司会 定刻になりましたので,今日は香川大学法学会講演会として「原子力法制の過 去・現在・未来」という演題で,國學院大学の川合敏樹先生と福島大学の清水晶紀先生 からご講演をしていただきます。まず最初に法学部の山本学部長からご挨拶ということ になります。 山本 こんにちは。まずは遠い所からお越しいただいた清水先生,川合先生,講師のお 二人の先生に心より感謝申し上げたいと思います。今日はよろしくお願いいたします。 原子力法制ということで四国に住む私たちにとっても非常に重要な問題で,伊方原発と いうものがありますけども,四国の場合南海トラフの地震が 年以内に %,あるい は %の確率で起こるともいわれています。また伊方原発の立地の場所というのも活 断層の近くにあるということで,そういう事実を踏まえて,それがどのような法制度の もとで成り立っているのかということを今日はみなさんと私も一緒に勉強させていただ きたいと思っております。本日はよろしくお願いいたします。 司会 では早速,まず最初に川合敏樹先生にご講演をしていただきます。 川合 ★はじめに★ みなさんこんにちは。今ご紹介にあずかりました國學院大学の川 合と申します。私からは,原発の安全規制に関する法制度とその運用とその在り方につ いて,もう少し具体的に言うと,原発の再稼働と将来的な脱原発をにらみつつ,原発の
原子力法制の過去・現在・未来
川
合
敏
樹
清
水
晶
紀
耐震安全性の確保という課題について,特にバックチェックおよびバックフィットの在 り方に関する話をしたいと思います。大体 分から 分,私の方からお話をさせてい ただきます。このように,私からは,原発に対する規制をどのようにするべきなのか, あるいは今までどうしてきて今後はどうあるべきなのかというような話をしたいと思い ますが,私の報告の後に清水先生の方から原子力をめぐる災害対策についてお話がある と思いますので,ぜひ二つセットで興味をもって聞いてもらえたらと思います。 では,さっそく私から話をしていきたいと思います。先ほどあいさつの中にもあった ように,南海トラフ地震というお話がありましたが,これから私がお話しする内容は, 耐震安全性の問題について原発がどのような安全措置を講ずるべきなのか,そのために どういう法制度があるべきなのかという話になります。 まず,東日本大震災の前後における原発の問題の概要について,見てみましょう。東 日本大震災があって,特に福島原発事故があってから,特に脱原発をするべきだという ような意見が脚光を浴びたわけですが,もちろんそれまでにも脱原発の議論というのは たくさんあったわけです。ただ実際には,日本の電力というのは,原発に大きく依存し ていたという現状があります。東日本大震災の前においては日本の全発電量のうち約 割を原発でまかなっていたということになります。今現在原発をすべて停止するという ということになって,あるいは近い将来脱原発をするとなると,この 割分を他の再生 可能エネルギーとか,あるいは火力とかその他もろもろの発電によってまかなわざるを 得ないということになります。このような状況があるわけですが,ただ今後脱原発が本 当に図られるのかというと,すでに皆さんご存知の通り,いくつかの原発の再稼働に向 けた動きが出てきていて,再稼働が目前に迫っているという状況もあるわけです。そう すると,仮に近い将来,原発を使って電力を作るということをやめるにしても,しかし 実際に脱原発がなされるまで首尾よく原発の安全性を確保するという必要性が必ず出て くるわけです。これからする私の話は,脱原発まで原発が運転されるということをとり あえず前提としたうえで,それではその運転される原発についてどのように安全性を確 保する措置を取ったらいいのかということ,それが過去どういうように行われてきて, どういう問題があったのかということを話したいと思います。 ★原発の耐震安全性のバックチェックについて★ 原発の耐震安全性はどのように 「確保」されてきたか。確保されてなかったから,東日本大震災において福島原発事故 のようなことが起こったと考えられるわけですが,あのような大きな事故が起きる前 は,小さな事故というのがいくつかありましたが,日本の原発の耐震安全性の確保とい うのは,それなりにうまく回っていたという面が一応あるわけです。そこは完全には否 定できないということになります。それでは原発の耐震安全性がどのように確保されて
きたのかというと,バックチェックという手法が取り入れられてきました。今新聞とか ニュースを見ていると,バックフィットという言葉が出てきますが,そのバックフィッ トとはちょっと違う言葉になります。 バックフィットという言葉はまた後で出てきます。このバックチェックというのは, 何か技術基準とか原発が確保すべき耐震安全性のレベルが改訂されたという場合とかか わります。なぜこれらが改訂されるのかといえば,科学的な知見がどんどん積み重ねら れてきて,最新の科学的な知見を反映したうえで原発を設置・運転しなさいということ で,今まであった技術基準とか指針類が改訂されることになります。そうすると,今ま で存在していた技術基準とか指針類に適合するという形で原発が設置,運転されてきた けれども,原発が設置・運転されてきて月日がたって,ある日技術基準とか指針類が改 訂されたとなると,それまで妥当していた技術基準とか指針類に基づいて設置・運転さ れてきた原発に対して,新しい技術基準だとか新しい指針類の内容をその既存の原発に 反映させるべきなのかどうかという問題が出てきます。 例えば,事業者の方からしたら,極論すると,今まで自分たちが原子炉の設置・運転 の許可を得た時に妥当していた基準を満たしているのだから,そのあと改訂された技術 基準に適合させる必要なんかないじゃないか,というかもしれない。しかし,他方で, 原発のように非常に大きなリスクを持っている施設には,やはりその都度科学的な知見
を反映したうえで安全に運転されるべきなんだ,という考え方もあるかもしれない。そ こで技術基準とか指針類が科学的な知見の蓄積などによって改訂されたという場合に, その改訂後の内容をどのようにしてもともとあった原発に反映させるのかということが 問題になって,そのための手法がバックチェックという手法なのです。 バックチェックというのは,指針類とか技術基準が改められたという場合に,改めら れた技術基準に適合するように原発の安全確保措置を取りなさいと行政機関が命令を出 すのではなく,まず事業者,例えば東京電力とか四国電力とかに対して,運転中の原発 が新しい基準に適合するのかどうか,事業者自身でまずチェックをしなさい,と指導し ます。事業者自身がチェックを行って,チェックを行った結果の報告を,当時の原子力 安全・保安院に提出します。そして,原子力安全・保安院やさらに原子力安全委員会の ほうでそれを確認・検討する。そのようにして事業者自身で安全性の確保の措置につい てチェックをして,それを事後的に行政が確認・検討・指導をしていく,という形で原 発の耐震安全性の確保がなされてきました。 東日本大震災の前の状況でいうと,例えば, 年にある耐震に関する指針が改訂 されています。それが当時の原子力安全委員会が作った「発電用原子炉に関する耐震設 計検査指針について」というものです。これはもともと 年に作られていて,その 後 年に改訂されて,それから 年の間をあけて 年に改訂されました。当然 年も経っていると,地震学とか地震工学とか地質学とか,いろいろな科学的な進展 があるわけです。その科学的な進展を盛り込んで 年にこの指針が改訂されたとい うことになります。