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香川県東讃地域におけるニホンザル野生群の分布と遊動様式-香川大学学術情報リポジトリ

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香川生物(Kagawa Seibutsu)(19):113−124,1992. 香川県東讃地域における ニホンザル野生群の分布と遊動様式 中 川 盛 智 〒76ト01木田郡牟礼町牟礼1583番地1香川県立高松北高等学校

DistributionandNomadicpatternOfwildtroopofJapanesemonkey

(Macacafuscata)intheeasternKagawaPrefecture,Japan ShigetomoNAKAGAWA,7bhamatsu−KitaHighSchool, 〟弘re−C/10,gi£αかよsとr£cと76ノー以,Jαpα花 本報では,屋久島以外の非積雪地域に該当す る,上記の地域に生息するニホンザル野生群の 分布と遊動様式について明らかにし,隣接する 群れと群れの関係について述べたい。 調査地域と調査方法 予備調査として,1990年2月∼3月に聞き込 み調査を実施し,調査地域を設定した。 調査地域は,香川県大川郡の長尾町大多和・ 譲渡・釆栖・星越,寒川町小倉・門人,大川町 南川・大樅・八幡,そして1白鳥町日下・鈴竹 ・大楢・長野である(図1)。東西方向に約7 km,南北方向に約5km,面積約30k血2で,女体山 (763m)・東女体山(673m)・檀特山(630m)

などの山麓にあたり,標高ほ150∼500mであ

る。比較的なだらかな山地で,傾斜はそれほど きつくない。調査地域の西の端にほ県道3号線 (県道志度・山中線)が,東の端にほ県道2号 線(県道津田・川島線)が南北に通っており, 調査地域内の群れと調査地域外の群れほ,この 交通量の多い2本の県道により分断されている。 この調査地域内に生息するニホンザル野生群 について,1990年4月から1991年1月にかけて アンケ1−ト調査を行った。アンケ・−ト用紙を毎 月,調査地域内の77軒の家に配布し,サルが出 現した日時・場所・頭数・行動忙ついて記入を は じ め に ニホソザル(凡才αCαCαルscα£αBLYTH)ほ,北 限の青森県下北半島から,南限の鹿児島県屋久 島まで,広い範囲に生息している。しかし,19 23(大正12)年以後のニホンザルの分布に関す る調査結果をまとめた上原∴小金沢(1976)ほ, 分布域が分断縮小化していることを指摘し,そ の原因として,森林伐採による生息環境の破壊 や,狩猟圧などを挙げている。 ニホソザルは本来,いぐつかの群れが,互い の遊動域の端を重ねあいながら,連続的に分布 していたと考えられる(丸橋ほか,1986)。し かし,現在,その分布様式に.地域によって違い が見られる事を指摘した伊沢(1984)は,ニホ ンザルの種の分布を,屋久島と,屋久島以外の 非積雪地域と,積雪地域という3つに大別しえ るのでほないかとして−いる。屋久島以外の非積 雪地域にほ,高崎山や幸島など,餌付けされた 群れが研究されているフイ・−・ルドは多い。しか し,餌付けの影響を受けていない群れの調査例 ほ極めて少ない。 金子(1986)は,香川県東讃地域の大川町南 川,長尾町前山,白鳥町五名など,県道2号線 と県道3号線の問にあたる−・帯に,ニホンザル が分布することを明らかにしている。 −113−

(2)

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(4)

を求めた。アソケ1−ト回答者の家の分布を,図 1に示す。このアンケ、−ト調査によって得られ た,群れの出現確認地点の連続的な移り変わり から,群れの数,および,それぞれの群れの遊 動様式を推定した。

結果と考察

1.調査地域内の群れの数について 全調査期間のうち,1日に最も多くの場所で 群れの出現が確認されたのは,1990年5月2日 ・7日・11日と,8月19日・27日で,それぞれ 5地点であった。これらの日の群れの出現確認

