DOI: http://dx.doi.org/10.14947/psychono.35.6 21 坂井・大沼: 風味の快楽
風味の快楽
1, 2坂 井 信 之*・大 沼 卓 也
東北大学Hedonics of taste
Nobuyuki Sakai* and Takuya Onuma
Tohoku UniversityIn our daily lives, we feel pleasure when we eat and/or drink something palatable. During eating and drinking, we experience the sense of taste. The thought that the sense of taste is emerged in our oral cavity, especially in our tongue, is not true. The sense of taste is highly multimodal perception, and is based on the integration of gustation, olfaction and somatosenses in oral cavity. The sense of taste is also affected by the cognition and the attention. This article focuses good sides of ‘the sense of taste’ as a theme to study organisms’ basic psychological mechanisms.
Keywords: gustation, olfaction, somatosenses, multimodal perception, attention
は じ め に 人は毎日食べている。食べなければお腹が空くから だ。しかし「食べなければ生きていけないから」という 理由で日常的に食べる人は多くなく,「食べることは生 きる楽しみ」という人の方が多いだろう。つまり,生存 の必要条件であった食行動は,現代日本社会において は,快楽を求めるための行動に変化しているといえる。 一方で,毎日少なくとも 2∼3回の食行動を繰り返す 人が多いためか,我こそは「味覚のプロ」と自負してい る人も多い。しかしながら,食の場面には勘違いが非常 に多く見られる。しかも,その勘違いを研究している 我々研究者でも,日常生活ではその勘違いを意識して食 べることは少ない。勘違いというよりも,錯覚のように 自然に生じるものとなっている。 本論文では,主に基礎心理学の視点から,食行動を取 り巻く勘違いや錯覚について事例を挙げながら説明す る。これらの事例には逸話的,現象的な記述が多いた め,今後基礎心理学の立場からの科学的アプローチを必 要とするものもある。本論文が,食行動に対する基礎心 理学的研究のヒントとなれば幸いである。 味覚系(gustatory system) 味覚という単語には複数の意味がある。一般的には 「旬の味覚」や「味覚狩り」などの使い方から,「レモン 味」「ミント味」などの表現が取られることが多い。こ れらの表現は食物そのものや食物を摂取した時に経験す る感覚体験を意味している。科学的観点から言えば,こ れらの表現は間違っている。例えば「レオナルド・ダ・ ヴィンチの描いた視覚」という表現を取ることはない し,「この部分は黄色視覚」などの表現も取ることはな い。これらの例からお判り頂けるように,「味覚」とい う単語は一般用語としての意味と,専門用語としての意 味を兼ね備えており,このことが混乱の元となってい る。この論文では味覚を,一般用語としての意味ではな く,視覚,聴覚,嗅覚と並ぶ感覚としての意味で用いて いく。 専門用語の味覚は,英語ではgustationと表現される感 覚である。適刺激は主に唾液に溶ける水溶性の呈味物質 で,受容器は味蕾という感覚器官に存在する味細胞であ る。味細胞の末端には味覚受容体が存在し,呈味物質と 吸着し,電気信号を生じさせる。味蕾で生じた電気信号
The Japanese Journal of Psychonomic Science
2016, Vol. 35, No. 1, 21–24
講演論文
Copyright 2016. The Japanese Psychonomic Society. All rights reserved. * Corresponding author. Department of Psychology, Graduate
School of Arts & Letters, Tohoku University, Kawauchi, Sendai, Miyagi 980–8576, Japan. E-mail: nob_sakai@ m.tohoku.ac.jp 1 本論文は日本基礎心理学会第34回大会におけるシン ポジウム1「知覚の快楽・知の快楽」における講演 の内容に基づくものである. 2 本論文を作成するにあたり,一部科研費(26350088) の補助を受けた.