そして,この 年に改訂された耐震指針について,それまで存 在していた原発が適合するのかどうかというのを審査する際には,今述べたバック チェックという手法がとられたわけです。 例えば,東京電力の福島第一原発の三号機について,S クラスの設備(原子炉格納容 器,非常用炉心冷却系など)をはじめとする諸々の設備について,今述べた 年に 改訂された新指針に適合するのかどうかを,東京電力自身でチェックしてほしい,とい うように行政の側(原子力安全・保安院)から要求が出されます。それに基づいて東京 電力はずっとバックチェックを行っていたわけです。その結果,東日本大震災の前にな りますが,東京電力の福島第一原発,特に三号機については, 年の改訂後の指針 に定められている安全性を満たしていますという内容の報告がなされていました。た だ,それはあくまでも耐震安全性の話であって,実は津波については調査していたかと いうと,全く実施していなかったか,あるいは不十分にしか実施していなかった,とさ れています。そもそも大きな地震が起きるかどうかという可能性の問題と,さらに大き な地震が起きた時にどれだけ大きな津波がきて,それに対して原発がどれだけ耐えうる
かどうかという問題について,東京電力はそもそもそのあたりの問題を過小に評価して いたともいわれています。こういうようにして,新しく指針類や技術指針が作られたと いう時に,既存の原発がそれに適合するかどうかについて,事業者自身がチェックを 行って,原子力安全・保安院などが事後的にそれを確認・検討・指導するという手法, すなわちバックチェックという手法がとられてきたわけです。行政と事業者というの は,「阿吽の呼吸」でこのバックチェックというのを行っていたわけです。 ★バックチェック手続の問題点★ このバックチェックという手法については,いろ いろ良い面と悪い面があったりします。バックチェックの要求や,事業者からの報告を 受けた原子力安全・保安院の対応については,行政法学でいうところの行政指導が問題 になってきます。多分,法律を勉強した人も,専門的に勉強していないという人も,行 政指導という言葉は新聞とかニュースとかその他のメディアを通じて一回くらいは聞い たことがあるかも知れませんが,これはいわば行政から私人に対する協力のお願いで す。バックチェックという手法では,事業者自身が既存の原発の安全性をチェックをし て,その内容を事後的に原子力安全・保安院などが確認などを行います。事業者自身は 自分でチェックをした結果,自分が持っている原発がちょっと安全性に欠けるものでし たと報告をすることはきっとないはずで,通常は安全性を保っているという旨の報告を するでしょう。それに対して,原子力安全・保安院などが事後的にその内容を確認する。 その時にもし不備が判明したら,事業者に対してその不備への対応を指導するというわ けです。ただし,ここでの指導というのは,お願いであって命令ではない。そのお願い というのが,いわゆる行政指導というもので,事業者にある行為をするように働きかけ ていくということになります。 こういう行政指導というのは,良い面と悪い面の両方あります。良い面というのは, 状況の変化に迅速に対応できたりとか,行政と私人との間でお互いに協議をしながら着 地点を見つけたりして,それでこれくらいの安全性を保っていこうというように働きか けることができるだろうというわけです。 ただ,行政指導に基づくバックチェックの運用というのは,非常に大きな問題も存在 していたわけです。もっと細かく言うと,事業者が自ら行った安全性の評価の内容を原 子力安全・保安院が確認して,さらにその確認した内容を原子力安全委員会で検討す る,という手順をとります。原子力安全・保安院が事業者の安全性評価の内容を確認す るとか,その確認された内容を原子力安全委員会が検討するというのが,結局どういう 法的な性質をもった行為ないし手続なのかと考えると,これがなかなか不透明なわけで す。行政法学の話をしてしまうと,これは全く法的に効果がないだろうという行為にな るので,ただ単に原子力安全・保安院や原子力安全委員会が確認・検討をした,その結
果として何らかの指導があったというだけで,事実上既存の原発がずっと運転され続け たというのが現状だったわけです。こういうよく分からない不透明な確認・検討という 行為ないし手続を介して,既存の原発が新しい技術基準を満たしているという前提で運 転され続けると,場合によっては原発ごとに保っている安全性のレベルが違ってくる, なんていう可能性も出てきます。 また,仮に事業者による安全性確保措置に不備があったとしても,是正命令が発せら れることはなく,やはり行政指導によって対処がなされるのが通例であったとされてい ます。先ほどふれたように,事業者自身は自分たちが持っている原発に不備があったと は,おそらく報告しないはずです。仮に原子力安全・保安院が東京電力・福島第一原発 に不備があると確認した場合も,それでは是正しなさいという命令を出すかというと, 命令は出さずに行政指導という形でお願いをして東京電力にそれに応じてもらっていた というような現実があります。それは東京電力に限った話ではないはずです。 それでは,何でそのような命令ではなく行政指導という,良くも悪くもソフトな対応 しかなされなかったのかというと,いくつか理由があります。一般的には,日本の行政 実務というのは,権力的な手段を使うことを好みません。まずは命令などのように権力 的な手段をとるのではなくて,行政指導のようにやっぱりソフトに穏便に事に対処する ということが第一とされる傾向があります。日本の行政実務の「文化」と言えばそれま でなんですが,権力的手段を使って強権的に紛争を解決するということをあまり良しと しなかったという背景があります。 この点と関連するところで,より本質的な問題の一つとして挙げられるのは,行政と 事業者との関係という点です。当時の原子力安全・保安院とか原子力安全委員会という のは,どういう機関なのかということに着目してほしいわけです。原子力安全・保安院 とは,極々簡単に言うと,経済産業省のもとに置かれた機関です。経済産業省は原発に 対してどういう立場だったのかというと,極論を述べてしまえば,原発を稼働させて電 力を安定して供給したい(そして,種々の経済活動を振興させたい)という立場に立っ ています。バックチェック手続において事業者が安全性の評価を提出していたのは,そ して,事業者に対して規制権限を持っていたりとか,何らかの対処をしていたのは,実 は原発をそもそも稼働させたいという経済産業省の側であったということになります。 そうすると経済産業省の側は,自らは原発を運転させ続けたいので,仮に不備があった 場合にも,命令によってそれに対処するというのは,やはり避けたくてなるべく穏便に 物事を済ませたいと考えていたのではないかと思います。つまり,事業者と経済産業省 は同じ方向を向いていたので,経済産業省が権力的な手段を使って原発を停止させて, その間に安全確保の措置を図りなさいなんていうことは,とても言えなかったという状