地点を,図2に示す。5月2日はAMll時以前,

5月7日ほ正午からPM4時,5月11日ほPM

2時以降,8月19日はPM3時∼PM6時,8 月27日ほAMlO時∼正午のデータである。5カ 所問の距離の最も小さかった値を拾いだしてみ

ると,5月2日(AMll時まで)が2.Okm,5

月7日(正午∼PM4時)が2.Okm,5月11日

(PM2時以降)が1.5km,8月19日(PM3

時∼6時)が1.5km,8月27日(AMlO時∼正

午)が2.1kmである。 こホンザルの日周活動サイクルについて調査 した四元(1977)によると,最も活動の盛んな

初秋期で,AMll暗までの移動量の最大値は

1.4km,正午からPM4時では1.9km,PM2

時以降でほ1.2km,PM3時からPM6時では

0.8km,AMlO暗から正午では0.6kmである。

したがって,今回得られた債のいずれもが,四 元のデータで得られた最大移動量を上回る。つ まり,この5カ所の間の距離は,群れの移動速 度でほ移動しきれない距離であり,5カ所の群 れ出現ほそれぞれ別の群れの出現を示している ものと考えられる。 以上の尊から,この地域に生息する群れの数 ほ5群であるといえる。この5群を,それぞれ の主な出現地域の地名をとって,①大多和群, ②南川群,⑨大樅群,④鈴竹群,⑤大楢群と命 名する。 なお,各群れの個体数について,アンケ1−ト と聞き込みを行った結果を,蓑1に示す。 中川が1989年3月から1990年1月にかけて行 蓑1..群れ個体数についてのアンケ・−・トと 聞き込みの結果.点線より上ほ1991 年の,下ほ1990年のデー・タ. 群 れ 平均的な回答 最多個体数 大多和 南 川 20∼30頭 約50頭 15∼20頭 約40頭 約10頭 約30頭 約30頭 約50頚 10∼15頭 約30頭 樅竹楢 大多和(1990) 20∼30頭 40∼50頭 った,大多和群の個体数調査によると,直接観 察による群れ個体数が約44頭であったのに対し て,アンケ・−ト回答老が示した頭数は,20∼30 頭くuらいというのが平均的であった。また,最 も個体数が多かった回答ほ,40∼50頭であった。 これらの尊から,群わの実際の個体数ほ,アン ケ一卜回答者が示した平均的な回答の1.5∼2 倍,最多個体数にだいたい−ト致すると思われる。 したがって,表1に示した結果から,大多和 群は50頚前後,南ノけ群ほ40頭前後,大横群は30 頭前後,鈴竹群は50頭前後,大楢群ほ.30頭前後 であると考えられよう。 2.各群れの遊動域の季節変化について 各群れの出現確認地点の移り変わりから,そ れぞれの群れの遊動域を推定する。群れの遊動 にほ季節変化が見られるので,4・5月を春, 7・8月を夏,9・10月を秋,12・1月を∵冬と して,季節ごとに遊動域をまとめる。 2−1)春の各群れの遊動

春(1990年4月1日∼5月31日の61日間)に

おける,5つの群れの合計出現確認回数は,4 月が糾回,5月が136回であった。各群れの出 現確認地点をプロットし,出現日時と移動スピ −ドを考慮して−各点を結ぶ事により,春の各群 れの遊動の仕方を推定したのが,図3である。 ① 大多和群の遊動 大多和と譲渡への出現が多く,この周辺を中 心に.遊動していると思われる。この時期の主要

(5)