22 基礎心理学研究 第35巻 第1号 は味覚神経を通じて脳へと伝達される。 味覚神経は単独の脳神経ではなく,複数の脳神経の分 枝からなる。舌の前方にある葉状乳頭や茸状乳頭に存在 する味蕾の信号を伝達するのは顔面神経(第VII脳神経) の分枝の鼓索神経である。また,舌の後方の葉状乳頭や 有郭乳頭に存在する味蕾の信号は舌咽神経(第IX脳神 経)舌枝によって脳へと伝達される。味蕾は軟口蓋や咽 頭などにも存在し,それらの情報はそれぞれ顔面神経大 浅錐体枝,迷走神経(第X脳神経)上喉頭枝によって伝 達される。三叉神経(第V脳神経)も舌や口腔内の感覚 受容に関与するが,味細胞との接続が確認されておら ず,味覚神経には分類されない(羽山,1997)。 これらの味覚神経は延髄孤束核の吻側部に投射し,シ ナプスを変え,視床味覚野(腹側後内側核),皮質第一 次味覚野(前部島から前頭弁蓋への移行部)へと伝達さ れる。皮質第一次味覚野では活性化される脳部位に味覚 の種類による違い(chemotopy)がみられるという報告 (Schoenfeld et al., 2004)があり,皮質第一次味覚野は味 覚の弁別に関わっている可能性が示唆されている。 その後,味覚情報は眼窩前頭皮質や 桃体へ送られ, 他の感覚と統合され,外界の総合的な認知や再現に関わ る。眼窩前頭皮質や 桃体の出力は視床下部や線条体や 帯状回などへ伝達され,食行動(接近–回避)をコント ロールすることが知られている(Rolls, 2006)。 味覚受容体と基本味 分子生物学の発展により,味覚受容体の化学構造が明 らかとなり,味覚受容についての理解が急速に深まって いる。先に述べた定義上,味覚受容体によって受容さ れ,味細胞が活性化されたときに生じた電気信号により 味覚が生じるのであれば,味覚受容体によって受容され る物質のみが呈味物質となる。この定義から,現在のと ころ次に述べる5つの味覚のみが基本味として科学的に 認められている。ちなみに「ないことを証明することは 不可能に近い」という基本原則から,基本味を5種類に 限定することはできない。そのため,電気性味覚やカル シウム味などが第6番目の基本味であることについて議 論されているが,現在のところ基本味として広く受け入 れられているものはない。 5基本味は甘味,うま味,塩味,酸味,苦味である。 うま味については国際的にumamiという表現が採用さ れているように,出汁に含まれる呈味物質が基本となっ ている。umamiは心理学の入門書としてよく知られてい
るAtkinson & Hilgard’s Introduction to Psychology (Nolen-Hoeksema, Fredrickson, Loftus, & Lutz, 2014)には記載され
ていないため,5番目の基本味として認知されていない という誤解が多いが,APA編集の心理学辞典(Vanden-Bos, 2006)や生理心理学,生物心理学,神経科学などの 教科書の多くには記載されている。また,当然ではある が,味覚や化学感覚の専門家の間ではumamiを第5番目 の基本味とするということのコンセンサスは得られてい る(Doty, 2015)。 これらの基本味の受容機構は分子生物学的にある程度 解明されている。その結果から,一つの味細胞の受容す る基本味は一つであること,いずれの味蕾にも5基本味 それぞれを受容する味細胞が存在し,舌や口腔内での味 の受容には偏りがないことなどが知られている。そのた め,舌の前方では味覚を感じ,後方では苦味を感じると いった舌地図(あるいは味覚地図)は現在では科学的に 否定されている。 基本味と接近–回避動機づけ 基本味にはそれぞれ生態学的意味のあることが知られ ている。例えば,甘味を呈する食物は糖質などエネル ギー源となる物質を含んでいることが多い。そのため, ヒトだけでなく,サルやラットなどの雑食性動物も,甘 味のする食物を好むことが知られている。このような嗜 好は無脳症の新生児(Steiner, 1973; Steiner, Glaser, Hawilo, & Berridge, 2001)や除脳ラット(Grill & Norgren, 1978)で もみられることから,延髄レベルでの反射による本能行 動であることが示唆されている。 また,うま味を呈する食物はアミノ酸や核酸など,体 を形成する材料となる物質を多く含んでいるものが多 い。そのため,うま味も甘味と同じように生得的な嗜好 の対象となる。 反対に,酸味のするものは未熟なフルーツや腐敗した 食物に含まれることが多いため,新生児やその他の雑食 性動物によって忌避されることが多い。同じように苦味 のするものは毒物であることが多いため,本能的に忌避 される。 塩味については,新生児でははっきりした接近–回避 反応はみられない。それまでの生活環境であった羊水が 一定濃度の食塩を含んでおりその味に順応していたた め,感じにくいからだと考えられている。ラットなどに おいては,ある濃度までの食塩水はミネラルなどを含ん でいる信号となるため嗜好され,高濃度の食塩水は脱水 症状や体内ミネラルバランス崩壊の危険性があるため, 忌避されることが知られている。 このように基本味は体に必要な栄養分を摂取し,体に 害を与える可能性のあるものの摂取を忌避するという生