況だったわけです。 また,事業者というのはずっと以前から原発を設置・運転してきたわけで,その事業 者に対して,今度改訂された新しい基準にマッチするように原発をきちんと「アップデ ート」しなさいと命令を下すとなると,それは事業者の財産権の保障に対して何らかの 侵害的作用を及ぼすのではないかというふうにも懸念されたわけです。そんなことも あって,仮に原発に不備があったとしても,穏便な手段である行政指導という形で協力 のお願いをしていたわけです。事業者の方も当然原発の運転が続かなくなると困るわけ で,経済産業省の側がそう言うならば,ということでそれに応じていたというのが実態 です。これは別に原発だけの問題ではなくて,産廃処理施設への対応などについても同 じことが言えるところもあるでしょう。行政指導というのは,上述のように,もちろん メリットはあるのですが,しかしデメリットも多いので,いかにしてこのデメリットを なくしながらメリットを活かすのか,ということが普遍的な課題になってきます。 ★バックフィットの可能性★ このようにバックチェックという手法によって既存の 原発に新しい技術基準を反映させるという手法がとられてきました。そうすると,ここ で一つ疑問が湧いてきます。上述のように行政指導による対処がなされてきたけど,命 令によって新しい技術基準に適合させるということが可能だったのかどうかという点で す。それがバックフィットとかバックフィット命令という話です。バックフィットとい う言葉は,新聞とかニュースでたまに聞くことのできるワードになっています。それで は,バックフィットとは何なのかというと,制定・改訂後の新たな技術基準や指針類へ 既存の原発を適合させることをいいます。とりわけ,行政指導とは違って規制権限を行 使して新しい技術基準とか指針類の内容に適合させるよう命令を下すことを,バック フィット命令といいます。ここでは,行政指導のようにお願いではなくて,行政の側か ら法的な命令を下すことで新しい技術基準や指針類の内容に既存の原発を適合させると いう目的が果たされるようになるわけです。 東日本大震災の前の法的状況において,このバックフィット命令が可能だったのかと いうと,いろいろな見方があるのですが,一応理論的には可能だったのではないかと考 えられます。当時,電気事業法の 条 項には,原発を設置・運転している事業者は, 技術基準に適合する形で原子炉の運転を続けなさいという旨の義務がありました。そし て,必ずいつであってもその技術基準に原子炉を適合するように経済産業大臣は命令を することができるという根拠規定が,電気事業法の 条の中に定められていたわけで す。そうすると,耐震安全性について定めた技術基準や指針のなかには,例えば,経済 産業省の前身である通商産業省(通産省)が定めた省令として,「発電用原子力設備に 関する技術基準を定める省令」というものがあります。この省令の中で耐震安全性審査
について定めた条文があります。そうすると,この省令の中で耐震安全性の要求をして いるということは,この省令に常にマッチするように当時の経済産業大臣は命令を発す ることができたはずじゃないかということになります。 ですが,条文だけ見るとそういえる可能性があるのですが,実は行政側の内規でそれ が不可能だということになっていました。今述べた「発電用原子力設備に関する技術基 準を定める省令」とかかわるところで,その解釈についての一部改正に関する内規があ ります。これによると,先ほどふれた 年の耐震指針に基づく審査というのは,新 しくこれから原子炉を設置・運転したいという場合にのみ適用される審査基準であっ て,既存の原発については,この 年に改訂された指針を新たな審査基準として適 用することはしないとなっていたわけです。そうすると,より高度な安全性を求めるよ うに指針が改訂されたといっても,その改訂後の指針に適合するように命令を発すると いうことは,もはやできなくなってしまうということになります。こうした実務につい ても,事業者の財産権に過度に配慮した結果ではないか,という批判もあり得るところ になっているわけです。 ★原子炉等規制法の改正とバックフィットに関する新たな仕組み★ その点について 批判があったので,東日本大震災後に制度が改められたというわけです。すなわち,原 子炉等規制法を改正して,同法のなかにバックフィット義務を定め,バックフィット命 令の授権規定を設けた,ということになります。この改正後の原子炉等規制法 条の の によると,原子力規制委員会は,発電用原子炉施設の位置,構造もしくは設備 が同法 条の の 第 項および第 項の基準に適合していないと認めるときや,発 電用原子炉施設が第 条 の の技術上の基準に適合していないと認めるときは,そ の発電用原子炉設置者に対し,当該発電用原子炉施設の使用の停止,改造,修理,また は移転,発電用原子炉の運転の方法の指定その他保安のために必要な措置を命ずること ができることになり,バックフィット命令を下すことが可能だという根拠規定が明示的 に置かれることになったのです。 このように,バックフィット義務を課す規定とバックフィット命令の授権規定が原子 炉等規制法の中で正面から制度化されたということで,これは非常に歓迎されるべきこ とだということになります。条文を見るとわかるように,バックフィット命令を課す権 限を持っている者が,原子力規制委員会とされています。原子炉等規制法の改正前にお ける電気事業法 条に基づく省令適合命令は,その権限を有しているのが経済産業大 臣,つまり原発を稼働させたいという側だったわけですが,原子炉等規制法の改正に よって,原子力の安全規制を行う組織も大幅に改められて,現在,バックフィット命令 の権限を持つのは,原子力規制委員会という専門家からなる委員会となっています。
★実効的なバックフィット(命令)に向けて★ そうすると,今後は,改正原子炉等 規制法によって制度化されたバックフィット義務およびバックフィット命令が実効的に 運用されるのか,という点がキーになります。もちろん,そう運用されなければいけな いはずなんですが,以下に見ていくように,いくつか課題もあります。そこで,最後に そうした課題について若干の指摘をして,私からの話を閉じたいと思います。 一点目です。原発を推進する側であった原子力安全・保安院,経済産業省がかつての 規制者側だったわけですが,改正後の原子炉等規制法では,原子力規制委員会という原 発を真に規制する側に規制権限が移ったということになるので,そういった点では,事 業者に対してバックフィット命令を発して既存の原発について新しい技術基準等に適合 させるように求めるということは,「環境」としてはやりやすくなったという面があり ます。ただ,かつてのように行政の側と電力事業者の側が同じ方向を向いていた時代に は,まさに良くも悪くも「阿吽の呼吸」で原発の安全性というのが一応「確保」されて いたとされるので,今度はこの原発を規制する側の原子力規制委員会というのが規制権 限を持つことになると,当然事業者との間にかつてなかったような緊張関係が生まれま す。今までの日本のいろいろな行政実務を見ていると,こういう緊張関係がある中で, 果たして実効的な安全規制を展開することができるのかどうか,十全な安全対策を確保 できるのかどうか,という課題が生まれてきています。 しかも,規制の主体が,かつての原子力安全・保安院,経済産業省の側から,原子力 規制委員会 ―― これは環境省の外局として設置されています ―― に移った。今までに 原子力安全・保安院,経済産業省で原発の安全規制に携わってきた人たちが,すべてこ の原子力規制委員会に移って「同じ仕事」をしているのか,あるいは,今まで原子力安 全・保安院,経済産業省で蓄積されてきたノウハウが原子力規制委員会にすべて引き継 がれているかというと,必ずしもそうではないだろうと言えるので,原発の安全規制に ついて,今まで原子力安全・保安院,経済産業省が担ってきた部分を,実は原子力規制 委員会が十全にカバーできていないのではないか,という問題もあります。そうする と,今までは「阿吽の呼吸」でうまく安全性を確保できていた面があったのに,そこが 抜け落ちてしまうという可能性が出てきてしまいます。そういったところも今後の課題 として挙げられるということになります。 さらに二点目です。原子力規制委員会というのは,その名の通り,原子力を規制する ための専門家からなる委員会です。少し難しい話になりますが,原子力規制委員会は, 国家行政組織法に基づくいわゆる「 条委員会」です。言ってみれば,すごく高い専門 的な知見を有している専門家集団なわけです。そして,諸々の政治的な「しがらみ」か ら独立して職務を遂行できるように,一定の独立性が確保されています。そうすると,
