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Vol.29 , No.2(1981)033倉橋 観隆「日蓮聖人の倫理観についての一考察」

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Academic year: 2021

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日 蓮 聖 人 の 倫 理 観 に つ い て の 一 考 察 ( 倉 橋) 一 四 〇

﹁ 倫 理 ﹂ と い う 概 念 は 未 だ 我 が 国 に お い て は 様 々 な 規 定 が な さ れ て お り、 況 や 宗 教 と 倫 理 の 関 係 に な る と そ れ 以 上 に 大 き な 問 題 を 孕 ん で い る の が 現 状 で あ る。 こ の よ う な 状 況 の 下 に 日 蓮 聖 人 の 宗 教 に お け る 倫 理 性 の 問 題 を 取 り 扱 つ て い く に は 種 々 の 側 面 が 存 在 す る の で あ る が、 倫 理 徳 目 を 取 り 上 げ て、 そ れ と 聖 人 の 教 義 と の 関 わ り を 検 討 し て い く こ と も、 そ の 一 つ と 思 わ れ る。 そ こ で、 そ の 試 み と し て、 ﹁ 正 直 ﹂ と い う 徳 目 を 取 り 上 げ て、 正 直 の 思 想 と 日 蓮 聖 人 の 教 義 と の 関 わ り を 考 察 し て み た い と 思 う。 今 回 は 日 蓮 聖 人 の 遺 文 を 一 瞥 し、 法 華 経 引 用 文 及 び 法 華 経 の 表 現 方 法 に み る 聖 人 の 正 直 に 対 す る 見 解。 も う 一 点 は、 聖 人 の 行 動 に み ら れ る 経 文 受 容 の 姿 勢。 こ の 二 点 を 中 心 に 一 考 し て み た い と 思 う。 日 蓮 聖 人 は 遺 文 中 に 法 華 経 自 ら が 正 直 の 経 で あ る こ と を 示 す 文 を 引 用 し て い る。 そ の 中 で も 取 分 け ﹃ 方 便 品 ﹄ の ﹁ 正 直 捨 方 便、 但 説 無 上 道 ﹂ の 文 を 重 視 し て い る。 た と え ば ﹃ 可 延 定 業 御 書 ﹄ に ク

言、

也。

便

り。

ヘ ヘ フ 証 明 を 加、 諸 仏 舌 相 を 添 給。 い か で か む な し か る べ き。 ( 八 六 一) と 示 さ れ て い る よ う に 聖 人 遺 文 の 処 々 に 引 用 さ れ て い る。 と こ ろ で、 こ の ﹁ 正 直 捨 方 便 ﹂ と は 仏 の 金 言 で あ る 一 切 経 の 中 で、 殊 に 法 華 経 は 四 十 余 年 の 経 々 を 方 便 と し て 打 捨 て、 正 に 如 来 の 真 意 を 正 直 に 明 か し た 経 で あ る と い う の で あ る。 さ ら に こ の 所 説 は 単 に ﹁実 語 の 人 ﹂ た る 釈 迦 一 仏 の 言 葉 に 留 ま る の で は な く、 ﹃ 宝 塔 品 ﹄ に お け る 多 宝 仏 の 証 明 や 十 方 分 身 仏 の 広 長 舌 相 に よ つ て 一 層 真 実 性 が 確 定 的 に な つ た の で あ る。 こ の 説 相 は ﹃ 浬 繋 経 ﹄ の ﹁依 法 不 依 人 ﹂ と い う 経 典 選 択 の 大 前 提 に 立 脚 し、 仏 の 真 意 が 明 か さ れ た 経 典 を ひ た す ら 求 め て い た 聖 人 に と つ て 法 華 経 を 選 び 取 ら せ た 最 大 の 要 素 に な つ た の で あ る。 さ ら に、 旦 連 聖 人 自 身 は こ の 法 華 経 を 次 の よ う に 表 現 し て い る の で あ る。 ﹃ 法 門 可 被 中 様 之 事 ﹄ に は ﹁ 仏 法 の 中 に 法 華 経 こ そ 正 直 の 御 経 ﹂ ( 四 五 五) や ﹃ 戒 体 即 身 成 仏 義 ﹄ に は ﹁ 法 華 経 已 前 の 経 は 不 正 直 の 経、 方 便 の 経。 法 華 経 は 正 直 の 経、 真 実 の 経 也。 ﹂ ( 一 一) と 法 華 経 を 正 直 の 経 と い い、 そ の 他 の 一 切 経 を 不 正 直 の 経 と い う の で あ る。 ま た、 正 直 と い う 表 現 で は な い が、 仏 の 御 心 を 正 直 に 明 か し た 経 と い う 意 味 で ﹁ 実 語 の 中 の 実 語 ﹂ ( ﹃ 日 妙 聖 人 御 書 ﹄ 六 四 七)、 ス シ フ ﹁ 法 華 経 と 中 は 随 自 意 と 中 て 仏 の 御 心 を と か せ 給。 ﹂ ( ﹃ 随 自 意 御 書 ﹄ ノ ノ 一 六 一 一)、 ﹁ 三 世 仏 陀 本 懐 之 説 ﹂ ( ﹃ 曾 谷 二 郎 入 道 殿 御 報 ﹄ 一 八 七 四) と い う よ う に 表 現 さ れ て い る の で あ る。 以 上、 日 蓮 聖 人 の 法 華 経 引 用 文、 及 び、 聖 人 自 身 の 法 華 経 の 表 現 方 法 と い う 点 か ら み た 時、 聖 人 の 経 典 選 択 の 基 準 に は 釈 尊 の 真 意 を あ り の ま ま に 明 か し た 経 で な け れ ば な ら な い、 と い う 意 味 で 正 直 と い う 考 え 方 が あ つ た こ と が 確 認 で き よ う。 次 に、 日 蓮 聖 人 の 行 動 に お け る 経 文 受 容 の 姿 勢、 換 言 す る な ら ば ﹃ 開 目 抄 ﹄ に 述 べ ら れ る ﹁ 事 と 心 と 相 符 り ﹂ ( 五 三 八) と い う 考 え

