イラスト・機体解説◎二宮茂樹
ベル XFL-1エアラボニタ
[P.39 〜] Bell XFL-1 Airabonita XFL-1 試作1号機(Bu.No.1588)[1940年5月]/おそらく初飛行時の塗 装で胴体は無塗装。主翼の上面はクロームイエロー、下面は無塗装。方向 舵は青白赤に塗り分けられている。方向舵に「XFL-1」の文字があるだけで 他には一切無い。大きめの国籍マークが主翼の上下面に描かれている。 XFL-1 試作1号機(Bu.No.1588)[1941年2月]/海軍から引導を渡され た前後のカラーリング。基本的に主翼や胴体は変わらないが、主翼の国籍 マークは小さくなり、改修を重ねた垂直尾翼はラダーにシルバードープが 塗られている。また水平尾翼下に「U.S.NAVY」の文字が書かれている。 FL-1 アメリカ海軍VF-17 17-F-15(Bu.No.不明)[1943年]/ VF-17 は1943年1月にFL-1を受領、部隊マークの海賊旗が機首に描かれた。 部隊は空母バンカーヒルに搭載され太平洋戦域に進出、日本軍相手に多 くの戦果を上げた。1944年からF6Fに機種転換。(架空塗装/架空設定) エアラボニタ イギリス海軍 846NAS「A」(シリアルJT162)[1944年]/ 846NASは 1943年にアメリカで編成され当初はアヴェンジャーを装備していたが翌年にエアラボ ニタを受領し6月にはノルマンディー作戦に参加した。翌年欧州戦域の戦闘終了で解散 した。(架空塗装/架空設定)ラーヴァチキン LaGG-3
[P.99 〜] Lavochkin LaGG-3 LaGG-3 145GvIAP「76」(シリアル不明)[1942年]/ソビエト空軍第145戦闘機連 隊第2飛行隊の司令官レオニード・ガルチェンコ大尉の乗機。垂直尾翼の黒猫は当初白 猫だったが1942年の春に白の機番「76」や赤い星を黒で消す際に黒猫に変えられた。 猫の前には小さなネズミも描かれている。 LaGG-3 88IAP「41」(シリアル6641)[1942年]/ソビエト空軍第88戦闘機連隊所 属機でポストノフ(階級不明)の乗機とされているが白いスピナーとラダーは第9戦闘機 連隊機であることを表している上、この機体と一緒の写真に写っているポストノフなる 人物は海軍の装備を装着している。 LaGG-3 日本陸軍飛行実験部(シリアル不明)[1942年]/ 1942年満州に政治亡命し たソビエト空軍曹長の機体で満州で修理され陸軍飛行実験部でテストを行った。1式戦 闘機ともテストしたが速度が速いだけで他に秀でた性能は無いとされた。後に日本に運 ばれたが離陸時に事故を起こし飛べなくなった。 LaGG-3 フィンランド空軍 LeLV32(シリアルLG-1)「1944年]/フィンランド空軍 は鹵獲したソビエト空軍のLaGG-3を修理、自国軍機として運用した。フィンランド空 軍では3機のLaGG-3を運用しソビエト空軍のPe-2爆撃機の迎撃にあたらせた。Pe-2 は撃墜できなかったがLaGG-3の撃墜記録は残っている。XF-84H 試作1号機(シリアル51-17059)[1954年]/ロールア ウト時の塗装。全面無塗装で機首上面のアンチグレアとドーサルス パイン両脇はオリーブドラブに塗装。ドーサルスパインとキャノピ ー後方の三角形の小翼、ヴォーテックスゲイトはつや消し黒に塗ら れている。垂直尾翼のシリアルは「17059」と記入されている。 XF-84H 試作2号機(シリアル51-17060)[1955年]/2号機は 1955年1月にリパブリック社ファーミングデール工場でロールア ウト、この時の塗装は1号機とほぼ同じだがドーサルフィン両脇ウ ォークウェイのオリーブドラブ塗装がいったん途切れている。垂直 尾翼のシリアルナンバーはこの時から「117060」と書かれている。 XF-84H 試作1号機(シリアル51-17059)[1955年]/テスト時 の塗装。ロールアウト時の塗装とほぼ同じだが垂直尾翼のシリアル は「117059」と描かれている。機首の「FS-059」はバズ・ナンバー と呼ばれ、前のアルファベット2文字で機種を示し、後ろの3桁の数 字はシリアルナンバーの下3桁と同じ。1号機は11回飛行。 XF-84H 試作2号機(シリアル51-17060)[1956年]/2号機は 1956年10月に初飛行したがそれが最初で最後の飛行となった。 初飛行時の塗装はドーサルスパインやヴォーテックスゲートの黒塗 装が剥がされ、代わりにインテークが赤く塗られている。2号機は この年のエドワーズ基地のオープンハウスで一般に公開されている。
リパブリック XF-84H
サンダースクリーチ
[P.123 〜] Republic XF-84H Thunderscreechリウー102T アレリオン
[P.165 〜] Riout 102T Alerion 1937年にロールアウトしたアレリオ ンは胴体の構造が鋼管フレームに金属 外皮で特に塗装はされていないようだ。 主翼と水平尾翼は鋼管フレームに羽布 張りでシルバードープが塗られている ように見える。垂直尾翼も主翼、水平 尾翼と同じような構造だが前部の垂直 安定板も含め前から青白赤のフランス 国旗風に塗り分けられている。ロール アウト時の胴体はエンジン周り以外滑 らかできれいなのだが予備試験後シャ レー・ムードンで実験を開始した時点 では胴体に楔形の穴がいくつか開けら れている。おそらくエンジン冷却用の エアインテークおよびアウトレットと 思われる。ベアトリス 「 どこもかしこも引っくるめて、それが全く巧く出来たもので、 悪い所が渾然と一体をなしていて、美点の附け入る隙が一分も無い所……」 シェイクスピア 『空騒ぎ』 第Ⅴ幕第2場 (福田恆存訳)
