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肢体不自由児療育の歴史的変遷と小児理学療法士専門職への課題

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Academic year: 2021

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(1)理学療法学 第 42 巻第 8 号 789 ~ 肢体不自由児療育の歴史的変遷と小児理学療法士専門職への課題 790 頁(2015 年). 789. 分科学会シンポジウム 5(日本小児理学療法学会). 肢体不自由児療育の歴史的変遷と小児理学療法士専門職への課題* 紀 伊 克 昌**. 理学療法士・作業療法士制度の誕生の背景には,高木憲次教. 自由児を対象とした施設が多く誕生し,機能訓練を担当する職. 授を代表として昭和初期からはじめられた療育の調査研究グ. 員も急増した。機能訓練に携わる訓練士仲間が集まり「肢問研」. ループの活動歴史があった。「療育とは,現代の科学を総動員. (肢体不自由児問題研究会)という相互研修の場をもった。大. して不自由な肢体をできるだけ克服し,それによって幸いにも. 阪大学脳性まひ研究会は,ケング博士の論文に倣って大阪市隣. 快復したら“肢体の復活能力”そのものをできるだけ有効に活. 接でスイス・ベルン市とほぼ同規模人口 32 万人の吹田市で,0. 用させ,もって自活の途の立つように育成することである」と,. 歳児の早期発見,早期治療のシステムを先行研究した。当時の. 高木憲次教授は,提唱された。肢体不自由児への療育の必要性. 早期治療というのは我が国では,3 歳児からのスタートを意味. を強調され,自ら“夢の教養所”で実践された高木博士の理念. していた。近畿では次第に発達障害の早期発見システムに加わ. は,欧米で提唱されていたリハビリテーション概念とまったく. る医師が増えていった。しかし,発達障害を早期発見したもの. 同義語の人道思想に満ち溢れたものである。高木博士の仕事を. の特に脳性まひには,両親に有効な治療手段を提供できないと. 引き継がれていた小池文英博士は 1963 年頃,厚生省理学療法. ジレンマを訴えられた。また,全国 73 ヵ所の肢体不自由児施. 士・作業療法士身分制度調査打合会の席上で,我が国の肢体不. 設での入園疾患別年度推移を見ると,1962 ~ 1963 年頃は脳性. 自由児療育体制を確立するために先駆者が努力してきた長い道. まひ児とポリオはほぼ同数であったが,3 年後の 1966 年頃から. のりを説明され,それの延長線として理学療法士・作業療法士. ポリオが減少しはじめ 1974 年頃は遂にポリオは 1%程度とな. という専門職の必要性を強調された。同じ 1963 年頃に,大阪. り逆に脳性まひは 64.8%を占めるようになった。これは食事介. でドイツ人 Herter 整形外科教授の流れをくんで,ヨーロッパ. 助,衣服着脱といった ADL 介助業務が大幅に増加し,施設職. リハビリテーションを包括した近代整形外科を発展させておら. 員の負担増加を意味した。厚生省へ全国肢体不自由児施設連絡. れた大阪大学水野教授も身分制度調査委員として,理学療法. 協議会から増え続ける脳性まひ入園児対策の支援を要望されて. 士・作業療法士の誕生を強く主張された。その水野教授の指示. いた。厚生省から対策を委託されていた小池博士は,ボバース. で小野先生(後に大阪大学医学部教授)とともに,梶浦,井. 夫妻をロンドンから招聘して,日本ではじめての「セラピスト. 上,鷹島ら 4 人の先生方は近畿圏の肢体不自由療育界で指導的. 対象脳性まひ 8 週間基礎講習会」を開催され,要望に応えられ. 役割を果たしておられた。4 人の先生を中心に整形外科,小児. た。ロンドンでは受講生 24 名の講習会であるところを,日本. 