金の供与がクレ ジットの形をとるばあいにほ,クレジット紅たいする支払)をあらわすのであ って,較差支出を価値表示したものは,国民経済原価と名づけることができ る,とノポジロフは説明している。4)この国民経済原価は重要な意義を有する。 相異なる労働投下条件のもとで生産される同一・種類の生産物の国民経済原価は 平準化の傾向をもつ。というのほ,生産手段の質の差に応じて差別をつけられ た標準的純収入が国民経済原価に含まれているために,各企業が経済的に」は同 一・の労働投下条件におかれるからである。 その意味紅おいて国民経済原価のもつ意義は,独立採算制の維持ばかりでは なく,労働に応じた分配原則の貫徹紅とってもきわめて大きい。周知のように, 企業の活動成果をあらわす指標が,企業の影響しえない要因に.よって甚だしく 左右されている。しかし,これらの指標をその依存関係から「解放すること」は, 国民経済原価の測定紅よってのみ可能である。しかしノポジロフの提案になる 国民経済原価については,ネムチノフをはじめとする「数理経済学汲」のごく 少数の人びとを除いては,現在のところはとんど支持されていない。わが国で も岡稔氏のF討画経済論序組頭を別とすれば,あまりノポジロフ理論の正しい 位置づけがなされ,その忠義が明確に.は評価されているとはいえ.ないようにみ られる。ノポジロフ理論を批判するソヴェト経済学者のなかでほ,か−ツがその 理論に激する最も正当な批判を試みているようである。伝統的な立場に・.立つ多 4)ノポジロフ論文,175−187ぺ一汐。

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香川大学経済学部 研究年報 4 −βク ー J964 くの人びとは,もともと労働価備論と稀少性原理とは相容れないものだとか, あるいはノポジロフの労働支出測定方法が奇妙な推論のうえに.成_立つものと か,その他の理由をあげて根本的に.批判して−いる。筆者にとっては,ノポジロ フの理論が葬られる前把少くとも十分検討紅値するだけの内容をもつものと考 えられる。ノポジロフも指摘するように,所与の最終盤産物に.たいする支出の 最小限を発見することほ,最適計画を作成するための必要条件とはなりえて も,十分な条件とはいいえない。最終生産物の鼻と構成を国民経済の欲望に.照 応させることも必要である。いわば生産計画を作成するためには,各種の消費 対象の「判周効果」を比較し,それを必要労働支出と対比することが必要であ る。−−・定の生労働支出の効率を測定することは,生産の組織化と労働に応じた 分配とのため紅必要である。労働紅応じた分配は社会主義にのみ固有なもので あり、自己の労働の結果にたいす・る勤労者の個人的な物質的関心の原則ほ.,社 会主義のもとでのみ完全な効力をもつ。そのためにほ、まずなに.よりも各生産 者が社会にたいして与えるものを正しく測定することが必要不可欠である。生 労働の結果が精密紅測定されれぼされるはど,労働に応じた分配の法則はます ます完全となり,個人的利益と社会的利益の関連はいっそう密接となる。そし て一生労働の結果を精密紅測定することほ,全体としての国民経済の計画的指 導紅.とっでもきわめて大きい意義をもつ。いいか.え.ればホズラスチョ1−トの効 率はそれに依存し,労働の結果をあらわす指標が,社会にたいして労働が与え るものを正しく反映するかぎり,生産性の高い支出が奨励され,計画性をもっ た発展の法則が実現される。以上に.みたごとく,ノポジロフにおいては,投資バ リアソトの選択はそれだけを切り離して解決することはできない。この問題は あらゆる生産手段の最藩の利用という問題の一・環に.おいて把握されなくてほな らない。軽差支出の原理はノポジロフにとってほ1980年代いらいの一骨せる主 張である。・そしてかれの理論の核心ほすで紅数多くの論文紅よって明らかにさ れている。ノポジロフが従来投資効率問題を扱うとき,投資支出の時点紅つい てはふれず、暗黙のうち紅それを同一・時点に合わせて論じていた。最近それが ソヴ.ェドの投資効率論争に.おいても明確化することが理論的に.要請されてい る。つまり一・般的には異時支出の同一・時点への還元の問題がこれである。いい かえると,この間題は経済計算における時間要素の考慮という問題として理解

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社会主義経済における時間要素の問題 −■gユ ーー される。これについてほたしてノポ汐ロフがどのような見解りを寄せている か、以下においてはこれを主題として検討することにしたい。 ⅠⅠ 経済計算に.おいて時間要素をどのように把握し,どのように測定するかほ, 経済理論の最も議論のある問題のひとつである。現紅ソグ.‡トの投資効率論争 に‥おいても,その計算方法,測定対象をめぐって議論がなされて−いる。周知の よう紅,時間は最も重要な経済指標−−−一労働支出と結果一紅影響を及ばす。 いうまでもなく,今日の1時間労働ほ経済的にほ年間の1時間労働と同一に扱 うことほできない。また1年間の労働支出は5年間におけるそれと同一・の支出 と等しいとみるわけにほいかない。同じよう紅,将来の生産物はそれと同−・の 現在の生産物と同等でほ.ない。 社会主義経済においてここのような相異が存続するとしても,いったい何がそ れを生ぜしめるのであろうか,また最適計画のもとでそれをいかに測定すべき か。これらの問題の論拠づけはまだ−・般的な承認をうるはどの解決をみていな い。 将来の生産物は,その価値が変化するために.それと同一・の現在の生産物と同 等ではない。原則としてそれは低下する。しかし労働生産性の増大そのもの は,労働の将来の結果に/ついての評価の低下のみを説明するだけで,なぜ将来 の労働支出は現在における同一・支出よりも低く評価されるかを説明しない。−・ 見すると,いっそう生産的な将来の1時間の労働は,現在の生産的でない1時 間の労働よりも高く評価されなければならないように㌧思われる。ところが時間 要素を考慮するさいにほ,時間的にほあとでなされる支出はそれ以前になされ る支出よりも低く評価される。この間いに.対する解答ほ,労働生産性の増大そ のものでほなしに,労働が生産時間に依存することに求めるべきである。建設 にたいする労働支出が大きければ大きいほど,また支出がおこなわれてから生 産物が産出されるまでの時間が長ければ長いはど,その結果も大きくなる。生 産期間と労働生産性とのあいだにほ.,あたかも生産期間が生産要素であるかの 5)<¢aKTOpBpeMeZTH B9KOHOMIⅢeCZ(HXPaCtZeraX>,肌aTeMaTHKO−9KOtrO

