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Pynchon Notes についての覚書

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Academic year: 2021

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Pynchon Notes についての覚書

深瀬 有希子

時は、英文学を専攻する者であれば必ずや訪れなくてはならない神保町のK 書店が勢いを失い、代わってAmazonが日本の英文学界を席捲し始めた頃、私 はその言葉を耳にした。『ピンチョン・ノーツ』――アメリカ文学のなかでも手 ごわい部類の小説を書くとされるポスト・モダン作家トマス・ピンチョンを研 究する友人が、ゼミでの発表の際に、何だか自慢げにその存在を語っていた。 ピンチョンと同世代であるトニ・モリスンの研究を始めたばかりの私は、その ようなものがモリスン批評にもあれば、と少し羨ましく思っていた。 件の学術誌が(正確にはニューズレターの形で)アメリカ文学批評界に誕生 したのは、いまよりも40年ほどさかのぼる、1979年10月のことである。その巻 頭言は、興味深いことに、英文学研究の権威たるModern Language Association に 対する、幾分かの苛立ちを示しつつ始まっている。初期『ピンチョン・ノー ツ』を読むと、本誌出版前後のMLA年次大会においては、ピンチョンにかか わるシンポジウムや個人による口頭発表が採択されていなかった事実がわか る。よってそれに対して、ピンチョン研究者たちは本誌出版を通じて異議を申 し立てていたのであった。 ピンチョン研究者でもない私が、なぜ20年以上も前に知った『ピンチョン・ ノーツ』にかくも拘っているのか、自分でも不思議である。研究者として未熟 ながらも、そこに文学研究の幻惑的魅力をかぎとった、という感じだろうか。 それゆえに、この多分に文学オタク的な情熱に満ち溢れた出版当時のニューズ レターのリプリント版が、本学日野キャンパス図書館の地下集密書庫に厳然と 並んでいるのを見たときの感動はひとしおであった。 以上をもってして、植野先生から頂戴した学恩を語るとするのは、はなはだ 不遜であると思われる。ネラ・ラーセンにも言及すべきだったかもしれない。 しかしながら、本学英文学科におけるアメリカ文学研究の礎とその教育の伝統 を確認するには十分であろう。植野先生、有難うございました。そして、今後 ともどうぞよろしくお願い申し上げます。 122

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