科,公衆衛生の若手医師も参加されて,大阪大学脳性まひ研究. の肢体不自由児施設が直面している困難課題と,全国に 73 施. 会が発足した。背景には,肢体不自由児療育界にひとつの変化. 設があることを訴えて,特別に 50 名受講生参加の講習会となっ. があった。ポリオ,結核などの感染性疾患や先天性股関節脱臼. た。ボバース夫妻は最初の 2 週間だけ講義,デモンストレー. のような骨・関節疾患による肢体不自由児の入園児が激減し,. ション,実技指導をされて帰国された。残りの 6 週間はその数. その代わりにどこの施設でも脳性まひ児の入園が半数以上を占. 年前にロンドンでボバース講習会を受講していた梶浦博士と筆. めるようになっていた。大阪大学脳性まひ研究会は脳性まひ児. 者で東日本 25 名は東京整肢療護園で,西日本 25 名は聖母整肢. にも,積極的に医学的治療をするべきと主張されて,早期理学. 園で,トレーニングを継続して完結した。この講習会の成功. 療法の導入に熱心であった。医学的機能訓練の実施者として訓. を祝福して閉講式のときに小池博士は,「小児のリハビリテー. 練士の養成にも力を注がれた。この 1965 年前後,近畿圏では. ションは,きわめて魅力的な分野である。我が国の PT,OT. 脳性まひ児の両親たちの住民運動に押される形で,各所に肢体. たちがこの分野に入ってくる人たちが,欧米に比して極端に少. 不自由児通園センターが次々に誕生していった。同時に大阪大. ない。小児のリハビリテーションは甚だ困難で近寄りがたい領. 学脳性まひ研究会が中心になって,新しい療育概念の実践の場. 域である。といった先入観の下に,はじめから敬遠する人たち. として,聖母整肢園が開設された(1970 年)近畿圏で肢体不. が少なくないようである。その端的な例が脳性まひであると思 われる。このことは裏を返せば,脳性まひの興味津々たる潜在. *. Historical Transition of Physically Handicapped Children’s Habilitation and Task for Continuous Professional Development ** 森之宮病院リハビリテーション部 (〒 536–0025 大阪市城東区森之宮 2–1–88) Katsumasa Kii, PT: Morinomiya Hospital, Rehabilitation Depertment キーワード:肢体不自由児療育,脳性まひ,障がい予防. 能力が見逃される結果となって,まことに残念である。講習会 を受講された皆さんたちの存在そのものが,素晴らしいが,こ の講習会で習得した知識と技術で一段と輝きを増していただき たい。脳性まひの子どもたちとご家族に希望の光をあて,さら には敬遠してしまっているセラピストに熱く語りかけていただ.

(2) 790. 理学療法学 第 42 巻第 8 号. 図 1 小児理学療法士専門職の課題. きたい」と話された。そのとき小児分野の理学療法士は全国で. 在能力を最大に引き出すことができ,困難そうな動作をたやす. 275 名しかいなかった。17 年後の 1990 年には 405 名まで増え. くし,発達未経験項目を減少でき,本人や家族があきらめてい. たが,全体数から見れば微々たる数字に過ぎない。このボバー. た機能や行動を可能にし,重力や慣性などの物理的要因(人を. ス 8 週間講習会を終了した頃,NHK でドキュメンタリー番組. 物体化)に打ち克ち,脳性まひ児を人間(子ども)らしくする,. 「明日への記録」が放映され,脳性まひにも 0 歳からの早期発. 技能と知識を手にしている。知識として中枢神経系の構造的組. 見・早期治療が可能であることが紹介された。番組を視聴した. 織化(神経解剖学,神経生理学,システムコントロール,の有. 家族が連れてこられた 17 歳の少女に衝撃を受けた。身体の向. 