7 序 文 操縦士として飛行機を飛ばしていると、その機体になにかしらの不満を感じることがあります。それは椅子が 硬くて尻が痛いというような些細な問題から、スイッチに手が届かないから操作できないみたいな困る問題まで 様々です。不満があっても、そこは量産され世界中で使われている飛行機、駄作機ではないわけで我慢して飛び ます。そんな不満は些事だ、本当の駄作機とはこういうものだよと教えてくれる『世界の駄っ作機』は私の愛読 シリーズです。 でも実は傑作と駄作の境界は難しいと思うのです。有名な曲技飛行機のピッツスペシャル、初飛行は1944 年、 75年に渡って曲技飛行愛好者に愛される傑作機です。私も大好きな機体です。しかしこの機体は、地上での 直進安定性がかなり悪い上に、地上にいるときに燃料計を見ても表示は正しくない(このせいで燃料切れの事故 が 多 い )、 私 の よ う に 背 が 低 い と ラ ダ ー に 足 が 届 か な い、 な ど な ど 不 満 点 は た く さ ん あ り ま す。 そ も そ も、 地 上 では正面前方は見えませんし、着陸時も滑走路の先は見えず、周辺視野で左右に見える滑走路の両端を見て降ろ
序
愛
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き
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作
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飛
行
機
開
発
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挫
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歴
史
内
海
昌
浩
8 す と い う だ け で、 現 代 の 普 通 の 操 縦 士 達 に は 受 け 入 れ が た い 機 体 で し ょ う。 航 続 距 離 が 短 く、 巡 航 速 度 は 遅 く、 燃費は悪く、快適とは程遠いシート、非常に悪い前方視界、安定性が低く過敏な操舵系……曲技飛行しない人に は駄作機と言われそうです。つまり視点が変わると傑作機も駄作機となりうるのです。 そうすると、せっかく世に出た飛行機に「駄作」の烙印を押してしまう岡部さんは、いつか誰かに刺されてし ま わ な い だ ろ う か ? と 不 安 に な る 訳 で す が 、 本 文 を 読 ん で い た だ け れ ば そ の 心 配 が 無 い こ と が す ぐ に 分 か り ま す。まるで駄目な部分をいとおしむような機体への愛に満ちた文章と挿絵は、当の機体関係者が読んだとしても 苦笑いしながら頷いてしまうでしょうから。 2 0 0 8 年 に 私 は 愛 機 を ピ ッ ツ ス ペ シ ャ ル S ︱ 2 B か ら エ ク ス ト ラ 3 0 0 L に 変 更 し ま し た 。 複 葉 機 か ら 単 葉 機 に 乗 り 換 え た わ け で す 。 当 時 、 ピ ッ ツ ス ペ シ ャ ル に 乗 る 仲 間 達 に は 「 悪 魔 に 魂 を 売 り や が っ た 」「 ダ ー ク サ イ ド に 堕ちた」などと言われたものでしたが、1秒間に400度のロールレイトでロールし、プラスもマイナスも 10G の荷重に耐えるという高性能機に乗り換えた感動は今でも昨日のように思いだせます。 エクストラはピッツスペシャルと違い、地上での安定性が良く着陸が容易で、燃料計は正確、背もたれは程良 く後ろに傾いていて、ラダーが短足の私にも合うよう調整できる、航続距離も長く、巡航速度も速い、もう不満 なんて何もない夢のような飛行機に感じたものです。ところが、機体に慣れてくると様子が変わってきます。不 満が出てくるのです。ピッツスペシャルを懐かしみ恋しく思う不満と、エクストラに満足せず更なる高性能を求 める不満です。操縦士は皆とても我儘なんだと思います。 エクストラ300シリーズは、曲技飛行専用の飛行機としてデザインされた非常に丈夫な機体です。両主翼は 貫 通 す る カ ー ボ ン フ ァ イ バ ー の 支 柱 が 支 え て い ま す 。 開 発 中 、 計 算 値 で 耐 荷 重 25G の 支 柱 を 設 置 し た と こ ろ 、「見
9 序 文 た目ちょっと細くて頼りない」という計算値丸無視の意見により支柱を2枚重ねて置いたため、主翼の耐荷重は 40Gを超えます。フレーム強度も同様の発想で安全で頑丈な作りなのですが、これすらも不満の原因となってい ます。頑丈すぎて壊れても気付かないという不満です。なんだそりゃ? と思うかもしれませんが我々にとって は大事なことです。 私の友人は機体を借りての競技飛行の訓練中に、バキッという異音と衝撃を経験しました。すぐに水平飛行に して、恐る恐る不具合を確認するけど何の違和感もない、徐々に荷重をかけて動いてみても少しもおかしなとこ ろはない。それでも念のためにと一度着陸してみると、胴体の鋼管フレーム2ヵ所に破断があったそうです。1 つ目の破断箇所は気付かれずにその日まで飛んでいたようで古く、2ヵ所目の破断も彼が気付かなければ飛び続 けただろうと考えると怖いことです。私自身もある日、飛行前点検でトリムタブがプラプラになっていることに 気付いたことがあります。トリムタブは2本のケーブルで支えられており1本切れても大丈夫という作りなので すが、1本でも大丈夫すぎて結局2本切れるまで気付かない、2本とも切れても飛行中には気付かないというこ とだったのです。壊れたら壊れたと分かるくらい弱くしてくれってのも変な不満ですけど。 今、私の手にビールを持たせて、エクストラ300Lに対する不満を聞いたら夜通し止まらず語るだろうと思 い ま す 。 そ し て 「 じ ゃ あ エ ク ス ト ラ 3 0 0 L や め て 乗 り 換 え る か ? 」 と 聞 か れ た ら 、「 何 を 馬 鹿 な こ と を ! あ ん なに良い飛行機はないぞ!」と言い出すに違いありません。 『世界の駄っ作機』で語られる駄目飛行機達の話は、 我々操縦士が自分の愛機を語るのに似た、岡部さんの機体への愛情が溢れており、それゆえに読む者を惹きつけ るのでしょう。 ライトフライヤーが飛んでから115年経ちました。航空機は改良され続け、複葉機から単葉機、プロペラ機