23 坂井・大沼: 風味の快楽 態学的な意味をもっている。また,最近甘味やうま味の レセプターが消化管にも広く分布することが発見され, 消化吸収の効率化という役割を担っていることが示唆さ れている(岩槻・市川・畝山,2011)。 味 覚 と 味 では我々が食物を摂取した時に経験する知覚の正体は 何であるか。一言でまとめると,五感すべての統合され た複雑な知覚経験である。ここではこの知覚を風味知覚 として表現することにする。 風味知覚で最も重要な働きをするのは嗅覚である。特 に,口腔の後ろから鼻腔へと抜ける後鼻腔性嗅覚が風味 知覚の形成には重要である。例えば風邪や花粉症などで 鼻の調子がおかしいときに,味覚が変わったように感じ るのも,後鼻腔性嗅覚が正常でないことが原因である。 嗅覚と味覚は日常の食経験によって,学習性の共感覚 と呼ばれる一体化された知覚を形成する。ラットを用い た行動神経科学研究やヒトを対象とした認知神経科学研 究から,味覚と嗅覚はそれぞれの一次感覚野の間で情報 交換をしたり,収斂したりしていることが明らかにされ ている。ヒトにおいては,嗅覚の単独刺激によって皮質 一次味覚野の短潜時での応答がみられ,このことが風味 知覚の一体化の脳基盤であると考えられている(総説と して坂井,2009)。 口腔内体性感覚,特に化学性の皮膚感覚も風味知覚に 重要である。例えば,唐辛子の辛み成分であるカプサイ シンは口腔内の三叉神経(第V脳神経)自由神経終末に 存在するTRPV1を活性化させることによって,辛味を 生じさせる。同じように,ミント味はTRPV3やTRPM8 の活性化,ニンニクやダイコンの辛さは TRPA1の活性 化によって生じる(Basbaum & Jessell, 2013 富永・加塩・ 内田訳 2014)。これらの化学性皮膚感覚は,味覚,嗅覚
と合わせて,口腔内化学感覚(oral chemical sensesある
いはoral chemesthesis)と呼ばれることが多く,皮質第 一次味覚野などでの情報処理の比較的早い段階で収斂 し,一体化していることが示唆されている。 また,口腔内の触覚や運動感覚も食物の固さや流動 性,大きさ,形などの知覚に関わっている。加えて,口 腔内の触覚は味覚の位置同定にも深く関わっている。例 えばある実験では,最初に呈味物質を含んでいる小粒の ゼリーと同じ大きさ,形で呈味物質を含んでいないもの を作成した。それから,実験参加者に呈味物質を含んで いるものを一つ,呈味物質を含んでいないものをいくつ か口の中に含んでもらい,「味のするものだけを口の中 から取り出すように」と教示すると,ほとんどの参加者 はすべてのゼリーから味がするように感じられ,うまく 課題を遂行できないことが報告されている(Delwich, Lera, & Breslin, 2000)。また,舌に綿棒を5本当てるとい う実験でも,どれか一本にのみ呈味物質を含ませると, すべての綿棒に呈味物質が含まれるように感じられるこ とも報告されている(Lim & Green, 2007)。これらの現 象はtactile capture of tasteと呼ばれている。
さらに,風味知覚における視覚の重要性についても多 くの知見が得られている。例えば,白や黄色の寿司の写 真をみながらマグロの握りを食べると,生臭みなどが弱 く感じられ,その結果マグロが苦手な実験参加者も,そ の寿司が好きだと判断するようになる(三宅・吉松・坂 井,2009)。また,フランスのボルドー大学でおこなわ れた実験では,白ワインに赤色色素を加えて,見た目を 赤ワインのようにすると,感じられる香りや味も赤ワイ ンのように表現されることが報告されている(Morrot, Brochet, & Dubourdieu, 2001)。
さらに,聴覚はポテトチップスのパリパリ感や炭酸の シュワシュワ感の知覚の一部を形成していることも報告 されている(Zampini & Spence, 2004, 2005)。一方で,80 dBを超えるような騒音下では,味覚閾値の上昇などが みられることも報告されている(Spence, Michel, & Smith, 2014)。 これらの感覚は味覚や嗅覚と眼窩前頭皮質などの高次 味覚野での収斂が知られており,注意の共有などの仕組 みによって説明できる可能性がある。しかしながら,現 時点ではこの現象に関わる脳機構についてはあまり研究 されていない。 味覚と記憶 このように,我々ヒトは五感を総動員して,食物や飲 料を味わっている。しかし,おいしさの知覚には,さら なる認知機能が必要である。例えばブランドによって飲 料のおいしさが違って感じられるときには,ブランドに 対するイメージ(Sakai, 2014)やエピソード記憶(Mc-Clure et al., 2004)が大きく関わっている。 ヒトは,一人で食べたときよりもみんなと一緒に食べ たときの方がよりおいしいと感じる。しかしながら,み んなと一緒に食べるときに実際においしいと感じている のではなく,一緒に食べているという快感情がおいしさ と錯誤帰属されている可能性が示唆されている(山中・ 長谷川・坂井,2016)。おふくろの味についても同じで, 子どものときのよい記憶や安心感などが,おいしい思い 出を形成しているのであろう。 これらの研究結果から,おいしさは知覚ではなく,経
24 基礎心理学研究 第35巻 第1号 験(記憶)であるということが言えるだろう。本論文で は紙面の都合から,風味知覚やおいしさに関して十分な 研究の紹介と議論を尽くすことができなかった。このト ピックスに興味のある方はぜひ,関連する最新の総説や 書籍(例えば坂井,2016など)を参考にしていただき, 積極的に研究にも参加していただきたい。 引 用 文 献
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