ecKHerIPO6J7eMbl,rTOApeJqB一BL・HoBO〉KMOB,1963r CTp・3−24

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香川大学経済学部 研究年報 4 ブタ6.J ー β2 ¶ ようなl乳適性が存在する。生産期間は/いかにして労働生産性を増大せしめるの か。いうまでもなく,それ濾蕎命の長い労働用具を利用することによって可能 とされる。確かに労働用具の利用ほ重要ではあるが,生産期間の延長にともな って起る労働生産性増大の唯一・の要因ではない。労働対象の−・定在産もまた正 常な生産増大のために必要である。だから,−・定水準の未完成生産と完成生産 物の在庫は損失を予め避け,したがっで労働生産性を維持しまたは増大させ る。このように.労働生産性の増大が生産および流通期間の増加と結びつくとき に.は,時間要素の計静が問題となる。いいかえると,消費の延期と将来の労働 生産性との比較測定の問題が発生する。もちろん,このような直接的な形態で ほこの問題は解決できない。労働時間は支出であるのに.,他方生産時間は支出 ではなく,その本質的特性ほ支出の効果にすぎない。そのために.ほまず両者を 通約可能なものに還元しなくてほならない。その測定単位ほどのようにして−把 操されるのであろうか。これに.関連してマルクスは共産主義における時間要素 の計算の必然性をくりかえし強調した。すなわち「贋本主義のではなく,共産 主義社会を考えてみれば,まず第一・に.貨幣資本ほ全くなくなり,したがってま たそれによってはいってくる取引の仮装もなくなる。事柄は簡単に.次のことに・ 帰着する。すなわち,たとえば鉄道建設のように.,1年とかそれ以上とかのか なり長い期間に.わたって生産手段も生活手段も,そのはかなんの効用も供給し ないが,しかも年々の総生産から労働や生産手段や生活手段を引きあげる事兼 部門に社会がどれだけの労働や生産手段や生活手段をなんの損害もなしに振り 向けることができるかを社会ほ予め計算しなければならない」6)と。 どれだけの労働や生産手段や生活手段を社会が長期に.わたってなんらの有効 な効果をも与えないような生産に.なんの損害もなしに凝り向けることができる かを,いったいどのような拇標に.よって算定できるのであろうか。このため紅 は初めに所与の生産物に.ついての社会的な生産と流通の期間を決定することが 必要である。しかし過度の生産期聞から生ずる損失が,生産の迂回化のみなら ず,その時間だけ生産物の産出をおくらせる労働支出にも依存することを確認 することは難しいことでほない。長親にわたって年々の生産物をもたらすこと 6)『資本論』,(国民文辟版),6分冊,260ぺ√−ジ。

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社会主義経済紅おける時間要素の問題 ー β3 − のない労働支出が大きけれほ大きいほど,この損失ほ大きくなる。その意味か ら時間要素の計算のための最初の指標ほ.労働に.よって測られる生産期間であ る。生産物への労働支出は瞬間的になされるのでほ.なく,時間的に配分される ことを考慮すれは,それぞれの生産期間は個々に.測るべきであろう。異時点で の労働支出をCl,C2,…G,これらの各労働支出をへだてる時間的間隔を

拘 れ,才9,・㍍で示すと,生産物の産出に先立って∑Cめ(労働時間)であらわ

£=1 されるフヵ・ンドが形成される。生産物の産出が開始されると,もはやフォンド の増加はやみ,それは長期にわたって.減少されない。そして各単位時間にそれ でI から∑C威の労働支出に等しい生産物が流出し,同時に.それと同一・の再生産に £=1 要する労働支出が新たに.フォンドを補填する。ノポジロフが明らかにしている

クあ ように,生産フォンドが∑G右に等しいとすれば,それを単位時間に.おける生

£=1 産物の価値で割ると,われわれほ労働支出によって測られる平均的な生産と流 通の期間をうる。すなわち, ケ乙 ∑C∫g′ £=1 ル・−プリ ル−プリ/年 クあ ∑Cg 威=1 いま指摘したように,フヵ・ンドの価値は労働時間または(支出が価値で測定 されるさいに.は)ルーブヅで測定される。ところが,生産時間はこれと異なっ て,労働時間/年もしくはループヅ/年という測定単位をもつ。こ・の意味で労 働支出に.よって測られる生産時問はしばしば支出の緊縛(CB兄3b柑aHHe)とも 呼ばれている。フォンドの価値と生産期間は本質的に異った次元をもつ。この 点を明確に.しないで時間要素の計静を行えば,そこではあたかも生産物への過 去労働の支出が問題なのであって,時間要素の計算に・とって必要な指標が問題 でほ.ないかのごとき誤解を生むことに.なる。この結果,投資と原価の比較測定 という問題ほ,固定フ勇・ンドに対象化され,また原材料紅対象化された過去労 働の文才_l†と生きた労働との比較測定として単純に理解されることに・なる。もし 事実そうであるとすれば,生産物への過去労働と生きた労働との支出はともに