しかし,他面では,その専門家集団が自らの専門的な知見というものを大義名分にし て,「暴走」してしまうという危険もあります。現に「暴走」しているのではないかと 思われるような案件というのも,いくつか新聞報道等の中に散見されるところになって います。一定の独立性を確保して専門的な知見をうまく機能させながら安全規制を行お うとする制度の狙いは良いとして,それが実際に果たされているのかというと,肯定的 な回答ができない部分もあるのではないかと言えます。専門家集団ということになるの で,例えば,自らの専門は地震学であるという委員がいた場合に,「地震学ではこのよ うな見解である」と言ってしまえば,専門外であるほかの委員,地震学ではなくて地質 学の専門家としての委員などは口をはさめないという可能性ももちろん出てくるわけで す。この専門家集団というのが良い面ばかりではなくて,専門的な知見をうまく安全規 制に反映させることができるようにコントロールしていく必要があるというのが課題と して挙げられます。 さらに,三点目です。具体的に科学的知見が進展したという場合には,当然,安全評 価が改められバックフィットが求められるということはあり得ますが,例えば,そうし た具体的な科学的知見の進展によるのではなくて,原発の是非をめぐる世論が変化した とか,具体的に科学的知見は変わってはいないが,政策的にもう少し高度な安全性を確 保した方がベターだということで,かつての安全評価を(場合によっては一方的に)翻 してしまうということがあり得るわけです。しかし,それが果たして可能なのかどう か,あるいは,そんな事が容易にできるのかどうか,という点もさらに問題となりま す。特に原発については,究極の安全性が求められるということになると,そういった 課題がさらに浮き彫りになってくるということになります。 四点目は,先ほどふれた事業者と行政との間の緊張関係についてです。そういった緊 張関係が拡大していく中で,いかにして安全性確保の措置を図るのかというのが課題に なります。安全性評価について科学的な判断が分かれるような場合もあって,たしかに 原子力規制委員会というのは,専門家集団,専門的な知見を持った委員がその委員会を 構成しているわけですが,ただその専門家の中でも,意見が分かれるような事案という のがあるわけです。例えば,ある原発の下を走っているのが活断層なのかどうか,とい う点について専門家の中でも意見が分かれる場合があり得るので,そういう場合に安全 性評価をどのようにするべきなのかということが,さらに問題になるところでありま す。 先ほどもちょっとふれましたが,究極の安全性が原発に求められる,とよくいわれる わけです。最近では,そういったことを想起したような判決というのも実はあります。 また,今現在進められている訴訟で注目されるものとしては,例えば,青森県の大間市
に原発を設置するというケースで,函館市という一つの自治体(行政主体)が原告となっ て訴訟を提起しているという事例があります。そういった訴訟の中でも,果たして今後 どういう判決が下されるのかというようなことも,今後の原子力安全規制をめぐる問題 になりうるところだと思います。特に耐震安全性の確保とか,地震に随伴して生じる津 波などからの保護のための設備拡充とか,そういったことが今後さらに課題になりうる わけで,新たにバックフィット義務およびバックフィット命令が定められたわけです が,これが本当に実効的に機能するかどうかという点については,今の段階ではやや不 透明さが残るので,今後も注視していく必要があるだろうと思います。今後皆さんもさ らに興味を持ったら,新聞やニュースやインターネットなどを活用して様々な情報を得 られると思いますので,そういったところから情報を得て,皆さん自身でいろいろ考え てもらえればと思います。 それでは,ひとまず私からの原発の安全規制に関する法制度とその運用と在り方につ いてという話は以上として,このあと福島大学の清水先生からは,原子力をめぐる災害 について,どのような法制度があり,どう運用されるべきなのか,といったようなこと について講演を続けてもらいたいと思います。 清水 ★はじめに★ みなさんこんにちは。福島大学からやってきました,清水と申し ます。先ほどまでお話しいただいた川合先生とは,大学院生時代からの知り合いでし て,いろいろと一緒に勉強をしてきた仲なのですが,いつも川合先生には助けていただ くばかりで,今日も僕のために早めに話を切り上げて下さったようです(笑)。川合先 生のおかげで,少しは雑談を交えることもできそうだなと思っていますので,最後まで お付き合いください。 ちなみに,福島県がどこにあるか,みなさん分かりますか。さすがに分かるかな,香 川大学の学生さんですしね。僕は絵を描くのが苦手で…こんな感じですかね(図 )。 ここが香川県ですね(①)。福島県はこのあたり(②)。だいたい分かりますね。福島県 をもう少し詳しく描くと,こういう長方形のような形をしていて,東側から,浜通り, 中通り,会津と三つの地方が並んでいます(図 )。で,実は,この三つの地方は,気 候も,地形も,人の気質も,全く違うんですね。実際に原発事故が起きた場所は,浜通 りの真ん中あたりにある福島第一原発ですが,放射性物質は,北西の方に流れていきま した(図 の矢印)。会津と中通りの間は山が険しいので,その山のおかげで放射性物 質の拡散が止まったと言われています。その結果,会津地方では,放射能汚染そのもの は,首都圏と比べても深刻ではないんですね。結局,浜通りと中通りと会津とでは,問 題の様相が全く異なり,浜通りや中通りでは放射能汚染そのものがクローズアップされ
①
② 図
図
るのに対し,会津では風評被害がクローズアップされることになるわけです。 今日は,原子力災害に関する法制度のお話をさせていただくということで,今の話で 言うと,浜通りや中通りで問題になっている放射能汚染について,どのような対策がと られているのか,被ばくによる健康リスクへの対応はどうなっているのか,といった点 に焦点を当てていきたいと思っています。実際に,原子力災害は現在も進行中で,未だ に浜通りや中通りの一部地域では非常に高い放射線量が計測されていて,その結果,こ のあたりの地域(図 )には避難指示が出され続けているんですね。つまり,人が住め ない。原発事故以前にこのあたりに住んでいた人たちは,放射線量が比較的低い県内の 市町村に避難していたり,さらには場合によっては県外に避難していたりするわけで す。なかには,香川県に避難している人もいるかもしれません。加えて,現在,最も問 題になっているのは,避難指示が出されている地域の周辺地域なんですね。このあたり には,現在も人が住んでいるわけです。人が住んでいるんだけれども,事故以前の放射 線量よりはかなり高い線量が未だに計測され続けている。どういう被害が生ずるのか, 図 (出典:経済産業省ホームページ)