(2)

-622-方 に 示 さ れ る よ う に 経 文 と 現 象 の 一 致 に お い て、 そ の 根 底 に 正 直 の 思 想 が 確 認 で き る の で は な か ろ う か。 こ の 点 に つ い て は 聖 人 の 弘 経 活 動 と 迫 害 忍 受 の 姿 勢 の 面 か ら 検 討 を 加 え て み る。 ま ず、 日 蓮 聖 人 の 弘 経 姿 勢 に つ い て は、 ﹃ 開 目 抄 ﹄ に ﹁ 五 ケ の 鳳 詔 に を ど う き て 勧 持 品 の 弘 経 あ り ﹂ ( 五 九 〇) と あ る よ う に、 五 箇 の 鳳 詔 と い う 釈 尊 の 滅 後 法 華 経 弘 通 の 勧 奨 が ﹃ 宝 塔 品 ﹄ ﹃ 提 婆 品 ﹄ に て な さ れ る の で あ る。 そ れ を 受 け て、 次 に 続 く ﹃ 勧 持 品 ﹄ の 二 十 行 の 偶 文 は、 菩 薩 の 滅 後 弘 経 の 発 誓 な の で あ る。 日 蓮 聖 人 も こ の 五 箇 の 鳳 詔 と 勧 持 品 の 文 を、 そ の 要 請 通 り 受 け 取 り、 ﹃ 勧 持 品 ﹄ の 二 十 行 の 偶 文 に 従 つ て 忍 難 慈 勝 の 弘 経 活 動 を 展 開 し て い く の で あ る。 さ ら に、 同 じ く ﹃ 開 目 抄 ﹄ に ﹁ 退 転 せ じ と 願 し ぬ ﹂ ( 五 五 七) と、 聖 人 の 弘 経 に 先 立 つ て の 逡 巡 と 決 意 が 述 べ ら れ て い る と こ ろ に、 如 来 の 要 請 に 随 順 し て い こ う と す る、 正 直 者 と し て の 聖 人 の 姿 が 伺 え る の で あ る。 こ れ に 加 え て、 弘 経 方 法 に お い て は 折 伏 弘 通 を 展 開 し て い く の で あ る。 ﹃ 法 門 可 被 中 様 之 事 ﹄ に 日 本 国 に は 日 蓮 一 人 計 こ そ 世 間 ・ 出 世 正 直 の 者 に て は 候 へ。 其 故 は 故 最 明 寺 入 道 に 向 て、 禅 宗 は 天 魔 の ぞ い ( 所 為) な る べ し。 の ツ ち に 勘 文 も て こ れ を つ げ し ら し む。 日 本 国 の 皆 人 無 間 地 獄 に 堕 ベ ル ス し。 こ れ ほ ど 有 事 を 正 直 に 中 も の は 先 代 に も あ り が た く こ そ。 ( 四 五 五) と 示 さ れ る よ う に、 諦 法 者 に 対 し て は そ の 諺 法 の 由 を 正 直 に 明 か し、 諌 暁 し て い く の で あ る。 以 上 の よ う に、 釈 尊 の 要 請 に 随 順 し、 諺 法 者 の 科 を あ り の ま ま 告 げ 知 ら し め、 延 い て は 法 華 経 信 仰 に 帰 入 せ し め よ う と す る と こ ろ に、 聖 人 が 自 己 を ﹁ 正 直 の 者 ﹂ と し た 所 以 が 確 認 で き る の で あ る。 さ て 次 に、 日 蓮 聖 人 が 法 華 経 の 経 説 通 り 弘 法 し た 結 果 招 く 迫 害 受 難 の 受 容 の あ り 方 に つ い て 考 察 し て み る。 