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香川大学経済学部 研究年報 4 J964 ー・g4 − 比較測定が可能であるから,こと改めで比較測定を云々する必要はない。とこ ろが,これほそうではない。投資と生産物の原価とを簡単に合計しで比較測定 することほできない。この種の議論ほその根底軋ある測定単位の相異を明確に 把握しては.いない。この点がノポジロフの投資効率論における現行法に.たいす る批判の第1点である。 国民経済紅おける個々の要素(たとえ.ほ,企業,工場,機械,その部品等) の計画化および企画化に・さいしてなされる時間要素の計算ほ,通常異種の指標 の比較測定問題としてあらわれる。つ奮り1回限りの投資支出を無限に反復し てなされる経常支出と比較測定サーることが必要である。このような比較測定 は,比較される大きさをある種の測定乗数(pa3MePHOrO MHO〉K祈CTeJIb)を用 いて同一・の測定単位に還元したあとでのみ可能とされる。たとえば,1回限りの 投資支出を経常支出と同一・次元で把握するに.は,時間単位がマイナ・ス1乗で評 価される乗数にそれを乗ずることが必要であり,逆に.また経常支出を=可限り の支出に還元するに偲,時間単位であらわされる乗数にそ・れを乗ずることが必 要である。「’臨時療準法」でも異時支出の同一・時点への還元が承認されてほい るが,そこで示された形式的な結論は,別段この乗数の経済的意味とその大きさ の決定については何ら明確な説明を与えていない。実は問題とさるべき点が不 問紅付されているのである。ノポ汐ロフはこれらの問題を根本的に.再検討し, 現行の原価と投資の比較測定法を批判し,かれの提案になる投資効果の最大限 を発見する方法の妥当性を重ねて主張する。以下その点について議論を展開し よう。 ⅠⅠⅠ 時間要素の計算に.必要な乗数を発見するには,生産期間は支出でほ.なく,労 働支出の国民経済的効果であるとする根本的立場をもう−・度確認しておかなく てほならない。ノポジロフがかって指摘したように,支出と結果の測定は,社 会的労働の効率の測定という,きわめて重要な実際的経済問題の解決に役立 つ。しかし効率とはそもそも何かということが明らか紅されなくてはならな い。−L般的紅は効率とほ支出にたいする効果(結果)の比率であるが,個々の 支∼_11項目をそれと関連した利用効果の諸要素に対比すれば多数の効率指標がえ

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社会主義経済における時間要素の問題 一一β∂−− られる。たとえば,労働生産性,機械の効率係数,設備利用係数などがそれで ある。またしばしば効率指標は効果にたいする支出の比率という逆の形で表現 される。周知のごとく,生産物1単位あたりの原価とか生産物i単位あたりの 燃料支出などがこれである。しかしノボ汐ロフによると,現在用いられている 効率指標はいずれも何らかの点で不完全であるといわれる。というの時,これ らの指標においては,支出が十分紅考慮されて;いないか,効果が十分紅.考慮 されていないかであり,また最も多いのは両方とも十分に考慮されていないか らである。ところが経済上の決定を下すに」は,いいかえ.ると,ある何らかの計 画(企画)バリアソトを選択する紅は,対比される各バリアソトがもたらす あらゆる国民経済的効果とそれが必要とするあらゆる支出との関係を知ってい なければならない。そして支出が実際に労働のみからなる以上,各バリアソト の国民経済的効率とは社会的労働の効率以外の何ものでもない。ノポジロフは このように.述べたあと,労働の効率がそ・の生産性としほしば混同して論じられ ていることを指摘し,労働の生産物と労働の効果とは同一・でないことを強調し ている。要するに.,労働の国民経済的効果ほその生産物だけ紅つきるものでは なく,もっと広汎な概念であることを説いている。労働の効率という概念に.は 住民の文化水準の向上や国防力の強化のごとき測定不可能な要素も効果の申に. 含んでいる。さらに支出の国民経済的効果は物質的欲望の充足,ならび紅社会 主義国家の他の諸課題の遂行をも意味している。だから,ノポジロブの用いる 社会的労働の能率とは,生産物の数慮だけでほ.なく,欲望に.たいするその照応 や労働の国民経済的効果のその他の測定不可能な要素をも含めた,労働生産性 と理解されなぐてはならない。 以上の説明から明らかなように,労働の効率の絶対的水準を,効果の可測的 要素と不可測的要素を考慮して測定することほ不可能である。しかしそのこと は労働の相対的効率の測定を妨げるものではない。そのためには.まず何よりも 比較されるバリアソトの国民経済的効果が等しくなぐてはならない。ノポジロ フはこれを「同一・効果の原則」と呼ぶ。各パタアントの国属経済的効果が同一・ であるはあいに.は,各バ.リアソトの臥民経済的効率の比率ほ,各バ,リアソトを実 現するのに.要する支出の比率軋逆比例する。したがって計画バ.リアソトの国民 経済的効率を比較測定するに.ほ,前もって同一■の国民経済的課題の遂行が前提