未だにはっきりとは分かっていないのだけれども,他方で,将来がんになる人がたくさ ん出るのではないかとも言われていて,結果として,この地域からも自主的に避難する 人がたくさん出ているという状況になっています。私たち人間にとって何が一番大事な のかといえば,それは,やはり生命や健康ということになると思うのですが,放射性物 質による被ばくがそれを脅かしているわけで,結果として数多くの住民が避難を余儀な くされているということです。 結局,放射性物質から人の生命や健康を守るためには,自分たちが逃げるか,もしく は,放射性物質を取り除くしかないんですね。そうすると,法制度としては,「避難」 という手法と「除染」という手法を用いて原子力災害に対応していくということが,最 大の重要課題になります。今日のお話では,この二つの手法について,日本では現在ど のような法制度の下でどのような対策を実施していて,そこにはどのような問題があっ て,将来的にどのような制度設計をしていくべきなのかを検討したいと思っています。 具体的には,被ばくによる健康リスクへの対応は,憲法上国家の役割に整理できるもの なので,避難や除染に関わる「行政対応」にスポットを当てて,法制度や行政実務を検 討していきたいなと。ここのところは重要なので,もう少し敷衍して確認しておくと, 憲法は, 条で生存権という権利を国民に保障しているし, 条で自己決定権という 権利も国民に保障しています。そうなると,避難指示区域外に住んでいる人たちが健康 に生活できる権利であるとか,どこで健康的な生活を営むのかを選択する権利であると か,そういった権利も憲法から導かれると考えることができます。今日は経済学部の学 生さんもいらっしゃるということなので,基礎知識の確認をしておきますが,憲法とい うのは,国家と国民の関係を規律している「公法」の分野の一番偉いルールであって, その憲法が権利を保障しているということは,国民が国家に対してその権利を主張でき ることを意味し,裏を返せば,国家は国民に対して,その権利がきちんと保障されるよ うな施策を実施しなければならないということになるはずです。そのため,憲法が生存 権や自己決定権を国民に保障しているということは,被ばくによる健康リスクへの対応 を国家がやらなければならないということを意味するわけです。 現在の法制度は,このような発想のもとで,「避難」についても「除染」についても, 行政主導での施策実施ということを考えています。そこで,今日のお話では,僕が研究 している,また皆さんが学んでいる「法学」という学問の観点から,現在の法制度が十 分に避難行政や除染行政の施策メニューを整備しているのか,整備しているとして適切 に行政実務をコントロールできているのか,といったことを考えていきたいなと。その 検討素材として,実際に福島で今起きている状況,ないし原発事故後に起きた状況,そ れに対して行政が対応していった実務を見てみましょうねと。そして,それを踏まえ
て,避難や除染に関わる現行法制度が本当に妥当なのかを考えていきましょうねと。こ う思っています。 原発が存在する限り,運転を停止していても原子力災害が発生する危険性はありま す。例えば,先ほど学部長のお話にも出ていましたが,四国には伊方原発があります ね。ここは現在稼働していませんが,もしも伊方地域で地震が発生したり,発電所に津 波が襲ってきたり,発電所内で人為的なミスが発生したりすれば,放射性物質が漏れる 危険性はあるわけです。そのため,原子力災害というものは,誰にとっても対岸の火事 ではない。この意味で,今日これからお話しする内容を理解しておくということは,み なさんにとっても非常に重要なことなんだと,私自身はそう考えています。 ★現行原子力災害法制の枠組み① 避難指示に関わる法制度★ ということで,まず は,現在の法制度の概要を見ていきたいと思います。最初に取り上げるのは,原発事故 の発生直後に行政が住民を避難させる,その際の法制度です。一番の基本となっている ルールは,災害対策基本法という法律で,これは,原子力災害だけでなく,例えば,津 波や地震,台風といった自然災害にも適用される,一般的な災害対策のルールです。つ まり,原子力以外の災害にも共通する対策について定めているのが災害対策基本法とい う法律で,そこに避難に関わる規定も存在しているということです。具体的には,二つ, 重要な規定があります。一つ目は,いわゆる避難指示の規定というやつで,市町村長は,
「人の生命または身体を災害から保護し,その他災害の拡大を防止するために特に必要 があると認めるとき」に,住民や滞在者に避難勧告や避難指示を出すことができます ( 条 項)。この点,市町村が壊滅状態になったらどうするのかという問題があって, 実際に福島の事故の時にも津波で役場がやられてしまった市町村があったわけですが, そういう場合には,都道府県知事が当該措置を実施しなければならないことになってい ます( 条 項)。ただし,気を付けていただきたいのは,実は,避難指示に従わなかっ たからといって,住民が何か刑罰を科されるとか,制裁を受けるという仕組みにはなっ ていない,ということです。先ほど,川合先生のお話の中で,「行政指導」という言葉が 出てきましたが,この避難指示も,一種の行政指導なんですね。避難「指示」という文 言が使われているので,住民は必ず市町村長の指示に従わなければならないと考えがち なんですが,実際には,市町村長は,「お願いします,避難して下さい」という形で避 難指示を出すことができるだけで,住民がそれに従ってくれなかったらそれで終わり。 この規定では,住民を強制的に避難させることはできないんだということです。これに 対して,二つ目の重要な規定として,警戒区域設定という規定があります。 条 項 という条文で,市町村長は,「人の生命または身体に対する危険を防止するため特に必 要があると認めるとき」に,警戒区域を設定し,災害応急対策従事者以外の当該区域へ の立入りを制限・禁止し,または当該区域からの退去を命ずることができると定められ ています。そして, 条 項では,この退去命令等に従わなかった者が 万円以下 の罰金に処せられることになると定められています。つまり,市町村長は,警戒区域を 設定するという方法をとれば,強制的にその区域から人を排除することができるわけで す。福島の事故の時には,事故直後から福島第一原発周辺には避難指示が出されていま したが,事故からひと月ちょっと後の 月半ばになって,福島第一原発から半径 km 以内の範囲が警戒区域に設定され,同区域から強制的に全住民が避難させられました。 つまり,災害対策基本法のもとでは,市町村長は,住民に対する強制力のない避難指示 と,住民に対する強制力のある警戒区域設定という,二つの手段を使い分けることがで きるということですね。このことを押さえておいてください。 次に,災害対策基本法の下で,原子力災害に特有のルールを定めている法律として, 原子力災害対策特別措置法という法律を確認しておきたいと思います。 年に茨城 県の東海村というところで原子力研究施設の事故が起きていて,その時にも,放射性物 質が施設の敷地外に漏れたんですね。少量ではあったんですが。そういうことがあって, やはり原子力災害については特別な対応を整備する必要があるということになり,この 法律ができました。この法律にも,原子力災害時の避難に関して,二つの重要な規定が あります。まず一つ目が 条 項という条文です。原発が非常事態に陥った場合には,