川西 南 東 Pl 中 B一 西 日■ 倉 小 速 星 相 乗 波 諒 解和′ 南川 南川 大佐 大様 中 東 西 東 下北 ︻□ 楯 ﹁\

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図3“春の群れの遊動/くタ・−・ソ

. 縦軸は時間(日),横軸は調査地区である..・ほ出現確認地点.出現日時と移動スピ

−ドを考慮して各点を結び,遊動/くク1−ソを描いた. な食物であるタケノコの分布地域が,この辺り に集中しており,食物分布と出現地域の対応が 見られる。釆栖に.もやってきてはいるが,わず か3回であった。 ② 南川群の遊動 門入西部から南川中部にかけてを中心に出現 しており,活発に遊動しているようである。大 多和周辺と違って竹林が広い地域に散在してい ることが,群れに活発な遊動を行わせたと考え られる。 1990年2月から3月に行った聞き込み調査で, 次のような情報が得られている。1986年頃甘で, 小倉から門入の間の・ンイタケ栽培所に,群れが よく出現していた。しかし,その後,1990年の 2月まで群れは出現していなかった。ところが, 同年5月以降の群れの出現が,同年12月に行っ た聞き込み調査で明らかになった。ここへの群 れ出現ほ,小倉への南川群の遊動を示すと思わ れる。5月23日の小倉への群れ出現は,大多和 群が譲渡に出現していることから,南川群であ ろうと思われる。 したがって,南川群は小倉に1回,大樅西部 に3回出現していると考えられ,遊動域はかな り広いといえ.よう。 ④ 大樅群の遊動 大株東部から八幡にかけて出現することが多 い。特に竹林の豊富な大株東部には,ほとんど 毎日のように出現している。大樅西部への出現 は6回にすぎず,南川群がよく出現する南川中 部から大樅西部の谷にほ,あまり現われていな いといえる。 ④ 鈴竹群の遊動 −117−

(6)

① 大多和群の遊動 譲渡や来栖への出現もかなりあるが,出現が 多いのほ大多和である。小倉や星越にも出現し ており,遊動域ほ春に比べて広がっていると思 われる。 なお,8月16日以降,群れは分裂していると 考えられる。その根拠は,1989年の大多和群の 調査(中川,1991)に詳しいので,ここでは省 略する。1989年の調査での群れの分裂ほ,8月 2∼13日の間に起こっていた。8月に.は群れの 分裂を起こす何らかの要因が存在する可能性が ある。 ② 南川群の遊動 南川東部から小倉にかけて出現しており,春 よりも広■く遊動しているようである。しかし, 日下北部から鈴竹中部に出現している。かな り頻繁に出現地点を変え.ながら,遊動している ようである。これは,この周辺に竹林が広く散 在しているためであろう。 (′中 大楢群の遊動 大楢から長野にかけて出現することが多い。 特に長野の竹林にほ,ずっと出現していた。5 月に入ってからは,鈴竹西部にも数回出現して いる。 2−2)夏の各群れの遊動 夏(1990年7月1日/・h−8月31日の62日間)に おける,5つの群れの合計出現確認回数ほ,7

月が107回,8月が125回であった。囲3と同

様にして夏の各群れの遊動の仕■方を推定したの が,図4である。 大多 読 来 星 小 門入 門入 門入 南川 南川 南川 大拡 大樅 八 日下 日下 鈴竹 幹竹 鈴竹 大 長

和 波 栖 越 倉 西 中 東 西 中 東 西 東 幡 北 南 真 申 西 枯 野

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。モ、 ●● ● / ■ ・ フ・ 鈴竹顔 ./ ● 1 :=フ● ●q===: l 南川群 ー 「㌔・ニ 多和群 図4夏の群れの遊動/くタ・−ソ. 縦軸は時間(日),横軸は調査地区である.・は出現確認地点.出現日時と移動スピ ・−ドを考慮して各点を結び,遊動/くタ・−ソを措いた.