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J964 香川大学経済学部 研究年報 4 ー β6 − されなぐてはならない。ノポジロフの指摘によると,それほJl規模,(2)構成, (3)場所,(4)時間,(5儒要の点で同一・で,しかも(6)性格,規模,場所,時間の面 で同一・の経済政策目的に役立つものでなけれほならない。 前述のノポジロフの説明からすれば,たと.え.その他の点で比較されるバリア ソトの効果が同一・であっても,生産期問が不等であれば,同一−・効果の原則ほ破 られることになる。したがって,生産期間の長さの異なる企画バリアソトの効 率の比較測定に・あたっては,その効果と支出とを同一・時点に還元することが必 要である。これと同じような論理が国民経済的に・は毎日くりかえし行われてい る。いわば支出と生産物は,勤労者の需要と消費手段の供給とを日々比較する ことによって同一喝点につねに.還元されている。なおある期間の賃銀は,将来 の物質的財賃生産の支出であり,しかも同じ期間に消費される商品の購入にそ れは支出される。 賃鋭ほ通常その生産物の生産期間の完了以前に支払われ支出される。だか ら,消費財の価格はそれに支出された労働ばかりではなく,生産期間の延長を 促すところの剰余労働をもあらわす。つまり価格にほ蓄積が含まれている。こ のようにして国民経済における賃銀と消費財との同時比較ほ,社会的総労働の 効果を支出と同一・の時点に還元する。支出と生産物の同時的な比較測定が行わ れると,そこでほ労働支出と生産物の産出とのあいだの期間は実際に・はゼロと なり,それはい卦や計算から脱落する。ここでわれわれはある生産物の生産期 間中に.支出される労働椚異時労働支出−−の通常の測定に・加えて,もうひと つ労働支出の同時測定を用いることができる。 いうまでもなく,生産期間の迂回化は国民経済の主たる関心事である。他の 条件にして等しければ,生産期間が大きければ大きいはど,そして長期に・わた って生産物を与えないところの労働支出が大きければ大きいはど,同一・時間に 生産される単位生産物の労働支出ほ大きくなる。しかし異時的な労働の測定で はこの蚤要な結果が考慮されえない。ここでは生産物への労働支出の別の測定 方法が必要である。つまり,ある生産物の再生産に・支出される−・定期間の労働 をそれと同時に消費される生産物と比較するような測定方法が必要である。こ の測定方法がノポジロフによれば労働支出の同時測定といわれるものである。 もちろん,生産物への支出の同時測定ほ輿時測定に比べてほるかに.複雑であ

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社会主義経済における時間要素の尚題 ・−g7−− るが,それなしに」は投資バリアソトの選択ほなしえない。なぜなら,これは労働 時間と生産期間の経済的効果との比較測定の独自的方法であるからだ。労働と 生産時間との直接的な比較測定は不可能であるが,しかし労働と生産期間の延 長紅よる国民経済的結果とほ比較測定が可能である。というのは,この結果は生 産期間の延長庭.ともなってそれと同時に単位生産物の追加支出を生ぜしめるか らである。労働支出の同時測定は.実際に存在するばかりか,科学の新発見でも ない。マルクスに.よって導かれた剰余労働(その形態とは異なる)の概念は労 働と消費財の同時比較にもとづいている。マルクスは剰余労働−・般を「欲望の 程度をこえる」労働として定義した。ここでは労働が関係をもつ時点の欲望, つまり労働と同時点の欲望が問題となっていることは疑う余地がない。マルク スが剰余労働の論拠のひとつを拡大再生産とみなしたこ.とからもこのことは明 らかである。すなわち,「−・定鼠の剰余労働は災害軋対する保険のために必要 であり,欲望の発達と人口の増加とに対応する再生産過程の必然的な累進的拡 張のために必要なのであって−,この拡張は資本主義的立場からほ.蓄積と呼ばれ るのである7)」とマルクスほ指摘している。 マルクスの論点に従うかぎり,蓄積は労働と欲望との同時比較のさいにのみ 剰余労働とみなすことができる。もしわれわれが労働支出を将来の生産物と対 比するのであれば,拡大再生産への労拗支出もまたその将来の生産物に.のみ結 びつけられねばならない。そしてそのときにほ時間要素ほその直接的な支出と は比較測定できない形態で計算されなくてはならない。 ノポジロフほこのような論拠に・よりながら,労働とその効果の同時比較は生 産期間の結果を剰余労働支出に.おいて計辞することが可能であるとする。そし てこ.れによってどれだけの労働や生産手段や生活手段を社会は何の損失をとも なうこ.となく,長期にわたって効果を与えないような生産に振り向けることが できるかを正確に.計算することができると説明している。こ.こ.でノポジロフが 問題に.しているのは,国民経済の蓄硫屈をいかにして計画化するか紅開しでで ある。もちろん,そ・のばあい紅はこの蓄積によってと■んな効果がえられるかを 知らなくてほ.ならない。通端役資バリアソトの選択を論ずるにあたってほ,単 7)『資本論」三,(国民文庫版),11分冊,33L7−338ぺ一汐。

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香川大学経済学部 研究年報 4 ・一一∂β − J964 純化のために・蓄積量を与えられたものとみなす。しかし実際に.は投資ほ国民経 済の計画化のさいの未知数のひとつである。そのさい蚤要なのは,蓄積崖の合 理的決定もまた極値原理に.従っておこなわれるということである。要するに., この決定は労働生産性増大法則紅従って行われるべきだとノポジロフはいう。 かれの指摘によれば,最期について最も急速な発展テンポを保証するような蓄 積と消費の最適の相互関係という原則は,ソ同盟でほすで紅第15回党大会で提 起されている。 「生産と消費のあいだの相互関係という点では,両方の数字を 同時に最大化することを基調とするわけ紅ほ.いかないし−なぜならそれは解 決できない問題だから・−またさしあたり−・面的に蓄積を重視するとか… あるいは一層拍勺に消費を重視するとかいうことを基調にするわけに.もいかない ことを念頭に.おく必要がある。この2つの要素が相対的紅矛盾すること,相互 作用と相互関連をもっていること,しかも長期的発展の観点からすれほ大体紅 おいて両者の利益が合致することに.留意してこの2っの要素の結合を基調とす ることが必要である。8).」 これは社会主義経済学の最も重要な命題のひとつであることは改めて指摘す る必要もなかろう。確かにこ.の命題の内容はソグ.ェ.トの経済学者によって枚討 されてほきたが,必ずしも十分に解明しつくされたとはいえないようである。 ノポジロフのいうように,発展テンポは労働生産性の増大テンポ,生産物L単 位あたりの労働支出の減少によって左右される。したがって,労働生産性のた えまない増大を最大限に.するような蓄積と消費の相互関係が最適ということに なる。長期に.わたって最も急速な発展テンポを保証するところの蓄戟は,同時 にまた最大限紅効率的な蓄積でもある。つまり,蓄積をより以上に増大させる と,国属経済に.もたらすものよりも国民経済からとりさるものの方が大きくな るであろう。確かに,生産フォンド紅投下された蓄積ほ労働の節約をもたら す。しかしそ・の反面で隠,蓄積は剰余労働を必要とする。生産がたえず拡張さ れるばあいには,蓄積ほ凍えず増大する剰余労働を必要とする。過度の蓄積が おこなわれるならば,しばらくのあいだ蓄積の−‥部分ほ,同期間にそれが必 要とする剰余労働よりも少い労働節約しかもたらされないことが生じうる。そ 8)じソ共盟共産見決議・決定覧ぞ,第2部CTp・333訳文は岡稔,前掲静200ぺ−ジ雄二よ る。