内閣総理大臣が緊急事態宣言というものを出すことになっているんですが, 条 項 は,緊急事態宣言を出した後に総理大臣が何をするかということを規定しています。総 理大臣は,緊急事態における応急対策を実施すべき区域の市町村長や都道府県知事に対 して,災害対策基本法 条 項に基づく避難勧告や避難指示を行うように指示を出す ことになっています。つまり,総理大臣は,「早く避難指示を出しなさい」ということ を,市町村長に対して指示することになるわけですね。この規定によって,国のトップ ダウンで住民避難をさせるという仕組み,すなわち,どこまでの範囲の人を避難させる のかということを国が決めて市町村に指示を出し,それを受けて,さっき説明した災害 対策基本法の避難指示規定を使って市町村長が住民を避難させるという仕組みが整備さ れたということになります。これに対し,もう一つの重要な規定として, 条 項と いう条文があります。内閣総理大臣は,緊急事態宣言後には,原子力災害対策本部を設 置してその本部長になるのですが, 条 項によれば,本部長として必要な指示を関 係行政機関や原子力事業者に出すことができるのです。この「必要な指示」という規定 を使って,総理大臣は避難に関する指示を関係行政機関に出すこともできるんですね。 実際の福島の事故の時には,警戒区域の外側に計画的避難区域という区域を設定して, ヶ月を目途に住民を避難させているんですが,この区域は 条 項を使って設定し ているんですね。具体的には,原子力災害対策本部長たる内閣総理大臣が,「ここの区 域は放射線量が比較的高いため,計画的避難区域に指定します。ついては, ヶ月を目 途に住民を避難させてください」という指示を,当該区域の市町村長に出すわけです。 市町村長は,その指示を受けて住民に対して避難をお願いすることになるので,この規 定も一種のトップダウンの仕組みということができます。以上のように,原子力災害対 策特別措置法は,原子力災害の重大性や原子力技術の専門性に鑑みて,国のトップダウ ンで住民避難をさせる仕組みを整備しているということができます。ただし,注意して もらいたいのは,内閣総理大臣の指示は,いずれも市町村長に対しての指示だというこ とです。つまり,住民が内閣総理大臣の指示に直接拘束されているわけではなく,住民 が指示を受ける相手というのはあくまでも市町村長であると。結局のところ,市町村長 が警戒区域設定という方法をとるか,避難指示という方法をとるかで,住民に対する強 制力が働くかどうかが決まるのだということを押さえておいてください。 ★現行原子力災害法制の枠組み② 除染・自主避難者支援に関わる法制度★ 以上 が,事故直後の避難をめぐっての現在の法制度になります。これに対して,事故からし ばらくたった後,つまり,放射線量が高い区域の人を避難させた後に,何が問題になる のかというと,人の生命や健康を保護するという観点からは,やはり,比較的放射線量 が高い地域に依然として住んでいる人たちをどうするのかという問題に行きつくわけで
す。そこで,この点に関する法制度が現在どうなっているのかということをここからは 見ていきたいと思いますが,まず,その前提として確認しておきたいのは,福島の事故が 起きるまでは,「比較的放射線量が高い地域に人が住む」ということが全く考えられて いなかったということです。そもそも,福島の事故が起きるまでは,こんなに広範囲に 放射性物質がまき散らされるという状況を想定していなかったんですね。この「想定外」 の状況が実際に起きてしまって初めて,何か対策をしなきゃいけないということになっ たわけです。では,どのような対策が考えられるのか。この点については,最初にも述 べましたが,やっぱり二つしか方法がないわけです。放射性物質がそこにある以上は, 自分たちがそこから逃げるか,あるいは,そこにある放射性物質を取り除くか。避難指 示区域外なので,避難する場合には自主的に避難するということになるんですが,仕事 や家族の事情で避難したくてもできない人もいる。そういう意味で重要になってくるの が,避難する人たちを支える「自主避難者支援」であり,避難しない人たちを支える「除 染」なんですね。こうして,福島の事故後に法整備が進み, 年には除染の根拠法 である放射性物質汚染対処特別措置法という法律が制定され, 年には自主避難者 支援の根拠法である原発事故子ども・被災者支援法という法律が制定されたわけです。 そこで,以下では,これらの法律の概要について見ていきたいと思います。 除染の根拠法である放射性物質汚染対処特別措置法から見ていきますが,どういう形 で除染を進めていくかという点については,まず,内閣が基本方針というものを策定し てくださいということを定めています。その上で,基本方針に基づいて環境大臣が除染 特別地域と汚染状況重点調査地域というものを指定し,前者については国が,後者につ いては自治体が,それぞれ除染をやっていくという条文のつくりになっています。除染 特別地域と汚染状況重点調査地域がどういう地域なのかということについては,法律上 は明文の規定がないのですが,法律に基づいて定められている環境省令に規定が置かれ ています。具体的には,除染特別地域は(放射線量が)年間 ミリシーベルト以上の 地域,汚染状況重点調査地域は年間 ミリシーベルト以上の地域となっています。この とか という数値については,少し説明が必要ですね。まず,年間 ミリシーベル トという数値は,国際的な放射線防護の研究機関であるICRP が出している勧告におい て,緊急時の一般人の被ばく線量の限度として指摘されている数値です。実際に福島の 原発事故の後に最終的に避難指示が出された区域というのも,(予測放射線量が)年間 ミリシーベルト以上の地域になっていて,この数値が基準になっていますね。つま り,避難指示が出るような高線量地域については国が直轄で除染をしましょうというこ とです。これに対して年間 ミリシーベルトという数値はどういう値なのかというと, これは,福島原発事故以前の段階で一般人が浴びてもよいとされる放射線量の限度の数
値だったんですね。だから,香川の皆さんであれ,青森の皆さんであれ,沖縄の皆さん であれ,東京の皆さんであれ,年間 ミリシーベルト以内の放射線量のもとで生活でき るという環境を,国が確保していたんです。結局,年間 ミリシーベルトが平常時を表 す数値なのであれば,その数値を超えていれば異常時だというわけで,年間 ミリシー ベルト以上の地域については自治体が責任をもって放射性物質を除染していくという考 え方がとられた,ということになります。 もう一つ,自主避難者支援の根拠法である原発事故子ども・被災者支援法についても 見ていきます。この法律は,避難指示基準を下回っているけれども一定基準以上の放射 線量を計測する地域を「支援対象地域」に指定して,原発事故前にそこの地域に住んで いた人たちの支援策を考えていきますよ,という法律です。行政側の指示に基づいて避 難を余儀なくされている人たち以外であっても,一定基準以上の放射線量を計測する地 域に住んでいた人たちについては支援していくんだということですね。そのため,国 は,支援対象地域の居住者,同地域からの自主避難者,同地域への帰還者,それぞれに 対して,生活支援施策を講ずることになっています。つまり,支援対象地域にとどまっ て生活をするのか,そこから自主的に避難をするのかの選択は,それぞれの住民が決め ることであり,国は,それぞれの住民の選択権が保障されるように生活支援施策を実施 していく義務があるということです。