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220回,夏に232回と微増に過ぎなかった事を 考えると,鈴竹群の夏の出現確認回数の増加は 顕著である。ところが,出現確認回数の増加が 見られるのに,他の群れに見られるような遊動 域の拡大は見られない。この原因については, 3で考察する。 @ 大楢群の遊動 鈴竹西部から長野にかけてを中心に出現して いる。鈴竹中部や鈴竹東部にも出現が見られ, 春に比べて,遊動域が拡大していると考えられ る。 2−3)秋の各群れの遊動 秋(1990年9月1日∼10月31日の61日間)に おける,5つの群れの合計出現確認回数は,9 月が99回,10月が41回であった。図3と同様に して秋の各群れの遊動の仕方を推定したのが, 囲5である。 南川 大樅 大碇 八 ≡下 日下 鈴竹 鈴竹 鈴竹 大 長 東 西 寮 幡 北 南 東 中 西 枯 野 春のような,門入と南川を何度も往復するよう な遊動でほない。7月上旬ほ南川,7月中旬か ら下旬は門入,8月上旬は小倉,8月中旬ほ南 川,8月下旬は門入というように,出現した地 点に何日かとどまってから,次の出現地点に.遊 動している。 ⑨ 大株群の遊動 春によく出現していた大枚東部から八幡にか けてに加えて,大樅西部にも頻繁に出現してい る。南川中部にまで下がってくることも2回確 認されており,春に比べて1遊動面積が著しく 増加していると思われる。 倭)鈴竹群の遊動 春と同様に,日下北部から鈴竹中部ま‘で,ほ ぼ均等に出現している。しかし,出現確認回数 は,春に比べて2倍近くに増えている。ちなみ に,5つの群れの合計出現確認回数が,春に., 大多 読 来 星 小 門入 門入 門入 南川 南川 和 汝 栖 越 舎 西 中 東 西 ヰ 小亡=::::ニ____. ノー/ \

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三.

● ● フ −、一 二・ 大樅詳 鈴什群 図5,秋の群れの遊動/くタ・−ソ. 縦軸は時間(日),横軸は調査地区である.・は出現確認地点.出現日時と移動スピ −ドを考慮して各点を結び,遊動/ミグ・−ソを描いた. ー119−

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① 大多和群の遊動 9月ほ,譲渡や釆栖にも出現しているが,夏 と同様,大多和によく出現している。しかし, 10月になると,釆栖周辺を中心に出現するよう になる。食物分布を見ると,9月にほ大多和に クリの分布が集中していた。しかし,10月に.入 ると,大多和のクリが食べ尽くされたのに対t て,釆栖周辺にほクリがまだ残っていた。つま り,春と同様に秋でも,食物分布地域と群れの 出現地域の対応が見られるといえる。 ② 南川群の遊動 9月の初めに.南川中部と大株西部に出現した はかほ,門入西部から南川西部にかけて出現し ている。特に10月に.は,門入周辺にしか現われ ておらず,春や夏に比べて遊動域縮小の傾向が 読み取れる。 (多 大樅群の遊動 大樅西部から八幡にかけて出現している。特 に大株東部にほよく出現しており,春と非常に よく似た遊道の仕■方であるといえる。しかし, 大枚西部∼八幡間を−甘で遊動したのが,春に は1回だけであったのに対して,秋に.ほ3回見 られる。秋のはうが,−・日の移動量が多いので ほないかと考えられる。 ④ 鈴竹群の遊動 日下周辺を中心に出現している。鈴竹束部や 鈴竹中部にも出現しているが,それぞれ2回, 3回の出現でしかない。遊動域ほ春や夏と変わ っていないが,よく利用する地域ほ北に偏った と考えられる。 @ 大楢群の遊動 大梢から長野にかけて出現することが多い。 川中 南 馴西 東 P 中 P 入西 門 倉 進 塁 相 乗 波 譲 多和 大 ﹂ .

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南川群 ■.・/ ● ■l■■一■一一一・■・■一一一 大佐群 給付群 大層群 図6冬の群れの遊動バク・−・ソ. 縦軸は時間(日),横軸ほ調査地区である.・は出現確認地点.出現日時と移動スピ −・ドを考慮して各点を結び,遊動/モク・−ソを措いた

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季節によっても違うが,5つの群れは遊動域 を重ねるようにして分布している。特に,それ ぞれの群れの遊動域が大きくなる夏には,遊動 域の重なりも多くなっている。このような群れ の分布様式は,屋久島など他地域の野生群も同 様である(丸橋ほか,1986;水野,1984)。 また,図7の推定遊動域から求めた,各群れ の遊動面積を表2に示す。1年を通した5つの 群れの合計遊動面積ほ,およそ21km2と計算さわ る。この値から,群れ生息密度は約0.2/km2, 個体生息密度ほ.約9.2頭/km2となる。志賀高原 の群れでほ0仙1群/km2,3.8頭/km2(高畑,19 85)であり,屋久島の0小33∼1群/km2,約33 頭/kⅡ戸(丸橋はか,1986)はどでほないにして も,この地域のサルの生息密度ほ,かなり高い といえよう。