こ の 点 に つ い て は ﹃ 開 目 抄 ﹄ ( 五 五 九 六 〇) に 端 的 に 伺 え る。 す な わ ち、 ﹃ 勧 持 品 ﹄ に 記 さ れ た 滅 後 末 法 に お け る 法 華 経 弘 通 者 の 迫 害 受 難 の 文 を 逐 次 に 現 実 と 照 合 せ し め て い く の で あ る。 ﹁悪 口 罵 四言 加 刀 杖 瓦 石 ﹂ は 東 条 景 信、 平 頼 綱 等 を 始 め と す る 念 仏 者 等 に よ つ て 加 え ら れ、 日 蓮 聖 人 の こ れ ま で の 弘 経 生 活 が こ の 連 続 で あ り、 ﹁邪 智 心 詔 曲 の 比 丘 ﹂ は 聖 人 に 迫 害 を 加 え る 念 ・ 禅 ・ 律 等 の 法 師 等 で あ り、 ﹁ 常 在 大 衆 中 乃 至 向 国 波 羅 門 居 士 ﹂ は 建 長 寺 道 隆 や 極 楽 寺 良 観 等 の 日 蓮 聖 人 の 流 罪 策 謀 者 で あ る。 さ ら に、 ﹁数 々 見 濱 出 ﹂ と あ る 通 り、 聖 人 は 数 度 に 及 ぶ 追 放、 流 罪 を 体 験 す る の で あ る。 こ れ ら の 符 合 に よ つ て こ の 釈 尊 の 金 言 た る 法 華 経 の 真 実 性 が 証 明 さ れ 得 た の で あ る。 も し、 こ の 現 象 が 経 説 と 違 背 す る な ら ば 法 華 経 は 虚 説 と な り、 仏 自 身 妄 語 し た こ と に な る。 こ の よ う に 日 蓮 聖 人 自 身 が 法 華 経 の 経 説 を 色 読 し て、 仏 語 の 真 実 な る こ と を 実 証 す る こ と に よ つ て、 法 華 経 が ﹁ 正 直 の 経 ﹂ で あ る こ と を 顕 示 し て い つ た の で あ る。 以 上、 小 結 す る と 旦 連 聖 入 は ﹁ 正 直 捨 方 便 ﹂ し、 釈 尊 の 真 意 を 示 し た 正 直 の 経 な る 法 華 経 を、 そ の 教 相 通 り 仏 の 未 来 記 と し て 受 容 し、 法 華 経 の 要 請 通 り 死 身 弘 法 し て い つ た と こ ろ に ﹁ 正 直 の 者 ﹂ と い う こ と が い え、 ま た 死 身 弘 法 の 結 果 招 く、 数 々 の 迫 害 受 難 が 法 華 経 が 正 直 な る こ と を 同 時 に 証 明 す る 結 果 と な つ た の で あ る。 こ の よ う に、 ﹁ 正 直 の 経 ﹂ と ﹁ 正 直 の 者 ﹂ の 相 即 し 合 つ た 姿 が 聖 人 の 宗 教 の 根 底 に あ り、 こ こ に 日 蓮 聖 人 の 教 義 と 正 直 の 思 想 の 関 わ り が み ら れ る の で あ る。 引 用 文 下 の 頁 数 は ﹃ 昭 和 定 本 日 蓮 聖 人 遺 文 ﹄ の 頁 を 示 す。 ( 立 正 大 学 大 学 院) 日 蓮 聖 人 の 倫 理 観 に つ い て の 一 考 察 ( 倉 橋) 一 四 一

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