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・−・g9−、− 社会主義経済紅おける暗闇要素の問題 こで次には労働支出と生産物の同時比較の基本的機能ほなに・かという問題につ いて言及することにしよう。 ⅠⅤ

過度の蓄積に.もとづく損失ほ,社会主義経済では消費財の著しい不足や労働

力の烈しい不足に反映するものと誤って一考えられている。しかし過度の蓄積を

おこなえば,それと同時に生産される生産物1単位あたりの労働支出がそうで

ないばあいの支出に.比較して大きくなりうる。この点に・も過度の蓄積に・もとづ

く損失がある。いうまでもなく,生産ほつねに・再生産である。ところが再生産

のばあいに.軋 労働の支出と生産物の産出とのあいだの時間的なくいちがいほ

新しい生産物の産出の初期に・のみ存在するにすぎず,それ以後の時期紅は生産

物の産出は生産物への労働支出と同時に行われる0もっともそうだからといっ

て,それによって生産期間がなくなるわけではない。ただその経済的結果を変

えるに.すぎない。つまり労働と将来の消費とのあいだのくいちがいに代って,

生産期問ほ労働と同時的な消費とのあいだの何らかの比率だけを制約する○ま

さに.との点に国民経済全体に.とっての生産期間の経済的結果がある○周知のよ

うに,国民経済全体でほ労働支出と消費とはつねに同時的である0

社会経済紅おけるこのような労働と消費との同時性(c㍍HXpOHHOCTb)に・よ

って,労働と生産期間延長の経済的結果とを比較測定することが可能になる。

なぜなら,この結果は同時軋消費される生産物1単位あたりの追加労働支出と

なるからである。このようにして−労働をそれと同時期の消費財と対比すれば,

われわれは生産物の生産に支出される労働も,生産期間の延長結果をもひとつ

の指標で測定することができよう。この種の同時測定の基礎デー・タ・−はもちろ

ん投資である。そこで投資と生産の増加率とがわかれば,われわれは単位時間

における追加生産物の生産に必要な労働支出を計算するこ.とができる。このよ うにしてえた支出を同一・生産物の単純再生産への支出紅加えれば,われわれは

この支出と同じ時期の生産物の生産に要する労働支出を把握できる。これはさ

きにノポジロフが指摘せる較差支出に外ならない。推論過程こそ追ってはいて も,その理論的内容は全く同一・物である。もちろん,このような計界方法はた だ国民経済全体に.のみ適用されるのであって,個々の生産物の生産には用いる

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香川大学経済学部 研究年報 4 J964 − 9∂ −−

ことができない。消費と労働支出とがつねに.同時的であるのほ国民経済につい

てのみだからである。もっとも個々の任意の生産物に関する生産期間は社会的

総労働の生産性に.影響を及ぼすことは否定されない。しかしそうであったとし

ても,チユハ・−ノフがいうように.,9)ある種の生産物の年々の増加率に比投資

を乗じた酷を原価に.加えて個別生産物の支出を計算するのほ妥当ではない。支

出と生産物の同時的な比較測定ほ全国民経済についてのみ用いられるのであっ

て,その比較測定によって解決される主要な問題とは,国民経済の蓄積量の計

画化である。前述のように.,支出と生産物の同時比較ほ・,まさに周民経済にも

たらすものと国民経済からとりさるものとの・バランスを導く。いまそのことを

ノポジロフがあげている簡単な例示紅よって説明すること紅する。

所与の盈と構成の消費手段を生産するのに,さしあたり8つの蓄積バタアン

トがあるとする。いま議論を明確にするために・,ここでは価値形態ではなく労

働時間表示の指標を用いることにする。それぞれの蓄積バタアントは同じ構成

と長の生産物を生産するだけではなく,さらにこの生産物が年々10%ずつ増加

されるものとする。表に示されるようなフォンドを用いて国民経済が装備され

るとすれば,結局のところ,消費手段の全生産プログラムの遂行に要する労働

年々の生産物の生産に要する 労働支出(百万労働時間/年) バリアント!(菖慧晶品蒜晶) 0 8 7▲ R︶ 4 4 の同時的支出はつぎのようになろう。このばあいの単位ほいずれも百方労働時 間/年である。 50−トl.軍事亘可= 55 48一トl更亘萱亘l=53・5

47+1堅i=弘5

ノ ●ヽ 〓ノ ㌣ 〝 i 北 Ⅲ 9)3r¢qyXaZ10B,◎aKLrOpBPeMeH14H31くOHOMHqeCIくa兄∋4ゆeK川8HOCTbCOuHaJT−