Wada&Ichiki(1980)ほ,志賀高原の群れ

の調査で,冬にほ遊動域が縮小し,食物の欠乏 に対して活動の低下により適応してこいるようだ と述べている。四元(1977)も,千葉県高宕山 地区の群れの調査で,冬期の群れの活動の低下 を報告し,食物の量の乏しさとの関係を示唆し ている。1989年4月∼1990年1月の大多和群の 調査でも,冬の遊動域の縮小が確認されている (中川,1991)。ところが今回の調査でほ,2 −4で述べたように.,4つの群れで冬の遊動域 の縮小ほ見られず,むしろ秋に,遊動域の縮小 が認められた(表2)。この原因として考えら れるのは,秋から冬にかけての暖かさである。 高松での最低気温は,1月になるまで氷点下に

表2各群れの遊動面積

(単位ほkm2) 鈴竹西部にも3回出現している。春の遊動の仕 方に似た遊動を行っているといえよう。

2−4)冬の各群れの遊動

冬(1990年12月1日′・・一1991年1月31日の62日 間)における,5つの群れの合計出現確認回数 は,12月が70回,1月が99回であった。園3と 同様にして秋の各群れの遊動の仕方を推定した のが,図6である。 ① 大多和群の遊動 大多和から釆栖にかけて出現することが多い が,小倉にも出現している。ダイコソやシイタ ケが,多くの調査地点で被害に・あっている。

1989年∼1990年の冬に行われた大多和群の調

査では,遊動域は他の季節に比べて減少してい た(中川,1991)。ところが,今回の調査では, 他の季節に比べて遊動域が縮小しているとは言 えない。 (参 南川群の遊動 門人西部から南川東部にかけて−出現が見られ る。門人周辺と南川周辺を交互に遊動している と思われるが,門入周辺の出現のほうがほるか に多い。この群れでは,秋の運動面積とそれほ ど変わっていないようである。 ④ 大株群の遊動 南川中部から大樅東部にかけてを中心に,出 現Lている。これまで多く出現していた八幡に は,2回の出現しかなく,群れの遊動域ほ南川 のほうに.移動したと考えられる。 ④ 鈴竹群の遊動 日下北部から鈴竹中部に出現しており,遊動 域ははかの季節と変わらないようである。しか し,日下周辺を遊動する時期と,鈴竹周辺を遊 動する時期が交互に存在するという特徴が見ら れる。 (封 大楢群の遊動 大楢から長野への出現が多い。鈴竹中部や鈴 竹西部にも出現している。遊動域は,他の季節 とあまり変わっていないと考えられる。 2−5)一年を通した各群れの遊通 それぞれの群れの推定遊動域を,季節別に示 す(図7)。 群 れ 春 夏 秋 冬 通年

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大多和 南 川 大 樅 鈴 竹 大 楢 3 6 6 7 1 3 3 2 一・L 3 7 8 ハ0 6 1 2 3 1⊥ 1⊥ 2 5 7 9 7 9 4 ﹁〇 ∩ム l⊥ 9ひ 7 4 8 7 0 1︺ 5 1︺ 1⊥ 2 1年を通した5群の合計遊動面積 ー121−

(10)

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(11)

