リプロダクティブ・ヘルスあるいはリプロダクティブ・ライツとは,「女性は自分の産 みたい時に産み,産みたくない時には産まないことが当然の権利である」ということで ある1)。日本では「男女共同参画社会」が広くうたわれ,実際女性の社会進出はめざま しく,さらに国策としても「女性の輝く社会,大きな挑戦」と女性の活躍が期待されて いる。これと並行して女性の結婚年齢,出産年齢は上昇し,平均初産年齢も 30 歳を超え るに至った。これらの社会変化は生殖医療の現場からみると,リプロダクティブ・ヘル スを脅かす可能性を秘めていると言わざるをえない。かつては 10 組に 1 組といわれた不 妊症は時代背景のもと,今や 6 組に 1 組が不妊とされ2),生殖補助医療(assisted repro-ductive technology;ART)のニーズは高まりつつある。ARTは世界に普及しすでに500 万人がその恩恵で生を受け,日本でも ART で生まれる子どもは日本産科婦人科学会(日 産婦)の最近の調査では,2012 年の年間体外受精は約 33 万件の治療が行われ,3 万 7953 人が生まれた。年間の全出生数に対する体外受精児の割合は約 27 人に 1 人であった3)。 本臨時増刊特集のテーマは「現代生殖医療のメインストリーム」であり,ART マス 世界保健機関(World Health Organization;WHO)は,不妊症を「避妊をしていないの に 2 年以上にわたって妊娠に至れない状態」と定義しているが,生殖医療の現場では 1 年を めどとすることが多く,さらに 40 代女性においては早期に診療を開始することが勧められ る。生殖補助医療は大きな成果を上げているが,卵子提供や卵子凍結など,その適応範囲も社 会の問題として議論されている。診療にあたっては不妊の三因子を系統的に進めるが,排卵因 子においては卵巣機能,卵子の質が問題になる。男性因子は micro TESE など進歩が著しい領 域で,卵管因子は受精の場であるが,着床の場である子宮も併せて考える必要がある。いずれ にしても最も患者の健康を損なってはいけない医療であることを念頭にインフォームド・コ ンセントに基づいた診療が必要である。
は じ め に
* 医療法人財団順和会山王病院(院長)不妊症とその診断・治療
堤 治* Osamu Tsutsumi1
ターたちの治療戦略を示すものである。巻頭において不妊症を改めて考え,最近衝撃を 与えられた移植子宮による分娩4)を含め,生殖医療の適用範囲を考察する。その上で基 本に立ち返り,不妊症の診断治療にあたって留意すべき点を,インフォームド・コンセ ントを含めて整理する。 男女が妊娠を希望し,避妊をせず夫婦生活を営むと一定期間内に大多数が妊娠する。 ところが,ある一定期間性生活を行っているにもかかわらず妊娠の成立をみない場合を 不妊といい,妊娠の成立しない期間を不妊期間と呼ぶ。それでは妊娠の成立しない不妊 期間はどのくらいかという疑問が生じる。世界保健機関(World Health Organization; WHO)では不妊症は,2 年間の不妊期間を持つものとしており,「避妊をしていないのに 2 年以上にわたって妊娠に至れない状態」を不妊症と定義することができる。しかし結 婚年齢,妊娠年齢の高齢化や不妊に関係する疾患の増加を考慮すると,早期に診断や治 療を開始すべき場合も少なくない。そこで我々は,1 年以上妊娠しないカップルが希望 した場合,不妊の検査と治療を開始してよいと考えている5)。米国生殖医学会でも不妊 期間が 1 年以上のものを不妊症と提唱した。また無月経,子宮内膜症,子宮筋腫など不 妊症と関係しうる疾患を有する場合や,後に述べる高齢で妊娠成立が容易でないことが 予測される場合,1 年という制約なく診療を開始してよいと考えられる。なお,妊娠を 1 回も経験していない場合を原発(性)不妊症,以前に妊娠歴があるがその後,妊娠しな い場合は続発(性)不妊症と定義する。 不妊症の頻度を正確に把握することは困難であるが,従来 10 組に 1 組といわれた。近 年では 6 組ないし 7 組に 1 組と増加傾向にあり,国立社会保障・人口問題研究所の出生 動向基本調査によると,不妊治療を受けたカップルは 16.4%で,2002 年の 12.7%より増 加した2)。結婚年齢の上昇や若年者における性感染症の増加を踏まえ,将来は 3.5 組に 1 組と予測するものすらある。 不妊症の原因として全身疾患が存在することもありうるが,一般的には,受精が起こ り,妊娠が成立するためには必要な,卵巣・卵子(排卵因子),精子(男性因子),受精(卵 管因子)の三因子のどこかに起因することがほとんどである。あるいはいくつかが重 なって不妊症が生じることもある。女性側に原因がある場合を女性不妊症,男性側を男 性不妊症と呼ぶこともある。一般不妊検査で特別な異常が指摘されない場合,かつては 機能性不妊症と呼ばれたが,現在は原因不明の不妊症とすることが多い。 加齢は不妊因子であるか,そうであるとすれば,どの程度妊孕性に影響するかが問題 になる。妊娠成立に関係する因子は様々であるが,卵子と精子の加齢との関連を次に