HCTHqeCKOrOrtpOH3BORCTBaト≪BonpocbT9KOHOMHZ(H≫,1960,Ho・9,CTplr90HCJI

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社会主義経済把おける時間要素の問題 一9∫ 一一 括弧の中の硫は,次の年に.生産物の生産を10%だけ増加するのに.必要な労働 の同時的な支出部分をあらわす。前述のよう紅,投資は労働時間もしくはル− ブ.りであらわされるから,それを生産物の年増加率に.乗じた積は労働時間/年 もしくはル∼プリ/年で示される。したがって投資とそれに.よってつくられる 生産物の労働支出の測定撃位(pa3MepHOCTb)の差ほ除かれる。このように・し て再生産費の二つの構成項目−−一生産物の生産に.支出される労働と蓄積のため の労働−はともに労働時間/年であらわされる。 こ.こで各バ.リアソトの計算結果を検討しよう。生産物の生産紅支出される労 働の点では第ⅠⅠⅠバリアソトほ簡ⅠⅠバーリアソトより少ない支出しか必要でない。 ところが,もし生産物をそれと同時期の労働支出と対比すれば,第ⅠⅠⅠバリアソ トは余分の労働支出を必要とする。同時に.欝ⅠⅠⅠ′りアントによって要求される 追加労働支出ほ,第Ⅰレミ.リアソトに.比して年々の増加率が5%以上(もしくは それに∴等しい)になるまでは償還されえ.ない。フヵ・ソド集約度の高い第ⅠILバリ アソトの実現に.よって生ずる国民経済の損失ほここにある。前例に.おける労働 支出の同時計算ほ,各バリアソトのフォンドで装備された時点に関係をもつ。 この条件のもとでは,将来の拡大再生産に.とっての追加労働ほ.それ以前に・行わ れたと同じ型(同一パ.リアント)の投資からの効果と対立する。しかしすべて の生産が最も効率的なフォンドによって装備されないかぎり,労働支出ほ前述 の計算値よりも大きくなる。したがって,第ⅠⅠレミリアソトの実施濫ともなう損 失は計算値よりもほ.るかに大きくなろう。この計算から明らかなごとく,過度 の蓄蹟のみならず,過少な蓄積もまた国民経済的な損失をもたらす。現紅前例 におけるフォンド集約度の最も低い第Ⅰバリアソ・トは最高の同時的な労働支出 を必要とする。 以上紅みたように.,労働支出と生産物の同時的な比較測定ほ,蓄積が国民経 済に・もたらすものと国民経済からとりさるものとの差額を導く。いいかえ.る と,生産フォンドに投下される蓄積は労働の節約をもたらすが,その反面では 蓄積は剰余労働を必要とする。前例によって具体的に.それをみることにしよ う。第ⅠⅠバリアソトによって要求される追加投資は,同一・テンポでの第Ⅰバリア ソトによる生産拡大のさい紅必要とされる追加蓄積よりも大きい効果を与える から,第ⅠⅠバリアソトは筍Ⅰバリアソトよりも少ない同時的な労働支出しか必要 としない。第ⅠⅠバリアソトに・おける追加投資は5百万労働時間である。そして

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J964 香川大学経済学部 研究年報 4 −92− この投資の効果は50一一48ニ2(百万労働時間/年)に.等しい。年率10%での生 産の拡大のばあいにほ.,帝Ⅰバリアソトにたいする第ⅠⅠバリアソトの追加蓄積は 0.5百万労働時間/年となる。このばあい追加蓄積をこえる投資の効果ほ1.5百 方労働時間/年である。この大きさは第Ⅰバリアン′トと第ⅠⅠバリアソトについて の労働支出の差に等しい。すなわち, 55−−535ニ=15(百万労働時間/年) それと反対に.,第IlIパーリアソトは第ⅠⅠバリアソトよりも所与の生産プログラム を遂行する紅はより多くの支出を必要とする。第ⅠⅠⅠバリアソトの要求する追加 投資ほ.,第ⅠⅠバリアントに.よる所与のテンポでの生産拡大のさいノに必要な追加 蓄積よりも小さな効果しか与えない。この投資の効果は48・−47=1(百万労働時 間/年)である。そして第ⅠⅠバリアントに.たいする第ⅠⅠⅠバ.リアソトの追加蓄積は, 年率10%で生産が拡大するばあいには,2百万労働時間/′年である。それゆえ に・,追加蓄積にたいする投資効果の不足は眉方労働時間/年に.等しい。この大 きさほ.第ⅠILバ.リアソトと第ⅠⅠバリアソトの支出の差,54.5−58.5ニ;1(百万労 働時間/年)に等しい。このように,労働支出の同時的測定は過去の投資にもと づく効果と拡大再生産のため紅必要な蓄積との比較を含んでいる。この種の比 較は.蓄積量とその構成の選択紅とってきわめて豪要である。前例からノポ汐ロ フは次のような最も−・般的な結論を導く。すなわち,国民経済の最適蓄積ほ消 費財全体の価値の最小化によって決定される。なぜなら,同時期の労働支出は 消費財の価値,つまりその単純再生産に.要する労働支出と拡大再生産に要する 剰余労働との合計以外のなにものでもないからである。 Ⅴ 前例でほ.社会的労働の効率に関する同時的測定がきわめて単純な形で示され た。しかしこれに.よって解決される課題は国民経済の最も複雑な動態問題のひ とつとみられる。もっともこの例示ではその間題の−・面のみが示されているに すぎない。特に個々の生産討画における時間要素をいかに計算するかほ明らか にされていない。さきに.指摘したごとく,支出の同時的測定ほ個々の生産には 適用されない。個々の生産物の生産期間の延長と短縮が国民経済匿おける総労 働の生産性に影響を及ぼすかぎり,個々の生産における時間要素の計算は社会