ならず,12月の月平均気温も,観測史上最高で あった。秋の暖かさは,山の木の実を豊富に実 らせ,その結果,群れの人望への出現数を低下 させたと思われる。そして,豊富な木の実は, あまり遊動しなくても食物が確保できるという 状況を作り出したのではないだろうか。その後, 冬になって,数多く残った木の実をめく“って, 群れほ積極的に遊動を行ったと思われる。 3.隣接群が及ぼす遊動への影響について 遊動には,各季節の食物の分布が影響してい る。タケノコやクリの分布の影響ほ,前述のと おりである。とりわけ,隣接群との距離がやや 離れて−いる大多和群では,遊動域ほ各季節にお ける食物の種頬とその分布によって,−・義的に 決定されているといえ.る(中川,1991)。しか し,遊動に.影響しているのほ食物分布だけでは ない。南川群と大樅群,鈴竹群と大楢群のよう に,隣接群と遊動域を重ねていることが多い群 れでほ,その遊動の仕方にも,隣接群の影響が 見られる。以下に,その事例を挙げる。 <南川群と大概群の遊動.> 春には,南川群ほ門入から大樅西部まで広く 遊動しており,大槻群ほ大株東部から八幡にか けてを中心に遊動している(図3)。しかし, 7月3日から南川群が門人周辺を遊動すると, 大樅群は7月4日以降,南川群が遊動していた 大樅西部や南川中部を遊動するようになった (図4)。その後,8月13日に南川群が南川に 戻ってくると,8月18日以降,大株群は八幡に 遊動域を移した。 12月中には,25日まで南川群ほ門入周辺を遊 動している(図6)。その頃大樅群は,大槻西 部から南川中部を中心に遊動している。12月27 日から,南川群が南川中部に出現するようにな ると,大株群は大樅西部から大株東部へと遊動 域を移している。1月に入って,南川群が再び 門入中心に遊動すると,大株群ほ南川中部に出 現し,南川群が南川に戻ってくるとともに,大 株東部へと遊動域を戻している。 以上のように,2つの群れは,南川に交互に 出現している。しかし,その遊動様式には遣い が見られる。南川群は門入と南川間を比較的自 由に遊動しているが,大株群は南川群を避ける ように遊動しており,これは,群れ間に優劣関 係が存在する可能性を示していると思われる。 なお,大樅群に南川群が近づいていったと考え られる8月18日と12月27日ごろには,2つの群 れが出会っている可能性がある。 く鈴竹群と大楢群の遊動> 8月7日の昼前,それまで鈴竹周辺を遊動し ていた鈴竹群が日下北部に出現し,以降21日ま で日下周辺で遊動を続けた(図4)。大楢群は, 8月7日以前ほ大楢周辺を遊動していたが,7 日の午後4時に鈴竹中部に出現している。以降 大楢群は,12日まで鈴竹周辺で遊動を行い,15 日からは長野∼大楢周辺を遊動した。15日以降, 群れが出現しなくなった鈴竹周辺に.は,21日か ら鈴竹群が遊動するようになった。 11月末から12月にかけての鈴竹群の遊動地域 は,日下周辺である(図6)。この間,大楢群 ほ,鈴竹西部∼大楢∼長野を中心に遊動して−い るが,12月1日にほ鈴竹中部にも出現している。 その後,鈴竹中部にはいずれの群れも出現せ ず,12月29日になって鈴竹群が出現している。 以上のように,この2群も鈴竹中部地域に交 互に出現している。しかし,この2群の遊動の 特徴ほ,どちらも遊動の中心は鈴竹中部以外 で,鈴竹中部に出現するのほ他の群れがいない 時に限られる,つまりお互いが避けあうように 遊動して−いるということである。ただ,8月7 日は,2つの群れが鈴竹中部で出会った可能性 もある。 大株群と南川群は南川で,鈴竹群と大楢群ほ 鈴竹中部で,互いの遊動域を重ねあっている。 しかし,上でみ/たように,2つの群れが出会う 機会は比較的少ないと思われ,むしろ群れ問の 接触を避けるように行動する傾向が認められ る。伊沢(1982)は,群れの近接はほとんどな く,各群れが隣接群の存在とその行動域とを認 め,互いに無用な摩擦を避けあおうとする傾向 があるとしている。また,大樅群が南川群を避 けて遊動している傾向ほ,屋久島の群れについ て丸橋(1989)が指摘した,群れ問順位の存在 を示唆していると思われる。 −123−

(12)