1 0 からジェット機となり、今では数百の乗客を乗せて大陸をまたぎ、音速の数倍で飛び、宇宙空間まで活動の場と し つ つ あ り ま す 。 そ ん な 航 空 機 も 、 他 の 科 学 技 術 同 様 に 先 人 の 失 敗 と 苦 労 の 積 み 重 ね の 上 に 現 在 の 姿 が あ り ま す。 サ ミ ュ エ ル ・ ス マ イ ル ズ は 、「 機 械 技 術 の 分 野 に い ち ば ん 必 要 な の は 挫 折 の 歴 史 で あ る 。 私 は ヘ マ な 失 敗 例 を 集 め た書物が欲しい」という言葉を残していますが、岡部さんの『世界の駄っ作機』こそ、まさにヘマな失敗例を集 めた名著と言えます。作る前に気付かなかったのか? と思うようなポンコツな発想の機体、あれもこれもと多 く を 求 め た ら 何 も か も 駄 目 に な っ た 機 体 、 機 体 自 体 に は 罪 は 無 い の に 運 用 側 が 正 し く 使 わ な か っ た こ と で 「 駄 作」 の汚名を着せられた機体、良い機体だったのに出来上がった時には不用品になっていた機体など、様々なヘマな 失敗例が愛情に満ちた軽快な文章と挿絵で解説されており、先人の苦労や後悔を偲びつつも笑ってしまい、そし てライト兄弟以降、綿々と続けられてきた航空機開発の挫折の歴史を学べてしまうのです。 『世界の駄っ作機』は航空機の歴史115年の二割という途方もない期間に渡り続いている名著です。そしてス マ イ ル ズ も 羨 む で あ ろ う 『 世 界 の 駄 っ 作 機 』 と い う 名 著 の 列 に こ の 本 が 新 た に 加 わ る こ と を 皆 さ ん と 一 緒 に 喜 び、 本書の序文とさせていただきます。 1971年生まれ。競技曲技飛行チーム 「ウイスキーパパ」 のチームオーナー兼パイロット。 10年以上アメリカで操縦訓練等を受 け、日本人初、そしで唯一FAA (米連邦航空局) のエアショーライセンス最高位の無制限クラスを保有する。2019年に放送 されたTVアニメ 『荒野のコトブキ飛行隊』 では “特殊飛行アドバイザー” を務めた。 内海昌浩●う つ み ま さ ひ ろ
ブ
ラ
ッ
ク
ホ
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ク、
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ウ
ン
!
カーチスXP-87
ブラックホーク
Curtiss XP-87 Blackhawk 全幅:18.3m 全長:19.2m 全高:6.2m 自重:12,671㎏ 総重量:18,087㎏ エンジン:ウェスティングハウスXJ34-WE-7 ターボジェット(推力1,360㎏)×4基 最大速度:856㎞ /h(高度8,930m) 航続距離:3,043㎞(ドロップタンク装備) 実用上昇限度:13,716m 武装:20㎜機関砲×4門(予定) 乗員:2名1 7 C u r t i s s X P - 8 7 B l a c k h a w k
第
2
次
大
戦
も
末
期
の
1
9
4
5
年
3
月
、ア
メ
リ
カ
陸
軍
航
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夜
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戦
闘
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闘
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P
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ク
ウ
ィ
ド
ウ
の
後
継
と
な
る
機体をジェット機にしようと考えたのだ。
その要求に応えたメーカーの中に、アメリカ戦闘機の老舗、カーチス・ライト社があった。カーチス社は実
は
そ
の
前
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ら
ジ
ェ
ッ
ト
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の
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機
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て、
1
9
4
5
年
2
月
に
は
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ク
ア
ッ
プ
ま
で
作
っ
てて、
一応試作機2機の発注をもらってた。カーチス社はこのXA
―43を基にして夜間戦闘機の設計案を提出、
1
9
4
5
年
12月
に
は
陸
軍
は
こ
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P
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て
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機
2
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注
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た。
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軍
は
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チ
ス
社
に
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P
―87に
注
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しやすくするためもあってXA
―43の方は中止した。