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社会主義経済における時間要素の問題 ー9.?一−・ 的総労働の効率測定と結びつけられなくてほならない。かねてよりノポ汐ロブ が主張しているように.,社会主義のもとでほ個々の生産物を生産するための労 働の最小限という問題に.代って,支出の全般的最小限の発見という問題が発生 する。このような問題が発生するのは,局部的な利益よりも全般的な利益,局 部的な支出の最小限よりも全般的な利益,局部的な支出の最小限よりも全般的 な最小限が意識的紅選好されるためだけではなく,局部的支出の最小限紅準拠 することが客観的紅不可能に.なるからである。周知のように.,効率的な投資を なしうる可魔性は現存蓄積屈をうわまわる。われわれは計画よりもほるかに・多 くの投資支出を効率的に.なしうるのであるが,蓄積の不足のためにそうほでき ないのである。しかもこれほ}・時的な現象でほない。国民経済の蓄積がどんな 紅大きくなっても,天然資源の研究と技術的発明によって,効率的な投資の可 能怖がますます推し拡げられるならば,蓄積の相対的な不足は依然として残 る。ノポ汐ロフが投資効果の最大限を発見する方法を提案した理由のひとつは ここにある。社会主義のもとでの労働節約原理ほ,国民経済の全生産物紅たい する労働支出の全般的最小化の原理としてしか実現されない。そのような観点 からすれば,局部的支出の最小限に.たいする全般的支出の最小限の優位は,社 会主義経済の客観的必然性である。 要するに,ある生産物を生産するための最も効率的なバーリアソトとは,こ・の 生産物を生産するの紅最小の支出しか必要としないバリアソトのことではなく て,支出の全般的最小限紅照応するバリアソトのことなのである。そして全般 的支出最小限に照応するのは,総最終生産物を生産するための支出の増加分が 最小であるような生産バ.リアソトであるとされる。ノポジロフほ,このような 支出を当該生産物についての国民経済的較差支出と名づけている。前述の論点 からも明らかなように,投資効果の最大限という問題は国民経済の同時的支出 の最小化を求める問題の1部である。 結局のところ,投資バリアソトの選択問題はあらゆる生産手段の最善の利周 という問題と切り離して解決することほできない。蓄積と投頗の最適(最大限 紅効率的な)バランスほ,あらゆる生産手段の最大限に.効率的なバランスと無 関係紅作成することはできない。最適投資バランスほ.,生産手段の最適バラン ス体系の1部分としてのみ作成しうるのである。投資だけでほなく他の多くの

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香川大学経済学部 研究年報 4 ー・94− J96尋 生産手段もまた還的に.限られるかぎり,労働節約の原理ほ,投資だけではな く,−・般粧すべての限られた生産手段の最大限に.効率的な利用を要求する。し たがって,総投資効果の最大限でほなく,投資と限られた生産手段の利用に・よ ってえられる総効果の最大限を探究しなければならない。いいかえ.ると,あら ゆる生産手段の最も効率的な利用といういっそう−・般的な問題と切り離して提 起したり,解決したりできるような特殊な投資効率問題というようなものほ存 在しないのである。ノポジロフに.よる問題の提起とその解決は,現在のところ 投資効率問題があらゆる生産手段の利用によって:えられる総効果の最大という 問題と切り離して提起されていることからして,この緒論はきわめて重要とい わなくでほならない。 前例紅帰って.再び具体的に.説明すること忙.しよう。さきの例における生産物 がすべて−の消鍵手段を包摂するとすれば,その生産に.おける蓄蔵長の各パリア ソトに」は,この投資の種々の生産部門間の配分に.ほ無数のパリアソトが照応し うるのである。もちろん,稜々の投資配分のバ.リアソトは同Ⅶ・の効率をもつも のでほない。所与の投資のもとでほあるバ.リアソトは多くの再生産支出を要求 し,他のものほ少ないといった状態にある。支出の全般的最小化を発見するた めには,投資配分の任意のバーリアントを選べばよいというのでほなく,所与の 投資のもとで最小限の支出を要求するようなバリアソトを選ぶべきである。こ れは所与の投資の総効果を最大限にするという課題の解決によって実現され る。この命題は,最終生産物の生産プログラムがC+励で示される支出を最 小化するように.建設対象間に.その投資を配分することに.よって実現される。投 資効率測定の公式に.おけるCは生産物の再生産に.要する労働支出,∬は投資, そしてγほ蓄積と投資の最適バランスに・おける投琴の標準効率指標をそれぞれ 意味している。 所与のプログラムのもとでは標準効率指標(7)は投資の限界軋依存する。 それゆえに.,前例に.おける各バリアソトはこの標準値に.照応する。バリアソト Ⅰではγ1≧Or・4,バリアントⅠⅠでほ0.4≧㌢・〇≧0.05,そしでバ.リアソトⅠⅠⅠではれ≧ 0.05である。前に・指摘したように.,労働の同時支出の比較ほ,蓄積が国展経済 に与えるものと国民経済からとりさるものとの比較を示す。これを記号を用い て説明すれば次のごとくなる。