と大楢群のように,隣接群と遊動域が重なる ことが多い群れでほ,隣接群の遊動が群れの 遊動に影響して.−いる。南川群と大柿群でほ, 大樅群が南川群を避けるように遊動し,鈴竹 群と大楢群では,お互いが避けあうように遊 動する傾向がみ.られた。これらは,群れが互 いに避けあって遊動しようとする−L般的傾向 と,群れ間順位.の存在を示唆していると思わ れる。 謝 辞 この論文をまとめるにあたり,香川大学教育 学部生物学教室植松辰実数授ほ,アングー小作 成時などに.ご協力を頂き,また論文内容につい てご忠告を下さった。また,大多和・永山虎男 さん,南川・樫原実夫さん,五名・村上幸雄さ んほか,地元のたくさんの人達の調査協力を得 た。これらの方々に㌧厚く感謝の意を表したい。 引 用 文 献 伊沢紘生.1982.ニホンザルの生態.どうぶつ社. 金子之史.1986.香川県東讃地域の哺乳類の分 布小 香川県自然環境保全指標策定調査研究報 告書(香川県東讃地域):157−158. 丸橋殊樹・山極寿−・・古市剛史・1986.屋久島 の野生ニホンザル.東海大学出版会. 丸橋珠樹.1989.ヤクザル群れの歴史.どうぶ つと動物園,41(2):12−19.. 水野昭憲.1984.石川県のニホンザル分布.石 川県白山自然保護セソタ・−・研究報告,10:87 −98. 中川盛智.1991..女体山北部におけるニホソザ ル野生群の遊動様式.香川生物,(18):1−10.. 高畑由起克.1985.ニホンザルの生態と観察. ニュ1−サイエンス社. 上原重男・小金沢正昭.1976.ニホンザルの分 布の歴史的変遷.科学,46:737−744. Wada,K、andIchiki,Y.1980:SeasonalHome

RangeUsebyJapaneseMonkeysintheSnowy

ShigaHeights.Primates,21(4):468−483. 四元伸子.1977.ニホンザル野生群の日周活動 サイクル.人煩学講座,12:31−54. 2−2−④で示したように,夏の鈴竹群の出 現ほ大変多かった。しかし,夏の鈴竹群の遊動 域ほ,拡大しなかった。これは,上述のように, 他の群わを避けようとする傾向が強かったため であると考えられる。北の大株群,南の大楢群 の遊動域拡大により,行き場のなくなった鈴竹 群ほ,春と同じく小らいの狭い遊動域内の畑に多く 出現するようになったのであろうと考えられる。 今後,直接観察に.よる群間関係の調査が,こ の地域の群れで行われ,明らかに.されることを 期待したい。 摘 要 香川県東讃地域に出現するニホンザル野生群 について,アンケ−ト調査により,その分布地 域と遊動様式を明らかにする。1990年4月から 1991年1月にかけて,調査地域内の77軒の家に 毎月■アンケ・−トを配布した.。アンケ・一トをまと めた結果,以下のような知見が得られた。

1)5月2日・7日・11日,8月19日・27日に

ほ,5カ所で群れの出現が確認された。この 5カ所問は,ニホンザルの遊動スピードから 考えると十分離れており,調査地域内にほ5 つの野生群が存在するといえる。それぞれの 群れを,①大多和群(50頭前後),②南川群 (40頭前後),⑨大株群(30頭前後),④鈴 竹群(50頭前後),⑤大楢群(30頭前後)と 命名する。 2)5つの群れほ,互いの遊動域を重ねるよう に.して分布している。1年を通した5つの群 れの合計遊動面積が約21k血2より,群れ生息密 度ほ約0.2群/血2となる。 3)季節別に遊動域を見ると,夏の遊動域の拡 大は他地域の群れと同様である。しかし,冬 の遊動域の縮小は見られなかった。これは, 秋から冬にかけての暖かさで山の木の実など の発育がよかったためであろう。温暖な気候 の香川でほ,その年の気温忙よっては,活動 量の低下によって食物の減少に対応する必要 はないと思われる。 4)群れの遊動に影響を与え.るのは,食物の分 布である。しかし,南川群と大株群,鈴竹群

参照

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