具体的に国がどういう支援策を実施するのかとい う点については,例えば,住み続ける人のためには,除染や健康管理支援をしましょう という規定がありますし,自主避難をする人,また避難先から戻ってくる人には,その 移動費用の支援であるとか,住宅確保の支援であるとか,避難先や帰還先での就業支援 を行っていきましょうという規定があります。ただし,注意してもらいたいのは,支援 対象地域の範囲や,支援策の具体的な内容については,法律は何も規定しておらず,政 府が「基本方針」で定めることになっている,という点です。その結果,基本方針が策 定されなければ,この法律に基づく支援策というのは全く動かない状況になっている と。実際に,後でお話ししますが,この法律の下での基本方針は,法律ができてから 年以上策定されなかったんですね。この法律ができた時には,自主避難をしている人, 例えば,お父さんは福島に残って働いているけども,お母さんと子どもは東京に避難し ている,そういう母子避難者の人たちからすれば,この法律こそが希望の星だったわけ ですけれども,いつまで経っても基本方針が策定されないので,その希望は,いつの間 にか諦観にとって代わられてしまったと言われています。 ★原子力災害対応の法的指針★ さて,現行法制度の問題点についても先取り的に少 し言及したような形になりましたが,ここまで,現行法制度の概要を確認してきました。 ここまでの整理から確実に言えることは,事故直後の避難についても,事故から一定期
間たった後の除染や自主避難者支援についても,一応の法制度は存在しているというこ となんですね。各々の制度が適切に運用されれば,住民の生命や健康が確保されていく だろうというような,そういう仕組み自体は存在しているのだと言えると思います。た だ,先ほども指摘しましたが,例えば,原発事故子ども・被災者支援法であれば,政府 が基本方針を定めなければいつまでたっても法律が動かないという問題があります。ま た,避難の話で言えば,災害対策基本法の避難指示の条件は,「人の生命または身体を 災害から保護し,その他災害の拡大を防止するために特に必要があると認めるとき」と いう,非常に抽象的な言葉で書かれていて,どういう場面で避難指示を出すのかという ことが,この法律からは必ずしも明確ではないという問題があります。こういった問題 は,法律が行政に一定の判断を委ねている,つまり,裁量判断の余地を与えているとい うことから生まれているわけですが,裏を返せば,この,行政の裁量判断というものを どうやってコントロールしていくのか,適切な形で避難指示を出すとか,適切な時期に 基本方針を定めるとか,そういう行政活動を確保していくためにはどうしたらいいの か,ということを考えていく必要があるんじゃないかということになるわけです。 この点,これまでお話ししてきたような現行法制度の趣旨であったりとか,関連する 法制度の規定であったりとか,また,各法律の上位法にあたる憲法の規定であったりと か,そういったものから,ある程度は,どういう災害対応が求められるのかということ に関する法的指針というものが導き出されるだろうと考えられます。そこで,ここから は,その指針を確認した上で,福島の原発事故の後に現行法制度に基づいて実際に行わ れた行政実務というのは,その指針に照らして適切だったのかということ,すなわち, 法的に適切な対応がとられていたのかということを確認していきたいと思います。併せ て,もしも適切な対応がとられていなかったのだとすれば,どのような法的解決策が考 えられるのか,ということも考えていきたいと思っています。 それでは,原子力災害対応の法的指針を検討していきましょう。法的指針としては, まずは各権限の根拠法ですね,その趣旨や目的がどこにあるのかということが問題にな ります。この点,今日のお話で取り上げてきた各法律の目的規定をご覧になれば一目瞭 然ですが,どの法律も,人の生命や健康の保護を目的にしていることは間違いありませ ん。次に,各根拠法の上位法である憲法の規定が注目されます。今日のお話のはじめの ところでも説明しましたが, 条の生存権や 条の自己決定権という規定が,被ばく による健康リスクから人の生命や健康を保護しようとしているということは,間違いな いだろうと。では,根拠法や憲法が要請する原子力災害対応とはなんなのか,すなわ ち,原子力災害時に人の生命や健康を保護していくということはどういうことを意味す るのか。どうでしょうか。原子力災害時には,放射線量が通常時よりも高くなることが
想定され,それによって,被ばくによる健康リスクが高まるわけですね。そうすると, 最新の科学的知見に照らして,日常生活に支障がないとされるレベルの放射線量のもと で住民生活を実現すること,これこそが,根拠法や憲法が要請している原子力災害対応 なのではないかと,現時点で私は考えています。 というわけで,基本的には,この考え方に照らして,実際に行政実務が妥当な形で行 われていたのかどうかを見ていきたいと思いますが,その前に,他にもいくつか原子力 災害対応の法的指針になりうる法の一般原則があると言われているので,予め確認して おこうと思います。一つは,比例原則というもので,これは憲法 条の条文から導く ことができると言われています。基本的に,日本国憲法が一番重視している価値という のは,「自由」なんですね。個人はそれぞれ自由であり,個人として尊重されなければ ならない。そうであるからこそ,自分たちは人間らしく生活していけるのだというわけ です。そうすると,裏を返せば,国家,すなわち国や自治体が,住民の自由を制限する ということは,なるべく避けなければならない,必要最小限でなければいけないという 考え方につながります。これが比例原則です。例えば,避難指示について言えば,これ は,「俺はここに留まりたいんだ」という人をその土地から引き離すということになる ので,比例原則の発想からすれば,避難の強制はなるべく避けなければいけないという ことになるわけです。次に,もう一つの一般原則は,平等の原則ですね。これも憲法の 基本的な価値の一つであり,憲法 条から導くことができると言われています。具体 的には,国家は国民一人一人を公平に取り扱わなければならない,住民に対する原子力 災害対応においても,合理的な理由がない限り各住民を公平に取り扱わなければいけな いということですね。あと,最後にもう一つ,予防原則という考え方が,原子力災害対 応においては非常に重要だということを指摘しておきたいと思います。予防原則という のは,被害発生が科学的に不確実でも,その恐れがある以上,リスクに対応していかな いといけないという考え方ですね。ある施策について予防原則という考え方を採用する かどうかは,立法裁量に委ねられるという見解が有力なのですが,その見解をとるとし ても,原子力災害対応については,原発事故子ども・被災者支援法の目的規定から予防 原則を導くことができます。というのも,この法律は,放射性物質による健康影響の科 学的不確実性を指摘した上で,被災者の不安解消を法目的に掲げているからです。加え て,この法律は,自主避難者支援の根拠法であるだけでなく,支援対象地域の除染につ いての条文や,避難指示区域についての条文も有しています。そういう意味では,この 法律は原子力災害対応一般を対象とする法律だということができますし,この点を重視 すれば,予防原則の考え方は,原発事故子ども・被災者支援法だけじゃなくて,原子力 災害法制一般において採用されているということができるのではないかと思います。