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社会主義経済に.おける時間要素の問題 ー9β− (英一瓜)∂2/1>(彪一風)β (脆一品)∂3/2く(晶・一品)β 亀,戯,脆は各バリアソトの投資をあらわし・,βは与え.られた増加率,∂9/1 は第Ⅰバクアントに.たいする第2バリアソトの追加投資の効率を示す。 前式の括弧の申の差額はプラスであるから,次のような関係が導かれる。 ∂2/l>β>・∂8/2 (1) 追加投資の効率指標のあいだに労働の同時支出の最小限紅照応するような投資 バリアソトの標準効率(γうが含まれる。 ∂2/2>・タ>∂8/2 (2) 消費財の生産における投資バリアソトの数が多ければ多いはど,隣接せる投資 バ.リアソトの効率指標間の差は小さくなる。国民経済の投資バリアソト数が蒐 大であれば,隣接せる逐次的な支出の効率ほ.実際に服等しくなる。いま最適投 資バリアソトを∫であらわせほ, ∂g/タ_1=∂ざ+1/晋 (3) がえ.られる。そして(1)と(2)と(3)の各式より, γ・=β (4) が導かれる。すなわち,所与の巌と構成の全消費財への同時支出の最小限を保 証するような蓄積バ.リアソトの標準効率結標(グ)は生産の発展テンポ(β) 紅等しい。このように.して標準効率指標(㌢)を用いてなされる個々の生産物 の支出紅おける時間要素の計界は,βを用いてなされる全消費財への労働の同 時支出に.おける時間要素の計算と結びつけられる。結局のところ,グ・もβも総 消費財価値の最小化に役立てられる。つまり投資の標準効率指標(′)は種々 の用途間へ所与の蓄積を合理的に配分することに・よってその目的を達成し,ま た生産増加率(β)は最適蓄偏屈の発見に.よって同じ目的に役立てられる。要 するに.,タ・=βの均等は,所与の生産発展テンポのもとで労働生産性の最大限 を保証するような潜在的な蓄積を特徴づけること紅なる。しかしこの等式は, 所与の発展テンポが現実的なのかどうか,あるいはそれが可能なもののうち最 大なのかどうか,に.ついてはなにも教えない。 実現可能な発展チッポはバランス計算によって検討さるべきことは論をまた ない。もちろん,生産の発展テンポは物質的財貨の生産に・従事せる労働者の

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香川大学経済学部 研究年報 4 ∫ク∂−J ー・96−−・ 労働時間フォンド(長期における雇用労働時間数)と,長期に.おける・そ・の労働 生産性と紅合致しなくてほ.ならない。この可儲性を長期の展望計画に.おいて十 分に.利用するばあいに.は,最大限の−∵定不変な経済発展率がえられるであろ う。 いうまでもなく,そ・のばあいに.は等式γ悠=β肌α℃が現実の最適蓄積せ特徴づけ るこ.と紅なる。しかも投資の標準効率指標(7)ほその投資の許容される最小 限(∂仇£循)をあらわすから,現実に.行なわれる最適蓄積は次のごとくなる。 ∂仇g%烹β弼姻は (4(わ この等式のもつ意味ほ簡単明瞭である。つまり等式の左辺は,蓄積が最適利 用の状況紅あるばあい単位時間把国民経済に与える最小限の労働節約をあらわ す。また等式の右辺は,−・定不変の最大限の生産発展テンポのもとで蓄積が国 民経済からとりざるもの(剰余労働)を示している。この等式が導かれた最適 性の基準は.−・定の生産発展テンポを最大化することである。この基準はすで にソ同盟共産党第15回大会の決議に.明確な形で提起されている。それによる と,「発展テンポの問題においても,問題がきわめて複雑なことをやはり念頭 に・おく必要がある。このばあい紅は,近々.1年あるいは数年間の蓄積テンポの 最大化ではなく,最も急速な発展テンポを長期払わたって保証するような国民 経済諸要素の相互関係を基調とすべきである」1りとされている。 等式(4めは社会主義的拡大再生産の数学的=経済的モデルの1部分であ る。しかしそれは時間要素の計界のためのみの意義をもつのではない。この等 式は長期の最適計画の形式的特性を示すと同時に.,民主集中制のもとでの最適 件の特性,すなわち社会主義経済の発展払おける最適性を特徴づける。等式(4) と(4α)は,生産発展の最も蚕要な二つの要因一労働者数の増加と労働生産 性の増大−の任意の結合のもとでも妥当する。ただそれらの等式は,技術の 進歩が生産の労働も投資も均等紅減少することを仮定する。その結果,社会的 な平均生産期間は変化しない。国民所得の−・定不変の発展テ・ンポと,国民所得 の蓄積と消費への−・定の分割はこの不変性によって与えられる。もし技術進歩 がこのような生産方法をいっそう発展させ,労働生産性のいっそうの増大が社 10)ノポジロフ論文,201ぺ−ジ。

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社会主義経済における時間要素の問題 − 97 一− 会的な生産期間の延長と結びつくならば,労働の同時支出の低下には障害があ らわれ,その克服ほ容易でない課題となる。その障害とはな紅か,次にはこの 問題を検討しよう。 ⅤⅠ 以上払おいてわれわれは均等成長のもとでの労働の同時支出を検討したが, そのときに.は蓄積がフォンドからえられる労働の節約に対立するこ.とが明らか となった。もっともこのことほ,再生産されるフォンドが技術的には現存のも のと同一・でなくてはならない,ということを意味しない。新しいフヵ・ソドは古 いものよりも効率的でなければならない。これは生産発展の基礎のひとつであ る。しかし投資の標準効率指標ほ変化してほならない。このような発展テンポ の叫定不変という条件は等式4)と(4α)とから直接生ずる。しかしこれらの等 式は.,発展テンポの上昇を約束するような技術への国民経済の移行条件を考慮 しないが,平均的な生産期問の増大という犠牲によってそれをみようとする。 この条件ほ例外でほない。経済のいっそうの発展過程でほ平均的な生産期間の 増大という時期がありうる。こ甲ような時期は,労働の同時支出の山時的な増 大という障害を通過することに.よってのみ,つまり新しい技術の収益率の相対 的な低 ̄ ̄F一に.よってのみ,新しい経済水準をもたらす。 次にほノポジロフの肇純なモデルによってこの障害を検討しよう。いま古い 用具に.よる年々の消費財の生産に.要する労働支出をCcで示し,また新しい用 具に.よるそれをCガで示し,この生産物を古い周具で生産するための投資を晶 とし,新しい用具でのそれを助であらわすことにする。 これと同時に,

駄>亀,Gr<Cc

の条件を仮定する。したがってこ.の両者より,

>一

となる。=㌻(首相産と流通の平均期間)であるから,前式は, 才ガ>わ となる。ここで古い技術装備のもとでの生産の発展テンポをβ♂であらわすこ

参照

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