1.不妊症の定義と頻度
2.加齢と不妊症
Ⅰ 総論データとして示す。先に述べた,不妊因子がなく自然妊娠した患者の妊娠待時間(妊娠ま での周期数)を年代別にみたものである(図 1)5)。20 代前半では平均 3.3 周期であるが, 年齢が増えるにつれて必要とする期間は増加する。40 代では 15.4 周期と妊娠成立までに 多くの周期を要することがわかる(図 1 左)。この年齢変化は,ほかにも関与する因子は 考えられるが,流産率や染色体異常などの発生率と同様,卵子の加齢が最大の原因と考 えられている。このデータから不妊因子がなく自然妊娠する患者においても,長期間を 要することがわかる。このデータは加齢そのものが妊孕性に大きな変化をもたらすこと を示すものである。これは,30 代後半以降では不妊期間に縛られず,診療を進めること が是であることを示唆するものである。 これに対して男性の年齢について検討すると,男性全体での解析では,夫婦の年齢に 相関があるため,図 1 左の女性と似たパターンを示す。しかし,女性の年齢を 20 代に 限ってみると,図 1 右のように年齢が増加しても妊娠までに要する期間は変わらないこ とが明らかとなった。卵子は加齢により妊娠成立に対する能力に変化が生じているのに 対して,精子は常に新鮮なものが作られて,男性の加齢による変化を受けないと解釈さ れる。ただし,この検討は 40 代までであり,50 代,60 代では精子機能に問題が生じる といるとする報告もある6)。 体外受精の技術が生まれる前までは,卵管が完全閉塞ないし欠損する場合は絶対的不 妊症であった。今日では生殖補助医療技術のよい適応となっている。それでは,現在は
3.不妊症の範囲
図 1 男女の加齢と妊娠待時間 女性の年齢が増加するにつれ妊娠待時間も増加するが,男性ではパート ナーの年齢により,40 代まで変化しない。 (文献 5 より改変)絶対的不妊症とされる,卵子の欠如や子宮の欠損する場合は不妊症として生殖医療の対 象とするか否かが問題となる。その多くは性分化疾患であり7),前者はターナー症候群 や XY 女性が該当する。後者では Rokitansky-Kuster-Hauser(Rokitansky)症候群が代表 的であり,いわゆる非配偶者間体外受精の応用の可否である。 倫理的問題点8)や法的問題点9)は他稿に譲るとして,図 2 に生殖補助医療を適用した際 に生じる様々な親子関係を示す。 a の夫婦間の子どもは,父と母からそれぞれ半分ずつ遺伝子を受け継いでいる。 b は夫婦間の体外受精であり,受精は体外で起こるが,子どもは a の場合と同様,両 親から半分ずつ遺伝子を受け継いでいる。 c の非配偶者間の人工授精(AID)は,第三者から提供された精子で妊娠が成立するた Ⅰ 総論 図 2 生殖補助医療と親子関係 (文献 5 より改変)
め,遺伝的には半分は母親のものであるが,半分は第三者のものである。わが国では 60 年以上前から実施され,すでに 1 万人以上がこの方法により誕生しており,社会的に受 け入れられている。 d の提供精子による非配偶者間の体外受精は,遺伝的には,半分は母親のもので半分 は第三者のものであるという点では c と同じであるが,妊娠の成立が夫婦間以外の体外 受精であることが大きく異なる。 e も非配偶者間の体外受精だが,提供されるのは卵子である。遺伝的には父親と第三 者のものを半分ずつ持っており,出産する母親とは遺伝的な関係はない。 f は別の夫婦からの胚を移植することによる妊娠であり,子供は遺伝子上の両親から 遺伝子を引き継ぎ,出産する母親を含め,枠内の両親とは遺伝子の面では無縁というこ とになる。 g は f とは逆に,体外受精でできた胚をほかの人の子宮に移植するものであり,代理 懐胎といわれる。他国の報告には,子宮を欠いた患者の卵子を体外受精した上で,その 患者の母親に移植し,妊娠出産したという例がある。この場合,出産した母親が遺伝子 上は祖母ということになる。