★福島原発事故後の行政実務の法的妥当性★ 時間があと 分しかないんですが… (笑)。ここからは,福島原発事故後の実際の行政実務がどのように展開されたのかとい うことを紹介しながら,先ほど整理した法的指針に照らすと,行政実務にはこういう問 題があるんだよ,ということをお話ししていきたいと思います。まず,事故直後の避難 については,一番の問題は,先ほども言いましたけれど,法制度上,行政が独自に判断 する範囲が極めて広い条文になっているということ,そのために行政実務に問題があっ てもそれをコントロールすることが難しいということです。ただ,他方で,緊急時の対 応として住民を避難させるということを考えているわけなので,ある程度広い裁量判断 の余地を行政に与えることは,やむをえないとも言えます。そこで,以下では,福島で の行政実務で実際に発生した問題点を踏まえ,どの程度具体的に法律の中に避難指示の 条件を書き込んでいくべきなのか,という話をしてみたいと思います。 まず一つ目の問題点ですが,福島原発事故後の行政実務では,初動段階の避難におい て,明確な根拠もないままに,まずは発電所から半径 km の地域に対して避難指示が 出されました。その後,半径 km, km という形で避難指示対象区域の範囲が広 がっていったんですね。だけれども,放射性物質は実際には発電所から北西側に流れて いった(図 )ので,同心円状には拡散していないんですね。そのため,発電所から半 径 km といっても,例えば最北端や最南端のあたりは,放射線量がそれほど高くな かったのに避難指示が出された。逆に北西端の外側の地域は,放射線量が高いにもかか わらず,避難指示が出されなかったという状況があるわけです。放射線量の予測につい ては,SPEEDI というシステムが有名ですが,そういったシステムを用いれば, % の正確さではないにしろ,一定の予測をすることは可能だといわれています。そうする と,やはり,避難指示というものは,放射線量の予測に基づいて出していくべきなので はないか。そういうことすら法律には規定されていなかったわけですから,まずは,予 測放射線量に基づいて避難指示を発するということをですね,法律に書き込む必要があ るんじゃないかと思います。 では,避難指示を出す予測放射線量の基準をどのように考えるのか。この点について は,年間 ミリシーベルト,さっきお話ししたICRP の勧告の数値ですね,これが, ある程度科学的に信頼性のある数値だと言えるでしょう。その意味では,年間 ミリ シーベルトを超える地域には,避難指示を出すことが義務付けられるのではないかと思 います。また,もう一つ,放射線管理区域という区域の設定基準を参考にするという考 え方もあります。放射線管理区域というのは,放射性物質を業務上取り扱う区域のこと です。例えば,みなさん毎年健康診断を受けますよね。その時にレントゲン車に乗ると, 黄色いマークが貼ってあるはずです(図 )。これが放射線管理区域のマークなのです
が,分かりますかね。今度,健康診断を受ける時には,ぜひ見てみてください。放射性 物質を扱う理系の研究室なんかでも,このマークが貼られています。このマークが貼ら れている区域は,業務上放射性物質を扱うため,放射線量が高く,飲食等の日常生活が 禁じられているんですね。仕事の時だけとか,研究の時だけしかそこには入っちゃいけ ませんよということになっているわけです。この区域の設定基準は,年間 . ミリシー ベルトということになっています。そうすると,年間 . ミリシーベルトに達する区域 では日常生活を営んではいけないわけだから,それとの比較で考えれば,年間 . ミリ シーベルトを超えるような線量が予測される地域については,避難指示を出してもいい んじゃないかと。私個人の見解としては,緊急時には年間 ミリシーベルトを基準に することが妥当かもしれないけれど,被ばくによる健康リスクに対して予防原則を適用 するという発想からは,年間 . ミリシーベルトを超える地域に避難指示を出すという ことも,場合によっては考えられるのではないかと思っています。少なくとも,市町村 長がそういう指示を出したとしても,違法とは言えないんじゃないかなと考えていると ころです。 次に,二つ目の問題点に移ります。先ほどもお話ししたように,福島原発事故の直後 には,災害対策基本法の 条 項という条文を根拠として,住民に対する強制力がない 形で避難指示が出されています。そして,その一ヶ月後になって,発電所から半径 km の地域が警戒区域として設定されています。つまり,何が言いたいのかというと,警戒 区域設定という形での強制的な住民避難は,初動段階では実施されていないんですね。 図 (出典:文部科学省ホームページ)
これは,住民の生命や健康を守るという観点からは,やはり問題があったんじゃないか ということです。この点に関連して,先ほど比例原則という話をしました。比例原則の 発想からすれば,住民に対する制限はなるべく少ない方がいいから,どうしても避難し たくないという人がいれば,避難しないという選択も認めるべきではないかということ になります。この意味では,実際の行政実務は,比例原則の発想に基づいていると整理 することもできるでしょう。とはいえ,やはり,人の生命や健康の保護ということを考 えると,非常に危険な地域,年間 ミリシーベルトを超えるような地域については, 最初から警戒区域を設定するということも必要なんじゃないか,そういう意味では,原 子力災害時には,初動段階から警戒区域を設定するということも,法律に書き込むべき ではないかと思います。 時間が少なくなってきたので先を急ぎますが,三つ目の問題点ですね。福島原発事故 後の行政実務では,災害時要援護者の優先的避難が機能しなかったと言われています。 災害時要援護者というのは,例えば,高齢者であるとか,障がい者であるとか,要する に,自力で避難することが難しい人たちのことです。そういう人たちについては,やは り,介助をしながら優先的にバスに乗せて避難させるといった行政対応が必要なのでは ないだろうかと,従来から言われていました。しかし,残念ながら,福島の事故の時に は,全くそういった行政対応が機能せず,個人頼みの避難を強いられたと言われていま す。たしかに,平等原則の発想からすれば,元気な人も障がいのある人も命の重さは一 緒なんだから,特定の人だけを優先的に避難させるというのはおかしいのだ,各々が好 き勝手に避難すれば良いのだ,という主張も考えられなくはありません。しかし,逆に 言えば,災害時要援護者という人たちは,自力で避難できる人たちに比べると「弱い」 人たちなんですね。そのことを重視すれば,災害時要援護者を優先的に避難させること は,やはり必要なんじゃないかと考えられるわけです。少なくとも,全員一斉避難とい うのが物理的に不可能である以上,行政の側で避難の優先順位を決めていくということ は合理的な発想だと思います。実際に,災害対策基本法 条に基づいて「あなたは避 難するのをしばらく待って屋内に退避していてください,災害時要援護者を先に避難さ せますから」と指示することは,住民に対する強制力がない以上,平等原則に反するこ とにもなりません。そういう意味では,災害時要援護者の優先的避難を制度化すること は必要かつ可能だろうと考えています。ただし,優先的に避難させるべき人を無限定に 増やしていくわけにはいかないので,優先的避難指示の対象者は,あらかじめ法律上に 列挙しておく必要があるだろうと思います。 あと 分になってしまいました…(苦笑),というわけで,除染や自主避難者支援に関 わる行政実務については,駆け足になりますが,主要な論点だけでも指摘しておきたい