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間
戦
闘
機
要
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社
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に
は
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メ
リ
カ
陸軍がカーチス社に仕事を与えてやりたかったという理由もあったみたいだ。
カ
ー
チ
ス
社
は
1
9
2
0
年
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リ
カ
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軍
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な
戦
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て、
第
2
次
大
戦
で
も
P
―40や
海
軍のSB2Cヘルダイヴァー急降下爆撃機を生産したものの、実はそれ以降に開発した飛行機がことごとく不
採用に終わってた。カーチス社には大戦後の軍用機の仕事が何も無かったし、民間機市場に乗り出せるような
構想も無かった。カーチス社はニューヨーク州バッファローやミズーリ州セントルイスにあった工場も閉鎖し
て、オハイオ州コロンバスの海軍所有の工場に作業を集約しなくちゃならなくなってたのだった。カーチス社
1 8
としてはXP
―87に最後の望みを託すことになった。
X
P
―87は
中
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の
直
線
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で、
主
翼
の
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J
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エ
ン
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ン(
推
力
1
3
6
0
㎏)を2基ずつ装備した。つまり4発ジェット戦闘機だな。コクピットはパイロットとレーダー手の並列複座
だった。
武装は当初、機首と尾部にリモートコントロールの
12・7㎜連装機銃を装備することを考えてた。胴体下面
には兵装ベイがあって、そこにロケット弾や、場合によっては爆弾を搭載するつもりもあったようだ。でも武
装案はすぐに変更されて、機首にはマーチン社製の
20㎜機関砲4連装の回転銃座(機関砲の向きは
90度まで動
く
)
を
つ
け
る
こ
と
に
な
っ
た。
そ
れ
が
ま
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変
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機
首
に
は
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機
関
砲
4
門
を
固
定
装
備
し
て、
尾
部
の
12・
7㎜連装銃座もやめることになった。
これでⅩP
―87は機体の翼幅がおよそ
18m、
重量は約
20トン、
当時の戦闘機としてはすごく大型だし、
重量は
カ
ー
チ
ス
社
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機
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た。
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夜
間
戦
闘
機
だ
か
ら
黒
く
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ら
れ
る
ん
で、
カ
ー
チ
ス
社
戦
闘機の伝統の名前であるホークを継いで、ブラックホークと名付けられた。
ブラックホークの試作1号機は、陸軍航空隊が空軍として独立して間もない1947年
11月に完成、地上滑
走テストの後、カリフォルニア州のミュロック乾湖に陸路運ばれて、そこで1948年3月に初飛行した。初
期
の
テ
ス
ト
じ
ゃ
一
応
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ゃ
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と
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ん
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ん
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と
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ッ
テ
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ン
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が
起
き
る
こ
と
が
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か
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1 9 C u r t i s s X P - 8 7 B l a c k h a w k
た
。
それにエンジンの推力もメーカーの保証値に届かなくて、そのままじゃパワー不足だった。