機的理解)脳障害範囲把握(病因理解,MRI,CT 読影解釈な. きを変えること,座位姿勢を保持すること,手足を動かすこと. ど),神経可塑性の基礎研究と臨床知識,モーターコントロー. の自発性がまったく見られず,脊柱は著しい捻転側彎,四肢に. ル理論,モーター学習理論,健常児と障がい児の発達モデル,. 強い屈曲拘縮を示されていた。父親から少女の成長を記録され. (発生学 胎児運動分析も含む)などを教授するが,各技能と. ていた 8 ミリ映画を貸し出してもらって観察した。幼少時には. 結合し実践に直結させる考え方を例示している。受講後も考え. 良好な座位バランスや両手動作を示されていたから,2 度目の. 続け,子どもやご家族とよいエピソードを積み重ね,やはり子. 衝撃を受けた。幼少時の良好な機能は,なぜに失われてしまっ. どもはあどけなく可愛らしい,無限の可能性を秘めているとい. たのだろうか? と考え,障がいが重度化しないように予防策. う実感を寄せられる。小児リハビリテーション特に脳性まひの. に全力を尽くす小児セラピストになろうと強く決意した。担当. 治療は,甚だ困難で近寄りがたい,はじめから敬遠してしまっ. 児の中から,超早期治療成果を検証するモデルを設定した。出. ている若い理学療法士がいるならば,それでは専門職として興. 生時の核黄疸顕著で強度の反り返りが激しい生後 6 ヵ月のジス. 味深々たる人の潜在能力を見逃してしまう,それはネガティブ. トニックアテトーゼ児に,1 回 60 分の外来個別治療を週 3 回 3. キャリアだ,子どもやご家族とともに,心豊かに広がるポジ. 年間継続した。この経過と 9 年後の結果を理学療法学第 12 巻. ティブキャリアの積み重ねを勧めたい(図 1)。. 第 6 号で発表した。数回の単独入園,定期的な外来 PT,OT. 臨床像が大きく変化した脳性まひ児を正しく評価・治療する. を彼の 30 歳過ぎまで継続した。流暢な会話,歩行器歩行,お. には,最近の科学知識収集が必要である。しかも,脳科学の進. 箸で食事可能,ワイシャツのボタン操作を,次々に獲得された。. 歩は著しいので常に更新してゆかねばならない。しかし評論家. 主治医からはジストニックアテトーゼの従来の予後を覆す,画. 的な知識偏重ではなく,技能とよいキャリアの積み重ねと結合. 期的な治療成果と評価された。その他の実践成果も幾度か本学. して,調和のとれた臨床実践家が望まれる。. 会で発表し,詳細を理学療法学に掲載した. 1–6). 。しかし,道義. 的に非治療例などのコントロール群設定が難しく,脳性まひ症 状の多様性もあり,客観的治療効果判定までには至っていな い。これからの者も含めた測定・データ化技能向上の課題であ る。客観的データ提示による論文執筆も重要であるが,これに 費やす労力よりも講習会などで,小児リハビリテーションの魅 力を共有し,その輪を広げることに,精力を注いできた。直接 に手を取り互いを了解できた PT,OT,ST は,今までに 1,500 人を超える。筆者の試行錯誤を整理し,脳性まひ児治療に新た に加わる後進たちには,陽性思考の臨床推論循環実践法を,教 授している。トレーニングを受けたセラピストは,子どもの潜. 文 献 1) 紀伊克昌:脳性麻痺療育体系の 20 年の歩みと今後の課題.理学療 法学.1985; 12: 411–417. 2) 紀伊克昌:脳性麻痺に対する早期治療.理学療法学.1986; 2・3: 203. 3) 紀伊克昌:中枢神経系疾患患者に対する運動療法技術の発展.理 学療法学.1995; 22: 336–340. 4) 紀伊克昌:近年の premature baby(未成熟児)に求められている 新たな理学療法展開.理学療法学.2003; 30: 154–157. 5) 紀伊克昌:ボバース概念における検証作業.理学療法学.2007; 34: 345–348. 6) 紀伊克昌:脳性麻痺の評価と治療─臨床推論の例示─.理学療法 学.2012; 39: 219–221..

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