本年 10 月報告された Rokitansky 症候群患者の子宮移植に よる妊娠出産は,夫婦の胚を移植した子宮に移植したものである4)7)。 さらに h は複雑な問題を提起した。性同一性障害で女性から男性に戸籍がかわった場 合の精子提供による妊娠,出産である。法務省は最高裁の判決に基づき最近,実子とい う判断を示した10)。 i は死後生殖で夫の死後凍結精子の人工授精ないし顕微授精で妊娠,出産するもので ある。遺伝上は夫の子であるが,最高裁は法律上は実子としてみとめられないと判断し た。日本産科婦人科学会は会告で死後生殖を禁止している。 生殖補助医療の適応範囲は,技術的には可能でも,社会的に認知されるか否かは国に よって異なっているのが現状である。日本から年間数百人が米国やタイに赴いて妊娠し ているといわれる。わが国でも生殖医療の適応に関するルールの規定が,厚生科学審議 会,法制審議会や日本学術会議において検討されてきた9)。日本生殖医学会は卵子提供 を容認する方向を示している。卵子の提供による生殖補助医療をすでに実施している施 設もある。生まれてくる子どもの人権という面からの配慮も必要であり,いわゆる「出 自を知る権利」についても検討がなされ,法制化に向けた作業が進んでいる。医療現場 の声も集約して,広く国民的理解の得られる法整備が望まれる。
不妊症の診療にあたって
最初に不妊症診療の特殊性について考案する。一般の疾患の診療では,患者は何らか の身体症状を有し,その主訴に対して検査を行い,必要な治療を実施する。不妊症の診4.不妊症に対する検査,治療の進め方
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療も決して例外ではないが,特殊な合併症を有する患者を除き,通常は「健康人」であ ることが特異的であるといえる。もちろん初診時,身体的あるいは精神的合併症の有無 を聴取し,診療を進めるにあたって糖代謝異常や甲状腺機能,感染症,子宮頸がん細胞 診など不妊の原因となりうる基礎疾患や,妊娠が悪影響を及ぼす合併症の有無をチェッ クすることは重要である。原則的に患者は「健康人」である。この特殊性に鑑み,診療 にあたっては患者の健康を害することがないことを常に念頭に置く必要がある11)。 不妊症の原因は多岐にわたり,複合的疾患であるともいえる。不妊相談あるいは不妊 診療においては,まず不妊症に該当するかについて評価が行われ,該当する場合は系統 的に検査,治療が進められる。その前に妊娠を不可とする合併症を除外することも必須 である。特に妊娠により悪化することが想定される糖尿病,心疾患,腎疾患,脳血管障 害などを除外する。クライアントないし患者には,前項までに述べた妊娠成立の仕組み や不妊症とは何かを説明した上で,不妊症の検査,治療の流れを示す。不妊症の主な原 因は排卵・卵巣因子,卵管因子,男性因子の 3 つである。筆者が以前所属していた医育 機関では不妊症の初診患者のスクリーニング検査では,排卵・卵巣因子が 24%,卵管因 子が 29%,男性因子が 31%を占めていた。ほかにも子宮内膜症や子宮筋腫の合併なども あるが,不妊症の検査,治療の進め方は本書それぞれの項目で解説されている。
不妊症とインフォームド・コンセント
インフォームド・コンセント(informed consent)とは,文字通り information(説明)に 基づく consent(同意)である。これは,医療行為に限らず,人に対して何らかの行為を する際には,その行為についてあらかじめ説明し,相手の理解を得た上で,説明した行 為の実施についてその相手から同意を得る。説明を受けた患者が理解することなく同意 書にサインしたのでは意味がない。近年,わが国においても,医療訴訟が増加している が,そのなかには,医療行為上の過失とともに,インフォームド・コンセントの有無, 適否が争われることもある。医療の実践にインフォームド・コンセントの占める意義は 高まりつつある。そのなかで,生殖医療は前項に述べたように不妊状態を除けば「健康 人」であるという特殊性が加味される。体外受精などの生殖補助医療は健康が保証され て初めて対象となるが,生殖補助医療において実施する排卵誘発や採卵は決してリスク がないわけではない。正しく,不備のないインフォームド・コンセントがより重要にな る(表 1)12)。 インフォームド・コンセントにおいてまず問題になるのは,医師は“何を,どこまで 説明すべきなのか”という,いわば「説明責任」である。次にどのように患者の「理解」 を得るか,さらに「同意」をどのように得て,形に残すかということも問題になりうる。 われわれの行う医療と法律には馴染まない部分もあるが,不毛な医療訴訟などを未然に 防止するためにも,法的にみても不備のない「説明」を行い,記録を残す必要がある。 日本の医療現場の現状を考えると,多忙な医師や医療関係者はインフォームド・コン セントを考慮しつつ,診療内容や副作用,合併症について説明をしてきている。しかし