バフェッティング問題の解決のために、水平尾翼の付け根に流線型のフェアリングを付けることにした。エ
ン
ジ
ン
も
量
産
型
で
は
推
力
2
7
0
0
㎏
級
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ジ
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ク
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47の
双
発
に
改
め
て、
試
作
2
号
機
(
46
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47双発で作られることになった。
それでもアメリカ空軍は1948年6月には、
実用型F
―87Aを
50機と、
写真偵察型のRF
―87Aを
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し
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P
―87の
方
は、予定してた最大速度を
12%も下回る速度しか出せなかったし、バフェッティングも治らなかった。他にも
失速特性が悪い、着陸速度が高い、離陸時の加速が遅いとか不満な点が多々あった。
そ
こ
へ
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て、
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年
8
月
に
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ア
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カ
空
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の
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り
も
有
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な
成
績
を
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て、
こ
れ
で
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軍
は
心
変
わ
り、
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採
用
す
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こ
と
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た。
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社
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と
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は
1
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4
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年
10月
に
あ
っ
さ
り
取
り
消
さ
れ
てしまった。
これでカーチス社は期待していた仕事を失って、
航空機部門を閉鎖、
コロンバスの工場は海軍に返却されて、
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ス
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メ
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カ
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社
が
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と
に
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た。
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P
―87は
そ
の
後
も
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ス
ト
に
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わ
れ
て、
2
号
機
は
未
完
成
の
ま
ま
部
品
取
り
に
使
わ
れ
た。
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チ
ス
戦
闘
機
の
長
い
伝
統
は、
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の
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F
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ラ
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ホ
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ク
の
失
敗
を
以
っ
て、
あ
ん
ま
り
惜
し
くないような終焉に至ったのでありました。
2 0