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Ⅰ 総論法あるいは裁判所が最小限必要と認定するレベルを必ずしも満たしていない場合がある のも現実の問題である。判例などをみると,実施予定の医療についてのみばかりではな く,代替可能な医療があれば,その医療とそれに伴うリスクについても比較し説明しな ければならない。 排卵誘発・採卵のリスクのみならず,児の染色体異常や奇形へのコメント,男性因子 の重症例のなかにはその男性因子が男児に引き継がれる可能性にも言及する必要があ る。また生殖補助医療で生まれた児は匿名化の上で異常の有無を学会に報告することも 説明する。自然災害で凍結胚が被害にあった場合は免責となることも明記すべきであろ う。表以外にも,個別に必要項目を加えた具体的な治療スケジュールや胚発育の図など を用いて説明を加え,十分な理解を得る。 銀しろがねも金くがねも玉も何せむに まされる宝 子に如しかめやも (万葉集・山上憶良) 子どもを持つ喜びは今も昔も変わらない。生殖医療は,かつてなかったほど多くの方 にその喜びを提供している。しかし生殖医療の適応のしかたによっては,従来の民法の 想定外の複雑な親子関係や非配偶者間の ART により生まれた子の福祉など,多くの問 題が存在するのも事実である。生殖医療は成績向上のみならず,安全性を重視し倫理に 基づいた実施の必要性がある。国民の理解に基づいた立法による適応範囲の規定が望ま れる。またリプロダクティブ・ヘルスの観点から,女性が輝きながら安心して出産育児 ができる社会体制の確立も重要である。さらにヒトの性と生殖の特異性など,若い世代 への教育も早急に対応する必要がある。
お わ り に
インフォームド・コンセントの要点 患者の病名・病態 実施する医療の目的・必要性・有効性 その医療の具体的な内容・性格 医療に伴うリスクとその発生率 代替可能な医療とそれに伴うリスクとその発生率 何も医療を行わなかった場合に得られる結果 表 11)WHO:TheWHODefinitionofReproductive Health http://www.rho.org/html/definition_.htm 2)日本産科婦人科学会 ART データブック 2014 http://plaza.umin.ac.jp/~jsog-art/2012data. pdf 3)国立社会保障・人口問題研究所第 14 回出生動向 基本調査「結婚と出産に関する全国調査」夫婦 調査の結果概要 http://www.ipss.go.jp/ps-doukou/j/doukou14/ doukou14.asp 4)BrännströmMetal:Livebirthafteruterustrans-plantation.LancetPublishedonline:October 5th,2014 5)堤 治:不妊症とは.山王病院不妊診療メソッ ド(編著:堤 治,藤原敏博),p13-18,金原出 版,2013 6)LevitasEetal:Relationshipbetweenageand semenparametersinmenwithnormalsperm concentration:analysisof6022semensam-ples.Andrologia39:45-50,2007 7)堤 治ほか:不妊症の原因 7.性分化疾患.産婦 の実際 63:1556-1563,2014 8)吉村𣳾典:生殖医療における倫理的問題点.産 婦の実際 63:1481-1486,2014 9)丸山英二:生殖医療における法的問題点.産婦 の実際 63:1487-1495,2014 10)岡垣竜吾:GID 当事者の生殖医療.産婦の実際 63:1648-1650,2014 11)堤 治:不妊症に対する検査,治療の進め方. 山王病院不妊診療メソッド(編著:堤 治,藤原 敏博),p19-26,金原出版,2013 12)堤 治:インフォームドコンセント.山王病院 不妊診療メソッド(編著:堤 治,藤原敏博), p27-35,金原出版,2013 文 献 Ⅰ 総論